なるほど。
太陽を1日目に創っていないと、話が合わないです。
地球から見た光のほとんどは太陽から来る物ですから。地球より先に創ってないといけない。
(あれ?、地球が創れていないとき、その時の「地上」て何?、その時の地上の観測者って?)。
で、先の疑問が出てきます。
太陽が第1日目に創られて、光あれ、というのが満たされた。これはいい、そうでないと話が合わ ない。
ところが、4日目に、「光の源」(koさんの言われるマーオールなるもの)が創られたとkoさんは 書かれている。
この光の源というのは何ですか?
光の源なんですよね、光じゃなく。
普通に解釈すれば、光の源とは、太陽のことでしょう。
あるいは、太陽以外の何かあるんでしょうか?
なお、正しい配列のことですが、確率は、後付けしてもナンセンスです(既にGOAさんが指摘さ れていますが)。
サイコロを10回振ります。
5346666642という目が出た。
この目が出る確率は(1/6)^10です。ほとんど0に近いです。
だから、この目が出たのは奇蹟だ、、、?
おかしいですよね。
(なお、10回というのは計算しやすいようにしただけの話で、これを30億としても同じことで す)
僕の場合は、ごくごく単純な要素から構成される世界が
連続的に複雑な有様を取っていく過程を、とても豊かで
面白い物だと感じます。
人間が猿から引いては爬虫類、昆虫、あらゆる原生生物
とも根っこではつながっているという事実には驚きと共に
深い喜びを感じます。
「ただの遺伝子の箱」に過ぎない人間が実際にはそれ以上の
何かである事は(主観的には)明らかです。
人間が実際には「単純な何か」でしか無いとして、だからと
言って人間には価値が無いと言うのはあまりにもペシミスティッ
クに過ぎる物の見方だと思います。「単純な何か」が組み
合わさって総体として「それ以上の何か」となっていると
いう事実に、世界の「奇跡」を読み取る事はそんなに難しく
ありません。
ただの「鉄」分子の塊に過ぎない「鋏」ですら、ただの鉄の塊
であると言う以上の価値があるのです。人間も同じ事かと。
# 日本人の精神的土壌としては実は受け入れ易い主張かも知れず。
## がちがちの創造科学論者がこういった主張をどう受け取るのかは
## 興味深いところではあります。
例えばこう言う議論はどうでしょう。
ダーウィンが進化論を発表したときに、まず言われたことは、猿などと人間が同じオリジンを持 つわけはないということでした。
神の子孫から、そこらの軽蔑すべき、下等で下劣な猿の子孫となったことに対してのショックは 想像を超えるとおもいます。
だいたい多くのひとはそのことは頭では理解したようなきがします。しかし、気持ちのうえでは、 猿を軽蔑するように人間も軽蔑することで折り合いをつけたりすることで解決してきたようにおも います。でも、やはり、本当の意味で心から進化論を理解できたような気がしません。
最近ではさらに、ただの遺伝子の箱としか私たちはなっていないようです。軽蔑さえも受け入れ ない無機的なモデルは頭でわかっても、それが私たちだとは、心がなかなかついて行けないように 思います。
このことについて皆さんはどう考えますか?
このようなことからならお互い、折り合いがつく議論になっていきませんか?
ko1956さん、
正しい配列といいますが、どのように正しいのですか?
無作為に並べて、それを後から理屈付するなら整合する確率は1となります。
では聖書の記述が地球誕生から現在までの歴史に符合するかといえば、Q&Aのとおり合致してい ません。
また、読み方次第で正しく読めたとしても、「それはあとからこじつけたものだ」と言われても反 論の余地はないでしょう。
「1日目」に太陽を造りました。しかし、「4日目」に太陽の形をはっきりと 確認できるようになったということです。地上の観測者の目によって、というのもモーセはそれら のことすべてをどこから学んだのでしょう。明らかに、誰かその場にいた方からです。数学的確率 という観点から見ても、創世記の創造の記述は、その一連の出来事に関する知識を持つ方を源とし ていたに違いない、ということが興味深い形で論証されます。その記述は10の大きな段階をあげ ています。創世記の筆者が全くの憶測でこの順序を並べる公算はどれほどでしょうか?それは、1 から10までの数字を箱の中から無作為にとりだして、それを数字順に正しく並べるのと似ていま す。一回でそのとおり行う公算は362万8800分の1です!ですから、筆者が、他から事実を 入手せずに上記の出来事をたまたま正しく配列できた、とするのは現実的でわありません。
地球にとって光の源となるもの(つまり太陽のことですよね?)が創られたの は4日目なんですか、それとも1日目なのですか?
ko1956さんは、「「一日目」には、散乱光が、地球をくるんでいたものを明らかに透過するように なりましたが、その光の源そのものは、依然地球を包んでいた雲の層のため、地上の観察者の目に は見えなかったことでしょう。」と書かれています。
これでは、神は一日目に太陽を創ったのだが、地球をくるんでいた厚い雲のために、「地上」の観 測者の目にはそれが見えなかったんだと読めます。
そうじゃなく、神が光の源(マーオールなるもの)を創ったのは、4日目なんですか?
どっちなんでしょう?
創世記はモーセの手によってヘブライ語で書かれました。「1日目」に、「光 が生じるように」という表現が用いられました。その部分で「光」に相当するヘブライ語として用 いられているのは「オール」で、一般的な意味で「光」を表しています。しかし、「4日目」の場 合、ヘブライ語は「マーオール」に変わっています、それは光の源となるものを意味しています。
>ko1956さん
始めまして、wadjaといいます。進化論を支持しているものですが、信仰は科学と共存できると思っ ています。
率直な疑問なんですが、創造のときに地上にいた観察者って誰なんですか?
神は、最初に太陽とか月などを創っておいたんだが、4日になるまでは雲の層 があるために見えなかったと。それで、創世記には、4日目に「創った」と記されているわけです か。なるほど。
それならそう書けばいいのに。
なんで4日目に「神は二つの大きな光るものと星を造り」などと書いてあるんでしょうね。
これじゃ、誰でも4日目に創ったんだと解釈してしまうのは当然でしょう。
そうそう、3日目に地上の植物、5日目に水中の動物が創られたとありますが、これも水中の動物 は2日目とかに創られていたんだが、水中の動物は地上の観察者には見えなかったからでしょうね。 それで、5日目に創られたと創世記には書かれているんだ、これなら話は通じる。
それにしても、その創世記を書いた人は、なんで信者が間違いやすいように、そう書いたんでしょ うね、罪作りな、、、(^^)
書いた人が知らなかった、なんてことはないですよね、知っていて、そう書いたんですよね?
あるいは、なんでそういう間違いを書いたのかは、神様の深い御心によるもので、人には計り知れ ないことだとか、、、
「一日目」には、散乱光が、地球をくるんでいたものを明らかに透過するよう になりましたが、その光の源そのものは、依然地球を包んでいた雲の層のため、地上の観察者の目 には見えなかったことでしょう。しかし、「四日目」に物事は明らかに変化しました。当初、炭酸 ガスに富んでいた大気は地球全体にわたって暑い気候を醸していたかもしれません。しかし、創造 の第三及び第四の期間に草木が繁茂して、保温性のある、炭酸ガスの毛布を幾分か吸収したことで しょう。そしてその草木は、動物の生存に必要な酸素を放出したはずです。その場に地上の観察者 がいたとすれば、太陽、月、星を識別できたはずです。それらは、「しるしとなり、季節のため、 また日と年のためのもの」となったはずです。
>せいいっぱい考えて”のみに行く”だったのですが。
>行動力のキリスト教には行動力でお相手をするという。
だって、日本だけでも何千人、何万人っているんですよ。ちょっと無理です。
>あとは、進化論のよさです。進化論のよいところはどこかというポジティブキャンペーンを考え ていくのはどうでしょう。
科学の理論は価値判断と離れているからこそ普遍的でありうるので、ポジティブキャンペーンは 難しいといか不可能に思えます。
それから、一部の教団がかたくなに科学を否定するのは、科学が今まで「奇蹟」でなければ解決し ないような-例えば目の不自由な人が目に見えるようになる(人工網膜)-といった華々しい成果に 対する危機感というものもあるようで、ポジティブキャンペーンがかえって仇となる心配もありま す。
とにかく、手探りでいろいろな方法(このHPもその1つだと思います)を試してみるしかない と思います。
NATOROMさんへ
こんにちは、毎度お邪魔します。
>ただし、相互理解するためにはどうすればよいのか、私には見当もつきません。創造論者の掲示 板に書き込んだりもしましたが、追い出されました。創造論を否定したからではなく、その掲示板 の常連の創造論者の間違いを指摘したからです。創造論者の方がこちらに書き込んでくださればい いのですが、主要なメンバーはけしてここには書き込みません。「進化論を否定するための主張も 別に書き込みを禁止していません」とわざわざ冒頭に書いてあるにもかかわらずです。
それは、けしからん話ですね。だいたいキリスト教っていうのは異邦人に対しての窓口が常に、 開いていることが大切なはずなのに。正しいことをして、不寛容さをこうむったときに、少なくと も言えることは、でも、その成り行きを、じっと見ていた、サイレントマジョリティの中に賛同す る人はきっといるはずだということだとおもいます・・・
>科学の定説を否定する人たち(参考文献の「奇妙な論理」を参照のこと)に科学を理解させる のは、経験上、きわめて困難だと考えています。このサイトは彼らを説得すること、あるいは科学 を理解させることを目的としてはいません。
たしかに、実験できる科学にくらべて、誰も観察できなかった進化は、他の、多くの人にとって も、感覚的にたいへん理解するのが難しいことだとおもいます。
WADJAさんへ
>人の信仰を議論で変えることが出来るのは、科学ではなく他の宗教だけだろうと思います。でな ければ、歴史上かくも多くの殉教者が存在したりはしません。
なるほど。でも、ダーウィンは、あの当時実際多くの人を改宗してしまった様に見えます。その ようなところで、ダーウィンは科学なのだけどそれ以上のものもあったから、きっと創造科学者ひ ともなんか今でも腑に落ちないところがあるのかもしれません。たとえば、あの当時の、科学教? (科学でこれからはずっとバンバン幸せになれる教)の時代背景があったからなのかもしれません。
>「科学とは(進化論)とは、こんなにいんちきなものだ」、と言われて黙っていられない人が大 半のようですが。
そうですね、義憤はないとダメですよね。
太郎丸さんへ
>私は信仰を持ったことがありません。よって、信仰を持つ意味が理解できません。
何故、信仰を必要とする人がいるのでしょうか。
これっばっかりは、きっとやってみないとわからないのかもしれません。そこに山があるから登 るのと同じだとおもいます。
別に信仰のない人だって、おまじないだの信じなくてもやってしまうじゃないですか?思わず手 を合わせてポストの前で合格祈願したり、祈りを込めて10円いれて彼女に気持ちを伝える(古い) じゃないですか。そういったものに合理的な立場からはなかなか理由は言えないとおもいます。
栄養学的に物を食べないのはそうしないと、死ぬからですが、人が物を食べるにはそれ以上のも のがあるじゃないですか。
というのが私の考える信仰のりゆうです。
GAOさんへ
>現実に行なえそうなアドバイスをお願いします。
せいいっぱい考えて”のみに行く”だったのですが。
行動力のキリスト教には行動力でお相手をするという。
あとは、進化論のよさです。進化論のよいところはどこかというポジティブキャンペーンを考え ていくのはどうでしょう。進化論と創造科学どちらがのが正しいかはひとまずおいといて。やはり そういう妥協的にみえるのはだめでしょうか。
> 何故、信仰を必要とする人がいるのでしょうか。
何故でしょう、僕にもわかりません。
無信仰と言われる日本人でも大半の家に仏壇と神棚がありますし、
唯物論を国是とした国でも宗教的儀式は健在でしたし、
結局それも人類の進化の結果かもしれません。
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/errors.html
ここの、天地創造の矛盾、その特に2と4などどうでしょうか?
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/creation_02.html
http://www.j-world.com/u sr/sakura/bible/creation_04.html
>ko1956さん
>創世記一章の「日」という言葉は幾千年もの長さを表すと見るのは道理にはずれたことではあり ません。
世界の創造は6千年前だという人に言わせると、「それはサタンにそそのかされている」のだそ うです。
順序の入れ替えとはどういうことか具体的に示して下さい。
宇宙の創造ってのが、物理的時間で120億年(6で単純に割り切れるように こうしました)としたら、「日」というのを数千年としても話が合わないのじゃ?
創世記の1日というのを20億年としないといけないし、さらに同じ「日」でも1日目は100億 年、6日目は数百万年とかいうように、期間を変化させないといけない。
それに、順序の入れ替えはどうするの?
創造論を支持していても地球の誕生が6000年前だと信じている人は、ごく 一部の人だと思います。聖書には、6日で創造を終えたと確かに記されています。しかし、それは 24時間を1日とする6日であったとは述べられていません。「日」という語を使って、ある程度 の長い期間を表している場合が多くあります。そこで、創世記一章の「日」という言葉は幾千年も の長さを表すと見るのは道理にはずれたことではありません。
>だから、やはり、そう言う人にたいしての議論となっていくとおもいます。
>そうなってくると、かなり、難しい話となっていくでしょう。
>でも、いわゆるマイノリティーには気遣いが必要だとおもいます。
ここではそう言う人に対しての議論(というより科学的誤りの指摘ですが)しているのです。
大多数のキリスト教信者とはなんも混乱もないのです。
それで、「聖書の信仰により地球の誕生は6千年前だ」という信仰に対し、「科学的には46億 年前とされているが、それは聖書の正しさを否定するものではないし、本当は地球の誕生は6千年 前かもしれない。ただ、6千年前の誕生を裏付ける証拠が見つかっていないだけなのだ。」
という以上にマイノリティーへの配慮をしつつ科学の知見を述べるにはどのように言えば良いので すか?
飲みに行くとかラグビーをするとか現実味のないことではなくて、現実に行なえそうなアドバイス をお願いします。
やもさん、はじめまして。
信仰を持つ皆さん教えて下さい。
私は信仰を持ったことがありません。よって、信仰を持つ意味が理解できません。
何故、信仰を必要とする人がいるのでしょうか。
初めましてやもさん。
別に、よってたかっていじめる訳ではないのですが...
>結局、本当の本当の最終的に、議論以外になっていってしまうのかもしれません。
議論そのものが目的でも良いのではありませんか?NATROMさんがおっしゃるように、インターネッ トでは、不特定多数の人が議論を目にすることができますから。
人の信仰を議論で変えることが出来るのは、科学ではなく他の宗教だけだろうと思います。でなけ れば、歴史上かくも多くの殉教者が存在したりはしません。宗教の種類に関わらずです。この掲示 板の多くの人は、科学の議論で信仰を変えさせることが出来るとは思っていないと思います。でも 間違った情報で「科学とは(進化論)とは、こんなにいんちきなものだ」、と言われて黙っていら れない人が大半のようですが。
やもさんの言わんとする(と私が思ってるだけかもしれませんが)、「相手の信仰に対し敬意を払 うべき」ことには、私は賛同します。科学で真理を否定も肯定も出来ない限りにおいて、できるの は、いんちきを暴くことだけです。
あと、アメリカ人の90%は創造論を信じているかもしれませんが、90%が進化論を否定してい る訳ではありません。創造論を信じていても、科学としての進化論を認める人は、結構多いはずで す。大部分のアメリカ人にとって、科学が、進化論が何をいっても気にもならないのです。少なく ともアカデミックな世界では、進化論を否定する有力な学説はないようです。創造科学にいたって は、創造論を信じているクリスチャンの中にも、疑問視する人々はいるのですから。
1.GAOさんへ
たびたび失礼します。考えてみれば、議論する場という掲示板に”議論をするな”に近い意見を述 べているのですから、失礼な話かも知れません。
>みんな知っているとは誰に向かっての言葉なのですか?このHPで紹介している創造論支持の 方やhttp://www01.u-page.so-net.ne.jp/qd5/itoyk/の人はそれを信じていませんよ。
だから、やはり、そう言う人にたいしての議論となっていくとおもいます。
やもさんはそうした信仰にたいして「信仰を捨てろ」というのですか?
彼らは46年前の地球誕生を認めることは信仰を捨てることだと言っています。
そうなってくると、かなり、難しい話となっていくでしょう。
>科学的な事実より信仰を大切にしている人に対して、科学の事実を押しつけるのは信仰の否定 に繋がりかねないので、押しつけないだけです。私は信仰を尊重いたします。
>具体的にどのように取り組めば良いのか示してください。
結局、本当の本当の最終的に、議論以外になっていってしまうのかもしれません。例えば極端に 言えば、のみに行くとか、ラクビーやるとか、
その人の家族からとか、恋人からとか、そう言う人に話してもらうとか・・・
結局そういうことです。ともかくも、かくなる上は四角四面な議論は水掛論になってしまうとお もいます。
>アメリカでは90%以上の人が創造論を信じているそうですが、あの国ほど進化の研究や世界 の創造が6千年前ではないという証拠を探している(宇宙の起原を調べている)国はないと思いま す。
それで、科学の発達によって聖書の記述に疑問が生じた現代においてあなたはどのように折り合 いをつけろというのですか?正当な聖書理解だと自負している一部の人は最初の人間はアダムとい い、仏教徒はそうではないと言います。科学はどちらに擦り寄れば良いのですか?
90パーセントはすごいですね、そこまでとは知りませんでした。しかし、公式には創造論を信 じている聞かれてYESと答えるのがアメリカ国民のようなところがあるのではないのでしょうか?
ともかく、そのなかで、きちんとちゃんとした(?少なくとも私が考える)科学が発達発展でき るわけですから、逆にその精紳を大切にしなくてはいけないとおもいます。
>頑迷な態度を取っている人に必要以上に手を差し伸べる必要はないと思います。
どんな事柄にでも反対する人は存在しますから。
恐らく、そこのところが、ときに、科学が宗教に敗北する理由だとおもいます。創造論を信じる 人にとっては、頑迷なのは私たちのほうです。でも、いっぽうでは、自分の休日を割いてまで自分 の考えを、紹介して回るっているのにです。といって、自分には、そこまで科学の布教のためにす るつもりはないのですが。
>>あいつあんなあほなこといってる、あははは
>>だとダメだっていうことです。
>ここではそうした態度は極力とらないようにしています。勘違いをなさっているのでは?
この件については失礼しました、でも、いわゆるマイノリティーには気遣いが必要だとおもいま す。
2.PepperMistさんへ
>イスラム教でそれらしいのは、利息を取ることを禁止しているところだけだと思いますが?
ただしいお答えありがとうございます。イスラムのことは勉強不足です。NHKでみただけです。
でも、利子を取らないでも銀行がなりたつのはなぜでしょうか?そこのところに、答えがあると おもいます。
ギリギリギリギリ、ここに、おまえの書いた借用書があるから返せ返せと返ざいを迫ることは、 法に触れないかも知れませんが問題があるとおもいます。
本当に創造論を信じる人にとっては、死ねと言っているのと同じ意味になってしまうのかもしれ ません。
>どっちにしろ、戒律を破ったら非難されるわけで、やってないという根拠にはならないでしょ う。
>しかしイスラム教徒に向かってアラーがいないというのは・・・
これは、いけません。
やもさん、ようこそ!やもさんの言いたいことはわかります。「批判するだけ ではだめで、相互理解しなければならない」ということですよね?彼らに科学を理解してもらう一 方で、彼らがなぜ地球の歴史が6000年というような「荒唐無稽」な説を信じるのか、こちらも理解 する必要があると。こうした相互理解ができるのであればそれはすばらしいことです。
ただし、相互理解するためにはどうすればよいのか、私には見当もつきません。創造論者の掲示板 に書き込んだりもしましたが、追い出されました。創造論を否定したからではなく、その掲示板の 常連の創造論者の間違いを指摘したからです。創造論者の方がこちらに書き込んでくださればいい のですが、主要なメンバーはけしてここには書き込みません。「進化論を否定するための主張も別 に書き込みを禁止していません」とわざわざ冒頭に書いてあるにもかかわらずです。
科学の定説を否定する人たち(参考文献の「奇妙な論理」を参照のこと)に科学を理解させるのは、 経験上、きわめて困難だと考えています。このサイトは彼らを説得すること、あるいは科学を理解 させることを目的としてはいません。このサイトの第一の目的は、情報を与えられれば正しい判断 をできる人を対象としています。創造論のサイトだけしか見ていないと、進化論に疑いを持つ人が いるかもしれません。しかし、私のサイトと創造論のサイトの両方を見れば、どちらが正しそうか わかってもらえると信じています。私のサイトの言葉は、正しい情報を欲する人たちに向かっての 言葉です。
私の能力を超えているので、相互理解はこのサイトの目的とはなっていません。しかし、やもさん が希望されるのであれば、掲示板で相互理解するためにはどうすればよいのか、意見を出されてく ださい。(なお、宗教と科学の区別のついている信仰者とは相互理解できます。「そんな信仰者は 本物ではない」と非難するような人と相互理解できるのでしょうか?)
やもさん>
> イスラム教は確か、実際に借金しない教のようなところがあったとおもいます。金持ちは貧し いものに金を
やるのは当然で、お礼もいう必要もないようなところが、
イスラム教でそれらしいのは、利息を取ることを禁止しているところだけだと思いますが?
どっちにしろ、戒律を破ったら非難されるわけで、やってないという根拠にはならないでしょう。
しかしイスラム教徒に向かってアラーがいないというのは・・・
>じゃあ、46億年前に地球が誕生したということばは、誰に向かってのこと ばなのですか?
そんなの知ってるじゃないですか他の人、みんな、言われなくてもいまさら。
みんな知っているとは誰に向かっての言葉なのですか?このHPで紹介している創造論支持の方 やhttp://www01.u-page.so-net.ne.jp/qd5/itoyk/の人はそれを信じていませんよ。
やもさんはそうした信仰にたいして「信仰を捨てろ」というのですか?
彼らは46年前の地球誕生を認めることは信仰を捨てることだと言っています。
>つまり、説得を、諦めるってことですか?
>そんなに軟弱で、右のほほの次に左のほほを殴らせるような人々とやっていけますか?
科学的な事実より信仰を大切にしている人に対して、科学の事実を押しつけるのは信仰の否定に 繋がりかねないので、押しつけないだけです。私は信仰を尊重いたします。
>やはり、荒唐無稽だけどそれを信じたい人にたいして、相互理解をめざしてなにか、考えていく という事、以外にはないんじゃないですか? 人間中心の、恣意的な世界よりも、科学の開かれた 世界で記述される物事が好きという、自分の気持ちを伝えたいというところからはじめなきゃいけ ないんじゃないのでしょうか?
具体的にどのように取り組めば良いのか示してください。
>イスラム教は確か、実際に借金しない教のようなところがあったとおもいます。金持ちは貧しい ものに金をやるのは当然で、お礼もいう必要もないようなところが、
イスラム教圏の銀行では借用書はなんの証拠にもならないということですか?私が言っているの は「どんな証拠があってもそれは正しいとは言いきれない」という人達がいるということなのです。
>そうでしょうか、やっぱり、20世紀に入ってからというものの、神様は殺されっぱなしになっ ています。いろんな権威が喪失してしまった親父みたいなところがあるとおもいます。それじゃど うしてもいやだって人がいるってことです。
アメリカでは90%以上の人が創造論を信じているそうですが、あの国ほど進化の研究や世界の 創造が6千年前ではないという証拠を探している(宇宙の起原を調べている)国はないと思います。
それで、科学の発達によって聖書の記述に疑問が生じた現代においてあなたはどのように折り合 いをつけろというのですか?正当な聖書理解だと自負している一部の人は最初の人間はアダムとい い、仏教徒はそうではないと言います。科学はどちらに擦り寄れば良いのですか?
>でも、世の中には、頑迷だからこそ広まる場合もあるってことです。そんなときになぜ、頑迷な ものが、受け入れられているのかにたいしての分析が必要になってくるでしょう。頑迷なところに、 まっすぐ行ったってだめです。
頑迷な態度を取っている人に必要以上に手を差し伸べる必要はないと思います。
どんな事柄にでも反対する人は存在しますから。
>あいつあんなあほなこといってる、あははは
>だとダメだっていうことです。
ここではそうした態度は極力とらないようにしています。勘違いをなさっているのでは?
しかし、場合によっては笑ってやることも必要です。ノストラダムスの大予言を信じていた研究家 たちを笑ってなじらなければ、「科学では解明できない」ことを理由にいいかげんな予言解釈を信 じて、財産を投げ打ってしまう人も出かねないからです。
>まず、相互理解ができなければならないのですか?
例えば一部のキリスト教徒は6千年前に地球ができたのでなければ、聖書の記述はウソで、人間の 罪も神の救済も全くあり得ないといっています。そうした人々にどのように地球の誕生が46億年 前だと納得させれば良いのでしょうか?
つまり、説得を、諦めるってことですか?
そんなに軟弱で、右のほほの次に左のほほを殴らせるような人々とやっていけますか?
じゃあ、46億年前に地球が誕生したということばは、誰に向かってのことばなのですか?
そんなの知ってるじゃないですか他の人、みんな、言われなくてもいまさら。
やはり、荒唐無稽だけどそれを信じたい人にたいして、相互理解をめざしてなにか、考えていく という事、以外にはないんじゃないですか? 人間中心の、恣意的な世界よりも、科学の開かれた 世界で記述される物事が好きという、自分の気持ちを伝えたいというところからはじめなきゃいけ ないんじゃないのでしょうか?
>また、人間社会においては白黒をつけないといけない場面は多々あります。
ある人の元に借金取りがやって来て返済を迫った時に、
「私は『借金しない教』の信者だから、借金をすることはあり得ない。そんな紙切れ(借用書)を 見せて、私の信仰を否定しようとするのは宗教的迫害だ。『借金しない教』の信者である私は借金 などしていない。お前はウソつきだ。」
と、答えた人がいたとします。やもさんはどのような「相互理解」の方法があるとおっしゃるので しょか?あるいは白黒をはっきりさせなくても良いとおっしゃるのでしょうか?
イスラム教は確か、実際に借金しない教のようなところがあったとおもいます。金持ちは貧しい ものに金をやるのは当然で、お礼もいう必要もないようなところが、
でも、なんとかそういう人とでも、やろうとすりゃやれるもんです。イスラムの世界にだって実 際銀行はありますから。
>科学ははじめから「科学のルールに則って考察をした場合の結論であり、神の存在や信仰を 否定するものではない」と言っています。
そうでしょうか、やっぱり、20世紀に入ってからというものの、神様は殺されっぱなしになっ ています。いろんな権威が喪失してしまった親父みたいなところがあるとおもいます。それじゃど うしてもいやだって人がいるってことです。
>科学は宗教に対して排他的であるとは思いません。そうでなければ科学が世界中で普遍的に通用 している現実が説明できません。
科学は排他的ではないでしょう、科学に限らず、学問の世界は排他的であることを許さない、人種、 信条にたいして垣根がないという事が前提となります。(一子相伝の科学なんてありえませんから ね)
科学のよさを一言で言うと、誰が、どこをきっかけに習っても、理解できるというところだとお もいます。
でも、世の中には、頑迷だからこそ広まる場合もあるってことです。そんなときになぜ、頑迷な ものが、受け入れられているのかにたいしての分析が必要になってくるでしょう。頑迷なところに、 まっすぐ行ったってだめです。
> 科学とは一人一人の気持ちに配慮してその適応範囲を変更しなければならないものなのです か?
「お父さんは人殺しなんかしない!」と訴えれば、現行犯で捕まった男について、犯行が行なわれ たかどうかについて、疑問を差し挟まなければならないのでしょうか?
あいつあんなあほなこといってる、あははは
だとダメだっていうことです。
少なくとも、お父さんは人殺しじゃないと思うその子供の気持ちはきちんと理解してやる必要が あります。
ついでに議論なんてのもありません。おそらく面倒なことはしたくないので しょう。
神のなさることは人間にはわからない、人間は自分の基準で判断してはいけない、
というのが創造論者の信仰なんですから。
>ただ、正しい正しくないで言えば、最終的にはいつまでたっても決着がつか ないものである、ということをいいたいのです。白黒はっきりつけようという立場からは、お互い、 はなから、相互理解できないだろうものであるということをいいたいのです。
まず、相互理解ができなければならないのですか?
例えば一部のキリスト教徒は6千年前に地球ができたのでなければ、聖書の記述はウソで、人間の 罪も神の救済も全くあり得ないといっています。そうした人々にどのように地球の誕生が46億年 前だと納得させれば良いのでしょうか?あるいはあらゆる科学的根拠を無視して「地球は6千年前 に誕生した」と科学的事実として認めなければならないとおっしゃるのでしょうか?
また、人間社会においては白黒をつけないといけない場面は多々あります。
ある人の元に借金取りがやって来て返済を迫った時に、
「私は『借金しない教』の信者だから、借金をすることはあり得ない。そんな紙切れ(借用書)を 見せて、私の信仰を否定しようとするのは宗教的迫害だ。『借金しない教』の信者である私は借金 などしていない。お前はウソつきだ。」
と、答えた人がいたとします。やもさんはどのような「相互理解」の方法があるとおっしゃるので しょか?あるいは白黒をはっきりさせなくても良いとおっしゃるのでしょうか?
>世の、宗教紛争の原因はその、白黒はっきりさせようとしようとする態度が問題なのではないの でしょうか? 宗教にたいして排他的に受けてたっては、結局のところ数ある宗教対立の一つとし かならず、かえって科学を卑小化させてしまうのではないでしょうか。
科学は宗教に対して排他的であるとは思いません。そうでなければ科学が世界中で普遍的に通用 している現実が説明できません。
科学ははじめから「科学のルールに則って考察をした場合の結論であり、神の存在や信仰を否定す るものではない」と言っています。
>そんなときに、どんなに百万の正しい事実を積み上げたところで、その背後の”気持ち”へのき ちんとした回答がなされない限り、ぬかにくぎ、せっかくの100万の正しいことばは虚空に消え てしまうことでしょう。
科学とは一人一人の気持ちに配慮してその適応範囲を変更しなければならないものなのですか?
「お父さんは人殺しなんかしない!」と訴えれば、現行犯で捕まった男について、犯行が行なわれ たかどうかについて、疑問を差し挟まなければならないのでしょうか?
「科学では信仰を否定できない」という、理論的に誤りのない一言で済むのではないかと思います し、それは常々言われていることです。
この前はお騒がせしました。
さて、創造論を主張しておられる方はどの様な地球観をおもちなのでしょうか?
地球の形成やその他の歴史と進化論的な議論は相分かつ事ができな事は皆さん簡単に理解いただけ るかとおもます。
ここで、他者の介入による生物発生を主張しておられる方々は、どの様な地史とどの様な地球物理 学的・地球化学的モデルを提唱されるのでしょうか?
ここの議論や創造論関係のホームページを見ていて思ったのですが、いずれのモデルも妄想の段階 を出ないような気がします。
地史と言う観点に立ってみても、現在使用している古生代・中生代・新生代と言う呼称は生物の複 雑さ加減によって決定されたものであり、ほかの手法で研究されている地球モデルと非常によい一 致を見ています。
地球物理学的な観点に立って言えば、堆積速度や続成作用・風化の速度、岩石強度や内部摩擦角・ 透水係数といった各種値を用いたモデル化された地球と進化論の議論は矛盾が無いのですが、それ らのモデルと創造論は明らかな矛盾(例えばノアの洪水により一度に生物が死滅し、化石となって 残っているとした場合、続成作用の差により岩石強度の差が全く考慮されていないことなど)が認 められます。
一体どの様なモデルの上に創造論は議論されているのでしょうか?
>聖書の記述は正しいものだとみとめているのですか?
もちろん、あるわけのないことばかり書いてあります。
ただ、正しい正しくないで言えば、最終的にはいつまでたっても決着がつかないものである、と いうことをいいたいのです。白黒はっきりつけようという立場からは、お互い、はなから、相互理 解できないだろうものであるということをいいたいのです。
世の、宗教紛争の原因はその、白黒はっきりさせようとしようとする態度が問題なのではないの でしょうか? 宗教にたいして排他的に受けてたっては、結局のところ数ある宗教対立の一つとし かならず、かえって科学を卑小化させてしまうのではないでしょうか。
何のための議論なのかを考えようということです。
たとえば、親という絶対者のうそがばれたとき、求める場所として本当の絶対者がいるはずだと いう気持ちを持ちたいと人が思う限り、たとえば、人々が本当のヒーロをもちたいと思う気持ちが ある限り、たとえば、自分の存在意義を裏打ちし、正統を自分の中に認めてくれる権威に人が頼り たくなるときに、
そんなときに、どんなに百万の正しい事実を積み上げたところで、その背後の”気持ち”へのき ちんとした回答がなされない限り、ぬかにくぎ、せっかくの100万の正しいことばは虚空に消え てしまうことでしょう。
>やもさん
だからといって、科学的創造論は正しいのですか?あるいは聖書の記述は事実だと認められてい るのですか?
「気持ちは分かるけど認められない」ことは社会にはいくらでもあると思います。
>命や聖霊や魂の実在っていうのは結局、ビビビとくるもんであって、ひとがとやかくいうもんで もないのじゃないだろうかとおもいます。
ここではそうしたものの実在についての議論はされていないと思います。一部の根本主義者があ たかも自分たちだけが正しい信仰の持ち主のように振舞っていることについての批判は時々見かけ ますが。
そうした批判も「ひとがとやかくいうもんでもないのじゃないだろう」という確信から来ているも のだとご理解ください。
初めてかきこみます。大学時代は生物をまなんでいました。無心論者です。が、 命というそのものは、生命そのもの機能や機構を分析してみることとは少し違うのじゃないのかな とも思っていました。といって、進化論を否定するつもりもありません。
なんか、
命や聖霊や魂の実在っていうのは結局、ビビビとくるもんであって、ひとがとやかくいうもんで もないのじゃないだろうかとおもいます。
たとえば、あんだけ八百長が明らかでも、プロレスの楽しさはあるし、猪木のパワーがそうやっ て人が感じる限り、実在であるし、ジーザスの魂も実在なのではないかとおもいます。
結局、そういうものは、左脳で追いかけてもつかまらないもんじゃないのだろうかとおもいます。
創造論はお話にならないくらい馬鹿らしいものなのかもしれませんが、創造論を信じる人が、い こじになる気持ちはものすごい理解できます。
★NATROMさん
おひさしぶりです。
と言ってもこの掲示板は毎日拝見いたしております。
進化論と創造論に関しましてはここの皆様のお話は大変勉強になります。
(正直申し上げまして私には難しくて理解できない部分も多々ありますが(^○^) )
あれ以来自分でも少しずつは勉強しているつもりですが奥が深い学問分野ですね。
今世紀もよろしくお願いいたします。m(__)m
> とか言っていますが、ばばあ40さんが物理学が分かっていないとでも言い たいのでしょうか?あの掲示板でもっとも物
> 理学に詳しい人は誰か、というのも一目瞭然だと思うんですけど。ばばあ40さんのお返事に興 味がありますね。
いやあ、全然興味がありません。なにしろ何者かわかってしまったので。
ポストモダンにかぶれてる科学観をもった人の「物理学」なんて、「トン
デモウオッチャー」しか興味を示さないシロモノだと思いますよ。
「パラダイム」に「バケツ理論的認識論」ですか。全然変わってないなあ。
進歩がないと言うか・・・・。
> つまり「酸素がある」という事実は、実は「酸化−還元理論」によってつくられているのです。
これって、そのまま受け取れば「酸化−還元理論」が提唱される以前は酸
素が存在しなかった、という意味になるんじゃないですか。では「酸素が
ある」というのを「酸素と表現される」とか、そんな風に読み直すと、ご
く当たり前の、新しいところが何も無い主張になりますね。
> 「 例えば私が認識したりんご」と、「サクラサクさんが認識したりんご」は果たして同じか?
> 同じと言うことをどうやって証明できるか?(つまり客観的に示せるか?)
> これは実に難しい問題です。だって同じりんごを見ても、感じ方は様々だからです。
これも「認識したりんごが同じものかどうか」という命題から「感じ方」
の問題にすりかわっているし。じゃあ同じテーブルに二人ですわって、ぽ
んと一個のりんごを置いたときに、「私は私が認識したリンゴを食べるか
ら、あなたはあなたが認識したりんごを食べてくれ」などと言うのでしょ
うかね。
彼の書いてることがどれだけ奇妙なことかは、『「知」の欺瞞』(田崎晴
明ら訳、岩波書店)を参考にするとよいかと思います。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/
> 近親憎悪
というよりも動物行動学で言う「ディスプレイ」のような・・・。
「俺たちはみんなが正しいっていってるカガクリロンを否定してまで聖書
を信仰しているんだぜ」
ってところじゃないですか。山野氏を見ていると長谷川氏がまともにみえ
てくるのがすごい。お会いしたくないという感想に私も一票。
ほぼ一週間遅れで新年のご挨拶に来ました(笑)。
新年早々に熱いトークに参加するとは、気合はいりまくりカモ。
>クハ72さん、PDX.さん
アメリカに居るとそういったマニアックなものは手に入れづらいので、一度見てみたいです。
でも、川口浩探検隊シリーズ・・・
あれはあらゆる意味ですごいシリーズだったなぁ。
惜しい人を亡くしたと当時は真剣に悔しがった記憶があります。
自分の将来の夢に「川口浩探検隊員になる」と書いたほどだった・・・
では、今年もよろしくお願いします!!!
今回はこの辺で…… 投稿者:山野 投稿日: 1月 5日(金)19時48分29秒
「やはり都合悪いから逃げた。そうとしか言えないです。生物が発生しなければ進化もないことく らい誰でも分かること。それから逃げている進化論が駄目なのも当然」
山野さんって最初の生命の発生に関する研究が全くなされていないって思ってるのかな。
もし違うっていうならここで反論してください。一方的にさようならなんて言いませんから。
『と学会年鑑2001』でしたか、失礼(^_^;
ソーラームーンもいいけど、個人的には川口浩探検隊の同人誌が欲しい
です(笑)
(以前から友人達と言っていたのですが、川口浩探検隊シリーズのDVD-BOX
が出たら結構需要あると思うですけどねぇ(笑) 真面目なドキュメンタリー
ではなく、エンターテイメントとして割り切って見るぶんにはとても楽しい
です(笑))
「今日、帰省しました」の訂正です
親近憎悪(誤)
近親憎悪(正) 恥かしーな、もう。読み直して顔が火照りました。
それにしても、山野さんは凄いというか何というか…。極左の理論武装家のようですな。あまり内 容がないので斜めに読んでますけど、正直言ってお会いしたくない方です。どうしても最後は陰謀 論になるんですよね、この人。学者さんはほとんどの方が忙しく、陰謀を練っている暇は無さそう なんですけどね。
僕もクリスチャンの端くれですから「復活」は信仰としては受け入れ ます。
でも科学としては「あったとは言えない」としか言えません。
でも注意していただきたいのは「なかったとも言えない」って事です。
信仰と科学は違うってことですね。
『と学会年鑑2001』僕も読みました。個人的にはソーラームーンが欲しいです(爆)。
それはいいとして、唐沢俊一氏の言葉(pp.226-227)が一番当を得ていましたね。
「と学会白書2001」だったか、そういう新刊がでていますが、その中で
西原進化論に対する言及(というかツッコミ(笑))があります。
しかし、あとがきを見ていると、と学会に対する誹謗や中傷、あと
と学会シンパを名乗る人が横暴なことをしていたりもするんですね。
やれやれ、というか…(^_^;
あの人たちには聖書の全てが正しくなければならないという信念があると思 います。
逆にいえば一箇所でも間違いがあれば全てダメという事ですよね。
ビリーバーやアンチビリーバーに多い白か黒かという○×式の思考です。
みなさん、21世紀もよろしくお願いします。
クハ72さん、創造学校ではお疲れさまでした。クハ72さんに対して、彼らは敵意むき出しだったよ うです。クリスチャンということで親近憎悪的な感情があるのかな?でも「エントロピーの法則& 聖書の矛盾」を読むと第二ラウンドがありそうですね。私は聖書解釈については傍観者に徹するつ もりなので、応援は出来ませんが。
昔あの掲示板で、エントロピーの法則からの進化否定はピント外れだから訂正削除した方がいいで すよ、って諭したんだけどなあ。そんときには「ジャック遠藤」やら「マメマメハ大王」とか、や たらカッチョイイ命名してもらったんですけど(^^;)。
創造学校掲示板で盛り上がってますが書き込まないと宣言したのここで。
本当は偽名を使ってでも書き込みたいのですが、リモートホストで分かるし(笑)。
#聖書の奇跡はいくら非科学的でも完全に否定できないのは確かだけど、
#それを言ったらサイババの物質化や松本智津夫の空中浮遊も否定できんぞ。
#結局科学的にあり得ないことを信じる方が盲信ですよね。>伊藤さん
エントロピーの法則は進化論を否定しませんが、肯定もまたしないんですよね。
開放系ではエントロピーが増大しようが減少しようが知ったこっちゃないんです。
創世記の矛盾を解消するにはやはり2章が時系列順に書かれていないという、
極めて不自然な解釈をしなければなりません。
箱舟に乗った動物の数も、後で詳しく言い直したというのも不自然です。
工場に発注する品物の数が最初と次とで変わっていれば混乱しますよね。
書き込みたくてうずうずしています。それで追放されるんなら本望(笑)。
見てきました。山野氏、あいかわらず飛ばしていますねえ。ばばあ40さんも 追放されてしまうのでしょうか。
>こんな意見、物理学が分かる人であれば一目瞭然だと思うんですけど。(投稿者:山野 投稿日: 1月 3日(水)12時10分33秒)
とか言っていますが、ばばあ40さんが物理学が分かっていないとでも言いたいのでしょうか?あ の掲示板でもっとも物理学に詳しい人は誰か、というのも一目瞭然だと思うんですけど。ばばあ4 0さんのお返事に興味がありますね。
ばばあ40さんが、もし創造学校掲示板にアクセス拒否(追放)された場合には、是非ここで反論 を行って欲しいです。必ずしもばばあ40さんがこのサイトの主旨に同意するとは限りませんが、 反論の場の提供ぐらいはできます。どのような立場の人でも自由に発言できることが、この掲示板 の誇りです。加えて、「追放しても、どうせよその掲示板で反論される」ということが、ばばあ4 0さんの追放の抑止力になれば幸いです。
みなさま>
明けましておめでとうございます。みなさまのお陰で楽しいページ運営ができました。過去の掲示 板以外の更新が滞っていますが、ネタはあるのでおいおい追加していきます。
Cambrian_explosionさん>
ツリーは現在流れが遅いので、深いテーマをゆっくり論じるのには向いていると思います。マニアッ クな話題でも全然OKです_。
どちらかと言うとJA50さんの言われるとおりでしょう。
聖書を文字通り解釈するのは不可能だってコトくらいダーウィン以前にもわかってたんだし。
#何だかばばあ40さんと珍しく意見が一致したような気がする。(^^ゞ
自分の解釈を信じているんじゃないでしょうか。
ですから、その解釈に合うように、聖書に書かれていないことでも平気で付け加える(これはクリ スチャンとして大きな罪だと思うんだが)。
たとえば、あの地球を覆う水の層なんてどうですか。それから光が速くなるだの遅くなるだのいう のとか。
>クハ72さん、
いろいろな創造論を信じるというか創造科学を擁護する方は神を信じているというより、聖書を 信じているように思えてきます。(聖書教とでも言うのでしょうか?)
例え聖書に人間の手が加えられていて不正確であっても、さらには神が真実より寓話の方がより 真実を語ることができるとして、フィクションを交えていたとしても、何があっても神を信じるの が信仰であって、聖書と科学のどちらを選択するのは個人の信仰次第だというか、ささいなことだ と考えるのですが、それは私がクリスチャンではないからでしょうか?
拾い子を実の子供として育てた親に「お前はウソつきだ。お前の愛情なんて全部でたらめだ。」 なんて、私がその立場に置かれても絶対に言わないでしょうね。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さようならと言われた以上オサラバするしかありません。
マトモな議論が出来ない以上留まる必要はないでしょう。
新世紀早々こんな書き込みで済みません。
>NATROMさん
今年はお世話になりました。
何か板汚しみたいなのばっかりで、申し訳なかったですけど・・・^^;)
来年もまたお世話になりますのでよろしくお願いします。^^)
>さらに皆様
今年はお世話になりました。
来年も忙しくてあんまり書き込みできない かも知れないですけど・・・。
また、来年も相手してやって下さい^^)
(飛行の進化の話題とか面白そうだったな〜。ROMだけでなく参加したかったな〜。^^;)
来年には、ツリー式掲示版にちょっとテーマを上げてみようと思っています。
小ネタで マニアックで あんまり面白い話じゃないと思いますが、ツリーなら許されるかと・・・。
ちょこちょこ書き込んで地味にやっていこうと思いますが、少しでも興味があった時はご参加下さ い。
さらに、前回の書き込みの訂正(またか・・・^^;)
私の好きなのは ドーキンスではなく グールドです(ものすごい間違いだ^^;)。
多くの人は気が付いたと思います(内容からして)。
自己分析では、私はグールドと大野晋に強く影響を受けている(惹かれている?)のかな。
ドーキンスに関しては、正直そんなに好きじゃないかも^^;)
−−−特に間違ってるとは思ってないです。好みの問題なので許して下さいね>NATROMさん
だって、ドーキンスは「エビを生きたまま茹でるのが嫌い」な人なんですよ!
ただ、休みの内にもう一度ドーキンスを読んでおこうかと思ってます。
来年もよろしくお願いいたします。
しばらくネット環境から離れますので、今年はこの書き込みが最後です。
みなさま、どうか良いお年をお迎え下さい。
引越ししてから、なぜか忙しくなってしまい本を読んでいる暇どころか、メー ルをチェックするだけで精いっぱいです。
ここもROMってはいるのですが、なかなか書き込めない・・・
もうすぐ21世紀ですが、来世紀もよろしくお願いしますね!
では良い御年を・・・
>そういう事を言っても冒頭で挙げた発言をするような人は「それは問題のす りかえだ」とか
「それは実際に起きた進化を反映しているわけではない」とかいうのかなぁ、やっぱり。
「進化論を信じているからそういう風に見えるのだ。(だから正しいわけじゃない)」と言う人 がYahooのある掲示板にいますが、私が反対に「あなたは創造論を信じているからそういう風に見え るのだ(だから正しいと決まったわけじゃない)」と言い返すと、怒ったりします。(笑)
「偶然などに頼る進化論は科学理論と呼ぶに値しない」という主張を
たまに聞くのだ。けど、進化論は偶然による突然変異だけじゃなくて
必然による自然淘汰も重視するのですでにこの主張は成立しないのだ。
それはひとまず置いとくとして、「突然変異」と「自然淘汰」という
簡単なメカニズムがnの2乗とかそれ以上の複雑さを持つ問題を、線形
のオーダーで解く方法として非常に優れていると言うのは、工学的な
応用でも確認されている。遺伝的アルゴリズム(GA)として知られてい
るこの手法は、最適解を求めるのには使えないけど、近似解を素早く
求めるのにはとても役に立つ。
こうした遺伝的アルゴリズムの特性は生物はその時のありあわせの物
でうまくいくようにやって来たに過ぎないという進化論の世界観を強
く反映していて(あたりまえだ)、こうした一種の進化のシミュレーショ
ンがうまくいっているというのは進化論が整合性のとれているよくで
きた理論だという事を示唆しているのだけど、そういう事を言っても
冒頭で挙げた発言をするような人は「それは問題のすりかえだ」とか
「それは実際に起きた進化を反映しているわけではない」とかいうの
かなぁ、やっぱり。
西原氏のホームページです。
もちろんアイリスのCVの方ではありません(笑)。
もちろんhitouさんはトンデモ本として「面白い」とおっしゃったのでしょう。
個人的には面白いと思ったんですけどね。でも面白い=正しいとは限りません。
すいません。下の「と学会年鑑2002」とあるのは,「と学会年鑑2001」の誤り です。
失礼いたしました。
もうご存じの方も多いかもしれませんが,「と学会年鑑2002」(と学会著,太 田出版)という本が出ています。
進化論関係では,西原克成の「重力進化論」が取り上げられていました。
# まともに読んだことなかったけど,うーん,こんなにすごい内容だったとは。
↓のページに報告があります。
実は、昔、日テレで放映されている「200X」で特集されていたんですが、 「心肺移植」を施された患者さんが、臓器提供者の記憶の一部をも持ちえることがあるらしいので す。というのも「記憶」とは、脳ばかりでなく体全体で記憶しているのだと。だから移植された「心 臓」や「肺」にその持ち主の「記憶」が詰め込まれているらしいのです。
このことで学術的な裏付けを取れる文献を探しているのですが、ビデオで録画するのを忘れていた ので、番組紹介されていた詳しい文献も思い出せずじまい。どなたかこの番組の放映分を録画ずみ のかた。教えてください。
腕を切断した人間が子供を作ってもそれが遺伝しないのと同じ理由です。
>体の機能などはしっかり遺伝するのになぜ「記憶」は遺伝しないんでしょう か。
記憶が遺伝子に「記憶」として残るように変異を起こさせないからでしょう。
体の機能などはしっかり遺伝するのになぜ「記憶」は遺伝しないんでしょうか。
科学理論が先にあってそれとどう関わっていくかが宗教や道徳、倫理の役目の 一つでしょう。
「生きる意義を見出せないから進化論は間違いだ」、
これは創造論者の常套手段ですが、本末転倒と言わざるを得ません。
進化論に生きる意味を見出すのではなく、自分で作り出していくべきなのかもしれません。
斉藤成也博士の著書に
生物は機械ではない。機械は造り主の目的のために作られるが、
生物はそうでない。優れた歴史的遺産である。
といった意味の文章がありました。
極めて唯物論的な回答で申し訳ありませんが(^_^;
塩酸と水酸化ナトリウムが反応して食塩水になる化学反応に、なにか目的
なんてあるんでしょうか?
どちらも人体にとって危険な物質だから、人間の安全のために中和される?
そんなことはないですよね。別にこの宇宙は人間のために存在しているわ
けではなし。
(上記の「人間」を「生物」に置き換えていただいても結構です)
上記の化学反応について言えば、エネルギーの高い状態から低い状態への
遷移、それだけでしかないですよね。不安定な状態から安定な状態へ。熱的
平衡への遷移です。
生命というのも、突き詰めて考えれば化学反応が連続して起こる状態が維
持されているものであって、なかなかよく出来てはいるけど、熱力学の法則
から自由な存在ではありません。
(外部からのエネルギー供給が途絶えればいずれ反応を維持できなくなる)
そういう意味では、生命がなぜ存在するか、という問いには、宇宙がなぜ
存在するか、というのと同じような回答しか答えられないんですよね、私の
場合。とりあえず、何か恣意的な『目的』が存在するとは思えません。
(誰かが目的を持って設計したのなら、もう少し合理的に創って欲しかった
ものだ(笑))
誤解して欲しくないのは、だから生命を軽んじてよいとか、そんな風には
思っていないことです。価値があるから存在しているのではなく、存在して
いることに価値を見出すべきだと思います。
>質問ですが、生き物は何のために進化するのでしょう?
>また、何のために生き物は、存在するのか。
砂漠の砂の山はただ風に吹かれてできただけです。何の目的もなく作られたものです。きっと生 物もそんな自然法則のなれの果てでしょう。私はそう思います。
自分の存在の価値は、生まれつき誰かに与えられているものではなく、自分自身の努力によって 高めていくものだと私は信じています。
はじめまして。ブーストです。
質問ですが、生き物は何のために進化するのでしょう?
また、何のために生き物は、存在するのか。
今、とても知りたいです。考えを聞かせていただくとうれしいです。
メリークリスマス!!!
こちらはまだ25日の夜です。
20世紀最後のクリスマス、皆さん楽しんでいますか?
ホワイトクリスマスのコロラドからでした!
もうすぐ新年だぁ!!!
羽毛はあくまでウロコが変化したものであり、骨ではありません。
羽根の「筋」が折れたりしても、骨と違って折れた場所で再生はしません。
毛のように抜けて生え変わるものです。
大気中の酸素濃度って分かっているのではなかったですか?
どっかで見た記憶が、、、
「恐竜は硫酸の雨で滅んだ」
だそうです。http://www.cnn.co.jp/2000/TECH/12/19/dinosaurs.ap/index.html
恐竜はなぜあんなに巨大化できたのかと、未だに不思議でしょうがありません。 よく、酸素を良く通した水の中で飼った金魚は巨大化することは知っていますが、それとて、水の 中の「浮力」に助けられての話。水中で生活していた恐竜はともかく、陸の上で生活していた恐竜 がなぜあれほど巨大化できたのか。大昔の大気中には酸素の含有量が多かったからなのかな?
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。