>> 自意識の話ならともかくチューリングテストを通過する人工知能の実現可能性の話に
>> なんでゲーデルの不完全性定理が絡んでくるのか正直よくわかりません。
> ははぁ…。(^^;)
> まぁ、ちょっとずつお勉強してね。ぷふ。
いやー。
つーか単に櫻井さんのロジックがわからないだけなんですけど。
・チューリングテストを通過した物を「人工知能」と定義する(命題1)
・人間の思考はゲーデルの不完全性定理を超越した機構を持つ。
よって単なる機械でありゲーデルの不完全性定理に縛られた
機械には「知能」を持ち得ない(命題2)
という2つの命題はその真偽は別として命題としては成立して
いますが、第3の命題
・ゲーデルの不完全性定理により人工知能の実現は不可能である(命題3)
を成立させる為には命題1と命題2の「人工知能」と「知能」を
イコールで結ばなければなりません。よね?
わたしは一応、この2つは単純にはイコールで結べないよねーという
議論を展開したつもりだったのですが読み取れなかったでしょうか?
そうでしたら申し訳ありません。
櫻井さんは命題1の「人工知能」と命題2の「知能」はイコールで結ぶ
べき物だと認識されているように受け取れたのですが、そのような解釈
で合ってますでしょうか? そこのところだけ御返答お願いします。
>ソフトウエアはイデア界にあるのよ。PC言語でかかれたプログラムそのものはソフトウエアじゃないのよ。
ソフトウェアはメディア(物質)に刻まれたパターンとして存在してるんじゃないの。
遺伝情報も DNA のパターンとして存在するのではなく、イデア界に存在するのかな。
ゆんさん。
>自意識の話ならともかくチューリングテストを通過する人工知能の実現可能性の話に
>なんでゲーデルの不完全性定理が絡んでくるのか正直よくわかりません。
ははぁ…。(^^;)
まぁ、ちょっとずつお勉強してね。ぷふ。
>今日帰った時に調べて来ます。
楽しみに待ってるわ。
>> これは「人工知能」をどう定義するかによるかと。
> 一般的にはチューリング・テストに合格した機械のことを言うのよ。
ああ、それでいいんですね?
それだったら下に説明したように単純に工学的な問題ですから実現は可能だと
思いますよ。自意識の話ならともかくチューリングテストを通過する人工知能
の実現可能性の話になんでゲーデルの不完全性定理が絡んでくるのか正直よく
わかりません。
ゲーデルの不完全性定理を人工知能の実現可能性と結びつける事への批判文は
家に置いてある本に書いてあったような気がして来たので今日帰った時に調べ
て来ます。
ゆんさん
>これは「人工知能」をどう定義するかによるかと。
一般的にはチューリング・テストに合格した機械のことを言うのよ。
EzoWolfさん
>証明どころか説明にもなっていない。
>強度の還元論者でも、脳の中に数学のような公理系があるとは考えておるまい。
じゃぁ何が脳の中にあり心を生み出しているのかしら?
>面白いからこちらも引用
>しかし、ソフトウェアそのものは物質ではありませんね。これは自明です。
あたりまえじゃん。あんたソフトウエアが物質だと言うの? ぷはぁ〜っ(わら)
じゃぁスフトウエアは物質世界の「どこに」あるのかしらん?
ソフトウエアはイデア界にあるのよ。PC言語でかかれたプログラムそのものはソフトウエアじゃないのよ。
PDX.さん
>唯物論が正しいのか、そうでないのかは「科学的には」未解決ということなのでは?
大賛成。その通りよ。
物質に依存していない魂(精神)の存在だってまだ証明できていませんよね。
唯物論が正しいのか、そうでないのかは「科学的には」未解決ということなの
では?
>ゆん様
「現在でも対話形式で、10分くらいはモニタの向こうに人間がいると勘違いさせるようなプログラムは作られています。」
そういえば、一人でチャットができるようなCGIがありますね。。
そういうものだということを知らなければ、相手に知能ががあると錯覚してしまうこともあるかもしれませんね。。
>ちなみにあたし人工知能は不可能だと信じています。理由はゲーデルの不完全性定理があるからです。
出〜た〜
>3、脳は精密なバイオコンピュータなので、つまり機械なので、不完全性定理にしたがうはず。
> ところがしたがっておらず、計算不能なことをする。よって心は脳を超えている。
> こんなところね。
証明どころか説明にもなっていない。強度の還元論者でも、脳の中に数学のような公理系が
あるとは考えておるまい。
面白いからこちらも引用
>しかし、ソフトウェアそのものは物質ではありませんね。これは自明です。
>ということは、物質ではないソフトウェアが、物質から生み出されるということになりますね。
>これは非論理的だとあたしは思うわけ。
>だから物質ではないソフトウェアは、物質ではない世界(イデア界のようなもの)にあり、
>物質であるパソコンは、物質の世界にある…、と考えた方が論理的だと考えてる。
> 事を明らかにしたので、自意識すら実はあてにならない錯覚の1つです、
> 特別視するに値しないと言うシナリオもいかにもありそうだと思ってます。
↓
事を明らかにしたので、「自意識すら実はあてにならない錯覚の1つです、
特別視するに値しない」と言うシナリオもいかにもありそうだと思ってます。
>>「私を私として感じる私がいる」事の説明として十分では無いって事
>> だと解釈したのですが。
> そうです。あってます。
了解です。
そこのところは納得できます。
> ちなみにあたし人工知能は不可能だと信じています。
これは「人工知能」をどう定義するかによるかと。
単に「人間と変わらない振舞いをするだけの機械」を人工知能と呼ぶなら
それは工学的には実現可能だろうという感触を持ってます。これは知能の
本質とはあまり関係なくて対象を知能かどうか判断する人間の認識のいい
加減さに由来します。
現在でも対話形式で、10分くらいはモニタの向こうに人間がいると勘違い
させるようなプログラムは作られています。それらは人工知能と呼ぶには
値しない人間の喋った言葉を適当に加工して返すだけのオウム返しのおも
ちゃですが、そういった代物ですら知能があると短時間でも勘違いしてし
まうという事実は、こうしたソフトがより精密な振舞いをするようになっ
た時に、人間がそれを知能として認識してしまうだろうという可能性を強
く示唆しています。
で、そうした高度な振舞いを返す機械が出来た時に果たしてそれを知能と
呼んでいいかどうかは全く別の問題です。ここで話が最初に戻ります。
> 理由はゲーデルの不完全性定理があるからです。
人工知能不可能の証明に持ち出すのはゲーデルの不完全性定理の誤用
だという批判を見かけた覚えがあります。ちょっとどこで見かけたのか
忘れちゃいましたので、次までに探して来ます。すいません。
> ゆんさんの
>> わたしは個人的には将来的にはこれ方程式で現わせるようになる
>> だろうと思ってるんですが
> こういう発想は「約束唯物論」っていうのよ。知ってる?
> そのうち説明できるだろう、というだけで何の根拠もない。
これに関しては
>> 少なくとも今の段階では出来るとも出来ないとも明言は出来ないですよね。
とあらかじめ逃げを打ってるんでそれで勘弁してください(苦笑)
私が自意識も結局還元的に説明されちゃうだろうと思っている薄い根拠は
2つあります。自然科学的方法論への信頼と、最近の心理学の成果。
私自身は宗教を持たない人間なので、それを仮定する強い理由が無い限り
心を説明するのに「未知の何か」を持ち出す必要性は感じません。ただ、
現在の自然科学の研究領域だとまだそれを否定するだけの材料も揃って
無い(ぶっちゃけてゆーと研究が進んで無い)ようなので判断保留にしと
きますつー感じで。否定も肯定もする気はありません。
ただ、数々の心理学実験が人間の認識(内観)は全然あてにならないって
事を明らかにしたので、自意識すら実はあてにならない錯覚の1つです、
特別視するに値しないと言うシナリオもいかにもありそうだと思ってます。
自意識なんてのは内観の際たる物、つーか内観そのものでありますし。
そういう還元論的な結論が出たとして感覚的には全然納得いかないだろう
というのも予想できるんですけど(笑
>1、脳(ニューロン)の活動が心を生み出しているという随伴現象説には、説明困難な問題がある。
どう説明困難か説明しないと。
それと、説明困難というのと、その説は間違っているというのとは同じじゃない。
クハさんの元の発言(想像論掲示板でされた?)がどんなものか知りませんが、宗教と科学とは別であり、宗教とか創造論(あるいは創造科学など)は非科学的なものだいう発言は正論であるというのは、私もnasuさんも同意見なんです。
ただ、nasuさんに言わせると、その発言のTPOが問題なのだそうな。
前にも書きましたが、TPOが適切だったかどうかは、クハさんがご自身で判断すればいいと思います。自己責任でされたらいい。そこで袋だたきになるかもしれないけど、それはそれで自己責任。袋だたきになろうが、正論なんだから自分は堂々と主張するというのならやればいいだけの話だと思います。
ゆんさん。
>櫻井さんのおっしゃってる「精神活動」って多分この「自意識の有り方」の事だと思うんですけど
>合ってますでしょうか?
>特定の感情や作業に対応して脳内の特定の部位のニューロンが発火するって現象はそれだけでは
>「私を私として感じる私がいる」事の説明として十分では無いって事だと解釈したのですが。
そうです。あってます。
ちなみにあたし人工知能は不可能だと信じています。理由はゲーデルの不完全性定理があるからです。
ゆんさんの
>わたしは個人的には将来的にはこれ方程式で現わせるようになるだろうと思ってるんですが
と、舞さんの
>でもまあ、ニューロコンピューターとかやっている人たちがそのうちやってくれるでしょう。
こういう発想は「約束唯物論」っていうのよ。知ってる?
そのうち説明できるだろう、というだけで何の根拠もない。
まぁ、いいけど。
wadjaさん。
>一方で「心の世界の実在」も、信じること以上の何を根拠にするのかwadjaには良く分かりません。
>今現在説明できていないが故に、今までの説明とは全く次元を異にする世界の存在を
>信じているような気がします。それとも、根拠になる信仰以上のものを
>櫻井さんは見出しておられるのでしょうか?
理由は次の通りです。
1、脳(ニューロン)の活動が心を生み出しているという随伴現象説には、説明困難な問題がある。
説明できないということは論理はたんということであり、その説(脳→心)は間違いということ。
(まぁ、約束唯物論を取れば別だけど。でも約束唯物論も信仰にすぎない)
ちなみにその説明困難な問題とは、ゾンビ問題、コピー人間問題、クオリア問題、結びつけ問題等。
2、随伴現象説が否定される以上、他の代案としては脳と心の二元論しかない。
3、脳は精密なバイオコンピュータなので、つまり機械なので、不完全性定理にしたがうはず。
ところがしたがっておらず、計算不能なことをする。よって心は脳を超えている。
こんなところね。
舞さん。
>物事すべて方程式で現されなければ、証明されたと言えないの?
>そりゃ、数学や物理の人の発想でしょ。(一種の暴論だよ)
ちがうわね。
あなたは「酸素」があることを信じるでしょう?
なぜ信じるかといえば、様々な方程式で表現される酸化還元理論があるからです。
酸素は決して目に見えない。しかし誰もが、ちゃんと勉強しさえすれば理解可能な「方程式」で示せるから、
誰もが酸素の存在を疑わないのです。
ニューロン発火によって心が生み出されているという場合も同じです。
ニューロン発火と「櫻井が殺したいほど憎い」という感情を方程式で示せなくちゃ、
証明できたと言えない。だって、心は見えないんだからね。
上でもちょっと触れたけど、もしそれが示せないなら、
我々と全く同じ身体構造で、話し掛ければ全く人間のように応対するが「心がない人間」、
すなわちゾンビの存在を否定できなくなります。
反論が返って来て、結構おもしろくなって来たわね。
ユリイカさん。
>私は、様々な生物が生きるために身に付けるあらゆる「獲得形質」というものに、
>非常に強い感慨を覚えます。
あたしも創造論者のはしくれなのでね、獲得形態というのは受け入れていないのよね。
海面が上昇したからって、人間にえらができるとは皆目思えない。笑っちゃう。
だったらライト兄弟時代から(たぶんもっと大昔から)、大空へを羽ばたく欲が人間にあったのだから、
飛行機のように早く空飛べる人間ができても良さそうよね。その方が得だし、有利だもん。
まぁ、進化論も創造論も、結局証明できないものなので、どっちもどちっちなんだけどね。
>私はこの宇宙空間の存在をある意味「絶対存在」と理解しており、
>この宇宙空間に関与する他の次元宇宙の存在を認めてはおりません。
これも結局「信じる」という範疇よね。あたしが創造論を信じるのと同レベル。
別次元の宇宙がないとは証明できない。
>虚数(イマジナリーナンバー)という概念を私は理解できません。
虚数を用いることで2次方程式の解から始まり、電気回路の計算や、量子力学の波動関数など、
あなたのいう「絶対的存在」である宇宙空間の物理法則を説明するのに役立ってるんだから、
理解できなくても認めなくちゃ。
>また非ユークリッド幾何学にみられる「平行は平行ではない」などの主張は、
>まるで「平行」の意味を無視した言葉遊びとしか思えません。
ユークリッド幾何学は曲率ゼロの平面上での幾何学であって、
非ユークリッド幾何学は曲率がプラスもしくはマイナスの平面上での幾何学なのよ。
前提条件が違うの。平行線が交わらないのは、ユークリッド幾何学だけ。
言葉の遊びなんかじゃない。事実よ。
あなたのいう「絶対的存在」である宇宙空間をあらわすには、非ユークリッド幾何学でないとダメなの。
これが一般相対性理論の帰着。
当初、数学者の「遊び」と思われていたものが、実際の物理現象を解明するのに役立っている。
つまり数学者には霊感みたいなものがあるのかしらね?
そうでないとしたら、ペンローズも認めているように、イデア界があって、数学者の心がそれに接触して、
数学的発見がなされるということよね。
最後の一行ミスです。
wadja さんへ
私は、皆さんの指してる(神秘的な?)「心」とか「心の世界」っ
てのが、何かってのがよくわからないです。ただ、基本的に、精神活
動が物質的基盤に基づいて行われてることは間違いないと思います。
例えば、赤い色を見たときの感じ方の違いについてまでは、なかなか
説明できないと思いますが、思考の仕組みとかは、遠くない将来わかる
と思ってます。
まあ、意図的なスプライシングってのも無いでしょう。ただ、遺伝子
は4万以下でも、実際のたんぱく質の種類は、合成時のスプライス以外
にも切断や化学的修飾やらで、いったいどれぐらいあるかは未知です。
物事すべて方程式で現されなければ、証明されたと言えないの?
そりゃ、数学や物理の人の発想でしょ。(一種の暴論だよ)
例えば、「三角形を見たときに、活動が高まるニューロンが側頭
葉のある部位に存在する」なんて事実をどうやって方程式に
するんでしょ?
でもまあ、ニューロコンピューターとかやっている人たちがそのうち
やってくれるでしょう。
>たとえば「あたしはあんたがメチャ嫌い」っていう感情を式であらわして。
例えば、こういう感情も、ニューロトランスミッターのレセプター
をブロックするなどすれば、抑えられるわけです。別に式で表され
ようが、表されまいが、このような精神活動は、物質にもとづく
ニューロンの活動によって司られていると考えて良いでしょう。
「自意識」も同じでしょう。
>ニューロンの活動=精神活動
>っていう等式が成り立たないわよ。
あなたがそう思うのは、「信じる」という程度の根拠であって、理論的背景がないのよね
(ちなみに私はそういう等式を立てているわけではない。
あなたが立てた式です)
化学反応ならできるでしょ?
人の心の変化に伴い、脳内に物理的あるいは化学反応が起きていることは確認されていても、それが我々自身が感じる心の動きそのものと結論するのは、やや性急では無いでしょうか?心のメカニズムが完全に解明されたわけではありませんから、まだまだ未知なものが存在する可能性は否定できない。違いますか舞さん?
一方で「心の世界の実在」も、信じること以上の何を根拠にするのかwadjaには良く分かりません。今現在説明できていないが故に、今までの説明とは全く次元を異にする世界の存在を信じているような気がします。それとも、根拠になる信仰以上のものを櫻井さんは見出しておられるのでしょうか?
#人間の遺伝子が3万程度しかないという発見は、結構ショッキングでした。人間に10万種類以
#上ある蛋白は、意図的なスプライシングで作られるのではないかといい始めている学者も居るよ
#うです。まだまだ発見されていない仕組みが、生物にはありそうな気もしてはいるのですが…
どうもはじめまして「てっぺん」と申します。
一年くらいROMしつづけていたんですけれど「そろそろ参加してみようかな?」と思いまして。
>ユリイカさん
すごい横レスなんですけど(しかも不確か)、非ユークリッド幾何学の「平行は平行でない」の主張は、間違ってお記憶になられてるのでは?だってそんなもの無いでしょ?「平行線は引けない」とか「たくさん引ける」とかなら見た事ありますが、「平行は平行でない」ならむじゅんが。それとももっと違うことなんでしょうか?
それから私は虚数は、別次元のものという認識で居るんです。二次元のものを一次元の数で表せるようにしているだけだと。ベクトルやなんかも向きや大きさを数字で表してるんだから、ただ見方を変えただけでしょう。
まるで頓珍漢なことだったらすみませんでした。
それでは、またぁ
> 精神活動がニューロンのイオンチャンネルが原因でできているんなら、
> 方程式であらわして下さい。
わたしは個人的には将来的にはこれ方程式で現わせるようになるだろうと
思ってるんですが少なくとも今の段階では出来るとも出来ないとも明言は
出来ないですよね。少なくとも人間と見分けがつかない人工知能が実用に
なるくらいまで人間の脳味噌についての理解が進まないと。でもそこまで
行ったところでそれは問題の本質じゃ無い。人間と全く同じ反応を返す機
械を前にして「果たしてこの機械には心があると言えるのか」っていうSF
なんかではお馴染の問いが提出されるわけですよね。科学的に心を説明す
るには「私を私として感じている私」すなわち「自意識」ってのが本当は
何なのかってのがきっちり説明されなきゃいけない。人間が総体としての
「自分」を感じる感覚って強固な物ですから。
櫻井さんのおっしゃってる「精神活動」って多分この「自意識の有り方」
の事だと思うんですけど合ってますでしょうか? 特定の感情や作業に対応
して脳内の特定の部位のニューロンが発火するって現象はそれだけでは
「私を私として感じる私がいる」事の説明として十分では無いって事だと
解釈したのですが。
ちなみにこの件に関しては納得の行く説明をあんま見た事が無いので
わたしは判断を保留しています。
櫻井美佐子さんへ。
先日NATROMさんから私への返事をみてからすぐ再返事を書いてしまったため、櫻井さんへの返事が遅れてしまいました。ごめんなさい。
さて、櫻井さんのおもしろい意見についての私の感想、というか私の「精神、それに物質というものに抱く概念」を簡単に書かせてもらいます。では……
私は、様々な生物が生きるために身に付けるあらゆる「獲得形質」というものに、非常に強い感慨を覚えます。たとえば、ある生物ははじめ全てオスとして生まれ、のちに体格の大きいものより順に、ある必要数だけメスに体質変化を起こします。また、ある貝は、自らの貝殻に「ルアー」ともいえる疑似餌を形づくり、よってくる餌を捕まえようとします。これらは自らの、またなんらかの「意志」により、自らの身体をつくり変えたと言えるでしょう。
櫻井さんは、「ウォーターワールド」という映画をご覧にはなりましたか? ケビンコスナー主演の映画で、舞台は地球上が海に覆われたのちの世界です。映画の中でケビンコスナーだけは、他の人間と違い『えら』をもっています。映画の中で彼は、新たな地球に生まれた新人類として活躍します……これは単なるハリウッド映画で、特別観るまでの価値はないものですが、生物という「生き物」を考える見方として、非常に共感を覚えます。私も、もしひたひたと地球上の海面が上昇し、陸地が今の5%を切るようになれば、そうした新人類ができるものと期待しています。またもし地球上の酸素がしだいに希薄になっていくのであるならば、他の気体などを用い呼吸する生物がどこかからか生まれてくるし、またそうした生物を元に、これまでのよう系統的進化を繰り広げていくであろうと空想してしまいます。
最近の臓器移植などでの実例を挙げますと、それまでピアノなど見向きもしなかった移植された側の人間が、移植後やたらとピアノを好んで弾くようになったとか、がちがちのKKK団の団員が、その思想を一変させたなど、興味深い現象が多々見うけられます。
私はこうしたことなどから――精神と物質は非常にリンクしているもので、どちらがどちらと本来区別するのも難しい、言ってみれば「コインの表と裏」との概念を持っております。櫻井さんがぽつりと言われた……『まぁ、心(観念世界)もそんなエネルギーのような存在かもね。』との考え方には、私は強く同意します。
ただ、(ここが私と櫻井さんとの考え方の隔たりなのかもしれませんが)私はこの宇宙空間の存在をある意味「絶対存在」と理解しており、この宇宙空間に関与する他の次元宇宙の存在を認めてはおりません。
私は数学的発想を好みます。しかしながら、どうしても認められない点も、多々あります。これは私の想像力の貧困に拠るためか、数学における概念の捉え方が間違っているためかかもしれませんが、たとえば虚数(イマジナリーナンバー)という概念を私は理解できません。√-1という、自然界に存在しない数(=つまり数遊び)を元にし、生み出された数々の児戯の概念を私はまるで理解ができないのです。また非ユークリッド幾何学にみられる「平行は平行ではない」などの主張は、まるで「平行」の意味を無視した言葉遊びとしか思えません。
無から有を作り出すことはできず、我々にできるのはただ発見だけ――これは自明のことだと思います。真の科学的発想とは、無いものを有るように考えることではないと思うのですが……。
舞さん。だからあたし先手を打って言ってるんだけど…。
精神活動がニューロンのイオンチャンネルが原因でできているんなら、
方程式であらわして下さい。
たとえば「あたしはあんたがメチャ嫌い」っていう感情を式であらわして。
化学反応ならできるでしょ?
あたしはできないと思う。センスデータは、同じ赤を見ても、皆感じ方が違うしね。
だいいち、ニューロンの同時発火説でもクオリアの結びつけ問題は解決できない。
ニューロンの活動=精神活動
っていう等式が成り立たないわよ。
あなたがそう思うのは、「信じる」という程度の根拠であって、理論的背景がないのよね。
あったら示して。
まあ、観念論的な議論はよくわからんですが、私が言いたいのは、
個々の精神活動(例えば、「思考」とか)は、明らかに物質的基盤
に基づいて行われているということです。「心(あなたの指すもの
と同義かは不明)」は、ニューロン内のイオンチャンネルの開閉や
ら電流やらが元となってできている、ということです。
>あなたの言う「心」は、「精神活動」と同じような意味ですか?
そう言い換えることは可能ですが、あたしはそのような意味で使っていません。
物質世界が実在するように、心の世界も実在するという意味で使っています。
個々の物質が活動して、物質世界全体が活性化するように、
個々の心的な素量が活動して(これが精神活動な)、心の世界全体が活性化するってことね。
あなたの言う「心」は、「精神活動」と同じような意味ですか?
一連の書き込みのモトである僕としては少しいたたまれないです。
お願いですからこれ以上の対立はなさらないで下さい。僕の責任なら謝罪もあり得ますので。
無題が楽だ。
L何とかがツリーでえっらそうなこといっている。
騙されてはいけませんのよ。ちょっと自分の専門に入ったらえっらそうに。ばっかじゃなかろうか。
それは残念です。どうにかして創造論者さんにお越ししてもらう方法はないものでしょうか?
いきなり質問で申し訳ございません.
>これは私なりの解釈で少々飛躍しすぎかもしれませんが、サルからヒトに移り変わった一部の種族が『立ちたい!』『手を動かしたい!』との熱烈な意志を持ち、さらにまた、実現させる努力をし続けなければ進化(break through)は無かっただろうと思っております。
世の中には沢山の種類の生物がいて,また同一の種類の中にも数多くの品種やら形質の違いやらがあることはご存知だと思っております.
私の質問というのは,あなたのおっしゃる強烈な意思や実現するための努力といったものは,果たしてどの段階で起きていると考えてらっしゃるのでしょうかということです.
私が考えてもですね,例えばイネにモチとウルチがあるますけれども,ウルチのイネが「モチになりたい,モチになりたい」と思って,努力してモチになったようには思えないわけなんですよ.パンコムギもそうですね.これはマカロニコムギから進化したのですけれども(マカロニコムギでパンは作れません),「人間にパンを食べさせてあげたい,食べさせてあげたい」と思って進化したのでしょうか?もしかしたら,考えている内容(あなたのおっしゃる意思のつもりですが)が見当違いなのかも知れませんが.
「本当はこれくらい大幅に変化が生じる時にしか働かない力だよ」とか,
「あなたの発想が実は貧困なだけで,全ての突然変異に対して働いているんだよ」とか,よろしければ例をあげて説明していただくとわかりやすいのですが.
>JA50様
僕の最初の発言の意味がわからないのにあれこれ言ったって同じです。
無駄です。
自分は間違っていないと思いたい気持ちは尊重してあげましょう。
わからないんだから仕方がありませんよ。
以上。
横レスですみません、NATROMさん。
>自己複製を行う系がいったん生じると、より効率的に複製を行う系が選択されていきます。
「最初の」自己複製を行う系はどうやって生じるのか、という問題についてはどうお考えでしょうか? (たぶん過去にも同様の議論がなされたのだろうとは思いますが、よろしければお答え下さい。)
「進化」についてはひとまず置いておいて、ここでは「創造」について……
私は何事においても「初めて」というものに、魅力を感じます。たとえば、静止している大きな滑車を動かそうとする……それは一度円滑に回りだしたときの駆動力の数倍もしくは数十倍のエネルギーがかかるどころかさらに尚、止まっているモノを動かそうとする創造力がそこになければなりません。これは私なりの解釈で少々飛躍しすぎかもしれませんが、サルからヒトに移り変わった一部の種族が『立ちたい!』『手を動かしたい!』との熱烈な意志を持ち、さらにまた、実現させる努力をし続けなければ進化(break through)は無かっただろうと思っております。
「はじめて××をする」この言葉の裏にはそれまでにないものを創り出そうとする意志はもちろん、現状に満足できない、変化を望む全ての存在の内に秘めた「苦悩」が見受けられます。もし全ての生命体が「生きるために、より良く生きたい」という意志をもたずにいたとすれば、いびつな突然変異の結晶でしかない不具な生命体しか「ここ」に残ってはいないでしょう。
そういった意味におきまして、私は生命体の「自主性」を重んじております。西田幾多郎の『生物に、眼ができたから物を見るようになったのではなく、物を見るために眼というものができたのである』――という、進化という大きな流れを見る上での彼の解釈を私は好みます。
さてその上で、NATROMさんの……
「自己複製を行う系がいったん生じると、より効率的に複製を行う系が選択されていきます。傍目からは、あたかもその系が「生きる意志を獲得していくかのように」見えるでしょう。突然変異と自然選択によって「生きる意志」が生まれたと考えています。」
との解釈は、どうも二次的三次的における現象だけを眺めているのではないかと思われます。いまここにある全ての「モノ」はあらゆる『はじめて』のファクターを越えたうえ現れているのであり、確かに一度そのファクターを通り抜けたモノは回り始めた滑車のごとく容易に繰り返されていくでしょう。しかし、ここで取り上げるべきものは「一次的なものとは何か!?」また「その根源とは何か!?」でありたいと思うのです。
ここは、進化論と創造論について議論すべきところなのでしょう。創造について、じっくり考えてみたいのですが。
前にレス不要とnasuさんは言われたことをもう忘れたのかしら。
それをあなたがまた蒸し返したよ。
とにかく、宗教と科学は別ものだし、その宗教に非科学的だと言うのはなんら間違っていない、それは正論なんだ、というのはあなたも同意しているのですから、それで終わりですよ。
TPOをどうたら、仲間内の冗談がどうたらというのが、見にくい自己弁護だというだけの話。
TPO上、そういう言明をするのがまずいのかどうかは、クハさんが判断することです。
クハさんが、それをまずくはない、正論を堂々と主張するんだというのなら、それを他人がとやかく言う資格はない。自己責任の上で、堂々と主張されたいいじゃないですか。
私からすれば、それをまずいのなんのと横やりを入れて、何様のつもりかと思いますがね。
ユリイカ さん。
>思うに観念とは「意識を意識できる物質」により生み出されるものであって、
>たとえばイデア界なり観念世界がこの宇宙内に物質から浮遊し
>ふわふわとどこかに「在る」などとはとても想像できません。
>できましたら、美佐子さんの意見なり、また抱いているイメージを
>そのまま判りやすく視覚的にお教え戴きたいのですが。宜しくお願いします。
まず、「観念が物質から生み出される」というお考えは、どうかしらね?
観念というと言葉が難しくなるから、分りやすく私たちの心と脳でたとえてみましょう。
するとユリイカさんは「心が脳から生み出される」とお考えなわけですね。
しかし、心そのものは物質ではありませんね。これは自明です。
(心が、何かまだ我々が未発見の元素から構成されてるとか言うなら別だけどね。)
ということは、物質ではない心が、物質から生み出されるということになりますね。
これは非論理的だとあたしは思うわけ。
だから物質ではない心は、物質ではない世界(イデア界のようなもの)にあり、
物質である脳は、物質の世界にある…、と考えた方が論理的だと考えてる。
で、その物質ではない世界がどこにあるのか、というのは愚問。
「どこに」というのは物質世界における4次元時空間座標があってはじめて定義できる。
物質ではない世界は4次元時空間ではないのだから、ふわふわとどこかにあるわけではない。
たとえば「エネルギー」というのは物質ではない。しかし物質(質量)に変換できる。
エネルギーに実体があるかというと、ない。しかし実体がある物質になることができる。
「エネルギーなんて人間が勝手に決めたもので、そんなもの実在しないさ」と言い切れるかといえば、
物理をやってる人なら分かるでしょうが、とても便宜上のものではない。
まぁ、心(観念世界)もそんなエネルギーのような存在かもね。
「その主張、全然科学的じゃない」って思うのは勝手なんだけど、
まったく同様に「観念が物質から生み出される」というお考えも科学的じゃないのよね。
どちらも客観的に評価できる「理論」がないから。
脳が心を生み出すっていう理論もない(仮説だけ)。クオリアは方程式で表せないからね。
ちなみに哲学で有名な普遍論争(実在論vs唯名論)では、
進化論に関してはイデア界があるという実在論が優位なのよね。
もちろん、クエーサーさんではなく創造科学者のお手並み拝見なんですが、創造科学の掲示板では進化を擁護するような意見はカットということで、あちらから出向いて頂かないと話ができません。yahooの掲示板では頼りなげな創造科学指示の学校の先生がいますが、科学的な議論ができません。
>その「生きる意志を持たない生命は子孫を残せなかったから」の生きる意志は、どこから生まれ、そしてまたなぜ生まれるのでしょうか? 根源的本質を掴んだ意見、お待ちしております。
自己複製を行う系がいったん生じると、より効率的に複製を行う系が選択されていきます。傍目からは、あたかもその系が「生きる意志を獲得していくかのように」見えるでしょう。突然変異と自然選択によって「生きる意志」が生まれたと考えています。少なくとも私はこの回答に満足しています。
"染色体の数>井上 透さん" wadja wrote:
> ロバと馬の例はどうでしょう。ラバには繁殖能力はありませんが、染色体の数の違う同士の交雑の可能性
はあることを示しているのではないでしょうか。
そもそも驢馬と馬とか、獅子虎豹などの染色体の事など全く知識がないのですが、F1フネン
(すみません、IMEが知らんらしい)を打開する筋道を提示できないと、問題を一つ先に
送っただけで何も解決していないと感じられます。そうですね、「生命は宇宙から来た」説と
同程度に。
初めまして、生物学とは縁もゆかりも無いwadjaと申します。医学に携わる方に失礼な質問かもしれませんが、
>ヒトの精子とサルの卵子をかけあわせても染色体数が異なるために受精が成立しないのはあたりまえのことです。
ロバと馬の例はどうでしょう。ラバには繁殖能力はありませんが、染色体の数の違う同士の交雑の可能性はあることを示しているのではないでしょうか。耳学問にすぎず恐縮ですが、こと受精可能性については、染色体の数よりも受容体の相似の方が重要だと聞きましたが、まちがいでしょうか?
植物についてですが,染色体数の異なる種がいかに出来たか書いている本があるので紹介します.少し古い本(私の大学の時の教科書のひとつ)なので,絶版になっていたらごめんなさい.
養賢堂 植物の種分化と分類 飯岡亜緒著
です
ちなみに倍数体まで「染色体数の異なる種」にいれるのであれば,植物の世界ではこれはもう当たり前のことです.パンコムギ=6倍体,マカロニコムギ=4倍体などですね(n=7です).
創世論の方々に直接質問できないでしょうか?
p.s題名にお手並み拝見とあったようですが、それは私にたいしてでしょうか?
まずはお礼から。興味深く、意味深な回答をありがとうございます。私なりに受け取った感想と意見を少し。
櫻井美佐子さん……プラトンのイデア論を独自に解釈し、自分なりにロマンティックに解釈されてるようですね。私も観念論は非常に好んでおりますし、また意識を意識するモノは全て観念論に囚われてしまうと思っております。しかしながら私としましては、観念という物質から離れて独立し存在するものだというイメージをうまくもつことができません。思うに観念とは「意識を意識できる物質」により生み出されるものであって、たとえばイデア界なり観念世界がこの宇宙内に物質から浮遊しふわふわとどこかに「在る」などとはとても想像できません。できましたら、美佐子さんの意見なり、また抱いているイメージをそのまま判りやすく視覚的にお教え戴きたいのですが。宜しくお願いします。
NATROMさん……わかりやすく、哲学的示唆を含めたご意見ありがとうございます。「生きる意志を持たない生命は子孫を残せなかったから」というご意見は、あらゆる種の撲滅を哲学的、そしてまた文学的にイメージでき面白いですね。
さて、もう一度お聞きしたいのですが、その「生きる意志を持たない生命は子孫を残せなかったから」の生きる意志は、どこから生まれ、そしてまたなぜ生まれるのでしょうか? 根源的本質を掴んだ意見、お待ちしております。
「染色体の数が異なる種への変化はありえない」という進化への反論はポピュラーなもので、
過去のQ&A
http://doko.totto.to/~tosakai/QandA.html#Q016
に簡単に解説しています。
>もしも受精の過程での交叉現象のまれなる失敗がおきたとして万が一染色体数が増えた新種が誕生したとしても、周囲の配偶者は元のままの染色体数なので減数分裂に伴う受精は成立せず次世代への種の保存は不可能なはずです。
という井上透さんのお考えは誤りです。同種内で染色体の数に多型が見られる種は実際に存在しており、染色体の異なる個体が仮に生じたとしても次世代に子孫を残すことは可能です。
>一般的に言われている進化の系統樹の分岐部分でおこるはずの染色体数変化の機序を説明できないかぎり、私はダーウインの自然選択理論で種が変わっていくとはとうてい信じられないのです。
染色体数変化の機序はおおまかに説明できるので、広くダーウィンの説が信じられています。例えば、チンパンジーやゴリラは48本24対の染色体を持っているのに対し、ヒトは46本23対の染色体を持っています。ヒトの祖先はおそらく48本24対の染色体を持っていたと考えられます。ヒトの祖先の個体群中に融合した染色体を持った個体が生じ、その染色体が個体群中に広がったのでしょう。ある時点でのヒトの祖先の個体群には、48本の染色体を持つ個体もいれば、47本の染色体を持つ個体もいれば、46本の染色体を持つ個体もいたのでしょう。おそらくはランダムドリフトによって46本23対の染色体のセットが集団に固定したのでしょう。過去のQ&Aで例に挙げた北イタリアのマウスでは、このようなことが現実に起こっていることが観察できます。
>さまざまな生き物のゲノムの大きさを調べてみてもヒトよりもサメ・カエル・イモリの方がゲノムが大きいことがわかっており、染色体の長さや数は生命体の高次レベルとは関係ないようにも思えるのです。
染色体の長さや数は生命体の高次レベルとは関係ありません。関係あると思っている科学者はいないと思います。通常の進化論者は、ヒトがサメ・カエル・イモリより高次レベルなどとは考えませんのでなおさらです。
>ミクロ世界(遺伝子)を探求する時にその前提となるもっとマクロ世界(染色体)の真実性ももっと検証しなければいけないと感じます。しかし染色体の研究者が少ないのはなぜでしょうか?
一つはジョウジョウバエをモデルにした遺伝学でやりつくされているからではないでしょうか。
>遺伝子学の研究は皆さんは熱心なのに、細胞学の研究は染色体の発見までに留まって研究者達から置き去りにされた感もあります。進化論と結びつけての検証が欠落していたのではないでしょうか。
「細胞学の研究は染色体の発見までに留まって研究者達から置き去りにされた」のですか?いくらなんでももっと進んでいますよ。「検証が欠落していたのではないか」と言う前に、どのくらい研究が進んでいるか調べてみてはいかがでしょう。
"進化論と染色体数" 井上 透 wrote:
> 進化論の疑問点に関して皆様の御感想・御訂正・御指導をお願いします。
ようこそ。では雑感など。
> 『ダーウインは「変異が起きた場合、それがある環境の中で形態的に有利であると、
>それが集団の中に広まって進化につながる。」と言っているのですが、これはDNA内
>ヌクレオチドの変化だとわかっているので、ダーウインの自然選択は常識に合う見方
>である。』と断言する生命科学者がおられます。
ええと、「断言する生命科学者」のいう「これ」はダーウィンのいう「変異」
ですよね? これが原文通りなら論理が飛躍していますが、引用符の内側の文体の
不一致に疑念が残ります。先生、過度の省略などなさってません?
> たしかに外部ストレス(ウイルス感染、紫外線など)やゲノムの修復不全などで、
…
>しかしこれは同種内におきる順応・適応であって、種の進化・変異ではないように
>思います。
「要約:塵は積っても山にはならない」でよろしいですか?
> よくある「DNAからみた霊長類の類縁の系統樹」にはヒト・チンパンジー・
>ゴリラ・オランウータンの祖先が同じように示されています。
…
>ところがヒトとサルの祖先が同じだとした場合、現状のそれぞれの種は
>染色体数が異なるのだけれど、どのような生物学的機序で染色体数が変化して
>受け継がれていったかという疑問があります。
…
>たとえヒトとチンパンジーのゲノム組成が98%一致したとしても、一般的に
>言われている進化の系統樹の分岐部分でおこるはずの染色体数変化の機序を
>説明できないかぎり、私はダーウインの自然選択理論で種が変わっていく
>とはとうてい信じられないのです。
総論に各論からの異議が提出されるのは当然ですが、互いに欠けがあり課題を
残している事を認め合うべきです。総論に欠けが存在することを容認できない
なら、逆に先生にはゲノム組成が98%(?)一致している現象を説明する他の
説の提出を求められます。
> 考えてみれば哺乳類の他の種もすべて「ヒト」とは染色体数が異なります。
…
>ですからこのような現象が成立する確率は限りなく0に近いと感じるのです。
決め手は「確率」ではなく「確率と試行回数の積」ではないでしょうか。
> もしも原始生物の染色体数は少なく、交叉現象の失敗を繰り返すことで染色体数が
>増えていくのが進化だと仮定しても、…
ここでは誰もその様な提唱はしていません。お納めください。
> また先天的な染色体異常に伴う遺伝疾患の発病様式を究めても、 染色体数変化の
>異常をきたしたままで次世代への継承のヒントは見出せません。もちろんこの染色体数
>変化を進化と結びつける場合に、病的変化という観点で考えること自体に無理があり
>生命の正常な営みとして論を展開しなければ不自然だとも感じました。
ということは、不自然なのは先生の染色体変化に対する認識ということで
単に自己解決してはいませんか? ですのでこれも蛇足かとおもいます。
>遺伝子の一部突然変異は紫外線・放射線・ウイルスなどの外部暴露ストレスにより
>おこりうる事やそれが様々な免疫・アレルギー疾患・癌の発病に関わるのは納得が
>いきますが、染色体数変化の異常はそれだけではおこりえないと思います。
問題提起の要件は満たしていますが、「の異常」は恣意的のような気がします。
それとも「一個体における変化」と特定させる意味で必要な表現なのでしょうか?
ソレが滅多に起らないし、次世代に継承される確率はもっと絶望的に低い、という件
は、周知だと思います。
> 進化論はダーウインが提唱した仮説ですが、世の中の多くの科学者がこの仮説を
>正当だと認めた前提で数多くの論を展開しておられますが、私はこの疑問に明快な
>解答を下せない限り、進化論の正当性は認めてはいけないと考えます。それが科学者
>の真摯な真理を探求する姿勢だと思うのです。
これははっきり逆です。致命的な反証がない限り如何なる仮説も棄却されません。
「完璧」なものが認められるのではなく、「観測と完璧に不一致」なものが省かれて
いくのです。
> 現在遺伝子研究が盛んでそれは意義ある事と思いますが、…細胞学の研究は染色体の
>発見までに留まって研究者達から置き去りにされた感もあります。
先生に投稿動機はある事は朧げに判りましたが、これは学会動向への不満であって
科学的な問題提起ではありませんよね?
> 進化論と結びつけての検証が欠落していたのではないでしょうか。
進化論とリンクするのを惰った分野がどれだか判りませんので保留とさせて頂きます。
To JA50さん
どうしても、自分の非を認めたくないわけですね。
まあ、そういうお答えは予想していましたが。
話をおかしくしたのは私なんですね、JA50さんにとって。
勝手に誤解しておいて、さんざんかきまわしておいて、それはないでしょう。
自己弁護?いいかげんにしなさい。
自己弁護のためにへりくつをこねまわしていたのはあなたです。
って言ってもわかってもらえないか。無駄ですね。
多分、ご自身もそのつもりだと思いますが、
きちんと人の話をある程度正しく理解することができるようになるまで
私の話にコメントするのは、もうやめてください。
こんなことをくりかえされてはたまりませんから。
この発言へのレスも不要です。というか、お断りです。
どうせまた同じようなこと言ってくるんでしょうから。
後藤さん紹介のところを覗いてきました。
こりゃ面白い。
にわかに興味が湧いてきた。
自分もまずいとは実際は思っていない、単なる「たあいもない冗談」としてクハさんと話しているだけなんだと答えればいいじゃないですか。
それならそれでこちらも、ああそうなんですかで終わりです。
それをTPOがどうたらなどと自己弁護するからおかしくなる。
進化論の疑問点に関して皆様の御感想・御訂正・御指導をお願いします。『ダーウインは「変異が起きた場合、それがある環境の中で形態的に有利であると、それが集団の中に広まって進化につながる。」と言っているのですが、これはDNA内ヌクレオチドの変化だとわかっているので、ダーウインの自然選択は常識に合う見方である。』と断言する生命科学者がおられます。たしかに外部ストレス(ウイルス感染、紫外線など)やゲノムの修復不全などで、遺伝子上の変異が起きて形態の変化を生ずる可能性はあるかと思います。あるいはキリンの首が長くなったのは適者生存のためかもしれないし、サルの尻尾が徐々に短くなったのは廃用性萎縮のためかもしれないし、これも遺伝子上の変異の結果かもしれないのは私は否定しません。しかしこれは同種内におきる順応・適応であって、種の進化・変異ではないように思います。よくある「DNAからみた霊長類の類縁の系統樹」にはヒト・チンパンジー・ゴリラ・オランウータンの祖先が同じように示されています。単純な生命体の場合には、無性生殖を繰り返し、貪食をして細胞増殖していきますが、地球上の多くの高等生物は2倍体細胞の多細胞生物として存在し有性生殖をして親から子へと種は保存されていきます。その時に遺伝の法則により生物の誕生には両親の各精子と卵子がいったん染色体を減数分裂させて受精し、交叉現象を通して親の遺伝子が受け継がれていきます。 同数の染色体が受精を通して交叉を重ね、「ヒト」という種族が連綿と受け継がれていくという機序は納得がいくものです。ところがヒトとサルの祖先が同じだとした場合、現状のそれぞれの種は染色体数が異なるのだけれど、どのような生物学的機序で染色体数が変化して受け継がれていったかという疑問があります。ヒトの精子とサルの卵子をかけあわせても染色体数が異なるために受精が成立しないのはあたりまえのことです。 たとえヒトとチンパンジーのゲノム組成が98%一致したとしても、一般的に言われている進化の系統樹の分岐部分でおこるはずの染色体数変化の機序を説明できないかぎり、私はダーウインの自然選択理論で種が変わっていくとはとうてい信じられないのです。考えてみれば哺乳類の他の種もすべて「ヒト」とは染色体数が異なります。もしも受精の過程での交叉現象のまれなる失敗がおきたとして万が一染色体数が増えた新種が誕生したとしても、周囲の配偶者は元のままの染色体数なので減数分裂に伴う受精は成立せず次世代への種の保存は不可能なはずです。また仮になんらかの外的要因で同時多発的に交叉現象の失敗がおきたとしても染色体の中の同じ箇所で切断がおきない限り染色体の長さの不釣合いから受精は成立しないと思うのです。ですからこのような現象が成立する確率は限りなく0に近いと感じるのです。もしも原始生物の染色体数は少なく、交叉現象の失敗を繰り返すことで染色体数が増えていくのが進化だと仮定しても、霊長類で最大の進化を遂げたと言われている「ヒト」よりも染色体数が多い生物が現に多数います。さまざまな生き物のゲノムの大きさを調べてみてもヒトよりもサメ・カエル・イモリの方がゲノムが大きいことがわかっており、染色体の長さや数は生命体の高次レベルとは関係ないようにも思えるのです。また先天的な染色体異常に伴う遺伝疾患の発病様式を究めても、 染色体数変化の異常をきたしたままで次世代への継承のヒントは見出せません。もちろんこの染色体数変化を進化と結びつける場合に、病的変化という観点で考えること自体に無理があり 生命の正常な営みとして論を展開しなければ不自然だとも感じました。遺伝子の一部突然変異は紫外線・放射線・ウイルスなどの外部暴露ストレスによりおこりうる事やそれが様々な免疫・アレルギー疾患・癌の発病に関わるのは納得がいきますが、染色体数変化の異常はそれだけではおこりえないと思います。進化論はダーウインが提唱した仮説ですが、世の中の多くの科学者がこの仮説を正当だと認めた前提で数多くの論を展開しておられますが、私はこの疑問に明快な解答を下せない限り、進化論の正当性は認めてはいけないと考えます。それが科学者の真摯な真理を探求する姿勢だと思うのです。現在遺伝子研究が盛んでそれは意義ある事と思いますが、ミクロ世界(遺伝子)を探求する時にその前提となるもっとマクロ世界(染色体)の真実性ももっと検証しなければいけないと感じます。しかし染色体の研究者が少ないのはなぜでしょうか?遺伝子学の研究は皆さんは熱心なのに、細胞学の研究は染色体の発見までに留まって研究者達から置き去りにされた感もあります。進化論と結びつけての検証が欠落していたのではないでしょうか。ブリヂストン甘木工場 産業医 井上 透; E−mailアドレス: inoue2-t@bridgestone.co.jp
LucifeR へ
厚意って何。
だからツリーへ行こうと言ってる。教えないってか。中心小体を。仕事とに疲れてクリツク一番。疲れるは。
NATROM さんが仰っていたでしょ。ツリーへ行こうって。
<NATROMさんへ>
中心小体に関する議論の為のツリー式掲示板を設けて頂きありがとうございます。
櫻井美佐子さん、クハ72さん、wadajaさん、舞さん、LuecifeRさん、分類学者さん、
後藤寿庵さん、T8848さん そして「中心小体」「生への意志」「膜の存在
とその階層性について」等について関心のある方と議論をしたいと思いますので
宜しくお願いします。
私は仕事の関係で1週間参加出来ない事を残念に思っております。
<ユリイカさんへ>
貴方の「問題」を共に考えたいと思います。
最近、話の流れが早く、ディープな話題が多いので、初めての方が入りにくいのではないかと危惧していました。ユリイカさんのように質問していただけるとうれしいですね。
>やはり物質から誕生したであろう生命が「なぜ執拗に生きる意志をもつのか?!」との問題に心惹かれてしまいます。
難しい問題ですね。いろんな答えがあるでしょうが、私は次のように思います。生物は執拗に生きようとしているかのように見えます。その生物の親も執拗に生きようとしていたでしょう。そのまた親も。すべての生物の直接の先祖は、例外なく少なくとも子を残すまでに若死したものはいません。生きようとしない生物は競争に負け、子孫を残せません。「生命が執拗に生きる意志をもつ」のは、「生きる意志を持たない生命は子孫を残せなかったから」です。どうでしょうか。
>やはり物質から誕生したであろう生命が「なぜ執拗に生きる意志をもつのか?!」との問題に心惹かれてしまいます。
ユリイカさん、はじめまして。
忘れている人もいるかもしれませんが、あたしは創造論者なのよね。ぷっ。
ただ、いわゆる「あっち」の、イッちゃってる特殊創造論じゃぁないだけ。
そういう立場のあたしとしては、この質問にはこう答えるわね。
物質と精神(意識)は、別物なのよ。
物質の世界と精神の世界がある。精神の世界は、まぁ、プラトンでいうイデア界ね。
ある個体に意識があるときは、この2つの世界の一部分同士が相互作用している状態なのよね。
たとえば、あたしの脳味噌とあたしの心が相互作用しているから、あたしは生きている。
死んだら、体が腐っちゃうのよ。でも心は精神世界で生き続ける。
いま晩飯つくってる最中だから(カレー煮込んでる)、またね。
中心小体に関して、ジェラルド・カープ著、原書第2版 細胞生物学を発見しましたので該当箇所を引用しています。こちらの掲示板は複数の話題が交錯していますので、中心小体はツリー式掲示板で話しましょう。
ツリー式掲示板
http://www2.neocity.to/treebbs/tree.cgi?board=059/natrom&page=1
はじめて参加させてもらいます、ユリイカです。皆さんの白熱した質の高い議論にただただ感服しているしだいであります。
ちらりと見させていただいたところ、現在の議論の中心としましては、中心小体というキーワードを用いつつ「生命体の根源とは?」という大きな議論に入りかけているとこであろうと思うのですが……
さて、ラマルクやダーウィンなどから近代生物学が芽生えまして、現在では百花繚乱さまざまな議論が学会などで騒がれてますね。しかしながら、私としてはそうした議論の行方より、やはり物質から誕生したであろう生命が「なぜ執拗に生きる意志をもつのか?!」との問題に心惹かれてしまいます。
どうか、皆様の生物学的見解からこの問題について頭によぎったことお書きくださればありがたく思います。興味深い意見、宜しくお願いいたしします。
クェーサーさん
>創世論ではバラミンからバラミンへの移行が進化と定義されるという事ですね?
そのようです。
>それでは、もし今後、科学技術が進歩し、バラミンからバラ
ミンへの遺伝子操作が可能になれば、それはどのような事になるのでしょう?
さあ、どうでしょうか。それはバラミンじゃなかったと言い逃れるか、バラミノロジーをスケープゴートにするか...。
それにしても、彼らのいうところのgenetocally relatedというのも怪しげだな。これも定義が違うかもよ。
"あちらの態度など" T8848 wrote:
> でもあそこで創造科学の内容について突っ込んだ質問をすると、
> 質問する→すなわち『創造科学』を信じない→ならば『創造』も『奇跡』も嘘扱い→『聖書』も嘘扱
い→『敵』
> と、このように認識され、「聖書は真実なのだから創造科学に難癖つけるのはけしからん」
> という反応が返ってくるんですよ。
私、思うんですけど、引用させて頂いた言動を示す創造科学論者達とハピネス氏の
基督教観には基本的に同じ誤り…といって悪ければモデル精度の低さ…があるんですよ。
それはね、「信心深さ」と「浮世バナレ度」を一次元の同一パラメータとしている
ところです。だから、どちらも科学的世界観や文献学への取組みがマトモなクリスチャンの
信仰は形骸化しているかのような主張しか出来ない。
実際のところ、勿論これらは別の属性値で、単に創造科学論者達が
「原点を通る傾き1の直線」より上側にマッピングされるだけでしょ?
(無論浮世バナレ度がy軸のチャートで、です)
TOEFLが終わって、全てのアプリケーションを提出し終わりました。
すんごい疲れている・・・
まあ、600点という高得点ではないですが、何とかなりましたし。
これも皆様のおかげです。
とりあえず、ちょびっとだけ休憩をはさんで、復帰するための準備をします!
ではでは
創世論ではバラミンからバラミンへの移行が進化と定義されるという事ですね?それでは、もし今後、科学技術が進歩し、バラミンからバラミンへの遺伝子操作が可能になれば、それはどのような事になるのでしょう?
WWJD?さん
>創造科学が無謬とは思っておられないでしょう?(無謬なのは聖書だけですから。)
まぁ、「立ち上げ中の科学」だそうですから。
でもあそこで創造科学の内容について突っ込んだ質問をすると、
質問する→すなわち『創造科学』を信じない→ならば『創造』も『奇跡』も嘘扱い→『聖書』も嘘扱い→『敵』
と、このように認識され、「聖書は真実なのだから創造科学に難癖つけるのはけしからん」
という反応が返ってくるんですよ。
聖書は無謬でも聖書解釈は無謬ではないという当然のことを、主要メンバーは実質的に認めないのです。
そう問えば解釈は無謬ではないことは認めるけど、彼らの解釈は正しいんだそうです(解釈ではなく事実だと言うことすらある)。
>聖書は無謬を土台に、それでは創造を科学的に研究しましょうということだと思いますよ。
こういう事ならいいんですけどね。でも創造が奇跡なら科学的に研究などできないんですが。矛盾してるなぁ。
>問題は現代の科学は奇跡を認めないので、創造を信じることでないと乗り越えられない部分があることではないでしょうか?
科学が奇跡を認めないんじゃなくて、奇跡と言った時点で科学の適用範囲外なのです。
今はわからなくてもいづれ科学で説明できるようになることも沢山ありますが、おそらく永遠に説明できないこともあるでしょう。ビックバン以前とか定数がなぜその値なのかとか。
この世界の目的とか生きる意味なんてのも科学的に説明はできませんね。
人間はなぜか「何のために」ということを考えてしまう。時にはそれがわからなければ生きていけないほど。
だから何らかの創造を信じるのは自然なことだと思いますよ。
これが認識論につながるかなぁ。
>聖書世界で偽書を論ずることは意味のないことか。
そうでもないんだな。
>聖典を誰が書こうが、信じればそれで良い。信仰に懐疑心はいらんわけだ。
ちがうなぁ。
ところで難癖つけるのが目的?
こっち↓の方がいいと思うよ。勉強するにも。
もともと宗教のところだし。
ま、あなたなら勉強になる前に追い出されるだろうけどね。
http://www68.tcup.com/6823/itoyk.html
>偽書って何だ、というところから勉強しなおしてください。(○○の手紙の著者が本当は××だったとしても不都合はないんですよ)
まあ、そうね。
聖書世界で偽書を論ずることは意味のないことか。
モーセ5書を書いたのが本当にモーセだと信じてる聖書学者もあまりいないし。
黙示禄を書いたのが使徒ヨハネだと誤認して聖典に加えても信仰の世界ではあまり問題にならないし。
聖典を誰が書こうが、信じればそれで良い。信仰に懐疑心はいらんわけだ。
"Re: Reなに〜 " セピア色 wrote:
>それはそうとして、中心小体って何ですか。素人にも分かりやすく説明お願いします。
なにか思い違いをしておられませんか? アレ以上はご自分でお調べなさい。
貴方にも(誰にも)「なんでも教えてもらえる権利」などありませんし、そもそも
あの愛媛大農学部の説明で判らない方には議論に参加する基礎資格がないんです。
世間の常識として人の厚意を無にするヤツに次はないし、オンラインの常識としては
自助努力が見られない「自称初心者」や「自称素人」は何も教えてもらえません。
竹内さんの本?
知りませんよ。どこで売っていますの。それはそうとして、中心小体って何ですか。素人にも分かりやすく説明お願いします。
>竹内さん
NatureやScience(日本語のサイエンスじゃない
ですよ)でつい最近ヒトの遺伝子の特集が組まれたのをご存知
ないようですね。
>ジェラルド・カープ 著 原書第2版 「細胞生物学 下」 664頁等で見られます。
そのカープの原書の664ページの重要な部分を、文脈がわかるように
ここに引用してくれませんか?
"なに〜" セピア色 wrote:
> 中心小体は 高等生物には存在しないって 「中心生体」が分からないのだが
え、 竹内美継さんの本にその様な記述があるんですか?
後藤寿庵さんでした。
失礼の段お許しをm(。。)m
「“やばい”って標準語なのに」、と思って完全に勘違いしてたwadjaです。T8848さんLucifeRさんご丁寧に、解説ありがとうございます。前玉さん、ますますノッテ頂いて感謝。
ちなみにwadjaにとって、「やばい」とは、薬やって、壁に頭打ち付けながら、ぶつぶつ一人ごちてる人。某国の地下鉄の駅で、毎朝見かけました。
竹内さんご回答ありがとうございます。ここで質問させていただく前に、後藤樹庵さんの紹介してくださった本を、とりあえず読んでみます。素人のwadjaに理解できる自信は・・・無い(きっぱり)ですが。
なに〜〜
中心小体は 高等生物には存在しないって 「中心生体」が分からないのだが
では問う、高等生物とは何者か。
竹内美継さんは「中心小体論」という書籍を出されているようです。
竹内さんの説を理解するにはこの本を購読するのが手っ取り早いかもしれませんね。
「中心小体」で検索して見つけたので、URLを入れておきます。
"無題" セピア色 wrote:
> 「中心小体」とは何ですか。
>中心小体 (centriole )
>中心体の中心にある小体。動物や下等植物細胞に存在する、紡錘糸形成にかかわる
>自己複製小器官で、9+2構造の微小管からなる。高等植物細胞の紡錘糸形成荷は
>不要で高等植物細胞には中心小体は存在しない。
http://web-mcb.agr.ehime-u.ac.jp/organella/organ_ind/centriole.htm
ここを覗いて日が浅いのですが、おぼろげながらどの方がどの立場か分かりかけています。
まず私、生物学は専門ではありませんので、質問します。
「中心小体」とは何ですか。
分類学者さん>
レスありがとうございます。
久保氏の本にもディベートが紹介されていました。(ちゃんと読まないとだめですね。)
>これらのディベートは進化生物学者が企画することはなく、創造科学者が伝道の一環
>としてやっています。
しかし、それに応じてくれる進化生物学者がいるのがいいですね。
>で、創造科学者は十分な準備を重ねており、また、話し上手だったりして、どちらが
>正しいかということとは別に、たいてい創造科学者がディベートとしては勝利するの
>がパターンになっております。
学校のディベートの時間ではないので、公のディベートではかなりの準備と自信が必要でしょうね。
アメリカの創造科学者は自信を持っているということでしょうか。
そのような意味からはまだまだ日本にはディベートできる創造科学者がいないのかな。(出て来て欲しいな。)
・・・ディベートの土壌もないしなあ。
私は舞さんに「中心小体が高電位空間から現出する」と書いてある事は「事実である」
と言って欲しかったのです。
「遺伝子の大部分が読まれた」の表現で感じたのですが、私は貴方のように「DNAは
遺伝子の本体である」などとは考えておりません。生命科学の基本が分かっていない
のではないですか?
<T8848 さんへ>
「アメリカのマサチューセッツ大学のグリーンフィールド・スミス達とスタンフォード
大学のチム・ステアンズ達のグループは、中心小体の複製が生細胞外で成り立つ
実験方法(アッセイ法)の開発に成功した」という記事を科学新聞(1999年
7月9日)で読みました。
>ところで、久保有政氏の本にはアメリカでの創造論者と進化論者のディベートの写真が載っていますが、彼らはどのようにディ
ベートするんだろう?(分類学者さんご存知ですか?)
主に大学や高校で学生達を前にやります。いきなり昼休みなんかに外でやることもあり、そういうときは飛び入りでどんどん質問をしていいことになっています。
これらのディベートは進化生物学者が企画することはなく、創造科学者が伝道の一環としてやっています。
で、創造科学者は十分な準備を重ねており、また、話し上手だったりして、どちらが正しいかということとは別に、たいてい創造科学者がディベートとしては勝利するのがパターンになっております。
<クハ72さんとwadajaさんへ>
ジェラルド・カープ 著 原書第2版 「細胞生物学 下」 664頁等で見られます。
「性の起源」も参考になると思われます。
>凡そキリスト者なら、 投稿者:前玉 睦子 投稿日:05月17日(水)11時43分48秒
>
>教派や聖書解釈の立場の違いを超えて、聖書に証されている三位一体の神について、
>「使徒信条」や「ニカイア信条(ニケア・コンスタンチノポリス信条)」に書かれている通りに
>信じています。
>(これは決して私の教会だけではなく、全てのキリスト教会について言えることです。)
>この「使徒信条」や「ニカイア信条」は、最も基本的な信仰告白と言うべきもので、
>世界中の教会が、同じ内容のものを用いています。
>但し、この二つの信条は異なる背景を以って発展しましたので、大雑把に言えば、
>主として「使徒信条」を用いる教会と、主として「ニカイア信条」を用いる教会とがあります。
>ここに「使徒信条」の冒頭の一節を引用します。
>「我は天地のつくりぬし、全能の父なる神を信ず」
>「ニカイア信条」の冒頭の一節はこれより長いのですが、ほぼ同じ内容の記述を含んでいます。
>つまりキリスト者にとっては「神はいるとそのまま信じ」ないことにはお話にならないのです。
>「進化論」を認めるかどうかは別の問題です。
>そして、それには「聖書」や「信仰」は根拠にならないことは、以前お話した通りです。
>宗教改革以降、様々な「信仰告白」が制定されてきました。
>また、教派によっては成文化された「信仰告白」を認めず、
>常に文字どおり「自分の言葉」による信仰告白が求められる教会もあります。
>(ここでは主として改革派教会の流れを汲む教会を念頭に置いています。)
>いずれにせよ、「使徒信条」や「ニカイア信条」に言い表されている信仰から逸脱するならば、
>それはもはや「キリスト教」ではなく、キリスト教を真似た「別の宗教」とみなされるのです。
われながら恐るべきワンパターンだと。
"とは言うものの>nasu様" 前玉 睦子 wrote:
> 「使徒信条」を受け入れてもいない人をクリスチャンと呼ぶことを
> 許すわけにはまいりませぬのぢゃ。
ええと、使徒信条を暗誦出来ない、一般の方のために。
> 使徒信条
>
> 我は天地の創り主、全能の父なる神を信ず。
> 我はその独り子、我等の主イエス・キリストを信ず。
>主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生れ、
>ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け、十字架につけられ、
>死にて葬られ(、陰府に下り)、三日目に死人の内よりよみがえり、
>天に昇り、全能の父なる神の右に坐し給えり,
>かしこより来たりて生ける者と死ねる者を審き給わん。
> 我は聖霊を信ず,聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
>罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命を信ず。
> アーメン。
>(東京基督教研究所訳)
>
>/
これは西方教会(ローマ・カトリックとそこから分れたプロテスタント)の信条で、
東方教会(○○正教)は厳密にはこれを承認していません。三教会全てが共有している
「原ニケア信条」の条文は
http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/nicene1.htm
にあります。
WWJD?です。
前玉さん、nasuさん>(nasuさん、はじめまして。ごあいさつ申し遅れました。)
>わかりますけどね。
>でも、前玉さんのおっしゃりたいことは、もう、皆さん御了解済みでしょう。
>だから、ほとんど害はありませんよ。
アーメン!
T8848さん>
T8848さんも、はじめまして。
>でも創造学校や創造論再評価では「『創造科学』を信じなければ『創造』も『奇跡』
>もそして『聖書』も嘘と言うことになる」と主張されるんですよね。
そうなんですか?でも創造科学が無謬とは思っておられないでしょう?(無謬なのは聖書だけですから。)
それで、聖書は無謬を土台に、それでは創造を科学的に研究しましょうということだと思いますよ。
問題は現代の科学は奇跡を認めないので、創造を信じることでないと乗り越えられない部分があることではないでしょうか?
そうなると認識論の問題につながるんですね。
ところで、久保有政氏の本にはアメリカでの創造論者と進化論者のディベートの写真が載っていますが、彼らはどのようにディベートするんだろう?(分類学者さんご存知ですか?)
あんまりつれない対応ばかりじゃなんなので…。
まず、創造と創造論と創造科学はそれぞれ区別しなくちゃ混乱しますよ。
>信仰告白をするやつが全員、地球が7日でできて、人類の祖は神に造られて、大洪水で一度全人類が滅びたなんてトンデモ思想持ってる変人とは思ってほしくないなあ。
みんなわかってますからそんな心配しなくてもいいですよ。
地球が7日でできて大洪水で一度滅びたことを信じないと不信心者扱いされるところは別にあります。そちらに意見されてはいかが?
>聖書学の本を読めば、聖書のより深い理解が得られるのに、
そうですね。
>聖書の神聖が失われるのがいやだから、あえてそれを避けて無意味な神学論争なんかしてる。
誰の、どこの論争かによりますね。聖書学の成果を考慮に入れない神学論争なんてあるの?
>偽書の区別もできなかった昔の神学者の主張だか信仰告白なんかする前に、聖書をもっと客観的に読み直してみたまえ。
偽書って何だ、というところから勉強しなおしてください。(○○の手紙の著者が本当は××だったとしても不都合はないんですよ)
わかりますけどね。
でも、前玉さんのおっしゃりたいことは、もう、皆さん御了解済みでしょう。
だから、ほとんど害はありませんよ。
それに、言ってもムダです。
「フツウノクリスチャン」あるいは「マジメナクリスチャン」とでも
呼んでさしあげてはいかがでしょうか。。。
「使徒信条」を受け入れてもいない人をクリスチャンと呼ぶことを
許すわけにはまいりませぬのぢゃ。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。