進化論と創造論についての掲示板ログ49

2001年3月4日〜2001年3月7日
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とは言うものの>nasu様 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 7日(水)15時55分03秒

「使徒信条」を受け入れてもいない人をクリスチャンと呼ぶことを
許すわけにはまいりませぬのぢゃ。


いいじゃないですか>前玉さん 投稿者:nasu  投稿日: 3月 7日(水)15時33分08秒

まあまあ、いちいち反論してたって、仕方ないっすよ。。

我々の共通理解としてはLucifeRさんが
「どぅ・どぅ>前玉さん(Re: やはりヤバい) 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 6日(火)18時24分26秒 」
の記事で説明してくださってますし、
いろんな主張はあるでしょうけど、あたたかく見守ってあげませう(にっこり)


おや? 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 7日(水)15時14分55秒

>だから普通のクリスチャンは創造論なんか信じてないって。

「使徒信条」の冒頭に何と書いてあります?


カッペッ 投稿者:ハピネス  投稿日: 3月 7日(水)15時12分55秒

特に久保有政みたいに誤解とコジツケであふれた薄弱な論拠で無理やり創造論を貫徹しようとするキリスト教原理主義者は、まともな信仰心を持ってるクリスチャンから敬遠される。
というか、あんなのがいるとまじめなクリスチャンまでトンデモ扱いされるのよ。

ちなみに聖書を絶対視するクリスチャンは、およそ聖書学の本を読まない。
現代の客観的な聖書学の本を読めば、聖書のより深い理解が得られるのに、聖書の神聖が失われるのがいやだから、あえてそれを避けて無意味な神学論争なんかしてる。
偽書の区別もできなかった昔の神学者の主張だか信仰告白なんかする前に、聖書をもっと客観的に読み直してみたまえ。ただ信じるだけならアホでもできる。


プハ 投稿者:ハピネス  投稿日: 3月 7日(水)14時50分37秒

だから普通のクリスチャンは創造論なんか信じてないって。
聖書の記述をすべて文字通り信じてる人は原理主義者といってちゃんと“区別”されてます。
また、聖書のすべてを字句通り信じていないからといって不信仰者にされるわけでもない。
信仰告白をするやつが全員、地球が7日でできて、人類の祖は神に造られて、大洪水で一度全人類が滅びたなんてトンデモ思想持ってる変人とは思ってほしくないなあ。
クリスチャンだって普通の社会生活送ってるんだから。


さっきの続き。。>JA50さん 投稿者:nasu  投稿日: 3月 7日(水)12時16分19秒

ちょっと、補足しますね。

>僕はあの時、クハ72さんを責めたわけじゃないんですよ。
>「まずかったねえ〜、、」って思い出を語りたかっただけですよ。

つまり、そういうたあいもない冗談を言ってるところに
横から入ってきて「なにがまずいんじゃ〜」って、つっかかってこられたから、
「おいおい、ちょっと待ってくれよ」って思ったわけです。。

御自身が場違いだったこと、わかっていただけましたか?
だから早く、矛を納めていただきたかったんです。
私も少なからず不愉快な思いをしましたので、今後は気をつけていただければ幸いです。


すごいと思うよ 投稿者:nasu  投稿日: 3月 7日(水)12時08分34秒

ヘルメスさん、おめでとう!!


ヘルメス☆さん、やったね 投稿者:分類学者  投稿日: 3月 7日(水)11時23分52秒

TOEFLが基準に達する(600かな?)というのは日本人にとってはものすごくたいへんなことなんです。ヘルメス☆さんの健闘をたたえましょう!

追記:WWJD?さん

   私はあちらで発言していませんので追い出されたことはありません。どうせ追い出されるから行かないだけです。


Re:Re:訛り 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 7日(水)10時48分19秒

仰る通りでごぜえますだ。


たのむよ2>JA50さん 投稿者:nasu  投稿日: 3月 7日(水)10時32分34秒

なるべくJA50さんには噛み砕いて御説明しますね。

>「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」はまずい、と言ったのはnasuさんじゃないのですか?

そうですよ。
でも、「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」は私ではありません。

「それとも、nasuさんは、非科学的というのを罵倒語として使われたのですか?」
って、おっしゃっていましたよね。
これでは意味が通じないでしょう。
私が非科学的という用語を使ったわけではないんですから。
「それとも、nasuさんは、非科学的というのを罵倒語として受け止められたのですか?」なら意味が通じます。
そう言い換えた上で、コメントいたします。

まず、私が「非科学的」という言葉をどういうふうに受け取ったかは問題ではありません。
「あちら」で、非科学的というニュアンスがどういう受け止められ方をするかということが問題です。
「まずい」のがどうしてかというのは私個人に対してではなくて、
「あちら」でのやり方ですから。
まあ、私も受け止め方は一緒だろうからいいんですけどね。
私は下に書いた通りです。まあ、おだやかじゃないですね。
そりゃ、言われていい気はしませんって。

>非科学的と言われて罵倒されたと感じる方が間違っているし、

これを「非科学的と言われて、不快に感じる方が間違っているし」と言い換えてもいいですか?
そうは思ってないということでしたら遠慮なくおっしゃってくださいね。
もし、「非科学的と言われて、不快に感じる方が間違っている」と思ってらっしゃるのならこれはもっと穏やかじゃないですね。
ただ、これは「たとえ、相手が不快に感じても書き込んでもいい場合」というシチュエーションは存在すると思うので、掲示板の書き込みとして「非科学的」が許されるかどうかは分けて考えることは可能かもしれませんけどね。
こっちで欠席裁判をする分には自由でしょうし。
まあ、でも、基本的にあちらにもルールがあるんですから、ルール違反はいけません。
郷に入っては郷に従えです。
「郷」を知らないのにあれこれ言ったって無意味でしょう。

>さらにnasuさんご自身も正論と言われている。

これも半分正しくて、半分間違い。
半分は「例えば」の意味も含んでるから、僕自身は必ずしも「正論」だとは思っていないという可能性も読み取れますよね。

>どういうTPOで問題になるのか、nasuさんも書かれていないし、私は「あちら」については知りませんから、

だから、知らないのにごちゃごちゃと書くのはおやめなさいと申し上げているのです。

というわけで、
>ただ、私に言えることは、

言えません。

まあ、でも、コメントしておきましょう。

>クハさんが「「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」をしたのは
>なんら間違っていないし(正論であり)、どうどうと主張されたらいいということだけです。
>TPOが問題ですが、そうすべきでなかったのかどうかというのは、クハさんが判断することでしょう。

要はLucifeRさんの言葉を借りれば、暴力団の事務所に単身で何の対策も考えずに飛び込んでいって、わざわざ殺されに行くというのも、一つの選択だってことですね。
それには基本的には異義はありませんよ。
僕はあの時、クハ72さんを責めたわけじゃないんですよ。
「まずかったねえ〜、、」って思い出を語りたかっただけですよ。
なんだかね、JA50さんの書き込みを読んでると、
僕がクハさんを非難したかのように受け止められてるのかなとも思えてきて、
それは違うよ〜ってことはわかってほしいんですね。。。


T8828様 投稿者:nasu  投稿日: 3月 7日(水)10時31分47秒

はじめまして。。
あちら側の人間ですが、どうぞお手柔らかに。。。m(__)m

>確かに「非科学的」というと「科学的ではない」という以上の意味がこめられてしまいますね。
>罵倒語とまでは言えないにしても。
>「科学的」に優越意識が存在するかどうかは場合によりけりだと思いますが、
>「非科学的」と言ったり言われたりする時は、まぁ、穏やかじゃないですね。

だいたい、私も同じ考えです。
罵倒という言葉が使われると、大袈裟に聞こえますけどね。。(^^;;


Re: 訛り 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 7日(水)10時18分23秒

"訛り" wadja wrote:
> >前玉さん
>
> ユーモラスな、それでいて非キリスト教徒には、ありがたい書きこみをいつもありがとうございます。別に教えろなんていうつもりはありませんが、前
玉さんの使う方言って・・・どの地方が本物かわからない。あっ、眠れなくなりそうです。

 方言呼ばわりしているのは私ですから、代ってお答えいたします。

 前玉さんのアーティクルにはしばしばキリスト教会の内部では普通に
用いられている特殊な用語法が含まれています。ですので一般常識枠で
「標準語」として理解すると文意に誤解を招く場合があるんです。

 一番最近の例では「そんなヤツはもはやクリスチャンとは呼べない」
という危惧(これは現状を愁うクリスチャンしか持ち得ない感情でしょう)
を単純に「ヤバい」といってしまって、その「ヤバい」は案の定
「常軌を逸して狂信的である」の意に解釈されて会話が成立しません
でした。

 もっと細かく特定するなら、彼女のソレはプロテスタントの
伝統的主流派のうち長老派、もしくは改革教会(カルヴァン派)に
特徴的な言葉使いです。ウエストミンスターが至高みたいな言い方は
してないから狭義の「改革派教会」ではないようですね。


たのむよ>nasuさん 投稿者:JA50  投稿日: 3月 7日(水)09時21分44秒

>「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」と書いたのは私ではありません。私は引用しただけです。

「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」はまずい、と言ったのはnasuさんじゃないのですか?

それに対し私はまずくないと言っているだけです。

クハさんが「「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」を、「あちら」ででもされたのでしょうが、それは当然の主張であり、まずくもなんともない。
さらにnasuさんご自身も正論と言われている。
問題のはTPOなんですね。
どういうTPOで問題になるのか、nasuさんも書かれていないし、私は「あちら」については知りませんから、nasuさんも言われていますが、この問題にこれ以上あれこれ言ってもしかたないのではないですか。

ただ、私に言えることは、クハさんが「「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」をしたのはなんら間違っていないし(正論であり)、どうどうと主張されたらいいということだけです。
TPOが問題ですが、そうすべきでなかったのかどうかというのは、クハさんが判断することでしょう。


教えてください>竹内さん 投稿者:T8848  投稿日: 3月 7日(水)00時46分41秒

その中心小体が細胞の統合体だと言う認識、生命体だと言う実験について教えて欲しいのですが。
誰もわかってくれないと言ってるだけではなんのことやらわかりません。


気にしてませんよ>前玉様 投稿者:T8848  投稿日: 3月 7日(水)00時39分24秒

>済みません。宗教改革以降の教会に所属しているもので。

>宗教改革以前の教会の方々に配慮を欠く表現になってしまいました。

ただ単に宗教改革や信仰告白や洗礼以前の無知と無理解だと言ったまでですので。


創造科学を信じなければ 投稿者:T8848  投稿日: 3月 7日(水)00時37分15秒

WWJD?さん
>私としては言い直して「『創造』を信じなければ、正統なキリスト教信仰を
>否定する不信仰者」と書き換えたいですね。

そのように書き換えるのであれば誰も文句は言わないだろうと思います。
でも創造学校や創造論再評価では「『創造科学』を信じなければ『創造』も『奇跡』もそして『聖書』も嘘と言うことになる」と主張されるんですよね。
創造科学の説明はどうなってるの?それでは証拠に合わないよ、と言うだけで、創造や聖書を否定したことにされてしまうんですよ。

>ところでこだわりですが、正統的なクリスチャンなら信仰はすべての生の領
>域を支配すると考えます。ですから科学も信仰をもって、すなわち創造論に
>立ってというのは当然と言えば当然の事なのです。

科学も信仰をもって=創造論に立って
これを言う場合、その科学とは、その創造論とは何かというところが問題になりますね。
ですので、

>私もあちらを見ましたが私も山野さんのご発言に同意しています。

私は山野さんの発言には部分的にしか同意できません。
まぁ、何を言っているのかどう論理がつながっているのかが非常にわかりにくい(しばしば意味不明、更に読みにくい)ので、同意も不同意もない場合が多いのですが。
だから、これはおもしろいかもしれないけど、話し合いにならないんじゃないかと思います。

>ただ、何か良いルールを作ってディベートできれば面白いのにと思ってしまいます。


RE 投稿者:  投稿日: 3月 7日(水)00時33分30秒

>竹内さん

中心小体はCentrosomeではなく、Centrioleですね。
複製の様子は、教科書などに出ていますのでご自分でお調べください。
詳しいメカニズムは、あまりわかっていないようですが、これも遠くな
い将来、明らかになるでしょう。ヒトの遺伝子の大部分が読まれたこと
ですし。



非科学、非科学的 投稿者:T8848  投稿日: 3月 7日(水)00時32分33秒

確かに「非科学的」というと「科学的ではない」という以上の意味がこめられてしまいますね。
罵倒語とまでは言えないにしても。
「科学的」に優越意識が存在するかどうかは場合によりけりだと思いますが、「非科学的」と言ったり言われたりする時は、まぁ、穏やかじゃないですね。
LuciferRさんの「非常識」との比較はわかりやすかった。


地球中心に考える 投稿者:T8848  投稿日: 3月 7日(水)00時31分31秒

wadjaさん
>同様に地球にも神の特別な思い入れがあるというのがクリスチャンの共通認識なのだろうと、思ってしまったわけです。だったら、地球が天体の運行の中心だと考えるのも、自然な成り行きかな?と。

別にクリスチャンじゃなくても普通は地球が中心、自分の国が中心と考えますよね。
人間を中心に、自民族を中心に。
それはそれでしょうがないことではあるし、そういうもんだと自覚して注意してけばいいんですが。
で、地動説や進化論はそういう自分中心の考え方に修正を迫るものであると。

余談:訛り
どこの方言かと言うと、教会方言なんですよ。


私も 投稿者:wadja  投稿日: 3月 7日(水)00時00分56秒

その生物学の本が読んでみたい。


訛り 投稿者:wadja  投稿日: 3月 6日(火)23時58分07秒

>前玉さん

ユーモラスな、それでいてキリスト教徒には、ありがたい書きこみをいつもありがとうございます。別に教えろなんていうつもりはありませんが、前玉さんの使う方言って・・・どの地方が本物かわからない。あっ、眠れなくなりそうです。

>JA50さん

「非科学的」って言葉、確かに「科学に非ず」の意味でも使えるし、もともとはそれだけだったんでしょうが、使用頻度から罵倒語と誤解を受ける確率は非常に高いですね。人によっては、最高の誉め言葉と感じるかもしれませんが・・・。


竹内さんへ 投稿者:クハ72  投稿日: 3月 6日(火)23時24分39秒

> この事は生物学の本に書いてありました。

どの本でしょうか?調べてみたいです。


お願いがあります。 投稿者:竹内美継  投稿日: 3月 6日(火)20時33分42秒

<舞さんへ>    動物細胞の「1対の中心小体」が「2対の中心小体」になる様子
          を調べて来て頂けませんか?

          私が「中心小体は高電位空間から現出する」といっても誰も信じ
          てくれないようだからです。
          この事は生物学の本に書いてありました。


何故いないのだろう? 投稿者:竹内美継  投稿日: 3月 6日(火)20時14分21秒

<LucifeRさんへ>   高等植物に中心小体が存在しない事はしっています。


LucifeRさん、どうも。 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 6日(火)18時55分05秒

なかなか標準語に馴れないもんで。


どぅ・どぅ>前玉さん(Re: やはりヤバい) 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 6日(火)18時24分26秒

"やはりヤバい" 前玉 睦子 wrote:
> 「聖書を清く生きるための道標あるいは教訓として利用しているだけ」などと言う人に、
> 基本信条やそれに基づく宗教改革以降の諸信仰告白を「自分の」信仰告白として告白し、
> 洗礼を受けることなど到底無理だと思いますね。
> 少なくとも私の教会の長老会では却下されます。
> 他の教会ではどうなんでしょ?

 当然ウチだって長老会まで来ないウチに誰かが留めますが…情報の信頼度として
「日本人は朝食に必ずセロハンに入った海苔を喰う」程度のモノにムキにならんでも
いいじゃない? まあ、通奏低音として侮蔑的な調べが聞えてくるので突っかかり
たくなるのは判りますが、いきなりそんな方言丸出しでせまたって絶対通じないッ
てば。方言が通じるくらい知識があったらあんな投稿にならないし、たぶん私が
放った皮肉すら理解してないからまだ出てこれるんですよ。

 西欧のキリスト教の現状は、没落ぶりでも生活密着度でも一般人の帰属意識でも
日本の「葬式仏教」とあらかたの諸事情が符号します(根本主義者なんてのは創価学会
みたいなもんです)。そういう「ふつうのひと」をムリヤリにクリスチャンと呼んで
しまうなら(幼児洗礼がごく普通にあったりしますから、そういえないこともない事を
念頭に割引いてあげなきゃだめです)、あたらずとも遠からずぐらいにはなります。
 さもなくばタマタマ接触した極左リベラルをキリスト教徒の全体像と勘違いしたか
ですね。日常からキリスト教徒の自覚がある人々はかなり減ってきてますが、
そういった者たちの意識はそんなにへなへななものではありません。

 だからアレは、平均的日本人のたとえば「除夜の鐘を突いた足で初詣にいく」なんて
所業について「日本の仏教徒は…」などとリポートすると生じるだろう違和感と同種の
ものなんだとおもいます。…って、お人好しさんが鵜呑みにしない程度にカウンター
カマしとく、って目的なら、このくらいでいいよね?


「非科学的」 投稿者:ゆん  投稿日: 3月 6日(火)17時39分56秒

うーん。
私は「非科学的」って言うとかなり否定的なニュアンスを持った言葉に感じますね。
って多数決とってるわけでも無いでしょうが。


こちらこそ初めまして 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 6日(火)17時23分30秒

WWJD?様
>常に神学をすることは必要なのだと思います。
>(聖書に対する信仰に立ってというつもりで言っています。)

「神学」であれ「信仰告白」であれ、それが聖書に反する内容を含むことが明らかになった時に、
潔くこれを棄却したり書き改めたりできないようであれば、それは偽者だと言えます。
実際「信仰告白」の中には、その条文で自らについてそのように明言しているものがあります。


WWJD?さん 投稿者:分類学者  投稿日: 3月 6日(火)17時06分51秒

>古い地球を信じ
    ている人(たとえば天文学者のヒュー・ロス)

ヒュー・ロスの本はざっと読んだことがありますが、違和感はありませんでした。この人は本当の科学者ですね。にわか作りの創造科学者とは違います。
ただ、あちら(というか長谷川さんかなあ)では、6日間での創造しか認めないから、ヒュー・ロスなんてむちゃくちゃ言われているよ。


いろいろレス 投稿者:WWJD?  投稿日: 3月 6日(火)16時37分43秒

WWJD?です。


PDXさん>

レスをいつもありがとうございます。


>グールドの『人間の測りまちがい』あたりを読んでいただければ、人間が
>いかに偏見に陥り易いか、偏見に基づいて行動し易いかがわかります。

一度読んでみたいと思います。

>『科学』そのものと『科学の産物」を混同されていませんか?

科学の産物への依存はもちろんですが、意識的/無意識的に科学への依存をしている人は多いのではないかと思っています。
判断が難しいのは依存している人(何に関してでも)は依存していることを認めないからです。


分類学者さん>

お声をかけていただいてありがとうございます。

>どうも「創造科学を信じなければ、正統なキリスト教信仰を否定する不信仰者」とい
>う話しがあちらですすんでいる(あんまり掲示板がすすまんね、みんな追い出すから)
>ようですが、なぜそこまで「創造科学」にこだわるのか?

「創造科学を信じなければ、正統なキリスト教信仰を否定する不信仰者」
ということですが、創造科学も若い地球を信じている人や古い地球を信じ
ている人(たとえば天文学者のヒュー・ロス)もいますから少しはバラエ
ティーがあると思います。
私としては言い直して「『創造』を信じなければ、正統なキリスト教信仰を
否定する不信仰者」と書き換えたいですね。
ところでこだわりですが、正統的なクリスチャンなら信仰はすべての生の領
域を支配すると考えます。ですから科学も信仰をもって、すなわち創造論に
立ってというのは当然と言えば当然の事なのです。
私もあちらを見ましたが私も山野さんのご発言に同意しています。
ただ、何か良いルールを作ってディベートできれば面白いのにと思ってしまいます。

>それから、私個人としては、長谷川さんらに議論をふっかけるつもりはありません
>よ。そちらから言い出さない限り。私は、「創造科学」ではどう考えるかという情報
>がほしいだけです。

新参者なので存じ上げないのですが、分類学者さんもあちらから追い出されたのですか?
(失礼な質問お許しください。)

wadjaさん>

こんにちは。

>おもわず、スコラ哲学勉強してしまいました。私の不勉強でした申し訳ありません。

いえ、勉強していただいてありがとうございます。
私も進化論のこと全然知らずにいましたから、ここでも本でも色々と勉強させていただいてます。


>ただ、一つだけ弁解しておきたいのは、キリスト教においては、あくまで人は特別な
>存在ですよね(神のイメージに似せて造られた)?同様に地球にも神の特別な思い入
>れがあるというのがクリスチャンの共通認識なのだろうと、思ってしまったわけで
>す。だったら、地球が天体の運行の中心だと考えるのも、自然な成り行きかな?と。

それはそうだと思います。聖書に書いていないことを、聖書に反しない範囲(難しいのですが)で判断したり、理解したりすることはあります。
振り返ればスコラの影響だったと言えても、当時の人は聖書がそのように主張していると思い込んだということもあるでしょう。ですから、常に神学をすることは必要なのだと思います。(聖書に対する信仰に立ってというつもりで言っています。)

前玉さん>

はじめまして。WWJD?です。

>「聖書を清く生きるための道標あるいは教訓として利用しているだけ」などと言う人に、
>基本信条やそれに基づく宗教改革以降の諸信仰告白を「自分の」信仰告白として告白し、
>洗礼を受けることなど到底無理だと思いますね。
>少なくとも私の教会の長老会では却下されます。
>他の教会ではどうなんでしょ?

はい、もちろん私の教会でも「却下」です。
まあ、広い世界、受け入れてくれる教会やそう考えている教会もあるでしょうけどね。
私はクリスチャンとしては認めないですね。
アメリカに留学していたころ、バイブルベルトと呼ばれる南部にいましたが、出会うひとのほとんどがクリスチャンだと言いますね。
でも聖書も知らないし、救いもしらないし。日本が仏教国ではないように、アメリカもキリスト教国ではないんですね。
話が変な方向にいっちゃいました。これにて失礼いたします。


RE:RE:やはりヤバい 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 6日(火)16時35分18秒

T8848様
>宗教改革以前の問題でしょう。

済みません。宗教改革以降の教会に所属しているもので。
信仰告白と言えば、つい「スコットランド」「ベルギー」「第二スイス」「ドルト」
「ウェストミンスター」「バルメン宣言」等などを念頭においてしまいます。
宗教改革以前の教会の方々に配慮を欠く表現になってしまいました。


やっとだぜ・・・ 投稿者:ヘルメス☆  投稿日: 3月 6日(火)16時00分13秒

ちょ〜、久しぶりのヘルメス☆です。

ようやくTOEFLの点数が基準を超えたので、大学院に進学できます・・・
MBAだから、直接科学系には関係が在りませんが。
長かったなぁ。(と言って、真面目に取り組まなかった証拠じゃ、などと言われそう)

おまけに学費を稼ぐために就職もせんといかんしのぅ。
エンジニアに逆戻りだな、こりゃ。(稼ぎと就職口があるし、ヴィザのサポートも受けられるし)

暫くしたらまたカキコに来ますね!

ではでは。


RE:やはりヤバい 投稿者:T8848  投稿日: 3月 6日(火)15時38分54秒

>「聖書を清く生きるための道標あるいは教訓として利用しているだけ」などと言う人に、
>基本信条やそれに基づく宗教改革以降の諸信仰告白を「自分の」信仰告白として告白し、
>洗礼を受けることなど到底無理だと思いますね。

宗教改革以前の問題でしょう。


氷漬けマンモス 投稿者:T8848  投稿日: 3月 6日(火)15時36分12秒

氷漬けのマンモスは低温の「上の水」が降り注いだために凍りついたそうです。
箱舟を降りてからシベリアまで行ったわけではないようです。
で、せっかく箱舟で生き長らえた一つがいのマンモスは大洪水による環境の変化に耐えられずに滅んだんだそうです。
これはマンモスに限らず全ての絶滅種について言ってる事ですが。


Re: カツ 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 6日(火)12時49分59秒

"カツ" 竹内 美継 wrote:
> <セピア色さんへ>    私は「中心小体」が細胞の「統合体」であると認識しております。
>       中心小体が「生命体」であることを証明する実験はすでになされているのですよ。
>       只、その実験の重要性を多くの人々が認識していないだけなのです。この私の認識
>       が誤っているならこの掲示板から去ります。


 そうそう、まず、御質問に答えて頂いた事に御礼申し上げます。

 さて、ところで。中心小体を持たない多細胞生物が存在する事はご存じですか?
(植物ですけど)。


すみません 投稿者:nasu  投稿日: 3月 6日(火)12時37分43秒

言い過ぎました。
申し訳ありません。

>あまり言いたくないけど、文章読解力をきちんと養った方がいいですよ。
>文章曲解力には長けていらっしゃるようですけど。。。

これは撤回します。
読んで理解することを求めるなら相手の読解力は信じるべきですね。。。。


nasuさん 投稿者:分類学者  投稿日: 3月 6日(火)12時21分02秒



    LucifeRさんの言われる「ケンカか長い説教」は避けたいので
    ちゃんと読んで理解して下さい。
    あまり言いたくないけど、文章読解力をきちんと養った方がいいですよ。
    文章曲解力には長けていらっしゃるようですけど。。。

ケンカをさけようとする方の文章には見えませんよ。


講釈(5) 投稿者:分類学者  投稿日: 3月 6日(火)12時19分27秒

しばらく中断していましたが続けます。

前回書いたとおり、すべての(少なくとも陸上生物)は、アララテ山のノアの箱舟から現在の分布に拡がったということになります。
このアララテがウラルなのかどうかは、生物学的にきちんと議論をすすめるうえで重要かと思います(なので、長谷川さんたちにラブコールしているんですが無視されています、トホホ)。
さて、もうひとつ仮定することがあります。それは、現生生物のすべてが箱舟に乗っていたか、あるいは一部だったか、あるいは現生生物の祖先(というと創造科学の方がいやがるかな)で現在は存在しない(するという仮定もできる)。
途中で書きましたが、すべてが乗っていたとは創造科学の方でも考えていないようです。とすると生物は分布を拡げながら分かれていったということになります。

先日オーストラリアのハチとそのハチに受粉させるように花を雌に似せている植物のことをテレビでやっていました。ここで、クリスチャンなら「おお、神様の創造の御わざはすばらしい」となるわけです。みなさんよく御存じのフランスのファーブルもそのような発想から進化に
反対していたように見受けられます。が、神様がオーストラリアにあのようにきちっとハチと植物をうまく組み合わせて創造され、置かれた、というのはノアの洪水で否定されます。あくまでもアララテからはるばるオーストラリアに行かなければならないんです。

余談:マンモスは箱舟に乗っていたでしょうか。洪水によってすべての生き物が滅んだとするならYESと答えるしかないでしょう。なぜなら、創造科学シンパの宇佐神氏の本に冷凍漬けのマンモスが登場しますから。マンモスはアララテからはるばるシベリアまで辿り着いて、氷
漬けになってしまいます。そのくらいならなぜはじめから滅ぼしてしまわなかったのでしょうか?


やはりヤバい 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 6日(火)12時11分37秒

「聖書を清く生きるための道標あるいは教訓として利用しているだけ」などと言う人に、
基本信条やそれに基づく宗教改革以降の諸信仰告白を「自分の」信仰告白として告白し、
洗礼を受けることなど到底無理だと思いますね。
少なくとも私の教会の長老会では却下されます。
他の教会ではどうなんでしょ?


たのむよ。。 投稿者:nasu  投稿日: 3月 6日(火)12時03分00秒

To JA50さん

「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」と書いたのは私ではありません。私は引用しただけです。
もう一度、よく読みなおして下さればわかると思います。

それから、JA50さん、
人の話を理解しようという気がありますか?
もしあるのなら、私の一連の発言をきちんと、もう一度読みなおしてくださいね。

LucifeRさんの言われる「ケンカか長い説教」は避けたいので
ちゃんと読んで理解して下さい。
あまり言いたくないけど、文章読解力をきちんと養った方がいいですよ。
文章曲解力には長けていらっしゃるようですけど。。。


お礼etc. 投稿者:micky  投稿日: 3月 6日(火)11時23分31秒

>NATROMさん
2月14日に通りかかった micky です。あの時指摘させて頂いたページ、表現を変えて頂きまして有り難うございました。「大して違いもしないのにどうでもいーじゃん」と横やりが入るかもしれませんが、他者からの指摘を少しでも顧みるという姿勢は大切なものだと思いますので。

このサイトを見つけて以来、時々掲示板をROMしたりしています。皆さん、特に分類学者さんや安賀須若人さんの書き込みは面白く読ませて頂いています。


Re:自我は妄想だ 投稿者:JA50  投稿日: 3月 6日(火)11時02分35秒

不確かな記憶に基づいてますので、本気にしないでほしいのですが、たしかユング派では自我をコンプレックス(感情複合体)の一つにしていたのじゃなかったですか。


Re:蝙蝠>LucifeRさん 投稿者:JA50  投稿日: 3月 6日(火)10時52分45秒

>キサマはイエス様か?

と言われても困ります。
LucifeRさん相手に、解説をしないといけないとは思いませんでした。

イエスから見たらという私の言った意味は、あのイエスの見ずに信じるという言葉に引っかけています。
疑わずに信じるのと、疑って信じることに差を見るのが私には不思議だったのです。
私にすれば、信じてしまえば、同じ事だろうと。

>そうでないなら「無学な莫迦」の烙印押されますし、過去2000年勝てた試しない
>ですから(ほら、宗教家って「負けない」でしょう?)、やめといたほうがいいです。

私は、キリスト教についても無学です。
烙印を押されようがどうでもいいです。

それと、宗教家が負けないというのは当然でしょう。
科学者はしばしば間違えますが、宗教家は間違えない。

>当然ながら私は
>「確かめる根性もないほど不信仰(疑ったら最後崩壊すると内心思っていやがる)」
>と評価いたしますが。この話最近したでしょ。

最近されたのかどうか記憶にはありませんが、確かめるなんてことをほんとにやっていいんですか、キリスト教徒が。
それって、イエスの傷口に手を突っ込む事じゃ?

キリスト教徒になる前に、傷口に手を突っ込むことは当然だと思いますが、なった後になっても傷口に手を突っ込んでどうするんだろうと思いますが。


失礼だなどとは思いません>前玉さん 投稿者:JA50  投稿日: 3月 6日(火)10時39分11秒

>何てったって、あなた(JA50様)のために「も」キリストは死んで復活したのですから。
>この発言、ものすごく失礼だと思ったら、

いえいえ失礼だなどとは思いません。

私はキリスト教徒ではありませんので、イエスが死のうが生きようが、復活しようが腐敗しようがどうでもいいことです。
枯れ葉が一枚落ちようが落ちまいが、それと私に何の関係があるでしょう。

また、イエスが私のために「も」死んだのだと、キリスト教徒が思いこむのは勝手です。私がそれにとやかく言っても始まりませんし、言うつもりもありません。どうぞご自由にと。

私は、復活を信じる過程が違えば(見ずに信じるか、傷口に手を突っ込んで初めて信じるか)、信仰の価値も違うのかと思って不思議だったのですが、そうじゃないという前玉さんのような方もおられるし、いろいろなんだなと思いました。
私としては、前玉さんの信仰の方に親近感を覚えます。

>「こいつ(前玉)のためにもキリストは死んで復活した」と3回唱えてみましょう。

キリスト教徒でもない私がそんなことを唱えてもナンセンスでしょう。


非科学的>LucifeRさん 投稿者:JA50  投稿日: 3月 6日(火)10時27分19秒

>「非科学的」という語は「科学をよきものとする価値観での絶対悪の標識」で「確実に罵倒語」なんです

非科学的という用語は、罵倒語なんですか?
私は、単に科学的じゃないという意味しかないと思っていました。
それに、nasuさんご自身も「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」と書いています。信仰と科学とは違うという意味で非科学的だと言っているんですけど。
それとも、nasuさんは、非科学的というのを罵倒語として使われたのですか?

科学的という用語を選んだヤツに、「優越意識」として必ず科学的という用語が存在しているとは私は思いません。
私に言わせれば、非科学的と言われて罵倒されたと感じる方が間違っているし、同じく、非科学的と言ってそれで罵倒したつもりになっている人もおかしい。

信仰は科学じゃないし、その信仰の元になっている聖書が非科学的であって当然じゃないですか。罵倒でもないし、侮辱でもない。


ヤバクない 投稿者:ハピネス  投稿日: 3月 6日(火)09時26分38秒

>彼らは聖書を清く生きるための道標あるいは教訓として利用しているだけ。
これもかなりヤバくないっすか?

学校で道徳の授業を学ぶガキどもがいる。
クリスチャンは聖書でいまだにそれを学んでいる。ただそれだけ。
ちなみに、欧米のクリスチャンは日常的に教会の説教を聞いたり専用の神父さんがいたりするので道徳は必要ない。宗教が道徳の授業の代わりをしているから。
それをヤバイというやつは善悪の規範が法律しかないと思ってる一般の日本人だけ。


すべての意味を否定する 投稿者:マルクス  投稿日: 3月 6日(火)09時16分05秒

人間は水とタンパク質でできた機械である。
自我は妄想で、感情は脳が生み出す信号に過ぎない。
善悪の概念も脳が都合よくつくりだした意味のないルールである。
もし人類が滅びれば、善悪なんてクソである。
それを前提にした天国、地獄も実在しないのだから、宗教など不毛である。
脳が朽ちれば自我も消える。あんたらの存在も無になる。
生命とは何か?食って出して動いて寝る存在。外から栄養をもらってブラブラしてる管みたいなもんだ。


ダメダメ 投稿者:セヒア色  投稿日: 3月 6日(火)02時13分18秒

竹内さん

言葉を作ってはだめだめ。

去るものは追わず。

去りなさい。

創造論者よ、いやしだと思わんのか。 ほしい。ただそれだけだけど、君たちの言葉は。


聞いたことないですねぇ 投稿者:  投稿日: 3月 6日(火)01時11分51秒

皆様お久しぶりです。

..................

>竹内さん

手元に日本語の教科書が無いので、聞きますが、中心小体って centrosome の
ことですか? 細胞分裂のときに spindle fiber の根元に位置する奴。微小管
(=microtubule ね)と親和性があって、おそらくは spindle fiber の伸び
縮み(根元側)の調節に関与している蛋白質の集合体だと思います。必要なら
調べて来ますが。
それがなんで生命体なんでしょうね? 

是非、ここの皆さんにお説を開陳してくださいません? > 竹内さん
ついでにあなたのいう「生命」の定義も。


スコラ哲学>WWJD?さん 投稿者:wadja  投稿日: 3月 6日(火)00時30分41秒

おもわず、スコラ哲学勉強してしまいました。私の不勉強でした申し訳ありません。

ただ、一つだけ弁解しておきたいのは、キリスト教においては、あくまで人は特別な存在ですよね(神のイメージに似せて造られた)?同様に地球にも神の特別な思い入れがあるというのがクリスチャンの共通認識なのだろうと、思ってしまったわけです。だったら、地球が天体の運行の中心だと考えるのも、自然な成り行きかな?と。


生命>竹内 美継さん 投稿者:wadja  投稿日: 3月 6日(火)00時25分04秒

レスのお礼がまだでした。ありがとうございました。また質問です。

竹内さんは、生命をどのように定義されるのですか?物質と生命の境界、生死の境目。中心小体が「生命体」であることを証明する実験って、どこに行けば見ることができますか?


カツ 投稿者:竹内 美継  投稿日: 3月 5日(月)23時36分12秒

<セピア色さんへ>    私は「中心小体」が細胞の「統合体」であると認識しております。
      中心小体が「生命体」であることを証明する実験はすでになされているのですよ。
      只、その実験の重要性を多くの人々が認識していないだけなのです。この私の認識
      が誤っているならこの掲示板から去ります。


あんまり、仏教の話がでてこないから、つい。仏教徒じゃないけど。 投稿者:やも  投稿日: 3月 5日(月)22時51分48秒

 科学的とはアミニズム的ではない。

 ということでいいのだろうか?

 だからこそ、科学的を最終的に突き詰めていくと最終的には生物機械論になっていくわけで、
 (人類は土からできた=>人類は土とはもうちょっと複雑なもんからできた。)
 ここらのところの疑問がとにかく、肉体と精紳(霊?)の話となってくるのだとおもいます。
 科学的世界観には、ただただ、どこまでいっても、因果と応報だけで何か自分を預ける主体が見つからんのが寂しい。個人的な感想として。 
 ところで、仏教は因果応報の関係のなかで、この寂しさについてどう対処していくかの話を何百年ずーーーーとしてきたような気がする。


創発 投稿者:竹内美継  投稿日: 3月 5日(月)22時36分33秒

分類学者さんへ     
私は「創発」という言葉を知らなかったです。検索をし有田隆也氏の「10歳の人工生命」
をよみました。「階層構造」という認識はいいのですが私のイメージとは異なります。
異なるが故に、彼らは「偶然」「遺伝子」「相互作用」のような言葉を安易に使用して
いるのだと感じました。少なくとも「生命の定義」ぐらいは持って研究すべきではないだ
ろうか?「生命」という言葉を使って研究し、ネットで発信するならば。


なるほど 投稿者:やも  投稿日: 3月 5日(月)21時41分27秒

 もし、パラダイムといえど、かなり、未熟なものということですね。うーんいずれにしてもこんなところで長谷川さん抜きに長谷川さんのことをはなしてしまって、失礼な話ですが。
 できれば、長谷川さんからのご意見を伺えたらいいのですが。創造学校に行けばいいのかな?


非科学的という言葉(Re: 信仰は科学とは違う) 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 5日(月)21時04分07秒

"信仰は科学とは違う" JA50 wrote:
> >「聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」はまずいですよ。
>
> これがどうしてもまずいのでしょう?
>
> 信仰が科学とは違うのは当然で、同じだとするのこそまずいのじゃないですか。
> その科学とは違う信仰が拠り所としている聖書が科学じゃないもの、つまり非科学的なものなのも当
然と思うけど。

 ええと、ちゃんと答えておきましょう。この科白(nasuさんによる仮想罵倒ですよね?)
でマズイ語は「非科学的」です。そのまま引継いで使ってるってことは、気付いておられ
ないでしょう?

 「非科学」と「非科学的」のあいだには意味的に物凄い乖離があります。「非科学」は
単に「科学ではない」と言う意味ですから、「宗教は非科学である」ですと「そのとおり、
なにをいまさら、だからなに」という575で何てことないんですが、「非科学的」という語は
「科学をよきものとする価値観での絶対悪の標識」で「確実に罵倒語」なんです。

「科学をよきものとする価値観では〜」ではありません。必ず物差の押し付けコミです。
「科学的」の方には「〜には」というパラダイム変換を促す用法があるんですが。非が
つくとそれはありえません。「非常識」に「常識を超える深い知見」という意味はない
のと同じです。ですので

> 「まずい」とする意識の中には、何かしら科学=真理とか権威あるものというようなものがあるの
じゃないかしら。

これはそこそこいいとこ衝いてます。いわれて怒る側でなくて、この語を選んだヤツに
それが「優越意識」として必ず存在し、よほど日本語に疎いか他のパラダイムが想像
できないほど世界が貧弱でないかぎりはちゃんと伝わってしまいますから、
これはケンカか長い説教がはじまらずには終りません。判りましたか?


Re: 違うね其の弐 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 5日(月)19時29分36秒

>彼らは聖書を清く生きるための道標あるいは教訓として利用しているだけ。

これもかなりヤバくないっすか?

それからJA50様
>あ、それとも違いがあるんですか?
違いがあるといえばあるし、ないといえばない。
(その違いを無視することもできるということ。)
何てったって、あなた(JA50様)のために「も」キリストは死んで復活したのですから。
この発言、ものすごく失礼だと思ったら、ゲンコを出す前に、
「こいつ(前玉)のためにもキリストは死んで復活した」と3回唱えてみましょう。


「創造科学」にはパラダイムがない 投稿者:安賀須若人  投稿日: 3月 5日(月)19時15分19秒

やもさん、こんにちは

> つまり、まとめると、長谷川さんのパラダイムは、
>
> パラダイムがない
>
> ということですか?

大雑把に言えばそうです。今日の「創造科学」には、(クーンの意味での)パラダイムがないと思います。「創造科学」においてパラダイムの3つの主要な要素の内、形而上学的(存在論的)枠組みや世界観については存在するとして良いのですが、あとの2つ(問題解決に関する規範と模範例)を担う専門家集団が存在するのかどうかに疑問符がつきます。専門家集団が成立するためには、問題解決に関する規範が必要なのですが、主流の科学で特に規範に関する機能を果たしているのは、学術雑誌における審査です。まともな(主流の)科学であれば、ある説を発表しようとすると、査読審査のある学術雑誌か何かに論文を投稿することになりますが、そこで「問題設定に難点がある」とか「方法論的に問題がある」といわれると雑誌に載せてもらえないわけです(このような形で規範が機能しているわけです)。一方「創造科学」関係でまともな審査が行われてことがあったとしても極めて例外的なものなのでしょう。詐欺的な詭弁が目的でなければ、不正確な引用は信用をなくすだけであるのに、いつまでも文献の異様に不正確な引用がはびこっているのはまともな審査が欠如しているためと私は見ています。また、いわゆる「創造科学」専門家(?)というのが懸命にやっていることは進化論への論難がほとんどであり、例えば(懐疑派から)疑似科学として叩かれることの多い超心理学等と比べても、自らの学問的伝統における「パズル解き」(生物学的事象に関する説明等)に関しては全くお寒い状況です。ですから「創造科学」的な説明に関する蓄積がなされておらず、模範例の集積となるべき「創造科学」の教科書が書けないので、長谷川寿紀さんのようなアマチュア「創造科学者」が勇み足をやっては進化生物学者に叩かれる状況からなかなか抜けられないのです。ただし、分類学者さんが紹介されていた「Baraminology」とかを見ると、そのうち固有のパズル解きに勤しむ学問伝統として離陸するかもしれませんが、いずれにせよこれからのことでしょう。現状の「創造科学」に全く方法論的規範がないとまでは言いませんが、今のところ専門家集団が成立するようなレベルではないので、せいぜい前パラダイム期の段階ではないのでしょうか。

また19世紀の創造論者にはパラダイムがあったかどうかは即断できませんが、ダーウィンの進化論が成立するまでの博物学や分類学において支配的なパラダイムを強いて捜すとすれば当時の自然神学が候補となると思います。これは博物学・分類学が明らかにしたような自然の秩序に基づいて神による生物のデザインを見出し、そのようなデザインの存在から神の存在証明を論証するようなものです(「時計とその製作者」という比喩を持ち出したウィリアム・ペイリー(1743−1805)などが有名)。自然神学系の学問伝統の中からキュヴィエ(1769−1832)の比較解剖学が生まれているので、自然神学についてはパラダイムがあったとしても良いかもしれないと考えますが、現在の「創造科学」はそのレベルまで達していないでしょう。また同じ生物種に関する個別創造説系の学説であっても聖書の啓示に基づく神学(啓示神学)を基本とする根本主義キリスト教に基づく「創造科学」とは相当立場が違うものです。


Re: 違うね 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 5日(月)16時48分40秒

"違うね" ハピネス wrote:

> また、聖書の昔話を史実と信じないことがイコールで不信者に繋がるということもない(そもそも、
総本山のローマ法王庁でさえ進化論を認めはじめたってのに)。

 あなたが無学な素人サンである事を看破するにはこの「法王庁」という語だけで充分です(笑)。


ハピネスさん 投稿者:分類学者  投稿日: 3月 5日(月)16時31分33秒

同じ内容を

http://www.tcup1.com/158/kenko.html

に投稿してごらん


 投稿者:ハピネス  投稿日: 3月 5日(月)16時19分29秒

クリチャンは聖書を信仰してるわけじゃい。

クリチャンは聖書を信仰してるわけじゃない。

どこぞの不良少年みたいな発言になったが、単なる打ち間違えである。


違うね 投稿者:ハピネス  投稿日: 3月 5日(月)16時16分19秒

クリスチャンは創造論なんか信じてないよ。
クリスチャン=宗教家ってのが無神論者の多い日本にありがちな発想で、欧米では科学者でもクリスチャンが多い。
聖書の話を隅々まで信じてるのは一部のキリスト教原理主義者くらいで、一般のクリスチャンは聖書の完全性や整合性など最初から求めていない。
また、聖書の昔話を史実と信じないことがイコールで不信者に繋がるということもない(そもそも、総本山のローマ法王庁でさえ進化論を認めはじめたってのに)。
クリチャンは聖書を信仰してるわけじゃい。彼らは聖書を清く生きるための道標あるいは教訓として利用しているだけ。
はっきりいって、人間が土から造られたとか、つい最近、大洪水で生物大量絶滅が起こったなんて信じてるやつは、かなりヤバイ精神の持ち主だけ。
クリスチャンが誤解されないよう、そこんところヨロシク。


nasu様(Re: マルチレス) 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 5日(月)15時49分31秒

"マルチレス" nasu wrote:
> To LucifeRさん
>
> 名前を間違えてしまいました。。。。
> 申し訳ありませんでした。。

 あ、ぜんぜん気付いてなかった(笑)。こちらこそヲタクだの暴力団だの
ロクでもないタトエばかりですみません。ま、私も「こっち寄り」蝙蝠と
いうことで、全く他人事とは思ってないので勘弁してください。

 蝙蝠の宿命として、こっちで宗教、あっちで科学を語るハメになることが
多いんですよね。


私も蝙蝠ですから(Re: 「あちら」>LucifeRさん) 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 5日(月)15時16分59秒

"「あちら」>LucifeRさん" JA50 wrote:
> となると、神学をやっている者はイエスから見たら、不信心者ということに?

 あのね、トマスの件は創造科学ではなく教会教理学の話だから、あっちで逆鱗に
触れるなら、禁忌じゃなくてもこっちでも不愉快に思う人はいますよ。そういう
問いを出されたときの伝統的切返し方はですね(FAQなんです)、シンプルに云えば

「キサマはイエス様か?(そーでなければ他人の考えをあれっぽっちの
文言からそこまで断定できるわけないだろう?)」

とゆーもので、いきなりガキのケンカになってしまいます。信仰者なら「異端」の、
そうでないなら「無学な莫迦」の烙印押されますし、過去2000年勝てた試しない
ですから(ほら、宗教家って「負けない」でしょう?)、やめといたほうがいいです。

 聖書ってヨハネ伝だけじゃないんですから、1ヶ所に拘泥すると主張が歪みます。
無論1ヶ所だからといって無視するのもイケナイ事ですが、これはつまり同じ規則
ですよね、1ヶ所のみの注視は他の全てを無視してるわけですから。

 ちなみに神学をも否定するほど『敬虔』な者たちが存在するのは事実です。
当然ながら私は
「確かめる根性もないほど不信仰(疑ったら最後崩壊すると内心思っていやがる)」
と評価いたしますが。この話最近したでしょ。


なぜなぜどうして 投稿者:分類学者  投稿日: 3月 5日(月)14時50分29秒

WWJD?さん、nasuさん どなたか...

どうも「創造科学を信じなければ、正統なキリスト教信仰を否定する不信仰者」という話しがあちらですすんでいる(あんまり掲示板がすすまんね、みんな追い出すから)
ようですが、なぜそこまで「創造科学」にこだわるのか?

それから、私個人としては、長谷川さんらに議論をふっかけるつもりはありませんよ。そちらから言い出さない限り。私は、「創造科学」ではどう考えるかという情報がほしいだけです。


マルチレス 投稿者:nasu  投稿日: 3月 5日(月)14時44分48秒

To LucifeRさん

名前を間違えてしまいました。。。。
申し訳ありませんでした。。



To 安賀須若人さん

私の申し上げたかったことを理解していただけたようで、ありがとうございました。

>「創造論は宗教的に正しい」に関しては、「宗教」を「キリスト教」に置き換えていただけないと、一仏教徒としては同意いたしかねます(笑)

たしかにそうですね。。。(^^;;;
置き換えることにいたします。。。(笑)
創造論を信じない「キリスト教」の方からはクレームがつきそうですが、、、
そうなったらまた違う言葉を考えないといけないかもしれない。。



To JA50さん

>こちらに書いたことは、こちらのことでしょう。

しつこい人ですね。
言った本人(私)が「あちら」のことだって言ってるのに。。


不信のトマスさえ「も」>前玉さん 投稿者:JA50  投稿日: 3月 5日(月)14時11分40秒

>我々は「救い」という事柄を抜きにして聖書を読むわけにはいかないので、あのようなレスを致したわけですが、非キリスト教徒の方にとっては、随分と的外れに思われたことでしょう。

いや、的はずれも何も、、、

信じてしまえば、それまで疑っていようが同じ事なんですよね?

ただ「トマスさえも」と言われたのが、ちょっとひっかかったもので。
見ずに信じた者だろうが、傷口に手を入れて初めて信じた者だろうが、そこに違いはないんでしょう?

あ、それとも違いがあるんですか?

LucifeRさんは、違いがあるように書かれていますが。


「あちら」>LucifeRさん 投稿者:JA50  投稿日: 3月 5日(月)14時05分53秒

私は、あくまでもこちらのメッセージに反応したので、あちらにおける傾向と対策と言われても困るんですよ。
こちらに書いたことは、こちらのことでしょう。

それと、私はグールドとドーキンスとなると、ドーキンスの方です。
どっちの尻馬に乗るかと言われたら、ドーキンスの方。

>なぜなら確かめるという行為を分解すると最初の段階はどうしたって「疑う」プロセスからはじまりますし、神学が「科学」でこそありませんが曲りなりにも「学問」のフリをしていられるのは、常に「疑い、(自己)解決する」体裁になってるからでしょう?

神学は学問だから、そこには「疑い」というプロセスがあるということですか。

となると、神学をやっている者はイエスから見たら、不信心者ということに?


神話とファンタジー 投稿者:安賀須若人  投稿日: 3月 5日(月)13時55分04秒

nasuさん、こんにちは
お返事いただき感謝しています。

>私がファンタジーと書いたのは、
>「皆さんにとってはファンタジーであることは承知の上ですが」という意味も含んでいます。
>私は、本音では大真面目です。
>「(聖書に)書かれていること」に関しては妥協はしませんので。
>ですから、決して迷信、あるいは夢物語として、認識しているわけではありません。

ええ、nasuさんがそのようにお考えであると了解しているつもりです。今日では「神話」というのは、かなり否定的なニュアンスで使われているので誤解を与えてしまったかもしれませんが、神話という言葉には世界や物事の成立に関する説明を与えるものという意味合いで、ファンタジーはそのような説明機能が想定されていないものということで、いずれの意味であっても、それを語ることは科学によって禁止しているのではないというつもりで申しました。

>逆に「科学の方が正しくて、聖書の方が間違っている」と言われるようなことがあるとすれば私も心外です。

それはそうでしょう。そういわれてまったく平気なクリスチャンというのは相当変わった人だと思います。更に言うなら私は、リベラルなキリスト教神学においても象徴的あるいは比喩的な解釈において聖書と信仰の正しさについて(根本主義者とは異なる基準と方法で)弁証しようとしているのであろうと見なしています。

>彼らは決して信仰の名の下に科学を全否定しているわけではないと思うんですよ。
>うまく説明できませんが。

基本的に同意いたします。信仰の名の下に科学を全否定する人達に対しては疑似科学批判とは全く異なる対応をとらなければならないと考えています。

>あちらで「さようなら」といわれる人と、
>「またどうぞ」といわれる人の違いも、そういう誤解が解ければ
>わかりやすくなるかもしれませんね。

私自身はあちらで「さようなら」と言われても大して困りませんが、他者の信仰を正面から土足で踏みにじるようなものの言い方は避けるように心がけていかなければならないことには同意いたします。

>創造科学が科学であるかないかについてはあまり興味はないのですが、(というか、心情的には創造科学が疑似科学だということを認めたくない(笑))私は創造科学が将来的に科学たりうるものに成熟していくことを期待しています。

現状の「創造科学」は残念ながらnasuさんの期待には応えていないでしょうけれど、nasuさんのお気持ちは分からなくはありません。nasuさんのように、未来への希望と現実とのギャップを認めていただける方であれば深刻な対立にはならないと思います。しかし「最新科学で進化論は否定された」とか「進化論は科学的でない」と仰る方は、そのようなギャップの存在すら認めたくないということなのでしょうか?このような方々に現実を認識していただくためには、対立が避けられないようです。

>進化論は科学的に正しい
>創造論は宗教的に正しい
>
>まあ、別に悪くはないんですけど、
>補足をさせていただくと、
>宗教的に正しい=迷信 ではないということには同意をしていただけると幸いです。

「宗教的に正しい=迷信 ではない」に関しては同意いたしますが、そのまえの
「創造論は宗教的に正しい」に関しては、「宗教」を「キリスト教」に置き換えていただけないと、一仏教徒としては同意いたしかねます(笑)。nasuさんも重々ご承知のことと思い、蛇足かとも思いましたが、念のため(^^)。


科学は所詮道具。あるいは宗教も。 投稿者:PDX.  投稿日: 3月 5日(月)13時47分19秒

To WWJD?さん

>しかし、科学に説得のための証拠が必要と言ってもそれは証拠として出さ
>れるものの解釈によるのではないでしょうか。化石ひとつをとってみても
>進化論者は進化の証拠として提出するし、創造論者は神の創造の証拠とし
>て提出するのではないでしょうか。そして進化論が圧倒的多数を占めてい
>る現在の科学界においては多数決の原理が働いているとは言えないでしょ
>うか?

 科学の歴史において、少数派だった意見が多数派を覆すことは、困難では
あっても不可能とはされていません。
(困難だからこそ、稀にそれをなしえた人物は歴史の教科書に残るのですが)

 あと、「解釈」とおっしゃいますが、その解釈を複数の手法で検討し、矛
盾するのであればその解釈は否定されます。あるいは少なくとも修正を強い
られます。
「多数決」とおっしゃいますが、その多数すら認めざるをえないような証拠
(解釈)を提示できればよいわけです。
 相対性理論も量子力学も、登場した当時は反発されたのですから。

 要は、その解釈で他人を説得できるか、客観的に検証ができるか、ではな
いでしょうか?


 ただこれは、道具としての『科学的手法』についての話であって、それを
正しく使うことができるかどうかはその人間に依存するのは、下に続く話の
とおりでして。この点において、科学も宗教も大差ないですよね。
 どちらも、それを用いる人間の偏見とかに左右されますし。

>PDXさんが言われるようにすでに持っている自分たちの考えを
>正当化するために好都合の理論が出て来たということでしょう。
>しかし、それは同時に科学は科学、思想は思想、宗教は宗教とい
>うわけにはいかないことをも表していると思います。

 グールドの『人間の測りまちがい』あたりを読んでいただければ、人間が
いかに偏見に陥り易いか、偏見に基づいて行動し易いかがわかります。
 科学というものさしの誤用の例について実に詳しく書かれている。しかも、
やっていた当人は自分のしたことを正当な行為だと思っている。そういう姿
がよくわかります。


>>というか科学や技術というのは人間にとって「道具」でしかないわけ
>>で、生活面でそれに依存することがあるとしても、精神面で依存するの
>>はこまりものですけどね。
> 現代社会はこれが満ちあふれていると思いますよ。

 どうでしょう?
 倫理や行動の規範すら『科学』に依存するような人間はそうそういない
と思いますが。
『科学』そのものと『科学の産物」を混同されていませんか?

『物質文明』に依存している人間は多々みうけられますが、彼らは科学の
産物である機械や情報に飢えているだけで、別に『科学』を欲しているわ
けではないと思います。
 古代において金貨を欲しているのとかわらない。単なる物欲の権化だと
思います。


Re: 不信のトマス>前玉さん 投稿者:前玉 睦子  投稿日: 3月 5日(月)12時31分31秒

JA50様
>これはあくまでも一非キリスト教徒の見解です、というのをイクスキューズしておきます。

御もっともです。
我々は「救い」という事柄を抜きにして聖書を読むわけにはいかないので、
あのようなレスを致したわけですが、
非キリスト教徒の方にとっては、随分と的外れに思われたことでしょう。
そしてそれが的外れであると思われる方もいることにさえ気づかなくなれば、
「と」の道をまっしぐらということで・・・

LucifeR様
補足をありがとうございました。(ってnasu様と同じか)
疑ったらもうアカンとなると、宗教改革500年の歴史はどないすんねん!と。


要は、そういうこと、、 投稿者:nasu  投稿日: 3月 5日(月)11時39分51秒

LusifeRさん、どうも。。
補足をありがとうございました。

例えばの話をしようとすると、どうしてもそういうたとえになってしまうので、
どうしようかなあと思ってたところです。。。
私もどちらかというと、あちら側の人間ですし(^^;;;;;


疑っていいんだってば(Re: 不信のトマス>前玉さん) 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 5日(月)10時20分23秒

"不信のトマス>前玉さん" JA50 wrote:
>
> 問題は、疑うことです。
> 疑いがあれば、いつまでも救われないよ、とあそこでイエスは言っているのじゃないかと。

 これははっきり違いますね。なぜなら確かめるという行為を分解すると最初の段階は
どうしたって「疑う」プロセスからはじまりますし、神学が「科学」でこそありませんが
曲りなりにも「学問」のフリをしていられるのは、常に「疑い、(自己)解決する」
体裁になってるからでしょう?

> てなことをドーキンスは言いたいのじゃないかと、私は解釈したんですが、、、

 てことで、ドーキンス論の解釈はソレでよくても、彼は宗教=破壊的カルトであるか
のような、無茶な珍説を唱えている訳です(連中は文字通り疑う事を禁止します)。
独善では似たよーなレベルでもグールドにはそういう傾向はありません(当然か)。

 てわけで、我々が異を唱えているのはドーキンスにでして、その尻馬に乗るというなら
そこで初めて貴方諸共、になるわけですが、どーします(笑)?


TPOというよりプロトコル(Re: nasu様) 投稿者:LucifeR  投稿日: 3月 5日(月)10時01分53秒

"Re:nasu様" JA50 wrote:
> >「正論を語るのにもTPOがあるのでは?」というふうに言い換えましょうか。。
> 私の主張は正論なんだが、その発言の時期、場所などが不適切だということですか?
> じゃ、どこにどのようにその正論なるものを語ればよかったのでしょう?

 たとえば(あくまでもたとえば)。

「明るい街づくり」の為に暴力団と対峙せなばならないとして、いきなり
何の策もなく正面から舞上がった主張をたたきつけても、志半ばに暗殺
されちゃうだけですから、それなりの対策と戦術と交渉のヤリカタという
ものが必要でしょ?

 というお話だと思います。

 


はい。思いっきりずれてます。 投稿者:nasu  投稿日: 3月 5日(月)09時54分37秒

私の「まずいですよ」発言は
「あちら」の当時の状況の中でそういう発言をしたのがまずかった、
発言の仕方、言葉のニュアンスがまずかったという意味です。
そういうことが読み取れませんでしたか?
これでわかっていただけましたか?

わかっていただけないのでしたら、もう結構ですから、おしまいにしましょう。


Re:nasu様 投稿者:JA50  投稿日: 3月 5日(月)09時38分59秒

>横レスは結構ですが、論点をずらさないでいただけるとありがたいです。

あれま、論点がずれてますか?

一つの論点に絞って横レスしたつもりなのですが。
聖書は非科学的、信仰と科学は違うという主旨の発言」はまずいですよというnasuさんの発言に、そんなことはない、ちっともまずくはないということを言ったつもりなのですが、それで論点がずれていますか、、、

>クハ72さんへの個人的なレスでしたので、かなり言葉を端折ったので誤解を受けても仕方がないのですけどね。

どこが誤解なのでしょう?
自分は、こういうように言うつもりだったのだが、私がこう誤解して解釈したというように指摘していただけるとありがたいです。

>私の言い方がお気に召さなかったのでしたら、

私の気に召すかどうかなど関係ないと思いますが。
私の気に召すかどうかど、それこそ無視すればいいことです。

>「正論を語るのにもTPOがあるのでは?」というふうに言い換えましょうか。。

言われたい意味が理解できませんが。

私の主張は正論なんだが、その発言の時期、場所などが不適切だということですか?
じゃ、どこにどのようにその正論なるものを語ればよかったのでしょう?

それとも、自分とクハさんだけで話しているのだから、第3者はレスするなということかな?


マルチレス 投稿者:分類学者  投稿日: 3月 5日(月)08時52分48秒

クェーサーさん

 そうなんですが、それを進化と言っていない訳です。すごく黒に近い灰色って気分ですね。
下にURLをつけたバラミノロジーというのを見るとわかりますが、最初に創造された種類をバラミンと呼んで、そこからの派生はすべて、変異なわけです。バラミンからバラミンへの移行(たとえば両生類からは虫類)が進化と定義しています。もうこの時点でそうとう
ずれがありますね。


竹内さん

竹内さんの御意見はどうも私にはつかみどころがないです。お前がアホだからと言われればそれまでですが。タイプスイッチングを例にあげたのはまずかったかな。では創発(emergence)は?


WWJD?さん


    この動きはいけないことなのでしょうか?そこから何かが生まれてくれば、それはそれで
    良いことではないでしょうか?

いいえ、御自由にどうぞということです。

     生物学としての進化に見切りをつけたのに、
    進化論は捨てていない?ってどのような意味でしょうか?

今西さんにとっての「進化論」は哲学でしょう。どう進化したかは知らんが(「変わるべくして変わる」っていってますよね)進化した。自分の観察、研究結果をうまく自然科学的に説明できなかったんでしょうか。創造論者が「神が創造した」というのに近い発言ですね。
一方、自然科学としての生物学は現在のところ、変異の方向性や自然淘汰、性選択というかなり限られたことの研究に絞られており、それには興味がなくなったんでしょう。

    厳密には自然科学からではなく、進化論から直接創造へ移行ということですよね?

いえ、自然科学と意識的に書きました。


竹内さんへ 投稿者:クハ72  投稿日: 3月 4日(日)23時02分45秒

僕の行った図書館にはなかったようです。今度別の図書館探してみます。


分類学者さん、PDXさんありがとうございます 投稿者:WWJD?  投稿日: 3月 4日(日)22時35分01秒

WWJD?です。

分類学者さん>

>参考のため下のURLは見てみて下さい。

ありがとうございました。

>昨日紹介した「造物学(バラミノロジー)」の記事など読むと、もう彼らは一般の科
>学界とは一線を画し、自分らのサークルを作ろうとしていることが伺えます。

この動きはいけないことなのでしょうか?そこから何かが生まれてくれば、それはそれで
良いことではないでしょうか?

>今西さんは生物学としての進化に見切り
>をつけただけで、「進化がおこらなかった」とは思っていないでしょう。

分類学者さん、すみませんが、私は素人なので、ここのところをもう少し
詳しく説明してください。生物学としての進化に見切りをつけたのに、
進化論は捨てていない?ってどのような意味でしょうか?


>いずれにしろ、進化を捨てた場合、創造論者が期待するようには、創造の方へは行か
>ず、不可知論へ行くでしょうね。あくまでも、創造は信仰をもった後に教理的に受け
>入れることが必要ですから
>自然科学から直接創造へ移項することは普通ないでしょう。

厳密には自然科学からではなく、進化論から直接創造へ移行ということですよね?



PDXさん>

>自然科学と宗教的信仰の間に一線を設けるとすれば、「他人を説得させ
>るために証拠を必要とするか」でしょうか。

確かに、キリスト教信仰においては啓示が先行しなければ信仰を持つこと
ができませんので、説得(信仰の弁証)は二義的なものです。(しかし、
この二義的な弁証もないがしろにしてはならないのですが)
しかし、科学に説得のための証拠が必要と言ってもそれは証拠として出さ
れるものの解釈によるのではないでしょうか。化石ひとつをとってみても
進化論者は進化の証拠として提出するし、創造論者は神の創造の証拠とし
て提出するのではないでしょうか。そして進化論が圧倒的多数を占めてい
る現在の科学界においては多数決の原理が働いているとは言えないでしょ
うか?

>>社会ダーウィニズムが生まれたのもそこにあるのではないでしょうか。

>これは、ものさしを間違って使った例ですよね。
>自然科学をあてはめるべきではない場所で使ったというか。
>(既存の偏見を正当化するために自然科学を誤用したというか)

進化論が出てマルクスとエンゲルスは狂喜したということです。
また、マルクスは「資本論」の英訳ができた時、「ダーウィンに
捧ぐ」と書きたかったそうですが、ダーウィンが断わったという
ことです。そういう意味ではダーウィンは自分の立場を理解して
いたのかもしれません。
PDXさんが言われるようにすでに持っている自分たちの考えを
正当化するために好都合の理論が出て来たということでしょう。
しかし、それは同時に科学は科学、思想は思想、宗教は宗教とい
うわけにはいかないことをも表していると思います。

>というか科学や技術というのは人間にとって「道具」でしかないわけ
>で、生活面でそれに依存することがあるとしても、精神面で依存するの
>はこまりものですけどね。

現代社会はこれが満ちあふれていると思いますよ。



何を言っているのか  渇 投稿者:セピア色  投稿日: 3月 4日(日)22時21分00秒

竹内さん
過去ログ読まないけど。読む気ないけど。過去に貴方が何を言ったか関係ないね。
生命に対して考えるのは自由だよ。たとえば、あなたの言った「生命はつくられて在る」をどう説明するのか。たんにそう考えるですか。あほらしい。


図書館で借りてきました 投稿者:竹内 美継  投稿日: 3月 4日(日)21時28分21秒

<クハ72 さんへ>     で。 ありましたか?


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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