このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
下の投稿は嗜好の性差以前に、採餌行動に性差があるか、という一般論です。
少なくとも著者はこの本では嗜好には触れていませんでした。
>チンプの♂♀に食の嗜好性の違いがあったとしても驚くにはあたらにゃーと思う。このあたりは飼育下で観察されているのではにゃーだろうか?
「人間性はどこから来たか」(西田利貞、1999、京大学術出版会)pp130-134に野外観察のデータの総論がありました。
採餌行動(餌品目、時間配分、採餌場所、採餌方法など)の性差はチンプ以外にもオランウータン、ゴリラ、ホオジロマンガベイ、フクロテナガザル、ズグロキャプチン、ブラウンキャプチン、アヌビスヒヒで記録があるとのことです。
一般論としては
・体が大きい性は採餌量が大きくなる
・体が大きい性は熱効率が良く、より粗末な餌資源でも生存できる
・雌は妊娠や授乳のためより多くの、また良質の栄養が必要である
という点が挙げられています。
チンプについては
・雄の方が犬歯が大きく、狩猟や獲物を引き裂くのに有利
・雌は妊娠・授乳のため継続的に栄養が必要であり、狩猟のようなリスキーな方法よりもシロアリのような常に摂取できる餌を選ぶ
という仮説を展開しています。
そう言えばニホンジカでも雄成獣は雌・子供より粗末な餌を食っているのかも、と聞いた記憶があります。
答えるべきレスをちょい置いといて・・・
チンプの♂♀の食性の違いは、社会構造の制約に「のみ」還元できるものではにゃーのでは?
ニンゲンの場合、♂も♀も完全に同一の食事を摂ることは可能にゃんが、実際には♂と♀で食い物の好みはだいぶ違うよにゃ。で、この食の嗜好性の違いをジェンダーに還元することもちぃっと苦しいのではにゃーかと。
チンプの♂♀に食の嗜好性の違いがあったとしても驚くにはあたらにゃーと思う。このあたりは飼育下で観察されているのではにゃーだろうか?
ちゅうか、ニホンザルでも♂と♀で食の嗜好性に違いが有るという報告があったような・・・・むむ・・うろ覚えにゃんが。
僕としては、性別による食の嗜好性の違いが、どれくらいの範囲で見られるかに興味があるにゃ。ある程度「高等」な霊長類に限られるのだろか?
>雌雄の食性の違いはチンパンジーでも報告されていますね
あ、鳥しか考えていませんでした。
社会構造による制約というのは、鳥類にもあります。
雄が厳密にナワバリを防衛するため遠くへ採餌に行けないとか、
一夫多妻性の鳥の雄がメイティングの順番によって給餌努力に差をつけるとか(これは必ずしも餌の違いとは言えないけれど)いうのがありました。
>ところが最近,セネガルに生息するチンパンジーが
>槍を使って狩猟するという報告があって話題になっています
確かチンパンジーがサゴヤシか何かに棒を突っ込んで、幹の芯を突き崩したり掻き出したりする道具使用があるんです(芯は炭水化物が豊富で可食)。
狩猟における道具使用が紹介された時に映像を見て思ったのですが、サゴヤシを突く行動に似ている気がしました。
そう言えば人類最初の道具はハック(掘り棒)かもしれん、と大学の時に文化人類学の先生が言っていたような。
>雌雄の食性の差という説はなかなか面白いのですが、まだ証拠が少ないようです。
雌雄の食性の違いはチンパンジーでも報告されていますね
「第5章 チンパンジーの雌雄」.文化の起源をさぐる―チンパンジーの物質文化 (単行本)
ウィリアム・C. マックグルー (著), William Clement McGrew (原著), 足立 薫 (翻訳), 西田 利貞 (翻訳),鈴木 滋 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90%E3%82%92%E3%81%95%E3%81%90%E3%82%8B%E2%80%95%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%B3%AA%E6%96%87%E5%8C%96-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BBC-%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC/dp/4521010016
哺乳類の捕食に関しては,
チンパンジーの雄は雌よりも36倍も頻繁に狩猟に参加し,
糞のデータから雄は雌よりも約10倍も頻繁に哺乳類の肉を食べていたことが示されています
また,獲物の選択に関しても,雄がアカコロブスなどの霊長類を多く補食し,
雌はヤブイノシシやブッシュバックなどの偶蹄類の子供を狙うことが多いことが報告されていますね
雄の大きな体は(特に手強い獲物に対する)狩猟において,有利に働くと推測されます
また,不妊の雌が他の雌の倍以上の頻度で狩猟に参加した事例から,
足手纏いになる子供の存在が雌の狩猟を制限している可能性も考えられます
一方,雌は雄よりも頻繁にシロアリ釣りやアリ釣りを行い,
雌の糞は雄よりも約3倍以上もシロアリを含んでいました
植物性の餌ついても,
木や石のハンマーでナッツを割るという行動に関して,
雌の方が雄よりも巧みであること(シーズン始めの柔らかくて割りにくいナッツも上手く割るなど)が
観察されていますね
このようなチンパンジーの雌雄の食性の差は
ヒトの狩猟採集生活における性的分業の発達の初期段階を示していると考える人は多いようですね
実際,チンパンジーは食物分配を行い,
多くの肉を分配された雌はそうでない雌よりも子供の生存率が高いことが示されています
このような環境では,体が大きく力が強い雄は,
雄同士の雌をめぐる闘争に有利なだけでなく,
多くの肉を手に入れて,自分と自分の子供の生存率を高めることで,多くの子孫を残すことができるかもしれません
また,雌の方も大きな強い雄を選好する方が有利になるでしょうね
ちなみに,上記の著書の中でウィリアム・C. マックグルーは,
チンパンジーとヒトの狩猟の大きな違いは,
チンパンジーの狩猟では武器が使われないことだと主張しています
社会性昆虫を取るための道具の方が多彩で(特に雌では)洗練されているという事例から,
ヒトの道具使用の起源も,雄の社会的な狩猟ではなく,
単独の雌の採集に由来した可能性が高いと結んでいますね
ところが最近,セネガルに生息するチンパンジーが
槍を使って狩猟するという報告があって話題になっています
槍を使った狩猟が,集団で狩猟を行う大人の雄ではなく,
雌や未成熟な個体で観察されたという今回の報告は,
武器を使う「ヒトの狩猟」の起源が,
雌の採集行動に由来した可能性を示しているのかもしれませんね
>チンパンジーは道具を使って狩猟を行う
>米国アイオワ州立大学の人類学者が初めて確認
>200 7年2月23日(米国東部時間2月22日12時)
>アフリカ西部のセネガルに生息するチンパンジーは、人間が手助けをしないでも、
>自分で作った槍で他の霊長類の狩猟を行う習慣を持つことが、米国アイオワ州立
>大学(ISU)の人類学者たちの研究によって明らかになりました。人間以外の脊椎
>動物が、他の脊椎動物を狩る際に、習慣的に道具を使用することが報告されたのは、
>今回が初めてです。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/news/20070223/index.shtml
>Savanna Chimpanzees, Pan troglodytes verus, Hunt with Tools
>Jill D. Pruetz1, , and Paco Bertolani2
>Summary
>Although tool use is known to occur in species ranging from naked mole rats [1]
>to owls [2], chimpanzees are the most accomplished tool users 3, 4 and 5. The
>modification and use of tools during hunting, however, is still considered to be
> a uniquely human trait among primates. Here, we report the first account of
>habitual tool use during vertebrate hunting by nonhumans. At the Fongoli site in
> Senegal, we observed ten different chimpanzees use tools to hunt prosimian prey
> in 22 bouts. This includes immature chimpanzees and females, members of age-sex
> classes not normally characterized by extensive hunting behavior. Chimpanzees
>made 26 different tools, and we were able to recover and analyze 12 of these.
>Tool construction entailed up to five steps, including trimming the tool tip to
>a point. Tools were used in the manner of a spear, rather than a probe or rousing
> tool. This new information on chimpanzee tool use has important implications
>for the evolution of tool use and construction for hunting in the earliest hominids,
>especially given our observations that females and immature chimpanzees
>exhibited this behavior more frequently than adult males.
>Current Biology
>Volume 17, Issue 5 , 6 March 2007, Pages 412-417
http://download.current-biology.com/pdfs/0960-9822/PIIS0960982207008019.pdf
>カクレクマノミさん
>大きさが採食や防衛や体温維持などによって決まっているのであれば、雌雄の差はほとんどないはずです。食べている餌や襲ってくる捕食者や周りの温度が雌雄でそう違うとは思えませんから。でも実際には雄の方が数倍も大きくなっています。これは、性淘汰でしか説明できません。
前提以外の要因があるとしたらどうでしょう?AH1さんの猛禽類に関する発言、
>…雄が小さいのが普通です。雌は卵を生む都合であまり小さくなれないが、大きすぎるとハンティングに不利(空中での機動性が劣る)。
で思いついただけの話ですけど、メスの体のサイズが大きくなりすぎると、子育てに不便な理由があったりして。母親が寝返りを打った瞬間、子どもを殺してしまう確率が増えるとかw まあ実際にそんなことが起きるなら、生態を観察している研究者からとっくに指摘が出てるでしょうけどね。
すみませんね。「これは、性淘汰でしか説明できません。」なんて言われると、つい反抗したくなるお年頃なもんですから。
血液型ノイローゼは大変みたいだピョンな。そんなときは女の子と居酒屋か、あるいはスナックに行って、女の子相手に「うーん、キミはなんかキッチリしているからA型かな?」なんて話をふるのが吉だピョンピョン。ベートーベン鈴木の「血液ガッタガタ」を自慢のノドで披露するのもアリなのら。
原則として、女の子は持ち上げることなんだあ。B型の女の子はあんまりよく言われないらしいから、「実は最近の研究によると、B型の女の子って情が深いって統計があるらしいピョンよ。ドイツの研究者が発表したとかしないとか。」なんて、嘘八百並べてもありなんだピョン。血液型は、合コンを盛り上げる便利なアイテムなのら。
ガンガレ、ひろピョン!
diamonds8888x さん
>知らなかった。鳥類でそんな仮説に合いそうな例があるのですか?
残念ながら明確に示されているわけではありませんが、違う(っぽい)という結果を出している研究はあったと思います。もっとも猛禽はただでさえ観察が難しいので、捕食を観察しろと言われると辛いものがあると思いますが。
日本で雌雄の体サイズが明確に違う猛禽としてはハイタカとツミの2種がありますが、いずれも森林性で、しばしば林内を飛び、小鳥などを襲う種です。これは狭い空間での飛行能力が問題になりそうな生活史ですので、運動性と産卵能力のトレードオフという仮説も、それなりに説得力があると思います(もっとも他の猛禽類についてすっきり説明できるかというと、それもよくわからない)。
雌雄の食性の差という説はなかなか面白いのですが、まだ証拠が少ないようです。またこの説は付近にいる餌生物のサイズにも依存しますので、常に適応できるわけではないのかもしれません(家族が3人だから3人乗りの車が最適!と言っても選びようがない、というようなものです)
http://www.law.keio.ac.jp/~popper/v2n2shimazu.html
○これは、彼が簡単にではあるが語っている、メタ・レベルの試行または仮説の進化の問題と関連する。つまり、直ちに淘汰の対象となる仮説ではなく、当たりそうな仮説の生み出し方についての仮説を体現するような機構が様々あって、それらが淘汰にかかって進化する、という訳である。もちろんだからといって、それら仮説の仮説は正しい仮説を常に生み出すとはかぎらないし、重要な試行の領域を始めから排除することで、むしろ発見の可能性を狭めることになる場合もある。メタ・レベルに可謬主義を適用するなら、これは当然のことである。
ここが非常に面白い。
キリンの首が問題なのは、もちろんすべての科学の説において確かなものなど無いのだけど。
キリンの首は一つのアイデアであり、そのアイデアの正しさについての根拠が薄弱な事。あるとするとそれは、自然淘汰が別の生物の進化を上手に説明できている事からの類推に過ぎない事。
ただこれを宗教と変わらないと切って捨てる人間は本質を見抜いているようでいて、本質などに意味が無いことに気が付いてない。我々は良い予想屋に乗るか乗らないかだけなのである。その予想屋を自分で見極める事が科学の読み方。と言ってもある程度論理的とか合理的である事に整然としたものはあるけど。少なくともキリンの首には理路整然としたものより、良い予想屋を選ぶ程度しか感じられない。
私はA型です。母もA型、父はO型です。今日はO型なのです。筆記体から父に似た字で、O型の友達の字とそっくりなのです。明日はAです。昨日もA型で母に筆記がそっくりでした。皆さんも絶対に両親の性格が一日おきに交互に出ているはずなのです。しかしこの結論を導き出すために私は自分を犠牲にしました。自分の行動を注視しすぎてノイローゼになり、人との会話に集中できなくて涙が出てきたり、あの人は何型だろうと考えたり・・・、無意識で生きていた自分が幸せにおもいます。あのころに戻りたい。
悪かったのかもしれませんね。
> それが遺伝子によるものか、環境による後天的なものかを区別する手法はあります。
私が言いたかったのはこれだと思います。
どうも過去の本能に関する観察はどこか胡散臭い。
どうして生得的なのか?と言う事をもっと徹底してほしい。また最近の知見で、過去の動物の本能に対する記述も考え直すようなことも出来ると思うんですよ。
どうですかね?
後キリンの話は、大体これは進化論に進化論の問題として異論がある人への説明が多くて、まあ論戦を吹っかけられてやむなしと答えるといった感じなのかと理解しました。
>本能って言葉の独り歩きがどうも進化論には付きまとう。
何十年前の話だ。
今どき「本能」なんて堂々と書きっぱなしにした論文は掲載されっこない。求められてんのはその先。
まあ一般論としてテレビの前の皆様にもわかりやすく、ってレベルの結果はなかなか出て無いけどね、フィールド生物学者が扱うような複雑な行動を、遺伝子のノックアウト等を用いて飼育下で観察するのがどれだけ大変か。それを考えれば、ショウジョウバエで結果が出ているだけでも大したもんなんだよ。
(ウズラの異性に対する好みも遺伝的に決定されてる部分はあるようだけど)
連投すんません。>みなさま
>ランナウェイ・ハンディキャップ両説の複合で説明したほうが良いような事例もあるでしょうね。
ツバメの尻尾がこの例かもしれません。
人為的に尾羽を継ぎ足した雄は雌にモテるようになりますが、採餌の成績は落ちるし体調も悪くなったとのことです。
ランナウェイの限界とも言えますが、雄に負担を強いつつ雌に対するシグナルになっているということは、ハンディキャップ仮説の例と考えてもいいように思います。
#今回は手許の本を見たので間違ってないです、よ、ね?
カクレクマノミさん
>クマノミは逆(最大個体が雌に)です。
>大きい個体が雄になるのは、ベラ類、ブダイ類、キンチャクダイ類などです。
わたた、そうでした。間違いました。訂正ありがとうございます。
記憶頼りは危なっかしいですね。
diamonds8888xさん、御察しの通り、存じ上げませんでした。
happy new earでした・・・こわれそう。
顔を洗って、風呂にも入って、エステにも行って、勉強(これを忘れちゃいけねぇ)して
出直します。
謝謝
> 「無断での掲載を禁じる」って意味だけど。
引用したり、リンクをはったら駄目って事ですかね?
>ところでこの無断掲載きんずってどういう意味だと思いますか?
「この文章に関しましては無断転載を禁じます。」という文章はあるけど、「無断掲載きんず」って文章はないから誰も答えられないんじゃないかな?
ごく普通に「無断掲載(を)禁ず」なら「無断での掲載を禁じる」って意味だけど。
生物の主体的進化
生物の形質が淘汰に曝される。これは異論が無いと思う。問題は、ある遺伝子1が多に広まっていくという考え方。これは系統樹などからある程度信頼できると思う。だがもっと詳細に調べれば遺伝子の同時発生的な要素があるのではないだろうか?種の考えである。
まず獲得形質の親子の連鎖が生活形の固定などによって起こる。次にこの型にふさわしい遺伝子が突然変異によって生まれる。これは同時発生する可能性は少ないだろうがあるのではないだろうか?
仮に無いとしても、似た様な遺伝子が発生してそれが淘汰されていくとすると、初めのプロトタイプは同時発生して、後にこの中で洗練されたものが残る。よって最初の時点でかなりの完成度の高い遺伝的機能が実現する。まあ自然選択と大差が無いのかもしれないが、進化の漸進性に突っ込みを入れる事が出来る。
生物は遺伝的に突然変わる。
5連投を救われた
> 遺伝子を“見つける”のは困難ですが、
それが遺伝子によるものか、環境による後天的なものかを区別する手法はあります。
いくつかのグループでは、「特定のオスを好む形質」が遺伝的なものであることが明らかになっています。
また、交配相手を選ぶ遺伝子、あるいはそのような好みに影響を与える遺伝子は、
ショウジョウバエなどで見つかっていたと思います。
あいん、私も悟り遺伝子だったかな?その手の異性識別遺伝子があると聞いています。ただ好みってのもあるんですね。
さてさて私が最も言いたかったのは、キリンの首についてです。あれは
http://www.srs21.com/seimei_nouryoku/028_finch_Daphne%20Island.htm
このような観察と比べて、進化論は正しいなと信じられるような説明では無いですよね?
私は真っ先にダーウィン論者がキリンの首の話を持ち出すのを嫌いなのです。
おかしいと思いませんか?こう考えたら良いのでは?と話し出して、それって正しいの?って聞き返すとさあしか根っ子に無いでしょ。
私キリンの首の説明って良い説明だとは思っています。ただ正しさを示す説明としてはあれほどいい加減なものは無く、逆に言えば自然選択の特徴を顕著に出していると思っています。
孔雀の羽も同じです。こう考えれば説明が付くけど?と言う事と、こう考える事が妥当だと言う事とは大きな開きがあると思うのです。この掲示板の人のさも当たり前なと言う口調が問題なのでは?とも思いますけど。
http://www4.zero.ad.jp/seiken/gyouji/50kinen/50kouen.htm
(※この文章は大阪府高等学校生物教育研究会50周年記念式典にて日高敏隆先生が記念講演されたものを生物研究会にて文章化したものです。この文章に関しましては無断転載を禁じます。)
ところでこの無断掲載きんずってどういう意味だと思いますか?
お久しぶりです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%B7%98%E6%B1%B0
>配偶者の選択の理由については、ランナウェイ説やハンディキャップ説などの理論モデルがある。
ランナウェイ説はもうお話の中にのぼっていますね。
ハンディキャップ説は、
健康で調子が良い、ということの指標として、
尾羽や尾ひれの長さが使われる、というもの。
ランナウェイ・ハンディキャップ両説の複合で説明したほうが良いような事例もあるでしょうね。
さて、ここから私見です。
メスよりオスの方で極端な値が多いように見えるのは
雌雄での繁殖にかかるコストの違いによるところが大きいのではないか、と。
メスは大きな配偶子を作り、メスの配偶子には発生のための栄養が蓄えられています。
一方、オスの方は、小さく運動性のある配偶子を作り、栄養分はほとんど持っていません。
繁殖にかかるコストはメス>オス
オスは相手選びに少々失敗しても、いろんなメスと交配すればいいのですが、
繁殖によりコストのかかるメスでは、だれかれ構わず交配することがオスより難しく、
相手選びの失敗がより深刻な打撃を与えます。
そういうわけで、「選ぶ」形質はメスに発達しやすいのではないかと。
さて、
To うだうだ さん
>じゃあその遺伝子を見せてくれ、これこそが妥当だと思われる事例を見せてくれといつも思っている。
遺伝子を“見つける”のは困難ですが、
それが遺伝子によるものか、環境による後天的なものかを区別する手法はあります。
いくつかのグループでは、「特定のオスを好む形質」が遺伝的なものであることが明らかになっています。
また、交配相手を選ぶ遺伝子、あるいはそのような好みに影響を与える遺伝子は、
ショウジョウバエなどで見つかっていたと思います。
http://www4.zero.ad.jp/seiken/gyouji/50kinen/50kouen.htm
連投も申し訳ないが、ローレンツに謝りたい。
○そこでローレンツは非常に困りまして、保守反動と言われないために必死になって「学習も大事です」とか言ってい ます。
まったく科学といえども時代の流行すたりの影響を受けるんだな。人間と言うのは偏らないと思考できないのかもしれない。偏ったらその反動が出てくる。
ローレンツが本能と叫んだから、私は何か腹が立つのである。
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C673208941/E20061227234804/index.html
ただ、私は影響としての遺伝子が存在するならそれは、ある機能の遺伝子だと言っても良いと考えている。ただし、その遺伝子が機能に絶対欠かせないものである事。ただしこれには例外があるが、その例外が思いつかない。
とりあえず、本能と言う物が安易に一人歩きしていると考えているから意見しています。まあ雌の好みが本能っぽいので発言しています。
4連投大変失礼しました。
http://www.affrc.go.jp:8001/salmonid/sum1/summary.3c.html
[主な知見] GnRHを含む神経ホルモンおよび脳下垂体ホルモン遺伝子の発現の最終成熟にともなう変動を解析し,生殖腺刺激ホルモン(GTH II)およびソマトラクチンをコードするmRNA量が,GnRH mRNA量の増加に対応するかのように増えていた.一方,GnRH遺伝子のクローニングと構造解析から,母川回帰時にGnRH遺伝子の転写を調節する因子が予測できた.
こういう話が見たいんだ。と言っても意味分からん。
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/116552.html
○母鳥の後に一列にならんで池に向かうカモのヒナ。産卵のために川をのぼるサケ。ダムを造るビーバー。羊の群れを守る牧羊犬。道路に出ていった子供を守るために車の前に飛び出す母親……。 「本能」と呼ばれるものは、どこからくるのだろう?それは生得的で、経験とは無関係でなければならないのだろうか? また、これらの見事な行動は、遺伝子によってプログラムされているのか、あるいは環境によって形成されるのか? そもそも、遺伝要因と環境要因のふたつにわけるなどということが簡単にできるのだろうか? そして、進化はどうかかわってきたのか? 「本能」という言葉にごまかされずに、行動とその発達について深く追求していけば、遺伝子、細胞、行動、物理的・社会的・文化的環境が能動的に相互作用して、われわれの行動と認識を形づくっているのが見えてくる。気鋭の神経学者が「本能」論争を解説し、行動の起源を探ることの重要性に迫った科学ノンフィクション。〈ハヤカワ・ポピュラー・サイエンス〉
御得意のの知識を披露して、べらべらと本能について語る馬鹿が大嫌いだ。いい加減遺伝子の時代なんだ。もっと突っ込んで本能について考えよう。本能って言葉の独り歩きがどうも進化論には付きまとう。ただもちろん極端な竹内久美子的ってのが嫌われているのは知っているが、ローレンツがうんたらと言えばそれは大層な権威となる。これが鼻持ちならない権威主義に見える。
今まで本能といわれていたものを現代の知恵によってぶっ潰して過去の偉人をけちょんけちょんにしよう。
http://www.nature.museum.city.fukui.fukui.jp/tokuten/2004sp/catalog/female_5.html
「ランナウェイ仮説」
やはり長さ好み遺伝子の発想が根底にある。私は確かにクマノミさんが言うようにある特定の選択性がある事に対して明快な返答が出来なかったが、だからと言って長さ好み遺伝子があるとの仮定に何か違和感がある。
じゃあその遺伝子を見せてくれ、これこそが妥当だと思われる事例を見せてくれといつも思っている。
進化論の大半は、思考の有効性は認めるけど、妥当性に関してはお話にならないほど分かってなさすぎ。自然選択性選択より良い思考法が思いつかないだけ。ただそれだけ。
進化論で妥当だ思える話は本当に極少数。キリンの話なんて最も馬鹿馬鹿しい話。
私は進化論の有効性を話している論者に妥当性を持っているようにはなすのは止めろと言いたくなる。だから進化論は宗教だと言われるんだと考えている。したり顔で説明しだす馬鹿ばかりだ。
知らなかった。鳥類でそんな仮説に合いそうな例があるのですか? 自分は好きじゃない餌を妻が好むからという理由でせっせと運ぶ夫を思い浮かべてしまいました。
お話の様子ではもしかしたら「ランナウェイ仮説」についてよく御存知ではないのかと思いました。ググれば上位にまともな説明が出てきましたので調べてみて下さい。既に御存知でしたら失礼しました。
カクレクマノミさんによる、同性間淘汰か異性間淘汰かの検証は具体的でわかりやすかったです。異性から選ばれる効果を狙うか、同性間との争いに勝てる効果を狙うかの違いだけど、同じ形質が両方に効果のある場合もあれば、逆効果でトレーオフの場合もある、と。
異性間淘汰というと雄と雌が争うみたいで変な語感ですけど。
>また魚類でもクマノミでは集団中で最大サイズの個体が雄に性転換する事が知られていますが、
クマノミは逆(最大個体が雌に)です。
大きい個体が雄になるのは、ベラ類、ブダイ類、キンチャクダイ類などです。
To 大文字ナンさん
掘り下げていただき、ありがとうございます。
私などは、つい、進化の根拠として、1つの有力な存在価を高める理由を見つけようとしてしまいがちです。実際には、そんなに単純で分かりやすいものばかりではない事もわかっているはずなのですが。
おかげ様で、混乱しつつも、なんとかイメージの糸をつなげていけそうです。
>もっと視点を変え、包括的に捉えることで答えが見えてくる
へやに、貼っときます。
To ころぎすさん
>でも、クジャクの場合、もしその「嗜好性」(ハデな尾羽好き)が生存に役立っているなら、雌雄ともにハデな尾羽をもってもよいのに。
ヒントだけ差し上げたつもりだったのですが(笑)、そこに着目しちゃいましたか。了解です、もう少し掘り下げてみましょう。
方言や流行語の喩えは、そうですね「はんかくさい」という北海道地方の方言があります。これ「恥ずかしい」とか「恥知らず」とか「ばかっぽい」というような意に使われるらしい言葉で、語源は「生半可」とか「半可通」という説が定着しています。
しかし、「はんかくさい」という方言は、石川、富山、あるいは東北の一部、さらには京都府の日本海側などでも使われているらしいのですが、当然、地域によって微妙にニュアンスが違うものの、おおよそ「恥知らずな行動をたしなめたり、自嘲の意味で使う」言葉らしいです。
この語源について私は面白い「説」を聞いたことがあります。ハンカクサイは「繁華街かぶれで地域に溶け込んでいないみっともない姿」を嘲笑ったものがいつの間にか広まった、という私的に「ヒット」な説明をしたコピーライターがいたのですが、私はこれが気に入ってます。
さて、クジャクはなぜ尾羽の大きさや華美さを選択するようになったのでしょう?最初は単に、同種の雄を見つけるための能力だったかも知れません。鳥類によく見られる「刷り込み」がもともとの性質かも知れません。あるいはその他の「語源」がいつの間にか「大きくて華美な尾羽を好む性質」と変化していったのでしょう。
ここで私が云いたいことは、どんな行動であれ、ある程度複雑な行動というものは、それ以前の無数の単純な段階を持つだろうし、さまざまなバリエーションを持つだろう、ということです。また、尾羽を成長させる遺伝子と対になる、その他の行動や表現型を「強化する」遺伝子も存在するだろう、ということも重要です。ある一部だけを見ると謎めいた出来事でも、もっと視点を変え、包括的に捉えることで答えが見えてくることがどんな事象にもあります。
では「雌雄の差」はどこで淘汰されるのか、ついでに考えてみると…これは単純に雌が尾羽を発達させた場合、生存価が低くなり過ぎることが問題なのではないでしょうか。卵を温める場所を周囲に宣伝するようなものになるでしょう。
向こうに戻ろうとは思うんだけど、あっちでは完全に山篭り状態(だーれも寄り付かない)になるからまだしばらく最後っ屁。
まあ主体性の進化論で有名なのは今西だと思う。ただ私読んでいない。胡散臭さがぷんぷんしてどのHPも信用できない。
本当に主体性が重要だとは私は思わない。単に天邪鬼なんだろうと思う。対立機軸を生み出したいから頼っているだけ。
で、主体性の問題は結局根本は自然選択による説明に還元できるから、無駄。
NATROMさんがボールドウィン効果でプロテインさんに言いたかったのはこんな所だと思う。ただ私は視点は非常に重要だから、主体性とか生物側から見た獲得遺伝的発想は重要だと思う。
でも、柔軟な視点以外特に主体性を持ち出す意味を私は感じない。柔軟な姿勢がどうして重要かと言えば、なんて都合の良い機能があるんだ?って説明にそりゃ生物がそれを必要としたからだよと説明できるからである。問題は、その説明は生物学の範囲内で、より根源的な物理学のような説明となると結局自然選択の説明になってしまう。
まあ言葉足らずだけど、生物が必要としたって発想はこれから人間の脳の様な複雑なシステムを獲得してきた事を考えるとき重要になるだろうと考えている。(まあ重要以外何の説明も無いけど)
生物の主体性を持ち込んで自然選択に還元しきれない説明が出来れば良いと考えている。もちろん自然選択を絡めて良いが、ファクターとして今までは主体性を無視していたけど、無視できないとなればよい。
まあそれはあっち帰る(こっちは盛り上がらないから独り言話してるのと変わらんからあっちで良い)と思うけど、無理だろうな。
http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card9430.html
○今西は種と種とが「棲み分け」する、一種の調和的な生物世界を提示する
思いやりの進化論と言いたいのだろうか?
私はこういうの嫌いだ。ハト派の戦略と言う物があり。対立競争なんて単純な発想を止めて、競争とそれに伴う戦略と考えれば調和など持ち出さなくても良い。ただそういう状態(棲み分け)が良くある事と言うのは新鮮だと思う。
To 大文字ナンさん
>このような視点に立つとき、生物にはそれぞれ「嗜好性」があり、それが生存に役立っていることが観察できます。ミツバチの好む色、ネコにマタタビな
どがそれですが、これらは「情報」として色や匂いだけを抽出しても、固体は同様の反応を示します。ここから分かることは、生物には「嗜好の抽象化」
を行う情報処理が存在するらしいことであり、ある嗜好(傾向)が高まることによって、より生存価が高まるであろう方向に生物は進化してきた「らし
い」です。
納得です。
でも、クジャクの場合、もしその「嗜好性」(ハデな尾羽好き)が生存に役立っているなら、雌雄ともにハデな尾羽をもってもよいのに。
「嗜好性」=「自分がそうなる」とは違うと承知してます。
雄にしてみれば、ハデな尾羽は雌に選ばれるというメリットあり。では雌のハデな尾羽を好む「嗜好性」が、生存に役立っていたのか?役立っていたから、その「嗜好性」が広まったのか?別に役立ってないのに広まったのか?どういうわけか もともとそういう傾向があったのか?その「嗜好性」が遺伝的なものではなく、つい目立つものを選んじゃうという、反射的なものなのか?反射は遺伝じゃないのか?・・・混乱へと続く。
kosukeさん、うだうださん、大文字ナンさん、ご意見ありがとうございました。
イメージ出来ないと思っているのは、私だけの様なので、皆さんの意見を参考に、よーく考えてみます。
>もともとは別の意味の言葉だったのに、いつの間にか意味が摩り替わった流行語や方言、ころぎすさんもご存知ではないですか?
やばい!思い浮かばない。でも、ここの掲示板の人たちの知識、まち゛やばい。
>大文字ナンさん
こちらこそ、あれこれ考えて整理しなおせました。おつきあいありがとうございました。
>wadjaさん
>「均衡点が自然淘汰だけの場合に比べてずっと大きい側にずれている」…
カクレクマノミさんの投稿にあるように哺乳類では雄が大きくなる側にずれる例が割と多いのですが、
魚類や両生類、爬虫類では雌が大きくなる側にずれる例がよくあります(卵をたくさん生めるから)。
鳥類と哺乳類で雄が大きい傾向があるのは、少なく生んで育てる、という戦略と関わるのでしょう。
また魚類でもクマノミでは集団中で最大サイズの個体が雄に性転換する事が知られていますが、これは産卵場所を確保するために体サイズが効くからと考えられています(複数の雌が産卵してくれるので自分は雄になった方が得)。
一方、猛禽類(ワシ・タカ)ではサイズ差があるとしたら雄が小さいのが普通です。
雌は卵を生む都合であまり小さくなれないが、大きすぎるとハンティングに不利(空中での機動性が劣る)、あるいは雄と雌でサイズ差を作ることで餌の種類を変え、雌雄間で競争にならないようにする、
等の仮説が出ています。
To ころぎすさん
>くじゃくの雌に、あのような尾羽を好む遺伝子?が、どうして広がっていったのか・・
>うまくイメージできないのですが・・。
まず、どうでもいい突っ込みからひとつ。「…」これは「サンテン」もしくは「3点リーダー」などと呼ばれる文章表現の様式のひとつです。予備知識として持っていて役立つこともあるかも知れませんので、「点は三つ」と覚えておきましょう。(サンテンふたつで六点もよくありますね)
で、本題。
そもそも「五感」が発達した理由には、生存価が深く関わっていた、と思われます。光を感じ、陰影を感じ、色を感じることが、敵から逃げることや捕食行動の成功率を高めてくれた、と説明できるからです。同様に、音や味覚、触覚などにも、外界からの情報を処理する必要性に絡んで発達してきたのでしょう。
このような視点に立つとき、生物にはそれぞれ「嗜好性」があり、それが生存に役立っていることが観察できます。ミツバチの好む色、ネコにマタタビなどがそれですが、これらは「情報」として色や匂いだけを抽出しても、個体は同様の反応を示します。ここから分かることは、生物には「嗜好の抽象化」を行う情報処理が存在するらしいことであり、ある嗜好(傾向)が高まることによって、より生存価が高まるであろう方向に生物は進化してきた「らしい」です。
個体の識別、同じ種の仲間の象徴として「尾羽の大きさ」が進化の段階のどこかで意味を持つようになり、いつの間にかそれが「繁殖の条件」とまでなってしまった…そんな風に考えることは、それほど難しいことには思いません。これはちょうど「ことばの意味の変化」と似ています。もともとは別の意味の言葉だったのに、いつの間にか意味が摩り替わった流行語や方言、ころぎすさんもご存知ではないですか?
ここ2日ほど、やたらと書き込んでるな・・・
僕自身、いろいろと勉強になりました。ありがとうございました>みなさん
ところで、
>どの程度恣意的にそういう「区別」を行うべきなのか、
これは、かなり恣意的でもいいと思っています。ジェフリー・ミラーがまさにここと同じ、狭義の自然淘汰と性淘汰の区別と言う文脈で書いているように、「言葉は理論のしもべであるべきで、主人ではない」のですから(「恋人選びの心」)。そうした方が生物界をよく理解できるなら、統合も分類も好きにやればいいと思います。その際、用語法の混乱に気をつけなければならないのは言うまでもありませんが。
実際に、性淘汰を一般化し、配偶に関するもの以外も含む社会的相互作用を通じた淘汰を「社会淘汰」と呼ぶことも提案されています(「行動・生態の進化」第4章参照)。
近縁個体を通じて遺伝子を残すことに関する淘汰が「血縁淘汰」と呼ばれるのも、同じことかもしれません。ドーキンスは「延長された表現型」の中で、包括適応度を直接適応度と間接適応度に分けるのは誤解を招くとして批判しています。確かに彼の言うことにも一理あるのですが、生物を理解するときに直接適応度と間接適応度を区別するのは便利でもあります。なんだか、ここでの議論に似ているような。
>それと、「均衡点が自然淘汰だけの場合に比べてずっと大きい側にずれている」というのは、どうやって検証したんだろう?
もちろん、ゾウアザラシにとって大きいことには生存上のメリットもあるでしょう。しかし、ここでダーウィンがはじめに性淘汰を思いついたきっかけ、つまり性差が登場します。もし、大きさが採食や防衛や体温維持などによって決まっているのであれば、雌雄の差はほとんどないはずです。食べている餌や襲ってくる捕食者や周りの温度が雌雄でそう違うとは思えませんから。でも実際には雄の方が数倍も大きくなっています。これは、性淘汰でしか説明できません。
雌には、特に大きさを増減させるような性淘汰は働いていなさそうです。そのため、たぶん雌の大きさが生存上の最適値で、雄がそれ以上に大きくなるのは性淘汰のせいでしょう。
カクレクマノミさん、AH1さん、返答ありがとうございました。
性淘汰という「視点」を持つことの意義、ほぼ咀嚼できました。wadjaさんに指摘されるまでもなく、私は自分が性淘汰がらみの形質〜表現型に強い興味を示しているし、発言傾向も「性淘汰重視」ですので、それが「大文字ナンは性淘汰を特別扱いしている」と思われることもあるだろう、と思い、ちょうどいい機会ですので考えを述べてみました。
ですが最初から、
>ただ、誰と誰が配偶するかをめぐる淘汰は、他のことに関する淘汰とは違う面白い性質をいろいろ持っています。だから、特別扱いするのも悪くないでしょう。
については、私も同じ考えです。
このとき、どの程度恣意的にそういう「区別」を行うべきなのか、私自身分かっていない点が多かったのですが、一連のやりとりでかなりの範囲理解することができました。
かさねて、ありがとうございます。
カクレクマノミさん、いつも豊富な知識を提供してくれてありがとうございます。勉強させて貰ってます。
>同性間淘汰(雄間闘争)によって、この均衡点が自然淘汰だけの場合に比べてずっと大きい側にずれているので、雌雄の差が生じています。
そういう考え方もあるんですね、目から鱗でした。しかし純粋な疑問ですけど、ぞうあざらしの大きな身体って他の雄を追い払ってハーレム作るのにしか役にたたないんでしょうか?陸上はともかく、水中の捕食には案外役立つとか、天敵を追い払うのにも実はメリットがあるとか…、ないんでしょうかね?それと、「均衡点が自然淘汰だけの場合に比べてずっと大きい側にずれている」というのは、どうやって検証したんだろう?もし御存知なら教え頂けると助かります。
>(自然淘汰と性淘汰)分けたほうが理解しやすくなる生物現象がたくさんあるなら、分けたほうが良いと思います。
全く異論はありません。ただ、カクレクマノミさんもおっしゃる通り性淘汰と他の自然淘汰の間に、明確な境界線を引くのは難しい。だからwadjaは、通常の自然淘汰で説明できることは、性淘汰で説明する必要もないんじゃない?くらいのつもりだったんですけど。
ドーキンス的な還元主義的な適応の考え方にも異論はありません。性淘汰の影響だろうが、他の自然淘汰のお陰だろうが、結果は適応度という一つの数字に集約される。だからこそ(相変わらず殺伐とした論争を吹っかけるつもりはないんですけどw)、大文字ナンさんの性淘汰重視が、まるで「鶏と卵」の争いのように感じたのかもしれません。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4270/imanishi/emerg1.htm
○話は一気に変わりますが・・・以前、ツバメの親が、巣立ったばかりのヒナたちに、壁の止まり方を教えているところを眺めたことがあります。まず親が壁のタイルにつめで引っ掛けてとまってみせて飛び立ちます。周囲を飛んでいたヒナたちが同じように順番に挑戦するのを、親はとびながら見ていて、子供たちが失敗すると、また自分がやって見せるのです。垂直のがけでも羽を休めるためのトレーニングでしょうか。こうした動物の心温まるシーンは、よくテレビでも見ることが出来ます。この今見ている生き物の世界を、偶然論と利己的遺伝子などの思想から守りたいという動機は、批判されても立ち上がる多くの非ダーウィン主義者の共通の感情かもしれません。
こういうの嫌いだなー。捻じ曲げられていると感じるな。
ただ私はそういう気はさらさら無いけど、主体性の進化論は面白いな。まあ言いたい事は書き記したから、ヤフーにそろそろ。
> あえていえば「種内環境」だから、区別する必要があるのではにゃーかと。
生活形と似た発想だにゃん。
>いわゆる一般的な自然淘汰においては、適応すべき環境とは外的な自然環境だけど、性淘汰においては適応すべき環境は種内における、あえていえば「種内環境」だから、区別する必要があるのではにゃーかと。
同種個体間でのたとえば餌をめぐる争いは普通は性淘汰に含めないと思いますが、その場合にも適応すべきは「種内環境」ではないでしょうか?
確かに、同種個体に対して適応しなければならないという点は、性淘汰の面白さの1つではあります。しかし、性淘汰は他にも性的二型をもたらすとか、しばしば非常に極端で奇妙な形質を進化させるとか、面白い特徴がいろいろあります。それら総合的に考慮して(歴史的経緯の影響もあるかも)、まあ分けても方がいいかな、ということで区別されているのだと思います。
>ローレンツは「種内淘汰」を非常に憂いていたんだよにゃ。
ローレンツのいう種内淘汰・種間淘汰は、適応すべき環境が種内かどうかの違いではないと思います。種間淘汰は、種にとって有利な性質を持つ個体からなる種が生き残り、そうでない種が絶滅するというかたちの淘汰です。種内淘汰は、種の中で個体にとって有利な性質を持つ個体が生き残り、そうでない個体が滅びるというかたちの淘汰であり、実は現代的な自然淘汰そのものです。種内淘汰は現代でも問題なく成り立っているどころか、現代進化学の中心概念は種内淘汰です。
そのことは、ローレンツが社会生物学者からの古典エソロジー批判に対して、「いや種内淘汰で種にとって有害な性質が生じるのは我々だってわかってるよ」という意味のことを書いていることからもわかります。(「ハイイロガンの動物行動学」の「はじめに」)
いわゆる一般的な自然淘汰においては、適応すべき環境とは外的な自然環境だけど、性淘汰においては適応すべき環境は種内における、あえていえば「種内環境」だから、区別する必要があるのではにゃーかと。
ローレンツは「種内淘汰」を非常に憂いていたんだよにゃ。
まあ、ローレンツにとっては進化の主体は「種」だったわけだけど、進化主体を遺伝子と置き換えてみても「種内淘汰」は問題なく成り立つ概念ではにゃーかと。
で、このあたりの問題意識は、木村の優生思想なんかとも関連があるように思われますにゃ。
>その結果、個体の生存可能性は高まるが、さらにその結果、本当に高まるのかどうかを問われるのは「繁殖可能性」なのではないだろうか、という感じでしょうか。
もちろんそれはその通りです。狭義の自然淘汰も性淘汰も、結局は遺伝子たちによる、表現型と延長された表現型を通した存続をめぐる争いといってしまえばそれまでです。その意味で、両者を広義の自然淘汰として一括することに異存はありません。
前にも述べましたが、集団遺伝学の数理モデルではどちらも淘汰係数という1つの数値に集約されてしまいますし、それでかまわないでしょう。区別してもわかりにくくなるだけですから。
性淘汰が形而上学的に特別なわけではありません。望むなら、採食行動に関する淘汰は食淘汰、病気への抵抗性に関する淘汰は健康淘汰、子育てに関する淘汰は育児淘汰とでも名付けて、狭義の自然淘汰と区別したってかまわないでしょう。でもわざわざそんなことをしようとは誰も思いません。
ただ、誰と誰が配偶するかをめぐる淘汰は、他のことに関する淘汰とは違う面白い性質をいろいろ持っています。だから、特別扱いするのも悪くないでしょう。
>そこで、同性間淘汰と異性間淘汰の差異ですが、先のゾウアザラシの例については、果たして雌による「選択」は一切働いていないのでしょうか。
ゾウアザラシでは、ハレム雄はある範囲にいる雌をすべて囲い込み、ハレムに別の雄が侵入すると追い払います。だから、雌が交尾相手を選びたくても、そもそも選択肢は1つしかないのです。(厳密には、ハレム雄の目を盗んで周囲のあぶれ雄と交尾することもあるが、それだってハレム雄に妨害されることが多く、かなり制限されている。)
他に、たとえばクマノミ類でも、配偶者選択の余地はほとんどないでしょうね。性転換か同性間の闘争のために、1つの性の成熟個体が2匹同時に同じコロニーにいることはないので。
生涯、カイメンの一種カイロウドウケツ(偕老同穴!)の中で1ペアだけが過ごすドウケツエビでも、配偶者選択は無理でしょう(先に入った個体が、2匹目を拒否したり受け入れたりすることで選択している可能性は否定はできないけど)。
もちろん、純粋な同性間淘汰も、純粋な異性間淘汰も少ないでしょう(たぶん後者は特に)。純粋な同性間淘汰が片方の端、もう一方の端が純粋な異性間淘汰であるようなスペクトラムを考えてみます。ゾウアザラシは前者の端に近いところにいます。そこからだんだん離れていくと、ハレム制だが雌がハレムを抜けることもできるような種や、雌が特定の雄に縛られることなく複数の雄のなわばりを渡り歩く複婚種(※)、雌雄ともに定住せずにたまたま出会った相手と交尾するかしないかする種などを経て、もう片方の端にたどり着くわけです。
(※)なわばりを作る時点で、産卵場所などとして質の良いなわばりを争う同性間淘汰が働き、雌がどの雄と交尾するかを選ぶ点で異性間淘汰もある。スズメダイ類の多くなど、魚ではよくある。
異性間淘汰と同性間淘汰は、必ずしも同調して起こっているわけでもないし、同じ強さで起こっているわけでもありません。そして、この2つの起こり方によって、進化の結果が変わります。だから区別すべきだと思います。
たとえば、シカの角は同性間淘汰によるものか、異性間淘汰によるものかを検証したいとします。同性間淘汰仮説から導かれる予測は、(1)シカの角は雄間の闘争で使われるか、少なくとも誇示される(2)角の大きさ・形・有無などによって、雄間闘争の勝率が変わるといったものです。異性間淘汰仮説からは、(1)雌は、自由に選べる状況を与えてやれば、角の大きさ・形・有無に関して選り好みをする(2)雄は、交尾前に角を雌に対して誇示するなどが予測されます。
もちろん2つの仮説が同時に正しいことも有り得るわけですが、しかしこの2つは別の仮説であり、異なった証拠により検証/反証されるものです。
>つまり私は、進化とは「子孫を残し、自己複製をいかに増やすか」を競う事象である、と捉えているので、
同意見です。
>個体の生存価に注目した生物観こそ、もしかすると間違いかも知れず、むしろ生存価を少しばかり下げてでも、繁殖成功率やコロニーの利益に寄与するような、いわば利他的形質が有利になるのは当然であると「私が」考えているので、なんだか微妙なすれ違いを感じるのだろう、と思います。
どちらかというと、個々の形質に着目して「その形質がどのように繁殖成功に寄与してきたのか」を問う時に性淘汰という概念が出て来ると思っているのですが。例えば仮想的な捕食動物を想定して、
「長い足ですねー」「獲物を追って速く走れるんです」
「鋭い牙ですねー」「獲物を一撃でしとめられます」
「色は地味ですね」「地面に紛れて忍び寄るんです」
「なんで尻尾の先だけ赤いんです?目立つじゃないですか」「いや、これがないと雌に相手されないんです」
「じゃあもっとガバッと赤くしたらいいのでは?」「これ以上やっちゃうと目立ちすぎて狩りができないんです」
「こっちのは尻尾まで地味ですね」「それは雌です」
この動物の尻尾の色は性淘汰で説明すべきだろうと思います。性淘汰だけが何か特別な進化だとは思いませんが、視点によっては別に名付ける意味もあるだろう、という程度の意味です。
また、「長い足」「鋭い牙」地味な色」エトセトラが配偶者選択に影響しないのか、という点は当然、論じられるべきでしょうし、実際そのように研究されていると思います(思い付く限りの変数を放り込んで多変量解析をやる、といった方法で・・まあ目立つ尻尾の赤を真っ先に調べるでしょうが)。
一方で、個体の生存価に着目しすぎかというと、必ずしもそうでもないと思うんですね。特に寿命が長く、複数回繁殖するような生物では生存価は非常に重要になりますから。
この辺は研究対象によって変わって来るだろうと思いますが。
まず、カクレクマノミさん。
>雄(争い選ばれる性)にしてみればそうかもしれませんが、雌(選ぶ性)の立場からすると、同性間淘汰と異性間淘汰は別物です。
なるほど、とここは頷きました。
>ハレムに勝った雄は、雌に好まれようと好まれまいと、雌と交尾することができます。
しかしここで再び、「ん?」となりました。
それはどこに「ん?」だったのでしょう。私なりに考えてみました。
そしてここで、AH1さんの発言
>恐らく僅かでも生存価を下げるような形質が雄にだけ存在することは〜
で、私の疑問符の正体が分かってきました。
つまり私は、進化とは「子孫を残し、自己複製をいかに増やすか」を競う事象である、と捉えているので、個体の生存価も、その他のあらゆる戦略も、繁殖(複製)の結果いかにして浮動を増やし、さまざまな外的変化に対応していくか?に帰結するので、個体の生存価に注目した生物観こそ、もしかすると間違いかも知れず、むしろ生存価を少しばかり下げてでも、繁殖成功率やコロニーの利益に寄与するような、いわば利他的形質が有利になるのは当然であると「私が」考えているので、なんだか微妙なすれ違いを感じるのだろう、と思います。
ある個体に比べ、ある個体の形質はより狩りに向いている。その結果、個体の生存可能性は高まるが、さらにその結果、本当に高まるのかどうかを問われるのは「繁殖可能性」なのではないだろうか、という感じでしょうか。
そこで、同性間淘汰と異性間淘汰の差異ですが、先のゾウアザラシの例については、果たして雌による「選択」は一切働いていないのでしょうか。たとえばニンゲンの心理テストでは、かなりの確度で「最も平均的な顔の幾何学的傾向が好まれる」ことが知られています。極端な表現型として現れる角や行動には注目しても、「平均的な形を好む安定的選択」に着目しないだけなのではないでしょうか?あるいはまた、極端な角の形状や行動に「嗜好」が集まる選択というものは、場合によって絶滅に繋がる淘汰として別枠扱いなのかも知れませんね。
人間の知性と、カエル魚の知性と同一視するのはさすがに苦しい。
そもそも私はイトヨが赤い腹に反応する事すら不思議です。
まあヤフー掲示板で蛇に恐怖する人間やサルという話題を話していたため、そこから視覚が遺伝によって先天的イメージを持つか否か?と言うのは興味があります。
ただこの場合、何故と言うのは理由が付きます。蛇から逃れる為、またはイトヨなら雄を攻撃するため。これはまさに同性による性選択でしょ。
しかし副産物の場合、その機能を持つに至った動機目的がさっぱり分からない。
ただそれを置いておいても、遺伝的に先天的イメージがある事は不思議なのです。
例えば点に反応する視覚の機構があったとして、これが形となると、点が増えてきて、形を作るのだろうか?それなら点描画の様に点の位置数が遺伝的に制御されているのだろうか?
是非この辺りの遺伝子と先天的視覚イメージについて知識があれば教えていただきたい。
私のアイデアは、ダーウィンの育種家の選別からヒントを得たものです。
だって人間が選択する動機っていまいち分からないでしょ。
ただ確かに、特定の方向性がありますね。特徴ってのは、珍しいって事です。確か育種家の動機ってそんなんだったでしょ。
しかし、美人は目立つがハチャメチャな顔ではない。ある種の方向性がある。
希少である以外は、得手勝手な想像でもその方向性についてはいまいち分かりませんね。
>特徴を抽出する能力では?
「特徴を抽出する能力」なんていう抽象的なものが、どうやってソードテールでは剣状の鰭、トゥンガラガエルでは「クワッ」を好ませるのですか?そしてなぜ、丸い尾鰭や「ウィーン」は好ませないのですか?
> 具体的にどんなものの副産物なのかが不明です。
特徴を抽出する能力では?
何か役に立ちそうですけどね。まあ人間でいうところのステレオタイプ。
>鳥は全般的にこういう脳(視覚)の傾向を持つんじゃないですかね。
感覚便乗(搾取)説ですね。クジャクではあまり重視されませんが、いくつかそれを示唆する例はあります。たとえば、雄のみが剣状の尾鰭を持つ魚、ソードテールでの研究があります。ソードテールの雌はもちろん剣状の尾鰭を持つ雄を好むわけです。しかし不思議なことに、ソードテールの近縁種で剣のない種の雌も、人工的に剣状尾鰭を着けられた雄を好むんだそうです。
このことからすると、ソードテールや近縁種の雌は、どういうわけかもともと剣状の鰭を好む性質を持っていて、どういうわけかソードテールの雄だけがその性質に便乗して剣状の鰭を進化させた、と考えられます。
他に、カエルの鳴き声に関しても似たような例があります。
この説の問題点は、そもそも雌がそういう選り好みをなぜ持っているのか?という点です。何か別の適応的感覚メカニズムの副産物だとしても、具体的にどんなものの副産物なのかが不明です。結局そこが説明できないと、何も説明したことになっていないのではないかと思います。
ただこの説が興味深いのは、他の説と統合できる可能性があるという点です。たとえばランナウェイが始まるきっかけとして、感覚便乗が働くかもしれません。
> くじゃくの雌に、あのような尾羽を好む遺伝子?が、どうして広がっていったのか・・
それは、そういうオスを生むメスの方が彼女の遺伝子を残す機会が増えるからですね。
> くじゃくの雌に、あのような尾羽を好む遺伝子?が、どうして広がっていったのか・・
うまくイメージできないのですが・・。
こう考えるから、性淘汰はややこしくなると思っています。鳥は全般的にこういう脳(視覚)の傾向を持つんじゃないですかね。たまたま孔雀の雄だけがその琴線に触れる形を持っていた。
って別にころぎすさんの考えが間違っているとは思いませんよ。私も何の根拠も無いですから。
くじゃくの尾羽が、性淘汰によって今の様な姿に進化したのはイメージ出来るのですが、
くじゃくの雌に、あのような尾羽を好む遺伝子?が、どうして広がっていったのか・・
うまくイメージできないのですが・・。
> なぜ雌が役に立たなさそうな形質を持つ雄を選ぶのかという問題
知性に限って話をすれば、知性の弊害だろうと思っています。知性と言うより、脳の副産物、または弊害だと考えています。別の何かで役に立つ人間で言うなら特徴抽出センスが選び出すんでしょう。それはオスでも同じだと思うんですけど、オスには選ぶ権利が無いだけでしょ。
>…しかし、どう競ったところで結果として子孫を残せないようではその形質が遺伝されたり広まることはないでしょう。結果として、雌とのペアリングに成功するか否か、が最終的な帰結であるはずです。
もちろんそうなのですが、「いかにして繁殖成功度を高めるか」の部分において、
「モテたことはないけど長生き」と「超モテモテだけど短命」のような両極端な戦略もあり得るわけですよね。
カクレクマノミさんの挙げておられるシカの角のような、恐らく僅かでも生存価を下げるような形質が雄にだけ存在することは、「たとえ寿命を削ってもモテ度アップ!」な雄が有利だったことを示すと考えます。小鳥のさえずりも恐らく捕食の危険とトレードオフです。
まあこれはちょっと極端な例かもしれないですが、やはり「誰が選ぶのか(雄か雌か他の環境か)」という問題や、「本人の生存価を下げたっていい」という部分で、
他の「生存価を上げることで本人の繁殖の機会を増やす」適応的な形質とは区別した方が良い場合もあるだろうと思います。
うんと一般化して考えるならば、ある形質が何故進化したか?どう適応的であったのか?を問う時に、
「餌がうまくとれるから」「温度管理に有効だから」「早く逃げられるから」等と並んで「異性にモテるから」を入れてもよい。それは他のあらゆる形質と同じく、複数の意味を持っていたり、何かとトレードオフの関係にあったりするが、ちょっと面白い(あるいは特徴的だ)から要注意・・というくらいかな、と考えます。
>これまで読んだ本でも特に同性間性選択を取り上げていたようなものは見たことがありません。
たぶんそれは、同性間淘汰は理論的に難しくないからだと思います。配偶者をめぐって戦うのは不思議ではありませんから。異性間淘汰は、なぜ雌が役に立たなさそうな形質を持つ雄を選ぶのかという問題があるので、理論的に色々議論されています。そのために、性淘汰の解説では必然的に異性間淘汰が中心になるのでしょう。
>ただこの場合は量的な違いですが、異性間性選択では質的に普通の自然選択とは違っていて、はっきり区別できるものがあって、それを特に取り上げるものだと思っていました。
たとえばシカの角はおそらく同性間淘汰の産物ですが、雌にないこと、雄間闘争以外には使われないことからして、狭義の自然淘汰上は不利なものだと考えられます。
また、たとえば一部の魚では、雌は雄の卵保護能力を基準に配偶者を選んでいるようです。卵保護は自然淘汰上も有利な行動ですが、異性間淘汰も働いているわけです。
自然淘汰との重なり具合に関して、異性間と同性間にそれほど差はないと思います。
>つまり、異性間淘汰と云っても、競争相手は常に同性ですよね。
雄(争い選ばれる性)にしてみればそうかもしれませんが、雌(選ぶ性)の立場からすると、同性間淘汰と異性間淘汰は別物です。
ゾウアザラシでは、強い雄がハレムを作って他の雄を追い出します。つまり、同性間淘汰が働いています。ハレムに勝った雄は、雌に好まれようと好まれまいと、雌と交尾することができます。雌に配偶者選択をする余地はほとんどないでしょう。つまり異性間淘汰は働いていないわけです。
こうなると、どんな形質が進化するでしょう?同性間淘汰により、「他の雄を追い払うのに適した形質」が進化すると予測されますが、異性間淘汰は働いていないので、「雌に好まれる形質」は進化しないでしょう。実際にゾウアザラシでは、前者にあたる大きな体や膨らむ鼻は進化していますが、後者にあたる形質はなさそうです。
僕の立場は、同性間淘汰と異性間淘汰、狭義の自然淘汰と性淘汰では、結果として進化する形質に量的・質的な差がある以上、区別するのは有益だというものです。
もちろん、区別する必要のない場合もあります。たとえば集団遺伝学のモデルで、淘汰係数を性淘汰成分と自然淘汰成分に分ける必要は多くの場合ないでしょう。それでも、分けたほうが理解しやすくなる生物現象がたくさんあるなら、分けたほうが良いと思います。
性淘汰が自然選択の中で占める割合はかなり大きく、それはつまり「有性生殖」を行う生き物の宿命的事象ではないだろうか?というのが私の考えです。よって、性淘汰が自然淘汰の中心的役割を果たすのであれば、性淘汰を特に自然淘汰の中の「特殊な事例」と考える必要はないだろう、と思うのです。
なるほど、クジャクの尾羽など、性淘汰を「特殊なこと」と捉えると見えてくるメカニズムはあります。しかしそれは「とっかかり」に過ぎず、もう少し考えると性淘汰を含まない自然選択などほとんどないんじゃないか?と私は思うのです。
■同性間淘汰、あるいは、■異性間淘汰
というとき、同性間淘汰というのは、主に雄が雌を獲得するために優れた武器や飾りを競うものだ、と解釈しています。また、異性間淘汰というのは、そうした雄の競争によって生じた形質を「選択する」ことである、と解釈しています。一般に異性間淘汰を「主」と考えるのは、雌が遺伝的にある形質を「好む」傾向が受け継がれたり、それが強まっていくことが知られているからですね。
しかしこの理解は、非常に恣意的かつ「古典的」なものの見方に見えてしまうのは私だけでしょうか。
角の大きさや羽の大きさ、あるいは求愛行動の洗練さを雄同士が競う…しかし、どう競ったところで結果として子孫を残せないようではその形質が遺伝されたり広まることはないでしょう。結果として、雌とのペアリングに成功するか否か、が最終的な帰結であるはずです。
つまり、異性間淘汰と云っても、競争相手は常に同性ですよね。雄同士が争うのも、雌に対して訴える競争を行うのも、どっちにしても競争相手は雄なのではないだろうか?と私は思うのです。(無論、雌同士の競争もあるでしょうが文脈としては同じこと)
おそらく、1:同性同士の競争→2:勝者が非選択権を得る(同性間淘汰)→3:異性が繁殖相手を選択する(異性間淘汰)というような勝手な筋書きでこうなっているのではないか?と思いますが、1〜3の事象はすべてシームレスに起きることではないだろうか、と思います。
確率が低いことは分母が大きいということですから、私の場合は別に違和感はありません。宇宙の中の星をランダムに選んだ場合にそれがたまたま地球である確率、というようなイメージですね。
よくある言い回しだと、わらの束の中から針を探す、てやつですね。砂の中のダイヤモンドというのもありますね。
私の考えは、同性間性選択は普通の自然選択と敢えて区別する必要がないけれど、異性間性選択には区別するだけの特徴がある、というものです。そもそも性選択と言えばいわゆる異性間性選択しか考えていませんでした。これまで読んだ本でも特に同性間性選択を取り上げていたようなものは見たことがありません。
カクレクマノミさんの「均衡点が自然淘汰だけの場合に比べてずっと大きい側にずれる」という話を聞くと、同性間性選択の考え方もわかりましたが。ただこの場合は量的な違いですが、異性間性選択では質的に普通の自然選択とは違っていて、はっきり区別できるものがあって、それを特に取り上げるものだと思っていました。
一応同性間選択については、区別する必要が薄い、くらいに意見変更しておきます。
>それなら、普通の自然選択と敢えて区別する必要がないような気がする。
ゾウアザラシの体の大きさを例にとってみます。
ゾウアザラシにとって、体が大きいことには自然淘汰上もメリットがあるでしょう(体温維持など)。
しかし、体の大きさには当然コストもあります。体を大きくするのに必要なエネルギーは、他のことにも使えるものだからです。
で、このコストと利益の均衡点で、ゾウアザラシ雌の大きさは決まっているわけです。
でも雄の場合、同性間淘汰(雄間闘争)によって、この均衡点が自然淘汰だけの場合に比べてずっと大きい側にずれているので、雌雄の差が生じています。
つまり、自然淘汰上も有利な形質であっても、そこに性淘汰が上乗せされると、コスト/ベネフィットの均衡点が自然淘汰のみの場合と比べて変化するので、自然淘汰しか働いていない場合とは区別すべきではないかと思います。これは、同性間淘汰だけでなく異性間淘汰についても言えることだと思います。
>てんもん-がくてきすうじ 0 【天文学的数字】
>天文学で扱うような桁数の大きな数字。実生活からかけ離れた大きな数字。
辞書を引くと「天文学的数字」という単語にこのような意味があるとされています。この、後者の「実生活からかけ離れたスケールの数字」という強調部分だけ残って、「天文学的に低い確率」という表現が派生したんでしょう。
元の意味からすると、誤用は誤用な気がするんですが、他にも強調表現がこうした真逆の派生の仕方をすることはありますよね。「鬼のように強い」→「鬼のように弱い」みたいな(笑)。鬼の癖に弱いんかよ! みたいな。
wadjaが性選択の広い定義に疑問を感じたのは、diamonds8888xさんの言う「同性間の性選択で選ばれる形質は、普通の自然選択で選ばれる形質とも結構重なるように思えます」の部分。それなら、普通の自然選択と敢えて区別する必要がないような気がする。だったら、性選択は、AH1さんの言う「雄の生存価に関係なく(時には下げてもいい)異性にアピールする形質」のみに限定した方がわかりやすい。。大文字ナンさんに絡んだのは、それだけの理由でありました。
#しかし、「同性間の選択」と聞くと、全然別のホモな世界を思い浮かべるwadjaは異常でしょうか?www
ところで。ネットで良く使われてるし意味は良く分かるんですけど、日本語の表現として「確率は天文学的に低い」ってのは正しいのかな?「天文学的な数字」は、もともとやたら大きな数字を意味するんだけどw
>宇宙は神によって創造されたということです。
もちろんそうですよ。
日曜の毎日新聞の書評欄(だったかな)に多世界解釈と人間原理について記事があったんで、
それを読んだのでしょう。
>進化論者の皆さんは宇宙に知的生命体が存在する確率は天文学的に低いと仰いますが
低いかどうかは理論的にも観測的にも不明です。進化論者というより現代の科学では、「地球や人類は特別と考える理由はない」というのが大勢ですから、むしろ極端に低いと言う人の方が少ないのではないでしょうか。もちろん何らかの意味で特別である可能性も否定はできません。
ユダヤ-キリスト教の創造神を想定し、
そうした神を前提とした有神論的進化論の立場に立った場合、
宇宙の存在とは神の似姿たるニンゲンの存在を目的として創造されたものになるんでにゃーの?
キリスト教神学に、神は自らを認識する存在であるニンゲンを必要とする、ちゅう理屈があるんだにゃ。
オリジナルがオリジナルであるためには、コピーの存在を必要とするわけにゃんね。
人間原理ってさ、科学的世界観とキリスト教信仰を両立させるためのアクロバットなんでにゃーのか?
必然的に目的論となるにゃ。
ま、カガクでは否定しようがにゃーんだけど。
その人間原理ってのを、勘違いし、さらにそれを進化論だと思い違いしたという二重のお馬鹿をやらかしている、、、て、可能性は?
お馬鹿な創造論者ならありえると思うんですが。
>宇宙に人間の存在という目的があるのなら
この前提が真とされる論理的根拠がわかりません。
「何かが存在していること」から「存在には目的があること」は導けません。
なんで「無目的な存在」「偶発的な存在」があり得ることを全否定できるのかが不思議です。
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