このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
>私は科学的証拠があるというだけで創造論を
>受け入れるようになるとは思えないのです。私がしばしば申し上げる、「創造主の
>存在を受け入れれば、創造論も受け入れられる」という発言はこの観点に立って
そうですね。
創造論や創造「科学」は科学ではないですから。信仰の問題。
また、進化論が正しくないからといって、創造論が正しいことにはなりませんよね。
また、創造主を受け入れても、例えばイスラム教を信じている人は、聖書に基づくのとは別の別の創造論があるのでしょう。創造主を信じることが、そのまま聖書の創世記そのまんまの進化論を唱えることにはならない。
アメリカの原理主義者たちが言っているような創造論は特殊なもので、キリスト教徒(の一部)にしか通用しないものなのですから。
わたくし個人としましては、進化の全過程が神さまによるものだと信じています。
どうも話が噛み合いません。なぜでしょうか。それは同じ物事に対する定義の違いではないでしょか。たとえば斉一説ですが、saniku-aikiさんと進化論者の間には認識のずれがあるようです。ナイルズ・エルドリッジ『進化論裁判』から引用してみましょう。
「スティーヴン・ジェイ・グールドらが指摘しているように、一九世紀の地質学者にとって斉一説というのは少なくとも二つの事柄を意味していた。一つは、現在進行中の変化を研究することにより、かつて地球に起こった出来事を理解できるということ。もう一つは、堆積物の侵食や堆積といった過程の進行がのろいことは、地球の歴史で起こった出来事も、通常はかなりゆっくりした速さで一様に進行したことを物語っていることである。この斉一説の第二の意味、すなわち「漸進主義」によれば、大きな変化は微細な変化がおそろしく長い時間をかけて徐々に累積したものであることになる。
(中略)しかし地質学者たちは、地球の歴史の中で起こったあらゆる変化はごくごく小さな変化が時間を経るにしたがって徐々に累積した結果であるという斉一説第二の意味のほうは、はるか以前に放棄してしまっている」
ところでsaniku-aikiさんにお尋ねしたいのですが、「私は科学を無視しているのではなく、信仰を優先する立場です。どんなときに優先するのか。それは、科学と信仰が矛盾するときです」というのであれば進化論の証拠はいったいどうなってしまうのでしょうか。そして「創造主の存在を受け入れる」と「創造論を受け入れる」は同義ではないでしょうか。
大文字ナン様
>シュレーディンガーの猫の問題は、観察者は誰か?を問う比喩ではありません。
>この場合、問題になるのは、対象物の状態である
>ことを明確にしなければなりません。
>量子の観測問題を比喩した話に対して、観測者が誰か?を問い返すのは、主題を歪曲させるだ
>けのことです。
(改行位置変更してます)
はい、その通りですね。無用な混ぜっ返しでした。
ちなみに、私の書いたのは「Wignerの友人のパラドックス」ですが、猫問題の理解の妨げになりやすいのは確か。
saniku-aikiさん、お返事ありがとうございます。
あらためて述べますが、私は、あらゆる超越存在を認めない(=信じない)という立場ではありません。様々な仮説が考えられますが、人智の及ばないところ(=たとえば高次宇宙)に私たちを観測する「何か」がないとは言えませんし、この宇宙が「何か」の作為によってはじまった、と考えることは十分に可能と思っています。
ですから、saniku-aikiさんの仰る創造にはとても賛同出来ないまでも、超越者による創造があった、という証拠が見つかり、その信憑性が十分に高いのなら、私はその説を受け入れる用意がある、と言っているのです。
#ただし、信じるとか信じないではなく、暫定的に採用するだけであることは変えません。
一般に「創造論」と言うと、聖書にある創造に基づく諸説を指すようですが、私がここで述べた「創造」は、もっと広義のものであることを付け加えます。
NATROM さんへ
>蛇はカエルなどの小動物ではなく、塵を食べるとお考えですか?
いいえ、考えていません。
私としては以前の答えで満足していたのですが、ご理解いただけなかったのは
私の説明不足のせいで申し訳ございませんでした。
>科学よりも信仰を優先させるのであれば、科学者が蛇の食べ物についてどう言おうと、あるいは蛇がカエルを食べるところをその目で観察したとしても、聖書の記述を優先させるべきではないでしょうか。
「科学よりも信仰を優先する」という意味を誤解されています。聖書を信じていない
方に質問する失礼を承知で質問いたします。蛇が塵を食べないで、カエルを食べると
どんな点で信仰が崩されるのでしょうか。どんな矛盾があるとお考えですか。
(もちろんお答えにならなくて結構です。もしこんな矛盾があるはずというのであれば、是非教えてください。考えを改めますので)
私が言いたいことは、信仰が崩されないならば、その解釈で問題がなければ、
蛇はカエルを食べるからここは比喩表現と考えてもいいと思います。
私は科学を無視しているのではなく、信仰を優先する立場です。
どんなときに優先するのか。それは、
科学と信仰が矛盾するときです。改めて詳しく述べる必要はないと思いますが、
私が進化論を否定する理由は、一言で言えば「死」の起源です。キリスト教信仰の
土台を覆すと考えるから、科学よりも信仰を優先するのです。ですから、以前にも
お話ししましたが、創造科学を支持する人を理解するためには、聖書理解なり信仰
理解が必要です。
>「蛇は塵を食べる」という「聖書のみの信仰」を持っている人は、科学の時間に、「蛇はカエルを食べるというのは間違いで、本当は塵を食べるのだ」と教えることでしょう。
上記の理由で、聖書の時間でもそうは教えないと思いますよ。少なくてもわたしは
教えている例を知りません。
GOA さんへ
>ノアの洪水で化石ができたなら、化石から得られる事実はノアの洪水を否定
しているって、ずっと前に指摘したじゃないですかぁ。
斉一論にもとづけばでしょう。申し訳ございませんが、化石はノアの洪水を
肯定するという私の確信はあのときと同様少しも変わっていません。
Yahooの掲示板にも、同じような内容を投稿したが・・・
(貴殿宛ではなかった)
>神を信じたくない人は、
>どんなに証拠を挙げたところで神を受け入れないと思います。
つまり、神の能力を人間ごときが検証してもいいってことじゃな。
神様をレントゲン撮影したり、
解剖したり、
粒子加速器に放り込んだり、
etc
もし、その結果、神の能力が検証できた場合は、わしゃ貴殿の神様を受け入れる用意はあるぞ。
コンピューターがウイルスにやられて、ここ2日大変でした。
それにしても1週間前の質問に答える遅さですみません。
トトロさんへ
>ある資料に対してこれら複数の年代測定方法による結果が一致していたら、
光の速度は一定だったという証になりますか?
必ずしもそうではないでしょう。斉一論に基づけばそう考えるべきでしょうが、
激変説を採るなら、激変前の状態についても今の測定方法で正確に把握できるのか
疑問が残りますから。複数が一致しても、一致して誤っている可能性の方が高いと
考えることもできます。
>> 進化論者は、その理論にあう仮定しか取りません。その仮定が正しいと証明されて
>> いないにもかかわらずです。
>これは、理論が逆立ちしています。
すみません。私の書き方が悪かったので、そうお考えになるのは当然です。
私が意図した「仮定」というのは、「6日間で天地を創造した神はいない」と
いうものでした。それまではよく「前提」という言葉を使っていましたが、
ここでは使わなかったので誤解されても仕方ありません。誤解される用語を使った
ことをお詫びします。なお、天地創造についていえば、神は全能なので再現はでき
るでしょうが、歴史的には1度だけのものであり、その意味では再現できないと
思います。でも、再現できないものでもそれを説明しようとすることは科学
とは呼べないのでしょうか。
>もし、全ての科学法則に縛られない存在があるとしたら、その法則性を考えることは
意味がありません。
よくわからないのですが、なぜ意味がないのでしょうか。たとえば、ニュートンは
科学法則に縛られない神の存在を信じていましたが、万有引力の法則を考え出し
たわけでしょう。全能の神を信じる科学者はみな意味がないことをやっていると
いうことでしょうか。全能の神がどんな法則をこの世界に与えているのか知りたい
と思ってニュートンは研究し、法則を発見したのではないでしょうか。
>もし、”何でもかんでも神は科学法則を無視する言うわけではあ
りません”のなら、無視しない法則が存在するわけであり、矛盾します。
少し誤解があるようですが、「神は全ての科学法則を無視するわけではない」
といったのではありません。「神はいつも科学法則を無視するわけではない」
と言ったつもりでしたが、表現が悪かったようですね。申し訳ございません。
大文字ナンさんへ
>私は、進化論を覆すきちんとした証拠があれば、いつでも今ある進化論以外の理論を受け入れます。
謙虚なお答え痛み入ります。でも、大変申し上げにくいのですが、きちんとした
証拠があれば、じゃあ創造論を信じるかと問われれば、それはまた別の話ではな
いでしょうか。私はたとえきちんと証拠を挙げることができたとしても、それ
だけで、創造論を受け入れる人は少ないだろうと思っています。なぜなら、創造論
の前提には、創造者としての神の存在が必要だからです。神を信じたくない人は、
どんなに証拠を挙げたところで神を受け入れないと思います。これは批判している
のではありません。私がこれまで受けてきた印象では、創造科学に対する批判も
さることながら、たとえば聖戦に関してキリスト教の神に対して疑問や批判があ
りました。それらの疑問や批判もごもっともだとは思います。考えていただきた
いことは、たとえば私が主張する創造論を受け入れると言うことは、同時に、
聖戦を命じた神をも受け入れると言うことになりませんか。
創造論を受け入れると言うことは、科学の問題だけではなく、信仰の問題と深く
関わってくるわけです。ですから、私は科学的証拠があるというだけで創造論を
受け入れるようになるとは思えないのです。私がしばしば申し上げる、「創造主の
存在を受け入れれば、創造論も受け入れられる」という発言はこの観点に立って
のものです。これが私の思い過ごしであれば、大変失礼なことを申し上げている
ことになりますので、謝ります。杞憂であればいいのですが・・・
To 3ETさん
シュレーディンガーの猫の問題は、観察者は誰か?を問う比喩ではありません。この場合、問題になるのは、対象物の状態であることを明確にしなければなりません。量子の観測問題を比喩した話に対して、観測者が誰か?を問い返すのは、主題を歪曲させるだけのことです。
こうも言えます。
猫が第一に観察者である、が、箱の外の観察者Aから見た場合、猫の生死は確率でしか表せない。
Aが箱を開けて中を観た場合、研究室の外にいる別の観察者BからはAが何を観たのかは確率でしか
表せない。
Bが研究室を覗いた場合、研究所の外にる観察者Cからは……以下永遠につづく。
そんなわけで、最終的な観察者は誰か?それが「神」である(^^;)
To とおりすがりさん
「シュレーディンガーの猫」は単なる喩えなので、箱を開けた人間が見ることのできる
ものであれば無生物でも問題ありません。
>聖書には現代の我々から見て未来の出来事は予言されていません
聖書には多様な解釈が可能というよい証拠ですね。saniku-aikiさんは「聖書には現代の我々から見て未来の出来事は予言されていない」という解釈を支持するのでしょうか?
新理論で覆そうとするなら、何を覆すのか位は理解していないと。の典型かもしれませんね。
「シュレーディガー猫」などは観測問題を確率の問題にすり替えているところなど「なにが問題なのか」についての誤解があってどーしょーもない。
どーも、しょうもないサイトを紹介してしまったようです……。
おせっかいさんへ
ご紹介のHPちょっと見ました。未だちゃんと読んでないけど、
原理主義の中でもいろいろ解釈の違いがあるんですね。
参考になりました。ありがとうございます。
>神の存在と権威を前提としない科学は本当の科学ではありません。
(ご紹介のHPの主張より引用)
こちらの原理主義は、
>創造「科学」を学習させれば、自分たちの信念に沿う「証拠」だけを認めて
>(というか「証拠」を捏造してまで作って)、
>自分たちの信念に沿わない「証拠」は平気で徹底的に無視するという姿勢を培う
という目的の方が主眼に置かれているのかな、と思いました。
>創造論を信じるのは初めの一歩に過ぎず、本当の目的は聖書を「予言」書として
>信じ込ませることなんじゃないかな、と最近思います。
聖書には現代の我々から見て未来の出来事は予言されていません。
下記のHPに詳しいです。
http://www.path.ne.jp/~millnm/home.html
>だから神様は杖を手離せないんだ!
あの…神様は杖をもっていませんよ。モーセとの間違いではないでしょうか?
たんぽぽさま
>近年の合衆国では、宗教右派の活動が活発になってきて、
>進化論などを理科教育からしめだそうとする動きが、
>強まっているらしいです。
宗教右派が進化論を締め出して創造論を「科学」として教えるべきだと主張するのは
なぜなのかなぁ、進化論を支持しようが創造論を信じようがあんまり政治には関係ない
んじゃないかなぁ、と思ってたことがあったんですが、
考えてみれば、創造「科学」を教え込むのは、アメリカの右派にとっては
とても有意義なことですね。
創造論を信じるということは、聖書を言葉どおり信じるということにつながるわけで、
創造論を信じるのは初めの一歩に過ぎず、本当の目的は聖書を「予言」書として
信じ込ませることなんじゃないかな、と最近思います。
キリスト教原理主義者にとっては、イスラエルの(再)建国は聖書の予言の成就で、
それは、世の終わり、つまりキリストの再臨の予兆なんだそうです。
本を数冊読んだだけだから、全ての原理主義者がそういう主張なのかどうかは知らないんですが、、、
でも実際、アメリカの宗教右派がイスラエルの宗教右派を支えているのは事実だし。
まぁ、どこからどこまでが本当に「信仰」なのか、単に軍需・石油産業の利権に「信仰」
を利用しているだけなのか、私には分からないのだけど。
創造「科学」を学習させれば、自分たちの信念に沿う「証拠」だけを認めて
(というか「証拠」を捏造してまで作って)、
自分たちの信念に沿わない「証拠」は平気で徹底的に無視するという姿勢が
培われるわけで、こりゃぁ、非常によくできた話だなぁ、
創造「科学」学習は、政治家やマスメディアの扇動に易々と引っかかる
大衆を育成するプログラムみたいなもんかなぁと思うわけです。
日本で無邪気に信じている人には罪はないのかもしれないけど、
自分たちが「神様ありがとう♪」って毎週教会で献金するお金がどこに行って
どのように使われているか、ちゃんとみんな把握してるのかな?
私の知人の行ってる某教会の献金は、日本の教会の維持・宣教に必要な経費以外は
アメリカの本部に送られているそうです。そんで、本部では、豊かな資金源を基に、
宗教右派を支える活動を展開していることを考えると、あんまり、無邪気に信じるの
はちょっと罪じゃないかな、と思ったりするのです。(善意の第三者とはいえ)
「信教の自由」が認められるのは、他人の生命に危害を与えない範囲だと思う・・・。
実際には箱の中の猫こそが量子力学的スイッチの観測者であって、
生死半々の重ね合わせは発生しないんじゃないかと思うわけですが。
私は南堂理論は全然駄目。こんなに従来の説を間違っているのも珍しい。どこからこんな勘違いを仕入れる事が出来たか不思議でしょうがない。
ただこの手の擬似科学によくある罵倒文句が載っていないところだけは好感がもてますね。
でも、この人も数年も経つと、他の疑似科学者と同様に罵倒文句を吐くようになっちゃうんだろうな。
先人の成果を誤解しまくったあげく、「思いつき程度の自分の理論」でなければ現実を説明できない、なんて独りよがりを言ってるとしか受け止められないのですけど...。
あまりにも誤解が多すぎて(ほとんど全てといっても良い)事例をあげる気にもなれない。
また、「シュレディンガーの猫」についても、中心的な課題である、確率のとらえ方について、彼自身理解していないんじゃないか、と思います。
たとえば、
>「確率というものは、事象の数が1のときには意味をもたない」と述べたが、これはもちろん、「何の意味もない」ということではない。ごくわずかの意味はある。ただ、それは、「確率」としての本来の意味ではない。
「2回に1回の割合で表になる」という言明は、事象の数が大きければ大きいほど意味をもつ。事象の数が1回だけならば、(ほとんど)無意味である。……そういうことだ。
「わずかな意味」って、なんなの?1回の事象では1か0しかないんでしょ?確率としての意味でないのなら、何の意味なの?「なにかわからないけど、きっと何かある。」という程度の論理なら、...えーと、発言自粛...。
事象の数が大きければ大きいほど意味を持つのは、個々の事象(事象の数が1個)の性質から導き出されるのでなければどこから出てくるの?「ほとんど」無意味である、ってどういうこと?
はっきり説明して欲しい。
それに、どんな言い方をしようと、結局、「猫」は50%生きてるんでしょ?
じゃ、物理学者だけが混乱している、なんて言いがかりはやめて欲しい。
>「シュレーディンガーの猫の問題は、量子力学では解決不可能だ」
とも言える。なぜなら、それは論理学の問題であって、量子力学の問題ではないからだ。
決定論的な旧来の論理学は量子力学には適用できない。という事態が発生したわけで、実に量子力学的問題だと思いますけど。
相対性理論以前の時代には、空間は数学的存在であって物理的存在じゃなかったように。
単に、敬愛するドーキンスを創造科学者と同程度かそれ以下のレベルで批判していることに反発しているだけじゃなく...。
...でも、プンプン!
従来の進化論の間違い、という部分にはいろいろと典型的な誤解が盛りだくさんですが、クラス理論そのものは集団遺伝学での考え方をもっとわかりやすくしたもののように見えます。包括適応度を考えるときの「遺伝子」というのは、まさに南堂氏のいう「遺伝子のクラス」そのものであるように思えます。
ホームにあるシュレジンガーの猫の話も、そうおかしくはないように思いますね。
初めまして。
このBBSの創造論者について思うことがありましたので、投稿しました。
私は創造"科学"者の姿勢には共感できません。
このBBSの創造論者に意見を拝見しますと、私はどうしても「幸福の科学」という教団"名"とダブって見えます。この「幸福の科学」の広告には、4次元の霊は高貴で、5次元の霊はもっと高貴で…という表現がありました。(その表現はよく見られるが、逆に「1,2次元は下等な霊の世界」と言う人は聞いたことがない。)
冗談半分に見た漫画/物語では、"霊波動"なる科学「風」用語や、科学者を登場させて「科学的と錯覚させようとしていました」。
科学(風)用語がなければ(道徳的に)間違いなのでしょうか。
いくらキリストの言葉を言語学的に「文法」を研究したり、宗教学的に「聖書の(物語の)構造」を研究しても、聖書が(道徳的に)正しいかは分かる訳がありません。(どちらも社会"科学"と呼ばれる。)
私は、「幸福の科学」の「科学風用語の使い方」を見る事で、
科学とは、「用語や知識」ではなくて、「事実に対する考え方/態度」だと考えるようになりました。
そういう意味では、「事実を扱う前に」聖書が正しいと「決め付ける」のは、
いくら証拠を挙げても「科学的ではない」と思います。証拠を曲解したり無視するのは、「聖書に合わせている」ことになります。事実に忠実ではありません。
追記
saniku-aiki さんは
>聖書は神の霊感を受けて書かれたといっても、人間が書いています。
>聖書を書いた人は、神のペンではなく、筆記者です。
と仰っています。
それに従えば、考えようによっては「聖書を執筆した当時の人」には「進化論が理解できなかったから神が"直接"作ったことにした」とする事ができるかもしれません。
もし、実際に神がいて、一方で、物理的な記述が科学と矛盾するなら、「聖書を執筆した人が間違っていた」、あるいは「信者が聖書の解釈し方を誤った」という事にすれば、
「神の存在は脅かされない」でしょう。
ちなみに、私は特にキリスト教を信仰しているわけではありません。
むしろ、「無信仰だから堕落する」という考え方には反感を持ちます。
だから神様は杖を手離せないんだ!
特に椅子から立ち上がるときなんかは、杖を両手で握りしめて、あぶら汗をにじませながら...。
>もし、人間の体が神に似せてあるのなら、力学的な構造から神も腰痛があるはず……(^^;)
当方の早とちりでした。
クハ72様
URLの件で指摘なさった(お!、「された」は敬語としておかしいんだよ、のいい例かな)のはtema様です。
経済学では、なかなかの見識を示したのではないかと(私が)思うひとのサイトで、新理論の発表とのことです。
経済学と進化論はほとんど結びついていませんが。
私もまだ読んでいないので、紹介するだけの価値があるのかはわかりません。
ちっとばかし腰痛が酷くなってきて、ゆっくり読んでられないのです。
そんなわけで、取り急ぎのご紹介です。
*腰痛は、進化の直接的証拠です。
もし、人間の体が神に似せてあるのなら、力学的な構造から神も腰痛があるはず……(^^;)
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/
おそらくブラウザ設定の問題ではないかと思われますが、以前一部の方から指摘されて解決策が見つからず手を拱いておりました。今まで放置して大変申し訳ありません。今後は接続可能なアドレスをデフォルトと致します。3ETさんご指摘ありがとうございました。
私信
NATROMさん、サーバーの統合によりアドレスが変更になりましたことを報告致します。しばらくは旧アドレスでも転送されますが変更をお願い致します。こちらのご連絡が遅れて申し訳ありません。
http://members.at.infoseek.co.jp/kuha_72/
たまごちゃん(^-^)ノ様
>科学の個々の仮説は単独で存在しているわけではなく、互いに有機的に
>関連しあっているので、一つの仮説を否定することはともすると科学
>による説明体系全体を否定することにもつながりかねない。
>従って、既存の仮説に対抗して提出される新しい仮説は、既存の仮説
>ではうまく説明できないことを説明できるだけではなく、既存の仮説が
>説明していたことも説明し、既存の仮説と相性がよかった諸仮説と
>折り合いをつけられることが必要である。
この意見を、情緒的に表現しただけのことで、たとえば鈴虫が出たのは
飼っている(卵から孵しました)のが部屋の中で鳴いていたからだけの理由です。
なので、進化論を否定すると空は青くないのか、、とかいわれると相当困りますね(^^;)
それがかっこわるいなーとおっしゃるなら……はい、かっこわるいですね。
えーと、
空が青く見える理由を、十分に満足する形で説明する理論を形成する証拠などはたとえば
年代測定などにもちいられている。
したがって、進化論を否定するためには、空が青く見える理由も創造科学の論拠にしたがって
説明する必要があるよってなところでしょうけど、、議論としてはあさってにぶっ飛んでいる
には違いない、ですね。
*青く見える理由は粒子散乱によるものだということはご存じだと思います。
実際には、
>でも本当は、空が青いことも雲が白く見えることも草も土も、鈴虫のなく声でさえ、
>進化論は正しいと告げているのです。
>見方さえご存じなら。
これを書き込んだのは、saniku-aiki様向けの議論を放棄したからです。
だめだこりゃ(saniku-aiki様 失礼!)と思ったので、散文的な書き方で終わりにしようとしたわけです。
ちっと失礼だったかな、、と思い直し、その後「循環しているので終わりにします」の旨、書き込んでます。
議論を続けるとして、、、
月についてなら、進化論に近い話として、惑星生成論の話からすると思います。
太陽はおそらく三世代目であることなどをとっかかりにして、
以降、核物理学・電磁気学・量子論 などを大観した話になるかと思います。
相対性理論の話は軽く流してもいいかな。たぶん。
これらの成果が、地質学的な年代測定方に直接結びついているのは、ご存じと思います。
でも、これで創造科学論者を論破または説得できると(いまは)考えているわけではありません。
>♯ ところで、放射性同位元素による年代測定を否定するために光の速度を
>変えようというお方に「進化を否定すると科学の他の分野も否定する羽目になる」
>って指摘するのって、おもいっきりはずしてる気がするのですが、気のせい?
じつは、saniku-aiki様発言中、この部分はあれを書き込んだときは見逃していました。
したがって、ご指摘の通り、思いっきりはずしています。
もうちょっと「科学的な体裁」を取ると思っていたのに……。
あんまり落胆したので、その後、その部分のつっこみに参加する気もなくしました。
私としての終了宣言は、その気持ちも含めて投稿させていただいたものです。
以後の議論については、Kosuke様の 9月18日(木)22時53分02秒 の発言に全文同意いたします。
<続き>部分へのレス
(A)へは反論不要でしょう。議論には含まれない、気持ちの記述ですから。
この板でも過去、この手の部分で建設的な議論が展開した例はないと思います。
(その意味では、私が書き込んだのは罪が重いですね。お詫びいたします)
(B)と(C)は、実は同じことを言ってますね。「前提」の存在です。
科学における「前提」の取り扱いと「証拠」の取り扱いを説明すれば、進化論を支持する側
にとっては十分でしょう。
創造科学論者にはなんどいっても通じませんでしたが……。
長文乱文、失礼いたしました。
最後に、、tema様
あったりー(^^) 2台乗りつぶし、計5万キロ以上乗りました。
結婚後、バイクから遠ざかっていますが、また乗りたくて中古を探しているところです。
(A)
創造がなされたという証拠は目の前にあります。眼を開けば見えます。でも見ようとしていないから、盲目だと言っているわけです。だから話はまったくかみ合いません。
空が青いことも雲が白く見えることも草も土も、鈴虫のなく声でさえ、創造論は正しいと告げているのです。見方さえご存じなら。
(by 創造科学者)
(B)
「進化が事実でなかった場合、系統という概念は意味を成さない。従って、系統樹を作ることができるということは、進化論が正しいということを示している。」という主張は間違っている。進化があったという前提(偏見)の元に見るから、生物種間の秩序だった階層構造に実際はありもしない系統関係を見てしまうのだ。先入観を持ってみれば、極端な話、空が青いことや雲が白いことでさえも進化論が正しいという証拠に見えてしまうに違いない。
(by 反進化論者)
(C)
創造科学は神を、進化論は進化を前提とした異なったパラダイムを持つ科学です。進化論は進化を前提とはしていないと言う人もあるかと思いますが、そもそも人がものを見るときには何らかの観点に立ってしか見ることができません。進化論は進化を前提としていないと言うならば、いったい何を前提としていると言うつもりなのでしょう?
進化論と創造科学とでは前提としているものが異なっているのだから、同じものを見てもまったく違った見え方をするのは当然であり、一方の観点から他方を間違っていると言ってみたところで意味がありません。個々の仮説の価値はそれぞれのパラダイムの中でのみ判断されるべきであり、パラダイムの外側からパラダイム内の仮説やパラダイム全体を正しいとか間違っていると判断することはできません。従って、一方のパラダイムが他方と比べて優れているなどということは言えず、進化論も創造科学もともに科学として等価であるといえます。
(by ある種の極端な相対主義者)
♯ ところで、放射性同位元素による年代測定を否定するために光の速度を変えようというお方に「進化を否定すると科学の他の分野も否定する羽目になる」って指摘するのって、おもいっきりはずしてる気がするのですが、気のせい?
Re: 月がとっても蒼いから 投稿者:3ETさん 投稿日: 9月12日(金)09時36分00秒
3ETさん、まだ見てるかなぁ?レスをありがとうございました&レスが非常に遅くなってすみません。こちらこそ、よろしゅうm(_ _)m
>科学は互いに補完しあっている、と書きましたが、あの部分はそれを受けてのことです。
実は、そのことには気がついていました。
>これらのことをきちっと説明するために集められた証拠、得られた結論はまた、進化論を補強するためにも使われているという意味です。
それじゃあ論理の方向が逆になっちゃってませんか?(私が3ETさんの意図を理解できてないだけかもしれないけど) 「これらのことを説明するのに用いられる科学理論や証拠の一部は、進化が正しいことを前提として演繹されていたり、その妥当性を進化論によって示されていたりするから。」といったところなのでは?
で、そういう意味合いで書いているんだろうということにも、実は気がついていました。
科学の個々の仮説は単独で存在しているわけではなく、互いに有機的に関連しあっているので、一つの仮説を否定することはともすると科学による説明体系全体を否定することにもつながりかねない。従って、既存の仮説に対抗して提出される新しい仮説は、既存の仮説ではうまく説明できないことを説明できるだけではなく、既存の仮説が説明していたことも説明し、既存の仮説と相性がよかった諸仮説と折り合いをつけられることが必要である。
と、いうのは私もその通りだと思っています。また、このことは創造科学のような疑似科学だけでなく、いわゆる正統派の科学の枠内で新しい仮説を提出するときなどにも注意すべきことだとも思っています。
じゃあなぜ「見方が分からないから教えて」と書いたのかというと、月が丸く見えることと進化論との間にはどのような関係があり、進化論を否定すると月が丸く見えることを説明することがどのように難しくなるのかを、‘具体的’には知らないからです(私は知らないと言っているだけで、3ETさんも知らないだろうとは必ずしも言っていない。ちょっとだけ思ってはいるけど。)。具体的にどのような関係があるのか知りもしないのに「月が丸く見えることも進化論は正しいと告げている」なんて言っちゃたら、「たまごちゃんは進化論を信仰している」と言われても反論ができないでしょ?
次の(A)〜(C)のような主張に反論したり、(A)と進化論との違いを説明したりする場合、3ETさんならどのように話を進めますか?私の場合、「進化論は具体的な根拠に立脚していて、進化を前提として絶対視はしていない」ってことに軸をおいて論を進めます(一連の書き込みから推測するに、3ETさんも似たような感じじゃないかな?)。その時に、自分自身が具体的にはよく知らないことを根拠に進化の妥当性を主張してしまっていたら、かっこ悪いなって思うのです。
3ETさんへ
はじめまして。突然ですが、temaは以前88年式DT-200Rに乗っていました。ひょっとして3ETさんもですか?
クハ72さんへ、管理人さんへ
クハ72さんのホームページに行けません。行こうとすると、「アドレスに”_”を使ってはいけません」と叱られてしまいます。
調べた結果、http://members.tripod.co.jp/アカウント名/で行けました。
同じ所で詰まってる人がいると思いますので、連絡まで
saniku-aikiさんへ
回答ありがとうございます。
> キリストが身代わりとなって死刑になってくださったので、信じる者は死刑を
> 受けなくてすむということです。
なるほどです。納得しました。
> 私は
> 進化をは虫類がほ乳類になるような{種}を超えた大進化と、オオカミが犬に
> なるような{種}を超えない小進化に分けた場合、大進化は否定しますが
> 小進化は認めています。
これには、ちょっとひっかかります。temaは、創造論にとって大切なのは「人類は神の御姿に似せて作られた特別の存在」という点であると思ってましたので…
・ 大進化はあるかも知れないが人類は別
・ 人類は進化の結果生まれたのでは無い
・ 今後、犬、猿、などがいくら進化しても人類になる事は無い
という考えではいけないのでしょうか?
この回答は過去ログに記載されていそうですね。いつ頃、記載されているか知っている方がいたら、教えてくださいませ。>皆様
> でも、神は真実な方であり、神の言葉は信頼できると、知識のうえからも
> 自分の経験からも胸を張って言えます。ですから、私にとっては一番信頼できるもの
> は科学ではなく、神なのです。
temaは子供の頃から本を読んだりした結果、
・ 現実世界の事象を納得できるような説明を導き出せる
・ 未来の予測ができ、誤差の範囲内で当てる事ができる
ということから現在主流の科学理論は妥当だろうと考えています。
妥当だろうとは考えてますが、信じているわけではありません。ただし、「科学の方法論が妥当である」ということについては、temaは信じていると言っても良いです。そして、科学の方法論に従えば聖書も、(6日で世界を創造された)神の存在も疑いの対象となってしまいます。
saniku-aikiさんは聖書を信じている方と思いますが、聖書を信じるに至った経験が何かあっての事と思います。temaが聖書を信じていないのは、saniku-aikiさんと同じ経験が無いからと考えています。
差し支えなければ、saniku-aikiさんが聖書を信じるに至った「経験」を教えていただけないでしょうか?
GOA様
。(44%、10%、40%と記しているページもありました。...アンケートの年度が違う?)
により、過去形として記した訳ですが、過去よりますます活発だそうです。
と報じています。つまり有神的進化論を信じる人の割合が少なからずあるということです。
創造科学を宣伝する連中は意図的にそうした人たちの存在をひたかくしにして、11%という数字だけを誇張して伝えているわけです。(こうしたズルはお手の物ですね)
有神的進化論についきましては、私が上げたものや、たんぽぽ様が創造論の世界で上げて下さったHP意外からのデータであるように受け取れてしまったもので。
つまりこういうアンケートによる結果もあるのだという事だと。
しかし、私自身の掲示が適切でなかった事は確かですね。
失礼しました。
たんぽぽ様
その様にコメントして頂けるのは有り難いです。
年号も記されたものが少ないと感じていましたから。
それから、不用意に批判すると・・
ですが、
本当にそうですよね。しかしだからこそ、
ここに投稿しよう。という指令が行動を起こさせるのですね。
緊張感もまた、脳が喜ぶのを感じますね。
To 無名さん
お返事ありがとうございます。
>何故かと申しますと、実際創造も進化も共に科学のみが領域ではないと
>感じておりますからね。
科学が人間の営みである以上、科学の領域だけで運営されるわけではないし、そこで得られた成果が農業や工業に還元されるべきだと思っています。また、科学の進歩に基づく新たな知見が、思想や哲学にも影響を及ぼすでしょう。
その中には、「社会ダーウィニズム」のように誤った使い方をされることがあり、「バカとハサミは使いよう」ではありませんが『道具』である科学の適正な使い方も含めて社会への浸透が必要かと思います。
そういう意味では、信仰というのは科学の暴走に対するブレーキとなるものだと思いますが、適正な歯止めをかけるのではなく根絶やしにしようとするのは困りものだと思っています。
無名さん
>はい。ですからこのような状態があった。と過去形に致しました。
すみませんが、過去形であることと現在形であることとの違いが私の発言についてどのような関係があるのでしょうか?教えていただけませんか。
>いずれにしても無視できない数字だと私は思っているのですが。
有神的進化論が進化のメカニズムを認めている以上、「進化論を信じているのは11%」という主張は誤りだと思うのですが、私の発言は間違っていますか?
「いずれにしても」などと論点をずらされても困ります。
>数字は明確なので、完全でいう偽りは後に残りませんからね。
おそらく打ち間違いだと思われますので改めて書き込んでいただけますか?
>UFOに関して取り上げられたのは私が火星の有人飛行について載せた事がきったけでしょう。
いいえ、その発言を受けてのものではありません。
宇宙人を信じている人の割合が高く、またアブダクションを体験したという告白を素直に信じると数百万人がその被害にあっているという計算になるとの指摘もあることから、単なる宇宙への憧れ以外に何か社会的な要因があるのではないかと考えての発言です。
(私のオリジナルな指摘ではありませんが)
>ですからこのような状態があった。と過去形に致しました。
(無名さま)
近年の合衆国では、宗教右派の活動が活発になってきて、
進化論などを理科教育からしめだそうとする動きが、
強まっているらしいです。
それで、「過去のそのような状態だった」というより、
最近になって、ますますおさかんになっているのではないかな、と...
『米で「進化論」に続いて「ビッグバン理論」も追放』 1999/12/31 朝日新聞
http://members.at.infoseek.co.jp/micah/inpu.htm
このサイト、創造論を信じているかたのページみたいです。
(「このニュースは明らかに進化論者からみたコメントだ。」
などと、コメントをつけている...)
でも、記事は新聞の丸写しのようなので、バイアスは、
だいじょうぶでしょう...
ということは、さっきの写真も、本物の、
進化論と創造論をめぐる討論のものではあるのかな...?
(不用意に批判するとおおやけどしかねない...けんのん、けんのん...)
上の新聞記事にある、合衆国の現状から考えて、
学会ではなく、政治的な会議なのでしょうけど...
GOAさま
>創造科学を宣伝する連中は意図的にそうした人たちの存在を
>ひたかくしにして、11%という数字だけを誇張して伝えているわけです。
>(こうしたズルはお手の物ですね)
なるほどねえ...
べつに、まちがいではないけど、扱いが偏っているという、
よくあるパターンですね。
(調べてくださって、どうもありがとうございます。
リンク先のコラムは、参考になりました。)
それにしても、有神的進化論の支持者が多いのは、
そんなものかな、と納得できるんだけど...
創造論支持が47%というのは、そんなにいるのか意外に多いな、
の感が、やはりありますね...
ほかのキリスト教国もそうなのかな、と思って調べたけど、
残念ながら調査は、見当たらなかった...
(って、日本語で読めるのしか探してないけど...)
でも、合衆国は、先進国の中では、
宗教心の強い国だというのは、たしからしいです。
(おとなりのカナダと比べても。)
http://www.getglobal.com/war/iraqwar5.html
|(ブッシュに限らず)大統領が機あるごとに
|「God Bless America!(アメリカに神の恵みを!)」と国民に
|呼びかけるのを見て、「この国は政教分離ではなかったのか?!」とたまげる。
|ヨーロッパ人も驚くように、これは先進国の中では非常に珍しい現象のようだ。
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-59.htm
|(「神の存在を信じますか?」というギャラップの世論質問に、
|アメリカでは95%もの人がYesと答えたのに、
|英国では35%の人しかYesと答えなかった)。
|アメリカでは、現代の手法で世論調査が行われるようになって以来、
|一貫して、「あなたは先週、教会の礼拝に参列したか?」という質問に対して、
|「Yes」と答えた人の割合が60%を下回ったことは一度もない。
下記については失礼致しました。
GOA様ですね。
それからUFOを信じることと現実逃避が直結しているかは分かりませんが、
不満を感じやすいという面では日本人の方が優れているでしょうね。
恐らく遺伝的なことで。
UFOに関して取り上げられたのは私が火星の有人飛行について載せた事が
きったけでしょう。
最近は宇宙生物学という言葉も聞きますしね。皆様も宇宙に関して興味が
御有りかと感じ、楽しみを共有しようと思った限りです。
UFOにつきまして、サイエンスディスカッションhttp://sc-smn.jst.go.jp/でUFOを
検索致しますと、中には動画も含め無料で観られるものが有りますので、興味がある方はどうぞ。
http://sc-smn.jst.go.jp/
PDX 様
いつも素晴らしいお言葉を残していらっしゃいますね。
ところで*政治的活動の結果であって、学問的な研究の結果ではないとしか思えません。
それは当然前者のものであるからでしょう。
以前載せたBBS自体が研究者のみのものではないので、それに相当するものをお伝えしました。
何故かと申しますと、実際創造も進化も共に科学のみが領域ではないと感じておりますからね。
貴方様もそう思っていらっしゃるかも分かりませんが、
可能な限りは実証的なもので追求して行きたいという姿勢は重要で、とても素晴らしい事だと思います。
GOX様
はい。ですからこのような状態があった。と過去形に致しました。
11%という数字が拡張されているという事ですが、
その数字のみしか載せられていないことによってですね。
いずれにしても無視できない数字だと私は思っているのですが。
なぜなら、ズルというものでも、数字は明確なので、
完全でいう偽りは後に残りませんからね。
「進化・創造論をめぐって」というコラム(http://www.kanazawa-med.ac.jp/~hum-sci/sunadori149-TH.htm)ではギャラップの調査に言及して、
1.神がこの1万年のある時点で今の姿によく似たヒトを造った...47%
2.ヒトは何百万年もかけて未発達な生命形態から発達してきたが、神はその過程でいかなる役割も果していない...11%
3.ヒトは何百万年もかけて未発達な生命形態から発達してきたが、神は人間の創造をはじめその過程を導いてきた...35%
4.わからない...7%
と述べています。(44%、10%、40%と記しているページもありました。...アンケートの年度が違う?)
世界キリスト教情報 2000/03/20号(http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/SKJ.nsf/0/62b2bf5278fa9332492568ab00499894?OpenDocument)では、
◎「公立学校では進化論も天地創造説も」=両者矛盾せず…米国人の教育意識=
というタイトルで、
【CJC=東京】米公民権団体の委託で世論調査を行ったDYG社が三月十日発表したところでは、アメリカ人の六三%は、生物の進化論と天地創造論を、ともに公立学校で教えるべきだと考えている。
「進化論だけ教えるべきだ」と答えた人二〇%、「創造論だけ教えるべきだ」は一六%だった。双方教えるべきとした人の多くは、進化論を「科学の理論」として、創造論は「信仰」として教えるべきだと答えている。「生物を進化させたのは神だと信じているのだろう」と調査担当者は見ている。
と報じています。つまり有神的進化論を信じる人の割合が少なからずあるということです。
創造科学を宣伝する連中は意図的にそうした人たちの存在をひたかくしにして、11%という数字だけを誇張して伝えているわけです。(こうしたズルはお手の物ですね)
アメリカ人ってUFOを信じている割合も高いと聞きますが、何か現実の世界に不満でもあるのでしょうか?
無名さま
ご紹介のサイトですけど、トップページはこれですよ。
(なんのことはない、ここのトップからリンクがある...)
http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/index.htm
でもって、それは、「1. はじめに」のところですね...
http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/kagaku.htm
科学者や識者のあいだで、創造論者が増えてきたとか、
世論調査の結果とか、なんとも、まゆつばだな...
テレビでやってたとかいう会議の写真も、
じつは、まったく関係ない、べつのものだったりして...
ちなみに、このサイトは、この本の内容を要約したもののようです。
(「著者の許可を得てその一部をご紹介」とあるから、
サイト作者は、著者とはべつの人なのかな...?)
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/souhon.htm
議論はあった。パネルディスカッションの公開放送もあった。
しかし、生物学の学会での発表とかはあったのでしょうか?
査読のある学会誌への論文の掲載は?
リンク先の記事で紹介されているのは政治的活動の結果であって、学問的な研究の
結果ではないとしか思えません。
http://www.ne.jp/asahi/seven/angels/kagaku.htm
創造説について多く議論されたことに関しては、
このような状態があったことからも伺えます。
To おせっかいさん
以前お話を伺ったとある信仰者の方は「宇宙が古く見える数々の証拠は、これだけの証拠を前にして、科学と信仰が矛盾してもなお人が信仰を選ぶかという神の試しなのだ」なんて言っていましたけどね。
その人はゴスの主張を受け入れるかもしれません。
PDXさんへ
まぁ、あれこれ考えることの出来る大脳を人間に与えて下さったのは神様ですから…
いろいろな人生の楽しみも神様から来ていると考えて良いと思います。
私の場合はそう信じているのです。(^^)
:けんちんじるさん
>信教は公共の福祉に反しない限り自由だと思いますし
信教の自由は精神的自由に属しますので、絶対に自由です。
あと念のため、信教の自由は、特定の(あるいはすべての)宗教に興味を持たない自由や、
特定の(あるいはすべての)宗教を否定する自由を含みます。
#別にけんちんじるさんに反論してるわけではないのだが、
#ときに「宗教を否定するとは信教の自由を蔑ろにしている」
#と言い出す馬鹿がいるもので。
saniku-aiki さんの物言いは、がんばって創造科学を科学っぽく
見せようとしている人たちに対するネガティブキャンペーンにす
らなってるかも。
saniku-aikiさんのおっしゃってる内容って要約すると「創造科学
はこれっぽっちも科学の体裁を取っていませーん」としか読めません。
saniku-aiki様
何人もの方がレスされており、そこで既に私の言いたい事もかなり言い尽くされているようです。できる
だけ重複しないように答えたいと思います。
科学的な事実に関するsaniku-aikiさんの主張は突っ込みどころが多すぎて、悲惨な情況を呈していま
すが、光速度については仰る事にも正しい部分が有ります。
>洪水前後に激変はないという仮定に基づいていませんか。
→そうです。斉一姓の原理を根拠無く適用しています。
>現在の観測結果によって、神が最初に星を造ったときと今とは光の速さが異なることを否定できるものなのか
→はい、否定できません。
しかしながら私は、
>もちろん光速度一定はしつこいくらい何度も何度も確かめられ、証明されています。
と書いたように、あくまで今まで観測された範囲内での事しか言及していません。どんな状況でも光速度が
一定でなければいけない「ドグマ」が有るわけではありません。事実はあくまで限定された条件下のものでし
かない、というのは正しい科学的な物の見方だと思います。
科学者は、今までの知見に反する事実が観測されれば喜んで認識を改めるでしょう(もちろん慎重な検
証の上で)。科学は信仰ではありませんから。
saniku-aikiさんが仰られたような事を「仮定する」事は可能です、非科学的ではありません。但し、それら
の仮定はあまりにもアドホック(その場しのぎ)で、より一層多くの知見との不整合が指摘されてしまうので、
結果としてはあっけなく否定されてしまいますが。(A_Shiftさんの投稿参照)
ですから、
>科学の歴史には過ちがたくさんあり、今正しいとされていることが100年後には間違いとなるもしれません。
逆に、これこそが科学的な手法に信頼が置ける根拠です、反証可能性が有るという事ですから。そこを
saniku-aikiさんは正反対に勘違いしています。我々は「信じる」などという態度は心底軽蔑します。徹底的
に疑って、疑って、疑い抜いた後に残るわずかな真実にしか興味がありません。それもいつかは覆るかもし
れないという可能性を心待ちにしながら。
所詮誤りを犯す一個人に過ぎないsaniku-aikiさんがいくら頑張って、「神は真実な方であり、神の言葉は
信頼できると、知識のうえからも自分の経験からも胸を張って言えます。」と言ったところで、それは客観的な
真実には成り得ません。それを疑う立場からの検証が不可能だからです。その信仰を否定はしませんが、
私には興味の無い事であります。おそらく大多数の人にとっても。
もう何度も他の方からも指摘されている事ですが、saniku-aikiさんの「事実」は科学で使われている用語と
は全く違う意味で使われていますので、議論は噛み合いません。我々は宗教的な意味での「事実」を議論
しているわけではないのです。
saniku-aiki殿の投稿を、つらつら読み返していると
ふと、昔ビートたけしが言ってたギャグ
健康になるんだったら、死んだっていい
っていうのを思い出したのう・・・
なんとなくなんじゃけどな。
To おせっかいさん
そして、天文学や生物学について考える能力や、地球が古い証拠を多数用意してくれたのも神様なんでしょうかね?
と、話題はゴスの『オムファロス』的な内容になっていくのでありました。
(彼の著書は荒唐無稽であるがゆえに科学者からも信仰者からも相手にされなかったけど、論理的に矛盾がなかったのは確か)
>と言う事はアダムは何万年も生きたのですか?(゚.゚)
>また創造の第3日は植物しか造られませんでしたが植物しかない世界が何万年も続いたのですか?
アダムとイブが罪を犯すまでは死が存在しないのだから、そのときの1日が現代の何万年に相当し、アダムが何万年も生きたとしても良いのでは?(そうした信仰を否定できるのか?)
つまらん書き込みをする割にはツッコミには答えないよな...あんた。
>3.創造当時の地球の自転は遅く、1日が何万年も続いた。
と言う事はアダムは何万年も生きたのですか?(゚.゚)
また創造の第3日は植物しか造られませんでしたが植物しかない世界が何万年も続いたのですか?
人間にパソコンを作ったり使ったりする能力を与えて下さったのは神様です。
また、パソコンの原材料(プラスチック、金属など)を備えてくださったのも他ならぬ神様です。
日々必要な物を充分に与えてくださる神様に大いに感謝いたしましょう。
信仰と科学が矛盾する場合、どこでバランスをとるかの価値基準は人それぞれですからねぇ。
「私はこう考えている」と主張するのは誰にも止められませんし。
両者が矛盾したときに、無理矢理に整合性をとろうとするとおかしなことになるわけで。
saniku-aikiさんは既に、どちらを選ぶかと言えば信仰を取る、と宣言されているのですから、聖書の記述と科学を擦り合わせしなくてもいいように思えるのですが。
それとも、「科学」というラベルが必要な何かがあるのでしょうか?
他の誰かを説得するときに、聖書と科学は矛盾していないんですよ、と言うためとか。
(新興宗教が金儲けのために変なものを売りつけるときに、科学というレッテルを利用したがることはよくあることですし)
まぁ科学を全否定してしまうと、それを礎にした技術全般を否定することに繋がるわけで、PCとかカーナビとかいった技術の産物の恩恵にあずかれなくなるから、科学を否定はしきれないのかもしれませんけど。
saniku-aikiさんがここの掲示板に書き込むためにお使いのPCの設計に、聖書は役立っていないと思います。しかしPCの動作のためには量子力学は欠かせない。聖書と量子力学が矛盾したときsaniku-aikiさんはどうするんでしょう?
>ただ、考えてほしいのは聖書に寄れば天地創造の4日目に太陽、月、星が造られて
>います。その二日後の6日目に創造されたアダムは星を見ているはずです。
いろいろ合理的な解釈をしてみましょう。
1.神は星を作っただけでアダムは星は見ていない(創世記に星を見る記述はないよね?)。
2.完全な人間であるアダムは我々と違って超光速粒子タキオンを見る能力があった。
3.創造当時の地球の自転は遅く、1日が何万年も続いた。
4.光が届くまでの間、神は地球の夜側の上空に星空の書き割りを置いておいた。
>建設的な議論は永久にできひんのとちゃうやろかー
>と思って余計なことをかいてしまいました。
あなたの言う“建設的な議論”ってなんですか?
科学的創造論を信じる人の中にはそれを破棄することは信仰を捨てるということで絶対に容認できないと考えているようです。そのような状況では永久に決着などつきませんし、つけなければならない必要もないと考えます。
疑似科学が社会に蔓延することの危うさを考えれば、大きな影響を与えている疑似科学(たまたまこのHPではそれが科学的創造論)について検証し、読者が疑似科学に対して耐性を身に着けることができるように努めることは意義のあることであり、“建設的”な議論より重要ではないでしょうか?
もっとも疑似科学批判のサイトにやってきて
このBBS、進化論的な議論がほとんどないのにびっくり(がっかり?)
なんて頓珍漢なことを言っているいるけんちんじるさんですから、私が言っていることが理解できるのかちょっと不安です。
>光速が不変なら不変でも構いませんがそれならば、どうやって2日以内に光が到達したのか科学的に説明していただけないでしょうか。
まあ、本気なんだろうけど、自分だけしか認めていない前提をどうして押しつけるの?
聖書の記載を事実と認めていない人に説明を求めることじゃないでしょ。
>結局自分の信仰が再び揺るがなくなったのは創造科学で得た知識ではなく、聖書の言葉でした。
揺らいでいなければここでいつまでも書き込んでいないでしょう。
自分で揺らいでいないと思いたいだけじゃないんですか。
ご返事ありがとうございます。
ほんとただの通りすがりなんで掲示板全体はみてないんですが
創造論が間違っているだとかいうつもりは毛頭ございません。
ただ進化に関してなんぞ楽しげなネタ(修論のテーマ探し)でもねーかなー、
とウロウロしている間に
聖書にこう書いてあることを信じています、いやそれは科学的におかしい
という感じの議論がえんえんと繰り返されているようなので
平行線って概念をひしひしと感じて
建設的な議論は永久にできひんのとちゃうやろかー
と思って余計なことをかいてしまいました。
個人的には進化だとか創発だとかガラガラ変わりながらロバストネスを保つ系の中で
新しいものが生まれてくるってゆうことがすっげーおもしれーと思って研究してます。
なんか面白いネタがあったら教えてくださいませ。
はじめまして、saniku-aikiさん。
Yahoo時代よりご意見拝見しておりました。
貴方の信念に口を挟むつもりはありませんが、
科学、特に物理分野となると、申し上げておきたいこと、多々ございますので。
> 何万光年かなたの星の光が2日以内に届くのなら
> 光の早さは今観測されている速さの何万倍にもなるはず、と私は思ったのですが
> そういう仮定を考えることは非科学的ですか。
非科学的というより、むしろ非論理的でしょう。
何万光年って値が、光速度が現在の値で一定だという条件下で算出されたことは
解かりますよね。その値を使って光速度が変化しているって・・
> また、現在の観測結果によって、神が最初に星を造ったときと今とは光
> の速さが異なることを否定できるものなのか、教えてください。
否定は、おそらくできないでしょう。
へそ理論に似たような感じで、実は光の速度は無限大なんだけど、
太陽系に入るくらいで秒速30万kmになって、
スペクトルも強度も今の科学にあわせるように調整されてるんだ。
ついでにパイオニアなり、ボイジャーが行くに従って範囲を拡大しているんだ。
といわれても、反論できませんしね。
人は全知全能じゃありませんから。
測定範囲内で、実験できる範囲内で一番尤もらしい理論を組み上げるだけです。
もちろん理論に反する観測、実験結果があれば、理論は修正されていきますよ。
> あまりよく知らないのですが、放射性原子の半減期は、放出される粒子のエネ
> ルギーに関係しているそうです。そして、E=MC^2ですから、エネルギーは
> 光速と関係があるので、光速と年代測定は関係しているという意味です。
RYU_TI_SYUさんのレスで反論完了ですね。
光速度一定の前提で作られた相対論の帰結、E=mc2 を光速が変化している場合に使わないでください。
#創造科学が物理法則をどう扱うかは存じませんが、saniku-aikiさんの投稿通りの
#論理展開だとすれば、自説に都合の良い所のみ持ってきていませんか?
#理論の前提、必要条件を無視して、都合のいい式だけ抜き出すようにして。
あと余談です。
実は、半減期と光速度を関連付けた式あるんだよね。
まあ、原子核、素粒子分野の式は、相対論は前提だから、光速度cが入ってない式なんて、
無いだろうな。
式を機械的に扱って、光速度の他の定数がまったく変わらないとしたら、
光速度が大体25倍位だったら、地球のできた年代が1万年前になるかな。
その場合E=mc2から太陽の出すエネルギーが600倍になるから、地球は丸焼け?
いや重力の縮退圧に勝ってスーパーノヴァになるかな。
数万倍だと・・・
まさかそれがハイパーノヴァ(*)のしょうたい?
(*)ハイパーノヴァ(極超新星・・超新星より1−2桁上のエネルギーを放出する天体)
失礼ながらsaniku-aikiさんの聖書理解には?
キリストの死云々は、即ち贖いの事で、蛇に騙される以前のアダムは完全な命を持っていたとされ、これが神に背いた事により死ななければならなくなったと聖書にあります。つまりこの時点で不完全になったと言う事で、当然アダム以後の子孫は皆不完全を受け継ぐ事となったのです。では完全な命を請け戻すにはモーセの律法にある「目には目を」同様、同等の対価「完全な命には完全な命」が必要となり、人間の誰一人として出来ない役割を神の愛によって地上に派遣されたイエスが代行されたのです。身代わり云々ではちょっと話が違うような気がしますが?私も創造論を信仰する者ですが、繰り返しますが、saniku-aikiさんは今一度、聖書を勉強されては如何でしょうか?贖いに関する事柄は神の愛の最も中枢ですぞよ。
>saniku-aikiさん
>第一の死は、全ての生物が経験するもので
じゃ、アダム以前に化石があっても別にかまわないんじゃないですか?(^^)
>科学を否定しようというのではなく、科学と聖書が矛盾するように見えるときは
聖書の言っていることを受け入れるということです
じゃ、NATOROMさんが言われるように
蛇は塵を食べると思われるのでしょうか
私は昔飼っていた蛇にカエルや鼠を餌にして与えてましたが
これは聖書に反する行動なのでしょうか(ToT)
>何となくわかると思うのですが、分類項目上では、「科」あるいは「属」に当てはまる大きな意味での種類という意味の{種}です。
つまり同じ「科」に属するヒトとチンパンジーは聖書で言うところの同じ「種」に当てはまるということだな?
(蛇がしゃべったんだから、アダムとイブがチンパンジーではなかったと考えるのは「人間の言葉」でしかないはず)
>キリストが身代わりとなって死刑になってくださったので、信じる者は死刑を
>受けなくてすむということです。
この前確かに、キリストを信じない人も助けるって言ってたのにぃ...(T_T)
>その観点から言えば、キリストは信者でない方の方を信者よりも
>愛していると言えます。
■火星への有人飛行は実現するか ■
< http://www.hotwired.co.jp/news/news/20030829306.html >
6万年ぶりに地球に大接近している火星には、調査のためにいく
つかの無人探査機が向かっているが、有人ミッションはいまだに
実現していない。それでも、起業家として大成功を収めたイーロ
ン・マスク氏が宇宙飛行コストを削減するための会社を興すなど、
熱心な有人探査支持派は夢の実現に向けて動いている。早ければ
2015年には、人類が火星に降り立つかもしれない。
[Technology]
> あまりよく知らないのですが、放射性原子の半減期は、放出される粒子のエネ
ルギーに関係しているそうです。そして、E=MC^2ですから、エネルギーは
光速と関係があるので、光速と年代測定は関係しているという意味です。
そのcは不変定数であることを前提にしているんじゃなかったろうか?
diamonds8888x さんへ
>>たとえば、光速は不変という仮定の下に放射性年代を測定しているはずですが、
>この2つは直接の関係はないはずですが、間接的だと、どうなるのかな
あまりよく知らないのですが、放射性原子の半減期は、放出される粒子のエネ
ルギーに関係しているそうです。そして、E=MC^2ですから、エネルギーは
光速と関係があるので、光速と年代測定は関係しているという意味です。
tema さんへ
>動物も植物も死に続けています。これではキリストの死が無駄になってしまうのではないでしょうか?
ごもっともです。他の人への返事で書いたのですが、死を2つに分けて考えています。
第一の死は、全ての生物が経験するもので、第2の死は神の裁きの結果としての死、
つまり死刑です。キリストの死は、この「第2の死」である死刑による死です。
キリストが身代わりとなって死刑になってくださったので、信じる者は死刑を
受けなくてすむということです。
>アダムがリンゴを食べた後、今現在は進化が存在するという考えは受け入れられ
る考えなのでしょうか
「進化」という言葉の定義によって答えは変わると思うのですが、私は
進化をは虫類がほ乳類になるような{種}を超えた大進化と、オオカミが犬に
なるような{種}を超えない小進化に分けた場合、大進化は否定しますが
小進化は認めています。{種}と書いたのは、分類項目上の「種」ではありま
せん。何となくわかると思うのですが、分類項目上では、「科」あるいは「属」
に当てはまる大きな意味での種類という意味の{種}です。
Kosuke さんへ
>もちろん光速度一定はしつこいくらい何度も何度も確かめられ、証明されています。
>神が光の速度を変えた証拠をぜひお示し下さい。
証明されているといっても、私に言わせれば、それはノアの洪水後の話しでしょう。
洪水前後に激変はないという仮定に基づいていませんか。もちろん私は光速が
変わったというはっきりした証拠があって今言っているわけではありません。
ただ、考えてほしいのは聖書に寄れば天地創造の4日目に太陽、月、星が造られて
います。その二日後の6日目に創造されたアダムは星を見ているはずです。
何万光年かなたの星の光が2日以内に届くのなら
光の早さは今観測されている速さの何万倍にもなるはず、と私は思ったのですが
そういう仮定を考えることは非科学的ですか。光速が不変なら不変でも構いませんが
それならば、どうやって2日以内に光が到達したのか科学的に説明していただけ
ないでしょうか。また、現在の観測結果によって、神が最初に星を造ったときと今とは光
の速さが異なることを否定できるものなのか、教えてください。
>確かなものと信じて心の拠り所にしてきた教義が、揺らいでしまうかもしれない
という恐怖ですね。そのためには事実に目をつぶる事もしょうがないという気持ち
になる事も良く解ります。
確かに私はかつて進化論の前に自分の信仰が揺らいだときがありました。信じたい
けど進化論をどう考えればいいのだろうと悩んだときがありました。そんなときに
知ったのが創造科学でした。でも、結局自分の信仰が再び揺るがなくなったのは
創造科学で得た知識ではなく、聖書の言葉でした。自分は何を信じているのか
何を頼っているのか、誰の言葉を信じるのか、誰の言葉が一番信頼できるか
そうしたことを考えていってたどり着いたのは、神様が一番と言うことでした。
どなたかも書いていらっしゃいましたが、科学の歴史には過ちがたくさんあり、
今正しいとされていることが100年後には間違いとなるもしれません。そんな
例は過去いくつもありました。人間の言葉は結局頼りにはなりません。
でも、神は真実な方であり、神の言葉は信頼できると、知識のうえからも
自分の経験からも胸を張って言えます。ですから、私にとっては一番信頼できるもの
は科学ではなく、神なのです。神は創造主であり、全能者です。どんなに科学者が
否定しようと、それは理論的にいって、全能者の前では無意味です。
科学を否定しようというのではなく、科学と聖書が矛盾するように見えるときは
聖書の言っていることを受け入れるということです。信仰というのは、そういう
ものだと思います。創造論者に「あなたの信仰は認める」とおっしゃるのなら、
その信仰の故に、聖書が科学よりも優先することも認められていいはずです。
信仰というのは、単なる妄想ではなく、事実に基づくものです。キリストの
復活は事実であるというのが、キリスト教信仰の基本ですが、それと同様に
6日間による創造も事実であると考えるのも信仰の基本だと私は考えています。
創造が事実である以上、進化は事実ではありえません。信仰を認めるということは
創造論者は創造を事実であると考えても良いということを意味します。
事実がどのように起きたのか研究することは科学ではないのでしょうか。進化論は
進化という事実がどのようにして起きたのかを研究しているのではないのでしょうか。
創造科学の立場もそれと同じで、創造を事実として研究しているのです。
>科学としての進化論が宗教としての創造論を科学的に否定する意味もないと思うし
>宗教としての創造論が科学としての進化論を観念的に批判するのもおかしいし
わかって書かれてるのかも知れませんがこのサイトで主に批判の
対象とされているのは、
>ダーウィンの進化論、聖書による創造科学(科学的創造論)について
創造論に科学的装いをこらした「創造科学(科学的創造論)」であり、
少なくとも管理人のNATROMさんは創造論そのものは批判の対象としな
いように気をつかってらっしゃいます。
書き込みをされる方々のスタンスは様々でしょうが、ほとんどの方は
やはり同様の気の使い方をしているように見受けられます。私も、な
るべくそうしたスタンスを取るようにしているつもりです。
このBBS、進化論的な議論がほとんどないのにびっくり(がっかり?)
信教は公共の福祉に反しない限り自由だと思いますし
考え方の少し古い(それが一番ダサいかもしれないけど)人間なので
世の中いろんな人がいるからおもろいと思ってます。
ま疑似科学バッシングはプレゼンの師匠譲りで好きですけどね。
聖書にかかれていることが正しいって事とキリスト教的な考え方のよさ(?)
とは無関係だと思いますがいかに?
日々の生活に還元されてこその宗教だと思ってますが
人を悪魔呼ばわりしたり、
自分と考えの違う人たちに過敏に攻撃的になる(一部のアメリカ人のように)
のは精神の健康状態よくないんじゃない!?って思いました。
科学としての進化論が宗教としての創造論を科学的に否定する意味もないと思うし
宗教としての創造論が科学としての進化論を観念的に批判するのもおかしいし
それらの議論は(誰かがかかれていますがレアルとヤンキースのように)
野球の試合見てて「ハンドだ!」ってアピールするぐらい不毛じゃないかなあ。
好き放題書いてどうもすいません。
>宗教を押しつける気はありませんが
異教徒には受け入れられるはずもないことを前提とした(聖書を根拠とした)主張をすることは立派な押しつけだと思います。
>世界ではほとんどの人が何らかの宗教を持っていて、宗教を持つのがむしろ普通だと考えています
そのことを否定している人はここにはいないと思います。
様々な宗教を信じている人がいるからこそ、自分たちの宗教だけが正しいという主張は軋轢を生みます。
実際、宗教がらみの殺人、無差別テロ、戦争が起きていますよね。
saniku-aiki さんご自身はそのことについてどのようにお考えですか。
■進化論教育をめぐってテキサス州の科学者や宗教家らが大激論■
< http://www.hotwired.co.jp/news/news/20030916205.html >
米国最高裁は、政教分離に違反するという理由から、全能の創造
主が万物を創造したとする「創造説」を公立学校で教えることを
禁じている。一方、進化論の根拠は薄弱であり、進化には「イン
テリジェント・デザイン」があったという説を広めようとする団
体も積極的な活動を続けている。とくに大きな教科書市場である
テキサス州では激論が行なわれている。
[Culture]
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