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びっかむさん、はじめまして。
>分子の結合により生命が偶然できる確率は、
>全宇宙の海から一本の針をさがすよりもありえないことであり
とても小さい確率の上に生命誕生が成り立っている、ということでしたら同意します。
しかし、進化理論は生命誕生を解き明かすものではないはずです。ヒントを与えることはあるでしょうが。
>しかし私達はここにいる。しかし、完全ではない。
一種の人間原理を言いたいのでしょうか?そして「完全である」とか「完全ではない」というのも「叙情的見解」なのでしょうか。
>生命の存続は不安定な状態の維持にかかっている。
>それはたえず、応急修理をほどこし、数限りなく部品を交換することによって
>やっと旅を続けられる車みたいなものである。
その通りなのですが、この喩えからなにを主張されたいのでしょう。
この宇宙では、恒星の核融合反応にしろ、なんらかの活動を行なっている「系」は、すべて不安定と言えます。熱的な「安定」とは、要するに私たちから見て「死んでいる」状態を指すのではありませんか。
びっかむさんへ
>ネオ・ダーウィニズムという説で進化論は解決したかに思えるが
>分子生物学や古生物学からの観点では
>突然変異が自然選択で選ばれ進化するというのは過去の理論で
>突然変異も自然選択も、今や正反対の働きをしている。
もし本当なら凄いことですが、おそらくは貴方の勘違いでしょう。どの学者さんが新理論を提唱したのでしょうか。そして、それはどんな理論なのでしょうか。教えて頂ければと思います。
私の記事に対し、いろいろとご意見いただき有難うございます。
「母性愛」の私の叙情的見解について、wadjaさんの質問
A.進化論が正しいと、愛に意味が無い。利己的な遺伝子が正しいと、生き物はすべて
孤独になる。故に進化論も利己的な遺伝子論もまちがいである。
B.進化論も利己的な遺伝子論も正しい。故に愛に意味は無いし、生き物はすべて孤独 である。
のどちらか?一つを選択しろには、正直言って無理があります。
私の見解ではAでもBでも、今のところ無いとの判断です。
ネオ・ダーウィニズムという説で進化論は解決したかに思えるが
分子生物学や古生物学からの観点では
突然変異が自然選択で選ばれ進化するというのは過去の理論で
突然変異も自然選択も、今や正反対の働きをしている。
故に「進化論は未完成である」が私の見解です。
利己的な遺伝子については
例えば
分子の結合により生命が偶然できる確率は、
全宇宙の海から一本の針をさがすよりもありえないことであり
しかし私達はここにいる。しかし、完全ではない。
生命の存続は不安定な状態の維持にかかっている。
それはたえず、応急修理をほどこし、数限りなく部品を交換することによって
やっと旅を続けられる車みたいなものである。
「カマキリの共食い」について
秋月さんの、雌が雄を生殖行動後に食べるのでは?は誤りで
私の実験では、殆どの雌は雄の頭を食い千切り、
その後に交尾を行っている。
もちろん異例はあるが・・
トトロさんの
空腹かどうかでオスを食すかどうかが決まる。の説は確かに正しいと思います。
カマキリに限らず万物がその摂理に従い生きている。
私が言いたいのは、そう言った短絡的解釈ではなく、
雌が雄を交尾する前に「頭」を食うという、
生に対する万物の刹那的側面を言いたいのである。
びっかむさん、初めまして。トトロと申します。
子供の夏休みの観察で、よくオオカマキリやハラビロカマキリを飼いました。カマキリはそれほど頻繁に餌をあたえなくても良く、飼い易い昆虫です。
餌として生きたコオロギやバッタ、イナゴの類を与えるのですが、いづれも後頭部から食べ始めることを観察しました。恐らくはそこに神経節があり、それを破壊することで暴れなくしているのだと思います。
空腹のメスカマキリにオスを近づけると、交尾の間も無く食べられてしまいます。メスを飽食させておいてオスを近づけると、かなりの率で交尾に成功し、生還(?)します。
このことからトトロは、”雌は雄の抑制機能を奪うことで、交尾に専念できる”ことよりも空腹かどうかでオスを食すかどうかが決まるのでは・・・と考えています。
びっかむさん、初めまして
カマキリは基本的に共食いをする昆虫です。
カマキリの共食いにおいては雄雌でも雄同士でも雌同士でも
基本的に相手の行動力を瞬時に奪うために頭を食いちぎるのが一般的です
さしものカマキリでも生殖行動中は雌が雄を食うと言う行動は少ないと思います
殆どは生殖行動後に食べるのでは無いでしょうか?
抑制機能うんぬんの話はよくわかりませんがそれほど一般的には考えられていないと思います
人間の所謂『愛』と言うものが自己保存欲の延長かどうかは議論する余地があると思いますが
秋月的には『アガペー』の存在を信じたいと思います
>セクシーな表情や喘ぎ声を無意識に出すことにより、
本能的に男の抑制機能を奪っているのである。
例え年取っってようが、奪われたいwadjaだったりしますが・・・。
びっかむさんお初です。
でさっそくですが、あなたが何を言いたいのか、もう少しわかりやすく説明していただけると有難いです。
A.進化論が正しいと、愛に意味が無い。利己的な遺伝子が正しいと、生き物はすべて孤独になる。故に進化論も利己的な遺伝子論もまちがいである。
B.進化論も利己的な遺伝子論も正しい。故に愛に意味は無いし、生き物はすべて孤独である。
のどちらでしょう?気になって夢見が悪そうなので、気が向いたら教えてくだされ。
カマキリの雌は交尾するとき、隙あれば雄の頭を食い千切ろうとする。
カマキリの頭と生殖機能は分離していて、頭は抑制神経の座にあるので、
頭を食い千切ることで、より生殖機能を活発化することができる。
つまり、雌は雄の抑制機能を奪うことで、交尾に専念できるということである。
人間の女性も同じで、性行為の最中は、
セクシーな表情や喘ぎ声を無意識に出すことにより、
本能的に男の抑制機能を奪っているのである。
愛は意味を持たない概念に過ぎない。
普遍的な愛なんてものは、進化の過程においては何の意味も持たない
生物学者は、ある意味で皆そう思ってる
たとえば母性という母親が持つ愛情も、
雄の精子よりもたくさんの栄養を持つ卵子を提供している雌が、
その見返りを求めて子供に執着しているとも考えられる
全ての遺伝子が利己的であるという説が正しければ、
生き物はみな本質的に孤独なんだ
水辺に集う水鳥たちも、人間だって、一人ぼっちなんだ
生まれてくる時も、死ぬ時も…
ハッター さん
チューリングパターンはよく知られた話で検索で出てきますが、ここなどおもしろいでしょう。
http://www.granular.com/ISCM/971130.html
DBRCTさまレスありがとうございます。たぶん以前t値検定のお話があったとき同じ話題でレスした事があると思います。ハンドルからも統計にお詳しいのだなぁという印象を持った覚えがあります。紹介いただいた本ぜひ読んでみたいと思います。
たんぽぽさまへ
レスありがとうございます。確かに日本の神話などを読むと唯一絶対の神ではないですよね。
今日の朝日新聞の23面にアラン・チューリングの反応拡散方程式の話が載っていました。不勉強なもので今日までこの件を知らなかったのですが、このような形で生物の模様が説明されるのであれば擬態の精巧さも偶然と自然選択で理解できるのかなぁと素人考えでは思ってしまいました。しかし、自分の専門に近い分野での科学記事の不正確さを思うと鵜呑みにしていいものか、、、という感は否めません。いつも”教えて!教えて!”では申し訳ないので調べてみます。
ハッターさま
>彼女は東部出身で彼女も”そんなにいるの?”という感じでした。
>南部のほうの超保守派にはそういう人が多いかもという話でした。
やはりアメリカのかたでも、半数近くもいないのでは?という感覚なのですね...
(でも、リンク先の記事にも、南部のほうへ行くと
多くなるようだと、書いてはあったけれど...)
>第二次世界大戦前の日本では天皇って神様だったけどそれでも進化論は受け入れられていたの?
日本神話によれば、イザナギとイザナミのふたりの神様で
日本列島を作った(というより産んだ)、というお話にはなっているけれど。
(でも、世界のそれ以外を創造した、ということはないみたいです...)
http://homepage1.nifty.com/tosyo/kojiki.html
めっちゃ お久しぶりです。DBRCTです。
多分、ハッターさん 初めまして。
ちょうど最近読み直した本に 長野敬 進化論のらせん階段 青土社 が
あります。この中に日本の進化論黎明期の話が書いてありました。今仕事場で
てもとに本がないのですが、出版された本の広告が載せられていたり、にやり
とできるものでした。
ググったら、紀伊国屋のサイトが一番に出てきましたので、ご参考までに。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4791753496.html
GOAさんぽんさんレスありがとうございます。
GOAさんから教えていただいたほうで社会学的な解釈をぽんさんのひいおばあさまのお話はその当時のリアルな感想として今度話してみようと思います。私自身にとってもとても勉強になりました。
>”第二次世界大戦前の日本では天皇って神様だったけどそれでも進化論は受け入れられていたの?”
聖書の神は「天地創造した神」だけど、天皇は、「天地創造した神」である必要がなかったんじゃないかな。だから、進化論は別に問題にならなかったのでは・・・
っていうか、「天皇が神様」っていってた時の「神様」って一体どういう定義だったんでしょうか?
その時代に宮内庁が「天皇は人間離れした奇跡を起こす」みたいなショーをやったわけでもないらしいし、天皇はいつかは死ぬのは分かっていることだし。。
そういえば、私が子どものころ、ひぃおばあちゃんが「天皇が神じゃなくて人間だって言われた日は本当に驚いたんだよ。天皇が便所に行ってうんちやおしっこをするだなんて、どうしても信じられなくてねぇ」と話していました。
彼女にとっては「神様」の定義は「うんちやおしっこをしない人間」だったのかな??
(飲み食いはするんだろうか)
>適応的とか言う方がベターじゃないでしょうか?
もっと正確を期するなら、「進化論の自然選択説における最適な戦略」とでも言うべきでしょうが、話の流れの中では自然選択説が所与だった気がしますし、「適応的」というのは進化学以外でも普通に使われる言葉だし...また言い訳してるな。>自分
ハッターさん
ググってみたところこんなページが見つかりました。参考文献も記されているので詳しく調べることもできそうです。
http://www.asahi-net.or.jp/~yf8o-nbt/toseiken/kuchikomi/Q-A/senzen.htm
戦前の文部省は天皇崇拝の教育には強い管理をしていたが、科学に関しては寛容であった。宗教的な束縛もなく、進化を教えてはいけないと言う制約は全くなかったと考えてよい。しかし、カリキュラム上は進化を教えるための科目がなかったので、個々の先生の判断で教えていたはずである。
「たとへ種類が変化するといふ結論になったとしても、ネコがトラに変わるというやうに、現在生活してゐる生物間での移行は起こらない。幾千代も前の同じ祖先からでた二つの種類が、一方はトラに変化し、一方はネコに変化してきたということが推論されるだけである。」
現在にはびこる誤った進化論理解に比べると遙かに正しい記述ですね。昔の方がちゃんと教育していたのかも?
以前話していた英語の先生に、創造科学と進化論を妥当とする人の比率について聞いてみました。彼女は東部出身で彼女も”そんなにいるの?”という感じでした。南部のほうの超保守派にはそういう人が多いかもという話でした。彼女の感覚だとアメリカ全体で3割3割ぐらいの割合で創造科学と進化論を妥当とする人がいるのではないかという話でした。それで、逆に聞かれたのですが”第二次世界大戦前の日本では天皇って神様だったけどそれでも進化論は受け入れられていたの?”と。そのあたりの事情はどうだったのでしょうか。
>進化論が広まる以前は、キリスト教が生命観や生物の起源を説明し、人々にモラルや倫理観を提供していた。
>しかし、進化論の登場によってそれらが誤りだということになると、
仏教を布教するチャンスだったのか(笑
「将来の子孫の数が最大になる可能性が高い」ということなら、適応的とか言う方がベターじゃないでしょうか?
自然淘汰説は進化論という大きな括りのアイデアというか考えというか、そういうものの一部じゃないですか?
進化論という大きな括りの中には、それが偽とされている説もあるわけだし。
ウィルス進化説も進化論の一部だし、ラマルク説もそう。さらに言えば神様が時代毎に生物を創造していったんだというのがあったらそれもある意味進化論じゃないですか。
「将来の子孫の数が最大になる可能性が高い」というのを進化論的と言ってしまうのには違和感を感じるんだけどなぁ、、、
JA50さん。
>進化論的に最適って?
どういう定義なんでしょう?
単に、「将来の子孫の数が最大になる可能性が高い」、位の意味に使ってますが変ですか?
ぽんさん
>「社会の中の進化論」という章に
分かりやすい説明があるのを見つけました。
すっかり中身を忘れてしまってました。わざわざ全部プリントアウトして持っていたのにな...。やはり、言い訳しながらいい加減なものを紹介しちゃいけませんなm(__)m
wadjaさん、ありがとうございます。
せっかくご紹介していただいたページは、タイトルだけからして私もあんまり真剣に読む気がせず、(「平等」なんて言っておきながら実は結構偏見の塊の人間かも。私って)自分でもググってみたら、こちらのリンク集にも載っている
「Web版 初めての進化論」の中の「社会の中の進化論」という章に
分かりやすい説明があるのを見つけました。
ttp://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/Page27.html
>進化論が広まる以前は、キリスト教が生命観や生物の起源を説明し、人々にモラルや倫理観を提供していた。しかし、進化論の登場によってそれらが誤りだということになると、キリスト教のかわりに進化論に倫理やモラルを見つけようとする人が現れたとしてもおかしくない。
という文章は、ちょいと身につまされるものがありました。
進化論的に最適って?
どういう定義なんでしょう?
>自分でも調べてみますが、お勧めの本や資料などありましたら、ご教示いただければ幸いです。
社会ダーウィニズムに関しては、wadjaはあまり詳しくないので、鵜呑みにしないので欲しいのですが、wadja自身は(世に一般に言われる社会ダーウィニズムかどうかは別にして)、
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~j-carp/03science/95-11/06.html
に書いてある程度の意味で使っています(HP全体の主張に賛同するわけではありません。タイトルだけから判断してHPの主旨には賛同できそうにないけど全体を読む気もしないので)。根底に、進化論的に最適=社会的に正しいこと、とする主張が共通する社会思想は、社会ダーウィニズムと呼んで差し支えないのかな?
たんほぽさん
>>ところで基本的人権とは具体的には何でしょう?(diamonds8888xさま)
>
> これを、はっきりさせすぎるのは、かえって危険かもしれないです。
基本的人権の定義をはっきりさせて固定してしまうという意味で言ったのではありません。一口に基本的人権と言っても生存権あり自由権あり時代により違いありなので、具体的に人権Aはどうだこうだ、でも人権Bはどうだこうだと議論すべきで、ひっくるめて人権について議論してもすれ違いが起きるでしょうと言いたかったのです。
>「超能力は存在するか?という論争など、なにがあってもかかわりたくない。
>いまそこにある「超能力だ」と言っている現象が、
>本物かトリックかを示す、ということに論点をしぼったほうがいい。」
はい、こういうことを言いたかったのです。
それと、もうひとつ、多分に実務的なことだけど、
ようは、ご自分のなさっている、NPOの活動のじゃま立てをする議論に
対処できればいいのでしょう?
(そういうわけではないのかな...?)
もし、そういうわけでしたら、そのとき問題になっている、
反人権的主張が誤りであることを示す、ということだけに、
論点をかぎったほうがいいと思いますよ。
基本的人権の尊重は正しいか?なんて一般的なことまでお話を拡げると、
議論が拡散して泥沼におちいってしまいかねないし、
自分の知らないことを持ち出されると、答えられなくなります。
(それで、こっちが返答につまたっら、やっぱり人権はまちがっているんだ、
なんてことにされては、かなわない...)
松田道弘氏が、『超能力のトリック』という本の34-35ページあたりで、
「超能力は存在するか?という論争など、なにがあってもかかわりたくない。
いまそこにある「超能力だ」と言っている現象が、
本物かトリックかを示す、ということに論点をしぼったほうがいい。」
のようなことを書いていますけれど...
まあ、おなじようなものだと思います、はい。
ぽんさま
>「平等」
わたしは、このあたりは、「平等をめざそう」というより、
「権利の侵害をなくそう」のように考えているのですが...
(本人が侵害されていると感じているかが、大事になりますよね...)
「機会の均等」のほうも、環境とか出生の差をなくして
みんないっしょにしよう、というよりも、
本人のせいでない環境や出生よって、差別され不利益を受けるのをなくそう、という感じかな。
本来なら、そうした生まれながらの違いがあっても、
それにかかわりなく、能力が発揮できるところなのに、
実際には不当に機会が制限される、ということは、
現実には、まだまだたくさんありますし...
(ただ、こういったことをつきつめていくと、
環境とか門地の差も、人為的に作られた不公平であり、
なくせるはずのものではないか?のように考えることもありますけれど...)
>「敵を倒さないと」「(軍需産業に頼っても)経済・産業を発展させないと」
>「自国民を全て管理下におかないと」etc・・・
>→「あなたの生活の安全(安定)が脅かされるんですよ!!」(ぽんさま)
それからこれだけど、「生存本能」ってよく言うけれど、
生物学的な意味での「本能」ではないはずですよ。
早い話、ミサイルが飛んできたらどうなるか、とか、
景気が悪くなるとどうなるか、とか、学習して知っているから、
危機や恐怖を感じることができるのだし...
(それで、基本的人権が、本能に根ざしているかどうかに
あまりこだわらなくてもよいのではないかな、とも思うんだけど...)
>ところで基本的人権とは具体的には何でしょう?(diamonds8888xさま)
これを、はっきりさせすぎるのは、かえって危険かもしれないです。
時代とともに、社会が変化すれば、それにともなって
新たな差別の構造や、権利の侵害などが出てくる
(あるいは、それまでは、侵害と意識されなかったが、
意識されるようになる)ことが、あるからだけど。
(あまりきっちりと規定してしまうと、そこからはずれたものが現われたとき、
取りこめなくなりますし...)
>昔特権階級が持っていた自由権(例えば切り捨てごめんとか)は
>現代に近づくにつれて制限されてきています。
これは、殺される非特権階級の人たちの人権が侵害される、
と考えるようになって、御法度になったのでしょうね...
(基本的人権は、他人の人権を侵害しないかぎりにおいて、
最大限尊重されるのですから...)
>歴史的な闘争によって勝ち得た権利だと思っています。
>だからこそ尊い権利なのではありませんか?(遠藤さま)
たくさんの人間の涙と血としかばねの上に、築き上げられたのだ...と言ったのは、
バートランド・ラッセルだったかな...?
>平等を突き詰めると「みんな一緒」ということになってしまい、
>極論すると社会主義的な「強制された平等」まで行き着いてしまいます。
わたしもこの書き込みを読んだときに「いや、結果の平等じゃなくて、機会の平等ってことなんだけどな・・・」と思ったのです。
でも「機会の平等」を完璧に実現しようとすると「生存権の保障」(憲法25条)の見直しが必要になるという主張もあって、私はそれには賛成できないので、自分の使っている「平等」という言葉の定義のあいまいさに気づき、反論できませんでした。
ただ、私からすると、大文字ナンさんの
>私の見解では、それは機会(確率)の平等と運命論(機械論)的な時間の否定によって、既に成されていると思います。
>すべての生き物が死滅することなく生き延びてなどいないように、人間社会においても、生まれながらの有利不利、能力差、その他の差異が必ずあります。
というご意見も、「突き詰めて極論」すれば、現状を肯定するだけの運命論者みたいになるように思いました。
で、結局、
>要はそのバランスを保つことが「平和」とか言われているんじゃないの?と思うのです。(大文字ナンさん)
というご意見には賛成なので、うやむやにしてしまったのでした。
もちろん人間にも能力や環境の差があり、強者と弱者が生まれるのは当然だと思います。
そして、強者が、自分の力を活用してより豊かになる「権利」は当然あると思います。
でも、それが、他の人間の「生存権」までを脅かすことになれば、どっちの権利を優先するかと言えば、「より豊かになる権利」をちょっと制限して、「生存権」を優先した方が良いんじゃないかな、という比較の問題です。えーと、だから、「平等」というのは、この「生存権」を皆平等に、ということになるのかな(これも「極論」されると困るけど)。
(「人権」と書きたいところですが、人権の定義をちゃんと提示できないので、ここではとりあえず「生存権」に限定。)
>なお私は、人権が本能的な欲求から自然に兼ね備えている権利だとは思っていません。人権は、権力者に対抗するために考え出され、歴史的な闘争によって勝ち得た権利だと思っています。
人権そのものは自然に備わっているわけではなく戦わねば勝ち取れないものだけど、人権がほしいという欲求は誰もが自然に持っているもの、と言えばよいでしょうか。
To たんぽぽさん
ん〜、なにか書き方がまずかったかな?
私としては、とてもちぐはぐな疑念を示されてしまった、と感じるのですが…
外国人労働者の問題は、どこかから、どころかそこら中で問題になっていますよね?ただ、私がぽんさんに補足したのは、誰かがそれを批判しているから、ではなく、人権問題を考える上で、そうした事例が参考になるのではありませんか、という提示です。ソヴィエト共産圏が消失したことは、社会〜共産主義に不都合があるのか、ソヴィエトというシステムに付随する欠陥に根ざすものなのか、明示できるでしょうか。というか、平等を制度として突き詰めると、最後には社会主義に行き着いてしまいませんか?という問いかけに過ぎません。救命艇の倫理については、先の発言で私は念頭に置いてさえいません。
>「基本的人権は尊重されるべき」という主張の持つ説得力と、
>それが進化論的にも最適だとか、生物の本能に反しないとかいった性質が
>wadjaの中ではリンクしないんです。(wadjaさま)
>なお私は、人権が本能的な欲求から自然に兼ね備えている権利だとは思っていません。(遠藤さま)
わたしも、基本的人権は思想であって、
生物としての本能に直接根ざしてはいないな、と思っているんだけど...
基本的人権は(もっと前の起源が、考えられないこともないけど)、
政治学の古典ともいうべき『リヴァイアサン』に出てくる、
ホッブスの「自然法」「自然権」が、はっきりした始まりと言えるしょう。
その後、約3世紀にわたって、人権思想の普及のために、
人類は莫大な労力を注ぎ込んでいて、それはいまも続いています。
生物的な本能なら、お腹がすくとか、眠くなるとかいうのと同じように、
あたりまえに備わっているでしょうから、
獲得や普及のために労力を費やすこともないでしょうし、
いわゆる「起源」もないように思います。
(そもそも「存在するか?」なんて、議論することもないんじゃないかな...?)
特定の個体が、生きたいとか、死にたくない、とかいうのは、
本能に近いところにあるのかもしれないです。
でも、「基本的人権」は、人類が本能的に身についているのでなく、
後天的に学習し、知識や思想として、
つぎの世代に伝えているものなんだろうと思います。
それと、wadjaさまも、かぜ、おだいじにしてくださいね。
大文字ナンさま
>平等を突き詰めると「みんな一緒」ということになってしまい、
>極論すると社会主義的な「強制された平等」まで行き着いてしまいます。
「結果の均等」ということですか...?
そのような「究極の社会主義」が、基本的人権を尊重した社会にならないことは、
すでにはっきりしたと思いますよ。
(「ソビエト共産圏」は、もう消えてなくなってしまいましたし...)
>もしも本質的な自由と平等、人権思想を徹底するなら、
>いわゆる先進国は自分たちの持っている財産や地位を捨てなければならないのでしょうね。
「救命艇の倫理」、でしょうか...?
あれは、豊かな国が、貧しい国に、単純に物資を与えれば解決するほど
簡単にはいかない、ということだったと思いますが...
それと、外国人労働者のことは、
どこかから批判が出ているのでしょうか...?
賃金を是正すると、労働の場所を奪うことになるなら、
それはそれで、権利の侵害とも言えますし、
単純に解決しないことだ、くらいのことは想像できますけど...
(わたしは、くわしくないので、ほとんど語れませんが...)
みなさん、ありがとうございました。
掲示板の流れを無視したカキコでホントにごめんないさいです(-_-;)
紹介されたサイトや本でいろいろと勉強してみたいと思います。
To ぽんさん
生存や繁殖という「本能」に対して、優位でも劣位でもなく、文化として蓄積された指標や規範など〜を指して、私は価値と表現しました。意味とか、目的という言葉も同様です。いわゆる「自然主義的誤謬」のひとつと捉えてください。
http://homepage1.nifty.com/NewSphere/EP/b/ep_nature.html
たとえば「平和」ですが、平和であることが個体にとって有利か不利かは微妙です。生存するために争いは出来るだけ避けるべきですが、人類全体が平和だろうと戦争状態だろうと、個体にとってはあまり関係ありません。子供を食うという「残虐」な行為も自然では頻繁に見られますが、だからと言ってヒトの価値観としてそれが「善いこと」であるわけはありません。
久しぶりの投稿です。
>どこからどこまでが「自然」で、どこからどこまでが「自然じゃない」(人間が
>作り出した、人間固有の?)価値なのか、普通は、どのような捕らえ方をするん
>でしょうか?
結論から言うと、これを明確に区分することは難しいと思いますね。私の考えは、「どうもなあ」(2003年06月15日 3時00分投稿)に少し書いています。以下引用。
--------------------------------------------------------
妥当?進化論さんの初期の問題提起は面白い内容だったと思うんですよ。人間の行動の一つに「自己犠牲」がある。そして、利益を与える対象に全く血縁関係がない場合がある。進化論では社会性生物にワーカーが存在していることを説明できているが、人間のこの行動は、進化論で説明できるのか、また説明できないのなら、どこまで進化論的に解釈できるのか。
という内容になる可能性があった。私は、野球を進化論(生物学)的に考えることのおかしさについて考察したことがあります(ツリー掲示板のmsg2471)。しかし、野球をチームで戦う闘争本能の発現の一形態として考えると、そうした闘争本能については進化論で扱えそうに思われる。人間の文化(ミーム)的影響と遺伝子(ジーン)の影響の境界をどう区別するか?(中略)
線路に落下した人間を助けて自身は亡くなったという事例を考えてみます。人間には、近くにいる人間を助けろとプログラムされた遺伝子があるというのは、十分にありそうです。古代では自分の近くにいる人間が血縁者であることが多いと予想され、こうしたジーンを持つ種は、持たない種にくらべて子孫を残す可能性が高そうです。
しかし、ミームの要因もあることは確実です。人命救助を報道するマスコミ、子供時代に読んだ「オランダの少年」、テレビドラマにおけるかっこいい主人公の活躍、こうしたことは全てミームとなり、人間を人命救助行動へと働きかけます。
--------------------------------------------------------
ただし、ぽんさんの疑問は対称が人間以外にも広がっているようです。ニワシドリについては知りませんでしたが、ニワシドリのメスに尋ねても答えは返ってこないでしょう。ぽんさんがさらに議論してみたいのであれば、ツリー掲示板に移ってみませんか?私は最近忙しいため、頻繁には参加できないと思いますが。
なお私は、人権が本能的な欲求から自然に兼ね備えている権利だとは思っていません。人権は、権力者に対抗するために考え出され、歴史的な闘争によって勝ち得た権利だと思っています。だからこそ尊い権利なのではありませんか?
すみません、大文字ナンさん、
>自然は価値を求めない、
という意味、一瞬分かった気がしましたが、やっぱり分かってません。
例えば、生物は大体、生き延びることに「価値」を置いていると思うのですが、大文字ナンさんのおっしゃる「価値」はそういう「価値」とは違う意味で使っていらっしゃるのですよね?
あと、例えばニワシドリは、(最近アッテンボローの番組を見て知ったんだけど)それぞれ美しい庭を造ってメスにアピールする。人間から見たら、どうやってメスが庭(センス)の良し悪しを判断するのか、そして、それが子孫を残すこととどのような関係があるのか、その価値観には???なのだけど彼らなりに価値観があるのかなぁと思ったりしました。
どこからどこまでが「自然」で、どこからどこまでが「自然じゃない」(人間が作り出した、人間固有の?)価値なのか、普通は、どのような捕らえ方をするんでしょうか?
いやはや、以前「救命艇の倫理」の話を出したときに
>そっか、人権という思想の根拠を「生物」的に説明しようとすること(しかも足らない知識で)がおろかだということがよくよく分かってきました。もう、やめます。
と書いたくせに、またうだうだとしつこく考えてしまいました。物分かり悪くてすんません。みなさまご親切にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。やっと理解できてきた気がします。
「人権」とか「平等」とかいう言葉は、色んな意味や使われ方があると思うのですが、私がどのようにこの言葉を使っているかという前提をきちんと提示しない(できない)ことも問題だったと思います。
>ただ、「進化論的に正しいことが、倫理としても説得力をもつ」というのは、
>注意したほうが良い考え方だと、wadjaは思ってます。
確かにそうですね。「自然は価値を求めない」(大文字ナンさん)の意味が理解できた気がします。
ただ、私は優生思想についてはちょっとは知っているのですが、「社会ダーウィニズム」については知らないので、ご指摘いただいた危険性が分かりません。自分でも調べてみますが、お勧めの本や資料などありましたら、ご教示いただければ幸いです。
なんか、私の考え方は、「創造神学は科学的だ〜」って言ってる人と似てて、結論始めにありきの、「人権『科学』」をしたかったんですかねぇ。とほほほほ。
>「人間は皆平等」
>って考えは、一人当たりの生産量が増えていった結果、身分固定による不経済を是正するために考え出された方便ではないかと思うんじゃがどうじゃろうか?
私は、情報伝達能力の発達と、歴史の推移の速度が速まったことが原因かなぁと思ってましたが、なるほど、そういう考え方もありますね。
秋月さま、
>エロヒムは神(正確には複数形だから神々)ていう意味で日本語訳も『神』が多い
>アドナイは主あるいは主人、あるじ(これも複数形、単数形はアドン)って意味で
>基本的には『主』と訳される
そうなのですか。日本語訳は英語のLORDとLordを倣って両方「主」にしちゃったのかな。
もともとのエロヒムとアドナイとヤハウェの使い分けって何なんでしょう?原資料の成立年代の問題なんですかね?
>あと、『〜の神』と訳されている部分の中にはエル・〜と言うのが使われている場合もある
これ、私も聞いたことあります。
だから「エルサレム」は、「サレム神」という意味で、エルサレムは、本当は「サレム神」の都なんだよ〜、それを勝手に他の宗教が取り合うなよって皮肉ってた人がいたなぁ。(そういえばイスラエルのエルも関係あるのかな?)
>wadjaもあまり考えていません(笑)ゆんさんを引用させていただいたのは、
>社会ダーウィニズムに言及されていたからです。誤解を招くような発言だっ
>たかもしれません。すみません。
あ、いえいえ。
謝っていただくほどのことでも。
>ただ、「進化論的に正しいことが、倫理としても説得力をもつ」というのは、
>注意したほうが良い考え方だと、wadjaは思ってます。
同感です。
下手をすればかの「社会ダーウィニズム」ですら、それを説いた者は善意から
の行動だったかも知れないわけで、倫理を語るのに科学的事実を根拠として持
ち出すのにはじゅうぶん気をつけるべきだと思っています。
ぽん様へ
もっと詳しい人から助け船がでると思いつつ知ってる範囲で
旧約聖書の中で神あるいは主って訳されている言葉は色々で
たしかヤハウェ以外にもエロヒム(神)やアドナイ(主)が使われている。
エロヒムは神(正確には複数形だから神々)ていう意味で日本語訳も『神』が多い
アドナイは主あるいは主人、あるじ(これも複数形、単数形はアドン)って意味で
基本的には『主』と訳される
あと、『〜の神』と訳されている部分の中にはエル・〜と言うのが使われている場合もある
例えばエル・シャダイを『全能の神』と訳すように(エルはエロヒムの単数形)
一方、ヤハウェは神様の固有名詞みたいな感じで使われているのがおおいらしい
英語の聖書では、ヤハウェの部分はすべて大文字のLORDと書き、エロヒムはLordと書いて使い分けているって聞いたこともあるけど。
『存在する』って言う意味のヘブライ語も別にあるから(たしかハバフ?ヤバフ?だったけ)
一般には余り言葉の意味を重んじて使われてはいないとおもう
『私の名前は天界を照らす偉大な神という意味の、天照大神じゃ』
って感じで単に固有名詞が『天照大神』か『ヤハフェ』と言う感じでしょうか
もっとも、神学的な意味合いがどうのこうのって言う人も多いから
こんな言い方すると怒られるかも知れないけれど。
にとろっちさんへ補足です。
>宇宙の始まりって聞いているんですが、何で何もないところから大爆発?
なんにもない状態を「真空」と言います。一般に言う真空は「空気がない状態」ですが、もう少し物理学な言い方をすると「物質も、エネルギーも、重力場も、時間さえも、とにかくナンにもない状態」と言えば良いでしょうか。
さて、そうした真空では、どんなことが起きているでしょう。実は、真空ではナンにもないどころか、驚くほど賑やかな「現象」が起きる、とされています。量子力学(量子論)と言われる分野では、仮想粒子という概念が出てきます。要するに、真空のように見えているけれど、実は絶えず「正の粒子」と「負の粒子」が出現していて、互いに「対消滅」してしまうため、一見すると真空状態が続いているように見える、というのです。
このような状態を「真空ゆらぎ」と呼び、実は、我々のいるこの時空でも絶えず対消滅は起きています。「無から宇宙が生まれた」という言葉は、正確には「時間も空間も物質もない状態から宇宙がはじまった」ですが、前記したように「無」はけっこう「賑やか」なのです。そして、少し難しい言葉ですが「ポテンシャル(位置)エネルギーが運動エネルギーに変わるとき(相転移するとき)」宇宙は誕生します。
以上「なんにもない状態」について補足しました。
ビッグバン宇宙論については、
ttp://dirac.phys.saga-u.ac.jp/~funakubo/BAU/BAU.html
などでも易しく解説されていますので参考にしてください。
To:ゆんさん
為念ですが、
>私は、基本的人権を進化論的に肯定したいと言うぽんさんの考え方が危険思想に
つながるとはあまり考えていません。
wadjaもあまり考えていません(笑)ゆんさんを引用させていただいたのは、社会ダーウィニズムに言及されていたからです。誤解を招くような発言だったかもしれません。すみません。
ただ、「進化論的に正しいことが、倫理としても説得力をもつ」というのは、注意したほうが良い考え方だと、wadjaは思ってます。
To:diamonds8888xさん
確かに、戦争のはなしから基本的人権全般に話を広げるのには無理がありますね。いつのまにかごっちゃに(ごちゃ混ぜに)してしまった。
To:RYU_TI_SYUさん
>身分固定による不経済を是正するために考え出された方便ではないかと思うんじゃがどうじゃろうか?
歴史は苦手なので一般に受け入れられている話かどうか自信がありませんが、アメリカの奴隷解放に関してはそういった背景もあったような...。もちろん博愛主義的な背景や、キリスト教的な背景も否定できないと思いますが。
「人間は皆平等」
って考えは、一人当たりの生産量が増えていった結果、身分固定による不経済を是正するために考え出された方便ではないかと思うんじゃがどうじゃろうか?
>えーと、やっぱり、生存本能に適っている、としないと説得力がない気がしちゃうんです。ここがおかしいんでしょうかね。
はい、おかしいと思います(笑。
すべての生き物が死滅することなく生き延びてなどいないように、人間社会においても、生まれながらの有利不利、能力差、その他の差異が必ずあります。そもそも、自由とか平等という思想自体、ヒトが歴史を歩み始めてかなり後世になってから出現したものですよね。
きつい言い方になってしまいますが、ヒトがヒトらしく生きること、これは既に「価値」の範疇です。さらにその価値は絶対的なモノではありません。自然は価値を求めない、と私は思います。
ところで基本的人権とは具体的には何でしょう? 日本国憲法ではいくつかの人権を規定していますが、これは例えばフランスの人権宣言で規定されたものとは違うものもあるでしょうし、環境権など近年になって唱えられているものもあります。これら全てが「人が生まれながらに自然に持っている権利」とするには無理があるような気もします。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yogo-horitu4.htm
基本的なものとしては、生存権(第13条)、生活権?(第25条)、自由権(第18〜23条)、平等権(第14条)があるでしょう。前2つは誠に自然な話で、wadjaさんの子供相手の論理が強い説得力を持つと思います。自由権は数が多いのでどの自由をどれだけ認めるかで議論が分かれるでしょう。殺人の自由を認める人は極少数派だと思いますけど。平等権も何の平等をという話によって違いますよね。本当に全てが平等では悪平等になりますし。
でも人権のよってきたるところはやはり、誰だってこういう権利はほしがるというところではないでしょうか。で、昔は特権階級のみが人権を享受して多数の人間は生存権さえ危ういシステムが続いたのですが、だんだん多数派の力が強くなったり、多数の人間に人権を認める余裕ができてきたりして、より多数の人間も人権を享受するのが当然だと考える人が増えたのでしょう。
昔特権階級が持っていた自由権(例えば切り捨てごめんとか)は現代に近づくにつれて制限されてきています。
はじめまして、にとろっちさん
宇宙のはじまりにビッグバンがあったことは、現在われわれが住むこの宇宙が「膨張し続けている」ことから推測され、確かめられました。いま膨張している、ということは、過去には宇宙がもっと小さかったことを、もっと過去にはもっと小さく、極小の状態であったことが推測されます。
およそ150億年と推定される宇宙の年齢のその始まりには、時間さえありません。ですから、ビッグバンの「その前」を考えることに、あまり意味はありません。普段、時間と空間は別のモノと考えがちですが、現実には「時空」と言って、時間も重力の影響を受け、伸びたり縮んだりすることが確かめられているからです。時空のはじまりにおいて、どんな現象が起きたのか?それは数多くの宇宙論〜物理学者たちによって詳細な研究が続けられていますが、まだまだ謎の部分が多いようです。
ビッグバンや宇宙論に興味を持ったのでしたら、書店で多くの入門書が発売されています。もしよろしければ読んでみれば、さらに興味深い世界が広がっていると思います。
>個人的には賛同できない部分なんですよね。「生存本能にかなっていれば正しい」
>という前提が置かれているようで。ぽんさんの証明したいのは、「生存本能にも
>適っている」ということことかもしれないけど、捉え方によってはゆんさんの言
>う社会ダーウィニズムや、優生思想につながる危険思想かもしれない(笑)
私は、基本的人権を進化論的に肯定したいと言うぽんさんの考え方が危険思想に
つながるとはあまり考えていません。ただ、社会ダーウィニズムを批判する時に
はその思想よりも論理展開を批判すべきだと考えるのですね。特に、この掲示板
の主題である「科学と疑似科学を考える」というトピックの上だと。
はじめまして、にとろっち殿
進化論とあまり関係がないんじゃがわかっとる範囲でお答えしよう。
>僕はいきなり「ビッグバン」の意味がわかりません^^;
>宇宙の始まりって聞いているんですが、何で何もないところから大爆発?
「何にもないところから爆発」という考え方はおかしいな
物質も空間もビッグバンから始まったのであって何もないところで何かが爆発したわけではないんじゃな。
>そーゆー実験が成功してるんでしょうか?
ビッグバンの再現ができたなら地球ごときは木っ端微塵じゃ。
ただ、高エネルギーが物質に変換すること(対創生)は実験で確かめられておるな。
細かいところは勉強してくれとしか言えんが・・・
>えーと、やっぱり、生存本能に適っている、としないと説得力がない気がしちゃうんです。ここがおかしいんでしょうかね
個人的には賛同できない部分なんですよね。「生存本能にかなっていれば正しい」という前提が置かれているようで。ぽんさんの証明したいのは、「生存本能にも適っている」ということことかもしれないけど、捉え方によってはゆんさんの言う社会ダーウィニズムや、優生思想につながる危険思想かもしれない(笑)
wadjaは、「今すぐに、全ての戦争をなくすことは不可能だ」あきらめちゃってます。中途半端に、「現実に戦争をゼロにすることは不可能だけれど、極力減らすようにすべきだ」程度の平和主義者だから、「戦争は絶対良くないことだ」と証明する必要が無いんですよね。心情的なものに訴えて賛同してくれない人とは、今後の付き合いを考えることで解決されてしまうもので、ぽんさんとは立場が違うから。だから例えば、
>そうは言っても、自分が殺されるかもしれない状況だったら、やむを得ず人を殺すの(戦争)も許されるよね。だから仕方がないんだよ。世の中きれい事では済まされないんだよ。」
という主張に対しては、状況によっては賛同できる部分もあるものの、その大儀名分が成り立っていない戦争があまりに多いことを指摘して満足しちゃいます。
#今回は、本格的に風邪を引かずに済みそうです。試したのは、エキナセア・にんにく卵黄・餃子・マーボードーフ・葛根湯。どれかが効いたのか、ひたすら家に篭って睡眠時間を多目にとったのが良かったのか不明ですが、とりあえず悪化せずに済みました。みなさんもお大事に。
はじめまして。
僕は今14の中2で最近こーゆー話に興味を抱き始めました。
なにぶん元々の頭も悪く、基本的な質問ばかりですが宜しくお願いします。
僕はいきなり「ビッグバン」の意味がわかりません^^;
宇宙の始まりって聞いているんですが、何で何もないところから大爆発?
「無」という物質から大爆発ってのもよくわかりません。
そーゆー実験が成功してるんでしょうか?
どうか教えて下さい。
基本的人権に進化論的説明を与えたいという『欲求』は
社会ダーニウィズムと同じ誤謬を生みはしないでしょうか。
基本的人権の生まれた根拠を進化論で説明できないかという
『考察』は面白いし価値があると思いますが、まずこう説明
したいという『欲求』が先にあると、どうしても議論の筋道
ゆがみやすい害があると思います。
風邪にはならず、風邪気味のまま何とか乗り切ってます。
お心遣いありがとうございます。時節柄、みなさまもご自愛くださいまし。
wadjaさんの方は、風邪の具合は如何ですか?
>以前からぽんさんの発言を読んでて疑問に思うのですが、「基本的人権は尊重されるべき」という主張の持つ説得力と、それが進化論的にも最適だとか、生物の本能に反しないとかいった性質がwadjaの中ではリンクしないんです。
えーと、やっぱり、生存本能に適っている、としないと説得力がない気がしちゃうんです。ここがおかしいんでしょうかね。
>例えば子供が相手なら、「あなたのお父さんやお母さんや友だちが、あなたの目の前で傷つけられたり殺されたりしたら、悲しいでしょ?あなた自身だって、傷つけられたり殺されたくないよね?みんながそう思ってるから人権は大切にしなきゃ。」で十分な説得力を持つ気がしてます。
例えば上記の主張に対しては、「そうは言っても、自分が殺されるかもしれない状況だったら、やむを得ず人を殺すの(戦争)も許されるよね。だから仕方がないんだよ。世の中きれい事では済まされないんだよ。」という論理で戦争(による殺人)は許容されてるんだと思うんですよ。格差の問題なら、「貧しすぎて人が死んじゃうのはかわいそうだけど、私たちの生活を守るためには仕方がないんだよね」って言う感じになるかな(子供向け説明にすると)。
それに対して、「全ての人に人権を、という考えは、自分たちの命を守るための考えでもあるんだよ」って、根拠を揃えて言いたいなぁと思うんですよ。
今は、「正義」とか「善意」という言葉の信頼性が地に落ちていると思うので、正しいとか善いとかいう価値観の押し付け抜きで。。。
秋月さん、
記憶をちょっとちゃんとたどってみました。まだいまいちあいまいですが。
ヤハウェは原語(母音を表記しないヘブライ語)ではYHWHと表記されていて、読み方が分からなくなっちゃっていて、旧約聖書を日本語訳にする時には「みだりに唱えてはならない」というユダヤ教の伝統に則って、エホバともヤハウェとも書かず、「主」と訳したのだそうです。だから、旧約聖書の中の「主」というところの原語は殆ど(全部なのかな?)YWHWだと聞きました。
しかし、この翻訳にはとても問題があって、YHWHを「主」と訳しちゃうと、どうしても「持ち主、所有者」とあまり違わないような意味になっちゃって、「聖書の神」と「バアル神」の信仰の対立構造というか対立する理由があいまいになっちゃったと聞きました。キリスト教会が変容して所有・権力信仰に走っちゃった根本に関係する問題かも知れないと思います。
出エジプト記の「私はあるという者だ」(文語訳だと「在りて在るもの」なんでしたっけ?)というのは、たしか、YWHWを使ってなくて、なんか短い文章だったような気がしますが、あんまりよく覚えてません。。。
たんぽぽさま
レスありがとうございました^^。
>わざわざ病院へ行って調べてきた、なんてかたもいる、
私の英語の先生も日本に来るまで自分の血液型を知らなかったそうです。
>創造科学を信じている割合
以前捕鯨問題に関して海外の反応をマスメディアが報じているのと実際ある程度の知識人が思っていることとの間にギャップがあると感じたことが会ったので設問に対する○×といった回答ではない微妙なところってどうなんだろうと少し思っています。
ぽんさま
おっと本文書く前にボタン押しちゃった
ご免なさい
ヤハウェですが一般的に日本語では
『在りて在るもの』と訳されているのでは無いでしょうか
出エジプト記の3:14には
『わたしはある、あるというものである』と書いてると思います
これが、Be動詞の未来完了形かどうかは解りませんが
現在のヘブライ語では使ってないのでは無いでしょうか
なんせ、『みだりにとなえるな』って言われて読み方まで失われて
最近「多分こうだろう」ってヤハウェに落ちついたって話ですから
今でも年輩の信者さんはエホバって言う読みを使っているらしい
ぽんさま
かぜ大丈夫ですか?
ぽんさま
一瞬、「ああ、わたしの投稿を、一生懸命読んでくださる一見さんがいて、
出ていらしたんだ...」なんて、思っちゃいましたよ。
>私がテレビを見ながらゆっくり文章を書いている間に、レスを下さっていたのですね。
>いつもお勉強になり、感謝です。
ああ、いえいえ、たんぽぽごときが、ない知恵しぼって考えたことでも、
参考になりましたら、こちらこそ光栄です。
>今日は、ちょっと風邪気味なので、寝ます。
かぜ、おだいじにしてくださいね。
ハッターさま
血液型占いがはやっているのは、なんでも日本だけみたいです。
(やはり、日本人は、A, B, O, ABの4種類のどの血液型も、
一定の数そろっている、というのもあるのかな...?)
外国だと、自分の血液型を知らないかたも、少なからずいるらしいです。
それで、日本人とお話をする機会が多く、決まって血液型をきかれるので、
わざわざ病院へ行って調べてきた、なんてかたもいる、
というのを聞いたこともある...
>ここでも語られている進化論を信じている割合を実際に聞いてみようかなぁと思っているところです。
ふたつのサイトでは、調査方法がちがっていそうだけど、
創造科学を信じている割合は、48%と47%で、ほとんどおなじなので、
結構信用していいのかもしれないです。
(アメリカ合衆国では、半数近くの人たちが
創造科学を信じているって、わたしには意外...)
わたしも興味がありますので、
もし英会話の先生に、実際におたずねになりましたら、
どんなだったか、お話していただけたらと思います。
やはり風邪に効くのは、焼肉定食かマーボー定食か…
>憲法の本を読んでいて、人権思想の「根拠」じゃなくて「歴史」の説明ばっかり書かれているのでもどかしく思ったことがありましたが、そうか、「歴史」が「根拠」だということなのかな・・・
そこまで、wadjaの発言を深く読んで頂けると感激ですわ。書いた本人はちゃんとそこまで考えていた訳では無いですけど(藁)ある意味人間の歴史は、壮大なゲーム理論実験と言えるかもしれませんね。
以前からぽんさんの発言を読んでて疑問に思うのですが、「基本的人権は尊重されるべき」という主張の持つ説得力と、それが進化論的にも最適だとか、生物の本能に反しないとかいった性質がwadjaの中ではリンクしないんです。
例えば子供が相手なら、「あなたのお父さんやお母さんや友だちが、あなたの目の前で傷つけられたり殺されたりしたら、悲しいでしょ?あなた自身だって、傷つけられたり殺されたくないよね?みんながそう思ってるから人権は大切にしなきゃ。」で十分な説得力を持つ気がしてます。
もちろんこれでは、NGOとして企業なんかから寄付を募るのは無理かもしれませんけどね。でもそれは、例え歴史的に正しかろうが生物学的に正しかろうが、変わるものでもありませんしね。
>「ヤハウェ」は、Be動詞(ある)の未来完了形とやらいうもので
というの、記憶違いかもしれません。
ただ、「出エジプト記」というところで、モーセが神に名前を尋ねる箇所があるんです。
そうすると、神は、
「私はある。あるというものである」
みたいな訳わかんない答えをします。
その「ある」と訳されている原語に当たる部分が、「Be動詞の未来完了」とやらいうものだそうです。
まぁ、その神を聖書はヤハウェと呼んでいるので、間接的には間違いではないと思うのですが。。。
以前「知ったかぶりはあかんで」と叱られたことがあるのですが、またやってしまいました。すみませんでした。
・・・ヤハウェってどういう意味なんだ?
鳥だったら、名古屋コーチンか?
>しかし、これだって人権と平等に照らし合わせればおかしな話です。国籍に関わりなく人間は平等じゃないか!と、もしも彼女たちの待遇を改善してしまうと、逆に勤め先がなくなることになってしまいます。
実はこれ、国際救援の現場でもよくある問題なんですよ。NGOや国連が入っていくことによって人件費が上がり、物価が上がって問題になることもあるし、NGOや国連の現地スタッフとして働きたい現地の人は沢山いるから、競争が激化して新たな弱者切捨てになってしまったりします。とても難しい問題だと思います。
さすが大文字ナンさん、鋭いですね・・・
でも、そんな問題に直面した経験が蓄積されてきて、少しずつやり方などは改善されていると思います。
>いく分宗教的ですが「所有放棄の快楽」が表す「あること(存在)」は「持つこと(所有)」に優る(新フロイト派、エーリッヒ・フロムら)なんていう思想が、もう少し広まり、認められたなら、状況も少し改善するような気がします。
旧約聖書にイスラエルの神「ヤハウェ」に対して「バアル」という神が出てきます。
「ヤハウェ」は、Be動詞(ある)の未来完了形とやらいうもので、(ヘブライ語ちゃんと分かってないので、間違ってたらどなたかご教示ください)
「バアル」は、所有・所有者という意味なんだそうです。
イスラエルの預言者がバアルの預言者と戦って勝つと、バアル信仰のものたちをことごとく殺しまくったという記事があります。
「ヤハウェ」が正しい神だからその殺戮は正義だというつもりもないし、
そもそも旧約聖書の歴史が事実だと信じているわけではないけれど、
「ヤハウェ信仰」、「自由・平等」という理想の旗印の下、フランス革命のときみたいな大規模な処刑や恐怖政治が起こったということはありうるなぁ、と想像しています。
>もしも本質的な自由と平等、人権思想を徹底するなら、いわゆる先進国は自分たちの持っている財産や地位を捨てなければならないのでしょうね。要するに「出家」するしかない、そんな気がします。しかし、そんなことは恐らく出来ない。
いやいや、100(今のままか)かゼロ(出家するか)かみたいなことでなく、その中間があるはずです。でも、まあ、社会の安定が脅かされる危険は、ある程度覚悟しなくてはならないかもしれませんね。
共産主義の国々が崩壊した一つの要因は、どんなに権力者が情報を封じようとしても、衛星放送の発達などで市民に資本主義社会の豊かな生活の様子が伝わってしまったからだ、というのもあるらしいです。
豊かな側の人間が自ら「平等のために」富を捨てて「出家する」ことは、まぁ、無理ですよね。同感です。しかし貧しい側の人間が「こんな不平等は許せない」と行動を起こすことは容易ですし、そのエネルギーは絶大です。素晴らしい、というよりはむしろ恐ろしいものだと思います。
独裁政治に対する革命の理想、そしてそれが恐怖政治に変容することを何度も経験してきた歴史があるわけだから、搾取する側とされる側の悲劇を最小限にしつつ、社会を変えていく知恵も人間にはあるはずだと思うんですがね。軍事制圧や経済制裁とテロの応酬を続けてばかりいないで・・・。
>もうちょっと分かりやすくご説明していただければ幸いです。
私は水商売人なので分かりやすく言うと、東南アジアや最近では東欧出身の女性が安価な労働力として夜の街で活躍しています。彼女たちは日本人に比べてかなり安いギャランティで働いてくれるし、しばらくすれば帰国してしまうので「あとくされなく」張り切ってくれます。しかし、これだって人権と平等に照らし合わせればおかしな話です。国籍に関わりなく人間は平等じゃないか!と、もしも彼女たちの待遇を改善してしまうと、逆に勤め先がなくなることになってしまいます。ドロ臭くて汚い話のようですが、これは「制度なんだ」と割り切った方がうまく(システムとして)稼動してしまう実態のひとつと思います。経済的に破綻している国家や産業後進国に対して、自由と平等という価値観だけで干渉したとしても、本質的には同じ問題が起きるのではないでしょうか。
>人間が、人間の意志と制度で奪っている状況があるという現状認識です。
>そして、その現状は人間が自分たちの意思で変えられるはずなんじゃないか、、、
>と思っているわけです。
もしも本質的な自由と平等、人権思想を徹底するなら、いわゆる先進国は自分たちの持っている財産や地位を捨てなければならないのでしょうね。要するに「出家」するしかない、そんな気がします。しかし、そんなことは恐らく出来ない。
所有することはつまり、モノによって自分を縛ることです。モノを持っていれば、失う恐怖がつきまといます。しかし一方、所有し、財産や権益や地位を獲得することが不平等を生むわけです。いく分宗教的ですが「所有放棄の快楽」が表す「あること(存在)」は「持つこと(所有)」に優る(新フロイト派、エーリッヒ・フロムら)なんていう思想が、もう少し広まり、認められたなら、状況も少し改善するような気がします。
なんか、間違えて本名でちゃった。
なんでだろ?
ゆりこ→ぽんです。
急に不意打ちで本名出ちゃうと、なぜだか、妙にこっぱずかしい。
私がテレビを見ながらゆっくり文章を書いている間に、レスを下さっていたのですね。
いつもお勉強になり、感謝です。
>だから、集団で暮らしていくためには、どうしたらよいか、
好ましい社会システムを考え出さなければならなかった、
それによって政治学や社会学が発達し、やがて、基本的人権という考えかたに
行き着いたのではないかな、と...
(それで戦略的にも、人権思想を徹底させるのがいちばんよい、
となるのではないかな?と、たんぽぽも予想するのだが...
いや、確かめたのではないけど...)
そうですね。私もそう思いたいので、
そこんとこ、資料揃えて、理論立てて、バシッと、
こうだからこうなのよって言えるようになりたいと思います。
まだまだ勉強が足りませんが。
もっとレスを書きたいところなのですが、今日は、ちょっと風邪気味なので、寝ます。
失礼します。ありがとうございました。
焼き魚だったら、やっぱ秋刀魚が一番かな。
>さて、人権とはいったいなんでしょう?
人の権利、ということだから、
人とは何か、
権利とは何か
ということから考えなくてはいけないと思いますが、考えれば考えるほど難しいなぁ、と思うところです。
大文字ナンさんのご意見は大体理解できて、同意できるところが殆どなのですが、
>自由が「制度」であるなら、支配も制度です。自由と人権を行使するということは、支配者層の権益を「奪う」ことにほかなりません。私たちは独裁者ではありませんが、支配者層であることに変わりがあるでしょうか。
というところだけ、意味(というか、主張されるところ)がよく分かりませんでした。
もうちょっと分かりやすくご説明していただければ幸いです。
>どんなに文明が発達したとしても、ある人の生涯を予測し決定することは出来ない、すべてはそのヒトの意思と関係性に委ねられることこと、すべての(ヒトに限ったことではありませんが)究極の自由と平等なのでは?と思うのです。
これは、全ての人間(人間には限らないか)には、元来、既に自由と平等は与えられているはずだ、という意味でしょうか?
もしそうならば、同感です。
ただ、私は、その「既に与えられているはず」の自由と平等を、
人間が、人間の意志と制度で奪っている状況があるという現状認識です。
そして、その現状は人間が自分たちの意思で変えられるはずなんじゃないか、、、
と思っているわけです。
うーん、うまく表現できない・・・
っていうか、なに主張したいんだかよくわかんなくなってきた。
ぽんさま(前の続き)
生物学的なことでしたら、もしかすると(こないだどなたかがおっしゃっていたけど)、
人間は、特定の個体の、利己的な行動や扶助活動が、
ほかの個体に与える影響が大きい生物である、ということと
関係があるのかもしれないです。
だから、集団で暮らしていくためには、どうしたらよいか、
好ましい社会システムを考え出さなければならなかった、
それによって政治学や社会学が発達し、やがて、基本的人権という考えかたに
行き着いたのではないかな、と...
(それで戦略的にも、人権思想を徹底させるのがいちばんよい、
となるのではないかな?と、たんぽぽも予想するのだが...
いや、確かめたのではないけど...)
もし、特定の個体が利己的な行動を取っても、
ほかの個体への影響が、ごく小さい生物だったら、
人権という考えかたも、たぶん、出てこなかったでしょうし、
そもそも政治学や社会学、法律などというものが、
あまり発達しなかったのではないかな...?(と、たんぽぽは想像する...)
>そうか、「歴史」が「根拠」だということなのかな・・・
わたしも、基本的人権をささえる根拠は、歴史の中にあると思いますよ。
とくに近代以降の歴史は、人権を否定する体制は、
ことごとく失敗に終わり、壊滅させられています。
こうした、人権否定は誤りであった、という歴史的事実のひとつひとつが、
基本的人権の尊重を示す根拠になっているのだと思います。
それから、いっぱんに、人権水準の高い国のほうが、
人間の活動に自由があって、文化水準や経済水準なども高いことが多い、
というのもあるかと思います。
ぽんさま
>「人権思想は西洋(キリスト教)の押し付けだ」とか、
>「創造主を前提としなくては、人権・平等の思想は成り立たない」という主張が
>されるのではないかな、と思います。
ちょっと絡め手だけど、 『フリーメイソン』(講談社現代新書)という本に、
日本国憲法で、国民主権と基本的人権の尊重を前面に出したことと、
フリーメイソン精神との関連が、少しだけ出ています。
(とくに、天皇主権から国民主権へのシフトについて、言及があります。)
フリーメイソンの組織自体は、理念に対してかけ値がありすぎたので、
日本には、あまり広まらなかったのでした。
しかし、人類の相互扶助と友愛を説く、フリーメイソン精神のほうは、
たとえば、日本でいまでもベートーベンの『第九』が歌われるなど、
西欧世界をこえて浸透してきている...
とでも言えば、いくらかは反論になるのかな...?
相互扶助の精神は、人類が社会生活をはじめて以来、
どこの文明にもあっただろうと思います。
近代をいち早くとげた、西欧キリスト教世界において、最初に出てきたというだけで、
どこの文化圏でも、人権思想が出てくる可能性はあったでしょうし、
また受け入れられる素地を持っているのだろうと、わたしは思うのだった。
>「弱肉強食」に対して「全ての人に人権を」という思想を説明するときに、「私たちには自分が生き延びるためにサバイバルする能力だけでなく、歴史を知り、他者の状況を知り、想像する能力も備わっている」っていうのもありかな〜・・・。
カニはとげ6本を買え!ということで決着ですかね?
すると焼肉はなにを買うべきか、非常に悩ましいところであります。
さて、人権とはいったいなんでしょう?平等を突き詰めると「みんな一緒」ということになってしまい、極論すると社会主義的な「強制された平等」まで行き着いてしまいます。飢餓から、貧困から、その他の災厄からの救済が人権思想の本質なのだとしたら、それは「自由に生きる権利」というよりも「自由に生きる力」ではないか?と私は思います。権利だけあっても、その権利を行使する力がなければ、結局なにも変わらないと思うのです。
現実には、自由であること、平等であることの方が、隷属することよりも残酷かも知れません。自由が「制度」であるなら、支配も制度です。自由と人権を行使するということは、支配者層の権益を「奪う」ことにほかなりません。私たちは独裁者ではありませんが、支配者層であることに変わりがあるでしょうか。
このように、社会制度的な人権と自由を考えていくと、私はどうしてもジレンマにぶつかってしまいます。社会という関係性の中にヒトが存在する以上、弱肉強食、つまり努力をしたり継承したり戦ったりして得た力を行使する側と行使される側は必ず存在し、要はそのバランスを保つことが「平和」とか言われているんじゃないの?と思うのです。極論すると「すべてのヒトに人権を」と主張することさえ、力の行使にほかならないのですから。
それでは、究極的な自由や平等はないのでしょうか?
私の見解では、それは機会(確率)の平等と運命論(機械論)的な時間の否定によって、既に成されていると思います。今、手元を離れ転がりだした石がデコボコ斜面を落ち行く先は予測が出来ない。これは物理学が(ほぼ)保証しています。どんなに文明が発達したとしても、ある人の生涯を予測し決定することは出来ない、すべてはそのヒトの意思と関係性に委ねられることこと、すべての(ヒトに限ったことではありませんが)究極の自由と平等なのでは?と思うのです。
最近英会話教室に通っているのですが、米国人の先生が血液型性格診断英語版みたいなのを読んでくれて、”どう?みんな自分は当たってる?”と楽しそうにたずねられました。彼女はとても知的な女性で勿論軽いゲーム感覚での話題だったのですが、その際にアメリカではあまりはやっていない理由というのを推測していました。アメリカ人の血液型の割合はAとOが約4割ずつでほとんどの人間が2種類の性格に分けられてしまうので面白くないからじゃないかとのこと。なるほど、、、、。
ここでも語られている進化論を信じている割合を実際に聞いてみようかなぁと思っているところです。
何故に、ここが「カニ」掲示板だという事を御存知で?(^^ゞ
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。