このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
私はこの世さん御自身のことをこれっぽっちも弁護した覚えはありません。
科学理論の適用の危険性について述べただけです。
おそらく今後かなりの期間自分の書き込みが残ると思ったら、そのテーマについてもう少し勉強してからこういう所に顔を出しますけどね、私だったら。
残りの皆様の反論に反論しようと思ったけど最新投稿にレスするだけで徹夜してしまった。
>まず、現実をみて下さい
このせりふ幸福の科学の支部スタッフからもいわれました・・・現実を見るようにつとめてます。つまんないレスをわざわざしました。失礼
私は幸福の科学という宗教法人の会員です。私は私の宗教的信条に従って幸福の科学にはいりました。ラエルを否定したのも私の宗教的信条に反する主張をするからです。異星人による創造なんて聖書に反します。
この世は仮の世というのは幸福の科学の教えの一つです。
>「真実」を必要としている人は大勢いますので、そういう人から気付いて
欲しいと思います。
私も同じ気持ちでここに参加してます。
私はヘルメス様の以下の主張に対し「科学理論と社会の関係は切っても切れないのです。」と反論したのです。反論になってませんでしたか?
>権力者は自分の都合の良い主張を補強するために科学知識を利用しますが、科学は単なる知識体系です。それに意味を見出そうとする、宗教的、思想的、政治的な役割を与えようとするのは人間(権力者)の勝手であって、科学が人間を操るわけではない。
履き違えてもらっては困ります。
ヘルメス様の質問
1.人間が数ある動物の一つだとしても、何で他の動物のように振舞わないといけないのですか?
2.同様に、なぜ他人を動物のように扱わないといけないのですか?
3.『動物』と一言に言っていますが、その『動物』って具体的に何をイメージしています?
に対して答えます。
1、2に対しては同じ答えになります。私なりの思考実験の結果そうなるのです。ダーウィン進化論の思想的影響が個人に対しストレートに現れた場合です。こんな答えではだめですか?私にはこれ以上いえません。
3動物についての具体的イメージはありません。一般的な意味での動物です。
4言い訳とは否定的な意味でよく使われる言葉です。「そんないいわけ聞きたくない」とか・・・説明は国語辞典通りの意味です。
>なんか動物のほうが平和的でマシな生活してそうだな。精神的に。
人間が動物化してもいいとお考えなら神様は人間に与えている様々な武器を奪うでしょう。宗教、学問、音楽、文明・・・動物には必要のないものばかりです。
ヘルメス様の奴隷制についてのレス
黒人奴隷についてちょっと調べてみたんですが、奴隷制廃止運動を始めたギャリソンて人キリスト教の教えを元に奴隷廃止を訴えたらしいのはわかるが、教会側の人間であるという確証は得られませんでした。修正します。どんな人かわからない。
これで以上です。
この世は仮の世様、当方を引き合いに出して自分が無知でいられるのを正当化しないでほしいのですが。
あと、あなたの宗教観のみを語りたいのなら、別の板に行ってほしいな。
この時間まで艦隊戦をしているcomでした。
この世は仮の世さんへ
そうかしら、物事を否定してばかりいるのもどうかな?と思います。
まず、現実をみて下さい。「この世は仮の世」というのではなく、
現実を見据えて下さいね。
「真実」を必要としている人は大勢いますので、そういう人から気付いて
欲しいと思います。真実を見たくないのは、その人の自由ですが…。
今日子より
私の名前ですか?
単にかの知識の神のご利益にあやかりたいだけ(笑)、というのは冗談で、本当のところは秘密です(笑)。
少なくとも大川隆法とは関係がありません。
> 科学理論と社会の関係は切っても切れないのです。
そりゃ、切っても切れないでしょう。社会は科学によって得られた技術で成り立ってるし。
不確定性原理(要するに人間の観測結果が電子の位置を定め、そのミクロのレベルでの事象の決定がマクロ的な=現実社会に影響を及ぼす)という理論がありますが、それに基づいて構成され実証された技術があるからこそ、半導体工学が成立します。
その成果物としてCDやDVD、PCなどが現実に身の回りのものとして存在するのです。
> この理論は人間と動物を一本の線でつなげています。これは人間が数ある動物の一種にすぎないといってるわけです。この考えの個人への思想的影響を考えると自分自身は動物のように生き、他人に対しても動物のように反応し、他人を動物扱いしてもいいということになります。つまり人間を人間扱いしないことを正当化する理論になるということになります。
何度も言うし、他にも(自分よりも洗練された)レスが何人もの方から出ていますが。。。
いくつか質問。
1.人間が数ある動物の一つだとしても、何で他の動物のように振舞わないといけないのですか?
2.同様に、なぜ他人を動物のように扱わないといけないのですか?
3.『動物』と一言に言っていますが、その『動物』って具体的に何をイメージしています?
例として、同じ『動物』のカテゴリーに属する生物として、スズメと亀、犬、象などがありますが、これらってまったく同じような行動をとってるの?
当然、亀は鳥のように飛ばないし、スズメは水中生活なんぞしません。犬と象は社会集団を作って生活しますが、人間様ほど明確に、かつ確固たる方法で同種殺しなんぞしませんが?
動物が争うのは基本的に序列争いや勢力争いですが、お互いに殺し合うほどのケースはあまりありません。もちろん、まったく無い訳じゃないし、事故や不可抗力で死に至る場合もありえるでしょう。
ですが人間ほど露骨に「同種殺し」を目的とした行動が、社会的に(認めたくありませんが)一般化している種は他には見られません。
中世ヨーロッパの魔女狩りやヒトラーのユダヤ人狩り、スターリンの大粛清、文化大革命など、人間は自ら望んで同種を(それこそ桁違いの規模で)殺しています。
・・・なんか動物のほうが平和的でマシな生活してそうだな。精神的に。
>>差別を正当化することに利用されるからよくない、と仰るのであれば、進化論より先に、まず聖書を批判するべきです。黒人奴隷の例が挙がっていますが、黒人奴隷を使うことを正当化するのに聖書は利用されました。たとえば「未開のアフリカで聖書を知らずに行きていくよりは、キリスト教の教えを知る機会をもらったほうが彼らのためになる」といった理屈です。
> 情報源を教えてください。これだけでは何ともいいようがありません。アメリカでは奴隷制に反対したキリスト教会もあるそうです。昨日紹介したサイトですが再度紹介します。
横レスですみません。
これって、「奴隷制に反対した教会もあるけど」、「その他の教会は積極的に肯定していたか、黙認していた」という意味にも取れるんですけど?
アメリカに例えば10万箇所ほど教会があったとして、そのうちのたった一つでも反対したら、この世は仮の世さんの文は成立します。
キリスト教が奴隷制に反対していた、という主張をするなら、当時のキリスト教界が統一した見解として奴隷制に反対する、という意思表明をした、もしくはそこまでに至らなくても(少なくとも相当数の)教会、並びに所属牧師が奴隷制を撤廃するための啓蒙活動を行っていた、などの証拠を提示する必要があります。
>科学が明かした事実というのは自然選択によって動物が人間になったということですか?その根拠は?
この世に幾らでも書籍があります。
中世暗黒時代でもあるまいし、キリスト教会によって焚書されているわけではないので、近所の書店で買えるはずです。どの本を読めばよいのかはここの過去ログやサイトに紹介されていますが?
では追加の質問もしてみましょう。
4.言い訳と説明の違いって何?
科学者の説明を言い訳と断じて、受け入れようとしないのであるならば、何を持ってすれば貴方にとって理解して受け入れることの出来る「説明」になるの?
・・・「説明」を「言い訳」とか一方的に断定したり、自分が受け入れられない説明を「まだ足りない」「説明不足だ」「説明責任を果たしていない」とか騒ぎ立てるのは国会議事堂とテレビの報道人くらいかと思ってたけど、結構世の中にはいるもんだなぁ。
私のレス気分が悪くなりますか?すいませんね創造論者のように科学的根拠はあげられません。今日は徹夜ですかね?
>虚言屑であるという根拠はこの掲示板でも以前散々示されたようですが
予言のことですね。私は佐倉哲にも地下に眠るMさんにも予言を馬鹿にするなら予言の研究を少なくとも3年してからにしていただきたいと思います。佐倉哲はエドガーケイシーの予言を検証したとかいってるけど検証したなら本一冊書けるくらいの分量にはなってると思います。出版してほしいですね。出版社が飛びつくでしょう。トンデモ科学をこき下ろす本を好む人には受けるでしょう。
私が現時点で予言について気づいたことをいいます。蒸し返すようですが・・・
大川隆法先生はあの世に行って未来の世界の様子を見てきたんだと思います。「黄金の法」旧版の原稿が脱稿されたのがいつか正確なところはしりませんが幸い「太陽の法」の旧版をもっているのでこれから推測するに1987年あたりだと思います。
先生があの世に行ってみてきた未来というのは1987年あたりから原因結果の連鎖で見た世界の未来ということです。あの世にはこの世で言う意味での時間がないといいます。時計で計る時間です。立花隆の「臨死体験」にも書いてあったことですが、臨死体験者の報告によればあの世にはこの世でいう意味での時間というものがないそうです。大川先生はこうもいいました。あの世にはこの世でいう意味での時間というものがなく原因結果の連鎖のみあると・・・これがどういうことか私にはわかるようでわからない・・・大川隆法先生が1987年あたりにあの世で見た未来世界の状況とは1987年の世界情勢を原因として必然的に出てくる結果としての未来世界の様子ということになります。先生は善因善果悪因悪果とも教えています。つまりよい原因はよい結果を生み悪い原因は悪い結果を出す。もし1987年時点で先生が何ら行動を起こさず、信者たちが何ら行動を起こさなければ予言したとおりのことが起きるということです。幸福の科学では天変地異調伏祈願というものを何回かやったそうです。私も世紀末にぎりぎりセーフですがそれに間に合って1回だけ参加させてもらいました。幸福の科学会員は一部の人間をのぞき会がまだ小さいうちは先生のいうとおり自己確立に励み、会員たちが成長するに及んで大伝道期に入り、会員たちは熱心に伝道しました。会の方針に大部分の会員は従って行動したわけです。講談社フライデー事件の時には抗議行動を起こし、講談社と裁判で戦いました。またオウム真理教の危険性を日本で唯一指摘し、行動しました。オウム真理教に対し島田裕巳という宗教学者は賞賛し、幸福の科学に対しては「大川隆法の霊言」なる本で誰かと共著で攻撃しました。「朝まで生テレビ」でオウムと幸福の科学は対決しました。あの時点でオウムの危険性を認識しそれに対し行動した人が幸福の科学以外でどれだけいたでしょうか?オウムと直接接触のあった上九一色村の人か漫画家の小林よしのりだけでしょう。島田裕巳はサリン事件後オウムを擁護してきたがために大学を追われました。幸福の科学は創価学会に対しても言論で戦いました。大川隆法先生が予言した西暦2000年までにこれだけの行動を起こしたのです。善因善果悪因悪果の法則により未来はいい方に変わったんです。予言ははずれても不都合がないどころかはずれてよかったんです。
なお私は以前予言は的中したと言い張りましたが、少し修正します。私がもってる「新・黄金の法」には旧版と違って「予言は的中した」と加筆してあります。これはなぜかというと「新・黄金の法」が出された時点はまだ西暦2000年前でありまだまだ予言としての有効性があったからだと思います。2000年を過ぎたあとに出された「黄金の法」で予言が削除されたの理由は予言が予言でなくなったから、予言の価値がなくなったからだと思います。予言についてろくろく研究もしないで予言がはずれたことをもって「虚言屑」などというのは物理の勉強もろくろくしないで相対性理論は間違ってるというようなものです。佐倉哲にもトトロ様にも地下に眠るMさんにも予言について勉強してから予言の批判をしてほしいと思います。
ただ予言がはずれたことは今後同じ批判が予想されるので幸福の科学の今後の課題だと思います。以上私の予言に関する私見ですが納得されるでしょうか?不足でしょうか?
>さすがに現代では聖書を根拠に黒人差別を行う人はまれでしょうが、男女差別や同性愛者差別は散見されます(ウソだと思ったら根本主義的なキリスト教の掲示板で、「同性愛者にも権利がある」といった発言をしてみよう)。「本当の愛」をわかっていらっしゃる幸福の科学の信者は、男女差別や同性愛者差別に関してはどうお考えでしょうか。
NATROM様は同性愛を肯定しているんですか?一般的な男性は同性愛に対し嫌悪感を持ってると思います。NATROMさまの思想は一見進歩的にも見えますが、私には偏ってると見えます。アメリカでフリーセックスが流行したのと同じに見えます。流行の思想だからといって正しいとはいえません。社会ダーウィニズムだってマルクス主義だって当時の人間にとっては進歩的な思想に見えたことでしょう。
大川隆法先生が男女差別についてどう考えてるかは知りませんが、女性は男性を補助するためにつくられたとおっしゃったと思います。だからといって女性を奴隷のようにこき使っていいとかいったのではありません。女性の就職差別についても格別の教えは説いてません。同性愛者差別についても同様です。同性愛者差別ってそもそもなんですか?ちょっと調べたくらいではわかりませんでした。
先生は性同一性障害について教えられました。どうも魂の兄弟のなかに男女が共存しているということだそうです。それで自分は男の肉体をもってるけど女だという意識になるのだそうです。そういうことを先生はおっしゃってます。
魂の兄弟というのは人間一人にたいし霊魂は一人だけではなく6人いるという理論です。魂の兄弟が6人です。
アメリカンNINJAさん、はじめまして。temaと申します。
temaは、岸田秀の唯幻論がかなり使える説だと考えており、以前、この掲示板でも記述した事があります。そんなもので、思わず反応しました。
>人類の起源はアフリカでルーツは黒人であり、白人種は黒人のアルビナで被差別種族として黒人に差別され、ヨーロッパに渡っていった。そこで人種としての形態を獲得した・・・。
反応はしたものの、この説は読んだことがありません。検索してみると、どうやら「一神教vs多神教」という本に掲載されているようです。
ttp://www.shinshokan.co.jp/sho/j-ishin-tashin.html
上記ページに記載されている抜粋を読んだだけですが..「最初の人類は黒人で」の部分で既に引っかかりました。まぁ肌の色が黒い可能性は高いと考えますが、全人類共通の祖先なのですから「黒人」は無いでしょう。
アルビノの件についても、アメリカンNINJAさんと同意見です。誰か止める人はいなかったのでしょうか...
ちなみに、和光大学は2004年3月で定年退職されたようです。
[蛇足]
上記ページには、一神教の起源について以下の考察がされています。
−−−ここから−−−
一神教は、もともと信じていた部族や民族の固有の神々の宗教を失った被差別者、逃亡奴隷の宗教、追い詰められて現実否認に逃げ込んだ者の宗教であった。多神教の神々がときにはドジをやらかす人間的な神々であるのに比べて、一神教の神が、信者と血縁関係がなく、全知全能神のような現実離れした神、唯一絶対神のような抽象的な神であるのは、そのためである。
−−−ここまで−−−
temaは、この点についても違う(トンデモ)仮説を持っており、以前、この掲示板にも記述しております。とはいえ「temaの仮説の方が大きな要因だ」など言うつもりはありません。念のため。
ttp://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board031019.html
>神仏を信仰した方が生存に有利(かな?) 投稿者:tema 投稿日: 2003年10月15日23時03分
いい加減、この世は〜さんのレス、飽きたとかいうより、読むと気分が悪くなるんだけど。
以前地下猫さんが、
「慇懃は卑劣の埋め合わせにはならない
慇懃な卑劣漢ほど吐き気を催すものはない」
って書いてましたけど、よくわかります。
>まずは進化論の本を2,3冊読んでから発言した方がいいと思いますよ。
無駄だと思います。
この人は人間以外の動物についてなら進化論を認めるそうなんで。
# そんなに特別な存在でありたいんかね...
新版図説種の起源も、盲目の時計職人も、人間については特に語ってないし。
>先生が慢性の妄想性障害だという根拠をあなたは示さねばなりません。
虚言屑であるという根拠はこの掲示板でも以前散々示されたようですが。
ラエルのメッセージなんてうんざりです。これという根拠もいえませんが、ラエリアンムーブメントの本なんて見る気にもなりません。
http://www.rael.org/
こちらをご覧下さい。これで進化論は正しくなく、また神による創造論も正確ではないことがわかります。異星人による創造が正解です。
今日子より
論理が飛躍してるようにみえますか?ダーウィン進化論の論理的帰結を私なりに素直に考えるならそうだとしか結論できませんが?私が進化論を科学的事実だと受け入れるならそういう動物的生き方にならざるを得ないでしょう。
大川隆法先生に対しそのようにいうのはやめてください。先生が慢性の妄想性障害だという根拠をあなたは示さねばなりません。
>差別を正当化することに利用されるからよくない、と仰るのであれば、進化論より先に、まず聖書を批判するべきです。黒人奴隷の例が挙がっていますが、黒人奴隷を使うことを正当化するのに聖書は利用されました。たとえば「未開のアフリカで聖書を知らずに行きていくよりは、キリスト教の教えを知る機会をもらったほうが彼らのためになる」といった理屈です。
情報源を教えてください。これだけでは何ともいいようがありません。アメリカでは奴隷制に反対したキリスト教会もあるそうです。昨日紹介したサイトですが再度紹介します。
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/040225Blacslave.html
以下はこのサイトからの引用です。
アメリカの奴隷廃止運動は、1831年に『解放者(Liberator)』という雑誌を発行したギャリソン(人名)たちのグループにはじまると言われています。彼らはキリスト教の教えから、奴隷制度は不道徳であると主張しました。ギャリソンたちの教えは、奴隷制度を維持したい人には煙たい存在でした。その数年後、彼らの多くは暴力を受けたり、殺されたりしました。
今日は両親ともいないし、PCを独占できます。今日はいっぱい投稿できます。
NATROM様紹介のHP「はじめての進化論」は参考になりそうですね。何の予備知識もなしにいきなり「新版図説種の起源」を読むよりはいいかもしれない。
たんぽぽ様
>科学が明かした事実をながめて、どのような思想や哲学を考えるかは、
その人のご自由ですけどね...
事実のほうは変わりようがないですから、思想や哲学はどんなものであっても、
導いた人の裁量を反映することになります。
科学が明かした事実というのは自然選択によって動物が人間になったということですか?その根拠は?
白人優位主義は進化論の悪用の結果生まれたのではないと思います。当時の白人たちはダーウィン進化論を常識にしていたであろうし、そうした眼でもってアジアやアフリカの人たちの程度の低さを見るとき自然にダーウィンの説の正しさを確認したのだと思います。
>これは人間が数ある動物の一種にすぎないといってるわけです。
>この考えの個人への思想的影響を考えると自分自身は動物のように生き、他人に対しても動物のように反応し、他人を動物扱いしてもいいということになります。
この2つの分の間にえらく論理の飛躍があるんじゃないの?
自分が動物の一種だから、他人を犬猫や家畜のような動物扱いしてもいいなんて、どこからそんな結論が出てくるんだ?
中川隆(この人の芸名が大川隆法)って、慢性の妄想性障害だから、その人に論理がどうのと言っても無駄でしょうけど。
おずおず様へ
>何をもって「進化論は人間を人間扱いしないことを正当化する理論」だと主張されるのでしょうか?
私が今までダーウィン進化論について理解した限りでいいますが、この理論はある1種類か数種類の動物が自然選択によって様々に分岐、変化して今の多種多様な動物たちになったと説明します。そしてその結果人間が誕生したといっているようです。この理論は人間と動物を一本の線でつなげています。これは人間が数ある動物の一種にすぎないといってるわけです。この考えの個人への思想的影響を考えると自分自身は動物のように生き、他人に対しても動物のように反応し、他人を動物扱いしてもいいということになります。つまり人間を人間扱いしないことを正当化する理論になるということになります。私のこの主張を歴史的に証明したのが白人優位主義が有色人種にたいしてやった蛮行です。これからもダーウィン進化論は社会に対し悪影響を及ぼすでしょう。それと戦っているのが創造論者であり、幸福の科学です。渡部昇一氏は白人優位主義を歴史的に打破したのが日露戦争での白人国家であるロシアに対する日本の勝利だと主張してます。
>進化論は、遺伝子治療という応用だけでも、この世にユートピアを実現しつつありますが、あなたはなぜ、相対性理論を認めて進化論を認めないのでしょうか?
遺伝子治療は進化論の発展の結果生まれたものですか?その根拠は?遺伝子といえばメンデルだと思います。中原英臣の「図解雑学進化論」によれば遺伝学の登場でダーウィン進化論は理論的危機を一度経験したそうですね。つまり遺伝学と進化論は対立命題だった。遺伝子治療と進化論は無関係ということに?詳しくは知りませんがね
>老婆心ながら、...ここへのレスを思い切りさぼってもいいですから、まずは進化論の本を2,3冊読んでから発言した方がいいと思いますよ。
たぶんここの皆さん、切にそう願っているんじゃないか、と...(^_^;)
そうも思いますがcom様がどういうか心配といえば心配です。
この世は仮の世さま
ダーウィンの進化学は、「人間を人間扱いしない」なんて、正当化しませんよ。
この地球において、いかにして現在のような多種多様な生物が産まれたか、
そのメカニズムを語っているだけです。
科学が明かした事実をながめて、どのような思想や哲学を考えるかは、
その人のご自由ですけどね...
事実のほうは変わりようがないですから、思想や哲学はどんなものであっても、
導いた人の裁量を反映することになります。
(たとえば、あなたとちがって、進化学の事実から
動物愛護のほうへ向かうかたも、きっと出てくることでしょう...)
「人間を人間扱いしなくてよい」というのは、
あなたがそういうメンタリティだというだけであって、
進化学自体がケシカランというわけでは、まったくないですよ。
すべての生きと生けるものは親戚、と言っても、親戚にも遠い近いがあります。
全部の生物に共通した特徴もあるでしょうし、
せきつい動物にだけ共通した性質もあるでしょう。
そして、人間ならだれにでもあって、かつ人間にしかない特徴もあります。
世の中の多くのかたたちは、このあたりをわきまえているのでしょうね...
それゆえ、「もとをたどれば人間も動物の親戚だ」と知ったところで、
それを理由に、サカキバラくんの殺人や、大学生の輪姦事件を肯定などしないし、
事実肯定していないのですよ。
白人優越主義や人種差別などは、一見科学的に見えてじつは科学的ない、
(ダーウィンの進化学の正しい結論ではない)トンデモない考えかたに、
すぎないことがわかっています。
こうした批判がなされたのも、やはり科学の中からでした。
(科学以外からの批判も、もちろんあったでしょうが。)
すくなくとも、進化学を発展させてきた科学者たちは、
じゅうぶん「責任」をはたしてきたと言えると思います。
進化学がこうした悲惨な歴史を持っていること、
そしていまでも、こうした危険思想と結びやすいことは、
少しばかり科学史をかじったかたなら、みな知っていると思います。
(ここに集まっていらっしゃるかたたちも、わたしよりずっとよくご存知でしょう...)
これからも、進化学が、かかる誤用や悪用に援用されそうだと思ったら、
(ここに集まっているみなさまがたも含めて)痛烈な批判や反対をすることと思いますよ。
>アインシュタインの相対性理論は原爆を生みましたがそれをもって相対性理論を否定することはできません。相対性理論は社会のユートピア化に多大な貢献をするだろうと思うからです。でも何度もいっているようにダーウィン進化論は人間を人間扱いしないことを正当化する理論です。
1.何をもって「進化論は人間を人間扱いしないことを正当化する理論」だと主張されるのでしょうか?
2.進化論は、遺伝子治療という応用だけでも、この世にユートピアを実現しつつありますが、あなたはなぜ、相対性理論を認めて進化論を認めないのでしょうか?少なくとも進化論はキリスト教や原爆ほどには...(以下自己規制)。
老婆心ながら、...ここへのレスを思い切りさぼってもいいですから、まずは進化論の本を2,3冊読んでから発言した方がいいと思いますよ。
たぶんここの皆さん、切にそう願っているんじゃないか、と...(^_^;)
つまんないレスで私一人で掲示板を独占するのは悪いんですが付け足します。
>この渡部昇一なる人物がどのように科学会で仮説を提示し、それが科学知識として検証され、評価されたのかをも自分の目で確認し、例として提示されましたか?
そのどれも実践してません。私が渡部昇一氏についていえるのは彼が専門が英語であって歴史書など色々な本を出しその主張も的を得た尊敬すべき人物だというだけです。
>それとも自分に都合の悪い情報は、敢えて見ないのですか?
そんな考えはありませんが、自分のなかで「これは間違ってる」と既に結論の出てるダーウィン進化論のような理論には興味ありません。私が「新版図説種の起源」「盲目の時計職人」を課題図書にしてるのは皆さんに近づくためです。今日図書館で「新版図説種の起源」と「創造論の世界」をリクエスト(図書館同士で相互貸借をして、自宅から遠くにある図書館の本でも読めるようにしたサービス)してきました。
ヘルメス☆さん、私はあなたの名前の由来の方に興味があります。ヘルメスというのはギリシャ神話ではゼウスの子供ですよね?ヘルメスといえばヘルメス文書なるものがあります。ネットで調べられるとでてきます。幸福の科学ではヘルメスといえば大川隆法先生の過去世(転生輪廻)の一人といわれています。
>人の話を理解する気が無いなら最初っから議論なんかしようとしなさんな。
皆さんのレスには全て目を通してます。理解する気はあります。ただ進化論は間違ってると主張したいだけです。
>権力者は自分の都合の良い主張を補強するために科学知識を利用しますが、科学は単なる知識体系です。それに意味を見出そうとする、宗教的、思想的、政治的な役割を与えようとするのは人間(権力者)の勝手であって、科学が人間を操るわけではない。
履き違えてもらっては困ります。
アインシュタインの相対性理論は原爆を生みましたがそれをもって相対性理論を否定することはできません。相対性理論は社会のユートピア化に多大な貢献をするだろうと思うからです。でも何度もいっているようにダーウィン進化論は人間を人間扱いしないことを正当化する理論です。それは白人優位主義が有色人種に対してやったことが証明しています。科学理論と社会の関係は切っても切れないのです。あなたのいうこともわかりますが、科学者側のいいわけにすぎません。社会のユートピア化に反する地獄界建設理論は天上界が存在を許さないでしょう。科学者も含めた全ての思想家、学者には自分の発表する理論に対し責任があります。その責任は自分の理論が地獄をつくった場合にはこの世かあの世で責任をとることになります。これからは自分が発表する理論の社会的影響をある程度予想して(それができるなら苦労はないかも)発表するべきだと思います。
マルクス主義はソ連と中国と北朝鮮という三大国家を作りましたが、そのどれもマルクス主義が間違ってることを証明しました。しかしマルクス主義者は未だにマルクス主義を弁護します。私にマルクス経済学を教えた教授は「マルクスが予定していた社会主義国家はソ連のように革命でできる国家ではなく、資本主義のあとにできる国家だ。それがロシア革命を起こした人にはわかっていない。」とあくまでもマルクスを弁護してました。私にはあなたやNATROMさんの主張がその教授の主張と同じにならないことを祈りますが?
それから私が引用したサイトへのあなたのレスですが、私はサイトの趣旨をちゃんと理解してますよ。私にはこのサイト作成者の主張「進化論は悪用されただけだ」はただのいいわけにしか聞こえません。自分の主張を証明するために引用させてもらっただけです。
これで以上です。
皆様私のような浅学なものの主張に対し丁寧にレスいただき、ありがとうございます。com様のいわれるとおり皆様のレスに対し誠実にレスしたいと思います。しかし話の腰を折りたくないので最近の投稿にまずレスしたいと思います。
仏教を信じる者様はじめまして
>私も聖書は持ってますが、聖書には、非科学的なところが随所に見られます。
例えて上げるなら、地動説に対する猛烈な反対です。
仏教を信じる者様は教会がガリレオを宗教裁判にかけた動機は何だと思いますか?私にはわかりません。聖書に天動説が書いてあったとでもいうのでしょうか?それならわかります。結局教会の人間はキリストやモーセと違って不完全な人間にすぎないということです。
>進化論は、未だ仮説の域である
ここのサイトにも「進化論は今の時点で正しいとされる仮説にすぎない」という人がいます。仮説にすぎないならそれを学校で教える際にも「これは今のところ仮説にすぎない」と前置きするべきだと思いませんか?そして創世記の記述、創造論の主張も教えるべきです。そうでないと不公平です。どちらをとるかは各人の判断問題です。
>いったい科学で、どれくらいのことがわかっているのでしょう?
宇宙の全てが、わかっているのでしょうか?
答えは、否。
現代科学では、宇宙の全てなんてわかるはずがありません
現代科学では「宇宙は偶然ビッグバンによって生まれた」と主張してます。私は「それなら宇宙が生まれる前はどんな状態だったんだろうか」と自分なりに考えて結論を出したことがあります。それはここでは割愛します。リクエストがあればいいますが・・・もう古い話なのでよく覚えていなくてうまくいえないかもしれませんが・・・この宇宙創生についてのテーマは創世記の天地創造のテーマ、ヨハネの福音書冒頭のテーマでもあります。大川隆法先生の「太陽の法」のテーマの一つでもあります。ルドルフ・シュタイナーの「アカシャ年代記より」には天地創造の頃のことはふれられていないようですが、創世記、太陽の法と同じくらい古い時代のことがかかれてあります。
しかし、ヨハネの福音書はともかく「創世記」の天地創造の話、「太陽の法」「アカシャ年代記より」の記述は相互に矛盾します。これはどれかが間違っているのではないのだという仮定に従って考えるなら天地創造の時に実際におこった事実というものは禅でいう不立文字、文字で書き表せないことが実際には起きたのであって、実際に起きたことを我々不完全で悟り幼きものたちにもわかるように「加筆訂正」して書いたのだと思います。創世記と現代科学の主張に隔たりがある理由はこれで説明できます。現代科学は文字で書き表せない形而上の問題に挑戦している最中なのだと思います。文字で書き表せないものを表現するために数学があるのだと思います。これでも天地創造を語るには不十分かもしれません。
Kosukeさん弁護してくださってありがとうございます。浅学な私と博識で理系系統には特に強い皆さんとの議論は私には不利で荷が重いです。
>現代科学では、宇宙の全てなんてわかるはずがありません。
そりゃそうです。人間のすることでから。神でも仏でもない人間に宇宙の全てなんてわかるはずがありません。「私にはわかるのだ。科学的に考察したのだから。」とか「私にはわかるのだ。神の声を聞いたのだから。」なんていう人がいたら眉につばをつけるのが正常な精神というものでしょう。
仏教を信じるものさん、はじめまして。
>でも、地球は、太陽の周りを回っているということが、明らかな真実でしょう。
>進化論も、それが明らかな科学的事実と認められるまでは、聖書信仰者は認めないでしょう。
地動説は、科学的に最も確かそうな仮説というのが正しい認識だと思います。私にとっては、地動説と進化論は同じくらいの確実性を持つ科学的仮説です。事実、まともな科学者でこれらの仮説を疑っている専門家はいないようです。
>進化論者は、それを明らかにする方向へ働きかけることが、勤めではないでしょうか。
数多くの入門書やテレビ番組による啓蒙活動はすでに行われています。生物学者は論文という形で研究内容を報告しています。この他に、どんなことをすればいいのでしょうかね。
>現代科学では、宇宙の全てなんてわかるはずがありません。
どうも私は、こうした物言いにひっかかるんですよ。ではどうすれば宇宙の全てを分かるのでしょうか。オカルトですか?大川隆法ですか?
現在の科学はまだ不十分にしても様々な分野で成果を上げていますし、かなりイイ線いっていると思っています。もっともケルビン卿の例もありますから、こうした言動は慎重である必要があるのかもしれませんが。
>科学信仰や科学万能主義に、私は反対します。
私も反対ですし、ここの管理人さんも反対しています。
http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/scientism.html
(↑嬉しいことに、私の投稿文が引用されています)
この世は仮の世さん。返信ありがとうございます。
当方の返答は明日までお待ちいただけますか。
#これより銀英伝Zでバーチャルな世界へ出航するので。
皆さん、はじめまして。
偶然、この掲示板にたどり着き、おもしろそうなので、私も何か投稿してみようと思います。
皆さん色々と論議しているようですが、私なりに、進化論と創造論について意見を述べます。
まずは、創造論について。
私も聖書は持ってますが、聖書には、非科学的なところが随所に見られます。
例えて上げるなら、地動説に対する猛烈な反対です。
現代科学では、地動説が事実で、天動説が謝りなことくらい、周知の事実ですが、ガリレオがキリスト教会に異端審問にかけられたことは、有名な話です。
聖書信仰者は、聖書に書かれてることが、絶対で真実だと思っているのでしょうか、明らかな科学に対しても頑固に認めようとしませんね。
でも、地球は、太陽の周りを回っているということが、明らかな真実でしょう。
進化論も、それが明らかな科学的事実と認められるまでは、聖書信仰者は認めないでしょう。
進化論者は、それを明らかにする方向へ働きかけることが、勤めではないでしょうか。
次に、進化論に対する批判を試みてみましょう。
進化論は、未だ仮説の域である為、その是非については、私の意見するところではありません。
私にできることは、科学全般に対する批判です。
科学の限界を明らかにする事、それが私にできることです。
いったい科学で、どれくらいのことがわかっているのでしょう?
宇宙の全てが、わかっているのでしょうか?
答えは、否。
現代科学では、宇宙の全てなんてわかるはずがありません。
科学信仰や科学万能主義に、私は反対します。
以上で、簡単ですが、進化論と創造論の批判を終わります。
そういう私自身は、仏教を信じる者です。
和光大学の岸田秀という《心理学者》が
人類の起源はアフリカでルーツは黒人であり、白人種は黒人のアルビナで被差別種族として黒人に差別され、ヨーロッパに渡っていった。そこで人種としての形態を獲得した・・・。
と言うような「説」を聞いたことがあるのですが、私はアフリカのアルビノが「白人種」のルーツなどとは信じられません。アルビノと白人のメラニン色素の含有量がちがうし、アフリカの地理的条件でアルビノが生存出来ると考えにくいからです。
詳しくご存じの方がいたら、この辺如何思いますかお教え下さい。
NATROMさん有り難うございました。
NATORMさんご紹介の「はじめての進化論」の該当ページ、改めてじっくりと読んでみました。
科学理論と社会との関係って、本当に悩ましいですね。中立論を提唱したことで、進化のメカニズムの解明におそらく日本人としては最高の貢献をした(と個人的に思っている)木村資生の優性論に関する主張は、自然主義的誤謬をある意味意図的に犯そうとする立場の人に悪用されやすいものなのですね。
この世さんは、進化論は人々から信仰を奪う悪い理論だと主張する。それに対して、それは科学理論の悪用:自然主義的誤謬であって、ダーウィンの進化論の罪ではないと主張するのは、正当な弁解だと私も思います。不幸なのは、この世さんが進化論を正しく理解していない為に、氏の主張が全て的外れだと受け取られてしまうことです。(実際、氏の事実認識と主張の手法は全くダメダメで、彼を弁護する事は大変困難です)
しかし倫理観や道徳観から科学理論は中立だといくらか科学者が主張しても、誤解されやすく悪用されやすい危険性を孕んでいるのは厳然とした事実です。もちろんそれは【科学理論】の罪ではない。しかしその理論を紹介する我々一般人、マスコミ、為政者そして科学者の罪になるケースは充分ありうることです。
このような観点に立ったとき、この世さんの言い分に耳を傾ける価値が全く無いとは言えないと思います。願わくば氏がきちんと本を読み、人々の主張に耳を傾け、御自分が攻撃すべきは一体何なのかを正しく認識された上で、改めて議論を展開される事を望むばかりです。どうか立派な「地下生活者」になって欲しいものですね。
この世は仮の世さん。
はじめまして、ですが、人の話を理解する気が無いなら最初っから議論なんかしようとしなさんな。
自分が指摘したように、「倫理や常識は科学議論とは無関係」という趣旨でtemaさんにも返しています。
権力者は自分の都合の良い主張を補強するために科学知識を利用しますが、科学は単なる知識体系です。それに意味を見出そうとする、宗教的、思想的、政治的な役割を与えようとするのは人間(権力者)の勝手であって、科学が人間を操るわけではない。
履き違えてもらっては困ります。
紹介されたサイトから引用しますが。
「資本主義と帝国主義の全盛期であった19世紀半ばに誕生したダーウィン進化論は、資本家による摂取と、欧米列強による植民地支配を弁護する社会進化論として利用された。
ダーウィンの進化論は生存競争を認め、富を手にした成功者を最適者として肯定する役割を果たしたんだ。」
つまりこれは、「資本家による搾取と欧米列強による植民地支配に対する単なる理由付け」として科学知識を“悪用した”に過ぎません。
自分が指摘したように、「科学を自分にとって都合の良い考え方を補強するために(特に歪められて)利用される」という典型的な例ではありませんか。
この程度の文章の真意を読み取れる程度に国語は勉強してください。
あと、意見や情報を引用するならば、それがどの程度、社会的に、科学的に検証されているかどうかをも検証しなければなりません。
この渡部昇一なる人物がどのように科学会で仮説を提示し、それが科学知識として検証され、評価されたのかをも自分の目で確認し、例として提示されましたか?
それとも自分に都合の悪い情報は、敢えて見ないのですか?
始めから理解しようという意思も姿勢も無いならば、議論など無意味です。
他人の褌で相撲を取り続けようとしても時間と労力の無駄です。
アメリカンNINJAさん、ようこそ。社会ダーウィニズムに関してお勧めできる情報は、河田雅圭著、はじめての進化論の「社会の中の進化論」という章はどうでしょうか。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page27.html
この世は仮の世さんにも是非読んで欲しいページです。進化論を用いて差別や植民地支配を正当化しようとした馬鹿がいたことは事実ですが、それは誤り(自然主義的誤謬)であって、現代の多くの進化論者はそのような馬鹿とは異なります。何度も指摘されているように、自然科学上の仮説が正しいかどうかの判断基準は、証拠と合致するか否かであって、道徳的かどうかとは無関係です。非倫理的なのは、進化論そのものではなくて、進化論を用いて差別を正当化しようとすることです。
差別を正当化することに利用されるからよくない、と仰るのであれば、進化論より先に、まず聖書を批判するべきです。黒人奴隷の例が挙がっていますが、黒人奴隷を使うことを正当化するのに聖書は利用されました。たとえば「未開のアフリカで聖書を知らずに行きていくよりは、キリスト教の教えを知る機会をもらったほうが彼らのためになる」といった理屈です。こうした理屈で黒人を差別した馬鹿がいたからといって、「聖書は間違っている、非道徳的だ」と言われたら、この世は仮の世さんはどうお考えになりますか?この世は仮の世さんが進化論に対して行っているのは、これと同じ事です。非倫理的なのは、聖書そのものではなくて、聖書を用いて差別を正当化しようとすることでしょ?
さすがに現代では聖書を根拠に黒人差別を行う人はまれでしょうが、男女差別や同性愛者差別は散見されます(ウソだと思ったら根本主義的なキリスト教の掲示板で、「同性愛者にも権利がある」といった発言をしてみよう)。「本当の愛」をわかっていらっしゃる幸福の科学の信者は、男女差別や同性愛者差別に関してはどうお考えでしょうか。
植民地主義を肯定化する理論はダーウィン進化論だったということです。同じことを誰かも言っていたのを記憶してます。渡部昇一だったかな?ダーウィン進化論の論理的帰結は植民地主義ということになります。以下は私の見つけたサイトからの引用です。
>資本主義と帝国主義の全盛期であった19世紀半ばに誕生したダーウィン進化論は、
資本家による摂取と、欧米列強による植民地支配を弁護する社会進化論として利用さ
れた。
ダーウィンの進化論は生存競争を認め、富を手にした成功者を最適者として肯定する
役割を果たしたんだ。
異民族支配を支えた選民思想は、適者生存という科学的命題にすり替えられてしまっ
たんだね。
この引用は以下のサイトからのものです。
http://www.phoenix-c.or.jp/~daichi-m/yamaneko/vol.68.txt
私が黒人奴隷を持ち出したのは人間が人間を人間扱いしなかった例を挙げたかっただけだからです。ちなみにキリスト教からも黒人奴隷に反対する動きはあったようです。以下のサイトから見つけました。黒人奴隷の時代はまだ進化論は出ていなかったでしょう。トトロ様も指摘していたと思います。
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/040225Blacslave.html
黒人奴隷の場合は極端な例ですが、ダーウィン進化論は人間を人間扱いしない理論です。その思想的影響は進化論を信じる人たちの日常生活に誰も気づかない形で現れていると思います。ほかの人たちの反論にも反論したいので少々お待ちを・・・
ちなみに植民地主義を肯定する理論もあったと記憶してます。それが何かは忘れました。この次に調べます。では
素晴らしいホームページに辿り着きました。
わたし「社会ダーヴィニズム」に興味があります。
誰か、その辺のことをご教授頂けませんでしょうか・・・
>太陽の法
>大川隆法
ってあの「幸福の科学」の主催者さんの事でしょうか ?
「ワレ、エル・カンターレである」とか言う人ですよね・・・・・・・・・・・・・はぁ、
>>これを称して「信仰を持ってない人々から信仰を奪ってる」というんです。
>あなたの妄想です。
うーん。
そりゃ世間には、進化論を正しいと考えているキリスト教信者もいるでしょうが、進化論以前の時代と比べて、キリスト教をまるごと信仰しにくくなっている、というのは事実なんじゃないでしょうか? 統計的根拠とかは私も出せませんけど。
たとえば、大川ナントカいう人の昔の本に予言らしきものがいっぱい書いてあって、今見てみるとそれはボロボロに外れてる。それ見たら、私だったら、「なんでこんな虚言屑を信じてる奴がいるんだ?」と単純に思います。たとえそれ以外の部分に、どんなにいいこと(って何だ?)が書いてあってもです。
もしかすると予言の部分は寓話的な御伽噺なのかもしれないし、解釈によっては正しいと言えるのかもしれない。だから両立は可能なのかもしれませんが、両立「しにくい」とは思います。最初から御伽噺だと断ってあったんならともかく、(科学的にも)真実であるかのように言ってたことがそうでないとわかったら、残りの部分も信じられなくなるのが人情ってもんです。
でも疑問なのは、科学が聖書の記述を(科学的に)否定しているのは別に進化論に限ったことではないのに、この世は仮の世さんは、ひたすら進化論(それも人間の進化に関する部分だけ)を敵視している、ということです。
自分が猿の親戚だったら、そんなにイヤなのかねえ。
進化論が道徳的によくない、という主張に関しては、私はもう2回反論しました。他の人からも同じ反論が出ています。
「黒人を奴隷にしていた人達は進化論者だったのですか?」と。
全部無視されてますけどね。
こちらではまだ放送してますね〜。メキシコのUFOの映像。凄い迫力。きゃは。
http://abclocal.go.com/kabc/news/video/051104_flying_objects.html
>そのようなデータはありません。
でしょうね。
>でも私の周り、この掲示板に集まる人々を見る限り
>宗教の話と聞いただけで距離をとられる人たちばかりだと思います。
単に、幸福の科学信者や切支丹ではないからでは?
自分の信仰していない宗教に興味がなくても不思議はありませんし、興味がない話には距離をおいても不思議はありません。そして、幸福の科学信者や切支丹でない人がいることは、別に進化論のせいではありません。
>「創世記」「太陽の法」「アカシャ年代記より」を読んでも
>進化論と違うからこれはでたらめだと思う人が大半でしょう。
>これを称して「信仰を持ってない人々から信仰を奪ってる」というんです。
あなたの妄想です。
宗教の聖典に対して、「科学的に間違っているからおかしい」などという人がいれば、それはその人のほうがおかしいです。そして、この掲示板で発言している主だった進化論支持者は、そんなあほなことは言わないでしょう。
以前この掲示板で、「聖書は科学と矛盾するからおかしい」と発言したアンチ切支丹がいたのですが、他の方(主だった進化論者)から「宗教の聖典に対して、科学を用いておかしいかどうか判断するのは間違っている」という批判が浴びせられました。これを見れば、この掲示板で発言している主だった進化論者が、「聖書は進化論と違うからこれはでたらめ」などとは思っていず、逆に、「宗教の聖典に対して、『進化論と違うからおかしい』というのは間違っている」と思っていることがわかります。
私は聖書がただの御伽噺であり真実ではないことを知っていますが、それは別に科学的に間違っているからではなく、自身の信仰によるものです(神道原理主義者は、この地が国産みによって生まれたことを知っていますから、必然的に聖書の創世記が真実でないことを知っていますが、それと同じような理由ですね。私は神道原理主義者でなく、古事記もまた、ただの御伽噺であり真実でないことを知っていますが。)。誰かが、「創世記の記述は真実でない」といえば「そうですね」と答えるでしょうが、「なぜなら、科学的に間違っているからだ」などといえば、「宗教の聖典の記述を『科学的に間違っている』などという理由で『真実でない』と判断するのはおかしい」といいます。
>天動説と地動説が対立した歴史、創造論と進化論が対立している歴史を考えてください。
進化論と創造論が対立していると思っているのは宗教の側だけです。
科学の側は、創造論が聖書的に正しいことになんの異もとなえていません。
宗教の側が、進化論が科学的に正しいことに異をとなえているだけです。
つまり、宗教の側が勝手に突っかかっているだけです。
>ダーウィン進化論は神の眼から見て間違っていると・・・
この世は仮の世さんにはとても意外なことかもしれませんが、実は、科学は「神の眼から見て間違っていてもなんら問題ない」のです。だから、科学理論に過ぎない進化論を「神の眼から見て間違っている」と言っても、「それがどうかしましたか?そんなことはどうでもいいです」と言われて終わってしまいます。(進化論は真実であるという信仰を持っている人が、その信仰に基づいて反論するかもしれませんが、それは科学上の論点ではなく、信仰上の論点です。)
「神の眼から見て間違っていてもなんら問題ないもの」に対して「神の眼から見て間違っている」と指摘しても、何の意味もありません。
>>6>進化論がおかしいと主張したいのなら、おかしいと思うところを論理的に書き込めばよいのです。
>進化論についていいたいことはいったのでこれ以上いうことはありません。私は2回いいました。ダーウィン進化論は神の眼から見て間違っていると・・・ダーウィン進化論について今迄述べた以上に論理的につっこむことはできません。
もういちどお皿の上の3個のおまんじゅうのお話です。
「論理的」に書き込む、という言葉の意味は、
「誰が見ても、お皿の上には、3個のおまんじゅうが、載っています。」
「ところが、進化論の本には、4個のケーキが載っている、と書いています。」
「したがって、進化論の本は間違っています。」
と、例えばこのように「立証」することなのです。
このように、「現実」と「理論」との食い違っているところを明確に示すことを、「論理的に」書き込む、というのです。
それをしないで、「進化論は間違っている!」と、2回言っても、そもそも、
「進化論が言ってる「ケーキ」は実際には「ゆで卵」だ。」とあなたが言いたいのか、
「進化論が言ってる「4個」は実際には「8個」だ。」とあなたが言いたいのか、
さっぱり分からないのです。
(ちなみにこの2例では、進化論も、「あなた」も、間違っている...。)
進化論の記述の、「どこ」が、「どう」間違っているかを、言ってください。
1>>進化論も創世記も生命はどのように誕生したのかという同じテーマを説明しています。
これは私の失言です。大文字ナンさんが指摘していたことですね。進化論について同じ説明をさせてしまいました。すいません。私がいいたいのは・・・カール・セーガンがTV版COSMOSでいっていたことですが、「生命はDNAのスープから発生した」と発言しました。これなどはダーウィン進化論が正しいことを前提に出てきた発言だと思います。ダーウィン進化論が発展した結果ですね。
「科学も創世記も生命はどのように誕生したのかという同じテーマを説明しています。」と訂正したいと思います。訂正になっているかな?まあいいか・・・
2>なぜ我々が、この世は仮の世さんが考えるところの「愛」を理解しなければいけないのか?
私が理解しろとどこでいいましたか?思い当たる節がありません。
>「愛」の解釈について、多様性を認められないのか?
勝手に解釈したらよろしいと思いますが?
3>信仰を持ってない人々から信仰を奪ってる」と主張するのなら、それを裏付けるデータ、元参照(文献をどこから引っ張ってきたのか)の明記してください。
そのようなデータはありません。でも私の周り、この掲示板に集まる人々を見る限り宗教の話と聞いただけで距離をとられる人たちばかりだと思います。「創世記」「太陽の法」「アカシャ年代記より」を読んでも進化論と違うからこれはでたらめだと思う人が大半でしょう。これを称して「信仰を持ってない人々から信仰を奪ってる」というんです。
4宗教と科学は客観的にライバル関係といえる。という主張について
天動説と地動説が対立した歴史、創造論と進化論が対立している歴史を考えてください。私はこれ以上いえませんが・・・
5私の発言、「宗教と科学はライバル関係にあるといったらそれに対して「科学の側ではそう思ってない」という反論がありました。」から「進化論の場合は科学者が間違っているわけです。」迄の発言・・・
この発言は天動説と地動説の対立、創造論と進化論の対立をふまえて発言したものです。ニュートンのような科学の父といわれる偉人とキリスト教文明の生みの親イエス・キリストが二つの説の対立の時期に生まれていたらこれらの問題はすぐに解決したと思います。ニュートンとキリストに比べればガリレオを裁判した教会側の人間も進化論を支持する科学者も小人の悟りしか持ち合わせておりません。私にはこれ以上の解説はできません。
6>進化論がおかしいと主張したいのなら、おかしいと思うところを論理的に書き込めばよいのです。
進化論についていいたいことはいったのでこれ以上いうことはありません。私は2回いいました。ダーウィン進化論は神の眼から見て間違っていると・・・ダーウィン進化論について今迄述べた以上に論理的につっこむことはできません。
ただ、ダーウィンとウォレスという二人の人間が同時期に自然選択説を述べたということはこの説自体に問題はなかった可能性はあります。ただダーウィンの問題は人間にもこの説を適用したことにあると思います。即ち、人間以外の動物は自然選択によって変化したが、人間は最初から人間であった。という説を天上界はよしとしていた可能性があります。でもダーウィンの自然選択説に対し「ダーウィニズム」という命名をしたのがウォレスという話なので、ウォレスの自然選択説はダーウィンのものとは違うのかもしれません。
7私の発言>今のところは自分の宗教的信条に従って発言するだけです。
私が今やってる進化論批判は自分の宗教的信条を武器としていってるだけということです。「新版図説種の起源」「盲目の時計職人」を読めば私の考えも変わるかもしれません。そうなると私の今後の主張も変わります。
私からのレスは以上です。これで納得いただけるといいのですが・・・
不足でしょうね
この世は仮の世さま
ニュートンの「私は仮説を作らない」は、
「重力が離れた物体のあいだで働くというなら、その原因はなんだ?」
というデカルト派の抗議を受けてのものだったと思います。
ニュートンの時代にそれをいくら追求しても、実験も観測もやりようがないので、
確かめようがなく、らちがあかないだけでしょう...
(20世紀の場の理論で、ようやく逆2乗の法則が導かれたのだと思ったけど...)
そうした、根拠を求められず検証ができない(当時の知識や技術で)ことを、
憶測だけであれやこれやと説明をつけても、建設的ではない、
そう考えて「仮説を作らない」と言ったのではないかと思います。
http://www.geocities.jp/koike6378/comments/a80.html
(だから、仮説=検証のしようのない推測、というニュアンスであって、
わたしたちがふつうに使っている「仮説」とは、意味が同じではないと思います。)
ダーウィンの進化論は、そう考えるだけの根拠が
じゅうぶんあった上での学説で、実証的な結論だったと言えるでしょう...
だからニュートンの、「仮説を作らない」の意味での「仮説」ではないはずですよ。
かくり 様へ
>メキシコ空軍がUFOを撮影したとの報道。あなたはこのニュースのUFOを本物だと思いますか?
YES!
>いっちゃあ悪いが,この世は仮の世さんの話は飽きた.
YES!!
>進化論ぐらいで自分の道徳観が崩れる人は,元々崩れた道徳観を持っている人よ.そう言われて腹が立つなら道徳観を磨き直せ,と言うしかない.
YES!!!
>ちょっと気分転換に
>Yahoo!でけったいな記事?が載っていたので(リンク先参照のこと)
NICE!!!!
>いやUFOとは「未確認飛行物体」という意味だから.
>まだ確認が出来ていない物体ですか?と聞かれたら「そうじゃないの?」というしかないでしょう?
YES!!!!!
>『メキシコ空軍がUFOを撮影したとの報道。これはフライングソーサーだと思いますか?』
YES!!!!!!
>http://polls.yahoo.co.jp/public/archives/589121557/p-topics-1?m=r
VIVA!!!!!!!
私は知性の高い人と語り合いたいです!
鷲尾より
論理的に進化論に戦いを挑みたいのでしたら、英語のサイトですが、下のところを推薦します。
http://www.reasons.org/index.shtml
ここにはおよそありとあらゆる、進化論への反論が記載されています。あなたならきっと気に入ると思いますよ♪
残念ながら進化論に反論する日本のサイトには(ここと比べると)読むに耐えられるものは(私は)見たことがありません。(ただし、内容が科学的にどの程度まともかダメダメかは、あなたが判断してくださいね...。)
斉藤さんも、「滅びの書だ!」とか、論理性も説得力も全くない、聞き苦しいだけのことを言っている暇があるのなら、このページの日本語ミラーサイトでも作ればいいのに...。
(なお、上記サイトの記事への反論を読みたければ、
http://www.talkorigins.org/
を見れば良いです。
ボクに翻訳の能力と十分な暇があれば、このサイトの日本語ミラーサイトを作りたいのですけど...。)
com様、できる限り答えますのでもう少し待ってください。忙しいので失礼。
さっきの引用は新潮文庫版のP50にゃんな
さて、酒の入っている僕は、いまふつふつと原点回帰なのだにゃ
やっぱり二二が四は気にくわーーーーーーーん!!!!
そういうわけで、二二が四反対同盟の結成をここに宣言するにゃ。
しかし、松原クンや斎藤クンには同盟員たる資格はにゃーぞ。
この同盟にはいるものは、二二が四の正しさを骨の髄まで知っていなければならにゃーからだ
しかし、よく考えてみれば、諸君、二二が四というのは、もう生ではなくて、死のはじまりではないのだろうか? 少なくとも人間は、なぜかいつもこの二二が四を恐れてきたし、ぼくなどはいまでもそれがこわい。なるほど、人間は、この二二が四を見いだそうためにこそ、大洋を横ぎり、その探求のために生命を犠牲にしているかもしれない。しかし、ほんとうに捜しあてること、発見することは、断言するが、何かこわがっている様子だ。いったん発見してしまったら、もうそのときは何も捜すものがないことを、直感で悟っているのかもしれない。労務者なら、一仕事終えれば、少なくとも金がもらえて、居酒屋に出かけていき、その後で警察のご厄介になる。これで、まあ、一週間はつぶせるわけだ、だが、人間はどこに行けばよい? 少なくとも、そうした目的が達せられるたびに、人間はどこかきづまりばところを見せるようだ。人間は到達を好むくせに、完全に行き着いてしまうのは苦手なのだ。もちろん、これは、おそろしく滑稽なことには相違ないが。要するに、人間は喜劇的にできているもので、このいっさいが、とりもなおさず、語呂合せの洒落みたいなものなのだ。しかし、それにしても、二二が四というのは鼻持ちならない代物である。二二が四などというのは、ぼくに言わせれば、破廉恥以外の何物でもない。二二が四などというやつが、おつに気どって、両手を腰に、諸君の行く手に立ちふさがって、ぺっぺと唾を吐いている図だ。
>2.ユングの思想の基底にあるのはテレオノミーであるにもかかわらず訳者の林氏がこれを テレオロジー的に解釈している為に妙な物になっているのではないか(これに対しては小生はコメントする言葉をもちませんが、そんな勘違いをやって訳文がクシャクシャにならずに成立するもんなんでしょうか?)
これは多分僕の舌足らずだにゃ。
「ユング思想の真髄」「ユング心理学の方法」などは、林センセイの著作なのだにゃ。
そこに書かれているのは、林センセイの理解したユング思想なりユングの方法論にゃんね。そこで、繰り返し、目的論的な記述があるのが目につくのだにゃ。林センセイの理解は、少なくともユング自身の著述と「目的論」の重さについては大きな差があるとはいえますにゃー。
>>(P48に、テレオノミーを「種族維持的合目的性」などと記述してあるのはご愛嬌にゃんな
>これテレオノミー(誤)→テレオロジー(正)タイプミスでしょ(ニコッ)
いや、これはミスではにゃーのだ。
ローレンツは進化の主体は「種」であると考えていたのだにゃ。この辺は時代の制約を感じるにゃ。
さて、ご指摘の通り後半の論理はすっとびまくってますにゃ。
ローレンツの「世界像装置」とユングの元型の概念としての近さまでは、両者の著作を丁寧に引用しておっていけば理解がえられるとは思うのですけどにゃ(実にめんどいけど)。
さらにその後の記述は、とりあえずタワゴトと思っていただいて結構だにゃ。よいレトリックが見つかったら書くつもりですにゃ。
>「私は1+1が2であることが気に入らない」と言ったところで、「興味ないからどうでもいいです」と言われて終わりです。
>このあたりの心理は私にはわかりかねるところなんですが、地下に眠るMさんは何かわかるところはありますか?
この辺については、ドストエフスキーが徹底的に考察しているにゃ。
以下は、ドストの「地下室の手記」新潮文庫版より引用
*******************************************
たとえば、人間の先祖は猿だという証明をつきつけられたら、四の五の言わずに、あっさりとそれを認めるしかない、ということだ。またきみにとって、きみ自身の脂肪の一滴は、本質的には他人の脂肪の数十万滴よりも貴重なものであるはずだから、したがって、いわゆる善行とか義務とかいったさまざまな妄想や偏見も、結局のところはすべてそこに帰着するのだ、と証明されたら、やはりそのまま認める、ということだ。これはもうどうしようもない。だからこそ、二二が四は-------数学なのだ。へたに反論でもしてみたまえ。
「とんでもない」と、たちまちどやしつけられるだろう。「反抗は無駄ですよ。なぜって、これは二二が四なんだから! 自然がいちいちきみにお伺いをたてるもんですか。自然は、きみの希望がどうだろうと、その法則が君の気にいろうと、いるまいと、知ったこっちゃないんですよ。きみは、自然をあるがままに受け入れるべきで、当然、その結果もすべて受け入れるべきなんですな。壁はとりもなおさず壁なんだから……云々」
これはしたり、いったいその自然の法則だの数学だのが、ぼくになんのかかわりがあるというのか? なぜか知らぬが、ぼくにはそんな法則だの二二が四だのはさっぱり気にくわないというのに。むろん、ぼくにはその壁を額でぶち抜くことはできないだろう。もともとぼくにはぶち抜くだけの力もないのだから。しかし、だからといってぼくは、そこに石の壁があり、ぼくには力が足りない、というそれだけの理由から、この壁と妥協したりすることはしないつもりだ。
それではまるで、そういう石の壁がほんとうに安らぎであり、ほんとうにそこに平和の保証めいたものが含まれてでもいるようではないか。しかもその理由たるや、それが二二が四であるというだけのことにすぎないのだ。ああ、なんというばかばかしさだ!
P19〜20
ところで人間が、そんな突拍子もない夢想やら、あさましいばかりの愚劣さに必死でとりすがるのも、ただただ、人間がいまだに人間であって、ピアノの鍵盤でないことを、自分で自分に納得させたい(まるでそれが絶対不可欠事ででもあるように)、そのためだけにほかならないのだ。なるほどこの鍵盤をたたくのは自然の法則おんみずからにはちがいないが、へたにたたきすぎをやられると、カレンダーなしには何ひとつ欲求することもできなくなる恐れがあるのである。いや、まだまだある。人間が本当にピアノの鍵盤であったとして、それが自然科学によって数学的に説明された場合でさえ、人間はそれでも正気にかえることができず、わざとすねてみせるにちがいない。そしてこれが、やはり恩知らずの気持ちからだけであり、つまりは自我を主張したいためばかりなのだ。もしもそのために適切な手段がないとすれば、破壊や混乱を考え出し、さまざまな苦痛を案出してまでも、なおかつ自我を主張するだろう! 世界を呪うことだってやりかねない。ところで呪うことができるのは人間だけだから(これは他の動物と人間をもっともはっきりと区別する人間だけの特権である)、どうやら、人間は呪っているだけでも目的を達することができる勘定になる。つまり、自分が人間であって、ピアノの鍵盤ではないことを、ほんとうに得心できるわけなのだ。
P46
******************************************
ちゅうわけで、いわゆるブンガク的な解説によれば、ドスト氏の創造したこの「地下生活者」は、西欧的な啓蒙主義に対する根源的な反対者であるちゅうことになっていますにゃ
こうした思考については、この「地下室の手記」の冒頭部を読めばそうとういろいろとわかると思うにゃ。
正直、僕はこの「地下生活者」の思想には多大な影響を受けてますにゃ。
だからこそ、チンケな地下生活者モドキは許せにゃーのだが
この世は仮の世様。
自分にとって都合の悪い質問を無視しないでください。
あなたの先の書き込み、「おずおず様へ」ですが、進化論どころか物理学の知識がないことも明らかになってしまっています。
あなたのような行動は、疑似科学的論法「相手を曲解し、否定する」の正に好事例です。やっぱり科学的な議論は無理ですか?
ひょっとして、この世〜さんは、自分の耳に聴こえの良い情報意外は調べようとしない人ですか?
僕を含めた他の方より質問がたくさん投げかけられています。お早い返答をお待ちしています。
>1+1は2ではにゃーと聖典に書いてある(と解釈している)んだから
>すべての真実は聖典により与えられているんだから、事実の吟味なんて何の意味もにゃーの
それはいいんですよ。現在の数学のペアノ公理系に基づく整数論において1+1の解は2ですが、これは単に数学的に正しいに過ぎません。「1+1は2ではない」と聖典に書いてある宗教があったとして、それを「数学的に間違っているからおかしい」という人がいたとしたら、その人のほうが間違っています。
だからといって、数学の本に対して「1+1の解が2になるのは間違っている」といってもどうにもならないでしょう。「ペアノ公理系に基づけば、1+1の解は2にならない」と主張するなら意味があります(正しいかどうかは別として)。そうではなく、「1+1は2でないと聖典に書いてある」とか「1+1が2だと道徳の崩壊をもたらす」といって、1+1が2であることに反対しても何の意味もありません。「私は1+1が2であることが気に入らない」と言ったところで、「興味ないからどうでもいいです」と言われて終わりです。
このあたりの心理は私にはわかりかねるところなんですが、地下に眠るMさんは何かわかるところはありますか?
RYU_TI_SYU 様
>※わしゃ、邦題にしたのは良かったと思っとる。
「ブラインド・ウォッチメイカー」ってサスペンス小説の題名?って思うのはワシだけ か?
そうはおっしゃいますが、「盲目の時計職人」だってディクスン・カーの名作ミステリ、「盲目の理髪師」(ま、これも原題はブラインド・バーバーなんだけど)の姉妹編に見えますよ。(ウチの近所の本屋の新刊コーナーに平積みになっていた。そんなに売れるんだろうか?)
この世は仮の世さん、こんにちは。
「進化論を否定する人は、なぜ進化論が誤りであると言うのか?」この疑問が、temaをこの掲示板に引きつける理由の一つです。実生活に於ける経験から、temaはこの疑問に対する一つの仮説を持っています。
ひょっとして、この世は仮の世さんは進化論が誤りであると、心で、魂で、「知って」いませんか?
「××という根拠により、進化論が誤りである」というのであれば、進化論が誤りであると「判断」していることになります。この場合、根拠を否定されれば進化論が誤りであるという判断が揺らぐはずです。
この世は仮の世さんが提示される根拠は「進化論は誤りである」という結論が先にあって、それに適合する根拠を示しているような印象を受けています。結論が先にあるから、根拠を否定されても「進化論は誤りである」という想いが揺るがないのではないでしょうか?
この世は仮の世さんの記述は、この世は仮の世さんの目からは、正当な記述と感じておられるのでしょう。なぜ他の人が共感しないのか、分からないことと思います。
他の人が共感しないわけは、心が、魂が、違うからだとtemaは思っています。他の人は「進化論が誤りである」と「知って」はいません。色々な根拠が先にあり、結果として「進化論は事実(の可能性が高い)」と判断しているのです。このため、根拠を否定しない限り「進化論は事実」という判断が揺るがないのです。
なぜ、進化論と信仰を両立できているかも分からないことと思います。
temaの場合、進化論を否定するような信仰を持っていないので想像ですが、「心や魂」と「脳」が分離独立しているからだと思っています。信仰は心や魂で感じています。しかし、それはそれ、これはこれ。進化論は心でなく脳で考えています。
この世は仮の世さんの中では、心や魂と脳が不可分となっているため、進化論と信仰を分けて考えることが出来ないのだと思います。不可分だからこそ、信仰により進化論を否定することができるのだと思います。
斉藤正郎様はじめまして
>男性アダムのあばら骨から女性イブが造られたのです。その事には深い意味があります
小生が幼稚園児だった頃、母親が愛読していた“暮らしの手帳”に載っていた、当時、まだ存命の花森安治の言葉が未だに印象に残っています(やっぱりうろ覚えなので大意)
「男と女は大部分が同じで、少しだけ違うところのある生き物である。男は二本の脚を交互に動かして歩いて前に進むが、女は両足を揃えてぴょんぴょん跳ねながら前に進むわけではない。男のあばら骨から女が作られたなどと言うのは聖書を書いたのが男だからだろう」
ま、深い意味っちゃ深い意味だわね 斎藤様が思っているのとは全然違うだろうけど。
地下に眠るM様
まあそれにしても、博識でいらっしゃいますね。とくに3.でローレンツを方便に持ってきたアイデアは、読者である、この掲示板の常連さんやROMしている方々への説得力を考えると中々秀逸で(なんてったってノーベル賞)、以前の過去ログでどなたかが言っていた「“神秘主義に陥るな”と注意されてからユングの解説書を読んだけどやっぱり神秘主義じゃねーか」みたいな事態を巧みに避けていると思います。
>1974年の著作にゃんが、ミームと同様のアイデアが見られるのは興味深いにゃんね。
このアイデア自体がミームになって、共に動物行動学という分野を切り開いたティンバーゲンの弟子のドーキンスに遺伝したということで了解
>(P48に、テレオノミーを「種族維持的合目的性」などと記述してあるのはご愛嬌にゃんな
これテレオノミー(誤)→テレオロジー(正)タイプミスでしょ(ニコッ)
その5,6行上も
>目立った辺か→目立った変化
tema様ではないが重箱の隅ほど美味しい
>ドストエフスキーが「意識とは病気である」といったとき、それは意識の目的論的志向性のことをいっていたのではにゃーかと僕は思う
わぁぁっ、最後まで読み通したのが大島弓子が漫画化した「罪と罰」(“ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコリニコフ”)だけしかない無教養な小生にはじぇんじぇんわからない!(泣)
地下に眠るM様
さすが、これ以上ないくらい噛み砕いて戴いた解説であっても、小生ごときには歯ごたえありまくりで…・・。
かろうじて小生のアルツハイマー頭でぼんやりと、論旨全体を見ると地下猫様の主張は以下であるように判断いたします(全然ハズレだったらごめんなさい)
1.テレオロジーとテレオノミーという二つの概念の紹介と解説
2.ユングの思想の基底にあるのはテレオノミーであるにもかかわらず訳者の林氏がこれを テレオロジー的に解釈している為に妙な物になっているのではないか(これに対しては小生はコメントする言葉をもちませんが、そんな勘違いをやって訳文がクシャクシャにならずに成立するもんなんでしょうか?)
3.ユング説で述べられる“元型”(地下猫様の以前の言明では“アートテクスチュア”?また“あの評判の悪い「集団無意識」”も同じ意味なのでしょうか?)は“トンデモ”ではにゃー。
ちゃんと進化論的由来もローレンツの「鏡の裏」(これの引用と解説が長いので一瞬「ユングは何処へ行っちまった?」と思いました)を方便に使って説明できるにゃ。
(ううっ、猫語は難しい!いつのまにか名古屋弁とごっちゃになるし)
1
>テレオロジーとテレオノミー
これは小生初めて聞いた言葉ですが、大変興味深く、又確かに応用範囲の広い言葉ですね。
例えば、先日tf2様に紹介させていただきました河田先生のHP上の各種進化説を示した表
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/ECOLEVOL/ANIMECO/kawata/imidas2.html
この表の右側に二列の空欄を設け一番上にそれぞれ「テレオロジー」「テレオノミー」と記して空欄に〇、×、△、? さあどれが入るか?なんてやってると結構遊べます。
そうすると、現在の進化論に諸説あるうちで、世間の進化学説の主流、又当掲示板では管理人さん/教祖様17歳をはじめ常連各位、はテレオノミー色の強い説を支持しておられ、テレオロジー色の強い説(典型的なのが今西進化論)は“疑似科学認定=死刑!(こまわりくん風←ふっ、ふるー)”ということですね。
2.については前述のように小生には語る事はできません。だって知らないんだもん。
3.の主張については同意いたします。但し“元型説はトンデモ仮説ではない”は同意ですが“元型は存在する”とまで認めたわけではありませんよ。”根拠のある科学的仮説ととなれば次は確からしさの問題になりますが、うーん。(小生もユングを見る目にバイアスかかっているのかなあ?)
まあ、確かにこういう“ココロ”の問題は確かな証拠を提出するのが困難ではあります。
そのうちにダマシオあたりが「はーい、ここが脳のうちで“元型”が詰まっている部分でーす。ポンポン」とかいって頭の一部を叩いてくれるかもしれませんけどね。
ただ
>ローレンツは生命を認識過程と捉え、進化とは世界像装置の刷新の過程であると捉えていますにゃ。そして、世界像装置とは「それ自身の諸構造をもっている」。
ユングのいう元型とは、まさにこの生得的な世界像装置のことだにゃ
この辺の、やや強引な荒技(ロビンソン式バックブリーカーぐらいか?)は小気味がいいから良しとしますが、(但し猫様のせいではなくローレンツかその訳者のせいで「世界像装置」
「それ自身の諸構造」の意味がいまひとつピンと来てない)その後の
>以下はちょっと議論が粗くなって申し訳にゃーのだが、シンボル操作能力とは生得的な世界装置に由来するものであり、それがジンルイに共通の根源的イメージ群である元型という形をとっている、てな感じになると思うのだにゃ。
>で、さらに粗っぽくなるのだけど
意識、というより、イメージそのものに目的論的志向があるのではにゃーだろうか?
言い換えると、僕たちの世界像装置に目的論的志向性があるのでは?
>糞馬鹿教祖のいうことを鵜呑みにしたり、星占いで一喜一憂するのは、根本的にはこの世界像装置に由来するものに思えたりしますにゃ。
は(さすがに、ご自分でも認めていらっしゃるように、)なんぼなんでも論理飛びまくりででしょう。おっしゃらんとしているところがぼんやりとも理解できていない小生のアルツハイマー頭のせいもありますが、ちょっとついていけません。
細かいところで、(というか粗い所もまだ一知半解のレベルを超えていない)判らないところ突っ込ませていただきたいところ多々ありますので、そのうちに又ゆっくりお便りさせていただきます。今日はとりあえずお礼方々ご挨拶まで。
地下に眠るM様
深夜までかかってかかって大作のユング論を物された事、勿論知っておりましたが、昨日は、会議やらなにやらで遅くまで会社に押し込められネットカフェに寄る事も出来ませんでした(別に小生の以前の書き込みでの督促に応じてだけ書いていただいたわけでは勿論ないでしょうが、)ケ−タイから礼状レスだけでもつけて置けばよかったか。とはいっても年寄りにはアレは使いにくいものなんです(言い訳ぶちぶち)
>うにゃ、やはり僕のタワゴトレスでは祭りの奔流をおしとどめることなどかなうわけが なかったのだにゃ
う、ぷんすか、おこっていらっしゃる。いじけていらっしゃる。お、俺のせいだあ。
>馬鹿に多様性などにゃー
ひっ、ひぇっ。あ、でもこれは小生に向けた罵言ではないのか(半分くらいはそうかもしれないけど)。ふ、ふっかーつ
>ユングのいっていることの中でもっとも説得力のあることの1つにゃんが
「未分化なものに個性はない」のだにゃ。
妄想とはまったく類型的なものだにゃ。それは元型に囚われているからにゃ。
>個性とは所与のものではなく、人生における目的としてよいものだにゃ。
ユングによれば人生の目的は「個性化 Individualization 」だにゃー。
トルストイの「アンナ・カレーニナ」の冒頭風に言えば「賢い人はそれぞれに賢明であるが、馬鹿は一様に馬鹿だ」ですかね?
うっ、うーん、多分違う。
ダーウィンはウォレスが自分と同じ結論を見いだしたことをちゃんと認め、世間にそのことを自ら公表しています。
当時ダーウィンと違い全く無名だったウォレスをダーウィンが黙殺したり、自分の研究を盗んだのだとか言おうと思えばたやすく出来たはずですが彼はそうしていません。逆に、無名のウォレスの名を世に広めたのががダーウィンだったはずです。
自分の説の問題を述べることは、高潔な行動だと思いませんか?
大川先生はそんな発言、しています?
自己批判する人こそ、誠実な人だと思いません?少なくとも、正直な人だと。
...一方、ニュートン力学はアインシュタインによって覆されています。
このあたりのことは、(残念ながら)科学に携わる人達のなかでの、「特筆すべき」美談として語り継がれています。
いっちゃあ悪いが,この世は仮の世さんの話は飽きた.
進化論ぐらいで自分の道徳観が崩れる人は,元々崩れた道徳観を持っている人よ.そう言われて腹が立つなら道徳観を磨き直せ,と言うしかない.
ちょっと気分転換に
Yahoo!でけったいな記事?が載っていたので(リンク先参照のこと)
いやUFOとは「未確認飛行物体」という意味だから.
まだ確認が出来ていない物体ですか?と聞かれたら「そうじゃないの?」というしかないでしょう?
『メキシコ空軍がUFOを撮影したとの報道。これはフライングソーサーだと思いますか?』だとまだ質問の意味が繋がるんですがね.
http://polls.yahoo.co.jp/public/archives/589121557/p-topics-1?m=r
自分の目を信じます。
「種の起源」について考えたんですが、ダーウィンが自分の説の問題を本の中で述べたということは本を出した段階ではまだ自分の説に自信がなかったのではないかと推察します。この掲示板で誰かが進化論は「今正しいとされる仮説にすぎない」といった発言は正しいことになります。それに対しニュートンは「我は仮説をつくらず」という言葉を残したそうです。ダーウィンとニュートンの違いが出ています。
自分の説に自信がない状態で(仮説の域を出ていない段階で)本を出した真意はウォレスのような人に先を越されたくなかったからだと思います。
私は自分の宗教的信条によりダーウィン進化論は創造主の眼から見て事実ではなかったと思います。
この世は仮の世様。
自分の書き込みに対し、「そこはおかしいのでは?」とたくさんのレスがついています。一つ一つの質問に対し、全て返答する義務があります。自分の未熟さを理由に逃げないでください。レスの応酬になるだけならば、読み終わってから返答ください。ここの板はあなたが読み終わるころに畳んでしまっている、ってことはないでしょうから。
さて、僕が答えてもらいたかった質問はまたスルーですか?再度書きますね。最低限これだけは答えてもらいたいのですけど。
1 進化論は生命誕生について何も定義していない。「進化論は生命誕生の・・・」という主張は間違いだ、と指摘されています。これに対し自説を撤回する/さらに反論する、のどちらかの御返答をお願いします。
2 なぜ我々が、この世は仮の世さんが考えるところの「愛」を理解しなければいけないのか?「愛」の解釈について、多様性を認められないのか?
3 信仰を持ってない人々から信仰を奪ってる」と主張するのなら、それを裏付けるデータ、元参照(文献をどこから引っ張ってきたのか)の明記してください。
ここからは新たな質問です。
>私は二つの関係を「客観的にライバル関係にある」と述べたんです。
どこをどう見たら「客観的」になるのか、解説をお願いします。「自分はこう考えている」というのは「客観的」ではないですよ。あからさまに「主観的」ですね。我々にもその主張が「客観的」と判断できる解説を望みます。
>ニュートンとキリストが同時代の同地域の人間であったなら天動説と地動説の問題も進化論と創造論の問題も起きなかったでしょう。
先の引用との繋がりがまったく見えません。なぜ問題がおきたなかったのか、少なくとも僕には推測すらできません。解説をお願いします。
>問題はキリスト教会の人間と科学者たちにあります。
・・・進化論者(生物学者)だけではなく、物理/化学、数学他etc.の科学者全員に問題があるのですか?どこが問題なのか、具体的に御指摘ください。
ご自分の脳内で問題だ、と変換するのは、先に申し上げたとおり、憲法で保障されていますが、他人にそう指摘するのなら、根拠を提示するのが最低限の礼儀と思えますが?
>進化論の場合は科学者が間違っているわけです。
僕は次項を、同じことを3回書き込むことになりました。
>>>進化論がおかしいと主張したいのなら、おかしいと思うところを論理的に書き込めばよいのです。
ところで、この世は仮の世さんはこうも言っています。
>今のところは自分の宗教的信条に従って発言するだけです。
この辺も具体的にどう不具合が生じるのか、説明すらしていませんよね。いきなりこのようなことを書かれても意味不明なのですが。
#ここの返答より、先の3つの質問の返答を優先してください。答えやすいからといって、ここだけ返信するのはなしですよ。
横レスですが、聖書冒涜について。
神様曰く、悪口を言ってはいけない、右を打たれたら左を差し出せ、仕返ししてはいけない、等etc.。正確なところは良く判らんけど、これと似たことをのたまっていますよね。斉藤氏の書き込みは、これらの言葉を無視した、いわば××な(自主規制)書き込みではないのかな?
#この世は仮の世さん、これには返信しなくて良いです。また、これを口上に逃げないでください。
最後に、最近読んだ面白い本を紹介させていただきます。
「神は沈黙せず」山本弘著、角川文庫
この中に、新興宗教の話題がありますが、著者は現存する宗教団体の教義の文責を作品内で行っています。
氏曰く、「現存する宗教団体の教義は古より存在する宗教の教義の、自分達にとって都合の良いとこをのみを抽出しているだけだ。」
この世は仮の世さんの書き込みを読んでいると、まさにこの典型的な例題に思えてきます。
この世は仮の世 さま
仮に、かりに、ですよ...。
あなたの目の前にお皿に入った3個のおまんじゅうがあって、
大川先生があなたの耳元で、
「あなたの目の前にはどんぶりに入った4個のケーキがある。」とささやいたら、
あなたは、自分の目と大川先生の言葉のどちらを信じますか?
1+1は2ではにゃーと聖典に書いてある(と解釈している)んだから
すべての真実は聖典により与えられているんだから、事実の吟味なんて何の意味もにゃーの
この世は仮の世さんや斉藤さんの発言を読んで思ったこと。
進化論はただの科学理論ですから、進化論が科学的に妥当だというのは、単に、観察できる証拠を吟味すると進化論になるというだけで、いわば、1+1を計算すると解は2になるとか、いろは歌をたどっていくと「ね」の次は「な」になる、といった論理的帰結でしかありません。
で、どのような論理的帰結であろうと気に入らない人はいるものです(去年のセリーグで阪神が優勝したというのは、セリーグ成績表からの論理的帰結ですが、アンチ阪神には気に入らないでしょう)。気に入る気に入らないは個人の自由なので別にかまわないのですけど、「間違っている」というなら、「観察できる証拠を吟味すると進化論にならない(進化論と矛盾する観測事実がある)」ということを示さないといけません。
さもないと、へたすると「気に入るとか気に入らないとか、いいとか悪いとかはどうでもいい」で終わってしまいますよ。
「種の起源」と「盲目の時計職人」を読まれてから発言されては如何かな?
お前さんが「進化論」が嫌いなのは、十分わかったから
NATROM殿へご連絡
「ブラインド・ウォッチメイカー」は、上下巻が統合して題名が「盲目の時計職人」と和訳されとる。
副題はそのままじゃ。
http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/40368cda9c8670106d2c?aid=&bibid=02425165&volno=0000
※わしゃ、邦題にしたのは良かったと思っとる。
「ブラインド・ウォッチメイカー」ってサスペンス小説の題名?って思うのはワシだけか?
>トトロ様「進化論は悪魔の仮説」という発言をした斉藤さんは
>レムナント出版のサイトにいらっしゃるおそらくクリスチャンであろう方です。
>トトロ様のレスは聖書に対する冒涜です。
>あなたはとんでもないことをしたんですよ。
トトロさんの発言が聖書に対する冒涜というのは、まあその通りでしょう。
内容的にも、同意できるものではありません。
(私は聖書がただの御伽噺・作り話であることは知っていますが、白痴の書とは思いません)
しかし、「とんでもないこと」ですか?
トトロさんにはトトロさんの思想・信条・信仰があります。トトロさんが聖書を白痴の書と考えているなら、その通り表現することになんの問題もありません。
それは、聖書を真実の書として信仰している人(主に切支丹)には不快な文章になるでしょうが、それを言い出せば、もともとの斉藤さんの発言
>聖書に書かれてあることは一字一句文字通り真理です。
>男性アダムのあばら骨から女性イブが造られたのです。その事には深い意味があります。
だって、聖書を白痴の書と考えている人には不快な文章であり、聖書白痴思想を侮辱するものです。
一昔前の中世時代ならともかく、近代社会においては、あらゆる思想・信条・信仰が等しく尊重されます。「聖書信仰」と「聖書否定」は等しく同格に尊重されるものであり、「聖書の賛美は許されるが聖書の冒涜は許されない」という態度こそ、排斥されるものです。
はっきり言って、あなたの「とんでもないことをした」という発言は、トトロさんの聖書白痴思想を侮辱するものです(もちろん、あなたが聖書白痴思想を支持する必要はありません)。
あなたにはトトロさんの思想・信条・信仰を侮辱する自由がありますから、わざとやったことならこのまま開き直ってもいいですけど、別にわざとやったわけではなく、知らずにトトロさんの聖書白痴思想を侮辱してしまったのだったとしたら、早めに謝罪した方がよろしいかと思います。
親切心より、謝罪文の一例を載せますので、参考にしてください。
---ここから---
トトロ様
私の浅ましい聖書信仰から、あなたの聖書否定思想を侮辱してしまい申し訳ございません。深くお詫び致します。これもみな、私の不徳の致す所でございます。今後はこのようなことのなきよう精進致しますので、トトロ様におかれましては、今回の件につき、お許し頂きますようお願い申し上げます。
---ここまで---
なんなら、このまま使って頂いても構いません。
他人は変えられます。というより、掲示板の上であろうとなんであろうと、「他者を変えずにつき合うこと」は、透明人間でさえ不可能です。
あなたの言葉は、受け入れようと拒絶しようと、とりあえず相手の記憶に残ります。
あなたの言葉をそのときには完璧に否定しても、聞いた言葉は記憶に残ります。
もし、本当に真実があなたの言葉の中にあったならば、長い人生にはいつかあなたの言葉が真実であることを証明するような出来事に出会うと思います。そのときまで、あなたの言葉はちゃんと保存されています。
もし、あなたの言葉が真実でなかったら、それを証明するような出来事に遭うたびに思い出されて、あなたのような人に対する疑いの念を強固にします。あなたに似ているけれど実は正しい言葉を話す人さえ、こうなると疑いの目で見るようになるかもしれません。
人は、一瞬の出会いでさえも、人を変えずにはおきません。
大川先生がどう言おうと、「影響」をおよぼす、とは、変える、ということです。
...多分彼は、自分の説得力のなさをなげいてそう発言したのでしょうね...。
聖書は「聖典」なので、何があろうと批判はいっさい許されにゃーのだああああああ
進化論は科学仮説にすぎにゃーので、批判していいのだにゃ。
つまり、この世は仮の世クンとか斎藤クンにはここの常連は決して勝てにゃーのさ。
なんつったって、
批判が許されにゃーものをふりかざして、批判してよいものを攻撃してるんだからにゃ
みんなもさっさと尻尾をまいてにげなさい、にゃっはっは
To:この世は仮の世 さま
>トトロ様のレスは聖書に対する冒涜です。あなたはとんでもないことをしたんですよ。
その前に、斉藤さんは進化論を冒涜する発言をしているんですよ。彼が先に、とんでもないことをしたんです。
トトロさんは、そのことばをそのまま、返しただけだけです。
しかも、彼は別に怒りにまかせて言葉を返したのではなく、彼が言った言葉を、「言われる身になったらどう感じるか」を、教えるために返したのだろうと思います。
そうでもしないと分かりそうにない人だから...。
今回も思ったのですが、どうして信仰篤い人から、読むに堪えないののしりの言葉が出るのでしょうね?
言いたいのなら単に、「進化論は間違っていますよ。なぜなら...」と紳士的に議論すればいいのに...。
この世は仮の世さま
>大川隆法先生はいいました。
>「他人に影響を与えることはできるが、他人の考えを変えることはできない」
いいことを言いますねえ...
(そうそう、変えられるのは自分と未来だ...)
ここにいるみなさんも、あなたに影響は与えているけれど、
あなたの考えを変えることはできないなと、思っているんじゃないかな...?
(すくなくとも、わたしはそう思っているよ。)
>信仰心あるニュートンやアインシュタインが現状の科学の状態を見たらどう思うか、
ニュートンは、自分の肩の上に、さらに大勢の巨人たちが乗っかって、
ずいぶんと遠くが見わたせるようになったものだ、と感銘するかな...?
アインシュタインは、核戦争で全人類がいっぺんに滅び去る可能性が
なくなっただけでも、安心するかもしれないです。
>真に科学的であろうとするならあの世や神の存在の可能性を否定して
>科学の理論を主張するべきではありません。
>ダーウィン進化論は天国や神の存在を否定しないと出てこない理論です。
「自分は無神論者だ」ときっぱり言う科学者もいますし、
ダーウィンの進化学は、神さまや天国の存在ついて、否定も肯定もなにもしませんよ。
神さまやあの世の存在を、肯定しようと、否定しようと、
そんなことにかかわりなく、科学的でいることはいくらでもできます、はい。
com様、トトロ様から有意義で科学的な議論をするようにといわれましたが、「新版図説種の起源」も「盲目の時計職人」も読んでない私にそういうものを期待しないでください。今のところは自分の宗教的信条に従って発言するだけです。議論というより単なるレスの応酬になるだけかもしれませんね。
トトロ様「進化論は悪魔の仮説」という発言をした斉藤さんはレムナント出版のサイトにいらっしゃるおそらくクリスチャンであろう方です。トトロ様のレスは聖書に対する冒涜です。あなたはとんでもないことをしたんですよ。
信仰心あるニュートンやアインシュタインが現状の科学の状態を見たらどう思うか、と思います。真に科学的であろうとするならあの世や神の存在の可能性を否定して科学の理論を主張するべきではありません。ダーウィン進化論は天国や神の存在を否定しないと出てこない理論です。
「反論への反論」への反論が膨大な数になったので全てに反論するのは難しくなりました。少しだけ反論します。反論といっても単なるレスにすぎないかもしれませんが・・・宗教と科学はライバル関係にあるといったらそれに対して「科学の側ではそう思ってない」という反論がありました。私は二つの関係を「客観的にライバル関係にある」と述べたんです。ニュートンとキリストが同時代の同地域の人間であったなら天動説と地動説の問題も進化論と創造論の問題も起きなかったでしょう。問題はキリスト教会の人間と科学者たちにあります。この両者はそれぞれが学んだ真理に従って色々な行動をしますが、時々対立します。時々両者は間違った考えを起こします。天動説の時は教会側が間違ってたし、創造論が現在目立つのはクリスチャンの信仰を守るために創世記も科学的合理性を求められた結果だと思います。進化論の場合は科学者が間違っているわけです。
>私はアンチ進化論者です。私の主張が何らかの影響を皆さんに与えることを望んで投稿しました。
ホントですか?今までの書き込みを読んでいる限り、最大限拡大解釈してもそうは読めません。僕は2回目の返答で、
>>進化論がおかしい、と主張したいのなら、ご自身の信仰と切り離し、おかしいと思うところを論理的に書き込めばよいのです。
と書き込みましたが、「進化論がおかしいのでこの板の読者に影響を」と思うのなら、なぜ進化論がおかしいのかを、項目一つ一つ例証を挙げてください。少なくとも、僕にはこの世は〜さんの書き込みで「なるほど、ここがおかしいのか。」と納得できる内容はなかったと思っています。
#そう解釈されてしまうのは、書き込み側の責任です。書き込んである文章をどう解釈するかは読む側の自由です。拡大解釈の余地のない文章を書いておけばこんなことにはならないですよ。
>大川隆法先生はいいました。
「他人に影響を与えることはできるが、他人の考えを変えることはできない」
私の主張が進化論者である皆さんの共感を得られるとは思いません。共感が得られるなら書き込みの必要はないでしょう。
(元の文章では改行位置がおかしかったため、一部変更しています)
結局何がしたいのですか?「進化論が間違っている」という決定的証拠を突き付けられたら、この板の読者全員は考え方を改めるはずですよ。それをする努力を怠り、いきなり敗北宣言ですか?理解に苦しみます。
最後に横レスとなりますが、地下に眠るMさんの書き込みについて何やらお怒りのようですが、書き込みスタイルというレトリックに引っかかり、地下に眠るMさんが言いたい本質を理解されていないのでは?
#本音の部分では地下に眠るMさんにかなり同調しています。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。