恐竜はなぜあんなに巨大化できたのかと、未だに不思議でしょうがありません。よく、酸素を良く通した水の中で飼った金魚は巨大化することは知っていますが、それとて、水の中の「浮力」に助けられての話。水中で生活していた恐竜はともかく、陸の上で生活していた恐竜がなぜあれほど巨大化できたのか。大昔の大気中には酸素の含有量が多かったからなのかな?
うろこだから、皮膚ですよね。芯になっているからって、骨から
変化していったと考えるのはちょっと無理があります。例えば、
人の爪は何が変化したものかわかります?
毛生えトカゲとかいたら面白いんですけどね。
いや、羽生えトカゲか。
>18世紀ごろまで、進化論について研究が進まなかったのは
>やはり、その頃の宗教的な物のせいですか?
文献を調べて言っているのではないので正確かどうかはわかりませんが、私が知っている限りでは、宗教が原因で当時の進化論について研究が進まなかったことはまずないと思います。ご存じのように進化論の研究には化石が重要な役割を果しています。見たことのない生物の化石の存在から、種が永遠ではなく絶滅もありうること、あるいは、地層ごとに発見される生物に特徴があることから、それらの種の絶滅がただ一度の洪水で起こったわけではなさそうなことがわかってきました。(こういったことを発見したのは創造論者です)
さらに地質学が発展していくにつれ、地球の年齢が古いこともわかってきました。このあたりから、宗教方面からのクレームがないでもなかったようですが、そんなに激しくなかったようです。地球が6000年より古いことは証拠を見れば明らかですので、「創造主はそのように地球を造ったのだろう」ということにしていたようです。
ラマルクなどダーウィン以前に進化のアイデアを思いついた人もいないでもなかったですが、19世紀の半ばごろになって、地質学や化石、地理的分布などを証拠としてダーウィンが進化論を提唱しました。要するに、それまで進化論の研究が進まなかったのは、宗教的な理由よりも、研究に必要な地質学などの基礎が固まっていなかったのが原因としては大きな要因なのではないでしょうか。
「羽」一枚一枚にある「筋」のようなものは、「骨」が変化したものかしら?
翼竜も、体毛があったそうです。
ほ乳類とはかなり前から分かれた種類で、恐竜やワニなどに近いですが、ほ乳類と同じように体毛で覆われていた。
ほ乳類とは独立に獲得した形質でしょうね。
は虫類にも体毛があったかという質問は、まずは虫類とは何かという問題を解決するのが先かも。
To 鳥になりたいさん
>は虫類にも体毛があるんでしょうか?
かつて共通の祖先が存在したからといって、一方に生じた形質が、
もう片方にも潜在的に発生し得る、というわけではありません。
(後述するようにまったくありえないわけではないのですが、確率
は相当低いと思っています)
例えば、ヘビとカメも共通の祖先を持っていますが、ヘビに、甲羅
を生じる潜在的な可能性があるわけではないと思います。
(少なくとも、両者の共通の祖先は甲羅をもっていなかった)
現在の爬虫類は知られている限り全て変温動物であり、恒温動物で
あったと考えられている小型の恐竜とは別の系統の爬虫類です。
(恐竜の中でも竜盤目と鳥盤目とあっていろいろですが、このあたり
の詳細は専門の本を読んでください。図版入りで、爬虫類の系統分類
についての解説があると思います)
まぁ収斂ということもありますので、似たような生活をしている別
の種が、たまたま似たような形質を獲得することもあるので、ウロコ
から羽毛への進化が今後ありうるのかもしれませんけどね。
まだおこっていないことを「ありえない」とは断言できませんので(^_^;
始めまして、ダイスです。
いきなりこんな質問なんですが、
18世紀ごろまで、進化論について研究が進まなかったのは
やはり、その頃の宗教的な物のせいですか?
は虫類にも体毛があるんでしょうか?
どうも、始めて書き込みをさせていただきます。ひろうすと申します。
滑空する動物のお話がありますが、トビヤモリと言うヤモリの仲間は
トビトカゲほどではないけれど、小さな体側の膜で滑空するらしいです。
これは、滑空用に発達したものではなく、本来は体の輪郭をぼやけさせて捕食者の
ねらいをつけにくくさせる目的で発達した体側の突起が(小さなトカゲには同様の目的で
体側に小さなトゲなどを並べているものが多いです)「飛び降りる」時には
空気抵抗を増し、結果としてより高いところから飛び降りても平気な体になり、発達した
と、爬虫類の本(題名はわかりません。すいません)で読みました。
鳥の羽毛も、断熱用の羽毛が出来た後、飛行用に進化するには同様の発達をしたと
言うことは考えられないでしょうか
体の横、足にずらりと並んで生える羽毛は同じような効果があると思います。
To 鳥になりたいさん
鳥の場合、まず翼の起源に先だって羽毛の発達がありました。
これは爬虫類(恐竜)だった頃のウロコから進化したと考えられています。
羽毛が進化した理由は、比較的小型の恒温動物であったがために、保温の
必要性があった(体積に対する表面積が大きいので熱が逃げ易い)ためであ
ろう、というのが有力な説です。
始祖鳥の化石を見ると、羽毛は発達しており翼もありますが、鎖骨の構造
などから、十分にはばたき飛行はできなかったのではないかと言われていま
す。
飛行する動物は昆虫類やコウモリがいます。滑空も含めてよいのでしたら
モモンガやムササビ、トビウオ、トビガエル(一般的な名称忘れました)な
どがいますよね。肋骨を広げて胴体を平らにして滑空するヘビもいたような。
滑空する動物の場合、木から木に飛び移る、もしくは外敵から逃れるため
に飛び降りるという行動が先に存在して、その際に手足に皮膜があることが
生存のために有利だったため、その淘汰圧が皮膜の発達を促したと考えられ
ます。
始祖鳥のような鳥の先祖なども、飛行の起源は滑空だったのではないでしょ
うか。
しかし、ヒトに翼をつけるとなると、やはり両腕が翼になるんでしょうか
ねぇ? 四足類の基本的な構造から発達させるとなるとそうなりそう。
(腕と脚の間に皮膜、だと滑空はできても羽ばたきは難しそうな(^_^;)
そうなると、ヒトのヒトたる要素の一つである「器用に使える手」を犠牲
にしかねないような。
絵画に描かれる天使のように、腕と翼が別個にあればいいんでしょうけど
肩の骨格とかも大改造が必要になりますね(^_^;
やはりジェットスクランダー方式がベスト?(笑)
前肢と後肢の間に被膜があって、木から木へと飛び移るやついなかったですか。
人間の手にも水かきみたいなもんがついてるような気がするので
木の上をぴょんぴょん飛び回るような生活をしていれば何億年後
かには翼という形質を獲得して身体も小さく軽くなって空を飛び
回れるようになっているかも知れません。鳥の翼よりは蝙蝠の翼
みたいな代物になるだろうという気はしますが。
# そもそもそこまで変異した動物を人間と呼んでいいかどうか…
確か、見た目ほど重くはないんだよね・・・?
アホウドリが確か最大サイズだったはずだけど、ほとんど滑空に近い飛行しかできなかったような気がします。
離陸するときも、向かい風をうまく利用しないと離陸しきれないくらいだというのをNHKの「生き物地球紀行」で見たような気が・・・?
人間を飛ばそうとすると、翼長が十数メートルにも達してしまい、逆に羽ばたくだけで翼が折れてしまう。
新しい素材の開発と形態の獲得(笑)をしないと自力で人間は飛べそうにないですね(爆)。
鳥類の祖先は小型の爬虫類と考えられています。
体重が軽くてしかも前足がウロコで覆われていたからでしょう。
木から木へと飛び移っているうちに指が長くウロコが大きく、
体重が更に軽くなった個体がより多くの子孫を残せたと。
鳥の祖先たる生き物が、何ゆえ「翼」を己の体に発現させるに至ったのでしょうか・・・。
固定翼と滑空のみを考えるのならハングライダーですか、やっぱり。
でも、鳥のような羽ばたきを考えるとどうなるのでしょうね?めちゃ運動効率の高い筋肉なら、少しは小さく出来るのかな?でも、キューピーの羽根では、どうあがいても飛べそうに無いな。
現在生きている鳥で一番大きいのは、アホウドリだかグンカンドリだかだと
思います。ただし翼長が基準。
体重だともしかしたら大型のワシあたりの方が重いかも。
飛べない鳥ならダチョウでしょうけどねぇ(笑)
(滅んでしまったものであればモアとかが大きいかな?
でもあのへんも走鳥類だったはず)
とりあえず飛行可能な鳥類は、
・骨を中空にして軽量化
・消化器を短くして内容物を減らす
・頻繁に排泄して体重を減らす
など、少しでも体重を減らすような身体の構造になっています。
ヒト(とりあえず平均的な体重の成人男性)を飛ばそうと思うと、
ハンググライダーの翼面積が参考になるのではないでしょうか。
リリエンタールのグライダーも大きさ的にそんなものだったと思
いますし。
随分前に、ちょこっと顔を出させていただいたゼンジーです。
確か、22キログラムくらいが自力で飛ぶ限界じゃありませんでしたっけ。
そういえば、ブラックジャックに手術で鳥人間になる話がありましたね。
人間の体重を支えるには鳥人間コンテストで出てくる
飛行機と同じくらいのサイズの翼が必要なわけですよ
ね。うーむ。取り回しが大変そうだ。
# ちなみにこれは強度をまったく無視した計算なので
# 実際にはもっともっとでかい翼が必要なはず。
体重制限がきついはずですよね。人間の体だとちょっと大きすぎるのではないですか?
筋肉増えるとそれだけ重くなるから、羽ばたき以外の筋肉は出来る限りおとして、骨も
ずっと軽量化しないと。
飛べる鳥で一番大きいのはどんなもんなんだろう?
遺伝子的な話ではゆんさんaのおっしゃる通り。
ですからヒトの細胞核の中には羽毛や翼の遺伝子はないと思います。
また、仮に翼の遺伝子を移植したとして、飛行可能な鳥類は全身の筋肉の
6割ほどが肩に着いている(無論はばたきのため)ことを考えると、ヒトが
飛行可能になるためにはシュワルツェネッガーも真っ青の逆三角形体型にな
らざるを得ないかもしれません(汗)
現代の定説だと哺乳類と鳥類の進化の枝が分かれたのは
鳥類が翼を獲得する前の事なので(人間のDNAに鳥の翼の
DNAが含まれている事はあり得ない)ちょっと難しいかも
知れません。
ヒトゲノム計画で話題になった「ジャンクDNA」のどこかを解読して開くと、「翼」が生えてくるかしら?
>「中立説」、「突然変異」、「淘汰圧」、という言葉等により「進化」を説明している方が
>おられますが、
っちゅうのは私のことでしょうか。私が答えてもいいのかな。
>「五炭糖が水に分解されやすい」、「海水中の希土類元素がりん酸エステル化合物を分解する」
>という事実を認識されているのだろうか? この2つの事実を認識すれば「蛋白粒の状態で
>生命体である」という仮説から進化を議論するほうがよりよいと思いますが如何でしょうか
「五単糖」と「リン酸エステル」の話がたとえ事実だとしても、なぜそうだとタンパク粒を生命体とする話がよりよいのかわかりません。
タンパク粒っていうのは何を指しておられるのでしょうか。タンパク粒って、水に分解されにくい物質なのですか?
もしかして、タンパク質の粒のことを「タンパク粒」というのですか。だったら、豆腐とか、ゆで卵とか牛乳とか唾液とかも生命体なんでしょうか。
>この意味において「中心小体論」は新しい解釈といえるのではないですか。
おお、「中心小体論」って言うのは初めて聞きました。不勉強でいけませんね。どのような解釈なのか、ぜひお教えください。お願いいたします。
(ところで、シャボンダマさんはメールアドレスが「natrom@yahoo.com」ってなってるんですが、NATROMさんと同一人物なんですか?)
>「遺伝子の変異間に適応度の差が存在しなければ遺伝子頻度の変化が起きず、遺伝的子頻度の変化は必ず淘汰によって起きる」
これじゃ、前半は、前とあんまり変わってないですね〜。
文全体で見たら間違ってない気もするけど・・・。
私って、本当に中立進化好きなのね^^;)
でももっと正確には
3段組にして
「遺伝子の変異間に適応度の差が存在するときのみ、淘汰によって遺伝子頻度の変化が起きる。」
「遺伝子の変異間に適応度の差が存在しなければ遺伝子頻度の変化が起きない。」
「遺伝的子頻度の変化は必ず淘汰によって起きる。」
ですかね。
(今度こそ本当に大丈夫なんだろうか^^;)
安賀須若人さん 適切なご指摘有り難うございます^^)。
>「淘汰圧が変化しなければ遺伝子頻度の変化が起きず、遺伝的子頻度の変化は必ず淘汰によって起きる」
この前半は、明らかに お か し い です^^;)
前半部分は、無意識に「中立的な変異しか存在しない場合」を想定していました。
でも、それでは「淘汰」の出る幕がなくなってしまい、ダーウィニズムと関係のない話になってしまいます!!
私の認識としてもむしろ
>「遺伝子の変異間に適応度の差が存在しなければ遺伝子頻度の変化が起きず、遺伝的子頻度の変化は必ず淘汰によって起きる」
の方が正確だったなと感じています。(今度は大丈夫かな〜^^;)
今後とも、「適切なご指摘」お願いします。^^)
はっとべっとさん レス有り難うございました。
私も、淘汰とランダムな浮動とは切り離せる物とは思ってはいません。
ただし、ある現象を考察するときに、「淘汰からの切り口」「ランダムな浮動からの切り口」を分けて考えた方が混乱しなくて良いなと思っている者です。
前回の書き込みでは誤解させてしまったようですが、淘汰について、もしも誰かに「どう考えているか表明せよ。」といわれたとしたら・・・
1.生態系が安定した状態では淘汰は常に非常に強くかかっている(むしろ、この強い淘汰が表現形質の多様化を阻害している面もある)。
2.この場合は、「有利な遺伝子の出現(頻度は低い)」と「変異の幅の狭い中立的変化」しか進化のチャンスがない。
3.反対に、この淘汰圧が極端に減少した場合(ニッチが開くとか)に大きな多様化のチャンスが生まれるのではないか(正常と比べかなり不利な遺伝形質が中立的になりうる)。
・・・・ドーキンス好きなんですね、私。^^)
はっとべっとさん の表現した「淘汰圧0」は、私が思う1.の状態だと思います。(つまり、「有利な遺伝的変化」がないと「淘汰だけでの進化」が起きない状態。)
でも、私と はっとべっとさん では表現するときの「0」の位置の決め方が違うだけで、おおざっぱには殆ど同じことを考えている気がしました。
「淘汰と中立的変化の進化に対する役割」についての「認識」は大きな所では殆ど違いがないと感じました。(細かいところでは違いそうですが。)
でも、「視点」はずいぶん違うと思います。
私と はっとべっとさんでは同じ理解から互いに違った考察を導き出すかも知れません。
これは、私にとって非常に有意義に思えるので、また機会がありましたら(具体的な事象などで)議論が出来ることを楽しみにしてます。
今後ともよろしく。^^)
そういえば、種の定義について面白いHPを見つけました。
既に紹介があるかも知れないのですが、その時はご容赦下さい。
私の大好きなHP
http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Egen-yu/index.html
このホームページはマニアックで大好きなんですが。(生物の多様性という点でも紹介したい。)
そこでのコーナーで
>「分類学」をめぐって−サカナの場合−(@nifty「自然観察フォーラム」ログより)
http://www.ct.sakura.ne.jp/~gen-yu/etc/haze.html
「自然観察フォーラム ffield」の掲示版で交わされた議論の中から、関係のある部分のみ抜粋した物だそうです。
「種」といえば「分類学」。
ここでは、「分類学者」は参加してはいないようですが、分類に深い経験と理解のある方の議論であり、大変ためになります。
全部読みたくなかったら、*01187、01197、*01198、01209、01212、*01210、01217だけでもお勧め(*は特に)します。
ほかに、同じサイトから
>ニホンタンポポと帰化タンポポの遺伝的関係
http://www2u.biglobe.ne.jp/%7Egen-yu/tampopo.html
こっちは、「種の定義」を中心に語られているわけではないですが、そんなに長くないし、まとめてあるので面白いです。
「中立説」、「突然変異」、「淘汰圧」、という言葉等により「進化」を説明している方がおられますが、この考えかたをしている方は「遺伝子=DNA」、「ある配列のゲノムの出現から進化が始まった」と考えておられるように思われます。確かに現在の生物学の教科書はこの解釈が主流をしめていますが「五炭糖が水に分解されやすい」、「海水中の希土類元素がりん酸エステル化合物を分解する」という事実を認識されているのだろうか? この2つの事実を認識すれば「蛋白粒の状態で生命体である」という仮説から進化を議論するほうがよりよいと思いますが如何でしょうか
? この意味において「中心小体論」は新しい解釈といえるのではないですか。
突然失礼致します。
サーチエンジンGoogleで「飛行機事故 掲示板」を検索しましたらここにたどり着きました。
次のサイトは「日航機墜落事故 東京大阪123便 新聞見出しに見る15年間の記録」です。
鎮魂、追悼・慰霊のページもアップしております。是非一度ご覧になって見て下さい。
「種」の境界線を明確に引くのは難しいですよね。
単為生殖ではなく、交配して増える生物の場合は、「交配させて雑種ができない、もしくは
できた雑種が不稔であれば別種とみなす」というのが広く使われている基準ですが、それでも
ある種Aの亜種A1とA2が存在して、A1もA2もAとは不稔でない子孫を残せるけど、
A1とA2を交配させた雑種は不稔である、というケースなど、A1とA2だけに着目すると
別種という扱いになってしまうんですよね。
もしこの場合、Aという種が知られていなかったら実際分類学者はA1とA2を別種として
みなすしかないでしょうし。
(栽培品種で実際こういうケースはあるそうです。なんせダーウィンの「種の起源」で言及さ
れている)
まして分裂で増えるバクテリアの場合、何をもって種の区別とするのやら。
変なタイトルになってしまった・・・・。
すみません。。。
コドンとアミノ酸の対応やDNA→RNA→蛋白質という遺伝情報の発言の基本的な
流れ、細胞内の基本的なシステム(情報伝達系や代謝系とか)などの生物が持つ「共
通性」と、形態および分子レベルでの「多様性」を両方ともすっきりと説明できるの
は生物進化だけですけどね。
> 進化論者が「新しい種が生まれる瞬間」を見せることも証明することもできないことは、
> 創造論者が「神の存在」を見せることも証明することもできないことと同じことなので
> す。証明することができずに、ただ「状況証拠(?)」のみで判断し、あーだ、こーだ
> と論じることは、進化論者も創造論者も小さな一つのテーブルで永遠と退屈なディベー
> トごっこを繰り返しているだけなのです。
では誰も目撃者がいない殺人事件を立証することは不可能というわけですか。世の中
には「状況証拠(?)」のみしか手がかりが得られないことなどたくさんあるでしょ
う。そんな時あなたはどう判断するんでしょうか?
進化論者と創造論者の間の議論は退屈なディベートごっこだという見解には同意しま
す(なにしろ創造論者はいつも同じことを言うだけなので)が、進化論者同士の議論
はとても興味深いです。仮に状況証拠のみだとしても、それらが一体どういう繋がり
にあるのか合理的に判断しているからこそ、科学的だと言えるし、進化は起こったと
言えるんですよ。
リターンズさんはじめまして。wadjaと申します。
>証明することができずに、ただ「状況証拠(?)」のみで判断し、あーだ、こーだと論じることは、進化論者も創造論者も小さな一つのテーブルで永遠と退屈なディベートごっこを繰り返しているだけなのです。
宇宙の歴史にしても、地質学にしても、その学説のほとんどは再現できないものについてですけど、それらも「退屈なディベートごっこ」なんでしょうか?わたしには、非常に興味深いものが多いんですけど。理論から未発見の事象を予測し、その事象(例えばブラックホール)を発見することでは証明にはならないのでしょうか?
種の概念については、私もこの掲示板でみなさんに教わったので、大したことは申せませんが、過去ログ
http://doko.totto.to/~tosakai/board000919.html
あたりをお読みになることをお勧めします。
個人的には、人間から脳が二つある新種が突然生まれるなんてのが、SFチックですきなんですけどね(笑)
>「進化」とは、互換性があるかもしれないが、全く新しい種に生まれ変わることです。
変化も進化も実は同じことだと私は思いますが、それはおいといて。
GOAさんも書かれていますが、私が言いたいことが伝わっていないようです。
GOAさんとは別のところから再度、解説してみます。
あなたのその違うとされている「全く新しい種に生まれ変わること」とはどういう意味なのでしょうか?
その「新しい種に生まれ変わること」というのは、何をもって証明したらいいのでしょうか?
私は、リターンズさんは新しい種が生まれる瞬間を見つけてはじめて進化が存在することが証明されると考えていると想像したのですが、違うのでしょうか?
生物というのが進化の産物であることを、何があればリターンズさんは認めるのですか?
進化の証拠とされているものは無数にあります。
分類学や生物地理学、古生物学、発生学、比較解剖学などなど。さらに近頃では分子生物学とか分子遺伝学もそう。それらは、生物が共通の祖先を持っているとしてはじめてうまく説明できる。
例えば解剖学でいきましょうか、、、
なぜ哺乳類は皆体表に毛を持ち、子供をメスの皮膚分泌物で育て、内耳に耳小骨が3つあり、顎は歯骨という骨一つでできているのでしょうか?
なぜ、オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ヒトは皆、尾がなく、肩を真上に上げられるのでしょうか?
その他、無数のこういう問題がありますが、進化という概念では、それらは共通の祖先から別れたからだ、より似ているものはより近い祖先をもっているからだと説明します。
誰も新しい種が生まれる瞬間を見たことはないですが(実は見ているのだが、それがいつなのか、本質的に分かりようがない)、進化という概念を入れることで、上記のようにそれらがパズルのピースがきちんとはまるように説明できるのです。
それなら、進化を、今のところは正しいことにしておこう、進化という概念で説明できない事実が見つかるまで今のところは正しいとしておこうと。
リターンズさんが、進化というのはなかったし、間違っていると言うのであれば、進化では説明できない事例を、一つでいいですから提示することです。
そうすれば、私は進化という概念は間違っていたと認めます。
ただし、これはポパー流の、古風な科学概念だそうで、他の方も同じというわけではありません。
特にこのサイトでは、一つの事例だけでは否定にならないとか、こういうポパー流の科学の定義を今や当てはまらない古くさいものだとしている方の方が多いようです。その方たちには、上記のような例を提示しても反論にはならないです。
GOAさんが、下の僕の書き込みと同じような事を言ってらしたんですね。
失礼しました。
>新進化論さん
種の分け方ってのは、あとで人間が整理しやすいように決めた区切りであるわけで、
そこまでこだわる必要はないのでは?
あと、生物の多様化を、あなた流に説明するとどうなりますか?
創造主も否定してるようだし、湧いて出てきたとでも?
>新進化論!?リターンズさん、
あなたは、JA50さんの意見を理解されていないようです。JA50さんがおっしゃるとおり「新しい種が生まれる瞬間」は存在しないのです(少なくとも現在の理論はそうなっています)。ですから、「新しい種が生まれる瞬間」を見せろといっても「それは不可能」と答えるしかありません。ないものを見せることなどできないからです。
例えば「10万年前の化石Aと1万年前の化石Bがあり、そして中間の年代にC,D,Eという化石が発見され、CはAの特徴を大きく受け継ぎいでいるが、Bの特徴もわずかにある。EはBの特徴を大きく現れているが、Aの特徴もわずかに見られる。そしてDは、AとBそれぞれの特徴が半々に見られる。」という場合、A,B,C,D,Eを種Aと種Bに区切る境界線はないといえます。現実に、新しく発見された化石について「新種とするべきか、既知の種のいずれかに入れるか」議論されることはしばしばです。
>人間以外の動物(昆虫も含めて)は、全て自然界における地質変動や異常気象、天変地異を敏感に察知できる能力を持っています。
危険を予知できたとして、どのような仕組みで進化していったのですか?このシステムをぜひご説明ください。
また、この理論は検証可能です。隕石の落下や火山の噴火などの自然災害を予測して進化するシステムがある場合、自然災害によって作られた地層の下に爆発的な進化を示す兆候が見られるはずです。現実には天変地異の後で急速な進化(適応拡散)しているように見えますがいかがでしょう?
理論の説明もなく、物的証拠はもちろん状況証拠もない理論を持ち出して既存の学説を否定するのは、幼稚な「科学ごっこ」と言わざるを得ません。
>ヘルメス☆さんとJA50さんへ
私は「変化」と「進化」を、お二人のように、ごちゃまぜにすることはできません。「変化」とは、同一種の中で起こりうる適応のことであり、「進化」とは、互換性があるかもしれないが、全く新しい種に生まれ変わることです。
進化論者が「新しい種が生まれる瞬間」を見せることも証明することもできないことは、創造論者が「神の存在」を見せることも証明することもできないことと同じことなのです。証明することができずに、ただ「状況証拠(?)」のみで判断し、あーだ、こーだと論じることは、進化論者も創造論者も小さな一つのテーブルで永遠と退屈なディベートごっこを繰り返しているだけなのです。
>ある種から別な種が生まれることをいいます。そんなことは、あり得ません。
ある種から別の種が生まれるというのは、どういうことが見つかれば、確かにその通りだとなるのでしょうか?
新しい種が生まれる瞬間を見つけないといけない?
ある種から別の種が生まれるのが連続的な変化であれば、どの時点をとっても、ここが分岐点だ、などとは言えません。そして、ダーウィニズムは連続的な変化だと主張しているんですから、それに分岐する瞬間を見せろと言っても、そりゃ不可能ですとしか答えようがない。
長い期間をおいて、2つの種の間でこれだけ変化したというのは示せるけど、これでは満足しないんですよね?
しんかしんかしんかシンカー!
>新進化論!?リターンズさん、
ほとんどヘルメス☆さんにお答えしていただきましたので、質問を1つだけさせていただきます。
>ある種から別な種が生まれることをいいます。そんなことは、あり得ません。
では、どうやって、新しい種が生まれたのですか?人類を含むあらゆる種が自然発生したと言うのはかなりSFチックに見えますが。
お久しぶりです!
引越ししたら、何とインターネットに繋げられなくなってしまった・・・
ルームメイトのPCを借りてカキコしています。
で、横やりですみませんが、
>新進化論!?リターンズさんへ
では、生物の変化についてはどうお考えになりますか?
現に人類は猪から豚を作り出していますし、AIDSウィルス(HIV)に代表されるレトロウィルスはとんでもない速度で自身を変化させています。
逆に生物がまったく変化しないのであれば、環境の変化にどのようにして対応するのでしょう?
環境の変化に対応する必要がないのであれば、恐らく生物はかなり簡単に絶滅しうるでしょうし、そうなった後の環境にはどのようにして後釜が入り込むのですか?
生物がある程度危険を予測しうる能力を持っていることは明らかですが、それは一般に科学的な裏付けができるものです。
地震等の前触れの微細な磁場の乱れにより危機を察知したり、我々の五感では感じ取れない領域の情報を基に警戒を得ることは科学的に説明できます。
しかし、それ以外の、また、本質的に回避ができない危機に対しては無力です。
たとえば環境の変化を止める術を人間以外の動物は持っていません。
(人間もあやしいけど、可能性がある、という意味では一般の生物とは異なる)
隕石の衝突なども、たとえそれが起こると判っていたとしても人間以外の生物には為す術がありません。
結果として、生物は後から環境に適応する術を持たなくてはなりません。
ですから、あらかじめ将来何が起こるか判って進化をする、というのはかなり危険な賭けともいえます。
どのような変化が起こり得るのかを完全に予測するのは「ラプラスの魔」の矛盾により完全に棄却されるからです。
(そういや、この「ラプラスの魔」に関しては別の掲示板でもやったな・・・)
またカオス原理により今現在の現象面でのランダムな変化が、将来を予測不可能なものとする、という意味でも、生物が未来を完全に予測することは不可能ですし、もしそれを可能としていたのならば、生物学は飛躍的に完成度を高めていたでしょう。
では、長々と横レスを失礼しました!
GOAさんへの回答です。
<奇跡の連続
ある種から別な種が生まれることをいいます。そんなことは、あり得ません。旧態依然とした進化論者は、カエルのおたまじゃくしのような「変態」のプロセスをわざわざ進化のプロセスに強引にあてはめてしまったのでしょう。後世の科学者や生物学者がウラをとるような行動にはしってしまったのは、いまだに先人が残した理論を捨てきれないでいるからです。
<予測
人間以外の動物(昆虫も含めて)は、全て自然界における地質変動や異常気象、天変地異を敏感に察知できる能力を持っています。だが人間は持っていない。これはどうしたことか。つまり人間は自然の中に身を預けない生活を選択してしまったばかりに、そうした能力が衰退してしまったのか、「これからその能力を持ちえる原型たる存在」であるかのどちらかなのです。
Cambrian_explosionさん、こんにちは、
はっとべっとさん、ゆんさん、初めまして
中立説登場の前後の進化論の歴史に関して私見を述べます。Cambrian_explosionさんの仰る「淘汰圧が変化しなければ遺伝子頻度の変化が起きず、遺伝的子頻度の変化は必ず淘汰によって起きる」は、そう大きな問題はないと思いますが、少し修正が必要に思います。後半の「遺伝子頻度の変化は必ず淘汰によって起きる」というのはいわゆる「淘汰万能論」に相当するので問題はないと思います。しかし前半の「淘汰圧が変化しなければ遺伝子頻度の変化が起きず、」に関しては、そのような見解が中立説以前に必ずしも一般的であったかどうかは疑問です。まず、中立説以前の集団遺伝学ではフィッシャーの「自然淘汰の基本定理」(参考ページ「集団遺伝学講座」)などは集団の適応度の増加率に関するものであることからわかるように「淘汰圧の変化」という考え方抜きに単純に「適応度の増大」を論じています。「淘汰圧の変化」の中に新しい突然変異の導入を含めば別ですが、そうでないと元の文章「淘汰圧が変化しなければ遺伝子頻度の変化が起きず」は環境の変化なしには進化が起きないかのように読めます。もちろん当時とて自然淘汰の作用様式として安定化淘汰が知られていたのは事実です。ただ、「進化の原動力は自然淘汰である」という考え方には、生物が自然淘汰によって適応していくという、進化に対するどちらかと言えば向上的な見方が含まれていると思います。中立説登場直前はE.マイアとかが古典的集団遺伝学を(不当に)こき下ろしていたみたいですので、フィッシャー等の集団遺伝学の考え方の全てが進化学者全般に受け入れられていたとは言えないですが、中立説論争の中から自然選択環境のゆらぎによって淘汰圧が変動するので中立説によらずとも分子進化速度が近似的に一定になることを説明できるとする「環境ゆらぎ説」というのを松田博嗣と石井一成が提唱しています。これなどは、それまでのモデルが対立遺伝子の適応度をほぼ一定のものと考えていたことを改めて「淘汰圧のゆらぎ」を考えようというものですから、中立説以前では「淘汰圧の変化」と言う考え方は集団遺伝学のモデルに充分には取り込まれていなかったということを裏付けていると思います。
中立説の受容によって、自然淘汰の主な働きは少なくとも分子レベルでは、進化の原動力というよりは、変化を拒む保守的な力であると考えられるようになったわけです。そして除去されなかった
(=淘汰されなかった)突然変異が定着するのだという進化観が一般的になってきたのだと思います。その結果として、我々はまさに、
> その突然変異遺伝子が淘汰によって定着したと考えることができます。
ではなく
> その突然変異遺伝子が淘汰されないで定着したと考えることができます。
と考えるようになったのだと思います。
#レスの遅れはご容赦願います。
>「私は中立的な進化がかなり重要ではないか?と思っているのですが、はっとぺっとさん
>は淘汰に比べてその重要度はどう思いますか?」
両方とも、とても重要だと思います。「どちらが」とか比較できるようなものでは(少なくとも私にとっては)ありません。
私が文中で使った「突然変異」という言葉は、すべて中立説に基づいて考えています。
で、中立的な遺伝子の突然変異がどのように淘汰圧を受けるかで遺伝子頻度は変化すると考えています。ですから、淘汰とランダムな突然変異は、進化にとって、あい対するものではないと思います。
Cambrian_explosionさんは「淘汰(の影響)」というとき、「淘汰がある」時のことしか考えていらっしゃらないのではないでしょうか。私は淘汰を変数としてとらえています。強いとき、弱いとき、0の時。「淘汰がない(0である)」というのも、淘汰が立派に関与していると私は考えます。「0」は「存在しない」ではなく、「0という量」だと考えています。
また、非常にローカルな条件で、特定の形質についての遺伝子頻度の変化を見る時は、淘汰圧0の時は淘汰を無視してもいいと思いますが、それですら実はそれらの淘汰圧0の遺伝子以外の遺伝子は淘汰を受けていたわけです。ですから、淘汰による効果を無視する場合でも、淘汰と無関係ということはあり得ないと思います。
さらに、環境は変化するものですから、環境が変化すれば淘汰圧も変化し、今まで淘汰圧0だったものもそうでなくなるかもしれません。ですから、進化を論じる場合は、理想的なモデル以外は淘汰抜きには語れないと思います。
気になって見に戻って来て、すごく変なことを書いているのに気付いたので訂正します。
「私の中立説以前の進化論についての歴史認識」の所です。
>[淘汰圧が変化しなければ遺伝的変異が起きず、遺伝的変化は必ず淘汰によって起きる]
は訂正します。これだと下手するとラマルキズムみたいです。
>[淘汰圧が変化しなければ遺伝的形質の変化が起きず、遺伝的形質の変化は必ず淘汰によって起きる]
さらに、もう少し遺伝学的な理解が深まった時点なら(ハーディー・ワインベルグの法則ぐらいの時?)
>[淘汰圧が変化しなければ遺伝子頻度の変化が起きず、遺伝的子頻度の変化は必ず淘汰によって起きる]
という認識だったのではないかな?(中立説以前は)と思っています。
あくまでも、感想に近い物なので、
この認識が違ってるよ!という人がいたら正しい歴史を教えて下さいね。
それと、「議論がどうこう」については、お詫びして撤回します。
はっとべっと さんにお聞きしたかった本意は、
「私は中立的な進化がかなり重要ではないか?と思っているのですが、はっとぺっとさんは淘汰に比べてその重要度はどう思いますか?」
ということだったので、この点の質問だけに訂正させて下さい。
性格的に、あわてて書くと雑になっちゃうんで 気をつけていたのですが、またやってしまいました。
それに、書き込んだ後に結構気になったりする小心者なので^^;)
本業に影響しないよう、書き込み・レスなどはできるだけ週末に限定したいと思っているので、我が儘ですがご理解下さい。
> その突然変異遺伝子が淘汰されないで定着したと考えることができます。
の部分を
> その突然変異遺伝子が淘汰によって定着したと考えることができます。
と語読してました。
お話にならない。
すいません、顔洗って出直して来ます。
Hueさん こんばんは
>やや求めているものと違ってるかも知れませんが、化石の森というサイトがあります。
有り難うございます。
まだ、ネットサーチもやらないうちから、いきなり皆様に頼ってしまいました^^;)
実は、私が知りたいのは、植物の形態進化で、たとえば・・・
テロームから大葉ができた証拠はあるの?
大葉類には小葉はないの?
葉態枝はどういう構造をしてるの?
坦根体は初期はどのような構造をしていたの?
葉の背腹性はいつ頃から認められの?
などの疑問を古植物学はどの程度明らかにしているかってことなんです。
(これ以上細かいことは書きません・・・、専門がバレバレになるので・・・)
(匿名性を守りたいと思っているものですので・・・・^^;)
レビュウ−やHPみたいにまとまっている物なら英語でもOKなんですけど・・・・。
専門外(古植物学)だと、仕事の開いた時間だけでは探すのがホントきついんです(読むのはもっとキツイけど)。
掲示版を私的に使って申し訳ないのですけども、情報がある方、どなたでもアドバイスをお願いいたします。
はっとべっと さん こんばんは
私は進化は勉強中なので、私見なんですが・・・。
>「淘汰より」って言うのがよくわかりませんが、「遺伝的浮動によって生じた」と言い換えても、もちろんOKです。遺伝的浮動は、淘汰が起こらない、もしくは淘汰強度が変動することによって生じるわけですから。
こうしてしまうと、中立説の価値が無くなってしまうように思えるんですが・・・。
ダーウィンも中立的な進化に気づいていたって言う話もある様ですけれど、
私は、「中立説が理論と実態の裏付けをもって認識されるまでは[淘汰圧が変化しなければ遺伝的変異が起きず、遺伝的変化は必ず淘汰によって起きる]という誤解があった」という歴史認識をしているんですが・・・。
ちなみに、現在の私は「進化は変異の発生と、環境の影響による淘汰、および偶然によって起きる」という認識をしています。
ちなみに「変異」、「環境」、「淘汰」、「偶然」はどれも非常に広い意味で、例えば
「変異」には「遺伝子やゲノムの重複」、「ゲノム構造の変化」、「外来遺伝子の挿入」、「共生進化」なども含めてますし、
「偶然」にも、「遺伝的浮動」、「有利な遺伝子との連鎖」なども含めています。
ただし、これらの妥当性は勉強中ですが・・・^^;)
進化のように多様な現象は、多様なままにせず、ある程度まとめて表現しないと複雑になるな〜。とは思ってはいるんです。
そういう意味では、はっとべっと さんは「淘汰」と「偶然」をまとめて認識されているような気がしました。
ただ、議論が これを分けるような形で行われているときは 分けて考えた方が良いような気がしました。
今回は「淘汰による遺伝子頻度の変化」と「遺伝的浮動による遺伝子頻度の変化」が別として議論されているように感じたのですが・・・・。
分けて議論しても、はっとべっとさんの主張は揺るがないと思うのですけれども。
ご意見があればよろしくお願いします。
ただ、遅レスで、おそらく週末になると思うので その点はお許し下さい。
すいません、いい加減な知識で変な表現をしてしまいました。
はっとぺっとさんの最初の書き込みで
> その部族のすんでいる環境では2本指は生存に不利でなかったか、
> もしくはそちらの方が有利な点があったために、
とある部分について、この「村」が十分に隔離された、個体数の少ない
環境であるならば足の指が二本しか無い形質が生存には若干不利な形質
であったとしても定着してしまう事はあるのでは無かろうかと思って、
それを指摘しようと思ったのでした
# 最初からそう書け
>この現象が起きているのが「村」単位ならば淘汰よりランダムドリフトの
>効果の方が大きいんじゃないかと、ふと思いました。
「淘汰より」って言うのがよくわかりませんが、「遺伝的浮動によって生じた」と言い換えても、もちろんOKです。遺伝的浮動は、淘汰が起こらない、もしくは淘汰強度が変動することによって生じるわけですから。
> 数年前のギネスブックに、半数近くの村人が足の指を2本しかもたないアフリカ
> の部族の写真が載っていますが(足袋みたいな足をしている)、その部族のすんで
> いる環境では2本指は生存に不利でなかったか、もしくはそちらの方が有利な点
> があったために、その突然変異遺伝子が淘汰されないで定着したと考えることがで
> きます
元のギネスブックの記事の方読んでないから詳しい事はわからないのですが、
この現象が起きているのが「村」単位ならば淘汰よりランダムドリフトの
効果の方が大きいんじゃないかと、ふと思いました。
>分子レベルでの多様性の意味で,バラエティに富むと言いたかったのですが…。
分子レベルでの多様性であれば、生物間どころか同種間、人間の親や兄弟ですら違います。
生物の構造や化学的組成は、「異なる」という目で見ればクローン以外は同じことはあり得ませんし、「似ている」という目で見れば、無生物と比べるとどの生物も非常に似ています。
>進化の方向付けが自然淘汰と,偶発的な意味合いの強い遺伝子発現だけだと,
>チョット弱い気がするんですが,そこの所はどうなんでしょうか?
私はぜんぜん弱いと思いません。既存の進化論と比べると、ウイルス進化論なんか弱弱でへにゃへにゃで、話にもなりません。
突然変異でいえば、生物にはありとあらゆる突然変異体が作られます。わかりやすい例で人間を挙げると、形態だけですら、もう、想像も付かないようないろいろなヒトが、結構な確率で生まれています。その一例が、「図説奇形全書(原書房)」に載っていますので、ぜひ見てみて下さい。
「図説奇形全書」http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/397ce113469030106767?aid=&bibid=01697623&volno=0000
次は自然選択ですが、環境が一定だという思いこみがあるから、これでは説明が付かないと思われるのではないかと思います。
環境は、ころころ変化します。常に、その環境で生き残りやすいものが生き残っているわけです。そして、やがて環境が変化したとき、今まで適していたやつが次の環境でも適しているとは限らない。というか、今まで適していなかったやつの方が適していたりすることがあります。そうすると、今までいたやつは淘汰されて、今まで不利だったやつがでてくるんです。
ふつうは突然変異体というのはその環境に適さないものが多いのですが、環境が変化したとき、変異体の方が適応度が高くなるだろうことは容易に想像付きます。
数年前のギネスブックに、半数近くの村人が足の指を2本しかもたないアフリカの部族の写真が載っていますが(足袋みたいな足をしている)、その部族のすんでいる環境では2本指は生存に不利でなかったか、もしくはそちらの方が有利な点があったために、その突然変異遺伝子が淘汰されないで定着したと考えることができます。
それとも、その人たちは足の指が2本になるような病気のウイルスに感染した?
>はっとべっと 様
プリオンの件は勉強不足でした。すみません。
ただ,従来のDNA→RNAの転写構造から,レトロウィルス(でしたっけ?)と逆転写酵素の発見により,パラダイムシフト(使い方間違ってますか?)が起きた話が念頭にあったので,蛋白→蛋白もありかなと…。
組成成分…表現がよくありませんでした。分子レベルでの多様性の意味で,バラエティに富むと言いたかったのですが…。
別に進化論を否定する訳じゃないんですが,(ウィルス進化論 自体成立しなくなりますし)進化の方向付けが自然淘汰と,偶発的な意味合いの強い遺伝子発現だけだと,チョット弱い気がするんですが,そこの所はどうなんでしょうか?
「ニュー進化論」ですか…。ガイアボックスとか,期待実証理論(でしたっけ?)とか引っ張り出してきても良いですか?(えぇ,どうせオカルトSFの類ですよ。)
プリオンっていうのは、少なくともほ乳類はみんな持ってる(遺伝子に組み込まれて自分でつくっている)タンパク質らしいですよね。狂牛病のプリオン(異常プリオン)は、ふつうのプリオンとはタンパク質の3次元構造が違っているだけのもので、「増殖」といっても、正常プリオンの3次元構造を変えるだけのようです。ですから、プリオンを生物と認定する人はたぶん現在はいないんじゃないかな、と思います。まあ、もちろんこれから大発見があって、「プリオンは独立して自己増殖する」と結論付いたら、別ですが(多分ないと思いますが)。
RNAもDNAと同じ、核酸ですよね。化学的成分はほぼ同じですね。
ウイルスやファージの組成成分も、ふつうの細胞と極めて似てますよ。核酸を遺伝物質に持っていて、タンパク質の体を持っているんですから。
遺伝物質は核酸だけど、体は鉄でできている、とか、遺伝物質はタンパク質で、体(細胞膜)は炭水化物でできているとか、そんなイキモノがいたら、前言撤回しますが。
>利用可能な元素としてCよりもSiが多い環境ならば,それに近い組成に
>なったんじゃないですか?
地球表面には、Cよりも断然Siの方が多く存在しているのですが、ふつうの生き物が使える、小さな分子になりやすいものは断然Cの方が多いために、生物はCを使っているのだと思います。 この件に関してはおっしゃるとおりで、Siが生物が利用しやすい形で存在していたら、きっとSiを利用する生物はたくさんいたと思いますよ。
実際に、珪藻や放散虫など、Si骨格を持つ生物は結構たくさんいます(あくまで骨格だけですが)。
ほんと、Akyndさんのおっしゃるように、何で神や宇宙人は、地球上にこんなにたくさん存在している珪素をエサにするような生物を作らなかったのでしょうか。きっと大繁栄したでしょうに。
あと、現在の進化論を否定するからっていって、「ウイルス進化論」を肯定するのはどうかと思うんですが・・・。ぜひもっと説得力があって、あっと驚くような「ニュー進化論」を展開していただきたいですね。
おはつです。Akyndと申します。
>はっとべっと 様
プリオンとかは如何します?噂では,奴は蛋白ですよね?遺伝物質?
ウィルスの中には,レトロみたいにRNAな奴もいますよね?
ウィルス,ファージなんかも視野に入れると,組成成分なんかバラエティに富んでますぜ。
更にSF入れば,我々が認識していない(或いはオカルトで片付けている)だけで,他にも生物と認識可能なものって,あるかもしれませんよ…産卵する花崗岩は見たくないですが。
組成が近いのは,単純に環境適応の結果じゃないですか?まぁ適応も進化の内でしたっけ?
利用可能な元素としてCよりもSiが多い環境ならば,それに近い組成になったんじゃないですか?
発生と進化を分けて考えないとややこしくなりません?
発生は神様(宇宙人)→環境適応と淘汰による進化と言うのは,ありかなって気はしますね。
神の定義も不安定ですよね。それこそ妄想…空想科学の産物。
例えば,隕石飛来時の蛋白付着物が生命発生の原点だとしても,その隕石(若しくは飛来した状況)を「神」とか「神の御手」とか言えばOKになるでしょう?日本には昔から八百万の神がおわす事ですし…。
私ですか…。じゃぁ,ウィルス進化論に一票…それが神の御技か,自然界の魔法かは秘密。
化石林というのは、木がある程度生きていたままの状態を保ったまま埋まってそのまま化石になったもののことをいうのだと思います。つまり、現地性の木材化石ということですね。
ふつうは、「化石林」っていう言い方は、あんまりしないと思います。「林」のように木材化石が存在していることは、あんまりないですし。どちらかといえば、「林化石」の方が誤解が少ないかも。もちろん使ってある例は知りません。
地層に対して直立している木材化石が何本かあれば、こういわれるのだと思います。ちなみに、私もいくつかそういう場所を知ってますが、材木では種や属まで特定することは不可能でしょう。
Cambrian_explosion さん、こんにちは。
> 古植物学
やや求めているものと違ってるかも知れませんが、化石の森というサイトがあります。
http://www.nirei.com/
そのなかの「化石林地図暫定版」
http://www.water.sannet.ne.jp/nirei/educ/forest/forest.html
というところを見てみたら案外うちの近くにあったりして。
どの辺なんだろう。暇が出来たらいってみようかな?
もう御存知かも知れませんが、一応紹介まで・・・
寂しい地質学者さん 初めまして
はっとべっとさん こんばんは
T8848さん こんばんは
私は(新しいHNを見ればお気づきでしょうが)古生物(とその進化)にも非常に興味があります。
ただ、私は「現世の」植物が専門なので、古生物学の文献は全く読む能力がないのです。
そういうわけで、古生物に詳しい方に巡り会えて非常に嬉しいです。
実は古植物学について知りたいのですが、そういうのは専門外でしょうか?
専門家でなくても理解できるような情報源がありましたら教えていただきたいのですが。
一般書などは集めているんですが・・・。
ところで、寂しい地質学者さん
「発達余裕」についてはどのような概念なのか私も興味があります。
何か、アンモナイトに限らず一般に適応できるような書き方をされていたので・・・。
−−−−
話変わって。
LucifeR さん こんばんは
>…今度の例はだいじょぶだよね、この芸風でも。
以前のことを気になさっているなら、忘れて下さい。
(関係なかったらごめんなさい。)
私もその芸風が好きです。
気を使いすぎると キレ が無くなります。
気に入らない表現があったら、その時は「自分の主張」を表明させていただきますから
(反論じゃなくてね^^)。
>新進化論!?リターンズさん、
>方向性のない進化はやがて自滅します・・・・・・。
そうなりますと、生物は巨大隕石の落下や氷河期を予め予測する、あるいはどのような天変地異にでも生存できるように進化していったということになりますが、どのような機能がそうした予測(予知)を行っているのでしょうか?
それから生物の進化を何を持って「奇跡の連続」とされているのかも合わせてご解答ください。
みなさま
iijichishingo2です。
このたびHNを Cambrian_explosion に改めることにしました。
(ここでは略してCambriとでも名乗りますか?^^)
今後ともよろしくお願いいたします。
・・・これだけでは板汚しなので少し情報提供します。(以前に紹介があればお許しを・・・。)
私は多様な生物が大好きなので、「古代サルの一部からヒトが進化した」ぐらいのことは、「生物進化全体から見たら」たいしたことのない非常につまらないものだという認識があって^^;)
それで、いろんな、「マニアック」扱いされる生物が好きなものですから、彼らの進化について非常に興味があるのです。
私と同じくマニアックな皆様へ・・・
・・・いや、むしろマニアックでない皆様へ!^^)
http://130.158.208.53/WWW/taxonomy/menu.html
これは、原生動物のHPです。
実は、まだ殆ど読んでなくて、これからじっくり読もうと思っているのですが・・・。
日常はおろか進化の話題にも滅多に登場しない(しかし、はるかに多様性を持った)原生動物について詳しく書かれているようです。
http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~inouye/ino/contents.html
これは一般に藻類と呼ばれる者たちのHPです。
単細胞の光合成生物の進化は大変に面白く、2重,3重の共生現象が非常に重要な役割をしています。
その進化についても分かり易く記述されています。
http://bio.bio.hokudai.ac.jp/%7Ehorig/Welcome.html
単細胞(光合成)生物のなかでも、共生現象が非常に多様に起きているのが渦鞭毛藻類です。
このHPだけでも お腹いっぱい 進化について考えさせられることが多いはずです。
何れも、隅から隅まで、じっくりご覧になることをお勧めします。
これらは一部相互リンクしているだけでなく他の研究機関(者)へのリンクも多く、リンクをたどっていけばさらに多くの情報が得られると思います。
いまんところ私は満腹状態ですが^^;)
生物の進化は、我々が日常 目にするより はるかな多様性を生み出してきました。
進化を否定するとしたら・・・
このような、殆どの人々にとって一生目にすることのない(そして、目にする者たちよりはるかに多様な)生き物たちを、宇宙人や神様はなんのために作り上げたのでしょう?
注)私は、信仰の対象としての神を否定する者ではありません。
方向性のない進化はやがて自滅します・・・・・・。「奇跡」の連続が進化をもたらしたなら極めてSFチックです。それはもう「神」の存在を説く「創造論者」以上に荒唐無稽なこと・・・・・。
>聖書というものは、人の心を救うための書籍であり、聖霊の働きが無ければ意味をなさない書物である。
>科学を聖書に載っていないから間違いだとか,宗教は非科学的な迷信だとか、同じ土俵上で議論しても意味のないものだろう。
まったく異論はありません。おそらくは、クリスチャンの中でも、ヨハネ 加藤さんのような方が多いのではないかと思います。(教条主義的なキリスト教徒は、ヨハネ 加藤さんをクリスチャンとは認めないでしょうが)。ヨハネ 加藤さんのようなクリスチャンと普通の科学者の間では、まったく争いはないでしょう。むしろ、区別する必要すらないと思います。なぜなら、ヨハネ 加藤さんのような考えのキリスト教を信じる科学者も数多くいるからです。
我々と意見を異にするのは、「科学を聖書に載っていないから間違いだ」という教条主義的なキリスト教徒及び、「宗教は非科学的な迷信だ」と切ってすてるやはり教条主義的な科学者でしょう。このどちらも非合理的な考えであり、このサイトでは批判の対象となります。幸いなことに、教条主義的なキリスト教徒がそんなに多くないように、教条主義的な科学者もそんなに多くないように思います。もし、行き過ぎた宗教批判がございましたら、いつでも指摘してください。
進化論は一般的に聖書教条主義的キリスト教会で否定されている。また、そのように教えているのである。キリスト教では神に選ばれた人間が神に変わってこの世界を支配するために、神に似せて、アダムとイブが創造の最後につくられた。その人間が猿から進化したなどということは神を冒涜する行為と映ったのであろう。私はクリスチャンであるが、このような聖書に書いてあることが全て正しいとは思わない。現時点で科学上正しいと思われる,学説に沿った聖書解釈をすれば、”初めに神はビックバンを起こされた。そして、数十億年後に生命がはぐぐむに相応しい地球を創造し、生命の種をまかれた。神は生命が生きるに相応しい環境に順応する形になるよう遺伝子に様々なデータを組み込まれた。その後生命は環境に順応したものが生き残り,それ意外は滅びた。人間も人の形が環境に応じたものとなり、生きていくために道具を作り、知識を蓄えるようになった。と考えるのが自然であろう。聖書というものは、人の心を救うための書籍であり、聖霊の働きが無ければ意味をなさない書物である。科学の学説は、神が与えたもう一つの聖書であると思う。科学の学説は実験もしくは具体的証拠によって証明される事によって神の偉大な働きを知る事ができるのである。つまり、そこに存在する哲学が、宗教と科学では求める方法がちがうのである。科学を聖書に載っていないから間違いだとか,宗教は非科学的な迷信だとか、同じ土俵上で議論しても意味のないものだろう。私は、宗教と科学の両方に存在する教条主義を否定する。なぜならどちらが正しいか、間違っているかは、人間が判断するものでなく、神のみがはんだんすることであるからだ。
神様でも宇宙人でも人類を創造できたということは、
優れた科学技術を持ち合わせていたということになりますよね。
一体それらはどのようなものだったのでしょうか。
聖書に書いてくれてたら嬉しいのですがそうではありません。
結局自分たちで1から見つけなければならないのですが、
そのような研究は少なくとも僕は知りません。
創造論が科学ではなく信仰たる所以の一つはそれでしょう。
ko1956さんの、進化は推測の域を出ないというのは、どういう理由で思われるのでしょうか。ぜひ教えていただきたいです。向学のために。
ほ乳類でいえば、基本的な体制が似ていることや、DNA塩基配列をはじめとする生化学的成分が似ていることや、古生代や先カンブリア代にはその化石が出てこない、などという事実は、進化の考え方で解釈すると全てつじつまが合うので、進化して生じたとしか考えられないのですが。
もし、生物の各種類が、それぞれ独立に、神様や宇宙人や自然発生によって生じたとすると、人間に似た生物が先カンブリア代や古生代にいてもいいわけです。DNAの塩基配列も、チンパンジーと人間で似ている必要はないわけです。タンパク質を遺伝物質に持つ生物もいていいと思います。細胞でできてない生物もいていいですよね。何で神様や宇宙人は、そうしなかったんでしょうか。それについて、創造論やラエリアンの人たちなんかはすばらしいアイデアを持っていらっしゃるのでしょうか。
類人猿も齧歯類も人類も哺乳類だけど…。
進化論的系列の中で類人猿の直近のほ乳類とは、いったい、どの様なものなのでしょう。ほ乳類と類人猿の間を結びつけるものは、どこにあるのでしょう。ちなみに私は進化論を肯定できません。私から見て、進化論は、推測の域を出ない空想科学としかおもえません!
>とがりネズミに似た齧歯類の動物が人間の先祖であるといわれています。
一体どこからこんな話が出てきたのですか?
現代型のほ乳類(真獣類)は、新生代はじめの適応放散によって、ほとんどの目が出そろったと考えられています。ほ乳類の系統樹では、霊長目と齧歯目はとなりどうしに書かれることもありますが、決して齧歯類からほ乳類が派生したようには書いてないと思います。たいてい、齧歯類もほ乳類も、原真獣目という絶滅した分類群を祖先に持つように書いてあると思います。
もしかして、「トガリネズミに似た齧歯類」というのは、先日石川県の白峰村の白亜紀から出た、「三錘歯目」という古いタイプのほ乳類のことですか。
あれは、現代型のほ乳類の直接の祖先ではありません。NHKのニュース10やテレビ朝日のニュースステーションでは人類の祖先であるかのような報道がなされていましたが、あれは記者の思い込みによる誤報です。
確かにあのときの三錘歯目の復元図はトガリネズミに似ていましたが、齧歯類でもなければ人間の祖先でもありません。
私は「猿人よりゴリラやチンパンジーの方が『より新しくより進んだ』」とは言っていませんよ。
あなたが次のように言ったためです。
>猿のような生き物と今日の人間との間の<鎖環>をなす、より新しく、より進んだはずのものが絶滅し、よれより下等の類人猿が生き残っているのはどおゆうことでしょう。
類人猿より猿人の方が「より新しく、より進んだ」と言うなら、何百万年前の猿人よりも現生類人猿の方が「新しい」と言ったのです(わざわざ「より進んだ」を外してね)。
きたよ。宇宙人。カモン!宇宙人!!
ついに宇宙人が来たか! 投稿者:たけ 投稿日:12月 7日(木)10時00分16秒
お久しぶりです。と言っても私のことはほとんどの人が知らないか、忘れているでしょうが…。
以前6月頃に文化的な観点から、聖書の神話を文字通りにそのまま信じる人達がプロテスタント信者に多くいて、なぜ古事記の神話をそのまま信じる人たちがほとんどいないのか、という疑問を発言をした者です。興味のある方は過去ログを御参照してください。
http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/board000613.html
久しぶりにここの掲示板に来てみたら宇宙人が地球上の生命の誕生に関与したと主張する人が現れたので「ついに出たか!」思いました。
ここのホームページで取上げている創造科学は、キリスト教信者でない普通の日本人にとって聖書の神話を特別視する感覚がわからないために、あまり受け入れられる下地が欧米に比べありません。しかし、この手の宇宙人創造(あるいは進化)論はそうした宗教文化の壁がない分日本人に広まりやすいトンデモといえます。ですからいずれはこの掲示板に宇宙人関係のトンデモさんの書き込みがあると予測してましたがついに来るときが来たかという感じがします。このラエリアンなんたらという連中の主張をみるとだったらその宇宙人はどうやって彼らの星で誕生・進化したのかと思わずツッコミをいれたくなります。そういう初歩的な所に想像力が回らない所がまさにトンデモさんがトンデモたるゆえんなのでしょうが…。
to GOAさん、クハ72さん
「進化」という文字の「進」が、高等、下等ということと混同され誤解されるのでしょうね。たとえ、大腸菌がどんなに下等でも絶滅しませんよね。下等なら下等なりにメリットがあるわけですから。例えば比較的単純な構造ならより高等で複雑な生物に比べ、少ないエネルギーや手間の投資で生命を維持し繁殖できるのですから。そういう意味で生存に適した有利な点は大腸菌も「高等」ともいえます。
↓私のさっき書き込み、ですます調の文章なのに一部おかしかった所があったのでので書きなおし ました。
管理人さん、お手数をかけますが削除しておいてください。
そういえば以前、書きこんだときもお手間かけちゃいましたね。すみません。(^^;)
猿人よりゴリラやチンパンジーの方が、「より新ししくより進んだ」とゆうのは進化論的ではありません。 とがりネズミに似た齧歯類の動物が人間の先祖であるといわれています。しかし、しかし、そのようなつながりを示す化石の証拠はあるのでしょうか?
そういえば、2・3日前の新聞で見たんですが、ケニアで600万年前の化石が発見されたとか。
大腿骨も見つかり、これから2足歩行をしていたのだとか。
周辺の地層は複雑だそうなので、年代については続報を待った方が良いようですが。
そうそう、より新しくより進んだ、ということなら、猿人よりもゴリラやチンパンジーのほうが「新しい」と言えると思いますが。
「もちろん、考古学でも説明を施すが、判っていないことは多く、宇宙人がいないことを
前提とした説だから、こじつけだと思う。」
「しかし、他にも説明があれば、進化論の説明は説明でしかないと思う。」
「宇宙人が来ていて生物を造ったのだから、進化論は説明にしかなっていないとします。」
・
・
・
・
やれやれ、不思議なことを言い出す人だ。「他にも説明があれば説明でしかない」とは
どういう意味なんでしょう。
『実はラエル氏のいう「宇宙人」は「未来の地球からやってきた未来人」だ』、などと
主張している人がいたらどう反論するのだろう? この場合も「じゃあ他にも説明があ
るから「宇宙人説」は説明に過ぎないよ」などと結論するのだろうか??
次もなかなか奇妙な一文。
「証拠が出てなくても、答えだけを与えられたら、そこから出発する思考も大切だ。」
何の証拠もなく、でも「こうであったらいいな」的な発想から出発する「思考」は普通
「妄想」っていいますよ。
ではちょっとだけ、宇宙人が関与したことを前提としてみましょうか。
進化論が宇宙人の関与に言及しないのは、宇宙人の関与をわざわざ想定する必要がどこ
にもないからです。従って何らかの積極的な証拠が必要となります。新しい事実の発見
ということですね。まず示して見せなくてはならないのが、「宇宙人がやってきた」と
いう点。まあ、これはあまりにも古すぎて痕跡が残らないかもしれません。
第二に、「宇宙人が生命誕生に関与した」という点。ざっと考えて、こちらは検証可能
な予測を立てることが出来そうです。「宇宙人」もおそらく自らが使っている生物シス
テムを参考にするでしょうから、様々なところで地球上の生物との類似を示す可能性が
あります。DNA、RNA、蛋白質などなど。細胞膜の構成はどうなっているのか、オ
ルガネラは? 細胞内情報伝達に何を使っているのか、といった具合に。
次に示すべき点。これは(フーリーさんの言う)ラエリアンの説から推定される予測、
「生物は変化しない」ということ。進化とは、生物が変化していくことそのものですか
ら、証明するには修復系などでは全然たりません。なんらかのメカニズムがあるはずで
す。その存在を示さなければなりません。
あと、現在の進化論で証拠とされている様々な観測結果、実験事実を無理なく合理的に
説明が出来るのか、というのも必要です。これは個々の証拠に説明を加えていくだけで
はだめで、証拠同士のつながりについても言及しなくてはなりませんから大変ですね。
まあいづれにしても「関与した宇宙人」の存在証明がなければ話になりません。
> Q>無機質なものから生物は生まれないでしょ?
わかりませんよ。そのうち目の前のPCが「しんか」して、「じんこうせいめい」
になっちゃうかもね。ホンダもソニーもロボット作ってるし。
はっとべっとさん、iijichishingo2さん、寂しい地質学者さん、こんばんは。
遺存種については私も同じように考えています。
で、アンモナイトとオウムガイですが、私のは本や論文を読んだわけではなく聞いた情報ですので(いいかげんな話ではないのですが)、はっとべっとさんの方が正確でしょう。
両種が完全に混在していたのだとしたら、アンモナイトの方が放散・繁栄し、そしてアンモナイトだけが絶滅してしまった理由はますます謎ですね。
アンモナイトの産卵様式は、殻ではなく軟体部の情報から得たものだそうです。ですから非常に数少ない事例です。これも伝聞情報 (^^ゞ
あと、アンモナイトとオウムガイの違いは、空房を繋ぐ管(なんて言うか忘れました)の位置の違いもあったと思います。
To JA50さん
> 巨大な建造物を数千年も前の人間が造れるはずがないというのは、古代人への侮辱ですよ。
イコール現代人へのそれでもあるんですよね。地球人にピラミッドが作れる筈がないってね(笑)。
でも超古代文明人でも宇宙人でもその高度な技術はどこから得たんでしょうね。
> 彼らも、我々と同じ能力を持っていたんです。
創造論者(とは限らないか)の古代人に対する間違った認識には毎度ながら苦笑させられますね。
昔のマンガの見過ぎじゃないかって気がします。違うのは知識の量だけでしょう。
To GOAさん
> それから、猿人も現代のヒトもゴリラより“進んでいる”わけではありません。
進化というものを「下等」から「高等」へという認識があるのでしょう。
原核生物も人類も今の環境に適応した結果ですから同じ程度に高等だと思うんですけどね。
>ko1956さん、
簡単に言うとゴリラが生息しているような場所は、猿人よりゴリラの方が適しているわけです。
それから、猿人も現代のヒトもゴリラより“進んでいる”わけではありません。
今日私達はチンパンジー、ゴリラ、オランウータンなどを見ていますが、「猿人」を見てはいません。猿のような生き物と今日の人間との間の<鎖環>をなす、より新しく、より進んだはずのものが絶滅し、よれより下等の類人猿が生き残っているのはどおゆうことでしょう。
初めましてよしいです。初めて掲示板に投稿しました。ダーウィンについてはよく分からないのですが大変、興味がありますから今後ともよろしくお願いします。
寂しい地質学者さん、私も改めて調べ直す機会ができて良かったし、誤解している人も多いと思うので、そんなに恐縮なさらないで下さい。
ところで、「発達余裕」というのも何を指しておられるのかわからないのですが・・・
もしかして、オウムガイはラッパを丸めたような形だから発達余裕がある、アンモナイトはチューブを丸めたような形だから発達余裕がない、ということでしょうか。
アンモナイトも、基本的にラッパを丸めたような形ですよ。外から見た形でいえば、アンモナイトとオウムガイはたいしてかわりません。
それに、空房(軟体部が入ってない空洞の部分)の1つ1つの大きさは、軟体部の大きさとは直接関係ないと思います。それに、全てのアンモナイトでも、成長にしたがって空房はだんだん大きく作られるようになります。
基本的に軟体部が入る部分の殻の大きさは軟体部の大きさと生態で決まりますから、その制約によって軟体部が大きくなれないとかいうことはないです。もしアンモナイトの成長様式が適応に不利な形質であれば、中生代1億8千万年もの長い間繁栄し、多様化することなどできなかったと思います。
アンモナイトとオウムガイの最大の違いは、空房を仕切るしきり(隔壁)が、内側にへこんでいる(オウムガイ)か、外側に出っ張っているいるか(アンモナイト)ということです。でも、これがどのように2者の運命を決定づけたのかはわかりません。耐圧性と関係があるのかもしれません。
古代文明たって、ナイル、黄河などの文明という意味じゃなく、トンデモ系の超古代文明のことがこの手の人には多いんだけど、そうじゃないとしてレスします。
巨大な建造物を数千年も前の人間が造れるはずがないというのは、古代人への侮辱ですよ。
彼らも、我々と同じ能力を持っていたんです。我らにできて彼らにできないと考えるのは早計でしょう。
それらを作るのに宇宙人や神様の助けは要らなかったのだという可能性は考えないのだろうか。
フリーダムを作るのに、要らないみたいにです。
それらを人間がどうやって作ったのかという想像を働かせるのは、すごいロマンです。
そこに宇宙人や神様を持ってくるのがよっぽどアンチョコであり、ロマンを減ずるものだと、私は思いますね。
寂しい地質学者です。
前の書き込みを読むと、確かに誤解を生むような表現がありました。混乱を招いて申しわけありません。
前回の書き込みで言いたかったのは、発達余裕の話です。
アンモナイトの形状は、あまり発達余裕があるような形状とは言えません。これは、各部屋(化石中に認められる細かな仕切りのことです)の大きさが基本的に変化しておりません。このため、生態部分に無理がかかりやすい構造となっております。
逆にオウム貝は成長に従って各部屋の大きさが増大する構造をしております。このため、アンモナイトではその少ない発達余裕の中で環境に適応しなければならず、オウム貝に比べ不利な要因が多いと言うことができるかと思います。
しかし、これを言い出すと現在の生物の発達余裕というのは非常に小さいものであると思えてしまうのは私だけでしょうか?
最後にもう一度、混乱を招き申しわけありませんでした。
以上
>フーリーさん
それぞれが生物プロジェクトをですか・・・・・。
でも、例えば現生種の昆虫だけでも・・・えーと、
ウン十万種類ぐらいいましたっけ?(うろ覚え)
分業しても大変ですね・・・。
>信じなくてもいいですから、いろいろと勉強してください。
>神もいない、宇宙人もいない(来ない)、超常現象もない、
>オーパーツや古代文明は古代人が無理して作った、生物が勝手に進化した進化論は事実だ。
>じゃ、寂しいと思う。それを基準に進化論を追及すれば、進化論の疑問とかは説明できるのだろう。しかし、他にも説明があれば、進化論の説明は説明でしかないと思う。
いうまでもないことですが、この掲示板、あるいは私のサイトでは、「神はいない」「宇宙人はいない」「超常現象はない」という主張はなされていません。もちろん、進化を否定する人たちに、超常現象や地球にやってきている宇宙人という考えに親和性が強い傾向があることは知っています(キリスト教根本主義者は別ですが)。ただ、これらの考えはそれぞれ別の問題であることを理解しておいてください。
誰かが「人類は進化の結果であって、宇宙人に創造されたわけではない」という主張をしたからといって、その人が宇宙人の存在を否定しているわけではありません。ちなみに、私は宇宙人の存在を否定していません。(ただし、宇宙人が存在しているかどうかという問題と、宇宙人が地球にやってきているかどうかという問題も、それぞれ別の問題であることに注意してください。)もちろん創造論を否定するほうも、地球の生物が創造されたかどうかという問題と、創造主は完全であるかどうかという問題、さらに地球の年齢の問題はそれぞれ独立していることに留意ください。
さて、「進化論は説明にすぎない」との指摘ですが、もし進化論が説明にすぎないのであれば、これまで進化論がしてきた検証可能は予言はいったいどういうことになるのでしょうか。ある地層から発見される化石や、種間のDNAの相似と差異について明確に予測し、そしてその予測が正しかったため、進化論は「地球が太陽の周りを回っている」という説と同じくらい信頼されているのです。
フーリーさん、
「あの美しく神秘的な星々が、人の考えた力学などに支配されていると考えるのはさびしいと思う。神話の世界にあるように、それぞれの星にはそれぞれの神が存在し、その神々が星の運行を決定しているのだ。ニュートン力学を基準の惑星の動きは説明できるのだろう。しかし、他にも説明があれば、ニュートン力学の説明は説明でしかないと思う。」
という主張にどれくらい意味があるとお考えでしょうか?海王星の発見や日食の予言といった細部に立ち入ることなく、ロマンティックな考えでニュートン力学を否定しても、他人はなんの感銘も受けません。進化論についても同様です。進化論を否定したい、あるいは進化論以外の可能性を提示したいとお考えなら、想像をふくらませるだけではだめで、進化論の証拠の細部について議論できなければ説得力をもちえません。古生物学や遺伝学の知識抜きの進化論批判は、数学抜きのニュートン力学批判と同じくらい空虚なものです。フーリーさんが、進化論だけでなく、ニュートン力学も説明にすぎないと思っていらっしゃるのなら話は別ですが。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。