このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
当たり前のことを、当たり前なんだよとやさしく解説しているサイトで好感もてました。
でも、名無しさん、
これsaniku-aiki氏向けに「みれ」とおっしゃったのならたぶん無駄ですね。
見たとしてもなにも変わらないと思います。
ところで、
>同様に聖書の説明に科学は使うべきではないでしょう。
この部分、みなさん大賛成と思いますが、いかがでしょうか?
創造科学、または科学的創造論から科学を外すべきとおっしゃっているようですが(^^)
宗教社会学者のホームページ
http://www.kinet-tv.ne.jp/~benjamin/index.html
この方の強い信仰という事自体には理解があります。
圧倒されてと言いますか、
飽きれを通り越して非常に関心している限りであります。
ところで、
saniku-aiki様より
なお、私が意見を変えないので、最近お怒りの方が多いように見えますが、そん
なに怒ることでもないと思います。
いえいえ。意見や考えは皆さんそれぞれ異なり、互いに尊重されている様に
私には感じられますよ。
お怒りの対象は意見でなく、態度ではないでしょうか。
他にも多くの掲示板がありますが、場所により求められる思考や、その解説が
異なるのですよ。
おそらく投稿者の多くは、自分の意見も聞いて欲しい。そして理解して欲しい。
その様な願いがあっての事でしょう。
それにあたり、場所(掲示板、投稿者)の性質に合わせた対処をしなければ、
永遠に交わることの無い平行線になってしまいます。
意見ではない。態度を合わせる事は前提であり、
掲示板内での、一種の「感覚的法律」とでも言いましょうか。
それを守る気が無ければ、
多くが批判するのは当然の事でありましょう。
自分の性格に合った場所をお選びになる事が最も望ましいでしょう。
なんかだいぶ前のことなので、レスしようか迷いましたが。。
これに対するレスは、不要です(いつになるかわからないし。。
>そうでしょうか。NATROMさんが先に
いいえ、あなたは創造主がいること、かつそのうち旧約聖書の創世記が科学的に正しいことの二つを論証しなければなりません。
そして、今のところはその両方に失敗しています
NATROMさんが反例を一つあげたからといって、その事実は変わりありません。正面を向きましょう。
ちょっとずれますが一言。進化論が仮に否定尽くされても、創造論が科学的事実になるわけないんですよ?強調するくらいじゃないと、あなたは悟ってくれそうもないですからね。
>聖書にこう書いてあるからと言って、この通りに実行している教会は少ないと思います。私の行
>く教会もこれに従っていません。
そうでしょうね。すなわち、聖書の文言通りには誰も従っていないのです。
>それは、これらはパウロのいた当時の文化においては必要なことではあって
>も、時代も地域も文化も違う21世紀の日本においては不適切だからです。そして、
>聖書のとおりにこだわる所とこだわらない所の差は、それが聖書の大事な教理を作って
>いるかどうかによります。
そのように、文化が聖書に優先する場合があるということはやはり事実のようですね。
どこに「こだわるか」どうかも人間の判断。
実際にキリスト教の宗派は星の数ほども存在しますね。それぞれが、自らが正しいと主張している場合が多いように見えます。
>創造は教理の土台となりますが、女性のかぶり物は教理の
>土台とならないからです。この見分けをするためには、聖書全体を学ぶ必要があります
このように合理的解釈をする場面をどこにするのかも人間、
またどのように合理解釈をするのもまた人間。
人間と言うものは都合の良い動物ですね。
>なお、私が意見を変えないので、最近お怒りの方が多いように見えますが、
違憲に相違があるのはかまいません、むしろ歓迎すべきことでしょう。それよりも相手の話を聞かないからなんですよね。
その2さんへ
>この場合、あなたの主張していることが真理と言うことを証明する責任が、あなたにあると思いますが。
そうでしょうか。NATROMさんが先に
>>>「キリスト教信仰の土台を覆すがゆえに、アダム以前の死を霊的な死と考えてはならない」という聖書の解釈は、間違っているかもしれませんよ
とおっしゃったので、私の聖書の解釈がどこが間違っているかもしれないか、
聞いたのです。
聖書の解釈ですから、科学の説明ではなく、聖書による説明を求めたのです。
科学の説明に聖書は使うなと言うのであれば、同様に聖書の説明に科学は使う
べきではないでしょう。私の聖書解釈は既に説明してあります。
>聖書には、女性は被り物を被って礼拝に出るべしって個所があったはず。
それなのに、君たちは何でそういう部分は無視するのかな?
こう言うところは合目的解釈、目的論的解釈をするのに、なぜ聖書の冒頭部分だけは目的論的解釈が許されないのだろうか?
ダブルスタンダードに思われる。
私の説明が悪かったようですね。聖書の「冒頭部分だけ」というのは正しくありません。
神が世界を造った言うことは、聖書のあちこちに出てきます。モーセの十戒の中にも、
ダビデの詩編の中にも、イエス・キリストの言葉の中にも、聖書の最後の黙示録にも
出てきます。神が創造したというのは、聖書の中心になる大事な柱です。それは、私が
繰り返し述べているように、キリスト教の神髄である、「キリストは人類を罪から救う」
という教の土台になるものが、6日間による創造だからです。進化か創造かは、
キリストが救い主か否かを問う、極めて大事な問題なのです。
また、ご指摘の聖句は確かに存在します。
「女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭
を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。」
(1コリント11:5)このほか「婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身
を飾るべきであり、髪を編んだり、金や真珠や高価な着物を身に着けたりしてはなり
ません」(1テモテ2:9)というのもあります。聖書にこう書いてあるからと言って、
この通りに実行している教会は少ないと思います。私の行く教会もこれに従ってい
ません。それは、これらはパウロのいた当時の文化においては必要なことではあって
も、時代も地域も文化も違う21世紀の日本においては不適切だからです。そして、
聖書のとおりにこだわる所とこだわらない所の差は、それが聖書の大事な教理を作って
いるかどうかによります。創造は教理の土台となりますが、女性のかぶり物は教理の
土台とならないからです。この見分けをするためには、聖書全体を学ぶ必要があります。
秋月さんへ
アダムの罪と死についてお答えくださって、ありがとうございました。
私は違う考えですが、どのように考えているのか少しわかりました。
谷庵さんへ
>多くの人は貴方と同じ立場に立つつもりはないのですから、貴方の立場に立たなければ意味をなさない主張を繰り返されても迷惑なだけです。
皆様が私の立場に立つつもりがないことは理解しております。しかし、迷惑で申し
訳ないのですが、同様に私も皆様の立場に立つつもりはございません。進化論と創
造論はまさに見方の問題だと私は考えております。私が皆さんの立場に立つことを
期待して、忍耐しながら待っていらっしゃったのなら、そのような期待を与えたこと
をお詫びします。
なお、私が意見を変えないので、最近お怒りの方が多いように見えますが、そん
なに怒ることでもないと思います。
あらー。まあだ我慢と言っているうちにみなさんから適切なつっこみが入っていますね。
私としては、A_shift様と同様に、
>おっしゃることはわかります。私自身は地球歴史6000年でなくてもかまわないと
>思っていますが、それでも1万年以下であろうと思っています。つまり、炭素年代測
>定による3万年前の化石とかは、私は信じていません。これってどうやって説明する
>のでしょうね。一つの考えは、ノアの洪水時の地球環境の激変です。ノアの洪水を
>認めない方にとっては、何の説明にもならないでしょうが、私達にとっては、極めて
>有力な説明になります。
ここを追求してみたいと思います。
saniku-aiki 様
炭素年代測定が狂ってしまう程の大激変ですから、それがあったことは容易に確認できるかと思います。
大洪水の痕跡として認められるものを示してください。
同時に、なぜそれが大洪水の跡と考えられるかをご教示ねがいます。
いあー盛況ですな。
過去ログ読むの億劫なので、何方か解説して。
科学と宗教の争いなんか珍しくもない。
しっか〜し、この掲示板の状態は喜ばしいのではないかい。宗教の立場の人は閉じこもりがちだもんね。
一〜つ、わしは再生したのである。科学、宗教問わず証明ないし否定してくれ。
存在するかしないか科学ではわからない創造主を前提とした時点で科学ではありません。
しかもsakuni-aikiさんの科学に関する主張はすべて否定されました。
で一つお伺いしたのですが、
お前、このHPほとんど読んでねーだろ?
過去ログをすべてチェックしろとまでは言いませんけどね。
科学って、基本的に、
「或る記述(命題)が正しいかどうか」を、「実験や観察によって」、判定していく行為ですよね...。
で、この「記述」は、時にはダーウィンの「種の起源」であることもあるし、時には(もしあなたが「科学的に」論じようとするのなら)、「聖書」も、それにあたりますよね。
或る命題が正しいかどうかを判定するためには、「命題」を、「命題以外のなにか」と照らし合わせて一致するかどうか、を見る必要があります。
で、「命題」を「観察、実験」と照らし合わせるのが科学です。
「聖書の或る記述」を「聖書の別の場所の記述、や、聖書全体の意味」と照らし合わせて整合性を判断するのは、「科学」ではなく、「解釈学」ですよね?この両者の違いはもちろん了解されてますよね?
「ヘビが塵を食べないのなら、そのことに関する限り、聖書の記述は、科学的には(逐語解釈的には)間違っている。」のです。(比喩、は、科学じゃないですよね?)
また、「聖書の記述にある、大洪水」が本当に起こったことである、と「科学的に」主張するのであるのなら、地質学、気象学を始め、「観察、実験により確定されている命題」をもとに証明するか、「新たな、観察、実験を提示する」ことにより証明しなければいけないのです。
それら、「ネタ」の提示のない主張(お話)は、もちろん、認められません。
「解釈できる」だけなら、どんな荒唐無稽なことだって言えるのです。
例えば、ボクのすぐそばに宇宙人が立っていてこの文章を見ているんだけど、1秒間に0.0001マイクロ秒しか姿を表さないから見えていないだけ...。なんて。
このあたりのことは、いくらなんでも了解してもらえますよね?
「或る命題の真偽を確認する方法は、観察、実験ではなく、聖書の記述に合致するかどうか、だ。(これって、解釈学的判断ですよね)」なんて、言わないですよね?もしそういう考えなら、ここで百年議論しても噛み合うわけがない...。
で、質問...。
「もしも聖書の記述と食い違う事実を、観察或いは実験により、確認したら、あなたはそれをどう解釈しますか?」
参考までに、
「もしも進化論の記述と食い違う事実を、観察或いは実験により、確認したら、科学者はその「記述」を「偽」だと判定して、「進化論」に修正を加えます。」
最近ROMに徹してたんだけど、我慢できなくなりました。
yahooの頃から指摘されていたことですが、sanikuさんの言う科学と、世間一般でいう科学との間には、パラダイムのギャップが認識されます。マジョリティーの科学に従えば、sanikuさんの擁護される創造科学は科学でありえない。この掲示板の殆んどの人は、ダーウィンやニュートンの時代の科学を論じている訳ではないのです。あくまで、現代の科学の定義に照らして、科学的かどうかを論じているのです。早く同じ土俵に上がってください。
私は信仰をもって見ているつもりですが科学的だと言うことがわからない
どうしてでしょう
トトロ様
デジタル体重計の精度ですが、最小精度が0.2kgの物の方が0.1kgのものより売れるって話を聞いたことがあります。
最後の一桁に一喜一憂する(多分女性の方かな)人にとっては許容範囲が広い方が安心できるのかな?でも、ダイエットの効果が実感できるのは最小精度が良い方だと思うけれど
ぽん様へ
>どうやって測るんですか?
赤外線式炭酸ガス濃度計っていうので測りました。原理は……。長くなりそうなので割愛します。
(実は秋月もよくわかっていない)
使い方は電源をいれ、マニュアル通りの操作をした後、吐気をビニール袋にとって(ホントはこんな測り方じゃ誤差が多いのですが)、吸入口にいれると、数字が出てきます。少なくとも携帯電話やビデオデッキよりも簡単です。
ちなみに私はそっち関係の職業です(ってどっち関係?)。
でも、職業欄には『会社員』って書いています(おなら研究家ではありません)。
「ご専門は?」って聞かれると専攻を名乗りますが科学一般の知識があるわけでもなく、『専門馬鹿』って呼ばれるほど専門知識に優れているわけでもなく、やっぱサラリーマンですかね。
創造主がいたことを前提にしても、キリスト教ファンダメンタリストのいう「創造科学」を認めることにはならない。
あたりまえのことじゃないですかね。なぜsanikuさんは、そのことがわからないんだろう??
検討する前に確認が一つ。前提として、放つ前から放つ後にかけて、呼吸、発汗など生体活動による体重の減少は無いものとしてよろしいですね。
放つ前/後を比較すると、”前”は締めており、”後”は緩んでおります。この行為により”前”の方がエネルギーが大きくなります。エネルギーと質量は等価ですので、この効果により”後”の方が軽くなります。
それでは計算してみましょう。
人は瞬間的には1馬力(745.7W)程度出せると聞いたことがあります。もし、全身全霊をあげて締めていた場合、1秒あたり745.7Jのエネルギーとなります。
c=2.997×(10^8)mですので、E=mc^2 を変形しm=E÷(c^2)より
E÷(c^2)=約8.302×(10^-15)kg
すなわち、緩めることにより約8.302pg軽くなります。
たまごちゃん(^-^)ノへ
> 気がついてましたよ。&私も冗談のつもりだったのです。
よ..よかったぁ〜(安堵のあまり、膝が折れる)
いや、座り込むにはまだ早い。
これで安心して検討に参加できます。これからもよろしく。
saniku-aikiの言う
>そうであれば、信仰を持って見ていただければいいのではないでしょうか。そうすれば
科学的だということもわかるのではないでしょうか。
は、つまり仏教徒になれば聖書の記述が想像を含んでいることが分かるでしょう。ってこと?
これと同レベルの馬鹿理屈をいい年してこねるヤツって...困ったもんだね。
To saniku-aikiさん
おひさしぶりです。もうあなたとお話することはないな、と思っていたのですが、今回の発言を拝見するにあたり、読むに堪えず指摘させていただきます。
>聖書を知らない日本人なら、何も考えないでしょうが、
>ダーウィンはなまじ知っているだけにあえて、創造主を前提にしなかったのです。
聖書と信仰はともかくとして、sanikuさんは科学教師ですよね?そのあなたがなぜ、このような断定口調でモノを言うのか本当に分かりません。sanikuさんはダーウィンを直接知っていて「前提にしなかったのです」と言うのですか?
>そうであれば、信仰を持って見ていただければいいのではないでしょうか。そうすれば
>科学的だということもわかるのではないでしょうか。
信仰と科学は別種のものだ、という共通理解が得られない限り、こういう循環論が延々と続きそうですね。創造主がいたならいたで構わないのです。しかし、創造主が創造を行なった痕跡は認められません。少なくともあなたがたが挙げたような「洪水の証拠」は、どう考えても間違いです。しかし、それは「世に言う創造科学論者の主張」がまったくもって幼稚で浅はかなだけであって、創造を否定することには繋がらないのですよ?その意味するところが理解出来ますか?
科学はあくまで人間の行為です。創造が神の行為であるなら、その証拠となる痕跡が人間の行為で見つけられなくても別に良いではありませんか。あなたがたはしかし、神の創造ではなく「自分たちで主張する創造科学」に執着し、拘泥していませんか?創造が科学的である必要などどこにもありません。神は万能なのですから、科学と反していても少しも構わないのです。
>創造主がいるという前提でものを見てくださるのであれば、考えますが、
>とてもそう言う状況ではありませんね。
では「創造主がいる」という前提でモノを見れば、あなたは創造の証拠を提出し、それが科学的に見て信憑性も申し分なく、進化論を覆せると言うのですか?こう言うとあなたは再び聖書の記述を引用しそうですが、それはただの記述であって証拠ではありません。あなたは進化論に対して反論しているのですから、聖書の外にその根拠を求めなければなりません。進化論は科学の理論ですから、これを覆すには信仰ではなく、科学の手続きに従わなくてはなりません。それらのことを理解出来ますか?
あらためてsaniku-aikiさん、私は創造主がいてもいなくても、どっちでも良いのです。永遠の命も欲しくありません。命は限りある方が良いと「信じて」いますから。そしてあなたのように、創造論を信じる人がいても、別に構いません。ただしあなたは、進化論は誤りである、と主張しています。科学理論である進化論に対して反論するのであれば、科学による反証を行なうしかないのです。あなたの信仰心は少しも役に立ちません。これは誰にでも理解出来ることだと思います。
それでもなお、何故saniku-aikiさんは「科学、科学」と繰り返すのでしょう?あなたは一連の議論によって「信仰心が高まった」などと主張しますが、客観的に見るとそうは見えません。あなたは意味不明なほど「科学のお墨付き」に執着している、と観察されるからです。総合的に見ると、saniku-aikiさんは本当にこれまでの議論で信仰を深めたかも知れません、これを「真理」としましょう。しかし私から見ると、「このヒトの信仰は揺らいでいるように分析出来る」という結果が出ます。これが「科学的事実」です。心理分析の基本中の基本ですが、「○○ではない」と繰り返し主張し、なおかつその根拠が脆弱に見える場合、クライアントは「○○なのかも知れない」という不安を抱えていることが多い、と診断されるのです。真相がどうであろうと、科学は提出された証拠をもとに法則を推論するという良い見本かと思います。
To saniku-aiki さん
>そうでしょうか。進化論が登場する以前、多くの人は創造論を信じていました。
この「進化論」とは、「ダーウィンの進化論」のことでしょうか?
それとももっとそれ以前からの進化論のことでしょうか?
古代ギリシアあたりにも進化論はあったかもしれませんよ?
同様に、キリスト教・ユダヤ教よりも古い宗教にもそれぞれの創造神話があるでしょう。
とりあえず、「ダーウィンの進化論」に限って言うのであれば、彼は何も進化論を初めて提案した人などではなく、それまで解剖学や化石の知識から漠然と想像はされていたけどもっともらしい説明のつかなかった進化論に、自然選択説という説明を付けた人であるわけです。
だから、ダーウィン以前にも進化論を考えていた人はいました。
しかし、教会の権力が大きかった時代のこと、異端と呼ばれ死刑にされたくなければ黙っているしかなかったという事情もありますよね。
>ダーウィンも当然聖書の創造の話を知っていたはずです。
ダーウィンはケンブリッジ大学で神学を修め、そのままなら牧師になっていたであろう人物です。
ですから彼が聖書における創造の話を知らないわけがありません。
そんな彼が進化論者に転向したのですからよっぽどのことなんですけどね。
そして、上で書いたように教会の権力を恐れ、長い間彼は自然選択説を公開せずに思索と研究を続けたわけです。
しかし、ウォレスが独自に彼と同じ結論(自然選択説)に達したことを知り、自説を公開したわけで。
(ウォレスがダーウィンと独立して自説を考え出したことも重要。「ダーウィン以前」にも進化論が語られ、進化機構について思索した人がいたことの証左でもあります)
突然ですが、ガリレオ・ガリレイは「ガリガリ君」というあだ名で呼ばれていたに違いないと考えています。
>原文では「男」の双数形(属格ならανδροινアンドロイン)なのを几帳面にtwo menに訳しちゃったのかな,とおもいました
そんなのがあるんですか。
複数形さえきちんとしていない(そうでもないと専門家は言っているらしいけど)日本語使いの私らからすると異形の世界。
男と悪霊で対になっていると読むわけかな。
でも、それなら a man がおかしくなるし、two men は two men で悪霊を man に数えてしまっているわけだから、こちらはこちらでおかしな話だ。
神様も翻訳には苦労されているというわけですね、、、(^^)
秋月さま
私の体重相当の100Kgに対して0.155gの増減を計ることは、容易ではありませんが可能です。
しかし、この精度を持つ”体重計”は存在しないでしょうし、作る人もいないでしょう。人体は皮膚から常に水分を蒸散させていますし、心臓は断続的に運動し、血液を流しだしています。
これらの生体の動作による変動は0.155gよりも遥かに大きいと思いますので、この精度を持つ体重計を作ったとしても(測定する人体に多くの制限を設ければ作ることは多分可能です)測定値の変動が測定精度よりも大きく意味のある測定はできないと考えます。
ああああああ、無粋な回答でした。
呼んでいた→読んでいた
>今日、秋月の吐気の炭酸ガス濃度を実際に測ってきたところ、
どうやって測るんですか?
計算が細かくて「かっこえーな」と感心して呼んでいた(あってるのか間違ってるのか
検証する能力はないのだが)のですが、そうか、そっち関係の職業の方だったのだな。
(そっち関係:私の頭には、口臭・体臭・おなら研究所くらいしか思い浮かんでない)
>この二つを足して
>0.064+0.091=0.155g
体重計に乗るときにおなか凹ませてたくちなので(ってゆーか、
薄着になるときにはいつも、ぷよぷよおなかを凹ませとかなきゃならん)、
この結果はちょっと嬉しい。少なくとも増えてはいなかったのよね。
>>めっきり寒くなってきたので、早く雪が降らないかな〜と指折り数える毎日ですが、
>大文字ナンさんは、以前スキーが好きだと言ってらした覚えがあります。
そうだったのですか。
「髪の毛をツンツンに短く切った」のと、「寒くなったので、早く雪が降らないかな」
という関連を考えちゃって、
頭の上に雪を積もらせて「ちょっと暖かいかも♪」
と喜んでる男性を想像しちゃいました。
ボケボケじゃ。
大文字ナンさん失礼しました。
>双数形つーのは,本来は単数形と複数形の中間?で,対とみなされる2つの物を
まとめて言うときに使われる格です.
○数形は格じゃないじゃん!!!!!
はじめまして.ながらくROMしてました,神話ヲタです.
非切支丹で,バリバリの文系ですが楽しく読んでます.
>1と2くらいは間違えないでもらいたいですよね、、、(^^)
ギリシア語の原典あたったわけではないのですが,
原文では「男」の双数形(属格ならανδροινアンドロイン)なのを
几帳面にtwo menに訳しちゃったのかな,とおもいました.
双数形つーのは,本来は単数形と複数形の中間?で,対とみなされる2つの物を
まとめて言うときに使われる格です.双子とか対立関係にある二者とか.
有名な例では,プラトン「饗宴」で原初の人間は男+男,男+女,女+女という具合に
二人の人間がくっついた状態で,分離されたのちにもお互いを求め合うのが恋だと
いうくだりがありますが,ここでも双数形が多用されています.たしか.
で,わたくしたちがよくわからないのと同様に,昔の方もよくわからなかったらしく
新約期の崩れたギリシア語では本来の用法は失われ,
単に語調を整えるためや敬語表現として用いられることが多々あったそうです.
現代の私たちが文法的に正確な古文を書くことができないのと同様に,
福音書家が正確な古典語を書けなかったとしてもおかしくはないでしょう.
「神のコトバ」という重々しさは失われるのかもしれませんが.むー.
>そうでしょうか。進化論が登場する以前、多くの人は創造論を信じていました。
ちょっとちょっと。そのような事実はありません。
少なくとも、日本において、創造科学などっつートンデモ科学が科学として通説的だったことなど一度もありません。
>>そろそろ検証に耐える科学的根拠を提出していただけますか?
>
> 創造主がいるという前提でものを見てくださるのであれば、考えますが、
では、創造主がいるとして論理展開した結果がおかしな物であれば、
前提を捨てる気はありますか?
ないでしょ。
そんなものは「科学」とはいいません。
なぜ「科学」という言葉にこだわるんですか。
>おっしゃることはわかります。私自身は地球歴史6000年でなくてもかまわないと
>思っていますが、それでも1万年以下であろうと思っています。つまり、炭素年代測
>定による3万年前の化石とかは、私は信じていません。これってどうやって説明する
>のでしょうね。一つの考えは、ノアの洪水時の地球環境の激変です。ノアの洪水を
>認めない方にとっては、何の説明にもならないでしょうが、私達にとっては、極めて
>有力な説明になります。
便利な言葉ですよね。地球環境の激変って。
では、具体的に何が変わって、年代測定の値が狂ったか示せますか?
それらしい言葉を並べて思考停止するだけなら、
それは「科学」的な説明ではありえません。
ご自身の「信仰」内で納得するだけにしてください。
それなら、誰も異論を唱えませんよ。
まだ我慢。
レスはもう少し追いついてからにしよっと。
>そうであれば、信仰を持って見ていただければいいのではないでしょうか。そうすれば
>科学的だということもわかるのではないでしょうか。
「信仰をもって見ればカガク的」というようなカガクのことを「創造カガク」という。
この認識でマチガイにゃーね?
>>これ以上、「創造論が科学的なのは信仰の問題だ」と主張なさっても「まともに返す意味はなさそうだけど」で終わってしまいますよ。
>それは仕方のないことだと思います。科学を問う前に聖書を問わなくてはなりませんから。
カガクを問う前に聖書を問うのが創造カガクだ、ちゅう認識でいいよにゃ?
では、非キリスト者にとっては進化論がカガクであるとチミは認めているわけね?
すいません思い切り勘違いしていました。計算に夢中で文章が把握できてなかったようです。ごめんなさい。
さて、おならをした前後の人体の容積変化ですが、人体の収縮性(腹の皮の伸縮性)はゴム風船以上、たとえるなら水のたっぷり詰まった水玉風船状態ですので100mlガスが出たら容積は100ml減ったと考えて間違いはないと思います。
あと、ご友人への失礼のお詫びに、思いっきり、お腹を凹ました(息を吐いたとき)にどれぐらい体重が減るか計算してみます。
トトロさんの御指摘の通り、吸った息と吐いた息が同じものなら、体重の増減は有りません。これも御指摘の通りですが、重量変化があるとすれば、二酸化炭素の放出と水分の蒸散でしょう。
まず、二酸化炭素の放出についてです。吐いた息では酸素が減り、二酸化炭素が増えるので密度はそれだけ高くなります。今日、秋月の吐気の炭酸ガス濃度を実際に測ってきたところ、約4%でした。
少し多めで5%として、それと同容積の酸素が消費されるので、吐気の化学組成は、窒素79%、酸素16%、二酸化炭素5%で平均分子量は29.44になります。空気の平均分子量は28.9ですから、女性が思いっきり息を吐き出したときの息の量を3リットルとすると、減る重量は
3÷(22.4×(273+36)÷273)×(29.44−28.9)=0.064g
とそれだけで0.064g軽くなることがわかります。
次に、水分ですが、吐く息はほとんど飽和状態ですから36℃の飽和水蒸気量41.6g/m3で吸ったときは20℃、相対湿度50%として8.632 g/m3だから
3×(41.6-8.632)÷1000=0.091g
この二つを足して
0.064+0.091=0.155g
努力の成果でこれだけの体重が減少します。凄いですね(ってそんな正確な体重計があるのでしょうか)。
3ETさんへ
>進化論が構築されていく課程では、創造主の存在を「前提も/否定も」していません。
もうなんども申し上げました。
そうでしょうか。進化論が登場する以前、多くの人は創造論を信じていました。
ダーウィンも当然聖書の創造の話を知っていたはずです。創造の話を全く知らない人で
あれば、創造主を前提にすることもないでしょうが、創造主がいると教えられて育った
ダーウィンにとって、進化論を発表するに当たっては、創造主の存在をどう考える
べきかを当然意識したはずです。意識した上で、創造主によらない「種の起源」を考えた
のではないでしょうか。聖書を知らない日本人なら、何も考えないでしょうが、
ダーウィンはなまじ知っているだけにあえて、創造主を前提にしなかったのです。
>創造論が科学的であるためには、科学的証明は必要なく、信仰心だけが必要だとおっしゃっているようにしかとれませんが?
これもみなさんがなんどもおっしゃていますが、「信仰心を持って見れば創造論はただしい」と主張することに異論はないと思います。
そうであれば、信仰を持って見ていただければいいのではないでしょうか。そうすれば
科学的だということもわかるのではないでしょうか。創造論は最初に「創造主ありき」
であって、科学的証拠の積み重ねによって考え出されたものではありません。また、
繰り返しますが、創造の業は神の業なので、科学的検証が十分出来るとは言い切れ
ません。だからこそ、創造論を受け入れるには、最初に信仰が必要なのです。
>そろそろ検証に耐える科学的根拠を提出していただけますか?
創造主がいるという前提でものを見てくださるのであれば、考えますが、
とてもそう言う状況ではありませんね。私が根拠とする聖書の解釈一つでさえ
議論百出ですから、ここである程度の共通理解がないと先には進めないでしょう。
>このサイト内には炭素年代測定法についての記述があります。
その記述が正しければ、創造論は科学的に否定されます。これは明白ですね。
これをきちっと否定してください。
おっしゃることはわかります。私自身は地球歴史6000年でなくてもかまわないと
思っていますが、それでも1万年以下であろうと思っています。つまり、炭素年代測
定による3万年前の化石とかは、私は信じていません。これってどうやって説明する
のでしょうね。一つの考えは、ノアの洪水時の地球環境の激変です。ノアの洪水を
認めない方にとっては、何の説明にもならないでしょうが、私達にとっては、極めて
有力な説明になります。
>これ以上、「創造論が科学的なのは信仰の問題だ」と主張なさっても「まともに返す意味はなさそうだけど」で終わってしまいますよ。
それは仕方のないことだと思います。科学を問う前に聖書を問わなくてはなりませんから。
やはりキリスト教でも宗派によって相当差があるねぇ。
うちの祖母(クリスチャン)の葬式のシメでは、牧師さんは
「塵は塵に、灰は灰に(中略)、これで故人の魂と肉体を主のみもとにお返ししました(大意)」
つってたからなぁ。
a man が two men になるんだから。
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/demoniacs.html
万となれば神様でも数え間違いするかもしれんが、1と2くらいは間違えないでもらいたいですよね、、、(^^)
saniku-aiki さま 横レスで失礼いたします。
> 聖書全体に統一がとれていないで、矛盾があれば、聖書は神の言葉ではなくなります。
> 聖書は神の言葉であると信じている者は、聖書の著者は神一人なので、全体を通して
> 矛盾がないと考えています。ですから、聖書全体を通して理解を深め、矛盾がない解釈
> をしていこうとつとめるのです。
では、”聖書の間違い”(ttp://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html)佐倉 哲氏のエッセイについて、氏は以下の手法で聖書には矛盾が存在すると論じています。その部分を引用します。
---ここから---
しかしながら、ある聖書の記述に間違いがある、と判断するためには、その記述が書いている事柄についての真実を知っている必要は必ずしもありません。一つの事柄について二つの記述があり、もしそれらが相互に矛盾していれば、その記述のうち少なくとも一つは間違っていることになるからです。
例えば、創世記一章の天地創造物語と第二章の天地創造物語との間に創造順序に関して矛盾があります。つまり、一方の記述ではアダムは植物創造後に造られ、他方の記述ではアダムは植物創造以前に造られています。これらは両立しません。したがって、必ず少なくとも一方の記述は間違っていることになります。そこで、実際の世界創造に関する知識をまったく必要としないで、わたしたちは、創世記の創造物語の記述には間違いがある、と判定を下すことが出来ます。
このようにして、事柄の内容について私たちが真実を知っているかどうかに無関係に、間違いの存在が決定されるのは、論理的真理は言明の形式のみに依存し、言明の内容には依存しないからです。これは、「Aかつ非A」は、Aの内容にかかわらず、常に偽である、という形式論理学の矛盾律です。この矛盾律に従って、聖書に内部矛盾があるとき、その事柄の内容に無関係に、わたしたちは聖書に間違いが存在することを決定することが出来ます。これが、聖書に間違いがあると判断する第二の方法です。
---ここまで---
その上で、複数の箇所で矛盾を指摘しています。聖書自体が矛盾を含んでいるとの主張ですが、これに対してsaniku-aiki さまはどのように反論されるのでしょうか?もしよろしければ同Webページの「足し算のできないエズラ」への反論をお願いいたします。
お嬢さま。トトロです。
> お腹を引っ込めることによって友人の質量はそのままなのに体積だけが減ってしまい、
> 押しのける空気の量が減ってしまった分だけ、体重計の目盛りは重くなるのです。
> たぶん。
トトロのようなおもしろ生物を除いて、お腹を引っ込めても、消化器官や呼吸器官に入っ
ている気体(空気など・・・)を圧縮するか吐き出さない限りは体積は変化しないと思う
し(液体や固体は圧力によって容易に体積は変化しない)、息を吐き出して。体積を減ら
しても、押しのける空気の量分と同じ量の空気を体外に排気するので体重計の目盛りは変
わらない(吐き出した息は水蒸気や炭酸ガスが含まれているので大気よりは重いかもしれ
ませんが)のでは?
>めっきり寒くなってきたので、早く雪が降らないかな〜と指折り数える毎日ですが、
大文字ナンさんは、以前スキーが好きだと言ってらした覚えがあります。
PS:大文字ナンさんへ、僕の発言に問題ある時はあちらで受け付けてます。
たまごちゃんへ
冗談ね・・・、出来たらあちらに返して下さいよ。見てる人ますます分からないと思いますよ。
大文字ナンさんへ
>依存症がこの掲示板の主旨に離れないのか微妙(笑)ですが、
すみませ〜ん。。たまたま「信仰」と、「依存」との違いを考えていたので、
ちょっと、この掲示板の趣旨に関係なくもないかなぁ、と思ったんだけど・・・
ナルコティクスアノニマスという薬物依存者の自助グループがあって、そのグループの出版物を読んでたんですが、面白いことに、そのグループでは、薬物依存から抜け出るために、一人一人が「自分の神」を想定するんです。「神」という言葉は宗教臭くて誤解を呼ぶから、ハイヤーパワーとかいったりするんだけど(それでも結構怪しい響きだが)。その「神」は、どの宗教の「神」でもなく、一人一人がそれぞれ対話するために、「自分自身で想定する『神』」で、「グループの良心の中に自分を表す神」とか、表現されたりしています。自分の無力を認め、その「神」に頼ることによって、薬物依存から抜け出ることが出来る(こともある)そうで、実際このプログラムで、薬物依存から生還した人も数多くいるということです(50年以上の歴史がある)。
>宗教の説くのは、「世界と僕たちの関係」なのだにゃ。
世界とある関係にある、と認識することで、僕たちは自分の存在理由をえて、つまりは自らの存在論的安定をえる。
その、ナルコティクスアノニマスの本を読んでいて、地下ネコさんの指摘を実感しました。ある特定の宗教とか、教義に頼ることなく、「自分自身の想定する神」との対話を通して、必死に「世界(社会)と自分との関係」を(再)構築しようと努力する薬物依存者たちの手記は感動させられると共に、「説く側と受け入れる側」になってしまっている諸宗教について考え直させられます。
>めっきり寒くなってきたので、早く雪が降らないかな〜と指折り数える毎日ですが、
雪が降ると、何でいいのですか?
頭の上に積もって暖かいのかな?
秋月さんへのレスです
詳しい計算をありがとうございます。おかげでやっと先が見えてきました。後は、100ml(出る直前換算)のおならが放出されることにより人体の体積は何ml減少するのかを考えれば答が出てきそうですね。たぶん。
100mlのおならを出しても、体積が100ml丸ごと減ることは期待できません。どれだけ減るかは、腹の皮の伸縮性によって左右されますが、100ml(出る直前換算)のおならが溜まることによって下腹が膨らんでいた体積分だけ減るはず。その減る体積Aが下の式のBよりも大きいのか小さいのか?
28.9×B÷(22.4×(273+20)÷273)=0.098g
B≒0.82(ml)
A>Bならば体重計の目盛りは軽く、A
>凄いこれなら空気より重いから、体重計は軽くなる。
>必死に努力する乙女はおならをすると少し軽くなるんだ。
いや、私の友人は体重計の上でおならしたりなんかしませんよ。まったく、私の友達をなんだと思っているのやらブツブツブツ・・・・。
お腹を引っ込めることによって友人の質量はそのままなのに体積だけが減ってしまい、押しのける空気の量が減ってしまった分だけ、体重計の目盛りは重くなるのです。たぶん。
いやぁ、たまごちゃん(^-^)ノ17才が書き込み始めると話があっちゃへコロコロこっちゃへコロコロ。それだけでは足りずにとんでもない方向へコロコロコロコロ・・・・・。管理人さんも困っているに違いない。
>冗談のつもりだったのです。
気がついてましたよ。&私も冗談のつもりだったのです。
>友人からもtemaの冗談は判りにくいと言われてるので、注意しなければならないのですが...
そのお言葉、そっくりそのまま私がいただきますぅ。m(_ _)m
うだうださん、読んでますか?またやっちゃいましたよ。私の冗談はよっぽどわかりづらいらしい(w
>これは、あの流れの中であの文章を投稿した私に対するあてつけなんだろうか?
冗談のつもりだったのです。
友人からもtemaの冗談は判りにくいと言われてるので、注意しなければならないのですが...
許してください。
たまごちゃん(^-^)ノ さん
そうですね。さっきははじめまして、でした。(大笑い)
>重くなるの誤記ではないでしょうか?
すいません、重くなるのですね。
>体温は室温よりも10Kほど高いということも考慮に入れなくてはなりませんね。
いれて計算してみましょうか
でる、直前のおならの容積を100ml、体温を36℃として
重量は24.4(平均分子量)×1.02(気圧atm)×0.1(容積リットル)÷(22.4×(273+36)÷273)=0.098g
外気温が20℃として、100mlの空気の重さは
28.9×0.1÷(22.4×(273+20)÷273)=0.120g
やっぱり少しだけ重くなる。
あと、確かにガスが溜まったときに下腹が出るってことは、腹腔圧が負けてるってことだけれど普通そんなに変わらないと思うんだけれど…。
>体重計に乗るとき少しでも軽くしようとお腹をへっこめる人がいますが、・・・・。えっ?!いないって?私の友人にはいたのよ、そういうのが一人。これって、逆に少し重くなっていたのかもしれない。
必死でお腹をへっこめた時の力って思い切り腹式呼吸したときの吐息の圧力ぐらいでしょうか?
すると300mmhgぐらいだから圧力は約1.4atm。それを考慮に入れると、
24.4(平均分子量)×1.4(気圧atm)×0.1(容積リットル)÷(22.4×(273+36)÷273)=0.135g!!
凄いこれなら空気より重いから、体重計は軽くなる。
必死に努力する乙女はおならをすると少し軽くなるんだ。
秋月さんはじめまして、あなたとははじめてする話がおならの話なのね・・・。
>すると単位容積(25℃で24リットル)あたりの重量は24.4×1.02=24.9gで空気の28.9gより小さくなるから体重はほんの少し軽くなるんじゃないでしょうか。
重くなるの誤記ではないでしょうか?
>ガスの圧力はお腹の内部圧力(腹腔圧)とバランスが取れているはずだから約10mmhg、絶対圧になおして1.013気圧、多めに見積もって1.02気圧(意外と少ない)
いいえ。おならを我慢するときの圧迫感は(私だっておならを我慢することはあるのです。なにせ、永遠の美少女ですから)、腹腔圧と腸内の圧力がつりあわず、腸壁が内側から押されることによるものだと思われます。どの程度かは分かりませんが(おそらくたいしたことはないだろう)、ガスの圧力は腹腔よりも高いのではないでしょうか。
そういえば、体温は室温よりも10Kほど高いということも考慮に入れなくてはなりませんね。
考えるべき変数がだんだんと増えていく・・・。あぁ、我々の科学は、おならによってヒトの体重が増えるか減るかさえも予測できないのか?(ToT)
♯ 体重計に乗るとき少しでも軽くしようとお腹をへっこめる人がいますが、・・・・。えっ?!いないって?私の友人にはいたのよ、そういうのが一人。これって、逆に少し重くなっていたのかもしれない。
>なぜ流れがこんなにも速い?
To temaさん
> 今夜も、昨夜書いた文章を投稿しようとしたら...この流れ..なに?
とても推敲した文章を投稿できる雰囲気ではありません。
これは、あの流れの中であの文章を投稿した私に対するあてつけなんだろうか?
どうぞ霊魂の話なり怜子の話なりなさってくださいませ。
デジタルコピーではないのですが、現在、とあるシンガーソングライターのファンが運営するチャットルームでは、50歳を過ぎてなお一向に出産の兆候を見せないシンガーソングライターの遺伝子を未来に残すべくクローン作製計画が進行中です。
念のため、計画の発案者は私じゃないですよ。実行に移すのは私らしいけど・・・。
> ・・・たまごちゃん(^-^)ノ・・・17歳の美少女がなんて事を...
はぁ?!美少女はおならをするなとでも?あの吉永小百合様でさえうんこをする権利を有する現代に、時代錯誤もいいところですね。
たまごちゃん(^-^)ノ 様
最終的な体重計の目盛りですが、
おならの成分が窒素70%、水素20%、二酸化炭素10%として平均分子量は24.4
ガスの圧力はお腹の内部圧力(腹腔圧)とバランスが取れているはずだから約10mmhg、絶対圧になおして1.013気圧、多めに見積もって1.02気圧(意外と少ない)
すると単位容積(25℃で24リットル)あたりの重量は24.4×1.02=24.9gで空気の28.9gより小さくなるから体重はほんの少し軽くなるんじゃないでしょうか。微妙な差だけれど
なんで人は信仰を持つのだろうか?
ひとによって、生きてきた環境によって様々なんでしょうけれど、自分に手をあてて考えたけれど、やっぱり解りませんでした。
地下に眠るM さんの存在の意味づけのためって言うのが一番近いかな。自分の足でしっかり立っている人には不要なのかな?
>キリスト教では死ねば(悪いことをしてない限りは)天国に行くことになってるはずで、その意味では死は良いことではないのかな? …さて死とは「天国へ行く」ことであれば、天国には死がないというのはまあ言い方の問題で、「天国では皆死んでいる」と言っても間違いではないでしょう。つまり天国にも死はある。
進化論を受け入れるクリスチャンにとっては、おっしゃるとおりで、天国では皆死んでいる論理になるでしょう。しかし、創造論者の私は、人が死ねば天国に行くとは考えていませんし、死後すぐに天国行くというのは聖書を正しく理解していないと考えています。聖書は死を眠りと呼んでいます(ヨブ14:10他)。これは死者は眠っている人と同じように何も知らず(コヘレト9:5)、何の活動も出来ない(コヘレト9:10)という意味です。キリストの再臨による復活の時まで、死者は墓の中で無意識の状態でいます(1テサロニケ4:16)。人は死後すぐに天国に行くのではありません。復活の時初めて、墓は死人を出します(黙示録20:13)。
もし人が死んですぐに天国に行くのであれば、もちろん肉体は伴っているはずありませんから、それは魂だけが天国に行くわけです。その場合、魂だけで天国で快適に暮らせるのですから、肉体があえて復活しなけれなならない意味はなくなります。しかし、聖書はイエスが肉体を伴って復活したことを明記しています。イエスが死後天国に行ったのなら、なぜわざわざ肉体を伴った復活が必要だったのでしょうか。キリストが肉体を伴って復活した事実は、死者の魂だけが復活するのではなく、肉体と魂とは切り離せず、一体として見るべきであることを示します。
>>創造の出来事は聖書全体に関わってきますので、解釈に当たって
は創世記だけではなく、聖書全体を学ぶ必要があります。
>そんなことしたらどこかで矛盾がでることは間違いないでしょうね
聖書全体に統一がとれていないで、矛盾があれば、聖書は神の言葉ではなくなります。聖書は神の言葉であると信じている者は、聖書の著者は神一人なので、全体を通して矛盾がないと考えています。ですから、聖書全体を通して理解を深め、矛盾がない解釈をしていこうとつとめるのです。
diamonds8888x さんへ
>アダムとエバはひとつの一族の男と女の象徴だった。
・さあ他にどんな場合が考えられるか。あなたの創造性が試されます。
おっしゃるようにいろいろな場合を考えることはできるでしょうが、それは、聖書をそのまま受け入れるのを拒否する理由です。受け入れようとする人にとっては、アダムとエバは個人であると考えれば十分です。拒絶のためにいろいろな場合を考えるのは、聖書の正しい読み方ではありません。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かでなものですが、私達救われる者には神の力です。・・・知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる、神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。」(1コリント1:18、20)試されているのは、人間の知恵でも、人間の創造性ではなく、人間の信仰なのです。人間の論理的思考に全て入りきるほど神は小さくもなく、愚かでもありません。論理的ではないと人が思ったとしても、それが神の論理であるならば、それを受け入れるのが、被造物である人間の務めなのです。もっとも、進化論者は人間が被造物であることを認めませんから、こんなことを言っても無意味でしょうね。
>「生物としての当たり前の死」、「人間の罪を負っての死」のふたつの「死」の性質をちゃんと説明してくれないと、知らない人には正誤判断など不可能ですけど。
説明不足ですみませんでした。
死には2種類あります。アダムが罪を犯した結果この世界に入り込んだ、生物として当たり前の死(第一の死)と、神の裁きの結果与えられる最後の刑罰として死(第二の死)があります。第一の死は、キリスト教徒であろうと、無神論者であろうと同じように経験する死で、誰も逃れることは出来ません。アダムの罪の結果、全人類は死んでおしまいになるはずだったのですが、キリストは人間を愛されたので、人間を救う方法を考えました。それは死んだ人を復活させると言うことです。しかし、罪がある人間に黙って命を与えることは、「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)という神の定めた掟に抵触します。そこで、神の正義を守ると同時に人間に対する愛を示す方法として、身代わりとしてのキリストの十字架の死が必要になったのです。人は皆、「ただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まって」(ヘブライ9:27)います。神の行う裁きにおいて、キリストを救い主として信じる者に、キリストは自分の命を与え、代わりにその人の罪を背負われます。それが出来るのは、キリストが人間となられ、一つも罪を犯さなかったからです。しかし、キリストは人間の罪を背負われたので、キリストは刑罰としての死(第二の死)を受けなければなりません。それが十字架の死の意味です。こうして、キリストを信じる人は、復活し、天国に行きます。一方、キリストを信じない人はどうなるのでしょうか。神の裁きの座に置いて、せっかくキリストが身代わりとなることを申し出ても、「そんなことは信じられない」と言って、拒否するのですから、キリストはその人を救うことが出来ません。その結果、その人は自分の犯した罪によって裁かれ、死刑(第二の死)が執行されるのです(黙示録21:8)。第二の死には復活はありません。それは永遠の死を意味します。
キリストの死が、もし生物として当たり前の死(第一の死)を意味するのなら、その死はアダムの罪の結果としての死ではないのですから、キリストは人間の罪を背負っていないことになります。したがって、この場合にはキリストは人間の身代わりではないので、救い主とはなり得ません。人間登場の前に死を認める進化論は「キリストは救い主である」というキリスト教の神髄を否定することになるのです。
なお、ここで覚えていて頂きたいことは、キリストが人間のために死ななければならない理由は一つもなかったということです。人間は自分の意志で、警告を無視し、神に逆らい、罪を犯したのですから、人間が死刑になる責任は神の側には全くありません。論理から行けば、キリストが死ぬことは筋が違うのですが、それが神の愛であり、恵みなのです。
以上が私の理解ですが、進化論を認めるクリスチャンの考え方とは違うと思いますので、これが一般的なものかどうかは私には判断しかねます。
たんぽぽ様
ああ、いえ、わたしは写真はぜんぜんくわしくなくて、
本に書いてあることとか、くわしく知っているかたの
受け売りばっかりです、はい。
誰にでも共通する事ですよ。結果的に模倣を原点に生きられる
動物ですから。
ところで、ブルーバックス好きですね、私も。
今後とも何卒よろしくお願い致します。
宗教が一人一人の人間の「救い」とか、生きがいの問題になったのって、ごく近代じゃないのかな。ごくごく最近まで、宗教って政治だったんだと思う(思うっていうか、いつかどこかで習った記憶が…)。
temaさんの書き込みにも通じるけど、例えば、農耕民族の社会では、実りが豊かになる為に、「実りを左右する神」に対して祭儀を行なうようになる(人間の力だけでは、作物の出来不出来はどうしようもない部分が多いから)。そして、その「実りを左右する神」の名によって、人民を統制して(政治を行なって)効率よく農作業を行なうようにできれば、その分その部族(集落)は、豊かになっていったんじゃないかな。
でも、効率よくなりすぎると、一握りの支配者と大多数の奴隷みたいな社会構造になってしまって、そうなると、「それは、違うだろー。人間がよりよく生きるための政(祭りごと)のはずなんじゃねーか」という宗教(政治)改革がたびたび起こってきたんじゃないのかな。
仏陀も親鸞もモーセもイエスも、宗教家というよりは、政治運動家という方が、実態は近いんじゃないかな、と思うんだけど。
近現代で例えれば、ガンジーやキング牧師みたいな。
生まれた時から周りの人々が皆神仏を信仰していたら、信仰するのが当然と思うでしょう。そのような人にとって、「なぜ神仏を信仰するの?」という質問は「なぜ女性しかスカートを履かないの?」と同じような質問だと思います。
そして、神仏を中心とすると人心を統一しやすい、ということも考えられます。人を中心とすると、人々の価値観がバラバラなので統一することが困難です。「原田知世は世界一の美人だ!」と主張する人も居れば「マリリン・モンローこそ1番である!」と断言する人もいる。これではケンカになってしまいます。神仏は絶対かつ人を超えた存在であるが故に、人心を統一しやすいのではないでしょうか?(ちなみに多神教と一神教を考えた場合は、一神教の方が統一しやすいと思います)
人心が統一されたグループとバラバラなグループ、生存に有利なのは人心が統一された方でしょう。当然、子孫も多く残せます。
この結果、特に開けた土地では神仏(それも一神教)を信仰したグループの人数が多くなっていくと予想できます。
そして、神仏を信仰したグループの中に生まれた人々は、当然のように神仏を信仰するようになります。
無神論で十分と思うのは、現在、日本が生きやすいからなのかも知れませんよ。
>宗教の説くのは、「世界と僕たちの関係」なのだにゃ。
説く側あれば受け入れる側あり。なにを説いたところで、それを求める民衆なくして宗教の普及はあり得ないわけで、仏陀が「非我」を説いたことが、民衆にはその意味するところも分からず、お布施すれば救われる=天に行ける、と解釈されてしまう。原典(原始仏教)と現代の仏教との差はあまりに激しく、しかもその最たる差は大乗出現と共に現れていたことから、説く側と求める側ではその意味合いも大きく違っていることが窺われます。要するに「救い」なんでしょうけれど、救いが求められる、ということは、それだけ人々が「救われていない」という自覚のもとに生きているからなのでしょう。
ニンゲンちゅうのは「無意味」に耐えることはできにゃーのですね
そこに何らかの意味を見いだせば、相当に辛いことも耐えられるのだけれど
何も意味を見いだせなければ、自らの存在にすら耐えられにゃー。
かつて、ユングが北米原住民のある部族の秘義をみせてもらった時の話しだにゃ
部族の長老はユングにこう語ったのだそうですにゃ
「われわれは、大いなる精霊に伝えられた秘義によって太陽の運行を手助けしているのです。
われわれがいなければ、太陽が再び昇ることはないでしょう」
ここでは、自分たちの存在が世界の支えとなっている構造が見られるわけだにゃ。
部族の成員すべてに、太陽の運行を助けるためのなんらかの聖なる役割が与えられていましてにゃ。
その部族は、実に穏やかで思慮深く、誠実かつ勇敢であったということですにゃ。
自分の存在が太陽の運行を支えていると信じることができるなら、
そしてそれを認める文化があるのなら、
僕はたぶん、自分のなりたかった何かになれるような気がするにゃ
僕たちが、自分のなりたい何か、になるためには
存在を深いところで支えてくれる「意味」が必要になるのだと思うにゃ。
それが宗教なのだろ。
「われわれはどこからきたか、われわれはなにものなのか、われわれはどこにいくのか」
これはゴーギャンの絵画のタイトルにゃんね
宗教の教義はこの問いに直接答えるためのものだにゃ。
芸術も結局はその答え(武満のいう事実)をめざす。
言い換えるにゃ。
宗教の説くのは、「世界と僕たちの関係」なのだにゃ。
世界とある関係にある、と認識することで、僕たちは自分の存在理由をえて、つまりは自らの存在論的安定をえる。
創造カガクのお歴々はね、自らの、そしてニンゲンの存在論的安定を賭けて闘っているつもりなのさ。
しかし、ニンゲンは意味なしに生きていけにゃーことは事実だろ。
そして、カガクは意味を扱えにゃー。
しかし、カガクそのものは社会的・文化的に意味付けされている。
創造カガクのお歴々にとってみれば「きったねー」と言いたくなるのではにゃーかな。
夜下書きをし、1日置いて推敲し、次の日の夜に投稿する。
私事ですが、これがtemaの通常の投稿スタイルです(でないと、とっても判りにくい文章になってしまう)。
今夜も、昨夜書いた文章を投稿しようとしたら...この流れ..なに?
とても推敲した文章を投稿できる雰囲気ではありません。
いったい何時、誰がこんな流れに?
−検索中−
・・・たまごちゃん(^-^)ノ・・・17歳の美少女がなんて事を...
おならの話はさておいて。
信仰する理由は色々とあると思いますが、「答えが欲しい」というのも大きいと思います。
分かっていないことに対して、嘘でも良いから答えが欲しいという人は結構いますから。
To 谷庵さん
>まじめな話をしている人もいるのに良いのだろうか、
おならはまじめでないとでも?
>実際には主成分は飲み込んだ空気ですからね。
そうですよね。子供のころに読んだ人体の不思議の漫画の記事(もしくは私の記憶)で読んだ空気の半分というのは疑わしいなぁ・・・。
To たんぽぽさん
なるほど、おならによる推進力の影響も無視してはなりませんね。すばらしい指摘をどうもありがとうございます。
>その瞬間は、下向きの加速度がかかっているわけだから、つぎの「瞬間」は軽くなる...と思いますが...
エレベータ内で体重計に乗っているときの話から連想したのかもしれませんが、今回の場合は体重計には下向きの加速度がかからないので、体に下向きの加速度が加わったら重くなると思います。
>しばらくしたのち、おならの重さだけ減った値で、平衡に達しておしまい。
平衡に達したときに目盛りは減っていると思いますか?
To トトロさん
>また、このガスが体内にある時には圧縮されていますが、おそらく2気圧も無い(あくまで私の推定で裏づけデータはありません)と思いますので、ガスの重さを大気の重さの半分であれば、以上の考察では重くなります。
えぇと。分子量、体内でのガスの圧縮度以外にもう一つ、面の皮の厚さ・・・いや・・・腹の皮の伸縮性も考慮に入れる必要があります。分子量、圧縮度をトトロさんの設定に従った場合、風船並みの伸縮性だったら重くなること、魔法瓶並みの伸縮性だったら軽くなることが期待できます。たぶん。それも考慮に入れると、どちらかというと軽くなりそうだと思い始めています。
>尚、トトロは短足なので・・・そのう・・・おしりの穴から足の裏まで70cm程度しかありません。15m/sで噴出したガスが、そのままの速度で体重計の測定面に到達するには約47ミリ秒必要です。
ガスが到達するまでの時間はその通りだと思います(実際にはガスは空気よりも軽いため上向きの力がかかっているので、次第に降下速度が落ち、その後上昇するだろうけど)。しかし、体重計のメモリを変化させるのにガス自体が体重計まで達する必要はありません。空気圧は音速で伝わり、体重計を押すはずです。空気の入ったシリンダーのピストンを押した場合、圧力は反対側に音速で伝わるのと同じ。(私の物理の最終学歴は中学校だから大嘘を書いているかもしれません。)
一言で表すのはあまりに難しいテーマだと思いますが、敢えて言うなら、
1:死ぬことへの不安に打ち勝つため
が最初にありきで、次に、
2:死、病気、災い、などに対して心を強く保つため
ではないか、と思います。もちろんそれ以外の理由も色々あるでしょうが、この2点が強いのではないでしょうか。
>どうなんでしょうか?無神論で十分という声も聞こえてきますが・・・
信仰を持たない私が言うのもナンですが、無神論で十分とは言いがたいと思います。どんなカタチであれ、人は信仰を必要としますし、今後もそれは続いていくでしょう。
トトロさま、谷庵さま
ああ、レス、どうもありがとうございます。
(ちがってたのね、わたし...)
たまごちゃん(^-^)ノ
投げるだけ投げておいて(笑)、
肝心のお答えがちがってて、ごめんなさいね。
(って、ていねいに謝ることなのかな...?(笑))
5.神と同じ位置に少しでも近づきたいから。
こんな大胆な発言を付け加えて良いでしょうか?
トトロ さんとかぶりましたね。
そうか、俺はこんなこと30分以上もかけて考えていたのか。
まじめな話をしている人もいるのに良いのだろうか、という思いはおいといて。たんぽぽさんに反論です。
裸の場合、放屁の瞬間はロケットの噴射と同じで体は浮き上がるのですから体重計の目盛りは減るはずです。
噴出したガスは拡散して体重計には届きません。
その後は反動でしばらく目盛りは揺れますが、最終的に目盛りがどうなるかは、おならの成分の平均分子量で決まります。
おならの成分は
http://www.hatsumei.co.jp/column1/C0207.htm によりますと、
「NASAの研究では、窒素、二酸化炭素、水素、メタン、アセトン、塩素、硫化水素など約400種類の成分があることがわかりました。腸内細菌学によると腸内で細菌が食物を分解するときに様々なガスを発生させるそうですが、成分は500種類に上るとする報告もあるようです。」
とのことで、個人差や体調にもよるでしょうが、空気より遙かに軽いと言うことはなさそうです。
実際には主成分は飲み込んだ空気ですからね。
たんぽぽさま
たんぽぽの考えだけど
> 最初の「瞬間」は、体重計の目盛りは増えるのでは、と思います。
> (ふつうに立っている姿勢ではなく、たとしたら、ですが...)
> というのは、風船が飛んで行くのとか、ロケットの逆噴射とかとおなじで、
> おならを出すと、その瞬間、下向きに空気に圧力がかかるから、ですが...
> (同時にこれとつりあうだけの浮力が、上向きに発生して、自分は上に上
> がって行くのね...)
> そして、おならの噴射が終わって、上昇(というか上向きの力)が止まると、
> その瞬間は、下向きの加速度がかかっているわけだから、
> つぎの「瞬間」は軽くなる...と思いますが...
> かくして、最初の噴射の瞬間に重くなったぶんが、
> つぎの瞬間で軽くなったぶんで、埋め合わせられ、
> しばらくしたのち、おならの重さだけ減った値で、平衡に達しておしまい。
おしりの穴を下に向けて、0.06グラムのガスを台風並みの15m/sで噴出すると
そのエネルギーは1/2mv2から約6.75×10のマイナス3乗ニュートン・mになり
ます。このエネルギーは、体重100Kgのトトロを7μmだけ持ち上げるでしょう。
極めて僅かな量なので観測は多分・・・困難でしょう。でも、これだって台風
並みの放屁が必要です。尚、トトロは短足なので・・・そのう・・・おしりの穴
から足の裏まで70cm程度しかありません。15m/sで噴出したガスが、そのままの
速度で体重計の測定面に到達するには約47ミリ秒必要です。
もし、人体が剛体ならば、おしりの穴に生じた変位は音速で足の裏に伝達される
と考えられるので(人体内の音の伝達速度はわかりませんが)体重計からみて
ガスが吹き付けられる圧力よりも、上に乗っている人体荷重の減少の方が先に
観測されるはずです。つまり、この場合、以下の予測が立てられます。
(1)体重計の表示は放屁と同時に減少(軽くなる)する。
(2)続いてガス圧と、上昇した人体が落下するためにその荷重が加わり
増加する。
あんまり真面目に考えないでね。
>この掲示板の趣旨にあまり離れないように、ちょいと私のプライベートトークをしてみると、「依存症」という言葉がキーワードになりそうです。
依存症がこの掲示板の主旨に離れないのか微妙(笑)ですが、後に続く文面は大変参考になりました。ありがとうございます。
>若いころに、思いがけない事故とかで人生設計が狂うと、ミョーに大胆になる。「結局はなるようにしかならねぇさ」「今やれることをやらなきゃな」ってな感じで。
後先考えない行動と言うと、つい最近、かなり大胆に髪を切りました。最近はツンツンです(笑。めっきり寒くなってきたので、早く雪が降らないかな〜と指折り数える毎日ですが、雪が降ったら降ったで、仕事と折り合いつけるのがムツカシイのです。私も誰かに依存したいものだなぁ…と思い耽る秋の風情♪
>進化は観測できると言うことですが、どういうことが観察されたのですか。
>いわゆる大進化も観察されたのですか。
「種を超える進化」でしたら観察されています。
#この場合の「種」というのは生物学的な意味でのそれであり、
#聖書的な意味のそれではありませんが、
#科学にとっては聖書などどうでもいいので、
#問題ありません。
>おっしゃるように「進化を事実と断言できない」のであれば、
>私は反論する必要はありません。
進化は科学的事実です。断言できます。
あくまで科学的事実であって、将来変わる可能性はありますし
(といっても、その可能性は小さいと予想できますが)、
真実でである保証はどこにもありませんが。
>歴史上実際に起きたのはか進化なのか、創造なのか、
>誰にも調べようがないでしょう。
科学的には、そんなことはどうでもいいです。
実際になにが起こったのか(真実はなにか)など、
科学にとってはアウトオブ眼中です。
>検証できるから、起きたとは言えず、検証できなくても、
>起きなかったとも言えないわけです。
>科学とは、検証できるものを扱うのであれば、
>創造論も進化論もともに科学とは呼べないでしょう。
進化論は検証可能です。
単に、saniku_aikiさんがご自身の無知ゆえ、
進化論が検証可能であり、実際に検証されている
ことをご存知ないだけです。
>洪水地質学はノアの洪水が実際にあったと考えるところから始ります。
「ノアの洪水があった」ということ自体が観測事実に反し、
非科学的です。
もちろん、観測事実に反する、非科学的である、というだけの話で、
真実でないという意味ではありません。
>ノアの洪水という大激変がどのように起こり、
(中略)
>確かに科学的に検証されていません。
「ノアの洪水」という観測事実に反する事象を持ち出す時点で非科学的です。
>しかし、考えなければならないことは、
>「洪水以前も雨があった」ということも誰も検証していないのです。
>そう信じて説明しているだけです。
>つまり、洪水以前も雨があるという考えは、
>科学的事実とはいえません。
「ノアの洪水」自体が非科学的なのですから、
それ以前の話など科学的には論外です。
科学的事実かどうか以前の問題です。
>聖書に出てくる系図を事実と見るかどうかで変わるでしょうが、
聖書的事実でしょうね。
私の個人的信仰によれば、聖書は真実の書などではありませんが。
別に聖書をぜんぜん信用していないという意味ではありません。
麻原の言葉程度には
信用してます。
>アダム以前から死があるとすれば、その死はアダムの罪の結果ではありません。
>ということは、イエスは人間の罪を背負ったわけではなくなります。
>イエスは人間の「命の恩人」であることを進化論は否定するのです。
「進化論は科学的事実であるが真実ではない」
という認識がなぜできないのか不思議です。
インダス文明には神殿はなかったけど公衆浴場はあったんだよにゃー
絶対に混浴だったと信じていますにゃー
なぜ人は神仏を信仰するのだろう。
1.不思議な経験がある場合。
2.人生が無神論では語り尽くされない位、奥が深い。
3.年をとると、このまま何も残らずに死ぬと考えるのは淋しい。
4.信仰に喜びがあるから
どうなんでしょうか?無神論で十分という声も聞こえてきますが・・・
たまごちゃん(^-^)ノ
>「体重計の上でおならをすると、
>その瞬間体重計の目盛りは増えるのだろうか減るのだろうか?」
さすが、お嬢さま、着眼点が違います。
思わず、おずおずさまのウニ丼を、投げたくなってしまいました。(笑)
たんぽぽの考えだけど
最初の「瞬間」は、体重計の目盛りは増えるのでは、と思います。
(ふつうに立っている姿勢ではなく、
おしりの穴を下に向けたとしたら、ですが...)
というのは、風船が飛んで行くのとか、
ロケットの逆噴射とかとおなじで、
おならを出すと、その瞬間、下向きに空気に圧力がかかるから、ですが...
(同時にこれとつりあうだけの浮力が、
上向きに発生して、自分は上に上がって行くのね...)
そして、おならの噴射が終わって、上昇(というか上向きの力)が止まると、
その瞬間は、下向きの加速度がかかっているわけだから、
つぎの「瞬間」は軽くなる...と思いますが...
かくして、最初の噴射の瞬間に重くなったぶんが、
つぎの瞬間で軽くなったぶんで、埋め合わせられ、
しばらくしたのち、おならの重さだけ減った値で、平衡に達しておしまい。
...って、違うのかな?
(わたしの考えかただと、おならの質量(分子量)は関係なくなるけど...)
>誰か実験してくれませんか?
おならの邁進力なんて、微々たるものだと思います。
実際に変化したとしても、誤差に埋もれてわからないでしょう。
無名さま
>おお!!丁寧な解説、情報を有り難う御座います。
文章だけで、ずらずら書くとわかりにくいかなと、
思っていたんだけど(誤字はあるし...)、
あのつたない説明でおわかりいただけたなら、わたしのほうこそ幸いです。
たとえば、『超能力ははたしてあるか』(大槻 義彦著)
という本の148ページに、図入りで簡単に解説してあるので、
これもついでに、見ていただけたらと思います。
それから、このサイトでは、
レンズの性能を実際に調べているところがあります。
http://www.hi-ho.ne.jp/taka_anzai/photo/index.html
中に入って、「レンズバトル」
(レンズがふたつ並べてある写真をクリック)の、
たとえば、下から2番目(ニコンv.s.ツァイス)を見ると、
コーティングの具合とか、
逆光で写して、ゴーストを出しているところなどが、見られます。
>この掲示板に訪ねられる方々は、
>現象(ではないか)とされる小細工等にも興味の範囲が広いようで。
>何でも有りですね。皆様に感謝します。
ああ、いえ、わたしは写真はぜんぜんくわしくなくて、
本に書いてあることとか、くわしく知っているかたの
受け売りばっかりです、はい。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。