進化論と創造論についての掲示板ログ139

2003年02月19日〜2003年02月20日
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誤解です  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月20日13時18分

> 幾分ましな宗教擁護の人が現れたとき常連の全員ではないが(一部が)追い出している

見えるって書いてるじゃないですかGOAさん。あくまで見える、人にはそう
見えてしまうのではと言う事ですよ。誰が見えるんだ?って突っ込みが入ると
思いますが、様々な意見を読んだ総合的な評価です。(偏ってるかも・・・)

僕はそう見えてしまう事は別に問題だとは考えていません。

メインのNATROMさんの意見です。
> 扱っている内容のために、科学主義であると誤解されやすいし、実際に誤解する人もいる。

以前は何を言っているかNATROMさんが理解できませんでしたが、今では
よく分かります。確かにこの掲示板の大半の人は科学主義であると誤解と思い
ます。現におずおずさんが困惑しているのではないでしょうか?

おずおずさんへ

僕の話は後の方はあまり見なくていいです。GOAさんの指摘の通り僕は文章で
表現する事が下手糞なため、大半は自分の意見の誤解を解く為の話です。

NATROMさんの返答だけ読むだけでいいと思います。僕の文章を他人に強制
するのは拷問であるとも言えなくもありません。


「科学の定義が違う」  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月20日12時20分

要するに、自分達が「○○科学」とか「科学的○○」と呼びたいものは何であれ「科学」ということにしたいんでしょう。
そりゃあね、飼い犬に「猫」って名前をつけるのは勝手だけど、それで「猫の定義が違う」とか言っちゃうと話はできないわけで。「私達の『猫』はワンと吼えるし尻尾も振る」「それは猫じゃないよ」「猫の定義が異なる」「……。」


現実から目をそらさなくても  投稿者:GOA 投稿日: 2003年02月20日11時44分

>そのあたりから目をそらしているなら、永遠に意見は衝突するだけでしょうね。

だからと言って科学が信仰との折衷を試みるわけにはいかないでしょう。
「地球は平らだ」「病原菌と呼ばれているものは存在しない」「ミイラは生き返る」...etc
したがって「科学的に検討して言えることはここまでだ。あとはご自身で判断してください」と下駄を預けるしかないのではないでしょうか?


科学の定義  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月20日11時27分

 創造論者と進化論者で「科学の定義が異なる」なんて言い方をされても、科学(この場合自然科学)の定義なんてものは、科学的手法による論証・研究だと思うし、進化論以外の科学の分野の科学者(例えば、物理学者、化学者。医学、工学や数学あたりの畑の人も含めていいかもしれない)も、その立場を支持するんじゃないかと思うけどどうなんでしょうね。

 科学者(自然科学)でない人で、まぁ哲学者とか歴史学者あたりであれば、科学の定義というものを抱いていそうですが、そうでない人にとって「科学の定義」って何なんだろうと思ったり。


気になって...  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月20日11時22分

大学教授のHPの件については、実際に数を数えて比較したものではないです。
根拠もなく書き込みをしてはいけない。反省...。


ちなみに...  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月20日10時09分

>おずおず... さんは彼らを少々一般化し過ぎているような気がしますし

もちろん進化論と聖書を心の中に共存させている人がたくさんいることは知っています。>谷庵さん
ここで対象としているのは、「創造科学を信奉するキリスト教徒」だと思いますので、そんな人を対
象として(限定して)発言しているつもりだったのです。

ついでながら、日本の国立大学の教授にもすばらしいHPを運営しておられる方が何人かいることも
知っています。教室として組織的に運営している所もありますよね。
ただ、例えば合衆国と比べると大変少ないと思います。>うだうださん


みてますよ♪  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月20日 8時41分

もちろんまだ見てます。>うだうださん
教えていただいたリンクを読んでいます。文章が相当長いので、読み終えるには数日は
必要かと思います。今、51/2151...。
で、別窓を開けてここを覗きつづけています。読み終えるまでRESが少なくなるとは
思いますが。


正しい日本語使ってますか?  投稿者:GOA 投稿日: 2003年02月20日 8時15分

うだうださん

>後は幾分ましな宗教擁護の人が現れた時、この掲示板の常連がよってたかって追い
出すように見える事がありますが、全員ではありませんが、そういうものです。

あなたが正しい日本語を使っているなら(使っていない場合が多いのでこんな断りを入れないといけないのが悲しい)、
幾分ましな宗教擁護の人が現れたとき常連の全員ではないが(一部が)追い出している
ということになるのですが、過去にそんなことがあったとは開設以来アクセスしている私は知りませんでした。
どこらあたりの書き込みがそうなのか教えていただけないでしょうか?


似たようなパターン  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月20日 7時53分

んで去っていった人を擁護する立場の人があらわられる。まさに歴史ですね谷庵さん。

で、おずおずさんまだ見てたら、リンク先を読む事をお勧めします。僕は1年議論
した事がリンク先にあった時くたびれました。(英語のサイトは英語出来ないなら、
止めた方がいいよつらいから)

後は幾分ましな宗教擁護の人が現れた時、この掲示板の常連がよってたかって追い
出すように見える事がありますが、全員ではありませんが、そういうものです。

おそらくおずおずさんは双方が歩み寄らなくてはという考えがあるかもしれませんが、
それだけは考えない方がよいと考えます。

このツリー以下に管理人さんの考えがあります。違和感が最初はあると考えますが、
おずおずさんは聞き分けが僕よりいいので、分かると思います。ツリー全体の表示に
関しては、ツリー掲示板のコンボボックスで番号1551ー1600辺りを選択すれ
ば出てくると思います。結構すぐにNATROMさんの返答があるので見てください。
僕の発言はあまり真剣に読まなくていいです。(自分の発言を紹介するはここが難点)

http://bbs9.otd.co.jp/915865/bbs_plain?base=1519&range=1

蛇足
> 国立大学の教授は納税者にタダで研究成果を報告する義務があるはずだ!

この発言は僕と考えがよく似てますが、僕はIT国家としてリードしていこうと
いう教授各自の使命感に任せています。しかしあまり重要視されていない教授の方が
多いのは確かに残念ですね。

僕も以前は義務だと息巻いてましたが、以下のHPを見て考え方を変えました。
ただでここまでやる人がいる事に、義務だと言っている自分が恥ずかしくなったか
らです。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/index.htm

最後にもしおずおずさんにまとまった形で何か問題を提議出来るなら、お願いですか
らツリーにいってもらえませんか?あちらが最近寂しいんですよ、おずおずさん絡みの
発言ばかりになっています、それならいっそうあちらでお話してみては?


最初は謙虚だったのに  投稿者:谷庵 投稿日: 2003年02月20日 6時43分

最初は「何も判らないもので、教えてください」と言っていたのに、最後は捨てぜりふを残して去る、と言うパターンを何度か見たような気がします。

1)謙虚に登場
2)しばらくすると自らの知識不足に由来する「未解決の問題」を提示(これが目的)
3)「未解決の問題」があまり問題にされないのは、他の人があまり考えていないからだと誤解
4)考えの足りないはずの人たちから何度も批判されたり諭されたりするうちに切れる

このような経過をたどるのは創造論支持者(最初から態度のでかいのも多いが)ばかりではありません。
反宗教の立場をとった人や、宗教と進化論の間を取り持とうとした人たちの中にもいました。

創造科学を信奉して進化論に戦いを挑んでいるのはキリスト教徒の中でも特殊な人たちです。
おずおず... さんは彼らを少々一般化し過ぎているような気がしますし、今までの発言から3)の危惧を抱いたものですから、老婆心ながら書き込ませていただきました。


(無題)  投稿者:たまごちゃん(^-^)ノ 投稿日: 2003年02月20日 0時01分

かくりさん、ひどい・・・ToT

関係ないけど、「採卵」って、国語辞典とかにものっている普通の日本語なんですね。今日、自分用の実験プロトコールを作っていて「さいらん」が一発変換されたのが少し意外だった。ちなみに、「かくり」の第一変換は「革離」だった。


(T_T)  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日23時47分

今読んでます...。


失礼  投稿者:かくり 投稿日: 2003年02月19日23時45分

いやああの書きこみ(これでも読め!)の本来の趣旨は「鹿島2連勝,バンザ〜〜〜イ!!」だったもので・・・

つか一番下の「ホームページへ」で行くと思うジャン!!
と言い訳をしてみる.


○○行為ですか、ハ〜〜、後悔先に立たず  投稿者: 投稿日: 2003年02月19日23時43分

掲示板ってのは、あまりチャット的にやらない方が良いんですよね。まあ、慣れてない
方には仕方なかったのかもしれませんが。
ただ、次から次へと新手の方が現れて同じ(ような)質問を繰り返すってのは、この掲示版
の宿命でしょう、、、(合掌)


というか  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日23時38分

 ここの掲示板に直に来ちゃった人は、掲示板の一番下の方にある「ホームページへ」ボタンにはなかなか気付かないよね……(汗)


あ(汗)  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日23時36分

手遅れじゃったか(汗)


おいおいおいおい  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日23時35分

 一瞬、すっげぇ不安になったんですけど、まさかおずおず...さん、ここ

http://www.nikkansports.com/news/flash/f-sc-tp0-030219-39.html

を見に行っていないでしょうね?(滝汗)

 かくりさんのあの書き方だと、上記URLを管理人さんのメインページだと誤解してしまうかもしれませんが、管理人さんのメインページは、ここ

http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/index.html

です。おまちがいなきよう(^_^;

>科学的真実と宗教とを心の中に両立出来るのなら、彼らは、
>「科学的には全ての種は無生物から生まれたと考えてもいい。ただし、宗教的に
>はあくまでも神が作ったものだ。」と主張して、言葉の前後関係は別にして、お
>互いの意見は一致して仲良くなれる筈ですが、現実はそうじゃない。

 クリスチャンの生物学者(多くの場合進化論者でしょう)の立場を考慮されていませんね?
 進化論と、聖書原理主義は共存が難しいと思いますが、聖書の内容を寓話とみなして、科学で理解すべきことは科学で理解し、愛や友情のすばらしさを聖書に学ぶということは不可能ではないと思います。


おやつ妖精が限界  投稿者:ハッター 投稿日: 2003年02月19日23時34分

おずおずさんへ
私としてはすごく考えて説明したつもりなんです。


...。  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日23時30分

かくりさんの発言の下にあったリンクがメインページだと信じ切っていったのに...(-_-;)


ありがとうございます>かくり様  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日23時27分

実はここのHPの構造がまだよく分かっていなくて、どこから読んだらいいのか
知りませんでした。
何も知らないくせに色々厚かましく書いていることは承知しています。次の発言
はメインを読んでからにします。自分で自分の発言がこわいから。


だから議論は難しい...  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日23時21分

宗教では神が全ての種を作ったことになっているけれど、科学的には、つまり現実には
全ての種は無生物からの自然発生であると主張する。
ただし、宗教としては神様が作ったと考えることに反対はしない。
といわれたら、彼らは心が安まるのだろうか...。

ということを比喩として言ったまでです。別に一方が一方を批判しても良いが、
その逆はいけないとは言っていません。

科学的真実と宗教とを心の中に両立出来るのなら、彼らは、
「科学的には全ての種は無生物から生まれたと考えてもいい。ただし、宗教的に
はあくまでも神が作ったものだ。」と主張して、言葉の前後関係は別にして、お
互いの意見は一致して仲良くなれる筈ですが、現実はそうじゃない。
そのあたりから目をそらしているなら、永遠に意見は衝突するだけでしょうね。
また、そのあたりのことは科学じゃないから議論に値しないというのなら、ここ
は何のために存在するのでしょうか?

>なんじゃもんじゃ殿は、イスラム教、仏教、神道、ブードゥー教、道教etc・・・
の寺院へ行って
「あなたたちの考えは間違ってる!!」

というのかどうかについて、聞きたくて質問して、その答えを後ほどもらう予定だっ
たのですが。それが残念で...。>RYU_TI_SYUさま


これでも読め!!  投稿者:かくり 投稿日: 2003年02月19日22時56分

ヤナギ〜〜〜!!
エウレル〜〜〜!!!

へへ〜〜ん!!鹿島がA3で2連勝!!
次引き分けでも優勝!!これはぜひ見に行かねば.
一応日曜日も見にいったんだけどね.雨降ってやがりました.

遅レス

たまごちゃん

うん無茶さみしかった.
んでさあ〜1戦目は大連実得と鹿島試合したんだけど(3−1で快勝!)3点ともMFかDFが点とってFWは無得点だったんだよねえ〜いやあ鹿島らしい試合でした.そしたら2試合目は2TOPの競演!!言うコトなしですなあ〜

全然誠意無いなあ〜


おずおず...さんへ

私は宮城谷さんの本が好きでそれこそ数十冊読んでいるのですが,それらは全て,古代中国が舞台です.同一舞台の小説をそれだけ読むと,著者の目を通した当時の思想が刷りこまれていっていると思われます.その刷りこまれていると思われる視点から宗教を捉えた場合ですね,教義と神では教義のが重要度が高いといわざるを得ません.教義なくして宗教は存在できませんが,神がなくても存在できます.仮に神にこだわっいても教義の理解度が低いあるいは実践に移していない,そういった人は本当に信仰心があついのでしょうか?逆に神にはこだわらないが,教義の理解度が高く実践に移している人は信仰心が薄いのでしょうか?

あとせっかく管理人さんがメインページを立派にこしらえておられますので,初めていらっしゃった方はまずそこを拝見いていただきたいなあ〜と思います.そこで疑問に思ったことはこの掲示板に書いてくださればよいし(そしたら私以外の親切な方が答えてくれるでしょう).なんじゃもんじゃさんもメインを読んで欲しかったなあというところです.

http://www.nikkansports.com/news/flash/f-sc-tp0-030219-39.html


おずおず...殿へ  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2003年02月19日22時30分

>「あんたはそんなことを夢想してりゃいいよ。でも現実はそうじゃないのさ。そうだろ。」
ということはまさに、信仰心の厚い人にとっては逆鱗を引きむしられるようなものでしょう。

進化論は批判の対象だが、創造論は信仰に基づいてるんで批判してはいけない。

随分勝手ではないのかな?

百万歩譲って、科学も「宗教的信仰」だったとしても、
異教の方から、文句をつけられる言われはないと思うんじゃが如何?

なんじゃもんじゃ殿は、イスラム教、仏教、神道、ブードゥー教、道教etc・・・
の寺院へ行って
「あなたたちの考えは間違ってる!!」
って言ってるんじゃろうなぁ。

>>聖書は絶対である、と言われた瞬間、
そう言う人は創造「科学」論者ではないと思うのですが>大文字ナンさん
聖書が絶対であることに危惧を抱いている人でなければ、「科学的証拠」を探さないと思います
けど。
わしから、横レス。
そのような方は、ここにおられる方の殆どが否定していないと思うんじゃが。
ただ、科学的議論にはならないだけじゃろう。
「進化論はまちがってる!!」
『根拠は?』
「聖書は進化を否定している。私は聖書を信仰している。」
『へぇー・・・』

他人の信仰告白を聞かされて、わしらはどうすればええんじゃろうな?


う〜ん、言い方が悪かったか♪  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年02月19日22時29分

To おずおず...さん

何も信じない、ではなく「どんなことでも疑い続ける」という表現ではどうでしょう。
それから、創造科学論者は「はじめに聖書ありき」から、地球の年齢は1万年以下である、という主張を満たすためにあらゆる証拠を曲解し、都合良く捻じ曲げてしまいます。青野氏も基本的に同じ主張ですね。これを聖書絶対(原理)主義と言わず、なんと表現すれば良いですか?

ちなみに私の友人であるクリスチャンは生物学を専攻しましたが、信仰と科学を両立させています。彼は「聖書はあくまで人が書いたものであって、誤りもある」という立場ですし、神を信じることはしても、聖書の一字一句をことごとく信じるという偶像崇拝には陥らない、という主義であるそうです。彼(正確には彼女)は、創造科学論者ではありませんが、創造を信じています。


Re:科学というからには...  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日22時17分

問題は科学の定義が互いに相当違っていそうなこと...。>ハッターさん
で、互いのミゾを埋めようとするならば、科学的なほころびの裏にあるものを、
科学の専門家はもっと、やさしく説明してあげてもいいのでは、と...。
異種間交流なのだから...。
(宗教についてもっとやさしく説明してくれてもいいとも思いますけど。)


いったい私はいつ無神論者にされたのか?  投稿者:GOA 投稿日: 2003年02月19日22時09分

おずおず...さん

>と言えるのは、信仰心のない人の意見だと思います。

あなたは私に「信仰心がない」と言えるほどの信仰心をお持ちなんですか?
そのえらく立派な信仰心とやらを披露してほしいですね!

>「あんたはそんなことを夢想してりゃいいよ。でも現実はそうじゃないのさ。そうだろ。」

私はこんなことを一言も言っていない!

>「信仰の上では神はいる。でも科学的(現実)には、いない。」なんて、考えたとたんに
>信仰じゃなくなる。くどいようですが、「信仰は信仰、...」というのは信仰じゃない。

私の言っていることをぜんぜん理解していませんね。それどころか科学というものを理解しているようには思えません。
科学的であることは現実であることとはイコールではありません。
「科学的考察をすれば処女懐胎はありえない」なんてことを言えば
「だから“奇跡”っていうんじゃん」と笑われておしまいです。
科学的探究によらなければ事実ではないというのは科学教に過ぎません。

私が言った「信仰は信仰、科学は科学」というのは多彩な価値観が混在する現代社会における処世術を述べたまでです。


科学というからには  投稿者:ハッター 投稿日: 2003年02月19日21時52分

科学的なほころびを指摘するだけで良いと私も思います。

ノアの箱舟についての記述が不誠実にとられたのかなぁと少し自分では心配です。ただ、話が地球流体の方向に流れてくれると私としてはその部分のポテンシャルは比較的高いのでもっとうまい説明ができるかもと思って話題を振った部分はあるんです。

ついでに例の表現の部分は恥ずかしくて引用からはずしてしまった私はちょっとカマトトでしょうか?だって恥ずかしいんだもん。


長くてすみません...  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日21時45分

>それではおずおずさんがんばって見てください。
突き放さないでください。(...そうか、読まなくても良いんだ...。)>うだうださん

>「信仰は信仰、科学は科学」
と言えるのは、信仰心のない人の意見だと思います。(つっこみがここに来るとは思わ
なかったでしょ♪>GOAさん
信仰している人にとっては、その教義の全てが「真実」でなければ満足出来ない筈です。
従って、
「あんたはそんなことを夢想してりゃいいよ。でも現実はそうじゃないのさ。そうだろ。」
ということはまさに、信仰心の厚い人にとっては逆鱗を引きむしられるようなものでしょう。
「信仰の上では神はいる。でも科学的(現実)には、いない。」なんて、考えたとたんに
信仰じゃなくなる。くどいようですが、「信仰は信仰、...」というのは信仰じゃない。

だから、本質的には、この論争は、宗教を保つか捨てるかの問題だと思います。聖書を
捨てるかどうかの問題だと。
バチあたりの無宗教モノ(バアさんによくいわれたっけ)にはこの重要さが心にはしみて
こないでしょうけど。

>過去ログにもざっと目を通しておけばさらに良いでしょう。(いずれもタダ!)
タダ! うるうる...。私がインターネットにのめり込んだのは、本の値段があまりにもた
かいから、なのです。
日本の大学のホームページは「これこれの研究を私(教授)はしています。で、その内容
を知りたければこの本を買いなさい。」
一方、辞書を引き引き欧米の大学のページを見れば、「当教室ではこれこれの研究をして
います。内容はここ(リンク)に最大限にわかりやすくアップしています。それでも分からない
ところがあれば私(メールアドレス)に遠慮無く聞いてください。」
国立大学の教授は納税者にタダで研究成果を報告する義務があるはずだ!
...ぐちになってしまった...。

では「計測出切る物、出来ない物」くらいに言い換えておきましょうか。
それではまだ、わかりにくいと思います...>ゆん さん

風は目に見えないけれど、風にそよぐ木の葉の動きは目に見える。
磁場の存在は目に見えないけれど、蛍光体を照らす電子線のゆらぎと磁石の運動は見える。
計測(数値化)ではなくて...。
で、この考え方の裏には、宇宙の全ての存在は互いに作用しあっている(逆に言えば、ボクの
存在に(間接的な作用も含め)何の影響も及ぼさないもの、は、存在しないに等しい..)という
実に合理的な考え(関係ないじゃん!)があると思います。
(宇宙の端っこに浮かんでいる直径数十センチの石ころは、そこまで行けば見ることが出来るし
ヘタすれば宇宙服を破くという作用を及ぼしうるから、存在するに等しい...。量子論あたりま
で考えに入れるとどうなるか不安ですけど。)

バアさん、ごめんなさい...。こういった虫けらの想像力をはるかに越えて神様は存在するん
ですよね。

>聖書は絶対である、と言われた瞬間、
そう言う人は創造「科学」論者ではないと思うのですが>大文字ナンさん
聖書が絶対であることに危惧を抱いている人でなければ、「科学的証拠」を探さないと思います
けど。
また、「科学は何も信じようとしません。」というのは、理解しがたいです。信じられるもの、少なく
ともニュートン力学よりもさらに真実に近いものを探す過程が科学だと思いますけど。

あくまでも、おもいきり比喩的な表現です。>EzoWolfさん
犬から変異を続けてきて猫になる途上のものは、犬でもあり猫でもある。で、交配は当然出来る。
進化のとてつもないゆっくりした動きのため、必ず中間種は、少なくとも一時的には存在したという
のが今優勢な説ではなかったでしょうか。羽ばたきを浮力と逆の方向に使っていた鳥とか。
念のため、犬と猫は、「別の種」を意味する、比喩です。

>谷庵さん
彼らが宗教そのものを論破されてると感じているから、創造「科学」が生まれたのだと思います。
で、彼らの心の痛みを知るためには、宗教自体について知る必要があるかな、と、思っています。
それと、なんじゃもんじゃさんは、少なくとも言葉通りの意味で「自○行○」と言っているのでは
ないと思いますけど。ま、あまり上品な言い方では無いでしょうけれど。要は、言いあらわせない
思いをあらわそうとして...。

>T8848さん
例えば、記号論理学を少しでもかじったことのある人には、
「おまえが馬鹿なら魚は鳥だ!」と言われても納得するでしょうけれど、普通の人にいきなりこんな
ことを言ったらまず殴られるか、ヘタすれば殺される世の中です。
子供の科学は、結構高度な雑誌で、普通の人には案外難しいかも。ニュートンに至っては...。

あ..長くなりすぎた。失礼します。

PS:外出し!すごい言葉を知った...>T8848さま


Re:脱線ですが  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月19日21時10分

まぁ、その行為の別名は聖書が元ですから(いやホントはあれは外出しなんだけどさ)。


基本的な誤解  投稿者:T8848 投稿日: 2003年02月19日21時02分

ドーキンスのレベルとかじゃなくてですね、なんじゃもんじゃさんなどの創造科学支持者の進化論批判は間違いだらけと言うことなんですよ。「子供の科学」か「ニュートン」のレベルです。ほとんどのレスはその間違いを指摘しているだけで、聖書の話にもなっていないし創造論や進化論の「思想」の話にもなっていないんです。
その段階で認めるとか認めないとか、聖書を知らないとか追い出すとか言われてもどうしようもないです。
間違いも知らない事もそれ自体は誰も責めません。指摘されたら改めれば良いことです。わからなければ調べるか質問すれば良いことです。進化論(及びその他の科学)ではどう説明されるのか、と質問しておきながら(つまり科学の土俵で)、それに答えてもらっても「創造論と進化論では土俵が違う」と言われてはお互い何も得るものがありません。

犬と猫についても、進化論の言ってもいないことを批判されたので、そんなことは言っていないと指摘したのです。おずおずさんの言うような問ならまだ答え方も変わってくるでしょうけど。

新しい種が生まれるのは、その集団が(生殖的に)隔離されて特殊化した場合です。
犬と猫の共通祖先の一部が分かれて犬の祖先になり、別の一部が分かれて猫の祖先になった。それぞれ別々に進化して犬と猫になった。もはや犬と猫は完全な別種で交配不可能である。また両者の中間種はそもそも存在しない。
犬から猫が生まれたわけでもないし猫から犬が生まれたわけでもありません。

犬と猫の交配のような誤解の元は「進化」と「進歩」の混同もあるでしょう。良くある間違い「ヒトはサルの子孫である」というやつです。(そのような「進化論」もかつては考えられていました。)
「原始的な」とか「より進化した」という言い方も誤解の元でしょうね。

犬は犬でもチワワとセントバーナードでは自然交配は不可能でしょう。そのような状態でそれぞれが進化(遺伝子の変化)をしたら、その子孫同士は人工交配も不可能な完全な別種になるでしょう。
進化とは遺伝子頻度の変化ですが、それと異種間交配が可能かどうかは別の問題です。種の定義の問題です。品種−亜種−種−科…とその差は大きくなり交配はできなくなります。

さて、なんじゃもんじゃさんはまだ言っていませんが、創造(科学)者達が言う種とはなんでしょうか。ノアの箱舟に乗せたのは全ての種なのか。全ては乗らないから「基本的な種」を乗せたのか。「基本的な種」とは何か。それと現存種との違いは何か。基本的な種から現存種への変化は進化ではないのか。基本的な種が一緒の現存種は交配可能なのか。
これは創造(科学)論者の主張のいいかげんさが良く表れている議論ですよ。

なお、私は進化論や生物学を学んだのは中学の理科までです。あとは全ていわゆる啓蒙書です。専門家でもなんでもありませんし、ここへ出入りしている人の中では最も勉強していない者でしょう。


ただ、  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日20時53分

 掲示板での議論で、相手の主張を一方的なものとみなしたときに「自慰行為」という形容をするのは、fjか2ちゃんねるあたりの文化かと思っていたんですけど、一般的なんでしょうかね?
 Niftyあたりでも通じていたのかな?


脱線ですが  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日20時51分

「自慰行為」という性的で下品な発言を、クリスチャンたるものがしてもよいのでしょうか?

と、過去ログを読んでないと通じないようなどうでもいいことを思ってしまったり。


マルチ横レス  投稿者:谷庵 投稿日: 2003年02月19日20時33分

おずおず...  さんへ
>なんじゃもんじゃさんやボクにここまで要求されるのだったら、多分、
>聖書1冊を眠りながら読むだけではなくて、ルターとか、親鸞の全書
>くらい読んでいかなければいけない...。
>創造科学を「その背景まで理解した上で」論破するためには当然、その
>程度の研究が必要だろう。

別に宗教そのものを論破しようと言うのではないので、そんなことは必要ありません。
進化論は科学として誤りであり、創造論は科学的にも正しいという科学的創造論者の主張を論破するためには、科学の範囲内で十分にできることでしょう。
創造論は宗教的にも誤りだと言っているわけではないのですよ。

なんじゃもんじゃさんへ(読んではいないでしょうが)
ここは議論する場です。
議論すれば、当然批判をされることもあるでしょうし、気に入らない意見もあるでしょう。
それに対抗するには説得力のある反論をする以外にありません。
まともな反論もできないで、「自分を追い出して自慰行為をしろ」とは何という言いぐさですか。
これがキリスト教徒の平均的な人格と思われてもいいのですか?


ここでの議論  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年02月19日20時30分

To おすおず...さん

はじめまして、大文字ナンと申します。
啓蒙書レベルの進化に関する書籍は、私も何冊か読んでいますが、だからと言ってそのすべてを理解しているわけではありません。ただ、要求されるモノの根本は読破した文書の量ではなく、論理的な整合性だとか、正しい道筋で自分の考えを主張するという姿勢ではないか?と私は思うのです。

無論、具体的な検証を行なう際には、専門的な知識も必要になりますし、引用を用いるのであれば具体的な文献の提示も必要になることがあります。しかし今回あった一連の議論においては、いかに専門知識を持っているか?ということよりも、科学と信仰の違いという、両者の定義をきちんと使い分けるか否か?が中心にあったのであり、それは結局のところ「信じることと、知ることの差」ではないか?と私は思います。

たとえばニュートン力学は、私たちが日常的に目にするあらゆる物理現象を正確に予測できる強力なツールです。これさえあれば、ほとんどすべての力学現象を正確に記述することが出来るのですから。しかし、それでもなお、科学はニュートン力学のほころびを探し続け、ついには光速度域でニュートン力学が崩れてしまうことを見つけました。そんなことが分かったからと言って、私たちの生活が変化したり、なにがしかの安心が得られるわけではありません。それでも科学は、絶対という概念を嫌い、真理の追求を行なってきました。

つまり科学は何も信じようとしません。そういう姿勢が尊重されるので、宗教家の方々とは相性の悪い面があるのかも知れません。しかしながら、軽信を嫌い、絶対や無限をことごとく疑ってきた結果、科学は成功を収めつつあります。聖書は絶対である、と言われた瞬間、科学を理解する者は返す言葉を失ってしまいます。残念ながら、それでは会話にすらならないのです。

絶対を認める立場の方々の前で、そこに疑いを降りかざすことが無礼であるのと同様、絶対を認めない立場の人に、信仰に基づく絶対を語ることも無益と思います。しかしひとたび聖書信仰を持つ方が、創造を科学と称するのならば、科学の手続きによってそれが検証されることを、つまりは絶対的教義に疑いを差し挟まれることを念頭に置くべきではないでしょうか。


種の分離  投稿者:EzoWolf 投稿日: 2003年02月19日20時23分

>つまり、種の間の差異は一見思われているような絶対的なものではない。

といのは正しいのですが、

>「犬と猫は交配させることが出来て、子孫を増やすことが出来る。」

という意味にはなりません。共通の祖先から別れて長期間になるので、交配不能にまで
違いが大きくなりました。逆に共通の祖先から別れてあまり時間がたっていなければ
交配可能な場合もあるということになります。そして中間的な場合も予測されます。
ラバやレオポンはその例ではないでしょうか。


この掲示板でも元来は同じ種であったショウジョウバエが、別々に飼育されているうちに
交配不能なグループになった例が挙がられています。

あと「猿が人間になる」というのも進化論ではありません。猿と人間は共通の
祖先を持つが、分かれて別々の進化の道を歩みました。その道が離れていくことは
あっても近づくことはないでしょう。


目に見える物見えないもの  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年02月19日20時15分

>ゆん さんの、
>・『自然科学』は目に見える物しか扱えない程度の大した事の無い代物である
>・『自然科学』は目に見える物を扱う範囲においては強力なツールである
>と言う記述もわかりにくいと思います。

では「計測出切る物、出来ない物」くらいに言い換えておきましょうか。
言い換えるまでもなくおずおずさんには意図はご理解いただけていると思いますが。

>念のために。おっしゃりたいことは分かっているつもりです。ただ、上記の記述で、
>科学の専門家でない人に語りかけても納得は得られないだろう、ということです。
>逆に、「科学ってそんなに底の浅いもの?」なんて誤解される...。

あれは「科学は一種底の浅いもの」という印象を与えたくて書いた文章ですから、
そう思われるので正解です。科学の権威への盲信や、逆に異常なまでの憎悪も、
等しく科学を過剰に評価しすぎるところから生まれる感情だと思います。

そうした不健全な思いを抱かず、疑似科学にはまらないために、『科学はス
ゴイんだけどスゴクないんだ』と言う一見矛盾した感覚が伝わればなー、と
か思ってます。


いやいや  投稿者:GOA 投稿日: 2003年02月19日20時10分

>ま、仕方がない。ドーキンスも読もう...。

もちろんドーキンスの本を読めばすばらしいことは確かなのですが、ここのメインコンテンツとリンク集にある「Web版『はじめての進化論』」を読んでおけばとりあえずは大丈夫です。過去ログにもざっと目を通しておけばさらに良いでしょう。(いずれもタダ!)

優れた啓蒙書はヘタな小説よりずっとスペクタクルで楽しめるものです。
へんに構えずに気楽に読んでみてはいかがでしょうか?


私は浅いですよー  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年02月19日20時07分

誤解を与えないように言っておきますが、私は聖書関連は全然理解ないです。
聖書読んですらいませんし。

だから進化論の話や、創造科学であるなら自然科学の領域で明らかにおかしい
とわかる間違いの話にしか顔を突っ込まないようにして、聖書や信仰に関する
深い議論は避けています(の、つもりです)。

>創造科学を「その背景まで理解した上で」論破するためには当然、その
>程度の研究が必要だろう。

『背景まで理解した上で』論破するためには当然そうなのですが、問題は
そこまでする必要があるかどうか、なのですよね。例えばそこまでして
論破して創造科学論者が宗旨替えをするかというと怪しい。だいたいそこ
まで踏み込むと信仰への干渉になりかねないので微妙なところです。

ポーズだろうが何だろうが、先の書き込みで書いた『創造論と科学的創造
論を厳密に区別する立場』は崩したくありません。

そもそも別に相手を論破したり宗旨替えさせたくて議論しているわけで
も無いし。議論時の私の意識は主にギャラリーに向いていて、あまり創
造論者本人をどうこうできるとは考えていません。
# そのギャラリーに上手く意図が伝わってないという事なら、もうちょっと
# 上手にやらなきゃいかんとゆーことだわな……


(無題)  投稿者:GOA 投稿日: 2003年02月19日20時01分

おそらく私の発言がなんじゃもんじゃさんの逆鱗に触れたのでしょうね...。
ただ腹の中はどうあれ、「信仰は信仰、科学は科学」と受け入れてもらえなければ、いずれは不愉快な思いをしなければならなくなるし、場合によっては自分の信仰すら危うくするかもしれません。
私はむしろ進化論なんかにかかずりあうより、自分の幸せを追求された方が良いのではないかと思ってしまいます。

おずおず...さん

>科学と創造科学の違い等について説明されている文章はどうにもわかりにくい、と、
思っています。

ということですが、
「科学は証拠があればどんなことを言っても良い」
「創造科学は聖書に矛盾しなければどんなことを言っても良い」
なら、ご理解いただけるでしょうか?(かなりツッコミが来そうですが)
光速度が何度観察しても一定ならどんなに常識はずれでも「光速は不変だ」と言ってもかまわないのが科学です。
反対に聖書に「ノアの洪水以前には平坦だった」と読める記述があれば、「地球上の山脈は大雨で縮んだ地球がシワシワになってできた」と言ってもOKだし、聖書が触れていない事柄についてなら「時速80kmで大陸が移動した」と言っても良いが創造科学です。

私はそんな創造科学の存在を「(信じちゃう人もいるから)やばいよなぁ〜」と思ったりもしています。


参ったな・・  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月19日19時53分

すいませんまだ僕読んでませんドーキンス。読んだ方がいいとは思いますよ。
もう5度は進められてます。それではおずおずさんがんばって見てください。

その話が出ると出てきにくいうだうだです・・。


え?!  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日19時44分

ドーキンスって人、はじめて、今Googleの検索で出会いました...。
なんじゃもんじゃさんやボクにここまで要求されるのだったら、多分、
聖書1冊を眠りながら読むだけではなくて、ルターとか、親鸞の全書
くらい読んでいかなければいけない...。
創造科学を「その背景まで理解した上で」論破するためには当然、その
程度の研究が必要だろう。
...大変な掲示板にかかわってしまった。ま、仕方がない。ドーキン
スも読もう...。


議論に要求されるレベル  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年02月19日19時30分

>ボクの目から見れば進化論者の方達がなんじゃもんじゃさんに要求しているレベルは
>相当専門的な生物学の知識の範囲だと思います。

ここの議論で要求されているのはせいぜい啓蒙書(ドーキンスとか)のレベルです。
それでも決して敷居が低いとは言いませんが。

そもそも私も専門家じゃ無いし、本で言えば啓蒙書のレベルでしか進化は理解
していません。
# 情報工学の勉強の過程で進化に対する理解を深める二次的な経験はしてますが。


例えば、その2...  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日19時14分

ゆん さんの、
・『自然科学』は目に見える物しか扱えない程度の大した事の無い代物である
・『自然科学』は目に見える物を扱う範囲においては強力なツールである

と言う記述もわかりにくいと思います。
空気は目に見えない。量子なんて、見えないどころか、イメージさえ浮かばない。
ブラックホールはボクのイメージでは、真っ黒い色のじょうご、です。もちろん本物は
そんなものではないということは頭ではわかっていますけど。
つまり、科学は目に見えないものを扱う範囲においてこそ強力なツールだと思いま
す。石が頭に当たれば痛い、ということはわざわざ科学という程のものでもない。

念のために。おっしゃりたいことは分かっているつもりです。ただ、上記の記述で、
科学の専門家でない人に語りかけても納得は得られないだろう、ということです。
逆に、「科学ってそんなに底の浅いもの?」なんて誤解される...。


たとえば...  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日18時59分

なんじゃもんじゃさんの
>ここで進化論と食い違う点は、犬と猫を交配させられない、もし仮に出来ても子孫を
増やせないということです。

に対して、T8848さんの、
>犬と猫を交配させるなんて進化論にもありませんよ。
その中間種なんてものも。

という言い方がよく分からないのです。もちろん具体的な話として犬と猫を交配させら
れないのはその通りでしょうが、発言の趣意は、
「聖書の記述によれば、ある種と別の種の差異は絶対的なものである。(なぜならば、
聖書にそう書いているから。)そして、その証拠に、(種の一つの定義)、交配できな
い、しても子孫は作れない。」
ということだと思います。(もちろん、らば、の例のように、この世にはほとんど、
どんな定義に対しても例外がありますけれど。)

そして、進化論の主張はその逆に、
「きわめてゆるやかな変異の積み重ねにより、ある種が別の種に変わったはずである。
つまり、種の間の差異は一見思われているような絶対的なものではない。」という意味
だと思います。
つまり、これをわかりやすく言えば、
「犬と猫は交配させることが出来て、子孫を増やすことが出来る。」
と言う主張になるのでは、と思います。もちろん、相当な比喩ですが。


あまりにも残念です...。  投稿者:おずおず... 投稿日: 2003年02月19日18時19分

なんじゃもんじゃさんのご指摘の通り、まさにここに必要な人は創造科学論者の存在
だと思います。もちろん進化論者の存在も同じくらい必要ですが。

なんじゃもんじゃさんが同じ発言を繰り返す、とのことですが、率直に言って、私も
科学と創造科学の違い等について説明されている文章はどうにもわかりにくい、と、
思っています。説明が完全に納得できたら、同じ発言を繰り返しはしないと思うので
す。どこがわかりにくいか、整理してそのうち質問したいと思います。

科学を論じるのなら本来、専門家程度の知識が相当必要だと思います。
同様に、聖書をまじめに論じるのなら本来、聖書の知識を専門家のように要求されて
も当然だと思うのですが。
ボクの目から見れば進化論者の方達がなんじゃもんじゃさんに要求しているレベルは
相当専門的な生物学の知識の範囲だと思います。

ただ悲しいことに、誰でも、自分の得意な分野については相当専門的な知識でもみん
なが知っていて当たり前だと思いがちだし、自分の知らない分野については知らなく
て当たり前だと思いがちなようですね。

なんじゃもんじゃさんに戻ってきて欲しいと思っています...。


残念です  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月19日17時33分

せっかくツリーにてみなさんと論議してもらい、聖書絶対主義のキリスト教の方が
どのように科学と融和するのか楽しみにしてました。僕自身外部から見ていて、
キリスト教と科学が融和する事が不思議な為、是非その部分に対してキリスト教
信者の立場からの意見を見たかったのですけどね。

見た感じGOAさんが話の内容を絞ろうとした事ですね。GOAさんの行為に非が
あるとは思えませんし、仕方ないですね。

TOPDXさんへ
僕もQ1から5に関する疑問は何故出たのか不思議でした。おそらくその返答を
創造科学と比較する為ですね。

他になんじゃもんじゃさんがおっしゃる聖書の無知に関しては、僕は否定できま
せん。

ただあくまで創造論に対する反論であるので、聖書の知識を専門家のように要求
するなんじゃもんじゃさんとは接点はないようにも感じます。


アインシュタイン  投稿者:後藤寿庵 投稿日: 2003年02月19日17時22分

GOAさんご本人がフォローされていますが、GOAさんの書いたのは
アインシュタインはユダヤ人だから神を信仰していても不思議はないという程度の意味ですね。
メシアニック・ジューが増えているといっても、これがメジャーになったのはここ20年くらいのことでしょう(まだメジャーというにはどうかという気はしますが)。そもそもアインシュタインがメシアニック・ジューだったという事実でもなければ、この反論は無意味です。

彼は確かに信仰を尊重した人ですが、同時に全ての組織的宗教に反対した人でもあります。

はたしてアインシュタインに「進化論は間違っている、創造論は科学的にも正しい」などと言ったらどう答えたでしょうね。アインシュタインに生物学の事を聞くのは畑違いかもしれませんが、「宇宙の年齢は数千年である。光速は昔は遅かった」等等、宇宙論、物理学に反する主張も「科学的創造論」には含まれていますね。


うーん残念  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年02月19日17時05分

けっこう話が通じそうな人に思えたんだけどな…
どの辺がなんじゃもんじゃさんの逆鱗に触れたんだろう
うーん……


気になるなあ  投稿者:後藤寿庵 投稿日: 2003年02月19日16時52分

なんじゃもんじゃさんはもう来ないのかなあ。
水蒸気ドームや液体の水が覆っていた説、液体の水がリング状に地球を取り囲んでいた説などを見たことがありますが、それ以外の「決定版」があるのかなあ。
洪水後の水の行方についても、それまで起伏の少なかった地球が、水で冷やされて縮み、しわがよった事によって高山や海底が出来、低い所に集まったという話は聞いたことがあるけど。


本当に残念  投稿者:ハッター 投稿日: 2003年02月19日16時44分

 もう読んでいないかもしれませんが、私も残念に思います。
>進化論主義者だけで、
との事ですが、私は進化論研究者でも生物学が専門でもありません。そして進化論を”信じる”ことで心の平安を覚えるわけでもなく、まして優越感を持つわけもありません。自分の主張が通ったと勝ち誇るつもりもありません。ただ科学として進化論は今のところ妥当だと考えているということと、なんじゃもんじゃさんに少しも自然科学とはどのようなことかを理解してもらえなかったようなのがたまらなく残念です。


???  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日16時12分

To なんじゃもんじゃさん

 ありゃりゃ?
 Q1〜5、なんて、具体的に議論できる内容の問いをしてくれるので、有無を言わさず聖書を振りかざすような人じゃないと思っていたのに……。
 残念です。


流れが早い・・・  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月19日16時06分

> 気にしていらっしゃらないかもしれませんがうだうださんのこと文章長いって言っといて自分でこれなんだものごめんなさい。

あまりの早い展開についていけず、見落としてました。確かにツリーとかに持っ
ていく事を考えた方がいいですね。僕はツリーにもって行こうとしても、話がし
ぼんでしまいます。それじゃー、またROM者になります。

青野さんはいざしらず、なんじゃもんじゃさんはこってり話した方が良さそうだと
思います。


どうも短い間でしたが、お騒がせ致しました。  投稿者:なんじゃもんじゃ 投稿日: 2003年02月19日16時05分

どうぞ、今迄通り「創造論者」を即座に追い出し。
進化論主義者だけで自慰行為に励んで下さい。
私はもう皆さんとは付き合い切れません。
勝手にやって下さい。


よーわかりました  投稿者:うだうだ 投稿日: 2003年02月19日15時57分

TOPDX.さんへ

FEP入ってません、なんとW95今だに使っていますー。もうIEが最新に
ならない・・・。しかし、すいません言い訳です。

考古学の件良く分かりました、アプローチの仕方で学問のジャンルが変わるわ
けですね。その中でも科学は実に幅が広いですね。

TO大文字ナンさんへ

なんかすっきりとは納得しかねますが、なるほど進化の方向性の無さで攻め
られるとはやりますね。たまたまという事で今は話を終了しておきます、
また新しい証拠が見つかったらにしましょう。


(無題)  投稿者:GOA 投稿日: 2003年02月19日15時24分

なんじゃもんじゃさん

>私は「カソリックがキリスト教ではない」などと考えたことも、言った覚えも有りませんが。

というのであれば、

>GOAさん、ローマ法王の信仰はローマ帝国時代に融合した、グレコ・ローマンの異教の神々の
影響が大き過ぎて、聖書的ではないので、聖書信仰の代表などと思わないで下さい。宜しく。

などとカトリックが聖書信仰の代表だと思っていない私に対し、上のような書き込みはしないでください。

>それから、「アインシュタインはユダヤ人だから新約聖書は信じない」とはどういうことですか。イスラエルが再建して、特に6日戦争の後からユダヤ人で新約聖書を信じる「メシアニック・ジューイッシュ」が急激に増加している事実をご存知ないのですか。

私はアインシュタインが「新約聖書は信じない」とは言っていません。

それにアインシュタインはユダヤ人だから新約は信じないにしても旧約は信じているでしょう。

と推量の文章にしています。(故人に関して「いるでしょう」はおかしいですが)
「新約は信じていない場合でも旧約は信じていると推定される。」のどこが「信じていない」になるのですか?

また「メシアニック・ジューイッシュ」が増加している事実がアインシュタインも新約聖書を信じていたという証拠にはなりません。
(私自身は彼がどうであったかは関心ありませんし、議論の前提にもしていません)


ノアの箱舟  投稿者:なんじゃもんじゃ 投稿日: 2003年02月19日15時20分

に全動物は乗り切れないだの、水は何処から来たかだのという、創造論者に対する初歩的な疑問は
もうとっくに解決済みかと思っていました。

家事の合間です・・・


雑感  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年02月19日15時11分

>「客観的自然データを観察し、創造論の立場に立って、科学的用語をも使用した万物の起源」

これが「科学的用語を味付けに使って創造論を解説する立場。ただし科学と
しての厳密性は追求しません」という事だとしたら、それこそ誉められた物
じゃありませんよ。
# そういう意味ではないのだとしたら謝ります。ごめんなさい。

科学的に厳密で無い説明に自然科学の用語を使うべきではありません。自然
科学は使用範囲を限定する事でツールとしての強力さを手にしています。自
然科学の権威は欲しいけど厳密さは要らないと言うのでは不実な態度の誹り
は免れないでしょう。


絶対ねぇ…  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年02月19日15時08分

聖書の言葉は絶対である、とするなら、世界は聖書が著された時からすべてが決められ、他のどんな可能性も持たないことになります。聖書の教えに従って生きることはまったく構いませんが、世の中を聖書の言葉通りに捻じ曲げるというのは、途方もなく傲慢な態度にしか見えないのですよ。


マルチレス  投稿者:ハッター 投稿日: 2003年02月19日14時55分

PDX.さんへ
おっしゃるとおりです。リロードしていました。

うだうださんへ
気にしていらっしゃらないかもしれませんがうだうださんのこと文章長いって言っといて自分でこれなんだものごめんなさい。

たまごちゃんに続いて現実逃避中です。


定義の問題?  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日14時48分

To なんじゃもんじゃさん

>私は「創造科学」という言い方は好きになれなくて、「客観的自然データを観察し、
>創造論の立場に立って、科学的用語をも使用した万物の起源」とでもした方が良かっ
>たのではなかったか、と思っています。

 用語は違いますが、目的は創造科学(科学的創造論)と同一ですよね?
 あるいは、「科学」の名を冠することによって公教育の科学の授業で教えることを目的としていない、というのであれば創造科学とは別物かもしれませんが。

「科学」を名乗るのであれば、生物学の学会で科学的手法による検討をされ、反証を試みられる必要に迫られます。
 少なくとも自然科学はそういうものです。

 なんじゃもんじゃさんの定義は、「科学」と名乗らないことで生物学の学会には干渉しないもの、という立場をとることで共存をはかるものでしょうか?


 ところで、Q1〜5についてその後どうなったのでしょう?


創造論と科学的創造論の違い  投稿者:ゆん 投稿日: 2003年02月19日14時41分

私が使った言葉の意味で言えば、『創造論』とは、広く『神が世界を作った』
と言う考え方一般の事を指します。先のURLで言えば『理神論』『有神論的進
化論』『古い地球論』『新しい地球論』までがそこに含まれます。

『創造科学(科学的創造論)』と言った場合は、この『新しい地球論』の教派を
指します。GOAさんの言及にもありますが、彼らは1900年代に主にアメリカ
の南部で盛んになった勢力で、聖書による神の創造を科学的に立証すると謳っ
ています。

しかし残念ながら(そう、それはおそらく残念なことなのです)、彼らの主張は
自然科学として扱うにはあまりに穴が多すぎ、疑似科学としか言い様の無い代
物に堕してしまっています。

重要な事は、進化論が正しいかどうかとすら関係無く、それ以前のレベルで、
『科学的創造論』は自然科学の体裁を為していないと言う事実です。

本当に真面目に、自然科学の手法で聖書の記述を実証したいと思う欲求を持つ
人々にとって、まずすべきは『新しい地球論』の教派の唱える現状の『科学的
創造論』とは手を切ること。そしてもっとまともな自然科学的手法に則った研
究を始める事なのです。

当然、「どうしてそこまではっきりと進化論は自然科学で、科学的創造論は自
然科学じゃないと言えるの?」という問いをなんじゃもんじゃさんは持たれる
事だと思います。これはとりもなおさず『自然科学って何なの?』というお話
です。説明にはけっこうな時間がかかるでしょうが、なんじゃもんじゃさんが
それに付き合う気力がおありなら、説明をしてくれる人はたくさんいます。も
ちろん私も時間の許す限りはお付き合いさせていただこうと思います。

なんじゃもんじゃさんのもやもやしているだろう気持ちを晴らすために少しでも
ヒントになればと思い、いくつかのポイントを箇条書きにして見ます。

・『信仰』と『自然科学』はその『形』が全然違う
・『自然科学』は目に見える物しか扱えない程度の大した事の無い代物である
・『自然科学』は目に見える物を扱う範囲においては強力なツールである
・『自然科学』はロケットを飛ばす
・『自然科学』は乳幼児の死亡率を劇的に下げる
・『自然科学』はインターネットを実現する
・『信仰』は病める人の魂を救う
・『信仰』は人に生きる意味を教える
・『信仰』は愛を語る
・『自然科学』には病める人の魂を救う事も、人に生きる意味を教える事も、愛を語る事も出来ない
・『信仰』にはロケットを飛ばす事も、乳幼児の死亡率を劇的に下げる事も、インターネットを実現する事も出来ない


反感の矛先が違います  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日14時37分

To 青野和明さん

 私が創造科学に対して抱く反感は、「純朴な聖書信仰に基づく創造論に対する信仰」についてのものではありません。

・進化論を生物学の学会で正々堂々と正面から論破し、科学的な証拠をもって定説と
 なるのではなく、政治的努力(州法による進化論教育の禁止等)によって側面から
 科学教育・研究に対する圧力をかける姿勢

が、第一に好きになれない部分です。これは、信仰を動機とした学問に対する過干渉であると、私には感じられます。

 このやり方で、ビッグバン宇宙論は聖書に反するから天文学を学校で教えることを禁止しろとか、6000年より古い文化・文明は聖書に反するから考古学を学校で教えることを禁止しろとか、そのような焚書まがいのことをされてはかなわない、というのが私の立場です。


>私たち聖書信仰者の他にこの掲示板の攻撃対象とされている人はいない。

 聖書信仰者を攻撃の対象としているわけではありません。
 創造科学を名乗る疑似科学を攻撃の対象としているだけです。
 上で書いたとおり、また先の記事に書いたとおり、個々人の信仰そのものについては相手の意思を尊重したいと思っています。

 また、相対性理論は間違っている、とかそういう方面の疑似科学の話題も出ることはありますし、それらの理論を主張しているのは多くの場合聖書信仰者ではないと思います。


なんじゃもんじゃさんへ  投稿者:ハッター 投稿日: 2003年02月19日14時32分

みなさんがおっしゃっておられるとおりなのですが、
私が反対する事は
”創造科学は科学であり、進化論は科学的に間違いである。”という主張です。

私が言った”サンタが存在することは科学的にも証明されている、サンタがこっそり家に忍び込んで子供にプレゼントをおいてこれるということは家庭のセキュリティーシステムを作っている会社はインチキだ!”というのは上記のことを比喩的に述べたつもりでした。

 信仰の問題として世界がどのように作られたかをどのように信じようともそれは個人の自由であろうと思います。世界には多くの宗教がありますね。そのうちどの神様がもっとも尊い方と決められるでしょう?それを信仰する人の数でしょうか?信じたおかげで幸せになった人の数でしょうか?もっとも情熱を傾けて信じられている神様でしょうか?そうであったとしてそれをどうやって測ればいいのでしょう?

 一方科学はどんな人であっても同じ方法で観測した場合に普遍的に同じ結果が出るもののみを扱うものだといえるかもしれません。だから人によって異なる神様の存在に頼らないで説明できるもののみを扱う分野だと考えてください。そして科学はなるべく単純で合理的な仮説を支持するという約束があるのです。ですから薬剤耐性菌が出てきたことに対して”種内での新種は認める”というような特別ルール(おやつ問題での妖精にあたります)なしで合理的に説明できるほうの仮説を支持するのです。大体、科学で”認める”などというルールは”いったい誰がどういう理由で認めたのかという根拠を誰もが納得する形で示す”という問題も引き起こします。もう世界規模の洪水は起こらないけれど火は降ってくるというのならその根拠を示さなければならないのが科学です。

 私の邪推ですが、”種内での新種”の一説はノアの箱舟に到底全部の生物は乗せられたものではないという直感的にわかりやすい事実からきているものと思います。でも、もうちょっと考えてみてください。全地表を覆う量の水をどうやってまかなうことができるか全球(地球全体の意味です)での水分収支を考えてみてください。

 信仰は信じるということが前提ですね、科学はつねに疑うという姿勢があります。ですからもうなんどもみなさんがおっしゃっているように、進化論が科学的に間違いであると証明されれば進化論は捨て去られるのです。情けのかけらもない世界です。

 どんな分野であれ、科学の分野は共通の土台の上に載っています。インフルエンザのワクチン開発には敬意を表するけれども進化論はいただけないというのは自分の科学に対する知識がないことを理解していないか、もしくは単にダブルスタンダードだといわれても仕方がないと思います。
 宗教の問題は確かに私は詳しくはありません。ですから宗教の問題について話しはしていないつもりです。進化論は科学の範疇にあります。生命倫理という話題ならばオーバーラップする話題であると思いますが。そういう話題は話していないつもりです。


ほへ?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2003年02月19日14時17分

うだ~2さん
>うわーわざとです・・・。想像論と書いちゃ駄目でしょ?聖書に乗っ取って話すことなので
>創造と書きました。

↑上記の文は、うだうださんには理解出来るのでしょうが、私には理解できません。でも、真意を説明して欲しくもありません(笑。(言いたいことは分かりました)

>結局僕が言いたかった事は、水辺があったから人間は水に入っていったのか、それとも
>水に入らなくてはならない何か?があったのかどっちなんだろうと考えたからです。

たまたま水中生活、半水棲に特化した個体〜集団がいて、ニッチを獲得したのでしょう。進化そのものは無目的ですから、自然がそういう人類を選択しただけなのではないかと。
#あくまで、アクア説が正しい場合という仮定ですが。


キリスト教  投稿者:なんじゃもんじゃ 投稿日: 2003年02月19日14時09分

まず、

To GOAさん

私は「カソリックがキリスト教ではない」などと考えたことも、言った覚えも有りませんが。
  「ローマ法王の信仰は、(純粋な)聖書信仰ではなく、キリスト教」です。

それから、「アインシュタインはユダヤ人だから新約聖書は信じない」とはどういうことですか。イスラエルが再建して、特に6日戦争の後からユダヤ人で新約聖書を信じる「メシアニック・ジューイッシュ」が急激に増加している事実をご存知ないのですか。

To PDXさん

アメリカ合衆国での「進化論・創造(科学)論争」は、以前からよく耳にしています。
私は「創造科学」という言い方は好きになれなくて、「客観的自然データを観察し、創造論の立場に立って、科学的用語をも使用した万物の起源」とでもした方が良かったのではなかったか、と思っています。
ただ、他の宗教などとは違い聖書は、「万物は神の超自然的介入があり創造された」が基本になっている為、科学の独占分野に土足で入り込むかのごとく言われてしまうのでしょう。
聖書の記述をただの神話と考える信者、聖書の記述通りに創造されたが御言葉に専念する信者、科学的用語を用いてもの申す信者、様々です。
しかし、大方の信者が「神の書かれた書物は2つある」それは、「聖書」と「万物」であると信じています。

あぁ、ちょっと煮詰まってきたので、主婦らしく家事に専念します。
では、また。

  


反感?  投稿者:青野和明 投稿日: 2003年02月19日13時53分

////////////////////////////////////////////////////////////////////// 
「私の場合、アメリカで問題になっている、創造科学(科学的創造論)という、一種の疑似科学に対する反感があります。」私の姿勢 投稿者:PDX.  投稿日: 2月19日(水)13時15分06秒
////////////////////////////////////////////////////////////////

この反感をもたれているのが我々聖書信仰の立場なので、
まず、聖書信仰の中心について説明したと思ったが理解されていない。

私たち聖書信仰者の他にこの掲示板の攻撃対象とされている人はいない。
検索エンジンで「創造論」を入れるとこのウェブサイトにきてしまう。

はじめから聖書の記事に反感を持って読まれてはたまらない。
創世記に「神が創造した」とあるのだから本来この根拠だけでじゅうぶんなのだ。

人間は自分の知恵を誇るのが好きだ。
でもその知恵すら神が創造されたものだ。
人間に与えられたものだ。

イエス様は「幼子のようにならなければ神の国を見る事は出来ない」
といわれた。
素直に聖書を読むことが重要なのだ。

聖書は科学について書かれた本では無いが、
書かれた事については誤り無い神のことばである。
そう信じるのが私達の信仰だ。

聖書の中心はイエス・キリストによる身代わりの救いだ。


http://seishokirisuto.com


補足  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日13時32分

 先に書いた記事のような立場をとっているので、私は単に「私は創造論を支持する!」というだけの意見には極力反応せず、スルーする姿勢をとっています。

 なんじゃもんじゃさんのあげたQ1〜Q5のように、具体的に検討可能な話題に反応するようにしています。
 地層の褶曲や堆積物の大きさですとか、そういう議論をするのに聖書に関する知識は不要だろうと思うからです。
 そして、そういう議論は、相手の信仰に対する否定にはならないだろうと思うからです。


 まぁ、たまに冗談も書いたりしますが(^_^;


もちろん  投稿者:GOA 投稿日: 2003年02月19日13時17分

なんじゃもんじゃさん

>GOAさん、ローマ法王の信仰はローマ帝国時代に融合した、グレコ・ローマンの異教の神々の
影響が大き過ぎて、聖書的ではないので、聖書信仰の代表などと思わないで下さい。宜しく。

聖書信仰の代表かどうかは知りませんが、カトリックがキリスト教でないというなら客観的事実に基づいて証明すべきですし、そうでなければ「進化論を容認しているキリスト教徒がいる」ことを否定するべきではありません。
そうでなければ信仰に基づく選民思想とそしられても仕方がないと思います。

またなんじゃもんじゃさんの種の定義(種の定義は、交配可能なジーン・プールとのことです)に従えば、交配可能だったショウジョウバエが隔離した結果交配不能にな集団に分かれてしまったと言う有名な観察結果があります。

>私も人のことは言えませんが、どうして好戦的になってしまうのでしょうか。

正直なところなんじゃもんじゃさんの質問は入門書を読めばすぐに解決することですし、この掲示板でも同じ回答を何度となく繰り返しています。
たいがいうんざりして対応がぞんざいになってしまうのも仕方がないことだと思いませんか?
(「仏の顔も三度」ということわざはクリスチャンには無意味かな?)

>天文学や物理学の分野の方々は、アインシュタイン博士を初めもっと聖書に対して柔和であるのに、特に生物学となると途端に空気が変わってしまうように感じるのはきっとわたしだけですね。

アインシュタインのような偉人と比較されると取るに足らない私などは困惑してしまいます。(笑)
それにアインシュタインはユダヤ人だから新約は信じないにしても旧約は信じているでしょう。
そのような人と聖書を信じないとを比べても意味がありません。
多分クリスチャンの生物学者は聖書に対してもっと寛容だと思いますよ。


ありゃ?  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日13時16分

 二重にペーストしちゃったか?(汗)


私の姿勢  投稿者:PDX. 投稿日: 2003年02月19日13時15分

To なんじゃもんじゃさん

 すでにゆんさんが書いていますが、創造論と創造科学の違いをしっかりしてほしいです。
 そして、この掲示板では、あくまで「創造科学」を「科学的に」進化論と比較して議論することを主な目的としています。
 単なる信仰としての「創造論」については、「はぁそうですね」としか言いようがないですし、ただの布教活動のような発言は歓迎されません。

 私はキリスト教徒に喧嘩をうりたいわけではありませんし、教義のひとつひとつを攻撃したいわけじゃありません。
(そんなことをするなら、ここではなくキリスト教徒の人のWEBページで掲示板荒らしをするような愚行と大差ないでしょう)


 私の場合、アメリカで問題になっている、創造科学(科学的創造論)という、一種の疑似科学に対する反感があります。
 これは、公立高校の生物学の授業で創造論を教えるために、創造論者が言い出した説です。「進化論を生物学の授業で教えてはならない」という州法が、違憲とみなされ棄却されたため、「進化論と科学的創造論を、対等の仮説として同じ時間を割いて生物学の授業で教えよ」という州法をつくり、そこで教えるための説です。
(結局この新しい州法も違憲とされ棄却されました)
 そして、グールドらの著書に詳しいのですが、地質学や生物学からの歪曲された引用など、かなり酷いことを彼らはしています。
 グールドは著書の中で、創造科学は科学と信仰の両方を損なうものだと書いています。
 あくまれ彼は、キリスト教の信仰を否定はしていません。
 信仰を科学にみせかけたものを否定しているのです。
 
 私も彼同様、キリスト教を信仰する人の人格を非難するつもりはありませんし、信仰は自由だと思います。
 その上で、科学を(自然科学を)名乗るのであれば、科学のルールの中で議論されなければならないと言っているのです。

 ですから、私にとって、創造論そのものはここで議論すべきものではないと思います。
 創造科学が、議論の対象です。
To なんじゃもんじゃさん

 すでにゆんさんが書いていますが、創造論と創造科学の違いをしっかりしてほしいです。
 そして、この掲示板では、あくまで「創造科学」を「科学的に」進化論と比較して議論することを主な目的としています。
 単なる信仰としての「創造論」については、「はぁそうですね」としか言いようがないですし、ただの布教活動のような発言は歓迎されません。

 私はキリスト教徒に喧嘩をうりたいわけではありませんし、教義のひとつひとつを攻撃したいわけじゃありません。
(そんなことをするなら、ここではなくキリスト教徒の人のWEBページで掲示板荒らしをするような愚行と大差ないでしょう)


 私の場合、アメリカで問題になっている、創造科学(科学的創造論)という、一種の疑似科学に対する反感があります。
 これは、公立高校の生物学の授業で創造論を教えるために、創造論者が言い出した説です。「進化論を生物学の授業で教えてはならない」という州法が、違憲とみなされ棄却されたため、「進化論と科学的創造論を、対等の仮説として同じ時間を割いて生物学の授業で教えよ」という州法をつくり、そこで教えるための説です。
(結局この新しい州法も違憲とされ棄却されました)
 そして、グールドらの著書に詳しいのですが、地質学や生物学からの歪曲された引用など、かなり酷いことを彼らはしています。
 グールドは著書の中で、創造科学は科学と信仰の両方を損なうものだと書いています。
 あくまれ彼は、キリスト教の信仰を否定はしていません。
 信仰を科学にみせかけたものを否定しているのです。
 
 私も彼同様、キリスト教を信仰する人の人格を非難するつもりはありませんし、信仰は自由だと思います。
 その上で、科学を(自然科学を)名乗るのであれば、科学のルールの中で議論されなければならないと言っているのです。

 ですから、私にとって、創造論そのものはここで議論すべきものではないと思います。それは相手の信仰に対する批判・否定となってしまい、私の望むものではないからです。
 創造「科学」が、議論の対象です。
 それゆえに、聖書に対して無知というのは、聖書は自然科学の論文ではないから、ここで議論の対象とはならないだろうと思うからです。
 創造科学は、「科学的証拠に基づく創造論の証明」をすると謳う説ですので、彼らのあげる「科学的証拠」について検討するだけの知識があればよい、と思っています。


ゆんさんに質問  投稿者:なんじゃもんじゃ 投稿日: 2003年02月19日12時54分

創造論と創造科学の違いを、もっと具体的に教えて頂けませんか?

(URLは参考に致しましたが、不十分でした)


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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