このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
>この発想が占いや宗教の予言と峻別できるのか?
検証可能な推論かどうかという点じゃないでしょうかね?
科学者だって最初の思いつきは占いや宗教の予言と同程度に曖昧でしょうけど、「まともな研究」にするのであれば検証可能なものにしないと学会で発表しても相手にされないでしょうし。
イクチオサウルスの骨格しか化石がみつかっていなかった当時の学者は、おそらく魚のような鰭があったのだろうと思いつつも、証拠がないので復元図ではそのように描くわけにはいかなかった。
だけど、多くの化石で尾椎が同じ場所で下に曲がっている傾向から「ここに胴体と尾鰭の境界があったのではないか」と思いついた者がいたわけで、その発想自体は「体全体がこれだけ魚に似ているんだから尾鰭があったに違いない」という期待や願望、あるいは美意識のようなもので、それ自体には根拠はなかったわけです。
でもそこから、この尾椎の折れ曲がりが死後折れ曲がったものか、生存中から折れ曲がっていたものかを見分けるには、尾椎の骨の1つ1つが楔形(台形)になっているかで判断できる……という方向に研究を進めるのであれば、それは検証が可能なものとなりえます。
まぁ実のところイクチオサウルスについては鰭の輪郭が残った化石が発見されたために鰭の存在が確認されたのですが。もしこのような保存状態のいい化石がなければ、上記のようなアプローチしかなかったでしょうね。
「これこれ役に立っていたんだろう」という想像も、近縁種や近縁ではないが似たような生活を送っていた他の種との比較が可能なものであれば、検証可能な特徴が見出せるかもしれませんし、検証可能な手がかりが見つかりそうな特徴を探すべきでしょうね。
というか、類似のものがあるから想像もできるのでしょうけど。きっと。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board001010.html
面白い話を見つけた。
>「これこれに役立っていたんだろう、それで進化したんだろう」というのは許されますが「これこれは役立っていたに違いない。なぜならすべての形質は適応的だったからだ」と結論付けるのは許されないと言ったのです。「適応的でなかったかもしれない」という可能性を頭にいれておかないと、河田の批判する「万能論者」のようになってしまうからです。
NATROMさんの弁だと思いますけど。別にこの発想自体をどうこうではないです。万能論のことですけど。そんなの当たり前すぎてつまらねー話だと思いますけど。それより「これこれに役立っていたんだろう、それで進化したんだろう」この発想が占いや宗教の予言と峻別できるのか?が知りたいのです。違いってあります?おのおのの主観で良いから意見が欲しいのです。
止めようと思った投稿が出てしまうとはっきり言って恥ずかしい。申し訳ないです。手違いですけど…。
> まだ上手くいえてないのか、それともAH
まだ上手くいえてないのか、それともAH1さんが興味が無いのか?
で締めです。
私もナンさんは無視だと思っていたんだけど。最近のナンさんの傾向でこの人とりあえず無視する前に言いたい事言ってすっきりする傾向あるなと思ったからある程度反応あるかな?とは50%ぐらいは思っていたんだけど。50%当たったな。(基本的には無関心だと思うよ)
んでそんな事はどうでも良くて、私は自分の中で進化論ってなんなんだろ?って疑問があるからぶつけています。
まだ上手くいえてないのか、それともAH
愛の反対語は憎悪ではない、無関心だって言葉だけ言っておく。
私は私が認めた人間以外礼儀なんて、社交辞令に過ぎない。あまり私にとって利用価値の無い人間に礼を払う得が見えない。だって詰まらないと思っている相手に礼をはらう動機が知りたいよ。もちろんお互い様だけど。もちろんナンさんが詰まらない人間だとは思ってない。ただ進化論に関してはもう一つだ。
礼とは私にとっては自分にとって利用価値のある人間に払うものってのがあるから。そして私自身は価値のある人間である必要は無い。だから私は分相応な偉そうな物言いになるのだと思うよ。礼だとか、いちいち細かい事気にしすぎ。
進化論がどういう性質の説得力を持っているかが私は一番知りたい。
「子供たちが何が正しいのか学ぶ助けになれば幸いです。」
そう言う事について一切語られて無い。正しいと連発されても私は不満だねー。
あれだけ不快な言動を叩きつけられて、ナンさんHPで散々私を罵ってくれればさすがに鈍感な私も”嫌い”だって知ってますよ。
> 非常事態において、通常感じるべき痛覚が自律的に麻痺し、最終行動を起こす「可能性」を与えられる。そこで起こす行動とは、温和な草食獣が歯をむき出しにして敵を退けようとするだとか、最後の最後に生殖行為を行うだとか、基本的に利他的であり、そういう行動は数多く観察されている。いわゆる「手負いの獣」の凶暴性を他の生物(たとえば人間)が知っていることは、その獣と一族に対して「めったなことで手を出してはいかん」という抑止力となって働くだろう。結果的に、手負いの親は最後の戦いや闘争で外敵から子供守ったり、コロニーに敵の接近を知らせたり、あるいは自らの死骸を隠すことで巣の存在や家族の存在を隠蔽できるかも知れない。
「そういう行動は数多く観察されている。」これはちと考えなくてはいけませんが、了解。
「知っていること」私は知らんよ?
> 結果的に、手負いの親は最後の戦いや闘争で外敵から子供守ったり、コロニーに敵の接近を知らせたり、あるいは自らの死骸を隠すことで巣の存在や家族の存在を隠蔽できるかも知れない。
知っている事からの演繹だね。
不満だね不満ですね。ナンさんじゃ駄目だ役不足だ。NATROMさん連れて来いだな。
てんぽうさんに対する明確な有無を言わさぬ主張がほしいんだ。彼が理解できるかどうかはどうでもよいんだ。進化論に詳しくなくても説得力のある意見が欲しい。私の目的は言ったでしょ。
「そういう行動は数多く観察されている。」要するに現在の動物の行動からのアナロジーだね?過去の動物もそうだった、よって適応的だった。よって進化した。
私の物言いで不愉快になる事ぐらい自分でも分かるよ。無知でたいした考えもないくせに偉そうだしね。
キミの素晴らしい記憶力と礼儀の欠如は承知してるが…
私は、キミと会話する気、ないのだ。だって嫌いなんだもん。
とてもとても嫌いで、イヤなんだ。
でも、あんまりしつこいから、ちょっとだけ答える。
>私はこれだけ述べたのだ、別に無視しても良いが、ナンさんなりの意見が欲しい。
お前さんがどれだけ述べようと知らん。キミが勝手に垂れ流してるだけ。
キミがどれだけ不満だろうと馬鹿だろうとアホだろうと、それは全部キミのせい。
誰かのせいにすんなよ。ていうかダラダラダラダラ連続投稿する白痴には虫唾が走る。
で、本題。
>気に入らない。
そりゃね、お前が理解できないからだよ。
私の発言やその他の発言者が悪いんじゃない。増してや哲学も知の体系も関係ない。キミがあまりにも暇で頭の中がグルグルグルグルでグズグズグズだから。
キミに起きるすべての問題、すべてのイライラ、すべての劣等感はキミの中から生じる。だからそれを外の世界に解決を求めたり、答えを探す行為ってのはすべて無駄な逃避なんだよ。ってなことを恐らくそこら中で何度も云われたろ?でもキミはそれを認められない。だって、それを認めることができるくらいなら、キミはネットに依存せずに生きられるもんね。
さてさて…痛みを感じなくなることが適応的であるか否か、その証拠?
キミが求める証拠とはなんだ?文章か?文献か?そうじゃないだろ?実は証拠もなにも必要ないんだ。キミが求めているのは、私が証拠と思うようなナニかを「あ〜証拠だ」と思えるようなルーチンだよ。だがそれはひとつの証拠を提示したところでキミのモノにはならない。
痛みを感じる、という現象は、神経の発火だろ。痛覚に関わるような神経が発する信号は基本的に二つ、「快」と「不快」だね。しかもこの二つはシームレスでもある。ある閾値に達すると、たとえば「熱い」という反応になり、それ以下なら「温かい」だろう。
生物が生物として生きていられる基本的なルールは「恒常性」にある。それはつまり「バランス」であり、興奮と抑制、快と不快、交感神経と副交感神経みたいなもんだね。だが、非常事態に陥ると、これらのバランスが狂う。長年にわたるストレッサーとの生活の結果、自律神経が失調したりする。時には、それが自分自身だったりするわけだが…まぁそれは置いておいて。
非常事態において、通常感じるべき痛覚が自律的に麻痺し、最終行動を起こす「可能性」を与えられる。そこで起こす行動とは、温和な草食獣が歯をむき出しにして敵を退けようとするだとか、最後の最後に生殖行為を行うだとか、基本的に利他的であり、そういう行動は数多く観察されている。いわゆる「手負いの獣」の凶暴性を他の生物(たとえば人間)が知っていることは、その獣と一族に対して「めったなことで手を出してはいかん」という抑止力となって働くだろう。結果的に、手負いの親は最後の戦いや闘争で外敵から子供守ったり、コロニーに敵の接近を知らせたり、あるいは自らの死骸を隠すことで巣の存在や家族の存在を隠蔽できるかも知れない。
これで不満なら、またどこかでおねだりしに行きなさい。
とても優しい誰かがボランティアしてくれるよ。
私の欲求はどこにあるのだろうか?
私の表現を他者に見せ付けたい露出狂である。
かなりの高い確率で私はナンさんが無視するか不快な気分の返答ぐらいしかしないだろうと見ている。私の話はそこそこ面白いとは思うのだが、彼の私への評価がそれを邪魔するだろう。そもそもお前への返答じゃないとかくだらない事考えるぐらいだろう。
何故私がこんな事を書くか?想定内と言う言葉がはやったが、精神的防御であろうと思う。どんな?といわれるとこれが難しい。なぜか前もって言っておくと精神的に楽になるのだ。何故かは良く分からない。ナナシーさんは想定外だった。しかし私に批判的だというのは想定内だった。もしかしたらホリエモンは自分が頭が良いというプライドの元にいるから、頭が良い結果じゃない事になったから、いや私は頭が良いぞと他者に見せ付ける必要があったからじゃないだろうか?まあそれは良いけど。
だが、私はそういう様々な批判の上にいる。私がやりたいのは他者に相手をしてもらいからではないのだ。私は自分の存在意義を、私と言う人間を見せ付けたい押し付けの欲求だと分かったからだ。コミュは最初から欲求してなかったのだ。とはうそになるけど、面倒が多いからそれは大きな欲求ではない。
何故私が欲求に拘るか?もちろん欲求は一つではない。知はそれに添う形で表出するただの皮に過ぎないからだ。てんぽうさんには欲求が見えないゆえに心が無いと言っておこう。
過去の私に対するすべての先入観を払拭したい。だが、私が何故見せびらかせたい欲求に拘るかのかは?それには心理学は有効だとは思われるが、人間をそんな分類に分けられても、ちょっと不満だその表現方法自体に私と言う人間が存在するのに、やれ孤独だとか寂しがりだとか、認められたいとか、そんな言葉で私を定義されても自分としては不愉快だ。
まあこれは雑談だから、前の文章とは分けて欲しい。私は”心の篭った文章”を書きたいのだ。
私は進化論を有効性の下に置いて、支持している。そして私が支持する最後の根拠は私の直感である。これ以上でもなければ、これ以下でもない。
知の名の元に、プライド偽善、嘘偽り、くだらない時間つぶしの戯言、を捨てて、明確にその根拠を述べて欲しい。だが、私もその根拠が自分の個人情報に著しく関わるとなら別に聞きたくは無い。
私はこれだけ述べたのだ、別に無視しても良いが、ナンさんなりの意見が欲しい。
もう一度言うけど、私の進化論を支持する根拠はこれは有効だと考える直感である。これは得だとのっかる商売人みたいなものだと思って欲しい。ただ希少性は余り無いから食指はうごかん、これが私があまりオーソドックスな進化論に対して興味が無い理由だ。
http://www.nybct.com/2-79-racial_profiling.html
私は進化論的適応的進化の結果と言う発想は、この様な人種的偏見の有効性の様なものだと思っている。人権があるので上手く行かないが、これは方法としては有効だ。ただし私は人権問題について語りたいわけじゃない。方法として何が良いかと模索するのが楽しいだけだ。目的は犯罪阻止。じゃあ進化論の目的は?まあこれは後で考えれば良いが、私の言いたい事は分かってもらえるだろうか?
私はナンさんを単に批判したいわけじゃない。そう考える理由(根拠)が欲しいのだ。
まあ最近投稿があったんで言いかと思うけど、てんぽうさんの意見にたまに面白いと思う部分がある。
私も進化論とはとか言ってきたけど、いわゆる進化論者はどういうやからかとここで聞いてみるのが一番だと思った。結果はがっかり。もともとの設問が悪かったかもしれない。
だが、私はてんぽうさんの代弁者じゃない。てんぽうさんは何が言いたいのか欲求が見えないのだ。それがあまりにひどい何故それが批判したくて主張したいのかって欲求がまったく見えない。それが人間的に長く話す気になれない。ここで馬鹿にされた私怨なら私怨でも良いのだが、はっきり言わないし。知的好奇心からからと言っても自分でちっとも考えないし。だから私はてんぽうさんというパーソナルから来る主張には批判的だ。その辺り混同して欲しくない。
> 「進化論者、見てきたような嘘をつき」
私はこう説明する時に何かしらの進化論には有効性が欲しいのだ。言いたい事はくだらない戯言との峻別する線が欲しいのだ。
それともそんなもの無いの?
我々は主張に対して、その価値を評価できないだろうか?
ある考えに対して、その予測的中立とそれがもたらす人類へ後の貢献度を掛け合わせ、その結果を知の生産性として比較する。
的中率と貢献度が最大の問題であるが、知とは予測が出来るの一点に絞る事で、すっきりとした指数になると思われる。もう馬鹿でつまらない意見が他出する哲学的論争や、無意味で有効性の無い神学的論争とお別れを告げても良いと思う。
本当にウンザリするようなつまらない人間がくだらない知識を振りかざして凡庸な意見を振りまくのに辟易している。そうだおそらく私もそれに当たると思われるだろう。だが数多くのクズより確実に主観で言わしてもらうがマシだ。
適応的とは、環境に対する合目的な身体の結果であると言える。そして、進化には合目的な方向性を持った遺伝システムは無い、ってのが進化論の奇妙だと感じられる。もちろん、遺伝システムに合目的な方向性が無いからって、進化自体もとはならないとは思うのだけど。
適応的とはすなわち、現在の我々が知りうる発想から来ることが殆どなのではないだろうか?
進化は過去の結果である。なのに現在の状況から推測するというのが気に入らない。証拠を集めて少しでも過去の状況を洗い出すほうが尤もらしいのではないか?
私が言いたいのは、進化論で仮説を持ち出す時それは予測として意味のある予測となりやすいのではないか?と言う事を言いたい。それがまったくの主観から来る妄想でも、一味違うもうそうではないだろうか?
だがそれに論理的妥当性があるように語るのは知的詐欺ではないだろうか?
敢えて私が仮説に対して言葉を作らせてもらうなら、それは論理的妥当性ではなく、予測有効性ではないだろうか?仮説の的中が占いや個人の思いつきと比べてどれだけ差があるのか探れないだろうか?
論理的妥当性とは理解してもらえるだろうか?丁寧に証拠を集めて前提から機械的(演繹的)に主張に構築すると思ってもらえば良いと思う。
しかしそりゃエンドルフィンを人工的麻薬に置き換えただけでしょ。仕組みがあるから適応的だと言ってるようなものだ。
要は痛みを感じない方が行動状態として都合が良いってのは私は理解できる。だが、それが適応的だと言う事も理解できる。だからって最後で進化してきたが気に入らない。
ナナシーさん、分かりますか?
私は進化論とはご都合主義の適応的だから進化した妄想なのか?と聞いているのですよ。
http://www.athome.co.jp/academy/genetic/gen01.html
○「進化論」というのはご存知のように、ダーウィンに象徴されるようないくつかの進化に関する仮説です。もちろん、ダーウィン自身は多くの事実を基にして論理を組み立てていますので、単なる仮説というわけにはいかないんですが、しかし、これまでの「進化論」と言われるものの多くは「進化論者、見てきたような嘘をつき」という諺にもあるように(笑)、それが真実かどうか、ある意味では分からないものでした。一見画期的でも、論争だけを目的としたようなものもあったんです。ですから、むしろ「結論のない哲学」といったようなおもしろさで捉えられていた面があると思います。
これの進化学の意味が知りたいんですよ。ちなみにてんぽうさんの親衛隊じゃないですよ。
ついでに、
http://www.hars.gr.jp/11th.taikai/ippanendai/12masukata/slide.pdf
先日まで歯医者に行ってきたけど「麻酔があってよかったな。」と、思いました。
麻酔なしで歯の中をいじられたら、痛さのあまり暴れまわって治療など受けられなかったでしょう。
痛覚が麻痺して本当に良かったです。
痛くて夜も眠れなかったり、ご飯も食べられなかったら仕事になりませんからね。
痛みを感じっぱなしより痛みを感じない方が行動可能状態を作り出せないのであれば、どうしてキム・ヨナは鎮痛剤を飲んで世界フィギュアに出場したんだろう?
> 痛みを感じ、死を招くような状況から必死で回避しようとすることが適応的であるのと同じく、致命傷や致死的な欠損を受けてしまったときに、痛覚などが麻痺し一種の恍惚状態となって「行動可能状態」を作り出せることは、適応的だと思います。問題は、どんな行動をとるのか?ですけれど。
私が言っていたランナーズハイとどれだけの差があるのでしょうか?
私が知りたいのは、そういう合理的発想味付けの妄想じゃないんです。進化の過程で適応的だったという話が知りたいのです。
私へのレスだとは書いてませんけど。くだらねー私のいった事と大差ないからつまんなーいってのが感想です。なんでわざわざこういう言い方をするかといえば、面白くない事を素直にストレートに裏が無く話したいからです。
進化の過程で適応的だったとどんな証拠が要るのか?
まずどれだけの死に際にどれだけの割合でそのエンドルフィンが出るか?まあこれは私が悪いでしょう。それを無視した意見を言った為です。
http://www.naoru.com/endorufin.htm
> 痛みを感じさせなくする働きがある。
それは分かる。それが適応的だった言う確たる証拠はナンだ?である。
とりあえず熱いお湯ってのはどうでもよいかも。重要なのは痛みを忘れるだから、適応的ってのはこれに関わると思う。熱いお湯は行動の可能性として熱い場所も痛みを忘れて遁走、獲物を追うなどなどありますか。
だが、実際見たわけじゃない。進化論の様々な事ですべてが見てきたように語る妄想じゃないとは思います。だが私がはっとするのは、見てきたように語る嘘つきじゃない。本筋は現行犯だからそれを再現できないからと工夫して確証を得る作業です。
他人の研究でも良いですから、そういうの基にして何か知りませんか?ナンさん。
良く考えてみると、出産が近いと捉えられます。だから雄の協力が望ましい。その時オスと一緒にいたくなる気分って案外重要かも。
信頼とか愛着って、子供がいる雌には有利?よー分からんけど。
ただなんつかーもう一つ欲しい。好き勝手妄想する事は出来るけど、どうすりゃ進化に纏わる機能はもうちょっと科学的になるんだろう?私ははっきり言ってこういう妄想が大嫌いです。アンケートは中々面白い調査方法だと思います。だが進化の過程で適応的だったと言うにはそこには何かもう一つ欲しい。
私の言っている事分かりますか?
> どんな行動をとるのか?ですけれど。
そりゃそうですけど、そりゃ私も考えていたのですけど。もうどうでも良いや状態にも見えなくも無い。
実例としてランナーズハイがエンドルフィンが関わっているらしいので、ナンさんの意見も尤もだとも思ってはいるのですけど。
結局行動可能状態なのか?恍惚ゆえの行動起こさない状態どちらが多いのか?となると私はランナーズハイの例だけでは分かりません。
別にこれが進化論の反例だとは思わないのですけど、説明できる行動可能状態について考えてみても何かしら引っかかる。何かの弊害じゃないか?って引っ掛かりがあります。それが何かがエンドルフィンの効果について私がいまいち知らないのが原因かも。
オキシトシンって物質は子宮筋収縮に関わる物質らしいのですが、
http://members.jcom.home.ne.jp/kisono/oxytocin/oxytocin.html
脳内物質としても機能するようです。これは適応的じゃないとは言いませんが、本来の機能のついでに何か使っていると言う感じでこれでも適応的なものなんだろうか?と考えるとちと分かりません。役に立っているから適応的?というか物質そのものはもともとあって脳の受容体の方が適応的に機能が出来てきたのだろうか?とかまあ何かしら適応的と言う言葉に引っ掛かりがあります。
つかー私へのレスと捉えて良いのですよね?(違ったら沈黙を持ってNOと捉えます)
>そうは言うけれど日本人で霊の存在を信じている人っていうアンケート
言い回しをすこし変えて
「超自然的な力や存在の可能性をあなたは否定できますか?」
としたなら、いったいどれだけが否定するかな?
私は「可能性」まで否定できません(笑。
痛みを感じ、死を招くような状況から必死で回避しようとすることが適応的であるのと同じく、致命傷や致死的な欠損を受けてしまったときに、痛覚などが麻痺し一種の恍惚状態となって「行動可能状態」を作り出せることは、適応的だと思います。問題は、どんな行動をとるのか?ですけれど。
日本神話が義務教育にでも入っていれば、じゃなくて一般家庭に普及していれば、「イザナギとイザナミが人類を創造した」という答えが多くなるかも。今の日本では天地創造自体を心にかけている人はほとんどいないでしょう。アメリカのキリスト教徒なら誰でも天地創造の話は三つ子の頃から刷り込まれているでしょう。そもそも日本ではこんなアンケートをやろうとするところはないでしょう。
「霊の存在を信じている」では無く「墓石を蹴倒したら罰が当たる」であれば、Noとは言い難いと思います。
礼儀として。
アメリカでも「神が人類を創造したとみなす」という質問に対して、Yesと答えることが礼儀…と期待してるのですが…
>まぁ、霊が進化を導いたとは思っていないでしょうけれど。
「進化には何らかの心が関わっている」くらいの設問なら「なんとなくそんな気がする」という回答は多いかもしれませんね。日本的には創造者の心というより進化する本人の心、という感じかな。
http://www.hc.keio.ac.jp/earth/mat/03tenkyo.pdf
高校生への進化への問いってのがあります。ただ
「現在の人類は原始的な動物種から進化した」
これだけですからね。
霊にわざわざもって行くのは回りくどいだけの気がしますよ。私の友人じゃないから滅茶苦茶言いますけどね。
まあこの問いに霊が関わったか否か?って条件が無いからなんとも言えませんけど。
> まぁ、霊が進化を導いたとは思っていないでしょうけれど。
微妙じゃないと思いますよ。日本人は案外とんでもない事言えないでしょ。
”アメリカで神が人類を創造したとみなす人は48%。人類は長年かけて進化し、この過程で神の役割はなかったと考える人は13%で、進化の過程を神が導いたと考える人は30%だった。”
という国際ニュースにショックを受けた友人がいました。
一方で、そうは言うけれど日本人で霊の存在を信じている人っていうアンケートをとったらどういう結果になると思う?という友人も。
そう言われると似たりよったりかなという気がしないでもありません。
微妙に違うような気がするのですが・・・。
まぁ、霊が進化を導いたとは思っていないでしょうけれど。
独り言のような事を書いてしまいました。
下記のHN私です。失礼。
別に暇だからの話題提供じゃないですけど。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070331-00000034-mai-soci
○番組では、子供が高脂質・高たんぱくの食事を続けた場合「脳に悪影響を与え、『AD』という病気を引き起こす」と脳神経科の医師が説明。さらに、ADHDが少年犯罪の一因と考えられていると画面上に表示した。
これって疑似科学って考えて良いのか。それともゲーム脳レベルの学者が言ってる偏った学説のどちらなんでしょうかね。まあ2つややこしい説がありますけど。
まあ進化論が科学的にとかそういうのは置いておいて。
NATROMさんの解釈面白いですね。痛いとか苦しいとかの方がコスト掛かっているって事なら、痛くない苦しくないってのも適応的ではなくて、別にありなのか?なと思いました。
でもそうだとすると、何故”痛くない””苦しくない”の為の物質が出るのでしょうか?そしてそれが哺乳類辺りには共通しているのがまた不思議。神経が反応しなくなるとかなら、まあそれもあるかもと思うのですけど。ランナーズハイってのは判る気がします。逆に最後に痛いから逃げられないとかあったら間抜けだから、そういうのからの脱出があると便利ですよね。その物質がたまたま死ぬ間際に関わるのかな?と考えるとどうも出来すぎな気がします。
まあたにあんさんのどうやって調べたの?とか、あきさんの麻痺させるのかどうかわかりませんけど、動物愛護の精神は無駄?とかもありますけど。
> 信じていなくても人類文化の側面とかそういう意味で興味があって好きとかいうスタンスもあるだろう。
むむきっとカットさんもそういう解釈ですね。
> 神の創造を信じていないが、創造論者の主張は大好きなのだ。
こっちは分かりますが、
> ジャンクフードを信じていないが、ハンバーガーとコーラは大好きなのだ。
こっちは良く分かりません…。
> 一応もう少し詳しく書くと、僕は仏教もキリスト教も信心してるわけではないですが、いわゆる説法を聞くのは好きですし、聖書も小説を読むような感覚で好きだという事です。
あう、上記の2人の方の解釈どおりと言う事ですね。
> 超常現象の話も作り話だとしても楽しめますし、トンデモ系の話も奇抜な発想と、その強引とも思える論理展開が好きなのです。
いやまー、なんであんな長々書いたかといえば、私自身もそう思っていたから。そういう時かならず信じてないけどと前置きするから。それに大してなにかしら後ろめたい気持ちがあったんでその事から書きました。
ただ、いくらなんでもしつこく書きすぎましたね。失礼。
>死ぬ瞬間には、「えもいわれぬ心地よさ」につつまれる
ネズミをおしまいにするときにネンブタールを使うのですが、あれって勿体ないのかな?
>死ぬ瞬間には、「えもいわれぬ心地よさ」につつまれる
「えもいわれぬ心地よさ」の真義はともかくとして、痛いとか苦しいとか感覚は死なないためのもの(「痛いのヤダ」という個体は痛みを感じないライバルより有利だったろう)であるから、「もうこれはどうやっても死ぬねえ」という段階では別に痛みや苦しみを感じる必要はないわけで。回避できない致死的な傷害を受けたときにはかえって痛みは感じにくいということはあってもいいかもしれん。
>死ぬ瞬間には、「えもいわれぬ心地よさ」につつまれる
どうやって調べたんだろう。気になって眠れない。
一言多かったのが悪かったようですね。
一応もう少し詳しく書くと、僕は仏教もキリスト教も信心してるわけではないですが、いわゆる説法を聞くのは好きですし、聖書も小説を読むような感覚で好きだという事です。
超常現象の話も作り話だとしても楽しめますし、トンデモ系の話も奇抜な発想と、その強引とも思える論理展開が好きなのです。
>何故信じてないのに、好きなのですか?
神の創造を信じていないが、創造論者の主張は大好きなのだ。
ジャンクフードを信じていないが、ハンバーガーとコーラは大好きなのだ。
車の安全性を信じていないが、ドライブは大好きなのだ。
キリスト教を信じていないが、クリスマスは大好きなのだ。
オカルトは信じていないが、ホラー映画は大好きなのだ。
時間旅行や宇宙文明は信じていないが、SF小説は大好きなのだ。
魔法使いやエルフを信じていないが、ファンタジーも大好きなのだ。
飲み屋のおねーちゃんの営業スマイルは信じていないが、おねーちゃんは・・・もちろん大好きなのだ。
>一応、僕はオカルト、トンデモ話は基本的に信じないが興味があり好きであるというスタンスです。
信じていなくても人類文化の側面とかそういう意味で興味があって好きとかいうスタンスもあるだろう。
その真意を聞いてから発言すれば良いのに、いくつもレスをつけて攻撃するのはいかがなかものかと思います。
はっきり言って先回りのしすぎ。もっと落ち着けばいいと思うぞ。
手元にあるギリシャ神話(教養文庫)によると、もともとアルテミスは先住民族の地母神で、多産と子供の守り神であったとされています。その後ギリシア神話に取り込まれ、森と狩りを愛する処女神とされたようです。さらに後年アルテミスは月の女神であるセレーネ(ローマ神話ではルナ)と同一視されるようになりました。つまり月の女神であることよりも先に多産の女神だったのです。
このルナ(luna)ですが、ラテン語で天体の月を意味しています。これに対して暦の月はmensisです。
月経はmensesで、mensisより派生したようです。このmensisはmetior(測量する)に由来しています。つまり基本的にはmensesは天体の月とは無関係であったのです。
ただし、月の動きが暦の始まりと密接な関係があったことは明らかなことですから、何らかの関連があることは考えられます。これは辞書によるとlunaも暦の月も持っていることからも明らかです。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/an1/sinikata.htm
○死ぬ瞬間には、「えもいわれぬ心地よさ」につつまれる。それは脳でつくられる麻薬類似物質のエンドルフィンやエンケファリンの働きによる。
これって自然淘汰で説明できます?何故死が楽になる物質が出るのでしょうか?それは生存に何の有利さがあるのでしょうか?
これって自然淘汰の反例になりますか?
/////////////////////
暇だから書いてるけど、また忙しくなるからちょっと控えます。それでは。
ガラットさんの最後の付け足しは身分証明に見えてしまうのだ。
例えばKKKに囲まれた黒い肌の人が、私は肌を焼いていますが、一応白人です。と付け足しているように見えてしまいます。
もちろんこれは極端な例にして話しているから妥当性が薄れるけど、こういう感じを最初に受けました。
攻撃されたくない?まあそれだけじゃないなとは思います。猫さんがそこまであなたに対しては言ってないから。
そこで去り際の挨拶なら、身分証明に意味が無いから自分のプライドとかになる。ここにまだ繋ぐつもりなら、身分証明的な意味と、もう一つは自分は馬鹿じゃないですよって理解してもらわないといけないと言う説明なんだと思う。
信じるって言葉がその身分証明と馬鹿じゃない証明になっているんだと思う。不思議な言葉だ。もちろん、それ一つでは証明にはならない。ここで数々の擬態を演じる人もいたから。それでも信じるはどこかキリストを踏みつける踏み絵みたいな感覚を受けます。
ガラットさんにこれを見て欲しいのだが、
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/profile.html
○創造論を信じているアメリカ人を笑っている日本人も、創造科学と同じ位ばかげた擬似科学を信じているかもしれません。
ここでも信じてるという言葉が使用されている。
でも疑似科学を理解していると書いては駄目なのだろうか?信じると書く事に、こういう意味での信じるというのは悪意や敵意さ蔑みを持って相手を見ていると私はみているのだけど。
後は、疑似科学について納得する、納得しないに分かれる分水域みたいのが知りたいと思っているから。結構個人的な興味本位としてだけ話したわけじゃない。つかー意識下にあったと思うけど、そういうのが影響したんだと思う。
って言ってもガラットさんの考えを聞いたからってその事について深まるかどうかはまったく別物だけど。単に自分で見てて、ガラットさんダシにしてもうちょっと話題つなげるか程度に見えなくも無い。
> ありがとうございます。
取りあえず「月の魔力」探して読んでみたいと思います。
これは至極納得できる。
> 一応、僕はオカルト、トンデモ話は基本的に信じないが興味があり好きであるというスタンスです。
でも、これには違和感があるんだ。書くことの意味を感じないんだ。
以前私はこの手の違和感で、キチガイじみているとかここでいろいろ言われたことがあるんだけど。私はカンが良いと自分ではおもっていて、私の違和感は当たるんだ。それを確かめたい自分本位の興味があって。
おそらくこういう文章を付け足したあなたなら、自分で蛇足だったかも?と思える考えがあるから聞いてみたいんだけど。いつもなら私もスルーだけど、本音を言うと暇つぶしなんだ…。
こう書く事で、私は頭がまともなんです。とか頭が良いんですと言う意見表明なのか?それとも単純に自分の立場を表明する事でいらぬ混乱を避けるためなのか。その考えの根本が単に興味本位で気になるから。
まあ私の考えを話すと、人の考えのパターンを勉強しておく事は後々の人生で役に立つかと。まあ利己的な目的以外何も無いです。
> 一応、僕はオカルト、トンデモ話は基本的に信じないが興味があり好きであるというスタンスです。
もう去ってしまうのかも知れなけど、興味本位で聞きたいことがあります。
何故信じてないのに、好きなのですか?
信じていれば好きなのか?と言えばその心理も良く分からないのですけど。
ありがとうございます。
取りあえず「月の魔力」探して読んでみたいと思います。
一応、僕はオカルト、トンデモ話は基本的に信じないが興味があり好きであるというスタンスです。
人類の祖先が波打ち際で生活していた頃は、産卵に適した時期と潮の満ち引きはダイレクトに繋がっていたでしょうから排卵と月齢の関係はそこら辺に起源があるかもしれませんね。
もちろん現在では単なる痕跡器官のようなもので、適応的な意味は失っているのですが。
狂気を意味するルナティックも月から来てますね。
満月には何かが起こる、という印象はあったのかも。
アルテミスについては、月経周期がルナサイクルに近いことから連想されたのかもしれませんが。
ギリシア神話の月の女神であるアルテミスは出産の神でもあるところから考えると、月と出産の関係はかなり古くから結び付けられた考えなのではないでしょうか?
ギリシア神話の神々は司るものを色々兼任してるので、たまたま月と出産を兼任している可能性もありますけど。
http://www.bioportal.jp/columns/28/
生物時計という考え方はきわめてまっとうな生物学の研究対象だにゃ。リンク先にもあるように、一日周期のリズムについては、遺伝子レベルでの特定までされているみたいにゃんね。
で、一週間リズム、月齢リズム、あるいは年リズムといった生物時計というものを措定して、それを研究するのも至極まっとうな研究方向にゃんな。ちゅうわけで、もちろん学会もあるわけだにゃ。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsc/
ここの用語集から引用
**************************
biological clock (生物時計、体内時計):
circa-rhythm(概リズム)の中枢機構。単にclock(時計)ともいう。環境サイクルの長さに似た周期で自律的に振動し、種々の生理機能に作用して概リズムを発現させるはたらきをもつ。概日リズムを支配する生物時計(circadian clock 概日時計)の所在として、哺乳類のげっし類(ネズミの類)では視床下部のsuprachiasmatic nuclei (視交叉上核)が知られている。また、鳥類では、pineal body(松果体)が最も注目されているが、目や視交叉上核も概日リズムの支配に関わっているといわれ、所在を特定の組織に限定することはできない。昆虫のなかで、ゴキブリやコオロギでは、 複眼のすぐ奥に位置するoptic lobes(視葉)、また、ナツメガイ(軟体動物後鰓類)では目の奥にあるbasal retinal neurons(網膜基部ニューロン)に時計がある。体内に概日時計が複数あり、それらの間に主従関係が想定される場合もある。その場合、主の方をmaster clock(主時計)、従の方をslave clock(従時計)とよぶことがある。
biological rhythm (生物リズム、生体リズム):
生物の内因的な(endogenous, self-sustaining)周期現象で、環境の周期変動のない状態でも起こる。biorhythm(バイオリズム)ともいうが、これは運命判断の用語にも使われているため、混同しないよう時間生物学では避ける傾向がある。生物リズムのなかには、一日のリズムのように環境サイクルに同調した形で現われるものがあるが、これらのリズムは、変動をできるだけ一定に保った、いわゆる恒常環境に移されたあとも、環境サイクルの長さに似た(例えば約一日の)周期で継続する。(→circa-rhythm, infradian rhythm, ultradian rhythm)
*******************************
「月の魔力」は、月の引力を原因としているらしいにゃ。まあそれは多分トンデモだろ。
しかし、海洋生物に潮の干満に応じた生物時計が備わっていてもなんの不思議もにゃーし、なんらかの要因から陸生生物にもそうしたものがあると措定するのはトンデモとはいえにゃーように思う。
現代科学の観点からみて、理屈のうえではむちゃくちゃだけど、効果自体は否定できにゃー漢方とか鍼灸とかもあったりするわけだ。「月の魔力」は、その説明はトンデモであることはまず間違いにゃーところだろうけど、だからすべてトンデモとはいえにゃーだろう。
と学会はそこそこ信用してるんだけど、「月の魔力」が実際にどういう本で、と学会がどこを笑い飛ばしているのかは、実際に読んでみにゃーとわかんにゃー。ちょい興味でてきた。
いやさ、藤原正彦のウィキペディアの記述で
******************************
読書を、“教養を獲得して人間の知的レベルを高める極めて重要な要素”、と位置付け、大学で1年生を対象とした読書ゼミナールを開いている。主に新渡戸稲造、内村鑑三、福沢諭吉の思想書や、宮本常一の民俗学の学術書等を読ませる。国語教育の重要性を説き、英語の早期教育を批判している。
*************************
なんてのは教養人としてきわめてマトモだと僕は思うんだにゃ。
ついでにいえば「愛人との共同生活が夢らしい」ちゅうのもあまりにもマトモだにゃ。いろんな意味で。
文系・理系・性欲のバランスのとれた知識人の典型のはずにゃんが・・・・
とにかく確かめてみよっと。
> ずいぶん昔に聞いた話なのですが、ヒトの出産と海の潮汐とが関係があるという話を聞いた事があります。
>満ち潮時に出産率が高く、引き潮時には出産率が低いという話です。
>これは単なる作り話や都市伝説なのか、ある種のトンデモなのでしょうか?
>それとも実際そのようなデータがあるのでしょうか?
以前検討してみたことがあるのですが、その時の私の結論は「そういうメカニズムは存在しなさそう」というものでした。
満潮時と干潮時の、月と地球の位置関係から重力の変動を計算してみたのですが、せいぜい「ビルの1Fと5Fまで登った時」に生じる程度の微弱な変動が生じるだけでした。ですので、少なくとも月の重力が直接影響するというメカニズムは存在しなさそうです。
もしなんらかの影響があるとしたら、それは「潮面の高低差」をトリガーとする間接的な影響ではないか、という風にその時は推測したと覚えています。
うーん、でも、無いんじゃないかなー。
>ヒトの出産と海の潮汐とが関係があるという話
ああ、「月の魔力」にゃんね。
と学会も「トンデモ超常現象99の真相」で取り扱っているやつですにゃ。
ところで、この「月の魔力」の訳者の藤原正彦って、どっかで見た名前だと思ったら
「国家の品格」(未読)のおっさんではにゃーか(びっくり
数学者の藤原正彦に間違いにゃーぞ。なんせ藤原美子(発達心理学者らしい)と共訳にゃんからな。
ウィキペディアにも訳書に「月の魔力」があると書いてあるにゃ。
よくわかんにゃーのだが、藤原正彦ってまともな数学者なんでにゃーのか?
なんでこんな本を、夫婦で訳したんだろ?(謎
不定方程式論やっても発達心理学やっても、月の魔力で狼にヘンシンして国家の品格でお仕置きよ、なんだろか?
ずいぶん昔に聞いた話なのですが、ヒトの出産と海の潮汐とが関係があるという話を聞いた事があります。
満ち潮時に出産率が高く、引き潮時には出産率が低いという話です。
これは単なる作り話や都市伝説なのか、ある種のトンデモなのでしょうか?
それとも実際そのようなデータがあるのでしょうか?
ああなるほどなるほど、最初にハンデキャップ説の事例として挙げられるものが悪すぎるってそこに繋がるんですね。
ダンスはハンデキャップじゃなくて、単に神経系の優秀さを示してるだけでしょ?って言う意味か。
私この批判好きですね。ダンスをする事が無意味だって発想が間違っていると言う事ですね。
この発言は「この昆虫のダンスは神経系がちゃんと働いていることを示しているだけではないか」という事でしょう。
確かにその意味では正直な信号にはなっているんだけど、「ダンスというハンディキャップを負担できることを示している」とは言えないから、ハンディキャップ説で説明するのは正しくないのではないか。抄録を読む限り、そういう批判じゃないですかね。
そもそもハンディキャップ説ってのは
「実力がないのに信号だけ発信するフリーライダー(or不正直な信号)をどうやって排除するか」
という点がキモなわけで、コストのかかる信号を発信しない限りハンディキャップの例として適当じゃないんですよ。
例えば「長い尾は生存価を低下させるから個体にとって負担である。そのようなハンディキャップを背負っていながらちゃんと生きていられるということは、その個体の生存能力が優秀であることを示す」というような例なら模範的なんです。
> 踊りの技術が練習によって習得するものであるなら、ハンディキャップの原理で説明できると思うけど。
全体を理解したわけじゃないですが、ここは分かりました。要はおそらく昆虫の話じゃないんですね。それとも昆虫もダンスの練習をするのでしょうか?確か蜂などで8の字ダンスの練習はすると聞きましたが、求愛ダンスも練習するのでしょうか?するとしたらそのモデルとなるダンスは誰から真似するのでしょうか?
> ダンスをうまく踊れるオスの神経行動能力が先天的なものなら、踊るコスト自体は上手かろうが下手だろうが変わらないわけで、ハンディキャップの原理では説明できないってことじゃないかな?
書いてある文章そのまんまの気がします。私それ意味がいまいち分かり難いんですよね。
> 踊りの技術が練習によって習得するものであるなら、ハンディキャップの原理で説明できると思うけど。
要するに後天的先天的でスミスは先天的にしか絞って話をしてないのが問題だと言う事でしょうか?
しかし、遺伝によってだから先天的に絞ったと思うんですけど。いまいちナナシーさんの練習の意味が分かりません。
ダンスをうまく踊れるオスの神経行動能力が先天的なものなら、踊るコスト自体は上手かろうが下手だろうが変わらないわけで、ハンディキャップの原理では説明できないってことじゃないかな?
踊りの技術が練習によって習得するものであるなら、ハンディキャップの原理で説明できると思うけど。
http://www.shokabo.co.jp/identoku/t56.3.html
特集 II 進化とゲーム
これ面白い。
ハンデキャップと言うのは、胡散臭いと言うわけだが、どう胡散臭いかダンスのコストの話はいまちい分からない。
スピリチュアリズム…
そもそも人間社会のルールでしかない善悪の概念をあの世この世を含めた世界の基本原理とした所で能天気だと思うんだがなー
霊やと言う言葉の響きにキリスト教文化圏と日本には大きなギャップがあるんじゃないかな
江原あたりはそのギャップの部分で飯を食っている気がするが
僕にとっては「本当のスピリチュアリズム」なんぞ江原啓之と変わらないんですよね。
# 俺も耳糞かもしれんがw
>キリスト教にもその他の宗教にも全部間違いがあるんですが、(後略)
宗教に間違いなど無いでしょう(暴論)。
そもそも「間違い」とは、「ある前提と論理があり、それに沿わない」という状況です。例えば自然科学ならば、事実を前提とし論理に縛られます。このため、ある仮説が事実(または事実と論理から導かれた結果)と沿わないようであれば「間違い」となります。
ところが多くの宗教は、前提を定めます。または宗教自体が前提となります。更に宗教は論理ごときには縛られません。このため、「宗教が間違っている」という状況は発生しえないのです。
>もう神を否定する時代は終わりつつあると思います。
そんなもん、誰も否定してないけど?
「神を否定している」とか云っている段階で宗教について科学について何もわかっとらんことを露呈しているだけなんだけどねぇ…はぁ。対比にエハラとか出してるのもどうかと…あのへん真面目に受け止めてるヒトはここに常駐してないんじゃん?
その「第一原因」ちゅう理屈はキリスト教神学のパクリだにゃ。
そして、キリスト教神学者は、この理屈をギリシア哲学からパクってるんだにゃ。
ギリシア哲学を読めば、個々のニンゲンはこの数千年間まったく賢くもなんともなってにゃーという、進化論においても支持される事実がよくわかるにゃんよ。
スピリチュアルだのと馬鹿の餌に食いついてにゃーで、古典的な形而上学を勉強したほうがいいよ。
>神は今でも創造を続けていると考えるのが自然です。でないと、全ては決められていたことになってしまいます。つまり未来は100%決まっているということになります。
未来が100%決まっていたとしてもそれを神が全部把握していても何も不都合はありませんし、特に“想像を続けていると考えるのが自然”とは思えません。
神の存在を前提にして推理するとき神の能力はどのようにも設定できるのだから、無限の過去から無限の未来まで見通せる能力があるとしてもいいわけです。そういう神の存在が困るならそれはそういう信仰なだけなのでしょう。
予想としては“スピリチュアリズムの摂理”というのも偽物だと思う。
キリスト教にもその他の宗教にも全部間違いがあるんですが、進化論が正しいかどうかは科学者に任せて、創造論者は神の摂理に従って生きれば何も問題は無いと思います。理解できない人は相手にする必要はありません。
神というのは全ての第一原因のことで、宇宙の発生の原因の原因の一番最初の原因ですが、
一番最初に意思が働かないと何も生まれないということです。『これは聖書の内容とは違います』から聖書の欠点を突くことによって神や創造論を否定することはできません。ここで一番大事なのは【第一原因】で、第一原因を作れる存在は何者か?始まりの無い存在であり、計り知れない知性を持った存在でもある。物質でもない。詳しくは「スピリチュアリズム」を調べてほしいのですが、江原のスピリチュアリズムは間違いで本場のスピリチュアリズムを勝手にアレンジしたもの。本当のスピリチュアリズムとは違う教えです。
神は存在するというのを前提に話を進めます。無限の過去に、神が起こした原因の延長線上に宇宙や惑星や生命があるわけです。神は【設計】をしたわけですが、最初の1つの原因から派生してその後神の関与は無く宇宙も惑星も生命も自動的に発生するように設計したのか?それとも今も設計し創造を続けているのか?神は今でも創造を続けていると考えるのが自然です。でないと、全ては決められていたことになってしまいます。つまり未来は100%決まっているということになります。例えば、地球の設計は宇宙が始まる前、第一原因のときにしたということになります。この世の全てのものは神によって「創られた」という表現は間違いではないと思います。神の第一原因に創造の意思と完璧な設計がないと、第一原因だけで終わってしまいます。
普通の人は神という言葉から『キリスト教』を連想してキリスト教の神を連想してしまうのですが、ほとんどの宗教には間違いがあります。誤解を招くので、創造論を語るときや否定するときに「宗教」という言葉を使わないでください。これは理解できる人のみ理解してくれればいいです。もう神を否定する時代は終わりつつあると思います。スピリチュアリズムの摂理があるので、その他の偽者の宗教は全て不要になります。全ての人間の成長の度合いが同じということはありませんから、理解できる人もいれば何十年経っても理解できない人もいます。有神論者は、そういう人は相手にしないで大丈夫です。誰でもいつか成長し摂理に辿り着きます。
おそくなってごめんね>カクレクマノミ
>ローレンツのいう種内淘汰・種間淘汰は、適応すべき環境が種内かどうかの違いではないと思います。種間淘汰は、種にとって有利な性質を持つ個体からなる種が生き残り、そうでない種が絶滅するというかたちの淘汰です。種内淘汰は、種の中で個体にとって有利な性質を持つ個体が生き残り、そうでない個体が滅びるというかたちの淘汰であり、実は現代的な自然淘汰そのものです。種内淘汰は現代でも問題なく成り立っているどころか、現代進化学の中心概念は種内淘汰です。
わかっていたつもりではあるんだけど、こちらの書き方がお粗末だったにゃんね。
一般的な自然淘汰と性淘汰を、ローレンツの種間淘汰と種内淘汰に置き換えてしまったのは確かに僕のマチガイ。
性淘汰は代表的な種内淘汰であり、ローレンツはそれを憂慮していた、と書けばよかったにゃんな。
ローレンツにおいては進化の主体はあくまで「種」だったんだよにゃ。
だから「種間」が正しく、「種内」は忌むべきとなる。つまり、主体をどこに設定するかで価値の問題が入り込んでしまうちゅうことになる。「種」というのは現代生物学では相対的な概念であるというだけでなく、「種」をベースにした進化論は必然的にある種の規範価値を生物学に呼び込んでしまうのかもしれにゃー。
>ローレンツが社会生物学者からの古典エソロジー批判に対して、「いや種内淘汰で種にとって有害な性質が生じるのは我々だってわかってるよ」という意味のことを書いていることからもわかります。(「ハイイロガンの動物行動学」の「はじめに」)
社会生物学者が、古典的エソロジーに対して行った批判の具体的内容をご教示いただけると幸いですにゃ。
話がすごく面白い方向になってきたので楽しみにしています
>彼は(タイトルにもあるように)チンパンジーの文化的側面を強調する傾向がありますが,
>それでも,雌雄の食性の違いの基本的な部分に関しては,
>遺伝子決定的に論じている印象がありますよ
これって、文化由来なのか、遺伝子由来なのか判別できるのでしょうか?多分観察のみからの類推じゃ結構困難じゃないかと思いますね
「ニンゲンは集団で自然に適応し、個人がニンゲン集団に適応している」というのは地下に眠るMさんの名言ですが(うろ覚えだけど)、ものすごく粗い言い方でスイマセンがこういう集団(社会っつーか)としての適応の仕方を「文化」と呼ぶならば、文化の原型みたいなモンは類人猿だけでなくサカマタや象にもあるようですが(出典不明)・・・。ジーンとミームの境界領域という話しですかね?(自分で書いているうちにシリメツレツになってきた)
>そう言えば人類最初の道具はハック(掘り棒)かもしれん、と大学の時に文化人類学の先生が言っていたような。
ヒトの最初の道具が何かは分かりませんが,
もし握り棒だったとしても地層の中から出土する可能性は少ないでしょうね
今回,報告されたチンパンジーの槍や,
シロアリ釣りの釣り棒や葉のスポンジや木のハンマーに類似の道具を初期の人類が使っていたとしても,
化石として残ることはないでしょう
保存性の問題から,どうしても初期人類の道具の研究は「石器」に偏りがちですが,
生活を再現する上で,植物性の材質の道具の存在は考慮にいれるべきでしょうね
>チンプの♂♀の食性の違いは、社会構造の制約に「のみ」還元できるものではにゃーのでは?
チンパンジーの雌雄の食性の違いを社会構造の制約にのみ還元するような研究があるのでしょうか?
紹介したマックグルーは,ヒト以外の動物に関して,
ジェンダーの存在を確証したり否定したりはできないと書いてます
彼は(タイトルにもあるように)チンパンジーの文化的側面を強調する傾向がありますが,
それでも,雌雄の食性の違いの基本的な部分に関しては,
遺伝子決定的に論じている印象がありますよ
>性別による食の嗜好性の違いが、どれくらいの範囲で見られるかに興味があるにゃ。
>ある程度「高等」な霊長類に限られるのだろか?
オランウータンの場合は,
雄の方が多く昆虫を食べるという観察も,
逆に雌の方が多く昆虫を食べるという観察もあるようですね
下の投稿は嗜好の性差以前に、採餌行動に性差があるか、という一般論です。
少なくとも著者はこの本では嗜好には触れていませんでした。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。