なぜ善いことができないのか
善いことをしたくても悪いことばかりして
しまう。これはなにもあなただけの嘆きでは
ありません。人間がみな等しく持っている人
の世の「重荷」というものです。
魂の中には善なるものが宿っていません。
なぜなら善をしようとする意志は自分にある
のだがそれをする力がない――私の欲してい
る善はしないで、欲していない悪がこれを行
なっている、もし欲しない事をしているとす
ればそれをしているのは「何なの」だろう。
そこで善をしようと欲している私に悪が入
り込んでいるという法則をみます。私は心で
は善を喜んでいますが、私の肢体には別の法
則があって私の心の法則に戦いをいどんでい
るのです。そして肉の法則によって私をとり
こにしているのです。
それほど肉の法則は強いものであり怖いも
のです。この法則から解き放たれたくはあり
ませんか? それは簡単です。神の言・新約
聖書です。答えはその中にあります。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~subrow/
1=1
1+1=1
説は
中心小体=生命
生命+生命+・・・・=生命
を言いたいのではないかな・・ふむふむ
GOA教(仮称)は正しい。
創造論では説明できないこともGOA教では説明できるではないか。
そもそもノアの洪水など起こるわけがない。
具体的なことが聞きたければ、このページに質問を書き越してね。
どれだけ説明できても正しいとは言えないんです。「ものは言いよう」ですから。どれだけ多くの証拠を提示できるかが大切なんです。
とりあえず「ノアの洪水」に関する検証可能な証拠にはどのようなものがありますか?
創造論は正しい。
進化論では説明できない事も創造論では説明できるではないか。
そもそも進化など起こるわけがない。
具体的なことが聞きたければ、このページに質問を書き越してね。
>クハ72さん
>> キリスト教信者はどう感じているんでしょう、聞いてみたい。
>個人的には聖書の権威を損ねるものだと思います。オカルトと変わらん。
そうですよねぇ。
オカルトと変わらないというより、聖書をオカルトの道具にしていると言うべきかも。
>ハレルヤさん
>人の世界では数字は、こんなにも不ぞろい、美がない、汚いのに。
不ぞろい、美がない、汚いというのは、あなたの心の投影でしょう。
神様という他者をもってこないと美を感じられないというのは不幸ですね。
>クハ72さんとNATROMさん
まず、謝っておかないといけないのは、原文の意図が「覆すことができる」ではなくて「覆すことができるか?」という疑問文だったということです。ごめん。
さて、ヨナにニネベ行きを命じられた時、神さまの心の中には、もしニネベに関して、主の心にかなう反応があれば、(この場合、町全体の悔い改めが本当にあれば)、裁きを取り消し得る。という目算がありましたが、その結果については、ヨナは、知らなかった。いや、ある意味では知っていた。ので、行くのがいやだった。行って、自分が滅びを宣言しても、もしニネベがその自由意思を正しく行使して悔い改めれば、憐れみ深い神は、その宣言を取り消すだろうとわかっていた。すると、自分は結果的に嘘言ったことになる。うそつきにはされたくない。でも、ああいう格好で行った。そして、やっぱり心配したとおりに宣教は成功し、悔い改めがなされ、自分の語ったさばきは実行されなかったのでふてくされた。
さて、久保氏は、預言の知識はあっても、その実行に関してはトーシローであった(新出単語です)。彼は、もしこんなこと言って、はずれたら、自分の信用が台無しだと、憂慮した。だから、人には言いたくないな…、と。このあたり、動機はヨナよりも未熟だが、反応はヨナと似ています。だが、聖書の暗号を信じる彼としては、黙っていていいわけない。んだ、へばどっするべ。地震の実現に賭けた。その時、聖書の暗号が外れるかもしれないという一縷の疑いはあっても、ヨナに起こったことを考える余地はなかったし、神の災いの予言に関する法則も眼中になかった。すなわち、災いの予言に関しては、もし、地上に神の心を行って神の心を満足させる行動が見られるならば、神は、その人間の意思を尊重して、その計画を変更することがある、ということを考えなかった。(私も、まさか地震に関しては、考えられなかったです。)ところが、ペンテコスタルの連中は、それをやった。つまり、祈った。偉いもんだ。ねえ、豊島さん。(豊島さんがじゃないよ。)地震に関する祈りの途中で、祈る彼らに降りかかったおっかない出来事(霊的迫害)は、その奥にある、一部の人しか知らない目に見えない世界のおっかなさを実証するにふさわしいもので、その話を聞いたら、やっぱり、地震がなかったのは、祈りの結果だと思う。
ところが、久保氏は、(久保もぼろかすだね)地震が起こらなかったことで、偽預言者というレッテルを貼られることを余儀なくされた。
「予測を覆すことができるか?」という一文は、実は、解読者に向けられたメッセージだったんだなぁ(詠嘆)。しかし、彼は、それを読む力がなかった。もし、「覆すことができる(断定)」だったら、こりゃ神の予知とはいえ、久保には読めないように、目がふさがれていただろうと思います。(神さまは、人の目を塞いだり、開いたりって、よくする。)そうじゃないと、安心した神の民は祈らないもん。「〇〇大学合格間違いなし」となにかで言われたら、安心して勉強しないでしょ。それで合格しない人もいるでしょ。
だけど、疑問文だもんねぇ。それ、言ってなかったので、無用な議論を呼んでしまい、申し訳ありません。これ、挑戦状ですよ。神さまの。久保先生、読めてても、問題なかったんだ。むしろ励ましのメッセージになる可能性が高かった。
しかし、別の面から言えば、(また、論議を呼ぼうとする発言)神さまは、地震の予告に答えて、人々が祈るのも知っていた。
これは、「予知と予定」という、また別の教理の話になるんですが、私はこの教理が全然得意じゃないし、なきゃいいと思うんですが、聖書にあるし、こういう、聖書の暗号みたいな気の利いたような利かないようなことが起こってくると、やっぱり、あの教理があるからなぁ…。だからなんなのよ。ありがたいんだか、いやなんだか分からないんですよね。それこそ、予知も予定も、人間の目には、塞がれている。人間の自由意思と、神の絶対的決定権との範疇に関して、厳密には、何にも分からないんだ。ゲンミツには。(神学者が聞いたらまた別のこというかな…。みんな、予知と予定をありがたいと思っているのかな? 単なる神の示威行動のようでもある。自分の理解不足なのかな? ごめんね、イエスさま。こんなところで言っちゃって。あなたに感謝してます。)
>T8848さんとNATROMさん
オカルトのはなしですか?
きらいだ。最悪大嫌い。科学にも本物とにせものがあると主張されるように、予言にも、本物と似たようなまがいものがあり、まがいものは、なかなかトーシローさんには見抜けないということです。でも、これも、微妙なところがありまして。面倒ですが、聖書の神の信者でなくても、動機が純粋で、神さまの側に都合のあるときに限ってのみ、本当の予言になっちゃうんですよ。これが、神の異邦人に対する本当の憐れみですが、そういうと、ここに来ているクリスチャンの方々は怒るだろうなあ。そういう責任は、イエス様にとってもらうことにしています。もちろん、御名の内にあるということは、それだけで特別な祝福です。
私だって、言いたくないよ。違う宗教信じている人が、本当の預言をもらえるなんて。おもしろくない。でもねー、あの、ロバにしゃべられた、誰だっけ、あの人は、ヘブライ人じゃないんだよ。でも、ヘブライ民族を祝福しないと駄目って、ヘブライ民族の神にロバまで使って怒られてるんだよ。で、ちゃんとした預言をもらって、祝福したでしょ。そんなことしなくったって、イスラエル民族の中からちゃんとした預言者をおこせばいいじゃない?
つまり、異邦人で、主の御名を知る機会のない人でも、天地創造の神といいうる実体に関して、真実な信仰を求める人に関しては、御名と聖書の知識の有無に関わらず、結構いいこといろいろある、祝福もそれなりにあると、私は思います。ただ雨が降るだけ(マタイ5章45)じゃなくて、もっとね。(あとで聖書読んでね。ちゃんと原文に当たってくださいね。)
だからね、「真理を愛しなさいね」って言うのよ。進化論しか信じないって言っててもとりあえずいいから。本当に真理である方が誰か、わたしたちは、それをYHWHという名の方だと思っている。だけど、名前だけ知ってても、実体を愛した行動がなければ駄目って聖書にあるでしょ(マタイ7章21〜)。ハートが大事。
もし、真理を愛していて、愛の実行に心がけて、心清く歩んでいても、「まわりのクリスチャンに躓いて、クリスチャンになろうとだけは考えられなかった。」という人がいたとして、その人に神さまが、意地悪すると思う? 御名を信じなかったというその理由一つだけで、そういう人を地獄にやると思う? あなたに、親友だという名を語ってそばにやって来て意地悪するイケズな友だちと、遠くにいてしらんフリしているようでも、何かある時には、きちんと自分の意見に賛成してくれる人と、どっち好き? あなたが、神にとって後者のような人であれば、神さまちゃんと見ているよ。愛してます。とても大事。(だけど、ハートが意地悪でも同じ祝福を欲しいというのは駄目。)
そういう人には、後でいいことあるのよ。それなりにね。そこで、久保神学が出てくるんだけど、長くなると、一回じゃ入らなくなるんですよね。で、また、久保進学を紹介できてもいいけど、本を買ってね。あの人も、一応出版で食べてる人なので、あまりここで言ったら、本が売れないし。
これは、信者の方からクレームありますでしょ? 特権階級意識あると、面白くないでしょ?
生命はどのようにして誕生したか?わかんないんですよ。フフフ・・・!!
ちょっと古いですが勁草書房の「進化論を拒む人々」という本はバランスのいい本だと思います。
ここに創造科学者の(ちょっとまえの)現在の状況が出てきます。
>だからわざわざ「科学」だと主張しているのはわかるのですが、そうすると「世界はおよそ六千年前に六日間で創造された」と
いうのはどのような根拠に基づいて主張されるのでしょうか。
ノアの洪水はともかく「上の水」も持ち出す根拠が思いつきません。
本当は聖書なんでしょうけど、それを出さない。そのかわりに何をもってくるのか私にはわかりませんが、データがそう支持するとかなんとかでしょうか?いい質問ですね。創造科学者にぶつけてみてください。ただし、日本の方々はだめだね。モーリスとかそこらへんの人でないと。
>>シーセンの「組織神学」を禁書にしますか、創造科学者さん?
これは、あなたに対して言ったのではありません。創造科学者一般、とくに仲良しグループで好き勝手なことを言っている方々に対してのものです。
>ルールって、どういうことですか?
科学のルール。その内容は前にもいろいろな方々が言っているので繰り返しません。それから、科学をもって真理を発見するなどという大それた考えはありません。
身の回りにあることのほんの一部をほんのすこしよく理解できた程度と思います。
竹内美継さん:
> *私の「数学的世界観」は 下記です。
>
> a ) 1=1の集合
>
> b) 1+ 1 = 1
a,bからどんな美しい数学の世界ができあがるのか私にはよく解りかねますが、
とりあえず竹内さんは1しか知らないってことは解りました。
T8848さんとかぶりました。ごめんなさい。
#トーシローは、素人の並べ替え。
トーシローのwadjaは創造科学には否定的なんですが、創造論に対しては中立・どっちつかずです。聖書の創世記に記述されている通りの創造が、人知を超えた奇蹟によって為されたとするのなら、創造論は永久に科学では否定できない。
創造科学の創造論と違う点は、創造のあった事実が科学では扱えない奇蹟で行われたのではなく、現代の科学でも自明の現象だとする点。ここで初めて、科学と創造科学の対立が始まる訳です。科学の知見は、6日間での世界の創造や、地球の年齢が6,000年であることを、はっきり否定しています。故に、創造科学は現代の科学を否定しなければならない訳です。
その過程で、進化論を信じる科学者は皆馬鹿だの、進化論を信じる科学者の陰謀で、進化論に反する知見が隠匿されていると、創造科学は主張しています。その主張を裏付けるために、トンデモな学説が、無限に創出されています。
今wadjaが読んでいる「ダーウィン・ウォーズ」(アンドリュー・ブラウン)なんかを読むと良く分かるんですが、科学者という人種はこの世で一番自己主張の強い人々です。そんな人々が、お互いの学説のあら捜しをこそすれ、共謀して一つの学説を守ろうとすると思いますか?既存の学説を覆すことができれば、科学者にとってこれ以上の勲章は無いのに?
ハレルヤさん。
>奇跡という言葉の定義も問題ですが、奇跡は毎日ある! 神の力は、現在もこの世界に介入しています! 聖書は、神が現在の世界に対して、介入しながら維持していることを語っています。
ええ、私はそういう奇跡も知っていますし、ここの参加者の中ではその考えに親しんでいる方だと思います。
前のはNATROMさんの予言に対する投稿だったので、その文脈の中で書いたものです。
NATROMさんの予言をどう思われました?
冗談めかしていますが、予言や予知、占い、虫の知らせ等の主張は、NATROMさんの予言のようなものがほとんどですので、NATROMさんはそれをわかり易い形で示してくれたのです。
ところで予言と預言は使い分けるべきだと思います(ヨナは預言)。
余談:トーシローは素人を逆に読んだものです。
分類学者さま。
>創造科学は、特定宗教を彷佛させてはまずいわけです。そうでないと「科学」として公立学校には導入できません。アメリカ合衆国では聖教分離が厳重に監視されています。
だからわざわざ「科学」だと主張しているのはわかるのですが、そうすると「世界はおよそ六千年前に六日間で創造された」というのはどのような根拠に基づいて主張されるのでしょうか。
ノアの洪水はともかく「上の水」も持ち出す根拠が思いつきません。
ヨナ書の場合最初から「覆される」とは預言されていなかったんですよね。
でも第2の関東大震災の預言は「覆される」って書いてあったんですよね。
ところでハレルヤさんの定義される奇跡って何でしょう。
僕は超自然的な(科学を超越した)現象と定義してますが。
ごめんね。も少し待ってね。
ツリー[1835]に返答しておきました。
自分がトーシローだということを忘れていた。(トーシローってなに? できれば語源も教えて)今日は、早く寝ようと思っていました。
>T8848さんとNATOMさん
>毎日どこかで誰かが平和になりますようにと祈ってますから、ここを見ている人達があらためて祈らなくても奇跡は毎日起きていますね。
ご本人は冗談で言っておられるとは思いますが、毎日奇跡は起きています。
奇跡という言葉の定義も問題ですが、奇跡は毎日ある! 神の力は、現在もこの世界に介入しています! 聖書は、神が現在の世界に対して、介入しながら維持していることを語っています。(でも、それを証明しろって言われても、困るんですよねぇ。私たちの論拠は、「聖書がそう言っている」「私は知っている、経験した。」だから。)
>NATROMさん
予言が外れることについて。難しい問題と思われるでしょうが、とりあえず、旧約聖書のヨナ書をお読みいただければ、信仰者としては、納得の行く答えがあります。ですが、信仰をお持ちでない方には、またそれなりのご感想があって、話がややこしくなるでしょう。あれは、ただでさえ、いろいろな感想を持ちながら読んでしまう書です。
>分類学者さん
>ただ、創造科学は科学とうたっている以上、ルールにのっとられてすすめられるべきですが、
そこを激しく逸脱しています。
ルールって、どういうことですか?
>ところで、シーセンの創造論は創造は6日で起ったことを否定していますね。もっと地球の歴史は長いと...。
否定していると読む方もあるでしょう。私には、否定しているとは読めません。
「われわれは、多分長い間隔があったと信じる。」とありますが、また次のページでは、
「6日間を文字通りの、24時間の日であると考えている人も多くいる。」「今日の保守派の人々の多くは、24時間を支持する。……。いずれにしろ、太陽が1日を決めるようになった第4日からは、この日は文字通りの24時間の日でなければならないように思われる。もしそうだとすると、はじめの3日間もやはり文字通りの日であったらしくみえる。……。これは、自然な解釈のようである。」
とありますから、ご指摘の箇所である最初の「われわれ」とは、シーセン個人を含むある限られた人々の解釈を指しているようです。それがキリスト教会を代表する考え方であると言ってもおらず、むしろ、そうでない見解にも十分な可能性を示していると読めます。
>シーセンの「組織神学」を禁書にしますか、創造科学者さん?
トーシローです。(って、なによ?)。こういったことで判断の誤解を招くようなことを書いてしまって、後悔しています。申し訳ありません。私は、久保先生や長谷川先生ほどの器ではありません。彼らがトーシローさんならば、私は自分のことをなんと申していいのか分かりません。自分のことを創造論者といったことはありません。創造論支持者といっています。論じることはできません。
キリスト教会は、みな、罪人の集まりであるだけでなく、この世の取るに足りないものの集まりです。あなたがたのような専門家は、そうそういません。みんな、できる範囲で、なにかとなにかを掛け持ちでやっているので、必ず、相手に不足が十分あると思います。(だから早く帰って寝たい。)
>1011さん
科学は(神が関係しようがしまいが)真理そのものではなく、真理に近づこうとする人間の知的活動です。
この話はよく分かる! JA50さんの定義よりずっと分かる。
>数学の定理、物理の法則などは、すべて人間が長いあいだ苦労して発見してきたものです。
これも分かる! ただ、発見したということは、「発見以前から存在していた」ということで、
存在あらしめたのが、うちの神さまです。ということになるんです。よね。神さまを信じないんでしょうが。
>実際、かつてのキリスト教世界では、自然科学(というか、自然哲学)は神のわざを発見し賛美するための学問でした。
この話を、スノーという人が書いていたのを読んだことがあります。二つの文化と何とか…という本でした。そして、科学の発展の過程で、神の概念が抜け落ちていったと…。引越しの時、図書館においてきた…。あの本好きでした。
お話を拝借してナンですが、このことは書きたいと思っていました。
つまり、こういうことがあるくらいだから「科学となんの関係もない信仰者が、科学を論じるのは××だ。」というようなご説に、首を傾げるのです。
どうして、こう知ったフリしていろいろ書かにゃならんのだろうか? メッキしているつもりはありませんが、周りの水準が高いので、ハナシを合わせていこうとすると、だんだん、妙な立場になるようでおっかない。あとで、騙したな! って言わないでね。
今日は、最初の一行だけで帰るつもりだった。誰か助けて。ジーザーース、アイラブユー、ヘルプミー。
ヘルメス☆さん
Nスペ「生命」は僕も見ました。結構面白かったですね。
NATROMさん
再開の予定はあります。ただ時期が未定なだけで。気長にお待ち下さい。
聖書の暗号考
ノストラダムスがエヴァンゲリオンやセーラームンを予言してたって話がありましたが、
聖書の暗号だってあると思います。
たとえば「逮捕しちゃうぞ」の佐賀沙織のCVが丹下桜から飯塚雅弓に代わったとか。
(マニアックなネタでスンマセン)
だいたいヘブライ語って子音しか表記しないんだし。
三回目です。くそう。
管理人様に御願いです。1個したの奴を、削除していただけないでしょうか。
ミス続き・・・疲れてるのかな?
三回目です。くそう。
管理人様に御願いです。1個したの奴を、削除していただけないでしょうか。
ミス続き・・・疲れてるのかな?
あ、やってしまった。↓は間違いです。分かりきってますね。
うい?
1=0.99999999999999999・・・
てのは聞いた事有ったけど、
a ) 1=1の集合
b) 1+ 1 = 1
は分からないなあ。
1+1=1なら、今の数学は間違ってるってこと?それともユークリッドと非ユークリッドの違いみたいなもんなんだろうか・・・・?
う、高校生にはこれが限界です。数学専攻した方がいらっしゃったら、是非ともご教授願いたいです。合掌。
竹内さん
>*私の「数学的世界観」は 下記です。
a ) 1=1の集合
b) 1+ 1 = 1
あ〜ん
まてよ 数学では 証明されているかもしれない。問う 数学科の人、どうなんだろう。
independence of church and statesのことです
神、イエス、聖書ということを出さないで創造科学が成り立つのでしょうか。
それだとせいぜい進化論に言いがかりをつけることしかできないでしょう。
創造科学は、特定宗教を彷佛させてはまずいわけです。そうでないと「科学」として公立学校には導入できません。アメリカ合衆国では聖教分離が厳重に監視されています。
ハレルヤ さんへ
*私の「数学的世界観」は 下記です。
a ) 1=1の集合
b) 1+ 1 = 1
テレビが無いも同然の生活を十数年。
地球大紀行も生き物地球紀行も人体も見てない(見たかった)。
昔、科学ドキュメントという番組があってよく見ていましたね。早く寝なさいと怒られたりテレビ消されちゃったりしたけど。
>1011さん
>教徒(含む無神論者)とキリスト教徒に対する扱いは違わないんですかね?・・・そうだったらありがたいんですけど。
扱いは同じはず。神は異邦人にさえ同じように雨を降らせるのだから、ましてあなた方には…という言葉があります。
>分類学者さん
>私の憂慮はむしろ創造科学が神、イエス、聖書ということを出さないことで、創造科学の皆さんがもっともお嫌いなもののひとつ−ニューエイジ−にあまりに似てきているということです。
神、イエス、聖書ということを出さないで創造科学が成り立つのでしょうか。
それだとせいぜい進化論に言いがかりをつけることしかできないでしょう。
>NATROMさん
>私も一つ予言しましょう。2001年5月11日に世界的な核戦争が起ります。しかし、この予言を覆すチャンスがあります。戦争を回避できるようみんなで祈りましょう。もし奇跡が起ったのならば、明日みんなで奇跡を体験できたことを喜びあいましょう。
毎日どこかで誰かが平和になりますようにと祈ってますから、ここを見ている人達があらためて祈らなくても奇跡は毎日起きていますね。
人身御供が無ければ太陽が昇ってこないというところもありましたっけ。
>そのうち「ゲノムの暗号」とかいうトンデモ本が出版されることを、ひとつここに予言します。
占いの類でなんかありませんでしたっけ。遺伝子のなんたらとか。
「ゲノムの暗号」は人だけじゃなくて線虫とかシロイヌナズナとかでもやって欲しいな。
>ハレルヤさん
数学の美とはちょっとちがうけど。
カール・セーガン著「コンタクト」ではπの謎について書いてあります(映画では全然出てこなかったけど)。
πはなぜ3.1415926……なのか。
πに限らずeでもhでもいいんだけど、なぜその値なのか。
似非科学の嘘やごまかしについて積極的に書いてきた、創造科学論者の敵セーガンもこう言う問いをたてるのです。
セーガンも、と言うより、科学者や科学愛好者はそういう不思議に魅せられた人が多いでしょう。
薔薇の木に薔薇の花咲く
なにごとの不思議なけれど
誰の詩か忘れたけど(言葉もうろ覚えですが)、まぁこういうことが好きなんですね。
そこで神(仏でも自然でもいいけど)を見ることもできるし、もう少し細かく掘り下げて見ていくこともできるわけです。
一段掘り下げるとまた続きがありますし、全体は部分の和とは限らないからもうほとんど際限はないでしょうね。
その際限のないところも魅力だし、記述できるようになったこともその精妙さや単純さ、あるいは複雑さを見ることも魅力なのです。
そこで自然に感心するか神に感謝するかデザイナーを思い浮かべるかは人それぞれでしょうけど。
でもたとえどんなに研究してもπはわからないんじゃないかな。
「生きもの地球紀行」って終わっちゃってたんですか〜 しばらく見てないうちに・・・がっかり。
・・・後番組に期待したいが(とはいえもうしばらくは見られない)
http://www.nhk.or.jp/daishizen/index.html
しかし前番組の唯一の汚点だったエンディングテーマはあいかわらず変わっとらんような。
http://www.nhk.or.jp/daishizen/fintoro.html
自然は人間の安易な感傷を許さない厳しいとこだってことを何でごまかすんかな〜〜〜
>僕の考えは何万年かけて動物たち進化してきたのに人間が生きてきて何千年しか生きてきてないのにもう進化しないと言うのはおかしいとおもいます。 どうなんでしょうか?
ええ、私もそう思います。「人間がもう進化しない」と私は思っていませんし、多くの生物学者も思っていないでしょう。
僕の考えは何万年かけて動物たち進化してきたのに人間が生きてきて何千年しか生きてきてないのにもう進化しないと言うのはおかしいとおもいます。 どうなんでしょうか?
聖書や詩やピラミッドの構造から予言を引き出すことは、低級オカルトではお馴染みの手法です。メルビルの小説「白鯨」から聖書の暗号と同様の予言を引き出せることも示されています。ただ、元となるテキストは、近代の小説よりも、古くから伝わる聖典や、中世の「予言者」と言われている人の書いた詩の方がインパクトがあるのです。さらに、予言を引き出す手法の性質上、元となるテキストには多くの情報量が含まれていることが必要です。俳句から予言を引き出すのは困難ですが、日本書紀と古事記からであれば可能でしょう。
さて、インパクトがあって、多くの情報量を含むものとして、心当たりが一つあります。ヒトゲノムです。ざっと、30億塩基対もの情報が詰まってますので、適当な変換をほどこせば、どのような予言でも引き出すことが可能でしょう。例えば、3塩基をアルファベット一文字に相当させ(恣意的に決定してよい)、適当な間隔で(これも恣意的に決定してよい)読み出すと、「創世記の一節が見出せる」なんてどうでしょうか。
一字一句正しくなくてもいいのです。「アダムのゲノムの配列を使えば完全であった。しかし、ノアの洪水以降、突然変異によって完全な配列は失われてしまった」とかなんとか言えば済むだけです。別に聖書にこだわらなくても、「歴代の天皇の名」でも、「クロード・ラエルとその仲間たちの名前」でも、どんなものでも見出すことが可能です。
ヒトゲノムもだいたい明らかになったことだし、そのうち「ゲノムの暗号」とかいうトンデモ本が出版されることを、ひとつここに予言します。
>僕の考えは今まで何万年何億年かけて進化してきたのに人間が文化をもってまだ余り立って無いのにもう進化しないというのはおかしいと思います。
私もおかしいと思います。「人間がもう進化しない」ということはありません。
>突然変異だって進化の一つだと僕は思います。どうなんでしょう?
突然変異が集団に広がれば、それは進化とみなされます。「突然変異だって進化の一つ」というpsg-1さんの考えは、大雑把に言えば正しいと思います。
>投稿者:ハレルヤさん 投稿日: 5月10日(木)00時44分45秒
>ただなんとなく、ボールを投げる。どうしてそれをきれいな2次曲線にするの? 人の描くどんな曲線よりも確かで美しい完全な曲線を、神だけが描くことができる! そこに神の法則がある! しかも、その完全な美の発端は、わがままな人間の動きなのに…。人は誰も、そんなところに数式なんてものを期待していないんだってば! 誰も美を期待していないんだ! それなのに…。誰も、なんとも思わないの? ねえ、誰もほんとうに何も思っていない? (中略)
>長くなってごめんなさい。こういうのって、ここでしちゃいけないの?
こういう話は大歓迎です。物理学や数学の美しさについて共感できる人はたくさんいると思いますよ。私も、もうちっと数学の才能があったのならば、物理学者になっていたかもしれません。さて、ハレルヤさんは物理学の美しさを理解しておられると思いますが、ここに、物理学のことなどほとんど知らないのにもかかわらず、「物理学はインチキだ。物理学者は反科学者だ」などと言う人が現われたらどう思いますか?さらに、その人に惑わされて、「物理学はあやふやなところがある」と間違って信じてしまう人が少なからずいたらどうでしょう?物理学を正しく理解してもらいたい、物理学の美しさをわかってもらいたいとは思いませんか?
私がこのサイトを作った理由の一つとして、進化論を正しく理解してもらいたい、進化論の美しさをわかってもらいたいというものがあります。そう、進化論は科学的に正しいだけでなく、きわめて美しいのです。ただ、この美しさを理解するには少なからず努力が必要です。物理学の素養のない人が、ハレルヤさんが感じている美しさを理解するのがどれだけ大変か、想像してみてください。進化論も同様です。進化論と信仰を両立させている人は多くいます(キリスト教根本主義だけが信仰ではありません)。物体が美しい放物線を描くことに神を感じるのと同様に、単純な生物が長い時間かけて多様な生物に進化してきたことに神を感じる人もいるのです。
>聖書の暗号
数学の美しさを論じる人が、なぜ聖書の暗号に価値を見出すことができるのか、私にはわかりかねます。「祈りによって予測を覆すことができる」というのは、私には無責任な逃げとしか見えません。これまで多くの宗教が世界の破滅を予言し、祈りによって世界を救ったと自称しています。そのような予言に価値を見出せません。
私も一つ予言しましょう。2001年5月11日に世界的な核戦争が起ります。しかし、この予言を覆すチャンスがあります。戦争を回避できるようみんなで祈りましょう。もし奇跡が起ったのならば、明日みんなで奇跡を体験できたことを喜びあいましょう。
ハレルヤさんは、私の予言と奇跡の体験についてどのような感想をお持ちになるでしょうか。
僕の考えは今まで何万年何億年かけて進化してきたのに人間が文化をもってまだ余り立って無いのにもう進化しないというのはおかしいと思います。 突然変異だって進化の一つだと僕は思います。 どうなんでしょう?
ハレルヤさんへ
創造論と創造科学の違いについて今朝からちょうど考えているところでした。
私たちは今現在生物の多様性を見ているわけですが、過去の歴史においていったいどのようにしてそれが形成されたかと言う問題に答えようとするとき、
神(三位一体の神)の創造による、その根拠は聖書(新旧約)というのが創造論。
神の介在なしで多様性は成立しうる、その根拠は状況証拠というのが進化論。
このふたつは本当のところは選択せざるを得ないと思います。どっちが実際起ったかは永遠にわからないでしょう(クリスチャンとしてはキリストの再臨のときにわかるかな)。
創造科学は創造論を公立学校の授業に導入するため(もしくは進化論を教えさせないため)に考え出された策といったらいいでしょうか(そうですかねNATROMさん?)
ただ、創造科学は科学とうたっている以上、ルールにのっとられてすすめられるべきですが、そこを激しく逸脱しています。私の憂慮はむしろ創造科学が神、イエス、聖書ということを出さないことで、創造科学の皆さんがもっともお嫌いなもののひとつ−ニューエイジ−にあまりに
似てきているということです。曖昧な偉大な力のような神を導入することは危険と考えます。
ところで、シーセンの創造論は創造は6日で起ったことを否定していますね。もっと地球の歴史は長いと...。シーセンの「組織神学」を禁書にしますか、創造科学者さん?
最初に断っておきますが、私は無神論者ですので、そのつもりで。
> 私の中で、「科学」というのは、どうがんばっても、「数学+(神の)芸術」というレベルなんです。
どうもよくある誤解をしていらっしゃるようですが・・・
科学は(神が関係しようがしまいが)真理そのものではなく、真理に近づこうとする人間の知的活動です。
数学の定理、物理の法則などは、すべて人間が長いあいだ苦労して発見してきたものです。
実際、かつてのキリスト教世界では、自然科学(というか、自然哲学)は神のわざを発見し賛美するための学問でした。
もっとも、ギリシャやアラビア世界などではキリスト教と関係なく自然科学は進歩してましたけどね。
> 神様は、誰も見ていないところに、誰も期待していないところに、誠実に実在して、
> ひそかな美と、法則をもって自己主張しておられる。神様は、地味で、誠実で、一度
> も裏切らず、自分勝手な人の行いをも受けとめて、確かにおられる。人に、美と、数
> 学と、優しい受容する愛をもって答えられる。
異教徒(含む無神論者)とキリスト教徒に対する扱いは違わないんですかね?・・・そうだったらありがたいんですけど。
> (生命46億年シリーズは結構好きだったし、生き物・地球紀行も見てたなぁ)
「生命」は、生物の共生が中心的なテーマでした。
本編のほうは「共生って素晴らしい」という道徳的な生命観でウケを狙いたいという願望と科学的正確さのせめぎ合いの狭間で製作側の苦心が感じられましたが(そんな苦労しなくても、道徳とは無関係にドライに作ったらいいと思うんですけどね)、進行役の毛利衛氏のコメントはそういう苦労をあっけなく吹っ飛ばししてガイア仮説っぽい話をしてるあたり、けっこう笑えました。
また「花に追われた恐竜」の内容は「新しい仮説に走り過ぎ」ってことで、今は亡きサイアスで論争してましたけどね。
私としては(「人体」シリーズのウケが良かったせいか?)最近はCGが多すぎるのがちょっとイヤ。
その点、昔の「地球大紀行」は地球の歴史を物語る証拠をこれでもかこれでもかって紹介していて、実に圧巻でした(再現映像もCGじゃなくて特撮だったし(笑))。
CGよりも生の映像に語らせるのが一番。
あと、Nスペじゃないけど、「生きもの地球紀行」はレギュラー番組としては現在もっとも優れた科学番組だと思います。
どうしてもっとこういう番組が増えないんだろう。
日本人はバカになる一方。
ツリー#1817の解答待ってます。
> あの地震の予測の箇所に、「この予測を覆すことができる(原文はこのとおりではないが大意は同じ)」という内容が読み取れるのだそうです。
だったら最初からそう言ってくれればいいのに。
>分類学者さんへ
はは、私は昨日からもう夏休みに入りました。
でも今年の夏休みはひたすら金を稼ぐ毎日になりそう・・・
就労ヴィザを取得して、さっさと就職しないといけないからねぇ。
ま、プログラマとしての申請だから早めに下りる可能性が・・・(期待)
あと、例のNHKの番組ですが内容はどうなんでしょう?
最低限、科学的に適切なら見たい気がしますが・・・
>クハ72さん
まあ、NHKスペシャルの類ですね。
(生命46億年シリーズは結構好きだったし、生き物・地球紀行も見てたなぁ)
ではでは
頭の回転がそんなに速くないので、前々日のご反響のことを考えていたのですが、昨日のにも反響が多く感動します。もったいなくも、こんな話にまで付き合ってくれるのが、学者というものなのですか。牧師にも、そこまで付き合ってくれる人はいない。ありがとう。
シーセンの組織神学って創造のことなんて書いてあったんだろうと、今日改めて読んでみました。「創造の教理に反対する諸説」のところに、進化論っていうのがないなあ。無神論というのはあるけど、こちらでは、神様の存在の有無はまた別らしいし。
「われわれはもっともすぐれた科学者の中にも、今なお『進化論』は事実としてではなく、単なる仮説、一個の仮定として考えられるべきであるという立場をとっている人々がいるのを知って喜ぶものである。」という一節が、多分、この掲示板ではもっとも批判にさらされると思いますね。もっともすぐれたというのは、どういう人のこと? 科学者の中でどういう人が偉いのか知らないけれど、こういう場所に引き合いに出される事もあるとふんで、名前も書いておいてね、って言いたいです。日本語訳は1961年の発刊です。
こちらの話では、「創造論はかまわないが、創造科学は科学じゃないというのを主張したい。」と言われるんですよね。創造論というものの定義は何?
シーセンは「われわれが有神的進化論を取らなければならないという理由はないわけである。聖書を進化論的な考え方に一致させて解釈しようとする前に、まず科学が、進化論は事実であるという、反駁できないほどの確かな証拠を提供してくれるのを待とうではないか。」と括っているので、シーセンの言っている創造論ではないんですよね。
JA53さんの科学についての説明は、残念ながら、私の頭では、理解不能です。ごめんなさい。
ですから、「科学」の定義もはっきりしないし、こちらで言われる「創造論」の定義も分からないんです。(こりゃ、明日も書き込みに来るのかな…? 私、最近議論で友だち失いまして、つらい日々です。こちらでは、議論で友だちができる? 友だちか…。でも、話してもバカにはされても怒られないんですよね。うれしいな。)
私の中で、「科学」というのは、どうがんばっても、「数学+(神の)芸術」というレベルなんです。ですから、高校の物理の時間などは、感動の連続でした。
以下、私の証し(キリスト教に入信した動機を書いたもの)の一部。
人がね、ボチャンと石を川に投げるでしょ。波が広がるでしょ。その美しい波の広がり方に数式がある…? どうやっても完全にこの式になる? 人が勝手に、なんの意図もなく、ただなんとなくやったことなのに…。 それに対して神はご自分の法則で答えられる!
ただなんとなく、ボールを投げる。どうしてそれをきれいな2次曲線にするの? 人の描くどんな曲線よりも確かで美しい完全な曲線を、神だけが描くことができる! そこに神の法則がある! しかも、その完全な美の発端は、わがままな人間の動きなのに…。人は誰も、そんなところに数式なんてものを期待していないんだってば! 誰も美を期待していないんだ! それなのに…。誰も、なんとも思わないの? ねえ、誰もほんとうに何も思っていない? 物理の授業の時は、気がつくとそんなことを考えていた。(勉強していたわけではない。)
神様は、誰も見ていないところに、誰も期待していないところに、誠実に実在して、ひそかな美と、法則をもって自己主張しておられる。神様は、地味で、誠実で、一度も裏切らず、自分勝手な人の行いをも受けとめて、確かにおられる。人に、美と、数学と、優しい受容する愛をもって答えられる。人の世界では数字は、こんなにも不ぞろい、美がない、汚いのに。
これは後に高校を終えて、神の世界に深入りしてから、よりいっそう、私の中に、数学的世界観という思いを強くした。一時はこれにとりつかれた。数学を学んでいる学生や、数学をハートに感じて専攻した人に会うと、あなたは、数学の向こう側に神の存在を感じたことはないの? 数学って、どういうもんなの? 「レオナルド・ダ・ビンチは、すべての学問の中に真理はないが、もし最も近いものがあるとすればそれは数学だろう」と言った。すべての学問に精通した天才さえもそう言ったのよ。あなたは? と、わざわざそのためだけに、なけなしのお金をはたいて、何時間も電車を乗り継いで話しに行ったこともあった。
長くなってごめんなさい。こういうのって、ここでしちゃいけないの?
そして、またここで、聖書の暗号の話をしないといけない? まあ、がんばるか。
私も、とりたてて「信者」というわけではありません。一応肯定している、否定する根拠にも、たいしたものはないという考えです。
ヘブライ語というのは、どうにでも読めるように思われますが、ヘブライ語で日本語を記述してみて、そう簡単に、どうにでも読めるようにはできてないということが分かります。英語の音の方が、もう少しヘブライ語の音に遠いらしく、ああもこうも読める可能性が増えるらしいですが。じゃないと、言語として成立しないでしょ。
日本語も、考えてみれば、日本語に詳しくない人には、どうにでも読めるわけです。漢字を当てはめてみないと、単語だけでは理解できない熟語とか、たくさんあるでしょう? でも、日本人には、大体分かるんです。それは、日本語をよく知っているから。
地震の予測が外れましたね。よかったねー。あの日、私たちは感動しました。ま、それはいいとして、あの地震の予測の箇所に、「この予測を覆すことができる(原文はこのとおりではないが大意は同じ)」という内容が読み取れるのだそうです。ヘブライ語の分かる人には。しかし、久保先生には分からなかった。(もちろん、私には分かりません。)というようなわけで、「聖書の暗号」の否定はしません。
どうやって覆すかですが、それは、この際、言ってしまいましょう。(バカは死ななきゃ治らん。)奇跡によってです。すなわち祈りによってです。祈りによって奇跡が起こる? 奇跡がなければ、いくら私でも、ここまで来てこのようなおばかさんはできん。
あの地震のホームページが出てからの、祈りに関するエピソードは、相当なもののようですが、それは、あの人は公表しない。でも、あちらの掲示板の書き込みにもいくつかそういうのが載ったらしく、私も少しは読みました。奇跡を体験している人は、その祈りの最中に起こったことを理解できるのですが、そのエピソードの解釈まで語る元気はありません。
すみません。場所ばっかりとって。話しをさせていただき、感謝しています。
JA50さん
> キリスト教信者はどう感じているんでしょう、聞いてみたい。
個人的には聖書の権威を損ねるものだと思います。オカルトと変わらん。
T8848さん
> 誤:ノストラダマス
『ノストラダまス』って本ならありますよ。
前玉 睦子さん
> 「ノストラダムス騒ぎ」は元々預言書のパロディとして書かれた娯楽読み物(!)を
> 後の人がマジで受け取っちゃったために起こったものだそうですが。
五島勉の場合商売で書いたものが予想外の結果になって収拾がつかなくなったんでしょう。
で、仕方なく続編を書くに至ったと。
ヘルメス☆さん
この間のNHKの番組だと思いますが僕は未見です。
一般論から言ってNHKの科学番組には首を傾げるものも多いです。
豊島さんはご自分で実験などされているのは立派だと思います。
画像が表示されなかったので実験内容についてはコメントできませんが。
豊島 史俊 さんへ
>物理方面からのアプローチも必要なのではないかと思っております。
*上記の言葉に同意いたします。私は「人間という生命体は創られてある」のだと考えております。
豊島さんのページですが、創造論の傍証を読んでみると「擬似科学にならないよう論理的に展開」されているとは思えません。
例えば、宇宙論に関するものですと、
>宇宙は初めの大きな爆発によって始まり、それが四方八方に散ばり現在の膨張宇宙になっているというものである。
ビッグバンは爆発ではありませんし、四方八方に散らばったわけでもありません。
それから、暗黒物質=ニュートリノと考えられているわけでもありません(以前は主要な候補の一つではあった)。さらに、
>もし膨大な質量が一個所に集まると、それは爆発ではなくて爆縮して一個の非常に大きなブラックホ−ルが出来るはずである。ニュ−トリノにさえ質量があるとすれば、光以外の素粒子が生成した瞬間に潰れる事になる。
そもそもビッグバンは爆発ではないし、巨大ブラックホールがあったとしても爆縮はしないでしょう(銀河系中心のブラックホールによって銀河系は爆縮していない)。それに素粒子って重力で潰れるものなの?(重力で高密度になった結果としての反応はするでしょうけど)。
も一つ、超弦理論が×でもビッグバン説が×という事にはならないはずですが。
>”大人の宇宙として外部から瞬間的に創造された”とする方が、論理的に妥当なのである。
妥当なんじゃなくて、ただ無敵(だけどなにも説明できない)ですね。
「生物学的なもの」はおなじみのものでした(洪水からの逃げ足の速い貝や植物の説明がほしいなぁ)。
もうすぐ夏休みです、がんばって!(ビデオ送ってあげてもいいよ)
>なかにはこれで聖書の完全性が証明されたと喜んでいる人もいるでしょうけど。
げ!、そんな人もいるんですか、なんともはや、、、
>聖書をオモチャにしたらバチがあたりまっせー。(笑)
そうですよねぇ、信者としてはこれが普通じゃないかしら。
ちょこっとだけ講釈をたれたのですが、内容は一切チェックしていません。
ビデオでも送ってもらわんと見れないし・・・
最近はめちゃめちゃに疲れているので、もう本も読む気がしない・・・
いかんなぁ・・・
アメリカで生き残るだけで全生命力を使い切りそうだ。
豊島さんのページ(http://www.ni.bekkoame.ne.jp/yohane)見ました。
けれどEPR 現象では「超光速の情報伝達」が起こっている訳ではないので、
相対論とも量子論(の不確定性原理)とも矛盾しません。
しかしこ「EPRパラドックス」で検索をかけると、「超光速の情報伝達」だと
誤解している人が結構多いのには驚きました。
お久しぶりでございます。
「ノストラダムス騒ぎ」は元々預言書のパロディとして書かれた娯楽読み物(!)を
後の人がマジで受け取っちゃったために起こったものだそうですが。
>聖書というような信仰の対象となっている書物に対する冒涜じゃないかと思うんですが
聖書をオモチャにしたらバチがあたりまっせー。(笑)
誤:ノストラダマス
正:ノストラダムス
似たようなもんだけど(^^;
なお↓は、「ノストラダムス」ではなく「ノストラダムス騒ぎ」と同じと言うことを補足しておきます。
ノストラダマス騒ぎのようなもんでしょうかね。
こんなんでいちいち冒涜とか言ってたらキリがありません。
なかにはこれで聖書の完全性が証明されたと喜んでいる人もいるでしょうけど。
信者じゃない人間が言うのもあれですが、聖書の暗号みたいな行為は聖書というような信仰の対象となっている書物に対する冒涜じゃないかと思うんですが、、、
キリスト教信者はどう感じているんでしょう、聞いてみたい。
>えーと、突然レスがついたんで、おったまげてますが。
特定の人に向けた発言でもないものに「横レスですが」なんて言うのも変なので
いきなり書き始めてしまったのですが、おったまげないでください。
通常、静観している人は発言しないものだと思っていましたので、
どっちつかづの発言をしたと言うことは、
竹内説にも既存の生物学と対等の立場を与えているように感じたのです。
>個人的には、竹内さんには独自の論理展開や根拠がありそうな気がしているので、そこに興味を持っているだけです。
私も「独自の論理展開や根拠」という奴は好きなのですが、竹内さんに関しては期待していません。
たぶん竹内説にはどちらもないでしょう。
もしあるのであれば、もう明らかになっているはずです。
私としては、反相対論(リンク参照)のような、お約束の間違いなんかが好きですね。
ハハ(^^;
まだ理解できてません。
えーと、突然レスがついたんで、おったまげてますが。
>wadjaさんにとっては根拠も論理も必要ないのでしょうか。
自然科学の仮説ではなく宗教や哲学であれば、あるいは独自の根拠や独自の論理体系を創始することは可能かもしれませんね。
具体的な根拠を明示せずに、現在の生物学は間違いだらけだとする竹内さんの批判のやり方はマズイと思ってます。方法論そのものを批判することは可能でしょうが、既にあきさんをはじめ頑張ってるんで、私みたいな素人は静観させて貰ってます。
個人的には、竹内さんには独自の論理展開や根拠がありそうな気がしているので、そこに興味を持っているだけです。
ハレルヤ さんへ
>竹内さん、私は個人的には、あなたのような方の心理に大変興味があります
*で、理解できましたか?
長谷川氏の掲示板でした。
創造学校掲示板で話題になっていますが、あれは進化論にとっても誤解を招く内容でしょう。
というより視聴率競争考えたら正確な知識を伝えようとすると面白くなくなるんですよね。
ブルーバックスの映像版とでも言うべき内容ですね。民放に至ってはもう。
そういえば以前ココに書きこんでいたtomiさんという創造論者も聖書の暗号には否定的でしたね。
それ以外にも久保氏の主張(日猶同祖論とか)には否定的なクリスチャンも多いです。
NATROM さん 以下久保さん及び同思考の方宛てです。失礼します。
第二の関東大震災とは何だろう。過去に何度も同規模あるいはそれ以上の地震があったのだが。久保さん及び同士の方。見てねーか。
大震災ってのは人間の付けた形容だよ。久保さん。マグ二チュ-ドと震度の違いは知っているよな。
地震のメカニズムご存知か。予知の困難性は分かるのかい。予言と予知は違うぞ。
以前もこの掲示板で指摘があったと記憶していますが、久保有政氏は予想を外しておりますね。以下引用。
聖書の暗号調査による「第二の関東大震災!?」 に関するコメント
>このページにおいて、「第二の関東大震災」が2000年8月21日、あるいは9月6日に起こる可能性が高いようだと示唆してまいりましたが、これはどうも筆者の読み違いであったようです。
1999年のノストラダムスの予言騒ぎは記憶に新しいところです。こうした「予言者」は、予言が外れても「私の解釈が間違っていた」とは思っても、「そもそも未来のことなど書かれていないのだ」とは決して思いません。ノストラダムスの信者はまだいます。「1999年に世界が滅びるというのは読み違いであった。現段階のノストラダムス研究は、未来のことに関しては読み違いの可能性がつきまとう。今後さらに優れた研究方法が見いだされることを期待する。」などと言って、信者を止めようとはしません。久保氏の態度もこれと変わるところはありません。
ノストラダムスの予言も、聖書の暗号も、どうとでも解釈できる曖昧なテキストから予言を恣意的に抜き出しただけであることはさんざん指摘されています(なので既に起ったことは何でも読み取れるが、未来を予想する力はないのだ)。聖書の暗号については、神学に属するものではなく、ノストラダムスの大予言と同じく低級オカルトに属するものだと私は考えています。私は、進化論者よりも久保氏の方が聖書をおとしめているように感じます。聖書には「ニセ予言者に気をつけろ」という警告があったと思いますが、「聖書の暗号」から「第二の関東大震災が起る」などと主張する人には気をつけなくてよろしいのでしょうか。
疲れました。始めて知った。こんなにまじめに考えてたの。日本人でも、宗教を論じるんですか!
はー…、認識不足でした。どう言えばいいのでしょうか? ご参加の皆様の論じておられる方(長谷川先生じゃない)天地創造の第1原因である方が、皆様の議論を祝されますように。日本も、期待していいのかなあ…。
今の時代に、預言も奇跡もあります。ね、豊島さん。
分類学者さん、おっしゃること分かります。なるほどね。
JA50さん
>私が創造論者(創造論というと一般キリスト教も含まれてしまいそうであれなんで、
>ここでは創造科学のとい形容詞付きにしてください)をバカにしているのは、彼ら
>に自分の信仰を科学で確かめたいという欲望を見るからです。
そうなんでしょうか? どうなんだろ。そうは思いたくありません。いや、どう言ったらいいのか分かりません。彼らの信仰のことをメシアニックというのですが、メシアニックほどの人がそういう考えである訳ない。
>それは不信心の裏返しじゃないか。
もしそうならね。
竹内さん、私は個人的には、あなたのような方の心理に大変興味があります。
長谷川先生の本は、「モンタナ神経科クリニック物語」教育出版刊 千円ちょっと。 以前は、本の紹介のホームページもありましたが、今はどうでしょうか? 検索してみてください。そして、お読みになられればいいと思います。
>他に推薦される本がありますか?
というわけで、上記の本を推薦しておきます。
久保先生のもう一つの傑作は、「悪の存在理由の考察」。これは、プロテスタント世界をあっと言わるほどのものです。震撼した。(ただし、こういう書名では出ていません。)「聖書の暗号」は、私は肯定しています。しかし、本当に使おうとしたら、ヘブライ語のネイティブの方でないと使えない。あれは、知らなくても信仰生活できます。自分には、ない方がいい。
>#日々自然科学たる生物学に真剣に向き合っている、舞さんを初めとする本職の人々には
>許容できない側面もあるんだろうな。
生物学の素人だって許容できませんよ。
主張にはそれなりの根拠や論理が必要です。
「自分がそう思った」だけの竹内説を批判するのに専門知識は必要ありません。
wadjaさんにとっては根拠も論理も必要ないのでしょうか。
ナショナルジオグラフィックの2001年5月号に,
「ノアの洪水=黒海誕生説」が書かれていますね.
黒海が湖だったころ(約7500年前),標高が非常に低く湖岸が現在に比べ標高で150m
低かった.約7500年前に現在のボスポラス海峡付近が決壊し,海水が流れ込んできた.
黒海の水位は1日に15CMずつ上昇し,黒海北岸沿いにいた人々は1日に1キロ以上も
後退を余儀なくされただろうということです.
まあ「黒海誕生=ノアの洪水」かは別として,黒海が昔淡水湖で(すっごい昔はテーチス海),
ボスポラス海峡付近が決壊し海水が流入することで海となった仮説を指示する証拠は集まってきているみたいですね.まあナショナルジオグラフィックの記事なんで,単なる読み物としかとらえられないのかもしれませんが.ご参考までに.
ナショナルジオグラフィックのリンクは↓です
豊島さん始めまして、進化論を支持するクリスチャンです。
1つ質問です。なぜエジプトがアメリカなんでしょうか。
参考文献に進化論を支持すると思われる文献が、ブルーバックス(しかも中原、佐川著)
しかなかったところが、なかなかタイムリーで素敵ですね。私のサイトに挙げてある本も
読んでいただければ幸いです。
私でも一読してわかったほどやさしい、わかりやすい英語です。(ちなみに来月から通信教育を受講予定・…さすがに少しは勉強しなければならなくなった…まぁ私はそのぐらいの英語力しかありません。)
中学生でも辞書なしでも読めるでしょう。
読めても納得しない大の大人がいることも確かですが。
だいたい日本語で同じこと言ったって・…(以下略)。
http://www.OntheNet.com.au/~stear/rules_of_tennis.htm
当方、神による奇跡を体験しているカリスマ系の教会のクリスチャンです。量子力学の方向から天地創造を考察してみました。神が奇跡を起こす時、宇宙全体との量子力学的な分離不可能性から、宇宙全体が刷新される作用をも同時に引き起こす。そして、ちょうどワープロで文字を挿入する時のように、すべての摂理を正当化する作用を伴わなければならない。したがって、聖書にあるように、神が天地を瞬間的に創造したことが言える、というのが、私の持論です。物理方面からのアプローチも必要なのではないかと思っております。
>分類学者さんは、何を分類されているのですか?
昆虫のあるグループです。私はメインストリーム(創造科学者に対し)なので、メインストリームの著書や論文を出しています。
>創世記から黙示録まで3〜4回は通読しています。
>聖書を読んでおられるとは、偉い偉い。これからもがんばって読んでください。できたら、組織神学の薄いの1冊読まれたらよろしいかと存じます。(あ
まり薄いのない。)
ヘンリー・シーセンでよろしければ読みました。他に推薦される本がありますか?
>それからできたら教会に行かれたらよろしいかと…。ま、出来たらね。久保先生の教会は練馬、長谷川先生は、アメリカ…。長谷川先
生のところは筋金入りだ、と思う。
東京やアメリカに行く機会があったら寄ってみようかなあ。
>>せいぜい、ブルーバックスなどの大衆本や「創造科学」に味付けされた「論文」がソース
>ブルーバックスって、いけないですか? でも、きちんとした方が書かれているのなら、それを読んで理解できるものなら、それでいいことないです
か?(この間、読もうと思ったけど、やめた。難しいんだもん。)難しくて一般人には手に届かない論文にしか、真理はないと言われますか?
普通そう考えますよね。ところがそうではないところが困ったことでして...。どうしても出版社は商業主義に走ってしまう(売れる本をつくる、売れない本はつくらない)。いのちのことば社なんてほとんど手弁当状態でがんばってる。えらい。
科学うんぬんは別にこだわっていません。むしろハレルヤさんにはどこが論点かを知ってもらった方がいいかと。つまり、前にもこの掲示板に何度も書きましたが、
問題は 1.通常進化と呼ばれていることが起ったことを創造科学者も認めている。ただ、それを進化と呼ばず、変異と呼んでいる。もちろん、「種類」の範囲内で進化すると考えており、その
範囲はどこなのか規定しようという創造科学の分野を造物学(バラミノロジー)と言います。
2.上記の範囲はうまく規定できないと思いますが、人間のところさえうまく規定できればあとはどうでもいいというのが真相のようです。
3.進化生物学者のほとんどの人が扱わない生命の起源について創造によるのか、化学進化によるのか。
とまとめることができると思います。私がもうひとつ問題にしているのは、彼ら(創造科学者)は多様性を扱う生物学をしている人たちではないということです。博士といっても他の分野だったり、生物学でも生化学などです。まして、久保さん、長谷川さんなんてトーシローもいい
ところ。
ツリーの掲示板は読みました。しばらく考えさせてください(明日から仕事だし)。
wadja個人としては、残念ながら生物学を論じるだけの知識はないので、形而上のものとして竹内さんの仮説を扱っている側面があります。竹内さんの仮説は形而下の学問たるべき自然科学には収まらないような、予感がしているからです。その意味では、非常に興味深いものだと感じています(かといって、批判も賛同もできるまで理解してない)。
今西論にも、同様のものを感じているwadjaです。
#日々自然科学たる生物学に真剣に向き合っている、舞さんを初めとする本職の人々には許容できない側面もあるんだろうな。
>竹内さんって、どういう人?
この掲示板で多くの人に笑われているいる人です。良かったら何か質問をしていただけませんか?
私はポパー流の、ここでは古くさいとされている科学観を持っていますので、そこんところをよろしく、、、
創造科学なるものが科学だというのなら、神が生物を創ったという仮説を主張する場合、これこれがあればそれは間違いだということも認めないといけない。聖書にこう書いてあったから、というのであれば、その主張が間違っていたら、聖書は嘘を書いているというのを認めるのかと。
もし、こういう事実が見つかれば、聖書は嘘を書いているとか、神は嘘つきだとかいうものをたくさん提示できるのかということです。
進化論では、生物は時間とともに変化してきた、またしていると主張している。
もし、生物というのが全く変化していないとしたら、進化論は成り立たない。少なくとも変化していない生物は進化論の対象とはならない。
ただし、これは科学であることの必要条件です。
ま、こういう科学とは何かというのより、私が創造論者(創造論というと一般キリスト教も含まれてしまいそうであれなんで、ここでは創造科学のとい形容詞付きにしてください)をバカにしているのは、彼らに自分の信仰を科学で確かめたいという欲望を見るからです。
それは不信心の裏返しじゃないか。
進化論という科学を否定しようとしているくせに、別の都合のよいニセ科学を創って、もしかして自分の信仰が間違っているのではないかという不安をうち消そうとしている。宗教じゃない科学には人にその信仰は正しいですよなどという保証をすることはできない。科学がしてくれないから、ニセ科学を作らざるを得ない。
自分の不信心をニセ科学でことしようとしている哀れな連中、それが創造論者と。
ま、私の偏見かもしれないけど、空中の水の層とか光のスピードが遅くなるとかいうようなトンデモ説を持ち出している姿は、ほんと哀れです。
ハレルヤさんも書いていたけど「聖書だけ読んでいい気分になっていればいい」んですよ。
創造論は科学である必要はないんでしょうに。それを科学だというからおかしくなるんだし、その上、トンデモ説まで持ち出すとは、、、
ところでお医者さんとしてすばらしいとのことですけど、どうしてそう思うのでしょうか?
何か根拠があっての判断なんですか?
あ、私は藪医者だと言っているのではないですよ。
長谷川さんなる人がどういう医療をやっているのか全然知りませんので、医者としてすばらしいともすばらしくないとも判断しようがない。
それをハレルヤさんは、どうやって判断したのかなと。
分類学者さんは、何を分類されているのですか?
>創世記から黙示録まで3〜4回は通読しています。
聖書を読んでおられるとは、偉い偉い。これからもがんばって読んでください。できたら、組織神学の薄いの1冊読まれたらよろしいかと存じます。(あまり薄いのない。)それからできたら教会に行かれたらよろしいかと…。ま、出来たらね。久保先生の教会は練馬、長谷川先生は、アメリカ…。長谷川先生のところは筋金入りだ、と思う。
>せいぜい、ブルーバックスなどの大衆本や「創造科学」に味付けされた「論文」がソース
ブルーバックスって、いけないですか? でも、きちんとした方が書かれているのなら、それを読んで理解できるものなら、それでいいことないですか?(この間、読もうと思ったけど、やめた。難しいんだもん。)難しくて一般人には手に届かない論文にしか、真理はないと言われますか?
>>あの方も、創造論だけやっている人ではありません。
久保先生の死後観の教理、長谷川先生のユダヤ教理解、ともに優れたものがあります。
長谷川先生は、お医者さんとしてもすばらしい。
>「創造科学」が科学ではないと言っているんです。
>きちんとした教科書や論文を読んで、それを理解した上で、有用な批判を加えるのなら、それは
進化論に限らない、科学に対し非常な貢献となる。しかし、創造科学のようなニセ科学の論文を読んだくらいで
これは聞きたい。「科学」の定義。私の知っている、あまり科学の好きでない科学者の端くれは、いつも「科学に疎い人間ほど、『科学的』ということばにこだわる。」と言うんですよねぇ。だから、教えてもらったら、今度「分類学者って人はこう言ってたし、JA50って人はこう言っていたし、科学者だって、こだわってるじゃない」と言いたいんです。
竹内さんって、どういう人?
私ごとき門外漢の意見にも、きっちりコメントくださるので感謝しています。1週間来れないと思っていたけど、書き込みはできなくても、時々来ます。と思います。
wadja さんへ
[1808]に返答をしておきました。貴方の返答は勉強になります。今後ともよろしくお願いいたします。
大豆生田さんの文章です。面白かったのでご紹介します。他意はありません。http://inside.gunma-ct.ac.jp:8080/ice/~mame/doc/etc/gihou.html
貴方への返答を[1802]にしておきました。
返答をよろしくお願いいたします。
1ヶ月ぶりくらいかな?
ともかく、
>こういう人がいると、きちんとしたキリスト教やキリスト教徒には迷惑以外の何ものでもない。
>聖書だけ読んでいい気分になっておればいいのに、ご当人はなんでこういうアホをさらすんだろう。
胸に手を当てても天に向かってつばを吐いても、わからないものですよ。
ところで、(笑)を使っていると文章の質が落ちるので儂は絶対に使いません。
(笑)を文末に多くつける人は独りよがりなことが多いはずです。(統計は取ってないが)
>聖書を信じている人は、本当なら、聖書だけ読んでいい気分になっていればいいはずなのに、それをあの方のように、勇敢にもわざわざ進化論の論文に手を出して、こちらの皆様と意見を交換しようなどという奇特な人の話を非難されるのなら、皆さんのほうでも、神学の基礎を学ばれたほうがよいと思います。
そうなんですよ、聖書を信じている人は聖書だけを読んでいい気分になっていればいいんですよ。それを場違いというか、信仰とは本来は無関係な科学に口を差し挟むから笑いモノになる。
きちんとした教科書や論文を読んで、それを理解した上で、有用な批判を加えるのなら、それは進化論に限らない、科学に対し非常な貢献となる。しかし、創造科学のようなニセ科学の論文を読んだくらいで、進化論について理解もできてないくせに、さもすごい批判をやっているような気になっている。そういうあさってに飛んでしまっている笑い話しかできない。だからにバカにされるです。
こういう人がいると、きちんとしたキリスト教やキリスト教徒には迷惑以外の何ものでもない。
ほんと、聖書だけ読んでいい気分になっておればいいのに、ご当人はなんでこういうアホをさらすんだろう。
>みなさん(かどうか知らないけれど、多分皆さん)、聖書を根底に持つ創造論を批判するのでしたら、聖書も読んでる? 創世記の1章だけ
じゃなくて、聖書というのは、1巻で一つの生き物ですので、始めから終わりまで全部通読してという意味ですが。
創世記から黙示録まで3〜4回は通読しています。ちょっと誤解があるのは、私(や、おそらくNATROMさんほかここの多くの方々)は、創造論を批判しているのではなく、「創造科学」が科学ではないと言っているんです。それだけです。
>あの方のように、勇敢にもわざわざ進
化論の論文に手を出して、こちらの皆様と意見を交換しようなどという奇特な人の話を非難されるのなら
あの方って久保さん?長谷川さん?進化論の論文なんて読んでませんよ。せいぜい、ブルーバックスなどの大衆本や「創造科学」に味付けされた「論文」がソースになっています(しゃれたつもりだが...)。
>あの方も、創造論だけやっている人ではありません。その他の点でも、優れたものをいろいろお持ちで
す。)
久保さんなら「聖書の暗号」とか「と」になってしまっていますね。
ASOの名前ではいると、もしあの方が来た時、誤解されると怖いので(苦笑)、今後は名前を変更します。
もう、ゴールデンウィークも終わることですし、暇ないと思いますが、なんだか呼ばれているようなテレパシーを感じるので、来てみました。他のページも少し読ませていただきました。愛する久保先生のことも、びしびし非難されていて、まあね、そう言えるところもあるんだけど、それは違うんじゃない? ってところもありました。
レックスの話、個人的には、ほぼ解決してます。
でも、私は、科学は、もともと何の関係もない人です。文系だもん。難しい話は、本当は関わりたくありません。私が、レックスの話を進めたのは、あくまでも、神学と、聖書を土台としてです。って、わかった?
みなさん(かどうか知らないけれど、多分皆さん)、聖書を根底に持つ創造論を批判するのでしたら、聖書も読んでる? 創世記の1章だけじゃなくて、聖書というのは、1巻で一つの生き物ですので、始めから終わりまで全部通読してという意味ですが。
聖書を信じている人は、本当なら、聖書だけ読んでいい気分になっていればいいはずなのに、それをあの方のように、勇敢にもわざわざ進化論の論文に手を出して、こちらの皆様と意見を交換しようなどという奇特な人の話を非難されるのなら、皆さんのほうでも、神学の基礎を学ばれたほうがよいと思います。(あの方も、創造論だけやっている人ではありません。その他の点でも、優れたものをいろいろお持ちです。)
そもそも、レックスの話にほぼ解決がつくというのも、神学をベースにして考えたなら、こう言ってもいいだろうという話になることで、きちんとやれば、きっといい論文になるでしょうね。
でも、ここで気を吐いても、あんまり大したメリットない。せめて誰か原稿料でも出してくれればね…。(キリスト教のわりに、金に執着あるのか?)
私は、もう既に、これから仏教各論に取り組むつもりですし(長い話になりそう)、そうでなくても議論に参加している余裕はあまりありません。
竹内さんって、基本的に、どういうお考えの方なのですか。新参者なので、事情がわかりません。
ここ、20番目の意見まで入るらしいけれど、かなり混んでいるので1週間後に伺った時には、もう何がなんだか分からない世界に変わっているのでしょうね。
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