このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
>天国、魂、神の存在を科学は扱わないかもしれませんが、
>論理的にその存在を否定する事は出来ます。
論理的にこれら未知の存在を否定するためにはまずその単語の厳密な
意味を定義して、その上で否定をしなければなりません。ですが、相
手が未知の存在であるだけに、その定義が正しいと言う保証がどこに
もありません。
多くの人を納得させる形で議論を展開するのは難しいと思うのですが
いかがでしょう?
創造論、疑似科学とは全く無関係だとは思いませんが、このあたりで退散します。
もっとやれというリクエストがあれば(笑)やります。
うさしゃぶさん はじめまして。
>こんな勘違いさせやすい科学ネタがあれば教えてください。
科学ネタではありませんが、こんなのはどうでしょう...
1週間は7日です。これは神様が6日で世界を作ったことに由来しています。
「光あれ」すると光があった。これが日曜日です。
二日目、月を創られました。月曜日です。
その後、火、水、木(生物)、金(金属等)を6日で創られた神様は1日だけ休まれました。
神様が休んだその日に蠢くもの...土曜日はSaturday、Satan dayです。
土曜日の夜は特に注意し、夜遊び等してはなりません。Satanが蠢いております。
済みません、誤字です。
付く→衝く
こんにちは。
この種の議論では相手の主張の矛盾点を付きます。
どんな矛にも絶対に突き通せない盾と、どんな盾でも絶対に突き通す矛は、同時に存在できになっていうアレです。
さて、仮に霊魂の存在が論理的に否定されてもなおかつその存在を疑わない場合、コレを信念だとか、信仰だと呼んだりします。
こうした態度は、科学的に創造論が否定されてもなおかつその存在を信じる態度と、何処が違うのでしょうか?
こんにちは、大文字ナンさん。
なんとなくあやふやな文章にしているのは、あまり激しい議論にならないようにと思っての事です。
天国、魂、神の存在を科学は扱わないかもしれませんが、論理的にその存在を否定する事は出来ます。
To HMさん
要するに何を仰りたいのでしょう?少なくとも私には主張が読み取れません。
もしも個人的信条に基づいた主観論を交わしたいのであれば、そのテーマが抽象的過ぎて議論には適さない状況だと思います。形而上というよりも、随筆のように見えます。もう少しきちんと論理的な文章をお願いいたします。
こんにちは。少し形而上学などと言われる分野に入っていく事になります。
真理が何処にあるのか、何であるのか、比喩的になるかもしれませんが、少なくともそこへ行く道筋が或る程度でも分かっていなければ、どうにもならないですよね。
自分は何かをしたいけれど何をしたいのか分からない、そもそも何かをするってどういう事????じゃあ....まあ、それも別に構いませんですが。
その前に、その真理の存在が検証不可能なので信じる以外に方法がないのではないですか。ここのサイト的に言えば科学的には証明不可能です。むしろ形而上学的には真理の存在は否定出来ます。
おっと、その前にその真理が何なのかハッキリしておかないと議論が空転してしまいますね。
一人の人間の全ては、その人にとって死と共に全てが終わるという事から、直ぐにに、他者との共感や同情が導き出されるわけではありません。
人は社会の一員として他者と共に生きているという事から論理的に導き出されるものです。
共産主義主義は全ての人が平等で平和に暮らせる社会を理想として掲げましたが、そこに至る過程で、障害となる勢力は力ずくで倒す事、又人は皆たった一つの理想以外の思想を持たないように統制した事など、今となっては間違っていると言える事が沢山あります。
理論が間違っているのでなく、やり方が間違っているだけだという人達もいますが、もう一度革命を起こそうとするのはゴメンです。
アダルトサイトに・・・
HMさん
>しかし、その真理とは、いったいどのような地点なのかは分かっているのでしょうか。誰にも知られず、どんなものかは分からない真理がどこかに必ず有るはずで、そこに到達出来きると信じて邁進するのは、別に自由ではありますが、何処へ行けばいいのかさっぱりわからんですよね。
「信じて邁進」するのは、「これが真理だ!」と分かったと思っちゃった人間じゃないのですかね?「人間の限界を自覚しながら、なおも真理を求める」という姿勢であれば、「信じて邁進」することはないと思うのですが。
そして、これは、(大文字ナンさんも書いておられるとおり)キリスト教とかに関係なくても多くの人間がしていることじゃないかな、と思います。
>全てがそこで終わるという事を冷徹な目で見なければ、人との連帯や同情は生まれないと思っています。
このご意見には、とても共感できるところがあります。他方、その2さんの反論ももっともだと思います。
どうして共感できるかと言うと、宗教を信じている人間は、「神」とか「死後の世界」を言い訳にして、この、現実の世界の出来事に無責任になることが多いと思うからです。実際、テロや戦争の問題を話すとき、私の周りのクリスチャン(私の周りにはクリスチャン(カトリック・プロテスタント問わず)が多い)のうちの一部は、とても悲しそうな目をして「神様のなさることは私どもには分からない。祈りましょう」という感じになる。
わたしは、それを見ると、「おいおい、逃げるなよ。「神」のせいにするなよ。人間がやってるんだろ。テロや戦争や飢餓の原因なんて、ちゃんと考えれば分かることも、解決できることもいくらでもあるだろう」と突っ込みを入れたくなります(実際に入れることもあります)。
他方、だからといって、宗教や死後の世界を信じない方が連帯や共感ができる、ということもいえないでしょう。宗教を「アヘン」と呼んで否定して弾圧した政権に、そんな能力はなかったのではないでしょうか。
ま、つまり、
>全てがそこで終わるという事を冷徹な目で見なければ、人との連帯や同情は生まれない
というよりは、
「宗教(や死後の世界を信じるということ)が人との連帯や同情を阻害する場合もある」
ということに過ぎないのでは?と思うわけですが、如何でしょうか。
HM様、大文字なん様
真理とはまた遠大ですね。
宗教について、宗教家の方でも「これが真理だ、みんな俺についてこい」と胸をはって言う方はほとんどいないじゃないでしょうか?(たまに居るようですが少なくとも尊敬できる方には居ません。ああ、イエス様は別ですよ)
やっぱり持っている情報やこれまでの定理をもとに「ああでもない、こうでもない」って一歩、一歩、真理(に至る道筋を)を探っているのじゃないでしょうか(キリスト教も仏教もたぶんイスラム教も?)
一般の信者はそのあとをぞろぞろついって行って利益を享受しているだけですね。
丁度、科学者が発見、もしくは発明した何かで一般人が便利に暮らしているように。
そう考えると科学も宗教もにてますね(にてるから混同しちゃう人がいるのかな)。
でも、ベレアの人々の末裔 さんの言葉をかりて科学を「有から有の創造」とすると神は「無から無」の創造だと思う。そして創造されたものは人の無を満たすだけに用いるべきで有の部分(科学にしても政治にしても)に干渉してはいけないのかも知れない。
でも、こういう考え方って異端なんだろうな(涙)
>名のある科学雑誌にそのような論文が載らないことでも示されていると思います。
これは彼らを納得させる理由にならないかもしれません。
彼らうちの少なからずは、権威ある科学雑誌にそのような論文が載らないことは、進化論者の陰謀であると、本気で考えているからです。
>実際輪廻を信じる宗教はカースト制度を固定し、天国を信じる宗教は、異端、異教徒の虐殺迫害
>をして来ていませんか?
カースト制度はヒンドゥー教を念頭においてらっしゃるのでしょう。しかし、輪廻を信じる宗教のすべてがカースト制度を固定化しようとしているわけではないと思うので、この論はあまり説得力がないと思います。天国を信じているということと、異端、異教徒の虐殺迫害も同じですね。
そもそも、私たちの祖先も、かつてカトリック信者に対してかつて虐殺迫害どころか、その殲滅を図ったわけですね。殺し方も、耳や鼻を削いだり目をくりぬいたり、鉄板で踊り焼いたり火山の噴火口に投げ込んだりで、異端、異教徒の虐殺迫害残酷さではと五十歩百歩だと思います。
私は、そういう諍いは、宗教が原因と言うよりも、異なる立場に立つものへの共感の能力が足りないから起こるのだと思っています。もっと言えば、ああいう残酷さは、思想・信条に関係なく人間の一面を表すものだと考えているわけです。
そういう意味で、HMさんがおっしゃられたように、何らかの信仰を持つ人たちが、「人との連帯や同情は生まれない」という決め付けは、上のような共感ができるかと関連しているようにみえたのです。
HMさんのおっしゃることが本当ならば、世界の多くの人たちはいまだになんらかの信仰を持っていてその多くは死はすべての終わりでないと考えているわけですから、「人との連帯や同情」をなす能力を有さないことになりませんか。
私たち日本人の多くも、自覚的にどこかの宗教団体に所属していると考えている人はそれほど多くはないですが、依然として、死はすべての終わりと考えている人は少数に思われます。(そうでなければ、新聞など公共のメディアで「あの世」とか「彼岸」という言葉を頻繁に目にみたりしないだろうし、葬式に僧侶を呼んで伝統的なやり方でやったりはしないでしょう)
なんだか掲示板の趣旨からかなり離れてきたので(私のせいですが)、この点に関しての私のほうからの言及は、ここで終わりとさせてください。
創造科学なんて言葉、すでに矛盾に満ちて。科学はひたすら有から有の世界だけれど、聖書の創造は絶対神による無から有の創造で。神はモーセに「私は在るという〜」と告げておられる。
聖書の始めの六日間の記述はこの無から有を生させる神の六日の記述になる。
「こうして夕となり、朝となった」はただ一回だけれど、地球の朝と夕は観測点により、何回もありそうで、早い話日本の裏側というと、、。
万物の創造者、この投稿も、それを書く時間も装置も全て備えられ、そして造られる。
そんな事信仰があればいとも簡単に解ることなのさ。進化論がどうとかこうとか、信仰以前の問題でしょ? sanuki-aiki様?
こんにたは、その2さん。
確かにカトリックは政治に深く関わっていますね。これは言葉が足りませんでしたが、論旨は、今連日のように報道されるアメリカや中東の情勢のように、カトリックが表立って紛争を起こすような報道は日本ではあまり聞かれないと表現した方でいいですね。
別に私は、こう信じているのだから、あなたも同じように信じなければならないと言っているのではありません。ただ私はこう思うと言っているだけです。
実際輪廻を信じる宗教はカースト制度を固定し、天国を信じる宗教は、異端、異教徒の虐殺迫害をして来ていませんか?
だから宗教はダメダなんて言っているのではありません。知恵を働かせれば、お互い争わなくてもなんとかやっていける可能性も有るんじゃないですか。
こんにちは。
例えば、ある所に目標を定めて、そこに到達できるように努力するという事は普段でもよくやる事です。
しかし、その真理とは、いったいどのような地点なのかは分かっているのでしょうか。誰にも知られず、どんなものかは分からない真理がどこかに必ず有るはずで、そこに到達出来きると信じて邁進するのは、別に自由ではありますが、何処へ行けばいいのかさっぱりわからんですよね。
また、真理がどのようなものであるのかは分かっているが、決してそこへは到達出来ないとする場合。もちろんそこにいけるように努力するのは自由だと思います。
しかし、例えば、その真理に到達する課程が、他人に影響を及ぼすようになってくると、あまり人ごとだとは言っていられない場合もあります。
例えば、マルクス主義では、社会はこうあるべきだとという理想を設定し、社会がそのようになるべく変革を起こしました。それが各国でどのようになっているかはご存じだと思います。
saniku-aikiさんへ
> (前略)創造科学を支持する人は、宗教的に信じているから、創造が歴史的
> に実際に起きた事実だと信じており、実際に起きたことだから科学的にも説明でき
> ないだろうかとやっているのです。(後略)
「宗教的に信じられないので科学的に信じようとしたのでは?」というのはtemaの誤解という事ですね。そうであれば失礼しました。
現在の科学では、神の存在も6日間での世界創造も説明困難です。説明困難であることは、この掲示板で大多数の人が納得していないことや、名のある科学雑誌にそのような論文が載らないことでも示されていると思います。
もし(6日間での)創造が実際に起きたのであれば、この状況は、現在の科学理論が創造を説明するには力不足である事を示しています。で、あれば、今あわてて説明しようとする必要はありません。科学理論が充分に力を付けるまで待てば良いのです。
宗教的に信じられるのであれば、科学的に証明できなくとも焦る必要は無いでしょう。創造科学を発表すべき時は、まだ来ておりません。
> もし、宗教的に信じられないなら、皆さん同様
> 進化論を信じていますよ。
temaが「科学的に信じようとしたのでは?」と思ったきっかけの一つとして、この言い回しがあります。科学理論は信じるものでは無く、(妥当かどうか)判断するものです。「進化論を信じる」という言い回しから「科学理論を信仰の対象として見ているのでは無いか?」と思いました。
いや、ひょっとして、進化論は科学理論ではなく宗教の一種と考えてますか?
そうそう、子供の内一人だけ男だけれど、あまりに妹達が完璧なもので他の女性にイマイチ興味が持てないという、かわいそうなシーンがありました(レンズの子ら)。
それはともかく、
谷庵さんへ
> 量子力学以前の物理学者が、こぞって運命論者だとはとても信じられないのですが。
横レスですが(temaも関連してるから斜めレスか?)、アインシュタインは運命論者だったと思います。なんせ「神はサイコロを振らない」のですから。
ラプラスも運命論者だったと思います。数学者ですけれど。
ニュートンは...「ニュートン 運命」でググってみました。
. . . . . . . . !!
多少、疑問は残りますが、オリビア・ニュートン・ジョンは運命論者だと思います。
確か、最終対決に合わせるように、...両方ともなんとなくアメリカ人的美男美女..の、優秀な遺伝子を持った男女が出会って、子供たちは両親の遺伝子を組み合わせて完璧な遺伝子セットを得て、ラスボスと戦う...って話でしたっけ。
で、当然ながらこれ以上の遺伝子の組み合わせはないから、子供たちは何となくかわいそう...。
この、ラスボスの一族の姿について作者は、ありとあらゆる不気味な生物を列挙しながら、例えば「皮膚から絶え間なく毒液をにじみ出す毒ガエルにも似ていなければ毒々しい色のコウモリの羽を持つ巨大なウジ虫にも似ていない...」とかなんとかいった、否定的表現を繰り返して、想像を絶する怪獣を描写するんだけど、想像の仕方によれば絶世の美女をイメージ出来なくもない...。
>「決まっている」と言う考えも物理と言うより哲学じゃないでしょうか。
それはそうですね。
>量子力学以前の物理学者が、こぞって運命論者だとはとても信じられないのですが。
具体的に誰がどんな思想をということは調べていませんが、こぞってではないにせよ「未来が決まっている」という発想の持ち主はいたでしょう。ただその時に、自由意志の問題まで考えていたかどうかは別ですけど。
文学で言えば、ウェルズのタイムマシンとか、レンズマンシリーズでのアリシア人の予言とか。うー、偏ってますね(^_^)。
そうですか。
つか、前レスを書いてて思ったのですが、聖書自体がメソポタミアやエジプトの思想、ギリシャ哲学に影響されてたはずですよね。
>カトリックのこうした話しは日本ではあまり聞かないので、原因の一つとして、政治に関わらな>いようにしているのだろうと言ったわけです。
これはそうではないと思いますね。
ドイツやイタリア、スイスなどたくさんの国でカトリック政党があり、しばしば政権与党となっていますよね。
そもそもバチカン自体が思いっきり国際政治に顔を突っ込んでいます。
>全てがそこで終わるという事を冷徹な目で見なければ、人との連帯や同情は生まれないと思って>います。
また、この考えにも同意できません。
これなら、天国の存在や輪廻を信じている多数の宗教者には、人との連帯ができず共感能力もないといっているようなものじゃないですか。
それなら、今でも信仰を持っている人は共感能力がないということになります。
このような考え方自体が、他者への共感能力がないもので、ここで批判されているsanikuさんと根本的な思想は同じに見えますね。
To HMさん
>ケチをつけるつもりでは無いのですが..
いえいえ、ケチをつけてくださっても、反論されても結構です(笑。私は正しくありません。ただ私の思うままを発言しているだけですから。
>この「真理がどこかにあって、それは決して人間に解明される事がなく、唯それに少しでも近付くように努める」
>というアプローチが、なんというかキリスト教的というか、宗教的なのではないでしょうか。ロマンチシズムとも言えます。
多くの信者の方々が、キリスト教の教義について疑義を持ち、教義や教会や権威に対する改善を求めつづけるのなら、そうかも知れません。しかしそういうことではなく、あくまで自分の行いについて「真理に近づく」ことを求めるということでしたら、それは人として当たり前のことだと思います。
大文字ナンさん、↓済みません、敬称が抜けていました。
もう少し補足すると、真理という誰にも知られていないものがあるとするのは、言ってみれば信念ですよね。
別に大した事じゃないんですけど、スンマセン。
大文字ナンこんにちは。
ケチをつけるつもりでは無いのですが..
<でもね、真理を求めてはいるのですよ。絶対に見つからないモノだと知りつつ、それでも<少しずつ一歩ずつ、真理とやらに近づくといいな〜って感じに歩んでいくのが科学なの<ね。まぁそぉいう意味で捉えると、宗教とは正反対のアプローチですねぇ
この「真理がどこかにあって、それは決して人間に解明される事がなく、唯それに少しでも近付くように努める」
というアプローチが、なんというかキリスト教的というか、宗教的なのではないでしょうか。ロマンチシズムとも言えます。
もう少し正確に言うのならば、人の一生は短かすぎて、解明されない事が多い、みたいな感じではないでしょうか。
一連の議論もついに収束に向かうようでなによりです(笑。
当初から私もアレコレ言っていたけど、要するに「神の視点」に人間がたてるわけがない、想像さえ出来るわけがない、ということなので、たかが人の目で見たこの地球に進化の証拠を認めたところで「だからなに?」ってなモノじゃないのかな、ってことですね。
某saniku氏は知らず知らずのうちに「神の視点」でモノを語ってるから信用おけなかった。
しかし一方、信者さんだろうとそうでなかろうと、私ら「たかがニンゲン」ですので、見えるものは見えるのですよ。浅はかな知恵でもって、見えるものが「どうしてこんな風に見えるのん?」と考えるのですよ。そうやって最も「ウソっぽくないように」説明したのが進化論をはじめとする様々な科学理論なのですよね。ですのでそんなの、ウソっぽくないだけで、もっとウソっぽくない説明があるのなら、いくらでも採用しますぜ旦那、ってなもんです。しかしニンゲンは疑い深く生きることで、より高度な知恵を得てきた生き物ですから「信じてる」だけぢゃ証拠とは言えません。きちんと検証に堪える証拠と理屈を述べよ、と言ってるだけなのです。
科学ってのを私が認めている最大の理由は、科学がニンゲンの限界を認め、とっても謙虚で、時に失敗することを「自分で認めている」点です。こういう風に考えることが出来るけど、間違ってるかも知れないから、みんなでガンガン検証して、間違い見つけて修正してくれよ!と宣言してるのが科学なのです。私は正しいのだ、間違いなど犯さない、コレは真理なのだ!!などとは決して言わないところが科学なのです。でもね、真理を求めてはいるのですよ。絶対に見つからないモノだと知りつつ、それでも少しずつ一歩ずつ、真理とやらに近づくといいな〜って感じに歩んでいくのが科学なのね。まぁそぉいう意味で捉えると、宗教とは正反対のアプローチですねぇ。
で、最後に秋月さんにヨコヤリレス♪
>また信心が科学では無いからこそ、今後例えば神の不在や、ナザレのイエスが想像上の人物であったと科学的、歴史的に証明されたとしても、私はそれを事実と受け入れながら信心と折り合っていけると思うのです。
はい、そうですね。でもイエスが存在したことは歴史的事実っぽいですし、神の存在・不在は証明出来そうにありません(笑。むしろですね、いると思える方はその心情を科学如きの成果で曲げないことを「求めたい」ものです。
そこでちょいと「知の限界」について。たとえば宇宙の始まる前はどうなってたの?という問い掛けがあります。ビッグバンのさらに前は?という質問です。いろいろと空想することは可能なんですが、こいつを科学的に検証することは恐らく未来永劫不可能です。なぜなら、私らはこの宇宙に住むニンゲンなので、この宇宙以外のことを調べたり、記述したりすることが本質的に不可能なのです。たとえ神であろうと、この宇宙に出現してしまえばこの宇宙のルールに従うんじゃないのかな?とさえ私は思います。そう考えると、イエスが人の姿で現れ、いろいろ裏技を使ったりしましたが最後には人として死んだことなんか、辻褄あうかも知れません(笑。
この世の果て、なんて言葉を科学的に解釈すると、それはビッグバンの名残と言われる「3K宇宙黒体輻射」のさらに向こう、なんて言われております♪神の座は遠い〜
>単に昔には現在のファンダメンタリズムが存在しなかっただけで、存在していたらとんでもないことになってたことでしょう。現在でも中絶手術やってる医師達に爆弾投げたり、人種・宗教差別したりしてるのに。
そうかな。
私は、カトリックは昔はすごく原理主義的だったんだと思います。
だけど、散々他宗派を弾圧して人も殺しまくった挙句、ようやく歴史の中で、批判も受け入れるようになり、寛容さを身につけて、ある意味「成長」したのではないかと、見ています。
んで、プロテスタント(含・ファンダメンタリスト)の方は、未だ新しくって成長過程ってことじゃないかな、と…
ただ、問題は、カトリックが原理主義的だった時代には、核兵器もなかったから、たとえ、その時代の権力・軍事力を最大限利用して酷いことをしたとしても、その後生き残った人間が「間違いを冒した」ことを認めて、反省して新たに立ち上がることができた。
でも、今となっては、、、
地球を何回でも破壊できるような軍事力を持った人間が、自分たちの力を最大限に生かして「間違いを冒した」ら、、、
その後の反省も批判もくそもないと思う。再起不能で。
借り物ではないご自分の言葉でご自分の得心を表現されたsaniku-aikiさんに、
心から尊敬の念を表明したいと思います。
> 創造は神様が行ったものですから、検証が十分出来るとは私は初めから期待していません。
そうです、そうです。たかが科学が、saniku-aikiさんの信仰をどうこう出来る
訳が無いのです。saniku-aikiさんの心の中の真実はsaniku-aikiさんだけのもの
です。宗教的な事実(真実)とは無関係に定義・検証されている科学的な事実で
揺らぐ様なものでは無い筈です。
細かいところを突付けば「?」な処は有りますが、「事実」という用語の意味
するところが、宗教の世界と科学の世界では異なるものだということは、御理解
頂けたのでは無いでしょうか。
【細かいところその1】
『たとえ実際にはそうでなくても、検証できればそれが事実になる』に関して。
科学者は絶対者を前提としません(居ないと言っているわけでは有りませんよ)
ので、科学的に検証されるまでは事実であるともそうでないとも断言しません、
態度を保留します。検証がなされるまでは「実際にはそうでなく」かどうかも
解らない、という立場をとるのですよ。
【細かいところその2】
>皆さん同様進化論を信じていますよ。
もう何度も指摘されていると思いますが、進化論に限らず科学の命題を「信
じる」という立場ほど科学的な態度から遠いものは有りません。あくまでも確
からしい事しか科学的な事実は有り得ないのですから、信じてはいけません。
そこが依然としてsaniku-aikiさんが根本的に誤解しているところです。
正しく進化論を理解している人で「信じている」人は居ないと思いますよ。
#書いているうちに、決して細かい事では無いという気がしてきました。(^^ゞ
>最後の女神って有名なんですか?私もこの曲が好きで、これ目当てに観はじめた「筑紫哲也のニュース23」をいまだに観ているのですが、おかげでものの見方がすごく偏ってしまったかもしれません(^^;)そう思うなら観なきゃいいんだけどね。
…ぶつぶつ…ぶつぶつ……
筑紫哲也はなんか胡散臭くて好かん。
イラク戦争のときも、情緒的なことばかり言いやがって。
「こんな報道の仕方するから、『平和運動するヤツは胡散臭い』と思われるんだよ!」
ってテレビに向かってよく怒ってたな、そういえば。
ちっ。ぶつぶつ・・・・
あ、中島みゆきのことを書いてるんだった。
筑紫哲也は好かんけど、「最後の女神」だいすき〜。
>「吹雪」
>核戦争について歌ったものだという解釈が、少なくとも一部のファンの間では定着しているようです。そういわれると、「核の冬」とか「死の灰」って単語を連想させる歌詞だなあという気もするし、でも、核戦争なら「間引かれる子の目印」も何もないだろう??って気もするし・・・。よく分からないですね。
へぇ。そういう解釈もあるんですね。確かにそう思って聴くと腑に落ちるところもあるけど、腑に落ちちゃうと、なんかイメージが限定されちゃって魅力が半減するような気も。
「恐ろしいものの形を ノートに描いてみなさい
そこに描けないものが 君たちを殺すだろう」
「どこから来たかと訊くのは 年老いた者たち
どこにも残らぬ島なら 名前は言えない
誰も言えない
はじめから無かったことになるのだろう」
「疑うブームが過ぎて 楯突くブームが過ぎて
静かになる日が来たら 予定どおりに雪が降る」
ここら辺あたり、ズシッときます。
temaさんはお好きですか?
もし聴いたことなかったら、ぜひぜひ聴いてみてくださいね!
(って、人の歌詞こういうとこに勝手に書いちゃうのって、著作権的には良いのかな?
ま、中島みゆきの歌の布教のために許していただきましょ。聖書の引用も度々あったことだし。)
>カトリックと政治についての発言は、プロテスタントに比べれば寛容だという話題から出てきたのです。
実際に政治的に影響力があるかどうか、というよりも、歴史が長いし、政治との付き合いの経験も長いから、うまく立ち回る術を身につけている、ということもいえるでしょう。
実際、中東の紛争の表舞台には顔を出さないわりに、エルサレムなど聖地の、みんなが一番欲しくて仕方ないような場所(不動産)を所有していて利用し、手放さないのはカトリックだったりします。
表立った過激な政治運動はしないけど、教皇があえてパレスティナ難民キャンプに行って、それが現地のキリスト教徒にはすごく大きなインパクトを与えてたりするし。
プロテスタントはやり方がまだまだ青いなぁ、やり方わかってねぇなぁ、って思ってるかも。
プロテスタントもカトリックも、教理の根本については、今となっては大した違いがないように思うので、そうすると、歴史が古くて「大人」の態度(寛容さ)を身につけているカトリックの方が、一枚上手だと思うことがたびたびあります。
たまごの高校の生物の先生は、「血管の標本は、囚人に体温では液体だけど室温では固体になるプラスチックを注射して、血流に乗っていきわたらせてから殺して作るんだ。そのプラスチックをさらに石膏で型を取って、もっと凝固点が高いプラスチックで置き換えるんだ。」って言っていました。
この先生はうそつきだから(笑)、たぶんうそなんだけど、もっともらしいと思いませんか?言っているのがまともな人だったら、たまごは信じちゃいますよ。
この話を聞いて以来、血管標本はどうやって作るのかが気になってならないんですよね。誰か知りませんか?
それはそれとして雑談をはじめてしまうtemaであった。
ぽんさんへ
> ふと思い出したんだけど、そーいえば、私の高校のときの理科教師は、
> 度ずれて…、気候とかがむちゃくちゃになって…、と力説してました。
temaの高校の時の地学教師は、ある日の授業にラジカセを持ってきました。
スイッチ・オン
♪ 砂は海に海は大空に そしていつか あの山へ ♪
ここの掲示板では有名な、そう、あの方の歌声が地学室の隅々まで響き渡りました。
この音楽をバックに、彼は「これは砂が海中で堆積していき、地殻変動により山となる事を示した歌だ。この歌は科学的に正しい!」と熱く語る語る(一部記憶違いアリ)。
残念ながら、彼はギャグが滑っていたため評価はされてませんでしたが、彼の熱い心はその後あの方の信者が増えたという形で実を結んだのでした。
めでたしめでたし
たまごちゃん(^-^)ノへ
> 正確には「二隻の舟」です。・・・って、私は小姑か?!
ああっ!...IMEのばか..いや、人のせいにしてはならん。
しばらく謹慎してきます...
tama様へ
>この部分は物理学の話というには無理があるようです。この部分はtemaの迷いであり怖れです。この迷いは不確定性原理を知った後にも、temaの心を離れません。
「不確定性原理」によって不確定性、つまり未来は絶対予測不可能で存在も含めて確率的にしか表せないって証明されているのなら(極端な言い方してますね。ご免なさい)運命なんてないし、未来は常に変革可能だって事ですよね。なんかワクワクしますよね。阪神が優勝することもありましたし、ひょっとしたら連覇もあり得るかも(ご免なさい)
HMさま
確かに歴史的事実を見ればカトリックが寛容だなんて言えませんね、新旧会わせてみんな血みどろです(苦笑)、ここでの寛容って言葉はHMさんも言っているように教理の曖昧さ、(節操のなさとも言う)です。政治的野心についてはカトリックはキリスト教中の最大派閥で、ローマ教父(法王)を頂点とする完全なピラミッド型の構造を示しますので上の方では権力指向はむしろ強いのでは無いかと思います。でも、政治力と結びつくわけではないので、浮世離れした、微笑ましい権力志向でもありますが…。
さて、本題です。
>でもアダムとイヴのいわゆる原罪も怪しくなって来ませんか。するとイエスは何故十字架にかかったのか、とか、永遠の生命とか、次々と連鎖的に...
するどい、たしかに、ここが多くのキリスト者が進化論につまずく部分かも知れませんね。
教会では「たとえ体が他の生物から進化したのであっても、霊魂は他の動物には無いのだから神から直接与えられたのだと認めなくてはなりません」と教えられます。
秋月の解釈では
進化の結果として人となった(ホモ・サピエンス・サピエンスになったという意味では無く、霊魂をもった人となった)最初の段階で人祖(アダムとエバと言うのが普通ですね)は原罪を犯して神の恩恵を失ったのです。あとは、キリストの救い、永遠の命と続くわけです。
非科学的ですよね。勿論これは科学ではありませんから(大笑)。
また信心が科学では無いからこそ、今後例えば神の不在や、ナザレのイエスが想像上の人物であったと科学的、歴史的に証明されたとしても、私はそれを事実と受け入れながら信心と折り合っていけると思うのです。
宗教や、信仰そのものを攻撃するのが目的ではないので、こうした話題は遠慮しておきます。
カトリックと政治についての発言は、プロテスタントに比べれば寛容だという話題から出てきたのです。最近は特にアメリカの政治家や、外交とキリスト教原理主義との関係が取りざたされる事が多いのに比べると、カトリックのこうした話しは日本ではあまり聞かないので、原因の一つとして、政治に関わらないようにしているのだろうと言ったわけです。
「従う」っていうか、従いたいと願ってるだけで、実際従ってるかどうかというとまだまだダメダメなんですがネ。
>キリストがソクラテスやプラトンと同じような、言ってみれば思想家と同じ唯の人間だとすると、それがキリスト教といえるのかどうかは、クリスチャンでは無い私には良く分かりません。まあこの事を論じるのはこの掲示板の趣旨ではないとも思いますが。
私の場合は、イエスは人間(唯の人間(凡人)じゃなくて、天才だと思うが)だと思ってます。「私は、イエスの生き方(思想)に従う」と言う意味で、自分をキリスト教徒だと言ってます。
>でもアダムとイヴのいわゆる原罪も怪しくなって来ませんか。するとイエスは何故十字架>にかかったのか、とか、永遠の生命とか、次々と連鎖的に...
私の場合は、そういうことにはなりませんが、そういう信仰の持ち主であられるsaniku-aikiさんへの説明でほとほと疲れてしまったので、すみません、お答えする気になれません。ちょっと過去に遡って読んでいただければご理解いただけることもあるかもしれません。
>カトリック教徒である事が、ある紛争と結び付けられる事が少ないのは、カトリック自身が、出来るだけ政治の表舞台には立たないようにしている事と、周囲が政治的な力を持たせないようにしている知恵と言えるのではないでしょう。
そうなんですかね?私の知人は、バチカンの国際政治への影響力を考えて、「一国の官僚や政治家になるよりもバチカンで働いた方が効果的」と、エライ神父になるためにせっせと勉強やら準備やらしてます。私がびっくりしてたら、ヨーロッパでは、そういう考えで神父を目指す人間もよくいる、という話も聞いて、これまたびっくりしました。
>進化論では救いを得ることが出来ないのです
誰か、進化論で救いが得られるとか言っている人がいるんですか?
そんな馬鹿なことを言っている人って、いるんですかね?
進化論って科学理論ですよ、救いを得るためにあるんじゃない。
それと、もし進化論を容認したら(正しいかもしれないと思ったら)、救いが得られなくなるとか思っているのなら、そんな信仰じゃ、いつまでたっても救いは得られないんじゃないかと思うけど。
理由は前のメッセージに書いた。
>「創造は科学的事実ではない」とは、創造は実際に
>起きていて、真理かもしれないが、それは検証できていないので、科学的事実とは呼
>べないというだけのことでしたか。
>この理解でいいのなら、これまで私はひどい誤解をしていたことになります。
>皆様にご迷惑をおかけしました。
ちょっと、分かってくれたみたいじゃないですか!!
なんか、けっこう嬉しいぞ。(私の説明じゃダメだったみたいだけど。)
>救いはイエス・キリストが私の罪のために死んだと言うことを信じることです。
イエス・キリストがあなたを始めすべての人の罪のために死んだんだと信じることが、キリスト教信仰の根本部分にあることくらいは知っています。
私のようなキリスト教徒でない者でも知っている、いわば常識の部分です。
私が言っているのは、聖書が正しければ進化論は間違いだなどということは、その信仰を否定することではないのか、ということです。
「聖書が正しければ進化論は間違いだ」という言明は「進化論が正しければ聖書は間違いだ」ということと同義です、なぜなら対偶だから。
もし何々だったら聖書が間違っているなどと発言する人が、イエスの十字架を信じているなどと、あなたは思えますか?
そんな条件付きの信仰などというので、救いが得られるんですかね?
「救いを得るために進化論は容認できない」、つまり「もし進化論が正しかったら、自分の救いは否定される」などということで、あなたは、本当に救いが得られるんですか?
他人事ならが、心配するけどなぁ、、、
たとえ何だろうと(進化論が正しかろうがどうだろうが)、聖書に書かれていることは正しいと信じることができて初めて、イエスが私の罪のために死んでくれた、よって私は救われたんだ、と信じられるんだと、私は思うけどな。
あなたって、ほんとはイエスの脇腹の傷を見ないと信じられないお人、いやその傷に指をつっこんでもイエスの復活を信じられないお人じゃないの?
すでに一応の納得を見られたようですが、返答まで。
>「創造科学による説明(例、光速の変化)などが否定されても、創造主がいないとは
>結論づけられない」ということになります。これならわかりますし、同意できます。
>この解釈で合っていますか。創造科学による説明が、否定されているのは存じていま
>すし、多くの人を納得させられるほどその説明がまだ十分に完成していないことは多
>くの創造論支持の科学者も認めていると思います。
私の言っているのはそういう内容で合っています。
何かの理論なり学問なりを自分で「これは科学だ」と宣言すれば
その瞬間に「科学」になるわけではありません。「科学」とは実
績の積み重ねの上にあるもので、その基準で言えば現在の「創造
科学」は「科学」とは呼べないと言う、それだけの事です。
「創造科学」がまだ多くの人を納得させられていないという点で
は意見の一致が見られるようので、私とsaniku-aikiさんの間で
はこれ以上議論になりそうな論点の対立は無さそうですね。
>temaさんは「未来がわかる」とは言ってませんよ。「決まっている」と言っただけです。
最近老眼鏡の度が少し、なんちゃって。
実は職場と家にそれぞれ遠近、中近、、近近の眼鏡を持っています。
「決まっている」と言う考えも物理と言うより哲学じゃないでしょうか。
量子力学以前の物理学者が、こぞって運命論者だとはとても信じられないのですが。
>創造科学を支持する人は、宗教的に信じているから、創造が歴史的
>に実際に起きた事実だと信じており、実際に起きたことだから科学的にも説明でき
>ないだろうかとやっているのです。
でも、
未だに
まったく
これっぽっちも
成功していない
このことは認められるかな?
JA50さんへ
>救い(永遠の命)が欲しいのなら、進化論が正しかったら聖書は間違いだ(=聖書が正しかったら進化論は間違いだ)などと考えないことだと思うけどなぁ
「救い」を得るためにはどうするのか、まだご理解頂いていないようですね。救いは
イエス・キリストが私の罪のために死んだと言うことを信じることです。アダムの
罪の結果、死が入ってきたように、キリストが罪を犯さずに生きて、なおかつ
罪人として十字架で人間の身代わりとして死なれたので、命が人間に与えられたのです。
ですから、進化論では救いを得ることが出来ないのです。この考えに同意してくださ
いとは言いませんが、救いを得るために進化論は容認できないと言う私の主張を
そろそろ理解してもいいのではないでしょうか。
kosukeさんへ
>いまだ検証されていないものは事実とは呼ばないでしょう
ということは確認したいのですが、検証されなければ、事実ではないのですね。
たとえ実際にはそうでなくても、検証できればそれが事実になると言うことですね。
科学の歴史を見れば、今「事実」とされていても、科学の進歩により100年後
には「事実」が誤りとなり、事実ではなくなることもありえるわけですから、
科学的事実というのは、それが正しいかどうかよりも検証できるかどうかを問うて
いるのですね。科学的事実とは真理を意味するのではないと言うことですね。
私は、科学というのは科学がどんなに進歩しても決して変わらない正しい「真理」を
探究するものだと思っていました。「進化は事実だ」という意味は
進化は実際には起きなかったかもしれないが、進化は誤りかもしれないがとにかく検証
できるものだと言う意味ですね。「創造は科学的事実ではない」とは、創造は実際に
起きていて、真理かもしれないが、それは検証できていないので、科学的事実とは呼
べないというだけのことでしたか。
この理解でいいのなら、これまで私はひどい誤解をしていたことになります。
皆様にご迷惑をおかけしました。私がこだわっているのは、実際に起きたかどうか
であって、検証できるかどうかではありません。実際に起きたことを「事実」と呼ぶ
と思っていましたから。創造は神様が行ったものですから、検証が十分出来るとは
私は初めから期待していません。「創造は事実」だと私がこれまで述べてきた主張は
創造は実際に起きたという意味であって、創造は検証できたと言う意味ではござい
ません。
temaさんへ
>宗教的には信じられないため、替わりに科学的に信じようとした結果が、創造科学なのではないでしょうか
まるで違います。創造科学を支持する人は、宗教的に信じているから、創造が歴史的
に実際に起きた事実だと信じており、実際に起きたことだから科学的にも説明でき
ないだろうかとやっているのです。もし、宗教的に信じられないなら、皆さん同様
進化論を信じていますよ。創造主を信じる人しか創造科学をやらないと思います。
谷庵さん、大文字ナンさん、diamonds8888xさん
フォローありがとうございました。
> 人間の運命をすべて予測するような物理学はありません。
> 決して人生の行く末が分かるわけではありません。
その通りだと心の一面では思っています。そもそも、人の心を自然科学の理論で解釈する事など無意味だとも思っています。
ただ、どうしても、心のもう一面が納得してくれないのです。これは、temaが心の一部で現在の科学理論を信仰しているということなのかもしれません。
秋月さんへ
> 秋月さんがいつ生まれて、どこに行き、何をするのかも。何を考え、
>何に感動し、誰に恋するのかも、全て決まっていて変えられない、
>ということです。
この部分は物理学の話というには無理があるようです。この部分はtemaの迷いであり怖れです。この迷いは不確定性原理を知った後にも、temaの心を離れません。
もし、temaと同じような迷いを持ち、それを解いた人に会ったら、どのように解いたか教えて欲しいと思っています。
無名さんへ
はじめまして。
言われる事は判っているつもりです。
「創造論が科学的に正しい」ということは、「タイガースはホークスより強..」もとい「絵画は彫刻より強い」というのと同じくらい真偽がありませんね。では、なぜtemaが
>あれ?その場合は「創造論は科学的に誤りではない」という命題は真か?
と書いたかと言うと、理由は2つあります。
1.「誤りではない」という言葉には、「正しい」および「正誤が判定不可能」の両方の意味が含まれるのではないか?と思いました。
2.ちょっと言葉を換えれば真の命題になる。
「創造論は科学的に誤りと言えない」
→宗教は科学で正誤が判断できませんから、この命題は真です。
(いや待て、誤りであっても”言う”ことは可能だ)
いずれにしても言葉遊びですし、temaも「創造論が科学的に正しい」とは思っていませんので、そこのところはお間違えなきよう..
でも、「創造論は科学的に誤りではない」は真偽いずれでも無い(ので命題では無い)という方が素直ですね。
付記
「創造論は科学的に誤りでない」の対偶を無理に作れば「科学的に誤りであれば創造論では無い」でしょうか。
谷庵さん
temaさんは「未来がわかる」とは言ってませんよ。「決まっている」と言っただけです。もちろんラプラスの魔ならわかるでしょうけど。
>カトリック教徒である事が、ある紛争と結び付けられる事が少ないのは、カトリック自身が、出来るだけ政治の表舞台には立たないようにしている事と、周囲が政治的な力を持たせないようにしている知恵と言えるのではないでしょう。
歴史的な偶然ではないかと思いますが。現代では北アイルランド紛争くらいですけど、かの熾烈な30年戦争というものもありましたし。
仏教の場合は・・・僧兵とか(^_^)
こんにちは、その2さん。
私はクリスチャンではありません。特にコレと言った宗教も持っていませんが、、人は必ず死ぬもので、その人にとっては、全てがそこで終わるという事を冷徹な目で見なければ、人との連帯や同情は生まれないと思っています。
キリストがソクラテスやプラトンと同じような、言ってみれば思想家と同じ唯の人間だとすると、それがキリスト教といえるのかどうかは、クリスチャンでは無い私には良く分かりません。まあこの事を論じるのはこの掲示板の趣旨ではないとも思いますが。
カトリック教徒である事が、ある紛争と結び付けられる事が少ないのは、カトリック自身が、出来るだけ政治の表舞台には立たないようにしている事と、周囲が政治的な力を持たせないようにしている知恵と言えるのではないでしょう。
>というと98%の生徒は信じます。普段反抗している生徒が、こういうことで「へぇ〜」といわれると、ちょっとかわいい気もしてくる。(今の高校生は聖バレンタインの命日だということは知らないらしい)
日本でバレンタインデーにチョコレートを送るようになったのは、昭和21年の2月14日に進駐軍のバレンタイン少佐が子供たちにチョコレートを配ったという、「汝の敵を愛せよ」の言葉そのままの慈愛の行動に心を打たれた日本人が、その後愛情の証としてチョコレートをプレゼントするようになり、それが女性から男性への愛の告白に変化していったというふうに聞きました。(笑)
>こんな勘違いさせやすい科学ネタがあれば教えてください。
人類はお月さまへ行っていない!
http://moon.nasda.go.jp/ja/popular/story03/index.html
>でもアダムとイヴのいわゆる原罪も怪しくなって来ませんか。するとイエスは何故十字架にかか
>ったのか、とか、永遠の生命とか、次々と連鎖的に...
HMさんはキリスト教徒みたいなことを言うね。そうなのですか?
キリスト教徒には、十字架どころか、復活を否定する牧師もいるようですが。
>私もカトリックの、色々な土地の宗教を取り込んだ胡散臭さは嫌いではありませんが、歴史を見
>ると「清濁あわせのむ寛容さ」がどれ程あったのかには、少々疑問があります。
寛容というのは、ここで話題になっているファンダメンタリズムに比べて相対的に、という意味じゃないですかね。
どう考えても現状を見るかぎり、ファンダメンタリストに比べたらカトリック人たちのほうがはるかに寛容で平和的と思いますよ。
単に昔には現在のファンダメンタリズムが存在しなかっただけで、存在していたらとんでもないことになってたことでしょう。現在でも中絶手術やってる医師達に爆弾投げたり、人種・宗教差別したりしてるのに。
マザーテレサみたいな人は、彼らの教団群からは絶対に生まれないと思います。
これでも愛玩度物飼養管理士2級取得者なので(何の役に立つのだろう)動物には優しいつもりですが、生徒には「おまえらは三人寄ってもモンチッチの知恵か!?」など暴言を吐いているので、そう思われているかも・・・
聖書ネタでは
キリストの誕生日は12月25日でその10月10日前に受精が行われたとすると、2月14日の夜にその営みが行われたと考えられる。だからその日はチョコレートなどで愛を確かめるんだよ。
というと98%の生徒は信じます。普段反抗している生徒が、こういうことで「へぇ〜」といわれると、ちょっとかわいい気もしてくる。(今の高校生は聖バレンタインの命日だということは知らないらしい)
余談ですがこんな勘違いさせやすい科学ネタがあれば教えてください。
粗品はあげられませんが、生徒の信憑度(騙され度)は、発表します。
>ところで、カタラーゼの実験ですか?
そうです。
教卓にスーパーで買ったまんまの発泡スチロールの容器に入れたままなんですけどね。
>saniku-aiki さんに今ひとつ興味がもてないんだよなぁ・・・。
>なんだかんだ言いながらもきちんと相手をしているから、皆さん偉いですね。
(たまごちゃん(^-^)ノ)
たんぽぽも、これに同じく。
原理主義者の発生要因とか、考察していたほうが、
(わたしには)建設的なような気がする...
それから、「雑談」で思い出したけど...
>小説家でも、「登場人物が勝手に動き出すから、私はただそれを記録するだけ」
>って言う人、結構よくいらっしゃいますよね。(ぽんさま)
数学者のオイラーは、
「ペンがひとりでに動いて、論文を書いてくれる。」
なんて言っていたと思いましたよ。
うさしゃぶさま
>(解剖の行程など細かく説明した)
なかなか真にせまっていて、もっともらしく聞こえたのかも...?
あるいは、うさしゃぶ先生は、まじめなので、
そういう冗談は言わないと、生徒たちから思われている...とかね。
(↓のフォローってわけでもないけど...)
ノストラダムスは、いかにもうさんいくさい感じだけど、
マイナスイオンやアミノ酸効果は、
真実味あるように聞こえる、というか、
聞かせることができますからねえ...
高校生でなくても、おとなでも、同じ状況にあれば、
結構信じてしまうのでは、とも思いますが...
>(ただネコだとだめで豚だといいのだろうか?)
所定の手続きを踏んで、殺して実験に使ってもよい豚ではなく、
無断でつかまえて持ってきた、近所の野良猫だった...
のように思われたのでは...?
高校生たちの抗議は、動物愛護の気持ちからでしょうけど...
(でもたしか、野良犬や野良猫でも、
虐待するのは、法律にひっかかると思いましたよ。)
うさしゃぶさんが、本当にそういうことをしかねない人間だと生徒たちに認識されているからなのでは??私が高校生だったとしても、やりかねない先生がいかにもやった風にいうと、信じて「先生ヒドイ(ToT)」って半泣きになってしまいますね。
ところで、カタラーゼの実験ですか?
雑談だけするのはどうかとも思うんだけど、saniku-aiki さんに今ひとつ興味がもてないんだよなぁ・・・。なんだかんだ言いながらもきちんと相手をしているから、皆さん偉いですね。
ぽんさん、こんにちは。
>インタビューを引用したものの、それほど中島みゆきに詳しくはないので
私もそんなに詳しいわけではないですよ。ファンサイトに行くと、ものすごい人たちがいますから。その熱さはすばらしいと思う反面、あぁだけはなりたくないとも思ってしまう(w
>たまごちゃん(^-^)ノの一番のお気に入りの曲は何ですか?
好きな曲がいっぱいありすぎて、一つにはしぼれないです。この曲に出会わなければ中島みゆきファンにはならなかっただろうな、と思う曲は1曲あるのですが、別にそれが一番好きってわけではないですし・・・。
>「最後の女神」
最後の女神って有名なんですか?私もこの曲が好きで、これ目当てに観はじめた「筑紫哲也のニュース23」をいまだに観ているのですが、おかげでものの見方がすごく偏ってしまったかもしれません(^^;)そう思うなら観なきゃいいんだけどね。
>「吹雪」
核戦争について歌ったものだという解釈が、少なくとも一部のファンの間では定着しているようです。そういわれると、「核の冬」とか「死の灰」って単語を連想させる歌詞だなあという気もするし、でも、核戦争なら「間引かれる子の目印」も何もないだろう??って気もするし・・・。よく分からないですね。
temaさん、こんにちは。
>はじめまして。
あれっ?はじめましてでしたっけ??すみません、うっかりしていました。こちらこそはじめまして、これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
>tema's favorite song
あうっ。私は「孤独の肖像」が一番好きだという人に、「あれは自分で作ろうとして失敗したんじゃないか」と言ってしまったんですね・・・。ごめんなさい。私、「1st」の方が好きなもので・・・。でも、「孤独の肖像」も好きです。
>「二隻の船」なのに「二艘の船」と間違えてる。
正確には「二隻の舟」です。・・・って、私は小姑か?!
中島みゆきの曲の歌詞なんて本人でさえ間違えるんだから、気にすることはないと思いますよ。(私も以前に、「金環蝕」を「金環食」と間違えました。)第一、「二隻」は普通、「にせき」としか読まないですしね。
>実は、temaが2曲と言ったのは、この2曲が途中でメロディというか雰囲気が変わるからなのです。雰囲気が変わるところがtemaにはたまりません。
そういう意味でしたか。「2曲アンテナにかかるってどういう意味だろう?」「二隻の舟と孤独の肖像の共通点なんてあったっけ?」と考えて、とっさに浮かんだのが、どちらの曲もかなり雰囲気の違うヴァージョンを持っているということだったもので・・・。
私も、「二隻の舟」の曲調が変わるところ、好きです♪実は、みゆきさんの曲で途中で雰囲気ががらっと変わる曲というのは、結構いっぱいあるんですよ。
>夜会Vol.5 8,000円ナリ...
1993年のアルバム、「時代 Time goes around」にも入っています。値段的にもずっと求めやすくなりますし、「孤独の肖像1st」目当てならこちらの方が良いんじゃないかな。でも、このアルバム、ファン以外の人にはあんまり面白くないのかもしれないなぁ・・・。
「孤独の肖像」と「孤独の肖像1st」は全然雰囲気の違う曲です。一方が好きでももう一方のことも好きになるとは限らないので、せっかく買ったのに気に入らなくても私を恨んだりしないでくださいね。
都会の子は知りませんが、田舎の高校生は意図を持って教えれば、結構簡単に信じてくれる生徒が多いです。程度の低い冗談ですが、豚の肝臓の実験で、近所の野良猫からとってきたといったところ(解剖の行程など細かく説明した)、猛烈な苦情を休み時間まで、さらには授業で教えていない生徒にまでされました。逆に豚だと説得させる方が大変なくらい。(ただネコだとだめで豚だといいのだろうか?)
大人でさえ、「マイナスイオン」や「アミノ酸効果」を信じているのだから、科学っぽい根拠をつけてあげれば、8割くらいの高校生を何らかの信者にするのは結構簡単なのかもと思います。
もちろん私は何かの信者ではないし高校生をだますことに生き甲斐?もメリット感じていませんので、実行はしていませんが。
初めまして
田中憲次というものです。私は若いときに
異常な体験をしました。そしてそれをきっかけにして
ありとあらゆる謎を解明することが出来ました。
詳しいことは私のHPをご覧ください。
http://home9.highway.ne.jp/cym10262/fenomina.html
秋月さん、はじめまして。
>あと極小の粒子(原子とか)一つはある時間刹那においてその存在が不確定だって事は、原子の集合体であるぼくもある刹那においてその存在が(きわめて低い確率で)不確定って事ですか??
ミクロの世界を記述する量子力学が、どこまでマクロの世界に直接的な干渉を行なっているのかは、諸説があります。ですがあくまで私の見解で言うと、量子論が導く答えとしては「その通りであり、物質のすべては存在する確率でしか記述出来ない」となるのでしょう。これは言うなれば「実在」という概念の定量化とも言えますが、この世の根本がそうなっていると確かめられている以上、まぁそれならそれでいいや、と私は思います(笑。
大文字ナン様、
えーっと、えーっと、つまり不確定性原理によって証明されたのは
アインシュタイン以前とは違う意味で未来はぜ〜ったいに不確定だってことですね。
あと極小の粒子(原子とか)一つはある時間刹那においてその存在が不確定だって事は、原子の集合体であるぼくもある刹那においてその存在が(きわめて低い確率で)不確定って事ですか??
>信仰に科学的証明は不必要です。
>そもそも神の業は人間に全て説明できるものではありません。
至極ごもっとも。
反論なしです。
> 確認なのですが、その理由は、創造論が科学では扱わない(扱えない)検証不能
であり、かつ全能の創造主を前提にしているからですね。
これは間違いでしょう。
他の人がさんざん説明してるので、繰り返すのはやめますが。
アインシュタイン以前まで、時間は万物に対して一定に流れるものと考えられてきました。その為、神は無限の過去から未来に至るまで、すべての物事を決めている、という思想や、もっと機械論的に、すべての事象は巨大な時計の中の歯車のように絡みあい、宇宙を形作っている、というような思想もありました。しかし、そんな素朴な時間の概念の時代であっても、小さなズレがやがては巨大な「違い」となることは良く知られていたので、科学がどんなに発展しようとも、たとえば人間の運命のすべては予測がつかない(神でもなければ)と考えられてきました。
#こうした時代には、神ならばすべてを知っている、とも思われていた。
ところがまず、相対性理論によって、時間は空間と密接な関係を持つ時空構造を持つことが示されると、普遍的な時間、という概念が誤りであると実証され、万物はその運動に応じて固有の時間を持つことが知られるようになりました。たとえば非常に高いビルのてっぺんと地上では、微小ながら時計の進み方が違う、という具合にです。
これはつまり、私にとっての未来と、別の人にとっての未来が、別々の時刻を示すことを表します。その代表例がいわゆる「ウラシマ効果」と呼ばれる、宇宙船と地球の関係です。(十分に高速な宇宙船に乗って地球を旅立ち、10年後に帰還すると、地球では100年がすぎている)
そしてさらに、量子論の時代になると不確定性原理が知られることになり、未来、という概念はさらに複雑化してきます。時間は個別に流れるだけではなく、たった1秒後の未来さえも、不確定であることが(ほぼ)実証されてしまったのです。これらの理論により確かめられたこととは「少なくとも人は、どんなに科学を発展させたとしても、未来のすべてを予測することなど不可能だ」という帰結です。しかしそれは、なにも約束してもらえない、とか、運命などない、という悲観論だけを呼び起こすのでしょうか?私はそうは考えません。
「この人は何月何日にこのような失敗をし、死ぬだろう」
たとえばこんな予言に、なんの信憑性もないことが今では知られたわけです。ある局面において、未来を決めるのは、はるかな過去に回り始めた「万物共通の時計」ではなく、その場の判断に委ねられる、ということです。ほとんど破滅的な状況であっても、未来は運命的に定められたものではなく、状況を打破し得る可能性を持つことが示されたのです。無論、ほとんどの場合、砲弾はニュートン力学が示す予測値どおりの位置にかなりの精度で落下するでしょうし、入学テストの平均点は統計学が示す通りの分布を示すでしょうが、砲弾がいつどこで誰によって発射されるか?、私のテスト結果がどうなるか?は誰にも示すことが出来ないし、あらゆる危機は回避出来る可能性を持つ、という意味なのです。
この掲示板で幾度か私はこの問題を取り上げていますが、誰かによって未来予測が成され、世界がそのように進行しているのだとしたら、未来は「たったひとつの方向」にしか向いていないことになります。しかし実際には、あらゆる可能性があったのです。私は、もしも神がいるのだとしたら、そういうところに潜むのだろう、と思います。
この掲示板の趣旨から出来るだけハズレていかないようはするつもりです。
その2さん、ぼんさん、秋月さん、レス有り難うございます。
聖書をどのように解釈するかは、各個人次第という考え方は、至極真っ当だと思います。
でもアダムとイヴのいわゆる原罪も怪しくなって来ませんか。するとイエスは何故十字架にかかったのか、とか、永遠の生命とか、次々と連鎖的に...
秋月さん。
私もカトリックの、色々な土地の宗教を取り込んだ胡散臭さは嫌いではありませんが、歴史を見ると「清濁あわせのむ寛容さ」がどれ程あったのかには、少々疑問があります。
本当は9月26日、27日の回答をしなければならないのですが、私は質問を保存して
いなかったので、答えることも出来ません。答えを待っていらっしゃった方々には、
長く待たせたあげくに、結果として無視した形になってしまい、大変申し訳ござい
ません。もし、もう一度質問していただければ、改めてお答えいたします。
ぽん さんへ
>創造論が「科学」的事実でなければ、信仰が揺らいでしまうというのならば、
「死は罪の結果」であることも、マリアが処女でイエスを生んだことも〜
全て「科学的」に説明できなくちゃ、信仰揺らぐんじゃないのかな。
「信仰が揺らぐ」という表現を皆さんお使いですが、皆さんとのやりとりの
おかげで、私は揺らぐどころか、ますます確信を持てるようになったので、
皆さんに感謝しています。信仰に科学的証明は不必要です。証明されたから
信じるというのは、聖書の述べる信仰の定義に照らせば、信仰とは言えません。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」
(ヘブライ11:1)。私の理解では、キリスト教は6日間の創造やキリストの復活など
そうしたものが実際に起きたことと捉えることから始ります。証明できるかどうか
は問題ではありません。説明可能かどうかは信仰と関係ありません。その出来事が
実際に起きたとあなたが考えるかどうかです。そもそも神の業は人間に全て
説明できるものではありません。
3ETさんへ
>科学というものの手続きにおいて、
「この証拠は採用するけど、この証拠はなかったことにしよう」と恣意的に決めることは許されるとお考えでしょうか?
創造科学は、証拠を恣意的に決めているのではなく、解釈(説明)を選んでいるので
す。進化論に合う解釈は捨てるのですが、それは進化論側も創造論に合う解釈を捨て
る点で同じです。
ゆんさんへ
>『創造科学』が否定される → すなわち創造主がいない
と結論づけられるわけがありません
どうやら、「創造科学」の定義が違うようです。私が勘違いをしていたのだと思います。私が考えている創造科学というのは、創造主が存在して、
6日間で世界を創造したということを前提として
ではどのように創造したのだろうかと考える科学です。そして、創造科学の否定
というのは、この前提を否定することであるという理解で論を進めて来ました。
私の言葉で書けば、ゆんさんのおっしゃることは、
「創造科学による説明(例、光速の変化)などが否定されても、創造主がいないとは
結論づけられない」ということになります。これならわかりますし、同意できます。
この解釈で合っていますか。創造科学による説明が、否定されているのは存じていま
すし、多くの人を納得させられるほどその説明がまだ十分に完成していないことは多
くの創造論支持の科学者も認めていると思います。
ぼんさんへ
>間違っていないと認められているもの(神)って、、、、
誰によっていつ認められたのでしょうか?
「認められてる」んじゃなくて、一部の人間に「信じられているもの」でしょう
私にとっては当たり前と思っていることが、そうではないことになかなか気が
つかないために、ご迷惑をかけています。私が使う神とは、
もちろん、聖書が説明している創造主の神です。そして、この神は、全能者であり、
正しくて、真実なかたです。つまり間違いがない存在を神と定義しています。
私の中では、誤りがある(あるかもしれない)存在は「神」とは言いません。
>「科学」的な手法で検討するのなら、創造論は「科学的ではない」ということ
を主張している
確認なのですが、その理由は、創造論が科学では扱わない(扱えない)検証不能
であり、かつ全能の創造主を前提にしているからですね。創造論は極端に言えば、
科学法則に合わないことでも神がそうしたから奇跡が起きたと言えば、何でも
説明できるわけですから。(ただし、創造科学は何でもこうした説明をしようとして
いるわけではないが、科学的説明が出来なくても受け入れると私は思っています。)
tema様、谷庵様
早速ご説明有り難うございます。私は物理学社会人デビューなのですが(一応理系なのに)
力学は変数さえきっちり押さえ切れれば全て理論で導き出せるものだと思ってました。
実は色々な定数と言うのも実測値が多いのですね。
tama様
教会で『不確定性原理』について話したことはありませんが次のようなことは話したことがあります。
人間の心の中に神の座(神の存在と言うより、存在を実感できる場所ですかね)があるとする→科学的には心は脳の働きである→脳の働きはまだ不解明な部分がおおいが全て化学反応によって引き起こされる→いつが脳の働きの全てが解明されると神の座は脳から無くなる→しかし、神はいる(キリスト者の集まりなのでこれが前提なのですか…笑い)→だから、神は心の中ではなく外に実存する。
あれ、ちょっと違ったかな、結論が「神が実在する」になったり、「人間には脳の働きである心以外に魂がある」とか幾つかの答えを出した気がするのですけれと…。
しかし、どんなに科学が進んでも未来は不確定って寂しいようなホッとするような。
HMさま、
初めまして、こちらこそ宜しくお願いします。
>進化論を肯定すると、即信仰の否定にはならないかもしれませんが、キリスト教の根幹が瓦解しませんか。
>例えば聖書には、事実と違って間違った部分があるとなると、何処が正しくて、何処が間違っているのか、誰が判断するのか?というような。
私は神父でも何でもない只の平信者ですのであくまで私の意見と言うことですが、キリスト教の根幹というのは神の愛とキリスト(救世主)であるイエスによる約束された救いにあると思うので進化論によって揺るぐことは無いと思います。神の存在が進化論によって脅かされるというのは端的な考えだと思うのです。
聖書についてですが、我々カトリックは聖書の一語一句よりも、その解釈というのか、その内容のもたらすものを重視する(よう)で、その解釈を行っているのがローマ教父(法王)でありバチカンの公文章です。そこのところが、ある時はご都合主義だったり、堕落してたりしもしてて(間違ってたりと私の口から言えないのですが)宗教改革の引き金になるのですが、この清濁併せのむ寛容さ??が私は好きだったりします(ちょっと贔屓目に見てますが)。
一方、『聖書のみ』と言うプロテスタントの方々ですが。良く誤解を受けるのですがこの『聖書のみ』と言う言葉「『聖書』のみが正しい」のでは無く「『聖書』のみを教理とする」と言う意味でカトリック以上に聖書の解釈に力を入れていますし、また、平信者の方でもみなさん聖書や教理に精通しておられすのは、凄いと思います。カトリックを『愚衆のキリスト教』プロテスタントを『知者のキリスト教』と呼んだ方もいるのはこのあたりでしょうか?
カトリックは宗教改革以前まで聖書の翻訳を禁じると共に平信者が聖書を読むことさえ基本的には禁止していたぐらいなので、今でも聖書を呼んだことのない、もしくは頑として読まない信者の方もいらっしゃいます。
現代科学において間違いであると言う問題以前に記述内部も食い違ってたりしますが、逆に今日まで手直しすることなく伝えていることが私は凄いなと思います。
ぼん様、
私もギリシャ・ローマや日本の神々のように「〜の神」と言ったものでなく、認識も象徴も無い神の存在を導き出した聖書は凄いなと思ったことがあります。また、ある方が、旧約の神はユダヤ人の民族神てきな性格が色濃く、実生活に強く干渉する神であったのが、新約時代には民族神的な性格は薄れ、愛の神となり、人の世に干渉することが減ったと言っていたのですが、そう言う目で見ると確かにそう感じます。最もキリストを人の世に使わされていますから、没交渉では無いのですが。
JA50さま
>ところで創世記の思想って?
えーっと・・・
って、人さまに説明できるほどちゃんと理解してなかったんで、どうしよう、、、
と思ってたけど、地下ネコさんの説明に助けられました。
>創造する神と流出する神 投稿者:地下に眠るM 投稿日:10月 8日(水)20時47分14秒
をご参照くださいまし。
「聖書は宇宙の外に神を放り出した」という解説も聞いたことがあります。
「神」と「人間の認識できる世界」との断絶が特徴みたいです。
断絶して、「神は人間には把握できない」としておきながら、人間を「神の似姿」だと
というのは「人は他人を把握することができない」ということも表す、という解釈もあるようです。
「ところで、他者は、つねに私の知を超える者、私の把握をすりぬける者、私の期待を裏切りうるもの、私を否定しうるものである。この意味で、他者は無限なのである。(中略)私と他者のあいだには超えることのできない深淵が口を開けている。なぜなら、もしそうでなかったとすれば、すなわち、他者が私によって把握しつくされたとしたならば、そのような者は、すでに、他者ではなく、私によって消化され、私という主体に統合され、私の一部分になってしまった物なのだ。この意味では、他者は他者であるかぎり、私から「切り離された者」すなわち「絶対」でなければならないのである。」(「ヨーロッパ思想入門」岩田靖夫著より)
「その後のこと」とは、あくまで物体の物理的な振る舞いです。
たとえば砲弾の軌跡などです。
決して人生の行く末が分かるわけではありません。
> 量子力学(不確定性原理)が生まれる前の物理学では、ニュートンの運動法則にしてもアインシュタインの相対性理論にしても、原理的に「未来は予測可能」と考えていました。予測可能ということは、未来は決まっていて変えられないということです。秋月さんがいつ生まれて、どこに行き、何をするのかも。何を考え、何に感動し、誰に恋するのかも、全て決まっていて変えられない、ということです。
人間の運命をすべて予測するような物理学はありません。
マクロの力学では、初期条件が厳密に分かっていれば、その後のことは原理的に分かるというだけで、人間の運命が分かるなんて、言い過ぎです。
高いビルから飛び降りた人の運命は、物理学的に想像付きますけどね。
革離@隆行さんお久しぶりです。最近の話をネットで拾っていると、中国は夏王朝は実在の王朝だと言いたくてむずむずしているようですよ。中国4000年の歴史を更に伸ばしたいようで・・・。
さて夏王朝が実在かもしれないという話、日本ではどこまで進んでいるか、革離@隆行さんご存知ですか?
HN「革離」は墨家の人だったんですね、最近HPで見た話では、西洋に似た思想が中国にもあったと清の時代に墨家の思想が見直されていたようですね。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。