創造論FAQの間違い

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創造論を再評価するというページに創造論のよくある質問(FAQ)が追加されました。ざっと見ていろいろ間違いがありましたので、ここで指摘します。創造論のよくある質問(FAQ)からの引用は、斜体で示しました。このページは「完全なパクリ」であり、このページが存在しているのは長谷川さん@創造論再評価の善意だとお考えの方がいるようですが、誤りです。公正な慣行に合致していれば、権利者の許諾を得ることなく、公表された著作物を引用して利用することができます。当然、私のページも、私の承諾なく自由に引用していただいてかまいません。長谷川さんは、科学と宗教の区別がつかないだけでなく、引用とパクリの区別もつかないのですね。また、「宣伝効果にもなるし、稚拙な説明に反論するのも馬鹿馬鹿しいのでずっと放置している」とのことですが、むろん、反論できないからこそ放置するしかないというのが現実です。


Q.珊瑚礁の形成は創造論の反証なのですか?
A.思い付いてそう言っている人達もいます。詳しい事は別ページの解説をご覧ください。珊瑚礁とはライムストーンの巨大な土台の上に乗った珊瑚のコロニーです。ただ珊瑚礁のような大規模なコロニーが場所的に太平洋地溝帯、火山帯に限局している事、ライムストーン層が火山岩の上に堆積岩を介さずにいきなり乗っている事などから、この構造全体が本当に全体が生物由来であるのかは再検討が必要であると指摘されました。珊瑚は成長時に年輪状の層を作りますが、それが珊瑚礁の深層ボーリングで確認されたかどうかの報告がありません。報告書の原文ではただライムストーンとだけしかなく、そこまで確かめなかったのではないかと思います。正確な再調査があればまた面白くなると思うのですが、それをしないで創造論の科学的反証だと主張しても全く意味がなく、我々は現状ではその議論には参加していません。

正確には創造論の反証ではなく、地球ができてから1万年以内という主張に対する反論です。詳しくは、珊瑚礁は地球の歴史6千年以上説の証拠になっているか?に答えるおよび、サンゴ礁を掘るをごらん下さい。石灰岩層が火成岩に直接のっていることは、かつて海上にあった火山島の周りにサンゴ礁が形成されたので当然です。

>この構造全体が本当に全体が生物由来であるのかは再検討が必要であると指摘されました。

一番深い石灰岩のサンプルにもサンゴ虫の構造は認められます。ちゃんと論文を引用してそう言ったのですが。また都合の悪い指摘はなかったことにする、ですか?

>珊瑚は成長時に年輪状の層を作りますが、それが珊瑚礁の深層ボーリングで確認されたかどうかの報告がありません。

論文を読まずに「報告がありません」と断言するのは楽でいいですね。実際には成長の跡は確認されています。ただ、海水面の低下があれば成長は止まり、侵食もされるのでボーリング調査の場合には年輪層からはサンゴ礁の年齢を正確に推測することはできません。別の方法でサンゴ礁の年齢は推定されています。私の目的は地球の年齢が一万年以上であると示すことですので、1000mを超える石灰岩の層で充分です。

>正確な再調査があればまた面白くなると思う

複数の専門家による複数のサンゴ礁の調査がありますが、誰一人として火山性の石灰岩を発見した人はいません。自説を否定するような調査は、正確な調査ではないのでしょうね。

追加[2000.5.23]

創造論を再評価するの作者である長谷川氏が、創造学校の掲示板にて以下のような投稿を行いました。

投稿者:長谷川寿紀  投稿日:05月19日(金)21時08分33秒
まだ珊瑚礁の事を未だに、沈降の証拠であるとか、海面でピタリととまるとか、貝が出てきたとか、言ってしきりに6千年の否定の根拠であるかのように期待して絡んでくる方がいますが、この ような事をしても意味がない事に気がついてもらいたいと思います。それらについての詳細は、ここではオンラインなので説明を省略しますが、実は、珊瑚礁の件については、既に下の発言者が書いた、
≫サンゴ礁をボーリングして得られたサンプルコアにサンゴ虫
≫の構造や貝の化石が含まれていても、
(投稿者:通りすがりSS  投稿日:05月19日(金)18時53分58秒)
まさにこのポイントをサポートする記述を英文の元の記録にさかのぼって探してみましたが、サンプルコアが火成岩に突き当たるまでサンゴの構造を現わしていた事を言い表わす記述が一行も見つかりませんでした。私が見落としている可能性も当然ありますが、その部分を一行だけでも、原文のままここに出典とともにカット&ペーストで落として下さると嬉しいです。

「6千年の否定の根拠であるかのように期待して絡んでくる方」とは恐らく、私、NATROMのことであろうと推測します。そのようなことをしても意味がないそうですが、なぜ意味がないのかの説明はありません。長谷川氏をはじめとする創造論者を改宗させようとしているのなら確かに意味のないことです。どんなに明白な証拠があったとしても、決して彼らは考えを変えないでしょう。しかし、私の意図するところは、議論を見ている第三者に創造科学の欺瞞性、さらに擬似科学の特徴を理解してもらうことにあります。

さて、長谷川氏は英文の元の記録にさかのぼってもサンゴの構造の記述を一行も見つけることができなかったそうです。いったいどのようにさかのぼったのか知りたいところです。事実は、単に長谷川氏の読んだ文献に記述がなかったというだけです。私はずいぶん前から

Ladd,H.S., Tracey,J.I., Gross,M.G. ,Deep Drilling on Midway Atoll, Geological survey professional paper 680-A P20,1970

という論文を提示しています。この論文はサンゴの構造の記述には事欠きません。例えば、それぞれの深さでの結果を要約してあるTable 3にはこうあります。

Reef limestone section (955-973 ft) contains abundant coral fragments, algae, and mollusk molds.

955-973フィートの深さにある石灰岩は豊富な珊瑚の小部分を含むと書いてあります。長谷川理論では炭酸ガスとカルシウムが沈殿したはずの場所に、サンゴの構造が認められるのです。長谷川氏がLaddの論文にあたらなかったのは確実です。手に入りやすい論文ではないですので、Laddの論文を読まなかったこと自体はいいのです。

長谷川氏の問題点は、むしろLaddの論文を読まなくても自分が正しいと思い込める思考にあります。長谷川氏が何を読んで「サンゴの構造の記述を一行も見つけることができなかった」のかはわかりませんが、「もっとよく探せばサンゴの構造についての記述が見つかるかもしれない」とは思わなかったのでしょうか。別の論文を探す代わりに、長谷川氏は「サンゴの構造についての報告はない」と断言したのです。

この過ちは、他者(特に専門家)の過小評価に由来しています。「専門家がサンゴ礁をボーリングして、分厚い石灰岩を掘りぬいた」ことは長谷川氏も認めています。私は、「ボーリングして得られた貴重なサンプルは、徹底的に調べられているだろう。探せば、その論文は見つかるはずだ」と考えました。長谷川氏は「報告書の原文ではただライムストーン(石灰岩)とだけしかなく、そこまで確かめなかったのではないか」とだけ思いました。太平洋の島にボーリングの器材を持ち込み、かつてない深さまで苦労して掘りぬいたあげく、ただ石灰岩とだけ確認して専門家が満足するかどうか、想像してみることができなかったのでしょう。

断言しますが、長谷川氏が読んだ原文の報告書は原著論文ではなく、総説です。ある総説でサンゴの構造が言及されなかったからといって、サンゴの構造について報告がないとは言えません。当たり前ですね。総説を書いた人は、もちろんサンゴの構造については知っていたけれども、原著論文に詳しく書いてあるから省いたのでしょう。「カルシウム塩の沈殿で石灰岩ができた」などと思う人は普通は存在しませんので、それでよいのです。

「原文のままここに出典とともにカット&ペーストで落として下さると嬉しい」と長谷川氏が所望しておりましたので、創造学校の掲示板に原文と出典を掲示板に書き込みましたが、削除されてしまいました。創造学校はトップページにて、「科学的議論を避け、頑迷に進化論が正しいことを主張する人が いるのは、主に学校教育において誤った進化論が教えられつづけ、創造論が教えられていないことが、大きな原因である」と書いてあります。科学的議論を避けているのは一体どちらなのでしょうか。ただ掲示板の管理人は、私の指摘が長谷川説にとって致命的であるのは理解できたのでしょう。もし削除されなければ、「カルシウム塩の沈殿のときにサンゴ礁が巻き込まれたのだ」というその場しのぎ仮説を楽しめたかもしれないのに、残念です。

追加[2002.12.27]

創造論のよくある質問(FAQ)に、以下の文章が追加されました。

ちなみに、下の写真はハワイのマウイ島沖にあるモロキ二環礁です。これが珊瑚礁由来ではないことは、これが円環状をしているのを見てもわかります。もちろん火山性の由来です。しかも、この写真で海面上に出ているのは火山性の岩であり、この火成岩性の円環構造が、海底100m近くまで真っ直ぐに降りています(円環の中には流されてきた土砂や珊瑚が堆積しています)。これを見れば、この構造が珊瑚が海底の沈降にあわせて長い年月をかけてできたものであるという主張をすることが一瞬のうちにむなしくなるのがわかります。

写真を見る限り、なるほど、海面上に出ているのは、火山性の岩なのでしょう。海底まで火成岩性だというのもそうかもしれません。でもこれって、火山島であって珊瑚礁ではないのでは?長谷川さんも、ご自分で環礁というのは正確ではなく、これは火山性火口なのだ言っていますよね。私は環礁が長い年月をかけてできたものであると主張しているのであって、誰も火山性火口が長い年月をかけてできたなどとは主張していません。参考


Q.「証拠よりもドグマを優先するのが疑似科学である。だから創造科学は疑似科学だ」と言っている人がいます。そういう進化論者の主張に対してどう反駁したらよいでしょうか?
A.とどのつまり、進化論は「聖書の記述に優先順位を置かない解釈」を科学的だと主張しているだけです。それに対して、創造論は神の聖書の啓示を何よりも第一にしています。神を信じない土俵の人からその前提は誤りだと言われても、聖書を第一にしない世界観から一方的に疑似科学の定義にはめられてしまうのはフェアではありません。創造科学は聖書の世界観を第一にするという点で、進化論とは科学のパラダイムを異にしています。そのポイントを説明すれば思慮深い人には理解してもらえるはずです。

証拠よりもドグマを優先しているのにもかかわらず、科学を自称するものは疑似科学です。聖書の啓示を証拠よりも優先するのは別にかまいません。しかし、それを科学だと主張するから疑似科学だと批判されるのです。「聖書の啓示は誤りだ」と言っているわけではありません。「聖書の啓示を前提にしてしまうと、それは科学ではなくなってしまう」と言っているのです。

たとえ話をしましょう。大地は丸くなく、平坦であるという教義の仮想上の宗教があったとしましょう(「聖書によれば大地が平らだ」と言っているわけではないことに注意!)。その宗教を信仰するものはみな大地は平らであると信じています。それはいいのですが、その信者の中に、「科学的にも大地は平らである」と主張する人が出てきました。彼らの教義に一致した説明をあくまで求め、必ず解答があると信じて研究を続けるのが大地平坦科学の趣旨なのだそうです。彼らにとって、地球=球論は神の存在を否定し、宗教に領空侵犯する人為的な科学に過ぎないのです。大地平坦科学は疑似科学であるという主張に対して「信者」はこう答えるでしょう。

とどのつまり、地球=球論は我々の教義に優先順位を置かない解釈を科学的だと主張しているだけです。それに対して、大地平坦科学は我々の神の啓示を何よりも第一にしています。神を信じない土俵の人からその前提は誤りだと言われても、我々の神を第一にしない世界観から一方的に疑似科学の定義にはめられてしまうのはフェアではありません。大地平坦科学は我々の神の世界観を第一にするという点で、地球=球論と科学のパラダイムを異にしています。
大地が平坦であるというのはドグマであるのに対し、地球は球であるというのはさまざまな観察から得られた結論です。よって、大地平坦科学は科学ではありません。大地平坦科学が科学であって欲しいと願う信者は、細部にふれずにフィロソフィーやパラダイムが違うだけの科学であるとむなしい主張を行うでしょう。そうしたところで大地平坦科学が科学になるわけでありません。

創造科学は疑似科学ではなく科学であると主張する方々は、大地平坦科学も(パラダイムは異なるが)やっぱり科学であると認めるのでしょうか。

「聖書の記述は一字一句正しい」「大地は平らである」というドグマを元にした疑似科学自体は比較的無害です(科学教育に干渉しないのならね)。しかし、例えば「アーリア民族はあらゆる人種の中でもっとも優秀である」というドグマの疑似科学がいったいどういう結論を招いたのかを考えてみて下さい。あるいは「ステロイドは有害無益である」というドグマに基づいた疑似科学は、患者が適切な治療を受ける機会を奪ってしまうでしょう。科学と疑似科学を見分ける必要があるのは自明なことです。


Q.どうして地層によって化石生物の分布が異なるのですか?異なる時代の生物の化石であると教えられてきたのですが。
A.思わず馬鹿馬鹿しいと思うほど簡単な解説は、移動性が乏しく、逃げられない動物ほど下の層から見つかる可能性が大きくなるというものです。しかしながら、これよりも強い説得力を有するほかの説明はそれほど多くありません。

確かに馬鹿馬鹿しいです。恐竜よりも上の地層からも貝の化石が大量に発見されています。逃げ足の速い貝を想像してみれば、一度の大洪水で地層ができたという説明よりも弱い説得力を有する説明がそれほど多くはないことがわかるでしょう。詳しくは、洪水地質学とはなにか?を参照して下さい。

誰か長谷川氏に「ヒトの道具類が下の地層からなぜ見つからないのか?」「恐竜よりも上の地層から貝の化石が見つかるのはなぜか?」質問してみて下さい。私が質問しても答えてくれそうにないですしね。

追加[2000.5.11]

恐竜よりも上の地層から貝の化石が見つかるのは、「いったん貝を含む地層ができたのち、その地層が隆起して崩れ、新たに地層を形成した」という説明がなされています。その場しのぎ仮説(アドホック仮説)の典型的な例です。この説の難点は、地層に含まれる化石の種類や生跡化石を説明できないことです。

新生代の地層のみに産出される種類の貝(例えばビカリアという貝はそうです)の化石や新生代には決して産出されない三葉虫の化石がありますが、創造論者の説だとどうやって説明できるのでしょうか。まず逃げ足の遅い三葉虫やビカリアを含んだ地層ができ、なんらかの理由でビカリアを含んだところのみが崩れ新しい地層を形成したと考える必要があります。ビカリアを含んだ地層は例外なく崩れ古生代の地層としては残っておらず、逆に三葉虫の化石を含んだ地層は例外なく崩れなかったのでしょう。創造論者は地層が選択的に崩れた理由を説明できません。ここでは三葉虫とビカリアのみを例に出しましたが、他にも移動速度や生息地域と関係なく、ある地層にのみ産出する化石の例はたくさんあります。

さらに新生代に産出される貝の化石の中には、まさに生きたまま埋められたのであって、死体が流れてきたわけではないことを示す証拠があるものもあります。這ったあとが残っている生跡化石はその証拠の一つです。古生物学者は、その化石が流れてきたものか、あるいは生きたまま埋められたのかの区別に大きな注意を払っています。当時の環境を推定する貴重な情報だからです。もし埋められた貝を含む地層が崩れて再堆積したのであるのなら、いったいなぜ生跡化石があるのでしょう。埋められている間中ずっと生きていた貝がいたのでしょうか。

地層の順番が任意のものであるとして、三葉虫についたサンダルの跡や、恐竜と人の足跡の共存が証拠として持ち出されることがありますが、それらは今や多くの創造論者自身によっても採用されない弱い証拠です。新生代の地層に三葉虫の化石が発見されれば大発見ですが、地質学の雑誌にはそのような報告はあるのでしょうか。創造論者は陰謀論による主張(進化に合わない証拠は無視されるのだ)をしますが、基本的な地層の順番を決めたのはダーウィン以前の地質学者であることを忘れているようです。創造論を信じていた19世紀の地質学者たちは、新生代の地層に三葉虫を発見しましたか?ダーウィン以前の地質学者が証拠に基づいて出した結論の一つは「神は時代ごとに創造を行った」です。ただ一度きりの洪水の証拠はなかったのです。地層の順番をうまく説明できるぶんだけ、当時の地質学者の結論は、創造科学による洪水地質学よりは科学的です。


Q.化石はどうして出来たのですか?
A.ノアの洪水の際に、地上に棲息していた生き物が大量の土砂に巻き込まれ、短時間のうちに作られました。普通の静かな定常の状態で上に何万年もかかってゆっくりと土砂が積もって行く状態では、生物の遺骸はすぐに微生物による分解を受けて消滅し、化石にはなりえません。

地質学者はときには急速な地層の形成がなされると考えています。局地的な洪水が起これば、一気に堆積が起こるでしょう。確かにほとんどの生物の遺骸は化石にはなりませんが、そのことをもってすべての化石が一度にできたという証拠にはなりません。

この論法は相手の主張を曲解した上で否定する一例です。まず、地質学者が「何万年もかかってゆっくりと土砂が積もって行く状態」で化石ができたと主張しているとして、「その状態では化石にならない」と否定しています。しかし、そのように考えている地質学者はいません。

自分達を激変論者とし、反対者を極端な斉一論者として攻撃するのは創造論者の十八番です。しかし、実際には創造論者が攻撃しているような極端な斉一論者は実際には存在しない、架空のわら人形です。そのうち斉一/激変というテーマで詳しく述べる予定です。


Q.6千年前に6日で世界が出来たという場合、250万光年先のアンドロメダ星雲の光が今届いているという事と矛盾するのではありませんか。創造科学はどう説明するのですか?
A.一部の聖書解釈者は、神が6千年前に6日間で創られた宇宙の範囲は太陽系だけで、銀河や銀河系外はそれ以前からあったのではないかと考えていますが、それもまた一つの証明不能の説として存在しています。しかし、すべてが6千年前に6日間で創られたのではないかと考える説では、遠方の光源である星からの光が何らかの理由で減速されて、見かけ上のドップラー赤方偏移(青色偏移ではない:ドップラー効果と同様に減速された光はあたかも光源が遠ざかっているように見えるから)として観測されているのではないかと疑っています。創造論者としてどちらを信じるかは重要な問題ではありません。どちらを信じたから神に裁かれるという事はないのです。問題にして裁きたがっているのは、どちらの説も信じない不信仰な非創造論者だけです。また、光が運動しただけ赤方偏移が起こるという仮説も提出されています(ピレンキン説)。光の性質がまだ完全に解明されていない以上、これらの議論は未だ結論が出せず、非創造論者が知ったかぶりをして描いているビッグバン理論に基づく世界図絵が結論であるとは必ずしも考えてはいけないと思います。

水やガラスの中では、真空中と比べて、光の速度は遅くなります。しかし、光速の減速が起こるほど宇宙は密ではありません。また、仮に光速の減速が起こったとしても、波長は波の速度に比例しますので波長は短くなり、赤方偏移にはなりません。「仮に光速減速が起こったとしても、赤方偏移ではなく青方偏移が観測されるはずだ」という私の反論を理解できなかったのですね。もちろんビッグバン理論が最終的な結論というわけではないですが、光速減衰による赤方偏移の説明は誤りです。


Q.創造科学は実験による再現性がないので科学とは言えないのではありませんか?
A.再現性は必ずしも科学であるための必須条件ではありません。天文学、地質学、創造科学はみな科学です。科学には大きく三つに分けて実験科学、理論科学、観察科学というものがあります。この分類を使うなら、創造科学は「観察科学」です。進化論を科学だと言い張っている人達のそれは強いて分類するなら、あまり上等ではない「理論科学」という所でしょう。

少なくとも私は実験による再現性を問題にして創造科学が科学ではないとは言っていません。それはともかく、地質学を科学と認めてもらえて幸いです。地質学は進化論とは矛盾しませんが、創造科学とは矛盾します。地質学者は、ダーウィンが進化論を提唱する以前から、「地球の歴史は1万年以上である」「世界規模の大洪水はなかった」という結論に達していました。当時の地質学者はみな創造論者です。神による創造を信じていても、ドグマに固執することなく、証拠から結論を導くその態度は科学的と言ってよいでしょう。科学的な創造論はありえますが、創造科学は科学ではありません。ドグマに固執するからです。

実験科学、理論科学、観察科学の定義はよくわかりかねますが、進化論はそのどれにも当てはまるように思えますね。進化論による予測を実験によって検証することは可能ですし、集団遺伝学はまさに進化論に理論的な基盤を与えています。古生物学は観察科学に入るでしょう。


Q.非創造論(進化論)の代表的欠陥を2つ上げて下さい。
A.(1)獲得形質は遺伝しないというメンデルの基本法則を無視して、時間任せの無責任な生物進化を仮定していること。 (2)信頼できない年代測定法に進化論のすべてが支えられていること。

獲得形質は遺伝しないというのはメンデルの基本法則のうち、分離、優生、独立の法則のどれにあたるのでしょうか?獲得形質は遺伝しないというメンデルの法則はありません。メンデルの法則がなにを意味しているのかぐらい理解してから進化についてしゃべって欲しいです。実際に獲得形質の遺伝は否定されていますが、メンデルの法則からではなく、獲得形質の遺伝を証明しようとした様々の実験が失敗しているからです。

オーソドックスな進化論では獲得形質の遺伝を必要としていません。なので、獲得形質は遺伝しないという事実は進化論の欠点にはなりません。年代測定についても、ダーウィンが進化論を提唱するずっと以前から、地球の年齢は十分に古いと考えられていました。進化論者が自説に合うように、無理矢理年代測定法を改ざんしたことはありません。その必要はなかったからです。

また、創造論者の「年代測定法は信頼できない」という指摘はしばしば無知によってなされます。詳しくは、放射性元素を用いた年代測定、炭素14法についてを参照ください。


Q.創造論にオカルトの要素があるという主張がありますが、本当ですか?
A.単にオカルトの意味を知らない舌足らずの人がそういう風な主張を触れ回っているだけで、心配する必要はありません。オカルトとは「隠れたもの」という意味の言葉で、悪霊とか心霊術の類を論じているものを指します。創造論が扱っているのは、神の作られた自明な創造の業であり、よこしまなオカルトとは縁もゆかりもありません。そういう批判の解釈のしようによっては悪質な言いがかりとも取れますが、いずれにしても、これは、進化論者が言葉の原意を曲げてでも無理してでも創造論を誹謗するよい例です。

このページでは一般的に「オカルト」と呼ばれているものを、本来の意味のオカルトとは区別して低級オカルトと呼んでいます。例えば、ムー大陸、超能力、宇宙人といった話題を非論理的に扱うことです。創造論自体には低級オカルトの要素はないでしょう。しかし、無知、論理的思考の欠除、立証責任の転嫁といった反知性的な態度は、まさに創造科学支持者と低級オカルトファンとに共通します。このサイトでは創造論そのものと、創造科学を区別していることに注意してください。

創造科学に低級オカルトの要素があると考えているのは何も私だけではありません。創造科学を扱った南山宏著『地球史を覆す「真・創世記」』はムー・ブックスのシリーズとして学研から、久保有政著『聖書から生まれた先端科学 創造論(クリエーションサイエンス)の世界』は徳間書店からそれぞれ出版されています。どちらも、低級オカルトをよく扱う出版社です。出版社が創造科学をどう考えているか、よくわかります。

sci.skeptic FAQでも、創造論は、UFO、ホメオパチー、ノストラダムス、永久機関と同列に扱われています。クズ科学、 疑似科学creationism and creation science 創造論と創造科学も参考になるでしょう。これも進化論者の陰謀なのでしょうか?そうではなく、科学知識をかなりずさんに扱う一部の創造論者に責があると、私は思います。多くのまともな創造論者に迷惑をかけているのです。まともな創造論者が、「オイオイ、お願いだからデタラメを言うのはやめてくれ。あんたみたいなのが創造論者と思われたら迷惑だ」となぜ注意しないのが不思議です。

ローマ法王が進化論を容認した発言の背景に、反知性的な創造論運動があったのかもしれません。「一部に阿呆なことを言っているキリスト教徒もいるけど、あんなのはごく一部だよ。一緒にしないでね」というわけです。これは完全な私見ですので、詳しい方がいらっしゃれば意見を下さい。


>進化論は、世界が神の介入なくして始まったと教える無神哲学に基づいています。

いいえ、化石の記録、生物の構造の不完全さ、地理的分布、種間の比較といった証拠を元にしてできた科学的仮説です。ダーウィンは「種の起源」では、生命の起源に神の関与があったことを認めています。ビッグバンのときに神の関与があったと考えてもいいし、常に神に導かれて進化してきたという有神論的進化論を信じる人もいるでしょう。進化論が神の不在を前提としているというのは間違いです。

例えば、進化論を否定しないキリスト教徒もいます。むろん、創造科学を支持する根本主義的キリスト教徒は、このような立場を批判します。私は聖書を巡る神学的な論争について評価できる能力はありませんが、私が真偽を評価できる分野、つまり自然科学についての記述を読む限り、創造科学支持者の主張には大きな疑問符をつけざるをえません。一方、進化論を否定しないキリスト教徒は、自然科学の分野についてよく理解しています。

創造科学は、有神哲学に基づいているのではなく、自然科学に対する無知に基づいているようにしか見えません。


Q.どうして創造科学論が疑似科学なのですか?
A.実は、現実に創造科学がそういう目で見られる場合があります。なぜなら、創造を科学的に説明できるという確信を持った人がすべて科学教育に恵まれた人である訳ではなく、概して、多くはいわゆる「アマチュアサイエンチスト」であり、最先端の科学を理解している訳ではありませんし、それどころか陳旧の不完全な知識で創造論の自然科学を論じようとして(たとえば恐竜は象の骨を偽ったものだとか、洪水前の珊瑚の成長は怪物的に高速だったとか)失敗することがあります。そういう明らかな過失を見て、進化論の人達が創造論を信じる人達の科学知識のレベルの低さをあざ笑って、創造科学論を疑似科学と決め付けるケースがあります。もちろん、創造科学論の主張展開のメソドロジーに誤りがあることは必ずしも創造科学論が誤りという事にはなりません。(進化論者も実は同様のロジックで、進化論の一理論が誤っていても進化論全体が否定される事にならないと言っています。)しかし、近年になって、創造科学論はより高度な科学教育を受けたクリスチャンが指導に当たるようになり、こうした汚名も少しずつ挽回されて来ています。それならばキリスト教会では教会員に「中途半端な科学知識で創造を論じると創造論の名誉を傷付ける事になるからおやめなさい」と指導をするかというと、決してそうはしません。なぜなら創造論を学びはじめると、人は誰でも自分が学んだ科学知識を、それがたとえ不完全なものであったとしても、神のみ業を賛美する為に用いたいと思うようになり、そうなるのを誰もやめさせる事は出来ないからです。疑似科学と謗られても神の創造の証拠を賛美し続ける人は幸いです。その一方で、教会で信徒に科学の方法論を教えるのは良い考えであると思いますが、それをしている教会も少しはあると思います。

不完全な知識で創造論の自然科学を論じようとしておかした明らかな過失の例に、「サンゴ礁の土台の石灰岩は火山由来である」「光速減衰によって赤方偏移が説明できる」「中世ヨーロッパでは15世紀まで恐竜がいた」という主張を付け加えるべきですね。洪水前の珊瑚の成長は怪物的に高速だったという例よりは適切であろうと思います。もちろん、各論がどうしようもなく間違っていることも創造科学が擬似科学である理由の一つです。しかし、単に各論が誤りであるからという理由だけではないことをこのページでは強調してしてきました。

例えば、都合の悪い指摘の無視間違いを訂正しようとしない態度です。サンゴ礁の土台の石灰岩が火山由来であるとしたら(そもそも火山由来の石灰岩というものがあるかどうかすら怪しいのだが)、ボーリングで得られたサンプルに生物由来と火山由来の石灰岩の区別があり、下層のサンプルにサンゴ虫の構造はないはずです。創造論の予測と異なる結果を示されたら仮説を撤回すればいいものを、都合の悪い指摘を無視し、自説に固執します。健全な科学であれば、観察に合わない仮説は捨てられるか訂正されます。ドグマを守り、過ちを正そうとしないのは科学ではありません。

サンゴ礁は「アマチュアサイエンティスト」の例ですが、他の例をあげてみましょう。洪水地質学についての矛盾はずいぶん前から指摘されていますが、より高度な科学教育を受けたはずの創造科学者たちはそれについて何か適切な反論をしていますか?高度な科学教育を受けたというのは必ずしも、科学的思考ができることを意味しません。事実と自分たちのお気に入りの仮説とが矛盾するときに、事実のほうから目をそむける態度こそが創造科学が擬似科学である最大の理由です。

繰り返しますが、細部に間違いがあるという理由のみではなく(実際にあまりにも間違いが多いのでそれだけでも充分な理由にはなるが)、その方法論が科学とまったく正反対、証拠よりドグマを優先するという態度こそが創造科学が擬似科学たる所以なのです。


Q.どうしてアメリカの一部の進化論者は創造論者の働きを積極的に妨害しようとしているのですか?
A.アメリカには、科学が宗教に滅ぼされるのではないかと思うクレージーな被害妄想者とか、正当な訳もなく反宗教主義の憎悪に燃えている人とか、「疑似科学粉砕」の正義感を生きがいにするしか業績の上がらない「科学者」などもおりまして、時々聖書の創造論を信じているクリスチャンなどの人達と、自ら願い求めてでもするかのように不必要なトラブルを起こす事があります。もちろん悪意の無い進化論者達の名誉の為に敢えて言うならば、すべての進化論者がそういう愚かな素行をしている訳では決してありません。科学を深く学べば学ぶほど造物主の存在を認めざるを得なくなる、というのが本物です。

アメリカ合衆国に限らず、科学が宗教に滅ぼされるのではないかと思っている科学者はいないでしょう。また、擬似科学粉砕は科学者の業績にはなりません。業績にならないのにもかかわらず、科学を一般の人に理解してもらおうとする努力を惜しまない科学者ならいます。ファインマン、セーガン、グールドは、擬似科学粉砕に努力を払わなくても十分に業績があります。科学を愛し、無知と非合理が人々の利益を損なうと考えているから擬似科学を批判しているのです。

攻撃されているのは宗教ではなく、擬似科学なのです。十分な証拠なしに「創造は科学的にも正しい」と主張すれば批判されるのは当たり前です。「創造科学は根拠が不十分だから攻撃される」と正しく現状を認識できないのであれば、「創造科学を攻撃しているのはクレージーな被害妄想者に違いない」と思い込みたくもなるのでしょう。被害妄想をもっているはいったいどちらなのか・・・。

擬似科学を笑うだけでわざわざ攻撃しない科学者もいますが、それは間違いであるとわかりきっているものを間違いと言っても業績にならないからです。しかし、最近では、アカデミズムの高みからインチキ科学とそれにだまされる大衆を笑うのではなく、積極的に一般の人とコミュニケーションをとり科学を理解してもらう努力を行うべきだという意見が強いのです(例えば、The difference between science and dogma,nature 19 August P697,1999 邦訳ではセーガンの本など)。

また、創造科学者を批判する科学者は、まともなクリスチャンとはトラブルを起こしません。むしろ、創造科学の方が、まともなクリスチャンからも攻撃されています。創造科学を進化論と同じ時間だけ公立学校で教えることを定めた授業時間均等法が連邦憲法違反であるとして訴えた訴訟では、原告(創造論は科学の時間に教えられるべきではないという立場)に、米国メソジスト教会、プロテスタント監督教会、ローマカトリック教会、アフリカメソジスト監督教会の主教や司教、アーカンソー長老教会の代表者などの、ファンダメンタリスト以外のキリスト教会が加わりました。

擬似科学は、宗教と科学の共通の敵なのです。創造論が宗教として教えられるのであれば、科学者が反対する理由はありません。聖書の天地創造が学校で教えられるべきだとする、タイム (米国版)のエッセイの邦訳天地創造説の真のメッセージが参考になると思います。知性のあるクリスチャンの意見であると考えます。アメリカ合衆国において公立学校で宗教を教えないのは、国教樹立を禁じる憲法があるからで、科学者の反対があるからではありません。私自身の意見としては、擬似科学を教えるくらいなら宗教としての創造論を教えてもよいと思います。聖書を教典としない宗教の生徒もいるでしょうから、そういった少数派の権利を侵害しないような配慮は必要でしょうが。

科学を深く学び神の存在を信じるようになった科学者もいるでしょう(有神論者の割合が一流の科学者の中で高いということないけれど。)ただし、その神は6000年前に地球を創造したり、4500年前に世界規模の大洪水を引き起こした神ではありません。神を深く信じる科学者も、創造科学は擬似科学であると断じるでしょう。


もし長谷川氏がこのページを見ていたら、以下の質問に答えて欲しいものだ。(単細胞生物は自然発生できるほど単純なのですか? などという質問の答えはみんな知っている。単細胞生物がいきなり自然発生でできると思っている進化論者などいない。そもそも、それは生命の起源の問題であって進化の問題ではない。)

「恐竜よりも上の地層から貝の化石が見つかるのはなぜか?いったん地層ができてから崩れたとしても、明確に新生代、中生代、古生代という区別ができるのはなぜ?また、生跡化石はどう説明つけるのですか?」
「沈殿反応によってサンゴ礁の土台ができたとしたら、なぜ地下深い石灰岩にサンゴ虫の構造が認められるのか?」
「哺乳類のオスの乳首はなぜあるのか?」
「イグアナが恐竜の子孫であるって本気でそう思っているの?」

創造論について学びたいと思っている創造論者が代わりに創造論者の掲示板に質問してくださっても結構だ。


Webサイト
創造論を再評価する 創造論のよくある質問(FAQ) http://members.xoom.com/norih/creationFAQ.htm


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2000/4/19
2004/8/8最終改訂