このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
ふうさん、初めまして。
>「交雑可能/交雑不可能の中間」というのはありえないので
「交雑は可能だが、しない」というのは中間と言っていいのではないでしょうか。
地理的断絶性で考えれば中間を考える必要はないので、そちらの方が理解しやすいのではないでしょうか。
ふうさんへ、それではもうひとつヒント。
時間軸に加えて、空間の広がりも加えて考えてみましょう。
レスありがとうございます。
まさに時間軸に沿って考えてみて、どこかで交雑可能/交雑不可能という断絶性を想定しなければならないのですが。
「交雑可能/交雑不可能の中間」というのはありえないので、1世代で、交雑可能/交雑不可能という跳躍的変異(いうなれば種の進化)が起きなければなりません。
つまりは、種の進化は非常に長い時間かかって少しずつ起きるのではなく、1世代で跳躍的に起きることになってしまうわけです。一足飛びの進化は起きないというのがドーキンズの議論なのですから、跳躍的にしか進化が想定できないということは、つまり、進化が起きないということになってしまいます。
ふうさん、こんにちは。
このようなことは、自分で気づくことにより、センス・オブ・ワンダーを感じることができます。これが科学の面白さだと思っています。ですので、ヒントだけ。
>小さな変化の累積が大きな変化をもたらす為には、変化が連続していなければならない。しかしながら、実際の生物界は、連続していない。単純にいって、交雑可能/交雑不可能という断絶性があります。そこら辺は、どう越えるのでしょうか??
「いいか、マーティ。物事を四次元的に考えろ」(by Dr.エメット・ブラウン in BTTF)
ということで、時間軸に沿って考えましょう。
例えば犬やネコから見ると、
一度こけたら死んでしまいそうなよぼよぼの爺さんに、何十人もの、背が高く、頭脳明晰で体力もありそうな若い男が従順に従っている。一言叱られただけで真っ青になってふるえたりしている。
軽く殴ってやれば実力が確認できるだろうに、なぜそうしないのだろう...?
え?シャチョウ...?それって、なに?あの爺さん、実は鋭い爪か牙をもってる、とか?
「ニワトリの迷信行動」って、なんなのですか?
検索で見つけようとしたけれど見つからないのです...。
ニワトリは梯子の下をくぐりたがらない、とか?
ニワトリは昼だって夜だって自分の爪を切るなんてしないだろうし...。
たまごちゃん(^-^)ノ@足が痛いさんへ
はじめまして。
行動力あるんですねー。思い立って礼文島ですか。私は今日は名古屋駅前のドスパラへ買い物に行こうと思っていたのに風が強かったのでやめちゃいました(T_T)
私も大分前に捻挫をしたことがあるんですが1週間我慢して医者で見てもらったら何故もっと早く来ないんだって怒られました。早めにシップとかしてくださいね。我慢してても治りませんから・・・
こんにちは。
以前、ウラン年代法について質問した者です。あの時はいろいろお返事ありがとうございました。
あれからまた、管理人さん推奨のドーキンズやグールドの本を読んでいるのですが、かえって疑問点がでてきました。とりあえずは、連続性と断続性についてです。
ドーキンズ著「ブラインド・ウォッチメーカー」の第三章で、小さな変化が累積して大きな変化が起きることが説明されています。少しずつ小さな変化が起きることによって、いきなり飛躍することは不可能な大きな変化が実現できる。
しかしながら、このモデルは、実際に生物進化モデルとして当てはめることができるのだろうか。どうもうまくいかないように思えます。
小さな変化の累積が大きな変化をもたらす為には、変化が連続していなければならない。しかしながら、実際の生物界は、連続していない。単純にいって、交雑可能/交雑不可能という断絶性があります。そこら辺は、どう越えるのでしょうか??
こんちは。たまごちゃん (^-^)ノです。
わたくし、不意に思い立って、その日のうちに「特急利尻」に乗り、「礼文島」に行って、「桃岩荘」に泊まり、「愛とロマンの8時間コース」を歩いてきました。「特急利尻」「礼文島」「桃岩荘」「愛とロマンの8時間コース」がナンであるかは、検索でもしてくださいな。
その結果……、
右の足首が1.5倍の太さになりました(ToT)
途に倒れて誰かの名を…呼ばないけど、足をひねってしまいました。しかも、行程の半分も行かないうちに(ToT)
なんとか完歩したものの、自分の親よりも年上のパーティーのメンバー達の足を引っ張りながら、励まされて歩いた経験は、私の心に小さな傷を残したのでした……。
くっそぉーっ!!足腰鍛えて、きちんと登山靴を履いてリベンジだぁ!!
にゃんこへ
忠犬ハチ公の「ご主人様はきっと帰ってくるワンッ!!」という信念は私には妄想以外の何物でもないように見えるのだが、そこらへんはどうにゃるのだろう?あと、ニワトリの迷信行動なんかについてもどう思う?
なんか錨の役目ばかりすることになりますが、、、
幻覚は知覚の異常、妄想は思考の異常で、記憶の異常は詐病を生む。
その上で、、、
妄想となると病的なものとなってしまうから、幻想という用語を使ってはどうかというのに、私も賛成。
それと、記憶の欠落や混乱から生ずるような嘘と妄想とは違うものじゃないでしょうか。
そういう嘘は、当人には嘘を言っているという自覚がないでしょうし、それに頑固さというのが加わったら妄想と区別しにくいかもしれないけど、それと妄想とは違うんじゃないかなぁ、、、
>センセイヨ- 懐かしさのあまり絶句
>八月の濡れた砂
たしか、片桐君も出ていたような記憶が・・・
※なぜ、いまレポーター?
to:RYU_TI_SYU様
>ぺぺと言えば 飛び出せ青春
よー、こんな懐かしいネタを・・・・(涙)
#常連さん及びROMしている人の何割がわかるんだろうか?
小生は、銀幕の不良高校生(村野武憲ー八月の濡れた砂)が半年後にブラウン管からいきなり先生になって登場したので面食らった覚えがあります
ナン様
>ユンソナとBOAの区別がつかないとか?
つきますけどなにか(←この世は…さん風、笑)失礼しました。ホームページすてきでした。僕もHP造りたいのですがなにから始めればいいか(一応デザイナーなのに 泣)
そちらでも自分の無知っぷりを露呈することになるかと思いますが宜しくお願いいたします。
RYUさん…「チャダ」かよ…でも、笑った。
PEPEさん…ユンソナとBOAの区別がつかないとか?
ちなみに「パンダーZ」は私の作じゃないです(笑。デザインとか絵について
深く語りたいようでしたら、私の掲示板もあります。
(リンク貼っておきましたのでどうじょ)
soft_tractor さん…あれ、しりあがり氏じゃありませんでしたっけ?
なんかのオムニバスみたいな本で読んだことは覚えてるんだけど
手元に残ってなくて確認不能です。でも、確かに木こりでした。
http://cgi.members.interq.or.jp/wild/nan/cgi-bin/wforum.cgi?
対象が目の前にある状態、つまり、妄想と無縁であるはずの「知」のレベルですら、
例えば磨き上げた大理石のようにすべすべした美女の肌が、スケールをミクロンオーダーにしたとたんに、荒れ果てたた岩山の様相を呈する。
知、とは、それ自体が、妄想、ではないのか?
鈴木みそも似たようなことしてたなあ。
http://www.misokichi.com/c25.html
>#しかし「知」が確かでもあることは、自分の描いたデッサンが、明らかに現実とは異なることを「即座に見て取る」ことが出来ることから証明できそう。これは対象が目の前にあるから出来ることで、一度対象から離れて「記憶野」だけを相手にすると、そうそうできるものではない。
みにゃさま、「記憶スケッチ」を御堪能くださいにゃー
外界の写像であるはずの記憶が、見事に自律性を獲得している様の宝庫でございますにゃ
(しかし、ナンシー関の夭折はおしまれますにゃ)
http://www.bonken.co.jp/kioku.html
ヒトの目が不完全であるのは、単に盲点があることだけではもちろんありません。
微生物学者の立場に立てば、裸眼でミクロン単位のものを見ることが出来ない自分の目を完全だと思えるわけがない。
天文学者の立場に立てば、たかだか可視光線の波長しか見えず、しかもその可視光線の範囲でさえも、たかが太陽系内の土星の輪の、カッシーニ空隙すら、肉眼では見えないこと、
ボクの立場に立てば、せめて女湯だけで良いから、スーパーマンの投資能力が欲しいこと、
等々、どちらかと言えば、神さまに恨み言をいいたくなる程度の、お粗末な目です。
>個々のニンゲンが適応するのは自然ではなくて、具現化された自らの脳内メモリー空間なわけ。そこに質的な違いがあるにゃ。
どんな生物でも、「直接、自然に適応する」ことなんてできないと思います。
昆虫でさえも、彼の神経系に取り込まれた情報に適応しているのであり、例えば複眼の分解能以上に精密な反応は出来ないはずです。
そういう意味では、動物もヒトも同じではないですか?
ちょっとお出かけしてました。
なんか、手塚治虫が神になったという話を大爆笑したら、ずいぶん気分を
害されたようですが。あんなん至ってノーマルな反応です。『本当に手塚
が神となっているかどうか』なんて真偽はあまり関係ない。
まー、手塚の神格化なんて生きてる内から始まってた事だし、今も進行中
なわけなんだけど、偉大な仕事をした人にそういう結果は付き物だし、そ
の事に対してどーこーいう感想はないのね。
私が印象深く思うのが、例えば深く宗教的なテーマを扱った作品を描いた
りしながらも、手塚本人は決して宗教的な手軽な「救い」に陥らなかった
事なのね。だいたいにおいて、宗教にはまった表現者(平井和正しかり)は
わけのわからんトンチキな作品を書くようになる物だと感じているんです
が(文学作品なり、なんなりは、作者が抱える葛藤や苦しみが表出する場
面に読者共感するからこそ面白いんであって、そりゃ安易な解決を見つけ
た人の書く物がつまらなくなるのは仕方ないよね)、手塚は葛藤しつづけ、
人間の迷いや苦しみを自らの作品に刻み込み続けた。
そういうところ、すごいなーと思います。
>そもそも狼の群れは環境を改変しにゃー。改変があり得ても、軽微なものだし、まして意図的なものではにゃーだろう。
ビーバーの群は環境を劇的に改変します。しかも、個々のビーバーがダムを造るにもかかわらず、或るビーバーの巣が別のビーバーのダム建設によって水浸しになったなんて話は聞いたことがないです。(聞いたことがないだけで、実際には有るかもしれませんけどね。)
一土木技師として、彼らを尊敬します。建設省のお偉方に、言いたい!(以下自己規制)
>病的な心の働きと、病的ではない心の働きを区分するものとはなんだろう?
価値観ではないです。現実をどれだけ写しているか、ということです。
(病的な)妄想は、一般的に、とても単純なのです。
次元が上がるにしたがって霊のステージが上がり、最高位にエ○・...(自己規制)
という世界観の、例えば単細胞生物の中で行われている化学反応と比べた場合の、あまりにも単純なこと...。現実の複雑さの写像を作ることが出来ないことが、妄想と幻想の大きな違いです。
文化を完全に理解できているヒトなんていない。あまりにも複雑だから。
>社会や文化が妄想に過ぎないものだということは、無人島に遭難することをシミュレーションすればすぐに分かると思う。
ふっふっふ。別に無人島に遭難することをシミュレーションしなくても、或る程度以上の田舎に住めば、その程度のことはすぐにわかるのです。直接自然と接するチャンスの、いかに多いことか...(-_-;)
>「妄想」という言葉はあくまでも病的な心の働きをあらわすものですから〜
病的な心の働きと、病的ではない心の働きを区分するものとはなんだろう?この場合、主張が「よりセンセーショナルであること」が望ましいと私は考えるので(笑)キーワードを「妄想」に置き続けることには「意義がある」と考えます。単語は識別子に過ぎないので、ここでは「地下猫妄想論」の主張するものの「妥当性」だけを吟味すれば良いのではないでしょうか。
ところで、私(や地下猫氏)の主張に対する「反発」の中には、ヒトと文化に対する「評価の違い」も含まれているように思う。まぁ実は、それが私を支えているものである反面、群れて暮らせない個性を築いてしまった要因でもあるのでしょうね(笑。
文化、特に日本人(ここで言う日本人は、とてもマクロな視点ね)が接している「文化と呼ばれているモノ」ほど、病的でステレオタイプに満ちていてダブスタだらけなものはなかなかない、と思っているからかな。あ〜、これは欧米風文化圏すべてに言えることかも知れない。要するに、文化・文明が強固であるがゆえに、個別の選択が「生死を分かつ」ような機会に「恵まれない」せいではなかろうか、って感じ。でもね、それは良いとか悪いではなくて、ただそう感じるってことなのですけどね。
社会や文化が妄想に過ぎないものだということは、無人島に遭難することをシミュレーションすればすぐに分かると思う。
面白いので再参加。
社会行動とは「関連付け」に他ならないので、脳内メモリ容量の増大はそれだけ膨大で複雑な関連付けを可能にするのだけど、記憶を「書き込む」際には「最適化」や「抽象化」や「単純化」つまりモデリングを行うことで負担を減らしていると考えられます。ある個体を認識する際に使われる「関連付け」のモデルは少し形を変えれば別の個体を認識することにも使えて、これはあらゆる事象に対して行われるでしょう。
この結果、膨大なモデルが構築された脳内(ある程度年齢をとったメモリ空間)では、モデリングが強固過ぎて「今見ているもの」さえも逐次書き換えられて認識されることがあるのでは、と思えます。これがたとえば、ある年齢を過ぎると「いまさら常識を覆せない」などと言われる所以ではないでしょうか。
つまり、脳のメモリ容量の増大はより複雑な類型化を可能にする代わりに、より妄想的な認識を促す傾向にもあるのではないでしょうか。これは近年、多様化してきたCODECに対して、複数の再生用アプリがぶつかり合うことに喩えられる気がします。
#例:MP3を再生しようとすると、メディアプレイヤーやクイックタイムプレイヤーやリアルプレイヤーが起動するけれど、結局誤作動したりする。
次、知と妄想の違いは、最も端的に言うと「いま目の前で起きていること」を認識することが「知」なわけで、これに対して「脳内で自律的に起きていていること」の差でしょうか。しかも、今目の前で起きていることの「すべて」を記憶できるわけではないので、かなりの抽象化が脳内では行われていると思えます。その結果、あるフレーム問題を考慮するときには「知」よりも「信」の領域で判定せざるを得ない状況が多々あり、これを積み重ねると妄想がより強固なものになっていくのでしょう。
#たとえば、デッサンは「目の前にあるもの」を平面に写し取る作業にほかならないのだけど、かなり経験を積まないと習得は難しい。これは視覚が即座に抽象化されて記憶されてしまうことを端的に表していると思う。
#しかし「知」が確かでもあることは、自分の描いたデッサンが、明らかに現実とは異なることを「即座に見て取る」ことが出来ることから証明できそう。これは対象が目の前にあるから出来ることで、一度対象から離れて「記憶野」だけを相手にすると、そうそうできるものではない。
「共同幻想論」て本がありましたよね。
「妄想」という言葉はあくまでも病的な心の働きをあらわすものですから、この際、「幻想」という言葉を使いません?
病気としての妄想は心的世界の単純化を伴うとのことですので、脳内メモリー空間が狭められている状態だと思われることも、妄想という言葉を文化に対して使うことへのボクなりの抵抗感を感じる理由です。
「致死量」ちゅうコトバがある
量的に連続な変化が、結果に対して質的に重大な変化をもたらす一点があるわけだにゃ
そもそも狼の群れは環境を改変しにゃー。改変があり得ても、軽微なものだし、まして意図的なものではにゃーだろう。
また、動物にとっては、「知」と外界とのずれが大きくなるのを放置していたら死ぬだけだにゃ
ニンゲンは脳内メモリー空間を外部に現実化してしまうのだにゃ。
個々のニンゲンが適応するのは自然ではなくて、具現化された自らの脳内メモリー空間なわけ。そこに質的な違いがあるにゃ。
まあ、いろいろ問題はありそうなんで、もちっと考えるにゃ
temaさんがおっしゃってましたが、群行動をとるほ乳類は一般的にそこそこ複雑な序列を作っているわけで、それとヒトの社会の間に「質的な」違いがあるとは思えないのですけど。
犬の脳内メモリー空間では妄想を構築することは出来ず、人の脳内メモリー空間まで拡張されれば妄想を構築することが出来る、といえる根拠って、あるのでしょうか?
これらの間に量から質への転換がある、と決めつける根拠をボクは知らないのですけど。
イヌだって夢を見るそうです。ということは、イヌだって、脳内空間を現実のシミュレーション以外の用途に使ってる...?
>今までの議論の流れでいくと
>経験に基づいた推論も
>"確からしい"という妄想に過ぎないのではないでしょうか?
うん、そうなっちゃうね。
だから修正だにゃ。突っ込まれて都合のワリイところはガンガン修正ね。
ここはそういう遊び場にゃんから。
・経験に基づいた推論は、外界とのつながりを実際に持っているかぎりにおいて妄想ではない
※ただし、ニンゲンにとって「文化」「社会」はここでいう「外界」ではない。
「文化」「社会」は具現化された内界である。
こんな感じ
(またいろいろ突っ込まれそうだけどにゃ)
「知」と「妄想」の違いってなんなのでしょう?
「知」はかならず「現実」とは食い違うものですから、「現実に対応しない現実認識」という意味で妄想を定義するのなら、「知」は妄想の始まり...。
何か別の定義をされているみたい?
因果、あるいは確率は「知る」ことであって「信じる」ことではにゃーよね
丁半博打で、
長期的にはだいたい丁と半がおよそ1対1になるというのは知識であり「知」の対象
(長期的にはおよそ1対1になると僕たちは「知っている」)
「ここしばらく丁がでてるから、今度こそきっと半が出るに違いにゃー
おらあ、いったれやあああああ」これは妄想であって、信の対象。
(次は必ず半が出ることを「信じている)
ごっちゃにしちゃうお方も多いにゃんが。
皮肉なことに
「これはもう「絶対」「100%」「何があっても」確かだああああ」、というのは妄想で、「信」の領域
「これはこういう条件の下ではだいたいこうなりますな」というのは経験的知識で「知」の領域
引用先から、特に興味深いところを抜き出すにゃ
「人間みたいにメモリーベースで行動すると環境なんかどうでも良くなって、独立独歩でやっちゃえという形になっちゃうんじゃないかな」
「人間の場合は、行動を変容するためのメモリーが強烈にあるが故にね」
「脳」という器官は、元来は制御中枢だにゃ。
で、みにゃさまのパソコンの能力をみてもお分かりのように、メモリーをたっぷり与えることで制御中枢の能力が飛躍的に増大するわけにゃんね。
で、僕はプログラミングやらハードやらについてまったくの無知にゃんけど、技術者やプログラマーはメモリーの容量や構造を言うときに「メモリー空間」なるメタファーを使うみたいですにゃ。ヴァーチャルな空間だよね。
もちろん、犬だってカラスだって脳内メモリー空間を持っているわけで、だからこそ記憶したり因果論的な演算を行なうことができるわけだにゃ。
しかし、これらの動物の脳内メモリー空間は、常に外界(環境)を分析し認識するために用いられるわけで、外界(環境)に対して独立して自律的に働くことはにゃーわけだ。アタリマエだよにゃ、脳内メモリー空間を維持するためには、生物としては大きなコストを払っているわけだし。
さて、この観点で「妄想」を再定義してみるにゃ。
・環境(外界)と独立した自律的な脳内メモリー空間(内界)の産物を「妄想」と定義する
ポイントは環境(外界)からの自律性。
ニンゲンにおいては、脳内メモリー空間の働きが大きすぎて、外界と独立してある像を作り出し、それが知覚にすら影響を与えるわけだにゃ。これが幻覚。
夢や幻覚は脳内メモリー空間の自律性を示していると思うのだにゃ。
>地下に眠るM様
はじめまして
いどと申します
カラスや狼の経験に基づいた行動に関してですが
それらの(経験に基づいた)行動というのは結局
知っている事…つまり過去の経験より
「あの時はこうだった
あの時もこうだった
であるから今度もこうなる」
という推論がそこにはあるのでないかと思うのですが
今までの議論の流れでいくと
経験に基づいた推論も
確からしいという妄想に過ぎないのではないでしょうか?
で、リンクしたのは、この板で教えてもらったところだにゃ
入り口はここ↓
http://www.moriyama.com/netscience/Kanzaki_Ryohei/index.html
リンク先から引用しますにゃ
******************************************
■昆虫の行動は一見なぜ複雑に見えるかと言うとね、やっぱり周りの環境を無視して考えているからだと思うんです。実は比較的シンプルな行動パターンなんだけど、それが周囲の環境の影響によって、複雑に見えているんだと思います。
カイコの行動だって、ごく当たり前の状態で見ていると、ジグザグやリセットのパ ターンなんか見えないよ、はっきり言って。
○実験室のように極端に単純化した環境にすると、初めて隠されていたパターンが浮き上がって見えてくると。
■そうです。そういうものだと思います。もともとは結構シンプルな仕組みがあるというのが僕の印象です。環境と切り離してbehaviorを見ることは絶対にできない。カイコガの行動を思い出しても、少し匂いの頻度を変えるだけでその行動パターンは全く変わってしまう。でも、基本形がある。
○しかし、どうしてそういうものが進化でできあがってくるんでしょうね?
■これは、ぜひ昆虫学者に僕も聞いてみたいと思ってるんです。以前、ある昆虫学者に聞いたことがあるんですが、さあどうしてでしょうね、と軽くかわされました。もう一度ぜひ聞いてみたいことです。僕が思うのは、環境との相互作用、これがキーですよね。逆に人間みたいにメモリーベースで行動すると環境なんかどうでも良くなって、独立独歩でやっちゃえという形になっちゃうんじゃないかな。その点、昆虫というのはメモリー というのは限られた神経細胞数のせいで得意じゃない。だから、外部記憶装置として環境をつかっているというのはどうですか?
○うーん。
■だから人間のように記憶をつかって行動を変容しなくても、たとえ内部は固定化されていても、外部記憶装置によって変容が可能となる。環境と一体化している。
中略
■ただ人間の場合は、行動を変容するためのメモリーが強烈にあるが故にね、なかなかそうとばかりは言えないけども。昆虫はそれをあまり持つことができなかったということは、他の解決手法を取る必要が当然あったわけで、それは僕に言わせれば、やっぱり外部記憶装置としての環境との相互作用−−お互い反発するんじゃなくて、一緒にやっていくような仕組みが 何らかの形でできてきて、それがターンの角速度とか一つとっても、ちょうどいいところ、最適値におちついたのかもしれないけどね(笑)。
******************************************
http://www.moriyama.com/netscience/Kanzaki_Ryohei/Kanzaki-7.html#20
みにゃさま、文化妄想現実化装置論に異論反論をありがとうございますですにゃ(ぺこり
特に、「妄想するのはニンゲンだけ」あたりに反論が多いので、再反論を。
シートン動物記やカムイ伝を愛読している僕なので、賢い動物が因果関係から類推を行なう能力があることを否定するつもりはございませんにゃー。
ただ、カラスが乗用車を用いて殻を割る、というのは、乗用車に轢かせると殻が割れるということをカラスが「知っている」からなのではにゃーでしょうか?
集団で狩りをする狼が、獲物を追い込んで罠にはめていくもの、それは狼が獲物の習性や地形などを「知っている」からなのだと思いますにゃ。
(獲物の習性や地形を「知る」ことのできる犬や狼が抽象化の能力を持っているのは必然だと思いますにゃ。認知科学によれば、記憶とは抽象化なのだにゃ)
カラスも狼も、知識と確率に基づいて行動しているわけだにゃ。
「信じて」行動しているわけではにゃーだろう。
ところで、
くるしゅうにゃーぞ>のーとん
へんきんタマイダー、の方は知ってるか?>ぱらどくす
……ポコイダー?(汗)
せっかく「甘茶・甘酒になるであろう」という予言をしたのに、ハズレだにゃ。
「局部三回転」かなあ・・・。
読売新聞の記事から。
犬にも3歳児程度の言語能力があるそうで。
人間とコミュニケーションがとれる以上、犬を始めとして動物にもそれなりに高度な知性があることの証明でしょう。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20040611i403.htm
とっても興味深いです。
NATROMさま、どうか思いっきり歴史に残るタイトルを期待します♪
>それとナン様、やはりティムポを三回転させたからお怪我なされたのでしょうか?
ということは、猫又教ご本尊が大文字ナンさんの局部に降臨されたということですね!
あれ? ってことは、地下に眠るMさんの局部は、今どうなっているのでしょう?
http://www.dkdk.net/dk_top.htm#
↑にハルビン滞在記あぷしましたので、興味のある方どぞ。
ちなみにPEPEさん、ティオ・ペペはシェリー酒でごじゃいます。
あ〜ってか私、すこぉしヨパライです、ウヒヒヒヒ。
猫、猫、猫、う〜ん、ネコはアレだね、う〜ん、なんだっけ…ああそか、食べれない!
だいじょうぶかあああああああああ>ナンのちんこおおおおお
いたくなかったかああああああ
酷使させられてにゃーかあああああ
あるいは「窓際族」においやられてにゃーかあああああ
血を出すのはちんこの役割ではにゃーぞおおおお
それはチミの相方の芸ではにゃーかあああああ
ああああああ、本体はどうにでもなるだろうけど、チンコは他人事でも心配だああああ
ナンのチンコが無事でありますように(お目目キラキラ
こよいはよいよいのなのでめんどうなれすはあした
大文字ナン様へ、
えー、お初におめもじいたしやす、大層な遅レス失礼いたしやすが…
>(アーム・ジョーってマンガをしりあがり寿が描いてたな)
間違ってたら、申し訳ねえですが、きこりの話でやすよね?
そいつぁ確か泉昌之じゃあなかったですかね?
いや、どうでもいいことなんでやすがね、割と好きな漫画なもんでつい、ね。
そいじゃ失礼いたしやす、お体どうぞお大事に。
飛び出せ青春
タグ閉じたはずなのに・・・
こっち
ナン様(←すいませんやっぱヨン様の笑顔が浮かびます)
ティオ・ぺぺってワインですよね。
下のホームページを見るとナン様は、キャラクターデザインのデザイナーですか?ワインとどう絡んでくるのか謎です。PEPEってHNはずっと使ってますけど由来は不謹慎なのでこの板では控えます。
僕もDTPのデザインの仕事をしています。この板を見つけてから気になって、気になって、仕事が進みません!!もともと集中力がない弱い人間なので。もし宜しければまたデザインのお話でも出来ればどこかでしたいと思います。キャラクター素敵でした。
議論は不本意な形で放棄されてしまいましたが、まぁ不毛な議論が続きそうでしたので結果として良かったとおもいます。ありがとうございました。
PEPEさんと書いていると、つい「ティオ・ペペ」を思い出すのは職業病か?
なにはともあれ、議論が収束したようでなにより(?)です。
しかし「ヨンさま」とか「冠さま」とか「マウンテンゴリラさま」とか、勝手にも〜。
私は「水陸両用・小麦粉式・四輪駆動・混合燃料使用・江戸前・独立懸架」を自称するネット人格であります(笑。実人格はすでにtema氏に観察されているのでなんとも言えませんが、おおよそこんなヤツです。
↓
http://www.panda-z.net/world/chara11.html
地下猫さんの話はいつも楽しんでますが、どうも「妄想」をメタファーとして使うにはwadja的には違和感が残ってしまいます。特に共有できる妄想となると、本来の言葉のイメージが強すぎて。
だからって、幻影とか虚像とか言い換えると、何にも面白くないけど…。
>1)犬や猫は「信念」を持ちえるか?
>2)犬や猫は「妄想」を持ちえるか?
猫様が強調したいことを全く外しているのを承知の上でイチャモンをつけますと(笑)猫様らしくないというか猫様らしいというか粗すぎる質問です。犬と猫をいっしょにしてはいけません。
といいますのは、猫様もおっしゃるとおり
ニンゲンちゅう生き物は、その個体が直接に環境に適応しているわけではにゃー
で、環境に直接的に適応している装置のことを「文化」と呼んでいるわけですにゃ。
ニンゲンの各々の個体は、直接的にはこの「文化」に適応しているわけにゃんね。
ニンゲンもそうですが動物も例えば猫のように、元来が単独で狩をする動物と、犬のように群れで(しかも、単純な群れでなく簡単な社会構造のようなものを持って)狩をする動物では己の「文化」(ま、犬はともかく、類人猿やニホンザルでは文化的行動は確認されています)への依存度が全く違うことが予想されるからです。
また今日のニュースですが
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040612-00002040-mai-soci
確か、この記事の中で、研究者は「犬は、ヒトなどとは違う進化由来を持つた抽象化能力を持っている可能性がある」とのべています
ただ、まあ、今後いかに動物の意識の研究が進もうとヒトほど肥大した自我や妄想を持つ動物がいないことだけは確かですが
>ゴータマのいっていることは、妄想かい? 強い信念かい?
簡単には言えませんが釈尊の元に集まった修行者の内、懐疑主義者グループから集団参加してきた者が200人(高弟の内、舎利仏や目連)もいたという事実は釈尊の思想に妄想色の少ない傍証にはなりますな。ただし、釈尊は出家弟子に対する教えは殆ど科学主義ですが(当時はカガクのカの字も無かったけど)在家に対しては神秘主義もOKでした。衆生の苦を救うためならダブスタなんぞ歯牙にもかけなかったわけで、さてはっ、妄想プラグマティストか?
>親鸞のいっていることは、妄想かい? 強い信念かい?
親鸞は、歎異抄の中でわざわざ関東から京都まで教えを聴きにきた人たちに向かってこういいます
原文は
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kouzanji/tanni.htm
**********************************************************
(前略)、俺にとっちゃね、(極楽往生の道は)「念仏して、阿弥陀仏にたすけてもらえ」と賢人(法然)におしえてもらった。そのことしかねーんだよ。実際、念仏が極楽行きの切符か、地獄行きの切符か実は知ったこっちゃねーのさ。
俺の場合、例え法然上人がサタンの使いで、間違った事を教えられ、念仏した為に地獄へ落ちる羽目になっても、損するわけじゃない。(中略)もともと地獄はオイラのホームポジションだからね。(中略)法然上人の教えがホンモノなら俺の言う事もまんざらウソじゃないってことはあんたたちもわかるだろう?ヘタレの俺の信心てのはこんなもんさ。で、念仏をとるか捨てるかってのは、あんたたちが自分で考える事って訳だ (拙訳:下手ですいません)
******************************************************************
つまり、(妄想を妄想と)「わかっててやってる」信念の人ですね
>日蓮のいっていることは、妄想かい? 強い信念かい?
この方の事は、小生は余り良く知りません。身延山には何度か行きましたが。巷説によると一番妄想色は強そう。鎌倉幕府に、念仏系宗派弾圧を建白して、自分が弾圧されたりとカ、予言とか…・。但し、弾圧されてもめげないところを見ると、虚言じゃなくて妄想は間違いないでしょう。ただこの方の資料は後世の偽書が多く、中々俗説が本当かはわからないようで。
近代のこの方の信者は、石原莞爾・宮沢賢治(ともに国柱会)・北一輝と妄想純度高そうな方ぞろい、戦後も力道山とか大山倍達(石原の弟子)とか濃ゆい・・
>I田T作のいっていることは、妄想かい? 強い信念かい
虚言でしょ。宗祖本仏論どころか俺様本仏論が出てきそうな・・・
「面影の女」を歌っていた人に近いのではと想像してみる。
地下に眠るM様。
先日は、猫様に「健全」「知のバランスの取れた」「常識にゃんこ」さらに「ヒューマンタッチ」などの、罵詈雑言悪口をあびせ(実はあとまだ、誠実/穏当などという暴言も用意していたのですが酔っ払ってて書き忘れました)大変申し訳ありません。深く反省しております。
およそ、小生の浅薄な見解など、常連の皆様やROMしている皆様にとっては「百も承知、二百も合点、だけど言わないのが掲示板のエチケット」というべきものでありましょう。
又、文中猫様が姑息に正体を隠そうとしているような文言がありましたこともお詫びいたします。ちょっと考えてみますれば、かのセンティメンタルをもってなる美しい詩(しかも超有名)由来のHNを堂々と名乗られている猫様には大変失礼な言いがかりであったと感じております。併せてお詫び申し上げます
temaさんに会ったことのない私ですが、
ヨンさんって、ボクみたいなタイプの男です...。
>絶対に、ずぇったぁいにぃ!!!!!
>ヨンさんみたいなタイプじゃない!!!!!!!!!!!!!
それでは、ここで(多分)唯一、大文字ナンさんに会った事があるtemaが、判定してしんぜましょう。
・・・・・
ヨンさんって、誰?
temaさんに賛成♪
動物が妄想を持たないという仮説は、とりあえず今は反証不可能だと思います。
というよりも、動物好きなボクとしては、
ニンゲンに出来ることの大半は動物にだって出来るはず、という「信念」を持っています。
カラスが針金を曲げて道具を作ること、カラスがクルミを車に轢かせて殻を割ること、なんかは、
「今あること以外の状況を想像できる証拠」だと思います。
それがなぜ妄想の始まりといえるか?
或るカラスが、すごくおっきな車の車輪のまえにクルミを置いたらしいです。
ところが、おっきな車は、クルミを踏まなかったのです。思い切り走ってたのにもかかわらず。
イメージと現実の乖離です。その瞬間、彼の想像は、価値のない、妄想だったことが証明されたのです...。
このおっきな車は、たまたまですが、車輪を格納しながら大空に飛び立つジャンボジェットだったらしいのです。
ある場末の酒場で出会った、泥酔してたカラスの泣き言より。(念のため、この発言は妄想じゃないです。証明不可能ですが。)
興味は示されど、同情は得られない(笑…んむ、それが人の世の常か。
先週の水曜日、つまり私が中国は黒龍江省、牡丹江市のホテルで「寝ている間」にそれは起きたのでした。なにが起きたのかというと、私にも「分かりません」のよ(マジ。
推論としては、
1:進化論を信奉する私に神が罰を与えた。
→たとえば信心深い「蛇」が私の局部を…
→たとえば神が直接に、私の局部を…
2:進化説を広める私に、神が啓示を与えた。
→進化説など広める以前に、局部をいたわれと…
→進化説を広めるために、局部は邪魔なのだと…
3:ただ「酔っ払った勢いで」なにかが起きた。
→泥酔している私に、最高の美女が…
→泥酔している私に、謎の工作員が…
→泥酔している私自身が、自らの手で…
などと推論は尽きないのですが、これはきっと「聖痕(スティグマータ)」に違いありません。ええ、先端部がもぅ、それは痛そうな状態に(笑。
>どんなふうに困っているのかを知りたい、すごく!
健全な男子であれば誰もが知っている「朝の恒例行事」が苦痛です。
>もし彼がそれらの知識をもった上で、ガラパゴス諸島のフィンチを観察していれば、ダーウィンと同じ結果に至ったかもしれません。
ダーウィンはそれらのフィンチを別種の鳥と同定し、それらがいずれもフィンチの亜種であることを同定したのはダーウィンの持ち帰った標本を調べた別の学者だ、ということは承知の上で、敢えて話を端折りました。
...全て吐き出した状況の擬態語兼擬声語)
>To ナン様(←勝手にこう呼ばせてもらってよろしいでしょうか、ヨン様みたいですが)
ボクはいまだにナンさんにお会いしたことはないですが、
絶対に、ずぇったぁいにぃ!!!!!
ヨンさんみたいなタイプじゃない!!!!!!!!!!!!!
どちらかと言えばマウンテンゴリラに似ているようです...。
地下に眠るMさん、こんにちは。既に賞味期限切れのネタかもしれませんが...
>(前略)文化とは妄想現実化装置である(後略)
ということについて、同意します。また、他の大部分についても同意します。
ただ、同意できない部分があります。
> 卵はおいしくて一日一個ではおさまらにゃーとか
あ、違いました。ここではありません。
> 「ニンゲンだけが妄想を現実化する。(後略)
この部分です。
temaは、文化には人々を結びつける機能がある、と考えています。そして、裏もまた真ではないか、と思っています。すなわち、文化がなければ人々は結びつくことができない、と思っています
群をなす動物である犬、狼、イルカ、等々。彼・彼女らは、一種の文化を持ち文化により群を成しているのではないでしょうか。もし、文化−妄想現実化装置を持つということであれば、彼・彼女らもまた妄想を現実化している、temaはそう思います。
さらに、群という結びつきだけではなく、「親子」という結びつきも文化による力が大きいと思っています。ただ、母性本能等を持ち出すといくら話しても結論が出ませんので、とりあえず、「群」だけ主張しておきます。
ところで、基本的に名詞は妄想である、と思いますが、どうでしょう?>all
To この世は仮の世さん
>ダーウィンとニュートンでは同じ生物学的事実をみても違う結論を出しただろうと思う。進化論はそういう間違った理論だ。
この両名が生きていた時代が異なるため、キリスト教の科学に対する支配力は大きく異なっていたと考えられます。その点を無視して語っても仕方ないかと。
ダーウィンが自然淘汰説の発表をためらったのは、自説に自信がなかったのではなく、宗教的理由から弾圧・処罰されたことを恐れたからです。
ニュートンの時代であれば、なおさらその圧力は強かったでしょう。
またこの両名では生きていた当時の科学的データの蓄積に多くの差があります。
そもそもニュートンは解剖学や博物学にはさほど通じていませんでしたし、もし彼がそれらの知識をもった上で、ガラパゴス諸島のフィンチを観察していれば、ダーウィンと同じ結果に至ったかもしれません。
ニュートンは、樹から地面に落下するリンゴの実と、天空に輝く月とが同じ万有引力によって支配され、地球に落下していることを考えた人物です。
天空の存在とて例外とみなさず、理論的統合を行うだけの知性があった彼であれば、全ての生物が同一の由来を持つという統合も受け入れられたかもしれません。
科学者は、一つの理論で全てを合理的に説明することを求めるものですから。
To ナン様(←勝手にこう呼ばせてもらってよろしいでしょうか、ヨン様みたいですが)
毎回のご返答ありがとうございます。早速…………
せっかく作った大部分は絶滅してしまいました。神様はなぜ愛の対象を滅ぼしてしまうのでしょうか?進化論は矛盾なく説明できますが、あなたはどうお考えですか?
と質問したら………………
>そんなの神様に聞かなければわからないではないですか。
………………………絶句!!!!!!わかんねぇーのかよ!! そこで
わからないでしょ、そうわからないのです。貴方が神の御心の全てを理解出来ないのと同程度に進化論(科学)にもわからないことが有るのです。わからないからわかろうと努力するのです。神様で全てを片付けないで。
牧師様
>なぜ人間は生物の進化を研究したのでしょう。
>それは、創造主なる神様がこの世界を創造するのに、どれほど愛を投入し、英知を投入>してきたのかを研究するためです。
>PEPE様ありがとうございました。
終わっちゃった!!!………………皆様御協力有難うございました。
それとナン様、やはりティムポを三回転させたからお怪我なされたのでしょうか?
>私が「果てしなく頭が悪くて下劣」なのは何を根拠に言ってるのかな?
そ、そりは、あまり深く追及しないほうが・・・
昔、竹内さんとうだうだ君が一覧表で五段階評価された事が有ったなあ。
>あなたは「発表(言うだけ言うけど聞くのはイヤ!)」してるのですか?それとも、「議論(ボクの考えを批判してください。ボクの考えをより良くするために)」してるのですか?
両方です。
>あなたは、
>>私がここに参加するのには目的があるが、その目的が達せられていない。
その目的とは自分の意見を世に発表することにより「自分の意見の論理的不備を指摘してもらうこと、違う視点からの意見、知識を教えてもらうこと」にある。
>と言っていますよね。これって、「仕方がないので議論に応じてる次第」じゃないんでしょう?
言ってることは矛盾してるようですが、議論が私の望む方角に行ってないです。原因は私の勉強不足にあると思います。
>ところで私、現在「局部を怪我した」ので困ってます(笑。
どんなふうに困っているのかを知りたい、すごく!
>ところで、チミが果てしなく頭が悪くて下劣なのは事実にゃんが。
事実をいうと暴言になるの?
ま、進化論という事実をどうしても間違いにしたいチミのことだし、チミは事実が大嫌いなのだよにゃ。
私が「果てしなく頭が悪くて下劣」なのは何を根拠に言ってるのかな?たとえ事実でも人の悪口は言ってはいけないとは小学校で教わらなかったかい?
同じ事実を観察しても人によっては色々に解釈する。大川先生はこんな言葉も言っている。「同じ水を飲んで牛はミルクをつくり、同じ水を飲んで蛇は毒をつくる」
ダーウィンとニュートンでは同じ生物学的事実をみても違う結論を出しただろうと思う。進化論はそういう間違った理論だ。
>それとね、僕は今、シヤワセなのよ、多分チミよりもずっとね。
その根拠は?シヤワセの定義もついでにね
>ところでチミはシヤワセかい?
今のわたしは幸福ではないと白状する。それは私の求める幸福が愛を与えることによって得る幸福、真理を学ぶことによって得る幸福だからだ。君の考える幸福とは何だろうか?
>どんな親のもとに生まれようと、自分の幸不幸は完全に自分の責任だぜ。
君からこんな言葉が出てくるとは思わなかった。これは大川隆法先生の教えとも一致する。
>自分の幸不幸を誰かの責任にするやつを「ハナタレの餓鬼」ちゅうんだ。
いい年ぶっこいて、親がどうこういうハナタレ風情が、他人様に幸福がどうこう抜かすな!!!
私が親の悪口を言ったらこんな言葉か・・・私は親の悪口を言ったが、別に今のわたしの不幸の原因を親のせいにしている訳じゃない。大川先生の教えを元に親に対する見方を変えている最中だ。
ところで「地下に眠るM」で検索したら面白いことがわかった。このHNの由来である。
>私は自分が正しいと信じていることをここで発表してるんです。
あなたは「発表(言うだけ言うけど聞くのはイヤ!)」してるのですか?それとも、「議論(ボクの考えを批判してください。ボクの考えをより良くするために)」してるのですか?
あなたは、
>私がここに参加するのには目的があるが、その目的が達せられていない。
その目的とは自分の意見を世に発表することにより「自分の意見の論理的不備を指摘してもらうこと、違う視点からの意見、知識を教えてもらうこと」にある。
と言っていますよね。これって、「仕方がないので議論に応じてる次第」じゃないんでしょう?
(ボクは、アナタの主張を元に反論しています。これが、(原始的ではありますけど)弁証法ですよね...。)
1.局部のどのあたりを、どんな状態に、ケガしたのでしょうか?
例えば、根本のあたりを、すりむいた、とか、先端を、やけどした、とか。
2.なぜ、そうなったのでしょうか?
例えば、乾布摩擦を、一般的でない部所に、しすぎた、とか、バイアグラよりも効果のあると言われている備長炭の粉末入りのモグサを、効き目が思い切り出るように、XLサイズで行った、とか。
私ごときの想像力をはるかに超越した事件があったのでしょうね...。
>そうだとしたら議論する必要なんて無いじゃない?議論って、「正しいかどうかわからないこと」について行うものでしょう?弁証法って、議論を通じて真理に近づいていく行程のことでしょう?正しいと分かり切っていることには弁証法は使えない。
私は自分が正しいと信じていることをここで発表してるんです。ただ私の主張が常識に反してるため反論があるんです。仕方がないので議論に応じてる次第です。
弁証法については価値相対主義との関連で考えてます。正反合で得た真理もまた次の正反合というプロセスに組み込まれます。つまり合で得た真理が次の正反合の正になるんです。こう考えると絶対に正しい真理というのはないことになります。
価値相対主義については「正しさの多様性」というキーワードで考えてます。正しい真理は一つではなく沢山あるが、究極的に正しい真理は一つだけです。
>あなたは、そんなに言いながら、実は、自分が間違ってるかもしれない、と不安になっているんでしょ?不安だから、「反論して自分の意見の正しさを強弁する」んでしょ?
不安になどなっていません。自分の主張の正しさに確信を持ってます。確信を持ってるから議論に応じてるんです。
>「確実に自分が正しい」と信じている人は、相手の言葉に耳を傾ける余裕があるものです。
あなたの発言には余裕が感じられない。まるで、相手の発言の真意を読みとるのを怖がってるかのように、いつも、わざと本論を外して反論してる...。
私の発言に余裕がないのは私が勉強不足だからでしょう。「いつも、わざと本論を外して反論してる」ように見えるのも私の勉強不足が原因だと思います。
>いい年ぶっこいて、親がどうこういうハナタレ風情が、他人様に幸福がどうこう抜かすな!!!
昔のヒトは言いました。
『親のエンガチョ子にかかり』・・・ああ・・・無情。
(アーム・ジョーってマンガをしりあがり寿が描いてたな)
ところで私、現在「局部を怪我した」ので困ってます(笑。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。