「NATROMさんからメール」へ反論


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ABO FANにおいて、NATROMさんからメールというページが新しくオープンになりました。

さて、NATROMさんのホームページ進化論と創造論〜科学と疑似科学の違い〜は、非常な力作ですが、惜しいことにいくつかの誤解があるようです。  (ABO FAN, http://www2.justnet.ne.jp/~shozo_owada/natrom.htm, 一部引用者によってタグを改変、以下特に断り書きのない限り同ページよりの引用)

として私のサイトに対して批判がなされているようです。私のサイトでは、ABO FANは自分で読んでもいない論文を提示しており問題があると指摘しています。要するに、ABO FANは自説に有利に見えるのであれば、文脈無視・内容無理解どころか、読んでもいない論文まで提示する、きわめて不誠実な手段を用いている、ABO FANは信用できないと書いたつもりだったのですが、その部分に対する反論はありません。問題となるページが訂正されている様子もありません。本当に私のサイトを全部読んだのでしょうか?

それはともかくとして、反論らしきものがなされている部分においても、誤解しているのは私、NATROMではなく、ABO FANであるようです。以下に指摘しておきます。

> 血液型と性格の関連を論じた論文は少ないながらある。
私は少なくはないと思います。「少ない」とはどの程度なのでしょうか?  

遺伝的な要因が認められている他の複雑な形質と比べてみて、きわめて少ないという意味です。たとえば、HLA(Human Leukocyte Antigen:ヒト白血球抗原)と自己免疫が関係するタイプの糖尿病を例に挙げましょう。医学論文のデータベースであるPubmedにおいて、HLAとIDDMをキーワードに検索すると、2676個の論文が引っかかってきます(2003/8/13)。さて、血液型と性格の関連を論じた論文は、その10分の1もあるでしょうか?医学論文に限定すると、100分の1もありません。「血液型と性格の関連を論じた論文は少なくない」と主張するのであれば、血液型と性格の関連を論じた医学論文を10や20は挙げることができるはずです。実際のところ、ABO式血液型と性格の関連を示す医学論文で指摘したとおり、ABO FANはきわめて不十分な文献をいくつかしか示すことしかできていません。


> しかし、能見学説を引用しているわけではない。
質問項目を引用しているのもの(少ないながら?)あります。  
医学論文に関しては、質問項目を引用しているのものもないようです。日本語の心理学の論文に関しては、質問項目を引用しているのものはあるのでしょう。それで、国際的な雑誌能見学説を引用しているものはあるのでしょうか?(上記で引用されている私の文章は「能見親子の説は、自然科学者の間で受け入れられておらず、国際的な雑誌で議論になったことすらない」という主張に対するであったことを思い出そう。代替医療の本は学術的な雑誌とは言えない。)それから、私のページで指摘した重要なポイントは、「第三者による検証を受けていない」という点なのですが、質問項目を引用した論文においては能見と同じ結果が得られているのでしょうか?


> 報告された血液型と性格の関連については充分な再現性は認められていない。
認められているものもあります。もう一度心理学の論文を詳しく調べてみてはいかがでしょうか?  

「再現性が認められている」とは、具体的にどの論文なのでしょう?ABO FANでの文献の扱い方が杜撰であることは既に指摘してあります。たとえば、血液型とは全然関係ない論文を提示してあったり、「血小板MAOについては、別の論文で追試もされているので、O型男性は他の血液型より少ないことは、医学界ではどうやら定説になっているようです」と書きながら、その追試がなされている別の論文を提示できなかったりしました。充分な再現性が認められている論文を提示していただいて、自分で検証してみないことには信用できかねます。私は、ABO FANが「再現性が認められている」と思い込んでいるだけであって、実際には再現性は認められていないという可能性がきわめて強いと思います。


また、否定論者の心理学者の一般的な見解としては、統計データがあれば[遺伝的な]メカニズムは[事実上]無視してもいいようです。つまり、心理学者の見解では、「血液型性格判断は、遺伝学の問題でもある」とは必ずしも言えないことになります。  

私も、「統計データがあればメカニズムは無視してもいい」と考えます。なぜならば、血液型性格診断は遺伝学の問題であるからです。ABO FANは遺伝学と分子生物学の違いをよく理解していないように見えます。遺伝学では、遺伝子型からどのようなメカニズムで表現型が生じてくるかという問題は必ずしも扱いません。その問題は、主に分子生物学や発生学に属する問題です。たとえば、慢性関節リウマチの人たちの集団に特定のHLAのタイプが統計的に有意に多かったとき、そのHLAのタイプと疾患の関係について詳しいメカニズムが明確になっていなくても、慢性関節リウマチという形質とHLAのタイプという遺伝子型になんらかの関係があると推定できます。私が問題にしているのは、メカニズムの不在ではなく、統計データが不十分であることです。


NATROMさんは、多くの心理学者とは違い、「血液型が性格に影響を与えるメカニズムが明らかでない」から血液型人間学は疑似科学と主張されているようです。  
私は、「血液型が性格に影響を与えるメカニズムが明らかでない」から血液型人間学は疑似科学と主張してはいません。ABO FANがいったいどこでこのような誤解をしたのか興味がありますので、よろしければどこでNATROMが上記引用しているような主張をしたと考えたのか私自身の言葉を引用してください。血液型人間学は疑似科学であるで、きわめて明確に、「能見正比古氏、俊賢氏の提唱する血液型人間学は、第三者による検証を受けておらず、また、第三者による検証が可能な形で発表されていないがゆえに、科学であるとは言えない」と書いてあったはずですが。ABO FANの読解力に問題がないとすれば、トンデモ論者にありがちな「論敵の主張をねじまげたうえで否定する」の格好の例となると思います。


しかし、それなら進化論も状況証拠しかない−少なくとも私の記憶では−ので、同様に疑似科学ということになるはずです。  

まさしくABO FANは創造科学支持者のようなことを言っています。ABO FANが創造論者ではなく進化論者であることは疑いませんが、科学に関して無知であり、不十分な理解しかしておらず、にも関わらず分かったような気になっているという点で、創造科学支持者と共通点があります。


なぜなら、遺伝子が変化して新しい種が生じることは(状況証拠はいくらでもありますが)まだ科学的に因果関係が証明されていないはずだからです。  

遺伝子が変化して新しい種が生じることは実験的に証明されていますし、自然界で観察もされています。因果関係あるいはメカニズムにおいても、細部はともかくとして、だいたいのところは解明されています。


ここでは、「種の地理的分布は進化を仮定しないと説明困難です」であり、決して「種の地理的分布は進化によるものだと証明されました」ではありません。つまり、「種の地理的分布は進化によるものだと[いう因果関係は]いまだに証明されていない」ということになります。  

私が想定している論敵が神による創造を信じている創造論者であるということを忘れないようにしましょう。「あたかも進化が起こったかのように神は種を配置したのだ」という反論を考慮してのことです。地動説と同程度には、種の地理的分布は進化によるものだと証明されています。「地動説と同程度」という表現の意味合いは後述します。


やはり「進化が起こったという仮説は科学的に正しいとされている」のは必ずしも「進化のメカニズム(因果関係)が科学的に証明されたからではない」ということになるようです。
つまり、この点では心理学者が血液型に対するのと同じ論理になります。それなら、進化論に求めないものを血液型に求めるということにはならないのでしょうか?  

なりません。進化が起こったかどうかと、進化のメカニズムは異なる問題です。血液型と性格に統計的に有意な関係があるかどうかと、その関係がどのようなメカニズムで生じるのかどうかという問題が別の問題であるのと同様です。メカニズム不明をもって血液型性格診断を疑似科学扱いするのは誤りですが、私は別の理由で血液型性格診断を疑似科学としています。


蛇足ですが、ここの地動説の説明には少々誤解があります。地動説が正しいとされたのは、「ニュートン力学と結びつき、検証可能な予測ができる」からではありません。ケプラーのモデル(地動説)の方が従来のプトレマイオスのモデル(天動説)より正確な説明ができるようになったからです。コペルニクスのモデル(地動説)では地球の軌道は円軌道とされていましたから、精度は従来の周点円による天動説と似たりよったりでした。しかし、ケプラーにより地球の軌道は円軌道ではなく太陽を焦点の1つとする楕円軌道であると修正されたため、従来の天動説より格段に精度が上がって勝負が付いたのです。ニュートン力学との結びつきはその後になります。  

蛇足ですが、地球は不動であり、その不動の地球の周りを太陽がまわり、さらに太陽の周りを他の惑星がまわるという折衷的な天動説もありました。もし仮に、折衷的な天動説が楕円軌道という修正を受け入れたとしたら、ケプラーのモデルと比較して、こうした折衷的な天動説の精度は劣るところはありません。事実上、両者は全くの同一の予測を行ないます。精度のみで地動説と天動説の問題に関して勝負が付いたとするABO FANの見方は不正確です。


また、「実験室で地球が太陽の周りを回っていることを示す実験はありません」とのことですが、万有引力の測定は実験室でできますし、人工衛星を打ち上げたり、月や惑星に探査機を送ることもできます。もちろん、人工衛星の軌道や食、探査機の軌道を観測することも可能です。従って、この記述はあまり妥当なものとは思えません。  

種分化の実験は実験室でできますし、形態の変化を野外で観察することもできます。もちろん、遺伝子頻度の変化を観察することも、コンピュータ上で進化をシミュレートすることも、複数の表現型やDNAの配列を比較し系統樹をたどることも可能です。それで、「実験室で地球が太陽の周りを回っていることを示す実験はありません」という記述のどこが妥当ではないのでしょうか?

上記に引用したABO FANの文章は、「進化論も状況証拠しかない」と述べるような人物による科学に対するありがちな無理解を示すものです。科学という方法論の限界として厳密な証明は不可能であることと、ある特定の学説(たとえば進化論)が不確かであることを混同するという誤りを犯しています。地動説に関しても、万有引力の測定や探査機を送ることにより、さまざまな証拠が得られますが、それは絶対的な証明にはなりません。実験室で測定した万有引力が、惑星間にも同様に働くという保証がどこにあるのでしょう?探査機に作用する力と、惑星に作用する力が同一であるという保証は?地動説にも状況証拠しかないのです。

こうした問題を扱う哲学が科学哲学であるわけですが、一般的な科学の現場においては、特に明確な証拠でもない限り、実験室で測定した万有引力や探査機に作用する力が、惑星間に作用する力と同一であるとみなします(斉一性原理)。サンゴ礁の年齢の推定や放射性同位体による年代測定には、空間ではなく、時間に関して斉一性原理が前提となっています。斉一性原理は前提であって、証明されたものではありませんので、斉一性原理を疑えば、どのような科学の学説も疑うことができます。ただし、斉一性原理に懐疑的になることによってある特定の学説(たとえば進化論や放射性同位体による年代測定)を疑うのに、別の科学上の学説(たとえば地動説)を疑わないのは、ダブルスタンダードです。

進化論を批判し、創造論を擁護する人たちは、しばしばそうしたダブルスタンダードな戦略をとります。よって、科学においては絶対的な証明は不可能であり、たとえ、タイムマシンがないと証明できそうもない仮説に関しても、仮説が検証可能であり、さまざまな方法で検証されていれば、それは確からしい科学的仮説であるとみなすということを、「Q.進化は実験で再現できないから科学ではないのでは?」というFAQにおいて私は説明しておきました。が、ABO FANさんにはご理解いただけなかったようです。


> 遺伝学からみた血液型性格判断
> http://doko.totto.to/~tosakai/Blood.html

> というサイトをつくりましたのでご笑覧ください。ABO FANからリンクを張ってい
> ただいて結構です。

このアドレスはミラーサイトのものです。オリジナルのアドレス(もちろんリンクフリー)はこちらです。

#ミラーサイトだけ紹介して、オリジナルのサイトを紹介しないというのはちょっと不思議です。
#単に紹介し忘れただけだと思いますので、あまり深く考えるつもりはないのですが…。  

紹介したアドレスはミラーサイトのものではありません。どちらも、同一のサイトです。ABO FANは同一のサイトが複数のドメイン名を持ちうることをご存じなかったようです。


これらの記述はそのうち変更されるのでしょうか…。はて?  
私が問題点を指摘したABO FANのページは現在訂正される様子がないようですが、それらのページの記述はそのうち変更されるのでしょうか。


>> 危険率0.1%については、元の論文に出ているものです。お手数ですが、お読みに
>> なってからご質問いただければと思います。

> 元の論文の記述をそのまんま書き写したのでしょうか。

NATROMさんが疑問に思うのももっともです。確かに、私も原文を読むまではかなり疑問でした。
#さすがに松井さんはきちんと計算していたので特に問題ありません。

さて、この部分はあまり統計に興味のない(普通の)人なら見過ごしてしまうところです。ましてや、検算なんかする人はほとんどいません!

ところが、NATROMさんはきちんと検算までしているわけです。それなら、松井さんのデータに関する私の意見を読んでないなんてことは絶対にない…はずです。

事実としては、この部分には何のコメントもありません。特にコメントがないということは、素直に考えると私と同意見ということでしょう。それは例えば、「常識のウソ2」にある、

結局、日本人は血液型を信じている人が多いのだから、(本当に関係のあるなしにかかわらず)こういうデータを取ると必ず差が出るのです!

つまり、冒頭に引用した長谷川さんに限らず、「血液型と性格に関係があるという 統計的なデータはない」という主張は、初めから間違っていることになります。しかし、多くの否定論者もよくもまあこんなおかしな主張をしていたものです。かれこれ15年ぐらいになりますが、本当に誰も気が付かなかったのかなぁ。実に不思議というしかありません。(@_@)

 

まず、「ABO FANは、間違った計算結果をそのまま載せている。たとえ引用元が間違っていたとしても、ABO FANに都合のよい結果であるからといって間違ったまま載せているのは公正な態度ではない」という私の指摘には、ABO FANはまったく反論していないことを確認しておきます。「私も一応検算はしました」とあるからには、間違っていると知りつつもABO FANはそのまま載せており、かつ、間違いではないかとの指摘を受けても「元の論文に出ているものです」としか答えられなかったわけです。こうしたABO FANの態度は公正でも誠実でもないと私は考えます。

それから、「特にコメントがないということは、素直に考えると私と同意見ということでしょう」とあります。特にコメントがないということは、同意見であるということのほかに、間違いを発見していても反論するのが面倒であったり、意味不明でコメントしようがなかったりするという可能性をABO FANは見落としているようです。日本人は血液型を信じている人が多いのだから、(本当に関係のあるなしにかかわらず)こういうデータを取ると必ず差が出る、とありますが、血液型と性格の強さとデータをとるときのサンプルサイズによっては、「データを取ると必ず差が出る」とは限りません。特に私は「ABO血液型と性格には関連がない」と主張しているのではなく、「広く信じられている血液型性格診断が言うほど、ABO血液型と性格には強い関連があるという証拠はない」「血液型と性格の関連の肯定論者の提示する論理や証拠には問題がある」と主張していることに注意してください。ABO血液型と性格に弱い関連があったとしても、私の主張の妥当性がなくなるわけではないのです。ABO FANの記述には、上記引用部分のように、ABO血液型と性格の関連の強さという視点が決定的に欠落しており、この点も問題であると考えます。


つまり、私だけでなくNATROMさんも、松井さん(とほとんどの否定論者である心理学者)の「データを取ると差がない」という主張は間違っている、考えていることになります!(どうもありがとうございますm(._.)m)  
論敵の主張を捻じ曲げる」の典型例ですね。私は、血液型と性格の相関は無いか、あってもきわめて弱いものであると考えられるので、少ないサンプルサイズでデータを取っても差が出なくても全然不思議ではないと考えています。さらに、日本人に血液型と性格の関係を信じている人が多いとしても、それで実際に検出できるほど差が生じるとは限りません。こんな簡単なことにABO FANが気付いていないとしても、さほど不思議ではありませんが。



[2004年2月22日追加]

> 「統計データがあればメカニズムは無視してもいい」と考えます。
> …私が問題にしているのは、メカニズムの不在ではなく、統計データが不十分であることです。
今までの遺伝子や医学論文についての議論は無意味(?)ということなります。(*_*)
では、「メカニズムは無視してもいい」ということだそうですから、反論も再反論も無意味(?)ということになります。従って、今回の回答では触れないことにします。 
ABO FANは、必要条件と十分条件ということがよくわかっていないようです。それに、少なくとも、ABO FANの扱う遺伝子や医学論文についての議論がきわめて杜撰である、ということが示されたのは意味があります。反論できないがゆえに、ABO FANがメカニズムの議論を避けたことが賢明な読者諸君にはよくわかると思います。私の反論の要点は、血液型と性格を関連付けるメカニズムは明らかになっていないことだけでなく、血液型と性格は関係がある、というきちんとした医学的な根拠があるというABO FANの主張は間違っていて、ABO FANの医学論文についての議論がきわめて杜撰であるということにもあるのです。今後、ABO FANは論文の扱い方が杜撰であるという指摘に対して、的確な反論ができないであろうとということを予言しておきます。


私が間違っているということなら、原典に当たって再反論するのが一般的ではないのでしょうか?  

計算ミスについてはABO FANが間違っているのではなく、原典が間違っているということについては意見の相違はありません。私が問題にしているのは、計算が間違っているということそのものではなく、計算が間違っていることに気付きながら自説に都合がいいためそのまま載せている不誠実さなのです。


 う〜ん、JNNのデータの1万人のサンプルでも「少ないサンプルサイズ」になってしまうのですか…。
 ただ、NATROMさん自身も既におわかりかと思いますが、

 ということですから、松井さんの結論が間違っていることには同意していただけたものと判断しますが、よろしいでしょうか?  

ええと、JNNのデータの1万人のサンプルを少ないサンプルサイズと言っているのは誰ですか?やっぱり、ABO FANは、必要条件と十分条件ということがよくわかっていないようです。私は、「日本人に血液型と性格の関係を信じている人が多いとしても、それで実際に検出できるほど差が生じるとは限りません」と書いたのに、いつのまに「日本人の多くは血液型ステレオタイプを信じているので、十分なサンプル数なら必ず差が出る」ということになったのでしょう?それに、能見親子を評価しているABO FANは、数万人でしか有意差が生じないという事実について、どのように考えておられるのでしょう?まさしく、能見が主張していたような「性格の四分の一がABO式血液型で判る」ことが否定されるような結果であるのですが。


ちなみに、「ちなみに、オリジナルのタイトルは「NATROMさんからのメール」です…。」とありましたが、最終更新日:平成15年8月16日の~shozo_owada\index.htmにおいては、

・NATROMさんからメールのページをオープンしました (8/11)
とありました。「NATROMさんからメール」であろうなと思いつつ、オリジナルに忠実にかようなタイトルになっています。間違えたのは自分なのに、あたかも相手が間違えたかのように書くような失礼な人間にはなりたくありませんね。

ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


参考文献

伊勢田哲治 疑似科学と科学の哲学 名古屋大学出版会

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2003/8/26