このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
いえいえ今うちにある本だけでも全部読み切れない分量です。
書店に行ったら欲しい本を見つけてここに紹介した次第です。
将来はほしいです。
どうやらポケモンには、「いでん」という要素もあるようです。
ちなみに「いでん」するのは「わざ」らしいので、獲得形質の遺伝ってトコでしょうか。
やってみようかな、ポケモン・・・・・・
>今日見つけためぼしい本 投稿者:この世は仮の世さまへ 9月16日(木)17時07分
こんなに沢山の本を全部読まれるのですか?すみません(__)無断でお声をおかけして
びっくりして申し訳ないです。因みに全部読破するのに、どの位の日数がかかりますか?
『エッ、ほっといてくれ、ハイ、すみませんでした』
「働かないってワクワクしない?」アーニーJゼリンスキー 前にも紹介した気が・・・この本ほしい
「不滅の意識」福岡市総合図書館のサイトで蔵書検索してもなかった本、私がほしいような大概の本は図書館にもあるのだが・・・
「宇宙意識」リチャード・モーリスバック 上に同じ
「キッパリ!」上大岡トメ 立ち読みしていい本だと思った
「水は音楽をきいている」江本勝
「過去世セラピー」ネビル・ロウ 最初はうさんくさい本だと思ったが、立ち読みしてほしくなった
「完全マスター催眠術」武藤安隆 CD付き
「天職の見つけ方」大川隆法総裁先生は「伝道以外に天職はない」というのだが、就職というのは一生ものの大問題だ・・・
「宮崎アニメの暗号」 これから下の本は全部タイトルだけで選んだ本
「僕は馬鹿になった」ビートたけし 働いていたときの私の心境を代弁したタイトル
「「1冊を一分」のスーパー速読法」
「人生のこたえはいつも私の中にある」
「スピリチュアルガイド」
「自分が分からないあなたへ」井内紀代
「彼を幸せにするためにできること」エレン・クレイドマン
「すきな人の気持ちがわかる本」トレーシー・キャボット
「愛されるための心のマナー」大原敬子
「聖書のたのしいよみ方」
「クラシック名盤この一枚」中野雄
「となりのハハハ笑う生活のすすめ」近藤勝重
「ぜいたく生活のススメ」中山庸子
「心にのこるちょっといい話」中村充
「ダライラマの仏教入門」ダライラマ14世
「うつな気分がきえる本」高田明和
「「こだわり」をすてる」小林信源
「言っていいこと、わるいこと」永六輔
「私にとって神とは」遠藤周作
「つい他人に話したくなる歴史のホント250」山本茂
「面白い小説を見つけるために」小林信彦
きゅう永漢の本 欲しい本多数あって省略
「1億3000万人の素朴な疑問650」
「今さら他人にはきけない疑問650」
「カベにぶつかったときによむ哲学の本」梅香彰
「クレーム処理が上手い人下手な人」浦野啓子
「1分間「接客術」トレーニング」浦野啓子
「「ホンダ」流個性を生かす仕事術」大河滋
「ホンネを見抜く心理学」樺旦純
「茂太さんの元気を出すのがうまい人ヘタな人」斉藤茂太
「「うつ」がスーッとはれる本」斉藤茂太
「心のつかれをとるちょっとした方法」墨岡孝
「「うつ」な気分がはれる本」墨岡孝
「もっと「自分を好き」になる本」高見恭子
「仕事は整理の速さで決まる!」
「解決力!」奈良井安
「「儲かる商売」のウラ事情」西野武彦
「人生はゆっくりかえればいい!」藤原東演
「心の整理が上手い人・下手な人」本多信一
下で示したリンクはネタバレがあるそうなので、
ゲームを楽しみたい方は行かないほうがいいかもしれません。
失礼しました。
ポケモンの進化をちょっと調べてみました。
http://no2.pic.bz/pokedex/aiueo.html
キャタピー → トランセル → バタフリー
ビードル → コクーン → スピアー
・・・・・・見事に完全変態
ニョロモ → ニョロゾ → ニョロボンまたはニョロトノ
・・・・・・発生学の勉強になりそうです。
当然「進化」ではないんですけど、進化って言ったほうがかっこいいからなぁ・・・・・・。
ちびっ子はやはりこっちを本流と思うのでしょうかねぇ?
恐竜っ子とゲーム好きとの間で論争が起こってたりして。
オウム真理教の行方を追っている、ジャーナリストの「有田よしきさん」の髪の毛が無くなっていっているよ。ここのところは急激にきてます。きてます。テレビに登場した当初は、フサフサしていたけど、顔が長くなったのかな?痩せてきたのかな?髪がなくなっているよ。でも好き!やわらかな髪の毛を触ってみたいなあ!
髪の毛は進化するのですか?逆かな?
有田さんの髪の毛はもう、秋です。早く早く全部抜けちゃえ・・・想像するだけでもワクワクする・・・・・
おはよう御座います。毎日欠かさずに覗いて、ため息をついているものです。
皆さんは、お元気ですね、私は、1行読むのでも、何度も何度も読み返さないと、理解出来ないほどの、素人です、学習の場にさせていただいてます。
HN変えてもいいですか?夜間の小噺なんてもう痺れていますよ(^^)
頑張ってくださいませ。私は「アルプスの少女ハイジ」好きでした。「妖怪人間ベム」「ウルトラQ」「ゴジラ対キングギドラ」ショウケンと水谷豊のシリーズ、トマトをまねしてマル齧りしたっけ?(嘘)やっぱ、ソーセージは魚肉に限るよねえ?
高校1年生の息子が、物理がダメなんです。ちんぷんかんぷんです。どうしたら好きになれますか?先生教えてください(__)集中力がない・・・・
>言葉である漢字の意味です「進」の漢字の持つ意味です。
辞典を持ち出すんなら、すでに「進化」という言葉は、進歩という意味を含まない生物進化の意味で辞典に載っているという罠。文句つける前に、辞書ぐらい引いたらいかがか。
>これなら<進化>と言う用語を使う必然性はない。
><遺伝>と言う言葉と<進化>と言う言葉の間には関連がないから。
><遺伝的変化>といえばよろしい。
「<遺伝>と言う言葉と<進化>と言う言葉の間には関連がない」というのは、ジョウカンさんが知らないだけなのです。それで、進化論を変化論と呼んだときに、「遺伝的変化」と「遺伝的ではない変化」をごっちゃにして誤解する人が出現すると思われますが、ジョウカンさんはどうすればよいと思われますか?
>>2.進化は非科学的な表現だし、誤解し悪用する人がいるから言い換えよう。
>何度も言っているように・・・・2・・・・です。
へえ、進化論について内容を大まかにも知らず、あまつさえ「進化学という学問のことをはじめて耳にした」ってのに、
・「進化」という言葉が非科学的な表現かどうか、判断できるんですか?
あのね、ジョウカンさんは、進化論と自然科学について無知だから、進化という言葉が非科学的な表現だと誤解しているのです。
#物理学用語での「仕事」も「非科学的な表現」なのだろうか?漢語辞典を引いてごらん。
議論に参加していた者として意見を表明しておきますが。
いどさんが全部おっしゃってますので。
<投稿者:いど 投稿日: 9月16日(木)00時03分37秒>の内容と以下同文
で済んでしまいます。
迷える人達を求うための方法として「名前を変えよう」という主張だと思っていたの
ですが、ならば議論すべきはそれが有効であるかどうかで、字義についてではないで
しょう。
いどさん:
> 問題の解決も出来ないのであれば、語の入れ替えは無用な混乱を生むだけです。デメリットがメリットをはるかに上回ると考えていますので進化論のままでヨイと考えます。
僕もこう思います。
<投稿者:YEBISU 投稿日: 9月16日(木)02時48分27秒>
> 1. 生物は“進歩、発達”してきた、という誤解
> 2. 成長、発達のみを善とし、強要する風潮
> をどうにかしない限り、なんの解決にもならないと思われます
結局はこれでしょう。
ところで、
<投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月15日(水)23時10分0秒>
> そのように答えが決まっていて科学的に違う意見は零点になると言う例です。
これはどういう意味なんでしょう。いや、意味自体は分かるんですが、どういう意図で
こう記述しているのかが分からなくてとまどっています。
元々は、ジョウカンさんの「学校で『進化』なんて教えているから〜」という話があって。
だから、学校のテストでも「進化した生物はより優れている」と書けば零点だろう、
そんなことは教えていないんじゃないか、というつもりの記述でした。
ジョウカンさんの認識では、学校ではどう教えているのでしょうか?
まさか、「授業やテストでは『進化した生物はより優れている』は誤りと教えているが、
それでも『進化』という語感が誤解を呼ぶ」という主張ですか?
これまでも言われていることですが、
<投稿者:PDX. 投稿日: 9月14日(火)20時30分28秒>
> 人々の中に「ヒトはもっともすぐれた生物である」という奢りがあり、
> 「下等動物は進化していない・遅れている」という誤解がある以上、
> 言葉を変えただけでは同じ誤解がえんえん繰り返されるだけです。
<投稿者:soft_tractor 投稿日: 9月16日(木)01時24分28秒>
> どうも進化論とか進化てえのは、すこぶる漠然と「より良くなる」ってえ感じに思われがちなところがあるみてえで、それは恐らくどこの国でも言葉でも事情は変わらねえように思えやす。
語感よりも、こういう「万物の霊長」感が誤解を呼んでいると思うのですが。
突然失礼します。ずっと ROM させてもらってます。
この辺りからすれちがっていませんか?
投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月15日(水)01時03分13秒
> ですから、人生相談で扱うような人生観をあらはす用語「進化」を科学
> のお題目にするのは止めた方が・・・と言っているのです。
ジョウカンさんは、ポケモン流の、あるいは成長、発達を表す「進化」と
いう言葉があって、その言葉をダーウィンの理論の名称にとりいれた、と考
えられているようです。
私の手元の岩波国語辞典、平凡社マイペディアでは、「進化」の意味とし
て生物学的ものしかのっていません。大辞林だけは第2義として
(2)物事が次第に発達していくこと。▽⇔退化。
とあります。
私は、ダーウィンの理論が紹介されたときから「進化」という言葉が広
まった、すなわち生物学的な意味が(厳密ではないにしろ)「進化」の第
一義と思っていました。成長、発達、進歩の意味に用いるのは比喩ないし
誤用だと。
なので、「進化」を「変化」にしても、
1. 生物は“進歩、発達”してきた、という誤解
2. 成長、発達のみを善とし、強要する風潮
をどうにかしない限り、なんの解決にもならないと思われます。むしろ
進化論の正しい教育の方が最も有効なのではありませんか?今の教育では
ほとんどなされていないようですし。(なので「変化」にかえても浸透し
ないという罠)
ps. ポケモンの「進化」って、正しくは「変態」?
>大文字ナンさん
いやぁおみそレ(<必死の巻き舌)いたしやした。m(__)m
やっぱり本場ン方ぁ違うねえ、あっしみてえな借リ着たあ月とスッポンだあね。
>soft_tractor さん&皆様
「マカロニ〜」の方は、オイラたちの世代(1966生まれ)にゃぁかなりのメジャーなもんで、ここはちょいと粋を狙って「ドラネコ」を推してみたってな按配で。
なんと申しましょうかねぇ、その後の「理不尽系」ギャグの先鞭を切ったとでも形容すりゃぁイイんでしょうか「きんどー日曜」と「ひざかた歳三」のペアはもうなんつぅか天晴れ!に尽きるってなもんでごぜいやす。まぁこっちは「マカロニ」の方で。
これが月刊チャンピオンの方に目を移すとですヨ、当時(いまだに)妙にヒーローじみてるか極端に愚連隊扱いされてっかの、理屈でいやぁ二項論じみてやがった「暴走族」の風体やら日常ってのを、飛び抜けちゃぁいるけどリアルに描いてたのが「ドラネコロック」だったんでごぜいやす。まぁちょいとお洒落が過ぎるキライはありやすがね。
オイラも下町そだちなもんで、ドラネコに出てくる「グニヤ=質屋」(実はこれドラネコ2にあたる「DタウンCロック」)だの「ビセロ=背広」だのって「山谷言葉」が妙に馴染んじまって、ちょいとヤサグレたガキのハートをくすぐったてな調子でありやす。
ついでに、ドラネコに出てくる「プロの正義の味方=警察官」てのが、マッチョでロケンローな二人組なんですが、こいつのセリフってのがイカしてやしてね
「俺の魅力?そうだな、汗の匂いと品のなさだな」
なんてぇ具合にハツラツとしてやがって…ニクイぜコンチクショー!ってな感じにもうアレだ「ラ行は巻き舌」で発音しれ!みたいな現代風に言やぁ、椎名林檎とかに通じるってな按配でもう、ナニ言ってるんだか本人も分からねぇ状態なんでこの辺にて失礼いたしやす。
おっと、ちょいと道をあけておくんなさいよぉ…
#すっかりうつったというか…地が出たというか…
口の悪いのが連投、失礼いたしやすよ。
>ジョウカンさんへ
えー、お初におめもじいたしやす。
あっしみてえなもんが口幅ったいとは思いやすが、ちょいと気になったんで、ちっとばっかしお付き合いくだせえ。
まず、ジョウカンさんのおっしゃる、「進化」ってえ言葉があらぬ誤解を招きやすいってことは、あっしもわかるような気がしやす。
あっし自身もちょいと気を抜くと「蝙蝠の目は退化した」なんてえゆうふうに思っちまいやすしね。(これ、あんまり正しくねえですよね?>皆さん)
けども、「進化」を「変化」に代えりゃあそれで済むかってえと、どうもそうじゃねえような気がするんですね。
てえのも、進化論を「弱肉強食」的に解釈して、社会に広めようとしたのは、日本に限った話じゃあねえんですね。
その最悪な例がナチスの優生学的思想(これでいいんでやすかね?)、要するに「アーリア人は世界一、世界は(より「進化」した)アーリア人のためにあり」的な考え方でやすね。
ドイツ語で「進化」のことをなんて言うかは知りやせんが、少なくとも日本語の「進化」ってえ言葉から、上記みてえなトンデモなことを考えたんじゃあねえでしょう。
どうも進化論とか進化てえのは、すこぶる漠然と「より良くなる」ってえ感じに思われがちなところがあるみてえで、それは恐らくどこの国でも言葉でも事情は変わらねえように思えやす。まあ、こいつはあっしの一人合点なんでやすが…。
そんなわけで、あっしは進化ってえ言葉を言い換えても、「半分以上の問題が解決」するとは、ちと思えねえんですね。
それよりは、他の皆さんがおっしゃるように、より正しい考え方や知識を広めてく方が大事なことだし、あっし自身、こちらを覗かせていただくようになって、随分と見聞が広まったような気が(気だけでやすが)いたしやす。
#とは言え、「進化」ってえ言葉の語感についちゃあ、ジョウカンさんのおっしゃることも頷けねえわけじゃあねえんだよなぁ。「進歩」ってえ言葉にそっくりだし、人ってえのは存外語感に左右されちまうもんだと、あっしは思うんでねぇ。
どうも失礼いたしやした。
口の悪いのはご勘弁くだせえ。
そいじゃあ、御免なすって。
誤 名称の変化による効果
正 名称の変更による効果
「マカロニほうれん荘」大好きでした!がきデカよりも、はるかにはるかに!!
前の話題でこんな例を挙げていましたね。下女を女中、そしてそれを家政婦さん、と呼ぶようになったと言う感じの。
こういうのはシミュレーションしてみるのが良いと思います。せめて頭の中ででも、してみるのはどうでしょうか。
「エタ」、「ヒニン」という差別用語を使っていたときもあったそうですが、それをやめてもその差別は中々なくならなかったそうです。だからといって、その言葉を認めるのはおかしいのは明らかです。社会的な発達や時代の流れで、それは少しは減ってきたように思えます、これが皆さんの言う「根本的な解決」に当たると思います。言葉の変更は根本的な解決にならない、と主張している人もいますが、「言葉の変更」はその中の根本的な解決、と言うほどではないにしろ、この場合では差別を減らすための一つの要因ではないか、と考えることが出来ると思います。言葉を変更したり、させられたり、または心の中でその言葉を変更しよう、と思い至ったとき、何かしらの効果があるかもしれません。
仮に「変化論」と名称を変更したら(まずそんなことはありえないと思いますが)ある人はまた別の誤解をするでしょう、が、効果がない、とは言い切れないと思います。私には予想できませんが、もしかしたら誤解されて理解される傾向が低くなる、かもしれません。
何が言いたいのか、と言うと、どっちの立場も理解できるので、弱そうな立場の方をちょっと助けたかっただけ、というだけのことで、聞き流してくれて結構です。
>大文字ナンさんへ
ああっ、ま、またココロのツボを押されっちまいやした。
大文字ナンさん>私は「鴨川つばめ」を大いに押したいんだけどにゃ。それも「ほうれん荘」ではなく「ドラネコロック」の方で!
カミングアウトしちまいやすと、連載当時、あっしは「がきデカ」よりも「マカロニほうれん荘」の方を熱心に読んでおりやした。
「ドラネコロック」も欠かさず読んでおりやしたが、なんせ月刊の方だったんで、あっしは「マカロニほうれん荘」の方が愛着がありやす
ね。
「漫画を(単行本で)集める」ってことも「マカロニほうれん荘」から始めたように思いやす。
詳しく調べたわけじゃあねえんで、以下は毎度の思い込み発言ってことで…。
今現在活動していないことと、作品数が極端に限られることで、とかくに「思い出の作家」ってえ扱いになりがちでやすが、あっしは鴨川
つばめがそれ以降に与えた影響は絶大なもんがあるんじゃあねえかと思っておりやす。
漫画を「読む」ものから「観る」ものにしちまったっていうか、1編の話、1つのコマに盛り込まれる情報が、それまでの漫画に比べてグ
ンと多くなった。
着るもの一つとっても、当時の少年漫画の中じゃあ頭抜けておしゃれでやしたよね。
それ以外でも、例えばロックバンドのステージとか、航空母艦から飛行機が発艦するシーンを、これでもかってくれえ描き込んだりとか、
とにかくディティールへのこだわりはかなりのもんでやした。
大文字ナンさん>事実上消えちゃってるのが悲しいかも知れない。
10年くらい前、雑誌のインタビュー記事を読んだんでやすが、「マカロニほうれん荘」はほとんど一人で描いてたってな事を言っておら
れやしたね。細部にこだわるとどうしても他人任せにできねえってことだったみてえですが、連載が終わった直後は、ほとんど寝たきりに
なっちまったみてえです。
自分の持ってる抽斗の中身を、躊躇いも臆面も無く吐き出し尽くしたってえようなことを言ってらっしゃったのが印象に残っておりやす。
柄にも無く力みかえっちまいやしたが、なんせ思い入れのある作家なんで、一つご勘弁くだせえ。
そいじゃあ、御免なすって。
追:
>大文字ナンさんへ
小噺お見事!
あっしもまだまだ腕を磨かにゃあ…
>実際問題として「やーい、ジャップ」と言われるのと、
>「やーい、日本人」と言われるのでは大分違います。
>私はそう思います。
わしゃ、そうは思わん。(しゅうーりょーー)
>では貴方は「進化論」がいいと言う訳ですね。
無知傲慢の輩の横車で名称を変更するのには反対じゃな。
>大文字ナンさん
進化論導入のお話として「熊さん はっつぁさんの進化論小噺」でも一筆どうですか?(^-^
いいのか悪いのかって聞かれると、...(-_-;)
...ボクはどちらかというとテキトーなタイプだから、
善いんじゃない?どっちでも♪ (^ー^;)
>私は問題を解決しろとは言っていません。
>貴方は「進化論」で善いのかと聞いているのです。
元々は
進化論という語を中身を学ぶこともせず誤解を招く人がいる
↓
誤解により自らを追い詰める人間が居る
↓
そのような人間を減らすために進化論という語はやめるべきだ
ということだったのでは?
だからわたしは「仮にやめたとしてもそういう人は他の対象に対してまた誤解をして勝手な思いを募らせる。であるので語の入れ替えをしても問題は解決されない」という主張をしています。
問題の解決も出来ないのであれば、語の入れ替えは無用な混乱を生むだけです。デメリットがメリットをはるかに上回ると考えていますので進化論のままでヨイと考えます。
…問題を解決しなくていいなら進化論のままでいいじゃん
私は問題を解決しろとは言っていません。
貴方は「進化論」で善いのかと聞いているのです。
「最近アレだな、おい、進化論だとかいってこぉ、珍妙な理屈が評判だってんじゃねぇか、え?ハチ」
「おいおい珍妙はねぇだろう、熊さん。あんたねぇ、おいらたち人間様もそこぃらを泳いでるカエルもだよ、もとはといやぁ一緒の生まれだってんだぜ?ええ、こいつぁ驚きだよなぁ」
「そいつぁアレかぃ?おめぇさんもおいらももとはといえばどっかのバァさんが生んだガキのそのまたガキかも知れねぇってな具合の話かい?」
「まとめりゃぁ、そうだな。しっかし、こいつはもっとスケイルとやらのでっけぇ話でよ、おいらと熊さんが遠い遠い親戚かも知れねぇってことはよぉ、ちょいと考えりゃぁ合点がいくってなもんよ。だがよぉ、これがだな、おいらと熊さんどころの騒ぎじゃねぇんだな、そこいらのカエルに犬ころに便所に湧いてるウジとかよ、ついでにお城でふんぞり返ってるお殿さままでが血ぃの繋がった兄弟かも知れねぇってこった。畏れ多くてひっくり返るってなもんだ」
「そいつぁ仰天だな…するってぇと、おいらとお殿さまにはおんなじカカァがいて、そのカカァときたらアマガエルのカカァだったりするってなもんか?おめぇそんな馬鹿な理屈はねぇだろう。だいたいアレだ、ツラもついてるもんも違いすぎるってなもんよ」
「そりゃおめぇ、いきなりカエルが人間様を生むだとかよ、その逆ってなわけにはいかねぇよ。ものには順番ってのがあってだよ、え〜となんだったかな、漸次的変化っつうガイネンがあるわけよ。おいおい、禅寺じゃねぇんだよ。こら熊、どこ見てんだ」
「それがよぉ、えらくめかしこんだ姐御が歩いててだ」
「……」
↑ってな話を熊さん八っつあんが十分に理解していたということで?>ジョウカンさん
>論議をどれだけ述べても事態は変化しないと思うのですけど。
私は事態を変えろとは言っていません。
貴方は「進化論」で善いのかと聞いているのです。
>かなり違います・・・と私は何度も言ってます。
(TO いど さん 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月15日(水)23時21分29秒 )
変わらない・・・と他の方からも何度も反論されてます。
その上ご自身も、
>何度も言っているように、私には呼び名が変わっただけで問題の半分以上は解消されているように思います。
>しかし効果があるかどうかは見解の相違でしかたありません。
と述べているとおり「俺はコウ思う」「や、そうは思わない」という程度の話でしかなく根拠も何もあったものではありません。
ですからそのような事を理由にしては到底、科学用語を他の語と取り替えるのは難しいでしょう。
何より問題の根本の部分は「進化を変化に変えたところで 投稿者:いど 投稿日: 9月15日(水)08時00分12秒」でも述べさせていただいたとおり、
>「対象に関して対して学んだわけでもなく、単に語感から来る先入観だけを信じ、
>勝手に信じた内容からショックを受ける」
>ということ自体が問題であり、進化と進歩を混同するのはこの問題にくっ付いてくる問題でしかありません。
ですからもしも「進化」という語を「変化」などに変え、進化論に関する誤解が消えたとしても根本の原因が解決されない限り、また他の対象を知りもせずに先入観だけで誤解しショックを受けたり優越感に浸ったりすることになります。
それとも先入観で誤解してしまうような言葉を全て排除するお考えですか? それこそ非現実的でナンセンスではないでしょうか?
繰り返しますが「進化」を「変化」に変えたところでまったく問題は解決しません。
実際問題として「やーい、ジャップ」と言われるのと、
「やーい、日本人」と言われるのでは大分違います。
私はそう思います。
>他のせいにして我が身を正当化する場合は、
>犬の糞でも利用するんじゃな。
では貴方は「進化論」がいいと言う訳ですね。
>>「中国人」に言い換えさせてもその人の差別的感情が消えるわけではないのです。
>かなり違います・・・と私は何度も言ってます。
ここは、本当におめでたいとしか言いようがないな。
ここでぐだぐだ述べるよりも、文部科学省にでも用語の変更を求めてみてははいかがかな?
わしゃ、人生の悩みを解決するためには、言葉狩りを行う前に行うべきことがてんこもりだとおもうんじゃがな。
>「病気が進む」というときの進むは「悪くなる」という意味で使われます。
病気が主語です、その病気にとって向上すると言う事です。
>「時計が進んでいる」っていうのも時刻表示が狂っているという意味で良い意味では使われません。
それは「狂っている」と言ったり「進む」と言ったり文学的表現の推敲の問題。
私が言っているのは、科学的集団の考えを一言で明示する大事な所に何故誤解されやすい非科学的な言葉を使うかと言っているのです。
>「化」は化けるというように・・・・・・・・・・・・・
それは「進化」の「化」も同じでは?
>diamonds8888xさんへ。
ご教示ありがとうございやす。なんせ学がねえもんで、我ながらいやになっちまいやす。
どれくらいねえかってえと、「対数」って言われてもピンとこねえくれえなもんで、よくもまあ、あんなことを書いたなと、いやお恥ずかしい限りで…。(開き直るわけじゃあねえですが、知ったかぶりは怪我の元でござんすからね)
diamonds8888x さん>物にもよるでしょうが、soft_trctorさんの示された例と比べて必ずしも閾値の方が幅が狭いかどうかはわかりませんよ。閾値での濃度はだいたい対数軸で示しますしねえ。閾値だってお客さんならぬ動物個体それぞれとの兼ね合いがありますし。
けどもこいつについて言やあ、ちょいと誤解があるようで、いや、これはあっしの書きようがまずいんですがね。
あっしの言う「お客さんとの兼ね合い」ってえのは、例えば「今回はたっぷりはずんでもらったから、全部こちらで引き受けやしょう」とか、「(件数が微々たるモンでも)データの性質上、こちとらにゃあ負いかねるんで、校正はお願いしやす」とか、扱う件数の多寡以外のとこで、こちらの振る舞いに「幅」が出ちまうようなことなんですね。
なんで、「幅がある」ってえ量的な書きようは、てんでトンチキなもんでやしたね。どうもすいやせんでした。
ただ、ちょいと言い訳させていただきやすと、おんなじ様な性質のデータを扱う場合、こちらの振る舞いは件数の多寡に左右されやす。
それについちゃあ、前に書いたようなことってえのは、経験上そうだと言って差し支えねえもんだと思っておりやす。
(不思議なことに1件のデータ長ってのはあんまりひびかねえんですよね。まあ、こいつも程度によるんでしょうけど。)
そいじゃあ、どうもありがとうございやした。
御免なすって。
>「中国人」に言い換えさせてもその人の差別的感情が消えるわけではないのです。
かなり違います・・・と私は何度も言ってます。
よしよし、大文字さんもこちら側に来てくれた・・・(笑)
> さらにどぉでも良いことなのですが「こち亀」の秋本治氏は、デビュー当初「山止(だったかな)たつひこ」と名乗ってましたねぇ。
そう、そう。
まあ彼なりのギャグなんだけど、山上たつひこにマジ切れされて告訴騒ぎになってしまい、あっさりと改名して秋本治になったのでした。
> 「光る風」も、タイトルは覚えているけど、内容を覚えてないなぁ。
↓こちらをどうぞ。
http://shinjuku.cool.ne.jp/fourteen/comic/rep/hikarukaze.htm
>「進化」には「より優れたものになる」などという意味はありません、
>言葉の誤解であり曲解です。
>というのはさんざんここで言われていることだと思うのですが。
言葉である漢字の意味です「進」の漢字の持つ意味です。
漢語辞典で調べました。
1.すすむ、前へ行く
2.のぼる、上位にあがる
3.よくなる、向上する
・・・・・・
>科学の試験で、「進化した生物はより優れている」と答えたら零点になるでしょう。
>僕が採点者でも零点です。
ですから・・・そのように答えが決まっていて科学的に違う意見は零点になると言う例です。
...そもそもここで、「進化論」という「科学用語」を変えるべきかどうかという論議をどれだけ述べても事態は変化しないと思うのですけど。
電気の流れは実は電子が流れることなのだから、ホントはプラスとマイナスの記号を逆にしたほうが紛らわしくないだろう、とまではたいていの物理関係者は思うようですが、じゃ実際に用語の変更をするか、といえば、SI単位系への統一という各種用語の大改革の時でさえも、変えなかったのです。進化論も同じです。いまさら、の話なのです。
ま、「変化論に変えろー!」と、酒でも飲んで夜の町を怒鳴りながらさまようのも、気晴らしくらいにはなるかもしれませんけど...。
相変わらず流れが…(以下略)
流木さん、NATROMさん、アドバイスありがとうございます。
やはり、ただの流行ではないのね。
To diamonds8888xさん
せっかく同意いただいたのですが、投稿した本人が「アレじゃなんのことやら分からん」と思うので、ちょっと再提示させてくださいまし(苦笑。
エンジンにいっぱい空気を送り込めば、馬力が出るわけです。
しかし空気も、霧状の燃料も「流体」なもので、微細かつ複雑な「初期条件」に応じて予想もつかない「乱流」を発生します。エンジンにたくさん空気を送り込んでいくと、ある「流速域」では均一にセンサーを通過して適正な出力が得られていたのに、それを超えたところで不思議な出力低下を招くことがあります。
現実には吸入空気「量」が増えているのに、その「経路」が乱流と化してしまうという「質的転換」を起こして、予想とは異なる結果を招いた、ということです。このようなとき、エンジニアは
「量が増えたのだから、質も向上するはずだ」
と考えるだけではなく
「量は増えているが、果たして質も向上しているのだろうか?」
と考察することで、見落としていた事象を発見できるのではないでしょうか、というのが私の主旨なのでした。
乱文にコメントいただき、重ねてありがとうございました。
>遺伝子の変異の帰結として表現された「変異」が、
>たまたま適応的であったのならば、
>その性質は集団中に広まるだろう、ということです。
これは「熊さん、八っさん」のいう「カエルの子はカエル」と言うこととどう違うんですか。
何かが「変異」してカエルなって、たまたま適応的でその子が出来たらカエルなんでしょ。
>ジョウカンさんが勝手に「進む」ことを「優れている」と解釈しているだけです。
私は漢語辞典から引用しました。
>それを「優れている」と言うのはかまわなくて、
>ちょっとばかり複雑化の「戦略」を歩んだ生き物(たとえばニンゲン)については、
>優れていると表現するのが「気に食わない」のですね。
はい、言い換えると昔の生物の方が優れていると思います。
変異を重ねるほど悪くなる。
是は私の特異な価値観ですが。
何度も言っているように、私には呼び名が変わっただけで問題の半分以上は解消されているように思います。
しかし効果があるかどうかは見解の相違でしかたありません。
問題はそうではないのです。
貴方は名前を変えても効果がないと言っているが。
名前を変えること自体の是非を述べていない。
私は変化論にしろと言っている。
貴方はあくまでも「進化論」がいいと言うのですか?
>遺伝的な変異を伴う変化が「進化」。
>遺伝的な変異を伴わなかったら変化であっても「進化」ではない。
これなら<進化>と言う用語を使う必然性はない。
<遺伝>と言う言葉と<進化>と言う言葉の間には関連がないから。
<遺伝的変化>といえばよろしい。
>進化が非科学的な表現なのかどうか、どうして判断できるんだろう?
何度も言っているように「進化」と言う言葉自体が非科学的な言葉だと言っている。
1
2
何度も言っているように・・・・2・・・・です。
>ずいぶんと傲慢じゃないですかね
そうですよ。
大文字ナンさんの質量転化に関するコメントにはほとんど同意です。実はエンジンは素人なので挙げられた実例はほとんど理解できてませんが(^_^)。快適に走る状態とエンスト寸前の状態の間の転移みたいなことでしょうか?
完全な予測ができない時に、必ずしも正しくないかも知れないけど正しい確率が高そうな「法則」を使って仕事をする、みたいなことだと思います。私もそういう使い方を「指針」と呼んだわけです。
soft_trctorさん
> こいつは科学で言うところの「閾値」みてえなもんじゃあありやせん。
>お客さんとの兼ね合いなんかで、かなり幅のあるもんです。
物にもよるでしょうが、soft_trctorさんの示された例と比べて必ずしも閾値の方が幅が狭いかどうかはわかりませんよ。閾値での濃度はだいたい対数軸で示しますしねえ。閾値だってお客さんならぬ動物個体それぞれとの兼ね合いがありますし。
*地下に眠るMさん(恥知らずへ 投稿者:地下に眠るM 投稿日: 9月15日(水)01時11分10秒)
こんにちは。
あなたは、自己流の量質転化の概念を持ち出して、「量質転化はこんなに有用」とおっしゃったわけです。それを最初に述べるのであれば分かりますが、話が進んでから、「自分の述べている量質転化とはこれこれの意味である」といい出すのは、議論のルールとしてどうかと思います。
「砂の山から砂を1粒取り去っても…」といったあなたのご指摘の「ヘタレ」な実例に示されるような量質転化(の世間一般での理解)とあなたが述べられたあなた流の量質転化の解釈は別物でしょう。それを示さずに、「量質転化は有用だ」とご主張になったのですから、議論にならないのは当然です。
あなたがなすべきだったことは、「量質転化はそのままではダメだが、こういう風に解釈し直せば、それなりに有用ではないか」と最初に述べることだったと考えます。それをなされないまま、「量質転化は有用だ」といわれれば、世間一般の理解での量質転化について有用性を主張しておられると解釈されても止むを得ないでしょう。今後、どなたかと議論される際には、注意された方がよろしいかと存じます。
中身がスカスカと申し上げたのは、「あなたの」量質転化の解釈ではありません。その点をあなたは理解しておられないようにお見受けします。
あなたの頭の中にしかない量質転化の解釈を私が見通せるはずはないのです。自分が量質転化をこう解釈しているからといって、相手も当然にそれと同じ理解に立って議論をするとはいえません。
なお、「閾値概念の理解が深まる」とのご指摘に対して、「量質転化では、どうなったら何が起こるか分かるのか?」と述べましたが、当然そんなことは分かるはずはないのです。その意味での理解は深まりません。
もし、深まる(?)とすれば、「他にも似たようなことがあるんだな」という程度のことでしょうが、それを「閾値概念の理解が深まった」と呼べるのかは疑問です(まぁ、呼んで呼べないものでもないでしょうが)。また、わざわざ「法則」と呼ぶほどのことですかと申し上げてきました。エネルギー保存則と肩を並べるほどの「法則」でしょうか?
そういった当方の問題意識は、あなたには結局ご理解いただけなかったようですね。
最後に、他人を人格的に否定するようなことは述べられない方がよいのではありませんか?論は論です。議論が人格攻撃にスリ替わるようでは、子どものケンカと変わりませんよ。納得できない点については、お互いに徹底して論ずるのは当然ですが、感情的になることは避けるべきものと考えます。
ジョウカンさん、はじめまして。temaと申します。
確かに、「進化論」という名称から、イジメられっ子が以下のように誤解することは有る、と思います。
a.進化は進歩と似ているため、善である
b.適応した生物が進化するため、適応は善である
c.故に非適応な自分は悪である
イジメられっ子にとって、「イジメっ子が悪である」「自分は悪では無い」という思いは心の支えになるため、上記のような誤解をすれば相当キツイと思います。この場合、「進化論」を「変化論」に名称変更することで、上記aの誤解を(幾分かは)防ぐことができると思います。
以上の点において、「進化論の名称変更」には効果がある(効果が0では無い)、と考えます。
ただし、ジョウカンさんに「変化論」と名称変更できる力は無いでしょう(ヒットラーやスターリンならば、それだけの力を持っていたかも知れません)。まぁ、不可能とは言いませんが、現実的ではありません。
イジメられっ子に、自然科学としての進化論を教えて誤解を解くこと、また、自然科学は善悪や良否などは扱わないことを教えること、その方が現実的と考えます。
>実際問題として「やーい、中国人」では調子が出ないんですよ。
やるほうはそうかも知れんが、やられる中国の方はどう思うんじゃろうな
>「進化論」を誤解する人は進化・・進歩・・優越と言う意味に引っ掛けて悪用する訳で「変化論」では利用出来ないんですよ。
聖書を根拠にヒトゴロシを肯定する奴らがいるのを知ってる?
他のせいにして我が身を正当化する場合は、犬の糞でも利用するんじゃな。
×「ドラグマティック」→○「ドグマティック」
う〜、頭の中を「プラグマティック」がウオサオしてて…と言い訳してみる。
ところで、「喜劇新思想体系」は私も持っていたと思う。でも、どこにあるか分からない(笑。あと「光る風」も、タイトルは覚えているけど、内容を覚えてないなぁ。
さらにどぉでも良いことなのですが「こち亀」の秋本治氏は、デビュー当初「山止(だったかな)たつひこ」と名乗ってましたねぇ。関連あったんだろうか?
秋田書店ていうか「チャンピオンねた」ですと、私は「鴨川つばめ」を大いに押したいんだけどにゃ。それも「ほうれん荘」ではなく「ドラネコロック」の方で!
#少し遅れてデビューした江口寿史にも、つばめ氏が相当影響を与えたことが窺えるんだけど、どっちにしろ二人とも事実上消えちゃってるのが悲しいかも知れない。
そうですね。でも、ぼくはまだバルトは読んでいないんで、恥ずかしいんですが。
キルケゴールあたりを読むと、創造論なんて、ぜんぜん不可解です。
ただ、カントの認識論を下地にして西田とバルトをくっつけようとした、滝澤という人がいたんですが、「超越」でありさえすれば、じゃあ何でも入れていいの?なんて、思ったりして。
でも僕自身、仮に修道院がキルケゴールなら、公同の教会としてのヘーゲルはまんざら捨てたものではない、というような感じを抱いています。
超越と受肉、律法の不用と成就を巡って、カントVSヘーゲル、みたいなものをリクールがレヴィナスに対して、やっている。弁証法的存在論って、言ってますが、興味があります。
一晩明けたら、たいそうにレスが進んでるんで途方に暮れるあっし。
とはいえ、祭り進行もいんたあみっしょんてな感じなんで、今のうちにちょいと失礼いたしやす。
てえわけで、いまさらの亀レスなんでやすが
地下に眠るMさん>ところで「半田溶助女狩り」は、噂は聞いとるが未読だあああああ
>えらそうなこといってごめんよおおおおおおおおお
あっしも「光る風」は未読なんだああああああああ
どうもすいやせええええええええんんん
で、あっしの持ってる「喜劇新思想体系」なんでやすが、
こちらhttp://www.yamagami.info/
「山上たつひこmaniax」で調べやしたら、やっぱり最初の青林堂版でやした。
このページhttp://www.yamagami.info/KSST.htmの一番上〜6番目のやつですね。
ちなみにサイン本は、一番上の表紙が漫画仕立てになってるやつです。(と、ひつこく物欲をあおるあっし)
>サイン入り初刊本欲しいよおおおおおおおおおおお
どうかこいつだけはご勘弁を、あっしが人様に自慢できるったらこんくれえのもんなんで。
上のページを見て、ああやっぱりと思いやしたのが、どうも「喜劇新思想体系」ってのは、地下に眠るMさんがおっしゃる「誠実に過ぎる」時期と、「がきデカ」にみてえなその後のギャグ路線の、ちょうど折り返し点にあたるモンのようでやすね。「黒い」のもその辺を由とするんでやしょうか。
上のサイトのトップにも載っておりやすが、最近「完全版」も出たみてえです。
山上たつひこで、「半田溶助女狩り」以外にもう一つお勧めなのが、「イボグリくん」でやすね。
「喜劇新思想体系」的な「黒っぽさ」はねえんですが、話の展開がブッ飛んでて、できのいい悪夢を見せられてるような気分になりやす。
「がきデカ」でそれなりのネームバリューがあったとはいえ、よくこんなもんが雑誌に載ったなあと思いやす。
そいじゃあ、御免なすって。
>神と人間は「無限の質的差異」(キルケゴール)に隔てられているから、神を人間のことばでとらえることはできないが、そのうえでなお、この絶対的超越神について語ることが神学の課題となった
これ、象徴的な記述にゃんね。「無限の質的差異」とは、量に還元されることができない質的差異、といいえるでしょうにゃ。
少々乱暴かもしれにゃーが、量に還元しうる事象は自然科学的手法で取り扱うことが原理的に可能だといえるのではにゃーだろうか?
その意味では、量質転化概念とは、多くの事象は自然科学的方法論で取り扱うことが可能であることを示した一般則であるといえるかもしれにゃー。
そして、神という存在を「無限の質的差異」をもったものと規定することによって、神への自然科学的手法によるアプローチは原理的に不可能なものとなるわけだにゃ。
このスタンスは、この板における管理人他多くの住人の立場と基本的に同じスタンスであり、創造科学者のスタンスとはほぼ正反対なものであるといえるわけだにゃー
グールドの著書の引用おもしろかったにゃ>遠藤
引用を読んで、ルイセンコ学説なるものとは、僕が以前「共産主義とタブラ・ラサ」で触れた「環境や教育でニンゲンはなんとでもなる」という、はなはだ反弁証法的な考え方を植物にまで敷衍してしまった逝かれポンチ理屈だと確認いたしましたにゃ。
ただ、こうした「タブラ・ラサ」理屈とか「啓蒙ロマン主義」的理屈とは、実は弁証法の考え方そのものから導かれたのではにゃーかという鋭い指摘がなされていますにゃ。
これがアドルノの否定弁証法にゃんね。
これは非常に重要な指摘なんだけど、アドルノ(「アウシュビッツ以降、詩は野蛮である」と言った人)ちゅうのは難解な文章でも有名でしてにゃー。
僕の理解の範囲で、アドルノの指摘した弁証法に本質的に由来する問題点を簡単にまとめるつもりですにゃ。ちょい待っててね。
現代において、「弁証法」なる言葉が思想的に大きな意味をもってくるのは、キョーサンシュギ運動における「唯物弁証法」のほかには、カール・バルトの弁証法神学、アドルノの否定弁証法あたりだと思いますにゃ。サルトルにも弁証法的理性批判という未完の大著があるみたいにゃんが。
バルトについては、過去にもこの板で触れられたことはあるみたいにゃんね。
やふ掲示板でもガリガリの馬鹿屑プロテスタント(キリスト教世界観により中絶に反対するとか、進化論は間違っているとか抜かす典型的な屑プロテスタント)が、バルトなんてキリスト教ではないとか抜かしているし(なにせ、バルト神学によれば聖書の記述は客観的な真理であるわけではない、となるらしいのだにゃ)、創造科学論者のHPではバルトは非難されておりますにゃ。
さらに、バルトはナチとも徹底抗戦したことでも有名にゃんね。
もう、これだけの情報で、バルトは信頼できる神学者だと判断できるだろ?
さて、日本大百科より、弁証法神学の項を以下に全文引用。
**********************************************************
Dialektische Theologie ドイツ語
dialectical theology 英語
第一次世界大戦後スイスとドイツを中心におこったプロテスタントの神学運動で、キリスト教神学が近代主義の枠を乗り越えて現代的展望をもつ突破口となった。19世紀後半の近代自由主義神学は、F・E・D・シュライエルマハーの思想を出発点とし、近代的知識人とブルジョア社会の要求に適合するものであったが、資本主義が内的自己矛盾を露呈し、階級闘争と帝国主義戦争が起こったとき、それを批判し、解決の方向を示す力をもたなかった。大戦後の荒廃のなかで教会の無力に失望していた人たちに対して、スイスの小工業村ザーフェンウィルの牧師カール・バルトの書いた『ローマ書』(1919、改訂二版1922)が衝撃的影響を与えた。彼は学生時代ハルナックの下で自由主義神学を学び、そこから出発したが、従来の神学では搾取と抑圧に苦しむ村民の魂に語りかけえないことを知り、社会主義にも触れて、新しい神学の方向を模索した。その成果を盛り込んで発表したのがこの書である。その中心点は、近代ブルジョア社会と人間中心主義的な近代文明に奉仕するキリスト教から脱して、神の絶対的超越性を回復することにあった。「神は神である」や「神を神とせよ」といった主張は、それを意味する。それによって神学は、絶対的超越神の下で、近代社会の矛盾と近代人の傲慢(ごうまん)を批判し、挫折(ざせつ)からの救いの方向を示すことができるようになった。
ドイツのG・メルツ、F・ゴーガルテン、R・ブルトマン、スイスのE・トゥルナイゼン、E・ブルンナーら、若い有能な神学者がこの立場に共鳴し、1922年に雑誌『時の間に』を刊行して運動を展開した。神と人間は「無限の質的差異」(キルケゴール)に隔てられているから、神を人間のことばでとらえることはできないが、そのうえでなお、この絶対的超越神について語ることが神学の課題となった。そのために、バルトの『ローマ書』をはじめ、彼らの著書、論文には、死と生、地と天、プラスとマイナス、罪と救い、正と反といった弁証法的対概念や、逆説、不可能な可能性などの語が縦横に用いられたので、外部の人たちが「弁証法神学」とよんだ。また文化の危機、近代的人間の危機を強調したので「危機神学」ともよばれた。しかしバルト自身は、絶対的超越神が人間に語りかけるできごととしてのイエス・キリストの啓示を中心に据えるものとして、「神の言葉の神学」という表現を用いた。
この運動は、その出発点から同床異夢の様相があり、まもなく中心人物の間の考え方の違いが表面化してくる。神学における実存主義の位置づけ、自然神学の可否、ナチズムに対する態度、教会と国家の関係などをめぐって対立が生じ、中国の革命運動の将軍たちのように分裂したと評された。1933年にバルトは「訣別(けつべつ)」という論文を書き、『時の間に』誌は廃刊となった。バルトとトゥルナイゼンは『今日の神学的実存』誌を刊行し、他の人たちもそれぞれの道を歩み始めた。しかし彼らの活動はその後も、世界教会一致運動、キリスト教平和運動をはじめ、社会主義国におけるキリスト教の問題、聖書解釈における非神話化をめぐる論争、カトリック神学との対話など、広範囲にわたって直接間接の影響を与えている。
[小川圭治]
**********************************************************
バルト神学は、現代におけるキリスト教神学の中ではもっともマトモなもののひとつと僕が考えるにゃんが、それを導いたのは「弁証法」的な思考のありかただったにゃんな。
>少なくても<悪くなる>と言う意味は排除されているからです。
「病気が進む」というときの進むは「悪くなる」という意味で使われます。
「時計が進んでいる」っていうのも時刻表示が狂っているという意味で良い意味では使われません。
それで「変化」なら良いかってことになると、「化」は化けるというように『本来の姿をかえて別のものになる』という意味を持つから、原初の生物が本来の生物であり、あとから誕生した生物は本来のものではないという誤解を生んで、「単細胞生物の方が優れている」なんて言い出す人が現れるかもしれず不適切だと思います(今の単細胞生物は原初の生物じゃないけど)。
NATROM様 ショウジョウ様 ジョウカン様
私の完全な思い違いです。ショウジョウさんとジョウカンさんを混同していました。
徹夜明けとはいえ大変な失礼を心よりお詫びいたします。もうしわけ有りませんでした。
影でコソコソだれかさんに告げ口して反論の恐れのないところで
陰口を叩くような輩に人生を相談する人に同情するよ。
他にまともに頼れる人がいないなんてね…………。
異論があるならコソコソすんな………!
地下に眠るMさんへ
>遠藤(実名は呼び捨てにしにくいにゃー。するけど)
(空念仏 投稿日: 9月14日(火)00時09分44秒)
全く問題ないですよ。地下猫さんから遠藤クンなんて呼ばれると○○さん扱いになって、むしろショックだにゃ。
>キョーサントーのガリガリ君たちが嫌いなのは、僕もよーーーくわかるつもりだにゃ。
しかし、チミのやっていることは、彼らと同レベルにゃんぜ(同上)
これ、強く感じました。
流木さんへ
>量質転化や、弁証法を知っていたところで、擬似科学に騙されなくなるわけではないと思います。メンデル遺伝学を「ブルジョア理論」とするルイセンコ学説はその弁証法的な装いゆえにソ連共産党公認の学説となって、害悪を撒き散らしました。(量質転化と擬似科学 投稿日: 9月12日(日)18時20分22秒)
グールドの「ニワトリの歯」の上巻に「ヴァヴィロフのための聴聞会」という章があります。ヴァヴィロフはルイセンコによってソ連の生物学会から追放され、獄死した人物です。以下引用。
-------------------------
ルイセンコのイデオロギー的な攻撃はさらに悪意に満ちたものだった。ソ連公認の哲学である弁証法的唯物論というキャッチフレーズを構成するふたつのことばのそれぞれに照らして、二重の攻撃をしかけたのである。ルイセンコに言わせると、ヴァヴィロフの法則(注:【相同系列の法則】変種間に見られる平行な系列は、近縁種間で同一の遺伝システムが同じ反応を見せている結果とする法則。この法則は非ダーウィン的な説明であり、間違いである)は、生物の変異源を生物自身の遺伝システム内部に置いてあり、生物と環境との相互作用(すなわち弁証法)にもとめてはいないため、弁証法的ではない。第二に、相同系列の法則は、種の進化史は遺伝システムのうちの実現されていない(したがって非唯物論的な)可能性にあらかじめ描きこまれていると見るため、唯物論というよりむしろ「観念論的」であると、ルイセンコは攻撃した。(中略)
しばしば狂気は、底意地は悪いが的確な理屈を独特の表現で開示するものである。ルイセンコについてもわれわれは。ヴァヴィロフの主張がかかえる真の弱点を的確にとらえ、あやまたずにそこをついたことを認めないわけにはいかない。たしかにヴァヴィロフは、環境が演じる創造的な役割を過小評価したし、彼が唱えた化学とのアナロジーは、あらかじめ書きこまれている潜在能力が、ある意味では幻想とも言えるあとあとの変化の源泉であるとの信念をさらけだしたものだった。しかし、はったり屋で情け容赦のない論客ではあったが、造形力をもつ環境の前では植物も変形自在であると考えていた点で、(彼自身は異を唱えるだろうが)ルイセンコもやはり同じくらい弁証法的ではなかった。
(p194〜195 注のみ遠藤)
-------------------------
ヴァヴィロフの理論は間違いであり、そこを的確に攻撃したルイセンコの作戦勝ちであることが分かりますが、弁証法自体が間違いであったり有効でないことにはならない。流木さんの主張のとおり、「弁証論的な装い」に長けたルイセンコが、ソビエト共産党の指導者たちをミスリードしたということでしょう。彼らが科学的方法論を十分理解していれば、三流の擬似科学者に惑わされることもなかったでしょうに。
※弁証法は、共産主義だろうが資本主義だろうが、その有効性に変わりはないと思う。
「進化」という語が「進歩」という意味を持つ(あるいは、そのように誤解させる)から他の語に替えるというなら、既に一般化している「変化」ではなく、evolution の訳語として、もっと意味の限定された新しい語を創る、って方がまだマシなんじゃないかなぁ。
どうせ替えるにしても「変化」だとまた違う誤解を招くかもしれないし。
そもそも「進化」という語は evolution の訳語として創られたのか?
それ以前に他の意味を持っていたのか? という疑問もあるけど。
進化論に対する誤解がまず存在して、それが「進化」という語の誤用(家電製品の「進化」とか、スポーツ選手の「進化」とか、ポケモンの「進化」とか)に繋がって、その誤用に基づく誤解が世間に流布した結果として、「進化」という語が誤解を招くようになってしまったというのであれば、やはりまずその誤解を払拭しないことには、「進化」という語を他の何に置き換えても同じコトの繰り返しでしかない気がする。
(進化を変化に変えたところで 投稿者:いど 投稿日: 9月15日(水)08時00分12秒)
-対象に関して対して学んだわけでもなく、単に互換から来る先入観だけを信じ、
+対象に関して対して学んだわけでもなく、単に語感から来る先入観だけを信じ、
>バスジャックの緊迫した様子をライブで伝える、ワイドショー!
「現場のところさん、その後何か変化ありましたか?」
「何か、犯人に変化は、気になりますね」・・・・・へんかな?
ジョウカンかんさんの、カンジョウとして、一度言ったらてこでも動かない気がしています。立派な方だと思います。昨夜のバトルは見ごたえがありました。
ここの掲示板って、すごすぎる!
心配です。みなさん本日お仕事できるのかなあ?血圧上がらないか?心配しています。
合掌・・・・・・・・・って?理屈抜きに「進化」「創造」でしょう(__)
ジョウカンさんへ
NATROMさんが仰っている事にも一部かぶりますが、
対象に関して対して学んだわけでもなく、単に互換から来る先入観だけを信じ、
勝手に信じた内容からショックを受けるような人は
進化を変化に変えたところで似たような誤解をする可能性もあります
もしもそのような誤解が無くなりその手の相談がなくなったとしても
そもそもの問題点は
「対象に関して対して学んだわけでもなく、単に互換から来る先入観だけを信じ、
勝手に信じた内容からショックを受ける」
ということ自体が問題であり、進化と進歩を混同するのはこの問題にくっ付いてくる問題でしかありません。
進化を変化に変えたところで問題の解決にはなっていません。
これも既出ですが中国の方へ差別をしている人が「シナ人」といっているのを「中国人」に言い換えさせてもその人の差別的感情が消えるわけではないのです。
ジョウカンさんの主張は、
(ここの掲示板の多くの人が「いくら『進化』は『より優れたものになる』ということではない」と主張されたとしても)
世の中の大部分は「『進化』という言葉に『より優れたものになる』というニュアンスを重ねており、正しい理解をしない/しようとしない」
ということでしょうか。
だからこそ、
> ですから、人生相談で扱うような人生観をあらはす用語「進化」を科学のお題目にするのは止めた方が・・・と言っているのです。
という主張になるのでしょうか。
(そういうことなら理解はできるんですよ、さんざん意味が違う、「進化」は人生観など意味しない、と言われても『変えるべき』と言い続けているところが。)
もしそうなら、(さんざん言われていることですが)言葉を変えたところで「別の誤解を重ねて正しい理解をしない/しようとしない」ということになりそうです。
ところで、
> >「進化」という言葉も「好むか好まないかにかかわらず、
> >いやおうなく進行してしまう変化」と、
> >捉えればそんなに問題のある言葉でもないのかもなぁ(独り言)
> 全くそんな意味はありません、言葉の誤解であり曲解です。
「進化」には「より優れたものになる」などという意味はありません、言葉の誤解であり曲解です。
というのはさんざんここで言われていることだと思うのですが。
やっぱり、「世の中では大部分ではそういう意味で使われているのだ」ですか?
(これって「サイレントマジョリティ」の主張に近いんじゃないかな?)
> 科学の試験で「地球は丸い[→『平たい』と訂正]」と答えたら零点になるからです。
科学の試験で、「進化した生物はより優れている」と答えたら零点になるでしょう。
僕が採点者でも零点です。
ジョウカンさんにとっては、学校ではこれで点を与えている、ということですか?
>>「ある環境に対して、適応的な形質は生き残りやすい」
>この言い方も気に入りません。
>生き残った形質を適応的と言ったのと同じで同義反復だと言うのです。
>そんな事は熊さん八っさんでも知っていると言っているのです。
気に入るとか入らないとかって次元の話がしたいのでしたら、井戸を囲んで風呂上りにでもすれば良いでしょう。
いいですか?適応的な「形質」ですよ。後天的に学習して手に入れたような「獲得形質」を指してのものではありません。望む望まないに関わらず、遺伝子の変異の帰結として表現された「変異」が、たまたま適応的であったのならば、その性質は集団中に広まるだろう、ということです。これは「熊さん、八っさん」の時代に普遍的だったでしょうか?
#気に入らないだけなら「なにものも光より速く運動できない」ことを、気に入らない!と主張できますね。
>「変化」が起きているのは事実です、それをわざわざ「進化」と呼びかえるのは
>生き残ったものが優れていると貴方が考えているようです。
>それはもう科学ではない。
ジョウカンさんが勝手に「進む」ことを「優れている」と解釈しているだけです。それはあなたの「特異な思考回路」が生み出した妄想に過ぎません。
>なぜなら私は単細胞生物の方が人間より生き残るであろうし優れていると思うから「進化論」では困るのです。
勝手に困ってれば良い。
としか申し上げられませんが、現在生き残っている単細胞生物にしたって、進化の過程を経て生き残っているのですよ?それを「優れている」と言うのはかまわなくて、ちょっとばかり複雑化の「戦略」を歩んだ生き物(たとえばニンゲン)については、優れていると表現するのが「気に食わない」のですね。どっちにしたって、ニンゲンの価値観が言うところの「優れている」わけじゃないです。単に「生き残り」なのです。
>量質転化は「量が質をつくる」という話ではありません。あるものの量の変化によって、そのものの質が変化すろということです(最初に挙げた砂山の例え話をご想起下さい)。この場合、変化しているのはビールの量ですが、もちろん、ビールが他のものに変化しているわけではありません。
なんかね、流木さんて「死ぬほどドラグマティックなヒト」なのかな?と思い始めています。
「量が質をつくる」と「量の変化によって、質が変化する」こととの差異は?私の喩えはどちらでも通じるものではないかな?それとも、揚げ足取りゲームがしたいのかな?少なくとも私は、あなたの言葉尻になんか噛み付いていませんよ。あなたの主張そのものに「納得がいかない」から、反論めいたことを述べています。
この場合、私の反論がおかしいと言うのでしたら、どこがおかしくてあなたがどのように正しいのか、明確に分かりやすく論じていただきたいのです。今のところ、あなたの論点は「空疎だ」を繰り返すばかりで、その根拠が少しも提示されていません。
ある量が正方向に変化している時、同時に起こるだろう質的な変化も、それに対応して同じ方向を向くか?というと、それだけではないでしょう。むしろ場合によっては、破局や混沌に「質が」陥ることもあるでしょう。これを示唆している点において、私は量質転化は「科学的な考察にも有効だろう」とあらためて主張します。
>閾値概念について学んだ人に対して、「あれは実は量質転化の法則の別名だ」とか「実例だ」といったところで、その人の閾値概念への理解が深まるわけではありません。「だから、何ですか?」というだけです。
もうね、これとか読むと流木さんは「とにかく量質転化という言葉が嫌いなんだな」ということしか分かりません。
進化概念とは一体どういう意味ですか?
>「生き残った者が優れている」という発想はどこから来るのでしょうか
と言うより進化した物は前より優れていると言う発想に誤解されていると言う事です。
それは「進」と言う字が<向上する、よくなる>と言う意味と<(意識的に)前に行く>と言う恣意的な意味をもつからです。
少なくても<悪くなる>と言う意味は排除されているからです。
反語は「退」です。
そこで進化した物は前より優れていると言う発想になる訳です。
どなたかの投稿にはダーヴィンは「進化」と言う言葉は殆んど使っていないとか。
ならば誰がこのような「進化」を言い出したのでしょうか。
>あなたは上位概念一般の話をされていますが、当方は上位概念一般を否定してはおりませんので、的外れです。
どこが的外れだい?(嘲笑
チミの理屈では上位概念はなんでも否定できるだろ?
チミの「量質転化」否定の理屈では、閾値はすべて否定できるね、と書いたときもチミはひとことも言い返せなかっただろ?
>次に、あなたは「量質転化」をあなた流に読み替えておられます。そして、あなた流の量質転化の有用性を説いておられます。そんなものは、私の関知するところではありません。あなたの頭の中にしかなかったものなのですから。
またうすらみっともにゃーことをいってるにゃー。
僕の頭の中の量質転化概念と、「一般的な」量質転化概念の違いを述べてみせろよにゃ。
「あなたの頭の中にしかない」というのは、人の言っていることを妄想扱いしているのと同じことにゃんからな。できなきゃ謝るけどね、フツーなら(嘲笑
いっとくが、僕の使っている「量質転化」概念は、「一般的」な概念を敷延したものだと思うけどにゃー。
それに、僕の使っている「量質転化」概念は、ここの住人たちには結構理解されていると思っているんだけどにゃ。
チミだけが「理解したくない」「都合の悪い事実には目を向けない」という態度をとっているだけだろ?
>NATROMさんが挙げられたのは、上位概念が適切な場合です。量質転化は内容空疎で、なんとでもいえるような代物に過ぎません。
バネ破断やコンデンサーブッコワレの例など、都合のワリイ事実から逃げ回っていたお方が、よくもこんなことがいえるもんだにゃ。
チミはね、内容が空疎だとかいいながら、提出した具体例の検討をできていにゃー。
僕が提示したヘタレな例である限界効用「だけ」は取り上げているけどね(嘲笑
都合のワリイ事実からさんざん逃げ回るか「後付け」よばわりしか能がなかったのに、内容が空疎だのスカスカだのと発言できるその神経はごりっぱなもんだにゃ。なかなかマネできにゃーぜ。
*地下に眠るMさん(帰納、定量性 投稿者:地下に眠るM 投稿日: 9月15日(水)00時56分49秒)
こんにちは。
あなたは上位概念一般の話をされていますが、当方は上位概念一般を否定してはおりませんので、的外れです。
次に、あなたは「量質転化」をあなた流に読み替えておられます。そして、あなた流の量質転化の有用性を説いておられます。そんなものは、私の関知するところではありません。あなたの頭の中にしかなかったものなのですから。
あなたは自己流の量質転化の法則理解に基づいて、「量質転化は有用だ」とおっしゃってこられたわけです。一方、当方は量質転化の法則についての一般的な理解(弁証法の解説として紹介されている内容)に基づいて述べてきました。これでは議論になりません。そういうのは、ルール違反ではないでしょうか?
これでも理解できないのであれば、レスは結構です。
>不勉強な人たちはわざと内容を無視して、自分の思い込みを科学としての「進化論」の進化の言葉に重ね合わせ悪用していると言う事なのです。
>だからその手段の「進化」を悪用させない事によって誤解はなくなるというのです。
何度指摘されてもジョウカンさんは無視されておられますが、「進化論」を「変化論」に言い換えたところで、
>不勉強な人たちはわざと内容を無視して、自分の思い込みを科学としての「変化論」の変化の言葉に重ね合わせ悪用する
だけでしょ。実際に、小泉首相が悪用している例をとんからりんさんが提示しています。名称を変更するという小手先だけでは問題は解決せず、進化論の内容を理解してもらわないといけないのだ。
>大変興味がありますが、具体的にどんな例が「変化」でなく「進化」なんですか?
遺伝的な変異を伴う変化が「進化」。遺伝的な変異を伴わなかったら変化であっても「進化」ではない。進化論を変化論と言い換えたら、遺伝的な変異を伴う変化とそうではに変化をどうやって区別すればいいのかな?それで、
・進化論に関して、「内容を大まかにでも知っている訳でもない」のに、進化が非科学的な表現なのかどうか、どうして判断できるんだろう?
という部分には何かコメントは?
1.進化は確かに厳密に科学的な表現だけど、誤解し悪用する人がいるから言い換えよう。
2.進化は非科学的な表現だし、誤解し悪用する人がいるから言い換えよう。
とは違う主張ですよ?ジョウカンさんは1.の立場だと思っていたけど、2.の立場だったんですか?
それでさ、内容を大まかにも知らず、あまつさえ「進化学という学問のことをはじめて耳にした」ってのに、「名称を変更しろ」ってのは、ずいぶんと傲慢じゃないですかね?どうしてジョウカンさんはそんなに偉いの?
>W田に格上げしたと、プラス思考で行こう!I橋も2浪もしたら親不幸だって言われた
「ガキデカ」大好きだった(サメザメ)友人から教えてもらったもんねえ!
世間知らずだったし(__)こんなにフザケタ漫画あるんだ〜と、人生感変わったし!
おずおずさん、名前が大好き(^^)あのね、越後屋ってね、アコースティックギターを弾く人が、それで生計を立てているんだって!これって音楽用語らしいですよ!
ネタとは、すこし違うみたい、何か音楽屋さんって、こだわりあるのかなあ?
ここの掲示板もかなり、面白いですねえ!勉強になりますですわ。
「あー花の応援団はちょっと、スケベですよね!」鼻血ブーとかありませんでしたっけ?
>科学の試験で「地球は丸い」と答えたら零点になるからです。
「地球は平たい」・・・・・・・・・・の間違いです
恐れ入りますが
「進化学」という学問のこと始めて耳にしました。
いつごろから在るんでしょうか?
どんな方が代表的な人なんですか・・・・?
>人間の感情とか人生観の問題でしょう?
ですから、人生相談で扱うような人生観をあらはす用語「進化」を科学のお題目にするのは止めた方が・・・と言っているのです。
>「進化」という言葉も「好むか好まないかにかかわらず、
>いやおうなく進行してしまう変化」と、
>捉えればそんなに問題のある言葉でもないのかもなぁ(独り言)
全くそんな意味はありません、言葉の誤解であり曲解です。
>それとも、この「しなくてはならない」は義務ではなく「ヒトは皆死なねばならない」とかの当然の意味の「しなくてはならない」なのかな?
そうです。
>科学なんてたかが科学なんだから、
>科学の名で教えられると抵抗できないとしたら、
>そっちの方が問題だと思います。
科学の試験で「地球は丸い」と答えたら零点になるからです。
私が採点者でも零点です。
*NATROMさん(上位概念による説明 投稿者:NATROM 投稿日: 9月15日(水)00時44分9秒)
こんにちは。
NATROMさんが挙げられたのは、上位概念が適切な場合です。量質転化は内容空疎で、なんとでもいえるような代物に過ぎません。
量質転化概念を閾値概念の上位概念と呼べば呼べるでしょうが、それで分かることは、「似たようなことは他にもある」ということだけでしょう。しかし、そんなことはわざわざ量質転化の法則などと呼ぶほどのことなのでしょうか?中身がスカスカではないのでしょうか?
T/O
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。