このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
もうちょっと自分の信仰というのに自信をもったらどうか。
科学は宗教の領域を侵したりしない。
そもそも冒すことなど不可能なんだから。
だいたい、自分の信仰に自信がないから、科学が神を否定するんじゃないかとかいうような被害妄想に陥るんだ。
ちったぁ、自覚しろと言いたい。
そうそう、「こころ」ってのを科学することは可能ですよ。
それは、「こころ」ってのを、科学の対象として定義してからの話になる。
それが、あなたのイメージしている「こころ」なるものと同義かどうかは、分からない、、、が、まず間違いなく、異なるものだから、安心しておきなさい。
失礼いたします
「こころを強くするメッセージ」のご案内です
◆◇◇◆◇◆ 「さて・こころとは」 ◆◇◆◇◆◇◆
脳生理学で、細胞の生理現象は解明できても「心」
の証明はなし得ません。
遺伝物質は核内にあり、遺伝暗号が染色体を織り
成しながら、アミノ酸配列を決定づけ るという分析は
なされますが、化学記号・電気信号がなぜ思いを言葉
に・言葉を行動に結びつけるかは科学されていません。
つまり、満腹・満足の細胞システムの働らきは、実験
データでとらえることはできますが、「愛」の言葉の流れ
を測定することはできません。
これは、細胞間の伝達情報をタンパク酵素や、アミ
ノ酸酵素の働らきで捕らえようとす るからです。
細胞ネットワーク(シナプス)を生理学的にしか認めよ
うとしないからです。
脳細胞は「心」ではありません。脳を見つめるもう一
つの「脳」こそ心です。つまり、 霊の所在が心であり、
思いをつくりあげるコトバを内在する細胞が「こころ」な
のです。
脳細胞はコトバを受容し、理解するスーパーコンピ
ュータです。記憶・分析・演算装置をコトバが結合し、
作動させそれぞれの感覚細胞がそれぞれの肉の器官
に指令を出します。
脳細胞は「魂」です。肉の指令に関わったり、霊の
指示に動いたりする肉の器官です。 魂細胞は肉に
根づいています。
心がそれを解き放つのです。聖書の言をもって「魂」
を肉に任せるか、心をもってとり還すかあなた次第です。
「神は愛なり」この遺伝物質・遺伝暗号は科学する
ことができません。ただ一つの真実は「始めに言があっ
た。コトバは神であった」 ということです。
神の分身であるコトバは、心の中に霊として暗号化
されています。同様に細胞にも神のいのちが、肉とし
て宿っています。
その「いのち」を執り成すのが聖書です。見えないも
のは「科学」できません。在ることの証明を「科学」は
なし得ますが、なぜ、そうなるかの実証はなしえません。
愛・喜び・平安、これらのコトバは分子生物学から
は出てきません。
これは、神の言葉だからです。
======= 安達三郎 ======
「こころを強くするメッセージのご案内」 と Google
にて「検索」してください。
こんにちは。
ダーウィンの言葉を検索してこちらにたどり着きました。
たぶん旧約聖書の「コヘレトの言葉」の言葉をもじってダーウィンが言ったように作られた言葉なのではないかと思います。
「太陽の下、再び私は見た。
足の速いものが競争に、強いものが戦いに勝つとは必ずしも言えない。
知恵があるからといってパンにありつき
聡明だからといって富を得たり
知識があるといって好意をもたれるのではない。
時と機会は誰にも臨むが
人間がその時を知らないだけだ」
前半の部分が逆説的で気の効いた言い回しなので、検索して旧約聖書の言葉だと知り、
その後似た言葉がダーウィンの言葉である(といわれている)ことを知りました。
そしてここにたどり着いたわけです(笑)
>これはもちろんダイヤさんが以前話していた、野生型と変異型と言う遺伝子の違いがあるんですよね?その遺伝子は特定済みですか?
例えば,合成ピレスロイド剤抵抗性に関しては,
ナトリウムチャネル遺伝子が関与していることを示す研究がありますね
>合成ピレスロイド剤抵抗性コナガのナトリウムチャネル遺伝子の解析
>
>コナガの合成ピレスロイド剤抵抗性は、神経の感受性の低下によってもたらされることが示されてきた。
>本研究では、様々な昆虫で感受性の低下による合成ピレスロイド剤抵抗性への関与が指摘されている、
>ナトリウムチャネルのドメインIIセグメント4-6領域のアミノ酸配列を抵抗性系統と非選抜系統間で比較した。
>その結果、抵抗性系統ではセグメント5およびセグメント6領域において、それぞれスレオニンからイソロイシン、
>ロイシンからフェニルアラニンへのアミノ酸置換が認められた。非選抜系統でも、同領域において抵抗性型の
>アミノ酸が認められた。しかし、抵抗性系統に比べるとその頻度は低かった。いくつかの鱗翅目昆虫で合成
>ピレスロイド剤抵抗性への関与が指摘されている、ドメインIセグメント6領域とドメインIII-IVリンカー領域
>のアミノ酸配列を抵抗性系統と非選抜系統間で比較した。しかし、抵抗性系統ではいずれの領域においても
>アミノ酸置換は認められなかった。これらの結果は、本研究におけるコナガの合成ピレスロイド剤抵抗性には、
>ドメインIIセグメント4-6領域のアミノ酸置換が関与していることを示唆している。
>Journal
http://db.tulips.tsukuba.ac.jp/aez/query5.IDC?ID=2671
> 「農薬などの耐性の獲得を防ごうとする」農学的な「応用進化学」は密接に関係したものなんで,
一つの実験に理論と応用の両方の目的があることも多いですよ
そそ、これが知りたかったのです。やはり農薬の耐性などと進化の実証例って深く関係しているんですね。
> 例えば,以前も紹介したコナガの例なんかはどうですか?
すいません、忘れてしまいました。
下記に紹介があるのですね。どうも。
>これらは,突然変異によって生じた「薬剤抵抗性」という遺伝形質が
>農薬散布という選択圧によって集団中に拡がっていく現象です
これはもちろんダイヤさんが以前話していた、野生型と変異型と言う遺伝子の違いがあるんですよね?その遺伝子は特定済みですか?
>いやいや、本質的にどうかではなく、実験の目的ですね。農薬の実験などですね。
>そこで得られた進化の知見って意味です。進化の謎を探ろうとかそういう目的ではなく、
>農薬などの耐性の実験なのかな?と思ったため聞いて見ました。
>
>一つだけ知りたいのですけど、滅多に無い事例って実際なんですか?蛾の工業暗化って問題が多いって聞いたのですけど。
>フィンチ、シグリッド、薬剤耐性ハエなどなど、他に無いですか?
害虫の薬剤抵抗性発達の例なんかはたくさん報告されていますね
例えば,以前も紹介したコナガの例なんかはどうですか?
農業の現場で推奨されている「ローテーション散布」なんかは,
まさに「自然選択説の応用」です
「進化の謎を探ろうとする」理学的な進化生物学と
「農薬などの耐性の獲得を防ごうとする」農学的な「応用進化学」は密接に関係したものなんで,
一つの実験に理論と応用の両方の目的があることも多いですよ
>進化の強い証拠 投稿者:shinok30 投稿日: 2007年01月16日23時47分
>
>キャベツなどの葉を食害するコナガという害虫がいます
>有機リン系、カーバメート系,合成ピレスロイド系の農薬(殺虫剤)は,
>開発された当初は有効でしたが,
>1970年代以降,各地で抵抗性を持った個体が出現し,
> 同系統の農薬を連用した地域では抵抗性が強くなることが観察されています
>>コナガはキャベツなどの葉を食害するアブラナ科野菜の大害虫です。
>>世代交代が早く、春から秋にかけて4〜5回も発生します。
>>そのため、同じ薬剤を連用すると抵抗性が発達しやすいという特徴をもっています。
>>コナガの抵抗性の発達による防除効果の低下は、1970年代以後全国的に見られる
>>ようになってきており、大きな問題となっています。
>>
>>コナガの防除には、抵抗性を発達させないように、系統の異なる薬剤をローテーション
>>使用することや、効果の高い薬剤をうまく組み合わせることが大切です。
>http://info.pref.fukui.jp/nougyou/fr/83/fr83_4.html
>
>同様の抵抗性の発達は多くの害虫で確認されています
>これらは,突然変異によって生じた「薬剤抵抗性」という遺伝形質が
>農薬散布という選択圧によって集団中に拡がっていく現象です
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board070120.html
変異した表現型の変異をもたらした原因としての遺伝子変異と意味です。ANDだからってまったく関係無い遺伝的変化があったからどうだ?ってなりますから。
> 省略せずに言えば「変異型と野生型の遺伝子の違いによってもたらされる,両者の表現型の違い」です.
特にレスは求めませんが、私の解釈がおかしかったら反論もらえると助かります。
両者に何の関係も無いと思っていましたが、どうやら自然淘汰と中立説の違いは、ANDすなわち、”かつ”でつなげられる関係だと分かりました。
DNAの変異があり、なおかつ表現型でも変異と認めれるものを、野生型に対して変異型とすると言った感じでしょうかね。もちろん野生型、変異型は稀に自然状態でも発生するとしてのプロトタイプと言う意味での野生型です。
>そうすると変異型と野生型の遺伝子の違いが有利不利だと受け取れるのですけど。
省略せずに言えば「変異型と野生型の遺伝子の違いによってもたらされる,両者の表現型の違い」です.
>後中立説の話しが出ていたのですが、これは遺伝子の話ですけど。変異型って表現型の話じゃないのですか?
遺伝的な変異による表現型の違いも含みます.分子進化学では表現型に出ようが出まいが進化と呼びますが,自然淘汰との関連で言えば表現型に出ない変異は基本的に有利にも不利にもならない筈です.
(基本的には,と付けたのは言い切る自信がないからです.分子レベルで生じる何らかの現象もあるかもしれんし・・とは言え,うだうださんが主に述べているような大きな形態や行動の淘汰には関係ないとしてもいいと思いますけど)
中立説について,木村の「分子進化の〜」というタイトルが気になるのでしたら,その後「やや中立」まで拡張された説と考えて下さい.生態学などで「中立説」とか「遺伝的浮動」とか言う場合は表現型まで含めるのが普通です.
>一つだけ知りたいのですけど、滅多に無い事例って実際なんですか?
>フィンチ、シグリッド、薬剤耐性ハエなどなど、他に無いですか?
微生物ならいくらでもあるんでしょうが,大形の動物で何世代も飼育して,という例はどうでしょう?
もちろん品種改良を含めれば,これまたいくらでも例はあるわけですが.
変異が生じる頻度という点なら,品種改良に要した時間が一つの目安にはなるでしょう.生じた変異を集団中に固定するプロセスは野外よりうんと加速されていると思いますが.
(ここで変異の頻度をさっと出せれば良いのだが集団遺伝学は詳しくないのでよく知りません)
> > 「『中間種の個体の化石』が見つかれば,キリンの首(についての”ダーウィン的”自然選択)が検証可能になる」
>
>これなら筋が通るでしょ。
ダメです
『中間種の個体の化石』の存在で否定されるのは,(AH1 さんも言う通り)
>オカピのような生物が一世代でキリンになった可能性
ぐらいですよ
”ダーウィン的”自然選択説以外の仮説,
例えば,「ラマルク的用不用説」も
『一世代でキリンになった可能性』を前提にはしていないでしょう?
>用不用説
>動物がその生活の中でよく使う器官は、次第に発達する。逆に、はじめから存在する器官であっても、
>その生活の中で使われなければ、次第に衰え、機能を失う。このことは、我々の体でも起きることで
>あり、自明のことと言ってよい。
>そこで、彼はこのようにして生涯の間に身につけた形質が、子孫に伝わるのだと考えたのである。野外
>では、多くの動物は一定の環境下で何千、何万年にもわたって世代を繰り返すから、世代ごとの蓄積は
>少しであっても、それが続くことで次第に大きな変化となると考えたわけである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A8%E4%B8%8D%E7%94%A8%E8%AA%AC
ちなみに,現代の総合説は
「オカピのような生物が『地質学的に一瞬で』でキリンになった可能性」を否定してはいませんよ
まず,エルドリッジやグールドが提唱した「断続平衡説」がありますね
>断続平衡説
>エルドリッジらの主張では、化石にならなかったのではなく、”何百万年も変化し続ける”
>中間種というものがそもそも存在しないとする。種はその初期の段階で急激に変化していき、
>ある程度の形が整うと、その後何百万年とほとんど変化しない平衡状態になるというのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E7%B6%9A%E5%B9%B3%E8%A1%A1%E8%AA%AC
この『形態の長期的平衡現象』の原理は分かっていないことが多いのですが,
現象自体を否定することはできないでしょう
つまり,中間的な形態を持った個体の化石は見つからないのではなく,
『ない』可能性があるということです
この現象について,Maynard Smithなどの集団遺伝学者は安定化淘汰説で,
グールドらは発生的制約説で説明し,
Mayrは「個体群サイズが大きいことによる進化の停滞があるのではないか?という仮説」を提唱しました
しかし,N. Suno-uchi, et. al.(1997)は,カブトエビを材料に,
「形態的な変化の大半は種形成とは必ずしも関連しておらず,
『長期的平衡現象』は『重要な進化現象ではあるが種レベルの特質ではない』」と結論しています
もし,一般に「形態の長期的平衡現象」が「種レベルの特質」でないとすれば,
「個体群サイズが大きいことによる効果」や「『種特異的な』発生的制約」などは否定されるでしょうね
参考文献
N. Suno-uchi, F. Sasaki, S. Chiba and M. Kawata(1997)
Morphological stasis and phylogenetic relationships in Tadpole shrimps, Triops (Crustacea: Notostracea)
Biological Journal of Linean Society.61: 439-457.
大体分かってきたのですが、有利ってのは、やっぱその変異型個体の数が増える事で有利だとするのですか?
そうすると変異型と野生型の遺伝子の違いが有利不利だと受け取れるのですけど。
後中立説の話しが出ていたのですが、これは遺伝子の話ですけど。変異型って表現型の話じゃないのですか?でも結局遺伝に関わってこないと進化とは言わないでしょ?この辺りの遺伝子と表現型の関係がぐちゃぐちゃで分かり難いです。
了解了解。有利不利の話は、科学としての進化に関係する事では複雑な条件を加味するのを単純化して実験室で得られた事実が多いと言う事ですね。
> 薬剤耐性と進化には本質的には何の差もないですよ.
いやいや、本質的にどうかではなく、実験の目的ですね。農薬の実験などですね。そこで得られた進化の知見って意味です。進化の謎を探ろうとかそういう目的ではなく、農薬などの耐性の実験なのかな?と思ったため聞いて見ました。
しかしすべてその前の実験室での業界用語と分かった為、特に気になるほどの事ではなくなりました。
言語の使用としては実験室での観察がほとんどなので、おのずと有利不利に関して実験室での枠内の前提の言語使用と心得ました。まあこれはレスは結構ですので、おかしなと思ったら何か異見をもらえると良いのですけど、実験室での知見とはいえ、自然状態のフィールド上でおそらく有利不利に関して、野生型変異型の様な状況は発生するだろうと言う事だと解釈しました。
一つだけ知りたいのですけど、滅多に無い事例って実際なんですか?蛾の工業暗化って問題が多いって聞いたのですけど。フィンチ、シグリッド、薬剤耐性ハエなどなど、他に無いですか?
滅多に無いけどって言い方は、極わずかあるって根拠があるんでしょ?上記のもの以外聞いてみたいです。
まず「滅多にない」の説明ですが.
野生型ってのは「現在の環境に既に適応済み」のタイプです.言わば「勝ち抜き戦やって現在トップ」なわけですよ.
こいつに勝てる変異型はそう簡単に生まれやしないだろう,というのが「滅多にない」の意味です.中立説を思い出して下さい.
で何故,実験室の話が出て来るかと言えば,単に学問分野の問題です.
野生状態で進化を観察するのが難しいことは言わずもがなですね.
遺伝子レベルで進化を捉える場合,実験室で,世代交代の早い生物を使ってやるのが常識なんです.そういう統制された条件でわかった事実を元にして,「じゃあ野外でもこういう事が起こっているんだろう」とか「野外でのこの事象はこの実験結果から説明できるだろう」とやるわけです.言ってみれば(今は統合も進んできてるようですが)分子遺伝学とフィールド生物学は巨大デパートのデパ地下と屋上遊園地くらい違ったんですよ.
だから分子レベルで進化を語る用語は実験室用語が多い,という,それだけの話です.
>これは進化の為の実験なのか、それとも昆虫などで薬剤の耐性などを見る進化とは別の変異実験なのか?
薬剤体勢と進化には本質的には何の差もないですよ.
薬剤が存在する環境下,というのは「氷河期」「捕食者」等と同じ「ある淘汰圧をかけて来る環境」であり,耐性のある個体が生じるのは突然変異によるからです.
「ある形質が突然変異によって生じ,それがその生物が置かれている環境によって淘汰圧をかけられる」という基本原則は全く同じです.
「実験室の中でだけ起こっているツマラナイ事」に見えるかもしれませんが,本質が同じだから研究されるし応用されるんです.もちろん,野外に適応しようとすると破滅的に話が複雑化するのは承知の上ですが,最初から複雑なものを扱うとワケがわからないですから.
http://www.athome.co.jp/academy/biology/bio08.html
そういえばシグリッドも進化の現在進行形の観察としては良い事例だね。
○このような3%の有効部分にサインが偶然入り込んでしまうと、この設計図が変化してしまうわけです。そして、設計図を変化させることによって、新しいタンパク質を作り出すというプラスの効果をもたらす可能性もあります。私の研究室では、こうしたサインの影響も研究しています。
プラスの効果に対する例として以下の様な話があります。実際暗いところにすむシグリッドがいるのでしょう。
○例えば網膜には光を感じる数種類のタンパク質が存在しますが、そのタンパク質の設計図であるDNAがほんの少し変化しただけで、感じる光の波長が変る。そして、より暗い光を感じることができるようになった魚は湖の深いところで生息できるようになり、やがて新しい種に分化する。
ここでは競争が語られていませんが、適応ってのは周りとの生物無生物どちらでも良いが、その関係性で都合の良い変異があたっと言う事かと思います。都合がよいってのも適当な言葉ですけど。んで、有利ってのはやはり不利な相手がいないとどうも上手く使いづらい。機能が変わってしまって新しい生活の場を得た場合、逆に競争がなくなります。変異はこう言う物も含むのですが、有利ってのは同一の機能の優劣である気がしてきました。
私がどういう実験をするのか、分かってないことと、これは進化の為の実験なのか、それとも昆虫などで薬剤の耐性などを見る進化とは別の変異実験なのか?まったく分かってない。
要するに現場を知らなさ過ぎる。しかし、本得られるものもあるでしょう。実験の現場だけが科学なら科学とは言えない。明文化できてこそそれまでの学問とは一線を画するものでしょ。まあ職人芸や錬金術とは違うと言う事です。
言ってる事は十分に分かります。しかし何か明確さに欠ける。例えば自分で進化論について知らない人に話すとき多分迷います。
実験室での変異、自然状態での変異、実際の進化は自然状態ですよね。実験室はその速度を意図的に速めたり、ターゲットを決めた機能の変異体を作り出すなどの目的がありますよね。
野生型といった場合、実験室での培養の変異型と対だと考えると、その目的とする実験以外の、自然状態での有利不利と言うのはどうやって語られるのか?それとも実験室での結果を元に自然状態ならこうだ?と考察していくのか?それともそもそも便利な変異を見つけるための育種に近い実験なのか?
> 生存に有利な変異が何世代にもわたって選択されることにより進化が起こるという説です。
ここで語られている有利な変異は、実験室の事ではない。
なのに、
> また,「変異型が野生型に比べ、環境に適応した結果、少しでも生き延び、少しでも子供を多く残すことで集団に広まる。」というような一般化した言い方の場合,環境の方が変化するのもアリです.
何故自然状態と密接に関わる環境に適応なる言葉が出てくるのか?
まあAH1さんが何が言いたいかつかめないと言う事ですね。
ただし、野生型変異型って言葉を無視すれば、言ってる事は分かりますよ。
それとも、
> 滅多に出ないと思いますけど.
この文章の続きなのかな?日本語の構成としては良く分かりませんけど、だったら理解できます。滅多に出ない寒さに強い変異型の話ですよね。
よく読んでみると、変異型は
「実験室内で継代培養して得られる変異」
と書いてますが、実際に人間が観察するうえではそういうケースが多いとして、変異型は自然状態でも生じるって意味なら、すべてがつながります。
すいませんね、内容に対する理解ではなく、どうもごちゃごちゃになっているから、頭がついてこないだけで分からないと言ってしまっています。
>不利は分かりますが、有利が良く分からない。
野生型が「完成型」ってわけじゃないから,有利な変異を生じる場合もあり得ますよ.
滅多に出ないと思いますけど.
また,「変異型が野生型に比べ、環境に適応した結果、少しでも生き延び、少しでも子供を多く残すことで集団に広まる。」というような一般化した言い方の場合,環境の方が変化するのもアリです.
例えば
・ちょっと寒さに強い変異型が時々出る
・温暖なのでそういう変異型は別に有利ではなく,広まらない
・気候が寒冷化する
・寒さに強い変異型は野生型(意味としては「原形」)よりも有利になるので広まる
でもいいです.
不利は分かりますが、有利が良く分からない。基準を野生型にしても良いですけど。
すごく単純に以前この掲示板でヘモグロビンを変化させたスーパーマウスの話がありましたけど、これはもう野生型と比べて有利と考えて良いのかな?
ただ何が有利なのか良く分からない…。
>変異する前の型と言う解釈で良いのでしょうかね?
そうです.
野外から取って来た系統(とか株とか)を実験室内で継代培養して得られる変異のことを言っているのだと考えて下さい.
http://www.brh.co.jp/katari/shinka/shinka09.html
変異型が野生型に比べ、環境に適応した結果、少しでも生き延び、少しでも子供を多く残すことで集団に広まる。
この言葉の意味が良く分かりません。どっちも野生の個体だと思うんですけど。変異する前の型と言う解釈で良いのでしょうかね?
有利とか不利とか正負とか言っても何を基準に取るかで違いますよ。適応度という値の決め方を見ればわかるとおり、通常は野生型を基準に取りますが。
>突然変異だけに目を向ければ中立進化ならむしろエントロピー増大の傾向にあるといえるよ。
確かに、ひとつの種つまり交配集団の中のゲノムの配列の数をエントロピーと定義すれば、中立進化による変異型の増加は熱力学第2法則に該当し、自然淘汰により最適応の配列に収斂するのは熱力学第1法則に該当すると言ってもあながち的外れでもありませんね。正確には配列の数の対数を取るのでしょうが。
別にNATROMさん出てこなくて良いんだけど、
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/QandA.html
Q.人間が猿から進化したのだったら猿はみんな人間になってしまっているはずなのでは?また、猿より優れているはずの原人が絶滅したのに、猿が生き残っているのはおかしいのではないでしょうか?
A.種分化の繰り返しで、絶滅がなければ際限なく種は増えていきます。ただ、資源は限られていますので、ある環境に生育できる種の数は限られています。おそらく、原人はひらけた草原という環境での競争に敗れたのでしょう。猿は森に適応していますので、原人とは競争しません。そもそも、原人は単に草原に適応しているというだけで、原人が猿より優れているという考えは間違いです。
ここでは適応と使っている。有利適応、この2つは環境と言う文字を上手く扱えば、イコールなんだろう。弱肉強食や優勝劣敗という批判が分かり難いのは、この適応と言う考えと相性が悪いからだろう。この辺りNATROMさんじゃなくても良いから、NATROMさんが何をイワンとしたのか知りたいな。有利な変異、環境に適応した変異、この2つは同じだとおもうのだけど。有利と適応を使い分ける理由は、変異と淘汰を分かりやすく説明する端的な言葉だから?要は国語の問題。
今やフー掲示板で話しているのですが、
> 生存に有利な変異が何世代にもわたって選択されることにより進化が起こるという説です。
この有利ってどういう意味?この言葉ってちーっとも科学的だと思わないのです。
http://www.primate.or.jp/PF/yasuda/40.html
○正の選択作用は適応進化の基礎として最も重要な機構の一つであるが、多くの場合単なる推測でしかない。実際に遺伝学的に実例として報告されているのは、ガの工業暗化の例で黒色型遺伝子の増加、農薬の連続使用に伴う抵抗性遺伝子の増加など、ほんのわずかでしかない。しかし、ガの工業暗化については最近、ガの黒色化と工業による煤煙の増加との因果関係が必ずしも明確でないという(Sargent他 1998)。
うーんフィンチの研究以外有利って言葉が何を意味するか具体的ではないと思います。要するにそもそも弱肉強食なる進化論への批判ってそもそもが何が弱で何が強かさっぱり分からないので、競争そのものを批判するものかな?と受け取りました。
そもそも自然淘汰=弱肉強食とは何が批判されているのかさっぱり分からない。弱肉強食や優勝劣敗への非難って何が批判したいんだろ?ってさっぱり分からない。分かる人いますか?
まず自然状態の事実がそうだからと価値観が云々は無視します。それともその混同がこの勘違いの原因か?事実そうだからその事実を伝える進化論を攻撃するというのは筋違いもいいところ。それともいい加減な考えを振りまいたため弱肉強食的な発想がはびこった、いい加減な進化論をもっと正しなさい?だろうか?しかしだったら代替案を出せばよい。
敗者は滅亡のゼロサムゲームについての批判なんだろうか?んなことはダーウィニズムは説いてないと思われる。何が批判したいんだと考えていると、
> 生存に有利な変異が何世代にもわたって選択されることにより進化が起こるという説です。
これ(有利)に行き着くというわけです。
もちろんそうやって調査していれば良いですよ。しかしその調査以前は、いかにも見てきたような嘘を付いてたわけでしょ。進化論とはそういう思いつきの仮説に対する五條堀氏の揶揄だと思うんですよね。
英語読むの辛かったのですが、THANってあったからメスよりオスの方が大きそうだと理解しました。中学レベルの英語でも多少は分かるものだ。
キリンの首が長いことの適応的意義は、中間型化石がなくてもいろいろな方法で検証できます。
たとえば、仮説1「キリンの首が長いのは、その方が高いところの葉を食べることができて有利だったからだ」からは、「キリンの首の高さは、キリンが多く食べている木の葉の高さにおおむね一致するはず」「平均より首の短い個体は採食効率が悪いはず」などの検証可能な予測が導かれます。また、仮説2「キリンの首の長さは、遺伝的浮動によって進化した」からは、「キリンの首の長さと生存・繁殖率に相関はない」「首を長くするのに生理的コストはかからない(これはありそうにないが)」などの予測が導かれます。仮説3「キリンの首の長さは、性淘汰によって進化した」からは、「長い首の雄は、雄間闘争で勝ちやすいか、雌に選ばれやすい」「首の長さには性差がある」などの予測が導かれます。これらの予測を検証することで、どの仮説がもっとも信憑性が高いかを調べることができます。
で、ちょっと調べるとこんなのが見つかりました↓
http://links.jstor.org/sici?sici=0003-0147(199611)148%3A5%3C771%3AWBANSS%3E2.0.CO%3B2-A
アブストラクトを読む限り、この論文では、仮説1に否定的な証拠がいくつか示されていて、仮説3を支持しているようです。
> そもそも進化論と熱力学第二法則は関係ない、と纏めてしまってもよいでしょうね。
”一見”と言うNATROMさんの一言が気になるけどね。NATROMさん基本的には孤立系じゃないってオチだから。
私はむしろ分かった上で口走った”一見”って一言をどういう意味で言ったか問いたいけどね。代弁者として別の人でも良いけど。
要するに疲れる人ってのはある程度同意するけど、決して頭がぶっ飛んでいる人達じゃないんだ。一見って部分でNATROMさんも何かしらの理解があるんだ。わたしはむしろこういう共通点の方が面白い。
脱線するけど、信じるって言葉がある。信用するとか信頼できるとかなら、何かしら理性の香りがする。だけどイエスの復活を信じるって言葉なら信者じゃなければ、進化論はある程度信頼できると言う言葉と大きな差があると思う。
しかし信じるという人間の脳の働きは根底に置いては同じじゃ無いかと思っている。そういう共通点を知りたい。私は疑似科学も科学も宗教もこの信じるという言葉の元ではある種の共通点があると直感的に考えている。分け隔てることが出来ない人間の知性なんだと思う。
まあSさんの疑問とは大きくずれてるけど。
そもそも進化論と熱力学第二法則は関係ない、と纏めてしまってもよいでしょうね。
なんだか本当に……疲れる人たちなんだろうなー、と想像がつきました。
ありがとうございました。
http://www.hayashibara.co.jp/html/shinka/022/index.html
キリンの首もこういう仮説ぐらいしっかりしていたら、進化学になれたのかもしれない。
このHP面白いよ。
創造論、トンデモ、反進化論すべてに共通する事ですが、相手の進化論に対する反論に反論するのが極めて難しいと言う事です。
一見は苦し紛れだと思ってください。
”進化は複雑さを増す””
これですが、最近知ったのですが鳥はゲノム数を減らしたそうです。複雑さを増すって意味が良く分からないのです。ゲノムの数なんか?とか言いたい事が良く分かりません。もちろんこれはNATROMさんが創造論者の言い分をまとめたものなので、ソースはどうなっているか知りませんけど。
リストラってありますが、経営の合理化ですが、首切りだけじゃなくて無駄に複雑だった組織を合理的に再構成するって事ですが、複雑ってどういう意味なんだ?って創造論者の言いたい事がさっぱり分かりません。
それを想像と想定推測で補って話をします。議論上勝ち負けで言えば、不利で仕方が無いと思います。
同じこと言おうとしていたらAH1さんが発言してて、書込み防止機能で蹴られてしまったよ。
私がイワンとしていたのはまさにその通り。
> 確かに、一見進化はエントロピーが減少しているように見えます。
一つだけ付け加えて、”一見”がすごく気になる。多分この一見が重要です。
Sさん,こんにちわ
>エネルギー(仕事をする可能性の量とでもいうのでしょうか)は高いところから低いところへ流れ均一化する性質を持つというのと、進化論とが繋がるのが何故かわかりません。
私もよくわかりません.そもそも進化というのがエントロピーを増やしているのか減らしているのか,これ自体が定義次第というか,どこに目をつけるかによって変わるだろうと思います.
恐らく「こんな複雑なものは,誰か(っていうか神)が作り上げない限り,勝手にできあがる筈はない!」という進化否定の延長にある主張なのだと考えているのですが.
さらに,生物は太陽のエネルギー等を利用して一時的に体を作り上げて活動しているだけのことで,長いスパンで見ればやがて熱的な死を迎えるのは当然です.
外部からエネルギーを得て一時的に熱的な不均一を増大させるのであれば,例えば冷蔵庫も湯沸かし器もやっていることですから,別に何の法則にも反していないでしょう.
という理由で,私は「進化はエントロピー増大に反している」という主張は意味がないと考えています.
は神への進化なんだろうと思いますが、創造論者も馬鹿じゃない。その辺りはきちんと科学者に通じる言葉に直しています。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/entropy.html
「進化は複雑さを増す、あるいは情報量を増やす方向への変化である。これは熱力学第二法則に反している。よって進化が起こったとは考えられない」
”進化は複雑さを増す””情報量を増やす方向への変化”これらがエントロピー増大に反するって意味です。
さてこの解決の為に神を持ち出すのが面白い特徴ですけど。
「最初にすべての種が創造された時点が一番エントロピーが少なく、創造主の関与がなくなった後はエントロピーは増大する一方なので、創造論は熱力学第二法則に反しない」
いちいち科学的知識を律儀に守っているのが見てて馬鹿馬鹿しいです。
こちらが本音と言うわけです。Sさんが理解出来ないというより、創造論者の考え方が複雑怪奇だと言う事だと思います。
良く神がどうのかで使われるんだけど。
創造論に対する反論で話しているNATROMさんが、神と言う事とつなげてQに対するAとして答えるって妙なんだよね。
だから神に関しては無視しました。あれは仮想の質疑なんですけど。だからそもそも創造論側の論理から作り上げられていて、中には神と言うゴールに向かってとかのエントロピーの話があると思うのです。
しかし、それにそのまま乗ってしまっては答えているNATROMさんが科学的と言える話ではなくなると思います。そもそもNATROMさんは進化のゴール的神なる発想は無いと思います。
ゆえに、神がゴールであるからエントロピー増大に反する解釈はおかしいと思います。私はおかしいと思うから逆にNATROMさんの考えが読めないんですけどね。
熱力学第二法則はアシモフの科学エッセイにもあったので、一応理解しているつもりです。
エネルギー(仕事をする可能性の量とでもいうのでしょうか)は高いところから低いところへ流れ均一化する性質を持つというのと、進化論とが繋がるのが何故かわかりません。
小説に書いてあったから人生とはこれこれこういう物だ、という主張に見えてしまうのです。
擬似とは言え、科学を主張するならそこに論理的な架け橋が存在するはずだ、その架け橋が見えないと反論しようにも……そう考えて質問しました。言葉足らずで申し訳ありません。
エントロピーの増大は、比喩としても面白くて色々なものに使われますね。進化というものが「最も優れた一つ」(「神」でしょうかね)に収斂するなら、エントロピーは減少しているという比喩になると思います。
論理的な架け橋など存在しない、としたらなんというかw
進化の原動力である突然変異は秩序と言うよりむしろ無秩序だよ。突然変異だけに目を向ければ中立進化ならむしろエントロピー増大の傾向にあるといえるよ。
エントロピー増大の犠牲者として致命的有害な突然変異とかあるよ。
まあQ&Aからは大きくずれるんだけど。
http://nkiso.u-tokai.ac.jp/phys/matsuura/lecture/heat/entropy_gate.htm
こう言う事らしいので、エントロピー増大すなわち無秩序増大の逆が進化の流れと言う事じゃ無いかと思うのです。進化ってのは方向性は無いのですが、一応生物が大型化などするためかなり組織だった体を形成していきます。
無秩序の逆だと思いますよ。後は書いた本人か、良く知っている人にお聞きくだされ。
初めまして、Sと申します。
Q&Aを見て、どうしても理解できないことがあったので質問です。
熱力学第二法則と進化論(あるいは創造論)が、どうして関連するのでしょう?
>「キリンの首を説明するには何らかの適応的な形質を考えるのが一番あり得そうだ」という読み
まあ異論が無いと言う事で、他の方も大体似た様な意見とさせてよいかは疑問がありますが、勝手に私がそう思う事にします。
> (積極的な肯定・どの時代にもより高い樹木を利用できるのが明らかに有利だった等)
検証可能とするためどう考えれば良いかとつながってきますね。今日も眠くてサボっています。まあいずれ考え付いたら再燃として保留しておこうかなと思ってますけど。
結局考えてくださいといわれると、時間を焦ってしまうので、自分勝手に考えて見ます。
> 「いや、それじゃ納得できん」
あまり考えてませんよね。私詰まらない考えに対して、考えの足りない人より考えを変えられない人が頭が悪いと良く感じています。
ただ納得できんって中には曲げてはいけない部分もあるとは思います。そういうケースについていずれ考えたいですね。大体はくだらない何故かは分からないが、大方の人間の納得できないはくだらない。個人の意見を尊重するとでも言えばよいのかどうか分かりませんけど。
追加ですが、
>「キリンの首を説明するには何らかの適応的な形質を考えるのが一番あり得そうだ」という読み
というのはつまり「現在までにわかっている進化理論の中で、まああり得そうな物」であり、且つ
「それ意外の例(性選択とか遺伝的浮動とか)は当てはまりそうにない」という、
やや消極的な肯定と、消去法が混じったものだろうと考えます(というか自分ならその線で考える)。
当然、消去法は欠点があります。現在誰も考えついていない仮説は候補にできません。
私見ですが、キリンについては進化史を通した首の適応的意義(積極的な肯定・どの時代にもより高い樹木を利用できるのが明らかに有利だった等)、もしくは全く新たな進化理論(消去法の新たな候補・なるほどこれなら首が伸びる!というような理論)が見つからないと、すっきりした説明はできないんじゃないかと考えています。
まず、「蹄の音が聞こえたらシマウマではなく馬を探せ」というのは先日読んだ小説に出て来た言い回しです。検死官のモノローグでしたが、要するに「ありきたりでも最も蓋然性の高そうな説明から考えて行け」という意味でしょう。(まあ小説のストーリーは意外な展開をするわけで、「どう調べても馬じゃないようだからシマウマを探す」わけですが)
で、
>うーん、でもその経験ってどういう経験なんですか?自分がダーウィンが述べる進化論を知っていての経験ですか?
その通りです。ダーウィンの、というより、学者であれば進化理論の最前線まで知った上でしょう。
そこまで通じていても、「キリンの首を説明するには何らかの適応的な形質を考えるのが一番あり得そうだ」という読みだと思いますよ。
それが「馬」ってことです。
ただし、他の例(フィンチとかグッピーとか色々ありますが)と比べた時、「馬であることを確かめた」とは言えないレベルじゃないかな、というのが私の感想です。以前にどなたかが投稿しておられたしヤフでも出てたような気がしますが、キリンは「脚の長い動物」「背の高い動物」であり「首が短いと水が飲めないから仕方なく首が長いのだ」と考えることだってできますから。
>最初に中間種1つでも出れば納得する事ってルール決めたいですね。
そりゃ良いルールかもしれないけど無理じゃないですか。最初から納得する気のない人は当然譲歩しないだろうし、
単に進化について疑問がある、という人でも「いや、それじゃ納得できん」と言いそうです。
まずこちら。
> 引き釣りだしたいんで→引きずり出したいんで ではないかと
誤字なのは気が付いてましたが、NATROMさんを釣ってみたい気になったのでそのままにしました。ただ”づり”じゃなくて”ずり”ですか。そりゃ気が付きませんでした、良いアドバイスを有難うございます。(負け惜しみじゃないよ、心底そう思っていますよ)
> 可能になる「かもしれない」程度でしょう。
了解確かに差がありますね。
> ”ダーウィン的”自然選択が何を指すかによりますが、まず確実に否定できそうなのは
「オカピのような生物が一世代でキリンになった可能性」でしょうか。
それ以外は微妙な気がする。
まあ私もそう思います。結局進化論ってどうなん?って反論を考える人がいるでしょ。そういう人に中間種が出たと言っても、そのまた中間種を求めそうできりが無い。うざいから、最初に中間種1つでも出れば納得する事ってルール決めたいですね。そして真ん中って主観は交えない事。これもすごくうざい。
> いくらでも仮説はできますからね。
もちろん確実性とかあるなら、そういうレベルの話です。可能性はいくらでもありますよね。ただゾウの事は思いつきませんでした。
> 結局、キリンの首が適応的なんだろうという推測は、言わば「蹄の音が聞こえたらシマウマではなく馬を探せ」という経験則なんですよ。
うーん、でもその経験ってどういう経験なんですか?自分がダーウィンが述べる進化論を知っていての経験ですか?
>> 「『中間種の個体の化石』が見つかれば,キリンの首(についての”ダーウィン的”自然選択)が検証可能になる」
>これなら筋が通るでしょ。
可能になる「かもしれない」程度でしょう。
”ダーウィン的”自然選択が何を指すかによりますが、まず確実に否定できそうなのは
「オカピのような生物が一世代でキリンになった可能性」でしょうか。
それ以外は微妙な気がする。
また「樹木の高さがキリンの首と競争的関係にあったか」は別の仮説になってしまいます。
高い木は昔から高かったが(光を巡る植物どうしの競争は常にある)、キリンが後から追い付いたとか、
キリンではなくゾウのような生物による被食を避けるために高木化したとか(現在のゾウはそういう樹木は押し倒して食べますが)、
いくらでも仮説はできますからね。
結局、キリンの首が適応的なんだろうという推測は、言わば「蹄の音が聞こえたらシマウマではなく馬を探せ」という経験則なんですよ。
引き釣りだしたいんで→引きずり出したいんで ではないかと
ちょっと訳ありで書き込んでみたかっただけ。失礼。
「.to」って「と」のことなのかな?
真理学会 事務局の柳と申します。
下記の内容をホームページ http://ggm.to/ を開いてます。
重要です。ご覧頂いてご賛同下さい。
本報告は、先ず生活の起源たる思考と時間について論じ、
言語学、哲学、論理学、数学、運動学、物理学等の基礎(常識程度)を体系的に扱うものである。
これにより、従来の各学問の基礎は崩壊し、その効果は、例として相対性原理や相対性理論(相対論)の
原理的な間違いが導かれることにみられる。
以上
-------------------------------------------
真理学会 事務局
柳 健宏
世界規模の間違い http://ggm.to/
mailto:info07@ggm.to
-------------------------------------------
http://ggm.to/
中間種と漸進的進化の話はそれはそれとしておいて、そちらとは別に適応的進化の事も考えましょう。
まあいつもの背が高い木ですね。実際背が高い木の化石が出る事は検証可能である事を調べる事と深く繋がりませんかね?
後、、現在のキリンから当時のキリンの進化を考察するですが、現在のキリンは高い木の葉を食べているんですよね?
ならそれに必然的理由が在っても良いとは思います。ただ遺伝的浮動でのびてしまって高きの葉を食べたほうが好都合だからってのも考えられます。
結局AHさんが言っていたように、他の可能性を消す証拠が検証としては重要かと思います。というか、適応的進化で進化したと言い切れるだけの何かですね。
眠いからまた考えておきます。おやすみなさい。
NATROMさん引き釣りだしたいんで、
> 「『中間種の個体の化石』が見つかれば,キリンの首(についての自然選択)が検証可能になる」
これ
> 「『中間種の個体の化石』が見つかれば,キリンの首(についての”ダーウィン的”自然選択)が検証可能になる」
これなら筋が通るでしょ。
私も馬鹿じゃないんですよ。考えているんですよ。
実際何も考えて無いから、
>よってキリンの首はいずれ中間種の個体の化石が見つかれば検証可能であるから、
>将来には検証可能になるかもって説なのか?と思います
って書いて、
もっと考えてくださいといわれて、本当の事言われて逆切れかと思いました。
漸進的は後付の言い訳っぽいですね。
あの時何を考えていたかを考察した方が言い訳するより良いとは途中で思いましたが、瓢箪から駒ですが、これ(中間種と漸進的進化)結構面白いぞと思ったからまとめて見ました。
良く練りこんだ考えが無かったのははっきり分かります。ただ何かしらの思い付きが合ってやったのですけど、その思い付きが捨ててしまうには惜しい気もしています。それで漸進的進化など持ち出しましたが、こんな事だったけ?って自分でも不思議に思っています。違う気がしますが、これはこれで面白いのでそのまま勧めました。
> なぜ,「『中間種の個体の化石』が見つかれば,キリンの首(についての自然選択)が検証可能になる」
と考えるのですか?
まあこれで、私頭良いんだぞ、君は馬鹿だぞって言われている気がして、プライドだけは高い私はカチンと来たって感じです。まあそれは感情の流れですね。(私このパターンですぐ冷静さを失ってしまう。知性に対して私はコンプレックスがあるようです)肝心の何故あんな事いったんだろ?って思い出すと
「これこれ役に立っていたんだろう」ー>「有利だった」−>「有利だった個体が生き残って子孫を増やした」−>「集団中に有利個体の遺伝子が増えて機能が進化した」
これですね。数が増えていくって事に頭がいっておかしな事いったようです。再度考えてみるとまあ私のミス以外何も無いですね。
> あー・・また、うだうだ氏の策略に負けたよ。っとに。
正直に言えばエレガントじゃないから自分では気にいってない。所詮愚痴だと思う。
私としてはまず策略は読まれてはいけない。次に読まれても乗りたくなる気持ちにさせなくてはならない。最悪個々までしか自分では認めてない。
私の場合なんとなくむずむずして答える程度に過ぎないと思っています。そういうラインの策略は練っていますが、どうもエレガントじゃない。私はエレガントで美的なものを愛するから泥臭いのは好きじゃない。ただ人間面白いもので得意なものと好きなものは大体一致しない。昔からエレガントであったためしがなく、どっちか言えば泣き落とし、同情を買う、煽るとか泥臭い手法しか乗ってきたためしなし。むずむずは泥臭い中ではベターなものだけど、ベストじゃない。
> 漸進的ってのはダーウィニズムというか現代の総合説が予測するところではある。
私もそう思います。
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Q.自然選択説ってなんですか?
A.生存に有利な変異が何世代にもわたって選択されることにより進化が起こるという説です。進化のメカニズムについての説ですね。ダーウィン説、ダーウィニズムと呼ばれることもあります。自然選択説を支持する人をダーウィニストと言います。広く受け入れられている説ですが、自然選択説について批判的な科学者もいます。自然選択説に対しての批判を、あたかも進化そのものに反対している科学者がいるかように、創造論者が不適切に引用することはしばしばあります。
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NATROMさんもこう「何世代にもわたって選択される」言っていますし、とむずむずさせてみる。
> 従って中間的な形質の化石が存在するという事は総合説をサポートはするけれど、しかし、他の説を排除するわけではない。
はい、私いろいろ考えてみたら何が悪かったか分かりました。検証とか証明と言う言葉が悪かったと分かりました。中間主の存在が無駄の様に言われてむっとしてしまいましたが、当たり前の事ですが、私の文章が全てですね。言いたい事がどうも空回りです。しかもあの時は何を思ったか、今考えてもおかしな返答です。
> 何故なら、漸進的な獲得形質・漸進的な定向進化・漸進的な神による創造などを仮定すれば、いずれも漸進的と言ってしまえるからだ。
ええ、ただ漸進的な獲得形質は、突然変異に対して、漸進的である必然性が少ないと感じます。まあだからと言って可能性の話は科学にゃならんですか。
> またキリンの祖先の化石が見つかって機能が推定できる方が良いのは確かだが、中間種の化石が無いとしても進化理論にとって致命的ではない。自然選択説はキリンの首を説明するための理論ではないのだから。
先ほどもいいましたが、中間種の時点の環境が中間種にあった高さの木の葉が食べられるにふさわしい場合、中間主の存在は重要になると思います。もちろんそれを食べていた明確な証拠ないし、それを食べていたとしても別の葉も食べていたとしたら選択がかかる意味も良く分からない。
> ぶっちゃけて言えば、キリンの首てのは進化を説明するわかりやすい例じゃないと思うんだけど。
(どっちかと言えばワケのわからん例に近いんじゃないか)
ええ、教科書にのってるからまずここからはいる人がいて胡散臭いと進化論を思わせるための陰謀とかと言ってみたりします。
漸進的ってのはダーウィニズムというか現代の総合説が予測するところではある。
従って中間的な形質の化石が存在するという事は総合説をサポートはするけれど、しかし、他の説を排除するわけではない。
何故なら、漸進的な獲得形質・漸進的な定向進化・漸進的な神による創造などを仮定すれば、いずれも漸進的と言ってしまえるからだ。
またキリンの祖先の化石が見つかって機能が推定できる方が良いのは確かだが、中間種の化石が無いとしても進化理論にとって致命的ではない。自然選択説はキリンの首を説明するための理論ではないのだから。
ぶっちゃけて言えば、キリンの首てのは進化を説明するわかりやすい例じゃないと思うんだけど。
(どっちかと言えばワケのわからん例に近いんじゃないか)
あー・・また、うだうだ氏の策略に負けたよ。っとに。
ならなんで、
>よってキリンの首はいずれ中間種の個体の化石が見つかれば検証可能であるから、
>将来には検証可能になるかもって説なのか?と思います
こんな事いったのか?となると話しているうちに興味が湧いてきていろいろ考えてみたからです。ただ良く考えてみると適当に返答してしまったなと気が付きました。それは言葉足らずだったことなどもありますけど。
私は良く話しているうちに、アキさんとかNATROMさんの鼻っ柱を折ってやりたいとかそういう動機を忘れて、自分の興味の湧くままそっちに言ってしまいます。まあそれだけじゃないですけど、私が面白いと思う興味ある話題をしたいと思って話し始めたことです。私が楽しみたいから始めた話です。理想としてはそれで多数の人が楽しめればとは思いますが、究極的には私ひとりでも良いです。
はっきり言って本を読むのに、その事について考えるよりとにかくシゲキをただ受けたいと言うとき、頭は空っぽの方が楽しいのです。私は決して思考してつめていく作業が嫌いなわけじゃありません。時には手を抜いて適当に相手からしゲキを引き出したいと思う行動が多々あります。ただその為の戦略を練ることに頭を使うのはちと頭が悪いなとは自分でも思いますけど。だから私の楽しみ方を邪魔されたのが不愉快なのです。最も私の楽しみ方はおんぶにだっこで相手に何の得も無いかもしれません。まあ召使におしり拭いてもらって、起こしてもらうのも悪くないかみたいな楽しみです。そんな時けつぐらい自分で吹けといわれると不快になると言った感じです。
私の動機はてんぽうさんに対していろいろ答えていて、私以外ならどう返すだろうか?って見て見たいと思いました。キリンの首の中間種は完全に私のミスで脱線です。ただ面白いと思いました。是非shinok30さんから聞き出したいと思いました。本当に中間種はどうでも良いのか?聞いてみたくなりました。もちろん最初の私の発言が言葉足らずだったとは分かりますが、私はダーウィンの自然選択説が当たり前だと思っていたため、漸進的変化が込み出ないと意味が無いと思いました。
まったく何も無いよりも、漸進的進化だったと仮定したほうが証拠も色々見つかるのでは?そしてその方がよりダーウィンが事実を元に考察した事に対して発想としていかせるのでは?と思いました。
まだまだ言い足りませんが、確かにどうでも思いつつもダーウィンの自然選択説なら、漸進的進化は無視できないと考えています。
中立的は進化は無視しています。それをご了承ください。無視できないならその無視できない理由を教えてください。私は話がややこしくなるだけだから考えたくないです。
私の目的は、進化論と呼ばれるものの中でどうやらいい加減な代物もがあるから、いい加減で科学的言明だと言えないものはどれかと探っています。
五條堀氏は当然そういう根拠があって、「見てきたような嘘を言い」と評したと思います。私は代表例としてそれがキリンの首だと思いました。
実際アキさんの五條堀氏とのやり取りを見ましたが、いまいちピンと着ませんでした。直接これとこれが進化論で、これとこれが進化学だと具体的な区分けを聞きたかったのです。
本当に君たちは全面的に五條堀の言う進化論を分かっていると思っているのか?と問いただしているのです。なんで本命のアキさんやNATROMさんは出てこないのかと思っています。
私はわざと五條堀氏の話を蒸し返しているんですよ。それが私の中で最も重要なのです。なんでも知っているアキさんならなんでも知っている中のこれぐらい答えられるでしょ。五條堀氏の進化論もすべてアキさんは知っているようですから。是非聞きたいです。それはアキさんしか出来ないのでしょうか?いやこの掲示板の人は金太郎飴みたいな人ばかりだから、誰でも答えられるんじゃないでしょうかね?
私は考える事が嫌なわけじゃない。あんた達の考えそのものが聞きたいのであって、私がどう考えるかはそれほど重要じゃない。キリンの首付いてこの掲示板の人がどう考えるかそれこそが私が知りたい事なんですよ。
確かに中間種がどうたらと言ったのは私です。それは申し訳ない私のおっちょこちょいの考えたらずです。はいそれでおしまい。ただ漸進的変化とセットである事だけは最後につめますけど。まあそれは最後で良いです。こんなくだらない事をぐちぐちと言われると些細なミスをぐちぐちと言われているようで気分が悪いです。
と言いつつもshinok30さんから聞いた事は面白かったです。それは事実です。自分の考えが足りないこと、言葉足らずな事を含めて反省できたのは楽しいことでした。ただ突っかかるように言われるとなんでこんな言われ方しなくてはいけないのかさっぱり分かりません。
私のことが不快なら不快で言ってくれれば良いのですけど。良く知らないので、どう対応して良いか困ってしまいます。
ただ漸進的進化と言う大筋がダーウィニズムにとって重要なら、進化していくその過程で仮に神のみぞ知る真実と言う物があるとする、例えば、植物との関係での進化だったとして、サバンナに徐々に高い木が現れる化石が連続で見つかるとしますよね。それなら、中間主の存在が重要になると思います。植物にあわせて、キリンも進化していったと連想できるでしょ。しかし植物が勝手に高くなっていっただけかもしれないので、確固たる証拠と言うわけではないですけど。
ダーウィンは自然選択だけを進化論としたわけじゃないです。徐々に変異が蓄積してやがて大きな変異となると言う事も重視しています。だからダーウィン的説明なら、中間主の存在は重要です。
自然選択って言葉が悪かったですね。漸進的進化も当然セットだと考えて込みで話していました。私の言葉足らずです。それしか言いようが無いです。
一番言いたい事は、私は考えたくない他人の知っている事や考えた事を知りたいだけ。私が何故ナンさんにボロクソ言われてるかといえば、こういう人間だからです。ただし、私はそれを隠そうとはしません。それが教えて君にとって、有利な戦略だとしっていても私はすぐばれてしまうのは無駄な事だとして見せ掛けの勉強家のふりなどしません。
そんなやつ話したくないなら、どうぞ無視してください。
ただ私はそれだけではないですよ。「どういう証拠が必要なのかをもう少し考えてみて下さい」に不快な気分になったと言うところもあります。正直に言って気分悪いです。
どうせこんなもん少々考えても仕方が無いから、労力の節約の為に他人の考えを借りたほうが良いやと思っています。その程度のことだから私何度も言いますけど、キリンの首の事きりが無いくせにつまらない言明しかないから嫌いなのです。
後、とにかくまず自分で考えるより良く知ってると自信のある人の意見が聞きたいです。こんな偉そうなHPを作っている人ならそれなりの考え持っているだろうから、なら教えろよって気持ちがあります。NATROM君君はなんでも知っているんだろ、正しい事を教えたいんだろ。なら教えろ、教えてもらうのが当然の私の権利だ。
まあここに来ている人もすべて同類と見て対応しています。
不快なら不快と仰ってください。ただ私は、聞くこと自体には興味があります。この欲求に答えてみたいと思わないなら別に私の相手しなくて良いです。ほとんどのくだらないここにくる馬鹿は聞く気さえ無い。この掲示板のやり取りはいつも見てて全く面白くない。相手が聞く気が無さ過ぎる、興味が無いなと感じます。
> 「中間種の化石が見つかれば,キリンの首は検証可能になる」と言い出したのはあなたですよ
shinok30さんから指摘があってなるほど思ったからもうどうでも良くなったってのが私の考えですけど。中間種の化石あった方が良いとは思いますけど。
やはりゆんさんが過去に話していたその時の環境の状況を示すような化石の方が良いのではないか?と思いなおしました。
> ある仮説を検証するためには,どういう証拠が必要なのかをもう少し考えてみて下さい
??最初はこの話でしょ。だったらある仮説はキリンの首のことですよ。何度もいいますけど、中間種はあった方が良いと思いますよ。ただまず中間種の中間種ってきりが無い気がするのです。どうやってこういった事に限度を設けるのでしょうか?そもそも漸進的変化を証明する為のものであり、キリンの首が自然選択で徐々に変化してきたって部分の証明って感じです。
高い木の葉を食べるのにとか、捕食者を遠くまで見渡せるようにとか、そういうことの証明としてはちと中間種ってのは遠いと思います。
ただ何度もいいますけど、ダーウィン的自然選択に関わる漸進的変化の証明としては中間種は良い証拠だと思います。私は漸進的変化をダーウィンが熱心に話していたのだけ種の起源で良く覚えています。漸進的変化はダーウィンの話したい核だと確信しています。
私の言ってる事は??であると思いますけど。ダーウィンの説の確からしさを証明するには中間種はあった方が良いと考えています。ではドミノ倒しの様に自然選択も確からしさを証明事になるか?となると相性は良いと思いますが、直接的証拠としては弱いですね。
さて、漸進的進化と自然選択は繋がるかですが、獲得遺伝に関しては私は漸進的進化と対して相性が良いと考えていません。なぜなら獲得遺伝は徐々に変化していくなどの制約があまり意味を成さないから。キリンの首で心臓の血圧なども同時に変化下などありますよね。獲得遺伝ならそれも同時に進化したんじゃないの?で片付くと思うのです。まあご都合主義的だと言う事ですね。論理的整合性を取ろうとすると、すべて一緒に進化したんだよでオチがついてしまい。んなアホなって感想を持ってしまいます。否定は出来ませんけど、違和感はありますね。そんなたいそれた仕組みが目ざとい科学者達の目に一切触れないで今までいる事実は不可思議でしかたないです。
これもダーウィニズムパラダイムがなせる出来事?
>正直に言えば私が出した仮説でもないのにそんな気さらさら無い。
「中間種の化石が見つかれば,キリンの首は検証可能になる」と言い出したのはあなたですよ
>よってキリンの首はいずれ中間種の個体の化石が見つかれば検証可能であるから、
>将来には検証可能になるかもって説なのか?と思います。
私は見てきたような嘘を言いってのはある程度問題ないと思う事もあると思います。
http://www4.ocn.ne.jp/~murakou/evolution.htm
進化心理学の仮説などはこういう事多いんじゃないかな?と良くも知らずにはなしています。もし進化心理学はキリンの首みたいないい加減な仮説じゃないよ?って詳しい人がいたらアドバイスをもらえると助かります。
自分でも多少は調べてみます。
後皆さんに聞きたいのですけど、進化心理学はここではあまり扱ってないですか?
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board020719.html
ゆんさんの見解がありました。
○「キリンの首は何故長いのか」「孔雀の尾は何故あんなに
派手なのか」進化論は、こうした疑問に答えるために生ま
れたわけではありません。隣接地域での生物の類似性、
生物の類似性の階層関係、化石記録の連続性、生物の遺伝
の法則、DNAの構造などから、進化という現象が起こった
事は確実なのだろうと考えられるようになりました。
まったく私も同意見で、進化論にとってキリンの首はどうでも良いと思うのです。ダーウィンの頃に比べて様々な知見も増えて、キリンの首が喉元に刺さった小さな骨から解けてなくなってしまってもよいぐらいどうでも良い事だと私はおもっています。
ただ皆さん一応説明しようとしますよね。ゆんさんもしています。
そのとりあえず説明してみようとするその根っ子がナンなのかを聞いてみたいのです。だから私が考えても意味が無いのです。私キリンの首進化論の話の中で、面白くもなんとも無いから。相手が反進化論みたいな人なら、多分知るかそんなもん興味が無いと私なら言ってしまうかもしれません。
> 中間的な形態の化石の存在は進化の過程を示す証拠にはなりますが,
進化のしくみを示す証拠にはならないんじゃないですか?
まあダーウィンの話す漸進的変化と言う事に対する一つ支える部分にはなりますね。ただ確かに自然選択の証拠ではないです。しかしですよ、ダーウィンの自然選択は獲得遺伝よりは可能性として漸進的変化と相性が良い、中立的変化と比較するとこれが分からない。あまり意味が無いかもしれませんね。
> ある仮説を検証するためには,どういう証拠が必要なのかをもう少し考えてみて下さい
正直に言えば私が出した仮説でもないのにそんな気さらさら無い。だからキリンの首が自然選択の反証だとして話を持ってきても、私はそもそも現在の自然選択説を擁護する気も無い。
ただ気分さえ乗れば暇つぶしの思考訓練としては多少興味がありますが、今はちと無い。よい検証方法があったら是非アイデアを読み物として楽しむから教えて欲しいって所ですね。
> 当時のキリンに似た環境に暮らす現生種を材料に間接的に検証するのはどうですか?
なるほど、当時の環境さえ分かれば私の定石または、私の中の常識では合理的な検証法だと解釈できます。ただ環境って言葉が大問題ですね。環境、これは抽象的過ぎますね。
一つ考えたのですが、上記の現生種から過去のキリンの進化を類推するって科学的だと言いきれますか?要は、その検証方法で科学的だとつめるにはどうやれば良いのか良く分かりません。そもそもプロでも無い為、学校で学んだ事ぐらいでは何が科学的なのか私には分からないのです。
>> なぜ,「『中間種の個体の化石』が見つかれば,キリンの首(についての自然選択)が検証可能になる」
>>と考えるのですか?
>
>徐々に進化したって説になるほどと思わせるからです。
中間的な形態の化石の存在は進化の過程を示す証拠にはなりますが,
進化のしくみを示す証拠にはならないんじゃないですか?
キリンの首の形態が自然選択によって獲得された形質であろうが,
遺伝的浮動によって固定した中立的な形質であろうが,
獲得形質の遺伝によって獲得された形質であろうが,
「中間的な形態の化石の存在」とは矛盾しないでしょう?
>それ以上はあまり考えていません。
>
>そそ、私もそう思います。
ある仮説を検証するためには,どういう証拠が必要なのかをもう少し考えてみて下さい
>でもそれってどうやって調べれば良いのですか?
原理的には首の長さが異なる個体同士で,
「生涯に生んだ次世代の子の数」を比較すればいいんですよ
ただし,実際に「長い首」が獲得された時点での差を直接比較するのは難しいので,
当時のキリンに似た環境に暮らす現生種を材料に間接的に検証するのはどうですか?
セオリーがいつも勝利への道だとは思いませんが、セオリーを知らずして勝利への道は無いとは思います。
まず生物の機能が何故出来たのかを、自然選択の発想で考えてみると言うのは、定石だと思います。常識ではなく、定石だと私は言いたいです。この言葉の差は私は思考の”センス”だと思っています。まあこの思考センスもある意味定石ですけど。
> これもグールドがしばしば問題にしている、教科書の著者がよその教科書から引き写しを繰り返すことで定着した例なんじゃないでしょうかね?
あい、私もキリンの首は教科書に載せるにはあまりよい例だと思いません。あまり考えもせずに孫引きってのがその正体みたいですね。
つかー歴史問題は熱心なのに、進化論はいい加減なものですね。(おっとこれは蛇足か)
後、再度述べますが、私はキリンの首の説明が科学的とまでは行かないまでも自然選択的発想だとこんな考えも出来ますって、自然選択説の使用例としては良い例だと思っています。
なぜかといえば、分かっていることより、分かってないことについて考える取っ掛かりとしては自然選択の発想って有効だと思います。分かってない例としてキリンの首は最適です。確かに役に立っていたから残っているって発想は普通だと思います。しかし、残っているのは過去にその形質を持った個体の形質と言うか子孫が広まったからだと言う発想は、次なる証拠集めの動機となると思います。
ただどんな証拠がと考えると、あら私どうもいまいちまだ考え言葉にしてないな?と気が付きますけど。
To うだうださん
>多くの人間の科学的とは言えないまでも、妥当だと考えるレベルの発想だと言う事ですね。
グールドも著書の中で何度も書いてますが、科学者であってもその当時の「常識」に左右されますし、その当時の知見の中でしか語れないでしょう。
「常識」の範囲が私を含む一般人と違うかもしれませんが、その科学者なりの「常識」に基づいて発想するでしょうから。
「役に立たないものが広まるはずはない」という考え方が進化論者にとっての「常識」であれば、当然それは思考に枠をはめるでしょう。
逆に、役に立っていないと思えるのに無くなっていない器官について、「もしかして何かの役に立っているのではないか」という発想も出てきますよね。
まぁ、ヒトのオスの乳首のように「メスにあるんだからオスにもあるけど役に立っていない」という結論に至ることもありますが。
>かと言ってPDXさんは教科書的キリンの首の説明はダーウィンを冒涜するとか自然選択に対する誤解を生じると思いますか?
ダーウィンやラマルクがキリンに関して活発な議論をしていたかのような記述、あるいは読む者をミスリードさせるような記述は不要ではないかと思います。
もっと適切な例があれば、教科書に採用すべきはそちらではないかと思いますし。
これもグールドがしばしば問題にしている、教科書の著者がよその教科書から引き写しを繰り返すことで定着した例なんじゃないでしょうかね?
そもそも優勝劣敗、弱肉強食に対する反論として、キリンの首を持ってくるのは、卑怯極まりない。勝てば良いと言う彼らが良く精神的に批判する方法論を使っている。ダブスタもいいところ。
逆にダーウィズムが信用できると思うような事例を取り上げて悩みぬいて反論するぐらいの気概を持つ気持ちの良い議論者が皆無に近い。
もうここもヤフーもいつも弱点ばかりつき、自説の弱点は知らん振りばかりで、もっと経ち悪いのは代替的な自説すら持たない不快なごみばっかり。
つっていっても良くはならないだろうな。人間らしいといえば人間らしいから。
> そりゃまぁ、役に立ってもいなかったものが広まるとは思いませんからね普通。
あ、普通っていいましたね。まあそういう言葉なら納得します。多くの人間の科学的とは言えないまでも、妥当だと考えるレベルの発想だと言う事ですね。
私は進化論でやたらと揉めるのに、普通の発想が出来るくせに難癖つけてくるお馬鹿な普通無視の人がいるせいだと思っています。まあそれ(普通)を言ったらオシマイだとも思いますけどね。
> 性淘汰という概念にしても、普通なら生存の上でマイナスになりそうな形質がなぜ淘汰されないかを説明するために持ち出されたようなものですし。
そういう意味ではダーウィンはうだうださんの望むような「新しい発想」をしたといえるでしょうかね?性淘汰に関して。
それは性淘汰ときちん自然選択では説明しづらい事象として分けているから良いと思います。まあ確かに雌のえり好みってのは別にダーウィンに言われなくても普通思いつく気がします。単に自然淘汰の例外に対してと思えば、まあ特に意識する必要は無いかとは思いますけど。まあ前も言いましたがジョーカーですね。切り札は最後に使えでしょ。
> ダーウィンに関してどう書かれていたかは失念。確か、ダーウィンやラマルクはキリンをあまり重視なんてしていなくて、後世の教科書等でラマルク説とダーウィン説の比較をするときによく持ち出されたから定着したなんて流れの話だったような。
らしいですけど、ちと調べてみたら、改訂版に後でダーウィンは乗せたそうです。教科書の説明は出鱈目だそうです。ただ自然選択的にはこうなるって説明になると思うのですけど、かと言ってPDXさんは教科書的キリンの首の説明はダーウィンを冒涜するとか自然選択に対する誤解を生じると思いますか?
私は前から、キリンの首は自然選択に対する反論として登場してきただけで、あれを自然選択説の代表例として説明する教科書に載せた人間は”センス”がすこぶる悪い(フィンチの研究などを知っているとはっきり言ってキリンの首の話は気分が悪い)と思っています。止めて欲しいですねと言いたいです。ちなみにダーウィンが改訂版に乗せたのは煩い反論者に対する反論だそうです。
http://www.hitachi-hitec.com/about/library/sapiens/018/pre1.html
私が好きな学者さんですが、確信犯かもとは思いますが、よりによって優勝劣敗に対しての反論としてキリンの首がさもダーウィニズムの代表の様にもって行く論理展開ははっきり言って不快感があります。誠実さを感じられない。
> なぜ,「『中間種の個体の化石』が見つかれば,キリンの首(についての自然選択)が検証可能になる」
と考えるのですか?
徐々に進化したって説になるほどと思わせるからです。それ以上はあまり考えていません。
> 私はキリンの首の形態の進化に自然選択が関わったかどうかは,
「首の形態」によって個体の適応度に差があったかどうかによって検証されるべきもので,
「中間種の化石の存在」では検証できないと思いますよ
そそ、私もそう思います。でもそれってどうやって調べれば良いのですか?
今私が考えているのは2つの事があります。まず自然選択的発想って占いや宗教の予言よりは意味があるんじゃ無いかと思うんですよ。自然選択に対する様々な支える事実がありますよね。しかしキリンの首に関してはあまり無い。だがキリンの首が何故出来たのかを考えるのに、とりあえずここからって多くの考えの中から選択するのは至極真っ当な発想だと思いますし。言い過ぎてしまえば合理的な発想だと思いませんか?
もう一つはどうすれば科学に乗っかる形でキリンの首について検証できるのか?ってことです。まあ今のキリンの首の説明はとてもじゃないが、科学的なんてレベルには程遠いって前提の下ですけど、この前提正しいですか?私はキリンの首の説明と言うのは、首が長くて高い木の葉を食べられたとか、視点が高くて捕食者から逃げやすかったとかなどなどです。
五條堀氏が言った見てきたような嘘を言いってのが進化論だとすると、キリンの首の説明ってのはまさにこれに当たると思うのです。もちろん嘘って言葉は五條堀氏の大袈裟な言い回しだとは思いますけど、彼が言わんとする進化学とは程遠いって意味での嘘ですね。この辺りはアキさんが直接聞いたそうで私はその受け売りみたいなものです。
>私が言いたいのは、何故一定のアルゴリズムの様な発想を進化論者といわれる人はするかです。
>「これこれ役に立っていたんだろう」ー>「有利だった」−>「有利だった個体が生き残って子孫を増やした」−>「集団中に有利個体の遺伝子が増えて機能が進化した」
>この一連の流れです。
そりゃまぁ、役に立ってもいなかったものが広まるとは思いませんからね普通。
性淘汰という概念にしても、普通なら生存の上でマイナスになりそうな形質がなぜ淘汰されないかを説明するために持ち出されたようなものですし。
そういう意味ではダーウィンはうだうださんの望むような「新しい発想」をしたといえるでしょうかね?性淘汰に関して。
>キリンの首
グールドの比較的新しいほうの本で、キリンの首に関してラマルクは少し触れただけであまり重視していなかったなんて書いてあったような。
ダーウィンに関してどう書かれていたかは失念。確か、ダーウィンやラマルクはキリンをあまり重視なんてしていなくて、後世の教科書等でラマルク説とダーウィン説の比較をするときによく持ち出されたから定着したなんて流れの話だったような。
>「これこれ役に立っていたんだろう」ー>「有利だった」−>
>「有利だった個体が生き残って子孫を増やした」−>
>「集団中に有利個体の遺伝子が増えて機能が進化した」
>
>この一連の流れです。もちろん最終的には検証可能となる事が望ましいと思います。
>よってキリンの首はいずれ中間種の個体の化石が見つかれば検証可能であるから、
>将来には検証可能になるかもって説なのか?と思います。
なぜ,「『中間種の個体の化石』が見つかれば,キリンの首(についての自然選択)が検証可能になる」
と考えるのですか?
私はキリンの首の形態の進化に自然選択が関わったかどうかは,
「首の形態」によって個体の適応度に差があったかどうかによって検証されるべきもので,
「中間種の化石の存在」では検証できないと思いますよ
> 「これこれ役に立っていたんだろう」という想像も、近縁種や近縁ではないが似たような生活を送っていた他の種との比較が可能なものであれば、検証可能な特徴が見出せるかもしれませんし、検証可能な手がかりが見つかりそうな特徴を探すべきでしょうね。
というか、類似のものがあるから想像もできるのでしょうけど。きっと。
確かにそうなんですけど。
私が言いたいのは、何故一定のアルゴリズムの様な発想を進化論者といわれる人はするかです。
「これこれ役に立っていたんだろう」ー>「有利だった」−>「有利だった個体が生き残って子孫を増やした」−>「集団中に有利個体の遺伝子が増えて機能が進化した」
この一連の流れです。もちろん最終的には検証可能となる事が望ましいと思います。よってキリンの首はいずれ中間種の個体の化石が見つかれば検証可能であるから、将来には検証可能になるかもって説なのか?と思います。しかし今のところイクチオサウルスの尾鰭が保存状態の良い化石発見前と同等かと受け取ります。そうなると、発想自体の有効性の話となると思います。それは別に科学的とかではないです。ええっと自然選択に対する限定的に分かっている事実がありますよね。グラント夫妻のフィンチの調査なんて良いですよね。まだ他にも連想ですけど、育種とか化石の連続性(もちろんキリンは不連続なんですけど、連続している種も多々ある事実)とか、まだまだあると思いますが、こういった事に支えられた進化に関しての自然選択、適応的などの発想は、発想法としてすごく有効だと思います。
もちろんこの発想が逆に固定観念となり別の発想の邪魔にはなるとは思いますけど。
どうでしょう科学を離れて発想と言う観点なら、常識の範囲ではキリンの首の説明って発想法として有効だと思いませんか?
ただ、ダーウィンはキリンの首についての言及について一筋縄ではいかないややこしい説明をしているそうですけど、知ってる人いらっしゃいますか?
>この発想が占いや宗教の予言と峻別できるのか?
検証可能な推論かどうかという点じゃないでしょうかね?
科学者だって最初の思いつきは占いや宗教の予言と同程度に曖昧でしょうけど、「まともな研究」にするのであれば検証可能なものにしないと学会で発表しても相手にされないでしょうし。
イクチオサウルスの骨格しか化石がみつかっていなかった当時の学者は、おそらく魚のような鰭があったのだろうと思いつつも、証拠がないので復元図ではそのように描くわけにはいかなかった。
だけど、多くの化石で尾椎が同じ場所で下に曲がっている傾向から「ここに胴体と尾鰭の境界があったのではないか」と思いついた者がいたわけで、その発想自体は「体全体がこれだけ魚に似ているんだから尾鰭があったに違いない」という期待や願望、あるいは美意識のようなもので、それ自体には根拠はなかったわけです。
でもそこから、この尾椎の折れ曲がりが死後折れ曲がったものか、生存中から折れ曲がっていたものかを見分けるには、尾椎の骨の1つ1つが楔形(台形)になっているかで判断できる……という方向に研究を進めるのであれば、それは検証が可能なものとなりえます。
まぁ実のところイクチオサウルスについては鰭の輪郭が残った化石が発見されたために鰭の存在が確認されたのですが。もしこのような保存状態のいい化石がなければ、上記のようなアプローチしかなかったでしょうね。
「これこれ役に立っていたんだろう」という想像も、近縁種や近縁ではないが似たような生活を送っていた他の種との比較が可能なものであれば、検証可能な特徴が見出せるかもしれませんし、検証可能な手がかりが見つかりそうな特徴を探すべきでしょうね。
というか、類似のものがあるから想像もできるのでしょうけど。きっと。
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