このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
To おずおずさん
>>自然淘汰を前提としていろいろ想像できるんですね。
>>やはり想像するしかないですもんね。
>神さまの存在を前提としていろいろ想像できるんですね。
>やはり想像するしかないですもんね。
その、God Bless You!さんの発言は、大文字ナンさんへのレスですが、その前に私が
「でもね、こういうのって私のようなその生物(今回の場合はハチ)の進化に詳しくない者の場合、「Just-So Story」つまり、「○○だったとさ」というこじつけ話を作ることしかできないんですよ。それに、逆にその生物の進化に詳しくなくても、想像力さえあったら、いくらでもお話をこじつけることが出来てしまうのです。」
と書いているのが前提としてあるのだろうから、その対応はちょっとかわいそうだと思うなぁ。
To ブラックジャックさん
>私の言いたい事は、何にもありませんが、クリスチャンが本当に自ら、「GOD」なんていうかしら・・・・・・
知っていたらごめんなさい&そういう意味でなかったらごめんなさい。なんだけど、「God Bless You!」っていうのは、クリスチャンがよく使う挨拶です。
以前このサイトに神という科学者さんというクリスチャンの方がいらっしゃいました(お元気かしら、もし読んでいたらお返事ください♪)。たまごは心ひそかに「神なの?神という科学者を信じる者とかじゃないの?」と思っておりました。
>どうもありがとうございました。フアンですし、荒らしの対策係り。予防防疫係りでした・・・・・
ここの人たちは荒らしは楽しんでしまうので、荒らし対策係は要らないような…。あっ、でも、対策係さんが牽制してたら荒らしの方もバカなことをやって墓穴を掘らずに済むから、親切なのかも♪
それはそうと、なまけものさんは荒らしじゃないですよん。
*God Bless You !さん
こんにちは。
>>神様は人間に「似せて」動植物を作られましたので
既に他の方からもご指摘がありますが、聖書には神が自らに似せて人間を創った(霊魂を持つ存在として創った)という記述はありますが、動植物を人間に似せたという記述があるのでしょうか?
創世記の第1章では、人間(男女)は最後に創られ、創世記の第2章では人間(男性)は最初に創られ、動植物が創られたあと、人間(女=イヴ)が創られています。詳細は、例えば、当方のサイト
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/kgh_sb6.html
でも見ていただくとして、少なくとも第1章の創造の物語では最後に人間が創られるわけですから、それ以前に創られていた動植物を人間に似せて創るというのはムリです(順番からいって、人間の方が動植物に似ていることになります)。第2章の方では一応可能ですが、そういう記述を見た記憶がありません。
ご多忙のところ、誠に恐縮ではありますが、貴方様の
>>神様は人間に「似せて」動植物を作られました
を裏付ける聖書の記述があれば、後学のためご教示いただければ幸甚に存じます。
*なまけものさん(RE: サイコロの運命? 投稿者:なまけもの 投稿日: 8月 7日(土)11時59分53秒)
こんにちは。日曜日だからか、こちらへの投稿はすごいペースですね。たとえ話からの脱線です。
>>ネタなんでしょうか?
多分、ご本人は大真面目なのではと…。まぁ、ご本人が念じないでサイコロ投げた場合と比較してみれば、念じてみても出る目に何の影響も与えられないことがよく分かると思うんですけどね。あのグラフにしても、200回より少ないときはライン以下で、200回より多いときはライン以上なわけですが、それって均(なら)して考えれば、ラインと一致するってことなわけで…。
そもそも、
>>サイコロを振って、1が出たとします。サイコロを振る前は、1〜6それぞれの目が出る確率はすべて1/6です。しかし、サイコロを振った後、2〜6が出た確率は0、1が出た確率が1になっているのです。これは、1が出る確率を1/6→1にし、他の目が出る確率を1/6→0にする、何らかのエネルギーが働いたと考えます。ここでは、このエネルギーを便宜上、運命のエネルギーと呼ばせてもらいます。
というのは、恐るべき誤解です。サイコロを投げて1の目が出る確率は1/6というのは、数多く投げたとき1の目が出た割合が1/6に近づいていくということなんですが、この作者はいったいどう考えているんでしょう!?トンデモさんというのは、こういう突飛な発想を得てしてするものではありますが。
以前、ある作家さんが「宇宙人は地球を訪れているかいないかのどちらかだから、宇宙人が地球を訪れている確率は1/2だ」みたいな話を書いているのを読んで、ブッ飛んだことがあります。多分、この作家さんは「俺は明日生きているか生きていないかのどちらかだから、明日俺が死んでいる確率は1/2だ」とかいうんでしょうね。もし、この人の論法だと、「サイコロを投げたとき、1の目は出るか出ないかのどちらかだから、1の目が出る確率は1/2だ」となってしまいます。作家としての才能はともかく、確率の話は止めておいた方がいいんじゃないかなと心配になりました。
God Bless You !さん
はじめまして
お礼 蜂の巣のこと 投稿者:God Bless You ! 投稿日: 8月 8日(日)17時58分30秒
>こんなに、いろん人から避難されるとはおもいませんでした。(笑)
>神様の話は、この掲示板ではどうもご法度みたいですね。
別にご法度では無いと思いますよ。ただこの掲示板に参加している多くの方は創造論を信じて無いと思います。ですから、
>神様は人間に「似せて」動植物を作られましたので、
>だから、お互いに、関係を持てるのです。
>
>人間は、万物を治めなければなりませんので、万物を愛する責任があります。
等の創造論的な主張に対して「信じている」という立場で聞いている訳ではありません。ですから色々な疑問が湧いてくるわけで、それにたいして質問をなさっているだけだと思いますよ。
>自然淘汰を前提としていろいろ想像できるんですね。
>やはり想像するしかないですもんね。
神さまの存在を前提としていろいろ想像できるんですね。
やはり想像するしかないですもんね。
>ですから、犬や猫や動物が人間と同じような感情をもっていることもよ〜く知っています。
>しかし、あくまで「本能」なのです。
もしボクがあなたとしばらくお付き合いをして、そのあと、
「God Bless You!さん が人間と同じような感情をもっていることもよ〜く知っています。
しかし、あくまで「本能」なのです。」
といったとしたら、
あなたはあなたの感情が「本能」でないことを、どうして証明できます?
>ごきぶりは愛したくないなあ(涙)
我が家には、一匹もゴキブリはいませんが、私の顔を這っていったごきぶりがいます。
受験勉強中に居眠りしてしまい、何だか顔の上がベトベトする・・・・ごきぶりなのだ
起きろの催促でした。オヨヨ・・・
ゴキブリにも鑿の魂が、以前ごきぶりを慣らしていたのだ・・・
もちろん、「忠犬 ポチ公」「情だらけの猫」いたいた。
人間様よりも遠慮するし、思慮深い包容力のある犬でした。
猫は生まれたばかりの「ベビー」の遊び相手であったのです。・・・
私は基本的に(爆)(笑)このような表現をする人の血液型はB型と思う・・・・
ぬのぶくろとらやす=布袋寅奏が嫌いだ・・・ごきぶりよりも大嫌いだ
人類の敵なのだ。
大文字ナン様の>上から見下ろす視点の・・・・これも大嫌い・・・教授に多い・・
トトロさまは、間違ったらごめんなさい。
精神科のドクターでは、ありませんか?
海水でりんごを洗って食べるサルがいることは、有名ですよね・・・
霊長類研究所で調べてありますもんなあ・・・・
私の言いたい事は、何にもありませんが、クリスチャンが本当に自ら、「GOD」なんていうかしら・・・・・・
どうもありがとうございました。フアンですし、荒らしの対策係り。予防防疫係りでした・・・・・
> 工業暗化は進化でしょうか、それとも適応でしょうか?
遺伝子の構成になんらかの変化はあったかもしれませんが、体色の出現頻度の変化は可逆的だし、系統の分岐が起こったわけでも、「別種になった」といえるほどの形態変化が起こったわけでもないので、「進化の実例」というのは少し苦しいような気がしますが、「自然選択の実例」とはいえるでしょう。
とんからりんさん、はじめまして
>私は例えばスピロヘーターパリダを愛する人間を知りませんし、愛する責任があるといわれてもご免こうむります。他の人に対しても「責任がある」と言ったりしたら、「とんでもない」と笑われるのが落ちでしょう。
さすがにスピロヘーターは愛さないけど、子供の頃、ストレプトコッカス・ミュータンスのことは愛していましたよ。
当時の私は、口の中には、触角が生えて槍を持ち、意地悪そうな笑い方をする人間のような形をした小さな生物がすんでいると本気で信じていました。「さぁ、歯磨きをして虫歯ミュータンスをやっつけようっ!!」と笑顔で言ってのける保育園の先生や母親の残酷さに震撼したものでした。そして、「虫歯ミュータンスを殺すくらいなら、歯が痛いのくらい我慢する」と、悲壮な覚悟で断固歯磨きを拒否したのであった。
遅かったのか(^_^;
>人間は、万物を治めなければなりませんので、万物を愛する責任があります。
ゴキブリは愛したくないなあ(涙
# ただいま当家では撲滅作戦を実施中です。
To God Bless You ! さん
私が、
> 聖書の記述だと、人間を創ったのは最後では?
というツッコミをしたのは、God Bless You ! さんが最初にクリスチャンであると自己紹介なさっていたので、聖書の記述に反する書き方をするのってどうよ? というのが気になったからです。
あと、
> 自分の訊きたい事は訊くけど、そうでない話題は封殺ですか?
というツッコミをしたのは、私宛の返事で二度に渡って「この話はここまで」という態度をとられたので、一方的に自分は話をしたいけど相手の話を聞くつもりはないのだろうかと思ったからです。
あと、別に神についての話を禁じるとかそういう意図はありません。
ただ、進化論と創造論について語る以上、科学的な方法論を重んじることが要求されることが多々あります。
そして、単に「私は信じている」だけでは相手を納得させることは難しいことの方が多いです。
この世は仮の世様
どうも慰めのお言葉有難うございます。
大文字ナン様 どうも有難うございます。
あなたが久しぶりに投稿してくださり、ほっとしています。(笑)
自然淘汰を前提としていろいろ想像できるんですね。
やはり想像するしかないですもんね。
参考になりました。どうも有難うございます。 感謝
お店を閉めて帰ります。 また後日よろしくお願いします。
PS
神様のことを感じている方々のサイトがありました。
是非、皆様ご覧になってみて下さい。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/pisgah/myweb/clippings.htm
私は、彼等よりも、信仰に対して、より論理的なことは言えませんので・・・
God Bless You ! さん、HNから察するにクリスチャンの方ですか?
今お仕事中だなんて大変ですね。
この掲示板は結構活発なんですよね。
皆さん仕事の合間を利用して投稿したりしてるようです。
私もここの掲示板での議論はきりがなくて疲れます。
>人間は、万物を治めなければなりませんので、万物を愛する責任があります。
それが信条なのでしょうから、議論に持ち込もうとはしませんが、あくまで「世間話・雑談」として感想を述べるなら、私はそういう考え方がとても嫌いです。
万物に対して、人間は特別ではなく、対等なだけである。これが私の考え方というか、信条ですね。その中で、万物を愛したければ愛せばいいのですし、上から見下ろす視点に立つ必要や願いや望みが私にはありません。
そして進化論〜生物のお話ですが…
>ハチの巣をつくる方法を知っている遺伝子と、
>作ったハチの巣を、利用することを命令する遺伝子が、偶然同一個体に
>突然変異で発現したのか??という疑問です。
確かに、昆虫が人間のような知性を持って巣作りやその他の複雑・多岐にわたる活動を営んでいるとは考えにくい、と私も思います。しかしそれは、単に「ヒトの視点」でしかモノを考えられないから陥る誤謬かも知れませんね。
果たして、遺伝情報だけでハチやアリは複雑な巣作りを行い、社会活動に見える(観測される)生態を営んでいるのか、私は専門家ではありませんから、この問いに明確なお答えはできません。
しかし、考えることは出来ます。とにもかくも、いきなり複雑な巣や生態を得たわけではないだろう、ということです。
夏の日差しの下で、卵を育てるのは大変だったことでしょう。親が生存するだけでも、身の隠し場所を持つか・持たないか、では生存に「有利さと不利さ」が生まれたことでしょう。最初は単に、石の下や植物の葉の陰に卵を産んだり、隠れただけだったと思います。これは今でもそういう生態を持つアリやハチがいることから、十分に妥当な考え方だと思いますがいかがでしょう。
ここで、自然選択の考え方に立つと…この虫は「自ら望んで、工夫して」進化を遂げたのでしょうか?私は違うと思います。身を隠さないよりも隠した方が生き残りやすかったので、より高度な「棲家」を持つ個体群が繁栄したのでしょう。
進化、というものは体を複雑にしたり高機能にするだけではなく、その生態や生活様式にも及ぶものです。同じ本能でも、群れて生活する本能もあれば、単独で生活する本能もあることでしょう。そして群れ同士の間に、争いも起きます。より優位な群れは不利な群れを圧倒し、群れとしての「機能」を進化させます。なぜそんなことが起きるのか?というと、環境は有限の個体数しか維持出来ませんから、必然的に争いや競争が起き、有利/不利そして「中立」という選択が発生するのです。
より豊かな環境ではより高度な争いが起きると考えられます。要するに資源が豊富にありますから、豪華な巣を作る傾向の個体群が繁栄できるし、大きな巣を作るグループが生き残りやすくなります。最初は六角形ではなく、四角形の構造だったかも知れません。しかし幾何学的な帰結として、六角形の巣は安定しますから、何万回〜何億回の試行錯誤の果てに生まれた「より頑丈なトラス構造」は自然選択されて一気に広まります。
ここで言う環境とは、同属を強く意識しています。いわゆる「生存競争」ですが、競争が起きることによって複雑化や高度化の傾向は加速されます。しかしひとつひとつの「変異」はごくごく小さいもので、よほどつぶさに観察しなければその「有利さ」が目に見えないほどの変化だったことでしょう。
このような「漸進的な変異の累積」こそ進化論のキモなのです。
こんなに、いろん人から避難されるとはおもいませんでした。(笑)
神様の話は、この掲示板ではどうもご法度みたいですね。
正直、1つ1つレスするのが、疲れてきました。
信仰の話を「論理的に議論」するのは、無理ですもんねぇ。
PDX様が親切な方でよかったです。
どうも参考サイトをご紹介頂きまして、有難うございます。
それではまた。
どうもアドバイス有難うございます。
>>動物に人間と同じような「心」があるとは到底思えません。
>動物にも心はあるけど人間と動物の心は違うというなら、そうだと思います。
これを同じ意味だとどうぞ解釈して下さいませ。
心無い言葉だと思われたのなら、仕方のないことでございます。
進化論の知識だけに的を絞りたいので何卒、お許しを・・・
別に話題にしたくて、そう書いたのではありませんので・・・
話題にしたいのでしたら、どうぞ皆さんで話題にして議論して
盛り上げて下さいませ。
「聖書論」を論たいのかも知れませんが、別にそうしなくても、
それほど、ストレスは感じないでしょう?どうですか?
「聖書論」の話を、この掲示板でするつもりなんて、さらさらないんです。
ご容赦下さいませ。
明確な目的を持ってこの掲示板に「質問」をしている人だっているんです。
これ以上のことは要求せんといて下さい。
掲示板の題目の下に、
「なんでもご意見、ご感想、ご質問をどうぞ。進化論を否定するための主張も
別に書き込みを禁止していません」とありますでしょ??
私は、「ご質問」をしているだけなんです。
今現在、会社のお店でお客さんを待ちながら、レスしてますので、
それも「いいわけ」の一つになりますかね。
それでは、よろしくご諒承下さいませ。
蜂の進化について書かれた本だと、何か参考になることが書いてあるかもしれませんねぇ。
http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/20011008ii05.htm
ですとか。
もっともこの本は、蜂の社会性の進化についての本で、巣作りのことにはあまり触れていないかもしれませんが。
>神様は人間に「似せて」動植物を作られましたので
創世記にこんな事書いてあったかな?神に似せて人間をつくったとはあるけど、動植物が人間に似せてつくられたとは書いてなかったと思う。
>動物に人間と同じような「心」があるとは到底思えません。
動物と普段から接してる人からすれば、これは間違いではないかと思います。
動物にも心はあるけど人間と動物の心は違うというなら、そうだと思います。
>動物に人間と同じような「心」があるとは到底思えません。
まず動物と人間は同じような心を持っていると信じている人がいることを理解していますか?
あなたが思えなくても他の人は思えるんです。論理的な議論の掲示板なので思えませんは通用しません。
検証可能な証拠を元に意見を述べてください。
>お祈りする動物を私は見たことがありません。
ヒトが宗教を持つようになったのは比較的最近、せいぜい数万年と推定され、それ以前に宗教が存在した証拠は見つかっておりません。あなたは古代のヒトはヒトではなく他の動物だったと言うのですか?
それとも数十万年前あるいは数百万年前のヒトがお祈りをしたという検証可能な証拠を何かお持ちですか?
ヒトを宗教とはまったく隔絶した環境で育てればお祈りをしないヒトが誕生しそうに思えますが、どのような環境にあっても(お祈りという行為を知らなくても)ヒトはお祈りするのですか?
>人間は、万物を治めなければなりませんので、万物を愛する責任があります。
>万物は人間の愛する対象なんですよ。だから、関係を持てるんです。
私は例えばスピロヘーターパリダを愛する人間を知りませんし、愛する責任があるといわれてもご免こうむります。他の人に対しても「責任がある」と言ったりしたら、「とんでもない」と笑われるのが落ちでしょう。
空理屈と言われて腹がたつなら論理的な意見を述べたらどうですか?
To God Bless You! さん
>この件に関しては、これくらいにしておいてください。
>このことで議論するつもりは毛頭ありませんので。(笑)
自分の訊きたい事は訊くけど、そうでない話題は封殺ですか?
どうも度々有難うございます。
神様は1番創造したかったのは、愛する子女である「人間」なので、
神様の構想理想には、常に人間が最初からあったと思うんですよ。
だから、その人間に似せて、一つ一つ 小さなものから順番に創造していったので、
人間は、万物の霊長として主人になれるんだと信じています。はい。
信じているだけなので、もうこれ以上は何卒ご勘弁を・・・
このことで議論するつもりは毛頭ありませんので。(笑)
>知恵というような生まれてから獲得した能力は遺伝しないはずだから、
>もし六角形の巣を作るという能力が自然淘汰で進化したとしても、
>その巣の使い方というような「知恵」が自然淘汰で進化したはずがない、
>と言われているのかな?
ほとんど、その通りです。
ハチの巣をつくる方法を知っている遺伝子と、
作ったハチの巣を、利用することを命令する遺伝子が、偶然同一個体に
突然変異で発現したのか??という疑問です。
両親と一緒に3人で見に行ったが、しょうもない映画という感想で一致を見た。
映画を作る側からすれば違う感想もありだろうが・・・
私はこの映画のCMを見た瞬間見る気が失せたが、父が映画代を払ってくれるというので一緒に見に行ったわけだ。
映画の最初にナレーションが出てきてこれを見た瞬間「こりゃつまらん」という感想が出た。この感想は映画の終わりまで変わらなかった。
この映画を一言で言えば、SFの体裁を借りた格闘映画と言うことになる。
科学の発達したはずの世界で肉弾戦で銀河を支配してしまうという話だ。
とてもスターウォーズと対等に比べられるものでなかった。
格闘シーンに力を入れてるのはわかったが、スターウォーズと違う話にしようと無理してると感じた。
この次は両親と一緒に華氏911を見に行く。今はアメリカの世の中なのでアメリカのやることに反対するものはお取りつぶしになる世の中だ。私は別に金を払ってまで見る気にならないが、父が金を払うらしいので見に行く。
To God Bless You! さん
>神様は人間に「似せて」動植物を作られましたので、
>だから、お互いに、関係を持てるのです。
聖書の記述だと、人間を創ったのは最後では?
どうも有難うございました。
>要は、巣を作る性質を獲得する前に、巣(らしきもの)に
>卵を産む性質を獲得していたのではないか、
>というのが、前の投稿の内容です。
>だから、「本当に突然変異と自然淘汰で進化したんだったら、
>○○の進化を説明してみろ」っていう論法はあんまり意味が
>ないように思ういます。
なるほどそうなんですね。分かりました。
どうも有難うございます。
疑問が解けたわけじゃないですけど、
進化論者の方も想像するしかない部分なんですよね。
それでは、またお願いします。
動物に人間と同じような「心」があるとは到底思えません。
しかし、私の家族には、18年間生きた犬がいました。
マルチーズでした。皆泣きました。母親は、私よりも長く一緒に生活したので、
1番ショックでしばらく言葉もしゃねれなくなりました。
当然、立派なお墓もつくりました。
動物が、私は死ぬほど大好きです・・・
どれほど、鳥を何10羽と飼っていたことか?
ですから、犬や猫や動物が人間と同じような感情をもっていることもよ〜く知っています。
しかし、あくまで「本能」なのです。
神様は人間に「似せて」動植物を作られましたので、
だから、お互いに、関係を持てるのです。
人間は、万物を治めなければなりませんので、万物を愛する責任があります。
万物は人間の愛する対象なんですよ。だから、関係を持てるんです。
しかし、「知的なポチ」や「情的なミケ」を私は知りません。
お祈りする動物を私は見たことがありません。
私はお祈りしますが・・・
私は、生物学や進化論に対しては、ほとんど無知です。書いたとおりです。
皆様のような知識はおそらくはないでしょう・・・
ですからこそ、自分の疑問を投げかけることで、その答えを知って、
自分なりに、より「正確な進化論の考え方」を勉強したいだけんですよ。
それゆえ、敢えて、論客がそろっていると紹介されてこの掲示板を
利用させて頂いております。
1番最初にそのようにな「ご挨拶」をしてから投稿し始めております。
人間の心と、動物の心が同じかどうかは、次のステップで是非お願いします。
かなり高度な知識がいるんでしょうからね・・・
ですから、私の質問等が、空理屈だと思われているのでしたら、
回答していただく無くて結構です。
もし、回答してくださるのなら、私のレベルに降りてきてくださって
どうかお願い致します。 私よりも専門家なんでしょうからね。
「答えてみれるもんなら、答えてみろっ!!」みたいに、
人の無知さ加減を見下すような態度で揶揄するのではなくてね。
それは、私の願いにも反しますし、この掲示板の主旨にも反すると
思いますが・・・
「空理屈」という言葉は兎に角訂正願います。心外です。
これを訂正しない限り、貴殿とは一切議論しません。
それでは、失礼します。
要は、巣を作る性質を獲得する前に、巣(らしきもの)に卵を産む性質を獲得していたのではないか、というのが、前の投稿の内容です。
でもね、こういうのって私のようなその生物(今回の場合はハチ)の進化に詳しくない者の場合、「Just-So Story」つまり、「○○だったとさ」というこじつけ話を作ることしかできないんですよ。それに、逆にその生物の進化に詳しくなくても、想像力さえあったら、いくらでもお話をこじつけることが出来てしまうのです。
だから、「本当に突然変異と自然淘汰で進化したんだったら、○○の進化を説明してみろ」っていう論法はあんまり意味がないように思ういます。
>もし、偶然(偶然以外考えられませんが・・・)理解したとしても、その生前の智恵は、子孫に遺伝しない・・・・
と言われているところ見ると、、、
知恵というような生まれてから獲得した能力は遺伝しないはずだから、もし六角形の巣を作るという能力が自然淘汰で進化したとしても、その巣の使い方というような「知恵」が自然淘汰で進化したはずがない、と言われているのかな?
>突然、完全なハチの巣を作れるような変異体が現れたとは思えないんですよ。
そうダーウィンも言ってますね。
もしそのような例があったら、自分の説(つまり自然淘汰説)は破綻すると。
突然、複雑な器官が現れたというような例があったら、自然淘汰説は成り立たない。
>だとすると、そのような最初に現れた不完全なハチの巣をつくる最初のハチの先祖は、その不完全なハチの巣を、「どのようにして使用したらよいのか?」を知って、生まれてきたのか????
言っている意味が理解できないのですが、、、
どのように利用したらよいかを「知っている」ってどういう意味なんでしょう?
現在いるハチには、きれいな六角形の巣を作るアシナガバチのようなやつから、土瓶みたいな巣を作るやつとか、はては作らないやつとかいろいろいるようですが、彼らはどのように利用したら良いかを「知っている」と。しかし、アシナガバチの祖先で、きれいな六角形の巣をつくらないハチがいたとしても、そいつは「知っていないはずだ」ということなんですか?
それとも、きれいな六角形の巣ではなかったら、何の役にも立たないんだから、そんな巣なんて作っても子孫を増やすことにならないということなでしょうか?
>「ハチの話」だけに絞ってお願い致します。
God Bless You!さんは、ヒメバチとかコマユバチってご存知ですか?巣を作らずに、餌さとなる他の昆虫やクモなんかに卵を産みつける寄生蜂の仲間です。
また、ドロバチってご存知ですか?木の穴や竹筒などを利用して単純な巣を作るハチです。ドロバチの雌は巣に適した穴を見つけ、卵を産み、そこに幼虫のえさとなる芋虫とかを集め、泥で蓋や仕切りをします。
その他にも、いろんなハチがいます。現存するハチだけで考えても、すべてが綺麗な六角形の巣を作るわけではないのです。
私はハチの進化には全く詳しくありませんのであくまで想像に過ぎませんが、
1巣を作らず餌に直接卵を産みつけるハチから、
2卵を産みつけるための餌を捕食者に見つかりにくい穴などに運ぶ性質を獲得
3穴の先端に蓋をするなどの単純な加工をするようになる
4徐々に洗練された巣を作るように進化
5巣に卵を産みっぱなしにするのではなく、幼虫の世話をするようになる
6生まれた子供(雌)が新しい巣を作るのではなく、親の巣にいる幼虫を世話するようになる
と、いったような手順で今日のミツバチだとかスズメバチのような六角形の巣を作る社会性のハチは生じたんじゃないかなぁ?と想像します。
ハチの進化について本当になにも知らないので、「違うぞ!!」という場合はご指摘ください>詳しい方。
>基本的に、私は何度も書いてますが、有神論的進化論者なので、
>人間は、神様の愛する対象である子女(子供)だと思っております。
>特別な存在なのです。
有神論的進化論からは、ニンゲンが特別、という前提は論理的には導けにゃーぜ。
それは特定の宗教の立場だにゃ。
それになあ「ニンゲンのココロ」が進化論のイチバンオモシレーとこにゃんけどな。
(と、これは個にゃん的感想だけどにゃ)
>「心」があるかないかです。私は、霊的な体験を何度もしていますので、
>「心」というものが、永遠性をもっているということを
>感覚的に知っています。
犬にココロがあることは僕は感覚的・体験的に知っているにゃ。
同様に、霊長類学者はサルにココロがあると知っているだろうにゃ。
>だから、動物と人間が全然違う立場だということは、
>「私の中」では、当たり前のことなので、
>それに対してここの掲示板で議論するつもりは最初から無いんですよ。
>ごめんさいさいね。
それが空理屈なのよ。
チミ、捜索犬アリーにココロはあると思うの?ないと思うの?
根拠を出して論理的に述べてご覧?
>「空理屈」かどうかは、私が決めますので・・・
ちがうね。
都合のワリイ質問に答えることなしに、相手にばかり要求するのは空理屈の典型だにゃ。
重ねて聞くぜ。捜索犬アリーにココロはあると思う?
ハチの話に対してのレス 感謝です。
なるほど、やはり「自然淘汰」ですね。
私の疑問は、どんに適応するハチの先祖が、
現れても、兎に角「最初」は、ハチの巣を完全には作れなかったんではないか?
ということなんです。
突然、完全なハチの巣を作れるような変異体が現れたとは思えないんですよ。
だとすると、そのような最初に現れた不完全なハチの巣をつくる最初のハチの先祖は、
その不完全なハチの巣を、「どのようにして使用したらよいのか?」を知って、
生まれてきたのか????
ということなんですよ。
もし、不完全なハチの巣をどう使用したらよいのかわからないのなら、
作ったところで、役に立たないわけですから、それを以って
生存競争には勝てないんですよね・・・??
と言うか、もし、偶然(偶然以外考えられませんが・・・)理解したとしても、
その生前の智恵は、子孫に遺伝しない・・・・
その辺は、とう解釈するのか・・?何卒、よろしくお願いします。
何度も有難うございます。
>進化(自然淘汰)によってつくりあげられた
>心理的な基盤がなければ、倫理も道徳も受容
>ができにゃーといっているのだにゃ
済みませんが、「ハチの話」に対するレスだけでお願いします。
基本的に、私は何度も書いてますが、有神論的進化論者なので、
人間は、神様の愛する対象である子女(子供)だと思っております。
特別な存在なのです。
「心」があるかないかです。私は、霊的な体験を何度もしていますので、
「心」というものが、永遠性をもっているということを
感覚的に知っています。
だから、動物と人間が全然違う立場だということは、
「私の中」では、当たり前のことなので、
それに対してここの掲示板で議論するつもりは最初から無いんですよ。
ごめんさいさいね。
私は、ただ、進化論の私の疑問に対して、皆さんがどう
お答えされるのかを知って勉強しただけなんです。
それで、納得できれば、素直に納得します。
「進化」自体は否定してないんですからね・・・
「空理屈」かどうかは、私が決めますので・・・
私は、真面目に疑問を投げかけていると思います。
それでは、よろしくお願いします。
なぜあのようなきれいな六角形を作れるようになったのかというのを説明するのが自然淘汰説なんだから、こういう例をいくら出してきても、自然淘汰説の反論にならない。
逆に補強するだけのことです。
自然淘汰説に反論したいのなら、不完全な巣を作るハチというような例をあげるべきです。
きれいな六角形の巣は、強いし隙間も少なく効率的。そういう巣を作るハチは、作らないハチより生き残りやすい。よって、きれいな六角形の巣を作るようにハチは進化して行ったと自然淘汰説は説明する。
これに反論するには、不完全な巣を作るハチの方が自然界に増えていくような例をあげたらいい。
完全な形に近い巣を作る方が子孫を多く残すのに(つまり適応的なのに)、そのような巣ではない不完全な巣を作るハチが増えていくとしたら、それは自然淘汰説の反証になり得る(かもしれない)。
「お礼 (ぱ)様へ」の投稿で書いたとおりです。
訂正させていただかないといけないところは、
既に訂正させて頂きました。
「ハチの話」だけに絞ってお願い致します。
私も、かなり「進化論」に詳しくなってきました。うれしいです(笑)
>「進化論」のお話だけでお願いします。
チミには最初から進化論の話しかしてにゃーよ。
>私は、動物のそういう美しい行為は、神様が与えた
>「本能」だと思っております。
>人間における「主体的な責任心情」とは根本的に違うと
>思っております。
「思う」のはもちろんチミの勝手だにゃ。
僕の言っているのは、「ニンゲンにおける主体的な責任心情」の基盤は進化(自然淘汰)によって形成されたのであり、動物とニンゲンはその「倫理性」においても連続しているということにゃんよ。
ニンゲンが特異な動物であることについては、僕も異論はにゃーのさ。ただ、進化(自然淘汰)によってつくりあげられた心理的な基盤がなければ、倫理も道徳も受容ができにゃーといっているのだにゃ。例えば、ニンゲンの親の子に対する主体的責任というのは、ほ乳類の親の子に対する感情を基盤としている、とかいうアタリマエなことをいっているだけなのだにゃ。
チミはね、「ニンゲンは特別」が前提になっているのだにゃ。
それで進化論が理解できにゃーので空理屈をこねるはめになるのだにゃ。
ニンゲンとサルは一見すると断絶しているように見えるかもしれにゃー。
しかし、距離は確かにあるかもしれにゃーが、地続きには違いにゃーのさ。
韓国とスペインって地続きなんだぜ?
空理屈はいいからさ、捜索犬アリーの行動をどう考えるの?
答えてご覧。
God Bless You!さん、はじめまして。横レス失礼いたします。
>自然淘汰は、ただ、もう既に突然変異してしまったものが、
生存競争にさらされて「ふるい」に掛けられる
・・・というだけのことでしょ?
その通りです。しかし、
>だから、新たな「蓄積」に何ら寄与してないわけです。
突然変異の時に、もう全てが決まってしまっている。
というのには同意できません。大部分の突然変異は有害なものなのだから、自然淘汰によるふるいがなければ、悪いものが蓄積する一方です。
悪いもの(生存に適さないもの)を取り去り、良いもの(生存に適したもの)のみを蓄積させる自然淘汰があるから、ほとんどの突然変異が有害でもよいものが生じうるのです。
>ましてや、せっかく「蓄積」しても、それを「蓄積」であると
認識・記憶できる「細胞」が偶然出来上がるはずがない!
そう私は信じています。
「細胞」が「蓄積」であると認識・記憶する必要がどこにあるのですか?私には、私の個々の細胞が自然淘汰による「進化」を「蓄積」であると認識・記憶しているようには見えないのですが、それでも私の細胞はそれなりによくやってくれていますよ。
>だから、たった1回の突然変異で、それまでの「蓄積」
がすべておじゃんになることだっていくらでもあったと
思うんですよ・・・過去何十億年間に・・・(笑)
致死突然変異などによってということでしたら、あったでしょうね。非常に頻繁に。だけど、そのおじゃんになった個体は周りの同種の個体との競争に負けて、子孫を残せません。そして、競争に勝って子孫を残した他の個体はおそらく、おじゃんになっていないので、大丈夫なのです。
突然変異だけだと、せっかく「蓄積」したものがたびたびおじゃんになるけど、そういう個体を(かなりの頻度で)取り除いてくれるのが、自然淘汰なのですよ。
>それでも、たまたま、蓄積した結果、人間になれたと
いうことなんでしょうか???どうなんでしょうか??
たまたま生じた突然変異のうち、生存繁殖に適したものが自然淘汰によって(たまたまではなく)蓄積した結果、人間が生じた。と、いうことだと思います。
>「生まれてくる前の生殖細胞自体」に対しては、
「自然淘汰」は別段何の直接的影響は与えないのでは・・・?
「生まれてくる前の生殖細胞にどんな突然変異が生じるか」には確かに与えませんね。だけど、誰が親になるか(誰の作った生殖細胞が次世代に受け継がれるか)には影響を与えますよ。
地下に眠るM 様 有難うございます。
>また、鳥類の卵をかえらせて餌をやる行動とか、
>ほ乳動物のほ乳行動とかは「責任」というコトバを
>つかっても差し支えがにゃーと僕は考えるにゃんが。
私は、動物のそういう美しい行為は、神様が与えた
「本能」だと思っております。
人間における「主体的な責任心情」とは根本的に違うと
思っております。
どうもすみません。私は、生物学に対して、ほとんど無知なので、
一度にお二人の論客をお相手に、真摯に議論でるとは
思っておりません。どうかご勘弁下さいませ。
「進化論」のお話だけでお願いします。
それでは、よろしくお願いします。
工業暗化は進化でしょうか、それとも適応でしょうか?
啓蒙書や進化論関係のサイト(創造論サイトを含む)で調べているのですが、両論入り乱れているように思えます。
私の読んでいる啓蒙書が古いのかもしれず、又、主義主張(信仰?)のための解説も多い
ので、今現在どちらが定説になっているのか分かりません。
私個人の意見としては適応に思えるのですが。
ご回答有難うございます。
主語は、ご承知のとおり「自然淘汰」です。
進化は、突然変異と自然淘汰との2組で1セットだということは
よ〜く分かっています。
何回も進化論の論客の方々に注意されましたからね。
私は、正直言って「進化論」に全然詳しくありませんが、
自然淘汰の役割は、
突然変異で蓄積された適応個体を、他の不利な個体を振り落とすことで、
生き残らせることだと認識していますが・・・?
「進化」という言葉に語弊があったようで、どうも済みませんね。
もう一度、繰り返しますが、
「生まれてくる前の生殖細胞自体」に対しては、
「自然淘汰」は別段何の直接的影響は与えないのでは・・・?
これを言いたいんですが・・・?
よろしくお願いします。
少しずつの変異なので、いきなり、元の木阿弥にはならないんですね?
なるほど。分かりました。
突然変異が少しずつであっても、兎に角、適応していれば、
遺伝子が「蓄積」という形で生き残っていくと・・・いうことですね。
そうでない不利などの道、滅びると・・・ 了解です。
ならば、「ハチの話」に対しては、どう思われますか??
(但、1回の突然変異で「蓄積」が全て「おじゃん」になるというのは、
訂正します。自然淘汰に反しますね。)
それでは、何卒よろしくお願いします。
再度引用します。
>自然淘汰は、ただ、もう既に突然変異してしまったものが、
>生存競争にさらされて「ふるい」に掛けられる
>・・・というだけのことでしょ?
>
>だから、新たな「蓄積」に何ら寄与してないわけです。
>突然変異の時に、もう全てが決まってしまっている。
『新たな「蓄積」に何ら寄与してないわけです』とありますが、この文の主語は何ですか?
私は「自然淘汰」だと解釈しました。だから「自然淘汰が新たな「蓄積」に何ら寄与してない」わけではない、ということを説明するために、『「ふるい」がなければ進化はあり得ないです』と書きました。
私の解釈が間違っていたというのであれば、『新たな「蓄積」に何ら寄与してないわけです』という文の主語が本当は何であったのか、教えてください。
>だから、その記憶しているDNAが突然変異で、
>今までの(たまたま)蓄積されてきた記憶が
>飛んでしまうことは無いのか?ということです。
人間が子どもを産んだら、原核生物が生まれてくる、ということがあり得るか? という疑問でしょうか?
>あり得るでしょ??
あるわけないでしょ。
DNAのコピーはそこそこ正確ですから、跳躍的な進化もない代わりに、「一気に戻る」こともそうそうないでしょう(戻るほうの形質は遺伝子のどっかに既に存在するから、過去にない形質と比べて発現しやすいということはあるかもしれないけど。詳しい人のツッコミきぼん)。
多少の「先祖がえり」なら発生し得るでしょうが、それはその個体だけのこと、その個体が現在の環境に適応していないのなら、淘汰されて終わりです。
フンコロガシはそこそこキレイな球を造るけど、それは転がすという行為からくる必然だにゃ。蜂の巣のハニカム構造も同じことだよ。
また、鳥類の卵をかえらせて餌をやる行動とか、ほ乳動物のほ乳行動とかは「責任」というコトバをつかっても差し支えがにゃーと僕は考えるにゃんが。
フロイトは、いわゆる「良心の声」を「超自我」としてモデル化したにゃ。精神分析学においては「神」はこの超自我となるわけにゃんね。仮にこの「超自我モデル」を認めるとするならば、その超自我を受容するための心理的基盤が先天的に存在すると考えることができますにゃ。
ぶっちゃけて言えば、神概念を受容する心理的基盤そのものが進化において形成されてきたということにゃんね。
(もちろん、この論理から「神はいない」を導くことはできにゃー)
ニンゲンがニンゲン中心主義であることは実に合理的だし、自然なことだと思うにゃ。
しかし、カガクちゅうのは人間中心主義ではにゃーのだね。その必要もにゃーし。
(技術は人間中心主義でなければ困ると思うけど)
(医学はカガクではなくて技術だと個にゃん的には思う)
投稿どうも有難うございます。
>、「ふるい」がなければ進化はあり得ないです。
だから〜、「進化したその結果」生まれてきた有利な又は不利な又は中立な
変異体達を「ふるい」に掛けてるだけでしょ?
っていってるんですけど・・・
「生まれてくる前の生殖細胞」に対しては、
「自然淘汰」は別段何の影響も与えない。
と言うことをいいたいんですが・・・
違うんでしょうか???
>いや、だからそれを記憶しているのがDNAなのであって、
だから、その記憶しているDNAが突然変異で、
今までの(たまたま)蓄積されてきた記憶が
飛んでしまうことは無いのか?ということです。
あり得るでしょ??
*********地下に眠るMさんへ*******************
アドバイス有難うございます。
かなり「擬人化」がすぎますが・・・
要は、動植物は、「責任」と取れるか・・・?とうことに
帰結します。「責任」と言う言葉が1番大事なんです。
人間にとってね。これはまた別の機会に話します。
取り急ぎお礼まで。
************************************
私は、あの六角形のハチの巣を考えると
不思議で成らないでんすね・・・
ハチが巣を作れるようになるまで突然変異で進化し
たというのは、どうも合点がいきません。
的を射てないように思えます。
最初は、少しだけハチの巣みたいなものを作った今
のハチの先祖がたまたま現れたとします。地球上に
初めてです。
しかし、そのような不完全な巣を作ったところで、
それをどうしたらよいのか、ハチが偶然理解するこ
とがあり得るでしょうか?
もし、偶然理解できたとして、卵を生みつけたとし
ても、不完全な巣なので、十分な数の卵は、収納さ
れずに、ほとんどが、表にあふれ出てしまい、鳥や
虫達の格好の餌食となったはずでしょうから、生存
競争に負けてしまうでしょう・・・
もし、たまたま生存競争がそれほど過当でなく、生
き残ったとして、もう少し、立派なハチの巣を作れ
る変異体が偶然現れたとしても、その変異体は、そ
のハチの巣をどう使うは、知らないはずです。
なぜなら、ハチの先祖が、地球上で初めて「ハチの
巣」みたいなものをたまたま作っても、それをどう
使うのかまでは、生殖細胞の遺伝子の中にはなかっ
たはずなので、それをどう使用したら良いか生前偶
然理解した先祖がいても、その智恵は子孫には遺伝
しないからです。
だから、また、「元の木阿弥」なんです。
より立派なハチの巣を作れた子孫が、もう一度、偶
然それをどう使用したら良いのか、理解しないとい
けないんです。生前理解してもまた子孫には、
その智恵は遺伝しません。
地球上で初めてハチの巣みたいなものを少しだけ、
たまたま作れるようになったハチの突然変異遺伝子
の中に、一緒に、その不完全な巣をどう使用したら
よいのかという方法・目的まで教えてくれている遺
伝子が、偶然一緒に入りこむ余地はないと思われる
からなんです・・・
そして、また、せっかくハチの巣をかなり完全な形
でつくれたハチにまで「蓄積」が進んでも、また、
たった1回の突然変異で、すべてがおじゃんになる
可能性もいくらだってあるんです。35億年もの間
には・・・・
こんなことを35億年間近くも単純にただ漠然と繰
り返していて、果たして、ハチがあの六角形の見事
な巣を完成させて、しかも、女王バチを中心とした
社会生活を営めるような優秀な昆虫になれるとは到
底思えませんが・・・
蜘蛛の巣も不思議なんですよ、またこれが・・・
引用した霊長類学者ドゥ・ヴァールについて、道徳哲学者の内井惣七が触れている論文がネットにあった(よくまとまった論文だと思いますにゃ。オススメ)ので、リンクして一部を引用するにゃー
**********************************************
しかし、すでに触れたように、動物行動学あるいは生態学の最近の研究が、ダーウィンの路線をこの点で具体的に支持している。オランダ出身のすぐれた霊長類学者 de Waal の最近の著書(1996、邦訳1998)は、道徳の素材となるような能力や心性がほかの動物にも見られること、あるいは霊長類には萌芽的な道徳さえ見られることを豊富な実例で裏づけている。これは、まさにダーウィンの路線の継承と発展にほかならない(その手短な紹介は、内井1997を参照)。わたしに言わせれば、道徳能力の記述における還元主義はこのように強化されているのである。
念のために、 de Waal が道徳性の基盤となる性質として枚挙するものを紹介してみよう。彼によれば、「人間の道徳性は、他の種にも見られる次のような傾向性や能力を抜きにしては考えることがむずかしい」(de Waal 1996, 211)。
共感と関連した特徴
*
愛着、援助、感情の伝染
*
学習によって、能力に障害がある者あるいは傷ついた者に対して順応し 特別な取り扱いをすること
*
心の中で他者と立場を入れ替える能力、認知的感情移入
規範と関連した特徴
*
*
相互性
*
*
協調
*
*
*
de Waal は以上のリストを人間の観察から引き出したのではない。彼が観察の対象としたのは主として霊長類、チンパンジー、ボノボ(ピグミー・チンパンジー)、ヒヒ、アカゲザル、ベニガオザル、オマキザルなどである。もちろん、 de Waal によるこういった記述は「擬人化」がすぎるという批判は可能かもしれない。しかし、チンパンジーなどの観察にある程度通じた人に尋ねてみれば、返ってくる答えは一貫して、「彼らはほとんど人間と同じですよ!」というものである。しかも、「擬人化」した記述を使おうが、もっと無味乾燥な「行動主義的」記述を使おうが、見えてくるのは、(ときにはミッシング・リンクを挟んで)わずかずつの違いでつながる類似性の連続的なスペクトラムがあり、どこかで鋭く切り離すことはむずかしいという事実である(内井1998a、10節も参照 )。相互利他性の行動戦略と、道徳感情の構成要素となり得るような種々の感情とのつながりは、人間以外の事例によっても強力に示唆されている。
*****************************************
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~suchii/evol.ethics.html
>要は、より単純な原核生物が、偶発的な突然変異の
>「蓄積」だけで、人間にまでなれるのか??
>というのが、ちょっと信じられないだけなんですよねぇ。
この気持ちはわからなくもないですが。
ただ、数十億年にわたって起きる世代交代の数も、私にとっては十分「感覚の外」ですので、「感覚的に信じられない」というのが進化論否定の理由にはならないと思っています。
>自然淘汰は、ただ、もう既に突然変異してしまったものが、
>生存競争にさらされて「ふるい」に掛けられる
>・・・というだけのことでしょ?
>
>だから、新たな「蓄積」に何ら寄与してないわけです。
>突然変異の時に、もう全てが決まってしまっている。
これは明らかにおかしいでしょう。
よく進化論に反対する人達が言うように、突然変異の大多数は生存に対して不利なものです。よって、「ふるい」がなければ進化はあり得ないです。
ところでもし突然変異が「神の愛」によるものだとすれば、なにせ大半の突然変異は生存に不利なものですから、神様というのはずいぶん残酷なヤツだ、ってことになりませんかね? サドかしら。
>ましてや、せっかく「蓄積」しても、それを「蓄積」であると
>認識・記憶できる「細胞」が偶然出来上がるはずがない!
いや、だからそれを記憶しているのがDNAなのであって、(生殖細胞の)DNAに伝わらないような変異は遺伝しない、ということこそが「獲得形質は遺伝しない」ということです。
>野生動物の行動とかを見ていると、とてもではないけど人間的な意味での倫理とか導き出せないという事実は、かつての自然神学者達を悩ませたわけで……。(ぱらどくす)
それさー、ニンゲン中心主義にそまりまくっていて動物の行動を見ているつもりでゼンゼン見ていなかったからでにゃーのかな? 例えば、今西っていろいろと言われているけど、その動物の観察の方法論に残した足跡の偉大さは否定できにゃーわけだ。ニホンザルの観察において、個体を識別し名前をつけるという、今では基本中の基本の方法論でさえ、当時の欧米の学者の多くは理解できなかったんだよにゃ。いわく「動物の個体を識別できるはずがない」、いわく「動物には個性などない」、とか思っていたみたいね。あいつらさ、動物には個性なんてにゃーって最初から決めてかかっていたのだにゃ。動物の行動なんてわかるわけにゃーよな。
ちゅうわけで、God Bless You!の
「動植物には、「文明」というものがあり得ません。倫理もありません。善も悪もありません。」
とかいう発言は、逆立ちしたニンゲン中心主義にゃんね。
ニンゲンと動物の違いは、本質的には量的なものだにゃ。
(無論、量は質に転換するけれども)
************************************
1985年のメキシコ地震の時、ジャーマンシェパードのアリーは、いくら捜索しても出てくるのは死体ばかりで、生存者はいないことにはっきり反応していた。がれきの中に生命の徴候を嗅ぎあてると喜びと興奮を全身で表すのに、死者しか出てこないときにはがっくりと落ち込むのだ。へバードの言葉を借りるなら、人間を友だちと思っているアリーは、こんなたくさん友だちが死んでいることに耐えられないのである。
「アリーはおいしいごほうびがほしくてたまらなかったし、キャロライン(捜索犬訓練のパイオニアのような人、引用者注)も喜ばせたかった。でも生きている人間を見つけたという確信がないかぎり、アリーはごほうびをもらうことを自分に許さなかった。どっちつかずの状況では、論理は通用しないのである」
ここでいわれている論理とは、救助の見返りはごほうびがすべてであり、訓練された犬が犠牲者の状態を気にかけるはずがないということだ。しかし救助隊の犬たちは例外なく落ち込んだ。必要な休憩時間がしだいに長くなり、仕事への意欲が目に見えてなくなった。
数日もすると、アリーはもう耐えられなくなったらしい。大きな茶色の瞳に悲しみをたたえ、ヘパードが連れていこうとしてもベッドの横に隠れたままだった。餌にもまったく口をつけなくなった。ほかの救助犬も、みんな食欲が失せた。
救助犬にふたたび動機づけをするためにとられた解決策は、犬たちが求めていたものが何だったのか教えてくれる。メキシコ人獣医が生存者役を買って出てがれきの下に隠れ、犬たちに彼を発見させたのだ。1匹ずつ現場に連れてこられた犬たちは、、獣医師の匂いを嗅ぎつけると大喜びで吠え、彼を「救出」した。この実習で気持ちも新たになった犬たちは、ふたたび仕事にもどることができた。
(「サルとすし職人」ドゥ・ヴァール著 P306)
************************************
個体の識別と長期の記憶ができる程度の脳を持ちあわせた群れ生活をする動物ならば、互恵的な関係が発達することが適応にとって有利であることは、いわゆる「進化ゲーム理論」で理論的には立証されているといってよいと思いますにゃ。
救助犬アリーは、ニンゲン的な尺度からみて「倫理的」な存在であるといってよいのではにゃーかと僕は考えますにゃ。
札幌にもやっと夏がやってきました。
それ自体はうれしいんだけど、なんとなく夏ばて気味なのにゃ。
駅ビルに映画を観に行った。
席の予約をしたあと待ち時間に、同じビル内の飲食店でオムライスを食べたのだが、途中で気分が悪くなって、半分も食べ切れなかったのだ。この前、違うお店でオムライスを食べた時にも気分が悪くなって残してしまった。もしかして、本当に卵は一日一個までしか食べられない体質になってしまったのだろうか?!恐るべし、たまご(^-^)ノ教。
んでもって、観にいった映画というのは「スチームボーイ」。この世は仮の世さんが絶賛していたので、なんとなく観てみたくなったのだ。
なにげに面白かったですよ。「科学技術がお金儲けや権力を得る手段に使われ、それが戦争を生み・・・」みたいなことも描いている割には、楽観的というか、あっけらかんと言うか、説教臭さや悲壮感がないところが好感が持てました(w
あとは、絵がよかった。
原子力エネルギーを知っている現代人にとっては、スチームボールの生み出す莫大なエネルギーも、その脅威に世界が震撼するはずのスチーム城とやらもはっきり言ってしょぼいです。が、大きい歯車やシリンダーを見ているだけでわくわくし、蒸気機関車の無意味なパワフルさに興奮する、私のような頭の悪い人間にはお薦めの映画です。ぜひお試しあれ。
ヒロイン(?)がなぜか、スカーレット=オハラという名前です&彼女のキャラがなかなかによいです。比べたら、主人公がくすんで見えました。
おもいっきり話しが変わって大文字ナンさんへ、
>まぁ、仮にゼロが600万個つく、としましょう。しかしその可能性は「ひとつの生殖細胞において」なのでしょうか、あるいは、「自然界のあらゆる複製過程において」なのでしょうか?これはとても大事なポイントです。
もしも分母が本当に10の600万乗なんだったら、分子にどっちを持ってきても同じだと思うよ。「全宇宙の原子の総数(個)×現時点の宇宙の年齢(秒)」でも10の100乗に届かない程度だろうから。
有利な突然変異が起こる確率ではなく、一回の突然変異でヒトが生じる確率とかなんではなんでしょうね。たぶん。
PDX様 有難うございます。
あくまでそれは「余談」なので、恐れ入りますが、詳しいお返事はご勘弁下さいね。
野生動物は、いわゆる「自己中心的」な悪なる欲望というものは、ありません。
ましては、動物は、知・情・意という価値追求欲はありませんので、
真・美・善の価値を実現しようとはしません。だから、動植物には、「文明」というものが
あり得ません。倫理もありません。善も悪もありません。
ライオンは、お腹が一杯になれば、シマウマが近くを歩いていても、襲わないそうです。
動物には、人間のような自己中心的な過分な欲望はありません。
人間だけが、堕落したのです。万物を治めなければならない立場にあるべき人間が、
堕落して地上地獄を作ってしまいました。
それは、自己中心的な悪なる欲望からです。
自然界は、食物連鎖を中心とする共生の原理で成り立っていますが、堕落した我々
人間は、悲しいかな偽りの利己的な愛を中心として、競争原理によって、
奪い合いの社会を形成しています・・・
倫理がないのは、むしろ人間のほうなのです。
だからこそ、宗教や倫理が必要になったのです。
この件に関しては、これくらいにしておいてください。
それでは、失礼します。
To God Bless You!さん
>なぜなら、そこに「神様の真の愛」という概念を導入することが
>可能だと思うからなんです・・・私は、これが人類が平和になる為の
>キーワードだと思っているんですね。(余談でした。)
野生動物の行動とかを見ていると、とてもではないけど人間的な意味での倫理とか導き出せないという事実は、かつての自然神学者達を悩ませたわけで……。
どうも有難うございます。
大文字ナン様のお話はとても良くわかりますし、
ご尤もだと思います。科学的であることの
本来あるべき姿というものを、文科系の小生に
教えていただき、大変感謝しております。
良く理解できます。
要は、より単純な原核生物が、偶発的な突然変異の
「蓄積」だけで、人間にまでなれるのか??
というのが、ちょっと信じられないだけなんですよねぇ。
有神論的進化論者なので、「進化」自体は
私にとっても、ダイナミックな現象でありエキサイティングだ、
と思うのです。
ただ、私は、これがもし、神様の御業なら、もっと
素晴らしくエキサイティングなことだと感じているだけなんですよ。
なぜなら、そこに「神様の真の愛」という概念を導入することが
可能だと思うからなんです・・・私は、これが人類が平和になる為の
キーワードだと思っているんですね。(余談でした。)
法則性が、偶然にできるということだけは、
ちょっと賛同しかねますが・・・
兎に角は、「突然変異の単なる蓄積」だけで、個体が、無意識的に
「より新しい秩序ある複雑な機能」を獲得していけるのか?
これだけなんですよっ!!私の疑問は・・・(笑)
自然淘汰は、ただ、もう既に突然変異してしまったものが、
生存競争にさらされて「ふるい」に掛けられる
・・・というだけのことでしょ?
だから、新たな「蓄積」に何ら寄与してないわけです。
突然変異の時に、もう全てが決まってしまっている。
進化したその「結果」だけが、「ふるい」に掛けられる
ので、生殖細胞の進化自体には、何ら自然淘汰は、寄与
しない。と思います。獲得形質も生殖細胞には
遺伝しないそうですし・・・
ましてや、せっかく「蓄積」しても、それを「蓄積」であると
認識・記憶できる「細胞」が偶然出来上がるはずがない!
そう私は信じています。
「必要は発明の母」ですが、ダーウィンの進化論には、
そんなことはどうでも良いはずですからね。
だから、たった1回の突然変異で、それまでの「蓄積」
がすべておじゃんになることだっていくらでもあったと
思うんですよ・・・過去何十億年間に・・・(笑)
サルにアルファベット26文字のカードを与えて、
「偶発的」に、「I LOVE SUN 」という文章が出来ても、
また、それを壊してしまうでしょ?どうせ。
サルは、それが「文章」だと認識できないんですから。
それと同じだと思うんですよね。
そんなことを35億年?も繰り返していたら、
人間がたまたま出来ちゃった??
なんてことを考えることは私にはちょっと無理なんです・・・
突然変異も自然淘汰も、「蓄積」なんてことはお構いなしです。
「蓄積」という言葉には、どうも人間の期待が
込められてしまっているように思えてなりません。
それでも、たまたま、蓄積した結果、人間になれたと
いうことなんでしょうか???どうなんでしょうか??
http://members.at.infoseek.co.jp/micah/sinkano.htm
「生命が偶然に生じるという可能性は、印刷所で爆発の結果、
国語辞書が生じる。という可能性に比べられる。」
(プリンストン大学エドウィン・コンクリン生活学教授)
私は、この人が言っていることの方が、人間の理性に
適っていると信じたいんですよね・・・
ところで、自然界で偶発的に起こり得る
「突然変異」の原因は「放射能と化学物質」だけだ。と
いうような内容が上記のサイトに書かれてましたが、
本当なんでしょうか?
それでは、失礼致しました。
>「自然淘汰・自然選択」を中心として、何か「変異体」と「自然界」とが
>関係しあっているようには思えないんですね。
「有利な突然変異」、といっても、それは一遍に「ナニモノかがデザインしたかのように」現れるものではありません。つまり、いきなり「激しく有利な個体」が生まれる、という考え方に進化論は立脚していません。
原始の大気は今よりずっと酸素濃度の薄いものでした。それが植物の大繁殖によって今の組成へと(地質学的に見れば)急激に変わっていきます。それは他の生物たちにとって致命的といえる環境淘汰圧力だったことでしょう。
この激変が、もしもほんの少し大きな加速度をもっていたのならば、現存するあらゆる「動物類」はこのときに絶滅してしまい、地球には植物だけしか生き残らなかったかもしれない、と私は思います。
酸素を代謝する能力を獲得するまでの間、数千万年〜数億年という時間のオーダーで「川原に石を積むような」地道で消極的で受動的な「累積進化」が起きていたのでしょう。しかしそれも、血液という巧妙なシステムの構築により進展を見せます。このような環境と生物の「相互作用」が「理論というほどのものもない主観的信条」だ、とGod Bless You!さんが捉えるのでしたら、それは仕方がないことかも知れません。しかし、少なくとも私には、こんなにダイナミックな現象について考えることはエキサイティングだ、と思うのです。
>そういう「選択」とでも言えるようなことが偶然、自然界で起こっているだけであって、
まさに、それが「自然選択」です。
自然選択をもたらしたのはきっと、偶然なのでしょう。しかし、その偶然には法則性があります。重力に定数があり、光速度は一定で、水素分子2と酸素分子1が合わさって水を作ることも偶然でしょう。この宇宙に炭素があふれ、有機高分子を形成しやすい条件が与えられたことも、恐らく偶然でしょう。ただし、これらすべてに法則性があります。それを探り出すのが科学の営みなのです。
>ならば、どうして、進化論は立証されずに、仮説のままなのでしょうか??
「現段階において、もっとも様々な証拠と適合している」という意味で、進化論は立証された「ほとんど揺ぎ無い科学理論」であり、突然変異と自然選択、あるいは累積的(漸進的)進化という考え方は、とても広範囲な科学のフィールドにおいて研究の進展を助けています。
しかし一方で、新たな見たこともない証拠によって、進化論はいつ覆されるとも限りません。これは進化論に限らず、あらゆる科学理論について言えることですし、このような「反証性」を却下する主張は科学と見なすことが出来ません。
>また、「進化そのものは観察できる事実」なのに、どうして、
>「検証不可能」だとお思いなのでしょうか??
科学理論を検証する際に重視されるもう一方の重要事項に「再現性」があります。しかし、人類に与えられた短すぎる時間で、地球進化の再現は不可能だと思えませんでしょうか。また、進化の根底には「偶然」がありますから、地球とほとんど同じ初期条件の惑星で時間を1万倍や1億倍にしてシミュレートしたとしても、私たちと同じ人間がいつしか生まれるとは限りません。
このような意味において、進化論には「検証不可能性」がどうしても内在してしまいます。しかし一方、多くの動物細胞の中に刻み込まれたRNAウィルスの遺伝情報や、さまざまな遺伝変異、穀物や家畜の人為淘汰などを通じて進化は検証され続けています。
太陽の中で何が起きているのかを調べるには、太陽の中に「入ってみれば」良いのでしょうが、到底そんなことは(今のところ)出来そうにありません。そこで仕方なく数学モデルを組み立て、恒星内部の核融合反応について「予測」を行い、これが実際の太陽観測と一致するかどうか?を調べるわけです。これが一致しなければ、その理論と数式は間違っていることになります。進化論もこれと同じことです。
> 立証したいはずの仮説の方を帰無仮説にしちゃっている
落ち着いて考えたら、これは正しくありませんね。ごめんなさい。
「帰無仮説が棄却できないから、帰無仮説自体が正しい」という論法かと勘違いしましたが、単にちゃんとした検定をしていないだけですね。
> どうも私は、科学的な学説に対する接し方・マナーが、悪いみたいですね。
私は少なくともそのように感じてはおりませんでした。God Bless You!様が提示した疑問点や考え方は、よくある誤解の類であると私は考えています。また、ご自分の疑問点を明白にすることはマナー違反ではありません。
> どうも進化論が「仮説」であることと、「立証」されている
> ということが同時にあり得ることが理解できないのですが、
> まぁ、もう少しいろいろ自分で勉強してからにします・・・
説明が下手で申し訳ありません。もう少し上手に説明できれば良かったのですが。
科学上の議論では全ての説を「仮説」として扱います。どんなに絶対的に正しいようにみられる説でもひょっとしたら、反証されてしまうかも知れないからです。
例えば、ニュートンが唱えた運動の法則は、長らく絶対の真理であると考えられましたが、アインシュタインの相対性理論が提唱され、実証されてからは、速度が光速に比べて非常に低い場合に近似的に成立する法則である(つまり誤り)ことが判明しました。
科学の世界に絶対はありえません。全ての理論が絶対正しいという評価と、誤りであるという評価の中間で漂っているのです。より正しいと評価されるには、沢山の証拠を集めねばなりませんが、反証1つで誤りと評価される世界でもあるのです。
だから、進化論でも、アインシュタインの相対性理論でも、全て「仮説」です。でもこれらの理論には沢山の証拠があって、反証は可能であるけれども反証されていません。だから「仮説」であっても「より確からしい(信頼のおける)仮説」として扱われます。
「立証」は「仮説」に対して証拠があり、その証拠と仮説が示す理論が矛盾していないということを示すプロセスです。「立証」によって「仮説」はより正しいという見地を得ますが、どんなに沢山の「立証」を行っても「仮説」は絶対に正しいという結論には至りません。
勉強なさって、尚、疑問が御座いましたらまたこの掲示板で質問なさってください。きっとどなたかがお答えを示していただけるでしょう。
ありがとうございました。
どうも私は、科学的な学説に対する接し方・マナーが、悪いみたいですね。
無知から来るんでしょうが・・??
どうもご造作をおかけ致しました。
どうも進化論が「仮説」であることと、「立証」されている
ということが同時にあり得ることが理解できないのですが、
まぁ、もう少しいろいろ自分で勉強してからにします・・・
どうも済みませんでした。有難うございました。
God Bless You!
今後ともよろしくお願いします。
>>「種の分化」に対しては、現在の進化プロセスで説明できますし、
>> 進化そのものは観察できる事実です。
>
> ならば、どうして、進化論は立証されずに、仮説のままなのでしょうか??
立証されていないとお考えですか?こんなたとえ話は如何でしょうか。
赤いピンポン玉と白いピンポン玉が入っているとされているみかん箱くらいの箱があります。貴方は箱の中身を見ることはできませんが、ピンポン玉を1つだけ取り出して観察することが出来ます。取り出したピンポン玉は必ず箱に戻さないと次の玉を取り出すことができません。
貴方は1万回位、玉を取り出して観察し、記録をつけました。その結果、取り出した玉は全て白い玉で赤い玉は1回も取り出されることはありませんでした。
そこで貴方はこの箱に入っているのは全て白い玉だという仮説を立てます。箱には精々千個程度の玉しか入りません。貴方の仮説が絶対に正しいと証明するにはあと何回、観察を続ければ良いのでしょうか。
もし、1億回観察しても1億と1回目に赤い玉の出る確率は決してゼロではありません。何回、観測を続けようと、赤玉が出る確率がゼロになることは無いのです。従っていくら観察を続けようと貴方の仮説はいつまでも仮説のままです。
進化論は科学の学説です。そのために常に反証の可能性を持ちます。反証の可能性を持つということは反証される可能性がゼロではないということであり、このため、どのように証拠を集めようと永遠に仮説であり続けるのです。
でも、沢山の証拠に支えられた理論は簡単には反証されません。故にそのようなレベルに至った理論を人は真理と考えてしまいがちです。でも科学者は常に反証の可能性を考慮しているので、ある理論を真理と言うことはありません。
>> 確かに「進化=突然変異」という主張を検証することは非常に難しく、
>> 私は不可能だと考えています。
>
> ということは、進化論という理論は、ずっと
> 「仮説」でしかない理論のままなのでしょうか?
>
> また、「進化そのものは観察できる事実」なのに、どうして、
> 「検証不可能」だとお思いなのでしょうか??
すみません。私の説明が悪かったようです。私のこれまでの説明を読んでいただければわかると思うのですが、進化論では突然変異と自然選択のペアで進化という現象を説明しています。
だから「進化=突然変異」と主張した場合には自然選択の概念が無いため、進化という現象を説明できない。故に検証が不可能と言ったのです。
私が自然界に現存する眼を長々と記したのは、非常に原始的な眼から複雑な眼まで、色々な段階の眼が現存しているといううことを示したかったからです。動物学者であれば、帆立貝から人までの間を埋めて説明してくれるでしょう。それぞれの眼が今も残っているということは、それらの眼を持つ生物にとっては、その程度の眼で十分に役に立っているからですが、人が、それぞれの生物と先祖を共有していた時代には、私が説明した目よりもより単純な構造の眼を持っていたということ言いたかったからです。
より単純な構造の眼からより高機能で複雑な構造の眼への変化は、何億年もかけてごく僅かづつ永続的に変化してきたからもたらされたものです。
散らばった感光細胞が集まって網膜を作るという進化も、1回の突然変異で生じたとは考えていません。突然変異によって体中に散らばっている感光細胞にわずかな偏りのあるクラゲが生まれたとしましょう。偏りによって特定の方向の光をより感じやすくなり、彼は、その僅かな偏りによって他の仲間より一寸だけ生存に有利になりました。「自然淘汰」により、何世代か何十世代後には彼の特徴を持つクラゲが主流になるでしょう。これが繰り返されることで、感光細胞が集団化したクラゲが登場し、次の眼のステップに移っていくのです。
「感光細胞にわずかな偏り」というのは100円玉です。わずかな変化に過ぎず、その程度の変化は、人の背の高さのばらつきと同じく、いつでも観察される現象です。でも「自然淘汰」がこの100円玉を貯金してくれます。十分な貯金期間があれば望むだけの現金(高機能な器菅)を得ることができるのです。
とりあえず、私の出来る範囲で、説明を試みてみました。色々と不備があり、突っ込みどころ満載であることは私自身、自覚しています。もし、God Bless You!様がより突っ込んだ説明を欲するのでしたら、このメインページにある参考図書を読まれることをお勧めします。私よりも遥かに良い説明がなされています。
> そうなっていった事実を、進化論で説明する義務はないということでしょうか?
> 進化論は、それを説明しない。ということでしょうか?
> 全て「適応」と言えば、科学者も皆、納得して片付けてしまえるものなんでしょうか??
以上の問いについて、眼という器官の出現が突然変異と自然選択で成し遂げられていると考えられる理由を説明しました。進化論では全て「適応」だけで説明を行っているわけではありません。非適応的な進化現象も観察されており、それらについての理論も沢山あります。
To てGod Bless You!様
> 繰り返しになりますが、そのような消極的な「自然淘汰」というシステムが、
> 「適応」という言葉で片付けてしまえないほどの高度な機能を持つ個体へと
> 必然的に導いた・・・? とは到底信じられないんですが・・・
では、私からの質問ですが、現生の生物で、どういう機能が”高度な機能”だとお考えですか?
> 結果的に、ただ、繁殖力の有利な変異が生き残り、その繰り返しだけのような
> 気がするので、自然界が、何か、変異体に主体的に特別に働きかけているようには
> 到底思えないんです・・・?
「自然淘汰」という現象は、より環境に適した特徴を持つ個体が生物群の主たる構成要素となることです。この点に関してGod Bless You!様は正しく認識されているように私には思えます。ただ、淘汰が結果として複雑な器官の出現を成し遂げるという点がご理解いただけていないように私には思えます。
だから、私は眼という器官について記そうと思います。眼はダーウインも言及しているし、それなりに複雑な動作を行う器官なので”高度な機能”というリクエストにもお答えできると考えます。
まず、自然界に現存する眼を探して見ましょう。最も単純な眼は、ミドリムシなどの単細胞生物に見られる眼点という細胞内小器官です。この眼は単に光があるか、無いかしか感知できません。ミドリムシは光を感知すると活発に運動し、水面近くに浮かび上がって光合成を行います。光が無いときには不活発になり無駄なエネルギの消耗を防ぎます。
次に単純な眼はクラゲの1種が持つ眼です。タコクラゲは、傘の部分に光を検出する細胞が散らばっています。この細胞が光を検出すると、傘の部分の筋肉につながっている神経を刺激し、結果として傘を収縮させます。タコクラゲは水中を浮遊して生活していますが、藻類と共生関係にあり、この眼をつかって光の当たるところに移動し、共生する藻類に光合成を行わせることで利益を得ています。
次に、環状動物(ミミズなどの仲間)の眼を見てみましょう。この仲間の眼には、光を検出する細胞が寄り集まって眼を構成しているものがあります。感光細胞が集合することで、より弱い光を検出することが出来るようになりました。普段、地下にいるミミズにはより感度の高い眼が必要だったようです。
次にプラナリア、この生物は杯のような窪みの奥に感光細胞が存在するという眼(杯状眼と呼びます)を持っています。このような眼を2つ持つことでプラナリアは光の来る方向を眼で検出できるようになりました。石の下などに住むプラナリアにとって光を避ける為にこのような眼が必要だったのでしょう。
お次はカタツムリの1種の眼です。この仲間は目の部分に長い柄を持っていますが、水晶体を持たない眼を持つ種類がいます。水晶体が無くとも眼球はありますから、ピンホールカメラみたいに網膜上に(ぼやけてはいるが)像を結ばすことができます。
帆立貝の眼は、水晶体を持ちます。ここで我々の眼の構造に近くなりました。帆立貝は外套膜の部分(所謂、ひもと呼ばれるところ)に複数の眼を持ちます。水晶体は外套膜が発達して出来たようです。
そして人の眼、水晶体や虹彩や網膜を持っています。
どうも丁寧なご回答頂きまして、有難うございます。
>進化した生物が、以前の生物よりも「優れているか」「高度であるか」について
>進化論はどのよ>うな答えも持っていないでしょう。
>強いて言うなら、進化した生物はより環境に対して適応的であるということぐらいです。
繰り返しになりますが、そのような消極的な「自然淘汰」というシステムが、
「適応」という言葉で片付けてしまえないほどの高度な機能を持つ個体へと
必然的に導いた・・・? とは到底信じられないんですが・・・
本当のところどうなんでしょうか?(笑)
結果的に、ただ、繁殖力の有利な変異が生き残り、その繰り返しだけのような
気がするので、自然界が、何か、変異体に主体的に特別に働きかけているようには
到底思えないんです・・・?
つまり、自然淘汰というような何か優れたシステムの力が自然界に内在していて、
その作用によって、個体は否応無くふるいに掛けられる・・・
というような積極的な「説」というよりは、ただ、その結果をみて、
そういう「選択」とでも言えるようなことが偶然、自然界で起こっているだけであって、
「自然淘汰・自然選択」を中心として、何か「変異体」と「自然界」とが
関係しあっているようには思えないんですね。
要は、単なる結果を見て、そのようにダーウィンが感じた主観を述べているだけで、
自然界に、「自然淘汰」という「システム」が「現存」するとは
思えないくらい、受身的な理論に写ってしまうんです・・・私には・・・
理論とは言えないくらいね・・・
これもやはり、誤解でしょうか??
あと、どう考えても、「単純なものから、複雑なもの」へ、
「低レベルな仕組みから、高度な仕組みへ」と変化・適応して
流石、生存競争に勝ち抜いてきただけの
ことはあるような面構えをしているように見えるんですが・・・?
どの個体も・・・
そうなっていった事実を、進化論で説明する義務はないということでしょうか?
進化論は、それを説明しない。ということでしょうか?
全て「適応」と言えば、科学者も皆、納得して片付けてしまえるものなんでしょうか???
>「種の分化」に対しては、現在の進化プロセスで説明できますし、
>進化そのものは観察できる事実です。
ならば、どうして、進化論は立証されずに、仮説のままなのでしょうか??
>確かに「進化=突然変異」という主張を検証することは非常に難しく、
>私は不可能だと考えています。
ということは、進化論という理論は、ずっと
「仮説」でしかない理論のままなのでしょうか?
また、「進化そのものは観察できる事実」なのに、どうして、
「検証不可能」だとお思いなのでしょうか??
出来ましたら、その辺の内容を詳しくお教え下さいませんでしょうか?
よろしくお願いします。
> もし、本当に創造主なる神様がいらっしゃるのなら、
> 「科学」はもう一度、最初からやり直さないと
> いけないのかも知れません・・・
何故?科学は神の存在に無関係に成立しています。このことは、神が存在しても科学に影響を及ぼさないということです。神の存在が科学的に証明できれば、科学は神を取り込んだ理論体系になるでしょう。
> 私は、「進化=突然変異」ということを信じ続ける作業こそが
> 「進化論」だと思っております。
> 進化論も、一種の信仰だと思っています。
>
> なぜなら、「突然変異」自体を調べることは、科学的研究の対象として可能だと
> 思いますが、「進化=突然変異」(ダーウィンの進化論)であることを
> 科学的に検証することは、とても難しいことだと感じているからです。
上記の主張に対して私は、誤りであるという意見を出させていただきます。
まず、進化論は進化のメカニズムとして「突然変異」と「自然選択」を想定しています。但し、自然選択は生存競争とか淘汰などという表現も為されます。「突然変異」のみで進化を説明することは、必然的に跳躍的な突然変異や都合の良い突然変異の累積を求めることであり、現在の進化論はこのような理論を誤りであるとしています。
次に進化論は観察できる事実から理論を構築し、検証を経るという他の分野の科学プロセスと同じプロセスで維持されている生物学の理論です。何かを”信じ続ける作業”が進化論を維持しているという事実は存在しません。
同様に、進化論に含まれている緒論は観察できる事実に裏づけされています。この事は「信仰」とは逆の考え方であり、”進化論も、一種の信仰”というのは誤りです。
確かに「進化=突然変異」という主張を検証することは非常に難しく、私は不可能だと考えています。ダーウィン的な進化論は進化のメカニズムとして「突然変異」と「自然選択」を想定しており、これは様々な観察によって検証されており、このメカニズムを応用して品種改良が行われ、分化しつつある生物群に生じるであろう現象を予測することも出来ています。
> 進化論というのは、
> 「100円づつお金を貯めるかどうか気分次第で分かりませんが、(偶然)
> 多分、3千年程度で 1億円を貯める事ができます。」という
> ことを信じるのが「主流の進化論」だと私は理解しています。
科学の学説に「信じる」という言葉はふさわしくありません。ただし、私が言う「信じる」とは、根拠の無い(証拠の無いでも同じ)事柄を無条件で信用することです。
ドーキンスなども時折、「信じる」という単語を使っているようですが、科学者が私の言う意味で「信じる」ことはほぼ確実にありません。
私のたとえ話で3千年間ため続ける100円は、突然変異の例えです。その点でGod Bless You!様は正しく認識されていますが、この100円はほぼ毎日、規則正しく貯蓄されることが検証されています。中立進化説というのがそれで、解説はウィキペディアをご覧下さい(ttp://ja.wikipedia.org/wiki/中立進化説)。
中立進化説は進化論の中の説の1つです。これのみで進化という現象全てを説明できる訳ではありませんが、進化を引き起こすプロセスの1つと考えられています。
> さて、私には、皆様のような論客の方々に対して、一つ一つお答えする
> 知識も当然有しておりません。
>
> 下記のようなサイトを参考にして感じたことを
> 綴ったまででございますので、悪しからず、ご諒承下さいませ。
貴方の書き込みに多くの方が意見を寄せるかも知れません。貴方にはそれに答える義務は勿論ございませんので、気楽にお付き合いいただければ結構かと思います。勿論、寄せられた意見に反論することも、質問することも自由です。
> 突然変異の蓄積により、「より優れた高度な、また新しい種」が
> 偶然に進化する ということは、未だ仮説でしかなく、
> 科学的に立証されていないという事実です。
進化した生物が、以前の生物よりも「優れているか」「高度であるか」について進化論はどのような答えも持っていないでしょう。強いて言うなら、進化した生物はより環境に対して適応的であるということぐらいです。
「種の分化」に対しては、現在の進化プロセスで説明できますし、進化そのものは観察できる事実です。
また、進化はそれほど珍しい現象ではありません。人類は進化のプロセスを人工的に行って色々な生物を都合の良いように変化させてきました。現在、我々が口にする野菜や果物はほとんどが品種改良と称する人工的な進化によって現在の形になりました。肉や卵もそうでしょう。
故に貴方の主張は誤りであり、事実の誤認であると私は考えます。また、細かなことを申しますと科学上の説は全て「仮説」です。どのような証拠が見つかろうとも、その証拠によって裏打ちされている仮説が、より確かだと認められる仮説になるだけです。
> もし、存在するのならば、それこそが、「科学的現実」だと思っています。
> なぜなら、「事実」は、「科学」に勝るからです・・・・
神の存在について私は意見を述べることができません。それは私は神がいてもいなくてもどちらでも良いと考えているからです。もし、私は、神が存在するという科学的証拠が見つかったなら、科学的に神は存在すると考えるでしょう。
早速掲示板荒らしの方たちが、登場されておられますが、ここの運営をされておられる方方には通用しませんよ。怠け者さん、あははさん、己の馬鹿さかげんをウサ晴らしに来ているのでしょうが、ここは真面目で真摯な方ばかりです。ネタと関連づけて自分の気持ちの捌け口にされても惨めな思いをするだけです。進化論と創造論の方々はいちいち、細かいことには反応されませんよ。おとなしそうな京都のおなごはんや、立派なおとこはん知りませんが、邪魔をされないようにお願いします。でもって私はただの通りすがりのものですが、クリスチャンでもなければ仏教徒でもありません。医師でもないです。
静かに聖書のことや、真面目な方たちの討論の場所です。
ここは、IPアドレスやSMTPサーバーなど、すぐにバレテしまいますよ。
ご自分の情報が漏れてしまいますよ。お気をつけて発言くださいませ。
私は、こちらのサイトのファンであり、心神深い者です。
真実しか受け入れないものです。
投稿者:トトロ様
お返事どうも有難うございます。
なるほど。
確率論によるごまかしでしかない。という
ことなんですね。確かに統計学でよく嘘をつく
政治家なんかもいますし・・・
あてにはならないかもしれませんね。
ブルーバックスか何かの、「進化論も進化する」とかいう本で
「確率0のお話」が確か記載されていたように記憶してますが。
それに致しまして、
>たとえ100円づつでもお金を貯めれば、3千年程度で1億円を
>貯める事ができます。確実な進化とはこういうことであると
>私は理解しています。
というのも何だか不思議な気がしました。
進化論というのは、
「100円づつお金を貯めるかどうか気分次第で分かりませんが、(偶然)
多分、3千年程度で 1億円を貯める事ができます。」という
ことを信じるのが「主流の進化論」だと私は理解しています。
それでは、どうもです。
流木様
ご紹介のサイトの方はなかなかスゴい研究をなさってますね。
なんといっても、立証したいはずの仮説の方を帰無仮説にしちゃっているところが画期的です。
ネタなんでしょうか?
丁寧なアドバイスどうも有難うございます。
もう一度、小生の立場をはっきりさせておきますと、
「有神論的進化論者」です。
つまり、人間が進化してきたことと、神様が存在することとは、
全く競合しない。対立しない。と思っています。
進化が、偶発的な突然変異と自然淘汰だけなのか???
これだけが、私の疑問点なのです。
さて、私には、皆様のような論客の方々に対して、一つ一つお答えする
知識も当然有しておりません。
下記のようなサイトを参考にして感じたことを
綴ったまででございますので、悪しからず、ご諒承下さいませ。
しかし、私は、下記のサイトを全部信じてはいません。
たとえば、「ダーウィン説は公式に否定された」とかね・・・
それなら、教科書に載せてるはずがないでしょ????
しかし、私が確信していることは、
突然変異の蓄積により、「より優れた高度な、また新しい種」が
偶然に進化する ということは、未だ仮説でしかなく、
科学的に立証されていないという事実です。
神様は信じるか信じないかの前に、
存在するか、しないかだと思います。それが「現実問題」なのです。
「事実」は、2つに1つです。
もし、存在するのならば、それこそが、「科学的現実」だと思っています。
なぜなら、「事実」は、「科学」に勝るからです・・・・
もし、本当に創造主なる神様がいらっしゃるのなら、
「科学」はもう一度、最初からやり直さないと
いけないのかも知れません・・・
私は、「進化=突然変異」ということを信じ続ける作業こそが
「進化論」だと思っております。
進化論も、一種の信仰だと思っています。
なぜなら、「突然変異」自体を調べることは、科学的研究の対象として可能だと
思いますが、「進化=突然変異」(ダーウィンの進化論)であることを
科学的に検証することは、とても難しいことだと感じているからです。
http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/s0030.htm
http://members.at.infoseek.co.jp/micah/sinkano.htm
それでは、よろしくお願いします。
自分の知性・理性を 客体化せよ!
科学の始まりだ!
知ってることは「知ってる」
知らんことは「知らん」と
はっきりさせる、
これこそ知るっちゅうこっちゃ!
検索していたら、「サイコロの運命」を論じているサイトを見つけました。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1344/destiny/
>>サイコロを振って、1が出たとします。サイコロを振る前は、1〜6それぞれの目が出る確率はすべて1/6です。しかし、サイコロを振った後、2〜6が出た確率は0、1が出た確率が1になっているのです。これは、1が出る確率を1/6→1にし、他の目が出る確率を1/6→0にする、何らかのエネルギーが働いたと考えます。ここでは、このエネルギーを便宜上、運命のエネルギーと呼ばせてもらいます。
うーん、私は仮定の話として申し上げたのですが、何だかなぁ〜。本当にこういうことを考える人がいるとは…。
> しかし、その有利な突然変異が、自然界で起こる確率は、0.0000・・・と
> 0が後ろに600万個くらいつくそうです・・・
> つまり、ほとんど「0」であると・・・
> さらに、たんぱく質が偶然に発生して、複数が機能的に関係し合う確率も0に近く、
> さらには、DNAの暗号が偶然に完成する確率も0に近いと聞きます。
それは低い確率ですね。進化論に反論する人はよくその例えを用います。故に現在分かっている宇宙の年齢分だけの時間をかけても人は現れないと・・・
しかし、進化論は偶然ではなく「確実」に生物は環境に追随して変化するという予想を行います。そして化石証拠もそれを認めています。「確実」に生物は環境に追随して変化するのは、僅かな突然変化が累積するからです。
たとえ話をしましょう。お金持ちになる為に毎日100円の宝くじ(普段、買わないので適当な値段かどうか)を買うとします。この当たりくじが1億円で、当たり確率が1億分の1だったとすると、1年後にこの人が1億円を持っている確率は365/100000000で、期待値は365円です。でも、毎日100円づつ貯金をすれば1年後には3万6千5百円を確実に持っています。宝くじの場合、期待値の計算はできますが、この分のお金を持つ人は一人もいません。1億円を持つ人が365人おり、のこりは1円も持っていません。
生物が跳躍的に有利な突然変異行う確率は365/100000000(個体当たり)よりももっと低いでしょう。だから、宝くじによってお金持ちになろう(複雑な生物になる)のは現実的では有りません。不確定なパラメータを適当に見積もって計算してみても、まずありえないという結果が出てくるだけです。
たとえ100円づつでもお金を貯めれば、3千年程度で1億円を貯める事ができます。確実な進化とはこういうことであると私は理解しています。
> そうすると、私が科学的推論をするとなれば、開放系であるこの地球に、
> エントロピーを増大せしめるような熱エネルギー以外の何か?
> 「目的・方向性をもった他のエネルギー」が、生命体に働きかけているので、
> 生命現象が、エントロピー減少へと進化していったのだ・・・
> という推論の方が、よほど理論的だと思われて仕方がありません。
>
> そのエネルギーがまさしく神の愛だといってもいいじゃない??
う〜ん。言わんとすることはなんとなく判るのですが、”科学的推論”を行うのであれば、「目的・方向性をもった他のエネルギー」がどんなものか判別しているか、これが関っているという証拠が必要です。
先に述べたように私は生物が「進化」するという意味では特別なエネルギなどは必要無いと考えています。しかし、単細胞生物から多細胞生物が生まれ、それが哺乳類にまで進化する道筋は必然なのか偶然なのか私には判断がつきません。ましてや、哺乳類グループから人が生まれるのは、かなりの数の偶然が関ったでしょう。1千万年前から歴史をやり直しても人が進化してくる可能性はきわめて低いと私は考えます。今の人が占めているニッチは別の生物に起源をもつ生物が占めている可能性の方が高いのではないかと考えています。
こういった偶然の積み重ねに対して「神の采配」が関ったと考えることは可能だと私は理解しています。
それから、地球は太陽から熱エネルギを受けて、宇宙空間にほぼ同じだけの熱エネルギを放出しています。地球の熱エネルギの帳尻はほぼ合っていますが、その台帳には「目的・方向性をもった他のエネルギー」の項目はありません。もし、「神の愛」というものが存在し、影響を与えているとしても、それは「偶然の采配」という非エネルギ的なものでしょう。
God Bless You!さま
はじめまして、トトロと申します。横レスにつき失礼いたします。
> 遺伝子が、最初から、「増殖効率」を求めるような本能があったとは信じられません。
> 偶然に出来たのなら・・・
>
> つまり、結果として、偶然、より増殖効率の高いものに変異した個体が
> 生存競争に偶然勝ち残ったというだけのことだと思うのです・・・
私の理解では、研究者達の多くはそう考えていると思っています。
> そうだとすると、自然環境自体は、高度なシステムを、変異した個体にもたらすことには
> 何ら寄与していない・・・というのが、私の結論です。
いいえ、”増殖効率の高いものに変異した個体が生存競争に偶然勝ち残った”というのも貴方のおっしゃる”自然環境”の特性です。増殖効率が高い個体は、それが低い個体よりも子孫を多く残します。何世代かすれば、増殖効率が高い個体の子孫がその群れの多くを占めるようになります。
自然環境が無限の個体を養うだけの容量があれば、群れの中には大多数の増殖効率が高い個体とごく少数の低い個体の混合したものになります。しかし、自然環境の収容力に制限があれば、増殖効率の低い個体を保護するような機構が自然環境に無い場合、世代を経ると増殖効率の低い個体は消滅してしまいます。
> つまり、自然淘汰は、個体により高度な複雑なシステム・秩序をもたらさない。
> ということです。
”高度な複雑なシステム・秩序”というものがどのようなものかは分かりませんが、ほんの少しだけでも増殖効率が高い個体が突然変異で生じれば、代を重ねることで、群れは増殖効率が高い個体で占められることになります。
このことは、少しづつのデザイン変更が累積されるということであり、”高度な複雑なシステム・秩序”がこのようなデザイン変更の累積の結果であれば、それは突然変異と自然淘汰で必然的にもたらされるということです。
> つまり、進化論の肝心要は、「生殖細胞における有利な突然変異」のみであると・・・
つまり、進化論の肝心要は、有利な突然変異の累積であると結論でき、自然淘汰はランダムな突然変異から有利な突然変異を選択する手段だということです。
*God Bless You!さん
こんにちは。
>>私が科学的推論をするとなれば、開放系であるこの地球に、
エントロピーを増大せしめるような熱エネルギー以外の何か?
「目的・方向性をもった他のエネルギー」が、生命体に働きかけているので、
生命現象が、エントロピー減少へと進化していったのだ・・・
という推論の方が、よほど理論的だと思われて仕方がありません。
>>そのエネルギーがまさしく神の愛だといってもいいじゃない??
もし、そういうエネルギーなるものがあったとして、その存在を自然科学的に説明できれば、そこに神様を持ち込む余地はないのではありませんか?自然科学的に説明可能なら、言葉の定義としてそれは神様ではないでしょう。
例えば、サイコロを投げて、6の目が出る確率は6分の1だといわれますね?では、6回サイコロを投げれば、必ず6の目が1回出るかといえばそうではありません。何千回、何万回、何億回とサイコロを投げ続けて、投げた回数に対して6の目が出た割合(頻度)を調べると、6分の1に近づいていくというだけです。よく「6の目が立て続けに6回出る確率は…」とかいってそれが非常に小さな値であると指摘されますが、実際にサイコロを投げてみると、(6回はともかく)6の目が続けて出ることはそう珍しくもありません(もっとも、サイコロ自体がそれほど正確に作られていないかも知れないという点について保留しておく必要はありますが)。
6の目が続けて6回出たとき、「こういう偶然が起きたのはまさしく神の愛だといってもいい」というのは、その人の感想です。そこに「神の愛」を感じても構いませんが、神の愛を持ち出さなければ説明不能ではありません。また、6の目が連続して出るようなエネルギー(?)が存在すると推論する方が理論的(論理的?)ともいえないでしょう。
全くの余談ですが、私が以前、エホバの証人(ものみの塔)の信者の方とお話していたときのことです。ちょうど外出するために部屋に鍵をかけていたのですが、話しかけられたのでうっかり鍵を上下逆向きに挿し込んでしまい抜けなくなりました。「管理人さんから台所洗剤でも借りてくるしかないかな」と思っていたら、エホバの証人の方のお1人が鍵をガチャガチャいじっているうちに、スポッと抜けてしまいました。そのとき、エホバの証人の方々は顔を見合わせて、「おお、神の愛だ」とおっしゃったので、私は正直「何だかなぁ〜」と思ってしまいました。世の中には、そういう出来事にも「神の愛」を感じる人たちがおられるのです。これは感ずるか感じないかという問題であって、あるなしの問題ではないでしょう。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。