進化論と創造論についての掲示板ログ235

2004年08月04日〜2004年08月07日
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神の愛  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月07日 9時16分

*God Bless You!さん

 こんにちは。

>>私が科学的推論をするとなれば、開放系であるこの地球に、
エントロピーを増大せしめるような熱エネルギー以外の何か?
「目的・方向性をもった他のエネルギー」が、生命体に働きかけているので、
生命現象が、エントロピー減少へと進化していったのだ・・・
という推論の方が、よほど理論的だと思われて仕方がありません。

>>そのエネルギーがまさしく神の愛だといってもいいじゃない??

 もし、そういうエネルギーなるものがあったとして、その存在を自然科学的に説明できれば、そこに神様を持ち込む余地はないのではありませんか?自然科学的に説明可能なら、言葉の定義としてそれは神様ではないでしょう。

 例えば、サイコロを投げて、6の目が出る確率は6分の1だといわれますね?では、6回サイコロを投げれば、必ず6の目が1回出るかといえばそうではありません。何千回、何万回、何億回とサイコロを投げ続けて、投げた回数に対して6の目が出た割合(頻度)を調べると、6分の1に近づいていくというだけです。よく「6の目が立て続けに6回出る確率は…」とかいってそれが非常に小さな値であると指摘されますが、実際にサイコロを投げてみると、(6回はともかく)6の目が続けて出ることはそう珍しくもありません(もっとも、サイコロ自体がそれほど正確に作られていないかも知れないという点について保留しておく必要はありますが)。

 6の目が続けて6回出たとき、「こういう偶然が起きたのはまさしく神の愛だといってもいい」というのは、その人の感想です。そこに「神の愛」を感じても構いませんが、神の愛を持ち出さなければ説明不能ではありません。また、6の目が連続して出るようなエネルギー(?)が存在すると推論する方が理論的(論理的?)ともいえないでしょう。

 全くの余談ですが、私が以前、エホバの証人(ものみの塔)の信者の方とお話していたときのことです。ちょうど外出するために部屋に鍵をかけていたのですが、話しかけられたのでうっかり鍵を上下逆向きに挿し込んでしまい抜けなくなりました。「管理人さんから台所洗剤でも借りてくるしかないかな」と思っていたら、エホバの証人の方のお1人が鍵をガチャガチャいじっているうちに、スポッと抜けてしまいました。そのとき、エホバの証人の方々は顔を見合わせて、「おお、神の愛だ」とおっしゃったので、私は正直「何だかなぁ〜」と思ってしまいました。世の中には、そういう出来事にも「神の愛」を感じる人たちがおられるのです。これは感ずるか感じないかという問題であって、あるなしの問題ではないでしょう。


Re.トトロさんへ  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月07日 8時29分

> ヘブル語大辞典など鵜呑みにしないように
> 自分の目と頭で判断してください。

ヘブル語大辞典の著者である名尾耕作・高橋虔は、いづれも新共同訳聖書の翻訳に携わった神学者で、名尾耕作博士はコンコーティア神学校の名誉神学博士、高橋虔は同志社大学の神学博士です。両者とも聖書学では著名な博士です。

引用はモーセ五書の部分の触りのみですが、これらの成立年代の推測に対して聖書学およびユダヤ歴史上の多くの証拠とその研究文献の示唆が為されており、私は全てを調査した訳ではありませんが、現時点で彼らの主張を疑う根拠が私にはありません。

尚、この世は仮の世氏の主張”創世記はねモーセが書いたことになってんの”には、これまでの議論と同じく検証できる証拠や文献が提示されていないので、私がこの世は仮の世氏の主張を「信じる」つもりはありません。

尚、この世は仮の世氏が誤解しないように書き添えておきますが、私は名尾耕作・高橋虔らの主張を「信じた」わけではありません。彼らの主張の方がこの世は仮の世氏の主張よりも「正確でかつ妥当」と判断しているだけのことです。

で、この世は仮の世氏は”自分の目と頭で判断”して”創世記はねモーセが書いた”と言っているけど、何を判断したのだろうか?


霍乱・確率  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年08月07日 1時51分

 God Bless You!さん

>> 0が後ろに600万個くらいつくそうです・・・
 
 それはどこから出てきた話なのでしょうか。
 まぁ、仮にゼロが600万個つく、としましょう。しかしその可能性は「ひとつの生殖細胞において」なのでしょうか、あるいは、「自然界のあらゆる複製過程において」なのでしょうか?これはとても大事なポイントです。

 たとえば、ある生物の体を形成する細胞の数が1兆個だとしましょう。それらは数日のうちに代謝によってほとんど入れ替わります。さて、600万分の1の確率で「体細胞の癌化」が起きる、とした場合、この生き物が癌になる確率は意外と高く見えないでしょうか。
 同じように、600万ほどの個体数がある生物は限りなくあるでしょうね。それらの生物において「600万分の1」で有利な突然変異が起きるのだとした場合、この「一族」は恐ろしいスピードで「正の淘汰」を行うかも知れません。

 さて、それにしても分からないのは
>そうだとすると、自然環境自体は、高度なシステムを、変異した個体にもたらすことには
>何ら寄与していない・・・というのが、私の結論です。

 なぜ、そうお考えになるのでしょう。良くある誤解ですが、変異は偶然ですが、進化は偶然ではありませんよ。有利/不利を決めるのは個体ではなく、環境です。ある環境に対して有利であるか不利であるか、が問われるのです。
 たとえ話ばかりで恐縮ですが、摂氏20度で最も効率良く増殖する有機分子(RNA)があったとします。しかし環境が変化し、温度は14度まで低下しました。マイナス6度の温度低下はこの分子にとって非効率的どころか破滅的でした。ほとんど増殖できないまま、この分子グループは数万年を過ごします。そしてついに、14度より低い温度域でも増殖可能な「子孫」が発生します。この子孫は環境が20度だった頃の特性も引き継いでいるので、より環境に対してバリアブルな増殖が行えるでしょう。しかしそもそも、温度低下という環境変異が起きなければ、このような「高度化・複雑化」は必要ありませんでした。
 こんな話では合点がいかないでしょうか?

>さらには、DNAの暗号が偶然に完成する確率も0に近いと聞きます。

 聞く、だけではなく、本当にそうなのか、その情報は信頼に足りるものなのか、確率のミスマッチ(不適当な統計化)はないのか、それらの点について考察を重ねたうえで結論を出し、その結論にしても「暫定的に採用する」というのが「科学的な考え方」だと、私は思っています。
 なお、自然界には生物に限らず様々な「構造化」や「複雑化」のシステムがあります。雪の結晶、鉱物の構造化、惑星や恒星の形成、そして原子自体の構造を「秩序化」しているもの…これらは本当に「偶然だけで」出来たのでしょうか。私は、どうもそうは思えない、と考えています。

 確率論でお話しするのならば、どうも「この宇宙そのもの」が今あるような宇宙に生まれる確率こそ、最も絶望的に低い確率にあるようですね…以下、略(笑。


想像ですが……  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年08月07日 0時37分

To God Bless You!さん

> ものすごい発想の飛躍を感じました。宗教的とも言えます。

 単に文章表現の上での強調表現ではないでしょうか。
 グールドあたりも、自然淘汰について語るときにしばしばそういう表現を使いたくなる欲求にかられるとか書いていた記憶があります。

> しかし、その有利な突然変異が、自然界で起こる確率は、0.0000・・・と
> 0が後ろに600万個くらいつくそうです・・・

 その割には、農業における品種改良はそこそこな成功を収めていると思いますが。
 放射線まで照射して人為的に突然変異発生率を高めている昨今ならともかく、古代エジプトや古代インカの農民のレベルでの品種改良の場合、突然変異の発生率は人為的に操作はされていないでしょう。
 おそらく、上の「0が後ろに600万個くらいつく」という数字が何かの間違いではないかと思います。
 単純な1ステップの改良のような突然変異ではなく、突然変異だけで相当複雑な改良がなされる場合の確率とか、そんなものではないでしょうか?


お礼  投稿者:God Bless You! 投稿日: 2004年08月06日23時56分

流木様、 大文字ナン様 とても専門的な回答有難うございました。

専門的過ぎて、今から読む気力がないのが正直なところです(笑)が、
http://www1.accsnet.ne.jp/~kentaro/yuuki/replica/replica.html
「生命(遺伝子)はその後もよりよい増殖効率を求めて、
様々なシステムを作り出していきます。多細胞化、目や内臓など諸器官の発達、
身を守るための武器の開発……などなどありとあらゆる方法が試され、
生存競争に負けたものは脱落していきました。・・・」という個所には、
ものすごい発想の飛躍を感じました。宗教的とも言えます。

遺伝子が、最初から、「増殖効率」を求めるような本能があったとは信じられません。
偶然に出来たのなら・・・

つまり、結果として、偶然、より増殖効率の高いものに変異した個体が
生存競争に偶然勝ち残ったというだけのことだと思うのです・・・

そうだとすると、自然環境自体は、高度なシステムを、変異した個体にもたらすことには
何ら寄与していない・・・というのが、私の結論です。

つまり、自然淘汰は、個体により高度な複雑なシステム・秩序をもたらさない。
ということです。

つまり、進化論の肝心要は、「生殖細胞における有利な突然変異」のみであると・・・

しかし、その有利な突然変異が、自然界で起こる確率は、0.0000・・・と
0が後ろに600万個くらいつくそうです・・・
つまり、ほとんど「0」であると・・・
さらに、たんぱく質が偶然に発生して、複数が機能的に関係し合う確率も0に近く、
さらには、DNAの暗号が偶然に完成する確率も0に近いと聞きます。

最低でも、これらの「積」が、原核生物の或る種が、人間にまでなる為の
確率だと思うんですが・・・それは限りなく「0」だと・・・言えます。

そうすると、私が科学的推論をするとなれば、開放系であるこの地球に、
エントロピーを増大せしめるような熱エネルギー以外の何か?
「目的・方向性をもった他のエネルギー」が、生命体に働きかけているので、
生命現象が、エントロピー減少へと進化していったのだ・・・
という推論の方が、よほど理論的だと思われて仕方がありません。

そのエネルギーがまさしく神の愛だといってもいいじゃない??

それでは、どうもでした。m(__;)m


流木さんへ  投稿者:ぽん 投稿日: 2004年08月06日23時31分

記事のご紹介、ありがとうございます。これからゆっくり読もうと思います。

>「最初から決まっているなら、何もしなくてもいいや」ではなく、「自分は本当に救われるのだろうか?」という不安から職業での成功を追い求める方向に(後略)

私だったら、「救いたくないなら救わなきゃ良いじゃん。神が始めから勝手に決めてるんなら私の知ったことか」とすねて(開き直って)何もしないという反応以外考えられない・・・
でも、予定説が実際に広く受け入れられたということは、それなりの背景(文化的・思想的・政治的?)があったんでしょうね。少し興味が出てきました。


はじめまして  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年08月06日23時11分

 God Bless You!さん、はじめまして。

>自立増殖する生物が35億年も前に発生した理由については、
>進化論では、当然説明がつかないと思うんですが、

 進化論は生物学の一分野ですが、単純な構造が自己増殖して複雑化していく、という過程についての研究は、恐らくあまりに多岐にわたる「科学の基盤」を形成している概念だと思います。たとえばフラクタルや複雑系の数学もこれに絡んでくるでしょうし、宇宙の進化という巨大な物理学も絡むでしょう。また、量子的な不確定さ、という面も進化と関連しているように私は思います。
 もともとの「ダーウィン進化論」はこれほどに複雑で巨大な理論ではなく、フィールドワークをベースにしたシンプルなものでしたが、そこから得られた「突然変異と自然淘汰」という考え方(アイディア)は、今もなお、多岐にわたる科学を前進させる基盤になっている、と考えられてはいかがでしょうか。

>そうすると・・・それまでの生物の進化は、
>進化論では説明がつかないと思うのですが・・・

 RNA複製子やDNA複製子は「生物」ではなく「自己複製力を持った有機分子」だと認識しています。この辺を専門に扱うのだとしたら「分子生物学」であるとか、「有機化学」「高分子化学」などではないでしょうか。
 参考URL→http://www1.accsnet.ne.jp/~kentaro/yuuki/replica/replica.html
 ただ、ここでも「進化」というか、突然変異と自然淘汰の考え方は随所に出てきます。

>進化を認めている以上は、進化論者だと思うのですが、

 そうですねぇ…出来れば「進化論者」とか「創造論者」というような二項論を外してしまうのが一番良いかと思います。科学がどのように発展を遂げたとしても、宇宙、そしてこの世の「厳密なはじまりの瞬間」を再現・検証することは不可能なように思います。どうやったとしても「モデル」止まりでしょう。そこに「神の領域」はある、と私は思います。信仰を持たない私が言うのもなんですが、進化論vs創造論という「論争」など、本当は存在しないはずだと思うのです。
 科学は「人の営み」に過ぎません。神は在る、という人の中に神さまは在るのでしょう。でも、それを検証しよう、だとか、証明しよう、などと言い始めた瞬間、神さままでが「道具」と化してしまうのではないでしょうか。

>よろしくお願いします。

 こちらこそ、よろしくお願いいたします。


トトロさん、  投稿者:ぽん 投稿日: 2004年08月06日23時05分

>第一回バビロン補囚がイスラエルに帰還したのが紀元前538年。モーセ五書が成立したのは補囚期以降、第二神殿再建後ということだと紀元前350年〜紀元前400年頃になる。補囚から開放されて、ペルシャ支配に喘ぎながら創世記を書いていたんですなぁ。

伝聞をうろ覚えのまま書き込んでしまったので、丁寧な補足をして頂き感謝です。
私が聞いた話では、創世記の「最終編集」は、第二神殿再建後だけど、創世記の思想というかその編集される「元」が書かれたのは捕囚期で、「敗戦後の捕囚」という特殊な環境の中で練り上げられた思想なのだと聞きました。

ま、私の場合は、知り合いの学者の話を聞いたのと、他に一冊本を読んだだけなので、確かに「自分の目と頭で判断」してるとはいえないかもしれないですが、でも、モーセが書いたという説よりはよっぽど信憑性があると判断したのは私の頭です。


RNAの非酵素的複製  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月06日23時00分

*God Bless You!さん(コーヒーブレイク 投稿者:God Bless You!  投稿日: 8月 6日(金)22時33分16秒)

 こんにちは。私は、この方面には半可通ですので、ご疑問にお答えするには適任とは思えませんが、知っている範囲で述べさせていただきます。

 生命は、自分の複製として子孫を残していきますが、そうした自己複製の基本となる分子が核酸です。ご疑問は、「生命発生以前に酵素がなくてもRNA(リポ核酸)の複製はできたのか?」というご趣旨だと捉えてよいでしょうか?

 もし、そうであれば、オーゲル(Leslie E. Orgel)らの一連の実験によって、不完全ながらも非酵素的にRNAの複製が行われ得ることが証明されております。例えば、

  http://www.sasebo.nagasaki.med.or.jp/gakujutu/seimei/seimei-7.htm

などご参照下さい。


予定説  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月06日22時42分

*ぽんさん(流木さんへ 投稿者:ぽん  投稿日: 8月 6日(金)14時23分21秒)

 カルヴァン派の論争のことですが、少し調べてみました。Wikipediaのアルミニウス主義の解説

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9

がよくまとまっているように思いました。アルミニウス派とメソジストのジョン・ウェスレーとの関係は以前少しばかり調べたことがありましたが、カルヴァン派の方には疎くて。

 私が理解している範囲では、カルヴァンの予定説は、「誰が救われるかは神によって予め決められているのだ」という立場ですが、誰が救われるのかはそのままでは分かりません。そこで、一生懸命働いて、社会的に成功をおさめれば救われる予定者だと考えてよいとかいう話だったような…。「最初から決まっているなら、何もしなくてもいいや」ではなく、「自分は本当に救われるのだろうか?」という不安から職業での成功を追い求める方向に向かうというのが、何だか分かったような分からないような。

 カルヴァンの予定説についての私の知識は、忘却の彼方に消えつつある高校時代の世界史の時間に身につけたものですから、記憶違いとか勘違いとかずいぶんしているかも知れません。やはり、ちゃんと調べないとダメですね。

 しかし、あの手の論争って、単純に教義を巡って行われたのではなく、実際のところは政治絡みで結構複雑なんだなと改めて思いました。


コーヒーブレイク  投稿者:God Bless You! 投稿日: 2004年08月06日22時33分

PEPEさんという親切な方に、この掲示板をご紹介頂きました。
進化論の話を聞けば聞くほど、いろいろな疑問が湧いてきてしまい、
質問したくなりました・・・どうぞお詳しい皆様、今後とも、
よろしくアドバイスのほどお願いします。

私は、人は、サルの先祖から分岐して進化してきたんだろうなぁ〜と信じている
クリスチャンです。進化を認めている以上は、進化論者だと思うのですが、
私の場合、おそらく、有神論的進化論に相当すると思われます。
よろしくお願いします。

質問
自立増殖する生物が35億年も前に発生した理由については、
進化論では、当然説明がつかないと思うんですが、
(自己増殖するRNAも見つかっていないみたいだし・・・)

さらに、DNAが出来上がったのも、それから、何億年も後のことだと
認識しています。

そうすると・・・それまでの生物の進化は、
進化論では説明がつかないと思うのですが・・・
(生殖細胞の偶発的遺伝子突然変異自体がありえないと思うので・・・)

この辺は、進化論では説明がつくのでしょうか?
それとも、進化論は、やはり、DNA以後の世界のことなのでしょうか??


あなたがそう考える根拠は?  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月06日21時46分

*この世は仮の世さん(トトロさんへ 投稿者:この世は仮の世  投稿日: 8月 6日(金)21時29分59秒)

 こんにちは。

 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を「律法の書」をモーセが書いたという通説を鵜呑みしているのは貴方じゃないんですか?貴方は、聖書学者の研究成果を否定できるだけの根拠をお持ちですか?まさか、「何となく、そんな気がするから」とかいう理由ではありませんよね?


トトロさんへ  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月06日21時29分

ヘブル語大辞典など鵜呑みにしないように
自分の目と頭で判断してください。


モーセ五書  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月06日21時15分

> この補囚というのはバビロン補囚のことを指すんですか?そのころに創世記が書かれたと思ってるんですか?
> 創世記はねモーセが書いたことになってんの。だから時期的に違うと思う。

旧約聖書 ヘブル語大辞典(名尾耕作・高橋虔 著聖文舎刊)によればモーセ五書(律法の書ともいい創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記をいう)は

<<<<<<<<これより引用>>>>>>

創世記、出エジプト記、民数記、レビ記、申命記をモーセ五書といい、ユダヤ教では、律法の書(トーラー)として、聖書中の聖書、最も重要かつ基本的な正典とされている。それに続く、ヨシュア記、士師記などは、預言書や諸書として取り扱われている。

このように、モーセ五書は、基本的な地位を占めているが、その成立は預言書や歴史書よりかなり新しく、補囚期以降、第二神殿再建後最終編集が終わったとされている。総督ネヘミヤの書記官(祭司)エズラの宗教改革時公布(ネヘミヤ記8章)し、エズラが読み上げたのが、このモーセ五書の元ではないかと言われている(ネヘミヤ書9章6〜37はモーセ五書の要約)。

<<<<<<<<ここまで引用>>>>>>

第一回バビロン補囚がイスラエルに帰還したのが紀元前538年。モーセ五書が成立したのは補囚期以降、第二神殿再建後ということだと紀元前350年〜紀元前400年頃になる。補囚から開放されて、ペルシャ支配に喘ぎながら創世記を書いていたんですなぁ。で、モーセ五書はモーセが書いたと言うのはマチガイ。

聖書研究も日々進んでいるのだ。モーゼは族長士師時代の紀元前1250年頃の人だから、時期的に全く違う。


モーセ五書は通称です  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月06日21時13分

*この世は仮の世さん(ぽんさま 投稿者:この世は仮の世  投稿日: 8月 6日(金)19時07分46秒)

 こんにちは。

 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を「律法の書」(トーラ)と呼び、記者がモーセであるとして、「モーセ五書」と呼ぶこともありますが、それは通称であり、モーセが書いたわけではありません。

 そもそも、申命記の最後の章には、モーセの死や死の直後の様子が述べられていますから、モーセ本人が書けるわけがありませんね。佐倉哲さんのWebサイト

  http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/deuteronomy.html

もご参照下さい。


有名な話ですが  投稿者:クハ72 投稿日: 2004年08月06日21時06分

モーセ一人で書いたとは考えられないのです。

http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/creation_01.html


こんなサイト見つけました  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月06日21時05分

http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/20011116202.html

ハリーポッターはキリスト教側から問題視されたようです。


モーセ五書  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月06日21時01分

> この補囚というのはバビロン補囚のことを指すんですか?そのころに創世記が書かれたと思ってるんですか?
> 創世記はねモーセが書いたことになってんの。だから時期的に違うと思う。

旧約聖書 ヘブル語大辞典(名尾耕作・高橋虔 著聖文舎刊)によればモーセ五書(律法の書ともいい創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記をいう)は

<<<<<<<<これより引用>>>>>>

創世記、出エジプト記、民数記、レビ記、申命記をモーセ五書といい、ユダヤ教では、律法の書(トーラー)として、聖書中の聖書、最も重要かつ基本的な正典とされている。それに続く、ヨシュア記、士師記などは、預言書や諸書として取り扱われている。

このように、モーセ五書は、基本的な地位を占めているが、その成立は預言書や歴史書よりかなり新しく、補囚期以降、第二神殿再建後最終編集が終わったとされている。総督ネヘミヤの書記官(祭司)エズラの宗教改革時公布(ネヘミヤ記8章)し、エズラが読み上げたのが、このモーセ五書の元ではないかと言われている(ネヘミヤ書9章6〜37はモーセ五書の要約)。

<<<<<<<<ここまで引用>>>>>>

第一回バビロン補囚がイスラエルに帰還したのが紀元前538年。モーセ五書が成立したのは補囚期以降、第二神殿再建後ということだと紀元前350年〜紀元前400年頃になる。補囚から開放されて、ペルシャ支配に喘ぎながら創世記を書いていたんですなぁ。で、モーセ五書はモーセが書いたと言うのはマチガイ。

聖書研究も日々進んでいるのだ。モーゼは族長士師時代の紀元前1250年頃の人だから、時期的に全く違う。


複数の神話?  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月06日20時39分

具体的にはなんでしょうか?


モーセ五書とは言いますが  投稿者:クハ72 投稿日: 2004年08月06日20時29分

>創世記はねモーセが書いたことになってんの。
それは表向きの話ではないかと。実際には複数の神話を継ぎ足したものと考えられています。


ぽんさま  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月06日19時07分

>だいたい、戦争に負けて捕囚になっているくせに創世記を書いて

この補囚というのはバビロン補囚のことを指すんですか?そのころに創世記が書かれたと思ってるんですか?
創世記はねモーセが書いたことになってんの。だから時期的に違うと思う。


Re.唯物論に友好的な宗教  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月06日18時25分

To JA50さま、流木さま

> 仏教は、ある意味そうじゃないでしょうか?
> 人が真偽を確かめられないことに関しては何も言わず、口をつぐむというんだから。

仏教は、人の心とその働きというのを重視しますから、必ずしも唯物論に友好的とは言えないように思います。
原始仏教では、世の中の構造を知り、物事の相関(縁起)を理解することで、自らの苦しみの原因をつきとめ、これを滅することで苦しみから逃れるという考え方を行います。

故に原始仏教ではユダヤ教やキリスト教のような「神」の存在がありません。超越者との契約によって、日々の制約を課されることもないし、神が我々を庇護してくれるという考えもありません。
全てが、自分の心と心の働きの中に内在するために、現実世界の理論に対しては極めて寛容なのでしょう。


流木さんへ  投稿者:ぽん 投稿日: 2004年08月06日14時23分

レスありがとうございます。
>この辺りは、実は疑問を抱いているのです。神が全知全能であれば、人間の行動も総てお見通しではないのかと。(後略)

私も全く同じように思っていました。そういう疑問を持つ人は多いですよね。
でも、創世記の書かれた背景を知るにつれて、その解釈自体が間違ってたのかなと思うようになりました。だいたい、そういう解釈で「全知全能の神」を信じたら、私の場合は即効生きる気力をなくします。だって、全知全能の神が全てつかさどっていてお見通しなら、人間が生きてる意味なんかないじゃん、って思うから(正直、そういう解釈で神様を信じてる人を見ると、どうして生きていけるのかって不思議に思うほど)。


聖書って、これでもかって言うほど人間や人間社会の救いようのなさを書いて批判していますよね(特に預言書の類とか)。そのような現状認識の上で、「全知全能の創造主なる神」と言ってのけるところに「全知全能の神」という表現の意味があると思うんですよ。
うーん、うまくいえないけど、絶望的な現状を直視するからこそ「でも、本来は素晴らしい世界であるはずなんだよ(=だって全知全能の神が創ったんだから)」っていう思想を掲げて(それが「真理」かどうかはともかく)信じなくてはやっていけなかったっていうことなんじゃないかと、今は解釈しています。
んで、聖書が書かれた時代の人々がどれほど悲惨な状況にいたかを知ると、その精神力に「凄いなぁ」、と感心している訳です。

だいたい、戦争に負けて捕囚になっているくせに創世記を書いて、「我々の神は全知全能の神で、世界を作った神なんだぞ」とか言っちゃうこと自体、たいした「負け犬の遠吠え」で、私としては、そういうの、好きなのだ。自分がある意味負け犬だから。にゃはは。

なお、カルヴァン派の論争については、キリスト教の歴史については疎いので、お答えできません、スミマセン。


仏教は皆目分かりませんので  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月06日13時25分

*JA50さん(唯物論に友好的な宗教 投稿者:JA50  投稿日: 8月 6日(金)10時59分55秒)

 こんにちは。レス、ありがとうございます。

 仏教が唯物論に友好的ですか…。

 「特殊創造説を持たない」こと以外、仏教はまるで分かりませんので(浄土真宗については、モルモン教絡みで多少調べましたが、仏教そのものは…)。


RE:創世記と無神論  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月06日13時20分

*ぽんさん(創世記と無神論 投稿者:ぽん  投稿日: 8月 6日(金)10時48分49秒)

 こんにちは。レス、ありがとうございます。

 確かに、自然の諸現象を神々として捉える見方からすれば、創世記は無神論的に映るかも知れませんね。見方を変えれば、大抵の思想は無神論的になるともいいますが。

>>「人間の意思によって世界は変えられる、本来の素晴らしい状態に戻す為に、人間の意思で変えなければならないのだ」という考えを生み出したからだそうです。

 この辺りは、実は疑問を抱いているのです。神が全知全能であれば、人間の行動も総てお見通しではないのかと。人間が自由意思に基づいて行動していると思っていても、それは神がとっくの昔に分かっていたことで…と。これから先の人間の行動も分からないようでは全知全能とはいえないし、分かっているのなら…という疑問です。そもそも、全知全能なら、なぜアダムの背きを予見できなかったのかという点も以前から納得のいかないところなのです。

 宗教改革の頃に、この辺りを巡ってはカルヴァン派などから問題提起があって論争もあったように聞きますが、結局どう決着したんでしょうか?


だったら…  投稿者:com 投稿日: 2004年08月06日12時04分

何が言いたいのかわからないが 投稿者:この世は仮の世  投稿日: 8月 5日(木)20時58分54秒 より引用

>他人が私をどう思おうと知ったことではない。
>それはその人の問題で私の問題じゃないので・・・

だったら、書き込みなんかしないで、おとなしくフェードアウトしたら?


補足  投稿者:ぽん 投稿日: 2004年08月06日11時09分

下記の
「この世界は本来は素晴らしいもののはずなのだ、現状が悲惨なのは、人間のせいなのだ」という信仰

という言葉は、

「この世界は全知全能の神が創造されたものであるが、アダムの罪によって人間は楽園を追放されたのだ」
という創世記の物語の主張を、私なりに理解して、宗教っぽくなく言い換えたものです。


唯物論に友好的な宗教  投稿者:JA50 投稿日: 2004年08月06日10時59分

仏教は、ある意味そうじゃないでしょうか?
人が真偽を確かめられないことに関しては何も言わず、口をつぐむというんだから。


創世記と無神論  投稿者:ぽん 投稿日: 2004年08月06日10時48分

流木さま、はじめまして

>唯物論に友好的な宗教というのはあり得ないでしょうから。
という書き込みを見て思い出したことがあるので、書き込みます。

「創世記は、ある意味『無神論』的ともいえる」と、とある聖書学者に説明されたことがあり、頭が???になったことがあります。
しかし、その説明は(私にとっては)とても納得がいくものでした。

「創世記」は敗戦して捕囚の民となったユダヤ人が、自分たちのアイデンティティーを確保する為に、自分たちが守ってきた思想を整理して作りあげた物語で、当時のユダヤ教以外の周りの宗教に対する強烈なアンチテーゼとして読むと分かりやすいそうです。

当時、ユダヤ教以外の宗教(社会)では、太陽とか、月とか、収穫をもたらす力とかを「神」として拝んでいて、王は「神」の代理人として絶対的な権力を持っていた訳です。しかし、それに対して、聖書を書いた民は、他の民が拝んでいるそれらの「神」を含め、宇宙にあるすべてのもの(人間が把握可能なもの全て)は「神ではなくて、被造物に過ぎない」と言い、その上で、「我々は被造物を神とは呼ばないよ。我々の神は創造主だ」と言ったわけです。

だから、これは、「神」を、人間に把握可能な世界から放り出したということで、言葉遣いこそ古代の物語風だけれども、ある意味、「無神論」的ともいえるというわけなのだそうです。

なお、創世記を書いた人たちは戦争に負けて捕囚でバビロンに連れて行かれ、絶望のどん底にいたわけです。
創世記を読むと、彼らが、その酷い状況を「神」のせいにするのではなく、「人間の罪」の結果だと認識し、「この世界は本来は素晴らしいもののはずだ、人間が「神」に立ち返れば、本来の素晴らしい世界になるはずなのだ」という信仰を持っていたことがよく現れているそうです。悲惨な現状にも関わらず、世界を肯定的に見ようとする、その精神力がすごい、と、その人は言っていました。

んで、聖書のこの「無神論」的な考え方の何が重要かというと、世の中の現状はすべて「神の意思」で定められていて、現状を変えることは不可能(その必要もない)という考えを突破して、「人間の意思によって世界は変えられる、本来の素晴らしい状態に戻す為に、人間の意思で変えなければならないのだ」という考えを生み出したからだそうです。

横からいきなり、長々と失礼しました。
私は上記の説明を聞くまで創世記なんてあんまり価値のある書物じゃないと思ってたんだけど、この説明を聞いてから読み直したら、最近「凄い書物なんじゃん」と思う様になったので、機会があるごとにおもわず宣伝しちゃうんですよね。。。


原理主義  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日23時29分

*JA50さん

 こんにちは。「書いてないからダメ」という表現は誤解を生むかも知れませんね。

 ご指摘のように、キリスト教原理主義(福音派の中の急進的な右派グループ)の皆さんは、「聖書に書いてあることは一語一句正しい」としつつ、解釈は変えるし、書いてないこともいいますね。

 結局、彼らのいう「一語一句正しい」というのは、「我々の聖書の読み方(解釈)が正しい」ということなのでしょう。三位一体説の形成史を持ち出すまでもなく、聖書の解釈はさまざまに可能ですからね。

 なお、余談ですが、私は「聖書を文字通り受け容れる」ことなど不可能だと考えております。解釈は人によって異なるからです。「祈ることで聖霊の導きを受けて…」というご意見もありますが、それで聖書の正しい解釈に辿り着けるなら、キリスト教が数多くの教派に分裂していることを説明できないでしょう。唯一絶対に正しい読み方なるものが存在すると考えるから、お互いに「お前の読み方は間違いだ。俺たちの解釈こそ正しい」と非難し合うことになるのではないかと思います。


批判するなら  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日23時09分

*この世は仮の世さん

 こんにちは。

>>あなたの書き込みからあなたが幸福の科学の教えを全く理解してないのがわかります。

 いや、だから、私は「幸福の科学」の教えなるものを理解しているとは一言も述べていないでしょう?私が知っているのは、先に書いた程度のことに過ぎません。

 また、私は幸福の科学の教えを批判するつもりもありません。私は、貴方の「進化論=唯物論」という主張を間違いだと申し上げているのです。貴方は幸福の科学の信者だそうですから、「仏教系の新興宗教なのに、なぜ進化論を批判する必要があるのだろうか?」と疑問を抱いたに過ぎません。要するに、幸福の科学云々は話の流れからいえばオマケです。

 貴方が進化論を批判する理由は、「進化論が唯物論だから」と貴方が考えているからですか?もし、そうなら、既に、述べたように、理神論(進化的有神論)という立場がありますから、「進化論=唯物論」という貴方の説は誤りです。進化論が唯物論でない以上、貴方が進化論を地上から一掃しようなどとムダな努力を重ねる必要はありません。

 しかし、ダーウィンの著作もエルドリッジやグールドの著作も読まない人が進化論を批判できるのでしょうかね?もし、私が幸福の科学の教えを批判するつもりなら、10冊といわず幸福の科学の出版物を読みますよ。もっとも、宗教団体の場合、教義に疎くても行動の問題点は指摘できますけどね。オウム真理教の出版物を読まなくても、オウムの行動の問題点は分かりますよね?

 ちなみに、私はWebサイトでモルモン教会を批判しています。

  http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/syk_main.html

 私の勉強が十分だとは思いませんが、批判というからには、最低でもこの程度は勉強するべきではありませんか?


Re.流木さん  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月05日21時22分

> 幸福の科学について語るなら最低10冊読んでからにしてください。
> トトロさんの言うことを鵜呑みにせずに・・・
> あなたの書き込みからあなたが幸福の科学の教えを全く理解してないのがわかります。

この世は仮の世氏は私と議論する気は無いようなので、私の書き込みをご覧になられている方々に向けてこのメッセージを書き込んでいます。

このような掲示板の良いところは、何らかの主張がなされたときに、その主張を後からでも確認でき、その主張が誤りであると考える人は誰でもそれを指摘して自分の主張を述べることが出来る点です。

この世は仮の世氏が私の意見を誤っていると主張するのなら、私の書込みから、そのポイントを指摘して自らの主張を行えば良いのです。その結果、一般的には議論へと発展するのでしょうが、その議論は多くの視点と問題点の修正を生むでしょう。それはとても良い事だと私は考えています。

故に、私はこの世は仮の世氏が応答してもしなくても、”幸福の科学について語るなら最低10冊読んでから”という以前に私の書き込みを批判せよと主張します。

それから、流木さんは私の主張を”鵜呑み”にはしていません。「なるほど」の書き込みは彼のオリジナルの理解と主張です。


なんでこんな事口酸っぱくして言うかってーと  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年08月05日21時19分

なかば、おせっかいなんですけど。

この世は仮の世さんは、進化論を撲滅したくて、進化論を信じてる
人間の考えを改めさせたくて発言しているんでしょう?

だったら、

>他人が私をどう思おうと知ったことではない。
>それはその人の問題で私の問題じゃないので・・・

なんて言ってちゃいけませんがな。

自分の意見を人に納得させるって言うのは、自分が相手から
どう見えているかを意識して、自分の意見に相手を引き込む
っていう作業なんですから。


本当にわかりませんか?  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年08月05日21時03分

あなた、たとえばあなたの

>幸福の科学について語るなら最低10冊読んでからにしてください。
>トトロさんの言うことを鵜呑みにせずに・・・
>あなたの書き込みからあなたが幸福の科学の教えを全く理解してないのがわかります。

という発言に対して流木さんが

>トトロさんは大川の本にも目を通してるらしいが、私は良書1000冊読むことを課題にしている。その良書の中に大川の本はいっていない。
>だいたい自分の中で「科学的にも宗教的にもこれは間違っている」と結論の出ている幸福の科学についての本を読まねばならない理由がない。
>私がこれを課題図書にしているのは幸福の科学を地上から一掃するために必要という理由からだけだ。

という発言をしたと仮定したらどういう印象を抱きますか?
それを想像してみることすらできません?


何が言いたいのかわからないが  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月05日20時58分

他人が私をどう思おうと知ったことではない。
それはその人の問題で私の問題じゃないので・・・


一部の主張に対してのレス  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年08月05日20時52分

トトロさんは大川の本にも目を通してるらしいが、私は良書1000冊読むことを課題にしている。その良書の中に大川の本はいっていない。
だいたい自分の中で「科学的にも宗教的にもこれは間違っている」と結論の出ている幸福の科学についての本を読まねばならない理由がない。
私がこれを課題図書にしているのは幸福の科学を地上から一掃するために必要という理由からだけだ。





まあ、きりが無いのでこのくらいにしておきますけど。
あなた、他の人からはこういう風に見えてるんですよ。
>この世は仮の世さん


一部の主張に対してのレス  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月05日20時34分

大川先生はドーキンスの本にも目を通してるらしいが、私は良書1000冊読むことを課題にしている。その良書の中にダーウィンの本もドーキンスの本もはいっていない。
だいたい自分の中で「科学的にも宗教的にもこれは間違っている」と結論の出ている進化論についての本を読まねばならない理由がない。
私がこれを課題図書にしているのは進化論を地上から一掃するために必要という理由からだけだ。


ナニがダメかっていうと  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2004年08月05日20時15分

 私は、私が「正しいだろう」と考える行動をし、発言をする。しかしそれは、第三者からしてみれば間違いに見えるかも知れないし、客観的事実とも一致しないかも知れない。つまり、私は「正しかろう」と行動しているけれど、同時に間違っているかも知れないということを「自覚」しているのです。

 ところが、それじゃご不満な人が世の中にはわんさといるわけね。自分自身の言動に、なんらかの根拠や論理的整合性を付与できないもんだから、社命である、とか、掟である、とか、教義に基づいた「正義」である、などと、甚だみっともない「自己正当化と大義明文化」を行うんだよね。要するに思考停止です。

 私は高次の存在である。よってこの世の理に阻まれるものではない。←こぉいうのが「霊感」のたぐいに「恵まれたと自称する人々」の主張です。この手の主張ってのは証明することも出来ない代わりに、反証することも出来ないわけですね。だから少ない手がかり、つまり佐倉哲氏が指摘するところの「地上のことについての言及」に矛盾があることなどから、土台を崩すしかないわけです。

>それに愛の教えは実践してますよ。ここで進化論を否定する投稿をするのも進化論=無神論を信じてる皆さんに考えを変えてもらいたいと思ってやってるのだし・・・私がなぜ進化論はだめと主張してるかは理解してるでしょう?

 あの世だの天上界だの大川センセーだのに頼り、威を借りてるつもりのキミは自己正当化さえ満足にできていない。あなたに対して向けられた多くの反論に答えることもせず、思いつきで自分の信仰を「バカにさせる」ように仕向けているとしか思えない。
 キミにもしも、愛、というものの「片鱗だけでも」理解出来るのならば、進化論について「スタンダードと評価されている文献」について、まず勉強するはずだ。その上で異論があるのならば、主張すれば良い。また、キミがそのように実直な態度を示すのならば、私もキミとキミの教団に対する評価を軟化させることだろう。しかしキミは、読んだ文面・活字を評価しながら読むことが出来ないらしい、と推測している。恐らく、読んだ文章は「すべて正しいように思えてしまう」という暗示体質なのではなかろうか。だからキミはドーキンスやグールドを読みたくない、あるいは、読むのが怖いんだろう。

 天上界に対しての「危険思想」だ、とキミは進化論を評した。甘ったれるんじゃない、と私は答える。キミは生きている生身の人間に過ぎない。そのキミが天上人の「気分」になって、キミを認めてくれない「現実」に「反抗期のヒステリー」を起こしている、と私は考えている。

 キミは天上界なくして、シャツのボタンもかけられないガキなんだよ。


1冊で十分では?  投稿者:JA50 投稿日: 2004年08月05日19時56分

進化論を語るのに、10冊も読む必要があるでしょうか?
それがいい本だったら、1冊でも十分じゃないでしょうか?

ただし、幸福の科学も同じだとは言いません。
連合弛緩を起こしている人の書いた、あるいは語るものは、何十冊読もうが、その内容を理解するのは不可能でしょう。
そもそも、内容などというのはないんですから。


この世は仮の世さん  投稿者:ゆん 投稿日: 2004年08月05日19時31分

進化論について語るならまともな本を最低10冊読んでからにしてください。
大川さんの言うことを鵜呑みにせずに・・・
あなたの書き込みからあなたが進化論を全く理解してないのがわかります。





典型的なダブルスタンダード。

ちなみに私は「幸福の科学を非難するなら本を最低10冊くらい読んでからに
しやがれ」というこの世は仮の世さんの主張には一理あるとは思います。ただ、
「そういう事を言うなら自分がまず率先してやれよ!」と言いたいだけね。


流木さん  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月05日17時53分

幸福の科学について語るなら最低10冊読んでからにしてください。
トトロさんの言うことを鵜呑みにせずに・・・
あなたの書き込みからあなたが幸福の科学の教えを全く理解してないのがわかります。


この場合  投稿者:PDX. 投稿日: 2004年08月05日14時25分

 この場合、キリスト教原理主義ではなくて聖書直解主義とかになるんでしょうかね?


キリスト教原理主義って、、  投稿者:JA50 投稿日: 2004年08月05日13時42分

キリスト教原理主義って、「聖書に書いてないからダメ」という立場ではないのでは?
キリスト教原理主義は「聖書は無誤謬であるとする目的」のために、聖書の解釈を常に変えるるし、聖書に書いてないことも平気で付け加える。


もっとも  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日13時27分

 もっとも、「聖書に書いてないからダメ」というキリスト教原理主義的なお立場からいえば、理神論はおろかキュビエの説ですら、異端邪説扱いでしょうけど。

 …何か、貧しい知性ですね。


創造説といっても…  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日13時07分

 神による生物の創造説を支持するといっても、そのことが直ちに進化論を否定する創造科学への支持と結びつくわけではありません。なぜなら、創造説といっても、いろいろなバリエーションがあるからです。例えば、

(A)現存する生き物は神が天地を創造したときから総て存在していた。化石はノアの洪水で死んだ生き物のものである(創造科学の説)。

(B)現存する生物は神が天地を創造したときから総て存在していた。化石は何度も繰り返された天変地異(ノアの洪水も含む)によって滅んだ生き物のものである(この説は、キュビエの説)。

(C)天変地異のつど全生物は死滅し、新たに生物が創造された。ノアの洪水と呼ばれるような全地球的な洪水はなかった(ダーウィンが『種の起源』を公表する以前の地質学者らの説)。

などがあります。(B)(C)説は聖書の記述に根拠は持ちませんが、創造説の一種であり、少なくとも進化論ではあり得ません。

 さらに、

(D)生物は神によって進化するように創造された(理神論ないし進化的有神論の立場)。

というのもあります。これなどは、創造説ですが、進化論と両立可能です。神は生き物を創造したが、創造された生き物は神の摂理に従って進化したという立場です。

 このように、実際には、さまざまなバリエーションがあるにもかかわらず、そうした事実を無視し、「進化論か創造科学か」という二者択一を迫るのが創造科学を支持する人たちの立場であり、私にいわせれば、非常に狭量なものの見方です。


なるほど  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日12時01分

*トトロさん

 こんにちは。詳細なレス、ありがとうございました。

>>それ故、これらの存在を必要としない唯物論を敵視しており、唯物論の一部として進化論を否定しているわけです。従って(私が知らないだけかも知りませんが)「幸福の科学」には、この宗教独自の創造論は無かったと記憶しています。

 まぁ、宗教ですから、唯物論を敵視するのは当然ですね。唯物論に友好的な宗教というのはあり得ないでしょうから。

 ただ、仮に、大川氏が主張するように、五次元霊界やら七次元霊界やらが存在するとしても、「生物進化の過程にそれらが影響を与えたのであ〜る」とすれば済むことであり、論理の必然として進化論を否定することにはならないでしょう。何かねじれているようで、どうにもおかしな主張ですね。

 多分、「進化論は、神によってこの世の総てが今ある姿で創造されたとする特殊創造説を否定する」「進化論は神を否定する=進化論は唯物論だ」という粗雑な類推に基づくのではないでしょうか?特殊創造説を否定する理神論(進化的有神論)もあるわけですから、進化論を唯物論と同一視するのは的外れですし、概してあまりアタマのよくなさそうな話です。

>>また、大川の著書の1つである「太陽の法」には、仏教上の聖者はもとより、キリスト、ギリシャ神話の登場人物まで彼の世界に含まれていることが記されているので、この宗教は厳密に仏教系宗教とは言えないのではないかと私は考えています。

 そうですか。要するに、「何でもあり」なんですね。

>>もし、仏陀の主張およびこれから発達した思想を仏教と呼ぶのなら、「幸福の科学」は仏教ではありません。

 なるほど。勉強になりました。


Re.実を見れば樹が分かる?  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月05日11時36分

流木さま、こんにちは。

> しかし、疑問なのは、私の乏しい理解では、「幸福の科学」は仏教系の新興宗教では?なぜ、進化論を否定するのでしょう?特殊創造説はキリスト教のものであり、仏教とは関係ないと思うのですが?規模は全然違いますが、同じく仏教系の新興宗教である創価学会が進化論批判キャンペーンなど展開したという記憶はありません。幸福の科学の教義には特殊創造説が含まれているのでしょうか?

「幸福の科学」は正式団体名を「宗教法人幸福の科学」と言い1986年に立教、宗教法人には平成3年に認可されています。教典「正心法語」ほか、大川主宰の執筆した書籍全般となっており、崇拝対象は釈迦大如来となっています。

所謂、仏教系の新興宗教団体ですが、教祖自らが釈迦の生まれ変わりと称しており、自らを崇拝対象としています。

それで、今、手許に大川の著書が無いので引用ができないのですが、大川の主張によれば、五次元霊界やら七次元霊界やらが存在するとのことです。そして、これらの存在が現在の人や社会に影響を与えていると主張しています。

それ故、これらの存在を必要としない唯物論を敵視しており、唯物論の一部として進化論を否定しているわけです。従って(私が知らないだけかも知りませんが)「幸福の科学」には、この宗教独自の創造論は無かったと記憶しています。

また、大川の著書の1つである「太陽の法」には、仏教上の聖者はもとより、キリスト、ギリシャ神話の登場人物まで彼の世界に含まれていることが記されているので、この宗教は厳密に仏教系宗教とは言えないのではないかと私は考えています。

> 私が「幸福の科学」について知っているのは、教祖が東大卒の大川隆法という人物だということ、大川氏が「…であ〜る」としゃべる人であること、商社を辞めた大川氏が1980年代の半ば頃出てきた教団であること、何かの記事がきっかけで講談社のフライデー編集部に抗議の電話をかけたりFAXを山のように送りつけたりして業務妨害で訴えられ裁判で負けたこと、本部が東京都品川区にあること、地下鉄サリン事件の少し前にオウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)教祖と一緒に大川氏がテレビ番組に出演していたこと、一時期コンビニに大川氏の著作が置いてあったこと、大川氏が「九次元最高神霊」とか称していること…ぐらいです。個人的には、仕事の関係で知り合った方に信者がおられましたが、教義の話など聞いたことは全くありません。

大川氏は、かつて中堅商社イトマンに勤めるサラリーマンでした。そして父親(善川三郎氏)の影響で以前は生長の家およびGLAの信者でした。

「幸福の科学」は布教の方法もこれらの教団の方法を真似ており、GLAの高橋信次の「異言」と、生長の家の谷口雅春の出版活動を真似ています。
教団設立後、数年間の大川の著作は「霊言」シリーズとして、善川三郎氏の名前で出版されていました(大川が霊言を語り、善川が書き留めるという格好で書かれている)。「霊言」の対象となった人物はキリストから日蓮聖人のような宗教者の他、坂本竜馬なども含まれています。このシリーズだけで60巻近くはあったはずです。

佐倉哲氏のエッセイ集「ブッダと大川隆法」(ttp://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/okawa.html)をご覧頂けば明白かと思いますが、大川と仏陀の主張はかなり異なっています。もし、仏陀の主張およびこれから発達した思想を仏教と呼ぶのなら、「幸福の科学」は仏教ではありません。


進化論とキリスト教信仰  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日11時31分

 過去ログ(世論調査  投稿者:GOA 投稿日: 2003年09月19日16時09分)でも紹介されておりますが、「進化・創造論をめぐって」というコラム

  http://www.kanazawa-med.ac.jp/~hum-sci/sunadori149-TH.htm

の作者は、キリスト教信仰を持ちつつ、進化論とご自身の信仰とをきちんと別けて考えておられます。少し引用させてもらいますね。

>>神の存在を科学的に証明することはできないし、神の存在を信ずるか否かは科学の問題ではない。だから、科学としての進化論と宗教としての創造論を区別するとともに、両立の思想をひろげ深めることがキリストの福音をのべ伝えるうえでも好ましいと思う。

>> 聖書を「信仰の誤りなき規範」とする信仰告白は、聖書が科学書として誤りがないと宣言しているわけではない。聖書には、その書かれた時代や社会の知識・習慣・環境などが反映しているから、現在の科学知識に反する記述があっても不思議ではない。科学が未発達な時代に生きた人たちよりも現代人のほうが正しい信仰をもてるとは限らないわけだから、聖書の記述を文字どおり信じなければならないという主張は、あたかも聖書に忠実なようで、実はキリスト教信仰の本質に反するのではないだろうか。

 創造科学を支持する皆様は、一度は上記サイトを覗いてみられると有益だと思います。

 科学上の仮説と信仰上の信条とを同じ土俵で論じてしまう皆さんは、科学的ということの意味を理解しておられないのでしょう。ある仮説が科学的ということは、論理と事実とに照らして、その仮説を間違ったものとして放棄する用意があるということです。特殊創造説を信じておられる皆さんは、「何があっても特殊創造説は正しい」というお立場なのですから、そういう信条が科学的であるはずはないのです。それとも、論理と事実とに照らして、貴方はご自身の信仰を捨てる用意がありますか?目に見えること、理性で理解できることを扱うのが科学です。信仰はそうではないでしょう。同じに扱うことがそもそもの間違いです。

 科学は科学、信仰は信仰です。進化論を否定するためにムダな努力を重ねるヒマがあったら、駅前のゴミでも拾った方がよほど世の中のためになりますよ。「進化論が人々の道徳的な荒廃や犯罪の増加をもたらした」のなら、国民の半数近くが創造説を信じている米国の方がキリスト教徒が1%しかいない日本より犯罪が多い事実をどう考えるのでしょう?そんな下らないゴタクを並べるヒマがあったら、もっとやるべきことはたくさんあるのではありませんか?


申し訳ありません  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月05日10時21分

Re.愛の教えの実践が2重投稿になってしまいました。
掲示板をご覧になっている皆様と管理人様にお詫び申し上げます。

私の不注意でした。


実を見れば樹が分かる  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日10時19分

*トトロさん

 こんにちは。

 まぁ、イエスも「実を見ればどんな樹なのか分かる」といっていますからね。「愛の実践」の中身を見れば、どんな教えなのか推測できるというものです。

 しかし、疑問なのは、私の乏しい理解では、「幸福の科学」は仏教系の新興宗教では?なぜ、進化論を否定するのでしょう?特殊創造説はキリスト教のものであり、仏教とは関係ないと思うのですが?規模は全然違いますが、同じく仏教系の新興宗教である創価学会が進化論批判キャンペーンなど展開したという記憶はありません。幸福の科学の教義には特殊創造説が含まれているのでしょうか?

 私が「幸福の科学」について知っているのは、教祖が東大卒の大川隆法という人物だということ、大川氏が「…であ〜る」としゃべる人であること、商社を辞めた大川氏が1980年代の半ば頃出てきた教団であること、何かの記事がきっかけで講談社のフライデー編集部に抗議の電話をかけたりFAXを山のように送りつけたりして業務妨害で訴えられ裁判で負けたこと、本部が東京都品川区にあること、地下鉄サリン事件の少し前にオウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)教祖と一緒に大川氏がテレビ番組に出演していたこと、一時期コンビニに大川氏の著作が置いてあったこと、大川氏が「九次元最高神霊」とか称していること…ぐらいです。個人的には、仕事の関係で知り合った方に信者がおられましたが、教義の話など聞いたことは全くありません。


Re.愛の教えの実践  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月05日10時18分

> 大文字ナンさんの言う通り愛の教えの実践をするとなると、布教活動をここですると言うことになる・・・ナンさんはそれでもいいですか?

なんで、大文字ナンさんの発言が、この掲示板での布教につながるのか、そのロジックは理解しがたいが・・・

> それに愛の教えは実践してますよ。ここで進化論を否定する投稿をするのも進化論=無神論を信じてる皆さんに考えを変えてもらいたいと思ってやってるのだし・・・私がなぜ進化論はだめと主張してるかは理解してるでしょう?

随分、おマヌケな実践だこと。これまでに多くの方から「進化論を否定するには、同じ科学の土俵で、科学のルールに従って行わねば意味が無い」という趣旨の書き込みを受けているのに、寝言や雑言ばかりを書き散らしているくせに。

> それ以外の議論も愛の実践でしょう。愛とは人と人がつながることだから、議論も人と人とのつながりです。そういう意味では議論も愛の教えの実践です。

そういう立派なことを言うのであれば、貴方の発言内容は如何なのもか。私の主張を理解しないし、証拠を挙げての反論もほとんど無く、大川の虚言の繰り返しを何度も繰り返すし、都合の悪い指摘は無視する。あげく、自ら「証拠は無い」と書きながら、客観的だと主張する。

貴方の議論は”人と人とのつながり”ではなく、不条理な自分の主張のみである。
そういう意味では(貴方の)議論は腐った愛の教えの実践です。


(ぱ)様  投稿者:石田 投稿日: 2004年08月05日10時03分

書き込みを読んでいただき感謝します。知り合いは実の姉です。日常的にメールのやりとりをしているので、こちらは日本語ですが、先方からはローマ字です。
突然文字化けしたようですね、送信したメールが全て文字化けしてましたから、しかし
何故だろうか?日に日にエスカレートする内容のメールでね。最期には怖くなりました。

送信先には、アドレス存在するが届かないこともあるのでしょうね。意図的な様子もアリ

三大宗教の定義なんて、私のような凡人には皆目不可解で申し訳ないです。
血液型のサイトから参りましたので、ひとつ質問させてください。

幼い頃より、凶暴性がありすでに小学校で包丁を振り回していた加古川の殺人鬼・・
神戸の少年A、宮崎勤、詫間守 佐世保の11歳の女子 韓国の大量殺人鬼 久留米の看護士
北九州の松永太 遺伝子に問題ありでしょうか?胎内での母親のストレス?

私のような自称高校生の生物苦手な者に出来れば、わかりやすく説明をお願い申し上げます。
生物苦手な私に、当時の教師は東大の理学部を卒業し田舎の高校に教師として赴任し
とてもわかりやすく、こんな私でも面白いと思いまいた。
本当に頭のいい人は、わからない人間にわかるように説明の出来る人間だと確信しています。
滅茶苦茶脱線ですが、進化論と創造論を逸脱していますか?

モルモン教徒は、ちなみにさまざまおりますが私の知り合いにはNASAの航空宇宙局でロケットを開発している人や、国際弁護士、大学の教授、世界で一番裕福な宗教であるそうです。姉を見ているとすでに洗脳されていると気がかりなのです。

もしこの掲示板にモルモン教徒の方がおられたら、お許しくださいませ。

 


理神論については  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日 9時54分

*トトロさん

 こんにちは。フォロー、感謝いたします。

 理神論については、例えば、

  http://www.geocities.jp/okegawax/tex-philkant.htm

辺りを参考にされるとよいでしょう。

 まぁ、筋金入りの唯物論者(無神論者)からいわせれば、理神論は不徹底だということになるでしょうが(確か、ディドロは「理神論者は無神論者になるほど長生きしていない人たちだ」と述べていたと記憶します)。

 いずれにせよ、進化論は自然科学上の仮説であり、唯物論といった哲学的な思想なり主義・主張とは区別されるべきものです。信じようが信じまいが、地球は丸いし、太陽の周りを回っています。地球球体説や地動説は信じるものではありません。

 特殊創造説を支持する皆さんのように、両者(科学上の仮説と宗教上の信条)をきちんと区別せずにあれこれ論ずることは、野球にサッカーのルールを持ち込んで批評するのと同じぐらい的外れな行為でしょう。


Re.愛の教えの実践  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月05日 9時49分

> 大文字ナンさんの言う通り愛の教えの実践をするとなると、布教活動をここですると言うことになる・・・ナンさんはそれでもいいですか?

なんで、大文字ナンさんの発言が、この掲示板での布教につながるのか、そのロジックは理解しがたいが・・・

> それに愛の教えは実践してますよ。ここで進化論を否定する投稿をするのも進化論=無神論を信じてる皆さんに考えを変えてもらいたいと思ってやってるのだし・・・私がなぜ進化論はだめと主張してるかは理解してるでしょう?

随分、おマヌケな実践だこと。これまでに多くの方から「進化論を否定するには、同じ科学の土俵で、科学のルールに従って行わねば意味が無い」という趣旨の書き込みを受けているのに、寝言や雑言ばかりを書き散らしているくせに。

> それ以外の議論も愛の実践でしょう。愛とは人と人がつながることだから、議論も人と人とのつながりです。そういう意味では議論も愛の教えの実践です。

そういう立派なことを言うのであれば、貴方の発言内容は如何なのもか。私の主張を理解しないし、証拠を挙げての反論もほとんど無く、大川の虚言の繰り返しを何度も繰り返すし、都合の悪い指摘は無視する。あげく、自ら「証拠は無い」と書きながら、客観的だと主張する。

貴方の議論は”人と人とのつながり”ではなく、不条理な自分の主張のみである。
そういう意味では(貴方の)議論は腐った愛の教えの実践です。


せっかくだから…  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日 9時33分

*この世は仮の世さん

 こんにちは。

 せっかくだから、ウィキペディアの無神論のところも見ておかれるとよいでしょう。挙げられている「無心論者」リストの中にダーウィンはいませんよ。


Re.進化論=唯物論  投稿者:トトロ 投稿日: 2004年08月05日 9時32分

> 生物や生命の理解に関しては、生命が物質と物理的現象のみによって説明できるとする立場があり、生気論と対立する。また、生物が神の意志や創造行為によって産み出されたとする創造説を否定し、物質から生命が誕生し、進化を経て多様な生物種へと展開したとする、いわゆる進化論の立場も、唯物論の一種と考えられることがある。

で、この世は仮の世氏は何を言いたいのかな。流木氏の発言は有神論的進化論とか理神論とか呼ばれている立場もあるという主張だ。

「進化論=無神論」ではないという主張に反論したいのなら「進化論=唯物論の一種と考えられることがある」という主張を持ってくることは大きくピントの外れた顕微鏡である。流木氏の発言に対抗するには有神論的進化論や理神論という立場が存在しない無いことを示すか、有神論的進化論や理神論が無神論の一種であることを論証する必要がある。

もっとも、この世は仮の世氏のピントの外れた指摘であるウィキペディアの唯物論からの抜粋でも「唯物論の一種と考えられることがある」と記されており、進化論=唯物論が絶対的に成立するという証拠にはなっていないのだが。


補足  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日 9時28分

>>考えられることがある

ということは、「普通はそう考えないけどね」ということです。そんなことを考えるのは、特殊創造説の信者ぐらいなものですよ。


進化論を唯物論扱いするのは誰?  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日 9時20分

*この世は仮の世さん

 こんにちは。

>>生物が神の意志や創造行為によって産み出されたとする創造説を否定し、物質から生命が誕生し、進化を経て多様な生物種へと展開したとする、いわゆる進化論の立場も、唯物論の一種と考えられることがある。

 誰がそう考えるんでしょうね?創造説の信者でしょう?貴方のこの引用は、何の反論にもなっておりません。 


進化論=唯物論  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月05日 8時58分

ウィキペディアの唯物論からの抜粋

>生物や生命の理解に関しては、生命が物質と物理的現象のみによって説明できるとする立場があり、生気論と対立する。また、生物が神の意志や創造行為によって産み出されたとする創造説を否定し、物質から生命が誕生し、進化を経て多様な生物種へと展開したとする、いわゆる進化論の立場も、唯物論の一種と考えられることがある。


進化論=無神論ではありません  投稿者:流木 投稿日: 2004年08月05日 8時28分

*この世は仮の世さん

 こんにちは。

>>ここで進化論を否定する投稿をするのも進化論=無神論を信じてる皆さんに考えを変えてもらいたいと思ってやってる

 「進化論=無神論」とはいえないでしょう。最初の生命は神が創造したが、そのあとは進化によってさまざまな生命が誕生したという考えもありますから。

 それと、自然科学は神といった超自然的な存在を自然現象の理由として説明に持ち込まないだけで、神の存在も神の非存在も科学的に証明できるようなものではありません。科学は神にはノー・タッチなのです。


次に買いたいもの  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月05日 8時06分

紀伊國屋書店でブライアンLワイス博士の「過去生退行瞑想」CDなるものを見つけた。
3000円もする高価なものなので貯金だ。


今回の失敗からの教訓  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月05日 8時00分

外国出版物の翻訳物を買う際に注意すべき点は巻末の翻訳者後書きか解説に目を通すこと。
そこに翻訳する際に原著を改編、削除したかどうか書いている可能性がある。
もし、そういうことが書いてあったら買うのに二の足を踏む。
しかし、そういう断りもなしに削除改編してる本もあるの可能性もある。


あり・・・かぶっちゃった  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2004年08月05日 7時58分

良く調べられてる単語なんでしょーね。


翻訳  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2004年08月05日 7時55分

まー、日本語と英語だけでもそもそも、言語体系に違いがある上に表現の差が激しいので単語だけを抜き出してもあんまり違いが無いと思います。

例えば「pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis」は日本語で「珪性肺塵症(けいせいはいじんしょう)」という意味ですが、熟語などでは更に長い訳を必要とするものもあります。
ですが、英語の訳が最も長いか、というとそれも違って、英語をフランス語やスペイン語に訳すとさらに長くなる場合があります。

他にも訳し切れない意味やニュアンスの違いもあるので、一概に翻訳したものが判らない、原著がそのままわかりやすい、ということにはならないでしょう。
意味がわかりやすいように思い切って意訳することも「本質を理解させる」ためには必要な場合があります。

言葉の問題が日常となっているヘルメス☆でした。


愛の教えの実践  投稿者:この世は仮の世 投稿日: 2004年08月05日 7時53分

大文字ナンさんの言う通り愛の教えの実践をするとなると、布教活動をここですると言うことになる・・・ナンさんはそれでもいいですか?
それに愛の教えは実践してますよ。ここで進化論を否定する投稿をするのも進化論=無神論を信じてる皆さんに考えを変えてもらいたいと思ってやってるのだし・・・私がなぜ進化論はだめと主張してるかは理解してるでしょう?
それ以外の議論も愛の実践でしょう。愛とは人と人がつながることだから、議論も人と人とのつながりです。そういう意味では議論も愛の教えの実践です。


脱線カルテット  投稿者:おずおず 投稿日: 2004年08月05日 7時33分

侘:austere refinement ...確かに、とりあえず1文字では不可能みたい。

>ちなみに肺塵症というのが相当長い単語で
>PNEUMONOULTRAMICROSCOPICSILICOVOLCANOCONIOSIS

英和翻訳という仕事では、1単語あたり○○円、といった報酬の決め方を行うことが多いらしいです。
...こんな単語が多い本を訳すのは嫌でしょうね。
辞書引きだけが多くなって儲けは少ない...。


タックスさんへ、いくつか気付いた点  投稿者:NATROM 投稿日: 2004年08月05日 3時45分

>獲得形質は例えば、エイズとか、免疫とか、母体の健康の度合いとか、何も、ドーキンスがかたっていたようなルート以外にも遺伝は起こりうるし、たとえば、適度なストレスを押さない時期にうけると、ストレスに強くなるとか知られているけど、母体からストレスホルモンをうけて、それで子供も副腎が大きくなったりとかしないのか?とかもいろいろかんがえました。

そういうことはありえますね。でもね、ドーキンスは「獲得形質の遺伝はありえない」と言ったのではなく、「獲得形質の遺伝では適応的複雑さを説明できない」と言ったのです。ある特定の場合において、獲得形質の遺伝はありうるかもしれない。「母体からストレスホルモンを受けた結果、子どもの副腎が大きくなった」といったことが仮にあったとして、適応的複雑さを説明できるでしょうか?それに、そもそもいったいどうしてストレスホルモンに反応して副腎が大きくなるようになったのでしょう?そのように反応する個体はライバルより有利だった、とかいう説明が必要です。「あたかもダーウィン説の背中におんぶしてもらうかのようにして、はじめてラマルク説は進化における適応的改善を説明できるのである」とドーキンスは書いています。この問題は、「延長された表現型」の9章「利己的DNAと跳躍遺伝子とラマルク騒動」でも詳しく論じられています。

#副腎皮質に関しては、外部からのホルモンの補充で副腎皮質は萎縮するけどね。仮想的な話ってことで。


>突然変異論者は本当に、自然淘汰全くなしで進化が説明できるといったのか?とか。モーガンは実験室中で見られる人為突然変異体と自然界の変異体があまりに違うことを聞かれて、長い間生き残れたのが自然界で見られる変異体なのだから驚くにはあたらないといったというふうに聞いています。

その場合、突然変異論者などは存在せず、ただダーウィニストだけが存在したということになりますが、タックスさんはそう言いたいので?


>ドーヴァーの分子駆動というのにしてもそうなのではと(個人的にはどれくらいそれが進化に貢献したかはともかく面白い発想だと思ったんですが)。そもそも、集団中で広がるという時点で、それはある程度淘汰されているはずです。

その場合でもやはり、ダーウィン主義はやっぱり正しいということになるのですが、タックスさんはそう言いたいので?ドーキンスは「ダーウィン主義は適応的複雑さを説明する中心的な理論である」と主張しているのだから、突然変異論やドーヴァーの分子駆動にダーウィン的な要素を含まれているという主張は、ドーキンスに対する反論にはなりえないように思うのですがどうでしょう。


>種淘汰の議論についても気になるところがあって。

それはドーキンス自身も気付いています。性淘汰ではなく、ESS(進化的に安定な戦略)での話ですが。「利己的な遺伝子」のP508。「つまり、互恵的な利他主義に有利に作用するような、ESS間に作用する高次の淘汰がありうるのではないかとういことである。この視点は、通常の群淘汰の諸理論とは別の、実際に機能しうる一種の群淘汰を支持する論議に発展させることができるだろう」。


>ドーキンスは大突然変異が適応的でない理由として、もともとピントがあってるからだという説明をしていたし、つまり、ウィルスによってニッチが大きくずらされると、それにあわせた大幅な変化が急速に起こりうることも賛同するのではないかと

いや、絶対に賛同しないと思います。その「大幅な変化」とやらが適応的である確率はきわめて低いものと思われます。


脱線3  投稿者:いど 投稿日: 2004年08月05日 1時08分

脱線3…ちょうど脱線トリオですね。や、どうでもいいですか?(汗

長い単語がいろいろと…
http://www.akatsukinishisu.net/kanji/longword.html

ちなみに肺塵症というのが相当長い単語で
PNEUMONOULTRAMICROSCOPICSILICOVOLCANOCONIOSIS
というんだそうです


脱線2  投稿者:tema 投稿日: 2004年08月05日 0時24分

>長い英単語

 西洋に無い意味を持つ字であれば、長くなるはずです。
 というわけで、「禅」→Zen(あれ?)
 これでどうだ、「侘」→英訳不可能
 それじゃこれ、「寂」→elegant [quiet] simplicity. これなら長いと言えるでしょう。

 ちなみに、西洋でも意味を持つ字で長いのは、一部で有名な「門構えに火」です。


SPAMフィルタの前に  投稿者:(ぱ) 投稿日: 2004年08月04日22時58分

 あいかわらず石田さんの書き込みはさっぱり意味がわかりません。

>そう言えば、モルモン教の知り合いに電子メールを送り、カルトっぽいから気をつけてねーと、
>余計なお世話のメール送信以来、毎朝送られてくる不気味な添付データ付きメール

 これは、その知り合いさんから送られてきているんですか?

>開けずに返送しても、すぐにメーラーデーモンから送信してくるのだ。

 なんで「返送」するんですか? ほっとけばいいのに。
 メーラーデーモンから返送されるところを見ると、返信先のアドレスが実際には存在しないんでしょう。メールの送信元アドレスなんていくらでも偽装できますから。

>禁止リストに設定しても次から次に送られてくる。

 禁止リストがどこで実現されているものかわかりませんけど、おそらく送信元アドレスで判定するわけでしょう。それが効かないとすれば、送信元アドレスが毎回変わっている、ということですよね?
 なんか、たまたま、あるいはその知り合いさんの仕業で石田さんのアドレスが漏洩して、あっちこっちから単なるSPAMが送りつけられているだけのような気がしないでもないんですが…

>英語で書かれてあるのは、もちろん「お前のことを監視している」・・・・
>だって怖いので・メール機能をしばらく切断状態にしています。

 文面は毎回同じなんでしょうか。だったら違うのかな。


JA50さま 感謝  投稿者:石だす 投稿日: 2004年08月04日22時32分

つい歌いだしたくなるような、サンダーバード パクパク パクパク
どうもです。現れないと申し、安心を与えておいて澄みませぬ・・・・・

早速とっかかろっと・・・・


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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