このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
無名さま
>おお!!丁寧な解説、情報を有り難う御座います。
文章だけで、ずらずら書くとわかりにくいかなと、
思っていたんだけど(誤字はあるし...)、
あのつたない説明でおわかりいただけたなら、わたしのほうこそ幸いです。
たとえば、『超能力ははたしてあるか』(大槻 義彦著)
という本の148ページに、図入りで簡単に解説してあるので、
これもついでに、見ていただけたらと思います。
それから、このサイトでは、
レンズの性能を実際に調べているところがあります。
http://www.hi-ho.ne.jp/taka_anzai/photo/index.html
中に入って、「レンズバトル」
(レンズがふたつ並べてある写真をクリック)の、
たとえば、下から2番目(ニコンv.s.ツァイス)を見ると、
コーティングの具合とか、
逆光で写して、ゴーストを出しているところなどが、見られます。
>この掲示板に訪ねられる方々は、
>現象(ではないか)とされる小細工等にも興味の範囲が広いようで。
>何でも有りですね。皆様に感謝します。
ああ、いえ、わたしは写真はぜんぜんくわしくなくて、
本に書いてあることとか、くわしく知っているかたの
受け売りばっかりです、はい。
>>エジプト文明、ユーフラテス文明、インダス文明、黄河文明、
>>マヤアステカ文明、・・・どの文明にも神殿があることが興味
>>深い。
>インダス文明には神殿がない事が特徴の一つじゃなかったっけ。
>黄河文明にはあったかなあ。
私の勘違いでした。インダス文明の遺跡からは神殿みたいなもの
がまだ見つかっていないようです。
>エジプト文明、ユーフラテス文明、インダス文明、黄河文明、
>マヤアステカ文明、・・・どの文明にも神殿があることが興味
>深い。
インダス文明には神殿がない事が特徴の一つじゃなかったっけ。
黄河文明にはあったかなあ。
過去のあらゆる社会に戦争があり奴隷制があったわけですが、それこそが“人類の真の姿”なのでしょうか?
生け贄なんてのも割と普遍的に見られるけど...。
私は、人類の歴史を鑑みて、人類は神(仏)を信じて
長い年月を重ねてきた、と考えています。
エジプト文明、ユーフラテス文明、インダス文明、黄河文明、
マヤアステカ文明、・・・どの文明にも神殿があることが興味
深い。また現代ユダヤ人も神殿を再建したがっている。
これが人類の真の姿なのだと思っています。
> 「体重計の上でおならをすると、その瞬間体重計の目盛りは増えるのだろうか減るのだろうか?」
お嬢様。ガスが空気より軽い場合、放屁によって、密閉部分の体積が減るため、その分、重くなるはずです。
ただし、これを生きた人間で測定するのはほとんど不可能ではないでしょうか。仮に大気の重さを1.2Kg/m3と
し、ガスの重さをその半分の0.6Kg/m3とし、ガスの体積を100mlとすると減少する重さは0.06gです。
また、このガスが体内にある時には圧縮されていますが、おそらく2気圧も無い(あくまで私の推定で裏づけ
データはありません)と思いますので、ガスの重さを大気の重さの半分であれば、以上の考察では重くなりま
す。
でも、人体は常に水分や炭酸ガスを放出しています。つまり、重さは常に変動しているわけで、0.06gという重
さがこれらの変動に対してどのくらいの影響を与えるかを考慮する必要があります。
>私は輪廻転生から抜ける方法が悟りだと理解しており、したがって仏教には霊魂の存在が意識されていると思っていました。
輪廻転生があろうがなかろうがどうでもいいことだとなれば、それは輪廻転生から抜けることと同じじゃないでしょうか。
シッダルタも孔子もリアリストなんだろうなぁと、毒矢のたとえや遠藤さんが挙げてた話とかでそう思います。
彼らにしたら永遠の命をほしがるなんてのは、馬鹿らしいことこの上ないだろうな。
霊魂なんざ、屁のようなものなんでにゃーの?
飲みすぎるとエクトプラズムが出るしにゃー
ところで、腹の中のガスが圧縮されている状態であったなら、
空気より「重い」といってよいので
霊魂を尻から放出すると体重が減るのではにゃーだろうか?
圧縮が高ければ、はっきりと体重がへるような気がするにゃ
つまり、下痢か便秘かが重要なのではにゃーかと
ところで、僕の小学校の時の先生は、
「空気に重さがある」ちゅうことを実に手際よく生徒に証明しましたにゃ。
空気が抜けかけてへろへろのドッジボールの重さを測った後
そのボールに空気をパンパンにいれて測りなおしたわけ
空気の密度の問題もあって、じつにはっきりと「空気にも重さがある」と示せる実験ですにゃ
>しかぁし、堅実なサラリーマンの夫に逃げられると、好きなこともできなくなるから、ほどほどにしようと自戒はしてますが。にゃはは。
っって、思いっきり依存してるじゃん。>自分自身
saniku-aikiの10月12日の投稿
>科学とは、検証できるものを扱うのであれば、創造論も進化論もともに科学とは呼べないでしょう。
おそらくすべての生物学者や進化論についてある程度正しい知識のある素人は「進化論が誤りであるならその証拠は見つかる」と考えているのにsaniku-aikiはなぜそのように考えず「進化論はどのような証拠によっても覆らない」と考えているのだろうか?
もしかしてもっとも熱烈な進化論支持者?(笑)
To大文字ナンさん
プライベートトークありがとうございます。
こういう、画面上での文字だけでも、なんとなくその人それぞれの人となりが感じられるのですから、考えてみれば、CD録音の演奏でも「霊性」が感じられるのは当たり前といえば当たり前かもしれませんね。
(ちなみに、私の中では、この掲示板の常連の皆様のイメージがある程度(勝手に)出来上がってるんですが(実像とはじぇんじぇん違うだろうな、とは思いつつ)、地下ネコさんだけはちっともイメージができない〜。あえて言えば、不思議の国のアリスにに出てくるチシャネコ(だっけ?)に似てる感じ。)
この掲示板の趣旨にあまり離れないように、ちょいと私のプライベートトークをしてみると、「依存症」という言葉がキーワードになりそうです。
察しがついていらっしゃるかもしれませんが、私はクラシック音楽畑の人間でして、物心ついたころから毎日楽器の練習が当たり前、中学から音楽専門の道に行くレールに乗っておりました。しかも問題をより深刻(?)にしたのは、大学でパイプオルガンを専攻したため、「キリスト教音楽」とは切っても切れない関係になり、他の信者さんたちには「あなたは神様から音楽の才能を与えられている」と言われており、演奏会や教会で演奏できることを「神様の恵み」だと思っていたことです。
そんな人間が急に楽器が弾けなくなると、毎日何をやって時間を費やせば良いのかちっとも見当がつかなくなる(それまでは、練習のために起きて、食って、寝てましたから)と同時に、それまでの「信仰」とやらも見直さざるを得なくなりますな。
今、たまたま「依存症」に関する本を読んでるのですが、あれは、依存症の症状に近かったのだな、と思います。自由意思をもつ一人の独立した人間として、キリスト教を「信じて」音楽を「愛して」いる、と思い込んでいたのですが、実は、依存症だったのかな、と。外的要因(交通事故)によって無理やり引き離されたお陰で、しばらくは「禁断症状」に苦しみましたが、そのお陰で独り立ちできたような気がします。
>はい。馬鹿としか言いようがありませんです。こんな調子じゃ女房も逃げるさ〜、みたいに演歌な感じも身についてきたかも知れません。
なんとなく、分かる気がします。若いころに、思いがけない事故とかで人生設計が狂うと、ミョーに大胆になる。「結局はなるようにしかならねぇさ」「今やれることをやらなきゃな」ってな感じで。
しかぁし、堅実なサラリーマンの夫に逃げられると、好きなこともできなくなるから、ほどほどにしようと自戒はしてますが。にゃはは。
あきさん、釈迦の説法についての指摘ありがとうございました。私は輪廻転生から抜ける方法が悟りだと理解しており、したがって仏教には霊魂の存在が意識されていると思っていました。あきさんの紹介した矢の例えも、どこかで聞いたことがあります。手塚治虫の「ブッタ」だったかな?そのくらいしか釈迦の関連本を読んでないので。JA50さん、失礼しました。
生兵法は怪我のもと。またROMに戻ります。
誤:重量減がなくても「霊魂はない」ということにしかならないように思えます。
正:重量減がなくても「霊魂はない」ということにはならないように思えます。
なんで打ち間違えたんだろう?
霊魂はありやなしやという高尚なお話をなさっている時に申し訳ないのですが、
「体重計の上でおならをすると、その瞬間体重計の目盛りは増えるのだろうか減るのだろうか?」
うわっ、石を投げないで!!生たまごはもっと投げないでっ!!
いえですね、人が死ぬと体重が減るのはなぜかという話で思ったわけですよ。たとえ何も減らなかったとしても、お腹ん中でメタンガスでも発生して体が膨らんだら、押しのける空気の量が増えるから体重計の目盛りはわずかに減りますよね、たぶん。せっかくコンクリートの塊をくくりつけて海に捨てた死体がパンパンに膨れて浮かんでくる、あのイメージです。
んで、ふと気になったわけです。おならをすると体重計の目盛りは増えるのか減るのか。
おならをすると当然、その分人の質量は減ります。でも、たぶん体積も少し減ります。
お尻から出たものが鼻の辺りまで立ち上ってくることからも分かるように、おならは空気よりも平均分子量が小さい。(体調の差とか個人差があるんだろうけど、大体空気の半分の重さだって子供のころに読んだ人体の不思議の漫画に載っていました。)
だけど、出てくるときの勢いを考えると、腸の中でおならは1気圧よりも高い状態で存在しています。また、おならをすることによって腸の体積が減ってもそれがそのまま体全体の体積の減少につながるわけではなく、体腔内の空気圧がわずかに減ることによっても解消される気がします。
以上を考え合わせると目盛りは果たして増えるのか減るのか?気になって夜も眠れません・・・。
なんとなく減りそうな気がするんだけど実際にはどうなんでしょう?誰か実験してくれませんか?
ふと思ったのですが、完全な密閉容器に入れておいて量った場合、魂もそこから抜け出せずに重量は変わらないという結果になるのでは?(笑)
あるいは幽体離脱のように霊魂は肉体から離れることもあるので、最初に測定した重量が霊魂込みなのかどうかもわからないし、死後即座に霊魂は体から離れるのかどうかも分かっていないし...。
どんなに厳密に量っても説明のつかない重量減があるのなら「何かある」という可能性がありますが、重量減がなくても「霊魂はない」ということにしかならないように思えます。
釈迦が「霊魂のあるなしを議論することは無駄である」といった内容の説法をしたことは、経にかかれているようです(中阿含経、221、箭喩経。中部教典、63、摩羅迦小経)。
この経の中で毒矢で射られた人が例えに出されています。矢を抜き医師を呼ぶことより、「矢を射た者はだれか、矢はどのような物かなどを明らかにするまでは矢を抜いてはならない」と言ったならば、それが明らかになる前に矢で射られて人は死んでしまうだろう、といっています。
これは「この世は有限であるかとか」、「霊魂は存在するか」などと考えるより、解脱することに専念せよという教えだそうです。
輪廻転生は唱えていたのではなく、当時のインドの一般的思想ではなかったでしょうか?おおざっぱないいかたですが、その苦しみの続く輪廻からの抜け出す方法の一つと考えられていたのが苦行ですが、釈迦はそれを否定し、違った道を選んで悟りを得たとされていると思います。
>秋月さん
今、本を確認し直したら5週令の約25gのラットだそうです。
・・・確かにそれでも%に直す気にもならないほど少量デスネ。
私も「容器の密閉性に問題があった」に一票です。
もしくは秤の上の埃とかが吹き飛んでいった、とか。
<音楽
個人的な意見デスけど、将来的に人間が知覚出来る全ての領域が理論化され、データ化されたら
つまらないなぁ、とか思ったりします。
少なくとも人間の表現産物に関しては永遠にブラックボックスであって欲しいデス。
みなさまへ
自分では楽器を演奏せず、たまにCDを買って、更にたまに好きなアーティストが来日したと聞いたらセコセコとライブに行く程度の(つまり日本の大部分の)音楽ファンにとっては『CDは音が良いな』『ライブは雰囲気がいいな』って感じでしょうか?、たまに『CDの方が全然良い』とか『いやー来て良かった。2時間があっという間だった』と言うような極端あのありましたが。
それはとにかく、私は音源の中(生演奏か、デジタル録音か)に『霊性』が感じられるってことじゃなくって、完全にその人をデータ化したコンピュータによる打ち込みと本人の演奏の差をその人の『霊性』って言えるのかな?って思ったのですが、それ以前にその人を完全にデータ化するってことがナンセンスなのですね(少なくともチンコがない)。
tema様
たしかに科学的に正しいかを求めると『検証不可』って結論がでるか、出口の無い小径に迷い込むような気がしますね。『霊魂』と書かずに『霊性』って書いていたのは私の逃げだったりして
JA50様
すいません全てと言う定義に無理がありました。知覚できるもの、データ化できるものすべてかな?
小紅蘭さま、
全く本文を知らずに書くのは何ですが、良く実験に使われているラット(20週令のもの)の体重が約400〜450g便宜的に500gとして、1600sec後に減った量が100ugだったら、50kgの人間に換算してたった10mg!
経験的にラットは殺した後でも、水分の蒸散や二酸化炭素の排出でかなり体重の減少が見られる、密閉したプラスチック容器に入れれば、これらは考えなくて良いはずですけど、容器の密閉性によってはこれぐらいなら説明つけられるかも。
♪ いい女になったね..♪と、頭の中で、あの方の歌声が響いてしまう。
この「おやぢな魂」、誰かなんとかしてくれ..
秋月さんへ
> また、こういう風には考えられるのでしょうか、
> ・私の存在が余次元(意味をハッキリ理解して使ってないので間違っていたらご容赦下
(中略)
> 「私全体」−「私自体」=「私の霊性」
temaの経験上、心の問題については、科学的に正しいかどうかを追い求めない方が幸せだと思います。temaは追い求めようとして変な部分で悩んでしまってますので。もし、面白半分にやるのであれば、徹底的にやってかまわないと思いますが..
ちなみに、temaは
「tema」−(遺伝子+本能+経験)=「temaの霊性」
もっと単純(かつ本質的)に言えば
「tema」−「科学理論で割り切れるもの」=「temaの魂」
(注:「科学理論」には現在の科学理論だけでなく、今後提案される科学理論を含む)
と考えています。ただし、これはtemaが納得するためだけの考えです。「自分の存在とは何なのか?」という問題については、自分が納得するならばどんな考えでもO.K.でしょうし、一人ひとり違って当然だと思います。魂など心の問題については、少なくとも人の数だけ真実があるとtemaは思っています。
大文字ナンさんへ。
>(前略)
>人の表現産物には「霊性」が宿ると思っています。また、そうでなければ良い表現とは言えないと思います。
temaもその昔、キーボード(楽器の方)を叩いていました。その時の経験上、上記については深く同意したいと思います。
「ジミ・ヘンの近似値」についても同意します。CDが出始めた頃、少し似たようなことを友人達と話した事があります。曰く「サンプリングされたデータであるCDの音に、魂は宿っているか?」
その時の会話では「サンプリングの音に魂は宿せない!」「サンプリングレートの隙間にこそ魂は宿る!」「アナログレコード万歳!」という熱い結論になりました。
熱い結論が出た後、オーディオに詳しい友人が一言「でも同じ金額だったらCDの方が音が良いよね」。その後、友人達はCDに転ぶころぶ。temaも真っ先に転びました。
昔、大学の図書館でフランスの小説家の短編集を呼んでいたら、魂の重さを
測る男の話が載っていました。彼は不治の病に冒された恋人の魂をガラス瓶に
捕集します。そして友人に頼んで自分の魂も捕集してもらい死後に一緒に
なります。瓶はほのかに輝くので二人は幸せになったらしいという話です。
その他に、沈没船に何年も住んでいた男の話とか、聞いたことのある話が
いくつも載っており、「怪奇実話」の種本はこれであったのかと唖然とした
思い出があります。
#早川書房のポケット版のシリーズでマルセル・エイメの作だったと思う。
To ぽんさん
実は共感するところあって、ちょっとだけ自分のことを書きます。
>(ただし、そういうことを高らかに(笑)言えるのは、
>音大にも行かず、専門教育も受けずに「プロの音楽家」になれる、
>才能と情熱をもつ方なんだな、とも思う)
うひ。「情熱つまりパッション!」やっと出てきましたねソレが。何事もパシヨンさえあれば成せるのであります。音楽家の次はグラフィックデザイナーだ!と勝手に決め込んで札幌に単身?渡り、中途入社でディレクターを経て独立したと思ったら、クリエイターのはずがMac売りと化していた(謎)という経歴を持つ私は、その後に独立、なぜか最近ではショットバーを経営しつつイラスト描きだのロゴ・デザインなど手がけているわけです、はい。馬鹿としか言いようがありませんです。こんな調子じゃ女房も逃げるさ〜、みたいに演歌な感じも身についてきたかも知れません。
そして、
>実は、私の場合は、才能や運のなさに嫌気がさしてプロを目指すのをやめたのでなくて、
>交通事故の後遺症で楽器が弾けなくなったのでやめたので、
17歳の時バイクで転んで大怪我しまして、左腕の神経をかなり痛めました。おかげで一部痛覚が敏感過ぎる部分と逆に足りない部分があるのですが、リハビリ?でギターを真面目に弾き出したのが音楽キャリアの始まりかも知れません。今では趣味的に楽器をいじるくらいですが、それでも週に数時間は楽器に触れつづけています。20歳くらいの頃には、想像もしていなかったのですが、いまだに進化はあるみたいです。ヘタはヘタなりに覚えることがあるのでしょうね。
ちょっと失敬、、、
プロっていうのと、天才っていうの、ごっちゃにしちゃってました。
>音楽で食う。それのみを指して「プロのミュージシャン」と呼ぶのだ、と私は高らかに(笑)言いたいのですけどねぇ。駅前でストリートミュージシャンしてたって、プロなのでぃす。
「プロ」という言葉については、同感、同感です。
(ただし、そういうことを高らかに(笑)言えるのは、
音大にも行かず、専門教育も受けずに「プロの音楽家」になれる、
才能と情熱をもつ方なんだな、とも思う)
ま、「凡人にしか見えねぇ風景って言うのもあるんだよ」(from「ピンポン」)
ていうのも、いい言葉だな、と思えるようになった今日この頃。
実は、私の場合は、才能や運のなさに嫌気がさしてプロを目指すのをやめたのでなくて、
交通事故の後遺症で楽器が弾けなくなったのでやめたので、
ある意味「逃げ」の言い訳ができて(一年間くらい悲劇のヒロインっぽく浸れたし)
救われているところもあります…。
人間の神経系統そのものが、デジタルではないのかしら〜ん?
問題はビットレートの多少では。
それと、CDの場合は記録容量の問題で、ある程度以上のの低音と高音をカットしてしまっていたよね。
ロリー・ギャラガーのDVD(アイリッシュツアー1974)をNET注文したのに、
なかなか届かなくてチョッチ不安になっているKosukeでした。
To 大文字ナンさん
漫画家とかアニメーター、小説家などもこの境界はあいまいですよね。
「自称漫画家」であっても、漫画では食べていけずに「副業」としてアルバイトしていて、
そっちの方が収入は多い場合はどうなるかとか……。
野球選手などの場合、そういう曖昧さはないと思いますけどねぇ……。
結局明確な定義(公式の団体・協会の存在とか)の有無という気も。
30年くらい前の子供向け雑誌にもそういう話は乗っていた記憶があります。
死にそうな人をベッドごと秤にのせて計測したというような話だったような。
今googleで「魂の重さ」で検索してみたのですが、いつどこの誰がやった実験かって
情報が見つかりませんな。
「ある医師が」「ドイツの科学者が」という話がすこしあるけど、なんかあいまい。
肝心の魂の重さも数グラムから数百グラムまでいろいろ、35gってのが多い気がする。
>関係ないですが、人だか動物だかが死ぬ瞬間の体重が数g減少する。それが魂の重さだ。という話が昔あったような。
うにに、川田 薫著の「生き方を創造する生命科学」ではないでしょうか〜。
P.153〜でラットを使った実験をしてますね。
麻酔を打って瀕死なラットをプラスチックカプセルにいれて重さの変異を調べてます。
ちなみに実験結果というと・・・二匹を別々に調べて、死んでから徐々に体重が減っていって1600(sec.)後にはそれぞれ約70ug、約100ug減少したとか。
ちゃんと対照実験としてカプセルにいれない場合も調べててグラフも表示しています。
・・・ちょっと、いうかかなりアヤシイカンジですけど。
(ホントに完璧に密閉されてるか、生きてる間の痙攣とかを考慮してるか、とか)
乱入失礼しました〜
To ぽんさん
私はこれまで約20年の社会人キャリアがあり、そのうち3年間はプロのミュージシャンという肩書きで過ごしたのですが、別に音大も出ていなければ、専門教育を受けたワケでもありません。ではどうしてプロになったのか?それは簡単(笑。「俺はプロだ」と思ったその日からなったのです。まぁ、ぽんさんの言う「プロのアーティスト」ってのは、私らみたいな「地元音楽業界の端っこにいるヤツ」ではなく、日本全部をリードしちゃうような方々を指すのだろう、とは察しがついてはいるのですが…でも、プロってそういう頂点だけを指しては、逆に失礼だと思うのですよ。
音楽で食う。それのみを指して「プロのミュージシャン」と呼ぶのだ、と私は高らかに(笑)言いたいのですけどねぇ。駅前でストリートミュージシャンしてたって、プロなのでぃす。
>残るは、「霊性」か「才能」か「環境」か「血統」か「運」か…?
私の師匠は、これらをアテにする人は決してプロになれないので諦めろ、と断言しました。たとえ1年2年3年ご飯が食えなかろうが、借金で後ろ指刺されようが彼女にフラれようがレストランで入場を断られようが、音楽で食うことしか考えないヤツだけがプロになるのだと。まぁそんなもんでしょうねぇ、アーティストって、就職するものじゃないですから。
お釈迦様が輪廻転生を唱えたというのは、ほんまなんですかね?
大乗仏教による後付じゃないのかなぁ。
そもそも輪廻転生する何らかのものがあるなどというのは諸行無常、諸法無我という仏教の大原則に矛盾すると思うんだが。
とにかく、霊魂があるとかないとかいう議論は無駄なことです。
そういうこと、つまりあるともないとも検証することができないことを、あれこれ議論しても何の意味もないことですから、そういうことに関しては無記を通すのがいいのじゃないでしょうか。
イエスの生まれる500年も前に、こういうことを理解していた人がいたというのには、ただただ驚かされます。
で、私も、、、
我不語怪力乱神。
>録音されたものを聞くことを馬鹿にする必要はまったくにゃーでしょう。
>でもやっぱりライブは観たいものだにゃ。
私がCD録音うんぬんについて書いたのは、
数多くの「凡人」音楽家たちの「生演奏」よりも、一握りの「天才」の
「デジタル化して録音されたもの」の方に「霊性」を感じてしまう現実
についてちょいと哀しくなったからなのだ。
「天才」の演奏でなくても、大した演奏家の演奏でなくても、
それぞれの音楽家の表現にはその人の人生(霊性?)がそれなりに
表出されていることがうかがえるだけに
(それなのに「天才」のデジタル録音演奏の方が、
凡人の「生演奏」よりも感動を呼ぶという現実に)
ちょいと哀しみを感じたりするのだ。
JA50さんの投稿に、
>ま、とにかく、霊魂があるとかないとかいう議論は無駄であるというのは、2千数百年も
>前にお釈迦様が喝破しているんだし、それを今更やっても、、、
とありましたが、これって孔子では?釈迦は輪廻転生を唱えたのだから、霊魂があるといっているように思っていました。
リンクしたHPより
>季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、曰敢問死、曰未知生、焉知死、
>
>季路、鬼神に事(つか)えん事を問う。子の曰わく、未だ人に事うること
>能わず、焉(いずく)んぞ能く鬼(き)に事えん。曰わく、敢(あ)えて
>死を問う。曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。
>
>季路が神霊に仕えることをお訊ねした。先生は言われた、「人に仕えるこ
>ともできないのに、どうして神霊に仕えられよう。」「恐れ入りますが死
>のことをお訊ねします。」というと、「生も分からないのに、どうして死
>が分かろう。」
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/6_1.html
>アーティストにおいては、思考するのは指なのだにゃ。
>肉体で思考できるようになるまで徹底的に訓練するのがプロのアーティストなの。
上記は至極ごもっともなのだが、音大出身の「凡人」より一言。
肉体で思考できるようになるまでに徹底的に訓練したとしても、
プロのアーティストになれるのは、ほぉぉぉんの一握りなのだ。ToT
つまり、
「プロのアーティストは肉体で思考できるようになるまでに徹底的に訓練している」
ということは可能だが、
「肉体で思考できるようになるまでに徹底的に訓練した人」(音大にはゴマンといる)が
「プロのアーティスト」だとはいえないということなのにゃ(号泣)。
残るは、「霊性」か「才能」か「環境」か「血統」か「運」か…?
>ポストに入っていた新興宗教のパンフに書いてあったの、読んだことがあります。
>体重が減少するのっていうのは、本当なんですか?
>それもウソ?
人が死んだ瞬間体から抜け出る水蒸気などの重さであるそうで。
完全密閉容器に死にかけの人を収納し死ぬ瞬間を測ったところ
重さは変わらなかったそうです。
と、物の本で読んだことはあるんだけど、今思い返すといかに
も「お話っぽいお話」だなー(苦笑) 本当なのかしらん?
>関係ないですが、人だか動物だかが死ぬ瞬間の体重が数g減少する。それが魂の重さだ。という話が昔あったような。
ポストに入っていた新興宗教のパンフに書いてあったの、読んだことがあります。
体重が減少するのっていうのは、本当なんですか?
それもウソ?
>>個体が遺伝子の乗り物であるように、人格はチンコマンコの乗り物だにゃ。
>なるほどねぇ。でもチンコマンコが人格の乗り物なんでないの?ああ、どっちが乗り物か分からない。
入れ子構造になっとるのだにゃー
このチンコマンコと人格の入れ子構造という事態をさして 心身相姦 ちゅうんだにゃ
地下に眠るM(地下猫)さんのテキストは面白い、スーパーマーケットより面白い、ってな感じでしょうか。
>個体が遺伝子の乗り物であるように、人格はチンコマンコの乗り物だにゃ。
なるほどねぇ。でもチンコマンコが人格の乗り物なんでないの?ああ、どっちが乗り物か分からない。
>アーティストにおいては、思考するのは指なのだにゃ。
>肉体で思考できるようになるまで徹底的に訓練するのがプロのアーティストなの。
こういうことをサラっと言われると、参ったなぁ、と思うのです。あと特に中指が重要!とか付け足したくなるし(笑。ギターを手にした時、次にどんなフレーズを弾こう、とか考えていたら、そりゃもうロクなインプロヴァイズになるワケないですしね。そんなのは、仮に出来てもウケ狙い。指がどこに行きたがるか、託してないもんねぇ。
>でもやっぱりライブは観たいものだにゃ。
私の「神さま」がもうすぐ私の街でライブするのですが、スケジュール合わせに苦戦中…
3連休があけて、掲示板を見たら、はるか昔の話題のレスになりますが。
一週間の成り立ちは是非使ってみます。
最近のネタ ・赤道には赤いブイが浮いてる。
・日付変更線には黒いブイが浮いてる。
・飛行機で上から花火を見ると平べったく見える。
すべて8割以上の生徒が信じました。
関係ないですが、人だか動物だかが死ぬ瞬間の体重が数g減少する。それが魂の重さだ。という話が昔あったような。
ちょっとマジメにいえば
アーティストにおいては、思考するのは指なのだにゃ。
肉体で思考できるようになるまで徹底的に訓練するのがプロのアーティストなの。
あと、ライブ・パフォーマンスを見てはじめて理解できた音楽ちゅうのはある。
そりゃもう確実に存在しますにゃー。
とはいえ
アーチストにはライブパフォーマンス命のひとと
録音でのツクリコミ命の2系統がいますよにゃ。
どっちも上手いひともいるけどさ。
録音されたものを聞くことを馬鹿にする必要はまったくにゃーでしょう。
でもやっぱりライブは観たいものだにゃ。
さて、ジミヘンのすべてを打ち込んだコンピュータがあったとしても、そのコンピュータにはチンコがにゃーのだよ。
個体が遺伝子の乗り物であるように、人格はチンコマンコの乗り物だにゃ。
「中道」でなくて「厨房」なんじゃにゃーの?
いってることは
・計測できないものは存在しない
・存在を証明できないから存在しない
以上のものではにゃーもんね
To ぽんさん
>時々不思議に思うんだけど、なんで、デジタル化されたCD録音の音楽なんかで感動するんだろ。もちろん、生演奏の方が感動は大きいけど、それでも、「霊性」みたいなの、伝わってくるCD録音の音楽もありませんか?
>感動しつつ、なんか釈然としないことがあるんですよね。
CDは演奏を高精度に記録したものですから、うまく再生してあげれば、かなりの演奏再現率を誇ります。人間は音楽を聞くとき、演奏者の能力(パフォーマンス)だけではなく、楽器の音そのものの美しさや壮大さだとか(もっと屁理屈を言うと倍音含有率とか)、楽曲としての完成度(コンポージング)だとか、プレイヤー(奏者)を離れた部分にも、たっぷりと感動するからでしょうね。極端に言うと、譜面だけ見て「この曲は凄いね」なんて感想もあるのですから(笑。
ただCDってのは「記録」に過ぎず、何か新しいモノを生み出すわけではありません。今でも「○○というプレイヤーっぽい」フレーズを作成する自動コンポージングDTM(デスク・トップ・ミュージック)ソフトはあって、そういうものも時には重宝したりしますが、あくまで「ぽい」だけで、10回くらいそいつ(プログラム)にアドリブをさせると「なんて一本調子の平板野郎なんだ!」と癇癪を飛ばしたくなります(笑。
例に出したジミ・ヘンドリックスの場合…もしも彼の人格としての近似値程度のことをディジタル化したAIにしたとしても…ドラッグはやるわ高価なギターは燃やしちゃうわ、大変なことになるでしょうけどね(笑。
全てを引いたら、残りは無しじゃないですか?
引いた残りがあったら、それは全てを引いていないってことじゃ?
「全て」に偽りあり。
ま、とにかく、霊魂があるとかないとかいう議論は無駄であるというのは、2千数百年も前にお釈迦様が喝破しているんだし、それを今更やっても、、、
> 洪水地質学はノアの洪水が実際にあったと考えるところから始ります。
実際にあったと考えるところから始まるというのでは、その定義からして「洪水地質学」は科学ではありません。saniku-aikiさんか、了解されたように科学は検証できる証拠を扱います。
> ノアの洪水という大激変がどのように起こり、それがどれだけの影響を与えたのかは
> よくわかっていません。
もし、全世界的な”ノアの洪水”が、たかだか6千年前にあったのなら、その証拠は幾らでも残っていそうなものです。湖沼学では、1万年も前の四季の移り変わりを観察できるようですし、南極の氷床ボーリングでも、6千年以上過去の地球の状態がわかる情報が得られています。
> 聖書によれば、洪水以前は地球に雨は降りませんでした。雨が降らない地球がどんな
> ものか、なぜ降るようになったのか、全ての陸地を覆う多量の水はどこから来たのか、
> そうしたことに明確な答えを出した人はいません。
> 確かに科学的に検証されていません。しかし、考えなければならないことは、「洪水
> 以前も雨があった」ということも誰も検証していないのです。そう信じて説明している
> だけです。つまり、洪水以前も雨があるという考えは、科学的事実とはいえません。
”洪水以前”が6千年前を指しているのならば、それ以前に雨があったという現在の地質学者が認める間接的な証拠は沢山あります。河川のよって刻まれた地形は色々なところに見出すことが出来ます。また、イキウス ニッポニクスは、むかしから世界的に有名な、日本産の淡水魚類化石で、中新世(二千五百万年から五百万年前)の地層から出土しています。
淡水の河川は、降雨がないと形成されないので、少なくとも中新世には雨が降っていたことになります。つまり6千年以上昔にも雨があるという考えは、多くの観察できる証拠に裏付けられた科学的事実です。
また、科学的証拠によれば、大気に含むことの出来る水(水蒸気)の量は1平方メートル当り200リットルもありません。
現存するアララト山は標高5,156mだそうですが、これが水没するのですから、洪水時の大気は飽和状態の25000倍の水を含んでいたことになります。
”ノアの洪水”が科学的に否定できないと考えられているようですが、このような状態の大気は作れないことは科学的に実証できます。
従って、”ノアの洪水”が科学的に否定できる証拠は存在しています。
もし、”ノアの洪水”が科学的に実証できると主張するならばその証拠を挙げる必要があります。
さて、以上の議論は程度の差さえあれ(他の方の議論のほうが遥かに高尚だ)、同様の主張が繰り返しなされています。
個々の内容に対して科学的な突っ込みがあるのならそれも面白い議論になるかと思いますが、これまでの経過からして、それは望めないでしょう。私は、創造科学を支持するのなら、その証拠を!と求めてきましたが、「否定できないから科学的事実でないとは言えない」式の議論となり非常に不毛です。
私も、この議論を終わらせたいと考えますので、もしよろしければ本論に対するsaniku-aiki さんのレスで最後にいたしたく。ご了承をお願いいたします。
saniku-aiki さま
ご返答をいただきましてありがとうございます。
> 進化は観測できると言うことですが、どういうことが観察されたのですか。いわゆる
> 大進化も観察されたのですか。おっしゃるように「進化を事実と断言できない」の
> であれば、私は反論する必要はありません。
観測例については下記に記しますが、上記の私の主張は、「進化は科学理論だから原理的に反証可能である」たから「断言できない」のであって、”進化は事実ではないと考えているわけではない”です。ですので「色々な科学的証拠から創造科学が述べるは事実ではない」と断言します。
>> 創造が”事実”であるという科学的な証拠はあるのでしょうか
> 検証できるかという意味においては、現時点では検証できていないと思います。
> 事実という言葉の定義が問題になりますが、歴史上実際に起きたのはか進化なのか、
> 創造なのか、誰にも調べようがないでしょう。検証できるから、起きたとは言えず、
> 検証できなくても、起きなかったとも言えないわけです。科学とは、検証できるものを
> 扱うのであれば、創造論も進化論もともに科学とは呼べないでしょう。
それでは傍証は如何でしょうか?生物進化については、セグロカモメの種分化などいくつかの観察例が存在していますが、全くの別種が出来るまでの全工程を観察することは現在の人間には不可能(地質学的な時間 数万年〜数百万年かかる)です。だから、進化論から導かれる予測を使ってその観測結果を検証しています。
もし、創造が事実であれば、どの時代の地層に含まれる化石も、時代的な差はないはずです。つまり恐竜の化石と哺乳類(あるいは人類)の化石が同じ地層から出土することもあるはずです。しかし、実際には、化石は時代によって特殊性を持っており、前述のような例はありません。
この観察は、「生物が変化する」という進化論を支持しますが、創造によって全ての生物が出来たという創造科学の理論ではうまく説明できません。
>人間の完全なディジタル・コピーを作ることは可能か?ということを考えるとき、temaさんが仰るような不確定性に阻まれてしまうために不可能だろう、という流れに収束しました
時々不思議に思うんだけど、なんで、デジタル化されたCD録音の音楽なんかで感動するんだろ。もちろん、生演奏の方が感動は大きいけど、それでも、「霊性」みたいなの、伝わってくるCD録音の音楽もありませんか?
感動しつつ、なんか釈然としないことがあるんですよね。
>少しは収穫があったと思います(HMさん)
私にとっての収穫は、
>霊魂が存在しない事を証明しました(HMさん)
という言葉が、
>霊魂が存在する事を証明しました
という言葉と同じように怪しく響くということを発見したことでした。
と、言うよりも独り言。
>逆に言うと、データ化できる「ジミー・ヘンドリックスのすべて」を打ち込んだコンピューターが作り出した音楽を実在したジミー・ヘンドリックスの音楽からひいた残りがジミヘンの「霊性」ってことでしょうか。
どうかな?
「ジミー・ヘンドリックスのすべて」を打ち込んだコンピューターの完全なコピーを作ることもやっぱり不可能ですよね。たぶん。
ならば、『「ジミー・ヘンドリックスのすべて」を打ち込んだジミヘン・コンピューター1号のすべて』を打ち込んだジミヘン・コンピューター2号の作り出す音楽は、1号の近似に過ぎない。この差は「霊性」の差だろうか?
「オリジナルと1号の差」と「1号と2号の差」との違いはなんだろう?
>アホらしいですかって(笑)
確かに非論理を振り回して暴れまわっている坊やの存在はアホらしいと言えますね。
HMさんの場合は霊魂云々より先に意味の通じる文章が書けるよう努力するほうが先決でしょう。
>こんにちは、皆様。
だから例題だって言ったでしょ
アホらしいですかって(笑) (改行変更 by 谷庵)
これは「詭弁」を楽しむ例題だったのですか。だとしたら、確かにアホらしいです。
「詭弁」と言えるような論理すらなく、ただ「無い」という結論だけでしたからね。
「詭弁」を楽しむことは過去にもありましたが、その場合、結論は明らかにおかしいのに、一見論理的には瑕疵がないようなものでないといけません。
今後トライする場合には、なおいっそうの精進を期待します(笑)。
temaさま、大文字ナンさま、さらに横レスですみません
逆に言うと、データ化できる「ジミー・ヘンドリックスのすべて」を打ち込んだコンピューターが作り出した音楽を実在したジミー・ヘンドリックスの音楽からひいた残りがジミヘンの「霊性」ってことでしょうか。
また、こういう風には考えられるのでしょうか、
・私の存在が余次元(意味をハッキリ理解して使ってないので間違っていたらご容赦下さい)まで広がっていると仮定して、その全体から認識可能な3次元的存在である私自身をひいた残りが「私の霊性」
・不確定性原理が支配する中で、不確定の私が取りうる最大の状態を「私全体」として、不確定の私が確立論的に非常に高い割合で採っていると期待される状態を「私自体」としたときに、
「私全体」−「私自体」=「私の霊性」
素人考えですので科学的な間違いがあったら御指摘下さい。
追伸:この会議室に来るまで全く知らなかった不確定性原理ですが、まさに『目から鱗』でした
temaさん感謝。
こんにちは、皆様。
だから例題だって言ったでしょ
アホらしいですかって(笑)
でも遺伝子霊魂説などユニークな説が出る等、少しは収穫があったと思います。
o temaさん。横レス失礼します。
>さて、temaの考えている霊魂は以下のようなものです。
>・人の(人でなくてもいいが)根本的な考え方及び感じ方を支配するもの
> そして、霊魂が在る場所としては、以下の所を考えています。
>・素粒子の世界、不確定性原理が支配する世界に存在する
私の音楽屋な面を出すと、たとえばソウル・ミュージックという言葉がありますが、人の表現産物には「霊性」が宿ると思っています。また、そうでなければ良い表現とは言えないと思います。少し以前にここで議論したのですが、人間の完全なディジタル・コピーを作ることは可能か?ということを考えるとき、temaさんが仰るような不確定性に阻まれてしまうために不可能だろう、という流れに収束しました。未来のスーパーコンピューターに「ジミ・ヘンドリックスのすべて」を教え込んだとしても、そこから得られるであろうフレーズは「ジミ・ヘンの近似値」に過ぎず、ヒトがデータ化出来る(観測出来る)モノで再構築し得るモノの限界がそこにはあるだろう、と私は考えています。
超ひも理論とか超重力理論で取り沙汰されるようになった、10次元とか11次元の時空という数学的概念の中にも魂だとか神だとか天国だとかという言葉で連想される「超存在」の居場所があると思います。私はそういうモノの存在を信じませんが否定はしません。あったならあったで、それはとても良いことかも知れない、とさえ思います。まぁ古典的な魂の定義からは外れますが、遺伝子が魂である、と主張することも可能かも知れません。
>うーん、これではイメージが伝わりませんね。イメージとしては、temaは「霊魂には波動関数を収束させる力があり、それが自由意思の根源となっている」と信じています。
10次元だとか11次元だとかの超重力宇宙論に出てくる「余次元」の扱いは、存在確認が可能かどうか?よりも、そうした解を含む宇宙モデルが、どれだけ観測値と一致した予測を行なえるか?に掛かります。そして今のところ、これらの超重力理論は成功を収めつつあるようです。だとするなら、我々には認知不可能な領域がこの宇宙にはあり、それも遠い遠い彼方ではなく、気付かないだけで身近に満ちていて、いつかは大規模粒子加速器の実験で存在確認が成されるかも知れません。我々が認識する空間の3方向に時間を加えた4次元時空に対して、小さく丸まっているとされている残りの6次元や7次元に「何者も存在しない」とは言い切れません。もちろんそれは、私たちが映画や小説で見るような異次元人や高次意識体などというものではないと思いますが、temaさんが仰るような「波動関数を収束させる」観測者である可能性もあります。もしそうであるなら、私たちは「彼ら」に観測されるから存在するのだ、という主張さえ考慮に入れても良いような気がするのです。
うだうだ様、diamonds8888x さま
以外と刹那的な来世観って多いのですね。まさに諸行無常の響きあり、
北欧神話やギリシャ神話って人と神々が近いイメージなのでもっとからっと明るい来世観かと思ってました(なんとなく)
ネイティブアメリカンの一部に(何族だか忘れましたが)、昼に死ねばすぐに赤ん坊に生まれ変わるけれど、夜に死んだらずっとくらい闇の中ってのがありました。
だから、親しい人が夜に死んだら遺族は明かりを明るく焚いて、みんなで馬鹿騒ぎをして死に神(みたいなもの)を騙し、朝が来てからさめざめと泣いて死んだことを公表するそうです。
To HMさん
>私は、まず最初に私の提出した前提について論証しているのだが、勝手に別の前提を出されてあなたの成り立たないとイワレテモネェ。
論証していません。あなたの言うことは論理的ではないのです。勝手に別の前提を出したのはHMさんであって私ではありません。両者は大きく違うものです。それと例のごとく日本語になっていない文を発言されても、読み取るのに苦労します。国語を勉強してください。
#diamonds8888xさんがご指摘のように、あなたは「論破」(というより言い切って煙に巻くこと)と、論理的に証明すること、の違いが分からないようです。
#様々な「存在のバリエーション」を私は挙げましたが、これらにも対応出来る論証を行なわなくては「論理的に否定出来る」と言えないことになります。意味分かりますか?
>私はある前提の「人間の体には霊魂が存在する」という命題が真であるか偽であるかを検証した結果、人間の体には霊魂が存在せず、この命題は偽であるという結論に達しました。
>従って、この例題の「人の死後、不滅の霊魂は肉体を離れ、行いに応じて天国や地獄へ行く」という部分も成立しません。
もし今までのやりとりで、ご自分の出した命題について偽証明を成した、という認識であなたがいるのなら、あなたには論理的思考力が著しく欠けています。あなたがすでに「魂がないことを論証した」と主張するのなら、私はこの後に続くだろう不毛なやりとりを想像するだけです。
秋月様&たんぽぽ様
おお!!丁寧な解説、情報を有り難う御座います。
この掲示板に訪ねられる方々は、
現象(ではないか)とされる小細工等にも興味の範囲が広いようで。
何でも有りですね。皆様に感謝します。
ところで、私が拾い上げた事により霊魂等の激しい議論が・・
多分、霊等の議論の有り方は科学的には無理でも、
論理的には可能ではあるのですか?も分かりません。
HMさんへ
はじめまして。temaといいます。横レス失礼します。
HMさんは、霊魂が無いと考え、それを論理的に証明したいと思っておられるようですね。temaは霊魂は在ると考えますが、論理的に証明したいとは思っていません。しかし、それなりに考えるところがあり、論理的にも科学的にも霊魂の存在を否定することは出来ないと思っています。
さて、temaの考えている霊魂は以下のようなものです。
・人の(人でなくてもいいが)根本的な考え方及び感じ方を支配するもの
そして、霊魂が在る場所としては、以下の所を考えています。
・素粒子の世界、不確定性原理が支配する世界に存在する
うーん、これではイメージが伝わりませんね。イメージとしては、temaは「霊魂には波動関数を収束させる力があり、それが自由意思の根源となっている」と信じています。
さらに言えば、temaにとっては「霊魂が在る」ということが大事であり、そこがどこにあるのか?という問題はどうでも良いのです。たまたま不確定性原理が支配する世界であれば、現在の(temaが知っている)科学理論と矛盾しないため、そう信じているだけです(他にも理由はあるが)。
さて、temaのように「霊魂は在ると信じている。ただし証明する気も無いし、どこにあるかも定かではない」と言われたら、論理的に否定できますか?
死んだら、おしまいよりも悲惨なことになりましたよ>>>イザナミ
ギリシャ神話の世界でもほとんどは暗い冥界へゆくし。北欧神話だと勇敢に戦った戦士だけはワルキューレと共に神々の元にいけるけど、それ以外はみなヘルのとこ。
よくもまあ、こんな救いのない来世神話に耐えられたと感心します。
HNさん
インドでも他人を論破するための色々な論法は開発されていたことでしょうし、そのひとつを紹介したということであれば納得できますが、それを現代の我々が使う「正しいかどうかを知るための論理」と混同されては困ります。
日本でも「法論」とかいう言葉の勝負があったそうな。要は、言葉に詰まってしまった側が負け。正しい論理かどうかと勝負とは関係ありません。
HNさんの最初の言葉は、
>天国、魂、神の存在を科学は扱わないかもしれませんが、論理的にその存在を否定する事は出来ます。
そしてその後の前提なるものは、
> <有る人は、こう主張するとします。人間には霊魂があり、その霊魂は不滅で、人の死後、<その霊魂は死体を離れる。そしてその霊魂は生前の行いによって、天国へ行ったり、地獄<へ行きます。
この2つが違うことだということが本当にわからないのですか?
大文字ナンさんの指摘と同じことですけどね。
> 死んだらおしまいって言うような潔い(笑い)神話って有るのでしょうか
平家物語なんてどうでしょうか?歴史書というには無理がある、しかし神話的だと思えばそう思えなくもない。天皇家の幼子も死んでますし、現人神だと思えば、神器も無くなっていますし神話だといえない事もないでしょう、だめかな(笑)。
GOAさま、
すみません、そうですよね。
何かおもしろい証明法が有るのかと思っただけなんです。
ちなみに私も証明不可能だと思っています。
「コーディング」じゃなくて、「コーティング」だ。
(また、カタカナ語まちがえた...)
HM様
『中道』って仏教書の中道のことですよね。難しくって仏教の知識のない私には解りそうにないのでそこからどうして『霊魂が存在しない』って結論になるのか少し解説していただけるとありがたいのですが。
あと、人間の体にはにこだわりますけれども例題のある人は人間にはって言ってるのでしょう?
HM さん、こんにちは。横レスなので直接のレスは結構です。
とりあえずは大文字ナンさんとのやりとりをROMさせていただきますが、そのやりとりの中で、出来れば、どのような方法で「体のどこにも霊魂はない」と分かったのか教えていただけませんか。
たとえば、目で見ても、手で触れようとしても、臭いを嗅いでも、耳をすましても電波や放射線は検出できませんが、だからといって無いわけではありませんね。
もちろん、検出されなければあるとも言えないわけですが、「あるとは言えない」と「無いと断言する」との違いは分かってますよね。
>人間の体の何処にも霊魂が存在しない事を証明しました。
思い切り断言していますね。
秋月さん
>って証明可能なものなのですか?
>あるいは霊魂の存在は別にして『ある人の発言』が正しいか否かって証明可能?
HMさんが“有る人”の発言を前提に霊魂の存在を否定しようと試みているのだから、私に質問するのではなくHMさんに質問するべきでは?
私は証明不可能だと思いますよ。
>心霊写真については、どうやったら撮れるかっていうのには、
>結構そそられる疑問ですよ。(無名さま)
「心霊写真」は、多くの場合、レンズの二重反射で起きる
まぼろしが原因です。(ずばり、「ゴースト」と言うんだけど...)
外からレンズを通って入ってきた光が、
全部透過してカメラの中に入り、フィルムを感光させれば、
まぼろしは現れません。
でも、レンズには厚みがあります。
それで、一部の光が、内側のレンズ面を透過せず、
レンズの内部を、反射してしまうことがあります。
その逆行した光が、外側のレンズ面でまた反射してから(二重反射)、
カメラの中に入ってフィルムを感光させると、
ありもしない場所にその物体の像が写る、「ゴースト」になります。
それで、レンズに薄い膜を張る、コーディングをほどこして
ゴーストを防ぐようにしています。
膜のところで光を反射させて、干渉によって、
ゴーストのもとになる反射光を、打ち消してしまうのですね。
(コーディングされているレンズは、7色にきらきら光ります。)
もちろん、自然光にはさまざまな波長があります。
これらを全部干渉で打ち消すように、
薄膜の厚さを調節するのは、難しいことだけど...
(というか、このコーディング技術がどれだけすぐれているかが、
レンズの質でもあり、メーカーは競うのですが...)
心霊写真を撮るこつは、なるべく古いカメラを使い、
逆光で白黒の写真を撮ることのようです。
古いカメラを使うのは、コーディングの技術がふじゅうぶんで、
二重反射が押さえきれていないことがあるからです。
白黒にするのは、カラーだとまったく異なる色が、
グレースケールによって同じ色になることがあり、
ごまかしやすくなるからだけど。
写真に少しくわしいかただと、ちまたの心霊写真は、
「あれは、二重反射によるゴーストだ。」とか、
「それは、露出時間が長過ぎてブレただけだ。」とか、
正体がすぐにわかってしまうのが、たいていみたいですよ。
こんにちは、なんだか時間差チャットのようですが(笑)
私はある前提の「人間の体には霊魂が存在する」という命題が真であるか偽であるかを検証した結果、人間の体には霊魂が存在せず、この命題は偽であるという結論に達しました。
従って、この例題の「人の死後、不滅の霊魂は肉体を離れ、行いに応じて天国や地獄へ行く」という部分も成立しません。
もう、だいたいやり方は同じです。もっと複雑なやり方はありますが。
気になる人は、例えば「中論」という書物を参考にして下さい。専門書なので、一般の書店には置いていません。
GOA様
HMさんが前提にしているある人の発言が有ったとして、
>「“有る人”の発言が誤りであるならば霊魂は存在しない」
って証明可能なものなのですか?
あるいは霊魂の存在は別にして『ある人の発言』が正しいか否かって証明可能?
あとあと、誰か知っている人が有ったら教えてほしいのですけれどほとんどの宗教や神話で霊魂の存在って『ある人』の発言のように考えられているような気がするけれど、死んだらおしまいって言うような潔い(笑い)神話って有るのでしょうか、確か神道には黄泉の国が有るけど天国でも地獄でもなくて生き返りもない(のですよね)からあっさりしているって言えばしてるけれど。
黄泉がえりって映画は有ったけれど
私は、まず最初に私の提出した前提について論証しているのだが、勝手に別の前提を出されてあなたの成り立たないとイワレテモネェ。
同様に神の存在も検証しますか?
■HM 投稿者:論理的に 投稿日:10月11日(土)16時21分02秒
>天国、魂、神の存在を科学は扱わないかもしれませんが、論理的にその存在を否定する事は出来ます。
↑という主張に対して、ゆんさんから
>論理的にこれら未知の存在を否定するためにはまずその単語の厳密な意味を定義して、その上で否定をしなければなりません。ですが、相手が未知の存在であるだけに、その定義が正しいと言う保証がどこにもありません。(改行は引用者が変更)
という反論が提出され、同様に、おずおずさんからも論理的欠陥を指摘され、
■HM 投稿者:それはちょっと 投稿日:10月12日(日)16時33分44秒
>もしも私が論理的に、霊魂の存在を否定する事が出来れば、私の主張は正しいとしても良いでしょう。
>仏教哲学には大変興味が有りますが、、こうした形而上学的な議論は、仏教哲学中の、存在論的な思考をすると容易に解決すると言う事です。
というやはり意味不明な返信で返ったことに続き、
>>簡単に言うと、人間には霊魂があり、輪廻する主体がその霊魂であるというのが、インドで仏教のライバル達の主張の一つなのでしたが、この説を論破するのは容易です。
と、さらに「論破するのは容易だ」と主張されるので私は、
>HMさんがどのように神、その他を論理的に肯定したり否定するのか教えてください。
から、議論が主に私とHMさんを通じて繰り広げられるようになった、と把握しています。
これを受けて?HMさんが「例題」として提出したのは、
■手始めに 投稿者:HM 投稿日:10月12日(日)23時11分27秒
>有る人は、こう主張するとします。人間には霊魂があり、その霊魂は不滅で、人の死後、その霊魂は死体を離れる。そしてその霊魂は生前の行いによって、天国へ行ったり、地獄へ行きます。
なのですが、コレはHMさんが勝手に持ち出した前提であって、もともと主張していた「天国、魂、神の存在を論理的に否定する」という実に広義な命題証明責任を、ご自分の都合で矮小化し、リングを狭めたのです。ですので、私はHMさんの「後からとってつけた前提」には乗らず、おおもとである「天国、神、霊」を論理的に否定すること、に対して反論しているのです。
>これらをゴッチャにして引っかけようとしたのは、大文字ナンさんではないですか(笑)
自分で勇み足をしたことを認めれば良いだけではありませんか?私は「天国、魂、神の存在」を論理的に否定してもらおうじゃないか、と求めているだけです。一方あなたは今のところ「インド風の魂という概念について」のみ(それも十分とはとても言えないが)「観測することが出来ないから、存在しない」と主張しているのに過ぎません。最初にご自分で主張した内容の範囲が広すぎるだけのことだと、まだ気付きませんか?
こんにちは、大文字ナンさん。
「存在する」という言葉ひとつとっても、「実体として存在する」「概念として存在する」「数学的モデルとして存在する」「空想上存在する」「ニューカレドニアに存在する」「銀河系のどこに存在する」などと数限りない論理のバリエーションが存在します。
これらをゴッチャにして引っかけようとしたのは、大文字ナンさんではないですか(笑)
HMさん
>この議論の前提は、私が出したものです。例題として。
ということは今までの議論とは無関係に“仕切りなおし”として前提を出されたわけですよね?
そうなると結論にいたるまでの考察が抜けているように思えます。
まずこの「“有る人”の発言が誤りであるならば霊魂は存在しない」ということの証明からはじめなければならないでしょう。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。