進化論と創造論についての掲示板ログ250

2004年09月09日〜2004年09月11日
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んじゃ...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月11日 1時07分

1に、最も近くて、しかも1よりも小さい数を教えてください。
ボクは、教えてくれた数と1とを足して2で割った値を計算して提示しますけど、それは1よりも小さくないですか?


スケールアップ  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月11日 1時06分

量質転化の例ね

スケールアップというのは、技術的にはまったく異なる技術を要求されるということにゃんな
例えば、同様の構造物をX倍にスケールアップさせる場合、
乱暴に計算すると、構造物の強度はXの二乗となり、かかる負荷はXの三乗となるもんにゃ

大きくしたり小さくしたりは量的な変化にゃんが、それを実現するための技術は質的な転換を求められる、ちゅうことになるにゃんね

と、僕はこういうことをいいたいのだにゃ>おずおず


(1÷3)×3=3/3=1  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月11日 0時57分

1/1と書こうが、2/2と書こうが、3/3と書こうが、すべて同じ数のことを言ってるだろ?
x/x のxに0と∞以外のどんな数を代入しようが、1にはちがいにゃー

同じものをどう表記するかの問題と、連続した変化が質的な転換をもたらすことは、まったく別の問題にゃんぞ。


こちらあたりを参照くだされ  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年09月11日 0時52分

1と0.999999...8は違う数です。
1と0も違う数です。

1=0.999...ってのは、つまるところ
「0.999...とはどういう数字であると定義するか」という
数学上の問題なのです。

概念的なことでは↓のURLの先がわかりやすいと思う。
http://www.hokuriku.ne.jp/fukiyo/math-qa/mugen.htm


連続って...  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月11日 0時45分

んじゃ、1と0は、同じ値ですか?
...どこが不連続(イコールでなくなる場所)ですか?


1と0.999999...  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年09月11日 0時30分

>それは表記のちがいだにゃー

ですね。
その2つは完全にイコールです。


>1と0.999999...8  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月11日 0時29分

...は、違う数でしょ?


>1と0.999999...  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月11日 0時20分

それは表記のちがいだにゃー


ほそくのほそく  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月11日 0時11分

1と0.999999...とは、イコールであり、なおかつ、違う...。
これが量的変化が質的変化であるということ...。

平たく言えば、違いがわからん、ということかなあ...?


うんこのねたつづき  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月10日23時49分

あのねー、酒は入っていたけど、ほろ酔い程度だったにゃ。
突然の便意に襲われてねー
駐車場のかげにでもかくれてたれてしまおうかとも思ったんだけど
逡巡しているうちに、便意がいきなり土石流みたいになってさー
抗する術もなくズボンをおろすひまもなく垂れちゃったよー

便意というのはもちろん生まれたときから馴染の感覚にゃんが、
こうした馴染の感覚が突如として荒れ狂うことってあるんだにゃー、と。
なんちゅうかね
ニンゲン、死ぬるときにはこういうふうに死ぬのではにゃーかと思ったにゃ。
「ああ、あの馴染の感覚だな。これならまたやり過ごせるさ。」
とか思っているうちに、わーーーーー、っと流されてそのまま逝ってしまうのではにゃーかと。


ほそく  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月10日23時43分

また、量質転化は実は構造主義とか記号論においても重要な考えになりえるのですにゃ

ニンゲンの世界分節がいかに恣意的なものかを示しえると考えられますにゃ。

さっきともかぶるけど、光の色とは波長の連続的変化にゃんね。
日本においては虹は七色、英語圏では六色、ホメロスの詩においては虹は三色だにゃ。
同じ連続的な変化を見て、文化によって分節の度合いが異なるわけだにゃ。

連続的なものを分節していくのは、生体の反応だけでなく、ニンゲンの認識活動の特徴でもあるわけにゃんな。
ま、これは「量質転化」をいささか広く捉えた例にゃんけどね


量質転化  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月10日23時37分

>こんにちは。

にゃー

まず、どんなものに対してでも通用する理屈は何もいってにゃーに等しく、およそ理論といいえるものであれば適用範囲というものがある、ちゅうことについては僕も異論はまったくにゃーです。ここは前提ね。

さて、ちょうどお題は「量質転化」にゃんな。
カガク的思考と量質転化については、僕も触れようと思っていたのですにゃ。

>「砂の山から砂を1粒とってもやはり砂の山だが、それを繰り返していれば砂の山は消えてしまう」などというお話が「量質転化」の法則の例として登場しますが、こういう説明で何か認識が深まったりするのか疑問です。

量質転化の具体例としては、いささかヘタレなのではにゃーだろうか?
ちゅうか、キョーサントーのガリガリ君たちは、こうしたヘタレな例をもって「人民に対するわかりやすさ」とか思っているから始末におえにゃーよな。

量質転化とは、量における変化、つまり連続的(アナログといってもいい)な変化が質的な転換をもたらす、というのが一般的な解釈といっていいだろにゃ?
これってさ、カガク的思考の基本となりえるものなんでにゃーの?

医学や生物学における「閾値」の問題は、まさにこれだろにゃ?
日本大百科より「閾値」の項を全文引用
****************************************
threshold

ある作用によって生体に反応がおこる場合、反応をおこすのに必要なその作用の最小の強度をいう。また、限界値ともいわれる。反応が死である場合その致死作用の限界を致死閾という。刺激作用については刺激閾、感覚刺激についてはそれぞれの感覚の種によって視覚閾、聴覚閾などとよぶ。このうち、音や光のような、ある作用の強さの差が刺激効果となって、ある反応や感覚をおこす場合、その差の限界を識別閾という。これに対して、量的な差を問題としない一般の閾値に関するものは単純閾という。刺激の効果は、強度のほかに、その持続時間と、強度の変化率によって変化する。また興奮性膜(活動電位を発生する細胞の細胞膜)においては、膜電位が一定の値にまで脱分極すると活動電位が発生するが、その値も閾値という。なお物理学では閾値を「しきいち」と読み、別の意味になる。
[村上 彰]
***************************************

僕が量質転化の具体例を書くとしたら、アルコール摂取をもちだすにゃ。
「お酒を数ミリリットル飲んだだけでは、精神的にも身体的にも何の変化もおきません。
 個人差はありますが、これが数十ミリリットルから百数十ミリリットル飲むと、身体があたたまったり、気分が高揚したりします。人によっては気持ち悪くなったりします。
 その辺でやめておけばいいのですが、もっと飲むと心神耗弱の状態になったり、死んだりしてしまいますね。
 まさにここでは、量的、連続的な変化が質的に異なる作用を及ぼすことを確認できると思われます」
こんなかんじ。

「閾値」概念はさ、致死量とか薬理作用、毒性などについて押さえておくべき概念だろにゃ?
閾値概念は、健康管理におけるリスク・コストとリターンを考える際には不可欠だにゃ。

もちろん、それだけではにゃーよね。ある化学物質の環境への負荷の評価とか、環境問題を考えるうえでも閾値の発想は必要にゃんな。
また、動物の生態や行動においても閾値の発想は重要であり(温度がある点に達すれば、芽が出るとか花が咲くとか、ある種の化学物質濃度がどれだけになるとどういう行動を示すとか)、ひいてはニンゲンの心理や行動においても閾値概念の理解は必須であるともいえますにゃ。

物理学においても重要にゃんね。例えば、電磁波の波長の連続的な変化は、その性質を変えていくわけだにゃ。紫外線と赤外線とかね。

量的な変化が質的な転換をもたらす、ということをしっかりと理解することが理科教育の主要な目標のひとつであるべきだとすら僕は考えておりますにゃ。
カガクの専門家を輩出するだけが理科教育の目標ではにゃーはずだ。
カガクを適正に評価しうる市民が多くなければならにゃー。

無論、量質転化をドグマティックに教えてはならにゃーだろうけど、
この考え方は極めて有用で応用範囲が広い考えであり、市民社会における不可欠の理科的教養となりえると主張いたしますにゃ。


少し分かったかも  投稿者:逍遙 投稿日: 2004年09月10日23時16分

差出者さんへ。これで最後ということなのでもう読まれないかもしれませんが。

差出者さん曰く:
> さて、今あなたに、地球が誕生して今日までの全く同じ46億年間の時間と
> 環境が与えられて、さらに 20種類のアミノ酸を
> 手渡されたら、どうやって、人間を作りますか???

つまるところ、差出者さんは「もう一度進化をやり直しても今と同様の生物の様相となり
同様の人間が発生するに違いない/発生しなければならない(*)」と考えているのですね。

進化論的には、もう一度進化をやり直したときに、「人間」が「作られ」なければならない
理由などなく、全く別の生物・全く別の知的生命体が発生しても全く不思議ではありません。
というより、ほとんどの場合、全く別の生物相になるんじゃないでしょうか。
もっとも、進化のやり直しなど観察できるわけがありませんから、このことの立証は困難
でしょうけど。一方で、再び「人間」が「作られ」る、とする根拠も全くありませんね。
地球外に生物が存在する惑星でも発見できれば話は進むでしょうけど。

次の問題は、何故(*)と考えるようになったか、なのですが……これはまだ疑問符です。


図式の適用について   投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月10日23時02分

流木様
そうですね。その程度のもの。


図式の機械的適用  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月10日22時40分

*おずおずさん(Re:弁証法の有用性と限界 投稿者:おずおず  投稿日: 9月10日(金)21時48分23秒)

 こんにちは。

>>「いや、この結論を否定する何かが出てくるはずだ。」と、「盲信する」ことは、本当にその通りになるかどうかはともかく、多分、心の健康のためには良いと思います

 私にとって弁証法は、私の意識から独立に存在し作用している世界の運動法則といったものではありません。ある考えを、全く逆の立場から考え直してみるとか、相手への批判を自分の適用してみるとか、そういうときに発想法(?)としてそれなりの有用性を発揮していると思いますが、それを弁証法と呼んだところで何かが変わるわけではありません。「弁証法は頭の体操」というのは、そういう意味です。

 注意すべきは、弁証法を適用して何かを見つけようとする態度でしょう。そうした態度では、物事に即して考えるのではなく、出来合いの図式を機械的に当てはめるという誤りに陥りがちです。多くの場合、そのような試みは有害だと思います。

 図式が一応当てはまる場合もあるでしょうが、当てはまらない場合がむしろ普通であるにもかかわらず、当てはまらない場合を無視して物事を考えるといった態度につながるでしょう。専門知識が必要な場面でも、単純極まりない図式を適用して大胆な(=お粗末ともいう)結論を導き出すといった失敗も引き起こしがちです。マルクス主義に限らず、森羅万象の運動法則や原理と称するものには、そうした誤りがつきまとうのではないでしょうか。


なんでだろう?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年09月10日21時56分

>これ言ったの私なんだけど。
>やっぱり必要と見た。

 はい…私も、なぜか谷庵さんとwadjaさんを間違えるのです。
 お二人には迷惑な話だと思いますが…なんかこぉ、通じているというか…


補足  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2004年09月10日21時50分

>近い将来に、偶然同じアホなロジックを持つ別人が登場することにW1000!
別人じゃないが、的中ということで・・・


Re:弁証法の有用性と限界  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年09月10日21時48分

To:流木さま
>「ことわざ」はそれなりに有用ですが、何かを発見する武器にはならないように思います。

弁証法は、それ自体では何かを発見する道具にはなり得ませんけど、
いつも、「まだその向こうに何かがある。」ということを思い出させてくれる程度の役には立つように思います。

...例えば、或る理論か何かを、完璧に正しくて究極の真理だ!と思いこみたくなったときでも、「いや、この結論を否定する何かが出てくるはずだ。」と、「盲信する」ことは、本当にその通りになるかどうかはともかく、多分、心の健康のためには良いと思います。

「犬が西むきゃ尾は東。」のほうが日常の役には立つかもしれないけど。


老眼鏡  投稿者:谷庵 投稿日: 2004年09月10日21時42分

>wadja殿へ
>>本当にめがね無しで居られるのだとしたら、いいなあ。
>裸眼でOKじゃ

これ言ったの私なんだけど。
やっぱり必要と見た。


専門バカ  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月10日21時35分

 ある分野でそれなりの業績を上げようとすれば、「専門バカ」にならざるを得ません。レオナルド・ダビンチのような万能の天才は、学問分野が著しく細分化されている今日では望むべくもありません。そうした背景の理解に立てば、「専門バカ」というのは、「一芸に秀でている」という意味でむしろ誉め言葉です。

 逆に、あれもこれも中途半端に詳しいというのは、単なる「物知り」であって、専門家とは違います。少なくとも、専門家の専門分野に関して「物知り」の知識では全く手も足も出ないことは明らかです。

 もちろん、専門家は自分の専門分野以外については素人と何も変わりませんし、場合によっては自分の専門分野の常識を他の分野にも適用しようとして、おかしな間違いをしてしまうこともあります。世間にとっては常識ともいえることを知らなかったりもします。世間的な意味での「専門バカ」とはこちらを指すのでしょうが、評論などでは門外漢の的外れな議論がかえって面白いという場面もあるようです。


あき殿的中!!  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2004年09月10日21時16分

あき殿へ

おめでとう!!
>近い将来に、偶然同じアホなロジックを持つ別人が登場することにW1000!
しかし、残念ながら配当は元返しじゃ。

wadja殿へ
>本当にめがね無しで居られるのだとしたら、いいなあ。
裸眼でOKじゃ

ただ、仰られるように、調節機能は若干衰えてしまってるのう。
#安物のAFカメラになった感じかな。


弁証法の有用性と限界  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月10日21時13分

*地下に眠るMさん(役に立たない? 投稿者:地下に眠るM  投稿日: 9月 9日(木)23時58分12秒)

 こんにちは。

>>弁証法が役にたたにゃーというのはどうかにゃ?

 「ことわざ」のようなものであり、「後知恵」だと申し上げました。「ことわざ」はそれなりに有用ですが、何かを発見する武器にはならないように思います。少なくとも、マルクス主義哲学の入門書の類に書かれているのは、物事を弁証法で跡付けただけであり、弁証法を使って何か新しい発見があったという話ではありません。

 「砂の山から砂を1粒とってもやはり砂の山だが、それを繰り返していれば砂の山は消えてしまう」などというお話が「量質転化」の法則の例として登場しますが、こういう説明で何か認識が深まったりするのか疑問です。

>>弁証法を役立たずといいいたいのなら、ヘーゲルにあたるべきじゃにゃーのかな?

 弁証法はことわざのようなものですから、それなりの有用性は当然あります。何の役にも立たないわけではありません。

 残念ながら、ヘーゲルの著作は『小論理学』と『精神現象学』(の日本語訳)ぐらいしか読んでおりませんし、体系の全体像を云々できるほどの知識は持っておりませんので、何ともいえませんが、「元々対話の術だった弁証法をヘーゲルが世界の運動法則として据え直し、マルクスがフォイエルバッハに倣って頭で立っていたのを足で立たせた」とマルクス主義哲学者が論じているのは承知しております。こうした把握が哲学史において正鵠を射ているかどうかは分かりませんが、唯物論的か観念論的かは異なっても、世界の運動法則として弁証法を捉えている点においては、マルクスもヘーゲルも違いはないでしょう。

 しかし、弁証法は「頭の体操」程度に捉えておくのが適当であり、諸現象の中に弁証法を見出そうとするのは無意味であるばかりか(ルイセンコ事件でも明らかになったように)有害ですからあると思います。


逆ギレ?>差出者様  投稿者:com 投稿日: 2004年09月10日20時52分

皆様こんばんは&お久しぶりです。

差出者様、横レス失礼します。

以下引用。
Re:NATROM   投稿者:差出者  投稿日: 9月10日(金)18時15分52秒

天文学者や進化生物学者はバカだって私(差出者)が、いつ言ったんでしょうかね?
少なくとも、私はバカにはしてませんよね。
そう取られても仕方がないと言われればそれまでですが、NATROM様に
言われる筋合いはありませんよねぇ。

以上引用終わり。

はい、そう取られてしまう書き込みをした、あなたが悪いです。
そんな言い訳を書くくらいなら、この掲示板の読者の方に曲解されない内容を書き込めば良いだけ。
少なくとも、曲解した、と読者の方を責めるのは筋違い。

次回以降は、日本語の文章作成のスキルをupされてから書き込みされた方が良いでしょう。

あと、これは誤爆かもしれませんが、あることが起こる確率と、あることが起こる可能性は似てるけど、全く違った意味になるかと。起こる確率が極端に低くても、起きる可能性を否定する訳ではないし…。アンチ進化論者の方の論法を読んで、いつもそう思っているのですが…。


対照実験の有無  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月10日20時42分

 ある分野では、対照実験という方法を用いるでしょうが、対象実験を行う(行い得る)か否かが科学の本質ではありません。

 ちなみに、「神様がいるんです」というお話は、神様がいない状態と対象実験を行った上でなされているのでしょうか?


それでさ、  投稿者:NATROM 投稿日: 2004年09月10日20時40分

差出者さんは、天文学は「SFに近い、準科学だ」とお考えなわけで?

#私が言いたいことあきさんが言っちゃった。


>今回の場合、特定の個人を揶揄するのはおよしなさいと言うことです。

馬鹿なことを言ったら馬鹿にされても当然です。馬鹿なことは言っていないというのであれば、反論すればよろしい。


やっぱり  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年09月10日19時26分

「最後」でも「さようなら」でもなかったですね。
 こういう言葉を使えば、議論を自分の主張を言いっぱなしにして反論されずにまとめることができると考えるのかなぁ……。


では、教えて上げましょう  投稿者:あき 投稿日: 2004年09月10日18時58分

>天文学者や進化生物学者はバカだって私(差出者)が、いつ言ったんでしょうかね?
少なくとも、私はバカにはしてませんよね。

自分自身の発言内容が理解できないくらい馬鹿なのですね。


>ただ、メールの内容を「引用」しただけなんですが・・・

引用した内容は引用者が責任を取ってください。


>誰か学者さんが、そのことで、今不快に思ってますか??
誰に謝ればいいんですか? 私は・・・

じゃあ、少なくとも私には謝ってくださいな。

学者といわれるほど偉くはないですが、一応生物学の研究を職業にしています。
進化論そのものを専門とはしていませんが、進化論抜きにして生物学の研究はできません。生物学の論文を読めばわかりますが、進化的考察が記載されていることはよくあることです。

最後に、差出者は進化論の批判が可能な程度の生物学に関する知識をお持ちになっていないようです。
どこが足りないのか指摘するほど親切にはなれません。自分で勉強し直してください。
次に来るときは名前を変えないことを希望します。


Re:NATROM    投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月10日18時15分

「お馬鹿さん」ってわざと書いたんですが、やはり、そういうこと
いちいち 書く人いるんですね〜。

天文学者や進化生物学者はバカだって私(差出者)が、いつ言ったんでしょうかね?
少なくとも、私はバカにはしてませんよね。
そう取られても仕方がないと言われればそれまでですが、NATROM様に
言われる筋合いはありませんよねぇ。


ただ、メールの内容を「引用」しただけなんですが・・・
誰か学者さんが、そのことで、今不快に思ってますか??
誰に謝ればいいんですか? 私は・・・
天文学者や進化生物学者って仰るけど、不特定多数の人を指してませんか?

現実に、この掲示板で、誰が、「バカっているもんですね」と言われて、
不快に思っているんでしょうか? 今現在・・・

今回の場合、特定の個人を揶揄するのはおよしなさいと言うことです。

その個人(その研究員の方)を良くも知らずに、「専門馬鹿」という方が、
よほど、失礼な気がしますが・・・


Re: バカはないでしょ?  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年09月10日14時13分

>私が「真顔で言うか」どうかも分かるはずがないのに、
>題名からして「バカ呼ばわり」は大変失礼なことなんですよっ!
>これからは、気をつけましょうね・・・お馬鹿さん。

「バカはないでしょ」と言ったその口で相手を「お馬鹿さん」呼ば
わりするのは、ちょっと品位が足りないのではないでしょうか。

「バカって言うやつがバカなんだぞ、バーカ!」っていう、子供の
口喧嘩と同じレベルに見えてしまいます……。

あと、この掲示板に書き込みをされる方々は、それぞれの立場から
個別に書き込みをしているわけで、決して徒党を組んでいるわけで
は無いという事は強調しておきたいと思います(一人の書き込み者
に対する反論などが一度に大量に書き込まれることで、そう見える
ケースがままあることは否定しませんが)。

とんからりんさんの書き込みに品位があろうがなかろうが、私に
(他の方々にも)それをフォローする義務なんてありません。も
し、とんからりんさんが品のない書き込みを何度も繰り返されれ
ば、それを不快に感じた誰かが個別に注意をすることでしょう
(差出者さんが今回そうされたように)。それだけのことです。
# とんからりんさん、おかしな例えに持ち出して、ご気分を害さ
# れたら申し訳ありません。

どうしても、掲示板の性格上、「多数の進化論者対孤立した反進
化論者」的な構図になりがちなわけですが、私はその構図をあま
り好ましく思っておりません。差出者さんも、私も、そして他の
方々も、同じくこの掲示板の一参加者という立場を共有する個人
であるという事を、頭の片隅にでも留め置いて下されば幸いです。


科学の方法論  投稿者:NATROM 投稿日: 2004年09月10日13時55分

差出者さんにメールをよこした研究者って現実にいてもおかしくはありません。自分の研究分野では、厳密な対象実験を必要とするのでしょうが、それ以外の分野がどういった方法論をとっているのか、十分に理解していないのです。天文学や進化論を「準科学」呼ばわりしているところにそれが現れています。地質学や地球物理学も「準科学」なのでしょう。

天文学が、他の科学の分野と比較して、厳密さに劣っていることはありません。実験できないからといって、地動説が証明出来ないということはありません。外惑星の発見の歴史は、ニュートン力学と天文学の輝かしい勝利の歴史でもあります。実験ができなくても、いまだ発見されていない惑星の存在を予測し、その予測を的中させることによって検証することが可能です。差出者さんにメールをよこした研究者は、天文学をはじめとする、自然科学の歴史を知らないのでしょう。差出者さんは、かの研究者を「本物の科学者」とみなしていますが違います。単なる専門馬鹿です。

歴史を扱う科学の方法論については、グールドの著作が詳しいです。グールドのエッセイの中で、私がもっとも好きなもの一つが、ダーウィンのミミズの本に関するものです。

ミミズと土  (チャールズ・ダーウィン著 渡辺弘之訳 平凡社ライブラリー 1994年 1200円)
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/review.html#05

それから、進化生物学の分野でも、きちんと対照をとった実験はなされています。かの研究者はそうしたことも知らなかったのでしょう。結構、Natureなどのトップジャーナルにも載りますが、かの研究者は自分の興味のない分野の論文は読んでないのでしょうね。


>題名からして「バカ呼ばわり」は大変失礼なことなんですよっ!

あのね、差出者さんはね、「天文学者や進化生物学者はバカ」ととられてもしょうがない内容のことを書いたんですよ。少なくとも「SFに近い、準科学だ」ってのは、たいそうに失礼です。


バカはないでしょ?  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月10日13時25分

本当は、
****************ここまで************************
というところで、終わろうと思ったんですが、
敢えて、それ以下の文章も書きました。

やはり、2時間も絶たない内に一人ひっかかりました。
こういうことを書く人が、一人くらいいるんじゃないかと思ってました。

それを書いた真意を理解しようとせず、また、たとえ理解していても、
真摯に返事をしようとせずに、人を揶揄する「動機」でしか投稿できない人・・・

たった一人のレギュラーのせいで、せっかくの優れた投稿者の方々がいる
掲示板全体の品位が下がりますよっ!お気をつけあそばせ。

皆さんで、フォローしてあげてくださいね。

私が「真顔で言うか」どうかも分かるはずがないのに、
題名からして「バカ呼ばわり」は大変失礼なことなんですよっ!
これからは、気をつけましょうね・・・お馬鹿さん。

それでは、本当にさようなら・・・


天文学は準科学?  投稿者:NATROM 投稿日: 2004年09月10日13時21分

>厳密に言えば、科学は、「対照実験(或る要素がない)」と
>「本実験」を行い、その差をもって、或る要素の寄与である、と
>いう結論を下します。

それでさ、差出者さんは、天文学は「SFに近い、準科学だ」とお考えなわけで?
「地球は平らでなく、球である」ことを示す、対象実験・本実験はありますか?
地球が丸いといった命題も、「こう考えると、矛盾がない」という「十分条件」でしか、判定が出来ないわけですか?


バカっているもんですね  投稿者:とんからりん 投稿日: 2004年09月10日13時03分

>さて、今あなたに、地球が誕生して今日までの全く同じ46億年間の時間と
環境が与えられて、さらに 20種類のアミノ酸を
手渡されたら、どうやって、人間を作りますか???

「5.972×10 21 トン(それ以上)と150億年の時間をあげますから地球を作ってください。」と言って、「できない」と答えたら、「ほら、だから地球は神様が作ったんですよ。」なんてことを真顔で言ったら笑われるだけですよ。差出者さん?


笑いが止まらないです(__)  投稿者:フロリダチャン 投稿日: 2004年09月10日12時19分

>投稿者 谷庵さまの>遠近両用かけてのピンポンは辛い・・・・想像するだけでも、笑いが止まらないです。

>投稿者 地下に眠るMさまの>僕ね〜この間ね〜路上でうん子もらしちゃったよ〜
あのー「野糞」をされたのですか?それともズボンの中でもう、でちゃった?

私は若い頃にバス停で(私はバスのなかでしたが)おしっこする若い女性を見かけました
バスの中の乗客はみな、声が出ませんでした、スカートを捲り、シャーと、こちらを見て
笑っていたので、思わず私も笑いました、で次の日職場でそのことを話すと、エーそんなのしょっちゅう見かけるよ〜と言われ、地域柄かな?なんて納得したものです。


あうっ(汗)  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年09月10日11時49分

 確立、じゃないだろMSIME... OTL


確率  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年09月10日11時46分

>これで最後です〜。 

 こういう事を書いた投稿者が、本当に投稿を最後にする確立はどれくらいなんだろう、と思ってみたり。


これで最後です〜。  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月10日11時38分

誠意あるメールを下さった研究員の方の名誉のために、
2回目に頂いた御手紙の内容を私なりに咀嚼して
全く新たに書き下しましたので、どうかお読みください。

科学をちゃんと勉強していない小生には、
理解できない言葉が当然ありましたが、研究員の方が
書いてくださった言葉でキーワードになると思われる言葉には
「  」を付けました。

科学の方法論を私以上に勉強していらっしゃるはずの皆様には
おそらく、より深くご理解いただけるものと信じております。

それでは・・・↓
*********************ここから***************************

厳密に言えば、科学は、「対照実験(或る要素がない)」と
「本実験」を行い、その差をもって、或る要素の寄与である、と
いう結論を下します。
しかし、進化論は、対照実験が出来ません。

本当に、突然変異が、寄与しているのか、
自然淘汰が寄与しているのか?
または、その相乗作用なのか?
それを知るには・・・

それには、例えば

突然変異(A)自然淘汰(B)
のうち、

対照:AもBも加えない
実験1:Aのみ加える
実験2:Bのみ加える
実験3:A,B両方加える

という実験を同一環境で行わないとなりませんが、
そんな実験は、到底無理です。

現代の物理を初めとする科学観は、「現実解の一意性」に基づく仮定のうえに
有ります。つまり、「現実は、1つであり、因果律に支配され
る。」ということです。また、「自然観は、物理学が担当する」という
ことになっていますが、ここで、問題なのは、進化論・熱力
学・速度論・量子論等の学問では、現実解の一意性の問題において、
「確率」を導入して、「現実がどうなるかという確率が一意的に決まる・・・」
というのが、「20世紀初頭に出た共通見解」だそうです。

ところが、確率は、「同様に確からしい事象」の間でしか「定
義」できません。到底物理学では、数学と違い、それは無理な
話なので、「力学」を利用して「正則な空間」なる概念を導入し
たわけです。
量子論では「位相空間」、熱力学では「エルゴード仮説」を満たす空
間というわけです。

しかし、進化論で、確率定義が不十分なことと、対照実験が出来ないことによる
誤謬からは逃げられない、と言うのです。

進化論は、「対照実験が不可能」なために、「厳密な判定」が
できません。「こう考えると、矛盾がない」という「十分条件」でしか、
判定が出来ない、と言うのです・・・

*********************ここまで******************************


進化論も、結局、「突然」変異とか「自然」淘汰とか言いますが、
確率論の概念から考えなければならないのではないでしょうか。

そう考えた時、無理を承知で敢えて考えれば、
突然変異の確率×自然淘汰の確率×累積の確率=人間
それぞれの事象の積

これに更に、時間軸も考慮しないとならないんでしょうが、
まだ、学者達の間で、進化論における「同様に確からしい空間」の
定義がなされないので、これ以上、ど素人の私が考えることに
意味が全然ありませんよね・・・
因みに統計学上は、10の50乗分の1以下の確率は「0」だと
解釈されているそうですが・・・

さて、今あなたに、地球が誕生して今日までの全く同じ46億年間の時間と
環境が与えられて、さらに 20種類のアミノ酸を
手渡されたら、どうやって、人間を作りますか???

環境には一切触れずに・・・
DNAの仕組みや2重螺旋構造なんていう優れたシステムは当然知りません・・・
もし、それが出来たら、私は、あたなを"神様"とお呼び致します・・・

(おわり)


眼鏡をかけたトトロは只のデブフクロウ  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年09月10日10時53分

To みなさま

視力測定の結果は変らないのに。細かなモノが見えにくくなってきました。
以前は0.3mmピッチのLSIのハンダ付けなんか、裸眼で出来た(でも視力は0.7程度)のですが、最近では2.54mmピッチでも怪しく(でも視力は0.7のまま)なってきました。

視力は眼の性能を的確に表したものではないようです。


私なんかレーザー手術で治したのに  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2004年09月10日10時41分

Lasikどころか、それ以前のPRKの時代に近眼の手術をしたので、今は快適に見れるのが嬉しい♪
高かったけどさ・・・

でも、風邪の強い乾燥した日にコンタクトレンズで歩き回る恐怖と不自由さにはもう戻れん・・・


Re眼鏡にはちょっとあこがれてる  投稿者:谷庵 投稿日: 2004年09月10日 6時01分

>RYU_TI_SYU さん
いわゆる老眼鏡も使わないのでしょうか。
私も遠くは見えるのですが、手の届く範囲はぼやけてしまって、ピンポンも出来ません。
遠近両用をかけてのピンポンもなかなか辛い物があります。

本当にめがね無しで居られるのだとしたら、いいなあ。


差出者さんに再度質問  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2004年09月10日 0時15分

もう書き込まないつもりなのかもしれませんが。

結局あなたはGod Bless You! さんなんですか? (Y/N)


うんこのわだい  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月10日 0時11分

ぼくねー
このあいだねー
路上でウンコもらしちゃったよー


なんだ、さよならか  投稿者:wadja 投稿日: 2004年09月10日 0時04分

どちらかと言うと検便の話題に加わりたい素人のwadjaですが、一つだけ差出者さんのロジックで気になった点があるので…、と勇気を振り絞って文章考えてる間に、もう終わりかよ!ま、独白でもしようか。

>地球が誕生してから、1秒毎に、1アミノ酸残基が突然変異を
>繰り返しても全てを試行錯誤するのに全然46億年ではとても足りません。

一つの分子が一秒に一つづつ配列を変えて、全ての可能な組み合わせを試すモデルでは確かに時間がたりません。でも、これって前提を変えるところっと状況が変わる性質の数字なんだと思います。

今現在この地球上全体で、一秒に一体どれだけのDNAの複写が起きているんだろう?仮に差出者さんの前提を拝借して、1秒間に1つの分子が1つのコピーをつくることを繰り返してきたと仮定とすると、2の(10の14乗)乗の組み換えが、現在同時に起きている計算になります。エクセルだと数字がオーバーフローしてしまうようなので、見当もつかないけど十分時間足りるかも(笑)

どちらの考え方が正しいなんて主張するつもりは、全然ないんです。ただ、どちらもとんでもない誤差を含んでいる可能性があって、意味の無い数字だと言うだけ。

>突然変異と自然淘汰の蓄積だけで出来たかどうかは、実験が出
>来ないので証明のしようが有りません。(その意味で、進化論は
>天文学と同様に、SFに近い、準科学です)
>証明の出来ないことを、科学者が素人さん相手に、どうこう
>いっても、始まりません。

どんな質問をしたのか詳細は分からないけど、単に相手にされていないだけのような気がする。「その意味で」って、単に「差出者さんのような素人には理解できないという意味で」なのかな?

しかし、この応え方は誠意が無いなー


眼鏡にはちょっとあこがれてる  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2004年09月09日23時59分

>ただディスプレイを見てばっかり、だからといって、それに適応しすぎないでほしいものです。
商売柄、ディスプレイを見てばっかりなんじゃが視力1.0を下回らない・・・


仕事してねぇだろ!というツッコミは却下。


役に立たない?  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月09日23時58分

ついでだにゃ

弁証法が役にたたにゃーというのはどうかにゃ?
弁証法が自然科学の方法論において役に立たない、というのなら、留保しつつ認めていいけどにゃ。

コトワザだって神様だって、カガクの役にはたたにゃーかもしれにゃーが、だから何だ?

キョーサントーのガリガリ馬鹿どもは僕も嫌いだけどにゃ。


さらについでにいえば、キョーサントーのやつはマルクスの唯物弁証法をヘタレにしたやつにゃんね。弁証法を役立たずといいいたいのなら、ヘーゲルにあたるべきじゃにゃーのかな?


目的なき合目的性  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2004年09月09日23時43分

差出者クンはことあるごとに「合目的的」というコトバを使うにゃんな。
つまり、この話はテレオロジーとテレオノミーのお話なんだよにゃ。
典型的なテレオロジー議論として、楽しませていただいておりましたにゃー。

彼がいっているのは、例えばこういうことにゃんな。
「目は合目的性をもった器官である。
 合目的性をもったものは、目的をもってつくられていなければならない」
ということだにゃ。
前半の「目は合目的性をもった器官である」は誰しも認めるところ。
しかし後半の「合目的性をもったものは、目的をもってつくられていなければならない」
ここがダメなんだよにゃー。

さて、ここでまたテレオロジーとテレオノミーの定義をひいても芸がにゃーので、今回は日本大百科から「合目的性」の項を引用してみるにゃ。

***************************************
fitness 英語
Zweckmigkeit ドイツ語
finalit フランス語


事物が一つの目的にかなって存在または運動していること。とくに世界全体が目的をもって運行しているという思想を目的論的世界観という。自然のうちに合目的性をみいだし、壮大な体系をつくりあげたのはアリストテレスであるが、合目的性の概念そのものを哲学的に取り上げたのはカントである。彼によれば、合目的性は客観的合目的性と主観的合目的性に分けられる。前者には、存在自体が合目的的な有機体のようなあり方と、幾何学のようにより普遍的な原理に対して個々の定理が有しているような関係とがある。後者は、悟性と構想力の遊動的合致により美的快を生み出す目的なき合目的性であって、すべての美的判断の基礎をなすものである。カントの『判断力批判』におけるこの独創的思想は、後の美学の発展に多大の寄与をなした。
[武村泰男]
****************************************

さて、カントのおっちゃんがオモシレーことをいっているにゃんね。
いわく「客観的合目的性」としては有機体、つまり生物がその典型らしいにゃ。
そして、「主観的合目的性」として、美的判断を引き合いに出しているにゃ。

ところで、引用した文章で主観的合目的性を説明している
「悟性と構想力の遊動的合致により美的快を生み出す目的なき合目的性」という箇所をちょっと弄ってみると
「<遺伝子の突然変異>と<環境>との遊動的合致により<自然淘汰>を生み出す目的なき合目的性」
おお、にゃんとびっくり! これはこのまんま「テレオノミー」の定義にしていいくらいではにゃーか!

つまり、有機体の「合目的性」というのは、時間軸を考慮しなければ「客観的合目的性」といいえるものなのだろうけれど、充分なスパンでの時間的変化を考慮すればそれは「主観的合目的性」つまり「目的なき合目的性」となるものなのだにゃ。
もっといってしまえばimprovisationなんだよ。「即興」だ!

レベルの高い奏者のジャズ演奏においては、どういう演奏になるかはプレイヤーですらわからにゃーことが多い。名演といわれるものには、本人達の思惑をこえて「何か」が降りてきたとしあいえにゃー演奏があるにゃ。出される一音一音はあらかじめきまっていたものでは断じてにゃーのだが、しかし、その一音一音は必然的にその音でなければならなかったのだにゃ。

出てくる一つ一つの音が、次に出てくる音を決定していくのがimprovisationだにゃ。
進化論の隠喩として、ジャズのimprovisationはなかなかいいのではにゃーだろうか?

有神論的進化論をもちだしたいのなら、カガクごときで否定されるようなヨワッチイ神様をもちだしちゃいけにゃーよ。
「俺ッちの神様はグレイトなプレイヤーよ。
 俺ッちひとりひとり、オケラだってミミズだってアメンボだって
 神様の奏でるグレイトな曲の一音一音さ」
とかいうとなかなかカッコいいぞ。カガクなんぞには手も足もでにゃーしな。

僕もそういう神さんなら信じていいぞ。
目的なき合目的性を生きるのだにゃ。

管理者注:リンク先が参考になるであろう→テレオロジーとテレオノミー再び  投稿者:地下に眠るMテレオノミーについて  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2003年01月30日13時57分


Re眼鏡が顔の一部なら…  投稿者:シン 投稿日: 2004年09月09日23時37分

流木さん(眼鏡が顔の一部なら…投稿者:流木 投稿日: 9月 9日(木)21時05分22秒)

こんばんは

「完成された目」「不完全な目」という話題を見ていた時にふと思ったことでした。

視覚の発達について思いを巡らしていたとき、アフリカの原住民ハンターたちとかの地域なら、少しは視覚能力に、淘汰が働いて、目がよく(遠視に)なりやすい遺伝子を持つ傾向があるのかなあ、 とか考えただけです。もちろん環境に左右されている、とは理解はしてましたが、同じ条件ならどうなのだろう、とも思いましたが、数千年前に遡れば人類みんな似たような生活をしていたわけですから、百年ぐらいの期間じゃ、ほとんど変わりませんよね。

ただディスプレイを見てばっかり、だからといって、それに適応しすぎないでほしいものです。

わざわざありがとうございました。


敢えて直球かな  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年09月09日22時43分

 To 差出者さん

>別に大文字ナン様に命令しようとして書いたんではありませんから、
>どうか誤解しないで下さいませ。

 誤解はしておりませんので、どうかご安心ください。それが普遍的で誰もが頷けるような定義であるならばともかく、「完成」という言葉の「個人的意味付け」を場に強いるような言明は愚かしく思えませんか、という指摘に過ぎません。

>しかし、神様は、いらっしゃるか、いらっしゃらないかです。
>いずれか一方です。それは、これからさき、46億年後もです。不変です。

 おかしな主張ですね。差出者さんにとっての神さまは、明らかにいらっしゃるのでしょう。私はその点について、疑義を差し挟むつもりはありません。しかし、私にとっては「保留である」と述べたのです。
 それにも増して、あなたが進化は「偶然である」と解釈するのは、あなたの理解力の問題であって、私の問題ではありません。つまり「人間として」あなたが思い悩んでいるということであって、あなたの神さまとも関係のない話でしょう。もしも、あなたにとって理解不能な法則を神さまが培ったのだとしたら、あなたはそんな神さまを信じられないのでしょうか?

 神さまは超越者であるがゆえに、人間には到底計り知れない法則や道理というものを用意したのかも知れません。それをあなたが「分からない」からといって、スカスカの論理を組み立てて不満を述べることは、果たして賢明でしょうか。
 私が述べているのは、要するにそういうことです。

>構想理想・設計図と結果が一致していれば、「完成」なのです。

 結果とはなんでしょう?カタチでしょうか。あるいは、機能でしょうか。それらが合わさったものとも考えられますね。建築途上で構想が変更されることもあるでしょう。つまり、なにをもって完成というかは非常に「曖昧」なことなのです。同じ設計図をもとに家を建てたとしても、その「完成度」には大きな差異があることでしょう。
 さて、私たち人間は「完成された」存在なのでしょうか。

>「設計図」と言ってしまっては、設計者を認めなければならない。また、
>「暗号」といってしまっては、プログラマーを認めなければなければならない。

 設計者がいたとしても別に構いません。ただし、設計者の存在を前提にしなくても、地球上における進化の歴史には「説明がつく」ということです。すでに説明がついている事象に「余計な注釈」をいれて論じる必要性がないのです。
 差出者さんの述べている
>私は、「有神論的進化論者」であり、「創造論者」ではありません。
>「進化には道筋」があるってさんざん言いましたよねぇ〜
 については、単なる逃げ口上にしか見えません。なぜならあなたはなにひとつ根拠を示さず、ただ「私には理解出来ない」と述べただけなのですから。
 差出者さんが理解できようとできまいと、神さまはそこにいるのではありませんか?


差出者さんに一言  投稿者:逍遙 投稿日: 2004年09月09日22時39分

「さようなら」ということですのでもう見ないかもしれませんが。

神様がいるかいないかは確かにどちらかしかないでしょうけど、それに対する人の姿勢には
3通りあるのですよ。
・いると信じる
・いないと信じる
・いるかいないか分からないから、とりあえず分かるところから話そうや
科学は3番目なんですが、見かけ上2番目と同じに見えるんですよね。


結局そこですか  投稿者:逍遙 投稿日: 2004年09月09日22時38分

今の生物のありようは「神様」がそう設計したからだ、と。
なぜなら、このような構造は設計なくしてはできないにちがいないからだ、と。
そうでないという主張はすなわち全くの偶然でそうなったという主張である、と。

なんでこうなるんでしょうね?
ひょっとして、いついかなる可能性をたどったとしても生物は今のようなありように
なるにちがいない、と信じているのでしょうか?
何度進化を繰り返しても今のような生物になると信じているのでしょうか?

それともやっぱり、偶然で生まれたなら生きる目的が無い、とかいうあれですかね?

こういう人たちは、何を見たら「進化」に納得するんでしょうね?

疑問符ばっかりになりましたが、ええ、どうにも理解できないのですよ。
向こうもそう思ってるんでしょうけどね。なんであんな話に納得できるんだ、理解できん、と。


再見  投稿者:あき 投稿日: 2004年09月09日22時32分

>有利だ、とか、適応だとか、自然淘汰とかは、皆同義語です。

差出者さんが定義を知らないだけです。


>下手すると、循環論法に陥るので、私のような素人は、あまり
頻繁には使いたくありません。
御伽噺でどうにでも作れるからです。

差出者さんが科学的思考を苦手としているだけです。


>そうではなくて、私の言いたいことは、
ただ、生物が、1つの合目的的な機能性を有するだけでも、
あまりにも、偶発的な突然変異と、環境による
淘汰だけでは、説明ができない・・・と言ってるだけです。
ましてや、代謝機能なんて・・・

差出者さんの生物学的知識が少ないために起こる誤解です。


>本物の科学者の皆さんの中には、どうやら、私も意外でしたが、
進化論を、そういうふうに捉えている集まりがあるみたいですね。

その科学者達の本当の専門分野は何でしょう(笑)?
同じ聞くのならば、下記のサイトを推奨します。

http://www.nig.ac.jp/museum/index.html


>あと、皆さん、よく2元論的、2項論的思考をご批判されますが、
私は、それを別に意識して話しているとは考えておりません。
私の「クセ」だとも思いません。

自分の癖には気づかないものです。


>それでは、さようなら。
もうこれで終わりにします。お元気で・・・

さようなら。

近い将来に、偶然同じアホなロジックを持つ別人が登場することにW1000!


進化論者だろうがなんだろうが  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2004年09月09日21時06分

>事実、私は、「有神論的進化論者」であり、「創造論者」ではありません。
>「進化には道筋」があるってさんざん言いましたよねぇ〜

アホなロジックには当然ツッコミが入るわなぁ・・・


眼鏡が顔の一部なら…  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月09日21時05分

*シンさん(議論の経過を見てて、 投稿者:シン  投稿日: 9月 9日(木)17時52分9秒)

 こんにちは。

>>日本人でも、そこで生まれて育てば同じように、ある程度はすごい視力を得られるのだろうか。

 似たような話題がYahoo!のニュースでこの半年以内に取り上げられていたように記憶しています。日本人ではなく、香港(?)の例だったかも知れませんが、遺伝的に視力が悪いといわれていたが、インドに住んでいる同胞の視力は悪くないというデータから視力の良し悪しは生活環境による部分が多いという結論だったと思います。

 もっとも、「近視=目が悪い」「遠視=目が良い」という議論には疑問も覚えます。日常的に狩りを行う必要があるならともかく、近くばかり見て暮らしているのなら、近視の方が楽です。遠視の人はコンピュータのディスプレイを長い時間見るのが辛いのではないでしょうか?

 まぁ、近視でも度が進み過ぎると、近くもロクに見えませんので、近視が現代の生活にマッチした良い目ともいえませんが。


ここまで不毛な話は珍しい  投稿者:流木 投稿日: 2004年09月09日20時29分

 説明要因として神様を持ち込まないのが無神論なら、およそ科学というのは無神論となります。デフレの説明に神様を持ち出す経済学者を想像してみれば、それがいかにアホらしいことであるか分からないのでしょうか?

 進化論は科学上の学説であり、無神論的進化論などという形容はバカげています。個々の論者がメカニズムの背後に神様といった超自然的な存在を感じたとしても、説明要因として神様を持ち込めば科学にはなりません。「あれも神様、これも神様」では、何も説明していないのと同じです。

 結局、「道筋があった」「目的がある」「なるようになった」と繰り返すだけです。そして、その根拠は「偶然だとは信じられないから」?それで進化の具体的なメカニズムが何か1つでも明らかになるのでしょうか?活発に投稿された割には、現代の進化論の基本も理解されていないご様子ですし、最初から最後まで何1つ得るところのない近年まれに見る不毛なお話でした。


私の○○は(^^;)  投稿者:フロリダの台風 投稿日: 2004年09月09日19時39分

素晴らしい討論中にいつも水をさして、申し訳ありませんでした。
でも私は、この討論中に台風のように過ぎ去っていった・・・・・
私の書き込みが今でも、カウンセラーを受けることよりも有意義であったと思います。
誰かに問いかける事で、受け容れてもらえなくても、心の奥底にしまっていて誰にも
言えなかった、鬱憤が晴れています。どうして?何故と聞いてこないことは、とても重要なことなのです。いちいち反応されていたら、私は無動閑黙になってしまうでしょう。

意地悪なサイトもたくさんある中で、ここの掲示板の方たちはとても温かな本来は穏やかな紳士淑女であると信じて疑わない者でした。(__)ファンより


今日見つけためぼしい本  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年09月09日18時23分

その道の達人が教える「仕事ができる頭」に変わる本
奇跡の人ヘレンケラー自伝
ハリーポッター誕生JKローリングの半生
ロードオブザリング「指輪物語」完全読本 リン・カーター
数学の天才列伝 竹内均
心の病はこれで完治する 藤岡章心


議論の経過を見てて、  投稿者:シン 投稿日: 2004年09月09日17時52分

ふと、思いました。

オスマンサンコンさん(だっけ?)がアフリカにいた時、視力が5,0あって、日本に来てから物凄く悪くなったって言ってたけど、アフリカの平原に住んでいる人は、何歳ぐらいで、視力がそうなるのだろう。日本人でも、そこで生まれて育てば同じように、ある程度はすごい視力を得られるのだろうか。

また、そこに住んでる人が日本で日本人のように生まれ育ったら、平均視力は今の日本人より高くなるかなあ。バカな疑問ですけど、もし、答えられそうな人、いたら何かお願いします。わからなければ、気にせず無視してください。


Re:大文字ナン様へ  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月09日16時34分

別に大文字ナン様に命令しようとして書いたんではありませんから、
どうか誤解しないで下さいませ。

違いをはっきりとさせるつもりで、力んで書いたまでです。
失礼があったのなら、お詫びします。どうも済みませんでした。

あと、皆さん、よく2元論的、2項論的思考をご批判されますが、
私は、それを別に意識して話しているとは考えておりません。
私の「クセ」だとも思いません。

私達が、人生の途上で、神様を信じたり、あるいは、神様を信じられなくなったり
することは、多々あることです。
しかし、神様は、いらっしゃるか、いらっしゃらないかです。
いずれか一方です。それは、これからさき、46億年後もです。不変です。

いなくなったり、あらわれたりする方ではないでしょう??
かくれんぼが好きな神様なんですかね??

ですから、どちらか一方なんです。
神様がいるかいないかは、人生の根本問題です。
ですから、とても、大事なことだと思います。
いるかいないか、という、いずれか一方だけになるので、
どうしても、私は、そういう議論展開にしてしまうのかも知れませんね・・・

ところで、「完成」についてですが、これも言葉の定義の違いになるかも知れませんが、
アダムとエバが人間として「完成」してから、
さらに二人は成長して「人格完成」しなければなりませんでした。

ひまわりの種は、それ自体で完成していますが、成長してさらに完熟します。

私が言う「完成」という言葉には、
完成=終わり と言う意味合いは決してありませんので誤解のありませんように。

あと、貴殿のお話ですが、どうも価値観のお話が混在しているような気がしています。

>スペイン、バルセロナの「サクラダ・ファミリア」は、完成していますでしょうか。
というご質問ですが、作者が完成だっ!と言えば、完成でしょう・・・

そうでないなら、完成していませんし、
ましてや、私が、完成しているかどうか決められるはずも
ありません。私は、作者ではありません。

構想理想・設計図と結果が一致していれば、「完成」なのです。


DNAの遺伝子配列も、「設計図」とは言わないんでしょうね。
遺伝コードも、「暗号」とは、言わないんでしょうね?
「設計図」と言ってしまっては、設計者を認めなければならない。また、
「暗号」といってしまっては、プログラマーを認めなければなければならない。

これでは、いけませんね。 無神論的進化論者のかたには・・・

あえて、以前より「無神論的進化論者」と言っているのは、そうでない方もいるからです。
事実、私は、「有神論的進化論者」であり、「創造論者」ではありません。
「進化には道筋」があるってさんざん言いましたよねぇ〜


それでは、さようなら。
もうこれで終わりにします。お元気で・・・ 


トトロ様へ  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月09日15時52分

トトロ様

貴殿の進化論のお話は、ごもっともです。
>説明ができない・・・
というのは、ちょっと科学的ではないですね。

確率的に信じられない・・・ 
というところですかね。

ただ、
>私は私の進化論に対する理解から、
>上記は貴方の捏造乃至は嘘であると考えています。

真剣に議論しているのに、捏造や嘘をついて今更何の得になりますか?
信じて頂けないのなら、それでも結構ですが・・・
なんだか、さびしいですなぁ。

遺伝学研究所の方とだけ申し上げておきます。
これ以上は、無理です・・・

それでは、さようなら。


ダーウィンの進化論は、地球が丸くて太陽の周りを回っているという説と同じ位にしか証明されていない  投稿者:NATROM 投稿日: 2004年09月09日15時42分

>突然変異と自然淘汰の蓄積だけで出来たかどうかは、実験が出
>来ないので証明のしようが有りません。(その意味で、進化論は
>天文学と同様に、SFに近い、準科学です)

差出者さんは、天文学は「SFに近い、準科学だ」とお考えなわけで?


Re.もう、そろそろ・・・  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年09月09日15時36分

> そうではなくて、私の言いたいことは、
>
> ただ、生物が、1つの合目的的な機能性を有するだけでも、
> あまりにも、偶発的な突然変異と、環境による
> 淘汰だけでは、説明ができない・・・と言ってるだけです。

私を含めPDX.さんや大文字ナンさん等は、ランダムな突然変異で生じる形質の変化は微小であり、この微小な変化が自然選択により選択されて累積し大きな形質変化となると主張しており、それぞれ、その主張の裏づけを発言しています。

貴方がそのことを理解しているかどうかは私には判りませんが、理解した上で”説明ができない”と主張するのであれば、その証拠を提示する必要があります。

> ところで、さきほど、これらに関連した質問を、
> 或る有名な「研究所」(有名だと思いますが・・・)
> にメールしてその返事が戻ってきました。
>
> 本人の許可を得てないので、当然匿名で、また、
> そのメールの一部だけを抜粋させて頂きます。
>
>>突然変異と自然淘汰の蓄積だけで出来たかどうかは、実験が出
>>来ないので証明のしようが有りません。(その意味で、進化論は
>>天文学と同様に、SFに近い、準科学です)
>>証明の出来ないことを、科学者が素人さん相手に、どうこう
>>いっても、始まりません。

上記の内容は発言者や研究書名が不明なので、評価の対象にもなりませんし、貴方の抜粋が信用に足るものであるという保証もありません。
私は私の進化論に対する理解から、上記は貴方の捏造乃至は嘘であると考えています。もし、そうでない事を証明いただけるのでしたら、その時には、貴方に対する非礼をお詫びする用意はありますが、如何でしょうか。

> 私も、証明できない仮説を論じてても、「きり」が
> なさそうなので、この辺でもうそろそろ失礼しようかと思っています。

議論とは、お互いの主張の正当性を主張し、相手の主張に反証することで成立するものと私は理解していますが、貴方の場合、主張はあれども正当性の論拠は無く、反証は”信じられない”だけでした。議論を続けることは可能と考えますが、貴方がそれを望まぬなら、それも仕方ないでしょう。

少なくとも私は議論の終了について了解いたしました。


笑い話?  投稿者:とんからりん 投稿日: 2004年09月09日15時17分

>本物の科学者の皆さんの中には、どうやら、私も意外でしたが、
進化論を、そういうふうに捉えている集まりがあるみたいですね。

本物の科学者ってなんでしょうね?旧ソ連などでは国家に認められなければ、いくら詩作をしても詩人とはならないって話があったそうですが。

匿名の“或る有名な「研究所」”なんて全然権威づけにもならないし、いったい何の意味があるんだろう?
「地球上のあらゆる場所で万有引力の法則は(近似的に)成り立つ。」というのも証明しようがないから、その本物の科学者さんにとってはSFに近い“準科学”なんでしょうね。


Re:完成  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年09月09日14時44分

>私が完成という言葉を使用しても、あなたは、
>使用してはなりません・・・
>こと進化論の議論ではね・・・

 また、ずいぶんと珍妙な主張をはじめるのですね(笑。
 世の中を、それほど二項論的に見ているとは思いませんでした。挙句に言明について制限事項を要求してくるとは、少しばかり狭い了見の方なのだな、と思わずにはいられません。と、まぁ…それは置いておいて、「完成」について、若干考察させていただきます。

 私の職業は、水商売人であり、時に制作者(デザインワークやイラスト、コピーなどを書いています)なのですが、特に絵画的な感性の面についてお話しますと、「完全に調和のとれたカタチ」として、たとえば球や立方体、シンメトリックな幾何学形状を思い浮かべます。これらは「崩しようのない形状」であり、均一で、対称、相似です。
 ところが、たとえば日本風庭園の「非対称さ」に見られるようなダイナミック・シンメトリーですとか、自然の樹木にあるような「均一でも対称でもない一体感」は、差出者さんの「基準」から見て「完成」なのでしょうか「未完成」なのでしょうか。あるいは、スペイン、バルセロナの「サクラダ・ファミリア」は、完成していますでしょうか。

 私的な意見を述べるなら、完成を志向することは、自己をより高める方向に繋がりますから大いに推奨されるべきでしょうが、どこかで「完成した」と見切ってしまえば、それ以上の発展や成長は「見過ごされる」ことになります。
 自分たち(という境界)の中にあれば、神が祝福し、花を「完成された美しさ」と感じることができ、それ以外(境界の外)にある者には、それがない(損なわれている)と考えることは、これと似通っているように感じます。また、この主張は、境界の中と外を入れ替えるだけで、まったく同義に成り立ってしまいます。つまり、無意味なのです。

 進化論者を「無神論者」と考えている点も、差出者さんの考察が「足りない」と思える点です。私は「既存の宗教」を信仰していませんが、神が「絶対にどこにもいない」などと主張したことは、これまで一度もありません。いるかいないかは、私に判定できませんし、誰にも出来ないだろう、と考えているだけなのです。これをもって「神を信じていない」と評するのは勇み足です。単に「判定を保留」しているだけなのですから。

 あくまで私の個人的な信条では、神や超越者を持ち出すまえに、地上のことは地上で解決できるだろう、と「信じて」いるといった感じでしょうか。
 


もう、そろそろ・・・  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月09日14時24分

完全だ、不完全だとか、有利だ、不利だとか言って、
言葉遊びをするつもりは、私にも当然ありません。

有利だ、とか、適応だとか、自然淘汰とかは、皆同義語です。

下手すると、循環論法に陥るので、私のような素人は、あまり
頻繁には使いたくありません。
御伽噺でどうにでも作れるからです。

そうではなくて、私の言いたいことは、

ただ、生物が、1つの合目的的な機能性を有するだけでも、
あまりにも、偶発的な突然変異と、環境による
淘汰だけでは、説明ができない・・・と言ってるだけです。

ましてや、代謝機能なんて・・・

人間の口と、肛門と食道と胃と腸と大腸とがいつどうして
大脳の命令系統の中に組み込まれて、統合されて、
各器官も、結合されたのか??

なんて考えているとね。どう考えても、私には、
自然淘汰なんていう単なる環境のセレクト現象の累積だけでは
理解できないんですよ・・・

私の頭が悪いんですかね〜?

ところで、さきほど、これらに関連した質問を、
或る有名な「研究所」(有名だと思いますが・・・)
にメールしてその返事が戻ってきました。

本人の許可を得てないので、当然匿名で、また、
そのメールの一部だけを抜粋させて頂きます。


>突然変異と自然淘汰の蓄積だけで出来たかどうかは、実験が出
>来ないので証明のしようが有りません。(その意味で、進化論は
>天文学と同様に、SFに近い、準科学です)
>証明の出来ないことを、科学者が素人さん相手に、どうこう
>いっても、始まりません。

本物の科学者の皆さんの中には、どうやら、私も意外でしたが、
進化論を、そういうふうに捉えている集まりがあるみたいですね。

私も、証明できない仮説を論じてても、「きり」が
なさそうなので、この辺でもうそろそろ失礼しようかと思っています。


眼眼眼2  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年09月09日13時52分

To 差出者さま。続いて横レス

> つまり、眼が、その生物の中で、機能的に働くには
> 眼だけが出来たらよいのではなく、他の、
> はっきり言って、ほとんど全ての他の体内が、それに
> 合うように変わって行かなければならないのでは
> なかろうか・・・ということです。
> つまり、何回か申し上げていますが、
> 機能性を有すると言うことは、「相手」がいるのです。
> しかも、それは、「合目的的」な作業なのです。

もちろん、生物の眼という資産は、その生物の持ちえる他の資産と釣り合っています。だからプラナリアの杯状眼は、それだけが進化してレンズつきの眼になったりはしません。

例えば環境がゆるやかに変化してプラナリアがヤゴのような活発に運動する餌を取る必要が出てきたとします(あくまでも仮定です)。プラナリアが絶滅せずに進化できたとしたら、プラナリアの運動性能が向上していくことが地質学の時間スケールで観察できるでしょう。それと同時に、眼も複雑化していくでしょう。レンズを持ちえるかどうかはわかりませんが、光の方向を感じるだけの眼から餌の動きを察知できるだけの眼になるでしょうし、神経系も眼が感知した画像を処理してその方向に運動するように指示がだせるように高度化するはずです。

> 無数の目的をもっているといって差し支えない
> 酵素機能やそれぞれの各器官が、
> 眼が見えるという機能性を有するために、
> 合目的的に関連性を持ち、一つの流れ作業として
> 完結を見なければ、「眼」それだけが出来ても、
> 仕方の無いことなのです・・・

生物にとって眼が見えることが目的ではありません。眼が発達するのはそれが生存に有利に働くからです。だから眼だけが発達する事は無いし、生物がバランスのとれた眼の構造を維持することは先に述べました。

> 神様の構想理想どおりに人間の眼が出来上がっているのなら、
> それが貴殿がみて、たとえ不完全でも、「完成」なんですよ。

神は自らに似せてヒトを作ったそうですから、神も随分と不完全なシロモノだったのでしょう。

>> では、逆に何処までの機能を備えれば「完成」と言えるのでしょうか?
> と進化論者である貴殿が、有神論者である私に質問するのは愚かなことです。

上記の質問は、「完成した」という発言に対して向けられる当然の疑惑です。進化論者は、進化が常に生じていると考えていますから、ある器官に対していつの時点でも、変化しえることを想定しています。故に、「完成した」というフレーズがあれば、それがどの程度のものかを問います。

> 敢えて言わせてもらえば、「眼が自分の敵や餌を認識でき、
> それに対処できるようになった時点」が「完成」だとでも言
> って置きましょうか?とりあえず・・・

プラナリアやタコクラゲやミミズやミドリムシは上記の定義からはずれますが、如何ですか?

> 無神論的進化論者の方は、チューリップを見て、きれいだな〜
> と感じはしても、「不完全な花だなぁ〜」と考えるべきでなんでしょうねぇ・・・

まぁ、キリスト教信者が聖書の都合の悪いところを無視する程度には・・・


バクテリアの「眼」  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年09月09日12時56分

 光走行性バクテリアの「眼」は、光がどちらの方向からくるかを検出することができます。
 画像として物を見ることはできないけど、光の有無・方向がわかることで、下記のようなメリットが得られます。
 ・光合成するバクテリアの場合、「栄養の源」である太陽光線がより強い方向に移動できる
 ・水中で「明るいほうが上」という基準で、上下を判断できる。(バクテリアにとって重力は小さすぎるので上下の判断には使えない)

 興味深いのは、光に反応するバクテリアが光の検出に使っている化学物質が、ヒトの眼に存在するものと構造のよく似たロドプシンであることなんですよね。
 もしかしたら、脊椎動物の眼のロドプシンを作る遺伝子は、遠い昔にバクテリアが使っていたロドプシンを作る遺伝子を受け継いだものかもしれません。となれば、脊椎動物は「眼」のためにロドプシンをわざわざ獲得しなくても最初から持っていたということになりますよね。


Re:眼  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年09月09日12時38分

 To 差出者さん

>眼が少しだけ出来上がっても、完成しないかぎり、其の眼は不完全であり、見えないでしょう・・・?

 眼というのは「光学装置」です。ごく単純な単細胞生物の一部には、光の明暗を感知する「光センサー」とも言える部位(器官と言うにはまだ差し支えがありそうなので)があるそうです。また、近年の工業分野では光に反応する塗料ですとか、光を当てることで「構造化」を行うような金属表面の加工技術もあるようです。
 なにが言いたいのかというと、これら一連の「光に反応する、ごくシンプルな材料」は自然界にも数多く散在していますので、原始的な生物であってもこれらを偶然に取り込み、その二次作用として「光を感知すること」が出来たことを観察するのは、難しいことでもなんでもないということです。

 さて、光を感じることが出来れば何がメリットでしょう。
 たとえばより明るい場所を好むですとか、その逆に暗い場所を好むですとか、ある生物にあった環境の選択が、光を感知することで行えるようになります。当然のことながら、明るい場所はより暖かいでしょう。極端に明るい場所では、温度が高すぎるのでそれを避けることも出来るでしょう。このような「生存の有利・不利」は、ただ単に「光を感知する」だけでも生まれてきます。
 #同様に、圧力(触覚)や、音圧や振動(聴覚)などを感じることが、かなり原始的な生物にも出来るのです。

 まだ「眼」とは言えないような、単純な「光センサー」を持つ生き物と、それを持たない生き物では、どちらが有利でしょうか。ただ闇雲に餌を求めて移動するよりも、明るい場所を選んで移動した方が、「お得」だとは思えないでしょうか。これが「偶然から発生する傾向」のひとつです。光センサーがひとつよりも、二つあればより優位でしょう。さらに多くのセンサーを併せ持つことが出来れば、ついには不完全ながらも「像を結ぶ」ことの出来る「眼の原型」が出来上がったとして、なんの不思議もありません。

 また、当然のことながら、変異が起きるのは眼に限ったことではありません。まったく同じレンズを持っていても、そこから受け取る情報量(ダイナミック・レンジ)を多く取り出せる原始的な視神経もあれば、動体の感知に優れた神経もあったことでしょう。これらが互いに競争したり、交雑によって合わさったりすることで、「視覚」という全体像が現れてくるのだ、と私は考えます。

 まずは「眼について」のみお答えしました。異論・反論があれば遠慮なく。


眼眼眼  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年09月09日12時34分

To.差出者さま

> 眼が少しだけ出来上がっても、完成しないかぎり、其の眼は不完全であり、
> 見えないでしょう・・・?
> つまり、生き残るのには、有利な機能とは決してまだ言えないじゃ
> ないですか・・・?
>
> そのような状態(不完全な)が少なくとも何世代かは続いたはずですよね。
> 漸次的ですから・・・
>

ヒトの眼と比較して不完全(より単純な構造)な眼を持つ生物は沢山います。これについては私が以前に発言していますがプラナリアの眼はレンズがありませんし、クラゲの眼は光を感じることしかできません。

多くの生物がこのような単純な眼を持ち、環境に適応して生きているので、”完成しないかぎり、其の眼は不完全であり、見えない”というのは誤りです。

例えばタコクラゲは、光に感じる細胞がかさの部分に散らばって存在しているという構造の「眼」を持ちます。感光細胞は光を感知すると、かさの筋肉に付随する神経を刺激し、かさの収縮運動を生じさせます。この結果、タコクラゲは日中になると水面近くに浮かび上がってきます。このクラゲは体内で藻類と共生しているので、光を浴び易くするこのような眼の存在は、生存に有利となります。

もう一つ例を挙げましょう。プラナリアは杯状眼と呼ばれる窪みの奥に網膜に相当する感光部分がある眼を左右に1対持っています。窪みにより網膜が感知する光は指向性を持ち、左右1対あることで、どちらの方向から光がくるのかを判断できるようになります。プラナリアは乾燥を嫌う生物ですので、光から逃げる行動を起こせることで生存に有利になります。

これらは一例に過ぎません。自然界を観察すると、色々な段階にある不完全(より単純な構造)な眼を持つ生物を沢山観察することができます。それらの生物にとって、その不完全な眼は彼らなりに完成されたものであり、生存に役立つものとなっています。

> しかし、その不完全な眼が、その後の突然変異で、完全になる保証がどこに
> あるのでしょうか???

何をもって、完全と見做すのでしょうか?まず、現在の「眼」が進化によってより複雑な構造を取り得るかどうかについて進化論は、その必然性があるなら、そうなる可能性があるという予測を行なうと私は考えます。

何故なら、ここで想定する眼の構造の複雑化で、より環境への適応性が増すのであれば、少しでも複雑な眼をもつ個体が淘汰され、その変異が累積されて結果的に複雑な眼をその生物グループにもたらすと考えられるからです。しかし、直近の環境がそのような適応性を必要としない(高度に複雑化すれば適応性が増加するが、僅かな複雑化では適応性に影響を与えない)場合、その生物グループには複雑な眼はもたらされないでしょう。

> それでも、貴殿は、眼が完成する方向へ蓄積が「必然的」に増していくのだ・・・
> と言われるのでしょうか??

光が生存に対して何らかの影響を与える生物にとって、「眼」は生存に有利な器官でしょう。多くの生物が光の影響を受けています。だから自然界には色々なレベルの「眼」が存在し、多くの生物が「眼」を持っているのです。ただし、生物の眼は必ずしもヒトの眼のような構造に進化するという傾向を持っているとは私は考えていません。

何故ならば、複雑な眼は多くの情報をもたらし、それを処理するために高度な処理機構を必要とするからです。例えばタコクラゲがヒトのような構造の眼を持ったとしてもタコクラゲの神経系では画像情報の処理は行えず、結果としてそのような眼はタコクラゲの生存に対して有利とはならないからです。逆に、そのような眼を維持するために余計なエネルギが必要となり、かえってタコクラゲの生存に不利に働くと考えます。

私の主張は生物は自らの資産に見合った「眼」を持って現在に至っているということです。もし、リソース(資産)が拡張されていくなら、その生物群はより環境に適応した方向に「眼」を変化させていくでしょう。そしてそのような進化は「必然」であると私は考えています。

> 偶発的な突然変異の蓄積で、たまたまその環境で生き残った生物に
> 「眼」という機能が「完成」するのに、どれだけ試行錯誤が必要ですか???
> 考えてみてください。

創造論者が使い古した論理です。一度に完全な眼が出現する必要はありません。自然界を観察すれば、細胞内小器官の眼点から哺乳類の眼、軟体動物の眼など色々な複雑さの眼が存在します。そしてその眼は生存に有利に働いています。

我々、ヒトの眼もまた、これらのステップを辿って、より単純な構造(それこそ、細胞内の感光色素のレベル)から、進化に伴って少しづつ、少しづつ複雑化してきたのでしょう。より単純な眼を持つ現生生物の存在がこの考えの証拠です。


Re:ヘルメス様へ  投稿者:差出者 投稿日: 2004年09月09日12時01分

ヘルメス様へ

>例えば、単純に光を感じるだけの知覚細胞を得ただけの固体
>と、それでも何も得なかった個体とでは光の感知が生存に影
>響を及ぼす環境において絶大な意味を持ちます。その結果、
>光を感知することの出来る固体が増え、またはその群が集ま
>って「光を感知することが出来る」能力を得た変異が固定す
>る方向性で圧力が高まるでしょう。その上で、「光を感知す
>る」能力をベースとして更に高度な知覚能力を得る可能性も
>あります。

なるほど、なるほど。今までで一番分かりやすい説明ですね。
どうも有難うございます。
考え方としては非常に良く分かりました・・・

私が、言いたいのは、そのようにして、例え外界を反映可能
な眼が出来ても、それが生物の脳と関連性をもち、
その眼を使って餌を取ったり、敵から逃げたりする
ような動作と、眼の機能とを連携させるのには、
まだまだ、更なる困難があるということなんですよ。

つまり、眼が、その生物の中で、機能的に働くには
眼だけが出来たらよいのではなく、他の、
はっきり言って、ほとんど全ての他の体内が、それに
合うように変わって行かなければならないのでは
なかろうか・・・ということです。
つまり、何回か申し上げていますが、
機能性を有すると言うことは、「相手」がいるのです。
しかも、それは、「合目的的」な作業なのです。

無数の目的をもっているといって差し支えない
酵素機能やそれぞれの各器官が、
眼が見えるという機能性を有するために、
合目的的に関連性を持ち、一つの流れ作業として
完結を見なければ、「眼」それだけが出来ても、
仕方の無いことなのです・・・

だから、「合目的的な」機能を、或る一定のレベルで
完成させようとするなら、それは、大変な試行錯誤と
体内の革命を伴なうはずなのです・・・違いますか?
今まで、その生き物は、「眼」の兆候すらなかったんですからね・・・

そのようなことが、たとえ「圧力」が働いたところで、
確率的にあり得ないでしょう??と言うのです。

ところで、
「完成」とは、有神論者である私が言っているのです。
分かりますか?
(あくまで、仮定の話ですが・・・)

完成とは、原因と結果が一致することなんです。

つまり、設計図と出来上がった実体が、一致したとき
はじめて完成です。

神様の構想理想どおりに人間の眼が出来上がっているのなら、
それが貴殿がみて、たとえ不完全でも、「完成」なんですよ。

分かりますか?

それ以外に、「完成」はありません・・・

しかし、あなた方は、おそらく無神論者でしょうから、
設計図なんてものが、最初からあるはずが無いでしょ??

だから、「完成」という言葉を使用してはいけませんよ。

私が完成という言葉を使用しても、あなたは、
使用してはなりません・・・
こと進化論の議論ではね・・・

ですから、
>では、逆に何処までの機能を備えれば「完成」と言えるのでしょうか?
と進化論者である貴殿が、有神論者である私に質問するのは愚かなことです。

敢えて言わせてもらえば、「眼が自分の敵や餌を認識でき、
それに対処できるようになった時点」が「完成」だとでも言
って置きましょうか?とりあえず・・・

これから先はどうなるか知りませんけどね・・・神のみぞ知る・・・
現時点では、そう言えるんじゃないでしょうか??

進化論者にとって、「完成」という概念は、自然界において永遠にあり得ません!
そんなことは常識であり、私も分かっております。

無神論的進化論者の方は、チューリップを見て、きれいだな〜
と感じはしても、「不完全な花だなぁ〜」と考えるべきでなんでしょうねぇ・・・

ではでは。


不完全な目を持つあなたは見えないのか?  投稿者:JA50 投稿日: 2004年09月09日10時30分

>眼が少しだけ出来上がっても、完成しないかぎり、其の眼は不完全であり、見えないでしょう・・・?

我々の目も不完全だよ。
ご自分の目は、目として完全だとでも思っているのかな?

あなたは自分の目の網膜が不細工にも裏返しについているのを知らないのか?
何かあるとすぐ出血するわ、はがれるわ、盲点という見えない部分があるわ。誰だこんな目を作ったやつはと問いつめたいくらいだ。それに、ワシやタカの目みたいには、遠方から細かな部分を識別するなんてこともできないし、すぐ近視や遠視になるし、赤外線や紫外線は見えるというのにはほど遠いし、改善の余地はいっぱいある。

そういう不完全な目を持っているあなたは見えないわけ?
不完全だろうが、見えないよりは有利とちゃう?

>つまり、生き残るのには、有利な機能とは決してまだ言えないじゃないですか・・・?

ちょっとでも光を感じる器官がある個体は、それのない個体よりもいろいろ有利だと思うぞ。

そうそう、赤外線って光の一種だというのは知っている?
皮膚にはその赤外線を感じる器官がある。
目のように細かな部分を識別するってのはできないけど。
これも、それのない個体よりある個体の方が有利だと、私は思うけどな。


補足  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2004年09月09日10時21分

ちなみに電磁波と磁力線はかなり大雑把な言い方で見える、見えない、というネタに使っています。
細かい事を言い出すと、キリが無いのであしからず。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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