私も他の方と同じで中原さんの本は、トンデモ本の類とみなしておいた方がいいと思い
ます。
ただし、素人103さんの引用された部分については、私はほぼ正しいと考えます。
ところどころ用語や言い回しが不適切じゃないかと思われる部分がありますが(こうい
うことをやっているからトンデモと言われる)、言っている主旨は正しいと思う。
例えば、「この間に、中立的な変異の中で自然淘汰に対して有利になるものが登場し、
淘汰が働いたときに生き残るというわけだ。」ですが、「分子進化の中立説」の中で木
村が書いていることに対応させて読みとれば間違ったことを書いているとは言えない。
中立的な突然変異が「自然淘汰によって」とか「自然淘汰に対して」などと言うのは矛
盾しています。しかし、、、
「一般に、種内に漂っており環境の変化によって有利となった弱有害突然変異遺伝子が
適応的進化の素材となる。微弱有害な突然変異遺伝子の極限として中立突然変異遺伝子
はそれらの中に含まれるかもしれない」(同書P343)とあります。
ですから、上記の中原の文を、表現型を変化させる突然変異遺伝子の中には有害で淘汰
により消えていくものばかりじゃなくほとんど中立な弱有害突然変異遺伝子もあり、そ
れらが偶然的浮動で集団中に蓄積し、それらが環境の変化によっては自然淘汰に対して
有利となり云々、と読み取れば筋は通ります。
ただし、上記の木村の仮説は、あくまでも推測です。こういうことも考えられるという
ものです。
それと肝心なことは、素人さんが引用されたところは中立説の解説というより、中立説
による分子進化と自然淘汰による表現型進化を橋渡しをしようとした、そういう木村の
仮説の解説じゃないでしょうか。
中立説の定義について木村が「分子進化の中立説」で述べている部分がありますので、
参考にして下さい。「はじめに」のところです。ただし、これについて解説し出すと収
集がつかなくなりますので、解説はご勘弁を。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
読者は「中立説」という語は、「分子レベルにおける進化的変化と多型は、主に、自然
淘汰に関して、ほとんど中立でその行動と運命が主として突然変異と偶然的浮動によっ
て決定されるような突然変異遺伝子によるものであるとする説」の省略であることを理
解しておいていただきたい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
それとこれですが、「しかし、中立的な突然変異が、どのようにして形質の変化を起こ
すような遺伝子の変化に結びつくのかという点については、説明されていない。この点
が大きな課題である。」、これはどう取り繕いも出来ないトンデモだと思います。
何を頓珍漢なことを言っているのかと。
>一応まともな答を書いたつもりだったのですが、もしそれが不満なら、
>もう一度質問を書いてくれませんか?
いえ、まともに答えたというのならそれで結構です。
そういうお方としておつきあいさせていただきます。
そうそう、へちさんは自分の基準としてこう言われていますね。
>客観的にみて合理性があるか、論理的に誤りがないか、と言う単純なものです。
ここの「合理性があるか、論理的に誤りがないか」というのは誰が判断するんですか?
へちさんの基準だからへちさんが判断するのだと推測しますが、それだと全部の権威が
へちさんにあることになりますね。つまり「自分の判断=権威としているような気がし
ます」と。
そういえば、へちさんは、木村の文をさして、悪いとかなんとか言われていたなぁ。
それをこれ幸いとクリスさんは、読み間違えたのは読み間違えた方に責任があるのじゃ
なく、そんな書き方をした方に責任があると言わんばかりのことを書いていた。
まぁ、クリスさんの失敗を取り繕うにはこの手しかないでしょうから、しかたないとは
思っていたのですが、これも「自分の判断=権威」としているお方なら、しかたないと
いうより至極当然な態度と言うべきかもしれないですね。
なお私は、自分の判断より、その分野における研究者の判断の方を尊重します。
自分の今までの判断や知識と反することを、その分野で重んじられている研究者が述べ
ておられたら、たぶん私の方が間違っているのだろうとします。
Nesについては次回より、、、
素人103さん、こんにちは。
中原さんの本のおかしな点についてはへちさんの解説にある通りと思います。
しかし、まだ誤解なさってる部分があるように思います。
私よりも詳しい人は多数(へちさんとか)おられますが、簡単なことなので説明します。
「分子進化の中立説」(これが正式の名称です「中立進化説」ではない)が登場したときに
自然選択説の立場に立つ人達からの激しい批判はありましたが、それは
>中立的な突然変異とは形質の変化として現れない突然変異である。
>したがって、いくら中立的な突然変異が起きても、進化にはつながらないのではないか。
というような形の代物ではなくて
「分子レベルの進化も自然選択説で説明できる」というものでした。
つまり、
1)当時の論争でも「分子進化」は進化現象として認識されていた。
2)分子レベルの突然変異(アミノ酸置換等)にも自然選択が作用すると信じられていた。
ですから、論争時の中立説への反対者は
3)分子レベルの突然変異の固定は自然選択によって置き換わった適応的なものである、
多型は主にヘテロ個体の有利性という平衡選択によって集団中に維持されるものである。
という主張をしていました。
これらの事からわかるように、
論争時に問題になっていた中立な突然変異として考えられていたのは
核酸塩基の同義置換(これは形質に変化をもたらしませんから中立です)ではなくて、
少なくともアミノ酸レベルでの突然変異です。(この辺の関係は舞さんの書き込みが詳しいです)
すなわち、アミノ酸レベルの置換が「中立」か「適応」かで論争されていたのです。
中原さんの「形質」という言葉の使い方が通常の用法から逸脱しているために
誤解を与えているようですが、へちさんの言われるとおり
最初から「形質の変化を伴う突然変異も中立的な突然変異の範疇に入る」であったと考えないと、「分子レベル」で「自然選択説」が成立するとしていた人達の主張を理解できません。
中原さんの「形質」は他の本では「表現型」という単語が使われていると思います。
この言葉については以前にへちさんが
「表現型の進化と分子レベルの進化」( 7月25日(火)19時01分21秒 )という書き込みで
まとめをなさっています。
> しかし、中立的な突然変異が、どのようにして形質の変化を起こすような遺伝子の変化に結びつくのかという点については、説明されていない。この点が大きな課題である。
同様に、形質の変化を伴う突然変異も中立的な突然変異の範疇に入る。
困るよなあ、こんな内容の本が解説書として売られているんじゃ。
へちさんありがとう。へちさんのおっしゃる通りです。ただし解説書の全文を紹介できなかったため中原氏の解説が間違っているような印象を与えてしまったようです。私は木村の原著を読んでいないから良く分かりませんが、木村は最初は淘汰を受けない分子レベルの進化だけを想定していたようです。これに対して当然批判がありました。
(引用)しかし、ここで問題が生じてくる。(木村の)中立的な突然変異とは形質の変化として現れない突然変異である。したがって、いくら中立的な突然変異が起きても、進化にはつながらないのではないか。
こうした批判に対して木村は、@競争相手の絶滅や新大陸の出現などで環境に空白が生じれば、生物は生存競争から開放される。Aその状態では、自然淘汰の圧力がゆるみ、中立的な突然変異が急速に広まる。B蓄積した「中立的な変異」も、状況の変化によっては有利に働くことがありうる。
C空白だった環境にいろいろな変異種が増えると、再び自然淘汰が働いて新しい種ができる、という「進化の4段階説」を唱えた。(以上引用)()は私。となっています。
木村は「形質の変化を伴う突然変異も中立的な突然変異の範疇に入る」と訂正したのでしょうか。それなら話はわかります。また上記@〜Cは間違いなさそうです。
どなたかこの辺のいきさつについて詳しい方はいませんか?
重要なことを箇条書きにします。
0.遺伝子からたんぱく質がつくられ、生命活動の元となる
1.遺伝子のDNAはヌクレオチド3文字の順列(=コドン、64通り)で一つ
のアミノ酸をコード(指令)する(うち3通りはアミノ酸をコードしな
い終止コドン)
2.アミノ酸は20種類しかないので、複数のコドンが1種類のアミノ酸を
コードする場合がある
3.たんぱく質はアミノ酸がつながった鎖によってできている
4.たんぱく質は、場所によって(例えば18番目のアミノ酸が、etc)、アミノ
酸の種類が変わったときに、機能にものすごく影響が現れる場合と、あまり
影響しない場合がある。
5.アミノ酸は、側鎖の物理的性質によっていくつかのカテゴリーに分けることが
できる(例えば、酸性アミノ酸とか、芳香族アミノ酸とか、etc)
従って、まず、遺伝子に mutation が起こった場合、a) アミノ酸が変わらない場
合(同義置換、上の2を参照)と、b) 変わる場合、があります。
a) の場合は、非常にまれな場合を除いて形質は全く変わらないので、中立です
(あたりまえ)
一方、b) の場合ですが、上の4、5あたりを考えてください。mutation の位置
と内容(アミノ酸が何から何に変わるか)によって、たんぱく質の機能の変わり
方が異なります。一般的には、5で述べた性質の似たアミノ酸に変わった場合は
機能への影響は少ないのですが(つまり中立的)、ものすごくシビアな場所だと
(たとえばそのたんぱく質の活性中心とか)似たような性質のアミノ酸に変わっ
た場合でも機能に大きく影響することもあります。一方、場所によっては、性質の
似ていないアミノ酸に変わっても機能に影響しない場合があります(これも中立
的)。
ま、一応付け加えるならば、たんぱく質の機能が変わったときに形質にまで影響
する場合と、あまり影響しない場合があるでしょう。これは違う法則によって支配
されているのではなく、影響の度合いが異なるということです。
#中原さんの記述については、へちさんとほぼ同じ感想を持ちました
中原英臣氏の書く啓蒙書のたぐいは基本的に信用しない方がよいかと思います。
以前、ブルーバックスで「利己的遺伝子とは何か」というタイトルの本を書い
ていましたが、案の定内容は不正確でした。どうも、中原氏はダーウィン進化
論がお嫌いなようで、どんな説もダーウィン進化論に反対する説であるかのよ
うに誤解する傾向があるようです。木村説をダーウィン進化論に反対するかの
ように誤解するのはまだいいとして、ドーキンスすら、ダーウィン進化論に反
対する説であるかのように書いていたときにはさすがにびっくりしました。
私は素人ですが、専門家による中原批判は、佐倉統氏によってなされています。
ドーキンスの「利己的な遺伝子」からして一般向けに書かれた啓蒙書ですが、
中原氏がそれをもとにしてブルーバックスを書いたことを皮肉って、「啓蒙書
の啓蒙書を書いてどうするんだ」とツッコミが入っていました。
> これは解説書なので中原氏が勝手に木村説を変更したとは思われません。Jさんの言ってることは分かるような気がします。
でも中原氏が木村説を誤解している可能性はあるわけで。
> 中立進化説によると、遺伝子の進化は、ダーウインの説明のように適者生存のより引き起こされるのではなく、生物にとって有利でも不利でもない中立的な突然変異を起こしたものが偶然に広まることによって起きると考える。(中略)
それは違うでしょう。それを言うなら、
中立進化説によると、分子レベルの進化は、ダーウインの説明のように適者生存のみで引き起こされるのではなく、生物にとって有利でも不利でもない中立的な突然変異を起こしたものが偶然に広まることによって起きる場合が多いと考える。
でしょう。
>中立的な突然変異が起こっているかどうかは、遺伝子やアミノ酸を分子レベルで調べないと分からない。
遺伝子やアミノ酸を分子レベルで調べると、中立的な突然変異が起こっているかどうかがよくわかる。
>分子レベルで調べることが可能になると、実際、予想以上に多くの中立的な突然変異が起きていることが判明した。
これは正解。
>しかし、ここで問題が生じてくる。中立的な突然変異とは形質の変化として現れない突然変異である。
そういうものもあるが、形質の変化を伴う突然変異も中立的な突然変異の範疇に入る。
>したがって、いくら中立的な突然変異が起きても、進化にはつながらないのではないか。
前提が違うので、意味なし。
だいたい木村は、中立説で進化の全てが説明できる、とは言っていない。
> こうした批判に対して木村は(中略)・・大きな環境の変化によって自然淘汰がゆるむと、中立的突然変異が蓄積される。多くの中立的突然変異が共存することになり、ふだんなら自然陶太によって消えてしまうものも数を増やしていく。この間に、中立的な変異の中で自然淘汰に対して有利になるものが登場し、淘汰が働いたときに生き残るというわけだ。(中略)
本当に木村はそう言っていたのだろうか?
しかし、その前の文では「中立的な突然変異とは形質の変化として現れない突然変異である」と言っておきながら、「自然陶太によって消えてしまう」とか「自然淘汰に対して有利になる」とか言ってみたり、中立的突然変異のくせに、自然淘汰が働いたりして、すごく妙な論理。
> しかし、中立的な突然変異が、どのようにして形質の変化を起こすような遺伝子の変化に結びつくのかという点については、説明されていない。この点が大きな課題である。
同様に、形質の変化を伴う突然変異も中立的な突然変異の範疇に入る。
困るよなあ、こんな内容の本が解説書として売られているんじゃ。
>創造論を教科書に載せろと要求するなど布教活動以外のなにものでもない、と
>個人的には思っていますから。
そんな立派なものである訳がありません。なぜなら識者の反感は著しく宣教の妨げに
なるはずですから。
あれは不信仰由来の公然自慰行為である、というのが私の立場です。
シカゴ博物館とは全然関係ないですけど、先日ピッツバーグにあるカーネギー
自然史博物館に行く機会がありました。ここには、ティラノサウルスなどの
実物大の骨格模型があったり、生物の進化に関する最先端の情報が本物の化石
とともに展示してあったりして、非常に興味深かったです。当然、創造論のそ
の字もあるはずはなく、アメリカでも創造論がいかにマイナーな世界観かが
実感できました。
ちなみに、ここのHPには初期の哺乳類に関する情報や羽をもった恐竜の情報
などが盛りだくさんですので、是非ご覧ください。
Carnegie Museum of Natural History
哺乳類のルーツ
鳥のルーツ
木村の「進化の4段階説」
同じ解説書の中に、木村は@競争相手の絶滅や新大陸の出現などで環境に空白が生じれば、生物は生存競争から開放される。Aその状態では、自然淘汰の圧力がゆるみ、中立的な突然変異が急速に広まる。B蓄積した「中立的な変異」も、状況の変化によっては有利に働くことがありうる。
C空白だった環境にいろいろな変異種が増えると、再び自然淘汰が働いて新しい種ができる、という「進化の4段階説」を唱えた。(以上引用)「」は私。
ここでいう「中立的な変異」というのは、中原氏は表現型として解説しています。そして
「中立的な突然変異がどのように形質の変化を起こす遺伝子の変化に結びつくかということを証明することが課題」と注釈を入れています。皆さんが中立的な変異を「表現型」か「分子レベル」か迷うのが良く分かります。このへんは私には良く分かりません。
どなたか解説をお願いします。
LucifeRさん、GOAさん、レスありがとうございます。
表に出てきていないだけで、やはりユダヤ教徒にも創造論者はいると見た方が
いいようですね。
つらつら思うに、ユダヤ教=ユダヤ民族宗教、キリスト教=グローバル宗教と
いう性格の違いから、ユダヤ教はキリスト教に比べて布教活動にさほど熱心で
はなく、その分表にでてこないのでは、と想像しています。
創造論を教科書に載せろと要求するなど布教活動以外のなにものでもない、と
個人的には思っていますから。
僭越ながら中原英臣氏著の簡単な進化論の解説書「進化論」(ナツメ社)から木村の中立進化説
について解説している個所をそのまま引用してみます。
引用:中立的な突然変異の研究が進むと、姿や形といった目に見える形質だけではなく、遺伝子
自体も進化していくことが明らかになった。そうした背景の中、1968年木村資生によって、遺伝子
の進化を説明する中立進化説が提唱された。中立進化説によると、遺伝子の進化は、ダーウインの
説明のように適者生存のより引き起こされるのではなく、生物にとって有利でも不利でもない中立
的な突然変異を起こしたものが偶然に広まることによって起きると考える。(中略)
中立的な突然変異が起こっているかどうかは、遺伝子やアミノ酸を分子レベルで調べないと分からない。分子レベルで調べることが可能になると、実際、予想以上に多くの中立的な突然変異が
起きていることが判明した。
しかし、ここで問題が生じてくる。中立的な突然変異とは形質の変化として現れない突然変異で
ある。したがって、いくら中立的な突然変異が起きても、進化にはつながらないのではないか。
こうした批判に対して木村は(中略)・・大きな環境の変化によって自然淘汰がゆるむと、
中立的突然変異が蓄積される。多くの中立的突然変異が共存することになり、ふだんなら自然淘汰
によって消えてしまうものも数を増やしていく。この間に、中立的な変異の中で自然淘汰に対して
有利になるものが登場し、淘汰が働いたときに生き残るというわけだ。(中略)
しかし、中立的な突然変異が、どのようにして形質の変化を起こすような遺伝子の変化に結びつ
くのかという点については、説明されていない。この点が大きな課題である。(引用終わり)
これは解説書なので中原氏が勝手に木村説を変更したとは思われません。Jさんの言ってることは分かるような気がします。
> まともな答えを頂けないようですが、そういうお方ということなんでしょうか?
一応まじめに答えているつもりなんですけどね。
>>「権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと言ってもナンセンスです」といったら
>>「権威ある本に書いてあったら、たとえ自分が間違っていると思っても正しいとして扱う」ということでしょう。
>>そうしたら「権威がある本ならば、自分で間違っていると思えても引用したり、人に勧めたりする」ということです。
>
>2番目の文と3番目の文には論理の飛躍がありますね。
>そして、3番目の文のようなことをすると私は書いていないし
でも、最初の文では、そのようなことをする、ととらえられても仕方がないんじゃないですか?
>(逆にそんなことはしな
>いとさえ書いている、「こういうことを書いてある本もあると紹介するに止めます」な
>ど)、したこともないのに、そうだと決めつけている。
だから、それは了解した、とこのあとの文で書いているのに。
>>私が指摘したのは、あくまで可能性です。
>
>こういう無責任な答えをするのは止めましょう。
どこがどう無責任なのかわかりませんが。
>>>私は、そんなことを言ったこともしたこともないのですが、
>>そんなことはない、というわけですね。
>
>これも非常に卑怯な答えですが、分かってやっているのかな。
「あなたの主張を理解しました」と言うのがそんなに卑怯なことですかね?
>それとこれ、、、
>
>>自分は正しいと思ったことしか言っていない、と言うわけですね。分かりました。
>>少々つっこみ所を誤ったようです。
>
>これは意味のない文ですね。
>皮肉をやっているだけに過ぎない。
皮肉ではなく、確認だったのですが。
ちょっと深読みしすぎなんじゃないですか?
>こういうことはしないでいただけませんか。
>それより、私の前のメッセージのまともな答えをいただけないでしょうか?
一応まともな答を書いたつもりだったのですが、もしそれが不満なら、
もう一度質問を書いてくれませんか?
だいたい、あの文章では、自問、反語、質問が入り乱れていて、「最初の質問」がどれなのかよくわかりませんよ。
まさか、「ん?」ではないと思いますが(笑)
>確かJ氏は「それは変異であって形質ではない」と言っていたような。
J氏は、その「有利な変異」が蓄積して「形質」をつくる、とも言っていたような(笑)。
それはともかく、宮田さんも「機構がまったくちがう」などと誤解をまねきやすい
表現をしてしまったもんだ。
JA50さんのご高説は、その「まったくちがう」の中身は「表現型進化は自然選択説
(のみ)によって説明され」「分子進化は中立説(のみ)によって説明される」
とのことです。
註)ただし、この場合の「表現型」「自然選択説」「分子進化」「中立説」は
すべてJA50定義 or JA50理解による。
ナンセンスな部分はレスしませんので、、、
>宮田は「二つのレベルでの進化の機構がまったくちがう」と言っているだけですよ。
言っているだけというのはあれですが、「二つのレベルでの進化の機構がまったくちが
う」というのを私は言っているのです。
クリスさんは同じ法則で説明できると言っている。
宮田は違うと言っている。
私も、違うと思っています。
>その可能性に着目した専門家は一人もいないんですか?
専門家はいます。
そのことはツリーの方に書いています。
きちんと読んで、理解して、それから質問してくれと、、、
こういうことをするから、疲れる上に前に進まないと言っているのです。
まともな答えを頂けないようですが、そういうお方ということなんでしょうか?
>「権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと言ってもナンセンスです」といったら
>「権威ある本に書いてあったら、たとえ自分が間違っていると思っても正しいとして扱う」ということでしょう。
>そうしたら「権威がある本ならば、自分で間違っていると思えても引用したり、人に勧めたりする」ということです。
2番目の文と3番目の文には論理の飛躍がありますね。
そして、3番目の文のようなことをすると私は書いていないし(逆にそんなことはしな
いとさえ書いている、「こういうことを書いてある本もあると紹介するに止めます」な
ど)、したこともないのに、そうだと決めつけている。
クリスさんがこういうことをやるのは分かりますが、へちさんも同類ということなのか
な、、、
>私が指摘したのは、あくまで可能性です。
こういう無責任な答えをするのは止めましょう。
>>私は、そんなことを言ったこともしたこともないのですが、
>そんなことはない、というわけですね。
これも非常に卑怯な答えですが、分かってやっているのかな。
それとこれ、、、
>自分は正しいと思ったことしか言っていない、と言うわけですね。分かりました。
>少々つっこみ所を誤ったようです。
これは意味のない文ですね。
皮肉をやっているだけに過ぎない。
へちさんは、自分で正しいと思ってもいないことを、正しいと言うのですね。分かりま
した。
てなもんです。
こういうことはしないでいただけませんか。
それより、私の前のメッセージのまともな答えをいただけないでしょうか?
>例えば、ABO式血液型という形質を例に挙げて、「中立な
>形質が進化する(or した結果)」といえるのかどうがが
>私の設問です(J氏とのからみから)。
確かJ氏は「それは変異であって形質ではない」と言っていたような。
>「進化する」ということの定義の中に、「固定する」という
>概念がどうしても含まれなければならないのでしょうか?
私はそんなことはないと思いますが。
>ところで、H氏は、ここのHPでも紹介されている「ダーウィンの進化論は学会で公式
>に否定された?」について、シカゴの博物館に問合せを行っているようです。
>果たして真実を知ったとき、それを正直に報告するのでしょうか?....疑問です。
H氏って私のページを読んでいないのでしょうか。
H氏wrote:
>1980年に進化論が公式に否定されたというのは、私も寡聞にして存じていませんでした
そんなに大量でもないのだし、一通りは目を通しているのかと思っていましたが。それとも理解できなかったのかなあ。
シカゴの博物館からのお返事、楽しみです。
全国のパチンコ店の1/4が情報を掲載している、有名なパチンコ関連のHPの管理者が掲示板のあり方についてこのようなことを述べています。
>社会での情報の尊重と言うのは、常に批判の自由と、反論の権利と言うものが保証されると言うことです。批判をすることは自由ですが、反論を保障しない場所での批判は、正当な批判ではなく、正当な議論でもありません。
創造論者の方はこうした態度を見習ってほしいと思います。
H氏は、ご自身のHPにプロフィールを載せておりますが、その中に
メシアニック・ジューとはキリスト・イエス(イエシュア)がメシアである事とその神性を認め受け入れたユダヤ人の事である。旧約聖書、特にモーセ五書(トーラー)の記述が字義通りである事を疑う事をしない。従って、神がこの世界を創られたのはせいぜい長く見積もっても6千年前程度であろうと信じている。
と、述べております。
これだけではユダヤ教徒がキリスト教徒に比べ熱心かどうかは分かりませんが、全くいないわけではないようです。
ところで、H氏は、ここのHPでも紹介されている「ダーウィンの進化論は学会で公式に否定された?」について、シカゴの博物館に問合せを行っているようです。
果たして真実を知ったとき、それを正直に報告するのでしょうか?....疑問です。
LucifeRと申します、はじめまして。以後宜しくお願いいたします>all。
さて、カネゴンさんの疑問に関しては、実は明確な答を持っている訳ではないのですが、自分なりの推論をお話します。
間違いなく云える事は、信仰者即創造論者ではないことからもまず「宗教の違い」では説明できないでしょう。私はむしろ世俗的立脚点や階層、それに「進化論者のキリスト教徒」との類似点に着目すべきだと思います。
LucifeRの推論:ユダヤ教創造論者がにわかに見当らない理由
1.そもそも絶対数が少ないので、目に触れない。
a.或は、ヘブル語の文献やWebPageを読める非ユダヤ人が殆どいない。
2.ユダヤ人の関心は他を向いている。たとえば
a.近代法治国家における律法の有り様であるとか
b.戦争被害・紛争当事者としての政治的・民族的関心であるとか。あるいは
c.世の乱れの原因を神を忘れた事に求めるにしろ、もっと素直にトーラーの別の箇所に対する不服従の結果と考え、信仰生活を律し義を建てる上で最重要とはいえない創世紀冒頭にはそれに相応しい関心しか払っていない。
d.一部の富裕層以外は生活に関係ない事に精力傾けるほど余裕がない。
e.トーラーよりタルムードやミドラーシュ/ハラハーに忙しい。
3.ミシュナ以来「解釈」の伝統に根ざした彼らは字義に固執しない。
4.選民意識(万能感)を確保する為に珍説に組する必要がない。
註:トーラーとは創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記のモーゼ五書、これに預言書と諸書を加えた(旧約)聖書全体は、タナハとかタナックといいます。
ユダヤ教文書はトーラーを元に、その解釈(+補遺口伝)、その叉解釈、さらに
解釈…という方向で
トーラー → ミシュナ → タルムード → ミドラーシュ
と肥大・混沌化して行きます。
ハラハーは解釈としてではなく新規に作成された(といってもbc200頃から400年間ぐらいの仕事です)補遺の法ですが、現在はトーラー由来の律法と融合して宗教法の本文となっています。
旧約聖書はユダヤ教の聖典でもあり、同じ世界観を持っているはず。
とすると、ユダヤ教徒の創造論者もいるのでしょうか?
私の少ない経験では、これまでキリスト教徒の創造論者(のHP)しか
目にしたことがありません。ユダヤ教徒は創造論に関してさほど熱心
ではないと感じられます。
もしそれが本当だとしたら、なぜなんでしょう。両宗教の性格による
ものなのでしょうか?
例えば、ABO式血液型という形質を例に挙げて、「中立な
形質が進化する(or した結果)」といえるのかどうがが
私の設問です(J氏とのからみから)。
「進化する」ということの定義の中に、「固定する」という
概念がどうしても含まれなければならないのでしょうか?
>クリスさん
木村の例の式での「固定確率」は、「究極的に固定される確率」
となっておりまして、つまり「時間無制限」という概念が含まれ
ているようです。一般に「固定確率」といった場合にも、そう
いう前提があるのかもしれません。
するとある遺伝子が生存競争に有利だとしても、それは必ずしも「固定」するとは限らず、
より不利な遺伝子と共存する(平衡多型になる)こともある。ということですね?
その場合は「固定」していないのだから固定確率は0になるということでしょうか?
>異なる遺伝子型の間に適応度の差がなければ(自然選択が働かなければ)
>遺伝子頻度は変わらないというのがハーディ・ワインベルグの法則ですよね。
>(集団が十分大きいとか任意交配とかの条件があったように記憶していますが)
そういえばそんなのがありましたね。
>「固定」の定義は、自然選択などが作用して(ハーディ・ワインベルグの法則が崩れて)
>集団内を特定の遺伝子型がほとんどしめるようになることなんじゃないでしょうか。
その他にも集団が小さいと遺伝的浮動によって偶然に特定の遺伝子型が占めることはあります。よね。
さっき書き込んだとたんに思い出したんですけれど
異なる遺伝子型の間に適応度の差がなければ(自然選択が働かなければ)
遺伝子頻度は変わらないというのがハーディ・ワインベルグの法則ですよね。
(集団が十分大きいとか任意交配とかの条件があったように記憶していますが)
「固定」の定義は、自然選択などが作用して(ハーディ・ワインベルグの法則が崩れて)
集団内を特定の遺伝子型がほとんどしめるようになることなんじゃないでしょうか。
>舞さん
複数の対立遺伝子が、ある一定の割合で集団中に存在しつづけているような場合は、
「固定」ではなくて「平衡」というのじゃないでしょうか。
確か鎌形赤血球症みたいな超優性による多型の維持を「平衡多型」といったと思います。
私は、ある集団内で一つの遺伝子に統一された時と考えていました。
木村の「生物進化を考える」ではそのような意味で使っていると思いますが。
私は、ある集団内で分布頻度(割合)が変化しなくなった=一定になった時と考えていましたが。
他の考え方はあるのでしょうか?
多型やSNPのことは置いておくとして、単純に、ABO式血液型
などのような、複数の対立遺伝子が、ある一定の割合で、ある
集団中に存在しつづけているような場合、「固定」という概
念はどう扱われているのでしょうか。
とにかく自分の主張していること、相手に要求していることと、
自分のやってること、相手に返していることの、規準に差があり過ぎます。
いわゆるダブルスタンダード(人に厳しく自分に甘い)が過ぎると誰にも相手にされなくなりますよ。
どうも、権威の定義が少々違っているような気がします。
>>もちろん、その本が間違っているかもしれません。
>>ただ、何度も言っていますが、権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと
>>言ってもナンセンスです。トンデモさんがやっているのと同じになってしまう。
>この文のどこからそういう取り方ができるのだろう、、、
クリスさんのおっしゃるとおり、
>「権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと言ってもナンセンスです」といったら
>「権威ある本に書いてあったら、たとえ自分が間違っていると思っても正しいとして扱う」ということでしょう。
>そうしたら「権威がある本ならば、自分で間違っていると思えても引用したり、人に勧めたりする」ということです。
ということです。
>私が、自分で間違っていると思える本を引用し、人に勧めたりしていると、へちさんは
>言っているのですか?
>それとも前のメッセージで、私がそういうことをすると言っていると。
>私は、そんなことを言ったこともしたこともないのですが、あるのならそういうメッセ
>ージを提示していただけますか。
私が指摘したのは、あくまで可能性です。
>私は、そんなことを言ったこともしたこともないのですが、
そんなことはない、というわけですね。
>自分の判断よりも権威を優先する?
自分の判断=権威、としているように思えてきました。
>私は、その道の研究者の権威を尊重する主義です。そういう人達の書いた論文や著書を
>尊重します。
>ただし、権威ある本でも、自分が正しいと思わなければ、こういうことを書いてある本
>もあると紹介するに止めます。
>>この基準はいったいどこにあるのですか?
>私の知識に照らし、中原の本にはおかしなことが複数書かれていること。
>「進化論」はきちんした専門家によって書かれた本だと思ったからです。
では、きちんとした専門家ときちんとしていない専門家はどういった判断基準で決めているのですか?
日本には中原を「権威」と思っている人も少なからずいると思いますが、そのような人から
「中原の書いた本は権威ある本です。権威ある本に書いてあることに素人のJA50さんがそれは違うと
言ってもナンセンスです。」
と言われたらどうするのですか?
どうも、PepperMystさんのおっしゃるように、自分の判断=権威としているような気がします。
そうだとすると辻褄が合うんですけど。
>まず、へちさんの基準を教えて欲しいですね。
客観的にみて合理性があるか、論理的に誤りがないか、と言う単純なものです。
権威だからと言って誤りがない保証はありませんからね。
>それと、最初の質問には是非答えてください。
自分は正しいと思ったことしか言っていない、と言うわけですね。分かりました。
少々つっこみ所を誤ったようです。
下の書き込み、口調がヒジョ〜〜〜にエラそうですね。
おわびします。
某長谷川氏のページの前書きを思い出させる・・・・?
ドラゴン=恐竜だと言っている(一部の)創造論者さん達に
言ってあげたい。
竜(西洋のドラゴン含む)の起源は、ヘビだ。
ヘビが神格化されて羽とか手足がついたものだ。
事実、ヨーロッパタイプのドラゴンの図版でも、初期の物ほど
外観がヘビに近い。
ドラゴンが恐竜のような形になったのは、中世の頃からである。
ヘビに手足やら羽やらをつけてたら、バランスが悪くなったので、
だんだん胴が太く描かれていったのだろう。
なんでも思いついたこと言えってもんじゃないんだよ。
JA50さん>
> 私は、その道の研究者の権威を尊重する主義です。そういう人達の書いた論文や著書を
> 尊重します。
> 今まで私はこの本は間違っていると自分で判断した本を、自分の主張の根拠と
> して引用したことはないし、また人に勧めたことはないはずです。
> 私の知識に照らし、中原の本にはおかしなことが複数書かれていること。
> 「進化論」はきちんした専門家によって書かれた本だと思ったからです。
ははあ、JA50さんの権威とやらの正体が見えてきたぞ。
本の内容をJA50さんが正しいと判断したら、その本の著者には権威があり
専門家でなければ(JA50さんの言う素人であれば)楯突くことは許されない。
本の内容をJA50さんが間違っていると判断したら、その本の著者は素人であり、
自称素人のJA50さんの判断が優先される。
要するに、あれですね、「虎の威を借る狐」。
前回引用した文書はMSNジャーナルの「進化論と聖書、どちらが科学的?」からです。
リンクは文書の下に張ってあります。
この文だと進化論=宇宙の存在と歴史を語るうえで欠かせない真実の主張となりますので。
はじめまして
通りすがりの進化論支持の無神論者です。MSNジャーナルの「進化論と聖書、どちらが科学的?」からこちらに来ました。このトム・ウィルス(呼び捨てで結構)の進化論支持者を邪悪と決めつけているのに断定しない狡猾な態度にむかついています。彼は本当に無神論者だったのでしょうか?創造論者が進化論を批判しても説得力がないことを自覚し、自分は無神論者だったと語っているだけでは?クリスチャン(創造論者)であっても真の信仰に目覚めていなかった、だから私は無神論者だったと。私は頭悪いので発言は控えますがクリスさん達は頑張って下さい。
次の文の”進化論”は”創造論”の誤訳でしょうね。もし誤訳じゃなかったらおもしろいのに…。
>キリスト教徒が、聖書の視点で進化論を弁護することはない。それはおかしいと思います。聖書に関心がない人が多いのでしょう。こうした人は子育てなどに都合がいいので、キリスト教を利用しているだけなのです。キリスト教は、進化論と同様、宇宙の存在と歴史を語るうえで欠かせない真実の主張なのです。http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=000502ns_creationism&vf=1
>専門家がそんな仮説は相手にもしていないのに、ど素人がそういう仮説が成り立つんだなどと言うとは、なんとお偉いことでとしか言いようがありません。
JA50さん流に言えば、「専門家がそんな仮説は相手にもしていないのに、ど素人がそういう仮説が成り立つんだなどと言うとは、なんとお偉いことでとしか言いようがありません」となってしまいます。私はそういうのもアリだと考えますけれど。
>なぜ一方で成り立ち、他方では成り立たないのか。
宮田はそんなこと言ってますか?
少なくとも紹介された引用文にはそんな文章は見当たりませんが。
>それを、表現型進化でも分子進化の法則がそのまま成り立つとど素人が言って、それに
>何の価値がありますか。
では「表現型進化では分子進化の法則がそのまま成り立たない」とど素人が言って、何の価値がある?
宮田は「二つのレベルでの進化の機構がまったくちがう」と言っているだけですよ。
あなたがそれを勝手に「表現型進化では分子進化の法則がそのまま成り立たない」と解釈しているだけでしょ。
>専門家がその未知の部分を明らかにしようと努力しているところに、ど素人が同じ法則が
>成り立つんだなどと言うとは、これもまたなんとお偉いことでとしか言いようがありません。
まず、宮田が努力しているのは中立説で表現型進化を説明できると信じているからだ、というのは理解できるんでしょうね?
それから、以前にツリー掲示板で指摘したんですが、「少子化は自然選択説の反証になる」かもしれないなら、専門化が大騒ぎしないのは何故なんですか?その可能性に着目した専門家は一人もいないんですか?
専門家がそんな仮説は相手にもしていないのに、ど素人がそういう仮説が成り立つんだなどと言うとは、なんとお偉いことでとしか言いようがありません。
「権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと言ってもナンセンスです」といったら
「権威ある本に書いてあったら、たとえ自分が間違っていると思っても正しいとして扱う」ということでしょう。
そうしたら「権威がある本ならば、自分で間違っていると思えても引用したり、人に勧めたりする」ということです。
理論的には全然おかしくありません。
おかしいのは最初の前提です。
「権威ある本=間違ったことは書いてない本」と仮定しているみたいですが。
JA50さんは、
1.表現型(=器官、行動など)進化は、自然選択説のみによって説明される
2.同じく、表現型進化は中立説では説明できない
3.分子進化は、中立説のみによって説明される
4.同じく、分子進化は自然選択説では説明できない
5. 1、2と3、4の違いがJA50流「ギャップ」
と主張されているのでしょうか?
逃げないで答えてくれませんか。あなたはいつもこういう質問を
無視して論点を明確にしないからいろいろ問題が起こるのです。
ご自分でも自覚されてるでしょ?以下のように。
>誤解の上での反論は、こちらとして答えるのしんどい上に面白くない。
>特に、いくら説明しても理解してくれない人を相手にしていると、ちっとも前に進まな
>いんだもの。
私の言葉を使うのがいやなら、ご自分の言葉で論点を「簡潔」に示して
くれませんか。
>一部遺伝するものであれば、それは自然選択説の範疇に入る。
どうしてこんな短絡的なことが言えるのですか?
遺伝しても形質として表れなければ淘汰の対象にならないのですから自然選択説の範疇には入らないでしょう。
>既に答えが出ているのに、クリスさんはなぜ何度も尋ねるのですか?
「異性の好み」は遺伝すると言えるんですか?言えないんですか?どっちなんですか?
という質問に答えないからですよ。
どうも「一部遺伝が関与している」のだから「遺伝すると言える」と考えているようですが?
それでいいんですか?いい加減、こんな単純なイエス/ノーの返事はしたらどうですか。
>「どのような異性を好むのかにも一部遺伝子は関与しているでしょう。ただし「みんな」じゃない。」といいたいだけ
>なら「そんな皆知ってることを言って、何が目的なのか?」疑問です。
「どのような異性を好むのかにも一部遺伝子は関与しているでしょう。ただし「みんな」じゃない。」、これが皆認めることならそれで終わりじゃないですか。
一部遺伝するものであれば、それは自然選択説の範疇に入る。
皆知っていることだとクリスさんは言っているし、私も「一部遺伝子が関与しているで
しょう」(推測でしかものが言えないのは、私がそのことを確かめたわけじゃないから
です)とそう言っている。既に答えが出ているのに、クリスさんはなぜ何度も尋ねるの
ですか?
それとギャップのことですが、、、
なぜ一方で成り立ち、他方では成り立たないのかというのには、「器管や行動様式など
の形質(の集団)は多重因子が絡」んでいるためかもしれないし、「複雑系」もそうか
もしれない。その他、まだ明らかになっていない未知の理由があるかもしれない。
だから宮田はそれを明らかにしようと研究しているんです。
それを、表現型進化でも分子進化の法則がそのまま成り立つとど素人が言って、それに
何の価値がありますか。専門家がその未知の部分を明らかにしようと努力しているとこ
ろに、ど素人が同じ法則が成り立つんだなどと言うとは、これもまたなんとお偉いこと
でとしか言いようがありません。
>では、自分で間違っていると思える本を引用したり、人に勧めたりするわけですか。
>そんなものはなんの説得力もありません。
>自分の判断よりも権威を優先するわけですね。
>JA50さんがそう考えるのは構いませんが、その権威を押しつけるのは止めて下さい。
ん?
何を言っているのだろう?
>もちろん、その本が間違っているかもしれません。
>ただ、何度も言っていますが、権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと
>言ってもナンセンスです。トンデモさんがやっているのと同じになってしまう。
この文のどこからそういう取り方ができるのだろう、、、
私が、自分で間違っていると思える本を引用し、人に勧めたりしていると、へちさんは
言っているのですか?
それとも前のメッセージで、私がそういうことをすると言っていると。
私は、そんなことを言ったこともしたこともないのですが、あるのならそういうメッセ
ージを提示していただけますか。
ないのなら、ないのになぜ、そういう嘘を元に「そんなものはなんの説得力もありませ
ん」などと言うのでしょう。いったいどういうつもりでこんなことを言うのか、、、
自分の判断よりも権威を優先する?
私の書いたことをえらく極端に解釈してますけど、これもどういうつもりなんだろう。
意図してやったのか、、、
私は、その道の研究者の権威を尊重する主義です。そういう人達の書いた論文や著書を
尊重します。
ただし、権威ある本でも、自分が正しいと思わなければ、こういうことを書いてある本
もあると紹介するに止めます。自分ではどうしてこうなるのか分からないが、そう書い
てある本もあると。しかし、そんな紹介さえしたことがあるかしら、どうも記憶にない
んだが。今まで私はこの本は間違っていると自分で判断した本を、自分の主張の根拠と
して引用したことはないし、また人に勧めたことはないはずです。
>この基準はいったいどこにあるのですか?
私の知識に照らし、中原の本にはおかしなことが複数書かれていること。
「進化論」はきちんした専門家によって書かれた本だと思ったからです。
何度も書いてますが、クリスさんがきちんと引用してくれれば、自分の今までの知識は
どうも古いのだろうとします。
>できればこの問題は私とJA50さんだけではなく、皆さんと考えたいと思います。
そうですね。
まず、へちさんの基準を教えて欲しいですね。
それと、最初の質問には是非答えてください。
トリバースにしろ木村にしろ、あるいは長谷川の本にしろ、私はそこに書かれているこ
とが、少なくとも「自分で間違っていると」考えなかったから、それを自分の主張の根
拠として引用し、かつ人にもこれは面白い本田と勧めているのですが、いったいへちさ
んはどこから、私が「自分で間違っていると思える本を引用したり、人に勧めたりする
わけ」だとし、「そんなものは何の説得力もありません」とか「その権威を押しつける
のは止めて下さい」と非難したのか、そこをきちんと説明してくれますか?
「sとNesの違い」も面白くなってきたんですか、これはこの話が決着してからにします。
「形質(≠器官)やその変化は必ず分子レベルのメカニズムで
説明されうる。あるいは、s≠0で表される mutation は、必ず
大なり小なり形質の変化をもたらす。」(しつこい)。
逆に言えば、「表現型が進化するためには、必ず分子レベルの
進化を伴う」。
両者の間にどういうギャップがあるのでしょう?
J氏はしろうと向けの本ばかり読んでないで、遺伝子関連の専門書
(生命が遺伝子を元にしていかに成り立っているかを、詳しく、
正確に述べた本)を読まれた方が議論の質が向上すると思います。
自然選択説(J氏の主張する奴)は、s>0のとき 常にu ≒1、
という立場をとるわけですね。一方、木村の理論では集団が十分に
大きいとき、
s=1のとき u=0.86
s=0.5のとき u=0.63
s=0.1のとき u=0.18
となります。
ここでも、両者はそんなにかけ離れてはいないと思います。(とい
うか、木村の理論のほうが、「より一般化された形」というふうに
感じる)
はじめまして
論文ご紹介いただきましてありがとうございます。もし、それが
お手元にあるのでしたら、差し支えなければ、少し例をご紹介
していただけませんか。専門家とおみうけしますが、あの式は
現在でも高く評価されているのでしょうか。
> 血と苦労との区別はつくと思ってるようだけど、変な人だね。
すみません。素人と玄人の区別の間違いです。
IMEがおかしくなってて変換できないままになってたのを送ってしまいました。
JA50さん>
> ただ、何度も言っていますが、権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと
> 言ってもナンセンスです。
だったら、それが正しいというのもナンセンスなのでは?
自分には判断能力がないといいたいんでしょ?
それにしても、言ってることの判断はできないのに、血と苦労との区別はつくと思ってるようだけど、変な人だね。
> なぜそこにギャップが存在するのか、もちろん私には分かりません。
その前に、本当に質的なギャップがあることを具体的なデータに基づいて示せますか?
> 表現型進化と分子進化では、一方はダーウィン流の自然選択説が支配し、他方は中立説
> が成り立つ、なぜそこにギャップがあるのか。そこの橋渡しは可能なのか。
どちらの理論も、表現型レベルでも分子レベルでも成り立ちますよ。その頻度が違うだけです。
その原因は、中立な変異の頻度が違う、
つまり分子レベルでは違っていても表現型に現れない変異が非常に多いということです。
>もちろん、その本が間違っているかもしれません。
>ただ、何度も言っていますが、権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと
>言ってもナンセンスです。トンデモさんがやっているのと同じになってしまう。
では、自分で間違っていると思える本を引用したり、人に勧めたりするわけですか。
そんなものはなんの説得力もありません。
自分の判断よりも権威を優先するわけですね。
JA50さんがそう考えるのは構いませんが、その権威を押しつけるのは止めて下さい。
>なお本が出ているからと言って皆信じるわけじゃないです。
だいたい、
>中原さんの本を私は信用しません。
>「進化論」は信用します。
この基準はいったいどこにあるのですか?
できればこの問題は私とJA50さんだけではなく、皆さんと考えたいと思います。
補足
「Re:sとNesの違い」では有害、不利、非適応的は同じ意味として使っています。
>その遺伝子の「振舞い」を測定して初めて、その突然変異遺伝子が有害かどうか分かる
>のではありませんか。
ではその遺伝子の「振舞い」を測定して、その突然変異遺伝子が有害かどうか判定でき、その結果として有害な突然変異遺伝子が固定しうることが示せればいいわけですね。
>>「遺伝的振る舞いは固定確率uに見られるようなNe,s(,N)の関数で表されます。」
>
>これは分かりました。
>ただ、どういう関数かは分からないんですよね?
わからない、と言うより、いろいろな表現が考えられるので特に書かなかっただけです。
もしイメージしにくければ、固定確率uが1/2Nに近いときが中立な遺伝的振る舞い、固定確率uが2sで表されるものが有利な遺伝的振る舞い、固定確率uがほぼ0で表されるものが不利な遺伝的振る舞いと考えて差し支えありません。
>それと、突然変異遺伝子の有利、中立、不利はsで表されるのですか?
>sの関数じゃなく、sで。
そうです。
>>Nes : ー -1 |← 0 →| 1 +
>>突然変異 : 不利 →|←中立→|← 有利
>>遺伝的振舞い: 不利 →|← 中立 →|← 有利
>
>Nesが0の時だけが、突然変異は中立となっているのは、Neが0というのは考えに入れ
>ないはずですから、sが0の場合だけだということですね?
そうです。
>>詳しく言うと、「Nesの絶対値が1を越える場合、非適応的な突然変異は固定されることはほとんど0に等しい。一方、
>>Nesの絶対値が1を(大きく)下回る場合、非適応的な突然変異であっても固定されることはある」です。
>
>これは分かります。
>Nesの絶対値が1以下の場合がほぼ中立であるということの数学的表現なんですから。
正確に言うと、
「Nesの絶対値が1以下の場合がほぼ中立な遺伝的振る舞いをするということの数学的表現なんですから。」
です。
>>有利さsが-0.001となる遺伝子があるとします。
>
>>集団の大きさN=Ne=100のとき、|Nes|=0.1となるので、これは「中立的な遺伝子」に相当します。
>
>>また、固定確率u=0.004で、s=0の時の固定確率u=0.005ですから、確かに中立的であると言えるでしょう。
>>次に集団の大きさN=Ne=100,000のときを考えてみます。
>>このとき、|Nes|=100なので、これは「有害な遺伝子」に相当します。
>
>>このときの固定確率はu=3.8342E-177となり、s=0の時の固定確率u=0.000005よりも大幅に低く、ほとんど0と言えます。
>>さて、この遺伝子は中立でしょうか、有害でしょうか?
>
>N=100の集団とN=100,000の集団は同じなんですよね?
>もし違うのなら、前者は中立、後者は有害としたらいいだけの話になってしまう。
質的には同じ集団です。
>もし同じ集団についての同じ突然変異遺伝子についての話なら、前者のsの測定値の誤
>差は後者よりはるかに大きいでしょうから、後者の結論の方を取るべきだと考えます。
前者は有害な突然変異遺伝子が中立な遺伝的振る舞いをする例
後者は有害な突然変異遺伝子が有害な遺伝的振る舞いをする例
です。
>そもそも個体数100でs=-0.001が求まったとして、それはどれほど信頼性があるんだろ
>う?
信頼性が心配でしたら、その試験を数多くやればいい。
思考実験ですから、それこそ無限回行えばいい。
そうすれば、固定確率u=0.004という値が信用できるものであることがわかります。
当然s=-0.001も非常に信頼できるものとなります。
次は逆に考えてみて下さい。
sは突然変異遺伝子の有利、不利の度合いを示していますから、この遺伝子は不利な突然変異遺伝子です。
また、固定確率u=0.004ということは、N=100の集団が1000あったら、そのうちの4集団はこの不利な突然変異遺伝子が固定されている、ということです。
つまり、このケースでは不利な突然変異遺伝子が固定しうることを示しています。
> ただ、非適応的な形質も進化し得ると変わったのなら、社会性昆虫などの利他行動を説
> 明するのに包括適応度などを持ち出して頭を絞る必要もないですね。
> 非適応的だろうが進化しえるんだから、それで終わり。
包括適応度と集団の個体数がわかれば、固定る確率が数字ででてきます。
意味がないどころか、非常に重要です。
>問題は、遺伝子とか蛋白質というような分子進化と、器管や行動様式などの形質の進化とが、本当に同じ法則で支配されているのかどうかでしょう。
同じ法則で進化しているが、器管や行動様式などの形質(の集団)は多重因子が絡むので研究は難しい。ということでしょう。
何で人の目は二つなのか。何で色を見分けることが出来るのか。と言う質問には解答が出せても、何で人の目はこういうふうなのかという質問に答えるのは難しい。そういうことでしょう。
>表現型進化と分子進化では、一方はダーウィン流の自然選択説が支配し、他方は中立説
>が成り立つ、なぜそこにギャップがあるのか。そこの橋渡しは可能なのか。
複雑系科学というのはまさにそういう研究をするものでしょう。
>この問題のもっとも困難な点は、二つのレベルでの進化の機構がまったくちがう点である。
「進化の機構が違う」というのは「原理や法則が違う」という意味ではないでしょう。
同じ原理や法則を使っても、一方は説明や予測が簡単で、もう一方は難しい。
>ただ、非適応的な形質も進化し得ると変わったのなら、社会性昆虫などの利他行動を説
>明するのに包括適応度などを持ち出して頭を絞る必要もないですね。
>非適応的だろうが進化しえるんだから、それで終わり。
そんなことはないでしょう。
ある形質が「適応的であるか」、「非適応的であるか」区別するのは重要なことだと思います。
どちらがどれくらい分布しているかを調べるのも大切でしょうし。
どうもJA50さんの学問とか科学に対する姿勢は偏りが過ぎるのでは?
これは重要だけど、こっちは重要ではないとか価値が低いみたいな決め付けが多いですよ。
そういうことは例え心で想っていても、口にはしないものです。
>>「少子化という非適応的形質」が今現在、現実に存在するのは、その原因となる遺伝子が日本人集団に固定しているからだ、と考えているんですか?いないんですか?
>何度も言っていることですが、ある特定の遺伝子があれば、その遺伝子を持つ個体が子
>供一人も産まないとか、2人以上産むことはない、などとは言っていませんよ。
それは理解できますが、質問の返事になっていないですよ?
>少子化という現象が自然選択説の反証と言えるかと皆さんの意見を聞きたいのは今も変
>わりませんが、誤解の上での反論は、こちらとして答えるのしんどい上に面白くない。
>特に、いくら説明しても理解してくれない人を相手にしていると、ちっとも前に進まな
>いんだもの。
ではここでその議論を続けるのは無意味なんじゃないですか?
「説明したら理解して(同意して)くれた人」は一人も居ませんよね?
みんながみんな「理解できない」と言っている部分を、キチンと説明しない(できない?)でいるだけでしょう?
どういう条件を満たせば自然選択説の反証となるのか?と散々聞いていたのはあなたです。
「少子化が持続してもその生物が滅びない」ことを証明すればいい(しなければいけない)というのは極めて自然な考え方だと思います。
>>異性の好みも遺伝によると言ってましたよね。
>どのような異性を好むのかにも一部遺伝子は関与しているでしょう。ただし「みんな」じゃない。
「異性の好み」は遺伝すると言えるんですか?言えないんですか?どっちなんですか?
「どのような異性を好むのかにも一部遺伝子は関与しているでしょう。ただし「みんな」じゃない。」といいたいだけなら「そんな皆知ってることを言って、何が目的なのか?」疑問です。
何の為にそんな(少なくともこの掲示板に参加している人なら、皆知っているような)ことを言い出すんですか?
>このクリスさんの通訳なるものが一番最初どのメッセージに書かれたのか、ご自分の書
>いたものなのに忘れているというのだろうか、、、
ぶっちゃけた話、忘れてました。っていうか手元にないんで確かめ様がないんですよ。
だから質問してるんで。質問は皆反語であるかのように受け取るのはどうかなあ?
>木村の文は文法的には少しも誤っていないです。
>文法的には二重否定の構文になるのかな。
二重否定構文は文章の中に否定表現が2回出てきてしかもそれが入れ子構造になっている文章。
例を挙げれば、「黒いバラなどないと言う人もいるが、そんなことはない」というような文。
ま、この件に関しては複数の人間が「木村の文章がまずい」ことは納得しているので終わり。
責任転嫁ではなく、責任の所在を明確にしただけ。
Michael Lynch→Michael Lynch et alに訂正します。
初めて、書きこみます。皆様よろしくお願いいたします。
>mutation についてu とsが実測ないしは推定
Michael Lynch, Mutation accumulation and the extinction of small populations, The American Naturalist, 146, 4, 489-518(1995)
中に様々な実験的な推定値が紹介されています。
参考にしてください。
>別に言っても構わないでしょう。それが論理的に正しいものであればみんな納得するし、その解釈が間違っていればそ
>のようなコメントが付くし、本当にその本の内容が間違っているかもしれない。むしろ、論理的に間違っていると思え
>るのに権威ある本に書いてあるから正しいと思いこんでしまう方が危険だと思いますね。
もちろん、その本が間違っているかもしれません。
ただ、何度も言っていますが、権威ある本に書いてあることに素人の私がそれは違うと
言ってもナンセンスです。トンデモさんがやっているのと同じになってしまう。
なお本が出ているからと言って皆信じるわけじゃないです。
例えば中原さんの本を私は信用しません。彼は私以上にど素人だと思ってますので。
「権威ある」という用語の意味の問題になるんでしょうけど、少なくとも「進化論」は
信用します。その本にクリスさんの言うようなことが書いてあれば、私が理解している
ような自然選択説はなるほど古いんだろうとします。あの「進化と人間行動」が前提と
しているような自然選択説は過去の説だと。
ただ、非適応的な形質も進化し得ると変わったのなら、社会性昆虫などの利他行動を説
明するのに包括適応度などを持ち出して頭を絞る必要もないですね。
非適応的だろうが進化しえるんだから、それで終わり。
辛抱強く説明していただいているというのは分かるし、ありがたいのですが、まだいま
いち理解できない。
へちさんの最も言われたいことはこれなんですよね。
>固定されうる、という方の主張は「有害な突然変異遺伝子が固定されうる」ということでした。
>一方、固定されない、という方の主張は「有害な遺伝的振舞いをする遺伝子は固定されない」というものでした。
>この2つはどちらも正しい、ということです。
分からないのは、「有害な突然変異遺伝子」と「有害な遺伝的振舞いをする遺伝子」と
どこが違うのかだと思います。私がいまいち理解できないという根本の原因はここにあ
るのではないかと。
有害かどうかは、測定してみるしかない。
その遺伝子の「振舞い」を測定して初めて、その突然変異遺伝子が有害かどうか分かる
のではありませんか。
質問を続けます。
そうやっているうちにだんだん理解が深まるでしょうから。
>「遺伝的振る舞いは固定確率uに見られるようなNe,s(,N)の関数で表されます。」
これは分かりました。
ただ、どういう関数かは分からないんですよね?
それと、突然変異遺伝子の有利、中立、不利はsで表されるのですか?
sの関数じゃなく、sで。
>Nes : ー -1 |← 0 →| 1 +
>突然変異 : 不利 →|←中立→|← 有利
>遺伝的振舞い: 不利 →|← 中立 →|← 有利
Nesが0の時だけが、突然変異は中立となっているのは、Neが0というのは考えに入れ
ないはずですから、sが0の場合だけだということですね?
>有利さ(不利さ)が小さい場合は誤差が大きいので、突然変異遺伝子の振舞いが中立的だからといって、その突然変異遺
>伝子も中立だ、とする判定はおかしい。微妙に有利かもしれないし、不利かもしれない。
有利さ(不利さ)が小さい場合は誤差が大きい?
NeないしNが小さい場合は、その測定されたsの値が信頼できない、大きな誤差を含ん
でいるだろうというのは、前のメッセージで書いたように分かるんですが、、、
>詳しく言うと、「Nesの絶対値が1を越える場合、非適応的な突然変異は固定されることはほとんど0に等しい。一方、
>Nesの絶対値が1を(大きく)下回る場合、非適応的な突然変異であっても固定されることはある」
>です。
これは分かります。
Nesの絶対値が1以下の場合がほぼ中立であるということの数学的表現なんですから。
>別にその有害さの測定値に誤差があったとしても、有害である可能性は十分考えられるわけですよね。「非適応的な突
>然変異であっても固定されることはある」というのは、可能性を示せればいいので、信頼性が低くても構いません。
測定された値の誤差が大きければ、実際は有害かもしれないし、中立かもしれないし、
有利かもしれません。
それを有害の可能性があれば、有害な突然変異遺伝子も固定されることがあるとしてい
いんだ、と言うのは無謀じゃないでしょうか?
>有利さsが-0.001となる遺伝子があるとします。
>集団の大きさN=Ne=100のとき、|Nes|=0.1となるので、これは「中立的な遺伝子」に相当します。
>また、固定確率u=0.004で、s=0の時の固定確率u=0.005ですから、確かに中立的であると言えるでしょう。
>次に集団の大きさN=Ne=100,000のときを考えてみます。
>このとき、|Nes|=100なので、これは「有害な遺伝子」に相当します。
>このときの固定確率はu=3.8342E-177となり、s=0の時の固定確率u=0.000005よりも大幅に低く、ほとんど0と言えま
>す。
>さて、この遺伝子は中立でしょうか、有害でしょうか?
N=100の集団とN=100,000の集団は同じなんですよね?
もし違うのなら、前者は中立、後者は有害としたらいいだけの話になってしまう。
もし同じ集団についての同じ突然変異遺伝子についての話なら、前者のsの測定値の誤
差は後者よりはるかに大きいでしょうから、後者の結論の方を取るべきだと考えます。
そもそも個体数100でs=-0.001が求まったとして、それはどれほど信頼性があるんだろ
う?
いや、そもそも個体数100だったら、-0.001などという小さな値が出ることがあるんで
しょうか?
ここらになるともう私の数学能力を越えています。
>適応的な性質のみが集団に広がり固定することができるという古典的な自然選択説は
>既に過去のものだと思います。ある遺伝子が広がる場合、自然選択の他に遺伝的浮動
>で広がる場合もあるわけですから。しかし適応度の高い形質の遺伝子程、固定する
>確率が高いという原則は残ります。自然選択説はやはり有効であると言えるでしょう。
>
>中立説と自然選択説は質的にはともかく、量的には連続してると思うのですが。
「ある遺伝子が広がる場合、自然選択の他に遺伝的浮動で広がる場合もある」というの
はその通りで、そうでないと中立説が成り立たないことになりますから。
ただし、何度も言っているように「遺伝子が」です。ここを混同しないでほしいのです。
問題は、遺伝子とか蛋白質というような分子進化と、器管や行動様式などの形質の進化
とが、本当に同じ法則で支配されているのかどうかでしょう。量的には連続しているの
はその通りでしょうが、量的に連続しているから同じ法則が成り立つとは限らないと私
は思います。
なぜそこにギャップが存在するのか、もちろん私には分かりません。
表現型進化と分子進化では、一方はダーウィン流の自然選択説が支配し、他方は中立説
が成り立つ、なぜそこにギャップがあるのか。そこの橋渡しは可能なのか。
木村もこれに悩んだし、またこれについて主に研究されている専門家もおられるようで
す。
例えば宮田隆。
ブルーバックスに「分子進化への招待」という本があり、そこの252および253ペ
ージにこうあります。
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分子進化の中立説は分子レベルでの進化を説明する主要な理論としてすでに定着して
いる。中立説が確立した現在、われわれ分子進化学者に残されたもっとも大きな課題は、
いかにして表現型レベルの進化と分子レベルでの進化を橋わたしし、二つのレベルの進
化を統一的に理解するか? ということであろう。
この問題のもっとも困難な点は、二つのレベルでの進化の機構がまったくちがう点で
ある。第3章でのべたように、中立説は、分子レベルにおいては、淘汰によくもなく、
悪くもない、中立な変異が偶然に集団に広まった結果、進化がおこると主張する。一方、
生物の形態や組織あるいは器管といった、目でそれとわかる形態レベルでの進化はいぜ
ん適応的におこるとされている。すなわち、生存にわずかでも有利な変異をもった個体
は自然淘汰によってしだいに子孫を増やし、ついには集団を埋め尽くすと説く。二つの
レベルの進化を統一的に理解することはいうまでもなく困難な問題であり、いまだ解決
の糸口すらつかめていない。
著者の研究グループは、現在この問題の解明に向けて研究を進めている。
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ところで、Kさんは、Kさんの言われる古典的な自然選択説でない自然選択説、つまり
表現型進化において適応的でない形質も進化しえるというような自然選択説を述べてい
る文献をご存じでしょうか?
自然選択説が、その性質を持っていても子孫を増やすことに役立たないという中立的な
形質や、それを持っていることで逆に子孫を減らしてしまうような形質も「進化し得る」
と変わった、と述べている専門家の方をどなたかご存じでしょうか?
>「少子化という非適応的形質」が今現在、現実に存在するのは、その原因となる遺伝子が日本人集団に固定しているか
>らだ、と考えているんですか?いないんですか?
何度も言っていることですが、ある特定の遺伝子があれば、その遺伝子を持つ個体が子
供一人も産まないとか、2人以上産むことはない、などとは言っていませんよ。
少子化という現象が自然選択説の反証と言えるかと皆さんの意見を聞きたいのは今も変
わりませんが、誤解の上での反論は、こちらとして答えるのしんどい上に面白くない。
特に、いくら説明しても理解してくれない人を相手にしていると、ちっとも前に進まな
いんだもの。
>異性の好みも遺伝によると言ってましたよね。
どのような異性を好むのかにも一部遺伝子は関与しているでしょう。
ただし「みんな」じゃない。
>しかしその文章(Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと)は木村の文なのですか?
何をいまさら、、、
>「詳しく言うと、Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと」ってのは逆にいえば、
>Nesの絶対値が1を越す値なら「ほとんど0ではなくなる」「無視できなくなる」ってことでしょ。
このクリスさんの通訳なるものが一番最初どのメッセージに書かれたのか、ご自分の書
いたものなのに忘れているというのだろうか、、、
へちさんが、「生物進化を考える p218-219 投稿者:へち 投稿日: 7月17日(月)17
時39分45秒」で引用された。
そこの最後に「(詳しく言うと、Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと)、固定確率はき
わめて小さな、実際上はほとんどゼロといえるような値となる。」とある。
そのメッセージのすぐ後で、クリスさんが「へちさん。ありがとうございます 投稿者:
クリス 投稿日: 7月17日(月)17時54分58秒」とへちさんの引用に感謝し、その次の「追
記(もうこの辺で最後にしたい) 投稿者:クリス 投稿日: 7月17日(月)18時 8分
27秒」とやっている中で書いているんですよ。
ほんと、何を今さら「木村の文なのですか」もないもんだ。
木村の文は文法的には少しも誤っていないです。
文法的には二重否定の構文になるのかな。
二重否定の文は注意してないと読む方が誤解しやすいのは事実でしょう。ですから、単
純な勘違いというのなら、それで終わりなんだが、ごちゃごちゃ自己弁護、それも著者
に責任転嫁などするから見苦しくなる。
ほんと、自分が誤解しておきながらその誤解を文を書いた人の責任にするというのはな
んと言うべきか言葉がありません。あなたってお偉い方なんですね。
へちさんありがとうございます。
>いまいち発言の意図が飲み込めていないのでどう答えていいかわかりませんが・・・
いや、別に深い意味はなく、木村の理論(というか、あの式)が現実
(実測)と良く適合していなければ、正しいと言えない、と思ってい
るだけです。従って、(その場合)それに基づいて立てた理論も、現
実には意味をなさない、と。
前にも出しましたが、ある遺伝子におこる(いや、これまでおこった)
mutation についてu とsが実測ないしは推定された例が出てれば良い
のになぁと思うのです。
#ヒトの遺伝子についての知識のほとんど無かった60年代にあの式が
#考えられて、今でもこうやって議論されている、と言う事自体すごい
#ですけれど。
大恥に懲りないで(汗)、またも投稿します。
へちさんがされている「中立」の2つの意味に関する整理については私も賛成なので、
そちらはへちさんにお任せして、私なりに気の付いたことをコメントします。
通常「形質」という概念は、メンデル以来の遺伝学における、
「表現型として現れる遺伝的性質」を意味するのではないでしょうか。
生物学関係の辞典を見ているとこの様な「形質」という語の使い方をしています。
例えば「岩波生物学辞典」(第4版)の「優劣の法則」の項(p.1423)においては
「【同】優性の法則.雑種第一代(F1)において二つの対立形質うちいずれか一方だけが
現れること.メンデルの遺伝法則の一つ.この表現される形質を優勢,隠されている形質を
劣性とよぶ.(以下略)」
とあり、
「生化学辞典」(東京化学同人、第3版)の「メンデルの法則」の項(p.1423)では
「(省略)独立遺伝の法則は二つ以上の形質に関する遺伝について,もし問題とする遺伝子間で
連鎖がなければ,それらの形質は互いに独立に組み合わされた結果として表現されることを
指す.(以下略)」
とあります。
これらの例からわかるように現代の生物学(少なくとも遺伝学)では、
「形質」という語を異なる対立遺伝子が表す表現型の意味で使うことに問題ないようです。
(話を単純にするため、ポリジーン等が関与する形質のことは考慮してません)
例えば、「酒に強いという形質は優性遺伝する」(あくまでも例文です)
という文は標準的な用語法に従っているといえると思います。
この用語法に従えば「有害な突然変異」は「有害な形質」と言い換えることができます。
(余談ですが「酒に弱い体質」(確かアルデヒド脱水素酵素2型の性質でしたね)は
欧米人にはほとんどいないが、日本人の確か半分近くがそうだとか。)
一方、JA50さんの用語法では
例えば「Re:質問1>無神論者さん」(8月 7日(月)16時48分24秒)に
>ある器管(目など)とか行動様式(光に近づくというような)が形質であって、その形
>質の集団内における個体間の違いが変異というように私は理解しています。
とあるように、
『変異』は異なる対立遺伝子の表現型(=対立形質)を表し、
『形質』の方はお互いに対立する『変異』全体からなる集合を表す言葉で
対立遺伝子が排他的に専有するところの「遺伝子座」に対応しているようです。
この用語法では、『変異』と『形質』の概念上の階層が違うため
『有害な変異』を『有害な形質』と言い換えることができません。
また、この用語法だと
『有害な形質』が固定するかどうかで問題にされているのは
ある『形質』(=遺伝子座)を持った個体と持ってない個体との比較ということになります。
するとこの用語法では、木村資生の突然変異の固定確率に関する式を使って
『有害な形質』が固定する確率を議論するのは不適切ということになります。
木村の式は「ヘテロ接合でs、ホモ接合で2sだけ野生型より有利」という
同一の遺伝子座を占める対立遺伝子の比較に関する式だからです。
#今回のタイトルはE.ソーバーの"From a Biological Point of View"(邦訳なし)から
頂戴しました(^^)。もちろんクワインの"From a Logical Point of View"のもじりです。
> ここに書かれた文章の意味は理解しましたが、この議論は、u かs
> のどちらかが実測されない限り、現実には意味をなさないと考えま
> す(具体例をあげられないでしょうか)。
いまいち発言の意図が飲み込めていないのでどう答えていいかわかりませんが・・・
要するに、
Re:疑問への回答です>masayukiさん 投稿者:JA50 投稿日: 8月 4日(金)17時49分35秒
> Nesの絶対値が1を(大きく)下回る(つまりほとんど0ということでしょう)ことは
> あり得ます、現実的に。それこそ中立的であることですから。
の「中立的」と、
> 突然変異の多くは有害で、一部は中立です。
の「中立的」を一緒にしてしまうと、訳の分からないことになってしまうことがある、ということです。
例えば、
有利さsが-0.001となる遺伝子があるとします。
集団の大きさN=Ne=100のとき、|Nes|=0.1となるので、これは「中立的な遺伝子」に相当します。
また、固定確率u=0.004で、s=0の時の固定確率u=0.005ですから、確かに中立的であると言えるでしょう。
次に集団の大きさN=Ne=100,000のときを考えてみます。
このとき、|Nes|=100なので、これは「有害な遺伝子」に相当します。
このときの固定確率はu=3.8342E-177となり、s=0の時の固定確率u=0.000005よりも大幅に低く、ほとんど0と言えます。
さて、この遺伝子は中立でしょうか、有害でしょうか?
私の質問から「木村の文章が悪い」という結論を導くことになろうとは、全く予想できませんでした。
数式をきちんと吟味できない、文化系読者の読解力ではこの文章を正確に理解するのは、所詮無理だったのですね。
へちさんにはとても感謝しています。これからも皆さんの冷静で活発な議論を、楽しみにしています。
なるほど、式の意味から考えると仰るとおりです。
完全に同意いたします。
うーんやっぱり、木村の文章がまずいんですね。
教訓:丁寧に読まずに判断するなかれ、復帰早々の大恥でした(爆)。
> (「この場合は」があれば日本語として文法的に異常ではないように思います。>クリスさん)
異常なのはそこではないんです。
> この「この場合」という語句は直前の文である
> 「生存に不利な有害突然変異(s<0)に対する固定確率もこの式から求められる」
> をうけていますから、すると2番目の文(問題の文章です)は
> 「s<0では、Nesの絶対値が1を越さない程度でないと、ほとんどゼロになる」
> という意味であると解釈すべきです。
それは合っています。
> 「ほとんどゼロになる」といわれているのは突然変異の固定確率uですから、
> 問題になっている木村の文は
> [{(s<0)かつ{(|Nes|>1)でない}]ならば(u≒0)
> という形に書き直せます。
これは逆です。
正しくは、[{(s<0)かつ{(|Nes|>1)である}]ならば(u≒0)
です。
なぜそうなるか。
「越さない程度でないと、ほとんどゼロになる」の解釈が違っているんです。
この文の「でないと」は否定の「ない」なんです。
ですから、この文は「越す程度であると、ほとんどゼロになる」となります。
日本語としてはおかしいですが、式を見るとこう解釈せざるを得ない。
あとは同様に、
> この文の対偶をとれば(論理的に同値なのは対偶だけです)
> {(u≒0)でない}ならば[{(s<0)でない}または(|Nes|>1)]
> となります。
{(u≒0)でない}ならば[{(s<0)でない}または(|Nes|>1)でない]
> 「固定確率がほとんどゼロではないならば、
> sが負でないかまたはNesの絶対値が1より大きいかのいずれかである」
「固定確率がほとんどゼロではないならば、
sが負でないかまたはNesの絶対値が1より小さいかのいずれかである」
> あるいは
> 「固定確率がほとんどゼロでなくなるのは、
> sが負でないかまたはNesの絶対値が1より大きいかのいずれかの場合に限られる」
「固定確率がほとんどゼロでなくなるのは、
sが負でないかまたはNesの絶対値が1より小さいかのいずれかの場合に限られる」
となるでしょう。
> これらのことから、問題になっている木村の文の解釈としては
> JA50さんの受け取り方は正しいとして良いと思います。
それはその通り。
あの文章がおかしいというのはこういうことです。べつに安賀須さんの解釈がまずいわけではないです。
残暑お見舞い申し上げます。夏休みから戻って参りました。>皆様
ご返事申し上げるのが遅くなりましたが、
反証可能性についての投稿を評価していただきありがとうございます。>T8848さん
さて、木村資生の「生物進化を考える」の文章についてですが、
木村の表現が悪いというへちさんの投稿でこの掲示板での論争点としては
一件落着としても良いとは思うのですが、少し思うところがあり投稿いたします。
まず、木村の元の文章ですが
(へちさんの「生物進化を考える p218-219」7月17日(月)17時39分45秒に引用があります )
>また、生存に不利な有害突然変異(s<0)に対する固定確率もこの式から求められる。
>この場合は、集団が小さく、しかも有害度もわずかでないと
>(詳しく言うと、Nesの絶対値が1を越さぬ程度でないと)、
>固定確率はきわめて小さな、実際上はほとんどゼロといえるような値となる。
です(改行については変更しました)。
問題になっている2番目の文では、
「この場合」が文法的主語で、「ほとんどゼロといえるような値となる」が文法的述部でしょう。
(「この場合は」があれば日本語として文法的に異常ではないように思います。>クリスさん)
この「この場合」という語句は直前の文である
「生存に不利な有害突然変異(s<0)に対する固定確率もこの式から求められる」
をうけていますから、すると2番目の文(問題の文章です)は
「s<0では、Nesの絶対値が1を越さない程度でないと、ほとんどゼロになる」
という意味であると解釈すべきです。
「ほとんどゼロになる」といわれているのは突然変異の固定確率uですから、
問題になっている木村の文は
[{(s<0)かつ{(|Nes|>1)でない}]ならば(u≒0)
という形に書き直せます。
この文の対偶をとれば(論理的に同値なのは対偶だけです)
{(u≒0)でない}ならば[{(s<0)でない}または(|Nes|>1)]
となります。
ただし、「二重否定」が「肯定」と同値であることに従って
「{(|Nes|>1)でない}でない」を「(|Nes|>1)」に書き改めました。
それと、「または」は非排他的意味すなわち「いずれかあるいは両方」の意味です。
普通の日本語の表現であれば(日本語表現の適格さにはあんまり自身ありませんが、、、)
「固定確率がほとんどゼロではないならば、
sが負でないかまたはNesの絶対値が1より大きいかのいずれかである」
あるいは
「固定確率がほとんどゼロでなくなるのは、
sが負でないかまたはNesの絶対値が1より大きいかのいずれかの場合に限られる」
となるでしょう。
これらのことから、問題になっている木村の文の解釈としては
JA50さんの受け取り方は正しいとして良いと思います。
掲示板上での議論に限りませんが引用された文章が完全な形でないと
誤読を招いたり、論理的あるいは文法的な不具合を生じますからお互いに要注意です。
#今回の投稿のタイトルは私が尊敬する哲学者クワインの著書の題から取りました(^^)。
イメージ張り付けのタグは使えないようです。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。