このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
>私はアンチ進化論者です。私の主張が何らかの影響を皆さんに与えることを望んで投稿しました。
ホントですか?今までの書き込みを読んでいる限り、最大限拡大解釈してもそうは読めません。僕は2回目の返答で、
>>進化論がおかしい、と主張したいのなら、ご自身の信仰と切り離し、おかしいと思うところを論理的に書き込めばよいのです。
と書き込みましたが、「進化論がおかしいのでこの板の読者に影響を」と思うのなら、なぜ進化論がおかしいのかを、項目一つ一つ例証を挙げてください。少なくとも、僕にはこの世は〜さんの書き込みで「なるほど、ここがおかしいのか。」と納得できる内容はなかったと思っています。
#そう解釈されてしまうのは、書き込み側の責任です。書き込んである文章をどう解釈するかは読む側の自由です。拡大解釈の余地のない文章を書いておけばこんなことにはならないですよ。
>大川隆法先生はいいました。
「他人に影響を与えることはできるが、他人の考えを変えることはできない」
私の主張が進化論者である皆さんの共感を得られるとは思いません。共感が得られるなら書き込みの必要はないでしょう。
(元の文章では改行位置がおかしかったため、一部変更しています)
結局何がしたいのですか?「進化論が間違っている」という決定的証拠を突き付けられたら、この板の読者全員は考え方を改めるはずですよ。それをする努力を怠り、いきなり敗北宣言ですか?理解に苦しみます。
最後に横レスとなりますが、地下に眠るMさんの書き込みについて何やらお怒りのようですが、書き込みスタイルというレトリックに引っかかり、地下に眠るMさんが言いたい本質を理解されていないのでは?
#本音の部分では地下に眠るMさんにかなり同調しています。
>私の主張に対し、このような展開になることは望むところです。ここにお集まりの皆さんが進化論者である証拠だからです。
ほんとですか?この返信のあとの書き込みを読んでいる限り、到底有意義な議論になっているとは思えませんが。「進化論は〜〜だから間違っている」という主張がこの世は〜さんより一つもないまま、レスの応酬になっているだけですよね。少なくとも、僕の主観では「有意義」とはいえません。
次に僕なりの進化論の見解を。進化論の本質の議論については、多分この世は〜さんと同じで、議論できるほどのバックグラウンドを持ち合わせていないので、省略(!)しますが、検証方法として、異なる2分野(物理/化学と地質学)の科学的手法によりその主張が正しいと証明されていることから、進化論は正しいと考えます。
もし、放射性元素年代測定法が間違っていると仮定した場合、僕の仕事(化学)で使っている理論が全て瓦解するからです。
あ、ちなみに、「あなたは進化論者ですか?」と聞かれたら、「いいえ」と答えます。そしてこう答えます。
「私は菜食主義者です。もっとも、おいしそうな肉料理を見ると、すぐ戒律を破ってしまいますが。」
この世は仮の世様。
まず、1回目の僕への返答についてですが、他の方より指摘があったように、進化論は生命誕生について何も定義していません。間違いだ、と指摘されたのですから、これに対し自説を撤回する/さらに反論する、のどちらかの御返答をお願いします。
#議論の基本ですよ。
次に、2回目の僕への返答ですが、すでにsci98さんが僕の返答に対してレスをつけてくださっていますので(多謝)、違った返答をしてみたいと思います。
>1宗教と科学は同じテーマを扱うライバルです。科学が人々から信仰を奪うような理論を唱えれば宗教の側からノーといわれて当然です。よって信仰と科学を切り離して主張することはできません。
この世は〜さんがどのようにお考えになっても良いと思います。ここは民主主義国家日本で、頭の中で色々なことを妄想してもかまわない、と憲法で保障されていますので。ただし、あなたの解釈を他人に押し付けるのはどうかと思います。僕の先の書き込み
>>余計なお世話です。人それぞれに「愛」の定義があるでしょう。なぜ、一つのうがった見地の「愛」を理解しなければいけないんでしょうか?
についてはきれいさっぱり忘れていらっしゃるようですが、このことについてどう思われるのか、ご返答ください。返答1に対する僕の見解はそのあとにupします。
>2私ははじめから「進化論は間違ってる」と主張してました。でも今やってる進化論批判はあくまでも「新版図説種の起源」「盲目の時計職人」を読むまでのつなぎです。
?日本語の意味がイマイチわかりません。何か、地球語ではない、どこか他の宇宙の言語に聞こえます。
1回目の書き込み:
>>インターネットで進化論について調べたら色々見つけた。これから紹介しますが、知っている人がいたら感想を聞きたいです。
(書籍はカットさせていただきます)
2回目の書き込み:
>>参考になりました。インターネットで進化論の勉強をしようと思って調べても説明自体が難しくて初心者には理解できないですね。
この文面より、どうやって「私は進化論を否定しています」と読み取れというのですか?理解に苦しみます。途中よりスタンスがはっきりしていますが。まさか、大地震予言の時のことを持ち出して解釈を強要しているの?
>3進化論を否定しないと自分の信仰が揺らぐから進化論を否定してる訳じゃありません。進化論が人々から信仰を奪ってることを問題視しているのです。私は既に信仰を持ってるので進化論で信仰が揺らぐことはありません。信仰を持ってない人々から信仰を奪ってることが問題なんです。
進化論や、僕の仕事(化学)等、科学(幸福の科学は除く)というのは、「実証主義」という考え方に沿って新規な仮説を検証しています。従って、自説を「科学」と主張するためには、自説が現在の科学的常識とは異なる証拠を突き付けなくてはいけません。
もし、本当に「信仰を持ってない人々から信仰を奪ってる」と主張するのなら、それを裏付けるデータ、元参照(文献をどこから引っ張ってきたのか)の明記をお願いします。少なくとも、「科学」として議論するためには最低限必要なマナーですよ。
ということで、こっちが反論してやろうという気が起きないほどの返信をしてくださってありがとうございました。返信1、3について、そう考えるにいたった元参照をお教えください。そうすればもう少しまともな返答をできると思います。
僕の暴言が目に余るだって?
僕の発言が下劣なものであることは、僕自身よーっくわかっていることだにゃ。
では、なぜ僕の発言が下劣なものになるのか?
それはね、チミの思考の下劣さに対して的確にレスしているからだにゃ。
(何割かは確かに僕自身に由来する下劣さだろうけどにゃ)
他の常連がチミのロジックの目に余る不備を指摘しているにゃ。
僕はチミの下劣さを指摘しているだけのこったにゃ。
だいたいさ
「非幸福の科学の信者以外は本当の愛がわからない」
などという発言こそ真に下劣な暴言であり、
僕のいったことなんざ単なるレトリックにすぎず、チミの下劣さに比べたらなんでもにゃーよ。
>アメリカの黒人奴隷、悪魔崇拝、人種差別を肯定化する理論、ガリレオの異端審問、イエス・キリスト、ジャンヌダルク、フスの処刑、魔女狩り・・・
差別の心理について、もっとも根本的と僕が思うところをちょい書いとくにゃ
「Aという集団が成立するためには、非Aという集団を必要とする」
心理学者のレインはこんなふうにいってるにゃ
「我らが我らであるために、「やつら」の存在をでっちあげる」
いったんAと非A,我らとやつら が定位されると、あとは種々の属性をでっちあげて両集団に付与していくだけだにゃ。
チミの挙げた例は、このメカニズムでばっちり説明できるものばかりだにゃ。
つまり
「非幸福の科学の信者には本当の愛はわからない」といった発言に代表される思考が、これらの非人道的なことどもを引き起こしているんだにゃ。
>自分は別とお考えになっていませんか?
僕とは別だにゃ(きっぱり
チミには近しいけどね>松原クン
どもです。
幸福の科学って進化論否定していましたっけ?
魂は不変不滅だけれど、本その質としての魂が宿っている肉体や形態が進化しているってのは否定してないんじゃないの?
聖書は白痴の駄書です。
科学理論には1つ1つ検証できる現象があります。
男性アダムのあばら骨から女性イブが造られたのはうそっぱちです。単なる空想に過ぎません。
聖書は滅びの思想です。
え〜っと、私なりに斉藤様の書込みを書き写してみました。面白いです。何故、斉藤様がそのように考えられるか教えていただけませんか?
よろしければ、議論に加わっていただけませんか?
> 動物と人間の立場が対等なら動物がペットショップで売られること自体が問題でしょう。
もちろん、そのような点を問題として活動している人もいます。上記の点に関しての考え方は多様です。
考え方の1つとして、「立場は対等でも同じ扱いをするとは限らない」というのがあります。あまり良い例えではないのですが、人権に於いて身体障害者と常健者は常に同じ権利を持つものとして扱わねばならなりません。でも、移動などに関して常健者と同じ扱いをすることは場合によっては許されません。ハンディがあるのなら、そのハンディを克服できる手段を用意してあげなければなりません。
私は全ての生物の命は対等であり、かなり臭い言い方ですが、宇宙船地球号の同僚乗組員であると考えています。
しかし、人が生存圏を広げるためには他の生命の生存圏を侵食していくより方法がありません。そしてそのために他の生命の管理、調整を行うことになります。このことは、全ての生物の命は対等であるという知識や主義とは別のことです。
> アフリカの黒人奴隷がアメリカで売買されたのと同じ例です。私が進化論を問題視しているのはそういうことです。
アフリカから奴隷を連れて来てアメリカで売買したのは1619年頃からで、その頃、アメリカはイギリスの植民地でした。イギリスは、奴隷を「商品」として売り買いしたりできるような法律をつくっていきました。その時の白人の人たちの頭の中には、黒人が白人と同じ人間であるという考えはありませんでした。イギリス政府が、奴隷の貿易を正式に廃止したのは1807年です。
当時のイギリスとアメリカの人々はもちろんキリスト教徒でした。ダーウインが種の起源を出版したのは1859年ですから、アメリカ奴隷制度の成立や実施に進化論が影響を与えた可能性は全くありません。
もし、貴方がアメリカの奴隷問題をベースに問題視する思想があるとするならば、理論的に言って、それは進化論ではなく当時のキリスト教でなくてはなりません。
> 動物と人間を同一視する考えは自分や他人に対する非人間的扱いに発展します。自分自身は動物のように生き他人を人間としてみず動物として見、動物として扱います。反論への反論はこれで終わりです。次からは「反論への反論」への反論に対して反論したいと思います。
上記は反論になっていません。その点をご理解いただけないのが残念です。貴方は反論と称して最初の主張を何の証拠も無しに繰り返しているだけです。これでは反論になりません。
貴方の上記の主張に対しては、多くの方より 現在の地球上の生命が単一の生命に由来しているという科学的推論と傍証があること、貴方が例として挙げた奴隷に関する記述は進化論と無関係であること という反証が為されています。もし、貴方が、反証の反証をしようとするなら、これらの各論に対して証拠を挙げる必要があります。
具遺体的には
(1)進化論は誤りであることを示す科学的に検証可能な証拠を提示する。
(2)アメリカ黒人奴隷は進化論者あるいはその思想を知るものが画策したことの検証可能な証拠を提示する。
(3)貴方の主張を裏付ける具体的かつ検証可能な証拠を提示する。
必要があります。
進化論は悪魔の仮説です!
聖書に書かれてあることは一字一句文字通り真理です。
男性アダムのあばら骨から女性イブが造られたのです。その事には深い意味があります。
進化論は滅びの思想です。
地下に眠るMさんが松原氏の書込みをどう解析するか興味があります。が、
> すくなくとも今のあなたは幸せだとは思えません。〜中略〜暴言をやめるだけでも幸せになれます。
という書込みは如何にも新興宗教っぽくって好きです。私の知る限り、キリスト教においても自らへの暴言に対して相手を憐れむと言うことはしなかったと思います。何故ならば人を哀れむことが出来るのは唯、主のみだからです(という風に私は教わりました)。仏教では自ら悟りを開くか、御仏の言葉に縋ることで不幸を解決します。
自分への雑言に対して「あなたは不幸だ」と言い返すことは自らの傲慢さを曝け出すことであり、仏教、キリスト教からみて不徳です。これが、大川氏の「教え」の正体なのですか?
> アメリカの黒人奴隷、悪魔崇拝、人種差別を肯定化する理論、ガリレオの異端審問、イエス・キリスト、ジャンヌダルク、フスの処刑、魔女狩り・・・
面白いです。”進化論を敵視”しているはずのこの世は仮の世氏が挙げた”馬鹿な言動”(何故、イエス・キリストとジャンヌダルクの名前だけなのかは不明ですが)の例は全て進化論とは無関係であることは明白です。
この世は仮の世氏は何故、ご自分の立場を否定するような例ばかりを挙げたのでしょうか?
> あなたも私も昔生まれていたらこのようなことをした首謀者の一人になっていたかもしれません。
この主張はありえない仮定に基づく誹謗でしかありません。暴言に対して誹謗でお返しするということは、貴方自らを「すくなくとも今のわたしは幸せだとは思えません」と言っているようなものです。
> 自分は別とお考えになっていませんか?
これは、地下に眠るMさんに宛てられた言葉ですが、これに対する私の考えを披露しても地下に眠るMさんは眠ったまま見逃してくれそうなので、私の意見を記しておきます。
私は自らを不完全であるという認識を持っていますが、この世は仮の世氏とは”別とお考えになって”います(自分に対する丁寧語の使用はご容赦)。私は科学的事実が存在することを認め、それを説明するためのより妥当な説を受け入れます。また、科学理論に対して存在を許すとか許さないとかの傲慢さは持ち合わせていません。
そして、思想の多様性を認め、「愛」や「救い」などの概念を他人に押し付けたりしません。
>アフリカの黒人奴隷がアメリカで売買されたのと同じ例です。
私以外の方も既に書いていることですが、繰り返します。
アメリカで黒人を奴隷扱いしていた人達は、進化論者だったんですか?
アメリカで黒人を奴隷扱いしていた人達は、信仰を持っていなかったんですか?
この事実を見る限り、少なくとも進化論は奴隷制を肯定する方向には働いていないようだし、信仰は、奴隷制を否定する助けにはなってくれなかったようです。
また、仮に進化論を奴隷制の後ろ盾にする人(ヒットラーとか?)がいたところで、進化論を科学的に否定することはできません。
時間がないので今はここまで。
松原俊というのは私の本名です。
あなたの暴言には目に余るものがあります。暴言はあなたの博識を無意味にします。あなたの品性を疑います。すくなくとも今のあなたは幸せだとは思えません。あなたの日常生活に何らかのストレス、不平不満、過去の不幸体験があなたの心の奥にくすぶっているように思えます。まずそれを解決されてはどうでしょうか?暴言をやめるだけでも幸せになれます。
人間というのは不完全で不器用で平凡な存在です。馬鹿な言動もするでしょう。アメリカの黒人奴隷、悪魔崇拝、人種差別を肯定化する理論、ガリレオの異端審問、イエス・キリスト、ジャンヌダルク、フスの処刑、魔女狩り・・・あなたも私も昔生まれていたらこのようなことをした首謀者の一人になっていたかもしれません。あなたも私も馬鹿な言動をする人間の一人だということをお忘れなく。自分は別とお考えになっていませんか?
私の主張に対し、このような展開になることは望むところです。ここにお集まりの皆さんが進化論者である証拠だからです。私はアンチ進化論者です。私の主張が何らかの影響を皆さんに与えることを望んで投稿しました。大川隆法先生はいいました。
「他人に影響を与えることはできるが、他人の考えを変えることはできない」
私の主張が進化論者である皆さんの共感を得られるとは思いません。共感が得られるなら書き込みの必要はないでしょう。
http://www.wzzm13.com/clix/videoclixdefault.asp?cmd=view&articleid=1465
>進化論を否定しないと自分の信仰が揺らぐから進化論を否定してる訳じゃありません。進化論が人々から信仰を奪ってることを問題視しているのです。
信仰とはなんでしょう?幸福の科学ですか?それとも仏教やキリスト教を含めたあらゆる宗教についてですか?いえいえ、そんなはずはないですよね。たとえば、死んだお母さんのことを頭に描いて「母ちゃん!俺こんなに大きくなったぜ!」とか叫ぶ(苦笑)のも立派な信仰ですね。別に魂を信じているとかじゃないのです。ただ「故人は喜んでくれるだろう」と「思い描く」ことだけで良いのではないでしょうか。
スポーツ選手は自分の使う道具を「神聖化」したりします。これも信仰の一種です。料理人は包丁を研ぐことにプライドを持ちます。私のような、モノカキでエカキでサケノミなロクデナシは、自分の作った作品のひとつひとつを神聖化したりしています。教義などありませんが、これらは皆、信仰です。
なぜ「神」や「仏」が必要なのでしょう。それは「必要とする人」がいるからです。私にとって1年間からだの中に埋まっていたステンレス製の「棒」は、他人から見れば「わけの分からないピカピカした金属棒」ですが、私からすれば「時折眺めてはモチベーションを高めることが出来る」重要なアイテムです。なにしろコイツのおかげで「擬関節症」という骨折の後遺症としては最悪の状態から脱することができたのですから。しかし、不要なヒトにはまったく不要なのです。
そんな「信仰的・神聖化」をされた金属棒ですが、別にご利益はありません。医学という「生物学や進化生物学に近い学問」を修めた医師が、私の体を治すために「必要だから」骨の中に打ち込んであったのです。結果的に、私が勝手に「棒を崇めている」のは、おまけに過ぎません。
進化論を否定することは、ほぼすべての生物学を否定することにつながります。動物実験した結果を人間に適応することなど、あまりにナンセンスだということになります。しかし私は知っています。もしも大川先生が当時の私のそばにいても、私の体は絶対に治らなかったでしょう。私を治したのは、医学と、私の体に具わる治癒力です。
もしも進化論が普及することで「信者を失い、不利益を得る宗教団体」があるとしたら、それはその宗教団体の教義が「間違っている」だけのことです。科学理論は「ただの事実と裏付け」なのです。事実を受け入れがたいがために信仰を選ぶ気持ちを、私は理解できなくはありませんが、私とは「はっきりと違う道」であることを再度主張します。
大川センセイなんて、人前でのオナニーを商売にしているような聖人ですからにゃー
しかし
いくらカネがとれるといっても、人前でオナニーするか?
まあ
人前でのオナニーを有り難がって自分も人前でオナニーしはじめる猿以下クンにもことかかにゃーけど
僕はオナニーがワリイなんていってにゃーからね
人前でオナニーするなっていってるだけだからね
うにゃ、やはり僕のタワゴトレスでは祭りの奔流をおしとどめることなどかなうわけがなかったのだにゃ
>ここの、進化論を養護する人たちは誰も、動物を見下してはいません。そしてまた、自分と違う意見の人を見下すこともありません。
馬鹿は見下していいのだにゃ!
動物は見下しちゃいかんけど、馬鹿は見下してあげにゃーといけにゃー。
>多様性を大事にする人たちです。
馬鹿に多様性などにゃー
僕から馬鹿にいえることといえば
「お願いだからオナニーを人前でしにゃーでください、この世は仮の世クン」
くらいなものだにゃ
>1宗教と科学は同じテーマを扱うライバルです。
宗教側がそう主張することはあるようですが、科学の方は全くそう思っていないようです。
ヤーウェ神による創造は聖書的事実ですが、それを科学的観点から否定する科学者はいません(科学者にも信仰はありますから、信仰上の観点から否定する人はいるかもしれません。カトリックの科学者が、自らの信仰に基づき「進化論は聖書的に正しい」と言うとか)。
科学にとって、宗教はアウトオブ眼中です。ヤーウェ神による創造が聖書的事実だろうと、国産み神話が古事記的事実だろうと、科学的にはどうでもいいことです。
>科学が人々から信仰を奪うような理論を唱えれば宗教の側からノーといわれて当然です。
「ノー」というだけなら自由ですが、科学の側からすれば宗教の事はアウトオブ眼中なのでどうしようもないでしょう。
「進化が科学的事実であることが気に入らない宗教」が進化論に対して「ノー」ということは、感情的には仕方のないことかもしれませんが。はっきりいってただのわがままです。科学理論の妥当性は、証拠に合致するかどうかで決まるものであって、それを気に入らない宗教があるとかないとかで決まるものではありません。
>よって信仰と科学を切り離して主張することはできません。
あなたがそういう人間なのは仕方ないですが、だからといって、「私の信仰にとって都合が悪い」という理由で進化論に対して「ノー」と言ったところで、「あなたの信仰に都合が良かろうが悪かろうがそんなことは知ったことではありません」と言われて終わりです。
>2私ははじめから「進化論は間違ってる」と主張してました。
> でも今やってる進化論批判はあくまでも「新版図説種の起源」「盲目の時計職人」を読むまでのつなぎです。
進化論は科学理論ですから、「進化論は間違っている」と主張するなら、きちんと科学的にどこが妥当でないか示さなければいけません。「私の信仰に都合が悪い」と言ってるだけでは、「それがどうかしたの?あなたの信仰に都合が悪くても別に困らないけど?」と言われて終わりです。
>3進化論を否定しないと自分の信仰が揺らぐから進化論を否定してる訳じゃありません。
> 進化論が人々から信仰を奪ってることを問題視しているのです。
> 私は既に信仰を持ってるので進化論で信仰が揺らぐことはありません。
> 信仰を持ってない人々から信仰を奪ってることが問題なんです。
私は進化論が科学的に妥当な理論であることを知っており、同時に、信仰も持っています。私の信仰は別に奪われていません。よって、あなたの主張は前提において失当です。世の中には、進化論によって奪われてしまう信仰もあるかもしれませんが、それは自業自得であり、恨むなら、その信仰のお粗末さを恨むしかありません。
>動物と人間の立場が対等なら動物がペットショップで売られること自体が問題でしょう。
>アフリカの黒人奴隷がアメリカで売買されたのと同じ例です。
そう考える人は、ペットショップを利用したり、経営したりしなければいいのでは。
それはともかく、進化論から「全ての生命(勿論人間含む)は親戚である(共通祖先を持つ)」という結論が出てきますが、これはただの科学的事実であって、これから「〜すべき」とか「〜してもよい」という考えを導き出すのはナンセンスです。
人間社会において人間は人間以外の生物より重視されます。「おなかがすいたから牛を殺して食う」ことは許されても(大抵の人は自分の手は汚さず他人に代わりに殺してもらった牛を食いますが、同じことですね)、「おなかがすいたから人間を殺して食う」ことは許されません。
「人間も牛と同じく進化の産物であり、親戚なのだから、牛を食うように人間を食ってもいい」と考える人は、単に道徳観がぶっ壊れているだけです。そのぶっ壊れた道徳観を進化論のせいにしても仕方ありません。
(ちなみに、道徳観がぶっ壊れた人が、ぶっ壊れた道徳観を補正するために信仰に走るのは別に構わないと思います。というか、普通の人のためにも、そういう人にはぜひ信仰に走って頂きたいと思います。そのような理由で信仰される宗教のほうは困るかもしれませんが。)
>私が進化論を問題視しているのはそういうことです。
普通の人は、進化が科学的事実だからといって反道徳的な行為に走ることはありません。
>動物と人間を同一視する考えは自分や他人に対する非人間的扱いに発展します。
>自分自身は動物のように生き他人を人間としてみず動物として見、動物として扱います。
あなたがそういう人間だというのならそうなんでしょうけど、普通の人は、あなたのような情けない人間ではないので大丈夫です。
前の発言は私への発言を読む前に投稿したものです。
...それだけ言っておきます。
>動物と人間を同一視する考えは自分や他人に対する非人間的扱いに発展します。自分自身は動物のように生き他人を人間としてみず動物として見、動物として扱います。
人間も、(見下すべき)動物と同じである、と、出場者全てを見下すなら上記記述になりますが、
動物も、(尊重すべき)人間と同じである、と、出場者全てを尊重するなら、
動物と人間を同一視する考えは自分や他人のみならずあらゆる生命に対する人間的扱いに発展します。自分自身は人間として生き他人も、そして動物たちも人間と同じ、大切な命として扱います。
私の動物蔑視発言はまだ大川隆法先生の教えが自分のものになってないからです。20代の私は人間は神の子とは考えられても動物まで神の子とは考えられませんでした。創世記を中途半端にしか読んでなかったからでした。人間と動物を全然違うと考えてました。今でも違う意味で人間と動物は全然違うと思いますが・・・私も動物は好きです。小学生の時は飼育委員といって鶏やウサギの世話をやってました。ペットとして亀や鳥や金魚を飼ってました。観葉植物も世話してました。
>動物と人間の立場が対等なら動物がペットショップで売られること自体が問題でしょう。アフリカの黒人奴隷がアメリカで売買されたのと同じ例です。私が進化論を問題視しているのはそういうことです。動物と人間を同一視する考えは自分や他人に対する非人間的扱いに発展します。自分自身は動物のように生き他人を人間としてみず動物として見、動物として扱います。
上記例は、どちらかと言えば進化論を知らないことから来る行動です。
逆に、絶滅危惧種を守ろうという昨今の運動(ペットとして売ることに反対する人たち)は進化論の立場から出てくるものです。地球上の種の多様さを守ることはとりもなおさず「我々、ヒトのためにも」必要なことだ、という考えは、ヒトと動物の同一性の認識から来るもので、単なるロマンチシズムではありません。
アフリカの黒人奴隷を売り飛ばした人たちが進化論を信じていたという証拠、ありますか?ギリシャ時代等のころには奴隷は当たり前でしたけれど進化論はまだ出来ていませんでしたよ。
ここの、進化論を養護する人たちは誰も、動物を見下してはいません。そしてまた、自分と違う意見の人を見下すこともありません。多様性を大事にする人たちです。
進化論を否定するあなたが、動物を、人以下のものとして見下しているのです。大川先生の愛以外を愛ではないと断罪しているのです。
少なくともあなたは、動物を「我が同胞のようには」愛していないでしょう?見下しているのでしょう?進化論を認めていないあなたこそが。
反論への反論に対してまた反論があったのですがそれは後に回して・・・
トトロ様から解説のあったおずおず様のレスに反論します。トトロ様、お久しぶりです。そして解説ありがとうございます。私は飲み込みが悪いのでトトロ様の解説でも理解してないかもしれませんがご容赦ください。
おずおず様の反論
>「売られる側の人間」と「売る側の人間」とを分けることが出来なければこの議論は成り立ちませんけど、「全ての人間が、平等に、動物と同じ」であるなら、そんな立場の違いは生じ得ると思います?
動物と人間の立場が対等なら動物がペットショップで売られること自体が問題でしょう。アフリカの黒人奴隷がアメリカで売買されたのと同じ例です。私が進化論を問題視しているのはそういうことです。動物と人間を同一視する考えは自分や他人に対する非人間的扱いに発展します。自分自身は動物のように生き他人を人間としてみず動物として見、動物として扱います。反論への反論はこれで終わりです。次からは「反論への反論」への反論に対して反論したいと思います。
おずおず様、私のレスからは憎しみしか伝わってきませんか?それは私の未熟さ故です。心の底で誰かを憎んでるのかもしれませんが、心の底のことまではわかりません。私は完全な人格者ではありません。でもここにいる皆さんを決して憎んでいるわけではありませんよ。進化論を敵視しているだけです。
com様
1宗教と科学は同じテーマを扱うライバルです。科学が人々から信仰を奪うような理論を唱えれば宗教の側からノーといわれて当然です。よって信仰と科学を切り離して主張することはできません。
2私ははじめから「進化論は間違ってる」と主張してました。でも今やってる進化論批判はあくまでも「新版図説種の起源」「盲目の時計職人」を読むまでのつなぎです。
3進化論を否定しないと自分の信仰が揺らぐから進化論を否定してる訳じゃありません。進化論が人々から信仰を奪ってることを問題視しているのです。私は既に信仰を持ってるので進化論で信仰が揺らぐことはありません。信仰を持ってない人々から信仰を奪ってることが問題なんです。
私のような凡人にはとうてい体現不可能な深い愛を追求されている(はず)の、この世は仮の世さんのこれまでの発言を見る限りなぜか、
宇宙の創造者である神様が人間をお造りになったその手でおつくりになったはずの、動物や虫たちや化学合成物に対する強烈な軽蔑と嫌悪、
自分と同じ神の子であるはずの同胞(ボク達...そんなつもりがさらさらないのならごめんなさい)の、様々な個性ある考え方に対する、あまりにも偏狭で心を開こうとしない態度、
...しか伝わってこない、つまり、「愛」とは対極の、「憎しみ」しか伝わってこないのは、どうしてなのでしょうね...?ボクには、あなたの愛が見えないのです。なぜ?
あなたは結局、自分と違う考え方をする「神の子」を、愛することは出来ない、そんな人のように思えます。(ここのおおかたの「神の子」はそうじゃないですよ♪)
ボクの単なる思いこみだと良いんですけど、宗教って、いつの時代にも、愛よりも、憎しみを遙かにたくさん生みだしてきているように思えて...。
今回のこの議論も...。
ヘルメス☆さん、こんにちは。早速のレスありがとうございます。
temaが誤解してただけですね。安心しました。
ごめんなさい。
> 世にいる非幸福の科学の会員が本当の愛を理解しているとは思えません。
の”非”の部分を読み落としていました。この書込みをご覧になられた方々および
この世は仮の世様には的外れな批判になってしまいましたことをお詫びいたします。
下記の書込みは私の勘違いです。
> 私は愛を本当に理解しているとは言い難いですが、ほかの幸福の科学の会員なら愛について説明できると思います。
> 世にいる非幸福の科学の会員が本当の愛を理解しているとは思えません。
上記の2つの主張は矛盾しています。もし、”幸福の科学の会員が本当の愛を理解しているとは思え”ないのであれば”ほかの幸福の科学の会員なら愛について説明”出来ないと考えねばなりません。貴方の主張はどちらですか?それとも”本当の愛を理解して”いない会員が”ら愛について説明できる”とお考えですか?
以上
この世は〜さんへ。
>世にいる非幸福の科学の会員が本当の愛を理解しているとは思えません。
余計なお世話です。人それぞれに「愛」の定義があるでしょう。なぜ、一つのうがった見地の「愛」を理解しなければいけないんでしょうか?
なぜ、ご自身の信仰と科学をクロスマッチするのか、理解に苦しみます。だったら、進化論を勉強したいのでどの本が良いですか?なんて質問せず、ハナっから「進化論は間違っている」と書き込めば良いのでは?
ご自分が書き込みたいことをきっちり整理してから書き込むことをお勧めします。
#こんな方向に議論を持っていきたいわけではないでしょ?
最後に。
既に他の方々が指摘済みですが、進化論を否定しないとご自身の信仰が揺らぐ、ということで進化論を批判しているのなら、言わせてください。
あなたの心神深さは進化論程度で揺らぐほど浅いんですか?
To この世は仮の世様
> 進化論は仮説という段階をすぎてます。確固とした理論があり証拠もあるでしょう。多くの人は進化論を仮説とは見ず真理と見ていると思います。
私はこの意見については賛成いたします。科学を学ぶ者にとって、科学上の各論は仮説に過ぎないという認識を持つことは必要だと考えています。しかし、そのような立場に無い人々にとっては、進化論は少なくとも正しいと認識するに十分な証拠を持った科学理論であると認識しているということを貴方は認めています。
そうすると、
> 創造論者は進化論の存在を許していません。私も同じです。
という主張は貴方と創造論者という少数派のみの主張であり、世間の大多数が”真理と見ている”確固とした理論があり証拠もある進化論を認めていないということになります。創造論が進化論のアンチテーゼであると捉えるならば、貴方は自らの主張は世間一般からみて間違っていると認識していることになります。
つまり貴方は、自らの主張が誤りであることを認識した上で、進化論を「誤っている」と断じているのでしょう。もし、そうなら、”創造主の眼から見て間違ってます”なんて回りくどく書かなくても「宗教上では間違っている」とか「信仰上、進化論は誤り」とか書いていただければ、進化論に対する明らかな誤解の部分を除いて、貴方の主張に対する反論はほぼ皆無となるのではないでしょうか。
それから、
> 私は愛を本当に理解しているとは言い難いですが、ほかの幸福の科学の会員なら愛について説明できると思います。
> 世にいる非幸福の科学の会員が本当の愛を理解しているとは思えません。
上記の2つの主張は矛盾しています。もし、”幸福の科学の会員が本当の愛を理解しているとは思え”ないのであれば”ほかの幸福の科学の会員なら愛について説明”出来ないと考えねばなりません。貴方の主張はどちらですか?それとも”本当の愛を理解して”いない会員が”ら愛について説明できる”とお考えですか?
>世にいる非幸福の科学の会員が本当の愛を理解しているとは思えません。
私としては、幸福の科学信者にまともな判断力がある人がいるとは到底思えないので、幸福の科学信者に「とは思えません」といわれても、その判断が正しいとは到底思えないのですが。
>進化論も創世記も生命はどのように誕生したのかという同じテーマを説明しています。
>この二つは相容れるものではありません。
誤りです。
進化論は生命誕生に関してはなにも言ってません。
>進化論を認めれば人々は神による生命創造を否定します。
仮にそうだとして、それがなにか?
進化論はただの科学理論ですから、聖書の記述がどうかとかいうものとは関係なく論じられるものです。
科学的事実というのは、聖書の記述とか人間の都合に左右されるものではありません。
>それは信仰の否定につながります。
「聖書信仰の否定」ですよね。
進化論が科学的事実であることが自分の聖書信仰に都合が悪い人がいることは事実でしょうが、だからといって「私は進化論を認めない」といっても仕方ありません。科学理論というのは、人間の都合に関係なく論じられるものです。
>進化論を支持するクリスチャンもいますが、それは創世記を理解できないからです。
>よって信仰と切り離してこの「種の起源」に関する問題を語ることはできません。
進化論に限らず科学理論は、観測事実に合致しているかどうかで判断されるものです。「信仰」の入り込む余地はありません。
>進化論は仮説という段階をすぎてます。確固とした理論があり証拠もあるでしょう。
>多くの人は進化論を仮説とは見ず真理と見ていると思います。
進化論に限らず、科学理論はすべて仮説です。確からしさの幅があるだけです。
進化論や地動説といった非常に確からしい仮説もあれば、科学的創造論や天動説といった極めて不確かな仮説があるだけです。
>創造論者は進化論の存在を許していません。私も同じです。
まあ、個人の自由ですね。もちろん、創造論者が許さなかったからといってどうなるものでもありませんが。原爆被害者が相対論の存在を許さなかったからといって、相対論が誤りになるわけではないのと一緒ですね。
>進化論は創世記の記述とも「太陽の法」の記述とも矛盾します。
>つまり進化論は創造主の眼から見て事実ではないということです。
この部分、ばりばり信仰に立脚した意見なので、私も自分の信仰に基づいて述べますが、聖書も太陽の法もただの書物であって真理を記したものではありません。あなたのおっしゃる「創造主」なるものも、架空の存在です。そんなものと矛盾していても別に問題ないでしょう。
>創造主の眼から見て間違ってます。進化論は人間から信仰を奪います。
>信仰は人間を動物的生存から高貴な精神性をもった天使的生存に導く大切なものです。
これは、「私(この世は仮の世さん)は、創造主を信じ、進化論を否定しないと、まともな精神性が維持できません」という意見を述べているものと解釈してよろしいですか?
とりあえず、「世の中、あなたのような情けない人間ばかりではない」とだけ指摘しておきます。
>この世は仮の世様のこのところの一連の言明を読ませていただく限りでは、極めてユニークな考え方とは存じますが残念ながら同意できるところはありません。
ユングのいっていることの中でもっとも説得力のあることの1つにゃんが
「未分化なものに個性はない」のだにゃ。
妄想とはまったく類型的なものだにゃ。それは元型に囚われているからにゃ。
個性とは所与のものではなく、人生における目的としてよいものだにゃ。
ユングによれば人生の目的は「個性化 Individualization 」だにゃー。
馬鹿理屈はその辺に転がっているイシッコロのようにありふれているにゃ。
さらに「鏡の背面」から引用、にゃははは。のってるときにやらにゃーと、いつやるかわかんにゃーからね
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われわれが生得的に伴っている「世界像装置」を活用する精神的・文化的上部構造は、生得的な認識的メカニズムの諸構造とまったく同様に、われわれに作業仮説を手渡す。いうまでもなくこれらの作業仮説は、われわれがそれ以上の個々の知識を取得するさいに方向を決定するはたらきを行なうものである。
ところでこの装置はそれ自身の諸構造をもっている。すべての構造と同様に、これらの構造も自由度の制限を意味する。
P306
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延々とやってきたけど、ここでようやくユングと接続するにゃ。
ローレンツは生命を認識過程と捉え、進化とは世界像装置の刷新の過程であると捉えていますにゃ。そして、世界像装置とは「それ自身の諸構造をもっている」。
ユングのいう元型とは、まさにこの生得的な世界像装置のことだにゃ。
前も書いたけど、シンボル操作能力はニンゲンという種に特有なものと考えてよいと思いますにゃ。これは言語能力の基盤でもある。
で、以下はちょっと議論が粗くなって申し訳にゃーのだが、シンボル操作能力とは生得的な世界装置に由来するものであり、それがジンルイに共通の根源的イメージ群である元型という形をとっている、てな感じになると思うのだにゃ。
で、さらに粗っぽくなるのだけど
意識、というより、イメージそのものに目的論的志向があるのではにゃーだろうか?
言い換えると、僕たちの世界像装置に目的論的志向性があるのでは?
糞馬鹿教祖のいうことを鵜呑みにしたり、星占いで一喜一憂するのは、根本的にはこの世界像装置に由来するものに思えたりしますにゃ。
さてと、ユングが本当に「経験の集積」などといっていたとしても(僕にはその記述がみつからにゃーのだが)、いちおうこれで眉唾ものながらなんとかエクスキューズにはなっていると思いますにゃ。少なくとも林センセイの馬鹿理屈よりはマシだろ、にゃはは。
さて、林センセイの「ユング思想の真髄」「ユング心理学の方法」などを見てみると、「元型の目的論的性格」について繰り返し述べられているのですにゃ。この掲示板では詳しい記述は避けるけど、ユングその人の著述では、少なくとも明確には元型の目的論的性格は述べられていにゃーように思う。
さっき引用した事典の記述に「カントは統制原理として目的論を復活させた」みたいなことが書いてあったにゃんが、ある種の思想傾向ちゅうかある種の政治的感覚のお方は統制好きであり、ひいては目的論好きであるといえると思うのですにゃ。「みんなのために個人はガマン」ちゅうのが大好きなお歴々にはことかかにゃーもんね。
また、ユング本人は自分のガクモンについて「現象学である」と強調しているのだけど、林センセイの著書にはそうした記述がほとんどにゃー。現象学は少なくともテレオロジーではにゃーと僕は思う。
ちゅうわけで、現時点では、統制好きの感覚の林センセイが、ユング心理学をテレオロジーと読んで、本来は柔軟なユングの考えを変質させていったのではにゃーかと僕は思っているんだにゃ。ユングの著作を丹念に読み込んでいかにゃーとはっきりはいえにゃーのだけど、ユングは目的論的な思考はしていにゃーと僕は思うにゃ。
しかしまあ、ニンゲンの意識を研究する心理学の人たちがテレオロジーに引っ張られるのは致し方にゃー面もあると思うにゃ。
あと、統制的秩序を好むお歴々は目的論がお好き、ちゅう命題はなかなか普遍性が高いのではにゃーかと自負していますにゃー。
テレオノミー という概念装置は、生物学以外のところで重要になるのではにゃーかと僕は藪睨みをしていますにゃー
もうちょい、ローレンツの「鏡の背面」から引用してあそんでみるにゃ。
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突然変異と遺伝形質の新たな組みあわせが、ある生物に、その祖先に可能だったよりもいっそうよく環境世界を利用する能力を与えることがある。このことは、その新たな生物が自分の環境世界のなんらかの事実を「よりよく判断できるようになった」こと、そしてその結果彼のエネルギー獲得のみこみが増えたかまたはエネルギー損失の確率が減ったことを意味する。この恵まれた生物の生きのびるチャンスと増殖のチャンスも同じように高まるが、それとは異なった方法で新たに形成されたために競争に破れ、死滅の宣告を受けた同類は滅んでいく。この自然による選抜の過程は自然淘汰と呼ばれ、それによって引き起こされた生物の変化は適応と呼ばれる。
中略
適応とは生物とその環境世界との間に存在する転移情報の増大であり、この増大は生物の内部における諸プロセスによっておこされるのであって、そのさい環境世界には目立った辺かはない。
中略
休むことなく実験を行ない、その成果を現実と対決させ、そして適したものを保存するゲノムの方法は、ただ次の1点においてのみ(そしてこれとてもけっしてそんなに本質的なものではない)人間が科学的に認識しようと努力するさいに用いる方法と相違するだけである。つまりゲノムは成功からのみ学ぶが、人間は誤りからも学ぶという点である。
P48から52 適時抜粋
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(P48に、テレオノミーを「種族維持的合目的性」などと記述してあるのはご愛嬌にゃんな)
ここで、ローレンツは生命をひとつの認識装置であると考え、進化を認識過程であるとみなしていることがわかりますにゃ。「ゲノムは成功からのみ学ぶが、人間は誤りからも学ぶ」なんてのは名セリフだと思うにゃん。つまり、情報獲得過程においてはテレオロジーはテレオノミーよりもはるかに効率がよいことを示しているのだ、ともいえますにゃ。
ところで小ネタ
テレオノミー、ちゅうコトバは Colin Pittendrigh ちゅう人の造語みたいだにゃ。
彼はテレオノミーちゅうコトバを、アストロロジー(星占い)に対するアストロノミー(天文学)のように、テレオロジーから離したかった、ちゅうことらしい。
へぇー
ふー、いい湯だったにゃー。びばのんの♪
何度か書いていることだと思うんだけど、ニンゲンの自我意識そのものは多分に目的論的なものなのではにゃーかと思う。例えば「自己実現」とかいうコトバに象徴されるように、意識には本質的にある目的性があるのではにゃーかと思う。あるいは、「自己実現」などというチンケな例でなく、「理性」といってもいいにゃ。理性には理性を実現する目的論的志向がある、といってもいいのではにゃーだろうか。
ここでちょいとK.ローレンツを引用してみるにゃ
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生命を定義しようと欲するならば、情報の獲得と貯蔵というはたらきと、この両方を行なう構造的メカニズムを必ず定義のなかに採り入れるだろう。しかしこの定義のなかに人間に独特の特性とはたらきが包含されているわけではない。この生命の定義には1つの本質的な部分が、つまり人間的生命、精神的生命が意味するところのすべてが欠けている。だから人間の精神的生命体は1つの新たな種類の生命であるといっても、けっして誇張ではない。われわれはいまやこの生命の特殊性に取り組まなければならない。
中略
知識のすばやい普及、社会の全構成員の意見の同化、とりわけ一定の社会的・倫理的根本態度が伝統として確定することは、個々人の新種の共同体を創造した。これはいままでになかった新種の生きたシステムであり、その本質的システム特性こそ、われわれが精神的生命と呼ぶ新種の生命である。
このような超個人的システムの個別的具体的実現を、われわれは文化と名づける。
中略
獲得形質が伝えられることによって(引用者注;精神的生命つまり文化においては獲得形質は遺伝される、という意味)、また新たな認識装置が生ずる。そのはたらきは、知識取得の過程と知識保存の過程とが、たがいに敵対と平衡の関係にある二様の異なったメカニズムに導かれている限り、ゲノムのはたらきときわめてよく似ている。
「鏡の背面」P301〜305より適時抜粋
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1974年の著作にゃんが、ミームと同様のアイデアが見られるのは興味深いにゃんね。
さて、こうしたものの見方、精神を「新種の生命」とみなす見方を受け入れるのなら、その生命の基本原理はテレオロジーなのではにゃーかと思うわけですにゃ。
したがって、引用した事典の記述にもあるごとく「世界のすべての事物の生成変化が、大いなる目的を目ざして運行している、という考え方をいう。命名はドイツの哲学者ウォルフであるが、考え方自体は非常に古く、古代においてはむしろこのほうが自然であった」し、また「人間の奥底にある目的論志向」ちゅうものがあるのだにゃ。
ドストエフスキーが「意識とは病気である」といったとき、それは意識の目的論的志向性のことをいっていたのではにゃーかと僕は思う
NORTONV世様、はじめまして。コメントありがとうございます。
ご紹介いただいたURL、とても参考になりました。「とっくにご存知」なんてとんでもないです。いくつかの進化に関する本を、脈略なく読んだおかげで、頭の中が今ひとつ混乱したままで整理がついていない状態ですので、このまま池田氏の連載を読み続けるとどうなるのか心配してます。(池田氏の文章は、読みやすくわかりやすいし。)引き続き、頭の整理に役立つ情報を探し続けてみようと思ってはいますが。
でも「悪魔に仕える牧師」を読み終えて、ドーキンスの考え方やグールドとの相違点について(もちろん池田氏との違いも)、何となく理解できてきました。少しスッキリしたかも。
昆虫屋さんとダーウィンの相性が悪いと言う話、面白いですね。確かに昆虫は種類がべらぼうに多いですから、いろんな仮説がそれぞれ棲み分けできてしまうのかも知れませんね。
今後ともよろしくお願いします。
以下は、日本大百科より「目的論」の項を全文引用
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teleology 英語
Teleologie ドイツ語
tlologie フランス語
世界のすべての事物の生成変化が、大いなる目的を目ざして運行している、という考え方をいう。命名はドイツの哲学者ウォルフであるが、考え方自体は非常に古く、古代においてはむしろこのほうが自然であった。ただ、この「目的」が何によって設定されているのか、具体的内容はどういうものか、となると、時代や人によって多様である。素朴なものとしては、世界のすべてが人間のためにある、という考え方があるが、最終的にはそうした世界は神によってつくられたとするのが自然であって、その意味では、古代や中世で目的論的思想が主流であったのは当然である。
目的論が哲学的に体系化されたのは、アリストテレスにおいてであった。彼によると、すべて個物は形相と質料とから成り立つが、形相はまた個物生成の目的因でもある。だが、その個物はまたより上位の形相を目的として運動し、究極的には、世界全体が第一形相を最高目的として運動する、という。中世最盛期以降のキリスト教神学は、このアリストテレス思想を基礎とし、創造主たる神の意志を前面に出すことによって、いっそうはっきりした目的論を展開した。近代においては、キリスト教的目的論が否定され、機械的自然観がとってかわる。デカルトやスピノザあるいはF・ベーコンなど、いずれも自然科学的・数学的思考を身につけながら、目的論的思想を排除していく。しかし、18世紀に入り、カントは、一方で、現象の世界を説明する際に、自然科学的法則の絶対性を主張して必然の世界を示しながら、他方では、統制的原理として目的論的説明にも意義を認め、人間の奥底にある目的論志向にもふたたび道を開いた。しかし、従来のような目的論は、ダーウィンが出るに及んで一変する。その進化論は、個々の有機体についての目的論的思想を排するが、他方では進化そのものが新しい形の目的概念を予想させることとなった。
目的論はこのように、初め、客観的事物の存在や生成を説明する立場の名称であったが、総じて、目的というものを基本原理とする思考全般が目的論である、ともいえる。たとえば、刑罰思想における目的刑論や、行為の価値をその目的や結果によって判定する功利主義なども、広義における目的論ということができるであろう。
[武村泰男]
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こうした「テレオロジー」に対して「テレオノミー」とは、
「ダーウィン進化論によって提唱された「自然選択」は、小さな変異がいつしか、まるで合目的に「進歩」するかのように、高度に合理化された複雑なシステムを構築し得ることを示した点で、地球生物のみならず様々な科学の分野に影響を与えた「ほぼ絶対的に揺るがないだろう」という理論」(大文字ナン)のことですにゃ。
書く書くと口ではいいながらいっこうに書かにゃーアレについて
林センセイちゅうのは原書でユングを読んでいて、それを日本語に翻訳していて
かつ僕もその翻訳でユングを読んでいるわけで、どうも林センセイにはたてつきにくいのですけどにゃ。
しかも、僕はことあるごとに「専門家を尊重」とかいっているので言いにくいのですけどにゃー
あの続きを書こうと思って、林センセイやらユングやらを読み直していて
どうも林センセイはユングの考え方を大切なところで読み誤っているのではにゃーかと思いはじめたのですにゃ。
ひとことでいうと
ユングはテレオノミーだけど、林センセイはテレオロジー
ちゅうことになりますにゃ。
テレオノミーは現代生物学の根幹概念のひとつらしいんだけど、どうもこの「テレオロジーとテレオノミー」ちゅう考え方は相当に応用の幅が広くなりえるような気がしますにゃ。
temaさん、はじめまして。
ヘルメス☆です。
まあ、私の意見は「人権」とか「信仰」とか、いわゆる「思想」に属する問題は科学的な事実とは所詮、別問題だろう、という意味で行った発言です。
要するに、「動物にも生存権がある」とか「子供にも子供の人権があるから、手厚く護られなければならない」とかいう思想ですが、例えば増えすぎた鹿を間引きしてもクレームを付ける偏狭な思想家や、犯罪を犯した少年を更に手厚く保護しようというトンでもない「人権派」の思想家も存在します。
ですが、増えすぎた鹿を適切なバランスに戻すために間引くことは(殺される鹿にとっては)残酷かもしれないが、自然のバランスから考えると、それは歪んだバランスを調節する行為に過ぎない。
犯罪を犯した少年に罰を加えて厳しく処分するのは、そのような厳しい処罰によって「犯罪を犯す歪んだ精神を矯正する」事が目的にもかかわらず、人権派の弁護士などは「そのままの人格を否定することが人権侵害につながる」となります。
社会から見て異常な行動をする存在を排除する、もしくは適合するように矯正するのは社会を維持するための機能であり、社会を形成する人間の持つ自己維持機能の一つではないでしょうか?
しかし、一部の極端な思想家(で、かつ屁理屈屋)は極限られた一例を以って、人権などを広範囲に語ろうとするところに問題がある、と考えています。
自分の考えとしては
1.人権は人間の心や思想、その時代の良識や法体系などによって具体的な運用や適用が変わる。(場合によっては宗教も多大な影響を与える)
2.科学は時代や人間の思想とは別に歴然たる事実として存在する
3.よって、人権を運用するのに(聞きっかじり)で科学の知識をもって補強しようとするのは危険
(場合によっては科学の専門家が補強するのは素人がするよりも危険な場合もある)
という考え方です。
決して、人権という考えを運用するな、という考え方ではありません。
ですが、細かい部分を突き詰めすぎると矛盾や不整合が出てくるため、それを解決するのに科学を適用するのは、適用しようとする人間自身により、その個人の嗜好、思想、宗教、性格などの影響を受けた結論が導き出される可能性が非常に高いと危惧されますので、危険ではないか、という意見です。
この世は仮の世様はじめまして、最近たまに書かせていただいておりますNORTONV世と申します
新参者の小生がこの掲示板での先輩にこんな事を言うのもなんですが,この世は仮の世様のこのところの一連の言明を読ませていただく限りでは、極めてユニークな考え方とは存じますが残念ながら同意できるところはありません。
殆どの反論は既に常連さん達がしておられ小生ごときが加えるものは何もありませんが・・・
小生が寧ろ感心してしまうのは(中には手厳しい方もいらっしゃいますが)常連の皆様方の応答が紳士的で丁寧なことです。みなさんやさしいですなあ。
>ダーウィンは地獄で反省中・・・・・
やれやれです。
そういえばこの方↓は名高い進化論者(但し、有神論的進化論者ですが結果として”人間とサルは親戚”と考えていたことは同じです)ですが確かO川先生に霊界から語り掛けていたのではなかったですか?(それとも進化論者だから地獄から語り掛けていたのかな?)
http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/uchimura/goroku/192207_Darwinism.htm
ま、この方は日本に聖書原理主義を持ち込んだ張本人でもあるのですが、さすが本家は一味違います
http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/uchimura/goroku/190104_kohtoku_shusui.htm
http://uchimurakorea.hp.infoseek.co.jp/uchimura/goroku/192305_worst_mental_disease.htm
すみません。小生はクリスチャンではありませんが、この人結構好きでして、現在から見れば勘違いもあれば矛盾したところも多いガンコオヤジですが、この何ともいえないかっこよさはさすがに、かの佐倉哲大兄をして”心の師”と言わしめるだけあります
この世は仮の世さん、こんにちは。
> ここにいる誰かの話によると進化論というのは仮の動物Aから進化して人間が誕生したという理論だということです。
それは多分temaの発言でしょう。
>re:進化論者の皆様へ2 投稿者:tema 投稿日: 2003年11月10日19時52分
(中略)
> 昔むかし、ある生物A(仮名)がおりまして、そのAが進化したのがチンパンジーです。同じAが別の進化をしたのが人です。現在の進化論は、このように考えております。そして、Aを「猿」と呼ぶなら人の事も「猿」と呼ぶべきなのです。
Aは過去に存在した生物であり仮の存在では無い、とtemaは考えています。「A(仮名)」としたのは、名前を調べるのが面倒だっただけです。
地下に眠るMさん、こんにちは。
>「他の種の動物と愛情の通い合う関係をつくることのできる動物は人間だけだろう」
上記より、人間以外の動物は、人間と愛情を通い合う関係をつくることができません。では、人間が愛情を通い合わせる相手とは何者なのでしょう?
この矛盾に対する一つの回答として、以下を考えました。
「K.ローレンツは、黒人種、白人種、及び黄人種を、他の種であると考えていた」...きっと違う。
ヘルメス☆さん、はじめまして。temaと申します。
> しかし、人権とか、どう考えても今の科学的な知識体系にフィットしきれないものを無理やりに運用しようとしてるのは変。
ここの部分が、ちと気になりました。
この文意は、以下の通りなのでしょうか?
1.人権は、今の科学的な知識体系にフィットしきれない
2.科学的な知識体系にフィットしきれない考えを運用するのは変
3.1,2より、人権という考えを運用するのは変
temaは、
a.人権は心(感情)から出た考えである
b.心は理屈では動かないため、科学的な知識体系とは関係が薄い
c.a,bより、人権を運用しても変では無い
と考えています。
アラブ人社会やムスリム団体についてもヘルメス☆さんとは違う意見を持っていますが、話を収束できそうにないため意見の表明は控えます。掲示板の趣旨とも沿わないでしょうし(「temaの発言は趣旨と沿わない事の方が多い」という突っ込みはご勘弁を)..
この世は仮の世さん、返信ありがとうございます。
一応、前置きをしておきます。私は、私が反論することによって、この世は仮の世さんのお考えを否定しますが、だからといってあなたに改宗を求めるとか、考えを改めさせようという主旨ではありません。私は私の知識と考えに照らし合わせて反論を試みるだけであり、この世は仮の世さんも同じく、ご自分の考えに基づいた主張を繰り返されれば良いでしょう。幸い、この場所の管理人さんはそういう「討論の場」を健全に運営しようと努力されていますから。
>進化論も創世記も生命はどのように誕生したのかという同じテーマを説明しています。
これは過去に幾度も繰り返されてきた応答になります。進化論(突然変異と自然選択による進化仮説)は、生命の誕生を解き明かすものではありません。進化論は、主に生命がどのようにして複雑な形態を発展させ、変化の歴史を歩んできたものかを説明しているのです。
もうひとつ何度でも繰り返してきた応答をするのなら、私は基本的に無信仰ですが、この宇宙と世界の成り立ちに深く関与する「物理的なバランス」のひとつひとつに「神の采配」とも呼べる「慎重さと繊細さ」があることを知っています。私は、(人が言う)神や「大川先生」に祝福してもらおうという気持ちがありません。私は、大川先生もあなたも、その辺で酔っ払っている人も、大差ない「同じ人間で動物の一種」であると確信をもって主張します。
しかし、この宇宙が(可能性としては様々な宇宙があるのだけれど)どうやらひとつしか私たちには関与できず、この地球もひとつしかなくて、ここに生命が生まれたことは「特別なこと」と認識しています。別に人間だけが特別なわけではないのです。この宇宙そのものが、数限りない可能性の中から「選択された」特別な存在なのです。
ダーウィン進化論によって提唱された「自然選択」は、小さな変異がいつしか、まるで合目的に「進歩」するかのように、高度に合理化された複雑なシステムを構築し得ることを示した点で、地球生物のみならず様々な科学の分野に影響を与えた「ほぼ絶対的に揺るがないだろう」という理論です。私は、自然選択について学ぶとき、新たな知識の領域を知ったという興奮を覚えます。それは、真理に近づいた喜びかも知れません。一方で、盲目的に宗教指導者の主張を信じ、どこからどう見ても「明白に間違った主張」をしている人を見ると、どうしてそんな嘘が平気でつけるのだろう?と思わずにいられません。
信仰に関わらず、科学に関わらず、ヒトの規範として「嘘はよろしくない」ことではないでしょうか。
>創造論者は進化論の存在を許していません。
創造論者が許すかどうかは関係ありません。単に、事実は事実として検証されるでしょう。事実じゃないのならば、却下されます。科学とはそういうものです。大川先生が主張しようが、その辺の学生が主張しようが、正しい(らしい)のならば、科学はそれを受け入れます。
>創造主の眼から見て間違ってます。
それではその創造主は「間違っている」のでしょう。あるいは「嘘つき」です。もちろんその創造主の言葉を直接聞くことはできませんね。それは「この世に生きている誰か(私と大差ない人物)の口」から出てきた言葉だからです。
>天上界というのはどんな世界かは一言では言えません。
一言では言えないでしょうから、なんとか私にも分かるように説明してください。私も、一言では言えないことを説明しようとしていますから。
たとえば「平安」や「喜びだけが満ち溢れている」とか「誰もが微笑みあい、争いなど存在しない」ことが理想なのだとしたら、そんな世界では「熱的な死」こそが似合うだろうと私は主張します。すべての(複雑な)生命は死に向かいます。永遠に生きることが出来るのは、一部のバクテリアやウィルスくらいのものです。ヒトは死ぬから生きることを楽しめるのだと私は主張します。ヒトは苦しみを知っているから喜べるのではないでしょうか。
>進化論は創世記の記述とも「太陽の法」の記述とも矛盾します。
とても単純な事実です。創世記も太陽の法も、間違っているだけのことです。
>ま、サルに犬ッころ並みの忠誠心を持たせようとする装置を「道徳」と呼ぶ
奴等は遺伝子に反逆したがるからなあ・・・。これを煩悩と呼ぶ。
事実を受け入れられず、醜くあがく実例には事欠かない。
そういえば確か、本掲示板の過去ログでは南米のハキリアリが茸を栽培するという習性をいかにして身に付けたかについて、自然選択説で見事に説明をされていた教祖様がおられましたな。(あの、新参者の小生は別に信者ではありません。例の“一日一個まで”の教えは偶然守っておりますが、これは高血圧と高脂血症のためで…)
tf2様はじめまして
元来なら博識な常連様達がレスをつけられるんでしょうが今別件で大賑わいのようですので新参浅学の小生がちょっとだけ・・・・
>それぞれの学者が主張している説の相違点などをわかりやすく整理した図表のようなも>のがあると、素人の理解を助けるのに役立つだろうと思うのですが。
既にご存知だと思いますし、お尋ねの趣旨を外しちゃっているとは思いますが、本掲示板のHPのリンク先にある河田雅圭博士のHPにはこういうのが出ています
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/ECOLEVOL/ANIMECO/kawata/imidas2.html
この中にある“日本型構造主義”というのが池田氏該当ですね
池田清彦/養老孟司/奥井一満(ついでに今西錦司もか?)
この人たちは“進化”の事実自体は明白に認めていらっしゃいますが、ダーウィニズムには懐疑的で、この掲示板で管理人さん及び常連の皆様には甚だ不人気です。ところで、この面々には共通点があります
全員、プロかアマかは別にして“虫屋さんであること”それもどうやら甲虫等比較的行動範囲の狭い昆虫のファン乃至は専門家らしいことです。
(えー、小生も一応昆虫採集を道楽としておりますが((甲虫屋ではありません))小生のはただ野山を駆け巡って普段のストレス解消をしているだけで、自分が幹事の一人である会の会誌にすら短報一つ投稿していないのでとても胸を張って“虫屋”とは名乗れません。)
何故なんだろう?、それこそファーブルとダーウィンの昔から虫屋と自然選択説は相性が良くないのですね(ファーブルは用不要説にも不同意ですが、だからって創造論者ってわけでもなさそう)
このお二人さんなどはお互いに尊敬しあい、手紙もやり取りして、個人的には友人といっても良い間柄なのですが、ファーブルは(ちょっとうろ覚え)”ダーウインは立派な学者で尊敬しているし、何とか自然選択説を自分の観察結果に当てはめようとしたがうまく行かなかった“と昆虫記に書いていたりします。(まあ、その後の動物行動学や性選択の考え方から見るとファーブルがイチャモンをつけた事例のかなりの部分は説明可能な印象を受けますが)
甲虫のように移動範囲の比較的狭い昆虫の場合は、やたら“地域亜種”に類する物が多いのですが(自分の得意分野の虫でもないのに大胆な事を言うなア)この世界では進化自体は現在進行形の自明な事実である反面、自然選択よりは遺伝的浮動(えーっと開拓者効果?でしたっけ)の出番が多いのかな?ファーブルと同じく自然選択説に座りの悪さを感じているのかもしれません。
反論が山のように積まれたのでゆっくり投稿された順に反論したいと思います。能力的に反論できないつっこみもあるのでそのようなつっこみに対しては何も言いません。私と皆さんの間には考え方にかなりの隔たりがあるということです。反論の山はそれを物語っています。
まずcom様のレスです。
>問題は、信仰である××教と、科学である進化論をクロスマッチして議論をしようとしているからです。進化論がおかしい、と主張したいのなら、ご自身の信仰と切り離し、おかしいと思うところを論理的に書き込めばよいのです。
進化論も創世記も生命はどのように誕生したのかという同じテーマを説明しています。この二つは相容れるものではありません。進化論を認めれば人々は神による生命創造を否定します。それは信仰の否定につながります。進化論を支持するクリスチャンもいますが、それは創世記を理解できないからです。よって信仰と切り離してこの「種の起源」に関する問題を語ることはできません。ただ10年以内に進化論と創造論を統合する新理論が発表される可能性もあります。
JA50さんのレス
>ダーウィンの進化論(学説)は、それがどのようにして起こるのかという一つの仮説。それも今のところは正しいだろうとされている仮説。
進化論は仮説という段階をすぎてます。確固とした理論があり証拠もあるでしょう。多くの人は進化論を仮説とは見ず真理と見ていると思います。
おずおず様のレス
>あなたのいう、「許されない」って、いったい、どういう意味ですか?
創造論者は進化論の存在を許していません。私も同じです。進化論は創世記の記述とも「太陽の法」の記述とも矛盾します。つまり進化論は創造主の眼から見て事実ではないということです。進化論が地上からなくなっても太古、生命がどのように誕生したかという事実は変わりません。
(ぱ)様のレス
>ええと、この世は仮の世さんの今の立場って、
「進化論が正しいことは認めるけれど、道徳上よろしくないから教えるのがけしからん」
ってことなんですかね?
創造主の眼から見て間違ってます。進化論は人間から信仰を奪います。信仰は人間を動物的生存から高貴な精神性をもった天使的生存に導く大切なものです。
大文字ナンさんへ お久しぶりです
1ユートピアというのは天上界のことです。天上界というのはどんな世界かは一言では言えません。理想郷です。心の世界です。思っただけで何でもできる世界です。天使たちの心境にある人たちの住む世界です。天使たちはこういう世界を地上にもつくろうとしてきたのです。天上界がどんな世界かは大川隆法先生の「永遠の法」をお読みください。
2>宇宙・世界・この世にとって「人間は辺境の星にある化学合成物の一種」に過ぎないことも知っています
人間はそんなつまらない存在ではありません。神からつくられた神の子です。
3>愛を本当に理解している人とはどんな人であるのか、あなたと違う信仰を持つ誰かに、明確な言葉と説得力を持って説明できますか?
私は愛を本当に理解しているとは言い難いですが、ほかの幸福の科学の会員なら愛について説明できると思います。大川先生の愛についての本をお読みください。「太陽の法」とか「愛の原点」とか「愛・無限」「無限の愛とは何か」等あります。
>たかが科学理論のひとつである進化論を理解し、その正しさを受け入れたくらいで揺らぐような愛ならば、本当の愛とは思えません。
世にいる非幸福の科学の会員が本当の愛を理解しているとは思えません。
4マルクス主義を私が持ち出したのは間違った理論が人々を導いた場合どういうことになるかその例証としてあげたのです。私の文章が整理されてないのでわかりづらいとは思います。
反論はまだ続くんですがこの辺でいっぷくです。
そもそも、ローレンツのコトバは、「忠誠」「愛」などに代表される「徳目」がニンゲン特有のものであるという「よくあるマチガイ」に抗して出てきたものであるといえますにゃ。
(同種で殺し合いをする動物はニンゲンだけだ、ちゅうのもこれはこれで「よくあるマチガイ」だけどにゃ)
ま、サルに犬ッころ並みの忠誠心を持たせようとする装置を「道徳」と呼ぶのかもしれにゃーけどね
>「群れの仲間や主人に忠誠を誓い、愛する能力において、犬に匹敵する人間は滅多にいない」
ただ、ヒトもサルの仲間だもんで、群れの仲間やリーダーへの忠誠もサルの忠誠になるのは仕方ない。
サルにオオカミの忠誠を持つやつがいても、そういう個体の適応度は、サルの忠誠を持つやつに比べて低いんじゃないだろうか。
K.ローレンツが、確か「人、犬に会う」でいってたにゃ
「群れの仲間や主人に忠誠を誓い、愛する能力において、犬に匹敵する人間は滅多にいない」
あと、こんなこともいってたにゃ
「他の種の動物と愛情の通い合う関係をつくることのできる動物は人間だけだろう」
動物に対する残酷な取り扱いは、人間性の欠如を意味すると、確かに僕も思うにゃ
あなたは自分が動物であると思うことのどこに反発を感じるのでしょうか?
あなたは動物です。あなたは他者を深く愛することが出来ます。従って、(少なくともある種の)動物は、他者を深く愛することが出来ます。
あなたは動物です。あなたは理想を持ち、それに向かい努力することが出来ます。従って、(少なくともある種の)動物は、理想を持ち、それに向かい努力することが出来ます。
それだけのことです。
(なお、愛も理想も、人間だけの(他の動物にはない)特質ではないですよ。)
>> 「売られる側の人間」と「売る側の人間」とを分けることが出来なければこの議論は成り立ちませんけど、「全ての人間が、平等に、動物と同じ」であるなら、そんな立場の違いは生じ得ると思います?
について、どう説明したものか考えあぐねていたのですが、的確なご説明をいただき有難うございます。
黒人奴隷の問題にせよ、過去の植民地政策にせよ、根本にあるものの一つに、
「私たちは優れていて(価値があり)、彼らは劣っている(価値がない)。」から、「優れたものは劣っているものを支配してもいい。」という理由付けがあるように思われるのです。
「ある宗教を信じていないから劣っている。」とか、「神が私たちを動物とは分けて作り、彼らを支配するように定められた。」とか、いろんな例があると思います。
要するに、子供っぽい「ボクがこの世で一番大事なんだ!」という程度の思いこみです。
この、幼児的な、「ボクはケダモノや虫けらなんかじゃなくて、神様に近い、エラい存在なんだ!」という、鼻持ちならない思い上がりを打ち砕く、という倫理的影響を「進化論」が与えたことを、ボクは逆に高く評価するものです。(もちろん進化論はそんなことを意図して提出されたものじゃなくて、ただこの世の仕組みを記述しただけですけど。)
人間は動物だからどんなに扱ってもいい、という考えの裏には、(自分だけはそうじゃない)という非論理的な評価が存在するように思います。自分は虫けらじゃないから、虫けらを踏みつぶせるのです。
自分も虫けらであり、いつか自分も他人に踏みつぶされるかもしれないと思ったら、つまり踏みつぶされるほうの立場を我が身のこととして想像できたなら、他者を踏みつぶせるはずがない。
あなたも私も、アメーバーも、神様(あるいは例えば宇宙)から「等しく祝福された」、「大切な存在」なのだ、と考えるとき、誰かがだれかを支配する根拠はなくなると思いません?>この世は仮の世さん
この世は仮の世様、お久しぶりです。
> ダーウィン進化論を一言で言えば「人間と猿は親戚だ」という理論になると思います。
ダメダメですね。ダーウィンの進化論は、複雑な理論なので一言であらわすと、色々と省略される部分が出てきます。それでも尚、一言であらわすとすれば「常に環境に適応するように種が分岐し、多様な種が生じる」位になると私は考えています。「人間と猿は親戚だ」というのは、生物全体が進化によってもたらされたと考えた場合の結果の1つです。
>> 「売られる側の人間」と「売る側の人間」とを分けることが出来なければこの議論は成り立ちませんけど、「全ての人間が、平等に、動物と同じ」であるなら、そんな立場の違いは生じ得ると思います?
の意味がよくわからないとのことですが、もし、あらゆる命が対等であると考える人がいたならペットショップで売られている動物に対しても命を尊重して大切に扱うでしょう。おずおず氏はむしろ、人間と動物は親類なんだと考える人の方が、人を差別したり奴隷化したりすることはないと主張し、それに対する貴方の意見を求めているのだと考えます。
アメリカに黒人奴隷をもたらした人々は、進化論者ではありません。多くはキリスト教を信仰していたはずです。彼らは同じキリスト教を信仰する者達だけを仲間と認め、黒人奴隷を動物のように扱ったことは歴史上明白な事実です。この証拠をみても貴方の主張は誤りです。
「世の中には、『(人間を含む)全ての生物が親戚である(共通祖先を持つ)』ならば道徳観が変わる」ようなくだらない人がいる、という主張をしているのでしょうか?
さらに、「私(この世は仮の世さん)自身もそのようなくだらない人間の一人である」という主張でしょうか。
そういう主張なら「ああそうですか」としか言いようがないですが、「自分(この世は仮の世さん)がくだらない人間だから他人もそうである」という思い込みは避けたほうがよろしいかと思います。
#自分のくだらない物差しで他人を計るべきではありません。
この世は仮の世さん、おひさしぶりです。
>学問というものは世界をユートピアにするために存在していると思います。
「人間にとってのユートピア」とはなにか?「幸福の科学を信仰する人々にとってのユートピア」とはなにか?「信仰を持つひと、持たないひと、それぞれのユートピアとはなにか?」まずはそこを聞きたいものです。
私は、ユートピアなどというものは「私にとって都合の良い世界観」でしかない、と知っています。別に学問があろうとなかろうと、それは変わりません。
>相対性理論は原爆を生みましたが同時に世界のユートピア化に多大な貢献をしたと思います。
進化論について理解しようとしないで反論することと、上記は基本的に同義ですね。少なくとも私は相対性理論が世界のユートピア化に貢献した「などと」少しも思っていません。単に宇宙と重力の構造(など)について、一歩進んだ理解をもたらしただけです。
>多くの人の動物に対する態度を見れば人間と動物を親戚同士と考える理論がどれだけ危険かわかります。
人と動物が「基本的に同じ身体構造を持つ」ことから、医学・医療分野では実験動物を使って難病に取り組み、多大な成果をあげていることをご存知ありませんか?
人間にとって「人間こそが大事な命」であることを、私は否定しません。だからといって宇宙・世界・この世にとって「人間は辺境の星にある化学合成物の一種」に過ぎないことも知っています。
>愛を本当に理解している人が進化論者のなかにどれだけいるでしょうか?
愛を本当に理解している人とはどんな人であるのか、あなたと違う信仰を持つ誰かに、明確な言葉と説得力を持って説明できますか?たかが科学理論のひとつである進化論を理解し、その正しさを受け入れたくらいで揺らぐような愛ならば、本当の愛とは思えません。
>進化論は現実社会に問題を起こしています。
人間が動物の一種に過ぎないことと、人間が暴行事件を起こすことに相関があるとは思いません。むしろ、人間は時に「動物以下」であるところが人間たる所以でしょうね。
>経済学理論であるマルクス主義にもいえることです。
進化論批判をするための傍証にはなりません。まったく関係のない事柄です。
>私は、大型類人猿もジンルイという主張に賛成だな。
こんな話もありますしね。
大西科学 サルだってチャットする:
http://onisci.com/036.html
もっとも、調べてみると、チャットといってもキーボードを自分で叩いたわけではないようですし、上のページの記述はかなり割り引いて読むべきかと思いますが…
てなわけでちょっとぐぐってみました。これか。
http://www.sciamdigital.com/gsp_qpdf.cfm?ISSUEID_CHAR=85CDB5BE-32DA-4DF1-AF26-386CE636DEA&ARTICLEID_CHAR=01F4B8AB-B738-4554-B79E-4F331484357
Woody Allenとヘミングウェイとチョムスキーを読んでいる?
まあ、知能が人権と結びつくかどうかはまた別の話でしょうが。
>>「猿」の定義にも拠るけれど、今は絶滅したらしい猿の親戚から進化したと考えてますが、何か?
>ここにいる誰かの話によると進化論というのは仮の動物Aから進化して人間が誕生したという理論だということです。
Kosukeさんは何ひとつ誤解はしてないと思うんですが、この世は仮の世さんは、それを理解してます?
ええと、この世は仮の世さんの今の立場って、
「進化論が正しいことは認めるけれど、道徳上よろしくないから教えるのがけしからん」
ってことなんですかね?
それならそれで意味は通ります。反論はもう書きました。
進化論ごときで、道徳観が崩れるような輩は所詮それだけの、くだらないニンゲンじゃろうな。
仮にサルからヒトに進化しなかったとしてもじゃな。
自分から100世代前までのご先祖さまの数を計算すると、
2535301200456458802993406410750人となる
※2^(n+1)−2・・・間違っていたらご指摘を、
こんだけおったら、この中にヒトゴロシや強姦魔がおってもおかしくは無いじゃろう。
わしらは、ヒトゴロシや強姦魔の子孫と言うことになるのう。
じゃからといって、「おいらは、どうせ強姦魔の子孫だもんね」といいつつチ○ポおったてて、街中を徘徊する奴は単なるバカじゃろうな。
>よって世界を地獄化する理論に対しては存在を許されません。
あのお...例えば「原爆の原理である相対性理論の存在を許さない!」と大声で叫んだら、その物理法則は消滅するのですか?原爆は爆発しなくなるのですか?
あなたは例えば万有引力の存在を「許す権限」を持っているのですか?あなたは神様ですか?
物理法則は「勝手に」存在しているものです。わざわざあなたに許してもらわなくても存在出来るのです。
あなたが進化論をどんなに苦々しく思っても、例えば化石は存在するしどんどん掘り出されるし、遺伝子治療は着実に成果を上げるし薬剤耐性を持ったバクテリアは今まさに、着実に進化を続けているのです。
あなたは、科学的事実、と言う言葉の意味を、誤解していません?
あなたのいう、「許されない」って、いったい、どういう意味ですか?
>ダーウィン進化論を一言で言えば「人間と猿は親戚だ」という理論になると思います。
ダーウィンの進化論じゃなく、進化論がそうじゃないの?
ダーウィンの進化論(学説)は、それがどのようにして起こるのかという一つの仮説。それも今のところは正しいだろうとされている仮説。
進化論という非常に一般的な用語と、ダーウィンのという形容詞がついた進化論、この場合は学説というようなかなり狭い意味の用語とを区別しておくべきじゃないのかな。
それと、kosukeさんは、人間と猿(人間も猿の一種なんで、ここでは人間以外の猿ということで)は親戚だし、人間と犬とも親戚、さらに蛇や蛙などなど、この地球上にいる生物全部が親戚だよと言っているのではないですか。祖先をさかのぼって行けば、いつかは共通の親に行き着くよという意味の親戚だと。
そして、親戚といっても近い、遠いというのがあるように、犬よりも猿の方が人間に近い、蛇より犬の方が近いとも言える。
私は進化論を含めた科学ってすごく誠実だけど、ファクトへのこだわりという面では夢も希望も聞いてくれようとするものではないと思っているのですが(それの応用としての分野では人類とか環境とかへの有用な利用はされていると思うけれど)。そういったものと人間として生きていくうえでの美意識とか哲学とか形而上の問題まで科学に何とかしろというのはお門違いじゃないですか?人間も動物も生命の価値は同じと思っている人がいたとしましょう。その人が食事の際に”食べることでこの魚の命を受け継いでいるのだありがたくきちんと食べよう”と思うか、魅力的な異性を見たときに”私も所詮動物、性衝動をおさえないでいい”と思うかは科学のせいではなくその人の人格の問題です。
この世は仮の世様、お久しぶりです。大先生地震予知スレ以来ですね。
#思えば、この板に書き込みを始めるきっかけのスレでした。
あなたがこの板で書き込みをすると、反論がわんさか来る理由を僕なりに愚考してみました。
この板の常連さん、ROMの皆様は、あなたの信仰を否定していません。
問題は、信仰である××教と、科学である進化論をクロスマッチして議論をしようとしているからです。進化論がおかしい、と主張したいのなら、ご自身の信仰と切り離し、おかしいと思うところを論理的に書き込めばよいのです。
また、反論も多数あることは過去の例をみても容易に想像がつきます。反論された方々に対し、ここでも信仰を切り離しつつ論理的な反論をしない限り、この間の二の舞になること必然です。
がんばって実りある議論をしてみてください。
>「猿」の定義にも拠るけれど、今は絶滅したらしい猿の親戚から進化したと考えてますが、何か?
ここにいる誰かの話によると進化論というのは仮の動物Aから進化して人間が誕生したという理論だということです。私も進化論というのは何らかの種類の猿から進化して人間が誕生したという理論だと理解してここにはじめて登場したときは考えてました。
>「親戚」の定義にも拠るけれど、DNAを持つ生物(当然、アメーバー、野生動物、家で飼ってるペットのラブラドールなどを含む)の親戚だと思ってますが、何か?
ダーウィン進化論を一言で言えば「人間と猿は親戚だ」という理論になると思います。
> ここにお集まりの皆さんは人間は猿から進化したとは考えてはいないと思いますが
「猿」の定義にも拠るけれど、今は絶滅したらしい猿の親戚から進化したと考えてますが、何か?
> 人間と猿は親戚だと考えている
「親戚」の定義にも拠るけれど、DNAを持つ生物(当然、アメーバー、野生動物、家で飼ってるペットのラブラドールなどを含む)の親戚だと思ってますが、何か?
進化論素人である私の主張に対してずいぶん反響がありました。有り難いことです。
1「1.科学的真理は、良い、か、いけない、かで判断するものですか?」に対する反論
学問というものは世界をユートピアにするために存在していると思います。よって世界を地獄化する理論に対しては存在を許されません。相対性理論は原爆を生みましたが同時に世界のユートピア化に多大な貢献をしたと思います。「じゃあ、どうユートピア化に貢献したか具体例を述べよ」といわれたら知らないので返答に困りますが・・・
それに対して進化論は学校での教育にも取り入れられ、社会的影響力は絶大です。ここにお集まりの皆さんは人間は猿から進化したとは考えてはいないと思いますが、多くの人はそう考えています。これは道徳に対してもいやでも影響を与えるでしょう。何せ自分も他人も先祖は猿で、人間と猿は親戚だと考えているんだから・・・
多くの人の動物に対する態度を見れば人間と動物を親戚同士と考える理論がどれだけ危険かわかります。多くの人の動物に対する態度・・・野生動物はハンターたちの余暇の慰み者になっています。愛玩動物は値段を付けられてペットショップで売買されています。飼い主は犬に対してしつけとか芸を仕込みます。
進化論は人間同士の関係に影響を与えます。自分に対するものの見方にも影響を与えます。自分も他人も動物の親戚と考えると、自分も他人も動物に対するように扱います。それがストレートに現れれば酒鬼薔薇聖徒の発言と殺人事件になるでしょう。多くの人は殺人事件など起こしませんが、自分や他人を本当の意味で愛することはできず、表面的な愛に終始するだけでしょう。キリストは愛の思想を説きましたが愛を本当に理解している人が進化論者のなかにどれだけいるでしょうか?
進化論の影響が露骨に出た事件はほかにもあります。大学生がコンパにかこつけて女性を輪姦した事件です。動物というものは発情期が来れば自然にセックスをしますが、この大学生たちも発情したのでそれに素直に従ったわけです。この行為を「動物がやった行為だから」と許すことのできる人はいないでしょう。それにもかかわらず人間はアメーバから進化したと考えているわけです。進化論は現実社会に問題を起こしています。よって科学的真理も良い悪いで判断すべきです。
経済学理論であるマルクス主義にもいえることです。マルクス主義にもそれが正しいとされる論拠を認めた人が多数でましたが、ソ連と中国と北朝鮮を見ればそれがユートピア思想に反する理論だったことは明白です。
「2.(ボク自身はこちらの方が大事なことだと思っているのですが...)動物は人間に比べて、価値のないものだと思いますか?」に対する反論
大川隆法先生は全ての存在には仏と同じ性質・仏性があると教えています。よって動物や鉱物に対しても仏につくられた存在として価値を認めます。
>「売られる側の人間」と「売る側の人間」とを分けることが出来なければこの議論は成り立ちませんけど、
「全ての人間が、平等に、動物と同じ」であるなら、そんな立場の違いは生じ得ると思います?
この主張の趣旨がよく理解できません。かみ砕いていってくれませんか?『「全ての人間が、平等に、動物と同じ」であるなら、そんな立場の違いは生じ得ると思います?』の主張を私なりに理解するなら進化論を信じることによって人や自分に対する態度は違ってくると思います。立場の違いは生じるでしょう。
私は、大型類人猿もジンルイという主張に賛成だな。
ただ、大型類人猿という用語自体、考えてみればおかしいか。
ヒトも、大型類人猿じゃないか。
とにかく、、、
チンパンジー、ゴリラ、オランウータンにも人権を!
こんにちは。ふう様
> ミルトン氏は創造論者ではないのですが、「創造論者の科学的議論」を援用しているのが問題なのかな。
「進化論に疑問あり」を読んだ訳ではないのでミルトン氏がウランー鉛法についてどのような意図を持ってどのように記述されているかは私には判りません。しかし、ふう様はウランー鉛法は問題があると考えられたのですから、ウランー鉛法に対して批判的に記述されていたのではないかと推測します。
私は、「創造論者の科学的議論」が科学的手法に従って行われる限り、彼らの考えが如何なものであってもそれを科学的であるという主張を行うことは問題ないと考えています。彼らの考えが「疑似科学」であると言われる所以は科学的手法に則らず、反証された命題をいつまでも正しいという象徴を行っているからです。
従って、私が感じるミルトン氏の問題点は”「創造論者の科学的議論」を援用”していることではなく、創造論者の科学的議論に対する反証が既に為されていることを明確に読者に伝えなかったことです。
えー、随分と久しぶりになってしまいました。ヘルメス☆です。
なんだかんだあって、今度またニュージャージーに引っ越します(^^;
しかし、人権とか、どう考えても今の科学的な知識体系にフィットしきれないものを無理やりに運用しようとしてるのは変。
しかも、例えば一部の狂った宗教原理主義者なんぞは「神」という存在に責任転嫁して、人を殺している。
特に、パレスチナのハマスは「イスラエルの生存権を認めないし、ユダヤ人は殺害の対象とする」なんて宣言してるんだから、逆にやられても文句言うなよ・・・、って思うのは私だけ?
最近の米軍にイラク人拷問問題にしても、「で、先に一般人をビルもろとも吹っ飛ばしたの、どこの誰で、それに対してアラブ人社会やムスリム(イスラム教徒)団体から、どんな反応が出たんだ?」って疑問。
少なくとも自分が知ってる限り、アル・カーイダに対する非難はムスリム団体から聞いたことはないし、TWCが吹っ飛んだのを見て拍手喝采してたって連中以外はほとんど見たことが無い。
先に手を出して、そのことを非難せずに、自分達だけやられたら自爆テロでもする。
なんか変じゃないのか?
まー、これは極端な例だけど、人権ってのは「自分がやられては困ること」を「他人にもしないようにしよう」って話でないのかな?
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。