このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
>なお、今後は当サイト内では、郷に入っては郷に従えということわざにのっとって、進化や創造論の定義は当サイトのそれに基づくことにします。
いかにも、ここのローカルルールに従いましょうと言わんばかりの発言ですが、ローカルルールなのはパラドックス さんです。
いわゆる生物学で言う進化は、生命発生後の話です。
言葉の意味として、そう言う意味なのだから、従いましょうよ。
でね、科学としての「進化論」を支持する人は、その他の科学もたいてい支持します。
だから、最初の生命を神が作ったと考えるよりは、何らかの化学的なメカニズムで発生したと考える人の方が多いでしょう。
同時に、生命の材料は、星のかけらだと言うことを支持する人も多いでしょう。
だからといって、宇宙物理学は進化論の一分野だと言うことにはならないでしょう。
たしかに匿名希・望さんの言うとおり、くだらないと言えばくだらないことです。
でも、くだらないことに執着しているのはパラドックスさんです。
彼も「素人の日常会話表現のアラ探し」と言っているように、アラのあるのはパラドックス さんのほうです。
*匿名希・望さん
>いつから此処は辞書厨の運動場になったのですか?素人の日常会話表現のアラ探しよりやるべき事があるでしょうに。>>
進化生物学のテーマに生命起源が含まれるかということと、進化生物学者と創造論者の相違点に関しては私が最初に独自の主張をしました。それに最も熱心に反論してきたのが流木さんです。何度かのやり取りがあって、もう一通り意見は出尽くしたかな、と思って「見解の相違ですから、いつまでも続けてもキリがありません」と、議論を終わりにしようと呼びかけたのですが、それを無視して相変わらず強硬に反論を続けてきました。流木さん自身は、生命起源についてはよく知らず関心もないと言いながら、です。他の方へのレスからもわかるとおり、流木さんは単に批判のための批判や些細な言葉の揚げ足取りをすることに異常なまでの生きがいを感じているようです。なんだかそんな流木さんが哀れに見えてきました。
なお、今後は当サイト内では、郷に入っては郷に従えということわざにのっとって、進化や創造論の定義は当サイトのそれに基づくことにします。
*diamonds8888xさん、参考文献を教えていただいてありがとうございます。
*匿名希・望さん
>いつから此処は辞書厨の運動場になったのですか?
進化論という言葉を自分勝手な定義で使っているという自覚がない人に対しては、辞書的な説明をするしかないではありませんか。「バカバカしい」というのは簡単ですが、勝手な定義を振り回す相手に対して他にどういう方法があるのか具体的に示して下さいね。
>素人の日常会話表現のアラ探しよりやるべき事があるでしょうに。
日常会話の表現でしょうか?進化論という言葉を自分勝手な定義で使っているからわけのわからない話になったのです。進化論と創造論との基本的な違いは、「無生物からの生物の発生を説くか、神による創造を認めるか」にあるのではなく、「現在の多種多様な生物は共通の祖先を持つか、ウマはウマ、イヌはイヌとして別々に生まれたか」という点にあります。これはアラ探しではありません。
>それと、ラマルキズムは間違いなく科学的仮説ですよ。
検証可能でありその結果否定されたのですから。
ラマルクの進化論を「科学的な仮説ではない」といつ述べたのでしょうか?パラドックスさんが「無生物からの生物の発生を説くのが科学としての進化論だ」とおっしゃったので、「じゃあ、ラマルク説はどうなんですか」と述べたのです。ラマルク説は少なくとも現状では科学的に否定された仮説です。そして、ラマルク説が否定されたのは、生物の進化のメカニズムに関するところに関してです。
なお、「ラマルク説は、ネス湖の怪物よりも空中浮遊の側に近い」といったのは、リチャード・ドーキンスです。『ブラインド・ウォッチメイカー』をお読み下さい。
いつから此処は辞書厨の運動場になったのですか?
素人の日常会話表現のアラ探しよりやるべき事があるでしょうに。
それと、ラマルキズムは間違いなく科学的仮説ですよ。
検証可能でありその結果否定されたのですから。
*パラドックスさん
>私が進化論という言葉を使ってきたのは、基本的には、科学としての進化論、通常の意味での進化論です。
これは「後出しジャンケン」の類ですよ。自分の議論の破綻がわかってくると、「わたしが使っている○○の意味は実は××だった」とかいい出す人がいるものです。樋口裕一『頭がいい人、悪い人の話し方』(PHP新書)などご参照下さい。
>しかし創造論者の中にはいろいろな考えがあって「神様は進化するように生物を創られた」という立場もありうるわけです。とすると創造論者と科学としての進化生物学者、進化論者の違う点は、最初の生命の発生について神の力を介在させるかどうかだと思います。
最初の生命の発生について神の力を介在させなかったとしても、それが「科学としての進化論」になるわけではありません。ラマルクの進化論は科学ですか?あなたが「生命の発生は進化生物学の対象です」というご主張を正当化しようとして挙げたリチャード・ドーキンスの『ブラインド・ウォッチメイカー』(早川書房)の下巻の最終章でラマルクの進化論はどう扱われていましたか?ラマルク説は、ネス湖の怪物よりも空中浮遊の側に近いと評されていたのではありませんか。最初の生命が神の力の介在なしに誕生したとしただけで、科学としての進化論と呼べる保証にはなりません。
>「生命起源が進化生物学と密接に関係している」のなら、それは進化生物学の研究テーマだと思います。
普通に進化といえば、生物の進化のことです。進化論といえば、生物の進化を扱っています。このサイトのトップページのQ&Aをお読みになったことがないのでしょうか。引用しておきますので、ご参照下さい。
>Q.進化って何ですか?
>A.このページでは進化を「少数の単純な生物が長時間かけてさまざまな生物に変化すること」と定義します。どのようなメカニズムにせよ、進化が起こったと考えている人は進化論者です。
>Q.進化が正しいとすると、神さまはいないのでしょうか?
>A.いるともいないとも言えません。神がいるかどうかという問題は、科学の範囲外です。進化が正しいかどうかという問題と、神がいるかどうかという問題は別問題です。進化論と信仰を両立させている科学者はたくさんいます。
あなたがご自分で勝手な進化論の定義を作って、それを周りに振り回すのは単に誤解と混乱とをもたらすものでしかありません。
あなたは、ドーキンスが「自然淘汰が地球上でどのように始まったかは、依然として正確にはわからないが、生命の起源についての確実に受け容れられる説明が欠けているからといってダーウィン的な世界観全体に対する障害であるかのように受け取るべきではもちろんない」と述べたことの意味をどう理解しておられるのでしょうか。生命の発生についてわからないとしても、生物の進化を突然変異と自然選択で説明しようとするダーウィン派の進化論にとっては障害とはならないとドーキンスは述べているのです。なぜなら、ダーウィン派の進化論は最初の生命が誕生したあとの話だからです。
最初の生命がどのように誕生したのかが解明されれば、それは確かに興味深いことかも知れません。ロシアの生化学者オパーリンのコアセルベート説やそれを検証したミラーの古典的な研究もありますが、現時点では無生物から生物を発生させることには成功していません。ドーキンスは実験室で生命を誕生させることができればもちろん大いに喜ぶでしょうが、彼が『ブラインド・ウォッチメイカー』で述べているのは、「砂漠に時計が落ちていたら、誰もがその時計を作った職人の存在を想い浮かべるだろう。まして時計とは比べ物にならないほど精巧な生物の身体であれば…」云々という創造論者の主張に対する反論です。そこで説かれているのは、例えば、「人間の目のような複雑な器官が偶然にできあがるはずはない」といった主張への反論です。そうした反論にとっては、最初の生命がどのようにして誕生したのかわかっていない現状は何の障害ともなりません。ドーキンスは最初の生命からいかにして現在の生命の多様性がもたらされたのかを説明しようとしているのです。その説明にとって、最初の生命がどのように誕生したのかは必要不可欠な問いではありません。
パラドックスさん
> 私は進化論と進化生物学を特に区別せずに使ってきました。今後は原則として{進化生物学}で統一します。
それがよろしいでしょう。問題は「進化論」という言葉の定義だったんですが、これについてはパラドックスさんが通常とは異なる定義を使っていたのですから訂正されるのが良いでしょう。というか「進化」の段階と「生命発生」の段階の区別ですね。
もちろん両段階は連続的に続いていたのでしょうから明確な時点で境界が引けるとは思えませんが、境界から離れて見ればその違いはあります。
生命の起源を扱っている本というとこんなところでしょうか。伏見譲さんは進化分子工学なんてのも研究されてますね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4621073834/qid=1133906580/sr=1-5/ref=sr_1_10_5/503-2549157-3970361#product-details
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4621049941/qid=1133906580/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/503-2549157-3970361
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4320055470/qid=1133906580/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-2549157-3970361
日本人のノーベル賞受賞者
日本人のノーベル賞受賞者は、物理学、化学、医学・生理学の分野など受賞者数が何と12人もとイタリアに並び世界7位前後も受賞。
逆に人口14億人もいる凶産中国はたった2人のみ(笑)。軍国韓国は平和賞1人のみ(笑)。凶産北朝鮮に至っては0(笑)。台湾0、フィリピン0・・。
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~simoyama/novel-all1.htm
日本人のノーベル賞受賞者の時代がくると欧米人が高く評価している。ノーベル賞級という最強の頭脳を多く生んできた日本人。日本人が開発した独特の日本語は人類への正に偉大なる貢献と言えそうだ。
ところで日本語は実に微妙な表現が可能であり『 高度な論理性 に優れている 』のは、使い難い漢字以外に、日本人が独自に開発した接続詞を含む『 ひらがな 』があることにある。
日本民族は古い時代に輸入した使い難い漢字をそのままでは決して使わず、原型に拘(こだわ)らない改革、改造、改修をして微妙な表現も可能とする超高度言語に進化させたのだ。
数々のノーベル賞者を育てる日本人が生み出した優れた『 日本語 』その奇跡の言語は『 高度技術社会 』への最大最強の戦力となっている。
この優れた『 日本語 』とは逆に、凶産中国語、凶産北朝鮮語、軍国韓国語は『 低技術言語 』であり、『 高度コンピュータ言語 』にまったく向いていない欠陥は『 致命的 』。
日本語という優れた『 高度技術や理論を発達させる言語 』に、憧(あこが)れ、羨(うらや)み、妬(ねた)み、中朝韓バカ三国が、『 日本語 』を略奪したくもなるは間違いない。
『 日本人が優れている 』のか。『 日本語が優れている 』のか。はたまた『 日本人も日本語も優れている 』のか!
ミケさんへ
>進化論と創造論を科学と宗教みたいに対比させるのは間違い。もちろんダーウィンに代表される、通常の意味での進化論は科学なんだけれど。>>
私が進化論という言葉を使ってきたのは、基本的には、科学としての進化論、通常の意味での進化論です。
>どんな立場の進化論者も、「生物が共通祖先を持ち、現在における生物多様性は進化の産物である」という点では一致しいています。>>
その点についてまったく異論の余地はありません。しかし創造論者の中にはいろいろな考えがあって「神様は進化するように生物を創られた」という立場もありうるわけです。とすると創造論者と科学としての進化生物学者、進化論者の違う点は、最初の生命の発生について神の力を介在させるかどうかだと思います。
*カクレクマノミさんへ
>生命起源は進化論の一部か?」という問いと「生命起源は進化生物学の対象か?」という問いがごっちゃになっているように思います。進化論と進化生物学はイコールではありません>
私は進化論と進化生物学を特に区別せずに使ってきました。今後は原則として{進化生物学}で統一します。
>生命起源が進化生物学と密接に関係していることは確かです(だから進化生物学の本に登場する)。しかし直接研究対象になるかどうかは論じてもしかたないでしょう。タンパク質の性質は有機化学の対象ですか?それとも生化学の対象ですか?議論するほうが馬鹿げています。>>
一般論として、ある研究テーマが複数の学問分野で重複することはよくあることだと私は言ってきました。タンパク質の性質もその一つだと思います。しかし「生命起源が進化生物学と密接に関係している」のなら、それは進化生物学の研究テーマだと思います。ただし、このテーマにアプローチしようとするなら進化生物学以外の学問から得られた知見を必要としています。
>しかし直接研究対象になるかどうかは論じてもしかたないでしょう。>
私はこの問題がこれほど反響を呼ぶとは思っていませんでした。とりわけ熱心に反論してきたのが流木さんです。途中でこちらから「見解の相違です。いつまでもキリがありません」と議論を納めようとしたのですがその呼びかけに応じず、「見解の相違ではなくあなたが間違っているのです」とさらに反論のレスを書いてきました。流木さん自身、生命の発生は関心がなく詳しくは知らないと認めている問題にもかかわらず、その後も延々と反論をし続けてきたのです。
その結果第三者からすれば「直接研究対象になるかどうかは論じてもしかたないでしょう。」とうんざりするようなやり取りを続けなくてはならなかったという事情を、ご理解願いたいと思います。
*JA50さん
>今ある証拠から、生命を創造した存在は、こういう能力を持つものであろうという仮説をたて、その検証を行うとしたら、それは科学たり得るんじゃないかなぁ。
エルドリッジの『進化論裁判』(平河書房)によれば、創造科学の支持者は「神様は今は作用していない法則によってこの世界をお造りになられた」と主張しているので、この世界を調べて神様のことを推測するのは無理なようですよ。
>ただ、もしその存在が、全知全能とかいうようななんでもありというようなものだったら、それは科学の対象に成り得ない。なんでもありじゃ検証できないんだから。
それ以前に、全知全能でなかったら、そんな存在を神とは呼ばないんじゃありませんかね。
もっとも、古くから神義論として知られているように、神様が、よくいわれるように、「全知」で「全能」で「正義」だとすると実は矛盾が生じることになります。簡単にいえば、「世の中にはなぜ悪が存在するのか」を説明しようとすると、「全知」「全能」「正義」が矛盾してしまうのです。世の中に悪があることは全知なら神様は当然知っている。全能なら悪を止めさせることもできる。にもかかわらず、現に悪はあるわけです。神が正義なら、悪があることを知っており、悪を止めることもできるのに放置しているのは不可解です。となると、神は正義ではないのか…。とかそういう話になるわけです。
*匿名希・望さん
>少なくとも当時の無神論者・唯物論者に対する風当たりにも考慮して文脈を読む必要はありますが。
不可知論者だといい換えても、それで風当たりが弱まるとも思えませんけどね。むろん、本人が「私は不可知論者だ」といっただけでは、世間には「わたしは天皇の隠し子だ」という人もいるわけですから鵜呑みにはできませんが、少なくとも『種の起源』におけるダーウィンの態度はあえていえば不可知論でしょう。生命の起源については触れていないのですから。
>当時の科学において神や霊的な存在がマトモに考察の対象になっている事を踏まえた時に、物質のみを考察の基盤に置く事の意味合いは現在とは随分違うはずです。
当時でも、霊的な存在なるものをまともに考察の対象にしていたわけではないんですけどね。まぁ、ウォレスは心霊術に凝っちゃいましたけど。マイケル・ファラデーなんかは、テーブルターニング(西洋板のこっくりさん)を批判的に研究して啓蒙的な科学書を書いたりしています。当時でも、既に批判されていたんですよ。
>生命起源はどこの分野で扱おうと科学の対象であり神による直接的な介入を想定した時点で科学の道を踏み外すでしょう
説明要因として「神」を持ち出した時点でアウトというのはその通りだと思いますが、「生命起源はどこの分野で扱おうと科学の対象であり」というところはよく意味がわかりません。別に、科学じゃなくて宗教が生命の起源について論じても構わないんじゃありませんかね。問題となるのは、そうした解釈を「科学」だと主張したり、公立学校の理科の時間に進化論と同じ時間だけ教えろとか要求する点でしょう。クリスチャンが「この世界とそこに生きるものは神様がお造りになりました」と信じていても、それ自体が問題となるわけではありませんからね。創造論と創造科学とは区別して扱うべきでしょう。
今ある証拠から、生命を創造した存在は、こういう能力を持つものであろうという仮説をたて、その検証を行うとしたら、それは科学たり得るんじゃないかなぁ。
その存在をどう呼ぼうと勝手で、「神」と呼んでもいいし、「盲目の時計師」でもいいのじゃないでしょうか?
ただ、もしその存在が、全知全能とかいうようななんでもありというようなものだったら、それは科学の対象に成り得ない。なんでもありじゃ検証できないんだから。
少なくとも当時の無神論者・唯物論者に対する風当たりにも考慮して文脈を読む必要はありますが。
当時の科学において神や霊的な存在がマトモに考察の対象になっている事を踏まえた時に、物質のみを考察の基盤に置く事の意味合いは現在とは随分違うはずです。
少なくともダーウィンが『種の起源』で生命起源を扱ってない事が論点とは関係無い事は確かですが。
生命起源はどこの分野で扱おうと科学の対象であり神による直接的な介入を想定した時点で科学の道を踏み外すでしょう。
晩年のダーウィンは、自らの立場は「不可知論」であると述べています。
「私は極度に変化を重ねてきましたが、神の存在を否定するという意味での無神論者であったことは一度もありませんでした。私はむしろ不可知論者という言葉が、私の心の状態をより正確に表していると、今は考えるのです」(1879年、ジョン・フォーダイスとの対話におけるダーウィンの発言より)
>世間には、自分は関心もなくよく知りもしないのにただ批判のための批判や揚げ足取りばかり果てしなく繰り出してそのことに生きがいを感じている方がいるようなので、
世間には、自分のトンチンカンな間違いをいつまでも認めようとせず、反論のための反論や屁理屈を果てしなく繰り出してそのことに生きがいを感じている方もいらっしゃるようですけどね。
*匿名希・望さん
>『種の起源』には無いかもしれないけど、その他の論考からはダーウィンが唯物論者である事はかなり明白だし少なくとも生命起源についても唯物論的な見解を持っていたはずですよ。
ダーウィン本人の立場は不可知論でしょう。唯物論と不可知論とはイコールではありませんよ(無神論と唯物論との区別はこの際置いておくとして)。
物事の説明要因として神様を持ち出さないからといって、唯物論とはいえません。「リンゴはなぜ落ちるんですか」と問われて、「それは神の愛です」なんて説明はしませんけど、だからといって「力学は唯物論だ」とはいいませんよね。
ミケさんへ
本当はあなたみたいにきちんと論理的でまともに筋の通った異論をお持ちの方と議論したいのですが、世間には、自分は関心もなくよく知りもしないのにただ批判のための批判や揚げ足取りばかり果てしなく繰り出してそのことに生きがいを感じている方がいるようなので、そっちの応対に時間を割かれて、結果的に他の方へのレスがどんどん後回しになってしまわざるを得ないのです。決して意図的に無視しているのではないということをご理解ください。
>したがって<「神様は生物を進化するようにお造りになった」というクリスチャン>は進化論者です。>彼らは進化論者であり創造論者なわけ。分かる?
その場合、一般的には疑似科学的な意味での進化論者じゃないんですか。
>故に進化論と創造論を科学と宗教みたいに対比させるのは間違い。
この点について反論することができますが、次回にします。
『種の起源』には無いかもしれないけど、その他の論考からはダーウィンが唯物論者である事はかなり明白だし少なくとも生命起源についても唯物論的な見解を持っていたはずですよ。
別に生命起源が創造論者と進化論者を分ける点と言う主張には同意しないけど、生命起源が進化生物学の対象になっても何の問題も無いですよ。
間違っているのは「生命起源に謎があるから進化論は証明できない」という主張であって、「扱わなくて良い」と「扱えない」とは似て非なるものだと思いますが。
「生命起源は進化論の一部か?」という問いと
「生命起源は進化生物学の対象か?」という問いがごっちゃになっているように思います。
進化論と進化生物学はイコールではありません。そもそも進化生物学は学問分野の名前で、進化論は理論の名前なので、イコールのわけがありません。
生命起源が進化生物学と密接に関係していることは確かです(だから進化生物学の本に登場する)。しかし直接研究対象になるかどうかは論じてもしかたないでしょう。
タンパク質の性質は有機化学の対象ですか?それとも生化学の対象ですか?議論するほうが馬鹿げています。
しかし「進化論か?」の問いには明確に答えることができます。進化論とは生物集団の変化と適応についての理論です。起源についての理論ではありません。
これはもう慣習的な言葉の意味です。論理的にどうこうではなく、「進化論」という言葉はそういう意味で普通使われるんです。進化論と生命起源が密接に関係していることは疑うべくもありませんが、言葉の意味として「進化論」に生命起源は含まれません。
もちろん、「そんな意味はおかしい。今から言葉の定義を変えるべきだ。」という主張は可能です。それに対する反論としては、「今の意味での進化論者であり、かつ起源だけは創造(あるいは、起源について特定の考えを持たない)」という人(実際にいる:「種の起原」でのダーウィンなど)をどう位置づけることになるのか、ということが言えます。
(進化論=科学vs創造論=宗教という枠組の問題点については、すでに流木さんとミケさんが指摘しているので割愛。)
パラドックス さんへ。
あなたの論点は進化生物学の発展云々じゃなかったでしょう?
『進化論者と創造論者を分ける本質的な違いという点で生命の発生は重要である』
という主張だったはず。
11月26日(土)23時41分13秒
11月26日(土)08時39分30秒
11月25日(金)19時48分3秒
以上の時間に投稿されたご自分の文章を参考のこと
******以下11月29日(火)01時12分10秒に投稿したものを再掲******
本質を見失っているように見えます。
どんな立場の進化論者も、「生物が共通祖先を持ち、現在における生物多様性は進化の産物である」という点では一致しいています。
そして「生物は共通の祖先を持つ」と言う考えこそが、進化論で一番重要な部分。
したがって<「神様は生物を進化するようにお造りになった」というクリスチャン>は進化論者です。
彼らは進化論者であり創造論者なわけ。分かる?
故に、進化論者と創造論者を厳密な意味で分けることはできません。
だからこそ、ミケの11月27日(日)12時58分38秒 の投稿では、
『進化論を採るひと』と『聖書は一語一句正しいという意味での創造論(あるいは創造科学)を採るひと』というふうに分けたんです。
《進化か創造かを採る》という考え自体、両者の本質を理解してないと言う点ではダメダメです。
《自然発生か創造か》の選択と
《変化してきたか不変か(共通祖先を持つのかそれぞれ独自に発生したのか)》の選択
という二つの問題を分けて考えることができていないのですから。
なお、世の中には『進化論を信じる(宗教っぽく)』という人も存在する(あるいはかつて存在した)こと、お忘れなく。
故に進化論と創造論を科学と宗教みたいに対比させるのは間違い。
もちろんダーウィンに代表される、通常の意味での進化論は科学なんだけれど。
******以上再掲******
二度も同じ文を投稿してすみません。
>AH1さん、PDX.さんへ
えー、レスありがとうござんす、またも亀レス申し訳ねえ。
で、虫のあれこれについてでやすが、確かに人の目には派手に見えても、虫の目には?ってえとこはありやすよね。
PDX.さん>昆虫は紫外線のほうに寄っているんだったかな?
有名なのはモンシロチョウの翅でやしょうか↓。
http://www.asahi-net.or.jp/~EP3N-KIZM/digicam/digi06.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~EP3N-KIZM/digicam/digi06.htm
虫についちゃあ、これ以外にもあの複眼とか単眼とかの具合がどうなのかとか、色々とあっしみてえなモンにゃあ見当がつかねえことが多いですね。
AH1さん>すると茶系の模様はそれなりに隠蔽的な気もします。
案外、蛾の羽の模様なんてのは、同属には目立つけど、捕食者には隠蔽的なんてことがあるかもしれやせんね。
ただ、シロヒトリみてえに小せえモンならともかく、オオミズアオはやっぱり目立ちやすよねぇ。
まあ、あんぐらいでかくなっちまうと、そうそう採って食おうなんてぇやつもいねえのかもしれやせんが(実際はどうなんでやしょう?自信なし)。
月並みな言い様になっちまいやすが、このあたりは繁殖と(被)捕食、コスト(リスク)とベネフィットの兼ね合いってえことになるんでやしょうかねぇ。
>昔家で飼ってたインコは、鏡の中の自分の姿に強く反応してたなあ。
ペットショップに鳥かごに入れる鏡を売っているな。
わしの家のインコはその鏡に向かって噛み付いていたな。
(でも、鏡がないとゆん殿のインコのようにピーピー鳴いてうるさい)
>犬はテレビに全く興味を示しませんね(うちの犬だけ?)。どうもちゃんと見えていないようです。
前飼っていた犬は、子犬のころは反応していたが大人になってからは反応しなくなったし、
今の犬はテレビの犬にはまったく興味なしじゃ。
だいぶ個体差があるみたいじゃな。
*パラドックスさん
>***当時のドイツの社会背景を知るために歴史学においてなされた研究成果を活用するならば、と仮定しませんでしたか。昔の経済現象って経済史の領域に含まれるんじゃないんですか。
社会背景=昔の経済現象ですか。一体、どういう思考回路をしておられるのでしょうか。
>**経済史については独自に勉強しました。
ということは、学問的にきちんとトレーニングを積まれたわけではないわけですよね。
>フランス革命史を専攻している先生を商学部に迎えた同志社と経済学部に迎えた日本大学とどっちが正しいのでしょうか。
どの学部に所属するかと、その人の専攻とが必ずしも一致するわけではありませんよ。常識ではないのでしょうか。
>そんなことはどっちでもいいんです。もともとこの二つの学部は隣接していますから、どちらに分類しても差し支えない講義がたくさんあるんです。
学部と学問分野とは必ずしも対応していません。区別がつかないのでしょうか。
>経済史という学問があります。これは経済学と歴史学の研究課題の重複する領域にあります。>>よいですか、ハイパー・インフレーションに関する論文だといいましたよね。なぜ、それが経済史の話になるんですか。
***当時のドイツの社会背景を知るために歴史学においてなされた研究成果を活用するならば、と仮定しませんでしたか。昔の経済現象って経済史の領域に含まれるんじゃないんですか。
>そもそも、あなたは経済史(学)ってちゃんと勉強したことがあるんですか?
**経済史については独自に勉強しました。特に小林良彰先生の本から多大な影響を受けました。先生は学生時代に日本資本主義論争に関心を持ち、その流れでブルジョア革命、フランス革命を専攻するようになりましたが、経済史全般にわたって造詣を深めていかれました。小林先生は東京大学文学部西洋史学科を卒業後、同志社大学商学部教授を経て、日本大学経済学部教授を勤めた後、定年で学究の一線から身を引かれました。その間、先生の専攻はずっとフランス革命史でした。
フランス革命史を専攻している先生を商学部に迎えた同志社と経済学部に迎えた日本大学とどっちが正しいのでしょうか。そんなことはどっちでもいいんです。もともとこの二つの学部は隣接していますから、どちらに分類しても差し支えない講義がたくさんあるんです。
*パラドックスさん
よいですか、あなたは
>私が言いたいのは、
>(1)「進化論の立場に立つものは最初の生命は何らかの物理化学の法則によって生じたと考えている」
>(2)「創造論、創造科学の立場に立つものは最初の生命は創造神の営みによって創られたと考えている」
>(3)「進化論者と創造論者を分け隔てる最も大事な点は、最初の生命がどのようにして発生したかである」
>ということです。
と主張されたのです(丸つき数字は機種依存するので、変えてあります)。
さて、ダーウィンは「最初の生命は何らかの物理化学の法則によって生じた」とは論じていません。となると、世間では進化論者だと考えられているダーウィンは実は進化論者ではなかった(!)のか、あなたのおっしゃる「進化論の立場」なるものがおかしいかどちらかですよね。
一体、どちらだとお考えなのですか?
*パラドックスさん
>興味がなくてよく知らない問題にもかかわらず、どうしてこれほど熱心に私の主張に延々と反論してきたのですか。
「よく知らない」のは、無生物から生物の発生過程についてです。無生物から生物の発生を論ずることが進化論の対象でないことはよく知っていますよ。
>ダーウィンが生命の発生を論じたかを基準に生命の発生は進化論のテーマではないというのは間違っています。ダーウィンただ一人が進化生物学者ではありません。進化生物学者が生命の進化について論じていれば、それは生命の発生が進化生物学のテーマであることの証拠になります。
ダーウィンは無生物から生物の発生は説いていません。あなたのご主張ではダーウィンは進化論者ではなくなりますけど(笑)。
進化論者かどうかの判断基準として、無生物から生物の発生を論じているかいないかを使えないことは、ダーウィンという反証がある以上明らかですよ。「すべてのカラスは黒い」という主張は、1羽でも黒くないカラス(例えば、白いカラス)がいれば反証されます。同様に、「無生物から生物の発生を主張するのが進化論の立場だ」とするあなたのお立場は、無生物から生物の発生を論じていないダーウィンという進化論者が存在する時点で反証されているんですよ。まだおわかりになりませんか。
>生命の発生過程に興味はないんでよく知りませんが、
興味がなくてよく知らない問題にもかかわらず、どうしてこれほど熱心に私の主張に延々と反論してきたのですか。
>あなたは無生物からの生物の発生(化学進化)を認めるのが進化論の立場だとおっしゃっているわけですが、既に指摘したように、ダーウィンは『種の起源』で生命の起源を論じてはいません。>>
ダーウィンが生命の発生を論じたかを基準に生命の発生は進化論のテーマではないというのは間違っています。ダーウィンただ一人が進化生物学者ではありません。進化生物学者が生命の進化について論じていれば、それは生命の発生が進化生物学のテーマであることの証拠になります。
1.R.ドーキンス「盲目の時計職人」<第6章 起源と奇跡> 早川書房
2.〃「利己的な遺伝子」<2.自己複製子> 紀伊國屋書店
3.J.メイナード.スミス、E.サトマーリ「生命進化8つの謎」<3.化学から遺伝へ><4.RNA世界から現代世界へ> 朝日新聞社
他にも進化生物関連の本で最初の生命の発生について論じた本はまだあります。と言うより、それについて進化生物関連以外の本で読んだことがありません。
>広い意味では「生化学」じゃないんですか。(略)元々は化学ですが、今では生物学に含める人もいますね。
進化生物学は生物学の一分野です。生化学が化学と生物学の両方にまたがっているのと同様に、生命の発生は生物学の下位の領域である進化生物学と生化学と、化学との両方のテーマだと思います。
>あなたは、学者の個人的な興味・関心とその学問分野の本来のテーマとの区別がついていないように見えます。また、ある学問とその周辺領域との関係についてもずいぶんと混乱しておられるようにお見受けします。
学問の発展って、そういうものではないのですか。それぞれ別個の学問だったのが、研究が進んでいくうちにお互いの研究成果を活用し、やがてそれが一つの学問の単位になりうると思います。流木さん自身、「生命の発生について広い意味では「生化学」じゃないんですか。もっとも、生化学といってもその対象領域は多岐に渡ります(医学や農芸にも関係します)し、その名前からおわかりのように、元々は化学ですが、今では生物学に含める人もいますね。」とおっしゃっているではありませんか。
>そいつはそれからずっとその鏡に寄り添って眠るよう
になりましたとさ。
な、涙せずして読めへん話や(T○T)
それにしても罪なことを…。
昔飼っていた馬鹿犬は、テレビドラマで家と同じチャイムの音がなると、慌てて玄関にお出迎えにいってたな。映像には全然反応しなかったけど。
犬はテレビに全く興味を示しませんね(うちの犬だけ?)。どうもちゃんと見えていないようです。
インコやオウムはあの派手な姿からして、相当視覚(色彩)に依存しているんじゃないでしょうか?
昔家で飼ってたインコは、鏡の中の自分の姿に強く反応してたなあ。
いえね、つがいで飼ってたインコが連れ合いを亡くして寂しそうに
してたんで、つい口笛でインコの鳴きまねをしてやったんですよ。
そしたらそいつ、連れ合いが生き返ったものと思って、必死で鳴き
返すの。ぴぃぴぃぴぃぴぃ、しまいにゃ咽が枯れて声が出なくなる
まで鳴き続けて、痛ましくて見てられない。苦肉の策で小さな鏡を
カゴの中に設置してやったんですが、そうするとようやく鳴き収ま
りましてえ、そいつはそれからずっとその鏡に寄り添って眠るよう
になりましたとさ。
インコも視覚優位なのかなあ。
>これでもボクは結構、犬にはモテるのです。
wadjaも犬を飼ってないけど、犬にはもてる確率が高い。
ひょっとして、人間よりも犬に近い体臭でも漂わせてるんか?
真剣に考えると悩みそうな話やな…。
おーい、ファブリーズ取って!
>「お、おい、こ、このおっさん、油脂を塗りつけただけの紙に発情してるぞ...アブナいから近づかないでいよーぜ...。」
ワラタ
猫は鏡にうつった自分の姿には異様に興味を示すよね。あいつらは視覚優先なんやろか?
これでもボクは結構、犬にはモテるのです。
発情期の犬が立ち上がってボクの脚を抱きしめて荒い息をしたりすることが結構あります。
問題は、そんな犬はみんな、オスなのです...。
(別に、メスならお相手可能だ、というわけでもないですけど...(^_^;) )
ボクは彼らからはどう見えてる(匂ってる)のでしょうね...?
ま、紙に印刷した、したがって全くふくらみもくびれもないヌード写真を見て発情するボクが、偉そうなことを言う資格はないけれど...。
多分犬たちから言わせれば、
「お、おい、こ、このおっさん、油脂を塗りつけただけの紙に発情してるぞ...アブナいから近づかないでいよーぜ...。」
人間の視覚で見ると派手だけど、捕食者の視覚だとまた違う見え方をする虫なんてのもいるんじゃないでしょうかね?
人間にとってはカラフルだけど、モノクロでしか見えない動物にしてみれば複雑な模様でしかなくて、モザイク処理されたように見えるとか(笑) 保護色の中には、周囲と同じ色合いになることで隠蔽というのもあるでしょうけど、マダラ模様とか縞模様とかを強調する事でで輪郭を目立たなくする物もあるでしょうし。
まして、人間とは異なる波長の領域を見ている動物の場合さらに事情が変わってくるでしょうしねぇ。昆虫は紫外線のほうに寄っているんだったかな?
>日中は隠れているというとオニグモかなあ。あれは地味ぽですね。
隠れてる、と言う印象は無いですね。
子供の頃あれで蜘蛛合戦をしましたから(近所に他の蜘蛛はいなんだ)
記憶違いかもしれませんが。
出身はホカイドー南西部です
お邪魔いたします。
>微妙なとこでやすが、蜘蛛なんてなあ、いかがなもんでやしょ?
>連中は大概夕方くれえに巣を張り始めやすよね。
コガネグモ、ジョロウグモは日中でもよく網に止まってますから、夜行性とは呼べない(少なくとも日中の光に身を晒している)ような。だからってあんな色してる必要が何故あるのかは存じませんが。
日中は隠れているというとオニグモかなあ。あれは地味ぽですね。
ガは夜間に視覚で狙いに来る捕食者が少なそうなんで(アオバズクとかヨタカとか夜行性で虫食性の鳥もいますが)、日中、休んでいる時に見つからないのが重要な気がいたしまする。すると茶系の模様はそれなりに隠蔽的な気もします。
・・しかしオオミズアオってどこにいても目立ちそうですな。それとも大きな葉っぱの裏にでもいれば意外と見えない?
さらにゲロ派手な奴らは・・ 警告色?
>おそらく、彼らの脳内には嗅覚マップが活き活きと出来上がっていることでありましょう。
犬くれえになると、臭いにも「地味・派手」があるんじゃねえですかね。
「3丁目のシロのやつぁ、臭いは派手だが、あれでなかなかしっかりモンだぁね」
なんてね。
犬は初対面の人の臭いを必ず嗅ぎに来やすが、嗅いだ臭いがその人の人物評ってえことになるんでやしょうねぇ。
嗅がれた後でプイとそっぽを向かれちまうと、ちょいとガックリしちまいやすね。
この掲示板にはどうしてこうも好き者ばかりが…。
今、犬の散歩から帰ってきたところだが、彼らの「臭い」に対する執着は凄いね。
特にうちの黒ラブ(♂)は、♀犬のオシッコ痕を見つけるや否や引綱がちぎれるばかりに突進するのだよ。ちょっと油断するとそれをペロペロ(笑)。
おそらく、彼らの脳内には嗅覚マップが活き活きと出来上がっていることでありましょう。
それでもするんか…オスは
個人的には、temaさんが、すげーこと言った気がする。たまごちゃんにそんな知人が居ても大丈夫なのは…。次のオフ会にたまごちゃんが来るんやったら、スタンガンの一つも持ってきそうや。
目隠しで、英語のごくごくlocalなスラングを思い出した。女性の不美人度(以下○○度)を著すのに
(1)She's a bagger.
(2)She's a two bagger.
(3)She's a three bagger.
というのがあった(少なくとも5年前までは、wadja周辺では隠語として生きていた。下品な友達が居ない人はネイティブでもきっと知らへんやろ)。ここで言うbagは、スーパーの紙袋のこと。
要はなにをいたす時に、
(1)相手の女性の顔に、紙袋をかぶせないと出来ないくらい○○。
(2)相手の女性の顔に、紙袋をかぶせた上に、自分の頭にもかぶせないと出来ないくらい○○。
(3)さらに、自分の部屋にいる飼い犬の頭にもかぶせないと出来ないくらい○○
となるらしい。
んで、何が言いたいかというと、男は本来視覚中心に性行為を考えるということ(それだけかい!)
>えーと、配偶者選択においては、主に looks, sounds, smells が
>使われているのではにゃーかということでしたにゃ。
>で、タノチイのは feels, tastes ・・・・・げへへへへへ
カラダの相性がいいとか悪いとか、いうこともあるから、
tastesが効いてくることも、多少はあるんじゃないかってね。
いちばんもてるのは、「紅顔の美少年」なんでしょうけれど、
「睾丸の美少年」も、まんざらでもなかったりして...
(「厚顔の美少年」は、どうやってもだめでしょうけど。(笑))
えー、たいした亀レスでやすが…
地下に眠るMさん>夜行性か性別のない動物(含節足動物)で派手な色のものが僕には思いつかにゃー。
微妙なとこでやすが、蜘蛛なんてなあ、いかがなもんでやしょ?
連中は大概夕方くれえに巣を張り始めやすよね。
あとはひねもすじっとしてるだけなんで、「夜行性」たあ言えねえかな?
小金だの女郎だのは、なかなかイカしたカラーリングでやすよね。
http://www.amakusa.tv/kumoup.html←コガネグモ
http://hb2.seikyou.ne.jp/home/midorinokai/Files_cyoucyou/jorougumo.html←ジョロウグモ
意見(好み?)が分かれそうなのが蛾でやしょうか。
色味としちゃあ、おもに茶系で「くすんだ」色味と言えるかもしれやせんが、模様はなかなか派手な連中がそろっておりやす。
http://www.toonippo.co.jp/photo_studio/insects/choucho/yamamayu/pic3b.html←クスサン
http://www.toonippo.co.jp/photo_studio/insects/choucho/yamamayu/pic4.html←クロウスタビガ
http://www.toonippo.co.jp/photo_studio/insects/choucho/yamamayu/pic20.html←ヤママユガ
オオミズアオやシロヒトリなんてのは、夜目にはかなり目立ちやすね。
http://tosakah-web.hp.infoseek.co.jp/photo00/0006/003327.jpg←オオミズアオ
http://www.toonippo.co.jp/photo_studio/insects/choucho/hitori/pic13.html←シロヒトリ
まあ、こいつら↑をして「派手」と言えるのかってのは、ちと疑問かな?
でもこいつ↓は文句なしでやしょう
http://www.toonippo.co.jp/photo_studio/insects/choucho/hitori/pic38.html←アカスジシロコケガ
虫の苦手な方はご勘弁<(_ _)>
>>私の知人に、女と見れば繋がる事しか考えないのに…
>
>そんな奴と知人で居ると危ないのでは。
かの知人が繋がる事を考える人は、以下の条件全てを満たす必要があります。
1.女性である
2.人間の匂いがする
たまごちゃん(^-^)ノが上記の条件いずれかを満たしてないなら、大丈夫です。
まぁそんな奴でも、ちぢんでいる内は(以下自粛)
>視覚により刺激される性衝動と臭覚による性衝動を比べると、
>臭覚の方がワケワカメに強そうな気がする。恐怖感もしかり。
視覚情報は対応する名詞を多数持っています。一方、嗅覚情報は対応する名詞がほとんどありません。「臭い」とか「××の匂い」という表し方しかされません。
視覚からの刺激は対応する名詞を多数持っているため、同時並行で言語化の処理を行っていると考えます。この言語化処理が、理性を保つために役立っているのではないか、と想像します。
一方、嗅覚からの刺激は対応する名詞をほとんど持たないため、言語化処理を行わず、結果、理性が入り込む隙が少ない、と想像します。
嗅覚からの刺激が、視覚からの刺激以上に性的な衝動を引き起こすのは、上記の理由もあると考えます。
更に、言語化できないために長期間の記憶が難しく、飽きにくいということもありそうです。
>ばっかだなあ、目隠ししてするとこれがまた別の快感が(ry
目隠しに加え、私がプレゼントした変身アイテムAとBを装着すると、さらに別の世界が(ry
反応を自粛しておりますw
> 目隠しされたらちょっと自信なし
ばっかだなあ、目隠ししてするとこれがまた別の快感が(ry
永遠の17歳のお友達はいろんな人がいるピョンなぁ。
たまごどんじゃ、女の子の前では話題にできないテーマなのら。
ひょっとして‥(°▽°;)
しかしその彼、女性の匂いは汗や香水だけじゃないピョンよ。ふっ、まだまだ甘いピョンな♪
たまごどんは視覚刺激重視です。目隠しされたらちょっと自信なし(なにが?)
視覚により刺激される性衝動と臭覚による性衝動を比べると、
臭覚の方がワケワカメに強そうな気がする。恐怖感もしかり。
視覚には、膨大な量の脳の情報処理が伴うので、知性的な面が介在するような気がするけど、臭覚はもっとストレートなんよね。クンクン。
>私の知人に、女と見れば繋がる事しか考えないのに…
そんな奴と知人で居ると危ないのでは。
>配偶者選択においては、嗅覚もでかいんではにゃーか?
私の知人に、女と見れば繋がる事しか考えないのに、ソープだけは絶対に行かないという人がいます。ソープの女の子は一日に何回もお風呂に入るので、石鹸の匂いはするけど、人間の臭いがしないから嫌いなんだそうです。
ソープには絶対に行かない彼が、どうしてソープの女の子のにおいにそんなに詳しいかは謎ですが・・・。
>配偶者選択においては、嗅覚もでかいんではにゃーか?
ヒトは哺乳類の中で例外的に臭覚が鈍いけど性選択での役割は残っているというのは正しいと思うよ。
源氏物語でも子供の代になると薫君に匂宮だもんね。
香水もバラの香りみたいな植物性成分だけでは駄目で、
麝香のような動物性成分をブレンドしないと売れないそうだ。
ちなみにヒトの臭覚が鈍いのは、他の動物の臭覚を利用することを覚えたためらしい。
rrrピョンの設問(正確にはセンセの設問)は切り口が多くて、たまごどんも勉強になったピョン。解答にそれぞれの味があっていいのら。しっかし、みんな親切やね〜。たまごどんが学生のときに、みんなと知りあいたかったピョンよ。
カクレクマノミピョンも指摘ありがとなのだ。カエルの実験のデザインに興味あるのら。
kosukeピョン、ありがとなのら。
「盲目の時計職人」の記述だったピョンね。これに関する実験的確認は出来ないピョンかな?例えば、蝙蝠の体表面に超音波反射材をコーティングした群と、なにもしない群と、超音波吸収材をコーティングした群をつくって、繁殖数を追跡してみる。あらかじめ超音波の反射挙動を測定しておいた方がいいピョンな。ひょっとすると鶏のトサカのような分かりやすい目印があったりして。
あるいはモテモテの雄蝙蝠の超音波パターンを解析して、雌蝙蝠を引き付ける超音波パターンを作っちゃえないピョンかな?蝙蝠に偽の壁を認知させることが出来るみたいだピョンから、可能性はあると思うのら。蝙蝠駆除に役立つという名目で研究費を取れそうだピョン。
> あの蝙蝠さん、超音波の跳ね返りがいいのよ♪なんて萌える雌蝙蝠
ドーキンスが「盲目の時計職人盲目の時計職人」の中でそれに関して書いていますね。P70から引用。
> 私の推測するところ、、たとえ神経インパルスに翻訳される「外部の」世界の物理的媒体が、光ではなく超音波であるという風に違っているにしても、コウモリは我々とほとんど同じ方法で「見ている」はずなのだ。
> コウモリは、外部世界の差異を表すために、彼ら自身の目的に応じて、我々が色と呼んでいる感覚さえ使っているかもしれない。
(中略)
> ことによると、雄のコウモリは精妙できめ細やかな体表を持っており、それからはね返るエコーが、ゴクラクチョウの婚姻色の羽衣にも匹敵する華麗な色どりとして雌に知覚されているかもしれない。
夜の蝶もこれに類する知覚能力を持っているのかもよ。
これは全くの当てずっぽうなんだけど、大脳の感覚地野で臭覚を感じる部分と長期記憶の領域は隣接しているのではないかと思う。
昔嗅いだことがある臭いを嗅ぐと、その時の記憶が生々しく引き起こされる経験、誰でもありますよね。
やはり夜行性だったと思われる哺乳類が嗅覚に多くを頼っていた生物の名残では無いかとおもうんですがね。
シュミレーションとして比較的視力に対する依存度が高い鳥類が文化を持つと考えてみると
「キーッ、貴方踊ったでしょ!あの踊り」
「な、何だいきなり」
「とぼけないで頂戴ッ、全部知ってんのよ。受付の○○さんだっけ?あの子の前で踊ったでしょ。二人だけの振り付けだったのに、嘘つきィ〜」
とか言う世界があるんじゃないかと思うんですが。
ミュージカルがストリップのような位置になるのかな。
考えてみれば、嗅覚というのは非接触型の化学物質検知、
味覚というのは接触型の化学物質検知ということになるよにゃ。
ニンゲンの(健常者の)場合は、外界の知覚の約8割を視覚情報に依存しているという話しも聞いたことがあるよにゃ。で、どうもニンゲンはだいぶ容姿で異性を判断しているみたいにゃんね。
ユクスキュルの環境世界ではにゃーが、その種が外部世界を知覚するのにどの感覚器にどれだけ依存しているか、ということと配偶者選択をどのように行なっているかが一般的に連動しているとみることは、まあ、常識的な判断だろね。
ただ、味覚や嗅覚などの化学物質検知というのは、生化学反応炉といえる生命体として非常に原初的な感覚だろうから、これが配偶者選択において相対的に大きな役割を果たすことはおおいにありえそうだにゃ。
アシモフというのは、ご存知のように不細工にゃんが、結構もてたということらしい。
で、ある人が、アシモフにぞっこんの御婦人に「アシモフの何がいいの?」と尋ねたところ
「アシモフはね、うっとりするくらいいい匂いがするのよ」と答えたとか・・・・・
(日本人の感覚からすれば腋臭なんだろうけどにゃー・・・・)
配偶者選択においては、嗅覚もでかいんではにゃーか?
僕が高校生に第2文型の説明をするときに、こんなふうにいっているにゃ。
*****************************
She is young.
これは、彼女は若いという事実を述べているだけの文だにゃー
で
She looks young.
彼女は「見た目が」若い、という判断の根拠も含んでいる文となるにゃんね
さらに
She sounds young.
彼女は「声が」若い、となって、まあ電話での応答による印象とかいう場合などかにゃ。
さらにさらーに
She smells young.
こうなっちゃうと、そのねーちゃんの匂いをクンクン嗅いで「若えなあ、おい(ぐへへ)」という感じになってくるにゃんねえ・・・・
そしてそしてそして(だんだんと興奮してくる)
She feels young.
これになるとね、これになるとね(嬉しそう)、そのねーちゃんを撫でたり擦ったりしたうえで「おおー、若けえじゃねえかよ・・・」ということになりー
で、最後に(ハアハア
She tastes young.
これはつまりつまりー(←撲殺
(それにしてもセクハラ授業だにゃー)
*******************************
えーと、配偶者選択においては、主に looks, sounds, smells が使われているのではにゃーかということでしたにゃ。
で、タノチイのは feels, tastes ・・・・・げへへへへへ
生物学における「なぜ」という問いには4つの意味があります。
1.至近要因
それが実現するメカニズム。ミケさんの11月29日(火)01時27分39秒がこれにあたります。
2.究極要因
適応的意義。それがどういう点で生存に有利なのかということですね。
温泉カワセミさんの11月29日(火)01時40分24秒ほかいくつかがこれです。
3.発生要因
1.と関連しますが、胚発生中に目が形成されて、ロドプシンが合成されて・・。
4.歴史要因
霊長類の祖先はおそらく夜行性で、色覚は持ちませんでしたが、昼行性に進化した際に色覚を獲得し・・・。
というわけで、4つのうちどれかを指定せずに聞く先生が間違ってる!といいたいですが、そうもいかないのが宿題というやつですよ。
わかってる先生なら、4つ書いて正解かもしれませんが。
>ちょい真面目になると、視覚に頼らない動物、例えば蝙蝠の場合、性選択圧はどうやってかかるんやろ?
性選択というと精子競争、同性間闘争なども含みます。(重箱の隅的ツッコミ)
配偶者選択(※)となると、婚姻贈呈(貢がないと交尾できないのです)とか、あとは鳴き声による選択(いい声のやつがもてるのです)とかかなあ。
カエルで、ある種の鳴き声を出すオスはモテるという研究があります。(ただし、その鳴き声は捕食者のコウモリを引き付けるので、まさに命を懸けた求愛・・・)
(※)この場合の選択はselectionじゃなくてchoice。
姉歯は危ない一級建築設計士
耐震性能を3分の1として、鉄筋を減らしても工事で浮く金はたった2%程度だそうだ。
例えば1億円の建設工事でたった200万円だ。
この2%の鉄筋さえ入れておけば最重要な耐震性能が維持できたことを考えると、
やった連中は社会を舐めたことをやりゃあどうなるかこれから嫌というほど痛い目に合うだろうさ。
またこれで『大企業』や『老舗企業』への評価がどんどんと高まるさね。
人生でも同じだが、長い『経験』や『実績』が物を言うとは正にこのことだね。
若ぞうどもじゃ何するか危ねえやっぱり駄目だ。
いい仕事はお年寄りにお任せしようとなるぜよ(笑
夜の雌蝶は薄暗い光で映えるタイプが主で、明るいところに連れて行くと性的魅力が低下するのが結構いるんだピョン。たまごどんのフィールドワークで実証済なのら。雄は薄暗い光で雌蝶を識別し、その巣に入る行動をとるが、その際に数字が書かれた紙を確かめるという不思議な習性も、よく知られているのら。
ちょい真面目になると、視覚に頼らない動物、例えば蝙蝠の場合、性選択圧はどうやってかかるんやろ?狩の上手さは当然だとしても、その他は?あの蝙蝠さん、超音波の跳ね返りがいいのよ♪なんて萌える雌蝙蝠って想像してもいいピョンかな?
昼光性に対する反証:盛り場の夜の蝶
(皮膚の色がどうかは私は良く知りません。・・・本当に知らないんだってば!)
可視光線の話を眺めていての思いつきね
体色がいわゆる「派手」な動物(含節足動物)は、
・昼行性
・性別がある
の二条件を満たしているのではにゃーかと。
夜行性か性別のない動物(含節足動物)で派手な色のものが僕には思いつかにゃー。
夜行性の動物は体色が「くすんで」いるよね。
可視光線を利用した視覚的認識は、
性選択を促進させたのではにゃーかと思いついたわけですにゃ。
そういえば、派手な花の色というのがなぜあるかという答えも、
昼行性の昆虫などを媒介とした性選択といえなくもにゃーよな。
みなさま、丁寧なご指導ありがとうございます。とくに温泉カワセミ様、なるほど〜。
とりあえず今日は遅いのでベッドで色々考えるとします。ありがとうございました。
> 波長10ミクロンの遠赤外線を見分けられるヤツも聞いたことがない
とつぜん横やりでごめんなさい。
ある種のヘビは赤外線を感知するそうです。(10ミクロンかどうかは分かりませんでした)
目ではなくてピット器官とか言うとこで、「映像」として感知しているそうです。
rrrさん、
>でも、可視光線の領域はとても狭いのに地球上にいちばん多いタイプというのがいまいち納得できないんですが。
既に何人かの方からお返事が出てますが、ザクッと言うと「太陽の表面温度」と「地球大気の組成」の2つが原因です。
まず、太陽の表面温度(約6000K)から、その発生する電磁波の強度分布の中心域(つまり明るい部分)の波長は、所謂可視光線のエリアに合致します。(一番強いところは「黄色」付近)
http://www8.ocn.ne.jp/~yohsuke/solar_physics.htm の図2参照
次に、地球の大気はあらゆる波長の電磁波に「透明」と言うわけではなく、かなりの電磁波は大気を構成する分子や原子に吸収されてしまいます。例えば成層圏に多く含まれるオゾンが紫外線を吸収するというのは、有名な例ですね。太陽光の内、大気に吸収されなかった電磁波のみが地上に達することが出来るのです。
で、この大気に吸収されにくい辺りの波長を「大気の窓」と言い、その比較的纏まって大きい部分が、ほぼ可視光線の波長域に合致します。(↓リンク先では「光の窓」と書いてるトコ)
http://www.shokabo.co.jp/sp_radio/spectrum/radiow/window.htm
つまり、地上において太陽光の反射を用いて知覚しようとすれば、可視光線付近の波長域を用いるのが圧倒的に有利であったと言うだけのことでしょう。私たちは大気の窓付近の光を知覚しているので、空気というのは透明なものだと認識していますが、もしソコから大きく外れた波長の電磁波を感じていたとしたら、晴れた昼間でも薄暗くてモヤの掛かった状態にしか見えないのではないでしょうか?
もう遅いかな?
もしかしたら進化関連の宿題じゃないかも(分子機構とか)。
ロドプシンという分子が吸収する波長が可視光領域の波長だからだよ。
って、答えになるかな?
http://www.kiriya-chem.co.jp/q&a/q52.html
確かにモンシロチョウなんかはワシラにとって感知不能な紫外線領域まで識別できるけど(連中はだからワシラにはわからんハネの色で雌雄を判断する)そんなに人間と飛び離れた波長がわかる訳じゃない
波長10ミクロンの遠赤外線を見分けられるヤツも聞いたことがない
詰まるところワシラの感知できる周波数帯の狭さは他の動物と共通先祖を持つ傍証ではないかしらん
本質を見失っているように見えます。
どんな立場の進化論者も、「生物が共通祖先を持ち、現在における生物多様性は進化の産物である」という点では一致しいています。
そして「生物は共通の祖先を持つ」と言う考えこそが、進化論で一番重要な部分。
したがって<「神様は生物を進化するようにお造りになった」というクリスチャン>は進化論者です。
彼らは進化論者であり創造論者なわけ。分かる?
故に、進化論者と創造論者を厳密な意味で分けることはできません。
だからこそ、ミケの11月27日(日)12時58分38秒 の投稿では、
『進化論を採るひと』と『聖書は一語一句正しいという意味での創造論(あるいは創造科学)を採るひと』というふうに分けたんです。
《進化か創造かを採る》という考え自体、両者の本質を理解してないと言う点ではダメダメです。
《自然発生か創造か》の選択と
《変化してきたか不変か(共通祖先を持つのかそれぞれ独自に発生したのか)》の選択
という二つの問題を分けて考えることができていないのですから。
なお、世の中には『進化論を信じる(宗教っぽく)』という人も存在する(あるいはかつて存在した)こと、お忘れなく。
故に進化論と創造論を科学と宗教みたいに対比させるのは間違い。
もちろんダーウィンに代表される、通常の意味での進化論は科学なんだけれど。
>でも、可視光線の領域はとても狭いのに地球上にいちばん多いタイプというのがいまいち納得できないんですが。
えー酔っぱらってるし、パソコン手元に無いしでいーげんなことしかいえないが、確か赤の波長が0.6ミクロン位で紫が0.4位だったかね?
確かに狭いわな
うーん、これはやはり、生き物が進化の歴史の中でクロロフィルを触媒とした光合成によるエネルギー獲得という術を得た事の影響が大きいんでは?
生産者ではなく、他人様を食って命を繋ぐ身になってみりゃ緑近辺の周波数を感知できることは有利でしょうしね
>可視光線の領域はとても狭いのに地球上にいちばん多いタイプというのがいまいち納得できないんですが
量が多いというのは、照度が強いと言う意味です。
http://www.sankometal.co.jp/prod/technology/03_11.html
の、2)にある波長と照度(光の強さ)のグラフをご参考に。
宿題で出るぐらいだから、ある程度「答え」というか「正解」らしいものが用意されているってことでしょうね。とはいえ、図書館で調べた本に載っているような答えは出題者の先生も当然のように熟知しているでしょうから、丸写ししたりすると墓穴を掘るかも知れません。幼稚でもいいから、自分なりに考えた答えを書く姿勢を見せた方がいいと思います。
昔、ある学生のレポートで「拙著拙稿を参照のこと」と書いてあって大笑いしたことがありました。意味もわからずに写しちゃうとああいうヘマもやるわけですね。
同じトンチを3人つづけてかぶせるとは。さすが常連。
rrr さん、絶対的な正解が無いって前提で、こんなのはどうでしょう?
流木さんも触れているように、生物の眼には色んな特徴があります。実際紫外線や赤外線が見える眼をもつ生き物もいます。そんな色々な目の中で、主に昼間集団で採集生活をしていた人間やその祖先にとっては、木の実の色、物の形や同胞の細かい表情、あるいは遠方の獲物を見分けることの出来る目が特に有利だった。だから結果として、光量の多い可視光線の帯域に限定し、色の識別能力や解像度を重視した目を進化させた。
とか。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。