>少子化現象が動物行動学で扱えないという例外なら、動物行動学はヒトという動物を >研究対象にできないということに等しいです。 少子化現象は動物行動学で扱えない例外である「可能性」があると言っているのです。 さらに少子化現象を起こしている集団をどうとるかで、少子化が起こっているかどうかすら 変わってくるのですから、その集団の取り方に問題がありそうだ(日本人という遺伝集団は おそらく存在しないでしょうから)と指摘しました。 さらに、もし、少子化現象が動物行動学で扱えない例外であったとしても、動物行動学が 扱えるヒトの行動などはいくらでもあるでしょう。 動物行動学は全ての動物の全ての行動を矛盾なく説明できるような学問ではなく、色々な 例外や制約があることは少し本を読んだだけで分かりました。 何か動物行動学を神格化して妙な思い入れがあるような印象です。 >>あくまで少子化は原因だと主張なさるなら、少子化の原因を尋ねるのは矛盾でしょう。 >>原因の原因を尋ねることになりますから。 >どうも話が合わないと感じているんですが、ここらが原因なのかなぁ、、、 それもあるかも知れません。 ただ印象としては、こちらはお勧めの本(と同じ作者の本)を読んだりして、JA50さんの おっしゃることを理解しようと努力していますが、JA50さんにその努力(こちらの意見を 吟味する)があるようには感じられません。 >特殊合計出産率が2を切ったのは、多くのヒトが少子化という行動を起こした結果です。 前回もしてきしましたが、これはJA50さんの仮説でしょう? 一番単純な反例は、多産する群と、無産する群にきっぱり別れただけかも知れません。 3人子供を持つ群が60%でも、無産群が40%なら、特殊合計出産率は2を切りますから。 何か根拠のある断定なのですか? >こういう適応的な意味などを研究する、動物行動学というのはそういう学問なんですから。 研究するのも、検証するのも自由ですが、始めから結論ありきという発言を繰り返しているのは どうしてなのですか?
少子化現象が動物行動学で扱えないという例外なら、動物行動学はヒトという動物を研究対 象にできないということに等しいです。 >あくまで少子化は原因だと主張なさるなら、少子化の原因を尋ねるのは矛盾でしょう。 >原因の原因を尋ねることになりますから。 どうも話が合わないと感じているんですが、ここらが原因なのかなぁ、、、 特殊合計出産率が2を切ったのは、多くのヒトが少子化という行動を起こした結果です。 問題は、なぜ多くのヒトが少子化という行動を起こしたかです。 それは何か結果なのか。 それには、いろいろな学問分野でそれぞれ方法論や理論で違うでしょうが、これこれによる のではないかと仮説をたて、検証したらいい。 私の、社会進出説もそうだし、快楽説もそう。 こういう適応的な意味などを研究する、動物行動学というのはそういう学問なんですから。
>出生率が2を切っている現状は、日本人という集団において、少子化という選択をする個体 >が多数を占めている結果だと思いますが、、、 あくまで少子化は原因だと主張なさるなら、少子化の原因を尋ねるのは矛盾でしょう。 原因の原因を尋ねることになりますから。 その辺が混乱の原因かも知れません。 >そんな短期間で少子化遺伝子が広まるはずはないんですから。 少子化遺伝子は全ての個体が持っているが、その発現のしやすさが違う。という可能性もあります。 あまり「これしかない」と決め付けずに柔軟に考えてはいかがでしょう。 >>「将来の飢餓状態を予測して」人口密度を減らすように動き始めた可能性もありますし。 >この意味が理解できない。 >人がそういう予測をして少子化しようとするのは考えられます。当然ですが、それが私が >問題にしていることとどう関係するのか、、、 動物行動学の適応の限界みたいなものもあるでしょう、ということです。 >クリスさんが、日本人の多くが将来飢餓になるだろうと予測して少子化している、その結果 >が特殊合計出産率の低下であるとするなら、それをどうやって検証するかです。 それを一緒に考えましょうというなら、発展性はあるかもしれないですね。 ただ実行に移すのは困難でしょうから、あまり興味を引かない話題でもありますが。 >ただし、ここで私が問題にしているのは、動物行動学という学問範囲の問題提起です。 ですから、この問題は、動物行動学で扱える範囲ではないのではないか?と指摘しているのです。 >前にも書きましたが、動物行動学においては、動物が自ら適応度を下げるよう行動するとは 考えられない。 同様に、動物行動学の前提とか限界もあるということは、前にも指摘しました。
>ここでの根本的な意見の違いは以前にも指摘しましたが、原因と結果の混同では? 出生率が2を切っている現状は、日本人という集団において、少子化という選択をする個体 が多数を占めている結果だと思いますが、、、 遺伝子タイプということですが、こう考えればどうでしょう。 日本に住んでいる人の多くは、イギリスとかタイに住んでいる人とはより短時間で共通祖先 に行き着くはずです(全部じゃありません、要は統計上の問題なんですから)。 日本人でも、弥生人タイプ、縄文人タイプと分けても、こういうタイプ分けになる。 それらで、そういう集団で少子化という行動に差が見られるかどうかは少子化現象の解明に 役立つでしょう。 古くから日本に住んでいる日本人に多く見られる現象だとか、弥生タイプの人には少子化現 象が少ないなどというのが見つかれば、少子化という行動を起こす遺伝子(何度も言います が、ある具体的な遺伝子を想定しているわけではありません)が、比較的最近獲得されたの だという根拠になるでしょう。 しかし、そんなはずは、まずあり得ない。 そんな短期間で少子化遺伝子が広まるはずはないんですから。 >「将来の飢餓状態を予測して」人口密度を減らすように動き始めた可能性もありますし。 この意味が理解できない。 人がそういう予測をして少子化しようとするのは考えられます。当然ですが、それが私が 問題にしていることとどう関係するのか、、、 クリスさんが、日本人の多くが将来飢餓になるだろうと予測して少子化している、その結果 が特殊合計出産率の低下であるとするなら、それをどうやって検証するかです。 ただし、ここで私が問題にしているのは、動物行動学という学問範囲の問題提起です。 社会科学や政治学、文化人類学など、そういう学問における問題提起じゃない。 前にも書きましたが、動物行動学においては、動物が自ら適応度を下げるよう行動するとは 考えられない。あれば、少なくとも動物の行動というのに自然選択説は使えないことになる。 ですから、少子化という行動が、どういう適応的な行動なのか、またはもし適応的な行動で なければ、それは過去において適応的な行動だったものが現在においては環境が変わり非適 応的な行動になったのだとしないといけない。 それは何なのかです。
>少子化という現象に私が疑問に思うのは、簡略に言えば、なぜ自ら適応度を下げる行動を >多くの個体がしているかのかということです。 ここでの根本的な意見の違いは以前にも指摘しましたが、原因と結果の混同では? 少子化というのは適応度を下げるための「原因」行動ではなく、 何かの遺伝タイプが、適応度が低いために、淘汰されて子孫を残し難くなっていく「結果」なのでは? そしてJA50さんが問題にしているのは「日本の出生率減少」なのですから、ここで対象になるのは 「日本人」という遺伝タイプでしょう。 ただし、この「日本人」という遺伝タイプが実在するとは思えませんが。 >もしそのような個体が多数を占めるとしたら、それは自然選択説の反証じゃないのかと。 この考え方には幾つかの問題があることは、複数の人が指摘しています。 丙午のように一時的な人口減少と「根本的な意味」での違いはないのですから。 「将来の飢餓状態を予測して」人口密度を減らすように動き始めた可能性もありますし。 また、現在、自然選択が働いている(そして少子化遺伝子を持つ個体が減少しつつある)と しても良いわけです。 いずれにせよ、少子化現象をもって自然選択説の反証とするのは強引でしょう。 >例えば、キリンの首じゃありませんが、首が長いか短いかという変異は、全て遺伝ですか? >成長期における食糧状態なども関係しているはずです。 それはそうなんですが、首が長いか短いかという個体差を変異ということは少ないので、 何か違和感を感じるのです。ただ、この件は「形質の個体差をすべて変異とする」でも構いません。
少子化という現象に私が疑問に思うのは、簡略に言えば、なぜ自ら適応度を下げる行動を多 くの個体がしているかのかということです。 もしそのような個体が多数を占めるとしたら、それは自然選択説の反証じゃないのかと。 変異の一部が遺伝するものであることと変異がその生存や繁殖率などに影響するものである ことが自然選択説の必要条件(必要、十分条件は前にクリスさんが言われていたような、、、) です。 全部が遺伝によるものという変異(あるいは個体差と言ってもいいです)であっても自然選 択されるでしょうが、現実問題としてそういうものがどれほどあるでしょうか? 例えば、キリンの首じゃありませんが、首が長いか短いかという変異は、全て遺伝ですか? 成長期における食糧状態なども関係しているはずです。
>「日本人が少子化しているのは、日本人の適応度が下がっているということ」などとは私は >言っていませんが、、、 では、もう一度おっしゃりたいことを整理して簡潔に述べていただけますか? 一番言いたいことは何なのですか? >変異というのは自然選択の中心的な概念です。 >私たちで勝手に変えるのはおかしいです。 >前にも書きましたが、ここはどなたか進化生物学の専門の方の講義を聴きたいところですね。 そんなこと言いましても現実にここに出入りしている「進化生物学の専門の方」はいないのですから。 ないものねだりしても仕方ないでしょう。 長谷川眞理子氏は遺伝による個体差を「変異」と定義をしていることは既にご紹介しました。 そのすぐ後に、環境による変異もあってそれは環境変異と呼ばれる、と続けていますから、 特別な場合を除いて変異といえば遺伝的背景を持つ、ということでよいのでは。 突然変異などはまさにそういう使い方ですし。
>JA50さんのいうような「日本人が少子化しているのは、日本人の適応度が下がっているということ」 >というとは、やはり使い方がおかしいのでは? 「日本人が少子化しているのは、日本人の適応度が下がっているということ」などとは私は 言っていませんが、、、 変異というのは自然選択の中心的な概念です。 私たちで勝手に変えるのはおかしいです。 前にも書きましたが、ここはどなたか進化生物学の専門の方の講義を聴きたいところですね。
>なぜ、変異を一部が遺伝するならという条件を入れたのかを考えれば、変異というのが、 >環境要因と遺伝要因の両方が関わっているからというのは容易に推測できる。 ですから、それでは混乱するから新しく定義しませんか? という提案をしたのですが。反対ならそうおっしゃって下されば無理強いはいたしません。 >え、そうですか? >ABO式血液型だって、その遺伝型と表現型が異なる例が少数ながらあったんじゃありません? 少数の例外にこだわってもしょうがないと思います。 そもそも「遺伝型と表現型が異なる例が少数ながらあった」ってのは環境因子が関与しているのですか? 白血病の治療中に血液型(の判定)が変化するというような話ですよね? それともAB型の遺伝子転座の話ですか? 後者ならまさに遺伝子異常による変異ですが。 >それと、快楽中枢って実際どこにあるんでしょう? 性欲中枢なら聞いたことがあります。 快楽中枢は動物実験などでなら聞いた記憶もありますが、詳しくは知りません。 それから長谷川真理子氏「進化とはなんだろうか」によると、 「適応度とは、様々な遺伝的なタイプについて、次の世代にどれほどその複製が 作られるかを数値で表現したもの」とあります。 その後に色々な例とその計算法などが記載されていますが、結局は「ある遺伝子」が、 子孫に受け継がれていく確率という意味のようです。 JA50さんのいうような「日本人が少子化しているのは、日本人の適応度が下がっているということ」 というとは、やはり使い方がおかしいのでは? 「日本人が少子化する」ということを適応度で説明するなら、少子化遺伝子ではなく、 「日本人」という遺伝的タイプの話になるのでは?とかんじましたが。
>遺伝因子だけで決定される生物の違いを「変異」、 >遺伝因子と環境因子の両方に影響されるものを「個体差」としたらでうでしょう。 >環境因子のみの個体差というのは多分有り得ないでしょうから。。。 これでいくなら、自然選択説の定義の部分の変異を変異と個体差に変えないといけない。 変異の一部が遺伝するならというような定義をしないでもいい。 なぜ、変異を一部が遺伝するならという条件を入れたのかを考えれば、変異というのが、 環境要因と遺伝要因の両方が関わっているからというのは容易に推測できる。 >全部が遺伝という個体差はいっぱいありますよね? >たとえば血液型など。 え、そうですか? ABO式血液型だって、その遺伝型と表現型が異なる例が少数ながらあったんじゃありません? それと、快楽中枢って実際どこにあるんでしょう? ラットか何かの実験で、視床下部あたりのどこかに電極を刺して、ペダルを踏めばそこが刺激 されるようにしておくというようなことの話でしょうか? こういう解剖学的なものがあれば、それは遺伝要因も関係しているだろうという根拠になる という話なのかなと思ったのですが、、、、
(舞い戻った)通りすがりの者 →(舞い戻った)通りすがりの者さん
>「個体差」というと、一般的には「遺伝的背景を持った」ということ >が前提にあると思います。例えば背の高さとか。 ご指摘ありがとうございます。 遺伝因子だけで決定される生物の違いを「変異」、 遺伝因子と環境因子の両方に影響されるものを「個体差」としたらでうでしょう。 環境因子のみの個体差というのは多分有り得ないでしょうから。。。 >>また異なる定義を持ち込んで来られるかたが来た、、、 (舞い戻った)通りすがりの者の定義は「異なる」ものではないように感じました。 >「性欲中枢」はごく一般的に使われている言葉ですね。 そうですね。こちらはしばしば見かける表現です。 「生殖中枢」というのは私は始めて目にします。
>また異なる定義を持ち込んで来られるかたが来た、、、 これは何に関してでしょう? Natromさんの示した「形質」の定義 はごく一般的なもので、私もそれに沿っているつもりです。 ポイントは「遺伝子によって規定されている」ということです(しつ こいって) >たぶん、機能における形質というのを解剖学的な根拠のあるというくらいの意味だと推測する んですが うーん、これ意味不明ですが、まあ、いいです(「少子化という 形質」ってのを訂正されているようなので)。 「少子化という変異」、ってのは生命科学の分野では、明らかに おかしな語法ですが(まあ、せいぜい「変化」でしょう)、動物 行動学ではこのようにも使うのでしょうかね? >例えば、脳の子供を作るとか作らないとかいう神経中枢(視床下部のどこか)をどうとか 言い出せばいいのでしょうか。 こんな風に、投げやりにならないで、「少子化遺伝子」というから には、その遺伝子産物はいったいどのような機能を持ったたんぱく なんだろう、という素朴な疑問に少しでもヒントを出されたらよろ しいのに。 「性欲中枢」はごく一般的に使われている言葉ですね。これも視床 下部です。「生殖中枢」というと、いわゆる下等動物に用いる用語 じゃないかな(詳しい方、フォロウ please) ############# >クリスさん 「個体差」というと、一般的には「遺伝的背景を持った」ということ が前提にあると思います。例えば背の高さとか。
Kondoさん。貴重なご意見ありがとうございます。しかしながら幾つかの点で異論が ありますので述べさせていただきます。 まず、Kondoさんは進化論を誤解されているようです。 進化論は簡単にいえば単純な生物から高等な生物が発生した機構を論じているのであって、 最初の生物が誕生した機構を論じているわけではありません。 ですからこの議論は進化論ではなく生命起原論で論じるべき事柄です。 次に「多細胞生物は単細胞生物と同じ時代には誕生しなかったという前提」ですが バクテリアおよび原核生物の発生の後に真核生物が誕生していることが化石上 明らかにされています。ゆえにこの前提は正しいわけです。 さらに単細胞生物から多細胞生物への中間種の存在およびこれらに関する研究結果は 上記前提を強くサポートしています。さらに他の生物学分科における発見にも これまでのところ矛盾は見出されていません。 また、まず単純なものが出来そこから複雑なものが生じる、と考えるのはきわめて自然な 考え方であり、以上の点から「単細胞生物から多細胞生物ができた」は生物学上の通説です。 これに反する仮説を立てられるのでしたら、その責任は仮説を立てる側にあります。 次に生命の起原に関しては、原始地球の環境下においてメタンやCO、アンモニアなどから アミノ酸や核酸などが容易に合成されることが実験的に示されていますし、 そこから発生しうる原始細胞のモデルが幾つかのグループから提唱されています。 最後に多細胞生物と単細胞生物が同時に現れたと考えることは、現在の生物学に どのような新しい仮説をもたらすのでしょうか?あるいは未だ説明できないどの現象を 説明できるようになるのでしょうか? これらがなければ仮説導入の意味がありません。
>>また、全部が環境、全部が遺伝などとい個体差はあり得ません。 >うーむ。これは反論の余地のないご指摘ですね。 >では、以前の定義は撤回します。 これは撤回。全部が遺伝という個体差はいっぱいありますよね? たとえば血液型など。 全部が遺伝による個体差を「変異」、環境因子が影響するものを「個体差」とすれば混乱は減るのでは? 実際、 長谷川眞理子氏はそういう定義をしている所もあります。 (別の定義をしているところもあるが)
この本はなかったので 長谷川眞理子著の別の本を借りてきました。 岩波ジュニア新書「進化とはなんだろうか」 進化と人間行動の前文にはこうあります。 「人も動物であり、しかし人はどのように特殊な動物であるかということを考えることは、 地球規模での環境問題や核管理問題などを論じるときの基本的視座となるはずです。」 「進化とはなんだろうか」にもこうあります。 「進化といった場合には、適応と自然淘汰ばかりでなく、非適応的で自然淘汰によらないもの もいくつもあります」 そして、今までの多くの意見から考えても、やはりJA50さんの解釈にはちょっと無理があると思います。
>それから察するに、巨大症と多指症 >を合併した一種の遺伝子疾患であったとも考えられます。 多指症が遺伝的疾患なのかどうかよく知りませんが(発生段階の異常が主じゃないかしら)、 もう一つの巨大症って何なのでしょう? acromegaly? でも、これって成長ホルモンの過剰分泌によるもので、多くが下垂体腺腫なんでしょう?
>(舞い戻った)さん また異なる定義を持ち込んで来られるかたが来た、、、 たぶん、機能における形質というのを解剖学的な根拠のあるというくらいの意味だと推測する んですが、それなら少子化という変異(これを形質というのは間違っている可能性が強い) が、例えば、脳の子供を作るとか作らないとかいう神経中枢(視床下部のどこか)をどうとか 言い出せばいいのでしょうか。 「脳の性欲中枢」とか言うのが許されるのなら「脳の生殖中枢」でも。
>性機能が強い形質という用語の使い方は、私が使った少子化という形質というのと同じ で 私の場合、形質を生物学用語として使用しています。「形質」という言葉の最も 重要な点は、「遺伝子によって支配されている性質である」という点です。別の 言葉で言えば、「分子レベルで説明が可能」であるとも言えます。ちなみに、 「形質」という言葉に「機能」まで含めることに異論がありますでしょうか? それはともかく、一歩さがって「性機能が強い」ということは、「いくつかの形質」 によって規定される「表現形」である、といい直したほうがしっくりきそうです。 「いくつかの形質」とは、例えば「脳の性欲中枢の活性が高い」「生殖器官の構造が 強固」エトセトラエトセトラ。無論、心的要素は除外して考えてください。ただし、 これらが遺伝子によって規定されていることはまちがいないと思われますが、個体が 生物学的に「性機能が強い」という状態にいたるまでに環境要因を100%は除外 できないとも思います。 一方、「少子化」が形質であり、「子供が何人いるか」は「少子化遺伝子」に規定される ところの「変異」である、というのは少なくとも生物学的定義からすれば全くの誤りです。 生物学的に言えば、「その女性が最大何人の子供を産み得るか」はいくつかの形質によっ て規定されている可能性があると思います。「少子化遺伝子」は全くの想像の産物でしょ う。分子生物学的にも想定のしようがありません。もし、想定できるのなら、少しでも良 いから分子メカニズムを示してください(例えば横レスさんの「快楽理論」のような)。 繰り返しますが、「少子」(この場合、子供が欲しいのになかなかできない、という 生物学的な意味で言っています)であれば、遺伝子によって規定されているいくつか の形質に由来する「表現形」である、といえるかもしれません。 当然、「子供が何人いるか」は表現形でもあり得ませんし、変異とも言いようが ないです。考え直してみれば、「形質」とか「表現形」とかは「個体」について の定義じゃないでしょうか。 別な定義があるのなら、それを示してから、話をしないと混乱の元です。 >現代日本において少子化という行動(これは少子化という行動をとる個体が優勢になったた >めに統計的に見られるようになっています)が適応的かどうか。 最初からこういうふうに話を出せば、「科学的議論」と感じられたでしょう(ジャンル的に 言えば社会科学かもしれませんが)。 #生命科学的観点を含めて議論するのなら、もっと分子生物学や生化学の基礎知識に基づ #いた話の展開を望みます(でないと「擬似科学的」に見えてしまいます) ちなみに私の下の書き込みで、「純粋に神経系、、、」は、医学的にまったくおか しいです。「脳の高次機能に直接関係ない」ぐらいに直させてください。
現代日本において少子化という行動(これは少子化という行動をとる個体が優勢になったた めに統計的に見られるようになっています)が適応的かどうか。 私は、適応的だとする環境を思い浮かびません。 これでは検証するための仮説も立てられない。 ここは、そうじゃなく、何か適応的な意味があるのだと主張する人に、その適応的だとする 環境を提示してほしい。 現代が飢餓状態で、子供を2人以上も育てるのは無理だというのなら、1人しか産まないと か、自分は産まずに兄弟の子を育てるのを手伝うというのが適応的になりますが、とてもそ ういう環境に日本があるとは思えないのです。 ですから、こういう環境が少子化(特殊合計出産率が2を切る状態)に適応的だと例を挙げ てほしい。そうしてくれると議論が前に進む。
>クリスさんは環境によって個体差が起こったものを変異とは言わないとされているよう >ですが、この定義ではNATROMさんも指摘されていますがラマルキズムを扱えません。 確かにそうですね。まあ本音を言えばラマルキズムは扱う必要はないと考えてるもので。 >また、全部が環境、全部が遺伝などとい個体差はあり得ません。 うーむ。これは反論の余地のないご指摘ですね。 では、以前の定義は撤回します。 >それに自然選択説の解説にもありましたが、変異の一部が遺伝するということで全部であ る必要はない。 これも了解。 >私は、適応的な行動とはどうしても思えない。 私にも思えないですよ。でも、可能性は否定できない、とも思います。 >となれば、それは過去において適応的な行動だったのだが、現代においては不適応になっ たのだろうとするしかない。 ここが議論の中心ですよね?「〜とするしかない」のか、別の説明が可能なのか。 「〜とするしかない」としているのは、今のところJA50さんだけですよね? 他の人は全て「別の説明が可能だろう」と言ってるんです。
氏か育ちかのどちらかじゃなく、氏も育ちもなんです。 変異が一部遺伝によるものなら、というのが自然選択説の前提ですから。 の変異が本当に遺伝的関与があるのかどうかを、具体的な遺伝子を示して関与アリとして いるのを見たことはほとんどありません。 少子化遺伝子のために少子化している(ある環境に適応しようとして少子化という行動を しているということ)としたら、それが適応的などうかなんです。 私は、適応的な行動とはどうしても思えない。 となれば、それは過去において適応的な行動だったのだが、現代においては不適応になっ たのだろうとするしかない。じゃ、それは何かと。
性機能が強い形質という用語の使い方は、私が使った少子化という形質というのと同じ で、これをクリスさんに指摘されたんです。 私も言われてこれは少し使い方としてはおかしいと思ったのです。 性機能という形質があり、そこに強い人や弱い人がいる、それを変異と言うべきじゃな いかと思うのです。この変異、性機能が強いとか弱いという個体差は、一部その個体が 育ってきた環境に影響されているでしょうし、一部は遺伝要因でしょう。
学問分野によって微妙に定義に差があるんですよね。 生物学一般と進化生物学で違うだろうし、さらに進化生物学でも形態のみを扱っているか、 行動を扱っているかで違う。 ここは、専門家の講義を聴きたいところです。 私はディレッタントに過ぎませんから、、、 クリスさんは環境によって個体差が起こったものを変異とは言わないとされているようで すが、この定義ではNATROMさんも指摘されていますがラマルキズムを扱えません。 また、全部が環境、全部が遺伝などとい個体差はあり得ません。 それに自然選択説の解説にもありましたが、変異の一部が遺伝するということで全部であ る必要はない。
Kondoさん> > 進化論には必要な前提があります。それは最初に生命が誕生したということです。 違います。進化論はせいぜい40億年前までの化石記録と現在の生物から 生物の仕組みと歴史を調べるものなので、それ以前の出来事を前提としてはいません。 これは例えていうならば、1年前の事件を検証する裁判が、 百年前の事件を前提としていないのと同じことです。 たとえ百年前の判決が覆ってもそれ以降の判決がすべて無効になったりはしません。 > これがないと進化論は無意味です。それはちょうどりんごが地面に落ちないのに重力について論じるようなものです。 重力理論は物が落ちることを出発点としていますが、 進化論は生命誕生を出発点としてはいません。 > しかもそれは、最初に単細胞生物だけが誕生したという前提でなければなりません。つまり、多細胞生物は単細胞生物 と同じ時代には誕生しなかったという前提です。これが確認されないと、進化論は成り立ちません。 意味不明です。Kondoさんが進化論を誤解しているだけでは? もし何らかの根拠があるのなら示してもらえると嬉しいです。 > 逆に、単細胞生物が創造論のいうように創造されたなら、多細胞生物も同じ時期に誕生したといえます。ですから、進 化論は生命起源の問題を避けてはとおれないと思います。 進化論は(昔はともかく、現在は)創造論とは全く関係のない学問なので、 創造論が何を言おうと何の影響もありません。
話が速過ぎてついていけなくなってますが、疑問点を二つ(とりあえずこっちに投稿します)。 1.近年の少子化に遺伝の影響があるとしても、それは「氏か育ちか」遺伝か環境かどちらの影響が 強いかということになる。環境の影響の方が強ければ遺伝の要素は自然選択の対象にならないの ではないか。 2.ベビーブームまでは合計特殊出生率は高かった。今子供を産むことが期待されている者は、その ベビーブーム世代の子供である。今の少子化が「少子化遺伝子」のためだとしても、それはまだ自然 選択を受けていないのではないか。だから自然選択説の反証にもならないのではないか。
実に言い得て妙ですね>横レスさん 例えば、性機能が強い(俗に言う精力絶倫の人)という「形質」(おそらく 複数の遺伝因子により決まっている)を持つ人は性交渉を快楽と考え(横レス さんの言う「快楽」ですよぉ)、それにつながるような行動を好む可能性があ る。一方、性機能が弱いという形質を持つ人は、もっと別な事を快楽と感じ、 例えば、社会的地位の向上とか、個人的趣味の追求(エトセトラエトセトラ) などにつながる行動をするかもしれない。 (以上は、純粋に神経系以外の部分(形質)から、「脳が感じる快楽」に影響 があるかもしれない、という話で、横レスさんの話や、少子化とは関係ない話 です) ただ、快楽説の問題は、同じ遺伝素因を持つ個体(例えば一卵性双生児)でも、 異なる行動を選択する可能性があるということですかね。 同じ問題提起を繰り返しますが、人間は、少子化という現象を人為的にコント ロールする能力がある(可能性を持っている)。このような事象は、自然選択 説などの扱う範疇に入るのでしょうか? #ちなみに少子化にダイレクトに関連づけられる「形質」といったら「不妊 #(註。各種原因を含む)」でしょうかね。
「遺伝学においては」という前提の有無がありましたね。失敬。 するとここはやはり「遺伝学的には」としておきます。
>変異 ふつうには起源を同一にする細胞あるいは個体あるいは集団間に見られる形質の >相違をいう。遺伝的変異のほかに、外部環境の力で生じた非遺伝的変異(環境変異)もある この定義自身が「遺伝学においては、表現型として現れる各種の遺伝的性質。」 という形質の定義と矛盾していますが? やはり、普通は「日焼けして皮膚の色が変化しているのを、変異とは言わない。」と思います。
形質と変異の定義 >NATROMさんは、形質とか変異の定義をどういうようにされているのでしょう? 私もこれまでなんとなく使ってきた言葉なので、あらためて定義を聞かれると困ります ねえ。テキトーなことを言っても混乱が増すだけなので、岩波生物学辞典4版から抜粋 しました。 形質 もともとは生物の分類の指標となる形態的要素をさす。その意味では特徴、標徴 ともよばれる。遺伝学においては、表現型として現れる各種の遺伝的性質。 標徴って言葉、はじめて見ました。それはともかく、遺伝学では形質と言うだけで遺伝 的な性質があるとみなしているようです。ついでに表現型もひきましょう。 表現型 単位形質あるいはその集合がどのような型で発現されるか、その型をさす。 単位形質ってなんだ? 単位形質 メンデル性遺伝をする形質 なるほど、マメの色やABO式血液型は単位形質なわけですね。身長は多くの遺伝子が関与し ますので、単純なメンデル性遺伝はしません。身長は、単位形質ではなく、その集合として の表現型ですね。 変異 ふつうには起源を同一にする細胞あるいは個体あるいは集団間に見られる形質の 相違をいう。遺伝的変異のほかに、外部環境の力で生じた非遺伝的変異(環境変異)もある 環境変異が次世代に影響を与えるという説がラマルキズムですね。最近の話題は、子どもを あまり生まないという性質が遺伝的変異なのかそれとも非遺伝的変異なのか、もしその性質 が遺伝的変異だとすれば、その利点はなにか、あるいは利点などなく自然選択説の反証とな るのか、というところでしょうか。
>皮膚の色という形質において、どれほど黒いかというのは個人差がある。 >この個人差を変異と言う。 「生まれつき」の個人差なら変異でよいと考えます。 >その個人差には、遺伝的な要因も関与しているし、当人がどれほど紫外線にあたったかという >環境要因も関与しているでしょう。 環境因子が入ってきた場合は変異とは言わないでしょう。それは「個体差」では? >日焼けして黒い人を黒人とは言わないということの意味が分からない。 白人がいくら日焼けしても「黒人」にはならない。ということです。 >それと日焼けにしろ何が原因にしろ、どれほど黒くなるかというのには個人差があるはずです。 >これをクリスさんは何と言うのでしょうか? JA50さんご自身も使っているではないですか。「個人差」「個体差」です。 既に適切な用語があるのに、わざわざ「変異」と言い換える必要があるのですか? 紫外線をある閾値以上浴びたときに「どこまで黒くなるか」は人種差などの遺伝的因子が 関与するでしょう。それならば形質といえるでしょう。
皮膚の色という形質において、どれほど黒いかというのは個人差がある。 この個人差を変異と言う。 その個人差には、遺伝的な要因も関与しているし、当人がどれほど紫外線にあたったかという 環境要因も関与しているでしょう。 日焼けして黒い人を黒人とは言わないということの意味が分からない。 それと日焼けにしろ何が原因にしろ、どれほど黒くなるかというのには個人差があるはずで す。これをクリスさんは何と言うのでしょうか?
今月号の岩波科学に、「進化と人間行動」の著者、長谷川寿一と長谷川真理子による 殺人について進化生物学(進化心理学)的考察をした論文が載っています。 面白いです、是非、一読を。 特に、日本は欧米諸国に見られる20代前半に殺人のピークがあるというカーブがな いそうです。1955年とか60年頃には、諸外国と同様にピークがあったのに、そ れが急速に減少し、近頃は中高年による殺人数と変わらなくなっている。これがなぜ かという考察が面白い。
>ではどうしたら多細胞生物が単細胞生物と同時代に誕生しなかったと確認できるでしょうか。 >それは、単細胞生物の誕生を論じるしかありません。 これは間違っています。 地質学的に古い地層から単細胞生物の化石だけが発見されればよい。 生物がいない地層→ 単細胞生物の化石のみの地層→ 単細胞生物と多細胞生物の化石が混じった地層 というのが古い順であることが証明されればよい。 ってことで証明されているはずですが。
>ではどうしたら多細胞生物が単細胞生物と同時代に誕生しなかったと確認できるでしょうか。 1.単細胞生物しか存在しなかった時代があった 2.多細胞生物は単細胞生物を起源とする これらのうちどちらかが確認されれば多細胞生物が単細胞生物と同時代に誕生しなかったと言えるでしょう。 必ずしも単細胞生物の誕生を論じる必要はありません。 そして、実際に2.がほぼ確認されています。 >>単細胞生物が自然発生したのなら、多細胞生物はずっと後に誕生したということが可能でしょう。 >>しかし、それは確認されていません。 >???確認されているでしょう?あなたが知らないだけじゃないんですか? 単細胞生物が自然発生したこと自体はまだ確認されたとは言えないかもしれません。 しかしながら、多細胞生物はずっと後に誕生したということは上記2.によって確認されています。
「子供を何人産むかというのが形質。その中で、0、1、、、10など変異が存在する。」 「子供を何人産むか」に後天的因子が大きい以上、形質とは呼ばないでしょう。 日焼けして黒い人のことを「黒人」とはいわないのと同じです。 子供の数が 0、1、、、10と違うのも、同じです。 日焼けして皮膚の色が変化しているのを、変異とは言わない。
>クリスさんの、自分は形質にこういう定義をしている、変異とはこういう意味だというのを >示していただけますか? 変異とは遺伝子の変化の結果そのもの。形質とはその生物に生来備わっている(主に外見的な)特徴。 と理解しています。 >それと、合計特殊出生率は統計上、一人の女性が生涯に産む子ども数であって、「能力が >ある」ということではありません。まさに「一生で平均何人の子供を産むか」です。 それは分かってますよ。だから遺伝の影響を受けるとは限らない、と指摘しているのです。 遺伝によって規定されるのは「最大ここまでは可能」という形質です。 身長は何cmまで伸びるか、寿命は何歳まで伸ばせるか、子供は一生で何人産めるか。 その上限(の平均値)は遺伝子によって制限されるでしょうが、上限以下の場合は、 環境因子の影響を受けるのです。そのことを指摘しています。
私のあの定義は進化生物学での一般的な用法だと思いますが、、、、 クリスさんの、自分は形質にこういう定義をしている、変異とはこういう意味だというのを 示していただけますか? それと、合計特殊出生率は統計上、一人の女性が生涯に産む子ども数であって、「能力が ある」ということではありません。まさに「一生で平均何人の子供を産むか」です。 今日の日経新聞によると、1999年度の合計特殊出生率は1.34だそうです。 1.5を切るというのはこれは動物として極めて異常な事態だと思います。 ps NATROMさんは、形質とか変異の定義をどういうようにされているのでしょう?
母親が一生で平均何人の子供を産むか、ならば、生物に特有な遺伝的値(あたい)が存在するでしょう。 母親が一生で平均何人の子供を産む「能力がある」か、ならば、生物に特有な遺伝的値(あたい)が存在するでしょう。
>間違っていると「思う」というだけは前に進みません。 あの定義はJA50さんが持ち出した定義なのですから、正しいと証明する義務はあなたにあります。 >私の形質や変異という用語の使い方や、定義が間違っていると主張なさるなら、どこが間違って >いるかを指摘しないと、、、 「子供を何人産むかというのが形質。その中で、0、1、、、10など変異が存在する。」 母親が一生で平均何人の子供を産むか、ならば、生物に特有な遺伝的値(あたい)が存在するでしょう。 それなら形質と言えるかも知れません。平均で考えるべきなのでは? 変異にいたっては説明の必要があるのですか? 遺伝的因子より他の因子の影響が遥かに大きいはず。 >それもできれば、根拠を示していただけるとありがたい。 あのような使い方を今までに見たことも聞いたこともないからです。 >個体が将来予測して、少子化しようとするか、多産化しようとするか、それを選ぶときに少しでも >遺伝的影響があれば、それは自然選択説の範疇に入ります。 それは集団が隔離されている場合のはずですね? 日本人は過去も現在も、雑種化が進行している途中のはずですが。
>進化論には必要な前提があります。それは最初に生命が誕生したということです。 >これがないと進化論は無意味です。 現在生命が存在するのですから、これは進化論とは独立した「事実」です。 その生命を産んだ「最初の生命がいた」=「最初に生命が誕生した」というのも、 推論により導かれる当然の結論です。進化論以前の理の当然です。 >それはちょうどりんごが地面に落ちないのに重力について論じるようなものです。 >当たり前のようですが、これはとても大切なことです。 例えとして適当かどうか不安ですが、異論はありません。 >しかもそれは、最初に単細胞生物だけが誕生したという前提でなければなりません。 >つまり、多細胞生物は単細胞生物と同じ時代には誕生しなかったという前提です。 >これが確認されないと、進化論は成り立ちません。(りんごが地面に落ちるのは確認されています。) 現代の生物学者はほとんどそう考えるでしょう。ただそれは、そう考えるのが自然だからで そうでなければ進化論は成り立たないというのはちょっと、理論に飛躍では? >単細胞生物が自然発生したのなら、多細胞生物はずっと後に誕生したということが可能でしょう。 >しかし、それは確認されていません。 ???確認されているでしょう?あなたが知らないだけじゃないんですか?
間違っていると「思う」というだけは前に進みません。 私の形質や変異という用語の使い方や、定義が間違っていると主張なさるなら、どこが間違って いるかを指摘しないと、、、 それもできれば、根拠を示していただけるとありがたい。 個体が将来予測して、少子化しようとするか、多産化しようとするか、それを選ぶときに少しでも 遺伝的影響があれば、それは自然選択説の範疇に入ります。 その集団の多数が少子化したらどうなるか、多産化したらどうなるかということの心配は自然選択 はしないということ、これを自然選択は将来予測などしないと表現しました。 でも、まだ表現としては不適切な感じがします。 これは前にも書きましたが、「進化と人間行動」を読んで、ご自分で動物行動学とはこういうもの だというのをつかんでもらうしかないです。 私の理解も偏っているとおそれが十分あると思うし、、、
>形質や変異というのは定義です。用語の定義をしたのです。 あの定義はおそらく間違っているだろうということを指摘したのです。 >集団をどこで区切るかというのは、対象を選ぶという科学研究の最初じゃないでしょうか。 ですから、そこを間違えていないか?ということは常に問い続ける必要があるのでは? >自然選択は、将来こうなるだろうと予測したりしません。 >これは自然選択説の大原則です。 ですから「人間が将来を予測する」以上、自然選択は適応できなくなる「可能性」があるでしょう。 >日本人の多くが将来こうなるだろうと予測して少子化しているというのは進化的に不安定です。 そうかもしれません。 >そういう集団中には、自分だけ多産にして子孫を増やそうとするものの侵入を許し、そういう >ものたちによって置き換わってしまう。 >そして、環境が許す最大限の個体数に収まるようになって安定する。 そうかも知れません。今現在その過程にあるという可能性はあります。
クリスさんとJA50さんとあきさんへ ご意見どうもありがとうございます。 進化論には必要な前提があります。それは最初に生命が誕生したということです。 これがないと進化論は無意味です。それはちょうどりんごが地面に落ちないのに重力につい て論じるようなものです。当たり前のようですが、これはとても大切なことです。 しかもそれは、最初に単細胞生物だけが誕生したという前提でなければなりません。つま り、多細胞生物は単細胞生物と同じ時代には誕生しなかったという前提です。これが確認さ れないと、進化論は成り立ちません。(りんごが地面に落ちるのは確認されています。) 単細胞生物がどう誕生しようと、進化論は成り立ちます。だから、生命起源の問題と進化論 は互いに独立した分野のように見えます。しかし、多細胞生物がどう誕生したかについては そうはいえません。ではどうしたら多細胞生物が単細胞生物と同時代に誕生しなかったと確 認できるでしょうか。それは、単細胞生物の誕生を論じるしかありません。単細胞生物が自 然発生したのなら、多細胞生物はずっと後に誕生したということが可能でしょう。しかし、 それは確認されていません。 逆に、単細胞生物が創造論のいうように創造されたなら、多細胞生物も同じ時期に誕生した といえます。ですから、進化論は生命起源の問題を避けてはとおれないと思います。そうで ないと、りんごが地面に落ちないのに、重力について論じることになって市まします。 皆さんのご意見をお待ちしています。
投稿できませんね。 調子が悪いのかな、、、
創世記は単細胞生物について何か言ってますか? 私の記憶では、細菌や原生動物など、人間の肉眼では見えないような微少な生物については 何も言及が無かったように思うのですが、、、 私の記憶違いでしょうか?
(改行を挿入しました(管理者))クリスさんとJA50さんとあきさんへ ご意見どうもありがとうございます。 進化論には必要な前提があります。それは最初に生命が誕生したということです。 これがないと進化論は無意味です。それはちょうどりんごが地面に落ちないのに重力について論じるよう なものです。当たり前のようですが、これはとても大切なことです。 しかもそれは、最初に単細胞生物だけが誕生したという前提でなければなりません。つまり、多細胞生物 は単細胞生物と同じ時代には誕生しなかったという前提です。これが確認されないと、進化論は成り立ち ません。(りんごが地面に落ちるのは確認されています。) 単細胞生物がどう誕生しようと、進化論は成り立ちます。だから、生命起源の問題と進化論は互いに独立 した分野のように見えます。しかし、多細胞生物がどう誕生したかについてはそうはいえません。ではど うしたら多細胞生物が単細胞生物と同時代に誕生しなかったと確認できるでしょうか。それは、単細胞生 物の誕生を論じるしかありません。単細胞生物が自然発生したのなら、多細胞生物はずっと後に誕生した ということが可能でしょう。しかし、それは確認されていません。 逆に、単細胞生物が創造論のいうように創造されたなら、多細胞生物も同じ時期に誕生したといえます。 ですから、進化論は生命起源の問題を避けてはとおれないと思います。そうでないと、りんごが地面に落 ちないのに、重力について論じることになって市まします。 皆さんのご意見をお待ちしています。
形質や変異というのは定義です。用語の定義をしたのです。 集団をどこで区切るかというのは、対象を選ぶという科学研究の最初じゃないでしょうか。 生物という集団、動物という集団、脊椎動物という集団などなど。 そして、最後は化学物質にまで至る。 >現在の日本の少子化は、ある意味で日本人全体が「将来を予測して」選択した行動とも言えるでしょう。 自然選択は、将来こうなるだろうと予測したりしません。 これは自然選択説の大原則です。 日本人の多くが将来こうなるだろうと予測して少子化しているというのは進化的に不安定です。 そういう集団中には、自分だけ多産にして子孫を増やそうとするものの侵入を許し、そういう ものたちによって置き換わってしまう。 そして、環境が許す最大限の個体数に収まるようになって安定する。
トンデモじゃありません。 れっきとしたネーチャー。 >この彗星 >が生命の素を運んできたかもしれない。それも完全に >形成された生物を運んできたかもしれないのである。 ヴェリコフスキー再び? 私も、地球の生物は火星に生まれたというのに賭けてます。http://www.naturejpn.com/newnature/bionews/bionews-j.html
>子供を何人産むかというのが形質。その中で、0、1、、、10など変異が存在する。 そもそものこの部分が、仮定に過ぎないのでは? 証明されているのですか? >が、そうじゃないとして話を進めます。 それで話がかみ合わなかったのでしょう。 「こういう仮定で理論を構築した。この理論自体には矛盾はない。」というのは正しいです。 ところが「だから、この理論は正しくて、その前提である仮定も正しい」としていませんか? >少なくとも、少子の家系や多産の家系があることを示す必要があると思います。 さらにそれが遺伝によるものである(環境や習慣、社会制度によるものではない)ことを示す必要があるでしょう。 >その通りで、ある個人の行動を動物行動学では論じることはできません。 >日本人というようなある集団において、こういう行動が多く見られる(これは統計的にと >いうことと同じでしょう)が、それはどういう適応的意味があるのかというようなことを >研究するのが動物行動学です。 東京都民とか、足立区民とかの集団でもよいわけですよね?アジア全域とか、世界全体でも。 とすると、どこで集団を区切るべきなのかというのは大きな問題では? 「日本」で区切ることに特別の意味があるのでしょうか? またこれでは、適応的意味を探ることだけが動物行動学の目的であるように思えますが、 それは事実ではないのでは? >ま、それはそれとして、生物は適応度を最大化するように行動する、ってのが動物行動学 >の大原則です。 それは理解できますが、例外もあるでしょう? また、適応度を最大化するように行動すれば、種の存続に有利か、といったらそんなことはない。 ロッキー山脈の森で、オオカミが滅びそうになったのは、オオカミが増えすぎて餌となるシカが激減したからでしょう。 そして、人の最大の特徴は「未来を予測する」という能力があることです。 時間の概念があり、将来を予測して、それに備えることができるのは人間だけの筈。 (冬眠の準備とか、そういう本能的なものは別として) 現在の日本の少子化は、ある意味で日本人全体が「将来を予測して」選択した行動とも言えるでしょう。
>クリスさん >個人個人をいくら研究しても集団としての人類を知ることはできない。 >どうしても集団性というものを考える必要があるのです。 >集団性とは全体確率性のことです。 その通りで、ある個人の行動を動物行動学では論じることはできません。 日本人というようなある集団において、こういう行動が多く見られる(これは統計的にと いうことと同じでしょう)が、それはどういう適応的意味があるのかというようなことを 研究するのが動物行動学です。 >後藤さん >子供を生み育てる環境が、先進国が途上国より劣悪かという問いは、先進国で、 >先進国らしい暮しをする場合、イエスと言えるかもしれませんよ。 こう言われてしまうと身も蓋もないんですが、私の感情としては、それは先進国の人間の 甘えだと言いたいんです。 ま、それはそれとして、生物は適応度を最大化するように行動する、ってのが動物行動学 の大原則です。 ライバル(対立遺伝子と言ってもいい)、例えば生涯に3人産む、4人産むんでも、それ らが環境要因によって1人程度しか成長しないというような環境なら、1人産むないし2 人産むとい方が適応的です。 しかし、日本はそうじゃない。 1人産んで遊びたいという変異(この変異に遺伝的影響が少しはあるとします)を持つ個 体より、4人産んで子育てをガンバリという変異を持つ個体の方が子孫を増やすはずです。
クリスさんから指摘されていたことですが、私は形質という用語を曖昧に使いすぎていた。 こういう科学的な議論をしている場合には、できるだけ使用用語は厳密でないといけない。 以後、私は形質、変異というのを次のように使うことにします。 少子化ということで説明してみます。 子供を何人産むかというのが形質。その中で、0、1、、、10など変異が存在する。 この変異に、遺伝的影響が0だとしたら、それは自然淘汰では進化は起こらない(進化とい うのは遺伝的頻度の変化ですから)。なぜこのような行動が進化してきたのかということを 研究する動物行動学の対象にはならない。 が、そうじゃないとして話を進めます。 動物行動学というのは、動物のいろいろな行動がどのように進化してきたのかということを 研究する学問ですので。 しかし、本来は、少子化あるいは逆に多産化というのが、遺伝するものであるということを 証明する必要があるでしょう。少なくとも、少子の家系や多産の家系があることを示す必要 があると思います。 >へちさん >だとすると、少子化は自然選択説の反証ではなくなりますね。 >少子化遺伝子は適応的だったので増えた。 言われるとおりです。 私もダーウィン主義者の一人ですので、少子化遺伝子が適応的(過去において)であって くれないと困るんです。
見当違いの印象が否めない。 #無視されているが、「少子化」は形質ではないでしょう。「少子」 #なら形質である可能性があるが 少子化ってずばり女性の社会進出、あるいは経済優先、といったよ うな社会的要因(あるいは、何を自分の人生の優先事項にするかと いった心理的要因)による産物ではないのですか。 いま、厚生省が少子化をくいとめようと、いろいろ考えていますが、 仮にそのような政策(方策)によって、少子化にストップがかかった 場合、どういう理論で説明するんでしょう?
例えば水の分子3個を1セットだけを取り出してみると、それは、氷でもないし、水蒸気でもない、さらに水でもありません。 ところが、コップ一杯の水の液体は、氷という固体にもなり水蒸気という気体にも相転移をします。 つまり、これは小さなシステムが集まり「大きなシステム」や「複雑なシステム」なると新しい性質を獲得することをあらわすわけです。 このことは物理現象のみならず、進化や環境への理解、社会現象において、顕著にあらわれる。 物理現象より無限の連続性がより複雑に絡み合っているのである。 個人個人をいくら研究しても集団としての人類を知ることはできない。どうしても集団性というものを考える必要があるのです。 集団性とは全体確率性のことです。 こうした全体確率性を記述するには総合的な基礎にたった、新しい数学が必要となります。 なぜならこうした総合的な複雑なカオス系の進化を記述するには従来のベースでは不可能だからです。 われわれは、これを記述する為の統計学的手法を開発してるのです。
先進国では水道、電気から食料に至るまでどんどん便利になって、 だもんでみんなお金で快適な生活をおくるようになっているわけです。 人間見栄があるから、周りがオシャレで文化的な生活を送っている中、 自分も湯水のようにお金を使って快適な生活をエンジョイします。 買ってくる食料も、コストでは有利といえない小分けにされた調理済み の惣菜だったりするし、エアコン入れれば「無しではすごせない」 と言って年中電源入りっぱなし。家を買わなきゃってんで何十年ものローンを 組む。 総合的に収入は多いでしょうし、豊かな生活を送れるでしょうが、それを維持する のは結構大変です。 昔の日本とか、発展途上国では、子供をガンガン生んで、小さい時から家の手伝い をさせたり、奉公に出したりしていました。子供を労働力とみなせば、たくさん生む ことは生活のために不利とは言えません。しかし、現在の日本で子供を小学校にいかせず 働かせたら児童福祉法違反ですよね。でもって、義務教育だけで済ますならまだいいけど、 今どき高校も行かせないのでは世間体が悪い、というか、大学まで親の金で行かせるのが 「普通」になっている。この状況で、子供を生むと、ホント苦労します。 子供を生み育てる環境が、先進国が途上国より劣悪かという問いは、先進国で、 先進国らしい暮しをする場合、イエスと言えるかもしれませんよ。
>私は今、過去において適応的な形質だったのが、現在において何かに異常反応を起こした >結果じゃないかと思い始めています。 だとすると、少子化は自然選択説の反証ではなくなりますね。 少子化遺伝子は適応的だったので増えた。 環境が変わって適応的でなくなったので少子化が起こった。 少子化遺伝子は自然選択によって減っている(かどうかは実際はわかりませんが)。 これで自然選択説と矛盾しなくなります。
>人間には自由意志があってというのは分かっています。 >しかし、その意志による決定にも、感情とか好みとかそういう部分による影響があって、個人によって >Aを選んだり、Bを選んだりするわけですよね。 >そこに、遺伝的影響が関与しているんではないかと。 >ただし、100%の決定力があると言っているのではありません。 ここまでは全くの同感です。 >ちょっとの影響力、1%でもいいです、それが蓄積することで、長時間かけて大きな変化が起こる。 >自然選択説ってのはこういう説ですから。 ここなんですね。私が感覚的に同意できない部分は。 影響力は1%もないんじゃないか?自然選択に影響するほどの大きさではないんじゃないか? もしあったと仮定しても、その影響が出るのはずっと将来ではないか? そんな感じがするのです。
少子化の問題は、「進化と人間行動」の著者自身が、大きな謎であると書いているように、自然選択説 で人間行動を説明する上で難問です。 難問だということは、面白いということで、私のようなディレッタントにも興味深いわけです。 私は今、過去において適応的な形質だったのが、現在において何かに異常反応を起こした結果じゃ ないかと思い始めています。NATROMさんのメッセージに触発されてそう考え出してあれこれ屁理屈 を考えているんですが、さて、、、
人間には自由意志があってというのは分かっています。 しかし、その意志による決定にも、感情とか好みとかそういう部分による影響があって、個人によって Aを選んだり、Bを選んだりするわけですよね。 そこに、遺伝的影響が関与しているんではないかと。 ただし、100%の決定力があると言っているのではありません。 ちょっとの影響力、1%でもいいです、それが蓄積することで、長時間かけて大きな変化が起こる。 自然選択説ってのはこういう説ですから。
う〜ん、激しい議題になっていますね・・・ 自分の考えた「ある単位面積あたりの個体数」のアイデアは、単なる人口密度とは違う言い方というか 考え方をしたかったんですね。 でも、見なおして見て、「これは人口密度と意味が変わらんじゃないか!」と思ってしまいました。 自分が言いたかったのは 1.単純な面積ではなく、生物学的に固体が必要とし得る環境面積 2.人口密度によって受けるストレスを緩和できる生存環境 3.人間が繁殖を必要とする圧力が、人口を抑制しようとする圧力を超えているバランス というものを考えた「環境としての単位面積」です。 余計な混乱をさせてしまいました・・・ 済みません。 ですから、一番クリスさんの考え方というか、レスが自分の考えを良くくみとって頂けたと思います。 >JA50さん 誤解する書き方をしてしまい、申し訳ありません。 次回からは、もう少し詳しく、正確な表現をします。 あ、ふと思いついたのですが、人口の少子化というものには個々の人間の欲求が満たされる割合が関係 するような気がします。 先進諸国では個々の人間の欲望が満たされるケースが多いですよね。 それが逆に、生物としての人間の繁殖する理由(欲望、本能?)を妨げてしまうのでは? 寿命の問題がそれに絡んできそうな気もします。 ちこっと風邪気味なので、夜にでも考えを纏めてカキコしますね。 もしかしたらツリーの方にしたほうが良いカモ。
結局、人間は意志の力で、知性によって避妊ができるわけですから、動物とは違うのではないでしょうか。 発展途上国では避妊や堕胎のための資金や教育が不足しているとか、SEX以外の娯楽が少ないとか、 そういう因子も考慮する必要があるでしょう。
>閾値を超えて因果関係が出現しているとしたら、その因果関係とは何なのでしょうか? 何が原因か?ということですね? それはちょっと分かりません. >栄養、排泄処理などが日本やヨーロッパ諸国などは劣悪だから少子化しているという因果関係 >でしょうか、それとも栄養や排泄処理などの環境が良好だから少子化しているというのでしょ うか? 栄養、排泄処理などが一般大衆の知性で理解できるほど、劣悪化しているのかもしれません。 良好だからというのはないように感じますが。 >私は、環境が劣悪だから少子化するというのは理解できますが、日本やヨーロッパ諸国が >東南アジアや中南米より環境が劣悪だとはとても思えません。 それで良いのではないでしょうか。 式としては「環境の劣悪度」×「大衆の認知度」みたいなものを想像しますが。
相関がないのなら、少子化の原因にはなり得ない。 閾値を超えて因果関係が出現しているとしたら、その因果関係とは何なのでしょうか? 栄養、排泄処理などが日本やヨーロッパ諸国などは劣悪だから少子化しているという因果関係 でしょうか、それとも栄養や排泄処理などの環境が良好だから少子化しているというのでしょ うか? 私は、環境が劣悪だから少子化するというのは理解できますが、日本やヨーロッパ諸国が 東南アジアや中南米より環境が劣悪だとはとても思えません。 もし後者で、栄養や排泄処理などの環境が良好だから少子化するとしたら、なぜ少子化す るのかその理由が分かりません。
>栄養、排泄物処理問題、ともに日本やヨーロッパ諸国の方が東南アジア諸国やアフリカ、 >中南米など人口増加率の高い国に比べ環境としては上だと思いますが。 >はるかに人口増加が多くてもいいはず。 ですから、「直線的比例関係にはないだろう」と予測します。 ある限度までは相関がなく、その限度を越えると因果関係が出現する現象はいくらでもあります。 いわゆる閾値といわれるもので、放射線被爆と障害の関係でも見られるのでご存知でしょう。
進化論と生命起源論は分けて考えなければなりません。2つを結合して広義の進化論とする 考え方もありますが、本質的に独立して考えることが可能です。 進化論は最初の生命が誕生した後、そこからどのような機構で多様な生物が発生してきたかを 論じる学問です。最初の生命がどのようにして誕生しようと、すなわち宇宙から生命の種が 飛来しようと、地球上で無機物質から自然にできようと、造物主が作ろうと、進化論は独立して 成立します。 逆に仮に進化論が誤っていても、無機物質から生命が誕生することを証明できれば、 生命化学進化説は独立して成立します。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。