このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
>>ってことは、誰が一位になるかは分からないわけですよね?
>>それって、偶然ってことではないんでしょうか?
よーくよーく考えてみましょう。模試で毎回全国トップをとってる人がセンター試験でもトップをとるかはわかりません。でも、なったときその人がセンター試験で一位になったのは偶然だなどといってくれるのは私の知る限り、あなただけでしょう。
>>突然変異という「化学反応」が、この地上で生じるようになった原因が、
>>「必然」なのか?と尋ねているんですが・・・?
具体的にしないと意味がない質問でしょう。この宇宙のどっかで生じるというのなら必然と(多分)いえるだろうし。
人間が進化によって生じるのはどうかといえば、地球と同じような環境でなら、どっかで人間みたいなのが生じているかもしれないというのならそうでしょう。人間の足が長くて、血管の構造が耐熱によくできていて、とかっていうのなら、系統を考えれば、そうだといえるのではないでしょうか。
HN:Oh My God!は、God Bless You!の
間違いです。よろしく。
> 偶然起こったことの連鎖をどこまで偶然というかは、何か定義といより慣用という感じで、
>自然淘汰は偶然じゃないといっても、God Bless You!さん以外の誰もが、そう
>はいわないよ!といっても、God Bless You!さんがを言い張ることを不合理だとか
>いっても止めるはできないだろうと。ただ、ここ以外のところで、進化論は偶
>然だとかいったら、即違うんだよと講義が待ち構えていることを覚えておいてくだ
>さいと。さ、次の答えへ進みたいので、進化が偶然か必然かの議論はできまし
>たら、私個人と致しましては、これで終わらせて頂きます。m(__;)m
なんとなく、私もわかりました。偶然という言葉をどこまで
広義に捕らえるか・・・?なんですね。
そうだとすれうと、切がないですね。
けど、進化論は、「偶然」でないと仰るからには、
とんからりん様と同じ質問をしますが、
人間がこの地上に進化してきたのは、偶然か?
必然か?と聞かれたら、進化論者としては、どちらで答えるのですか??
それだけお願いします。
そうしないと、進化論の掲示板なのに、
進化論者の方が、事あるたびに、
「必然」だとかなんとか言われると、
私の弱いこの頭が、混乱してわけがわからなくなってしまうんですよ。
進化論者の方が進化論をどういうふうに
考えているのか、それを通して、「進化論」を
正しく認識して、勉強するのが、私が
この掲示板を利用させて頂いている本来の目的です。
前にも申しましたが・・・
一番肝心なところなんです。すっきりして、次に進みたいです。
何卒、よろしくお願いします。
どうも失礼があったみたいですね。
いろんな方がいろんなレスを書いてくださるので、
ちょっとあせっていたんです。
お気に障った方が他にもいらっしゃいましたら、
この場をお借りしてあやまります。
どうも済みませんでした。
そこで、もう一度、確認をさせていただきます。
> 進化論では述べているのは「誰かが一位になる」ということでしょう。
> 進化についての理論と進化の結果誕生したものについてごっちゃにしてませんか?
ってことは、誰が一位になるかは分からないわけですよね?
それって、偶然ってことではないんでしょうか?
> 突然変異だって突然変異が起きることは必然ですよ。
>サイコロを振ればどれかの目が出るように確率的に生じるのだから。
突然変異という「化学反応」が、この地上で生じるようになった原因が、
「必然」なのか?と尋ねているんですが・・・?
偶然、いろんな要素が合わさって、突然変異という化学反応が
生命体等に生じるようになったんではないんですか??
> どの目が出るかは偶然だとしても
ということは、「どの遺伝子が有利な遺伝子として自然淘汰で
残るかは偶然だ・・・」と言ってはならないのでしょうか??
結局、貴殿は、突然変異が必然で、自然淘汰が必然だとして、
人間が進化によってこの地上に誕生するようになったのは、
「必然」だと思うのですか?それとも、「偶然」だと思うのですか?
出来ましたら、どちらか一方の答えでお願いします。
それでは、どうも失礼致しました。
ていうか、生命エネルギーってどっからきたんですか?神様が動物を自分に似せてつくったというのは?統一教会の神様は完璧な神様じゃなくて、そこらへんが正当なキリスト教とちがうとかそういう話は・・・?だから、系統由来の問題も説明できるんでしたよね?失敗作人間ができたのも説明できるし。なんか、とんでもなくちがう方向に転換してませんか?そういう方向で、じゃあ、それなら、こういえるよとかかんがえてきたんですけど・・・。
人間が自然にあるものに勝手に法則を見出しているというのは哲学者かなんかの議論できいた気がします。物理学もみんなそうなんだと。化学には60&の傾向のものを法則とよぶこともあるし、心理学ではたしか95%以上あてはまれば法則だったような。
ていうか、進化論は偶然じゃないということはすでに認められていたんですね・・・。よく読まずにすいませんでした。
>だから、結局は、「その人」が、1位になる原因は、「偶然」のなせる業
>だというより他にありません。
ううん、よくわからないですけど、変な答えにたどり着いたとき、どっか間違ってたんだなと思ったほうがいいと思いますよ。過去ログで、トンデモ論理に騙される人という話がでてましたが。論理が一見して変なところがわからないから、そうだなと思うんじゃなくて、へんな答えがでてきたら、それこそ、まず、どっかおかしくないかなと思わなくてはならない。センター試験1位になるのは偶然の要因なんてたわごとを世の中で言う人がいますか?どっか間違ってるんですよ(ちなみに必然じゃない=偶然、偶然じゃない=必然というすでに私が指摘したところだと思いますがね。「偶然の反対は必然ではなくて偶然じゃない」)。
>>兎に角、神様がいなければ、私にとっては全ての「自然現象」は
>>物理法則等を無視しない程度の範囲内で「偶然」でしかないのです。
>>これがもし「違う」と言わるのなら、もうコミュニケーションが
>>成立しません。
多分、世の中の人とコミュニケーションが成立しないでしょう。8階から飛び降りた人が死ぬのも偶然だし、台風がきたときに雨がふるのも偶然でしょう。母親が子供のことを愛するのも偶然なら、どっかの原理の似たものが好きだというのなんてはるかな偶然です。神様は自分に似せられて全てのつくったなんて偶然すぎて笑っちゃいます。
ひさびさにのぞいてみたら、いまだに、偶然論議をしていたことに驚いたんですが。
まあ、例えば、デミグラスソースの職人が偶然の失敗を繰り返していい失敗は残してそれを積み重ねたのが、偶然世界一のデミグラスソースができたとはいえる(いいはれる)かも。科学も大方偶然できたとか。
考えてみたんですが、確かに偶然練習中に足を怪我をして、それでレースが勝てなかったら、偶然レースが勝てなかったなんていわないだろうけど、(例えば、谷亮子がけがが響いて負けていたとしてもいわないでしょう)、でも、偶然つまづいて、その結果、運悪くけがをしたら、それは偶然けがをしたとかいうかなとか思いましたよ。何がいいたいかっていうとつまり、偶然起こったことの連鎖をどこまで偶然というかは、何か定義といより慣用という感じで、自然淘汰は偶然じゃないといっても、God Bless You!さん以外の誰もが、そうはいわないよ!といっても、God Bless You!さんがを言い張ることを不合理だとかいっても止めるはできないだろうと。ただ、ここ以外のところで、進化論は偶然だとかいったら、即違うんだよと講義が待ち構えていることを覚えておいてくださいと。さ、次の答えへ進みたいので、進化が偶然か必然かの議論はできましたら、私個人と致しましては、これで終わらせて頂きます。m(__;)m
>たまたま生き残った運がいい個体が生き残ると思います。
ってトートロジー入ってるね。
「たまたま難を逃れた運のいい個体が生き残ると思います。」に訂正。
まだトートロジーはいっているような気もしないでもないけど。
God Bless You!さん、こんにちは。
>そういうことを全て考えれば、「その人」が今年のセンター試験(その環境)で、
>1位(有利)になることに、「必然性」が入り込める余地は
>ほとんど無いと言えると思います。
自然淘汰によって生き残るのは一個体だけじゃないんだから、別に一番になる必要はないのでは?バトルロワイアルでもあるまいし。
上位の何割かに入っていたらそれでよいことなんじゃない?
それで、誰が上位の数割に入るかはまったくの偶然だと思われますか?
私はそうは思いません。
もちろん、偶然もいくらかは作用すると思います。個々の生徒に関してはかなり運しだいというところもあるでしょう。
しかし、上位の何割かに入るかどうかに、学力(っていうか、単なるセンター試験様の問題を解くテクニックだけど)が全く無関係だとは思えません。
例えば、センター試験の上位の3割の集団と下位7割の集団で、センター模試の偏差値の平均を比べた場合、同程度だったり下位7割の方がよかったりすることはまずないように思うのですがいかがでしょう?
「自然淘汰は偶然ではない」というのは「この試験の結果、必ず1位になる人が出てくる!!」と予言していると言うよりも、「学力のある奴が上位になる(なりやすい)」とか「模試でA判定の奴は合格する(しやすい)」って予言しているようなものだと思います。
ただし、センター試験がものすご〜く奇問難問で誰にも解けないようなものだった場合(自然界で言えば天変地異が起こった場合)にはその通りではありません。
センター試験が奇問難問ばかりだった場合には、たまたまマークした数字が当たった運のいい人が上位になるでしょう。同様に天変地異で環境が激悪化した場合にはたまたま生き残った運がいい個体が生き残ると思います。
>どんなに、それが起こる確率が高かろうとも、
>「人為的な恣意的な操作による100%」で無い限りは自然現象は
>物理法則等を無視しない程度の範囲内で「偶然」です。
なんかさ、「必然」でないものはどんなに確率が高かろうが「偶然」だっていう、二項対立的な思考っておかしい気がするけどなぁ…。
>次の質問へ進みたいので、進化が偶然か必然かの議論は
できましたら、私個人と致しましては、これで終わらせて頂きます。m(__;)m
ラジャ('◇')ゞ
>兎に角、神様がいなければ、私にとっては全ての「自然現象」は物理法則等を無視しない程度の範囲内で「偶然」でしかないのです。
これってどういうことを言いたいんでしょうか?
物理法則の範囲内の「自然現象」は、自分にとれば全て「偶然」でしかないってこと?
そうなら、「偶然」でない「自然現象」って、どんなもんがあるんだろう、、、
物理法則の範囲外の「自然現象」って、なんだ?
とにかく、人間も「自然現象」の産物以外の何物でもないわな。
それも、物理法則の範囲内での。
> 兎に角、神様がいなければ、私にとっては全ての「自然現象」は
> 物理法則等を無視しない程度の範囲内で「偶然」でしかないのです。
私は、その”物理法則等を無視しない程度の範囲内で「偶然」”の範囲内で進化論が成立し、進化の説明が出来ると考えますが、如何でしょうか?
記事によって投稿者の記述を変えていると思われても仕方ない状態ですな(笑)
道を通るのは必然で、どの道を選ぶかは偶然ってとこですかね。
要するに地球の歴史上で人間が生じたのは偶然で、
もっかい進化が最初から起こったら人間は生まれない確率が高い
って予測が気に入らないわけですか>Oh My God ! さん
人間が生まれたのは偶然でも、人間が現在の姿をしてるのは偶然じゃないんですよ。
>次の質問へ進みたいので、進化が偶然か必然かの議論は
>できましたら、私個人と致しましては、これで終わらせて頂きます。m(__;)m
相手が承服できない議論を吹っかけてきて「終わらせて頂きます」なんていい根性ですね?
センター試験の例えで言うところの「誰が一位になるか」ということ、すなわち進化の結果ヒトが誕生するかについては進化論は何も述べていません。
進化論では述べているのは「誰かが一位になる」ということでしょう。
進化についての理論と進化の結果誕生したものについてごっちゃにしてませんか?
突然変異だって突然変異が起きることは必然ですよ。サイコロを振ればどれかの目が出るように確率的に生じるのだから。
どの目が出るかは偶然だとしてもそれをもって「サイコロの目を振ったときにいずれかの目が出ることは偶然だ」なんて言いませんよ。
できましたら、私個人と致しましては、これで終わらせて頂きます。m(__;)m
「進化は偶然か必然か?」の話のまとめ
偶然出てきた変異の中で、自然淘汰により「必然的?」に1つないし複数選ばれ
たとしても、結局は、「偶然表出した変異の中のいくつか」が残ったに過ぎないので、
結局は、「偶然の産物」だと思うのですね。
だから、「ダーウィンの進化論」が、おおざっぱに言って、
偶然(突然変異)→必然(自然淘汰)→偶然(突然変異)→必然(自然淘汰)
→
・・・の繰り返しだとすれば、「偶然、それが適応して生き残ったに過ぎない。」
と言えると思います。それを、「進化は偶然じゃない」と言われちゃうと、
有神論者としては、ちょっと不思議な気がしてしまうんですよ。
兎にも角にも、私の頭の中では、
神様が存在しない偶然出来上がった宇宙で、
偶然、地球が出来上がったその中で、
偶然、生命が誕生したとして、
それがもし、偶然的突然変異と必然的自然淘汰で進化しだしたとしても、
その結果はやはり「偶然の産物」でしかないのだと・・・・
自然淘汰された結果として、生き残った繁殖力の旺盛な遺伝子を指して、
人間が、勝手に、「有利な突然変異だった〜」と言っているに過ぎないのですか
ら、「自然淘汰」が何か、恣意的に、その遺伝子を選別しているわけでもない。
それこそ、「自然に」、「淘汰」されたに過ぎない・・・
無神論的立場では、「自然に」と言うとき、それは、
物理法則等の常識を超えない範囲での
単なる「偶然の事象の世界」を指すと思いますが・・・
だから、「自然淘汰は、”偶然”でない。」とか、「進化は、”偶然”だけではない。」
とか、「無神論的進化論者」の方々が言われる時・・・
下手な例えで恐縮ですが、それは、丁度、大学のセンター試験で、
「この試験の結果、必ず1位になる人が出てくる!!」と預言している
ようなものだと私には思えてなりません。
このセンター試験という「ふるい」に掛けられれば、そりゃ当然
「必然的に」1位になる人(有利な突然変異)は1人ないし、複数
出てくるわけでしょ?
しかし、そのセンター試験に「誰が」参加して、「誰(どの遺伝子)」が
1位なるのかは、誰も、「試験の段階」では、分からないのです。
だから、結局は、「その人」が、1位になる原因は、「偶然」のなせる業
だというより他にありません。
1位になれる頭があっても、たまたま、その試験が、1位になった
人の頭と「適応」していただけであり、別の試験が出たら、その人が
1位じゃなかったかも知れないんですから・・・
ですから、「その人」(有利な突然変異体)が1位になる、ということは、
どれほど、「偶然」が左右する世界の話でしょうか????
「その人」は、もしかしたら、今年のセンター試験に
参加しなったかも知れないのです・・・
そういうことを全て考えれば、「その人」が今年のセンター試験(その環境)で、
1位(有利)になることに、「必然性」が入り込める余地は
ほとんど無いと言えると思います。
兎に角、神様がいなければ、私にとっては全ての「自然現象」は
物理法則等を無視しない程度の範囲内で「偶然」でしかないのです。
これがもし「違う」と言わるのなら、もうコミュニケーションが
成立しません。
どんなに、それが起こる確率が高かろうとも、
「人為的な恣意的な操作による100%」で無い限りは自然現象は
物理法則等を無視しない程度の範囲内で「偶然」です。
神様が存在しないということは、そういうことだと理解しておりますが・・・
因みに、自然淘汰説は、物理法則だとは思っておりませんが。
偶然、宇宙が出来て、偶然、地球が出来て、偶然、生命が誕生して、
偶然、物理・化学法則が出来て、偶然、そのような環境が出現し、
自然淘汰という働き?が偶然出て来て、偶然、突然変異という反応が起こる・・・
これは「偶然の蓄積」でしかないでしょ?・・・どう考えても・・・
次の質問へ進みたいので、進化が偶然か必然かの議論は
できましたら、私個人と致しましては、これで終わらせて頂きます。m(__;)m
予定以上に、レス再開が遅れました。どうも済みませんでした。
アテネの興奮もちょっと影響しています。(笑)
(ぱ)様へのお返事から、改めて途中参加させていただきます。
よろしくご了承のほどお願いします。
(ぱ)様の質問
>a)突然変異は偶然で起きる。
>b)自然淘汰は偶然ではない。
>というところまでは同意していただけたと考えてよいんですかね? (Y/N)
「Yes」
ということにしておきますが、
私としては、自然淘汰は「必然」でもないと思っています。
自然淘汰は、ただ、単に、「適応した生物が生き残った」というだけの
ことを指して「自然淘汰だっ」と勝手に人間が言っているだけのことだと
思いますので・・・
何か、厳然と自然界に内在する必然的法則ではないと思っております。
恣意的に遺伝子がその環境に適応しようとしたのなら、お話になりますが。
自然淘汰が、「必然」だ、なんていうことは、
科学者もきっと使いたくないんじゃないのかな〜????
よく知らないけど・・・
>c)その自然淘汰の環境は、偶然によってできたのだろう。
「Yes」
>と考えておられる、ということでよいですか? (Y/N)
「Yes」 進化論の立場に立てば、以上のようなことになると思いますが・・・
>…で、だから何だというのでしょう? これのどこかに、神の采配の入り込む余
>地がありますか?
>神様がそういう環境を用意した、ということでしょうか? (Y/N)
「No」 偶然に生命が誕生し、あくまで環境が主体だ
という考え方では、確かに神様の采配が入り込む余地はないでしょうねぇ。
神様が突然変異と自然淘汰というシステムを利用して、わざわざ
人間になるまでの環境を、その都度、恣意的に変えてきた・・・
とは、いくらなんでも、私も、思っていません。
そんな細かいところまで、神様が干渉できるのなら、
とっくの昔に人類は救われて平和な世界を取り戻していなければ
なりませんからね・・・
むしろ、「環境」が主体ではなくて、生命エネルギー(漠然としていますが、無
理を承知で敢えて使わせていただきますと・・・)自体が「主体的」立場に立っ
て、何らかの目的と方向性を持ったエネルギーとして作用して、環境との相互作用に
おいて、進化させられてきた・・・と考えたいんですよね。
有神論的進化論者としては・・・
>ここで言っている「進化論が偶然」とは、どういう意味ですか?
>私も文系の人間ですが、他の皆さんの言う「偶然」は理解できますが、God
>Bless You!さんの言う「偶然」だけが理解できません。
要は、「人間が進化してきたのは偶然か?必然か?」というだけの意味です。
疑問をまとめてからツリーに書きます。その節はよろしくお願いしますm(__)m
最近、とても分かりやすい本を読んだのですが、もう図書館に返してしまいました。
思い出しながら特殊相対論のことを箇条書きにすると
1)光速はどの慣性系から見ても変わらない。
2)それぞれの慣性系に固有の時間があり、他の慣性系の時間は遅れるように観測される。
3)ある慣性系で同時刻を示す時計も、他の慣性系から見ると、場所によって時刻が違う。
4)ある慣性系から他の慣性系を観察すると、進行方向に縮んで観測される。
まあこんなところでしょうか。いい加減に書いたので足りないところはあると思いますが。
で、たぶん間違いやすいところは3)だと思います。
特に「同時」と言った場合、誰にとって同時なのか曖昧にしたパラドックス問題が多いので、
そこに引っかからなければ間違えないで済むことも多いと思います。
なにぶん、種本がないので自信を持って書けません。
具体的な疑問があればツリーの方に書いてくれれば、また種本を借りてきます。
たぶん他の人が簡単に答えちゃう気がしますが。
>http://cgi.members.interq.or.jp/wild/nan/cgi-bin/wforum.cgi?no=671&reno=no&oya=671&mode=msgview&page=0
の、「こなれていない投稿」で、谷庵さんの投稿を元に話題を立ち上げたのですけど(最初はここに投稿するつもりで書いたのですけど、ここでは流れが速すぎたから...)、話がやっぱりボクの能力を越えてるみたいで...。
ミケ様
ペルム記ですか。訂正ありがとうございます。今後気をつけます。
PEPE様
やはり、彼らはまともな意見をあまり述べたことがないのですね・・・。それにしても、あそこで定期的にレスをなさっているのは、長谷川氏と斉藤氏しかいらっしゃらないような・・・。度重なる返レスありがとうございます。
To 流木さん
確かグールドの著書でしたが、バチカンに招かれた彼がカトリックの聖職者たちから「アメリカでどうして創造論と進化論が対立しているか理解できない」と相談されたとかで。
カトリックは進化論を許容していますからねぇ。
厳密には、プロテスタントの中のごく一部のセクトが創造科学を提唱しているわけですが。
そういった事情を聖職者達に説明しながら、内心でユダヤ人である自分がカトリックの聖職者相手にアメリカのプロテスタントの特殊事情を説明するという現状に苦笑していたとか。
しかし、
>アメリカの公教育の場で進化論と創造論両方を同時に教えることになる。
この目論見は既に一度潰えているはずですが、また復活するんでしょうかねぇ?
こんにちは。
この世は仮の世さんの書き込みですが、
>>私の予言の第3のシナリオ
あと50年以内に創造科学と進化論で双方相打ちになって共倒れになる。
アメリカでは進化生物学者の中には原理主義者から殺されるものも2,3人出る。
日本で創造科学が非クリスチャンの間で広がることはない。
最大のボトルネックは天地創造6000年前説でこの説は非クリスチャンにとってはばからしいものとしか映らない。
進化生物学者は自説のために命をかける覚悟はないので双方の戦いの勝敗は目に見えている。アメリカの公教育の場で進化論と創造論両方を同時に教えることになる。
そのあとで信仰あるものの間で大川隆法先生の「太陽の法」に書いてある天地創造説が脚光を浴び、日本でも世界でも有名になる。
壊れてますね。そのうち刺されそうです(笑)。
To..ジェイソン太郎様
もうどっから突っ込んでいいのかわからないくらいボケッぱなしなので…
爆笑問題の太田氏バリのボケ連発。ついていけるのは田中くらいでしょう。
進化論者が聖書の記述や、創造科学を否定するために日夜努力していると、
彼らはある種特別な被害妄想をもっているように感じます。
>姿が変わってない=トンボはトンボのまま創られた、とくるのはすごいですね。
完全にどんな思考回路しているのか謎です。創造主はこんなムチャな聖書の解釈
なんか望んでないと思うのですがね。彼らを見ているととても(彼らの)信仰が
幸福をもたらしてくれるようには見えないです。
PEPEさんとNATROMさんには他の所でお世話になっています。
これからちょくちょく書き込もうと思いますのでよろしくお願いします。
ちなみに、進化論者でダーウィニストでドーキンジアンです。
さっそく僕も、某所への突っ込みをしてみます。
ドーキンジアンとして、ドーキンス批判は見過ごせない(笑)
>ドーキンスの考えによれば、復活は事実だと信じなければならなくなります。
まず第一に、証言があっても、検証しなくてはなんにもなりません。
ドーキンスの「虹の解体」に、哲学者ヒュームの論考が引用されています。
いかなる証言も、その証言が確立しようと努める事実以上に、その証言の虚偽性のほうが一層奇蹟的であるような性質でないかぎり、奇蹟を樹立するのに十分ではない。
「奇蹟論・迷信論・自殺論」(1784)
さて、少なくともドーキンスにとっては進化論は非常に高い確率で事実であり、創造論が事実であるというのは非常に奇蹟的なことです。キリストの復活にしてもそうでしょう。
(上の部分に反論しても意味はありません。今はドーキンスの言行一致について論じているので。)
では、次に証言の虚偽性について考えてみましょう。
創造についてイエスが証言したということですが、具体的内容ではありません。書き込みを見るかぎりイエスが創造を見たと言明してはいないようです。そして、創造論や安息日の教えはイエス以前からあるユダヤ教のものです。これらのことから、イエスは当時の権威、伝統に基づいて信じていると考えられます。(少なくとも、そうでないとする根拠はない。)これはまさにドーキンスが「悪魔に使える牧師」の「娘のための祈り」の章で否定している信じ方です。これでは証言としては使えません。
では、目撃者多数のイエス復活についてはどうでしょうか。500人も見ているなら、信用すべきでしょうか?まず、これは約二千年前の出来事です。その記録にどこまでの信憑性があるのか、非常に疑問です。500人という記録も、誇張が含まれていたとしても不思議はない。さらに、その一人一人がどこまで信用できるかわからない。嘘でなくとも、錯覚や思い込みなどによるものである可能性もある。
これらのことから、聖書の復活や創造の記述が虚偽である可能性は十分に高い、少なくとも復活や創造が真実である可能性(ドーキンスが考えている可能性)よりは高いため、ドーキンスにとっては聖書は復活や創造を確立するのに十分な証言ではありません。よって、ドーキンスに言行不一致の責めを負わせるのは公正ではありません。
だいたいにして、証言があれば絶対に信じろなんてどこにも書いてないし。そんなこと言ってたら証言が矛盾したら最後どうしようもなくなることぐらい、3秒考えればわかるだろうに。
いきなり長文すみません。
そもそも「ペ」ルム紀のような気が・・・。
P-T境界なわけだし。
ん?だから
>ベルム記という任意に決定された時代の存在を認めない
となるのかなぁ?
向こうに言っても意味なさそうだったんで
こっちでツッコミ。
失礼しました。
恐竜から鳥になった所を説明するのに、何故トンボの進化についての説明が必要なのでしょうか?自分で調べればいいじゃないですか。姿が変わってない=トンボはトンボのまま
創られた、とくるのはすごいですね。
レスありがとうございます。神を科学では証明できないと言いながら、「・・・の部分は聖書の記述と一致する」って・・・
「死体が洪水で流されたのではなく、洪水によって死んだ」というのは「宇宙人が何万光年も離れている所から来ている事実からすると、相対性理論は間違いだ」と言うのと一緒でしょう。
その掲示板みてましたよ。
あんまりに馬鹿馬鹿しくて嫌になりますね。なんでもいいから自分の主張にそぐわない
事実は完全にシカトしたいだけなんでしょうね。理論なんてどうてもいいのでしょう。
なぜ進化論者が自分の都合に合わせて聖書を解釈しないといけないのでしょうか?もう
まったくもって意味不明です。
<あの番組で放送されていたのはベルム期、つまり恐竜繁栄以前の時代です。
との反論」に対し、
<私はベルム期という、任意の時代を認めていないので、訂正する必要はありません。
とは・・・
ベルム記を認めてなかろうと、あなたの主張はあやまりでしょうが。
ベルム期を認めない理由を述べてないし・・・
ずいぶん流れが速くなってしまっているようです。レスが遅くなって申し訳ありません。
>もう少し難しい言葉を使えば、流木さんの言うような、「偶然に起きる突然変異+それが起きたときの環境・状況下での自然選択による遺伝子頻度の変化」としても良いと思います。
ただし、私は突然変異と自然選択だけで進化を説明できるとは思っていませんので、この定義に100%賛同しているわけではありませんが。
>私はこの掲示板において、これらの定義以外を前提にして書き込みを行った事はありません。もし、今までの書き込みをご覧になっていた方で、私が進化に対する独自の定義をしているように感じた方が他にもいらっしゃったなら、その点だけでも書き込んでいただければ幸いです。
(工業暗化(10) 投稿者:ハーミット 投稿日: 8月12日(木)01時03分44秒)
ハーミットさんのご発言を読む限り、独自の定義を導入されているように思えます。
すでに述べておりますが、突然変異の発生時期についてこだわり過ぎていると思えました。
ただ、これに関しては、その後の議論の展開を読めば、学術的には重視されていないことがご理解されてきたのではないかと思います。
>この定義をわざわざ集団遺伝学の定義としたのは、他の分野(例えば分子生物学等)でどのような定義をしているか知らないためです。
私が知る限り、おそらくどの生物学の分野においても「集団内における遺伝子頻度の変化」という定義付けは肯定的に受け入れられているでしょう。
>これは工業暗化(8)の最後の文章ですが、この説明ではまずいのでしょうか?
まずいというよりも、なぜ簡単に「特別重視はしていませんが、変異は子孫に受け継がれなければならず、次々子孫を残していけば、特に指摘しなくても遺伝子頻度は変化するのではないでしょうか。」といえるのかお聞きしたのです。
個体群に遺伝子変異が広がっていくかどうかは、どのような変異か仮定しなければわからないと思います。
それから、下記のご発言ですが、どこを読めばそのような結論になるのでしょうか?
>大豆生田さん、指摘されたページは意見しました。
どうやら、工業暗化を古典的な突然変異と自然選択の観察、証明とする事には無理があるようですね。(キリンの生殖 投稿者:ハーミット 投稿日: 8月14日(土)15時18分26秒)
流木さんのコメントにあるように、突然変異はDNA複製時のエラーにより生じることが多いと考えられます。それゆえにエラー修復機能の弱いウイルスなどは変異が速いと言われてます。従って細胞が分裂するたびに変異のチャンスがありますから、人間一人が持つ何十兆もの細胞のいくつかは変異を持っていてもおかしくないでしょう。
でも次世代に受け継がれて進化に貢献するには、生殖細胞に変異が生じないといけなくて、その変異は生殖細胞の分裂時に複製エラーにより生じる可能性が高いでしょう。
でも分裂の時ではなくてもガンマ線が1個当たって変異が起きるかも知れません。でもそれも複製時に修復されてしまうともう残りませんから、やっぱり複製時に起きるとしても差し支えないのでしょうね。
レスありがとうございます。過去ログを良く見ずお手数をかけて申し訳ありませんでした・・・・・。
他の過去ログや創造論FQの誤りの所を見て長谷川氏の意見も良くわかりました。そして、それに対する反論も。
この掲示板の過去ログの↓あたりをじっくり見ていただければよろしいかと・・・
http://doko.totto.to/~tosakai/board040304.html
はじめまして、ここで書き込みをなさっている皆さん。ここのサイトでは長谷川氏のことが結構出ていますが、長谷川氏の掲示板のルールはアンフェアなのでしょうか?掲示板に行きましたが、アンフェアなのかよくわかりません。くだらない質問ですが、どうかお願いします。
*たまごちゃん(^-^)ノさん(懺悔しましゅ 投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 8月15日(日)07時12分25秒)
こんにちは。ネタにマジレスをば…。
>>足が浮いているから頭を水の上に出せないし、その上こっそりプールの隅でやっていたもんだから誰も気が付いてくれなくて、危うく死ぬところでした。
それは危険ですね。子供向けの本とかに「忍者はこうやって水の上を歩いた」とかいって、ミズグモというカンジキのお化けみたいなのを履いて歩いているイラストが載っていたりしますが、あれを実際に試してみようとすると、たまごちゃん(^-^)ノさんが遭遇されたような災難に遭うと思います。
カヌーの転覆事故でもそうですが、慌ててカヌーから脱出しようとするとかえって溺れてしまうようです。弾みをつけて、クルっと反転すればよいのだそうですが、理屈は分かっていても実際にそうなったら脱出しようとジタバタして水を飲んだりするんでしょうね。
>>この一件により私は、被造物の分際で人間が神の領域を侵そうとしてはならないということを学びました。
やはりキリスト並みの人物が直々に指導してくれて、ご本人が信仰心を持っていないとダメなんでしょうね。で、ブクブク沈んで溺れ死んだら、「あいつは信仰心が足りなかったから溺れ死んだのだ」ということになるんでしょう。生き残った指導者がインチキだと非難されることは、指導された側が死んでいる以上、あり得ませんからね。
中世の魔女狩りでも、縄で縛り上げて池に沈めるというのがありました。浮かんできたら魔女ということで火あぶりの刑、浮かんでこなければそのまま溺死。どちらに転んでも、助かる道はなかったわけですが。
私もその奇跡のオフ会に是非とも参加キボーン。
1000冊読書ラリーも参加者キボーン!
こんな時しか参加できない(泣)
上下がひっくり返っていますけれど、
たまごちゃん(^-^)ノ教祖様は、水面に足をつけて歩いたのです。しかも、水中で呼吸も出来たのです。あとで少し咳きこんだかもしれないけれど。まだ幼かったのに...。
これは二番煎じではなく、ほんものの奇跡です!
...出来ればみんなの目の前でもう一度やってほしいな...。
昔、私がまだ幼く、神を畏れなかった頃、水の上を歩こうと試みたことがあります。
両足にビート板をくくりつけ、いざ一歩プールに踏み出した…
…と同時に、バランスを崩しまっさかさま。
水は飲むし、足が浮いているから頭を水の上に出せないし、その上こっそりプールの隅でやっていたもんだから誰も気が付いてくれなくて、危うく死ぬところでした。
もがいているうちに、片足だけ紐が外れて、そうしたらなんだか知らないけど顔を水からだすことが出来て、助かりました。
神のご加護に違いありません。
この一件により私は、被造物の分際で人間が神の領域を侵そうとしてはならないということを学びました。
皆さんも気をつけましょうネ。
>そういうことではないでしゅ。
>だけど確かにそう読めますぜ>大文字ナンさん
た、たしかに。と、いうわけでフォロー(?)ありがとう。
「一気に変化する」ではなくて
「方向性を持った変化が起きやすい時期と停滞する時期がある。しかしひとつひとつの変化そのものは小さいものである」
と、だけ書けばいいんでしょうが、それだとなんだか不親切な気がして、余計な説明を試みると…つい誤謬も混ざったものになってしまう、ということかな。反省しよ。
話は変わって、
>同行者大募集!
>君も奇跡で改心しないか?
そりゃもう、いくらでも同行しますじぇ!
改心マンセー!
>同行者大募集!
奇跡で改心するかはその実質が伴っているように見えるなら考えてみます。
エルカンターレこと大川先生が完全に神であることが私に示されれば、
私も新たに悔い改めエルカンターレを礼拝するでしょう。
今の時代、もし神が人となってくれたというのなら私も是非、会ってみたいものです。
>同行者大募集!
>君も奇跡で改心しないか?
大川ダイセンセイの奇跡体験オフ希望。
>同行者大募集!
>君も奇跡で改心しないか?
(・∀・)ノ ハァーーイ・・・
返すべきレスの前に、おいしい餌にとびつく僕はやっぱりケダモノだもの。
この世は仮の世クンが大川虚言屑ダイセンセイのご指導で僕の目の前で水の上を歩いたら
僕は涙を流していままでの非礼を悔い、大川ダイセンセイの剣となり盾となって、
幸福の科学を広め、さらに進化論を撲滅する戦いにこの身を捧げることを誓いますにゃ。
同行者大募集!
君も奇跡で改心しないか?
同行者が一定以上見込めたら、大川ダイセンセイは世界を救うためにも、
あえて二番せんじをやらなければならにゃーだろう。
それが救済者のつとめというものだにゃ
とはいうものの、細胞のがん化はがん化を抑制する遺伝子の異常によって起こるというのが最近注目されている説のようなので、生物の一生の間にも遺伝子の変異は起きるというべきなでしょうか?
もし、そうなると、先にシンさんがお尋ねの問いに対する答えとしては、「両方」というのが正しくなりますが、個体の一生の間での遺伝子の変異は遺伝じゃありませんよね。遺伝ということであれば、親から子へということになります。
例えば、キリンの首が伸びるといったことは、ある個体の一生のうちに起きることではないでしょう。親から子へという過程で親の世代よりも首が長い個体がたまたま生まれるということです。
*流木さん
早速の答えありがとうございます。
よくよく考えてみればあたりまえのことですよね。
質問をするのは楽しいのですが、それが繰り返されるうちに自分で考える力が弱まっていく側面もあるような気がします。
ここからは本を読んで自分で進化的考察などをしてみる方向へ集中してみようと思ってます。
ここまで引っ張ってくださって、感謝します。
引き続きここまでのやりとりの中に気になる点などございましたら。気軽に意見などを
ください。
とりあえずはしばらくの間、自習の方へウエイトをかけていきます。
すぐに質問などが出ると思いますがそのときはまたよろしくお願いします。
*シンさん(ベクトルは常にランダム 投稿者:シン 投稿日: 8月14日(土)17時23分52秒)
こんにちは。
>>種の遺伝子レベルでの変化は一世代のうち、つまり生物の一生の間に起きているとされているのでしょうか?そのあたりのところでまだ混乱してるのかもしれません。
それとも自己複製を行った、もしくは交配の結果、前のもの(親の世代)とは遺伝子レベルで変化しているだけ。なのでしょうか。
またはその両方でしょうか。
自己複製の過程で起きるでよいと思いますが?
子どもが親に似るのが遺伝ですよね?生物は細胞の集まりであり、細胞には核があり、核の中には染色体があります。この染色体が遺伝子のいわば「棲家」であって、核の中に遺伝子情報が総てたたみ込まれています。この核の成分が核酸とたんぱく質であり、核酸にはDNAとRNAとがあります。生物の自己複製の仕組みはこの核酸DNAが担っており、DNA分子の物理的・化学的な性質に基づいてDNAの複製が行われて、子孫に伝えられていきます。
しかし、ごく稀にこの複製過程で写し間違いが起こり、そうした分子レベルでの突然変異が積み重なると、我々の目にも見えるような違いとなって現れるわけです。
砂の山から砂粒を1つ取っても砂山のままですが、これをずーっと繰り返していれば、砂山は消えてなくなります。砂粒を1つ2つ取り除いても、我々には元の砂山と区別がつきませんが、砂粒をある程度取り除けば「おや?」と気がつきますよね。
たまごちゃんさん
(横レス 投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 8月14日(土)13時09分22秒)
基本的なところを、何度もすみません。
ただこのあたりまでくると、おおまかなところはわかるんですが、細かいところが、
わかったような、わからないような、と言う感じになってしまいました。
いつも自分の理解をもっとも単純な喩えなどにして、整理するクセがあるのですが,
それがしにくくなってきました。ただ、それをすると、勉強していない人にも教えることもできるし、自分自身納得もしやすいのです。
とりあえずはみなさんのおかげで、大体の流れを掴む事が出来てきました。
正直パソコンに向かってばっかでなかなか本が読めてません。
本の返却期限も近づいてきているので、今の段階では質問をするより、情報を蓄えることが最善かもしれません。
しばらく質問も最低限にして、レスも少し減らします。が、
かわらずお付き合いください。
とりあえず今の疑問は流木さんのレスの内容だけです。
流木さん(ベクトルの増減 投稿者:流木 投稿日: 8月14日(土)12時21分51秒)
こんにちは
ベクトルは<常にランダム>ですね、
ランダム、とはいってもそれはサイコロであったらひとつの数字に偏る時期などもあって
そういったものが、やはりベクトルを変化させ環境変化などで淘汰があれば、残っていった。そんな感じで考えていましたが、まだまだ細かいとこではダメですね。
そんなわけで、ここで根本的な疑問が生まれました。
種の遺伝子レベルでの変化は一世代のうち、つまり生物の一生の間に起きているとされているのでしょうか?そのあたりのところでまだ混乱してるのかもしれません。
それとも自己複製を行った、もしくは交配の結果、前のもの(親の世代)とは遺伝子レベルで変化しているだけ。なのでしょうか。
またはその両方でしょうか。
次に
>>>古い考えだと必ず出てしまう誤差があって、新しい考えで誤差がなくなった。
という感じでしたよね。(ちょいと乱暴にまとめましたが、、、)
乱暴に書きすぎました。貴重な時間を無駄にさせてすみません。
この場合
古い考えは大体の領域においては検証の結果、正しかったが、ある領域での計算に必ず出てしまう誤差があった。が、新しい考えでそれがなくなって、より正確になった。
でいいですね。
進化論の理論の発展もこれと同じように発展してきた。と。
ありがとうございました。これからはなるべく正確に書きます。
>ところで話は変わるんですが、哺乳類でも多産形の動物はいますが、キリンは一度の出産につき基本的には一頭ですよね。キリンと共通の祖先を持つオカピはどうなんでしょう?
んー。検索掛けてみたけど何頭って明記しているサイトは見つけられなかった。
でも、去年ズーラシアで生まれたオカピの赤ちゃんは一頭でした。その前に同じ両親から生まれた日本初のオカピの赤ちゃんも一頭だった。
これだけではこのペアがたまたま少ないだけかもしれないのでなんとも言えないが、基本的に1頭なんじゃなかろうかねぇ。
キリンやオカピに限らず、生まれてすぐに脚をプルプルさせながら立ち上がる種類の草食動物(なんて非科学的な表現だ(笑)は、大抵一度に1頭しか子供を産まないように思う。
ちなみに、たまごはキリンさんが苦手です。舌が気持ち悪いのだ。
大豆生田さん、指摘されたページは意見しました。
どうやら、工業暗化を古典的な突然変異と自然選択の観察、証明とする事には無理があるようですね。
ところで話は変わるんですが、哺乳類でも多産形の動物はいますが、キリンは一度の出産につき基本的には一頭ですよね。キリンと共通の祖先を持つオカピはどうなんでしょう?
例えば、私が「私は水の上を歩ける」と主張したとしましょう。そして、この掲示板にご参集の皆さんの前で水の上を歩こうとしたとします。当然ながら、私はそのままブクブクと沈んでしまうでしょう。
で、ずぶ濡れで上がってきた私に皆さんが「歩けなかったじゃないか」と問いただすと、私は「私が歩けなかったのは、私のいうことを信じない人がいたからだ。私のいうことを皆が信じたら歩けたはずだ」と反論したとします。皆さんが「いや、私たちは歩けると信じていたよ」といっても、「信じ方が足りなかったのだ」と私は反論したとします。納得しますか?
世の中には、この手の反論を聞いて、「ウソ臭い」と思う人たちもいますし、「なるほど」と納得する人たちもいます。残念ながら、トンデモ説に感化され易い人たちというのは確実にいるのです。
*RE:水の上を歩けるそうですよ 投稿者:流木 投稿日: 8月14日(土)13時01分58秒
こんにちは。
「水の上を歩ける」といい切ったこの世は仮の世さんですが、早々と「歩けない」とのご回答でした。「大川先生の直接指導を受けられないから」だそうです。で、その大川先生もイエスが既に水の上を歩いているんで、二番煎じはしないだろうと。
これで検証になるんだったら、何でもいえますよね。バカらしい。
グーグルの検索窓の上にオリンポスの神々がいるので、「なんなんだろう?」と思っておりやしたが、アテネオリンピックなのですな。
オリンポスの神々にささげる祭典がギリシアに戻ってきた。きっと何かが起こるのにゃん。
シンさんこんにちは。
>特に何の環境変化もないときにも遺伝子レベルなど見えないところで変化していて、
>そしてとうとう環境変化や外的ストレスなどに遭遇したとき一気に変化する。
>そんなことあるのでしょうか、、、
そういうことではないでしゅ。
だけど確かにそう読めますぜ>大文字ナンさん
遺伝子レベルの突然変異には表に現れるものと表に現れないものがあります。
環境の変化がないときも、激動の時代にも、その両方の変異が起こります。
表に現れない変異は自然淘汰にかからないので、環境の変化がないときにもあるときにも偶然の作用によってほぼ同じ速度でちょっとずつちょっとずつ変異が蓄積していきます。
一方の表に現れる変異は、環境の変化がないときでもあるときでも、その多くはその生物が生きていくうえで都合の悪い変異です。そのような都合の悪い突然変異は自然淘汰によって取り除かれます。
だけど、中には都合のよい変異や都合が良くも悪くもない中立な変異もあります。そのような変異が生じた場合、都合のよい変異は自然淘汰によって残りますし、中立な変異も偶然の作用によってある一定の割合で残ります。
以上の基本は生物の形態変化がほとんど観られない時でも、(地質学的に見て)急激に変化していっている時でも同じです。
長期間環境の変化がないようなときには、生物はすでにその環境に非常によく適応してしまっているので、都合のよい変異というのはほとんどありません。
環境の変化などが起こった場合、生物の現状と環境との間に生じたギャップを埋めるような変異は都合のよい変異ということになります。それまでの環境では中立だったり不利だったりした変異の一部が、新しい環境では都合のよい変異になります。(ただし、個々の変異は微細なものです)
で、この新たに都合がよくなった変異が自然淘汰によって選択的に残ることによって、地質学的に短い間に、大きな形態変化が起こる。
と、いうようなお話なのですよ。
出来るだけ単純化して書いたんだけど、まだ分かりにくいかなぁ?
こんにちは。
「進化論と創造論専用会議室」(http://kuha_72.at.infoseek.co.jp/bbs.html)にて、この世は仮の世さんが「条件さえ整えば誰にでも水の上を歩ける」という説を披露されています。
その条件とは、(1)キリストクラスの師がいること、(2)芥子だねほどの信仰があることだそうです。
この世は仮の世さんが帰依している「幸福の科学」を率いる大川隆法さんは「九次元最高神霊」で「キリスト」クラスと自称しておられるのですから、後は、この世は仮の世さんが芥子種ほどの信仰をお持ちであれば、水の上を歩けるはずですよね?
ということで、水の上を歩く奇跡の再現実験の結果報告をお待ちしております。琵琶湖でも屈斜路湖でも好きなところで実験なさって下さい。
*シンさん(だんだんと、、、 投稿者:シン 投稿日: 8月14日(土)03時44分17秒)
こんにちは。
>>簡単に言ってみると、生物は常に全方向に増減するベクトルを持ち、用意された、もしくは移動した環境に合わせてその増減するベクトルが変化し、その結果何か前のものとは別の何かになる
ベクトルの増減の仕方は常にランダムであり、変化しないのでは?自然選択によって結果的にある方向に進むだけです。以前、他の方へのレスの中で挙げましたが、酸素を利用できるようになる突然変異が起きたとして、酸素がない時代にそうなってもその個体には何のメリットもありません。酸素しか利用できないなら、生まれてすぐ死ぬしかないでしょう。しかし、酸素がある時代なら、その個体は酸素を利用できない個体より有利な立場となります。要は、環境・状況に依存して有利・不利が決まるのです。
>>古い考えだと必ず出てしまう誤差があって、新しい考えで誤差がなくなった。
という感じでしたよね。(ちょいと乱暴にまとめましたが、、、)
といいますか、新らしい理論が既存の理論に「とって代わる」というのは、既存の理論で既に説明できていた現象をもきちんと整合的に同じ原理に基づいて説明できることを含んでいるのです。過去が総て否定されて、既存の理論が全部誤りとされるわけではないのです(<ここが肝心なところです)。
先の例でいえば、日食の観測などは今でもニュートン力学で計算しています。それで何の問題も起きません(カーナビに応用されているGPSは原子時計の誤差の修正に相対性理論を用いていますが)。高校の物理の時間にニュートン力学を教えているのは、何も間違った古い説を教えているのではなく、ニュートン力学で十分正しい範囲があるからです。また、文部科学省の教育指導要領では、小学校では「地球は丸いこと」も「地球は自転していること」も「地球は太陽の周りを回っていること」も一切扱いません。月の満ち欠けも今回の指導要領の改訂で削除されています。要するに、小学校の理科では天動説の立場で説明しているわけですが、(指導要領が適切かどうかは別として)ある範囲では天動説で説明しても全く構わないのです(ちなみに、月の満ち欠けは中学校でもやりません。なぜか、金星の満ち欠けは勉強しますけど)。
「科学では定説が代わるから価値がない」といった批判は、従来の定説が最初から最後まで誤りであったかのように捉えている点でピント外れですし、それと対比して「永遠に変わらない神様の真理を信じます」というのは科学上の学説と宗教上の信条とを同列に並べているという点で意味のない話です。科学に価値がないのなら、そういう発言をなさる皆さんはパソコンもインターネットも使わなければよいでしょうにね(笑)。
大文字ナンさん (Re:断続平衡(2)投稿日: 8月13日(金)22時34分42秒)
こんばんは
ちょっと今日は疲れているので、簡単に書かせてください。
たくさん説明を頂いているのに、、すみません。
>>なぜなら小さい変化はわかりにくいからです。
> もしもシンさんがそう捉えたのなら、自然はそれだけ分かりにくく複雑である、ということだとご理解ください。
はい、そのとうりだと思います。だからまずは、わかりやすい(ようにみえる)ものを焦点に勉強していこうと思っているのですが。
ただ大文字ナンさんの説明だと、今度は見えないものも<かなり>考慮にいれないといけないと理解できるのですが、、、
特に何の環境変化もないときにも遺伝子レベルなど見えないところで変化していて、
そしてとうとう環境変化や外的ストレスなどに遭遇したとき一気に変化する。
そんなことあるのでしょうか、、、
今まではとりあえず遺伝子の情報と、少なくとも形状ぐらいは一致して変化していると思ってきたのですが、、、、
何かあればよろしくお願いします。
流木さん (RE:総合説? 投稿者:流木 投稿日: 8月13日(金)14時37分45秒)
こんばんは
解説ありがとうございます
主流の理論もみなさんのおかげでだんだんと知ることが出来てきました。
いまだ漢字4時熟語の連発には慣れていませんけど、今の時点での進化論の考え方はわかってきました。
簡単に言ってみると、生物は常に全方向に増減するベクトルを持ち、用意された、もしくは移動した環境に合わせてその増減するベクトルが変化し、その結果何か前のものとは別の何かになる。
という感じですか?
次にニュートンからアインシュタインの話ですけど
またまたわかりやすい引用ありがとうございました。
古い考えだと必ず出てしまう誤差があって、新しい考えで誤差がなくなった。
という感じでしたよね。(ちょいと乱暴にまとめましたが、、、)
私もやはり誤解しがちだったかもしれません。
ただ、物理、数学のように公式などにしにくく、基本的に言葉で説明しなければならない分この先も誤解が続く面もあるでしょうね。
少なくとも私の中ではちゃんと整理されてきました。
ありがとうございます。
そんな人は知らん!と思ったのですが、「中の人」が出てきてくれたので、ああシンさんだったか…と一安心(笑。
>ただこの場合劇的な進化ができれば、すこしづつの進化は、<大は小を兼ねる>的な考えで何の問題もないと思います。
>ただ<少しづつしか進化しない>という考えでは大人が子供の服を着るのに無理があるように劇的な進化は認められない立場になるのではないのですか
進化に「スピード」というか「加速度」というスケールがあると考えてみましょう。遺伝子の変異は、たとえば私たちの体の中でも常に起きています。これが悪性の変異であると、いわゆる「癌細胞」が発生し、免疫力が対抗しきれないときには「病気としての癌」が発症してしまうことになるわけです。
断続平衡説とはつまり、普段は「変化がない」のではなく、ずっと積み重ねられているのだけど、なにかのきっかけで一気に進化のスピードが上がるということだ、と私は理解しています。(→累積進化、漸進的進化)
これに対して、本当の「亜流」あるいは「反主流」的な考え方とは、跳躍進化の考え方です。何もないところから目が一気に発生するとか、羽根が生えるとか、免疫システムを獲得する、などという「いきなり起きる大きな変化」は、確率論的にもまさに「ほとんどあり得ない」と述べて差し支えないと思います。
#しかし、まったくない、と言い切ることもしていません。
たとえばショウジョウバエの目に足が生えてしまう「触角肢」というホメオボックスの異常変異は、見るからに大きな変化ですが、致命的です。しかしこの変化にしても、本来あるべき場所とは違う場所に肢が生えるだけであり、なにか新しい形質が突然現れたわけではありません。
>なぜなら小さい変化はわかりにくいからです。
もしもシンさんがそう捉えたのなら、自然はそれだけ分かりにくく複雑である、ということだとご理解ください。また、人間の時間スケールで考えると「まったく取るに足らない目に見えないような変化」であっても、それが地質学的な「繰り返し回数」で累積されれば、信じられないほどに劇的な変化を生み出すことでしょう。
さて、「進化に加速度が加わる」ことと「跳躍的で大きな進化」に違いはあるのでしょうか。言葉の上では似たような意味に捉えられるかもしれません。しかしこれは「言葉遊びの問題」ではないのです。
地層が出来てそこに化石が形成される、ということは、つまりなんらかの環境変異がその地質年代に起きた、ということを表します。
あるイキモノAがいます。彼らの中に、普段は「有利でも不利でもない変異」として「ほんの少しの浮力の違い」が遺伝的に蓄えられていた、とします。この個体群A’も、もともとの集団Aも、それほど泳ぐ機会のない環境においては競争が起きません。ですから、このA’という形質は徐々に集団に広まっていきます。
そこに天変地異が起きて、彼らが住む環境が水浸しになるとどうでしょうか。ほんの少しの浮力の「大きい/小さい」が、生存確率に大きく関わるようになります。浮力の小さい個体は死に絶え、より浮力を持つペア同士の子孫が生き残ることになり、A’という形質は一気に主流へと成り代わり、浮力の大きさは「加速度」を帯びて集団の変化に方向性を与えることになります。
また、浮力の大小だけではなく、たとえば指の間の水かきの大きさや背骨の柔軟さなどという、乾季においては「少しも生存に影響を与えなかった形質」がクローズアップされることになり、より泳ぐことに特化した個体同士がペアを結ぶ「傾向」が生まれ(反対にそうじゃない個体群は減っていきます)、やがてもともとの集団Aとは、似ているけれど明らかに「別種」と区別されるイキモノBへと進化していく…という感じですね。
そしてもともとの集団Aは別の場所に移動しない限りそこで死に絶え、化石を残すことになります。また、A’という「中間型」はまだ目に見えるほどの変化を遂げていませんから化石として残っても、その変化が観測されにくくなります。さらに進化した個体群Bは、より住みやすい環境に特化していくのでその場所からはいなくなるのでミッシングリングを生むことになります。
このような考え方によって「断続的な進化」が起きる、と私は思います。つまりそれは、大きな変化が進化を導くのではなく、小さな累積(遺伝的浮動やランダムさ、多様さ)が、ある環境変異をスイッチにして「ある傾向へと一気にベクトルが狭まる」ことだ、と考えるのです。
これで十分な説明とは思っていませんので、どうぞ今後ともご質問なり反論なり加えてやってください。それでは。
補足です。いわゆる統一教会は、エホバの証人(ものみの塔)やモルモン教と並んで「三大異端」とされています。異端よばわれされる理由は、三位一体説をこれら3教団が採用していないからですが、異端というのはあくまでもキリスト教内部の話です。
キリスト教から見れば、神道や仏教やヒンズー教やゾロアスター教は異端ではなく、異教です。異端と非難される以上は、伝統的な正統派を自称するキリスト教会も彼らをキリスト教系だと(嫌々ながらも)認めているということになります。「あんなのはキリスト教じゃない!」という一部のキリスト者のご発言は心情的には理解できますが、異端視している時点でキリスト教の一派として扱っているのです。ニセ宗教とかいう非難も同じですね。
*sci98さん(難しい所だとは思います 投稿者:sci98 投稿日: 8月13日(金)18時35分15秒)
こんにちは。横レス、失礼します。
私の乏しい知識では、いわゆる統一教会では、文鮮明さんを「再臨のメシア」と位置付けているのでは?イエスはユダヤ人の不信仰が甚だしかったため福音伝道に失敗して、十字架にかけられ(十字架予定説の否定)、神様はそこから人類救済をやり直したという考えだったと思うのですが?そして、今の救い主は文鮮明さんご本人だと。
まぁ、この話題はあくまでも余談の部類ですし、私も彼らの経典である『原理講論』を手元に持っているわけではなく、聞きかじりの知識で書いているに過ぎませんが。
*たまごちゃん(^-^)ノさん(レオ、レオ、パンジャの子 投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 8月13日(金)18時14分25秒)
こんにちは。
私も拝見させていただきましたが、なかなか面白い指摘ですね。「クジラやイルカは知能が高いから食べてはダメ」といった反捕鯨運動家や一部の環境保護団体メンバーの主張を見聞きするたびに、「じゃあ、知能低かったら食べてもいいのか?」「どこで線を引くんだよ」「イルカと同じかそれ以上に知能が高いけど、シャチは殺してもいいのか?」などと一人で突っ込みを入れていた私としては、話が意を得たりといった感じです。
>>バッタを養殖してバッタを食べます
うーん、レオはのちにイナゴたちを解放していたのでは?理由忘れましたけど。
>>特に、「(ナザレの)イエスただ一人がキリストである」ことを受け入れているかどうかが重要ではないかと。
>>で、私の知る限りでは統一教会は使徒信条を受け入れています。
>とすると、”文鮮明”氏はどう扱われているのでしょうか?
神の召命を受けているとされていますが、キリスト扱いはされていないようです。
>以前、この団体の”教会”に何度か(仕事の関係で)うかがったことがありますが、
>祭壇にはこの人物や家族の写真が”祀られて”いました。
>これって、キリスト教の伝統的な教派では、特別な場合
>(葬儀とか、特に偉業をたたえるとか)
>以外では考えられないことですし、
まさに、「特に偉業をたたえる」の意味じゃないですか?
あるいは、敬愛の対象とか、尊敬の対象とか。
>ましてや「(ナザレの)イエスただ一人がキリストである」
>との教義とは相容れられない行為だと思うのですが・・・
イエス以外の人物に対し、偉業をたたえたり、敬愛や尊敬の情を持つことが、「(ナザレの)イエスただ一人がキリストである」という教義と相容れないとは思えないのですが。
すでに御本人から訂正が入っていますが、一応補足しておきます。
#左二重引用符の向きが逆のように思えるのですが、わざとですか?
>>日本キリスト教会大阪北教会
>これは、
>日本キリスト ”教団” 大阪北教会
>のことですか?
日本キリスト教会は実在します。
http://www3.ocn.ne.jp/~nikkits/enkaku.htm
|日本キリスト教会は、1951年春日本基督教団から離脱した39の教会・伝道所が、
|三つの中会(プレスビテリー)を形成して、同年5月創立大会を開き、
|旧日本基督教会の信仰告白と憲法規則を継承し、その名称を踏襲して歩み出した教会です。
それより、日本基督“教団”『大阪北教会』って、あるんですか?
日本基督教団の教会は大阪にもたくさんありますが、『大阪北教会』はないと思います。
(「大阪城北教会」なら知っていますが…)
>もしもそうでしたら、誰もがしそうな単純ミスなんで、
>目くじらを立てるのもどうかと思いましたが、
>以後の議論の流れからすると、かなりまずい間違いではと思いましたので・・・
もし間違いだったとしても、別に「かなりまずい」ことはないと思います。
「わざと」別の名称を使ったのなら、言行不一致であり、おかしなことですけど、間違ったのなら仕方ないじゃないですか。
もちろん、間違いはなくすように努力すべきですし、実際してますけど、それでも間違ってしまうことはあるでしょう。その場合は、他の間違いのときと同様に、速やかに謝罪訂正すればよいのであって、「かなりまずい」とは思えません。
最後に補足ですが(というかこれが言いたかったのですが(笑))、日本キリスト教会と統一教会はなんの関係もありません。
単に、使徒信条を節録するにあたって使わせていただいただけです。誰一人勘違いしていないとは思いますが、あの話の流れだと勘違いされても仕方ないので、念のため…
>僕はカルトか否かで伝統宗教とそうでにゃーものを区別することにしていますにゃ。
>(歴史的にキリスト教徒がしてきたことには、とりあえず目をつむることにしますにゃ)
私はその判断基準は採用しないなあ…
その基準を採用すると、創造科学(*1)を支持する人はキリスト者でないことになりますが、どうでしょう?
(*1)…別記事で、「創造科学は立派なカルト」と書かれていたので、その前提を採用しています。
>屑や豚が自分で自分のことを何と自称しようが、
>あんまり耳を傾けるべきではにゃーと僕は思うのだにゃ。
私もそう思います。
ただ、私としては「屑である」とか「豚である」とか「カルトである」とか「馬鹿である」とか「(一般社会の基準において)悪人である」をキリスト教の要件に含めるのはおかしいのではないかと。
>sci98が何の神様を信仰しているか知らにゃーけどさ、
>どっかの豚野郎がおみゃーさんの信仰している神様や教義を引き合いに出しながら
>豚行為をすることだってありえなくはにゃーだろ?
>豚の卑劣さには限度がにゃーしね。
あり得るでしょうね。それは確かに気に入りません。
しかし、その人が私の信仰する宗教(仮にA教としておきます)の信者たる要件を満たしているのなら、その人がA教信者であるという事実は動かせません。
私としては、同じA教信者にそのような人がいるのは非常に気に入りませんし、同じA教信者として恥ずかしいですが、だからといってその人を「A教信者でない」と言うのは、「自分の気に入らないことは受け入れない」という、どこかの創造科学支持者と同じになってしまいます。
>あと、教義の面にゃんが、神学者の浅見定雄が「統一教会なんてキリスト教じゃねーよ」ということをいっているみたいだにゃ。
>浅見の著書は「ニセユダヤ人と日本人」しか読んでいにゃーのだが、僕の判断する限りでは、
>キリスト教神学における浅見の判断は信用していいのではにゃーかと思う。
>ま、これはあくまで伝聞ね。
調べときます。
#タイトルは久々のラオウ昇天記念。
>アイルランドヘラジカ……と続けてしまうと「貴様グールドの著書を読んだな!」と指摘されてしまったりして(笑)
そうだ、思い出した、って、それが主題のエッセイだったんじゃねえか(笑)。
#どこを読んでんだ、私はよ(爆)。
#中2日で元記事がはるかかなたに(笑)
>それで幸いにも部外者の位置でおることができるのですが、被害者には同情を禁じ得ません。
>ですので、彼ら被害者が、統一協会という名称を使って欲しいという希望を持っているのであれば、
>私は統一協会と呼びます。
>統一協会側が教会という名称を使いたがっているなら、なおさら統一教会という名称を使うのには抵抗があります。
>なんか、統一協会の味方についているような気持ちの悪さがある。
なるほど、理解しました。
#私自身は、「加害者には嫌がらせしてもよい」という価値観を持っていないので賛同はしませんが…
>「人間が肉食をやめればライオンも植物を食べる」
((ぱ)さんご紹介のサイトより)
ジャングル大帝レオは草食動物ともお友達♪
レオはお友達を食べたりなんかしません。
畑を作り、野菜を収穫します。
かっこいいです、レオ。
オフで会うたびに鳥を食べるどこぞの人間どもとは大違いです。
たまごは惚れてしまいました。
ところがレオは、「動物性タンパク質の確保」とかわけの分からないことを言い出します。
バッタを養殖してバッタを食べます。
虫を食べるなんて、下品です。
このサイトの人たちと同レベルです。
たまごはそんなレオは嫌いです。
*シンさん(総合説? 投稿者:シン 投稿日: 8月13日(金)12時52分48秒)
こんにちは。
>>そんなところで今度は<主流派>とは、総合説を使う。でいいのですか?
まぁ、使うというか、総合説がネオ・ダーウィニズムを中心に据えた生物進化研究の主流理論なわけですが。
>>今の時点での進化論の枠組みの定義をはっきり教えて欲しいのですが。
私が理解している範囲では、総合説のエッセンスは、「突然変異には予め定められた方向などない」という捉え方でしょう。遺伝的な突然変異はあらゆる方向にランダムに起きるのであり、突然変異が生物にとって適応的な意味を持つとしても、それは自然選択によって環境・状況に適応した遺伝子の頻度が世代とともに高まっていくからに過ぎないというわけです。進化には何か予定調和的な目的があるわけではなく、無方向な突然変異が生物の増殖と遺伝とを通じて固定された結果、外界に適応するように進化してきたと見えるだけなのだと。
ラマルク説とダーウィン説との比較として、進化論の入門的な解説書でしばしば取り上げられる「キリンの首はなぜ長いのか?」という問いを例にとれば、キリンの首に元々長くなるような傾向なり法則なりがあった(定向進化説)わけではないし、高い木の上にある葉を食べるために首がだんだんと伸びた(用不用説)わけでもないと見るのです。他の個体より首が長いキリンのご先祖さんがたまたま生まれて、当時の環境では首が長くない個体たちよりも生存に有利であったため、その個体の子孫は増えていったと考えるわけです。
>>科学は、明らかになった知見を総合的に説明できなければなりませんし、それに創造などを持ち出してもしょうがないと私も思います。
キリスト者というか、宗教信者さんたちの中には、「科学は時間が経てば定説が変わってしまうから価値がない。私は永遠に変わらない神の真理を信じます」とか言い出す方がおられるのですが、的外れな意見といわざるを得ません(神の真理なるものを信ずるのはご本人の自由ですが)。科学上の定説といえども、仮説に過ぎないのですから、新たな知見によって論理と事実とに照らして覆る可能性が常にあるわけです。しかし、従来説明できてきた現象を新しい仮説がきちんと説明できるのかが問われます。つまり、新しい現象だけをその場限りで説明できても、他の現象の説明ができないような仮説では受け容れられないのです。
例えば、「ニュートン力学はアインシュタインの相対性理論にとって代わられた」といいますが、ニュートン力学でうまく説明できない現象(水星の近日点移動など)があることは、アインシュタインが相対性理論を発表する50年以上前から知られていました。しかし、ニュートン力学の全体系にとって代われるだけの新理論が見当たらなかったので、とりあえずニュートン力学は定説の座にとどまり続けたわけです。
ニュートン力学が居座り続けた理由については、一部には、「既得権を失うことを嫌った学者がパラダイム転換に抵抗したからだ」といった解釈もあるようですが、水星の近日点移動はうまく説明できなくても、その他の現象をうまく説明できるニュートン力学を直ちに丸ごと投げ捨てるということはされなかっただけだと考えます実際、水星の近日点移動を「水星の内側に未知の惑星ヴァルカンがあるからだ」と考えて、ニュートン力学を擁護しようとした学者もいましたが、この試みはうまくいきませんでした。そうした経緯があったので、「やはりニュートン力学ではうまく説明できない現象があるんだ」という認識は、アインシュタインの相対性理論の登場以前に学者の間では共有されていたのでしょう。そこに、アインシュタインが相対性理論を公表したので「これこそがニュートン力学にとって代わる新理論の本命なのか?」と注目を集め、学者がこぞって反証テストに乗り出したのではないでしょうか。その結果、相対性理論はニュートン力学で説明できていた現象も全部説明できるし、ニュートン力学で説明のつかなかった現象に対しても整合的・統一的に説明できることが明らかになったので、学界の定説として認められたのです。
古い定説が全部間違いとして投げ捨てられるわけではないのですが、どうもそういう誤解を抱いている宗教信者は少なくないように思います(まぁ、宗教信者に限らず、世間一般でそうなのかも知れませんが)。
最近流れが速いのでもうはるか彼方に行っちゃったと思うんですが。
少し前、どなたかが「ライオンは満腹のときはシマウマがいても襲わない」という例を出していましたが、それに反論(?)するページを見つけました。
「いんちき」心理学研究所/「人間は不純で動物は純粋」という神話
http://psychology.jugem.cc/?eid=24
| 要するに、動物がお腹いっぱいになったら獲物を取らないのは、
| ただ単に保存する技術がなく無駄に体力を使ってしまうからというだけの話で、
| 保存できるようになったらいくらでも蓄えようとするわけです(奪ってでも)。
というわけで、調べた結果『科学』1998年8月号670‐671ページに載っていました.
工業暗化を否定したといわれる論文は別の種を使った実験で再現性も無かったということです。
大文字ナンさんへレスした尾河慎二とは私の事です。
ちなみにこれも本名ではありません。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。