このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
>ご説明恐縮です。
>しかし、物理学者が説明してる事に価値を見出していない、と言うのは言いがかりです。
>撤回してください。そういう発言もしてませんし、思ってもいない事です。
別に、撤回するまでもありません。先の書き込みは「私の推測に過ぎません」と明言しておりますので、ようさんが「言いがかりです」とそれを否定した以上、自動的に私の勘違いであったことになるわけです。と、いうわけで先の私の書き込みの内容は私の思い違いであったようです、申し訳ありません>皆様
しかし、そうなるとようさんの内心では、ようさんが尊崇するリフキンの著者の訳者であるところの竹内均が進化論を肯定している事実はどのように整合しているのかというところは、私も大いに気になるところではあります。(← この物言いは嫌らしい揚げ足取りではあるのですが、実際すごく疑問に思っているのも本当。どう納得してるんだろう、そのへん)。
結局、ようさんの内心はようさんにしかわからないので、邪推されるのが嫌ならば御自分の言葉できっちり説明してくださればいいのだけどな、と思います。
>論旨が論理的に破綻、と仰いますがどこがどのように?これも具体的論理的に指摘
>しなければやはり「言いがかり」としか思えません。
あくまで私の推論であるところの「架空のようさんの論旨」が、ようさんが本来考えていることではないと否定された以上、その「架空の論旨」がどう論理的に破綻しているかを説明してもあまり意味はないのですが、説明責任を果たすという意味で補足しておきましょう。
私が提示した「架空の論旨」の破綻している点は「物理学者が本の翻訳をする時には、その本の内容について本業の物理学の本を自らが著する時と同等の責任を持たなければいけない」という仮定をおいている点です。言うまでもなく、そのような仮定は一般的な通念において訳者に求められている責任範囲を大きく越えています。
竹内均が自らの著書の中で「進化はエントロピーの法則に反する」と自らの主張として述べているのであれば、それは「物理学者が進化はエントロピーの法則に反すると述べた」実例としてじゅうぶん機能するものであり、「ちゃんとした物理学者の本を読め」とうるさく繰り返す進化論者への意趣返しとしては、じゅうぶん機能するでしょう。
ですが、物理学者である竹内均の「訳書」の中に「進化はエントロピーの法則に反する」といった記述が出現したとして、それはあくまで著者であるリフキンの主張であり、竹内均の主張とイコールであるわけではありません。それをもってして「ちゃんとした物理学者の本を読め」とうるさく繰り返す進化論者への意趣返しとするには、あまりにパンチ不足というものでありましょう。
>孤立系に於いてはほぼ間違いなくエントロピーは増大する」と検証されているのであって、孤立系以外には適用はされるかどうかは検証されていない
いつもいつも、「彼」のバカ発言は笑えますなあ。
冷蔵庫も宇宙の構造も生物の成長も自動車も、みんな孤立系以外ではエントロピーが増大するとは限らないという証明だって事、気がつかないんだねえ。
>おまえ、進化論者の足を引っ張っているだけだぞ。
これもかなり笑えるね。
「彼」は自分が何書いちゃったんだか、分からないんだろうね。
わずかでも知性があれば、恥ずかしくていたたまれないだろうな。
>「アリストテレスの論理学で、聖書は書かれている」と言ったのは私だ。しかしここを議論するつもりは無い、と言ったのだ。資料だの特定だの、と言う話しはしない、とね。
デタラメだから資料なんてにゃーもんな。
もう1度書いてやるにゃ。
モーセ五書などの旧約の経典(ユダヤ教経典)が成立したのはBC450以前、アリストテレスが活躍したのはその100年後のBC350ごろ。
チミの発言は小学生でもやらにゃーただのゴミ。
それにチミ、自分が「タルムードはアリストテレスの形式論理で書かれている」とか抜かしたのを忘れたのかにゃ?
>M・ヴェーバーを読め、と言う事だ。
小室直樹も読めにゃー馬鹿がなんかいってるぜ(げらげら
だいたいチミな、小室の本以外は全部捨てていいといったではにゃーか?
聖書もヴェーバーも捨てていいんだろ?
またもや「なかったこと」なんだろうけどね。
ま、もちろんヴェーバー読んだって、時間の流れが逆転するわけはにゃーんだが。
だいたい、チミはヴェーバーの著作を読んだことなんてにゃーだろうに。
ねえねえ、それにしても、映画生活にいる「山オヤジ」って屑だよね。
なにかというと「なかったこと」にするちゅうのは、
ニンゲンとしてこれ以下は考えられにゃーほどの馬鹿と卑劣の権現様だにゃ。
ああ、それとね
ずーっと長きにわたり掲示板でボコボコに殴られ続けるチミを見て
僕のニョーボ様がチミのご家族の心配をしておるにゃ。
家族がいるなら、当たり散らしてはいけにゃーよ。
掲示板で殴られたからって、ニョーボコドモを殴るなよ。
僕とニョーボ様の心からのお願い。
はじめまして。
私は最近、地球環境や温暖化、生態系などについて考えるエッセイを書いていますが、その深刻さに我ながら驚いています。 一人でも多くの方に、そのことを知って頂きたいと思って、声をかけさせて頂きました。
また、生命の尊重や、生きる意味などについて考えるエッセイもあります。宜しかったら、ぜひ一度いらしてみて下さい。
http://www2.odn.ne.jp/seimei/
このログに埋もれてるのを引っ張り出す気力は今すぐには湧いて来ません。
もっとも、よう さんの投稿は全部ROMしてる筈で、かつ読んでも納得できなかったから改めて質問しているのですが。
たしか、
・科学とは手法である
・演繹法と帰納法は共に科学の手法である
・科学とは現実とあっているかどうかが問題である
・正しく演繹したにも関わらず、現実との整合性が無いならば、説明原理が間違っている
という二組の(場合によっては相反する)主張をされているように記憶しているんですが。
前者の主張においては、演繹法に検証を求めていませんね?しかし、後者においては科学一般、すなわち演繹法にも検証を求めていますね?
説明原理がとりあえず真であると検証されているのであれば検証抜きに演繹に頼っても良いでしょうが、
「では、聖書の記述は自然科学における説明原理として正しいと検証されているのですか?」
という点をお尋ねしています。
私は聖書の記述だからウソだと言うつもりはないが、逆に聖書の記述だから自然科学として信用していいとも決して考えません。すなわち、「聖書に記述されている」という事が自然科学において何か意味を持つとは思っていません。だから自然科学において説明原理として用いるならば、検証が不可欠だと考えますが、違いますか?
>おまえ、進化論者の足を引っ張っているだけだぞ。
よく読め。
>なにしろ何年もこの説を気に入っているのだ。いまさら趣旨変えなどできるか。
語るに落ちる(笑)。
おまえ、進化論者の足を引っ張っているだけだぞ。
>AHIさん
過去に(多分4月)演繹法と帰納法の説明がしてあるから探して読んでください。
>ゆんさん
ご説明恐縮です。
しかし、物理学者が説明してる事に価値を見出していない、と言うのは言いがかりです。撤回してください。そういう発言もしてませんし、思ってもいない事です。
論旨が論理的に破綻、と仰いますがどこがどのように?これも具体的論理的に指摘しなければやはり「言いがかり」としか思えません。
さて、エントロピーの増大法則ですが、私の言わんとすることは森羅万象に適用されると考える事も間違いでは無いだろう、と言う事です。何故なら「孤立系に於いてはほぼ間違いなくエントロピーは増大する」と検証されているのであって、孤立系以外には適用はされるかどうかは検証されていない、と言う事でもあるという事です。
そしてそもそもの物理学の概念と言うものは、人間とその環境、そして環境を構成する森羅万象の様相と変化についての本質を研究する事でありましょう。人間が普通に生きて行く上で、「人工的なもの」は朽ち果てるとと言うのが基本的な概念です。
宇宙が大きな孤立系と考えれば、宇宙の森羅万象に適用されるのであって、故にそれを前提としての研究も存在しているではありませんか。その流れでJ・リフキンが「エントロピーの法則」を著したからと言って、それだけで批難されるものではないでしょう。
それにしても当時の感情的な罵詈雑言。
>創造論によって演繹的に展開された結論が現実とマッチするかどうか、その検証はいらないの?
『俺が云っているのは、創造論は演繹法だ、つまり科学的だ、というところで、それが現実とマッチするかどうかについては、云っていないのだ。』
→邦語訳:事実との検証なんかしたら、創造科学が間違いだ、と認めなければならないじゃないか。俺にそんな勇気はない!なにしろ何年もこの説を気に入っているのだ。いまさら趣旨変えなどできるか。
>進化論の予測する結果はその予測の論理的正しさだけで認められないのはなぜ?
『俺は科学は苦手なので、個別の検証結果がどうということは知らないし、知りたくもない。もちろん、調べる気もない。それ以前に、進化論は論理的に立論されていない、と云っているのだ。』
→邦語訳:俺の弱点にいちいち噛み付くな。無礼じゃないか。でも俺が適当にかき回すとここの住人は大慌てで返事をくれてとても楽しい。今後もこの調子で寂しさを紛らわそう。
>竹内均が翻訳した本を「竹内均は物理学者の大御所だ」という理由で正しいと
>する一方で、竹内均の著作を正しくしないとする論理的根拠はなんですか?
>ようさんの論理構造がいまだに理解できません。
そこは、たぶんちょっと違います。
ようさんにとっては、リフキンの本の内容が正しいことについて、特に物理学者の保証は必要ないのです。ようさんが、「リフキンの本を訳した竹内均は物理学の大御所だ」という意味の発言をしたのは、以下のような文脈なのだと私は推定しています。
・リフキンが、進化はエントロピーの法則に反すると言っている
・だが、進化論者どもは、エントロピーの話をするのに物理学者の書いたちゃんとした本を読めとうるさいなあ
・だが、どうだ! 当のリフキンの本を訳したのは、物理学の大御所の竹内均なんだぞ、まいったか!
つまり、ようさんにとって以上の発言は「お前ら矛盾しとるやんけ!」というのが第一の論旨であって、ようさん本人があいかわらず「物理学者が説明をしている」ことに価値を見出していないことには変わりがないのです。
と、以上は私の推論ですが、大筋では外していないのではないかと思います。そしてもちろん、私はそんな論旨は論理的に破綻していると思うものでありますよ。
竹内均が翻訳した本を「竹内均は物理学者の大御所だ」という理由で正しいとする一方で、竹内均の著作を正しくしないとする論理的根拠はなんですか?
ようさんの論理構造がいまだに理解できません。
なんで創造論は「聖書を説明原理とした演繹」だけでも科学としてオーケーで、
進化論は「帰納的に検証される」ことを要求するのです?
創造論によって演繹的に展開された結論が現実とマッチするかどうか、その検証はいらないの?
あるいは、進化論の予測する結果はその予測の論理的正しさだけで認められないのはなぜ?
>あとから出てきた論理学で、書かれることなどあるはずない、
というのが、地下に眠るMさまの、おっしゃりたいことだからね...
何度も言わせるな。アリストテレス以前から、形式論理学のような考え方はあったのだ。完成させたのがアリストテレス。判らないか?ギリシアと古代イスラエルは相互作用してるんだ。覚えておこう。
>それにしても、こないだからずーっとお尋ねしていた
「アリストテレスの論理学で、聖書は書かれていると言った」
というのを、ようさまは、とうとうはっきり認めましたね。(笑)>地下に眠るMさま
友達をかばうのは義しい行為だが、もっと上位の「義」を見なければならない。たんぽぽは何を基準に生きているのだ?
「アリストテレスの論理学で、聖書は書かれている」と言ったのは私だ。しかしここを議論するつもりは無い、と言ったのだ。資料だの特定だの、と言う話しはしない、とね。
M・ヴェーバーを読め、と言う事だ。
>diamonds8888x
小難しい事言っているが、演繹と帰納は理解したか?そう指摘されて悔しいから俺をおちょくる。なんとも恥ずかしい行為ではないか。理論数学やる前に論理の基礎を理解して、自分の思考、人生を論理的に考え直してみたらどうだ、論理法の練習問題としてな。
すっかり内容がなくなったな、結局議論の方向も終着点のイメージも無いのだ、お前には。屁理屈をこね回したに過ぎない。議論には信念を持った主張が必要だ。その主張のぶつかり合いが「議論・論争」なのだ。それが科学を進歩させてきた大きな要因である。
お互いを貶めあうようなネガティヴさ、科学の進歩に逆行する。よく考えろ。
>創造論は演繹法です。
ようさんの発言を引用します。
「妥当性、つまり仮説のリアリティで言えば、私は断然創造論を支持します」
ここでの主張は、創造論の方が進化論より仮説として妥当性があるということですね。
そしてその妥当性は、演繹法の説明原理として認められる程度であるという主張です。
では、創造論が演繹法であるためにはどのような条件が必要でしょうか。
ようさんの発言を引用します。
「一度説明原理として認められれば、「仮定・推論・結論」の手順を省き、「説明原理が正しければ」と言う前提で、様々な事象を説明する事が出来ます。この論理法が演繹法です」
繰り返しになりますが、創造論が説明原理として認められる必要かあるわけです。
ようさんは説明原理として認められる条件についても明確に書かれています。
ようさんの発言を引用します。
「帰納法はある事象に対して一般的な妥当性の高い説明原理を導くやり方です。そしてその説明原理を元に検証していくのです。検証を重ねれば、妥当性は益々高くなります。
その場合、論理手順と言うのは、事象に対して「仮定条件をおき」「推論し」「結論」を導くと言うものです。検証の結果次第では仮定条件が公理なものへ近づき、推論・結論が益々強固になっていくでしょう」
つまり創造論は検証を重ねていって妥当性を高くしていき、説明原理として認められる必要があるということです。
上記に引用した、ようさんの主張は妥当です。創造論を、ようさんの主張に当てはめると以下のようになります。
創造論は様々な事象を「聖書が正しければ」と前提に立って理論展開されています。しかし、その前に帰納法的立論がなされなければならない。
ようさんの主張を並べてみますと、わかりやすく特に破綻も見られません。にもかかわらず結論だけが食い違っている。
どうしてでしょうね。
ようさま
>>聖書はアリストテレスの形式論理で書かれているから正しい、とかいう物言いは
>だから「正しい」などとは言っていない。「書かれている」と言ったのだ。
「正しい」という前に、「書かれている」と言ったのが、
まちがいだと、あなたは言われているんですよ。
アリストテレスの形式論理学は、聖書ができでから、
約100年あとなのだから、前にあった聖書が、
あとから出てきた論理学で、書かれることなどあるはずない、
というのが、地下に眠るMさまの、おっしゃりたいことだからね...
>旧約聖書(あるいはタルムードなどのユダヤ教教典)が成立したのがBC450以前。
>アリストテレスが活躍したのがBC350ころ。
>よって、アリストテレスの形式論理を用いて
>聖書が書かれたということは絶対にありえにゃー。
(5月17日(水)02時18分)
それにしても、こないだからずーっとお尋ねしていた
「アリストテレスの論理学で、聖書は書かれていると言った」
というのを、ようさまは、とうとうはっきり認めましたね。(笑)>地下に眠るMさま
>その事が明らかになった今、俺にはもう喋ることは無い。
ようくん、きみは最初からなにも云っていない。今も喋っていない。
キミは最初から死んでいるし、今も死人のままだ。
ずっと棺おけの中にいるんだよ。
キミはなにも証明していない。質問に答えていない。そして、どこの誰もキミに同意していない。
キミの最大の間違いは、キミ自身が「そこにいる」と勘違いしていることさ。
ばいばい、ようくん。
完成形であり、慣性系であり、陥穽計である。
ごめんなさい。書いてみたかっただけですm(__)m。
進化論や特殊相対性理論やビッグバン説は、むしろ結論はわかりやすいのだと思います。だからこそ中途半端に理解した気になって「間違っている」という人が絶えないのだと思います。「量子力学は間違っている」と言う説をあまり聞かないのは、まず理解した気になることも難しいからだとにらんでいます。
「その理論は間違っている」という俗説が多数出回らない間は、その理論は充分に普及したとは言えない。なんてね。
量子力学の場合、よく理解できないからなんとなくありがたそうに見えるので、「○○教典に数千年前に書かれていたことが量子力学で証明されつつある」とかいう方向に持って行かれやすいともにらんでいます。
>一般理論ではなく一般的な説明原理だ。
ようさんの過去発言では、どう使い分けてありましたっけ? どなたか御存知ですか?
>進化論は「変化」でしかないものを何とか「進化」にしたい、と言う訳だよ。事実を無視してね。
グールドが同じことを言えば正しい意味なんだろうけど。つか、「決まった方向への進化というものはない」という意味で「変化でしかない」というのは現代では常識ですけどね。確かにグールドらの熱心な布教にもかかわらず、「進化=高等化」という思いこみはまだまだ人々の意識から払底されてはいませんね。生化学や医学や脳科学の専門家の書いた文でも、ぽろっと出てくることがありますね。
>中世カトリックならいざ知らず、聖書の記述にそのような事がある、と私は認識していませんし、聖書解釈によって曲解されている事の問題は痛切に感じ入っています。
ふむふむ、少なくとも3つの立場からの見解が世にあふれているのですね。
1.中世カトリック
2.聖書
3.聖書解釈による曲解
これだけで立場を特定できるのかどうか知りませんけど。「そのような事」というのも、範囲は絞れるもののどのような事なのか不明です。良い子はこのような文章をまねしてはいけません。
>聖書はアリストテレスの形式論理で書かれているから正しい、とかいう物言いは
だから「正しい」などとは言っていない。「書かれている」と言ったのだ。そして「正しければ」と言う前提で、と言ったのだ。曲解は止めていただきたい。
論理学的に、「アリストテレスの形式論理学」はアリストテレスで完成を見たのだ。それ以前から、ギリシアには「難問」を抱えている事があって、古代イスラエル人の「神の存在証明」と言う事がギリシアに影響を与え、その難問の解法にも大いに影響してる、ってことなんだ。
それに、聖書は「編纂」し直されているし、修正もされている。だから今の聖書はアリストテレスの形式論理学で書かれている、といって良い。
Mが言うような「教義違反」はどの教義に対してだ?
「神聖な聖書をそのように扱うなんて涜神行為だ」と言うのか?陰陽道だなまるで(笑)
因みに、世の中の呪術や迷信行為を「意味の無い」ものとしたのは、近代科学ではないのだ。ルターの宗教改革だ。ヴェーバーの著書にもあるよね?
聖書をきちんと読めば「科学する事」は何ら信仰の邪魔や冒涜にもならないし、むしろ信仰に篤い者の方が「成果」を挙げているのではないか?
>大文字、
「とどめ」?ミケにその「とどめ」が刺さってるんだ。進化論は「立論」されていない。ダーウィンの「思いつきアイディア」を盲目的に「理論」だと刷り込まれたのだ、その事が明らかになった今、俺にはもう喋ることは無い。
俺のプロフィールを作成中か?ご苦労さん。科学に論理が無くても良い、と言い張る大文字に幸あれ。
>鶏糞さん
>聖書は史実と寓話が混合した教典であると
そのように証明出来ているのなら、だれも苦労はしませんよ。
聖書は「判りやすく」は書いていませんから。
真理・真実を追い求めるのが科学ですよ。論理的な手法を用いて真実・真理に近づき発見する事、それが科学である、と言って良いでしょう。
それと、Mがあなたに言っている事は単なる「レトリック」だから気にしなくていいと思う。あれだけ説明しても、論理法が判っていないんだ。
真理の探究を創造論的にやっていく事、そして進化アイディアでやっていく事どちらも目的は一緒ですよ。目的合理的に考えて下さい。
→「聖書」だから、科学ではない。
聖書の内容を事実と照らし合わせよう(検証しよう)、という行為は、信仰に対する侮辱以外のなんでもないけれど、科学的ではある。だから、まともに科学を学ぼうとしているひとや、学んだひとであるなら、ようくんみたいなニンゲンのふりをした木屑でない限り、誰も思わない。
いわんや「聖書の内容が(科学的に)正しいことを前提にする」なんてのは、発想そのものが腐った木屑以下としか云いようがない。無論、こんなものは科学でもなんでもないし、信仰でもない。知性に対して最大級の卑しさしか持たない、下劣な行為なんだが、ようくんにはよく似合う。なにしろ彼より下衆な屑はほかにいないからね。
で、山オヤジとかいう腐った虫の死骸についてどう思う?>ようくん
しかし、アメリカ政府機関は極秘に調査・研究
↓
http://www2.ocn.ne.jp/~chikyuu/ufokoukai.htm
聖書が「カガク的に」間違うことなんてのはありえにゃーことなのよ。
相対性理論が文学的に間違うことがありえにゃーのと同じことだにゃ。
聖書をカガク的に検証しようとする試み自体は間違っているけど、それは聖書がカガク的に間違っていることを意味しにゃーの。
相対性理論を文学的に検証しようとする試み自体は間違っているけど、それは相対性理論が文学的に間違っていることにはならにゃーのと同じこと。
何形式の理論で書かれていようと、聖書には科学的に間違った記述があります。
それだけです。
聖書は史実と寓話が混合した教典であると素直に認めれば問題ないです。
カガク理論を検証するのは「事実」
なぜかというと、理論よりも事実の方がエライからだにゃ。
少々乱暴を承知でいうと、検証する側と検証される側では、検証する側の方がエライのよ。
テストでいえば、○をつける側が検証する側、○をつけられる側(テストを受ける側)が検証される側。
聖書はアリストテレスの形式論理で書かれているから正しい、とかいう物言いは、聖書よりもアリストテレスの形式論理を上においているわけだにゃ。論理的に。
もちろん、聖書がカガク的に正しいとか抜かす創造カガクちゅうのは、聖書をカガクで検証しようとしている点で、カガクを聖書の上に置いているちゅうことになるわけだにゃ。
信仰を馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたい
アリストテレスの形式論理で聖書が書かれた、とかいう発言ほど聖書を馬鹿にした発言もにゃーけどな
旧約聖書(あるいはタルムードなどのユダヤ教教典)が成立したのがBC450以前。
アリストテレスが活躍したのがBC350ころ。
よって、アリストテレスの形式論理を用いて聖書が書かれたということは絶対にありえにゃー。
よう様の前提というのが、創造論の根拠となった聖書は正しい、なぜかというと聖書はアリストテレスの形式論理で書かれているから、だったよにゃ。
ところが、聖書がアリストテレスの形式論理で書かれているということは絶対にありえにゃーので(よう様の脳内ではタイムマシンぶんぶんかもしれにゃーが)、聖書の論理性とやらの根拠はゼロだということがここに完全に1点の曇りもなく小学生にもわかるように証明されましたにゃ。
したがって、創造論が演繹法であるという主張の根拠ももちろんゼロ。
よう様の前提は、小学生でもやらにゃー単純なマチガイ。
よう様の理解とか知識はマジに何の価値もにゃー。
どっかの映画生活とかいう場所で「山オヤジ」とか抜かす最低のウスノロが何故か よう様 と同じように聖書はアリストテレスの形式論理を用いて書かれているとか抜かしていたけど、こいつももちろん小学生以下。
字が読めるということは、よう様・山オヤジが最低の馬鹿だということがわかるということ。
ただ単に馬鹿というだけでなく、都合のワリイことをなかったことにする卑劣ぶりは、唾を吐いて虫けら呼ばわりするにふさわしいものにゃんな。
ああ、ついでにいっておくと、fukkenによれば
>小室直樹氏の著書「数学嫌いな人のための数学 数学言論」の中に、
>「キリスト教はヘレニズムを通過するときにギリシア思想の洗礼を受け、実在論とアリストテレスの形式論理学を根強く受け継いだ」とも書かれているらしいです。
ちゅうことらしいけど、この小室のいっていることは常識に属することだにゃ。要は、キリスト教はアリストテレスの形式論理の影響をあとから受けた、ということにゃんからな。それと、「聖書の記述がアリストテレスの形式論理で書かれた」という話とはまったく別。
つまり、よう様ってば、小室直樹の書いたことをまったく咀嚼できてにゃーということもついでに完全証明。
いいかい、よう様。
小室くらいわかるようになってから人前でものをしゃべろうね。
ぶわっはっはっはっはー
> 「科学的説明」よりも「非科学的説明」のほうが、いつだって、はるかに分かりやすい。
趣旨には同意するものですが、そこまで悲観されることは無いのではありませんか。
「科学的」の縛りをなくせば、より分かりやすい説明が可能なことが多い、でしょう。
例えば、↓は全然分かりやすくなんかありませんし。(説明ですら無い?)
また、「分かりやすさ」については受け取る側が大問題で、このことを「納得力」
と言うそうです。(^^)
>創造論と進化論のどちらも帰納法で説明するわけですから
いいえ、創造論は演繹法です。進化論はまず帰納法で立論されなければなりません。
現実はわかりやすい説明でわかってしまうほどわかりやすくはない
常々思ってることの一つですけど、そして大変悲しいことですけど、
「科学的説明」よりも「非科学的説明」のほうが、いつだって、はるかに分かりやすい。
ということは否定しようのない真実だと思います。
これは確かに、科学者達の落ち度かもしれない。
(受け取る方の落ち度であるという主張も、もちろん認めます...。)
「神様は万能である。さて、全ての生物は神様が作った。」
といわれると、「万能なら生物みたいに訳の分からないものだって簡単に作れるさ♪」
と、きわめて納得しやすい。
これが、「まず炭化水素のような簡単な有機化合物からはじめてアミノ酸、タンパク質、...」と、長ったらしい説明を聞かされると、...普通の人なら途中で投げ出すとおもいます。その証拠にボクだって...(T_T)
「あなたが今不幸なのは、あなたが前世で犯した罪のせいです。」
といわれる方が、
「確率というのは振れがあるもので、このところあなたが経験した立て続けの不幸が一般的な日本人に起こる確率は、...あ、そのまえに正規分布の式の導き方について説明させてください...。」
といわれるよりはよほど納得しやすい。
異議ある人、います?
久保有政という超絶トンデモプロパガンディストに啓発された、なんとかという馬鹿屑についてコメントを求めると、よろしいのではないだろうか。
fukkenさま
(レスは、おはつではなかったかな...?)
>政治学科専攻(しかも2年で除籍)のあなたが戦いを挑んでしまった相手が、
>ここの(あなたの言う)「呼び捨て連中」でないことが
ようさまの背景について、すこしだけわかったような気がします。
(なるほどねえ...)
背景というのは、進化学の知識や、科学的思考力だけでなく、
こうした場所で、不毛で攻撃的な投稿を、長いこと続ける、
メンタリティについても、だけど...
(彼のウェブログ、一生懸命読んだら、
もっといろんなことが、わかりそうだな...)
徹底討論希望!とのことですが、いったいなにを討論したいのか、さっぱり見えてこないのですけど。
主張だけならどんなことだって言えます。
実はボクは心の奥底で、「三角形は毛深い!」と思ってるのですけど、普段は言いません。
なぜなら、根拠を示せないからです。
あなたはどのような根拠で「進化論は荒唐無稽である」と思っているのでしょう?
根拠を示してもらえませんか?
なお、
> 私が言葉で制裁を与えるしかないですね。
とのことですが、すでに私たちは十分過ぎるほど、ようさんから「言葉による制裁(言いたいことは分かっていただけると思います(T_T) )」を受けていますから、せめて名取さんからは、別の方法で制裁していただきたく、くれぐれもお願いします。
>妥当性、つまり仮説のリアリティで言えば、私は断然創造論を支持します。
創造論が仮説であるとの意見には同意します。
妥当性について私自身は進化論を支持しますが、お互いに仮説どうしですから「検証を重ねて妥当性を高くしていく」という、ようさんの主張が適用できます。
この場合、創造論と進化論のどちらも帰納法で説明するわけですから、同じ土俵の上での議論が可能になると思います。
また創造論と進化論のどちらも仮説としていますので、検証という共通の物差しが適用できます。
まさに進化とは「集団における遺伝子頻度の変化」と表せるものなんですが。
まあそれはいいとして、
法則より理論より上位にあるという、観察・観測された「事実」が進化理論をサポートしているんですけどね。薬剤耐性菌しかり、ガラパゴスフィンチしかり、グッピーしかり・・・
科学における争点は結局そこでしょ?
もっとも、よう さんのエントロピー論に際しては、実在する冷蔵庫の作動原理すら説明できない俺様法則を振りかざして何が嬉しいのかという疑問を抑えられませんでした。従って、「現実を説明できない限り自然科学としては使い物にならない」という点について同意されたことに些か驚いています。
仰る通り!
>「最初の一般理論が間違ってりゃ演繹しても現実とかけ離れた結果しか出て来ないが、それでいいのか」という意味です。
一般理論ではなく一般的な説明原理だ。それと検証結果に矛盾があったりすれば、どこかが違っているのだ。前提部分か推論部分か結論部分か検証方法が違っているのだよ。説明原理(前提)が違っていればその命題は証明できないよ。当たり前の事だ。
>聖書に書いてあるとかなんとかいう意味じゃなく。
どこの誰が言おうが書こうが、事実に即していないのなら、自然科学としては間違いでしかないから。
全く仰る通り。法則よりも理論よりも上位にあるのが「事実」だ。この事実を説明する為に科学はあるのだ。進化論は「変化」でしかないものを何とか「進化」にしたい、と言う訳だよ。事実を無視してね。
進化論について、疑問点が数多あります。
というより、進化論は荒唐無稽というしかありません。
権威あると見受ける方々が、未だにその点に疑問を呈さないという点には、些か遺憾の
念を覚えます。
貴方たちの妄想としか思えない発言を見ていると、苦笑してしまいます。
混沌たる虚像を取り除くには、私が言葉で制裁を与えるしかないですね。
私の座右の銘は「進化論を信ずる者に制裁を」で御座います・・・
聖書の記述が正しいかどうかを検証しようとするのは科学的手法。
聖書の記述を正しいとする為の証拠を探そうとするのは非科学的手法。
検証の結果、「正誤」を判断するのが科学。
「一般理論「地球は平らだ」を仮定して、」と書いたのは「最初の一般理論が間違ってりゃ演繹しても現実とかけ離れた結果しか出て来ないが、それでいいのか」という意味です。聖書に書いてあるとかなんとかいう意味じゃなく。
どこの誰が言おうが書こうが、事実に即していないのなら、自然科学としては間違いでしかないから。
と さんの投稿
狼少年 投稿者:と 投稿日: 5月15日(月)23時30分21秒
の前半部分が私の言いたいことを的確に表現しておられます。
進化と言う現象は常に進行している。今も、我々は進化の真っ只中にある。
ただ、その速さが我々には実感できないほど遅いと言うだけだ。
丁度数時間生きられない蜻蛉の成虫が季節の変化を認識できない様に
(何しろ世代単位で生じる極僅かな差なのだから)
※この辺の表現はドーキンスの幼稚なパクリだな…
進化は何か特別で劇的な事象ではないし、現状打破の手段でもない。
>生物が進化するためには、全地球的規模での変化が必要でしょう。(特に生命の危機が迫った時に)
進化という現象については「普通の」入門書を読んで下さい。
(Webで公開されている進化論についての本)
「はじめての進化論」著者 河田雅圭 1990年 講談社現代新書
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/
自分が何を言っているかが自覚できると思いますが
科学的探究によって「全地球規模の大洪水(ノアの洪水)はなかった」として聖書が全て真実を記しているわけではないとされたのは、種の起源が発表される以前の話でしたね。
聖書の記述は正しいと仮定して科学的探究をするのは良いけど、それを否定する結果が出たときどのような態度を取るかでそれが科学かどうかが決まるのではないでしょうか?
科学的成果を信じる信じないは本人が決めることで、公然と口にしないあるいは「自分は間違っていると思う」と感想レベルで述べるなら誰もその態度を否定しないでしょう。
アミッシュのような生き方も尊重されて良いかもしれません。
わかるところだけ書いておいて良かった(^^;
やはり、初学者向けと言われようと専門家に聞かないと落とし穴にはまりがちですね。ようさん化しないよう精進します。
吉永良正(ゲーデル・不完全性定理、BLUE BACKS)は私も読みましたが、こんな批判がありました。
http://taurus.ics.nara-wu.ac.jp/staff/kamo/shohyo/logic-2.html
私も完全に理解したとは言いませんが、「完全性」に2種類あるというのは納得できました。正直言って私も「完全性」の定義でどうもひっかかってました。
御参考になれば。
あっ、光速度不変の法則でしたか。そりゃまさに帰納的に立論された法則ですね。
マクスウェルの電磁気学の法則から演繹的に導かれる法則でもありますが。
そして光速度不変からの演繹的結論がローレンツ変換式である、と。
>'''百匹目の猿現象'''(ひゃっぴきめのさる げんしょう[[英語]]Hundredth Monkey)は、
間違いなくそれです。101匹は誤りでした。
生物が進化するためには、全地球的規模での変化が必要でしょう。(特に生命の危機が迫った時に)
前回インプラントチップの話をしました。
その前段階としてIDカードの所持義務化が出てくるはずです。
IDカードです。それには自動車免許・医療保険・年金・電子マネーなど、ありとあらゆるものを入れる予定です。個人の情報は国家が管理しIDカードが有効か無効か危険人物か判断する。
さらにアメリカのNSAのように盗聴容認国家にするために、盗聴法(通信傍受法)を通し、
さらに共謀罪で市民運動を潰す。
これらのことは、政府が国民を監視するために一つ一つ準備したことです。
総仕上げは国民から「憲法」を取り上げてしまう事です。
今、準備はかなり進んでますよーーー
リリス母様、お久しゅうございます。
ってか、ここ自体すっかりご無沙汰している気も…(^^;;;)
一応、水面下ではオフ会ドタキャンしたりして(するなよ)、元気に生きておりますです>All
月虹蛇さまの男らしさにたまごは密かに胸のときめきを感じておりましたのに・・・。あのお方がよりによってお母様だったなんて・・・。
たまごちゃん (^-^)ノ17歳の34回目の初恋はかくして儚くも消え去ったのでありました(シク)
じゃなくて。
あの件に関しては、私がお節介を焼いたことにより、さらに事をややこしくしてしまったようで、皆様には非常に申し訳なく思っておりました。
また、私が言い出しておきながら、その直後からネットにほとんどつなげなくなって全くノンタッチになってしまったことも無責任でした。なによりも、個人が個人の責任でしている投稿に対し差し出がましいことをしてしまったことは、転法さんも含む皆さんに対して本当に失礼だったと思います。
いきなり昔のことを蒸し返して謝るというのもなんだか変なのでそのままになっていましたが、この機会にお詫びさせてください。
その節は大変失礼いたしました。申し訳ありませんでした。
>妥当性、つまり仮説のリアリティで言えば、私は断然創造論を支持します
と言うからには、具体的な仮説を挙げてください。ひょっとして、前にチラッと出てきた、地球の空を覆う水ですか?その仮説のどこが具体的に「リアルティ」を持っているのか、根拠を教えてくれなければ、「あ、リアリティがあるとようさんは思うんだー。へーそうなんだー。」で終わるだけなんですけど。
>「ある文章(例えば「お皿の上にお餅がのっている」という文章)」が「正しい」、ということは、
>その文章の表している意味、と、事実、が、一致している、ということですよね。
と、おずおずさんが以前書かれていますが、これがクリティカルな点であると思います。論理的な正しさは推論の正しさですから事実とは無関係です。恒真命題が有名ですが「象が蟻より小さければ象が蟻より小さい」と論理的にいえます。また、前提が偽なら結論はすべて真です、論理的には。科学は手法ですから(^^)事実で検証を行えるアプローチでないと困ります。
吉永良正(ゲーデル・不完全性定理、BLUE BACKS)によれば狼少年の悲劇は嘘をついたことではなく、論理的ではなかったことによるそうです。もし血相を変えて「狼が来ない!」と叫んでいれば村人は異変に気付いたでしょう。狼という圧倒的な現実の前に、少年は論理的に正しい言葉ではなく事実を叫んでしまったのが命取りであったわけです。(これは余談かな(^^;)
科学とはお金だと言った事がある。
そこにどんな価値を与えられるかは使う人の考え次第だと言う意味で。
科学に於ける論理的思考とやらも同様にお金のような、例えば小切手みたいな物だろう。
つまり、科学は現実(観察や実験)と切り離して考える事は出来ない。
現実とは小切手に対する信用(当座預金口座の残高)みたいなものだな。
それを忘れてただ論理の”手法”だけで仮説の妥当性を問えると考えるのは
使えない小切手帳を見せびらかして「金持ってんぞー」と威張っているのと同じ。
中世カトリックならいざ知らず、聖書の記述にそのような事がある、と私は認識していませんし、聖書解釈によって曲解されている事の問題は痛切に感じ入っています。
真理解明にはいろんなアプローチを認めるべきでしょう。ですから私は進化研究を否定しませんよ。進化論は論理的に立論されていませんから理解しませんが、進化したかどうかの可能性を否定するものではありません。
そのような感情的な反発こそが科学を貶める行為である、と強く申し上げます。
>直感的に導出された理論が検証に耐えて科学理論として残ることがありますし、これを科学は否定しないと思います。
繰り返しになりますが、科学で重要なことは検証が行われるかどうかになると考えます。聖書についても、神や奇跡など検証できないものを除き、らいの記述のように誤っていることが検証されたものが修正されたとすれば、科学になっていたと思います(ここは鶏糞さんとは違う意見(笑)。まあ、そうしてしまうと宗教性は失われてしまうので、現実には科学と宗教を別けることになって現在に至りますが。
よう さん、得られる結果を無視するとどうなるか、本当にわかってないんですかね?
一般理論「地球は平らだ」を仮定して、
1 ということは、地球は球面ではありえない
2 ということは、遠くの船は全体が見えたまま大きくなる
3 ということは、レーダーが地球の丸みに邪魔されたりはしない
さて、事実と照らし合わせてみましょう。
1 人工衛星はどう周回しても「平らな地表の裏側」なんかには行かない
2 船はマストトップから見えはじめる
3 だったら早期警戒機やOTHレーダーなんていらない
さて、なぜこんなに使えない結果ばかりが出てくるのかな?
それとも、聖書の記述が観察事実に適合していると考えてます?
>#単にガチガチの創造論者で思考停止嵐だったんだね。
どうも「創造科学」とは趣旨が違う風なので「ガチガチの」を付けてみたけれど…
聖書原理主義とも違うし、聖書無謬妄想とでも云えばいいんだろうか。
>妥当性、つまり仮説のリアリティで言えば、私は断然創造論を支持します。
分かった分かった、好きにしたらいい。
ようくんの正体はよく分かった。かわいそうに人生のどこかで脳の歯車が狂っちまって、それ以来別世界の住人になっちまった。無論、気づかない。それだけのことだろ。
きみ自身がなにかに気づかないかぎり、言葉など無駄だな。だが世界はきみが思う以上に生きにくく、複雑なものだよ。
#単にガチガチの創造論者で思考停止嵐だったんだね。
#もう少しマシかと思って無駄なことしてしまったよ>私。
冷静で知的なご意見、嬉しく思います。
やっと、議論が動き出した感じがします。
真理・真実が大事ですね。その為に人間は叡智を結集しなければなりません。
「進化論VS創造論」と言う図式はナンセンスだと思います。
感情を排した論理的な研究こそが「科学」の未来を保証するのだと思います。
さて、
>・聖書を教典としている宗教人口が多いとのことですが、これは聖書の説明原理の検証としては不十分であると考えます。
なぜならこの場合の説明する対象としての事象は、地球の生物の多様性であり、聖書を教典としている宗教人口が多いこととは関係がないからです。
私の言わんとする事は、論理法に於いて「聖書の記述」を”一般的”説明原理とする事に、反対できる確たる理由は見出しえないであろう、と言う事です。演繹法を使用する場合の説明原理としては、何ら反則ではないだろう、と言う事です。
ましてや、科学の発展自体が聖書と密接に関連し合ってきたと言う事でもありますし。
故に創造論批判は「聖書」を持って「非科学」と言うのは、それこそ非科学的で非論理的なのです。
一方の進化論はいかなる論理法においてもきちんと「論理手順」を経ていない、と言う事です。踏まずに一般化されたのです。しかし、進化論研究の全てが無駄とは言いません。硬直せずに多角的に捉える事を主張しているのです。
妥当性、つまり仮説のリアリティで言えば、私は断然創造論を支持します。
やー、こちらのサイトにちょこちょこお邪魔するようになって2年経つんですが(その前ROM期間一年)、その間、少しは勉強しようなどと思ってオススメの本を買ったりしても、これが中々読めないんですわ。
『進化大全』 カール・ジンマー
一年程前に買ったが部屋のどっかに沈没してでてこない
『進化と人間行動』 長谷川寿一/長谷川眞理子
同上
『現代進化学入門』 コリン・パターソン
行方不明にこそなっていないが手もつけていない
『ダーウィン前夜の進化論争』 松永俊夫
数ヶ月前同じ著者の『ダーウィンの時代』と併せて買ったが枕元に置いたまま
『新版 図説・種の起源』 C・ダーウィン著/R・リーキー編
さすがにこれは読みました。これはメビウスさんのおっしゃる「抄本」であるところの種の起源の第六版のさらに抄本ということなんですが、それでも、ダーウィン先生の「これでもか!これでもか!」という多方面からの「帰納攻撃」におなか一杯。うーん、ダーウィン先生、アンタ、しつこい!と言いたくなります(ま、おずおずさん流に言うネタバレで読んでいるせいもありますが)
解説しているリーキーさんですが、小生、昔この人のおっ母さんが書いた、古人類学の本(名前忘れた新潮文庫で薄かった奴)を読んだ時、「地球上の生物の歴史の上で最も『正しい』進化の過程は人類のソレである」みたいな趣旨の文を読んで「げー、キリスト教文化圏の人はこんなこと考えるんか」とどん引きした覚えがあります。そこへくると息子さんの解説は至ってフツーで解りやすいですね
言い訳をすれば、こんなに読めなくなったのは、年々進行する老眼のせいもありますけどねえ(でもKosukeさん推薦の『脳はなぜ「心」をつくったのか』 前野隆司なんかは1時間くらいで読めたんだけど。それはそれでコスト・パフォーマンス悪すぎ)
えーと、リリスさんにこちらでレスを返すのは初めてだったでしょうか。谷庵と申します。
ヤフーの方で 月虹蛇 さんにエールを送ったのは私です。
別に隠すつもりはないのですが、向こうでは別のHN(ペコ犬)を使っています。
ダブハンについてはコメントは差し控え、単純に面白かったとだけ言わせていただきます。
行儀の悪い書き込みをする輩を怒らせるようなことは、書くのも読むのも好きです。
回答ありがとうございます
>帰納法はある事象に対して一般的な妥当性の高い説明原理を導くやり方です。そしてその説明原理を元に検証していくのです。検証を重ねれば、妥当性は益々高くなります。
上記については、特に異論はありません。妥当であると思います。
今回の議論に当てはめてみますと
1.事象とは地球上の多様な生物と考えてよろしいかと思います。
2.次に説明原理ですが、検証前ということで「仮説」とします。
3.生物の多様性を説明するための仮説として、これまでに創造論、進化論など多くの説が提出されました。
4.それらの仮説は、現存種の観察、化石等により検証を重ねられてきました。
5.検証を重ねた結果、最も妥当性の高い仮説が生き残りました。
6.私はそれが進化論だと考えています。
ただし、私は進化論が「一般的説明原理」だとは思っていません。進化論が絶対であるなどとは考えていませんし、さらなる観察、証拠によって検証し続ける必要があると考えているからです。そういう意味では最も有力な仮説と言うべきかもしれません。
>創造論は「聖書が正しければ」という前提に立ち演繹的に説明する訳ですから、論理的に問題ない訳です。
・創造論は様々な事象を「聖書が正しければ」と前提に立って理論展開されています。しかし、その前に帰納法的立論がなされなければならない、のではないでしょうか(ようさんの主張の進化論を創造論、聖書に置き換えただけです)
・ある事象に対して、聖書が一般的な妥当性の高い説明原理であることを導くには、その説明原理を元に検証し、検証を重ねることで、妥当性を高くしていく必要があります(これも、ようさんの主張をお借りしています)
・聖書を教典としている宗教人口が多いとのことですが、これは聖書の説明原理の検証としては不十分であると考えます。
なぜならこの場合の説明する対象としての事象は、地球の生物の多様性であり、聖書を教典としている宗教人口が多いこととは関係がないからです。
尚、創造論の有力な証拠が発見されれば(地球の年齢が6000年と証明されるとか、箱船の遺跡が見つかるとか、地球外からの知的介入の痕跡が発見されるとか・・・・)創造論にも望みが出てくるのではないか・・・・と思っています。
ついでにもう一つ引用しておきます。
http://www.eigaseikatu.com/com/3004/188452/
聖書はへブル語で書かれ、ギリシア語に翻訳されたのですね。ギリシア語に翻訳される前から、ユダヤ人はギリシア、つまり「ヘレニズム文化」(当時最先端の)に大きく影響され、「律法」作成に大いに役立てています。所謂「神との論争」ですね。
「神との論争」なのですから当然命がけです。論争に勝たなければなりません。その論争の技術こそが、「論理」であります。
ヘレニズムにはいわずと知れた「アリストテレス」がおり、最強の論理と言われる「形式論理学」があります。
聖書はこの最強の論理学で貫かれており、旧約新約含めて一切の論理矛盾を排して書かれている物、と私は理解しております。
diamonds8888xさん
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/27
↑ここで引用している発言ですね。
私も終わっている理由を聞いてみたい。
ちなみに、発言者がようさんであることはようさんが何も言わないことが証拠ですね。嘘を付くほど腐った人ではなさそうですし、何より嘘で隠そうにも内容(主義主張、文体、引用する単語、ズッコケ方、逆切れの仕方)が同一人物なので。
※論点整理スレで何回か私が引用した箇所を読んでいただければわかると思います。
>シンさんのも本屋でパラパラめくりましたけど、本の厚さで敬遠してました(爆)。
>再度チャレンジしてみますか。
ぜひぜひに。
感動すること請け合いです。
本と言えば、カール・ジンマーもいい本を書くライターなんだよなあ。
あの人は生物関係の本を書くから、包括的な進化論の本でも書いてくれないかなあ……
……と思ったら、もう書いてるし! しかも、この掲示板でえめさんが紹介済みだし!
うっかり見落としてたあああ(^^;
つーわけで「進化大全 カール・ジンマー」も要チェックやでえええ。
(あとで図書館行ってみよう)。
>実は俺も「呼び捨て」連中に同じ感情を抱いているんだ。
「俺が呼び捨てている連中」のことであって、「俺を呼び捨てている連中」のことではないでしょうから誤読しないように >>> All
fukkenさん
>ところで、今でも「特殊相対性理論など終わっている」と言うお考えに変わりはないのかなあ?
終わってますよね。すでに完成形ですから。一般相対性理論の場合は量子論との統合問題もあるし終わっているとは言えませんが、特殊の方なら。色々な理論がどんどん終わっていって、ついには科学が終わると宣ったサイエンスライターもいましたね。
という意味じゃないんでしょうね。そのお人達の言ったのは(^_^)
> 名著「フェルマーの最終定理」で有名なサイモン・シン
私は、加藤和也氏の「解決!フェルマーの最終定理」を読んだんですけど、全く、ひとかけらも、どのように解決されたのか理解できず、それは清々しいほどでした(笑)。
シンさんのも本屋でパラパラめくりましたけど、本の厚さで敬遠してました(爆)。
再度チャレンジしてみますか。
お久しぶりです、リリスです。
実は皆さまに、特に内数名の方に平謝りしなければならないことがございます。
ヤフーでお会いした方々にお願いですが、ニーチェトピのNo.22488を覘いて頂けませんでしょうか。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=a5ka1bca5aa5a7&sid=1835217&mid=22488
なお上とは別件で、連絡にずっと気づいていなかったことを地下猫さんにお詫びします。ありがとうございました&済みませんでした。
進化論の粗探ししても、創造論の正当化は無理。
聖書は進化論以外に、内容的に「化学反応」とも「天文学」とも、その他の現代科学とも矛盾している。
>「聖書の正しさ」と言う事を証明しろ、と言う人がいますが(笑)ナンセンスです。「聖
>書が正しい」と言う前提は、(旧約)聖書を経典とするユダヤ教・イスラム教・キリスト
>教で世界の人口の3/4になりますから、「一般的説明原理」の資格充分なのです。
つまり、聖書が正しいと言う根拠は「信者の主観」ですね。
しかも、殆んどの信者は「宗教として正しい」と信じているだけですから。
創造論の正当化には、なりはしない。
ここのところちょいと体調不良
今宵はひとことだけ。
>「聖書の正しさ」と言う事を証明しろ、と言う人がいますが(笑)ナンセンスです。「聖
>書が正しい」と言う前提は、(旧約)聖書を経典とするユダヤ教・イスラム教・キリスト
>教で世界の人口の3/4になりますから、「一般的説明原理」の資格充分なのです。
極東諸国とインド、アフリカ諸国の大半などが世界の人口の1/4かー、という細かいツッコミを体力のにゃー僕がしてもつづかにゃーわけだ。まあ、よう様はどんなことを書いても必ず間違うという奇特なお方というだけのことにゃんが。
それにしても、同じ口で科学は方法であって多数決ではないという意の発言をしてなかったっけ?
「なかったこと」がまた増えたというだけの話にゃんけどな。
「種の起源」、ダーウィンのオリジナルを読もうとして眠くなって挫折した話は以前しましたが(^^;、このたびリチャードリーキー版の「新版・図説種の起源」(NATROMさんもオススメのやつ)を入手してちょこちょこ読み進めております。
「種の起源」は、その書かれた時代背景のせいもあり、(当時はわかっていなかった)進化論の詳細をすでに知っている現代人の我々から見ると、妙に回りくどかったり意味不明だったりする記述があるのですが、そういう箇所には逐一リーキーが解説を入れてくれているので、非常にストレス無く読み進められます。図版が多くて退屈しないのもよい。
で、今度は眠くならずに無事読み進めておるのですが、いやあ、面白い本ですねえ、「種の起源」。ダーウィンの積み上げていく膨大な博物学的な知識を見ているだけでも飽きません。
>えーと、真犯人は、ね、実は、...D○A、なんですよ♪(ネタバレ注意)
確かに、ネタバレ無しで「種の起源」を読む機会に恵まれれば、それはとても幸せな読書体験でありましょうなあ(笑
読みたくない人は読まなくて良い。
損するのは彼であってボクじゃない。
ダーウィンの「種の起源」は、今となっては古典であって、進化論について最新の成果を知りたい人にとっては回り道かもしれないけれど、
にもかかわらず読む人に感動を与えるものを、今も変わらず持ち続けている、1冊です。
言うならば、最新の進化論の本を読むということは、犯人が誰か分かってから推理小説を読むようなものです。
わくわくしたいのなら、「種の起源」を読む前には、他の進化論の本は読まないこと!
えーと、真犯人は、ね、実は、...D○A、なんですよ♪(ネタバレ注意)
サイモン・シンに進化論の本を書いて欲しいっていうのは、
「進化論を理解しようとしない人間にその本を読ませて納得させてやれ!」
みたいな思いではなく、単純に自分がその本を読んでみたいのですよ(笑
本当に、氏の本は面白いのであります。
(数学に関する本で感動して涙を流すとは思わなかった)。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。