このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
同じトンチを3人つづけてかぶせるとは。さすが常連。
rrr さん、絶対的な正解が無いって前提で、こんなのはどうでしょう?
流木さんも触れているように、生物の眼には色んな特徴があります。実際紫外線や赤外線が見える眼をもつ生き物もいます。そんな色々な目の中で、主に昼間集団で採集生活をしていた人間やその祖先にとっては、木の実の色、物の形や同胞の細かい表情、あるいは遠方の獲物を見分けることの出来る目が特に有利だった。だから結果として、光量の多い可視光線の帯域に限定し、色の識別能力や解像度を重視した目を進化させた。
とか。
トンチで答えては、レポートとしてはさすがにマズイかも知れませんね。出題者がおチャメな先生ならOKでしょうが…。
さて、
>でも、可視光線の領域はとても狭いのに地球上にいちばん多いタイプというのがいまいち納得できないんですが。
カエルは動くものしか見えないと聞いたことがあります。イヌとかブタは白黒テレビのような見え方をするようです。まぁ、あれで不便はないってことでしょう。
仮に、人間の生存にとって現在の可視光線より長い波長や短い波長の光を見ることが必要不可欠だったとしたら、可視光線しか見えない個体は生存の上で著しく不利だったわけでしょう。恐らく子孫も残せず、死滅していたはずです。しかし、現在、我々はこうして生きているわけです。ということは、可視光線だけ見えれば、人間は生きていく上で別に困らなかったということでしょう。困らなければ、それで済ましてしまうわけです。人間の目は精巧にできている器官の代表みたいに思われていますが、結構変な仕組みをしているんですよね。
答えになっているとは思えませんが、頭の体操ぐらいにはなるかも知れません。ご参考まで。
*パラドックスさん
(1)創造科学は擬似科学であり、(以下略)
バカバカしい話ですねぇ。創造科学は擬似科学ですが、それは彼らが自分たちの主張を「科学」だと名乗っているからです。創造科学支持者以外のクリスチャンは、創造説を信じていますが、彼らは自分たちが信じている創造説を「科学的に正しい」とはいいません。ガラス玉はダイヤモンドを騙るからニセモノになるのであり、ガラス玉=ダイヤモンドのニセモノではないんですよ。
創造説を信ずることはクリスチャンの自由でしょうが、「創造科学」を科学上の学説として公立学校の理科の時間に進化論の話と同じ時間だけ説明しろというのは問題があるだろうということです。もし、宗教の授業とかいうのがあって、そこで創造説について説明するのなら別に問題にはならないでしょう。創造説だからダメなんじゃありませんよ。この区別があなたにはまるでつかないんでしょうか。
(4)創造論、創造科学の中に、「神様は生物を進化するようにお造りになった」という考え方があるのなら、
創造科学では、「神様は生物を進化するようにお造りになった」とはいわないでしょうね。
>科学としての進化論と、創造論あるいは擬似科学としての創造科学との違いは、
だから、進化論=科学とはいえないし、創造論=擬似科学ともいえないんですよ。ラマルクの思弁的な進化論と比べれば、キュビエの方がよほど実証的だったんですから。科学史のイロハから勉強をやり直された方がよろしいのではありませんか。
>生物の進化を認めるかどうかではなく、最初の生命発生について、まだ解明できていない何らかの物理.化学の法則、化学進化反応によるものだと考えるのか、神の介入によるものだと考えるのか、という点にあります。
ラマルクはそうでしょうね。あなたは自然哲学の時点で止まっておられるようです。
>経済史という学問があります。これは経済学と歴史学の研究課題の重複する領域にあります。さまざまな学問間で共通する研究課題はたくさんあると思います。
よいですか、ハイパー・インフレーションに関する論文だといいましたよね。なぜ、それが経済史の話になるんですか。そもそも、あなたは経済史(学)ってちゃんと勉強したことがあるんですか?
繰り返しますが、ダーウィンの『種の起源』のどこに無生物から生物の発生について論じた箇所があるのですか。現代の主流派の進化生物学は、突然変異と自然選択とで生物の進化を論じていますが、無生物から生物の発生(化学進化)を同じ枠組みで説明しようとしているとお考えなのですか。
「進化」といっても、生物の進化と化学進化とは違いますし、惑星の進化も違います。「進化」と名前がつく以上、全部同じだとでもおっしゃりたいわけですか。
あなたのお立場は、ここ
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/yamazoe/message11.htm
の作者と基本的には同じですよ。立場がただ逆なだけです。
早速ありがとうございます!そうですね、トンチになってしまいますね。皆さんのおっしゃるとおり可視光線は人間が見える波長の電磁波ということは理解しておりますが・・・。でも、可視光線の領域はとても狭いのに地球上にいちばん多いタイプというのがいまいち納得できないんですが。
>問題は、なぜ人は可視光線しか見えないのでしょうか。
可視光線しか見えないのではなく、見える光のことを可視光線と言っているのです。てか、書いているうちに流木さんとかぶった。
というのはあまりにも不親切ですね。いろいろ答えはありうるでしょうが、「太陽光のうち、可視光線が最も量の多い周波数帯である。効率よく光を利用するために、可視光線を利用するように進化してきたから。」ってのはどうでしょうか。まあ及第点はもらえると思います。
>なぜ人は可視光線しか見えないのでしょうか。
それはね、人間が見える波長の光を可視光線と言うからなのだよ。
まあ、一番光量が多い波長だったからなんでしょうね。
>なぜ人は可視光線しか見えないのでしょうか。
人間が見ることのできる波長の光線を可視光線というからですよ。
カクレクマノミさん
>そもそも、学問分野を厳密に区別するほうが間違っていると思います。>>
そうですね。学問分野を厳密に区別しようとするとどんどん専門分野が細分化されて、学際的な研究に支障をきたし、学問の発展にとって長期的には有害だと思います。それなら、その隣接領域においては、複数の学問分野が関わっているとみなした方がいいんじゃないでしょうか。進化生物学も、発生学、遺伝学、生態学、生化学その他もろもろの分野を含んでいます。
ですから、流木さんが
>広い意味では「生化学」じゃないんですか。もっとも、生化学といってもその対象領域は多岐に渡ります(医学や農芸にも関係します)し、その名前からおわかりのように、元々は化学ですが、今では生物学に含める人もいますね。>>とあいまいにしか答えられないのは、ある学問が扱う対象を狭い意味で限定するのは実務的に難しく、複数の領域に関わるようなグレーゾーンがあるからです。
>進化論の立場が直ちに無生物からの生物の発生を支持する立場になり、創造説と対立するかのようなお話には賛同できかねますね。「神様は生物を進化するようにお造りになった」というクリスチャンもいるわけですが、あなたのご主張だと、彼らはどういう扱いになるのでしょうか。後学のために是非ともお聞かせいただければ幸いです。>>
それに対する返答は以下の通りです。
(1)創造科学は擬似科学であり、神による天地創造という結論が先にあって、それがあれこれの証拠で覆ることは原理的にはあり得ないからです。どんな証拠によっても結論が覆る可能性が全くない、つまり、反証可能性を持たない以上、創造科学は科学ではあり得ません。それは宗教上の信条です。
(2)どんな立場の創造論者でも「神による天地創造という結論が先」にあることで一致しています。
(3)したがって<「神様は生物を進化するようにお造りになった」というクリスチャン>は創造論者です。
(4)創造論、創造科学の中に、「神様は生物を進化するようにお造りになった」という考え方があるのなら、科学としての進化論と、創造論あるいは擬似科学としての創造科学との違いは、生物の進化を認めるかどうかではなく、最初の生命発生について、まだ解明できていない何らかの物理.化学の法則、化学進化反応によるものだと考えるのか、神の介入によるものだと考えるのか、という点にあります。
(5)ところで(1)は、流木さんのサイトで御自身の言葉で述べていることを写したものです。ですから、「彼らはどういう扱いになるのでしょうか。後学のために是非ともお聞かせいただければ幸いです。」と他人に質問するのは、ご自分の発言を忘れてしまったとしか考えられません。
(6)>あなたのお立場だと、そうした歴史学者の研究も経済学のテーマに含まれてしまうことになります。おかしいと思いませんか。>>
経済史という学問があります。これは経済学と歴史学の研究課題の重複する領域にあります。さまざまな学問間で共通する研究課題はたくさんあると思います。
こんばんは〜!宿題が出て分からないのでご教授お願いします。問題は、なぜ人は可視光線しか見えないのでしょうか。なぜこれよりも短いOR長い波長の電磁波を見ることができないのでしょうか?
自分のおばあちゃんに早く死んでもらいたいのだなw
男女参画 VS 熾烈な競争社会
熾烈な競争を強いられる資本主義のグローバル化とは、実はさらに男女の労働格差が進むのだ。逆に国の経済を悪くするには、すべて男女平等、すべて男女同権、すべて男女参画、と騒ぎ立てればいい(笑
フェミニストよ!これ以上、女性高齢者が長生きし国家負担を急増すればもう直ぐ国家経済が破綻するぞ! それが目的かよ猪口邦子よ !!
*パラドックスさん
>生命の発生はどの学問の課題なのですか。
生命の発生過程に興味はないんでよく知りませんが、広い意味では「生化学」じゃないんですか。もっとも、生化学といってもその対象領域は多岐に渡ります(医学や農芸にも関係します)し、その名前からおわかりのように、元々は化学ですが、今では生物学に含める人もいますね。
さて、あなたは無生物からの生物の発生(化学進化)を認めるのが進化論の立場だとおっしゃっているわけですが、既に指摘したように、ダーウィンは『種の起源』で生命の起源を論じてはいません。もし、ダーウィンが生命の起源について論じているとおっしゃるのなら、該当箇所を引用して示して下さい。また、ダーウィンの進化論の流れを汲む現在の主流派の進化学説も、突然変異と自然選択によって生物の進化のメカニズムを捉えています。化学進化について、突然変異や自然選択というメカニズムを適用できないのはいうまでもないでしょう。それとも、突然変異と自然洗濯で化学進化を説明しようとしているとでもお考えですか。
ラマルクはともかく、進化論の立場が直ちに無生物からの生物の発生を支持する立場になり、創造説と対立するかのようなお話には賛同できかねますね。「神様は生物を進化するようにお造りになった」というクリスチャンもいるわけですが、あなたのご主張だと、彼らはどういう扱いになるのでしょうか。後学のために是非ともお聞かせいただければ幸いです。
あなたは、学者の個人的な興味・関心とその学問分野の本来のテーマとの区別がついていないように見えます。また、ある学問とその周辺領域との関係についてもずいぶんと混乱しておられるようにお見受けします。
>この研究で大きな貢献をした人たちがノーべル章を授けられているほどまでに、生命の発生と化学進化は進化生物学にとってきわめて重要な研究課題です。
「ノーベル進化生物学賞」というのがあったのですか。初耳ですね(笑)。全くトンチンカンな話ですよ。生命の発生、化学進化のメカニズムの解明が重要なのはその通りでしょうが、だからといって、それが進化生物学のテーマに含まれるとはいえません。いい加減区別がつきませんかね。
>もし流木さんの主張が正しいなら、ワトソン、クリック、メイナード.スミス、そしてノーベル賞受賞者たちも、進化生物学で化学進化を取り扱うべきかの区別がついていないことになります。
なりませんよ。区別がついていないのは、あなただというだけです。学者が自分の専門分野の周辺領域の研究成果を踏まえて本を書いたりすることは別に珍しいことではありません。
例えば、私がハイパー・インフレーションに関する経済学の論文を書くときに、第1次世界大戦後のドイツにおけるハイパー・インフレーションについて歴史学者の研究を踏まえて論じたとしましょう。すると、あなたのお立場だと、そうした歴史学者の研究も経済学のテーマに含まれてしまうことになります。おかしいと思いませんか。
例えば、雲の発生といえば明らかに気象学のテーマで、進化生物学のテーマではありませんよね。しかし、ハミルトンは進化生物学の観点から、雲の発生は微生物によるものだという説を主張しました。
そもそも、学問分野を厳密に区別するほうが間違っていると思います。
ただし、「進化論」という言葉は普通、「現在の生物が進化の産物であるという理論又はその進化のメカニズムを説明する理論」のことを指します。進化論という言葉自体は、生命起源に関してなんの含意も持っていません。進化論者が、生命の起源について神の介入を認めたとしても自己矛盾はしません。
相対性理論と宇宙論は密接な関係を持っているでしょうし、相対性理論の本に宇宙論の説明が書いてあっても特に不思議はありませんが、相対性理論を支持している人が絶対にビックバン論者でなければならないわけでもないでしょう。
ただ、言葉の意味で延々議論しても不毛な気がします。ある人が生命の起源と進化についてどんな意見を持っているかがわかれば、その人を進化論者と呼ぼうと呼ぶまいと、本質は何も変わりません。
それとパラドックスさん。丸数字はOSなどによっては正常に表示されないので、使わないほうがいいかと。番号振るなら1.とか(1)とかにしましょう。
「進化論」には生命発生のメカニズムは含まれません。
気に入ろうが気に入るまいが、定義のようなものなので仕方がありません。
だからといって、進化学の専門家が生命の発生を研究したって良いし、自分の著書の中で、生命発生に一項目を割いても良いのです。
でさ、何でノーベル賞が関係あるわけ?
進化論に生命の発生が含まれるかどうかとは関係ないでしょ。
でも、実際、生命の発生はどの学問分野なのだろう。
まだ生物じゃないから生物学じゃない気がする。
有機化学か生化学の一分野なのかな。
「カール.ウーズ、フランシス.クリック、およびレスリーオーゲルは1967年にRNAもたんぱく質と同様に酵素として作用するはずだと述べた。それから以後かなりの数のRNA酵素が発見されてきた。その皮切りは1980年代初期のトマス.チェックとシドニー.アルトマンの発見であり、彼らはその発見に対して1989年にノーベル化学賞を授けられた。RNAの酵素はリボザイムと呼ばれ、その最初のものは生物体の中で核酸を基質としてこれに作用し、気質との相互作用は塩基の対合を利用していることがわかった」
「生命の起源に対するリボザイムの意味合いは大変大きなものがある。ウォルター.ギルバートが最初に主張したように、情報の担い手としての核酸と、酵素としてのたんぱく質が分業する代わりに、両方の機能をRNA分子が行っていた世界を想像することができるのだ。このRNAワールドの中で複雑な生化学が進化を遂げることができた」
J.メイナード.スミス、E.サトマーリ「生命進化8つの謎」朝日新聞社、P.64-P.66
流木さんへ
A>進化生物学で扱っているのは、生物がどのようなメカニズムで進化してきたかということであって、無生物から生物への「進化」(化学進化)は進化生物学の研究対象ではありません。>>
@引用した本は、進化生物学の重要な課題を8つに絞って書かれたものです。
Aその中の1つとして、著者は、最初の生命の発生とその化学進化を取りあげています。
Bこの研究で大きな貢献をした人たちがノーべル章を授けられているほどまでに、生命の発生と化学進化は進化生物学にとってきわめて重要な研究課題です。
Cしたがって、流木さんの主張Aの後半「無生物から生物への「進化」(化学進化)は進化生物学の研究対象ではありません。」は間違っていると思います。ちなみに、ここで引用したことについて、J.D.ワトソンも自著「DNA 下巻」(講談社、ブルーバックス、P.46-P.47)で取りあげています。
ⓑ個々の進化生物学者が化学進化に関する研究の進展に興味・関心を抱いているとしても、そのことと進化生物学で化学進化を扱うべきという話とは全く別のことです。あなたはそこのところの区別が失礼ながらついておられないようですね>>
もし流木さんの主張ⓑが正しいなら、ワトソン、クリック、メイナード.スミス、そしてノーベル賞受賞者たちも、進化生物学で化学進化を取り扱うべきかの区別がついていないことになります。
歴史的に見れば、ダーウィン没後、ド・フリースらの突然変異説が登場する頃までのダーウィン派の進化論は実証的ではなく思弁的なものでした。
ダーウィン本人は、自然選択説オンリーではなく、性選択も(遺伝子が未発見だったので、部分的には獲得形質の遺伝すら)認めていましたが、ダーウィン派の人々は自然選択説一本槍でした。彼らはある生物の生息環境などをきちんと調べることなく、その姿形からあれこれ想像をたくましくして自然選択説に沿うようなストーリーを組み立てていました。そこへ、実証的なメンデル遺伝学を踏まえた突然変異説が登場したわけです。両派の間で進化のメカニズムを巡って激しい論争となりましたが、実証性を欠く当時の思弁的な自然選択説は圧倒的に不利であり、「自然選択説は過去の学説だ」とさえ思われました。
その後、ご存じのように、突然変異説と自然選択説とは必ずしも対立するわけではなく、むしろ相互に補完し合うものであることが理解され、生物の進化を突然変異と自然選択に基づいて把握するという今日の主流派の進化学説の枠組みができ上がったわけです。
進化論は何らかのメカニズムで生物が進化してきたと考える立場ですが、進化論の立場だからといって直ちに科学的に正しいといえるわけではありません。おずおずさんのご発問は、私が「進化論=科学的」「創造説=擬似科学」とする立場だという前提で恐らくはなされたものと思われますが、擬似科学かどうかという問題は別途検討しなければならないことであり、進化論の立場だというだけでその科学性が保証されるわけではありません。
進化論と創造説とをわける根本的な発想の違いは、「生物は変わり得るもの」と考えるか、「生物は変わらない」と考えるかという点にあります。「生物は変わり得る」というだけでは、どういうメカニズムでどう変わってきたと考えているのかは全くわかりませんから、そこだけを見て、その立場を科学的だとかいうわけにはいかないのです。
>例えば、コウモリが毛深くなって鳥になった、と考えるのは正しいことですか?
化石や解剖学的研究を無視して...。
「進化論の立場だから正しい」といえるわけじゃありませんからね。間違った進化論もあります。間違った地動説もあったわけです。
>観察や実験を理論の基礎にするか、そうでないか、じゃないのですか?
そうともいえないんですよ。ラマルクの進化論も進化論ですよね。『動物哲学』の中でヘビや水鳥やキリンやカンガルーがどうやって現在のような姿になったのかをラマルクは説明していますが、彼の説明は少なくとも今日の知識に照らせば正しいとはいえないわけです。
ラマルクはフランス革命当時の唯物論的な思想の影響を強く受けていましたが、実証的というよりも思弁的な傾向の強い人でした。その点では彼はダーウィンとは対照的な人であり、ぶっちゃけた話、学者としてのスタンスでいえば時代遅れだったのです。実証性という点だけでいえば、ラマルクをいじめ抜いたキュビエの方が実証的だったわけですが、ご存じのように彼は進化論の立場ではなく、創造説の立場でした。
もっとも、キュビエの流れを汲む創造説は天変地異によって地球上の生命は何度も絶滅してその都度神は生き物を創造したという内容なので、聖書の創世記の記述とは必ずしも対応はしていません。キュビエの弟子たちは、化石がたった一回のノアの洪水で死んだ生き物のものだとはいわず、ノアの洪水のような天変地異は地球の歴史上何度もあって、その際に死んだ生き物が化石になったと唱えたわけです。「逃げ足の速い生き物の化石ほど上の地層から出てくる」なんていう今の創造科学支持者の主張よりよほどもっともらしく聞こえてしまうのは気のせいなんでしょうかね(笑)。
余談になりますが、似たようなことは、天動説と地動説についてもいえます。古代においては天動説の方がむしろ実証的だったんですよ。
>>一番重要な違いは『生物が変わりうることを認めるかどうか』だと思います。
理神論や有神論的進化論のヒトも進化論の立場なわけですから。
> そういうことです。
そういうことですか?
観察や実験を理論の基礎にするか、そうでないか、じゃないのですか?
例えば、コウモリが毛深くなって鳥になった、と考えるのは正しいことですか?
化石や解剖学的研究を無視して...。
>一番重要な違いは『生物が変わりうることを認めるかどうか』だと思います。
理神論や有神論的進化論のヒトも進化論の立場なわけですから。
そういうことです。だから、創造科学支持者が迫る「進化論か創造論か」という二者択一はその意味でねじれているのです。「神様は生命を進化するようにお造りになった」という立場もあるわけですから。
そもそも、欧米では進化生物学の研究者であり、同時にクリスチャンである人もいるわけですよね。何らかの意味で神によるこの世界の創造を信じているからクリスチャンなわけであり、「進化論の立場に立つものは最初の生命は何らかの物理化学の法則によって生じたと考えている」という捉え方だと、そうした欧米の進化生物学者の立場はあり得ないものとなるでしょう。
ここ
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/evo_sb05.html
の「誤解41」で取り上げているように、「進化論は神の存在を証明します」というクリスチャンさえいるんですから。
進化論を採るひとと
聖書は一語一句正しいという意味での創造論(あるいは創造科学)を採るひとと、
一番重要な違いは『生物が変わりうることを認めるかどうか』だと思います。
理神論や有神論的進化論のヒトも進化論の立場なわけですから。
創造科学側の常套句は、「品種改良は認めても種を超える変化はない。」
種を超える変化という言い回し自体に違和感を覚えるのはとりあえず置いといて、
要するに「大きな形質の変化は起きなかったしこれからも起きるはずがない。」ということでしょう。
最初の生命が創造によって生まれたとする立場もあるにはありますから、
生命が化学的プロセスによって発生したか創造されたかよりも
『生物が変化してきたか』『あらゆる生物は共通祖先を持つのか』
のほうが重要ではないでしょうか。
ラマルクの場合、『動物哲学』の中では無生物から生物の発生を確か説いていましたよね。
もし、パラドックスさんが「進化論の立場」=ラマルクの立場だという捉え方であれば、「進化論の立場に立つものは最初の生命は何らかの物理化学の法則によって生じたと考えている」というお話はその通りでしょう。
しかし、既に述べたように、ダーウィンはそういう立場ではありませんでしたし、現代の進化生物学者もそういう立場をとっているわけではありません。最初の生命がどのようにして誕生したかには、進化生物学はノー・タッチだということです。むろん、これは個々の研究者が無生物からの生物の発生(化学進化)に興味・関心を持っていないという意味ではありません。進化生物学という学問の対象とはなっていないということです。
*パラドックスさん
>私が言いたいのは、
>@「進化論の立場に立つものは最初の生命は何らかの物理化学の法則によって生じたと考えている」
>A「創造論、創造科学の立場に立つものは最初の生命は創造神の営みによって創られたと考えている」
>B「進化論者と創造論者を分け隔てる最も大事な点は、最初の生命がどのようにして発生したかである」
>ということです。
ですから、そこの認識が間違っているんですよ。何度も繰り返していますが、例えば、ダーウィンは「1種類あるいは数種類の生き物から現在の多種多様な生き物が生まれた」と述べたのであって、無生物から生物の発生を説いたのではありません。
>しかし進化論の立場に立つなら、最初に生命が発生してからの進化のメカニズムを追究するだけでは飽き足らず、それがどのようにして発生したのかについて関心を持つ研究者が多くいることもまた事実だと思います。
(中略)
>進化生物学は、最初の生命の発生の問題もその研究対象に含んでいると思います。
進化生物学で扱っているのは、生物がどのようなメカニズムで進化してきたかということであって、無生物から生物への「進化」(化学進化)は進化生物学の研究対象ではありません。たとえ、個々の進化生物学者が化学進化に関する研究の進展に興味・関心を抱いているとしても、そのことと進化生物学で化学進化を扱うべきという話とは全く別のことです。あなたはそこのところの区別が失礼ながらついておられないようですね。
>ここはもう見解の相違としか言いようがないみたいですね。
あなたの見解が間違いだというだけですよ。簡単な話です。
>せやけど、「常染色体」とか「分離比」とかちゃんと使ってる癖に、計算の仕方わからんなんて…。
学校の宿題じゃないんですか?
そう思うねんけど、暇つぶし。
せやけど、「常染色体」とか「分離比」とかちゃんと使ってる癖に、計算の仕方わからんなんて…。はっ!ネタか?!(−_−;
>進化論の立場をとるからといって、「最初の生命がどのように誕生したと考えるか」は、別に「最も重要な点」ではないと思いますけどね。>>
私が言いたいのは、
@「進化論の立場に立つものは最初の生命は何らかの物理化学の法則によって生じたと考えている」
A「創造論、創造科学の立場に立つものは最初の生命は創造神の営みによって創られたと考えている」
B「進化論者と創造論者を分け隔てる最も大事な点は、最初の生命がどのようにして発生したかである」
ということです。
>進化生物学者が生命の誕生に関心を持つことと、進化生物学のテーマに生物の誕生が含まれるかどうかは全然別の話でしょう。そこのところをごちゃごちゃにしてはダメですよ。>>
進化生物学は一つの学問ですから、その中にいろいろな研究テーマがあります。
>進化論(進化生物学)にとって重要なテーマは、生物進化のメカニズムでしょう。>>
>進化論は生物が発生した後についての話です。>>
その通りです。しかし進化論の立場に立つなら、最初に生命が発生してからの進化のメカニズムを追究するだけでは飽き足らず、それがどのようにして発生したのかについて関心を持つ研究者が多くいることもまた事実だと思います。いちいち参考文献は挙げませんが、進化論関係の本で、最初の生命がどのように発生したのかについて言及しているものはたくさんあります。進化生物学は、最初の生命の発生の問題もその研究対象に含んでいると思います。ある学問がどんどん発展していけば、そのカバーする範囲も広くなっていくように思います。あるいは、探究心旺盛な研究者ならその学問の狭義の研究対象から少しはみ出る部分にも踏み込んでいこうとすることもあるでしょう。進化生物学者が、それに関する研究によってノーベル賞を受賞した前例もあるのですから、生命の進化も生命の発生もともに進化論の研究テーマだと思います。両者をそんなに厳格に別の領域に区分する必要はないと思います。流木さんは、それは違うと思っているわけですが、ここはもう見解の相違としか言いようがないみたいですね。いつまで論じていてもキリがありません。
追伸
さっきまで、巨大クラゲの大量発生現象を取り上げたNHKの番組を見ていました。頭の直径が4mもあるクラゲが漁師の網の中にあふれかえっていて不気味でした。
マルチポストしてるし。
http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_plain?base=7394&range=1
パラドックスさんは「創造科学」の意味で「創造論」と言っているのね。主旨は分かりました。 > diamonds8888x さんのおかげ
ただ、もう事情は飲み込めたでしょうが、マグナ氏を引き合いに出したのは誤解の元でしたね。
それから、ある科学の分野に興味を持つ人々の関心事項と、その分野で説明されるべき事項は別だという事は理解してますよね?
普通考えるもんやろ?
4C2×(1/2)^4=3/8
かな?
常染色体劣性遺伝の場合、オスがヘテロ(Aa)でメスが劣性ホモ(aa)を交配したとき、次世代に発症個体(aa)が4頭中2頭、生まれる時の確率を求める方法を探しています。次世代の遺伝子型はAaとaaで分離比は1:1となります。どのように計算して求めればよいでしょうか?
かどうかは知らんけど、みりんが主体やと味は今一のような気がする。
しかーし、それよりも重要なのは肉を焼くこと。熱した鍋にまず脂身を入れ、馴染んだところで肉と砂糖と醤油を放り込み、肉に絡めるように焼き色が付くまで焼いて、一旦上げる。それから鍋に野菜を入れて、砂糖と醤油、必要に応じて水を入れ煮立ってきたら、再度肉を入れる。
友達の父親に習った方法やけど、かなり味が違う(ちゃう)よ。
>血液型はもういいです。
しれっと言うな、しれっと。
>私が「最も重要な点だ」と書いたのは、「最初の生命がどのように誕生したと考えるかは、進化論の立場を取るか創造論の立場を取るか」という意味合いにおいてです。「進化生物学者の研究テーマ」として「最も重要な点だ」とは言っていません。
進化論の立場をとるからといって、「最初の生命がどのように誕生したと考えるか」は、別に「最も重要な点」ではないと思いますけどね。進化論(進化生物学)にとって重要なテーマは、生物進化のメカニズムでしょう。化学進化はそもそも対象外の話題です。
>「未知の何らかの物理.化学の法則によって最初の生命が発生した」という可能性について書いています。
ですから、それは進化論のテーマじゃないでしょう。ダーウィンにせよ、化学進化について論じたわけではありません。進化論は生物が発生した後についての話です。
進化生物学者が生命の誕生に関心を持つことと、進化生物学のテーマに生物の誕生が含まれるかどうかは全然別の話でしょう。そこのところをごちゃごちゃにしてはダメですよ。
失礼ながら、もう少し他人の書いたものをきちんと読んだ方がよいのではありませんかね。レスとして全く見当外れだと思えます。
どうやら2回目でサンプル採取が成功したみたいです。
後は、2年後にそれを回収できるかですが、、、
もし回収できたとして、私は次の予言をしておきます。
アポロは月に行っていない、あれはNASAの陰謀だ、てのと同じようなのが出てくる。
はやぶさはイトカワに行ってない。
そのサンプルなどと称するものは偽物だ。
イトカワの写真とかいうのもCGだ。
全てJAXAの陰謀だぁ
だいたい、あんな低額の日本の宇宙関連予算で、こんなことができるわけがない。
JAXAが予算を取りたいためにでっちあげたんだ。
とかなんとかかんとか、、、
>ご承知の通りアメリカを始めとするキリスト教文化圏などでは創造論が根強い影響力を持っています。日本にもアメリカと比べると少ないと思いますが、やはり創造論者がいます。だからこそこのサイトの存在意義があるのではないでしょうか。進化論は科学の領域に属することだということ、創造論は宗教に属することだということを、創造論者に受け入れさせることもこのサイトの役割だと思います。
横レスです。
このサイトや、ほかにもあるような疑似科学だとかエセ科学を批判する意義というのは、すでにそういう世界にどっぷりと漬かっているひとを「改心」させようなんていう、そんな大上段に構えたもんではないんでは?と思うんです。もちろん、そういう「側面」も少しはあるでしょうが、信仰と科学を同一視してしまっている「誰か」を、たかがweb掲示板だとかwebサイトにおける「啓蒙的な議論」だけで変化(さまざまな意味で)できるとは到底思えないし、それを「目的」に掲げる必要性もあまり感じません。
敢えて「対象」を語るのなら、まだ多くの雑多な情報に触れてなく、手近な情報(たとえばそれが創造論だったりする)にしか触れていないせいで、選択肢さえ持たないひとに、いくつかの方向性を「示す」ことならできるかもしれない、という程度ではないでしょうか。そしてまた、多々ある情報の吟味の方法や、それら情報を得たうえでなにを構築し得るのかという、その「技術面」を提供していくという意義ならば、こうしたサイトには大きな期待をもてる、と私は思います。
流木さんへ
>進化生物学者の研究テーマは違いますよ。>>
私が「最も重要な点だ」と書いたのは、「最初の生命がどのように誕生したと考えるかは、進化論の立場を取るか創造論の立場を取るか」という意味合いにおいてです。「進化生物学者の研究テーマ」として「最も重要な点だ」とは言っていません。流木さんはもちろん進化論を信じていると思いますが、流木さんは、創造論と進化論の立場を分け隔てる最も重要なことは何だと思っているのですか。
>無生物からの生物の発生(化学進化)も「進化」とはいいますが、生物の進化とはメカニズムがまるで違います。突然変異や自然選択云々は化学進化を説明しているわけじゃありませんからね。>>
この点についても
「未知の何らかの物理.化学の法則によって最初の生命が発生した」という可能性について書いています。タイトルにも「未知の物理.化学の法則」と書いているではありませんか。
流木さんが書いていることはすでに私の書き込みの中に本質的に含まれているのです。
順序は前後しますが、最初の生命がどのように発生したかは、進化生物学者にとってやはりきわめて重要な関心事ではないでしょうか。それはまだわかっていませんが、最初の生命がどのようなものだったかについてはRNAワールドが通説になりつつあります。
ツリー式掲示板の7521番2005年9月19日で
> 「んじゃ、どの時点をダーゥインの進化論の出発点とするのですか?」 と問われたらどう答えればいいのでしょう?>>
と問われたNATROMさんは次のように答えています。
>>「自己複製する実体が生じたとき」でいいのでは。それはDNAである必要はないし、RNAである必要すらないと思います。RNAか、あるいは別の分子が自己複製するようになった時点で、ダーウィン的メカニズムによって進化がはじまります>>
このような対話が交わされること自体、最初の生命はどのようにして発生したかについて少しでも近づこうとする探求心を、進化論に関心を持つ人たちが強く持っていることを示しているのではないでしょうか。専門家にとってもそれは同じだと思います。RNAワールドはクリックが思いつき、それを引き継いでRNA分子が触媒特性を持つことを証明した研究者はノーベル賞を受賞しています。
最初の生命がどのように誕生したと考えるかは、科学の立場を取るか疑似科学の立場を取るかを分ける重要な点ではありますね。パラドックスさんはそう言いたかったのじゃないかな?
>Kosukeさんへ
>だからと言ってその立場を取らないならば>>その立場って、何?>>
進化論の立場です。
>宗教と科学を比較してどうする>>
ご承知の通りアメリカを始めとするキリスト教文化圏などでは創造論が根強い影響力を持っています。日本にもアメリカと比べると少ないと思いますが、やはり創造論者がいます。だからこそこのサイトの存在意義があるのではないでしょうか。進化論は科学の領域に属することだということ、創造論は宗教に属することだということを、創造論者に受け入れさせることもこのサイトの役割だと思います。
>ゆんさんへ
実を言うと長い間このサイトを見ていなかったのです。最近になって久しぶりにのぞいて見ると、歴史認識とか血液占いなど、進化論と関係のない書き込みがずっと続いていました。自分はこれらの話題が一段落してから進化論に関係のある話題で投稿しようと思いました。ですから、マグナさんがどういう議論の仕方をする人なのかまったく知らなかったのです。前回の説明で、生命発生に関するゆんさんの真意がわかりましたので、私の批判はゆんさん個人に向けたものではなく、私自身の考えということで受け止めてください。
大人になると、オトナゲという毛が生えるのだにゃ。
この大人毛というのは、もちろんハズカチイところに生えるわけにゃんね。
ハズカチイところに生えて、コドモっぽさを隠蔽し、いい人になったりするわけだにゃ。
僕はそんな毛は生えてにゃーんだよ。
大人毛カツラもいらにゃーし、大人毛養毛法もやらにゃー。
大人毛ハゲと呼んでくれ。
マグナ さんは“勝負”をしにきたつもりはないかもしれません。
本当に建設的な“議論”をしにきた(あるいはただのおしゃべりをしにきた)という可能性も万が一としてもあります。
(自分で言っててもかなり強引だなぁ。いや、人を信じる心は科学ではないのだ(笑))
というわけで、マグナ さんの疑問に答えてみようかと個人的には考えます。
しかし、その前に、マグナ さんの考える『生命の定義』を教えていただかなければなりません。
自己複製する分子は生命か否か?生物と無生物の境界はどこだと思われますか?>マグナ さん。
も一つマグナ さんにご忠告。
反論に対して再反論しないで(それどころか事実誤認を指摘されたのにそれを認めることさえなく)
「もういいです。」っていう発言、少なくともまともな論理的思考力をもつ人はこれを議論とは呼びませんよ。
まあ今回は話題をふりにきただけで、議論するつもりはないのかもしれませんけれど、
これ以降どこかで“議論”をするつもりなら注意した方がよろしいかと思います。
>最初の生命がどのように誕生したと考えるかは、進化論の立場を取るか創造論の立場を取るかを分ける最も重要な点だと思うんですけど。
パラドックスさんが「最も重要な点だと思う」のはご自由ですが、進化生物学者の研究テーマは違いますよ。無生物からの生物の発生(化学進化)も「進化」とはいいますが、生物の進化とはメカニズムがまるで違います。突然変異や自然選択云々は化学進化を説明しているわけじゃありませんからね。
例えば、「進化と名がつく以上、化学進化から惑星の進化まで1つの法則で説明できるはず」なんてのは、勝手な思い込みの類です。まぁ、できたらできたですごいことですが。
「存在していないことを証明できていないから存在します。
はい、これで私の勝ち。百戦以上無敗です。」
ということではにゃーだろうか?
というわけで、マグナくんに勝てる者はこの地上にはいにゃーわけだ。
すごいすごーい、マグナくん無敵だー。
すごいすごーい、マグナくん無敗だー。
きゃー、常勝無敗のマグナくんがきたぞー。
逃げろー、逃げろ逃げろー。誰も勝てないぞー。
絶対に負けないマグナくんがきたぞー。
ぶわっはっはっはっはー、笑っちゃうね。
パラドックスさんへ。
私は別に「生命の発生」というトピックに関して、この掲示板で
話題にすることには反対していません。それ自体はとても面白い
トピックですからね。
私は単に、「マグナさんへの返答」としてその話題を展開したく
無いだけなのです。
ちょっと前の書き込みを見ればわかるのですが、マグナさんは
「相手を論破して優越感に浸りたい」という動機で書き込みを
する人です。今回の生命発生の話題についても、そういう動機
で話を振ったのではないと判断できる材料は特にありません。
私はそういう不真面目な態度の人と、真正面から議論をする気
はありません。とっても不毛な展開になるのが目に見えてます
から。
道東じゃすき焼きなんてあまり食べなかった希ガス。道民は牛肉よりもラム肉だし。閑話休題
マグナさん
>最初の生命はどこから来たのか誰か教えてください、
冷たい言い方ですが他人に尋ねる前にまずはご自分で検索されてみてはいかがでしょうか。
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-&p=%BA%C7%BD%E9%A4%CE%C0%B8%CC%BF
>だからと言ってその立場を取らないならば
その立場って、何?
ゆんさんへ
>生命発生は進化論の話題じゃないですよ。(関連は非常に深いけど、直接進化論が扱ってはいない、近接ジャンルの問題なのだ)。>>
あのー、このサイトのタイトルは「進化論と創造論」ですよね。最初の生命がどのように誕生したと考えるかは、進化論の立場を取るか創造論の立場を取るかを分ける最も重要な点だと思うんですけど。残念ながら現在の科学ではそれは解明されてはいませんが、だからと言ってその立場を取らないならば、創造論者に道を譲ることになります。ダーウィンは「種の起源」を、最初の生命が何らかの科学の法則によって生じ、そこからいろいろな生物が進化してきたという趣旨の文章で締めくくっています。生命発生は進化論にとって中核的な問題だと思います。
マグナさんは「最初の生命はどこから来たのか誰か教えてください」と素朴にして最も重大な疑問を投げかけていますが、世界中の第一級の科学者にとってそれは今なお作業仮説の域を出ていません。
そこで逆の立場に立って考えてみましょう。もし万物創造の神が生命を発生させたのだとしましょう。それでは、その万物創造の神はどこからどのようにして存在するに至ったのでしょうか。
マグナさんは、未知の何らかの物理.化学の法則によって最初の生命が発生したという考えと、創造神の営みによって最初の生命が創られたという考えと、どちらが検証可能でなおかつ普遍的妥当性を持つと思いますか。
追伸 長い間書き込みませんでしたが、これからまたお邪魔させてもらいますのでよろ しくお願いします。
誰かが説明したら、
「はっきりはわかってないじゃないか、俺の勝ち」
誰も説明しなかったら
「説明しないということはわからないんだろう。俺の勝ち」
となる予感。
あらゆる事で存在しない事の証明は不可能なんだから存在を主張する側に挙証責任がある事を教えてやれ<誰か
>血液型はもういいです。この掲示板の本題である「進化論と創造論」
についての話題をしにきましたので、お願いいたします。
恥の上塗りがしたいわけでしょうか。「議論に勝った」といいたいだけなのが明らかな人と真面目にやりとりするほど世の中甘くはありませんよ。
もし、進化論について何かご意見があるのなら、とりあえず、ここ
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/kgh_main2.html
を全部読んでからにして下さい。進化論についてのFAQ(よくある質問と答え)をまとめておきました。同じことをぐだぐだ説明するのは時間のムダですから。
一旦、まじめに文章まとめたんだけど、馬鹿らしくなったので全消し。
だって、マグナさんたら『論破してやるオーラ』がだだ漏れなんだもん(笑
一言だけレス返せば、生命発生は進化論の話題じゃないですよ。
(関連は非常に深いけど、直接進化論が扱ってはいない、近接
ジャンルの問題なのだ)。
肉はアメリカ産♪
(だって、それしか手に入らない・・・)
暫く食ってないな・・・
ヘルメス☆は「醤油+みりん+砂糖(少々)」という味付けで、食いました。
そして、近所の和食レストランのオーナーに「みりんは邪道では無いのか?」と言われて、「だって、美味いと思うんだからいいじゃん」という結論に達したのですが、これはやはり邪道なのでしょうか?
血液型はもういいです。この掲示板の本題である「進化論と創造論」
についての話題をしにきましたので、お願いいたします。
まず、簡単な質問をさせてください。
最初の生命はどこから来たのか誰か教えてください、よろしくお願いいたします。
豚肉やった。(北海道は豚肉文化圏)
醤油と砂糖(いつもの上白糖だった気が)と日本酒で割り下を作る。
所謂牛鍋風でしたね、豚だけど。
宴もたけなわになるとビールも入った。
実をいうと牛肉は上京して食った吉野家が最初
って、綿菓子に使うあれかな?
すき焼きの砂糖は、多少不純物(アク)が入ってないと美味しくない。試しにグラニュー糖でやってごらん。美味しくないから。
すき焼きの味付けは醤油と「ザラメ」でした。「きザラ」という、黄色がかった小さな結晶の。
日本語の変なとこにだけつっこんどきゃ良かったw
>全否定はしなくなったということで時代も変わりましたね。
「厳密に言うのであれば」の意味すら分からんらしい。
あんただけやろ、変わったと思うんは。科学なんて昔からそんなもんやで。
し、しかし
まじレスカッコわるー
おちこみそう…。
ところで、
>一番近いのは「おにぎり煎餅」の味にゃんな。
関東で割り下使うんは、wadjaにはカルチャーショックやった。
砂糖と醤油だけってのがお馴染みなんやけど、地域的にはどのへんから割り下なん?
とりあえず、
「世の中には関連があるかないかわからないことが無数にあって、それら全部に肯定的になってたら大変なことになる」
ということぐらいはわかっててほしいですね。
すき焼きに使う調味料の種類と性格に相関がないという証拠はないから、すき焼き調味料性格診断についても肯定論者にならないと。
地下に眠るMさんは「味ポン・みりん型性格」です。
ブログへのカキコがなんだかうまくいかにゃーのでこちらに
ただいま、猫ニョーボが実験したところによると
ミツカンの味ポンとみりんを1:1で混ぜて加熱したところ、
うまい具合に酢がとんで、しかも甘味が残り、
すき焼きのたれとしてなかなか侮れにゃーものになりましたにゃ。
一番近いのは「おにぎり煎餅」の味にゃんな。
某馬鹿右翼のように完全にスルーされているのに飽きもせずアホな書込みをしているのはイタイ。
>…ネットには一杯いるんだろうねぇ、こういう手合いが
魯迅の『阿Q正伝』の阿Qみたいな人たちですね。まあ、諺にも「非学者論に負けず」といいますし。
最近ここまで多くの人が入れ替わり立ち代り書込みされた事はなかったから
見てておもろかったです。まぁ戦隊シリーズで戦い前に名乗りを上げるシーンみたいなもんやなと。おおぅ、てなもんですわ。
敵役が「わしは負けとらんぞー」と叫んで逃げましたが。
>ちなみに、議論は100戦以上無敗ですので反論は慣れております
”勝った”事も無いんだろうねぇ
…ネットには一杯いるんだろうねぇ、こういう手合いが
針には沢山かかったが、糸が切れてしまい、ボウズ。
原因:糸が細過ぎたため。餌が不良品だった疑いもあり。
今まで100回釣りに行ったが魚に食われたことはない、と捨て台詞を残し帰路につく。
「論破完了宣言」がしたいだけとか、議論の勝ち負けだけが目的という人はときどき現れますけど、大抵話の中身はないんですよね。
>流木さん、申し訳ございませんがそれは出尽くしてる話題ですので簡単な返事になってしまうのですが、A型=タイプ1、B型=タイプ2等そんな思考はしてませんし、肯定論者の中でも一部でしょう。
つまり、特定の血液型と特定の性格とがはっきりと対応していないわけでしょう。となれば、クレッチマーの性格類型論の難点よりも始末が悪いということに気がつかないんでしょうか。クレッチマーの場合は、体型ですから「痩せ型」と「筋肉質」との中間を云々できなくはありませんからその意味で逃げ場がありますが、血液型の場合、「A型とO型との間」とかいうわけにはいきませんからね。
相関の強弱云々以前に、そもそも相関があるという根拠も示せていないわけで、それで「完全勝利」ですか。「負けイヌほどよく吠える」といいますが、本当に笑っちゃいますね。
西村慎吾議員はかなり右寄りだが、アホで間抜けな民主党の前原の親中主義に反論を唱えたところ、アホの前原どもに嫌がらせをされたんだろう。
間抜けな前原はとんでもないアホの左翼系国賊だったことがはっきりした。
こいつらには凶産北朝鮮による拉致問題や核武装問題などを解決する気など、これぽっちもないことが解った。
結局事実誤認も訂正しないままトンズラですか。
>ちょっと昔だったら「大規模な疫学的調査がいくつも行われて、これは実態の無い理論だということが結論されています」・・・のような意見が出てきて否定論者は全く受け入れなかったものですが、全否定はしなくなったということで時代も変わりましたね。<
ここじゃ最初から全否定など、誰もしていないが。
でも、巷で言っていることは弱い相関の事じゃないでしょ。
血液型で性格が分かったり、性格で血液型が分かったりするのは、極めて強い相関があったときだけです。
調べたら有意差があるというレベルじゃ、こうは行きません。
でも、その有意差すら出ないのが現実です。
>血液型肯定論者の立場の自分からしてみれば、弱くても相関があれば勝ちなんです。
>完全勝利といってもいい程の。相関の強弱は関係ありません。
弱い相関を否定しないことと、それを認めることは違うんだぞ。
いつの間にか「弱い相関」があることにしてしまうとは、知恵はないが悪知恵はあるんだな。
>ちなみに、議論は100戦以上無敗ですので反論は慣れております(笑)ご安心を。
何も言い返せなくなって逃げるのは、通常は負けたという。
だから「おなかいっぱい」なんだ。
「物言わぬは腹ふくるるわざ」だからね。
負けそうになると最後っ屁をかまして逃げて、「僕負けてないモン」という脳内論破ールーム。
こんなネット生活って、悲しくない?
>血液型肯定論者の立場の自分からしてみれば、弱くても相関があれば勝ちなんです。
>完全勝利といってもいい程の。相関の強弱は関係ありません。
結局この人の目的って「血液型と性格に相関など無いと主張する否定論者を論破
して勝ちの快感を味わうこと」だったんですかね?
あほくさー。
血液型と性格にわずかな相関しかないのであれば、そんなのは日常生活において
話題にする必要性なんてまるで無いんだよね。物理の相対論的効果は確かに存在
するけど、日常生活のスケールだと意識できるレベルで確認できない、だから人
は日常生活で相対論的効果を話題にしたりしないわけ。
血液型性格診断もそういう「日常生活では取るに足らないモノ」だと認めたって
ことでいいのかしらん? (たぶん違うんだろうけど、よくわからん)
>wadjaさん
日本語がどうのこうのとか血液型以外の話題は避けましょう。
自分は番外編を読んでいませんでした。谷庵さんが「血液型と性格の間に、強い相関はない」弱い相関なら認める可能性もあるということですね。
ちょっと昔だったら「大規模な疫学的調査がいくつも行われて、これは実態の無い理論だということが結論されています」・・・のような意見が出てきて否定論者は全く受け入れなかったものですが、全否定はしなくなったということで時代も変わりましたね。
否定論者の方向転換とでも言いましょうか?冷静に考えるとここは笑うところですよね。
もう半分以上負けを認めているようなものですから。
血液型肯定論者の立場の自分からしてみれば、弱くても相関があれば勝ちなんです。
完全勝利といってもいい程の。相関の強弱は関係ありません。
流木さん、申し訳ございませんがそれは出尽くしてる話題ですので簡単な返事になってしまうのですが、A型=タイプ1、B型=タイプ2等そんな思考はしてませんし、肯定論者の中でも一部でしょう。
ちなみに、議論は100戦以上無敗ですので反論は慣れております(笑)ご安心を。
とりあえず否定派の方針転換が確認できたので、
もう続ける意味が無いですし、おなかいっぱいになってしまいました。
んじゃヾ(゚ω゚)ノ゛
福岡県は39%でしたorz
マグナさんが書き込んだ時点で反論は覚悟の上ですよね。
で、この後どうするかと言うことですが、まともに議論するつもりなら、以下のことについては守ってください。
自分の発言に誤りがあったら素直に認めること。
最低限、これだけは守って貰わないと、単なる荒らしになってしまいます。
とりあえず「血液型と性格の関係については研究されていない」という主張は撤回すべきですね。
43%やん。
http://www.fukushima-bc.jp/new_page_70.htm
>はっはっは。私は40%は当てれるぞ。ただし、日本人相手限定。
一日に1秒ずれる時計と完全に止まった時計のどっちが正確か、
とかそういう類の話では!(笑
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。