このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
今長谷川さまのワールドをこっそり覗いてきたら、私の「小学生の4割りが天動説信じる」
の昨日の「題名」にレスを下さっていました。ワーイ、ワーイ、ワーイ嬉しいウレピー
やっぱりいい人だ!・・・・・でも、ニュースの「天動説」に関しては、否定されてたな
教育が悪いんだって、私もそう思う。
私達遠距離恋愛かしら?
掲示板の後ろで、ひとの書き込み、みて笑って、小ばかにするやつらは、でえっきらいだ!死ね______________________________________________死刑に処す・・・・・
馬鹿やローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーあーすっきりした!
奢る平家も、植木等もバレバレなんだよーーーーーーーーーーーっと、ブタの足
私、夫が単身赴任して、寂しいの、「ねえ、大人の付き合いと思ってん?」・・・・・・
こんな騙しモンクにいちいち、マジに反応スンナよーーーーーーーーーーーーっと!
ユーモアの通じる、心のピュアな人がいいなああああああああああ・・・・
(注釈)掲示板の管理人様、朝からどうもすみませんでした。不適切な書き込みお許しください。私の独り言です。
こちとら、一匹狼なんだ、バーかバーかバーか、
「ん・・・精神科の先生はどうですか?」ふざけんなーーーーーーーーーーっと、
精神科になんて、逝ってねえんだよ〜ん、「レディースクリニック」なのだす。
合掌・・・・・・・・・って?
知ったか仏陀、そんなこと知ったかぶりぶり、ぶりの変化!
わたしは、某本屋さんにて、ベストセラーを立ち読みした。視線が気になっていたが、後ろ向きに、姿勢を変えて、一冊も読破した。前から読みたいなあと、思っていたのだ。
二冊目に手を伸ばそうとした瞬間に、大便をもよおして、立ち去った。変に思われたかも
好奇心の強いわたしは、一度でいいから、「長谷川ワールド」に行き、ねずみのように、思いっきり走り回ってみたい。ウズウズする。「うーーーーーワン」
IDカードと、ビザいるのかな?保険証のコピーで入室させてくれるかしら?スキルか〜
スキルスキルスキル、友人に成りすまし、入室出来たとして、話を一方的に聞くだけでいいなあ(^^;)、朝から、こんな事ばっかり、考えている私_______;
静岡新聞ってのは、やっぱり遺伝研関連の何らかのつながりが過去にでもあったのだろうか?
>> はい、木村資生氏の「生物進化を考える」という著書を読みましたが著者の優生思想が読み取れました
>と言うのだから、木村資生氏の「生物進化を考える」から引用すればいいじゃ無いかと思うの
>だが、どうして「ですから河田雅圭という人のネットから当該部分を引用します。」なのだろう。
というか、あの引用、
>>河田雅圭という人を知っていますか、ぼくはネットで見たのですが
>>ジョウカン氏が、木村の著作から、「ああ、そりゃ誤解するかもなー」と言える引用を行なってみせない限りは。
>仰りとうりです。
>ですから河田雅圭という人のネットから当該部分を引用します。
の大本になるNATROMさんの書き込みは、もともとジョウカンさんを疑っている文脈から
出てきたものです。
>ジョウカン氏は、「進化=進歩と思っている進化生物学者を挙げてみろ」と言われて、まず、
>「あなたは河田雅圭という人を知っていますか、ぼくはネットで見たのですが」とレスした
>んだぞ。ネットで読める範囲のものすら読んでいないのは明らか。そのあとで、木村の名を
>出したわけだから、「ジョウカン氏は木村の著作など読んでおらず、河田雅圭のサイト(進
>化論×優生ででも検索したのだろう)を流し読みしたぐらいであろう」という推測は十分に
>成り立つと思われる。少なくとも、ジョウカン氏が、木村の著作から、「ああ、そりゃ誤解
>するかもなー」と言える引用を行なってみせない限りは。
ジョウカンさんがネット上の河田の木村に対する論評を引用を斜め読みしただけで、木村
の著作を読みもせずに「読んだ」と嘘をついているのでは無いかと疑って、木村の著作か
ら直接文章を引用でもして潔白を証明せねば、ジョウカンさんは信用に値しないと発言し
ているわけですね。
そこで返事として、
>ですから河田雅圭という人のネットから当該部分を引用します。
って出てくる人間はメガトン級の大バカだと私は認定しますにゃ。
「ブッタとシッタカブッタ」小泉吉宏 私はこの本の新聞広告を見た瞬間「仏陀に対する侮辱だ」と思ってよもうとも思わなかったが、この本の2巻を昨日本屋で立ち読みしてのけぞった。最初の数ページに出るのは、どう見ても伝統仏教の思想じゃなく、幸福の科学の教えなのだ。最初の数ページから読み取れるテーマは「人生は1冊の問題集」という幸福の科学の教えだ。
*シンさん(Re優生学は運動 投稿者:シン 投稿日: 9月22日(水)02時55分22秒)
こんにちは。
>>一つ目。詳しい話は忘れましたが、ある病気に弱い遺伝子が別の病気に強いみたいな、実例があるそうです。マラリヤで全滅しかけた村の歴史の話題だったかな?ちょっとその経緯をはっきり思い出せないんですが、2度酷い目にあった共同体で1度目の時にはえらい損害を受け(つまりたくさん死んで)2度目の別の病気の時は、周りの国々ではたくさん被害があったのにそこは全然平気だった。という話です。
>>悪い、とされる遺伝子にも他の何かに意味がある、ということが多いようです。
ナイジェリアの話でしょうか?確か、マラリアが風土病として定着しているナイジェリアでは総人口の4割ぐらいの人たちが重度のマラリアにかかりにくい遺伝子を持っているそうです(その遺伝子を持っているのは、人類全体では1%で、南アフリカに住む黒人でも2%ほど)。10年少し前ぐらいに話題になったと思います。
実は、鎌状赤血球貧血症の原因となる遺伝子を持つ人はマラリアに対する強い抵抗力を持つことが知られています。この遺伝子を両親から受け継いで2個持つ人は、赤血球が鎌状(三日月型)になり、ヘモグロビンの機能不全によって死に至るわけですが、両親のどちらか一方からのみこの遺伝子を引き継いだ場合には、ペアをなす染色体のもう一方にある遺伝子が正常なヘモグロビンを作るので、鎌状赤血球の症状は出ないんだそうです。
マラリアが猛威を振るわない地域では、鎌状赤血球貧血症の原因となる遺伝子を持つことは何のメリットもないばかりかリスキーなわけですが、マラリアで現に人がバタバタと倒れるような状況では有益となるわけです。
まぁ、この辺りのお話は本職のお医者さまがおられますので、深入りはしませんが。
以前、書き込みましたが、私が見たナチスの優生思想に基づくプロパガンダ映画(の一部)では、「障害者は社会の役に何も立たないのに、生かしておくのにこんなに費用がかかる」という点を強調していました。多分、遺伝子が云々といっても(当時の)一般の市民には分かりにくいのでそういう話になったのかなと思いますが、そういう観点であれば、生物進化云々とは関係ない話でしょう。
> はい、木村資生氏の「生物進化を考える」という著書を読みましたが著者の優生思想が読み取れました
と言うのだから、木村資生氏の「生物進化を考える」から引用すればいいじゃ無いかと思うのだが、どうして「ですから河田雅圭という人のネットから当該部分を引用します。」なのだろう。
まあ、それは置いといて、引用内容の次の部分は違うのじゃないかと思う。
>木村の進化観には、進化とは発展するものである、という前進的な意味合いが含まれているのではないだろうか。
進化全般に「進化とは発展するものである」という認識が無くても、人類の一員として、人類の進化は(自分の価値観に照らして)進歩であって欲しいと思うのは当然じゃないかな。
ついでに優生学についての私の認識も書いておくと、「倫理的に問題があるばかりではなく、手段としても有効じゃないんじゃないか」と言ったところですね。
>NATROMを困らせたいと思うのなら、木村じゃなくて、ドーキンスを挙げるべきだと思う。
1回流し読みをしただけ&今は手元に本がないので定かではありませんが・・・。
ドーキンスは『悪魔に仕える牧師』の中でシャム双生児裁判について「両親が手術に反対したことは正しいが、その理由は正しくない」って書いていたように記憶しています。
これって、いったいどういう意味なんだろう?
優生思想かどうかはともかくとして、なんとも剣呑な雰囲気をかもし出しているなぁと思ったのは私だけ?
>ではたまごちゃん(^-^)ノ は木村資生氏の優性思想を支持するのですね。
どこら辺からそう思ったのですか?
私は木村の優生思想を支持していません。なんていうか、生理的に受け付けないんですよね。
「医学が発達した今日、実際的にはほとんど自然淘汰はほとんど働いておらず、このままでは、有害な突然変異が蓄積し、重大な事態を引き起こすかもしれない」と、いう木村の現実認識はもっともだと思います。
でも、私は、「優生政策によって有害な遺伝子を取り除かなきゃ滅びるってぇーんだったら、滅びりゃいいのよ。人間なんてっ!」と、ある意味優生思想よりも危険な思想の持ち主だったりします(w
他の方の発言とも重なりますが、優生は共同体単位のものと個人単位のもので分けて考える必要があるように思います。
私個人としては、共同体単位の上からの押し付けとしての優生政策は、どのようなものであれ、受け入れられそうにありません。(こんな、優生政策ならありなんじゃないの?っていうようなものがあったら教えてください。場合によっては考えを改めるかもしれません。)
しかし、個人レベルの優生になってくると、そう簡単に「優生→ダメ」と切って捨てられるものじゃないですよね。
個人レベルの積極的優生は、「イィ男、イィ女とやりたい」っていう欲求の延長線上にあるもので、否定するだけ無駄なのかもしれません。
個人レベルの消極的優生は、現在すでに羊水検査や繊毛検査などによって行われてます。そして、出生前検査の技術は今後さらに進歩していくでしょう。
親が子供に健康な体で生まれてほしいと思う気持ち。病気の遺伝子を持った親が子供にはそれを受け継いでほしくないと思う気持ち。
こういったものを否定して、「出生前診断はせずに産め」って言う権利は誰にもないように思います。
だけど、一方で、「出生前診断で障害を持つことが分かって堕ろされた胎児は、この世に生まれてきてはいけない存在だったのだろうか?」「その胎児を堕ろすことは、その胎児と同じ障害を持って生まれてきた人の人権を踏みにじることになるのではないだろうか?」って疑問がぬぐえません。
っていうか、昔々、末の妹が生まれる時、そういう理由で出生前診断に猛反対した記憶があります(^^;)(結局、私の猛反対にも拘らず羊水検査をした結果、特に障害が認められなかったので末の妹は生まれてきました。今も元気です。)
んー。何がいいたいのか分からなくなってしまった(w
優生の問題って科学の問題みたいに割り切って考えられないから、難しいなぁ。
植木 等の「お呼びじゃない」 〜 になるかもな
でも オイラ 書き込みます。
閃いたのら あの 1970年大阪万博の テーマである 「人類の進歩と調和」ね アレ 相当 荒れたし、傲慢な アレだった なぁ〜:
たぶん 日本の 夢見ていた将来像(現代風バベルの塔)を 打ち倒したの 奢る平家をナントヤラで 神さんやね!!
あ 申し遅れました。私は 進化論 肯定的な クリスチャンであります。 兎に角 進歩や優性の論議は 口挟まないけれど、なんとなく本能的に STOP まてよ てな感じの 考え方ですね…
いやはや これまた、失礼しました !(∋_∈)
サイナラ
★━━━・・・‥
グレク1000さん、初めまして。
>優生学は科学理論ではなく、この「排出規制」や「植林」に相当する、運動ではないのでしょうか?
優生学が自然科学ではなく社会学に属するらしいことは、以下のサイトにあります。
http://www.mirai-city.org/chuo/hospiyusei.html
で、グレク1000さんの言う「運動」という表現も、まぁ頷けなくはないのですが、行為だけを指すものよりも、その背景である「思想・動機」にまで視野を広げると、「優生思想」という、一種のイデオロギー、政策的思想体系なのではないかな、と考えます。
優生学を語る前にちょっと小噺を2つほど
一つ目。詳しい話は忘れましたが、ある病気に弱い遺伝子が別の病気に強いみたいな、実例があるそうです。マラリヤで全滅しかけた村の歴史の話題だったかな?ちょっとその経緯をはっきり思い出せないんですが、2度酷い目にあった共同体で1度目の時にはえらい損害を受け(つまりたくさん死んで)2度目の別の病気の時は、周りの国々ではたくさん被害があったのにそこは全然平気だった。という話です。
悪い、とされる遺伝子にも他の何かに意味がある、ということが多いようです。
もう一つ、これも詳しく書く事が出来ないので心苦しいのですが書かせてもらいます。
国の工事で河を「まっすぐ」にしたらどうなったか、という話です。ある河をまっすぐにすれば、船も通れるようになり便利になる(他の便利さもあったけど忘れた)、ということで国がその工事をやりました。
過程と理由は省いて結果だけ書きますが、大きく挙げて2つの被害が現れました。一つは流れが速くなり河が汚くなった、ということ。次にそこの観光名所である湿原がなくなりかけ、生態系が大きく変わって生き物が減ってしまった、という事。(河は曲がりくねっている方が自然には良いみたいです。)
ということで多額の私たちの税金をかけ、その工事をしたのですが、今(か、前)、また私たちの多額の税金で河を元に戻す、ということをしているようです。
(2つともネタ元はTBSラジオ伊集院光日曜の秘密基地から、です)
そんなわけで(?)、私は基本的には積極的でも消極的でも優生学的な思想と運動にはノータッチです。
ただ、遺伝子療法については、助かりたいと願う人たちが、それによって助かるのも良いし、自分がその立場であったら、助けてもらいたいですけど、それによる「つけ」があることを覚悟した方が良いのではないか、と思います。
運動として進めたとき、どんなにうまくやっても社会を悪い方向へ導くのではないか、と想像してしまいます。それは程度の差があれ、こういった事を人がやることは、良かれと思ってやった河の工事のように、何かの被害を起こすのではないか、と思っているからです。
学びを放棄しろ、と言ってるわけではありません。ただ実践するにはあまりに不安が伴いすぎるような気がします。そんなわけで一応、反対、という立場をとります。
進化についての研究は、自然科学の一分野であり、科学方法によりその知識を蓄積することだと思います。
具体的には、仮説をたて、そこから導かれる予測が本当に正しいのか検証する作業でしょう。
優生学は、進化という科学的理論に大きく依存していますが、それは進化論の応用だと私は思います。
例えば、地球が温暖化していることや大気中の二酸化炭素濃度が上昇している事が科学的に確かめられたとします。
これに対して、それに危険性を感じ、二酸化炭素の排出規制をしたり、植林をしたとします。
優生学は科学理論ではなく、この「排出規制」や「植林」に相当する、運動ではないのでしょうか?
(まあ、この掲示板に書き込んでいる多くの人はそう考えていると思うのですが、どうでしょう?)
>興味のある人は、「生物進化を考える」をネタ本にしていっしょに遊ぼう。
注文したいのですけど、アマ○○では2千円以上の注文でなければ送料をタダにしてくれないのです...。合計で2千円になる、良い本があれば...。
(総合的にどちらが経済的かをちゃんと計算出来ないから百均ショップでいらない物をたくさん買ってしまうんだよな...。)
ジョウカンさんは結構健闘したと思う。初めの頃に比べればずいぶん進歩(笑)した。でも、もう限界だから放って置きましょう。
でね、
> とはいえ、「木村と優生思想」はマジメに考える価値のあるネタだとは思うのだにゃ。
これには大賛成。
実は先程から、「生物進化を考える」の該当ページ(新書で12ページくらいしかない)をシコシコスキャンして、OCR化しておったのですよ。著作権に絡むから一挙に全文掲載はまずいでしょうが、数回に分けてツリーのほうにアップしたいと思います。明日の朝までにはできるでしょうから、本屋が開くのも待てないというアナタ!楽しみにしてチョ。
それから、実はこの問題は、ジョウカンさんのそもそもの根本的な問題提起とも実は直結するテーマなのは間違いないのだ。今のような浅はかな誤解を持ち続けるのは、明日の未来を担う若者(ジョウカンさんの事じゃないですよ、貴方に人生相談を持ち掛けざるを得ない可哀相な若者達の事)のためにも、きっちり押さえておかにゃイカンと思います。
ジョウカンさん
>>熟慮を要する
>・・・決められない・・・判断できない・・・解からない
>としか受け取れませんが・・・。
「この現代的優生思想は熟慮を要する問題だ」というのは文字通り大文字ナンさんが例としてあげたような「現代的優生思想」を肯定するしないは真剣に検討するべき問題だということです。
熟慮を要する問題かどうかという判断と(発言した本人が)決められないかどうかは関係ありません。
これほどひどい誤読をする人が「進化」という言葉の誤読の可能性を説いても説得力に欠けますね。
優生思想について、必要と考えられる分類をしておきますにゃ
1)長期か短期か
時間的なスパンをどれくらいでとって優生思想を考えるのか
2)積極的か消極的か
「優れた形質の遺伝子」を多く残そうと考えるのか、「劣った形質の遺伝子」を除去しようとするのか
3)個人レベルか共同体レベルか
個人の「自由意志(これもクセモノにゃんが)」に基づく優生思想は認めるのか、共同体レベルの優生思想を認めるのか
今のところ得られた情報からは、木村の立場は、長期的なスパンにたち、消極的方法による、共同体レベルの優生思想を表したものであると僕は考えますにゃ。
訂正すべきは訂正しつつ、じっくりやりますにゃ。
ああ、そうそう
ジョウカン君、アリガトウ、そして、サヨウナラ
( ゜д゜)ポカーン
私も木村資生の本はちゃんと読んだ事が無かったので、これを機会に
読んでみようと思います。河田氏のコラムを読んで把握した範囲では
「木村バージョンの優生思想」は議論に値する現代的な面白いトピッ
クだと思いました。
それを
>>熟慮を要する
>・・・決められない・・・判断できない・・・解からない
>としか受け取れませんが・・・。
と取ってしまうジョウカンさんは、相当理解が足りてないとは
思います。
なんというかジョウカンさんの意固地さの背後には、極端な二
分思考や教条主義が見て取れますね(種の定義にやたらこだわっ
たりとかいう辺りにも)。
地方新聞の中では極端に右傾化しているといわれる静岡新聞(『ザ・新聞 別冊宝島72』JICC出版局を参照)などは、木村のこの著書をとりあげ、「人類の”優生”を維持するためには優生学的発想が必要だと語る。……集団遺伝学者としての信念を文明病の対策にも貫く、日本人としては珍しいストレートな姿勢は科学主義的なその立場に異論をもつ人からも評価させるだろう」と一方的に絶賛しているのである。
有害遺伝子がどのように蓄積されていくかを予測したり、将来的に有害遺伝子を減らすための方法についての科学的な論議自体は、批判されるべきものではないかもしれない。しかし、そういった科学的論議と人間社会にどのように適用すべきかという論議は、別に取り扱うべきものであろう。このような観点でみたとき、木村は少なくとも「消極的優生」の適用については肯定的に述べているし、「積極的優生」についても人間の「形質の遺伝的改善」という社会的な判断を含めており、中立な科学的論議であるとはいえない。
木村の中立説や集団遺伝学への貢献は、学問的な面では高く評価されるべきものである。ただ、日本では権威的なものとなった論説に対しては、不適切な面があっても批判しなくなるような風潮がある。実際に、『生物進化を考える』の書評の多くは、木村優生論について批判していない。もし、この「優生論」が、この種の問題を論議することがタブー視されている現状に対して、一種の問題提起として出されたのであれば、それに対する自由な批判が出されなければ、「問題提起の章」として意味がまったくなくなってしまうだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上です。
>河田雅圭という人を知っていますか、ぼくはネットで見たのですが
>ジョウカン氏が、木村の著作から、「ああ、そりゃ誤解するかもなー」と言える引用を行なってみせない限りは。
仰りとうりです。
ですから河田雅圭という人のネットから当該部分を引用します。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page27.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「進化遺伝学的世界観」
この見出しは、木村資生の『生物進化を考える』(岩波新書)の第九章のものである。木村は以前から、集団遺伝学的に考えた優生学的な発想が人類の未来を考えるうえで必要である、という考えを述べてきた。『生物進化を考える』には、以前に比べて表現はマイルドになったものの、木村の優生学に対する考えがよく表されている。
人間に起こる突然変異の多くは、他の生物と同様に有害である。しかし医学の進歩により、これまで有害であった突然変異遺伝子をもった人も、生存し子どもを残すことができるようになる。その結果、有害な突然変異は中立なものとして、人類の集団の中に蓄積されていくだろう。そのような突然変異の蓄積は、人間のもつ遺伝的な情報を退化させることになり、その結果、人類の退化を引き起こすかもしれない。そこで木村は、「何万年も先の長期的な話になるかもしれないが、人類が知能や労力や物的な資源の大部分を、いろいろな表現型対策[著者注:病気の治療など]に使うかわりに、より建設的、発展的な事業に使うためにはどうしても優生的な措置が必要だと思われる」とし、その対策として「現実に有効なのは、平均より多くの有害遺伝子をもった人が、何らかの形で子どもの数を制限するか、あるいは有害突然変異をもっていることがわかっている受精卵を、発育の初期に除去するかのどちらかになると思われる」と述べている。
上で述べたのは、有害遺伝子を除く「消極的優生」といわれるものだが、人類にとって好ましいと考えられる形質の増加を目指す「積極的優生」についても木村は言及している。木村は「以下に紹介する積極的優生の手段[著者注:精子銀行とクローン人間を指す]は共に提唱と同時に多くの人たちから激しい反対や批判を受けたもので、筆者も全面的に賛成しているわけでは決してない」としながらも、「何千年、何万年、またそれ以上の長期的な人類の未来を考えようとすると、これらの優生手段は十分考慮に値するものであると信じる」「一般的知能とか健康、社会的協調性といった形質の遺伝的改善を行う上で、科学的にはおそらくもっとも安全・確実で、長期的にも有効な方法といえるかもしれない」と主張しているのである。
木村「優生」論をどう考えるか
前述の木村の主張を考えるうえで重要なのは、木村のいうように、有害遺伝子が将来的に蓄積されていくということは現実に起こりうる可能性がある点である。しかし木村の文章を読むと、彼の考える「人権」とか「人類の発展」とは、「健康で優秀な人間になること」のみのように受け取れる。そこには、「病気でも生きる権利」とか「障害者が健常者と同じように生きる権利」といった、個人の権利という思想が欠如しているように思える。木村の進化観には、進化とは発展するものである、という前進的な意味合いが含まれているのではないだろうか。
木村は、自分が述べるような優生学には「反対意見がある」とし、自分も、「全面的に賛成しているわけではない」と保留しながらも、それらの内容については紹介していない。たとえば、子どもの数を制限するとか受精卵を初期に除去するということが、どのような問題を引き起こすかについては、まったくふれていない。また、知能とか社会的協調性の遺伝的改善ということが、どれだけ危険な発想であるかについても説明されていない。そのため、こうした遺伝的改善が、読者によっては好ましい方法のように受け取られることもあるかもしれない。また、優生学の孕む問題を理解していない人によって、悪用される危険性もあるかもしれない。
>ジョウカン氏は、「進化=進歩と思っている進化生物学者を挙げてみろ」と言われて、まず、「あなたは河田雅圭という人を知っていますか、ぼくはネットで見たのですが」とレスしたんだぞ。ネットで読める範囲のものすら読んでいないのは明らか
にゃっはっはっは。承知してますにゃー。
>NATROMを困らせたいと思うのなら、木村じゃなくて、ドーキンスを挙げるべきだと思う。
おみゃーさんを困らせてみたいのはヤマヤマタニタニにゃんが、今回は「木村と優生思想」ネタを盛り上げるために煽りをいれてみようと思ったのだにゃ。
ところが、その後のジョウカン君の応答を見るにつけ、ここまでのピュア馬鹿を擁して遊ぶ器量は僕にはまったくにゃーことを再認識し、自らの浅慮を悔いているところ。
ちゅうわけで、ジョウカン君の援護からはさっさと撤退するにゃ。
とはいえ、「木村と優生思想」はマジメに考える価値のあるネタだとは思うのだにゃ。
このネタには何人かが早速興味を示しているし、個にゃん的にも以前に勝手に宣言したアドルノの弁証法批判と結びつけて論じてみたいしにゃ。
ちゅうわけで、木村の「生物進化を考える」岩波新書を手に入れて、ここかツリーでじっくりとやってみたいと思ってますにゃ。
近くの本屋になかったら、取り寄せなきゃならにゃーのが難点にゃんが。
興味のある人は、「生物進化を考える」をネタ本にしていっしょに遊ぼう。
河田氏のコラムを読んで来て下さったら、いつでも議論を再開する用意はあります。
ジョウカンさんは、私の「河田氏のコラムを読んで来てください」という
要望を聞いてくださらないようです。これでは議論のための基盤が成立し
ませんので、私はこれでジョウカンさんとの議論を打ち切らせていただこ
うと思います。
私が、こうした一方的な要求を突きつけたのには以下のような理由があり
ます。
>Re:何のための質問? 投稿者:ゆん 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月20日(月)00時54分6秒
>>……と言ったら、ジョウカンさんはその私の発言を信用するのですか?
>そうです、其の事を前提として、ゆんさんとはお話できると言う事です。
>それを確認しないでゆんさんとお話しても「世間ではそういっても私はそう認識していない」と言はれたら、それまでのお話が無駄になります。
>最初に見解を確認して話し始めたいと言う事です。
この発言で、ジョウカンさんは、その背景も説明せずに相手に質問を突きつ
ける理由を、議論に先立って相手の見解を確認しておくためだと仰いました。
そうした手段を取るジョウカンさんには、相手から同様の要求を突きつけら
れた時には無条件にその要求に応じる義務があります。
自分の要求は突きつけるが、相手の要求は聞かないという方とは最低限の信
義も共有できません。よって、以上を持ちまして、ジョウカンさんとの議論
(?)を打ち切らせていただきます。
かしこ。
>「進化=進歩」と言う考えが木村資生が優生学の基盤になると言う事を言っています。
↑「木村資生の優生学の基盤」だろ?慌てるな。
そうとしか読めないなら、君は読解力不足以前に、君に対して寄せられたレスの大半に対して不誠実・かつ不真面目だ。
君はなにを根拠に「木村資生の優生学の基盤」が「進化=進歩」だと言うのだ?明快に述べてみよ。ただそう思うだけ、感じるだけだと言うなら、以後君を無視する。
>・・・決められない・・・判断できない・・・解からない
>としか受け取れませんが・・・。
そもそも君に向けて述べた発言ではない。
であるから君が分からなくても知ったことではない。
というのは木村の有名な言葉ですね。それと斎藤成也の「遺伝子は35億年の夢を見る」より
講義のなかで私はひとつ質問をしたが、それは、「中立進化とは、通常の
意味での進化とは違うのではないか」という主旨のものだった。(略)
木村氏は私の質問に突然いらいらした表情を示し、進化は変化だと
いうことを言われた。これは、じつは現在でも中立論に対する疑問と
して繰り返されているものである。しかし木村氏の答えたとおり、
進化とは変化にすぎないのである。
木村の進化観に「進化=進歩」という考えはないと断言してよいでしょう。
それと木村の優性思想とよく言われるのだけれど、彼は従来ならば自然に
淘汰されていた有害遺伝子が、医学の発達により中立となり、集団内に
固定することについての懸念を述べているわけです。
優性思想と無関係とは言わないけれど、古典的な優性思想と同一視するのも
どうかなと思います。
> 「進化=進歩」と言う考えが木村資生が優生学の基盤になると言う事を言っています。
斜め読みぐらいはひょっとしてしたのかもしれないけれど、この一文からすると激しく誤読している事が良く判る。
>こっちに答えてくれ。
「進化=進歩」と言う考えが木村資生が優生学の基盤になると言う事を言っています。
>熟慮を要する
・・・決められない・・・判断できない・・・解からない
としか受け取れませんが・・・。
もうちょっと待っててくださいね
>熟慮を要する・・・とはどういうことですか?
書いてあることが読めない人と話しても不毛なだけだよ。
それ以前に
>進化という名称が不適切」だから、木村資生が優生学と見なせる発言を著書に残したと考えているわけではないよね?
こっちに答えてくれ。
>僕は木村の著書はだいぶ昔にざっと読んだだけであり、かつ、現在において手元ににゃーので、印象でしかいえにゃーのだけれど・・・・・
>木村の記述は、生物学や進化論にはくわしくない、しかし標準的な読解力を持つ市民が読んだとして、「木村資生には「進化=進歩=優良化」と言う観念が染み付いていない」と断言できるようなものだったかにゃー?
木村は、淘汰万能主義に反対し、偶然的要因を重視し、分子進化の大半が中立なものであると主張したのであるから、「進化=進歩=優良化」とは異なる立場にいると考える。ただ、「生物学や進化論にはくわしくない、しかし標準的な読解力を持つ市民」が誤読しないかどうかはわからない。でも、ジョウカン氏が誤読しただけって可能性はやっぱり低く、ウェブサイトの断片的な情報を寄せ集めてでっちあげただけように思われる。「進化学という学問のことをはじめて耳にした」ってことだけど、「生物進化を考える」の第一ページから「進化の研究は『進化学』と呼べる段階に達している」と木村は書いている。それとも、少しは勉強をする気になってあれから本を読んだのだろうか。
ジョウカン氏は、「進化=進歩と思っている進化生物学者を挙げてみろ」と言われて、まず、「あなたは河田雅圭という人を知っていますか、ぼくはネットで見たのですが」とレスしたんだぞ。ネットで読める範囲のものすら読んでいないのは明らか。そのあとで、木村の名を出したわけだから、「ジョウカン氏は木村の著作など読んでおらず、河田雅圭のサイト(進化論×優生ででも検索したのだろう)を流し読みしたぐらいであろう」という推測は十分に成り立つと思われる。少なくとも、ジョウカン氏が、木村の著作から、「ああ、そりゃ誤解するかもなー」と言える引用を行なってみせない限りは。
>「進化=進歩と思っている進化生物学者を挙げてみろ」
>といわれて木村の名を出したことについては、その応答の適格性を認めにゃーわけにはいかにゃーと思うのだけどにゃー。
NATROMを困らせたいと思うのなら、木村じゃなくて、ドーキンスを挙げるべきだと思う。「悪魔に仕える牧師」のP363からの章(グールド「フルハウス」に対する書評)など。ドーキンスを持ち出されたら、「進歩の定義次第である」といった後退を余儀なくされただろう。
>しかし一方、(もともとの)優生学そのものが「他人種を根絶やしにする」ほど危険なものか?というと、それは少し違うと考えています。
>それを「害悪」とだけ見なすのは早計だ、と思うのです。
>この現代的優生思想は熟慮を要する問題だ、と思うのです。
熟慮を要する・・・とはどういうことですか?
大文字ナン さんが考え中と言うことですか?
私と違って無知ではないのだから、優生学については進化学でもむかしから議論はなされているのでは?
まだ貴方の結論はでないんですか?
横レスですみませんが。
<投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月21日(火)22時24分28秒>
> ではたまごちゃん(^-^)ノ は木村資生氏の優性思想を支持するのですね。
どうしてそうなるのですか?
たまごちゃん(^-^)ノ さんの発言を読む限り、「木村氏には『進化→進歩』から離れた
立場と優性思想的な立場の両面が見られる」という内容だと思うのですが。
ジョウカンさんは、こう、相手の立場を「適切と思う/適切でないと思う」とか
「支持する/支持しない」といった、2つに1つのどちらかに分類したがりますね。
こういう分類は、やりすぎると、抜け落ちてしまうものが増えてきますので
注意した方が良かろうかと存じます。
さて、ここで「ジョウカン君風に」評するなら、「優生学」という名称は甚だ不適切だ、と思う。まさにこれは「優れた」という「ヒトの価値観」が前面に表出した名称だし、アウシュビッツやホローコーストを連想させる「呪われた名称」でもあるからです。
ただ一方で、前述のような心情が人にある限り、優生学的な行動・行為は絶えることがないだろうし、その範囲が適当であるのならば、これを全否定することも(少なくとも)私には出来ません。
ところで前記した「範囲」とはいったいどんなものだろう?たとえば、致死性遺伝子を持つことがはっきりしている家系の親に、遺伝子治療を施すことが不適切でしょうか?私はそうは思えない。優れたスポーツ選手の家系が、実績ある選手を嫁や婿に欲しがることは規制されるべきでしょうか?そんなことは出来そうもありません。
そこで私は、科学の側からなにかアクションを起こすのなら、遺伝には多様性があること、科学が制御し得る事象には限界があって、優生学的な方法論が望ましい結果だけを生むとは考えられないこと、などを啓蒙し、広めることではないかな?と思う。
また、たとえばジョウカン君が陥っているような「逆説的権威主義」や「逆説的科学万能主義」が蔓延することのないよう、国策レベルで科学的方法論や理科教育、特に科学の手続き・考え方を幼い頃から学んでいくことが必須なんだろうな、と思います。いわゆる「危機意識の実践」として、これ以上のものはないんじゃないだろうか?
>全く解かりません
>私が問題にしているのは木村資生氏の優生学です。
議論を一つに絞ったらどうじゃろうか。
「進化」の名称変更はどうした?
せっかく逃げ道作ったんじゃから逃げさせてくれや。
ま、まさか木村が優生思想を持ってるから「進化」という言葉はよくないとか言うんじゃないじゃろうな?
だとしたら、以前投稿したこの文言を撤回
「チンピラのインネン」
チンピラに対して失礼になる。
> 私が問題にしているのは木村資生氏の優生学です。
あなたが延々と問題にしていたのはそういう事ではないでしょう?
彼の著書のどこをどう読んだら、「進化=進歩」と読み取れるのですか?
自分が答えられない事から逃れるために、話題を逸らすのは卑怯で不誠実な態度ですよ。
ではたまごちゃん(^-^)ノ は木村資生氏の優性思想を支持するのですね。
>この貴方の見解で、現在の日本での木村資生氏の優生学の存在をどう解釈されますか?
最初に確かめておくけれど、貴方の言う「進化という名称が不適切」だから、木村資生が優生学と見なせる発言を著書に残したと考えているわけではないよね?もしそう考えているようなら、貴方とこれ以上話しても無駄だ、と私は考えている。
そして、ジョウカン君の提議した「イチャモン」とはまったく別のテーマとして、現代における優生学、もしくは優生学的行動規範を議論することは有意義だと思う。なので少し私が思うところを書いてみます。
まず「優生政策」として誰でも思い浮かべるのは、ナチス・ドイツの大虐殺だけれど、アレは科学的根拠もなく、ただ民族的エゴイズムを根底に、とってつけた理屈として進化論を「濫用」した結果、引き起こされたもの、と私は認識しています。無論、今日では考えられないような専門家、それは医師や研究者や識者と見なせる人々だけど…彼らをしてさえ「狂った政策」に盲従せざるを得ない状況、つまり恐怖政治に基づく思想弾圧などが背景にあって、一種インフレーション的に広まったのだろう、と考えられます。
しかし一方、(もともとの)優生学そのものが「他人種を根絶やしにする」ほど危険なものか?というと、それは少し違うと考えています。
ある親が子供を授かろうとするとき、出来れば先天的に健康で、身体的欠損や情緒不全などのない「良い子」が生まれることを望む、これはごく当たり前の人間の気持ちであり、これを否定できる親がいるだろうか?と私は思う。
また、既に病変のある人が、遺伝子医療によってその脅威から逃れられるとするなら、やはりどんなことをしてもその「対症療法」にすがりたい、と考えることでしょう。あるいは、遺伝性の病気を持つ「家系」が存在するならば、その遺伝的変異を取り除きたいと願うことも、ごく当たり前のことだと思う。これらの考え方は「優生学」と同様のものだと思うけれど、それを「害悪」とだけ見なすのは早計だ、と思うのです。
しかし、この傾向が強まれば、一種の「予防医学」的に、自分のゲノムを検査したりそれをデータベース化して「望ましいパートナー」を選ぶような社会が訪れないとは限らない。しかしその結果は、望ましいパートナーという少数よりも「望ましくない誰か」という多数を生むことにもなるでしょう。
ここに「差別の芽」は発芽し得る、と私は考えています。
今日においても、ある医療を「受けられる/受けられない」という対価(コスト)にまつわる不平等は発生しているし、将来的にそれが助長される要因として、この現代的優生思想は熟慮を要する問題だ、と思うのです。
>一方、「優生思想云々」は理論や学説とは無縁ですよね?
>宗教みたいなもんだし。
>これ分かりますよね?
全く解かりません
私が問題にしているのは木村資生氏の優生学です。
優生学は立派に理論や学説だと思います。
宗教では断じてありません。
ドルトンの優生学は理論や学説として批判されたのでしょう。
(Re: いど さんへ 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月21日(火)20時07分4秒 )
>貴方は木村資生氏の優生学を支持しますか?
その質問にお答えすることはやぶさかではないのですが、このような場合一つの話題が収束していないのに新たな話題を起こすのは時に混乱をまねきます。
優生学をわたしが指示するしないというのは
現在の問題である「進化論研究者で"進化=進歩"という主張の人がいるか」という事とは別の問題ですのでまたの機会にしていただきたいです。
(もしわたしの見解が本当に効きたいのであれば、この話題が収束次第再度お尋ねいただければ即座に回答させていただきます)
木村の著作を手に入れなければこれ以上はクチバシのはさみようがにゃーな。
買って無駄になるものでもなさそうだし、さっそく手に入れてみることにするにゃ。
今回は入門書であることが望ましいし、安くあがりそうだしね♪
ああ、それと
発言意図を勝手に斟酌されるのは好むところではにゃーが、
今回はおみゃーさんに責任があるわけではにゃーだろ>邪教教祖17歳
まるで気にしてにゃー
×指示→〇支持です。
ジョウカンさん
ジョウカンさんは「科学的真理には逆らえない」という立場ですので、木村資生の思想がどうあれ理論と予測が科学的に正しいのであれば指示するんですよね?
もしジョウカンさんが木村資生の優生学を指示しないのであれば、彼の理論と予測のどこが誤りなのか指摘していただけないでしょうか?
木村が優生思想を持っていたというのは紛れもない事実。
それは、木村『生物進化を考える』の最終章を読めば誰にでも分かることだ。
その一方で、進化生物学者の中でも木村ほど「進化=進歩=優良化」という考えから遠いところにいる人物は珍しいように思う。木村の優生思想はむしろ、彼が「大部分の突然変異は有害である」「医学の発展などにより、自然淘汰の作用が減少すると、有害な突然変異でも除去されずに蓄積しうる」ということを他の誰よりもよく理解していたがうえのものではないかとすら思う(これは私の個人的な印象)。
しかし、『生物進化を考える』だけを読んで木村が「進化=進歩=優良化」からはほど遠い考えの持ち主だということを理解することは難しいかもしれない。
*ジョウカンさん(TO 流木 さん 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月21日(火)19時17分35秒)
こんにちは。
>>木村資生氏の優生学です。
木村資生さんの名を挙げられていますが、それは他の方が「木村さんの著書の巻末には優生的施策への言及がある」と述べたからではありませんか?あなたご自身は、入手されたはずの木村さんの著作をとりあえずお読みになりましたか?
誰かが自分の意見(生物進化の専門家は進化論を誤解している)にとって都合のよさそうな書き込みをしたからといって、もし、裏づけの確認もせずにそれに飛びつくというようなことがあっては、周囲はあなたの知的誠実さを疑わざるを得ません。
>優生思想そのものの是非を再検討こともありえるでしょうにゃ。
面白いテーマですが、ジョウカンさんには、まず私の質問に答えてもらわないと。
木村の書いた物を読んで「進化=進歩」という考えが読み取れましたか?
>私は木村資生の優生学を支持しないけど、いずれにしろ、木村資生には「進化=進歩=優良化」と言う観念が染み付いていないよね
僕は木村の著書はだいぶ昔にざっと読んだだけであり、かつ、現在において手元ににゃーので、印象でしかいえにゃーのだけれど・・・・・
木村の記述は、生物学や進化論にはくわしくない、しかし標準的な読解力を持つ市民が読んだとして、「木村資生には「進化=進歩=優良化」と言う観念が染み付いていない」と断言できるようなものだったかにゃー?
もちろん僕はジョウカン君のいっていることはほとんど支持するつもりはにゃーのだが、
「進化=進歩と思っている進化生物学者を挙げてみろ」
といわれて木村の名を出したことについては、その応答の適格性を認めにゃーわけにはいかにゃーと思うのだけどにゃー。
>腰巾着もここまで来ると見苦しい。
私は地下に眠るMさんの腰巾着じゃないですよ。
私はただ、これ(↓)は「AにはBという意味はない」という日本語の用法としておかしいと思う。ってことを言いたかっただけです。
>進化には進歩という意味はないというのは、いくらなんでも間違いじゃろう。
>進歩するだけが進化ではないが、進歩するのも進化のうち。
(進化には進歩という意味もある 投稿者:JA50 投稿日: 2004年09月17日 0時20分 )
09月17日0時20分以前にジョウカンさんに対して「進化には進歩という意味はない」と書いた人は地下に眠るMさん以外にも何人かいました。直前ではなく、表現も少し違いますが、私も似たようなことを言っています。
>進化という言葉には、「ヒトはアメーバーよりも進化していて優れている」と言ったような、進歩の概念は含まれていません。
(はじめまして 投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2004年09月13日23時06分)
だから、JA50さんは地下に眠るMさん個人にではなく、私も含む不特定多数の人に向けて「進化に進歩という意味はないというのは、いくらなんでも間違い」とおっしゃっているのだと思っていました。
したがって、私のJA50さんへの最初のレスは、地下に眠るMさんの弁護や代弁ではありえません。また、その後も地下に眠るMさんを弁護や代弁しようとしたつもりはありません。
しかし、元々はJA50さんと私の間の話だったものが、いつの間にか地下に眠るMさんの発言意図は何かということに発展し、地下に眠るMさんの発言を勝手に解釈し、その解釈を元々の発言者である地下に眠るMさんにまで押し付けてしまっていました。
これは、地下に眠るMさんに対して非常に失礼だったと思います。申し訳ありませんでした。
貴方は木村資生氏の優生学を支持しますか?
ジョウカンさんは、
「木村の優勢思想は、進化論が進化という名前を持っていることで引き起こされた」
って思ってるの?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>ジョウカン 投稿者:大文字ナン 投稿日: 9月19日(日)20時58分32秒
話にならんほど馬鹿なのかい?>ジョウカン
国をあげての政策が医師や看護者によって推進されたと思うのかい?
不安定な国内外の情勢と行き過ぎたナショナリズムやファッショが跋扈しているような時に、正しい情報は規制され、プロバガンダが蔓延し、社会経済が破綻しているような状況において、何者かを「悪者」にすることで自己の正当性を主張する「馬鹿者」が、前時代に多かったこと、そしてもしかすると、今の世の中にも潜んでいるかも知れないことを、君は危惧できないのかい?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この貴方の見解で、現在の日本での木村資生氏の優生学の存在をどう解釈されますか?
を一々書かせていただきます。蛇足なのは承知の上、念のため…
1)「優生思想を持っている進化論研究者がいる」ということと
「進化=進歩 とその研究者が考えている」こととはイコールではない
すでにミケさんが指摘されていることと同じですね。
2)「進化=進歩 とその研究者が考えている」ことが事実であったとしても
「進化論の研究者の中で"進化=進歩"という考えが大勢を占める」事はイコールではない
相対性理論を否定する科学者がいたとしても、そのことをもって「科学者の中では相対性理論を否定する考えが大勢を占める」ということにはなりません。
木村には明らかに優生思想が見られるにゃんね。
問題は木村の中立説から直接あるいは間接的に優生思想が導かれるかどうかだにゃ。
また、
優生思想そのものの是非を再検討こともありえるでしょうにゃ。
なににしろ、木村は当代を代表する進化生物学の大御所であり、彼が優生学的思想をもっているのも明らかにゃんから、ここに関するジョウカンの問題提起を適当に扱うことはできにゃーだろうね。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page27.html
質問に質問を返すなよ。自分からされた質問に答えてから、改めて質問しろよ。
>馬鹿へ 投稿者:NATROM 投稿日: 9月18日(土)22時53分8秒
>>はい、優性思想はよくないですねえ。それで、
>>「進化=進歩=優良化」と言う観念が染み付いている進化生物学の専門家の名前を挙げてください
私は木村資生の優生学を支持しないけど、いずれにしろ、木村資生には「進化=進歩=優良化」と言う観念が染み付いていないよね。木村が進化生物学にどういった貢献をしたのか知っているの?それでさ、
・ジョウカンさんは、木村資生氏の「生物進化を考える」という著書は読んだの?
・読んだとして、いったいどこから「進化=進歩=優良化」と言う観念が染み付いていると判断したの?
あのね、単刀直入に言えば、ジョウカンさんは読んでもいない本を読んだとウソついて、断片的な情報から適当なことを言っているのだと思われているのだ。上記質問にきちんと著書から引用して述べない限り、馬鹿なだけでなく、読んでもいない本を読んだ事にしている怠け者の卑怯者とみなされてもしょうがないのだ。
貴方の前の文は拝見しました。
まずお聞きしたいのは貴方は木村資生氏の優生学を支持しますか?
勿論私は支持しませんが。
ジョウカンさんへ。
「進化=進歩とみなす」は、
進化についての理解・進化の定義に関わってくるので、
一つの理論とみなせますね?
一方、「優生思想云々」は理論や学説とは無縁ですよね?
宗教みたいなもんだし。
これ分かりますよね?
その辺りの話は、私が今朝URLを紹介した河田さんのコラムに
綺麗にまとまっています。大した分量ではありませんから、ま
ずそちらに目を通してください。お話の続きはそれからにしま
しょう。
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/ECOLEVOL/ANIMECO/kawata/elekitel/sp_02_a.htm
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/ECOLEVOL/ANIMECO/kawata/elekitel/sp_02_b.htm
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/ECOLEVOL/ANIMECO/kawata/elekitel/sp_02_c.htm
To ジョウカンさん
私はあなたがその本を読んだ上で発言しているのかどうかを問題にしているだけですが?
貴方は木村資生氏の考えを支持するのですね?
「進化」という言葉が「進歩」という意味を含むからやめるべきだという
ジョウカンさんの主張にはまったく共感しないのですが、
進化生物学の大御所で優生学の信奉者というとR.A. フィッシャー
なんてのがいましたね。1930年の本の末尾で堂々と書いています。
また、ダーウィンの「人間の由来」にも
文明社会においては有害な変異が蓄積する、と否定的に
述べた一節があります。(という話はすでに出てますか?)
ただ、彼らの優生学は進化論というよりは家畜の品種改良の方に
根っこがあるので、「進化」と「進歩」を混同したから優生学者になった
というのは事実誤認だと思います。evolution とprogressは語源的にも
関係ないですし。社会進化論も英語ではsocial darwinismと呼ばれる
ことが多く、evolutionという言葉自体が誤解を招いているわけじゃ
なさそうですね。
(以前は実名で投稿していたのですが匿名掲示板に実名投稿は
かえって場の空気を悪くするかと思い直してハンドルつけました。
よしなにお願いします。)
Re:専門家は間違っている? 投稿者:流木 投稿日: 9月19日(日)01時52分46秒
>>進化生物学の専門家が「進化=優性思想」を捨てきれない、だ?
>そもそも、生物進化の専門家が進化について誤解しているというのは、どこから出てくる発想なのでしょうか?
是のお答えです。
木村資生氏の優生学です。
Google で「進化論 優生」とか検索した結果出てきたページのどこかを見て木村の名前を引っ張り出してただけという可能性も否定しきれないわけだけど(笑)
(ここの掲示板だってHITするし)
To 谷庵さま、kosukeさまへ
「2001年宇宙の旅に行って来ました」歴史は繰り返されておられるのですね!
ゲーム好きな牧師さまで、福岡百道図書館にご滞在されておられるお方ですね!
了解しました。刺激を与えないように、気をつけます。
でもなんかこー突っ込み入れたいなあって感触ですねえ。こここ・・・堪えきれるかしら
> はい、木村資生氏の「生物進化を考える」という著書を読みましたが著者の優生思想が読み取れました。」
その『優生』思想ではどのように「進化=進歩=優良化」と言う観念が示されていますか?
木村資生氏の「生物進化を考える」はお読みになられたのですね?
To ジョウカンさん
>木村資生という人は優性思想を持っているようですが
木村資生氏の著書を一冊でも読んだ上での発言なのでしょうか?
「ようですが」ということは読んでいないのではと思いますが、木村について書かれた記事をどこかで読んだ印象からの発言なのでしょうか?
というか、そもそもジョウカンさんは進化論について書かれた書物を何か読んだことがおありですか? というのが一番気になります。
質問を質問で返すバカ 投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 9月19日(日)18時27分42秒
>「はい、○○○○氏の××××という著書を読みましたが著者の優生思想が読み取れました。」
はい、木村資生氏の「生物進化を考える」という著書を読みましたが著者の優生思想が読み取れました。」
馬鹿へ 投稿者:NATROM 投稿日: 9月18日(土)22時53分8秒
>はい、優性思想はよくないですねえ。それで、
>「進化=進歩=優良化」と言う観念が染み付いている進化生物学の専門家の名前を挙げてください
木村資生という人は優性思想を持っているようですが
ですから私は引用すると。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで、「種とは何か」について、ふたたび付け加えておこう。私の考えでは、進化を考えるときに「種とは何か」を考えることには意義がない。その時々で問題にしている集団が、潜在的に生殖隔離をしている集団なのか、実質的遺伝子交流集団なのか、同じ形態をもった個体の集団なのかなどを明らかにしておけば、「種」という言葉を持ち出さなくてもよいのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>「種」という言葉を持ち出さなくてもよいのだ。・・・・
「種分化」って言葉を散々持ち出しているのはご当人ではないかと言いたいです。
最初から「種」の定義について
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>潜在的に生殖隔離をしている集団なのか、
>実質的遺伝子交流集団なのか、
>同じ形態をもった個体の集団なのかなどを明らかにしておけば
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
という三つくらいの意味で定義しなおせば始めから分かり易い、
後になって、「種」という言葉を持ち出さなくてもよいのだ。・・・・とか
言って其れまでの文章で積み上げてきたものをひっくり返す事はないといっているのです。
大じなのは貴方言うより妥当な種の定義では無いですか?
もし「種」という実体は存在しないなら「種の起源」など意味が無いということになる。
>今では「種」という実体は存在しない、
>進化は「個体」単位で起こる、「種」という区分はあくまで便宜的な物だ、
>というのが進化学者の間ではコンセンサスになっていると思います。
言い換えると「個体」単位で起こる進化と、あるまとまった集団の進化との係わり合いを解明するのが目的なんじゃないですかと言う事。
>進化学者達は、より妥当な種の定義というのをずっと探し求めていましたが
と貴方が書いているように。
探し求め続ける事が科学なんじゃないですか?
それなら私でも良くわかるのですが・・・・・。
淳子様
過去ログ
http://doko.totto.to/~tosakai/board040625.html
6月22日〜23日頃をご覧下さい。
基本的にそっとして置いてあげて下さい。
と書いたけど、余計なお世話かも。いや、この世さんに対して非常に失礼な事だな。
過去ログはあくまで参考までということで、ヨロシク。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。