このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
T/O
そもそもカガクにおける帰納の手法とは、個別の事象から一般的法則を抽出するところにあるにゃ。
そして、各法則からさらに一般性を引きだして、さらに一般性の高い上位法則を生みだすのもカガクの手法だにゃ。
こういうのを「屋上屋を架す」とはいわにゃー。
一般的だからカガク的でない、というのは馬鹿理屈もいいところだにゃ。
量質転化というのは、
「質的に異なると思われる事象、あるいは相互に対立すると思われている事象を、その事象を構成しているなんらかの量が媒介している」
ともいえるだろうにゃ。
いいかえれば、
「質的に違うとか対立するとか思われているものは、ほとんどの場合、実はなんらかの量の変化に還元できるんだよ。いろんな変数を調べてみようね」
とでもなるだろうにゃ。
「ゼンゼンちがってみえるものも、定量的に分析をしてみろ、なにか見えてくるぜ」
ちゅうことだ。
役にたたにゃーかね?
*地下に眠るMさん(まったく読めてにゃーぜ 投稿者:地下に眠るM 投稿日: 9月15日(水)00時33分41秒)
こんにちは。
>>チミのいっていることは、もうすでに支離滅裂だにゃ
当方は、最初から同じことしか申し上げておりません。
>>チミのノウナシ馬鹿へボ理屈では、一般則はすべてコトワザ程度にされちまうだろ。
ですから、エネルギー保存則と量質転化の法則とは同格なのかとお尋ねしております。エネルギー保存則はことわざではありませんが、量質転化はことわざ程度の役目しか果たせません。具体的な中身がないからです。中身がないから、あなたが引っ込められた限界効用の話などが出てくるのです。どうにでも解釈できてしまうあやふやなものに過ぎません。
量質転化が哲学書にしか登場しないのは、個別科学では量質転化の法則など持ち出す必要がないからです。閾値の説明はそれだけで済みます。それを量質転化の法則の実例だなどと呼ぶのは、ムダなことです。
それとも、「量質転化の法則はエネルギー保存則と同じぐらい有用だ」というのが学界の定説ですか?寡聞にして存じ上げておりませんが、そういうことでしたら、後学のためにご教示下さい。
To: wadjaさん。
>うつ病の人に「頑張れ」は、禁句
ホントです。この辺かな?
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/dep0a.html
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/dep0.html
http://www.discovery.org/scripts/viewDB/index.php?command=view&id=2177
の事みたい。
酔いが醒めてから(つまり、少なくとも今から24時間後)、読んでみよ、っと...。
んで、そのデザイナーとやらに、ボクの抱えてる全ての成人病の責任をとらせる!
上位概念による説明は、適切になされれば、理解を深める助けになります。たとえば、ドーキンスは、ダーウィンの進化論を、「安定なものの生存というさらに一般的な法則の特殊な例である」と述べました。「安定なものの生存」という概念はダーウィンの進化論を包含するといえます。そこで、「ダーウィンの進化論はね、安定なものの生存の実例なんだよ」と得意顔でいわれて、「はあ、それがどうかしたんですか?」と答えるしかないでしょうか。あるいは、屋上に屋を重ねるようなものでしょうか。単なる後知恵でしかないのでしょうか。「安定なものの生存」の例として後から説明もできるというだけなのでしょうか。
ドーキンスがわざわざ無駄なことを書くわけもなく、生物に由来する複雑さは、「安定なものの生存」だけではない別の説明が必要であるという話につながっていきます。と同時に、ダーウィンの進化論の上位概念に「安定なものの生存」という法則があるということを頭に留めておくことで、ダーウィン進化論の理解につながります。とりわけ、ESS(進化的に安定な戦略)を理解するときになど。
グールドは、とりわけ上位概念による説明を好みました。一見関係のない二つの事象が、実は同じ上位概念によって説明可能であるということは、理解の助けになります。4割打者の絶滅と進化のトレンド、チョコレートバーの時間的変化と断続平衡などなど。種々個別の現象を、さらに上位の概念で説明をつけること(一般化)は、自然科学の手法です。古くはニュートンが、リンゴが落ちることと、地球の周りを月が回っていることを、上位概念で説明したことがあげられます。リンゴが落ちること、地球の周りを月が回っていることが既知であっても、それぞれを共通する概念で説明できたときに、より深い理解につながるのです。
変化と進化をごっちゃにしてしまいました。それについては文脈を読んでみてください。
>変化と進化とは同じはありません。人間が歳をとっていくのは変化ですが、進化とはいいません。
ジョウカンさん あなたの気持ちは理解出来ます。が、やはりこの場においてはある程度、勉強してから議論なされると良いと思います。
>「進化論」を誤解する人は進化・・進歩・・優越と言う意味に引っ掛けて悪用する訳で「変化論」では利用出来ないんですよ。
このHPのコンテンツの一つ「ダーウィンは「変化に最も対応できる生き物が生き残る」と言ったか?」に小泉首相の発言が載っています。
いよいよ、改革は本番を迎えます。我が国は、黒船の到来から近代国家へ、戦後の荒廃から復興へと、見事に危機をチャンスに変えました。これは、変化を恐れず、果敢に国づくりに取り組んだ国民の努力の賜物であります。私は、変化を受け入れ、新しい時代に挑戦する勇気こそ、日本の発展の原動力であると確信しています。進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」という考えを示したと言われています。
もうすでに「変化論」を悪用している人はいます。
*ジョウカンさん(Re:他人事じゃない 投稿者:とんからりん 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月15日(水)00時22分34秒)
こんにちは。
>>私は今の時代はどの世代にの人でも科学的真理に反論できない風潮が社会を支配していると言う風に感じています。
むしろ、逆ではありませんか?科学的真理(この言葉は嫌いですが)に反論できない風潮が社会を支配しているのなら、オウムに走った若者たちはどう説明できるのでしょう?
科学とか進歩とかに素朴に明るい未来を描けたのは、日本ではせいぜい高度経済成長の真っ只中ぐらいまででしょう。公害問題とか石油危機とかいろいろ起こる中で、科学の魅力は色あせ、若者の理系離れも進んでいるわけです。
いまは、むしろ、低級オカルトの時代ではないかとすら思います。本物の錬金術師たちのような精神性もなく、学研の『ムー』に載っているようなヨタ話にコロっと騙される人たちが大勢いるのが現代です。
もっとも、そういう人たちが、創造科学だとか、むやみに「科学」を名乗りたがるのはおかしな現象です。「星占いは科学だ」とか「血液型性格分類は科学だ」とかいうのは、裏返しの科学万能主義とでも呼ぶべき屈折した心理でしょうね。
チミのいっていることは、もうすでに支離滅裂だにゃ
>>>エネルギー保存則を直接的に進化論に適用して、なんか理解が得られるのか? 一酸化炭素の生理作用がエネルギー保存則の直接の適用で理解できるんか?
>量質転化の法則はエネルギー保存則と同格ですか?それほど有用だったら、哲学以外の分野の教科書にも載っていてもよさそうなものですが?
字が読めにゃーなら無理してレスする必要はにゃーぞ。
そもそも、有用であることがわかりきっているエネルギー保存則ですら一般則が個別則に対して直接には役に立たない実例を出したのにたいして、それではまったく答えにも何もなってにゃー。
>あなたは「生物学分野における別名である」とか「実例である」とおっしゃいますが、なぜ、そう呼ぶ必要があるのですか?呼ばないと、閾値概念の理解に何か支障が出るのですか?もし、支障が出るのなら、閾値について学ぶ際に、量質転化の法則への言及がないのはなぜですか?そんなことは必要ないから、登場しないのではありませんか?
>閾値概念について学んだ人に対して、「あれは実は量質転化の法則の別名だ」とか「実例だ」といったところで、その人の閾値概念への理解が深まるわけではありません。「だから、何ですか?」というだけです。そんな話は無用でしょう。それを屋上に屋を重ねるようなものと申し上げております。
何度も何度も同じことをいわせるんじゃにゃーよ(げんなり
一般則の有用性は一般的な他の事例への予測を容易にするところにあるわけだにゃ。
量質転化概念は、閾値にも適用でき、バネ破断にも適用できる概念であるから、他の事象にも類推適用できるのではにゃーかな? がその有用性であり、量質転化が閾値やバネ破断の理解を深めるわけがにゃーだろうが。
チミは何度同じことをいわせるんだ?
チミのノウナシ馬鹿へボ理屈では、一般則はすべてコトワザ程度にされちまうだろ。
実際問題として「やーい、中国人」では調子が出ないんですよ。
「進化論」を誤解する人は進化・・進歩・・優越と言う意味に引っ掛けて悪用する訳で「変化論」では利用出来ないんですよ。
>殺人者がいるのは事実です。私も認めます。
>だからと言って私は殺人を正しいとは思いません。
科学的に正しくても倫理的に許されないことがあるなら、たとえ生物が進化するということがいじめを肯定していても「いじめは良くない」って言えるじゃないですか。
そんな簡単なことも教えられない大人がジョウカンさんの周囲にはあふれているのですか?
しかも進化論って「科学的真理」じゃないし。
久しぶり?のレスです。今のところの理解を漠然と書きます。
生物は自己複製をする。そして複製をした個体は前のものと完全に同じ、ということはない(と思う)。無性生殖でも親(?)と子(?)でも完全なクローンではないこともあると思う。有性生殖であれば、親と子供は両親の性質を受け継ぐものの、親と同じ子が生まれる可能性はまずない。これは誰でも観察できる事実だ。ゆえに生物は世代交代で必ず何かが変化する、といえる。
そのわずかな変化に環境が方向性を与え、それぞれの方向へのわずかな変化を積み重ね、長い時を経て(おそらく)たった一つの共通祖先から様々な生物に分岐をしていった。
多分おおまかには理解出来ていると思うんですが、決定的に間違っているところはないでしょうか。(遺伝的なこととか細かい理解は省きました。)
まだ進化論の立場でない私が、なぜこんなことを書いたかというと、、、、
ジョウカンさん こんばんは
人は生きている間に何か別にものに変化することはありません。進化論では「カエルの子はカエル」ではなく「カエルの子は微妙に何かが変化したカエル」、ですが、進化や退化、変化がそれぞれの生き物の生涯の間で起こることは基本的には、ありません。
短いスパンで見れば、もちろん個人的な進化(何かの能力を努力や才能で開花させること)をしてもそれは遺伝されません。その進化(?)はその人だけのものです。
つまり生物進化があるとしても、努力やそれに対する脅迫観念は関係ありません。結果起こった(とされる)変化を説明しているに過ぎません。人間の場合、頑張ったからといって進化論的な進化はしません。というか出来ません。(遺伝子組み換えとかすればすぐに進化させることも出来るかもしれませんが)
人生相談をなさっておられるのなら、その点をふまえ相談を受けると良いかもしれません。
私は今の時代はどの世代にの人でも科学的真理に反論できない風潮が社会を支配していると言う風に感じています。
科学に反論できないんです、私も抵抗しません。
でも其の科学的手法と言うものが科学以外の分野にはみ出てくれば別ですが・・・・・
>「いじめによって他者を自殺に追いやる個体が存在する」
>が科学的に正しいことは間違いありませんが、
>ジョウカンさんはいじめを正しいと認めるのでしょうか?
意味が解からないですが・・・・・言い換えると
人を殺す人がいる。
殺人者がいるのは事実です。私も認めます。
だからと言って私は殺人を正しいとは思いません。
・・・・と言う事ですか?それが何か?
*wadjaさん(えっと 投稿者:wadja 投稿日: 9月15日(水)00時07分41秒)
こんにちは。
本職のお医者様がおられますが、母が亡くなって以来、私の姉が鬱病でして、精神科の専門医とも直接にお話を伺ったり、本もいろいろ読んだりしました。
「鬱病の人にガンバレは禁句」と聞いております。鬱病は、素人目にはやる気の欠如のように見えますから、つい「ガンバレ」とか「しっかりしろ」とかいいたくなるわけですが、本人も「がんばらなくては」「しっかりしなくては」と思いつつ、どうにもならない状態なので、叱咤激励することでかえって患者さんを追い込むことになるのだとか。
広島でしたか、銀行の副支店長から小学校の校長になった方が鬱病になって、教育委員会の方に診断書を添えて「辞めたい」と伝えたのに、「ガンバレ」といわれてがんばろうとした結果、学校で首を吊って自殺してしまったという話がありましたね。「ガンバレは禁句」という話が事実であれば、教育委員会の対応は不適切だったと批判されても止むを得ないでしょう。
> 不勉強な人たちはわざと内容を無視して、自分の思い込みを科学としての「進化論」の進化の言葉に重ね合わせ悪用していると言う事なのです。
この「不勉強な人たち」にはジョウカンさんも含まれているんですよね?
>>生物と地球の歴史に「我々が進化と呼んでいる現象」が起きてきたのは「ほとんど事実」であり
>「変化」が起きているのは事実です、それをわざわざ「進化」と呼びかえるのは
>生き残ったものが優れていると貴方が考えているようです。
そう考えてるのは、今のところ、この掲示板上では貴殿だけのようなきがするんじゃがのう・・・
自然科学の上では、生き残ったものは、ただ単に生き残ったものに過ぎない
>それはもう科学ではない。
そりゃそうだ
>>ただそう思い、願っているだけではありませんか?
>其のとうりなんですよ。
やれやれ・・・
>最近の心理学(?)の流行っぽいよね、この辺の考えって。
不登校とか精神病ついてのサイトとかみると必ずといってよいほど「がんばれって言ってはならない」「がんばらなくてもよい」って書いてあるし。
会社のセミナーで、うつ病の人に「頑張れ」は、禁句だと聞いた。これって精神医学的にはコンセンサスなのだろうか?なんとなく本当っぽいんですけど。どなたか専門家の人教えてくだされ。
*ジョウカンさん(Re:個性至上主義 投稿者:流木 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月14日(火)23時32分30秒)
こんにちは。
>なぜなら私は単細胞生物の方が人間より生き残るであろうし優れていると思うから「進化論」では困るのです。
それでなぜ進化論だと困るのか分かりませんが?進化論は「人間は単細胞生物よりも優れている」と述べているわけではありませんよ?
それとも、「進化論は人間が万物の霊長だといっている」とかお考えですか?人間を他の生物とは別格に置くそうした発想は、むしろ創造説の立場ですよ。
きちんとした進化生物学者の書いた本をお読みになるのが最もよいのですが、最低限、こちらのサイトのトップ・ページにあるFAQぐらいはご一読下さい。そうでないと、誤解の上に立った議論の繰り返しとなります。
言い換えるとですね
不勉強な人たちはわざと内容を無視して、自分の思い込みを科学としての「進化論」の進化の言葉に重ね合わせ悪用していると言う事なのです。
だからその手段の「進化」を悪用させない事によって誤解はなくなるというのです。
>「たんなる変化」と
>「これまで進化と呼んできた変化」
大変興味がありますが、具体的にどんな例が「変化」でなく「進化」なんですか?
>科学を標榜する生物学が、進化と言う非科学的な表現は使わない方がいいのではと言っているのです。
進化論に関して、「内容を大まかにでも知っている訳でもない」のに、進化が非科学的な表現なのかどうか、どうして判断できるんだろう?
#「進化」という表現は十分に科学的な表現だ。たまに、内容を知らない人に誤解されることがあるってだけで。
#別に「変化」という表現に変えたところで、内容を知らない人には誤解されるだろう。
>生き残った形質を適応的と言ったのと同じで同義反復だと言うのです。
進化論に関して、「内容を大まかにでも知っている訳でもない」のに、「生き残った形質を適応的と言ったのと同じで同義反復だ」と、どうして判断できるんだろう?
#この辺の同語反復に関する議論は、ずいぶん以前からなされている。オンラインでパッと出てくるのはここ。
http://www.talkorigins.org/faqs/evolphil/tautology.html
#少なくとも進化生物学の内容も知らないのに、「生き残った形質を適応的と言ったのと同じで同義反復だ」などと言えるはずがない。
とりあえずジョウカンさんは、進化生物学について基本的な理解をされてから名称変更の提案をなさってはどうか。
すごい投稿の嵐
↓こんなメッセージが出ましたゼ、ダンナ。
「短時間連続投稿はできません。この掲示板への書き込みが混雑しており、いたずら防止機能が働きました。
しばらくしてから投稿してください。」
「変化論」も、「質量転化」も打っちゃって、私はあくまで下世話な話題に拘るのだ!
「光る風」 投稿者:地下に眠るM 投稿日: 9月14日(火)19時17分54秒
> あのころの山上たつひこは誠実に過ぎるのではにゃーだろうか?
ぶっちゃけて言えば「青臭い」ちゅーことでしょうか? ・・・・そうかもね。
「堕落しやがって」も、当時の私の青臭い感想だよね〜。
でも中学生には十分すぎるくらい刺激的で、重かったですよ。
肥溜め泳がないと脱出できないくらいの地獄が、実は明日現実になっても不思議じゃない。
そんな境遇になってもお前は自由を求めるだけの強さが有るんかい?と自問自答しましたもん。
まあ、喜劇新思想体系の逆向春助は好きなキャラでした。あそこまでは付いて行ける。
「ガキデカ」はギャグそのものもだけど、描画的に安直な線の感じが嫌だった。
「光る風」 投稿者:フロリダはフロリダ 投稿日: 9月14日(火)21時09分45秒
>> 「がきでかの連載が、はじまって、けっ 堕落しやがって」・・・・・・
> そうか、そうだったのか、友人が一ツ橋から、早稲田にランク落としたのは、やはり
> ガキデカの読みすぎだったのか!「うん、頷けるなあ」堕落とは、そう言うことですね!
作者は堕落したかもしれない(してないかもしれない)けど、読者はどうか判らんですよ。
> でも、「あー花の応援団は知らないでしょうねえ?」お下品ですものね!
えっ!どおくまんは、ぜんぜん下品じゃありませんですよ。
体育会系の私としては親近感を覚えたものです > 青田赤道と薬痴寺先輩。
↓こんな書評もあります。
> この漫画の主人公は、三回生で応援団親衛隊長・青田赤道であるが、
> どちらかというと富山と北口を中心とした一回生(のちに進級)がストーリーのメインになることが多い。
> というか彼らが一番応援団のパブリックイメージに近い感じがする。
> 彼等が中心のときのストーリーには恋愛、人助け(一回生同士も含む)、人情もの、喧嘩など見ごたえがあるものが多い。
*ジョウカンさん(To 大文字ナン さん 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月14日(火)23時30分11秒)
こんにちは。
>>「変化」が起きているのは事実です、それをわざわざ「進化」と呼びかえるのは
生き残ったものが優れていると貴方が考えているようです。
変化と進化とは同じはありません。人間が歳をとっていくのは変化ですが、進化とはいいません。
変化概念(変化一般)は進化概念を含んでいるということも可能かも知れませんが、進化を変化に解消して理解するわけにはいかないでしょう。
ダーウィンが唱えた進化論は、「ものごとは変化する」といった一般論を生物学の分野に適用したといったものではありません。「変化」という一般的な言葉では語り尽くせない内容をともなっているのです。進化とは、遺伝子頻度の変化です。遺伝子頻度が変わらない変化は進化ではありません。既に他の方がご指摘のように、進化論を変化論と言い換えてしまえば、ますます誤解が広まるだけです。
「生き残った者が優れている」という発想はどこから来るのでしょうか?進化論で説いているのは、「多産なものの遺伝子が広まる」ということです。多産を「優れている」とは普通いわないように思いますが、世間ではそういうのでしょうか?
>生き残った形質を適応的と言ったのと同じで同義反復だと言うのです。
それはちょっと違うなぁ。
「足が速い人は運動会の徒競走で上位になりやすい(たまたま運が悪いと上位になれないときもある)」っていうのと、「運動会の徒競走で(たまたまだろうがなんだろうが)上位になった人を足が速い人と呼ぶ」っていうのは全然違うでしょう?
>脊椎動物を無脊椎動物と言い換えたら話にならないと言う意味です。
動物の中から脊椎動物(単系統)を除いた残りを無脊椎動物と呼んでいるだけで、無脊椎動物というものは存在していないということはご存知ですか?
私は使うことがありますが、無脊椎動物という言葉は使いたがらない方も多いです。特に無脊椎動物(と呼ばれているものの一部)の分類とか生態の研究を生業としている方達の中には。
>因みに「越後屋とは、音楽用語で、アコギで生計を立てている人のことを指します。」
エレキギで生計を立ててる人のことは、やっぱり、電気屋と呼ぶのでしょうか?
三味線で生計を立ててる人のことは、三河屋...もとい、三皮屋(三毛の皮の意)と呼ぶのでしょうか?
蛇味線で生計を立ててる人は当然、巳皮屋...?
...
...あ、あかん!たったこれだけでネタが切れた...(-_-;)
脊椎動物を無脊椎動物と言い換えたら話にならないと言う意味です。
名前が大事ではないですかと言う例です。
進化と変化のニュアンスの違いは決定的なのでは?
なぜなら私は単細胞生物の方が人間より生き残るであろうし優れていると思うから「進化論」では困るのです。
>米国で犯罪が多いのは進化論のせいなのかといえば、
>それはおかしいでしょうと申し上げました。
わかりました、子供たちの悩みを進化論のせいにするのは無理があるかもしれませんね。
>「ある環境に対して、適応的な形質は生き残りやすい」
この言い方も気に入りません。
生き残った形質を適応的と言ったのと同じで同義反復だと言うのです。
そんな事は熊さん八っさんでも知っていると言っているのです。
>生物と地球の歴史に「我々が進化と呼んでいる現象」が起きてきたのは「ほとんど事実」であり
「変化」が起きているのは事実です、それをわざわざ「進化」と呼びかえるのは
生き残ったものが優れていると貴方が考えているようです。
それはもう科学ではない。
>ただそう思い、願っているだけではありませんか?
其のとうりなんですよ。
「越後屋、お主もワルよのお〜フッフフフッフ」お代官さまには、カナイマセン・・・
カトチャンの「あんたも好きねえ〜」うっふ〜ん、いや〜ん、ばか〜ん、
因みに「越後屋とは、音楽用語で、アコギで生計を立てている人のことを指します。」
深まるとすれば… 投稿者:流木 投稿日: 9月14日(火)22時58分58秒
を読む前に投稿してしまいました。
んでも、「全く役に立たない」か、それとも、腹痛のときの、○クソ丸めて...丹、くらいにせよ、「役に立つ」か、は、評価として考慮に入れても良いんじゃないでしょうか?
>閾値概念について学んだ人に対して、「あれは実は量質転化の法則の別名だ」とか「実例だ」といったところで、その人の閾値概念への理解が深まるわけではありません。
量質転化の法則の「別名」とか、「実例」だとか言ってたら、「閾値概念」と「量質転化概念」との集合論的関係が消えてしまいますよね。それらの関係は単なる「言い換え」でしかない、と、「誤解」しますよね。
大事なことは、そして論理的に意味のある理解は、
「閾値概念」は、「量質転化概念」に、「含まれる」という「関係」の、理解です。
この、「含まれる」という理解がなければ、例えば、
水に熱を加えていくと或るところで沸騰する、とか、
シーソーに乗った象さんが、反対側に、今、追加した、砂粒一つで、浮かび上がる点がある、とか、
イベントの規模により、パンフレットをカラーコピーするか印刷屋に外注するかの判断が決まる、とか、
カーブでハンドルを内側に切るか外側に切るかの判断が、スピードや路面の摩擦係数という、量的なもので決まることがある、とか、
...
といった、一見閾値概念とは無関係に思える事どもが、閾値概念を理解する上で大変役に立つかもしれない、なんてことに思い至らずに、
短い人生の大切な時間を、目の前にあること「だけ」を見つめて過ごして、損するかもしれない...、ということです。
弁証法は科学か『ことわざみたいなもの』かについては、20年ぐらい前に論争がありました。弁証法は「ことわざみたいなもの」と述べたのは、三浦つとむさんから影響を受けた板倉聖宣さん(科学史家・科学教育学者で仮説実験授業の提唱者)です。板倉さんの見解に対して、三浦さんに近い人たちが「いや、弁証法は科学だ」と反論して論争になりました。
結局、「三浦さんが『弁証法は科学だ』と述べたのは、『弁証法は正しい』といった程度の意味」ということで落ち着いたと聞きました。板倉さんも「ことわざ」や「発想法」としての弁証法の有効性は認めています。
板倉さんの弁証法観については、
http://www.kasetu.co.jp/book16002.html
で紹介されている『発想法かるた』(仮説社)などをご参照下さい。
仮に「進化」を「変化」と呼び変えたとして。
今度は「宇宙の物理的変化と生物の遺伝的変化をごっちゃにしている」とか言われそう。
仮にジョウカンさんのいう「恣意的」でない表現にしたとして。
今度は「直感的でない言葉を使ってわざと分かりにくくしている」とか言われそう。
ユーザーインターフェイスのデザインで言われることだけど、
「何をどうやっても何処かの誰かが何かしら文句を言う」でしょうね。
(それでも大まかな指針ぐらいはあるんですけどね。)
>ジョウカンさんってお坊さんなのかな?
お坊さんはこんなこと(↓)言わないんじゃないか?
>宗教だったら否定すればいい、
>PEPEさんにもかぶるけど、この辺りの考え方を変えたほうが、「進化」を「変化」と読み替えるよりも、よっぽど相談してくる人たちの救いになるような気がする。
ジョウカンさんがって言うより、最近の心理学(?)の流行っぽいよね、この辺の考えって。
不登校とか精神病ついてのサイトとかみると必ずといってよいほど「がんばれって言ってはならない」「がんばらなくてもよい」って書いてあるし。
「がんばれっ」って言うのも余計なお世話だけど、「君はがんばれないんだよ」とか「がんばらなくても良いんだよ」とかも余計なお世話だ。
自分を好きになるのは結構なことだけど、「自分を好きになる」で検索してこんなにもたくさんのサイトが引っかかるっていうのは、どうなんだろう・・・。
http://search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%bc%ab%ca%ac%a4%f2%b9%a5%a4%ad%a4%cb%a4%ca%a4%eb&hc=0&hs=0
>間違いなく、赤いガーターベルトに赤の網タイツ、ハイヒールを履いた女王様が、四つんばいになったスキンヘッドの男達を、手にした鞭で…
それはぁ、ジョウカンさんじゃなくてぇ、wadjaさんのぉ、願望♪
>>ジョウカンさんに「赤の女王仮説」とか教えたらどうなるんだろう?(独り言)
>間違いなく、赤いガーターベルトに赤の網タイツ、ハイヒールを履いた女王様が、四つんばいになったスキンヘッドの男達を、手にした鞭で…
赤いラメ入りのアイマスクもおながいしまつ。
>科学を標榜する生物学が、進化と言う非科学的な表現は使わない方がいいのではと言っているのです。
人生相談とは関係がないということでOK?
To PEPE さん
>なら相談もなにも解決できないんじゃないですか
そうでもないです、大昔からそれに対する解決法はちゃんと決まっているんです。
>根本的な解決は何をしても不可能ですねぇ。
そうですだから私は根本的な解決をしろとはいっていません。
科学を標榜する生物学が、進化と言う非科学的な表現は使わない方がいいのではと言っているのです。
閾値概念について学んだ人に対して、「あれは量質転化の法則の生物学分野における別名だ」とか「実例だ」といって、深まる(?)ものがあるとすれば、「他の分野でも似たようなことがあるんですね」ということぐらいでしょう。
まぁ、よほどものを知らないというか、日常生活において観察しない人ならば「そうなんですかぁ〜」と素朴に感動してくれるかも知れませんが、万人にそのような反応を期待できるかは疑問です。
実際には、「身体によいものでも、摂り過ぎると身体によくないこともある」といった既に知っていることを閾値概念で括ってみせただけです。それをさらに量質転化の法則とやらで括って見せても、余計なことではないんでしょうかね?どうしても必要ですか?そうすることの有用性が見出せないのですが?
えーと...。
根本的なことだと(ボクは)思っているのですけど、
進化、って、「個体が日々進歩すること」じゃないから、
(子供に向かって)キミがキミの一生の間に進化しなければいけない、って思うこと自体、
進化論からすれば、間違った考えなんだよ♪
(あと、時間があれば、)そういう考えって、ね。要不要説っていってね、今はおおむね否定されてる考え方なんだよ...。
また外してしまってるのだろうか...(-_-;)
>ジョウカンさんに「赤の女王仮説」とか教えたらどうなるんだろう?(独り言)
間違いなく、赤いガーターベルトに赤の網タイツ、ハイヒールを履いた女王様が、四つんばいになったスキンヘッドの男達を、手にした鞭で…
とはならんか。あ、独白にレスしてもた。
*地下に眠るMさん(空念仏に空念仏を架す 投稿者:地下に眠るM 投稿日: 9月14日(火)21時02分45秒)
こんにちは。
>>エネルギー保存則を直接的に進化論に適用して、なんか理解が得られるのか? 一酸化炭素の生理作用がエネルギー保存則の直接の適用で理解できるんか?
量質転化の法則はエネルギー保存則と同格ですか?それほど有用だったら、哲学以外の分野の教科書にも載っていてもよさそうなものですが?
>>チミは閾値概念と量質転化概念の違いを述べることはできてにゃーだろ?
あなたは「生物学分野における別名である」とか「実例である」とおっしゃいますが、なぜ、そう呼ぶ必要があるのですか?呼ばないと、閾値概念の理解に何か支障が出るのですか?もし、支障が出るのなら、閾値について学ぶ際に、量質転化の法則への言及がないのはなぜですか?そんなことは必要ないから、登場しないのではありませんか?
閾値概念について学んだ人に対して、「あれは実は量質転化の法則の別名だ」とか「実例だ」といったところで、その人の閾値概念への理解が深まるわけではありません。「だから、何ですか?」というだけです。そんな話は無用でしょう。それを屋上に屋を重ねるようなものと申し上げております。
ジョウカンさんってお坊さんなのかな?人生相談もされるみたいだけど。
>悩んでいる人と言うのは、努力しても駄目な人か努力できない人です。
ですから絶対に進歩は不可能なんです、だから悩んでいるんです。
努力を意見するのは酷なのです、そのような現実に上記でも言いましたように
「生き物は皆がんばって進化しているよ」等と追い討ちを掛ける事に、進化論が使われたりしないようにしたら如何ですか。
(下線部は引用者)
PEPEさんにもかぶるけど、この辺りの考え方を変えたほうが、「進化」を「変化」と読み替えるよりも、よっぽど相談してくる人たちの救いになるような気がする。というか、「進化」を「変化」と読み替えるだけで問題の半分は解決すると信じている人に、人生相談してよいのだろうか?
>ここは掲示板なので、貴方が納得していただいたら充分なのです。
んにゃ?そうなの?私が納得しても何の足しにもならないと思うけど。
ちなみに、私は納得していませんよ。
「進化」っていう言葉が誤解を招きやすくてあんまりよい言葉じゃないなっていうのはジョウカンさんに言われるまでもなく、以前から思っていたことです。また、そう思っているのは私だけではなく、そういう話題はこの掲示板でも何度か出てきたことがあります。
しかし、「進化」という言葉がよくないと思う理由は、進化についてよく学んでいない人が進化学という学問の内容について誤解してしまうかもしれないからであって、子供が日々進歩しなければならないと重荷に思うからではないです。
>「弱肉強食」などなどの言葉・・・・・は人間の感情とか権力闘争を表す言葉です。
>私が言いたいのはその様な表現は自然科学の用語として使うべきでないといっているのです。
>したがって成長という言葉も科学的ではないけれど、人生観の様なものを考える時に使います。
でも、ジョウカンさんの相談者達が抱えているのは科学上の問題ではなく、人間の感情とか人生観の問題でしょう?科学の用語を変えても人生観が変わらなかったら意味がないでしょう?
>「環境破壊が進む」の環境破壊という言葉そのものが自然科学的ではないのでは・・・。
「環境破壊」って言葉は私も好きじゃないです。失敗失敗(^^;)
でも、「環境破壊が進む」の「進む」は「物事(往々にしてあまり好ましくないこと)が進行する」という意味で、「進む」って言葉にはそういう意思がかかわらない用法もあるのですよ。
「進化」という言葉も「好むか好まないかにかかわらず、いやおうなく進行してしまう変化」と、捉えればそんなに問題のある言葉でもないのかもなぁ(独り言)
>生物が「進歩」するとすると、人間は生物に含まれるから当然「進歩」しなくてはならなくなります。
うんッ?!「生物が「進歩」するとすると、人間は生物に含まれるから当然「進歩」するはずだ」 であって、「しなくてはならない」ではないでしょ?
それとも、この「しなくてはならない」は義務ではなく「ヒトは皆死なねばならない」とかの当然の意味の「しなくてはならない」なのかな?
>子供が可哀想なのは学校で科学として「進化論」「自然淘汰」の言葉が教えられるからです。
>宗教だったら否定すればいい、唯科学の名で教えられると抵抗できない。
道徳の時間とかに教えられたらかわいそうだけど、科学だったら問題ないのでは?
科学なんてたかが科学なんだから、科学の名で教えられると抵抗できないとしたら、そっちの方が問題だと思います。
ジョウカンさんに「赤の女王仮説」とか教えたらどうなるんだろう?(独り言)
>>下女を「女中さん」と呼び替え、
>>女中さんを家政婦さんやお手伝いさんと呼び替えても、
>>その職業に対する蔑視なりが消えるわけではありません。
>そうでしょうか?
>私には呼び名が変わっただけで問題の半分以上は解消されているように思います。
「シナ人」という呼称は差別用語なので「中国人」という呼称に変えたところで、
中国の方を差別する屑は
「やーい、中国人」
と発言するんじゃなかろうか・・・
「進化論」を「変化論」に変えたところで、「変化論」を口実にいじめをするヴァカは減らないんじゃなかろうか?
あ、それとも、ジョウカン殿は「進化論」はモラルに反するので教えるのは止めようという趣旨なのかな?
>内容を知らないで曲解しているだけなのです。
>だから名前だけ変えれば充分なのです。
論理的につながってない。「内容を知らないで曲解しているのだから、名前を変えるだけでは不十分で、内容に対する理解を深めなければならない」とするべきでしょ。
>ただもし「変化論」だったら、その中に退化も進化ある事は矛盾ないし。
>不勉強な人たちの先入観による誤解もなくなるのでは。
不勉強な人たちは、やっぱり誤解したままだと思うぞ。その実例として、「進化論は名前が悪いから名称を変更しろ」と言っている人自身から、誤解したままではないか。
>仰るように最初から誤解があったなら、なおさら今後のために誤解を受けにくいタイトルにしたほうがいいのでは。
「誤解を受けにくいタイトル」にしたところで、あっという間にその「誤解を受けにくいタイトル」に付随する誤解が蔓延することになると思うぞ(ex. 「生物がアメーバからヒトへと変化してきたように、我々も変化しなければならない」)。また別の問題だけど、進化論を変化論とすると、これはこれで別の問題が生じるのだ。進化生物学について上っ面すら知らないジョウカンさんは理解できないかもしれないけれど、単なる変化と進化とは異なるのだ。遺伝的な変異を伴わない変化は進化とは呼ばない。進化論を変化論と改名すると、「たんなる変化」と、「これまで進化と呼んできた変化」ってのがごっちゃになるぞ。それはそれはどうしようもない誤解が増えること間違いなしだ。
でさ、「内容を大まかにも知らないのに、『名称を変更しろ』ってのは、ずいぶんと傲慢じゃないか」という指摘には何か反論はないの?
*()
こんにちは。
>>そもそもこの話はな、「弁証法役にたたねー」というチミの言明に対する僕からの反論だにゃ
弁証法は「ことわざ」と同じようなものと述べております。その範囲では役に立ちます。個別科学の指針としては役に立ちませんし、出来合いの図式として適用されればむしろ害悪を撒き散らすものだと繰り返し申し上げております。
閾値概念その他を「量質転化」の実例と呼ぶことはできますが、「だから、何なのか?」とお尋ねしたいところです。そう呼ばないと、閾値その他を理解できないのですか?いらないことです。
変化論って良い言い方ですね。「ん?変化論って、何か変か?」とかより深く考えますし…
ところで一体何がどのように何に変化したんですか?(^^ゞ
*()
こんにちは。
>>これ、典型的な「竜が質をつくる」ことじゃありません?
量質転化は「量が質をつくる」という話ではありません。あるものの量の変化によって、そのものの質が変化すろということです(最初に挙げた砂山の例え話をご想起下さい)。この場合、変化しているのはビールの量ですが、もちろん、ビールが他のものに変化しているわけではありません。
以上の理由で、どの辺りが典型的なのか理解できません。
◆閾値その他を「量質転化の別名」とか「実例」と呼んでもよいか?
呼んでもよいでしょう、呼びたい方は。「量質転化は閾値その他の上位概念だ」とおっしゃることに反対してはおりません。私は呼ばないだけです。
閾値その他を包括して「量質転化」と呼ぶことは可能でしょうが、それは進化論その他を包括して「万物の変化」と呼ぶのと同じです。そんな「上位概念」は内容空疎だと考えます。得るものはありません。生物進化に関する私たちの知見が「万物変化の法則」によって深まるわけではないのです。そんな上位概念なるものを持ち出して、何の役に立つのでしょうか?
「万物は変化する」から、「生物も変化する」?これでは、それこそ「変化論」ですね?これで何か理解が深まるのですか?
×竜→○量
ハァ・・・
>「ビールを飲み続けると、もう1杯追加的に飲むことによる満足の増え方がだんだんと落ちてくる」という話のどの辺りが「量質転化」なのか分からないのですが、よろしければご教示下さい。
横ですが、なんかもう論点もなにもなくなってません?
アルコールをある量飲むと、そこで「耐性」が形成されるから、同じ量のアルコールでは酔えなくなってくる。さらに飲み続ければまた上位の耐性が形成されて、同じ「酔い」を味わうためにより多量のアルコール摂取を必要とするようになる。やがて精神的および身体的な依存がはじまり、古い呼び方をすれば「中毒症」を呈してしまう。
これ、典型的な「竜が質をつくる」ことじゃありません?
>「がきでかの連載が、はじまって、けっ 堕落しやがって」・・・・・・
そうか、そうだったのか、友人が一ツ橋から、早稲田にランク落としたのは、やはり
ガキデカの読みすぎだったのか!「うん、頷けるなあ」堕落とは、そう言うことですね!
でも、「あー花の応援団は知らないでしょうねえ?」お下品ですものね!
限界効用が逓減することによって、ビールの三杯目のおかわりがなくなったら十分に質的転換だろ? まあ、これは良い例だとは思ってにゃーから取り下げてもいいにゃ。
>万物変化の法則
これについてはレスする気にもなれにゃー。
昨夜の投稿で否定済みのことを、具体的な反論はまったくされずに、何の根拠もなく繰り返されてもレスしようがにゃー。
「力をかけすぎるとバネは伸びきっちゃうし、もっと力をかけると壊れちゃうよ」
「電圧かけすぎるとコンデンサーは壊れちゃうよ」
というのは閾値とはいわにゃーよな。しかし、量質転化の具体例とはいえるよにゃ。
何度いってもこの辺を無視しているね、チミは。
で、閾値概念以外の事象も包含しているこの概念の何が空虚なんだ?
何度いっても、チミはこの辺の事実をシカトしつづけにゃんね。
都合のワリイ事実をシカトした空念仏はいらにゃーんだよ。
そもそもこの話はな、「弁証法役にたたねー」というチミの言明に対する僕からの反論だにゃ。で、唯物弁証法の側の用語では閾値のことを量質転化の実例と捉えているわけだから、閾値概念を有用だといった時点でチミの論は崩れているんだにゃ。
何度いっても、チミは閾値概念と量質転化概念の違いを述べることはできてにゃーだろ?
それにな、一般性のある命題が、個々の事象の理解に対して「直接的」に役に立つわけにゃーだろが。エネルギー保存則を直接的に進化論に適用して、なんか理解が得られるのか? 一酸化炭素の生理作用がエネルギー保存則の直接の適用で理解できるんか? これは他の論者からも散々言われているにもかかわらず、やはりチミはシカトしているにゃ。
>おっしゃるとうりだと思います。
>私は学校の教え方が悪いように言いましたが、周りの大人が「進化論」を曲解して 子供に吹き込んでいるのかもしれませんね。
私は大人が進化論を曲解しようがすまいが「唯科学の名で教えられると抵抗できない。」なんて考えを持つことの方が問題だと思ってるんですけど。
一番の問題は進化論の名称にあるのではなく、ジョウカンさんに代表される大人たちにあるのではないですか?
進化論を変化論に変えても「いじめによって他者を自殺に追いやる個体が存在する」が科学的に正しいことは間違いありませんが、ジョウカンさんはいじめを正しいと認めるのでしょうか?
*ジョウカンさん(To 流木 さん 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月14日(火)20時14分50秒 )
こんにちは。
>>私には呼び名が変わっただけで問題の半分以上は解消されているように思います。
半分という評価の適否はともかく、では、なぜ何度も繰り返し名前を変えるのでしょう?小学校で雑用をする方のことを、夏目漱石の『坊ちゃん』の時代には「こづかいさん」と呼んでいましたが、やがて「用務員さん」となり、最近ではどう呼べばよいのか判らなくなっているようです。名前を変えても、問題の根本的な解決にはなりません。
>>脊椎動物と無脊椎動物の呼び名の違いは決定的なのでは?
決定的とは、何についてでしょうか?恣意的な解釈が入りにくいということですか?
>>犯罪発生率の違いは特殊創造説となにか関係在るのですか?
特殊創造説の支持者の中には「人がサルから進化したという進化論では道徳が基礎づけられない。犯罪は学校で進化論を教えているからだ」と主張する方々もおられます。米国で犯罪が多いのは進化論のせいなのかといえば、それはおかしいでしょうと申し上げました。なお、進化論では人間はサルから進化したとは説明されておりません。
いじめや「変わらなきゃいけない」という悩みが進化論に由来するというご意見も、無理があるように思えます。むしろ、「個性」をやたらと強調する風潮の方が影響は大きいように考えるものです。
To ジョウカンさん
病院などに「4階」がないことがあります。ビルによっては「13階」がないこともあるでしょう。さて「4」や「13」にどれほどの意味があるでしょうか。実際に4階では死人が出やすいなどという科学的根拠があるでしょうか。ないですよね。それでもなお、人々は「縁起を担いで」このような傾向は続くことでしょう。
しかしいくらエレベーターの「4階」表示を消したところで、下から数えて4番目のフロアが4階であることは変えようがありません。これが「事実」です。進化論を「変化論」と言い換えようとも、生物と地球の歴史に「我々が進化と呼んでいる現象」が起きてきたのは「ほとんど事実」であり、これを覆すことは恐らく無理でしょう。
「ある環境に対して、適応的な形質は生き残りやすい」という事実は「変化論」と呼ぼうが「トンヌラ」と呼ぼうが同じことです。「トンヌラ」に対しての誤解や誤謬がある限り、「社会で生き残るには自己を高めていかなければならない」という傾向は残るでしょうし、それは事実のひとつでもあります。
だからこそ、もしも貴方のところに「悩みを持つ若者」が訪れるというのなら、どうでも良いようなことにこだわっているよりも、「進化論に似て非なる思想」を植え付けられている事実を明かし、その誤解を解いてあげることに専念することのほうが、私から見ればどう考えても上位のプライオリティにあると思えるのです。
変化論に「改名」するだけで、なにかが変わるとあなたは証明できますか?
ただそう思い、願っているだけではありませんか?
>悩んでいる人と言うのは、努力しても駄目な人か努力できない人です。
なら相談もなにも解決できないんじゃないですか?ただ聞いてほしいだけ
の時もそりゃあるでしょうが。進化論の呼び名を変えようがなにしようが
根本的な解決は何をしても不可能ですねぇ。
「変化」では「進化」の概念の一部しか表現していない。
「進化」は「進歩」という間違った概念を含んでいるから他の適当な用語に変えるべきだというのは一理あるとは思うけど、何かいい用語がありますかねぇ。
「進化」という用語に勝る適当な用語。
「変化」ではダメだと思うな。
ダーウィンは「変化を伴った由来」と言った。
「変化」と「由来」の2つの概念を含む何かいい用語はないですかねぇ、、、
私は「進化」でいいと思うけど。
どうしても「進化」じゃダメというのなら、何かいい用語を提案したらどうでしょう?
何度も言うけど、「変化」じゃ、まず無視されるのがおち。
To ジョウカンさん
>仰るように最初から誤解があったなら、なおさら今後のために
>誤解を受けにくいタイトルにしたほうがいいのでは。
いいえ。表面的な字面を変えただけでは誤解はとけません。
人々の中に「ヒトはもっともすぐれた生物である」という奢りがあり、
「下等動物は進化していない・遅れている」という誤解がある以上、
言葉を変えただけでは同じ誤解がえんえん繰り返されるだけです。
単細胞生物であっても、それは我々と同じスタートラインから発して
今まで生き残った(子孫を残すことができた)という意味では、同じだ
けの時間を生き抜き、自然淘汰(淘汰という言葉が嫌いなら選択でも)
を受けてきた存在です。
ヒトと彼らとでは生きてきた環境が違うだけであり、それぞれの居場
所で生き残ってきたわけです。
進化論が昔から誤解されているのは、ヒトが最もすぐれた存在であっ
て欲しいという期待がまず存在し、進化論がそれにお墨付きを与えてく
れるという願望があるからに他なりません。
その点を無視して表記だけ変えれば現状が変わるということは、おそ
らくありえないでしょう。
To 流木 さん
>下女を「女中さん」と呼び替え、
>女中さんを家政婦さんやお手伝いさんと呼び替えても、
>その職業に対する蔑視なりが消えるわけではありません。
そうでしょうか?
私には呼び名が変わっただけで問題の半分以上は解消されているように思います。
質問です
脊椎動物と無脊椎動物の呼び名の違いは決定的なのでは?
犯罪発生率の違いは特殊創造説となにか関係在るのですか?
お話の流れから言うと、無関係な事が統計上言えるという感じでは?
ジョウカンさんは、人を傷つける可能性のある差別用語は、一般的に
言い換えをされるべきであるという主義をお持ちですか?
To NATROM さん
>同じだ〜。
全く違うと思います
>「人間が『変化』するとか、個人が『変化』するなんて誰から教わったのか」
人間が変化する・・・あるいは万物は変化する・・
この事は大昔から言われてきた真理です。これを無常といいます。
当然悪く変化する事もあります。
昨日まで親友だったものが今日は自分をいじめる。
ソビエトも崩壊する。放射性物質も半減する。
陸イグアナと海イグアナの混血が出来る。
ありとあらゆる物が永遠に変わらないという事はないと言う事です。
その変化に優劣や方向性の暗示を与える言葉が「進化」です。
「進化」では現実の世界を説明できません。
>よしんば生物が「進歩」してきたからといって、
>なんでヒトが「進歩」しないといけないの?
生物が「進歩」するとすると、人間は生物に含まれるから当然「進歩」しなくてはならなくなります。
>内容を大まかにも知らないのに、「名称を変更しろ」ってのは、
>ずいぶんと傲慢じゃないですかね。
内容に文句を言っているのではなく、名称が科学的でないと言うのです。
To PEPE さん
悩んでいる人と言うのは、努力しても駄目な人か努力できない人です。
ですから絶対に進歩は不可能なんです、だから悩んでいるんです。
努力を意見するのは酷なのです、そのような現実に上記でも言いましたように
「生き物は皆がんばって進化しているよ」等と追い討ちを掛ける事に、進化論が使われたりしないようにしたら如何ですか。
To とんからりん さん
おっしゃるとうりだと思います。
私は学校の教え方が悪いように言いましたが、周りの大人が「進化論」を曲解して 子供に吹き込んでいるのかもしれませんね。
*地下に眠るMさん(空念仏 投稿者:地下に眠るM 投稿日: 9月14日(火)00時09分44秒 )
こんにちは。
既に、「進化論を万物変化の法則の生物学分野における別名」とか「実例」とか呼ぶことによって、進化論についての理解が何か深まるのですかと申し上げました。
呼ぶのは結構ですが、そんなことをしても空疎なだけです。閾値概念その他で分かっていることを、今さら「あれはね、量質転化の法則の実例なんだよ」と得意顔でいわれても、「はあ、それがどうかしたんですか?」と答えるしかありません。
*ジョウカンさん(Re・・・・・・ 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月14日(火)19時25分10秒)
こんにちは。
>>ただもし「変化論」だったら、その中に退化も進化ある事は矛盾ないし。
不勉強な人たちの先入観による誤解もなくなるのでは。
進化は進歩ではありません。
誤解を避けるために、無色透明で他の何のニュアンスもともなわない言葉を使おうとしても無理ですよ。本気で誤解を解きたいのであれば、単なるいい換えではなく、正しい意味を地道に教えるしか方法はありません。
>#IF 0.24くらいの雑誌のようだから
うちの学会誌のことを考えたら泣きそう、、、。あんなに大変だったのに、、。
うわーん!!!
*地下に眠るMさん(怪しい量質転化 投稿者:地下に眠るM 投稿日: 9月14日(火)00時52分48秒 )
こんにちは。
>>経済学にもそういう事例はいくらでもありそうにゃんね。限界効用とかね。
まあ、今は消費者の主体均衡の話でも、効用関数は前提にしませんから、限界効用について全く習わない学生も少なくないでしょうね。無差別曲線だけで議論は済みますから。
いずれにせよ、「限界効用は量質転化の実例である」と答案に書いても、それで加点されることはないと思いますよ。そもそも、限界効用をどう理解しておられますか?
財を消費することによって消費者が感ずる満足を「効用」と呼びます。夏の暑い日によく冷えたビールを飲むとうまいわけですが、2杯目、3杯目…と飲んでいくと、最初の1杯目に感じたほどの満足は感じなくなります。満足自体は高まっているとしても、満足の増え方・もう1杯飲むことによる効用の増加分(限界効用)は落ちているわけですね。これを限界効用の逓減と呼びます(古い教科書だと、「限界効用逓減の法則」とか読んでいましたが、この「法則」なるものは今の教科書にはあまり登場しないと思います)。
「ビールを飲み続けると、もう1杯追加的に飲むことによる満足の増え方がだんだんと落ちてくる」という話のどの辺りが「量質転化」なのか分からないのですが、よろしければご教示下さい。
To 大文字ナン さん
>そうだね、進化論じゃなく「変化論」と呼べばいいじゃないか、などと「戯言」をいくら叫んでも、な〜〜〜んにも問題の解決にはなりませんよ。
そうでしょうか私は殆んどの誤解が解けると思います。
To 逍遙 さん
>これこそ進化論の内容に関する誤解であって、名前を変えたところで、
>根本の誤解を解消しなければ意味がない。
私は名前を変えただけで充分誤解は解けると思います。
誤解している人たちは
>「進化論のようなもの」を振り回しているだけでしょう。
仰るとうりなのです。
内容を知らないで曲解しているだけなのです。
だから名前だけ変えれば充分なのです。
To たまごちゃん(^-^)ノ さん
>もう少し影響力のありそうなところでがんばってみてはいかがでしょうか。
ここは掲示板なので、貴方が納得していただいたら充分なのです。
「弱肉強食」などなどの言葉・・・・・は人間の感情とか権力闘争を表す言葉です。
私が言いたいのはその様な表現は自然科学の用語として使うべきでないといっているのです。
したがって成長という言葉も科学的ではないけれど、人生観の様なものを考える時に使います。
>「1秒間に光が進む距離は30万km」だとか
>「環境破壊が進む」
>といったような使い方では光や環境破壊が意思を持って進んでいるわけではないでしょう?
これは大変素晴らしいご指摘だと思います。
実は私はこの「光が進む」とかと言う言い方も大反対なのです。
ちなみに電気は「流れる」といい、「進む」とは言いません。
「環境破壊が進む」の環境破壊という言葉そのものが自然科学的ではないのでは・・・。
To いど さん
>・・・・・・・退化も進化の一つであり・・・・・・・
>むしろ学校で教わるはずの「進化」に関しての不勉強、
>言葉のみの先入観で判断していることに原因があります(本人、もしくは親など)。
仰るとおりです不勉強が悪いんです。
ただもし「変化論」だったら、その中に退化も進化ある事は矛盾ないし。
不勉強な人たちの先入観による誤解もなくなるのでは。
To PDX さん
>進化論における淘汰や闘争という語を、
>生物個体同士の戦いだと誤解して非難するというのは、
>ダーウィンの時代から存在する誤解です。
仰るように最初から誤解があったなら、なおさら今後のために誤解を受けにくいタイトルにしたほうがいいのでは。
あのころの山上たつひこは誠実に過ぎるのではにゃーだろうか?
*ジョウカンさん(「変化論」に改名のすすめ 投稿者:ジョウカン 投稿日: 9月14日(火)02時22分15秒)
こんにちは。
>>子供が可哀想なのは学校で科学として「進化論」「自然淘汰」の言葉が教えられるからです。
義務教育では、進化論は教えていません。高校でも、生物の時間には進化論は教えていません。生物の進化が扱われるのは、地学だけです。これも選択科目です。
進化論をきちんと学んでいないから、進化論=弱肉強食といった誤解を抱くのです。
>>是非「変化論」に改名して下さい、私の意見は是だけです。
下女を「女中さん」と呼び替え、女中さんを家政婦さんやお手伝いさんと呼び替えても、その職業に対する蔑視なりが消えるわけではありません。確かに、誤解を生みやすい名前というのはあるでしょうが、ただのいい替えで問題が根本的に解決するとは思えません。
そもそも、聖書の特殊創造説を信じる人たちが総人口の半数近い米国では、キリスト教の信者が総人口の1%程度しかいない日本より犯罪発生率が高いわけですが、あなたの説と矛盾しませんか?
>子供が可哀想なのは学校で科学として「進化論」「自然淘汰」の言葉が教えられるからです。
>宗教だったら否定すればいい、唯科学の名で教えられると抵抗できない。
詩人西脇順三郎は、二十代後半か三十代になって、「自分は労働をしないと生きていけない」ことに気づき、生まれてこなければよかっとと思うほど苦しんだということだにゃ。
労働とはにゃんと残酷なる運命であることか・・・・
それに比べれば進化への抑圧など何ほどもにゃーのだあああああああ
*****************************************
1
旅人は待てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考えよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考える水も永劫には流れない
ああかけすが鳴いてやかましい
(〜略〜)
41
永劫の根に触れ
心の鶉の鳴く
野ばらの乱れ咲く野末
砧の音する村
樵路の横ぎる里
白壁のくずるる町を過ぎ
路傍の寺に立寄り
蔓荼羅の織物を拝み
枯れ枝の山のくずれを越え
水茎の長く映る渡しをわたり
草の実のさがる薮を通り
幻影の人は去る
永劫の旅人は帰らず
新潮文庫「西脇順三郎詩集」より
>■論文に発表された創造論
>Peer-reviewed paper defends theory of intelligent design
intelligent design説と創造論は違いますよ。
#IF 0.24くらいの雑誌のようだから、まあ事実でもおかしくはない。
[管理者注]「intelligent design説(ID)と創造論は違う」というのは、IDは、必ずしも共通祖先を否定しないので、「地球上の生物はそれぞれ個別に、創造主によって創られた」という創造論の定義に従えば、IDは創造論とは言えない。ただし、アメリカ合衆国の進化論教育問題を扱う上では、IDは創造論の一種とされているようだ(参考)
■論文に発表された創造論
Peer-reviewed paper defends theory of intelligent design
要約
創造論を支持する主張が、正式な科学論文雑誌であるProceedings of the Biological
Society of Washingtonという科学雑誌に発表された。この論文の著者である研究者で
あるステファン・メイヤーは情報理論などのテクニックを使って、生物の複雑さは進化
論では説明できないと主張している(S. C. Meyer Proc. Biol. Soc. Wash. 117, 213-2
39; 2004).
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。