このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
「物質」そのものは変化はしても質量はそのままでエントロピーが必ず増大するんですね。
物質と言うのは宇宙の万物を構成しています。だから宇宙全体もエントロピーが増大する。
しかし、人間の「日常生活」のなかでそうでもない現象がある。例えばお湯を沸かす、と言う様な事。そして考え方としては孤立・開放と言うような「系」で説明する。故にエントロピーが増大しないことがある、と結論することが判らない。論理としては理解しますが。
孤立した宇宙がカップヌードルなら、地球は具のえび。ふやけない訳が無いでしょう。
「お湯を沸かす」事の全ての道具は物質であって、変化している過程です。エントロピー増大は増大「し続ける」と言う事ではなくて、「増大の方向へ」と言う事でしょう。
そして「タイムラグ」が数百万年数億年、というなら進化の確率。宇宙誕生の確率よりも更に低い「進化の確率」は更に下がるのではありませんか。
もう一つは、孤立・開放と言う「系」ではなく、原子レベルの運動が分子レベルになるのはある「システム」によるものでしょう。生命体システムと言うか、そんな感じのもの。
タイムラグに見えるものは、そういう「システム」によるのではないか、と思います。勿論推論です。
生命の生殖サイクルも、システムが維持されているがその構成物質自体はエントロピーが増大している、と考えれば私としては収まりが良いわけです。人間のDNAには欠損が見られるのでしょう?大昔は欠損など無かった、だんだん増えてきた。・・どうです?
食物の味などもそうですし、ヒノキの強度についてももう昔のような建造物は無理だと言われてます。
疑似科学の問題とは突き詰めると
・自然科学とは何物であって
・自然科学とは何物でないか
という問題なのですよね。
> 私は題名に「ミケ」としたのだがね。大文字の「よう丼」は俺かな?・・・どうでも良い。
横からちょっかい入れられたくないのであれば、素直にNATROMさんの提示された要点整理スレへ移動するのがいいと思います。あそこでなら、限定された話者しかようさんへ話しかけないということは、常連のみなさん同意しているわけですし。
ようさんは、新たに「信頼に足る論者」がこちらの掲示板にあらわれた時に、その人へ話を振れないことが問題だと仰っていましたが、別にそれならそれでその新しい話者があらわれた時点で、こちらの掲示板でその人に話を振ればいいだけの話です。現状で、メインのエントロピーに関する議論を論点整理スレへ移動させたくない理由は特に無いと思えるのですが。
(それとも、このエントロピーの議論の過程を常にこちらで続けることで、それがいつか検索でこの掲示板を訪れた「信頼に足る論者」の目に触れる可能性を摘み取るのが嫌ってことなのかな。でも、こちらの表掲示板に居座ることのデメリットはNATROMさんはしっかり説明したのだから、メリットだけ取ってデメリットは許さないってのはちいとずるいと私は思うんだな)。
論点整理スレに書いて、それをお知らせするという形をとりますね。
レベルの低いヒトに合わせるのは大変だ〜。
あと訂正
>(進化を前提にした)50億年前の地球のエントロピーと
50億年前は地球は存在してなかった。
30億年前くらいにしときますかね。
えっと、おそらくよう さんはミケとsci さんを単純に混同したか、
あるいは同一人物であると疑っての先の発言だったのでしょう。
そのあたりのことを責めてはかかった獲物が逃げて
ちょっとアレなのでミケはスルーすることにします。
やっとよう さんから反応がもらえたので質問に答えたり答えてもらったりしていきたいと考えます。
「答えろ」と言っといて自分が答えないなんてことはありませんよね。
さて、まず「答えろ」とリクエストのあったものから。
>知識は道具、と使った時の文章を覚えてるのか?道具を使って何をするんだ?カガクもツールなんだ、一体何をするためのものなんだ?答えろミケ。
まず、「知識」と「科学」はともに道具(ツール)ですが違うものであることを確認しておきましょう。
で、知識とは何のための道具か?ま、使い道は色々ありますが、
掲示板での議論においては、
知識とはある主張が正しいかどうか(それを支持すべきかどうか)を判断するための道具
です。
『進化論(というか生物が進化してきたこと)がエントロピーの法則に反するかどうか』
『進化論は「科学的学説」として成立していないかどうか』
という議題には、当然進化論の成立過程や現在のそれの中身についても把握している必要がありますよね。
よって掲示板での議論においてはなるべくお互いに知識を共有していることが望ましい。
お互いの知識に格差がある場合は、引用したり参考文献を紹介したりが必要になってくるわけ。
で、本来そういう“知識の提供”は問題提起する側が行うものなんですよ。
問題提起するからには根拠があるはず。
根拠があるということは対象についての知識もあるはず。ということでね。
それを「違うというのなら教えてください」
ってそりゃおかしいでしょう。
「根拠どころか知識もないのかよ。」ってことになるわけ。
いい?問題提起するからには知識はある程度あって当たり前。
別に知識がある側がエライんじゃないの。
(『問題提起』『質問』『提案』はそれぞれ違うことに注意。
ここでは『問題提起』になっているし、ミケもそれについて述べている)
ついでに、“エントロピーの法則”について言わせてもらうと、
(進化を前提にした)50億年前の地球のエントロピーと
現在の地球のエントロピーを計算方法だけでもいいから示して
「ほらエントロピー減少してるじゃん。進化なんてありえないよ。」
くらいのことができないようでは正直相手にする価値が無いように思います。
成立する・しないの前に、ホントに減少してることさえ示されていないんで。
一匹の動物は、開放系です。その証拠に、冷えたエサを食って温(ぬく)いうんこを出します。
> 開放系 - 系と外界との間で熱と物質ともに移動が許される。
開放系である生物1匹がエントロピーの減少を示す場合、必ずその外部には、その生物が減少させたエントロピーと同じか、大抵はもっと大きい、エントロピーの増大があります。
エサとうんこの化学エネルギーの差を燃焼実験等で確かめると、生物1匹が得たエネルギーよりも大きなエネルギーが失われていることが確認されるはずです。
この差が、「宇宙全体としての「孤立系」の中で増えたエントロピーに相当している」のです。
えーと、ま、だいたいそんなものですよね...?(^_^;)>皆さん
>私が、ここで長居するきっかけは、ゆんさんの発言で「進化論が当たり前で良いんです、
>創造論なんか知らなくて良いんですよ」と言うものだ。
あの発言は、単なる「事実の提示」でしかないんですけどねえ……。
まともな生物学者に聞けば、十人中九人までが同じ答えを返すでしょう。
それほどまでに、現状では「創造科学」は「まともな科学」としては認知されていないんです。(そして、進化論は「まともな科学」として認知されている)。
それを権威主義だと言って批判したり、自然科学は新しい物の見方を排斥するから傲慢だと言って批判することは簡単です。でも、自然科学に携わる者達が何故そういう物の見方をしているのか、何故創造科学を科学とみなさないかと言うのは、自然科学の歴史的な成り立ちを含む重要な論点です。そここそがまさに、科学を科学たらしてめており、科学技術というものが現在これだけの隆盛を誇る、大きな理由だからです。
なので、進化論と創造科学の比較をするにしても、まず学者レベルでは「進化論は正しい。創造科学は正しくない」という認識をされているということを、共通認識として持った上で話を始めないと意味がないよ、というのが私の最初の書き込みの趣旨だったんですね。(進化論を否定する議論は、自然科学の成り立ちそのものを否定する議論のバリエーションの1つなんです)。
まあ、なんか今となっては、そんな話どうでもいいような展開になっちゃっていますけど。
……やれやれだぜ(JOJO風に)。
正しくは
>熱力学第二法則は地球には適用できません。
と「本家サイト」にはある。
ここ住人の多くはその法則を認めながらもね。
下の文章の「閉鎖系」はすべて、「孤立系」の間違いです...(TへT)
開放系だから地球はエントロピーの法則下にない、という言い方は実に、誤解を生みやすい表現だと思います。
なぜならば、
閉鎖系全体としてはエントロピーの法則は成り立つのです。
で、閉鎖系を適当に二つの部分に分けたとき、その二つの部分はともに開放系になります。
この二つの開放系は、それぞれだけを見ているときにはエントロピーの法則に従わないように見えます。
でも、
二つの開放系の相互作用を全体としてみたときには、エントロピーの法則に従うのです。
その意味では、開放系といえども、エントロピーの法則に、部分的には、従うのです。
なぜ「部分的」というか?
一方の開放系のエントロピーの法則からのずれは、もう一方の開放系のエントロピーの法則からのずれと、相補的だからです。
二つの箱がくっついていて、その間に穴が空いていて、一方の箱に砂が入っている場合、
箱を傾けると、一方の箱の中の砂は消滅します!
質量保存の法則が破れるわけです!!
でも大丈夫♪消滅した砂は多分(確実に、と言っても良い)、もう一方の箱の中に発見できます。
開放系はエントロピーの法則下にない、というのは、単に、それだけのことなのです。
>ここの住人は挑発なんかしない。
誹謗中傷はするが、挑発はしない。
なるほど理解いたしました。そういうことでしたか。住人代表と言う訳ですね。
NATROMさんの意志である、と言う事ですか?そうであればこちらも考えねばなりませんね。
それが進化論者代表の意見、と言うことで宜しいか?
>開放系だから地球はエントロピーの法則下にない、という主張に矛盾がある、と言うのが私の主張。
一体どこの誰がそのような事を
私は題名に「ミケ」としたのだがね。大文字の「よう丼」は俺かな?・・・どうでも良い。
ミケ宛とは考えないのか?誰宛が問題か?くだらないところに絡むな!時間の無駄!
sci98?あんたを知らない。今のところ書いてあることに興味も無い。誹謗中傷を生き甲斐にしていろよ。
進化論の学説の合理的な説明、学説の要約を聞きたかったのだけれどもうやむやに終わったので、開放系だから地球はエントロピーの法則下にない、という主張に矛盾がある、と言うのが私の主張。論理に矛盾がある、と言うのはその結論は無効と言う事を言いたかったわけです。
>優秀なやつはこんな心配するのか(笑)。
心配しているように読めました?だとすれば、ようさんの誤読です。ようさんがどんなに憐れな生き物になろうとも、私には関係のないどうでもいいことです。私は単に意見を述べただけであって、なんの心配もしていません。ていうか、もしかして「自分は赤の他人に心配される価値がある」って思っていません?
>兎に角あんたの言葉使いは「優劣」に終始するんだ。読み返すといいよ。
ようさんに返信したことは2回しかないのですが、何度読み返しても「優劣」に終始している箇所などありませんでした。どこをそう誤読したんですか?具体的に指摘できないようでは「ただの放言」としか受け取れませんが。
>進化論者は「優劣意識が強い」と思われるのは、本意ではないのだろう?
私が「進化論者でなく、創造論者である(*1)」ことは、この掲示板でも発言しています。もちろん過去ログの話なのでようさんが知らなくても当たり前ですが、しかしなぜ「進化論者」などと誤解したのか謎です。
ちなみに、「この掲示板は創造論者を袋叩きにする」と思っている人もいるようですが、それが誤りであることは、私が今まで袋叩きにあってないことから明らかでしょう。袋叩きになる人は、別の理由で袋叩きになっているのです(創造論者でないようさんには関係ない話ですが)。
(*1)聖書的創造論ではありません。
最後に
>一体何をするためのものなんだ?答えろミケ。
ミケさんの発言への言及で始まり、私の発言の引用及びそれに対する言及を挟んで、またミケさんへの質問ですか。すごくわかりにくいですね。この掲示板では引用元発言を番号とかURIとかで示すことができないので、複数の発言にまとめて返信する場合は、発言者のハンドルを引用文の前に書くとかすべきでしょう。
また、最後に他人の発言を引用していますが、引用符号がありませんね。他人に対して文章を提示する場合は、読みやすさを心がけましょう。
>「優劣」が善悪をも上回る価値観なのか、と私もすでに心の中では断定的だけれども。
「優劣」と「善悪」の間に上下関係なんてあるの?
>完璧な閉鎖系ってあり得ないでしょ、って言っているんですけどね。
たぶん「孤立系」の意味ですよね。「完全な孤立系」である可能性があるのは宇宙全体だけです。それも、単なる可能性のみ。逆に言うと、局所は常に孤立系ではないことになります。
で、熱力学第二法則は孤立系でしか成立しない(非孤立系では熱力学第二法則が成立しない)わけですから、局所だけ(たとえば地球上だけ)を見たときに熱力学第二法則が成立していなくても不思議でもなんでもありません。
…ところで、「熱力学第二法則は孤立系でしか成立しない」のは知っていますよね?
ヨウ子崩壊っつぅのもあるけど、壊れまくりのよう丼に云っとこう。
>優秀なやつはこんな心配するのか(笑)。
誰に返したレスだよ?おまえさん本当にダメダメだな。
相手を特定してレス返してるのは自分だろ?そこに、ほかのひとの発言混ぜてどうすんの?おまえさん無礼ってコトバ知ってる?
>辞書引用ねぇ・・・。裁判じゃないんだからさ。
甘えっこの泣き言だな。つぅか論拠を示さない議論なんかあるのか?論理で示せ、と自分で云ったんだろ?
>読むだけで苦痛なんだよ。
じゃぁ読まなきゃいいでしょ?きみが無敵キャラであることはもう観測事実なのだし、きみみたいなのとまともに議論できるなんて思ってないよ。いいかい?まともに話す相手に、ここの住人は挑発なんかしない。きみがあまりに不誠実だから、その鏡合わせを見ているだけなんだよ。きみはなにをしたい?論理もへったくれもない、挙句に日本語としてさえ読みづらい主張でなにかが変わるとでも思うか?
そろそろ理解しなさい。納得できなくて困っているのはきみだけ。きみだけなんだよ。
孤立系 - 外界から完全に独立した系。
閉鎖系 - 系と外界との間で熱の移動は許されるが、物質の移動は許されない。温室がその例である。
開放系 - 系と外界との間で熱と物質ともに移動が許される。
-----------------
というのが一般的な定義ですから、
よう さんのおっしゃりたいことは、
「完璧な孤立系ってあり得ないでしょ。」ということでよろしいんですよね。
(もちろん用語の使いわけのような些細なことに拘泥するつもりはありませんから。単に確認のためだけです。)
もちろんそのとおりです。
宇宙全体を考えるのでなければ厳密な意味での孤立系なんて存在しない。
ニュートリノは世界中の魔法瓶を今まさに通り抜けていますから、世界中の魔法瓶は、上に示した定義でいえば、「開放系」ですね。
その証拠に、魔法瓶に熱湯を入れて二日も置いておけば、カッ○ヌー○ルさえ調理できないほどの、ぬるま湯になります。
でも、魔法瓶に熱湯を入れておくのと、やかんに湯を入れて雪の積もった戸外に置いておくのとでは、冷め方は相当違いますよね?
それとも、この二つの状況は同じだと思いますか?
つまり、「短期的には孤立系と考えて良い状態(例えば1時間程度ならさして温度は下がらない、とか)」という考えはおかしいですか?
あるいは、「どちらかといえば孤立系に近い開放系」とか...。
(ギャラリーのみなさんのために。例えば「完全な真空」なんて、現実にはありませんよね。科学とはそんなものです。)
んで、よう さんの主張は、完璧な孤立系はあり得ない、じゃなくて、地球で生命が自然発生することはあり得ない、じゃなかったのですか?
私も貴方とは余り喋りたくない、言葉がきたないからさ。読むだけで苦痛なんだよ。
ひがみ根性だと自分で(笑)まで入れてる他愛の無い言葉に過剰反応だな。いつも「優位」に居たいのだね。「優劣」が善悪をも上回る価値観なのか、と私もすでに心の中では断定的だけれども。
進化論を論理的に、合理的に説明してみてくれないか?勿論帰納法でいいよ。
論点整理って言うけど、論点ぼかしは貴方の常套手段だろ(笑)。
辞書引用ねぇ・・・。裁判じゃないんだからさ。私はこう考えるよ。どこかのサイトの長ったらしい文章を貼り付けたりするだろう?要約して書け、って言いたい訳。自分で理解して要約して自分の意志を示せ、ってね。
あの場合、「量子論」を理解して量子力学が判らない、と言う言い方にちゃちゃ入れてるんだ。自動車を運転しても製造過程はわからない、と言う様な意味だよ。これも過剰反応だろ?こういうところから論点がぼけるんだ。
>論拠なんてなくてもいいんだ、論拠を出すなんて権威主義だ」なんて主張をするのを見て、騙されちゃったのでしょうね。そういった意味では、ようさんは憐れな被害者です。
優秀なやつはこんな心配するのか(笑)。
兎に角あんたの言葉使いは「優劣」に終始するんだ。読み返すといいよ。進化論者は「優劣意識が強い」と思われるのは、本意ではないのだろう?そんなに感情的になると、「勝ち」が逃げるぞ(笑)。
私が、ここで長居するきっかけは、ゆんさんの発言で「進化論が当たり前で良いんです、創造論なんか知らなくて良いんですよ」と言うものだ。お判りか?この発言に対して、あんたや、Mのように細部の言葉にまで過剰反応する輩からは何の発言も無いんだな。
私は「おやおや」って思うよ。進化論者の感情の一端を見たからね。客観性って科学には大事なことだろ、違うのか?
知識は道具、と使った時の文章を覚えてるのか?道具を使って何をするんだ?カガクもツールなんだ、一体何をするためのものなんだ?答えろミケ。
ジンケンなんかもツールであるべきだと個にゃん的には考えますにゃ。「事実」には常に依拠すべきだけど、「真理」ちゅうのは抑圧的だよね。デムパとかトンデモはたいていは真理を病んでいるものですにゃ。
当然ながらカガクもツール。
済んでませんよ、まったくね。
どなたも「閉鎖系・開放系」から一歩もでませんから。
完璧な閉鎖系ってあり得ないでしょ、って言っているんですけどね。
>「知識は道具」だ、と私は少し前に使ったのだが、「カガクはツール」ってのはパクリっぽいね。
知識が道具であることも、科学がツールであることも、ただの一般常識です。単なる一般常識を述べることは普通パクリとは言いません。というか、それがパクリならようさんの「知識は道具」という主張もパクリですが。もしかして、自分が初めて気づいたことで、他人はそんなことは知らないのだとでも思っていました?
>いやなに、ルール違反でもいなければなんでもない。単なる僻み根性だ。(笑)
もしかして、知識が道具であることや、科学がツールであることが、他人があまり主張しない自分の独自の主張だと思っていました?
だとしたら、単なる無知でしょう。
>もう一つ、私個人の批判に大辞林を引用するなどというのは、権威にすがる愚かな者のする事だ。
ちゃんとした論拠に基づいた話ができない人が、なんらかの論拠に基づいて反論された場合、それを「権威にすがる愚かな者」と批評することはよくあることです。論拠を出せない自分を正当化するために、あたかも「論拠を出すこと自体が不当である」かのような主張を行うわけですね。
世の中の全員がまともというわけではなく、世間にはようさんと同じレベルの馬鹿がある程度いるから(ようさんより下、となると極少数でしょうが)、ようさんと同じレベルの馬鹿が「論拠なんてなくてもいいんだ、論拠を出すなんて権威主義だ」なんて主張をするのを見て、騙されちゃったのでしょうね。そういった意味では、ようさんは憐れな被害者です。
もちろん大抵の読者はようさんほど馬鹿じゃないから、そんな詭弁には騙されないわけですが。
ちなみに、この掲示板では論拠を出さず自分の思い込みでしかない子供の主張をするのは少数派(最近では単発発言を除けばようさんぐらい?)です。
>「知識は道具」だ、と私は少し前に使ったのだが、「カガクはツール」ってのはパクリっぽいね。いやなに、ルール違反でもいなければなんでもない。単なる僻み根性だ。(笑)
「科学はツールである」ってフレーズは、あなたがここに現れる前から頻出していて、
例えば過去ログ137番の大文字ナン さんの発言
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board030217.html
>それを客観的に検証しようとする場合には、科学というツールが役立つのです。
(2003年02月15日16時12分)
知識が道具であること、科学がツールであることは常連さんの共通認識だと言ってもいいでしょう。
ところで論点整理スレ、どうしようかな〜。
暇のあるとき(よう さんの頭が冷えた頃)に進めておきましょうかね。備忘録の方もネタたまってるし。
ちなみに論点整理スレではバカにする表現は用いません。
内心でバカにしてはいますがそういうのは捨象で行こうかと。
ただ、低レベルでも分かるように進めることを、
「バカにしている」と受け取る方もいらっしゃるので“できる限り”ってことですね。
これは さん、 はじめまして
あなたの仰る主張は随分昔から、本当に昔からあるのです。
マーティン・ガードナーの『奇妙な論理』にも
科学と宗教の融合(?)としてそのような主張の書簡を出版した男の話がありました。
結果は…科学と宗教、双方から無視されてしまったのです。
彼の主張が広く認められれば愚かしい対立は解消し、人々は下らないおしゃべりで浪費している時間と労力を有効に、例えば貧困問題の解消などに用いる事が出来たはずなのに、です。
きっと人間は思っている以上におしゃべりが好きなのでしょう。
ようさん はじめまして
>しかし、国語は難しいな。勉強してくれ。
これには同意。そこであなたの文章をほんの少しだけ、添削いたしました
>しかし、国語は難しいな。勉強してくれ。
↓
しかし、国語は難しいな。勉強してくれ、自分。
これで皆さんにも正しく意図が伝わるかと
横レス失礼します!
確か過去ログを見ましたら?
水上歩行を出来る方がおられたと記憶にあります、ザッとなので
何時の
何方かのカキコかは忘れましたが〜
おせっかいな
おばんです、ごめんなさいね!
あと
これも、どなたかは存じあげませんが、男性は進化論の通り だが
女性は神様が丹誠込めて丁寧に 御作り遊ばれたとの見解に思わず吹き出してしまいました♪女性の体は神様の傑作です!取り扱い注意って但し書きがイブに付いていたとか、いなかったとか
それだけ、男性諸氏は単純な可愛い存在なのでしょうか?
スルーして結構です。お邪魔しました。(笑)
もうエントロピーの話は済んだのですか?
>「水上歩行は科学的に証明できる」という説を批判しているのであるが、
証明できるんだ!と言う説?それを批判している?
「水上歩行説」の科学的証明が成されたのだろうか?成されていないのでしょう?
批判の対象が違っていますよ。
Mは、ここでは人望が厚いのだね。こんな文章に誰も反応しない。しかも抽象論。進化論者は抽象論を使わない、使えない、使いたくないのいずれかだと思っていたが。
しかし、抽象論は苦手のご様子。
「公的資金」に対応して「自由主義社会」とありますね。内容的には勿論仰る通りでありましょう。特に異論は在りません。しかし「公的資金」と来ればむしろ「近代国家」でありましょう。
国際的な援助と言う事でごっちゃになったのかもしれませんね。
何れにしろ、「自由主義社会の理念」と言う言い方。「社会」と言うものに主体性を持たせるか?公的資金から来る文脈上言葉使いが違うな。
「知識は道具」だ、と私は少し前に使ったのだが、「カガクはツール」ってのはパクリっぽいね。いやなに、ルール違反でもいなければなんでもない。単なる僻み根性だ。(笑)
もう一つ、私個人の批判に大辞林を引用するなどというのは、権威にすがる愚かな者のする事だ。
しかし、量子論とは「量子力学、およびそれにより体系化される理論の総称。」とあるように、量子力学そのものの意味もあるが、体系化された理論の総称との意味もある。そうであれば、「総論的に理解」した、と言えるかもしれないではないか。貴方の批判は当たらないではないか。しかし、国語は難しいな。勉強してくれ。
>ずむちゃかさん、初めまして。
>その意味で社会ダーウィニズムも一つのツールであり、悪用されない限りにおいて、まだまだ研究される余地がある。
「悪用されない」なんてこれはまた夢のようなお話です。
さて、私は「国際援助」というものは、端的に言って「近代国家群による非近代国の資本主義市場化」だと考える訳ですが。
米英独仏などは明らかに近代国家、日本もそうですね。近代国家は殆ど西ヨーロッパです。
そして殆ど「キリスト教国」です。しかし日本はそうではありません。
アジアの国である日本が何故近代化に成功したのか。非キリスト教国であるのに、です。
そして日本よりはるかにキリスト教徒の比率の高いアジア・アフリカの諸国は近代化に遠い、または近代化に苦労している、或いは近代化出来ないでいるのでしょうか。
どうぞお考えをお聞かせください。もし宜しければ。
ある現象が科学的に証明されたとすれば、
条件さえ整えてやれば、誰でもその現象を再現できるはずである。
仮に、「イエスが水の上を歩いた」という奇蹟を科学的に証明できたとすると、
条件さえ同じにすれば、我々もイエスと同じく、水の上を歩けるはずである。
人が誰でも原理的には水上歩行が可能であれば、水上歩行は「奇蹟」でも何でもなくなってしまう。
「聖書の奇蹟は科学的に証明できる」と主張する人々は、
奇蹟をごくありきたりな物理・化学現象に還元しようとしているのである。
ただし、本人たちにはそのような自覚がなく、
奇蹟が科学的に証明されることで信仰が強められると信じているようである。
もともと、奇蹟とは人間の理解を超えた超常の業だったはずである。
「えーっと、こうやってこうやると、ほら水の上を歩けるでしょ?」となってしまえば、
奇蹟でも神秘でもなくなる。
しかし、そうすることが正しい信仰のあり方と信じて止まない人たちもいる。
また、「水上歩行は科学的には不可能」と指摘されると、信仰心を傷つけられたと憤る人たちもいる。
しかし、科学的に不可能なものは不可能と指摘するしかない。
それでも信ずるのは各人の自由である。信仰を否定しているのではなく、
「水上歩行は科学的に証明できる」という説を批判しているのであるが、
その区別がつかない人たちがいる。
「聖書は神の言葉」とするのはかまわないが、「聖書の一語一句は科学的にも正しい」とすれば、
擬似科学となり、科学者から批判を受けることになる。
擬似科学に対する批判を信仰に対する批判と同一視し、
「反キリストだ」とか「救われない」といった非難を、
擬似科学を批判する科学者に浴びせる人たちもいる。
天地創造は実話だった!
天地が創造された後、全知全能なる力によって奇蹟の痕跡は消し去られた。
人間が軽軽しく御名を口にしないように。
よって、奇蹟の起きた事を科学では証明できなくなってしまった。
もちろん、やっててしんどい思いはかなりあります。援助のサプライサイドとしても
ディマンドサイドとしても両方すね。世の中、難民の方が援助によって受け入れ側の
現地住民よりいい生活している例は山ほどあります。
>もちろん、有用性ちゅうのは「誰にとっての有用性」という問題から逃れられにゃーけれども、
>とりあえずは自由民主主義社会においては、自由民主主義社会の理念にとっての有用性でなく
>てはならにゃーよね。
もろもろのプログラムは、かつてのヒトモノカネの投げっぱなしから変化して、最近は
競争原理の導入、市場機能の回復といった方法論がある程度確立されてきたことにより、
援助対象の自立を促す方向でお金が使われる方向に進んでおり、そこではむしろ援助金
に貼り付いている「善意」が却って邪魔になるケースが増えています。
市場原理、或いは競争原理とは、とりもなおさず経済的な優勝劣敗の原理であり、
その導入とは援助対象の内部に「勝者」と「敗者」を作り出す行為に他なりません。
そもそもが貧困層の話ですから、敗者の目の前には容赦なく死が待ち構えています。
とはいえ、人間なかなか死ねるものでもありませんから、彼は犯罪集団を形成する
ことになるわけですが、そういった暴力バイアスはようやく芽生えた市場をいとも
カンタンに破壊します。
それでは元の木阿弥ですから、「敗者」に対するセフティネットを構築すれば良い
ではないかという話になるのですが、元が貧困層です、失敗してもお金がもらえる
となれば競争する気を起こしません。これまた無限援助の罠に陥ります。
ここで優生学が登場するんですね。即ち、「勝者」とその手法を人為的に移植し、
「敗者」とその手法を人為的に根絶することにより、援助対象集団の底上げを
促進してやるわけです(これはこれで汚職という厄介な問題が出ますが)。
生物学的「進化」と社会科学的「進化」の違いは、おそらくその過程に人間の意思を
挿入することに問題がないかどうかの違いなのだと思っています。その意味で社会
ダーウィニズムも一つのツールであり、悪用されない限りにおいて、まだまだ研究
される余地がある。そうでなければ、これほどまでに多くの社会科学者が未練がま
しい態度をとるはずねーだろ、そんな風に考えている今日この頃です。
たいへん長文失礼しました。ROMに戻ります。あと、Yahoo!トピの「貨幣とは何か」
の進行も楽しみにしていますよw
>BBSは盛り上がってるところ、何か私信じみて恐縮です。
盛り上がっている時は、終わっているときだにゃ。トンデモ相手の時はね。
>経済学、特に方法論としての開発経済学は、社会科学というよりは、具体的な
>果実を追求する技術としてアプローチされるべきであると思うのです。真実の
>探求ではなく、どうすればより良い状況を招来できるのか、ということですね。
ジンケンなんかもツールであるべきだと個にゃん的には考えますにゃ。「事実」には常に依拠すべきだけど、「真理」ちゅうのは抑圧的だよね。デムパとかトンデモはたいていは真理を病んでいるものですにゃ。
当然ながらカガクもツール。
もちろん、カガク的探求そのものは価値があるものにゃんが、その価値はブンガクやらテツガク以上のものではなく、公的に金を出すようなものではにゃーと思う。カガクに公的な金(ぶっちゃけ税金)をつっこむことを正当化するのは、そのツールとしての有用性にあるにゃ。言い方を代えれば、カガクの権力性は実証的な有用性にのみその基盤を持つべきであるということにゃんね。もちろん、有用性ちゅうのは「誰にとっての有用性」という問題から逃れられにゃーけれども、とりあえずは自由民主主義社会においては、自由民主主義社会の理念にとっての有用性でなくてはならにゃーよね。
>殆ど考えはまとまっておりませんので、地下猫さんのリクエストに今は答える
>ことはできませんが、小生現在とある国際機関での貧困改善プログラムに関わって
>おりますので、具体的な方法論に昇華でき、かつ何らかの成果が得られたときは、
>必ずご報告に伺います。
そか。おみゃーさん、誠実にやるとせつない仕事についていやがりますにゃー。まあ、そうしたせつなさを味わうのは良心と能力を持ったものの権利だにゃ。
僕がここの管理者なとろむ と絡んだのが、ヤフー哲学スレの中絶関係の板でしてにゃ。中絶を禁止しても減るものではない。中絶を選択肢として認めながら、貧困を改善していかなくては中絶は減らないということを国連機関が報告していたあたりは、だいぶいい資料になってくれましたにゃ。
貧困改善プログラムについては、少しでも有効な方法論があったら、それを広報することもすごく大事だよね。ご報告を楽しみにしておりますにゃ。
>私がクリスチャンなら、「聖書の記述が科学的に矛盾するのは、神が信仰心を試されている」と、解釈しますけどね。
その場合は科学そのものが間違っていると解釈します。
聖書と矛盾する(とされる)科学は創造主の不在を前提とした科学であるため受け入れられず、
クリスチャンは創造主の存在を前提とした科学で聖書を肯定しなければならないのです(*)。
聖書は誤りなき神の言葉です(と主張される)から、嘘や間違いである筈がないのです。
*それなら進化論が科学的に間違いだと主張する意味がなくなるのだが。
なんと体長3メートル近くって。
こんなのが波打ち際にぞろぞろいたら、いややな。
http://www.asahi.com/science/news/TKY200604060107.html
今朝のテレビでは、どこかの新聞に不気味な想像図のってたみたい。
よう見つけへんかったけど。
現代科学によって新しい事実が解明され、次々と補強された進化論を、科学ではなく、思想信条で否定する創造論者。
創造論は聖書のコピペ
>>大文字
>訂正箇所は一つだけ?国語表現、比喩と言うものをもっと大事にな。
日本語の『てにをは』の使い方もろくに知らない人がよくそうゆーことを言えますなー
ってか、おまけに誰に向かってゆーとんじゃ!
http://blackshadow.seesaa.net/article/14613608.html#comment
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060406-00000010-mai-soci
うまく説明できなくて申し訳ないのですが、その量子力学的(以前のことが多いですが)な限界が問題になるのはカオスがあればこそという面があります。線形な問題であればプランク半径程度の誤差が問題になるのは、それこそ量子力学的なスケールででしょう。
(誰に云うでもなく・・・)
やふ、にも「熱力学絶対主義」な雰囲気のひとがいた気がしますが・・・同じひとじゃないんですよね。いまは見てないので最近の「統計的傾向」は知りませんが(笑。
>ところで、エントロピーの話は決着したと思っていいですか?
大宇宙絶対論理エントロピー原理主義者を論破することは捨象的に不可能でした。
バカの特徴をすべて備えた貴重な資源を大切に守りましょう。
To Yebisu500さん
>1. カオスは、予測不能ではなくて初期値に敏感。
http://www.asem.kyushu-u.ac.jp/qq/qq02/noneq2.htm
↑にありますように、カオスとは『決定論的な方程式にしたがうランダム性をもつ解をカオス解という』のではないでしょうか。つまり、いくら初期値の精度を上げても、系(式)と与えるパラメータによっては予測不可能な状態が返る、ということかと思います。
逆を返せば、まったくランダムに見える系であっても、ある部分は自己相似形の集まりであったり、観察する次元を動かすことでパターンが予測できるようになることなど「複雑系」にも数式による「ある程度の予測可能性」があることも示しており、一意的な解釈を許さないところが面白いと思っています。
>普通の大きさで決定論的ではないことが判ったというのは、量子力学じゃなくてカオスのお話です。
>変化を決めるルールが単純であっても変化後の予測が出来ないというのがカオスですから、
1. カオスは、予測不能ではなくて初期値に敏感。
2. よって、予測にためには初期値を高精度に求める必要があるが、物理的に
不確定性の限界がある
ということで、量子論に帰着するのでは?
ところで、エントロピーの話は決着したと思っていいですか?
>ファンダメンタリストにとってはこの世のありとあらゆることが聖書に従っていないとダメなのです。
う〜ん・・・
私がクリスチャンなら、「聖書の記述が科学的に矛盾するのは、神が信仰心を試されている」と、解釈しますけどね。
論旨を明後日の方向に飛ばして目晦ましにする。
「(博学な)俺はお前よりも広く深い見地から物を言ってるんだ。俺の言ってる事についてこれん奴はレベルが低いのだ(だから感心はしても質問はすんな)」
まぁ 皮を剥かれて電波芸にされちゃったけど
こういうの、禅の格言で有ったよなぁ確か 因幡の白兎じゃなくて
それから・・・
創造論者は、まっとうな科学理論でやり込められると、現代の最先端科学の未解明の部分を聞きかじりで振りかざし、詭弁を弄してその場を凌いでいますが・・・・
聖書の書かれた時代を考えてみれば、量子論だの、エントロピーなどという、分野が盛り込まれて書かれるわけがないでしょう。
>科学も神に従うはずで
科学は意思を持った存在ではないのに、おかしな理屈ですね。
神の存在や、その痕跡が科学的に証明できるというなら、神自体が科学の法則の中に収まる程度の存在存在という事になってしまい、「全てを超越した存在」ではなくなりますが・・・。
神の存在証明を問われ、「信じる心」と言い放てる者こそ、揺ぎ無い信仰を持つ本物のクリスチャンでしょう。
To 天地人さん
>創造論者も、宗教は宗教と割り切れば良いのに。
>むしろ、その方が健全な信仰でしょうに・・・。
ファンダメンタリストにとってはこの世のありとあらゆることが聖書に従っていないとダメなのです。
万物は神によって創造されたのだから科学も神に従うはずで、神に従わない科学は認められないのです。
そのためには証拠の無視、歪曲、捏造も無視、歪曲、捏造だと認識してはいけないのです。
科学の側からすれば、理解不十分なまま断片が一人歩きして勝手に揺らいでるような印象があります。
だからソーカルさんに悪戯されるのですよ。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html
よう さん、ボクの投稿に返事してくれない...。
今、浜辺でカニとたわむれてます...(T_T)
大字林じゃなくて、大辞泉だったにゃ、なにをやっとるんだ>僕
大字林より引用
***********************************
りょうし‐ろん〔リヤウシ‐〕【量子論】
量子力学、およびそれにより体系化される理論の総称。プランクの量子仮説から量子力学の確立までを前期量子論・古典量子論という。物理学のほか化学・工学・生物学でも展開。
***********************************
ううむ、量子論を勉強して、量子力学を不勉強というのはありえるのか?
これはデムパくんお得意の「捨象」にちがいにゃーぜ。
すげーぜ、デムパ捨象!
運転手はぼっくだー、捨象はチミだー♪
おやおや、約100年前からの物理学界の論争をそんなに簡単に。
他分野への影響も大きいのですよ。西洋、近代そのものが揺らいだのですから。
唯物論的近代西洋がね。
私は「量子論」はお勉強したんですが、量子力学は不勉強なので。
とさんのお勉強が成就されますことを祈っています。
進化論の仮定条件や合理的説明が伺えなくて残念です。
失礼いたします。またお邪魔します。
>横軸は原子間の距離で、横軸より下が引き合う力、上が反発する力です↓。
これは図1.二体力ポテンシャル の説明です。
いくら量子力学的な効果といったってそうそう無茶は通りません。
横軸は原子間の距離で、横軸より下が引き合う力、上が反発する力です↓。
http://venus.netlaboratory.com/material/messe/winmasphyc2/support/TIPS_tm/TwoBodyInteraction.html
原子・分子の大きさになればトンネル効果なんてそうそう出てきません。「唯物論的」は他の方がチェックを入れてるのにまだ間違えてますね。
だいたい、菊池先生も似たようなこと書いてますが、量子力学が出てきたからといって、普通の大きさで見たところの熱力学が変わったということはありません。
普通の大きさで決定論的ではないことが判ったというのは、量子力学じゃなくてカオスのお話です。変化を決めるルールが単純であっても変化後の予測が出来ないというのがカオスですから、勉強するならこちらでしょう。
まあ、進化の法則がわかっても結果は予想できないというのは、決定論的な創造科学の人には不評でしょうけど。
>近代国家の国民は「人心の荒廃」という問題を抱える訳で。その癒しは精神医学、宗教と言う事です。>>
ぼくが以前勤めていた会社では月に一度、日曜出勤がありました。その時しょっちゅう出勤時間に同じエレベーターに乗り合わせたおばあさんがいました。ウチの会社はビルの5階と6階だったんですけど、車椅子に乗ったおばあさんは最上階の7階のボタンを押していました。7回はとある新興宗教団体が全フロアを使っていました。おばあさんは車椅子に乗っていてなかなか手が届かず、よく、ぼくが替わりにボタンを押してあげました。日曜日の午前、車椅子の老婆が一人でそういうところに通っている姿は、なんとなくいたたましく感じられました。
その老婆にとってはきっとその宗教団体の会合に参加することが真理にたどたどしくも近づく営みだったのかもしれません。
>とさん
>ピンポン玉の中は空っぽですが、だからといってピンポン玉をほいほい物が通り抜けるわけではないでしょう。
空っぽ、とも言えなくなってきて、通り抜けもあるようだから物理学者が困っているのではないか。唯物論的に判断できないからね。
学者はそう表現出来ないだろうが、「波のようでもあり、粒のようでもある」こんな表現は般若心経の色即是空なんだな。困ったね。
>大文字
訂正箇所は一つだけ?国語表現、比喩と言うものをもっと大事にな。
>原子核の内部で電子が軌道を維持していることと
訂正:原子の内部(という表現もうまくないなぁ)で電子が〜に訂正します。
>そして「原子核と電子の距離」と言うものを考えれば、「完全な孤立・閉鎖」と言うものは不可能ではないでしょうか。
トンデモさんの言うことは意味不明だと思って読んでましたが、もしかして電子雲を誤解してますかね。
ピンポン玉の中は空っぽですが、だからといってピンポン玉をほいほい物が通り抜けるわけではないでしょう。
「聖書」は、自然現象を観察し考察し実験して書かれたわけではないという、根本的な事を忘れないように。
公理も定理も使わず、観察も実験もせずに書かれた聖書(宗教本)の何所が科学的手法なのでしょうか?
宗教本としては素晴らしいと思いますが。
そろそろ飽きたな、と思っていたらひさびさに長文発言があったので「論理的に」こっちも書いて寝よう。(横レスになるし、放置とも思ったんけど・・・あまりに突っ込みどころ満載なので、つい)
では、かいつまんで・・・
>私もそう思います。原子レベル、分子レベル、生命体レベルで違うと思います。
前段に置いて、天地人さんは「マグマが岩になるときに結晶化する現象」を指して、単純な自然現象の例を説いている。あくまでこの前段があった上で、そういう「分かりやすい単純な現象」と、生命活動のように複雑きわまりない現象を同列に並べてはよろしくない、と述べているのだが・・・発言者である「よう」氏は、それを意に介さず(読み取れず)自説に肯定的な文章であると勘違いしているようだ。まったく・・・(以下略)。
>量子力学によって「唯物論」の限界を見てしまったことが、単細胞な宗教活動家の小躍りを招いたのでしょう。
単細胞な宗教活動家がどんなものであるかはともかく、量子力学は唯物論の限界など論破しておらず、決定論に終止符を打ったことはミケさんの指摘どおり。
>聖書は正しいとして仮定する」と言う設定は、「科学的手法」になんら逆らうものではないでしょう。
ある文言が「正しい」でも「誤りである」でも構わないが、どちらにしろ恣意的に「バイアス」をかけて検証することが科学的であるはずがない。
>目的は「真理」を知ることですから、科学的アプローチ、信仰によるアプローチがあって宜しいのではないでしょうか。
少なくともカガクにおける「真理」とは、論理的な「正誤の判定」に過ぎない。ただし「真理」というコトバの持つ一般的解釈の多義さから、このコトバに大きすぎる価値を見出してしまうことがあるのは、やむを得ないだろう。これはたとえば「進化」というコトバに、どうしても「進歩」や「優越」を思い描いてしまうことと似ている。このような一般的解釈を避けるために、素粒子学者はカモメの鳴き声の擬音から「クオーク」を名づけたのは有名なところだろう。
なお、カガクにおいて(ここでは信仰者が使うような意味においての)真理は、すぐそこにある。それはすなわち自然現象そのものであり、カガクが成せることとは、より自然に近い、あるいは模倣したモデルを提唱することでしかない。それはひどく実用的で普遍的な「ものさし」として利用できる。
>物質の最小単位、原子核の周りを電子が飛んでいるのですね。
物質の最小単位は素粒子。なにも元素だけで物質界を構成しているわけではない。たとえば電子も粒子だが、電子が物質ではない、とカガクは述べていない。
>空気中であれ、真空と思われていた宇宙空間も物質があるという事ですね。そうすれば、万物は「電気的」に反応・連関し合っているという事になります。
原子核の内部で電子が軌道を維持していることと、非常に濃厚な大気中に物質が存在すること、ほぼ真空とみなして良いほど物質が希薄な宇宙空間にも、希薄ながら物質が(ゆらぎとして)存在することを同列に並べ、これらがさも「整合するかのように」互いに反応しているだとか連関しているなどというのはもはや信仰である。論理のかけらもない。もしもこれが論理的主張であるのならば、発言者はそれを証明する義務がある。
>そのシステムの形態として「孤立・閉鎖・開放」とあるようですが、ニュートリノの事を知れば、そして「原子核と電子の距離」と言うものを考えれば、「完全な孤立・閉鎖」と言うものは不可能ではないでしょうか。
ニュートリノが存在することと、仮想的なモデルである「孤立系・閉鎖系〜」などというガイネンがどのように相反するのだろうか。発言者はまたもや論理破綻し、なんの証明も行っていない。
カガクにおいては仮想モデルが重宝される。その最たるものが数式。数は物質そのものを表すわけではないが、物質の振る舞いを記述することができる。
量子的ゆらぎを排除できない以上、ミクロにおいて完全な孤立系というものを実現させることは現実にはできない。これを厳密に適用するのならば、ズタズタになるのは第2法則であって現実ではない。カガクにおける「絶対」が仮にあるとしたら、それはニンゲンが打ち立てた理論や法則ではなく、現実の自然現象そのものである。
>そして進化論は「理論」です。まだ法則に至ってはいません。そうであればこの第二法則を前提に立論するべきではないでしょうか。
勝手にカガクの定義を決めてしまっては、普遍的な議論となり得ない。それは「信仰」である。あるいは「キチガイのたわごと」でもかまわないだろう。
熱力学の第2法則が絶対であるならば、この世界はすべて熱平衡していなければならない。局所など存在せず、それを定義することすら許されない世界とは、いったいどんな宇宙だろう。無論、そんな世界には生命どころか恒星も惑星も存在できないだろうし、原子すら構成することができない宇宙であろう。しかし現実に観測されるこの宇宙では、随所に活発なエネルギー反応があり、地球には生命がある。これはすなわち、ある「時間的・空間的断面」においては、熱力学の第二法則(あるいは、その他の無関係な法則や理論)を無視して必要な科学理論が立論できることを表している。
念のため。
>という旨の投稿をされた折にさんざん説明されたように、
→という旨の投稿をされた折に、常連の何人かがさんざん説明したように、
読んでくれはしているでしょうし、
ギャラリーに示すと言う意味でとりあえず。
>仮定条件〜合理的説明による理論は科学的手法に則っている
以前よう さんが
「進化論て仮説だったんですね。じゃ創造論も公平に見ていこうっと」
という旨の投稿をされた折にさんざん説明されたように、
科学的手法の最も重要な部分は『合理的説明』ではなく、
『仮定条件を設定すること』でもなく、
(なぜなら合理的説明・矛盾のない説明はいくらでもつけることができる)
新たなデータを追加して『検証すること』なわけです。
創造論が正しいならば、どのようなデータが得られるか?
逆にどのようなデータが得られたら創造論は棄却されるか?
これらの予想を踏まえた上で新たなデータを取り
そのデータが予測と一致するか矛盾するかを確かめるのが検証。
“説明”なんて科学以前の問題。そこから先が重要。
BBSは盛り上がってるところ、何か私信じみて恐縮です。
経済学、特に方法論としての開発経済学は、社会科学というよりは、具体的な
果実を追求する技術としてアプローチされるべきであると思うのです。真実の
探求ではなく、どうすればより良い状況を招来できるのか、ということですね。
殆ど考えはまとまっておりませんので、地下猫さんのリクエストに今は答える
ことはできませんが、小生現在とある国際機関での貧困改善プログラムに関わって
おりますので、具体的な方法論に昇華でき、かつ何らかの成果が得られたときは、
必ずご報告に伺います。
しかし、日本の桜は世界一ですね。本当にそう思います。本日満喫した桜が
靖国神社のものであったことは何か悪い冗談のような気もしますがw
目的は真理の頂に登れるのかどうか、なんです。どこから登ろうが頂には変わりが無いと思いますが。科学者として認める人が登らないと、たとえ頂上を極めた人でも無視する、と言うように聞こえてしまいます。
仮定条件〜合理的説明による理論は科学的手法に則っている、と思いますが。「宗教」という社会現象は、社会学では当たり前です。社会学など「科学的」ではないということでしょうか。
進化論はどういう仮定条件で「進化」の結論を得たのでしょう?ご存知でしたら是非ご教示ください。
聖書。ユダヤ・キリスト教のみならず、イスラム教も同じ経典です。世界の人口の3/4を占めます。「人類は・・・」となれば決して無視できる現象ではないと私は考えます。たとえ自然科学者でも。
因みに、唯物論はモダニズムそのものと捉えられる訳です。チャップリンの映画「モダンタイムス」でもあるように、近代国家の国民は「人心の荒廃」という問題を抱える訳です。その癒しは精神医学、宗教と言う事です。感情的な対立と言うよりも、社会システムの必然と思います。
デムパ飛び交う作家というと、私は平井和正をまず思い出します。「幻魔大戦」、冒頭までは悪くなかったんだけどなぁ・・・中盤〜後半は読むに堪えないシロモノでした。
あと・・・「帝都物語」の荒俣宏も、けっこうデムパ系なのか?と思っていましたが・・・なんか最近はまともにも見えます、よく分からないですね(笑。
で、平井和正が想定した幻魔ってのは・・・そのものズバリにエントロピーとは表現していないけど、とっても近いものぢゃぁないでしょうかね。ちなみに氏の愛称は「ひらりん」だそうです。
To 天地人さん
はじめまして、こんばんわ。
>創造論者も、宗教は宗教と割り切れば良いのに。
>むしろ、その方が健全な信仰でしょうに・・・。
ご承知とは思いますが、理神論を持つ方をはじめ、大半の信仰者は「創造」を信じていても「創造科学」には傾倒していません。ですので、(失礼にもあたると考えていますし)創造論者という「くくり」には、センシティブであるべきかと思います。
>現代科学は唯物論だから非人道的・・・とか批判する宗教家も居ますが、現代科学の信憑性とは一切関係の無い話しです。
そうですねぇ。
そもそも「唯物論が非道徳である」という不思議な思い込みが、なぜかシンパシィを生んでしまうようですねぇ。まぁしかし、これは信仰者・非信仰者に関わらず「ボーダー」にこだわりすぎるヒトのありさまそのものか、とも思います。
私はなるほど唯物論者に近い面を持つ、と自覚していますが、自分で組み上げたエンジンだとかカスタマイズしたPCには強い愛着を持っています。また、優れたソフトウエアをツールとして使うときには、その向こうにいるプログラマの技に感銘を覚えます。あるいは、道端に落ちている石のカタチに夢中になることもあるのですが・・・いちいち魂だとか神だとかを思い描くことは「まったく」ありません。
結局のところ「こっち側」と「あっち側」を境界してしまう心に、なにかがあるのではないでしょうか。
以前も言おうと思っててタイミング逸しちゃったんだけど
「量子力学によって唯物論の限界が〜」
ってのはちょっと変だよね。
量子力学が打撃をあたえたのは、唯物論に対してじゃなくて決定論に対して。
ニンゲンに分かりうる範囲が有限であるって意味なら、
別に量子力学じゃなくたって大抵の科学分野がそうなわけで。
量子力学をきちんと学んで「唯物論はダメだ」と思うヒトって
ほとんどいないんじゃないでしょうか。
あ、理解できなくて人工世界論の彼みたいになってしまうことはたまにあるでしょうけど。
唯物論って言い方は宗教系のヒトは頻繁に使いますが、
科学をかじったヒトが科学の話をするときにおいては
ほとんど使われないように思います。
そう思わない?>ALL
そうであるならば、科学の話をする場合、
唯物論って単語は用いない方が良いと思いますよ。>よう さん
「ああ、そっち系のヒトか」と思われたら損でしょうから。
>多くの進化論者の非論理性とはまさにこれですよ。
お褒め頂き光栄です。するとようさんは生物が誕生してからどれくらい経つとお考えですか?
>仮定条件や幾つかあるうちの一つの年代測定法の測定値を「事実」に置き換えては、「科学理論」にはなりませんよ。
あのー一つ(の年代測定法)じゃないんですけど。結局この掲示板のオーナーさんが苦労してつくったHP読んで無いでしょ。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/carbonradio14.html
これを読んだ上で、もう一度議論しましょ。あ、科学は多数決じゃないなんてのは無しですよ。
ちなみに、デムパというのは、ネット用語で「電波」をさします。「私は世の科学者誰一人として気付かない真理を発見した」とか、「神様から予言を授かった」とか、「隣の住人に命を狙われている」とか、「白いワニが追いかけてくる」などと言ってる人を、総称してデムパと呼ぶことが多いようです。
To:天地人さん
初めまして。
>創造論者も、宗教は宗教と割り切れば良いのに。
そうは行かないらしいんですよね。特にキリスト教でも、ファンダメンタリストと呼ばれる人々は(個人的には原理主義でも同じだと思うけど)、神に特別な存在として創られた人だからこそ生きる意味があるんだそうです。猿と共通祖先を持つのであれば、生きる価値が見出せないんだそうです。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。