このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
創造論と創造科学の違いを、もっと具体的に教えて頂けませんか?
(URLは参考に致しましたが、不十分でした)
なんじゃもんじゃさんは
『創造論』と『創造科学(科学的創造論)』はイコールでは無い
という事は理解されていますか?
http://doko.totto.to/~tosakai/creationism.html
参考までにこのサイト内のコンテンツ『起源をめぐるいろいろな考え方』の
URLを引用しておきます。
このサイトで『進化論』との対比として議論の遡上に上るのはあくまで後者の
『創造科学(科学的創造論)』がメインであり、前者の『創造論』については不
可知の立場の人が多いと私は認識しています。
この二つを同一視する人には区別をつけたがる事自体が誤魔化しに見えると
思いますが、実のところ『進化論』と現状の『創造科学(科学的創造論)』
(ここで現状の、と但し書きをつけたのに注意!)を隔てている点こそが
自然科学の要諦であり、また信仰者への配慮(『創造科学(科学的創造論)』
を否定しても『創造論』を否定したことにはならない)からもこの区別は
重要なのだと考えています。
現在の『創造科学(科学的創造論)』が何故科学として受け入れられる理論
になっていないか、どうやったら科学足りえるのか? というあたりに関
しては現在進行形で議論中ですので、ひとまずここまで。
To ハッターさん
私の文章読解力が足りないのか、お互いの思考回路の違いなのか、今一つポイントが掴めません。
すみません、また違っているかも知れませんが、「種内での新種は認める」が変だったのでしょうか。
木に例えて言うならば、進化論では「1本の木」が有り、単細胞からどんどん枝分かれして進化に進化を重ね、やがて複雑な形態へと発達した、訳ですよね。
創造論は、初めから完全な形で出現して、木で表せば何本もの木が有り、それぞれの木という限定された境界内で「生めよ、ふえよ。」(創世記1章)と増え拡がった、と言っていると私は意図していたのですが。
そもそもここは、「進化論と創造論についての掲示板」ですよね。
その割には皆さん聖書に関して、あまりにも無知ではないでしょうか。
科学的思考法と言語のみにより解決できるとお考えでしたら、あまりにもナイーブという気がします。
そもそも、お互いに噛み合わないことを認識しての出発点から始まっているのですから、何とか
相手側の見解も学びつつ、相互の類似点・妥協点を探り、或いは、やはり相反すると思えば
それはそれでまた、自分の主張に対する認識が深まる訳です。
私や他の聖書信仰者、或いは創造論者が「あぁ、やはり進化論が正しかったのだ。」と考えを
改めることも有り得るかも知れませんし、その逆もしかりです。
私も人のことは言えませんが、どうして好戦的になってしまうのでしょうか。
天文学や物理学の分野の方々は、アインシュタイン博士を初めもっと聖書に対して柔和であるのに、特に生物学となると途端に空気が変わってしまうように感じるのはきっとわたしだけですね。
To うだうださん
そもそも古生物学だって考古学の一部かも、とも思ったり(笑)
というか、考古学という言葉はすごく意味が広いのでは。
歴史学とか民俗学とかそういう分野は、自然科学ではなく人文科学ですよね。
ちゃんと研究しているのであれば科学なんじゃないかなぁ。
>僕は勘違いしてたのですが、ぎし倭人伝とう文献から、やまたい国の謎を探ろうと
>するのは考古学とは学問のジャンルが違うのでしょうか?
魏志倭人伝、邪馬台国くらいMS−IMEにも登録されていると思うけど(汗)
(私が使っている IME2000 には登録されています)
歴史学とか民俗学とかには詳しくないので、魏志倭人伝に基づく研究の価値の判断は私にはできません。
魏志倭人伝が偽書かそうでないか、の研究とかは、立派な考古学ではないかと思います。
魏志倭人伝が偽書であるなら、その価値は竹内文献とかと同じ程度に下がってしまうし、それに基づく研究もそう評価されるでしょうねぇ。
To ハッターさん
記事を投稿したあと、ブラウザのリロードの機能をつかって掲示板を開こうとしていませんか?
前回と同じURLを用いてリロードするブラウザの場合、フレーム情報も一緒に再送信してしまい二重投稿になってしまいます。
(それを警告し、キャンセルできるブラウザもありますが)
履歴の機能を使って掲示板を再表示しても同じことになるかもしれません。
この場合、記事を書いてない状態で、掲示板のURLをお気に入りに登録すればいいかと思います。
すいません自分のHN間違えてました。
科学とは何かとまたそんな話になってしまいそうな為、考古学は科学的と訂正し
ておきます。口伝えの伝承が残っている証拠もないため、これ以上主張は止めて
おきます。PDX.さんの言いかった事は、考古学も丹念に証拠集めをしていると
言う事ですね。
僕は勘違いしてたのですが、ぎし倭人伝とう文献から、やまたい国の謎を探ろうと
するのは考古学とは学問のジャンルが違うのでしょうか?
(おや、かくりさんのテリトリーかな)
To うださん
>口伝え伝承として太古の人間が水から進化してきた事が残っていたとしたら
>どうでしょうか?最も科学ではなく、考古学的な話なんですけどね。別の民
>族でもこのような話をする事があるそうです。
私はアクア説については「???」なのでなんともコメントのしようが。
別に書いたとおり、アクア説を持ち出すまでもなく洪水についての伝承は生まれうると思いますし。
あと、「最も科学ではなく、考古学的な話なんですけどね」の一文は、考古学者を怒らせるのではないかと危惧します。
「尤も」→「最も」の誤変換なんて気にならないくらいに(^_^;
レスありがとうございます。わたしが問いかけたこととは微妙に違ったのでもう少し説明します。私はあの話を薬剤耐性菌に対するあなたの答え”種内での新種は認める”というくだりについて意見したかったので書いたのです。先のおやつ問題では常識的に考えてお母さんはおせんべいは3枚、ケーキは2個用意してくれていたと考えるのが一番合理的だということは理解していただけますよね。”妖精さんがいる”とか”妖精さんは甘いものだけつまみ食いをする”という例外となる条件ををわざわざ付け加えて話をややこしくして実はケーキは3個あったという話は苦しくありませんか?科学的な思考ではそういうものを仮定しないでできるだけ単純に合理的に説明できるものを確からしいとするのです。そういう意味で創造科学の種内の新種は認めるというスタンス自体が科学的な手法といえないと言いたかったのです。ですからお子さんにサンタさんがいるとかいないとかという話の例としてこのお話は使ってほしくて書いたのではないのです。なぜならサンタさんは”私が存在することは科学的にも証明されている、私がこっそり家に忍び込めるということは家庭のセキュリティーシステムを作っている会社はインチキだ!そんな会社の製品を買うな”なんてむちゃなことは主張していなじゃないですか。
PDXさんへ、おっしゃるとおりです。
一応ギルガメッシュ叙事詩などの話は知っています。ただ深層心理は遊びの気持ちで
言いました。口伝え伝承として太古の人間が水から進化してきた事が残っていたとしたら
どうでしょうか?最も科学ではなく、考古学的な話なんですけどね。別の民族でもこの
ような話をする事があるそうです。
もっとも人間が最近起きた洪水の話を元にして作った事の方が最もらしいですね。
しかもノア氏が生きていた時代が猿人に近い時代だったとすれば、余計に創造論の
人たちを怒らせる事になりますね。
大文字ナンさんへ
×勝手に創造→○勝手に想像、ね(笑。
うわーわざとです・・・。想像論と書いちゃ駄目でしょ?聖書に乗っ取って話すことなので
創造と書きました。
結局僕が言いたかった事は、水辺があったから人間は水に入っていったのか、それとも
水に入らなくてはならない何か?があったのかどっちなんだろうと考えたからです。
大文字ナンさんはどちらだと思いますか?その点が例の説は半水上生活だとあやふや
なんです。水に入らなくてはいけない理由はなんですか?です。洪水で強制的に島に
閉じ込められたのならなかなか説得力があります。しかし水辺があるから、猿が水の
中に入っていったならばどうもご都合主義ではないでしょうか?
To なんじゃもんじゃさん
Q1関連ですが、化石の成因は進化論とは直接関係のない地質学の問題という気がします。ですから、化石の成因について語るときに『進化論では』という言い方は変な気がするので、おたがいやめにしませんか?
さて、化石の成因ですが、湖沼でも海でも川でもできます。
洪水や土石流で短時間にできることもあります。
先の記事に書いたとおり、永久凍土やタール・トラップという可能性もあります。
なんじゃもんじゃさんの最初の問いは「柔らかい組織の化石」についての問いだったので、腐敗する間もなく短時間で埋葬される例として洪水や土石流をあげただけで、全ての化石を洪水で説明しようなどとは最初から思っていません。
大多数の化石は、骨や牙、殻など硬い組織が化石になったものであり、これらは全身が腐敗してからゆっくり埋葬されても不思議ではないでしょう。これらの説明に、洪水や土石流は不要です。
なお、地質学者は、堆積岩の地層の粒子の直径から、その地層ができた当時の水流の速度を推定できます。(水の流れる速度が違うと、運ぶことのできる砂粒の重さが変わりますよね)
砂岩や泥岩であれば比較的穏やか、れき岩であれば水流が速かった、など。
長い時間をかけてゆっくり堆積した岩石の存在は、上の点で検証できると思います。
×勝手に創造→○勝手に想像、ね(笑。
あと「捕捉」の誤字は他の掲示板でもさんざん繰り返しているので、注意してくださいね。
#誤字は仕方ないですよ、でも同じ間違いを繰り返すのは良くありません。
さて、大洪水が実際にあったとしても不思議はないと思います。ですので、深層心理を持ち出すこともなく、実際にあった大洪水をもとに、その地域にいた他の人々が死に絶えた事実を指して「箱舟に乗らなかった人は死に絶えた」と表現したのかも知れません。この辺は聖書研究家や死海文書関係の方が詳しいと思いますが、私にはこれ以上コメントしようがないですね。
水棲人間(中間種?)とアクア説を「ロマンチックに」私も考えて楽しんでいますが、これをファンタジーにしちゃうと、せっかくの仮説が「まったく根拠のない空想」に貶められちゃう気がしてあまり賛同できません。まぁSF小説の世界でなら、アリだと思いますけどね。
しかし、どうせそこまで飛躍するなら、毛がなくて背骨の構造が泳ぐのに適していた個体だけが、洪水を生き延びたって方がダイナミックと思う(笑。
おずおず...さん、創世記6章14節〜16節です。
To うだうださん
>実はですね、いつも話している水生人間は大洪水を経験した人間の深層心理が
>聖書を作らせたのではないかと勝手に創造しているんですが、どうでしょうか?
なんというか、文章の意味が読み取り難いのですが……(汗)
かなり途中が省略されているような気がして。
たぶんこういう意味なんじゃないか、と意訳したのが下記の文章です。
実はですね、いつも話している水生人間仮説なんですが、それが正しいとして、水中生活を送っていた当時の人間が大洪水を経験して、その時の深層心理が聖書の洪水伝説を
書かせたのではないかと勝手に創造しているんですが、どうでしょうか?
どうでしょう?
でも、洪水が恐怖だったのはなにも水中生活者でなくても、水辺の低地で生活していた人間にとっては有無を言わさず死活問題です。
(伊勢湾台風を経験した人々の話を聞いていますし、私自身東海豪雨を経験しています)
多くの文明は海辺や大河に面した低地でおこっていますから、それらの文明に洪水伝説があっても不思議ではないと思います。
深層心理なんてユングやフロイトのような言葉を使わなくても、実体験として洪水や津波の恐怖は身にしみていると思います。だから、洪水伝説が聖書にかぎらず世界中の古い文明の伝承に残されていても不思議ではないと思います。
聖書との関連ではギルガメッシュ叙事詩とかが有名ですよね。
進化論の勉強も不足している現実は、身に染みて実感する今日この頃です。
PDXさんに何故Q1.の質問をしたかも、これに由来するのです。
創造論では化石の堆積(石炭層を含め)の多くは、「地球全土を覆うノアの大洪水」によると考えられている為、以前から聖書信仰者は「洪水説」を支持していました。しかし、進化論では「沼沢地説」が主流だった頃が有り、後に「洪水説」が注目され、私も現在では「洪水説」に軍配が上がっているという最新の情報には無知でした。
石炭形成が、温度と圧力が有れば実験室で短時間内に出来ることが分かり、長い年月が必要なく無くなったのも「洪水説」に移ってきた1つの要因なのですか?
T8848さんからのご指摘がありました、「突然変異」の件も」知識不足でした。
でも、無能な疑問かも知れませんが、それって放射能汚染に寄り高等生物の出現も有り、という
ことを進化論者は考えているってことですか?チェルノブイリ汚染効果で新人種出現!とか...
放射性物質が「放射線」を出す現象とか性質のことを「放射能」というんでしたよね。
ハッターさんの投げ掛けをそのまま子供達にしてみます。
因みに、下の子はまだ「サンタクロース」が居ると思っています。上の子は居ないと思っているけど「サンタは居るよ」と言っておけば、プレゼントをGET出来るとせこいことを考えています。
真ん中の子は両者の様子を伺いながら、自分の意見は秘めています。
GOAさん、ローマ法王の信仰はローマ帝国時代に融合した、グレコ・ローマンの異教の神々の
影響が大き過ぎて、聖書的ではないので、聖書信仰の代表などと思わないで下さい。宜しく。
おずおず...さん、土木技術の専門家ということですので、創世記6章14章〜16章にある
ノアの箱舟の設計図をご検討下さい。一般的に絵画で知られているようなチンケなお船では
なかったようです。・・・蛇足ですが、「船」という漢字はノアの箱舟に乗船した人数を表して
います。ノア+息子達のセム+ハム+ヤフェテ+4人の奥さん達=8人(中国で「口」は「人数」
を表していたそうです)
ノアは罵声を浴びながらも息子達と(他に雇われた人々が居たかは不明)100年かけて造船しました。「ノアの生涯の600年目の第2の月(ユダヤ暦でしょうか)の17日に、巨大な大いなる
水の源がことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。」(創世記7:11)とあります。
この頃の地球の様子と寿命との関係についての、創造論的見解についてはまた書きます。
現在生存する人類は、ノアの子孫です。生物も乗船した祖先種のつがいから増え拡がったものと
考えられています。ただし、泳げる生物に関しては乗船していたかどうかは忘れました。調べます。
「ノアの大洪水」は地球規模のものでしたが、神は「地球規模」に至る洪水はもう無いよ、とのことです。局所的なものは今に限らず良くありますね。
しかし、「火」に寄る地球規模のカタストロフィは今後有るよ、とのことです。
すみません。創造論は「神」抜きでは語れないものでして...
実はですね、いつも話している水生人間は大洪水を経験した人間の深層心理が
聖書を作らせたのではないかと勝手に創造しているんですが、どうでしょうか?
大文字ナンさん、こういうファンタジー的発展もあり?
>だとすれば、これら3層(洪水以前、中、後)の境は観察可能だと思うの
ですが、いかがでしょうか?
つまり、洪水以前の層にも生物の死骸はあったはずだし、以後にもあるはず
です。で、洪水で大量に死骸が発生した(主に陸生生物)はずですから、そ
ういった差異が認められるはずですよね。
お返事ありがとうございました。>なんじゃもんじゃさん
私は土木技術を専門とする人で、宗教も生物学も全くの素人です。
もちろんこれから色々勉強していくつもりですが、学習途上ではときどき
とんちんかんなことを言ってしまうこともあると思います。
だから、「おずおず」なのです(^_^;)。よろしくお願いします。
で、早速やってしまいましたが、神様の日程についての誤解、失礼いたし
ました。
耐性菌の件について、それでは創造論の立場においても、少なくとも、種
以下のレベルでは、偶発的な突然変異が起こりうること、病院内というよ
うな特殊な環境下では特定の変異の選択的繁栄が、少なくとも直接的には
神の手を借りずに行われるということは認められる、ということですね。
遺伝子のレベルで考えると、種の間の差異ってなんなのでしょうね?
...もう少し整理してからまた、この件については議論してみたいと思
います。
化石について、ここでは過去の事例についてもっぱら話されているようで
すが、土木屋の視点からすれば、これも現在進行中の現象だと思います。
WTCの悲劇の後、ハドソン川の川底にあの惨劇によってばらまかれた灰
や建造物の破片が堆積してはっきりとした層を作っているそうです。多分
有毒ガスによって死んだ鳥の死骸なんかも含まれているとおもわれます。
これらの上にもまた堆積物は重なり、それらがやがて時代をあらわす層と
なって、堆積岩、また変成岩となっていく過程は、地中の環境を再現する
ことにより実験等で確認することも出来ます。決して過去だけのものでは
ないと思います。
さて、ノアの洪水以前にも堆積は起こっており、洪水以後もやはり続いて
いるはずです。
だとすれば、これら3層(洪水以前、中、後)の境は観察可能だと思うの
ですが、いかがでしょうか?
また、ノアの箱船に乗らなかった人間は絶滅したはずですが、日本人は、
ノアの子孫なのでしょうか?
...質問だけなら馬鹿でも出来る...。
古くは、進化論に反対するカトリック信者にG.K.チェスタトンがいるのを知っていが、
今はGerard J. Keaneというカトリック創造論者がいるのだ。
プロテスタントにとってはもちろん聖書が最終権威であるが、
カトリックにも聖書に忠実なすばらしい信仰者がいる。
中絶に対してはマザー・テレサ(の後継者)と、
進化論に対しては彼らと共に戦えるだろう。
「問題はフランス語の「une」が英語の「a」または「one」のどちらの意味にもなり得るところにあります。一般のメディアが「more than 'a' hypothesis(単なる仮説以上)」と訳したのに対し、公式のローマ・カトリック新聞L'Osservatore Romano は「more than 'one' hypothesis(一つより多い仮説、すなわち二つ以上の仮説)」と訳したのです。」
公式のローマ・カトリック新聞は一般のメディアとは違う訳し方をしている。
これはカトリック新聞の方を信じるべきだろう。
http://www.theotokos.org.uk/pages/creation/creation.html
>ここで進化論と食い違う点は、犬と猫を交配させられない、
>もし仮に出来ても子孫を増やせないということです。
なんじゃもんじゃさんが進化論では犬と猫を交配して新しい
種を生み出せるとでも主張していると思っておらられるのなら
「もうちょっと進化論についてお勉強しましょう」としか
言い様が無いかも知れません。
もともと有りもしない物を否定されても「はぁ、そうですか」
と答えるしかないわけで。
これでは話の噛み合いようがないのではありますまいか。
>↓ローマ教皇の「進化論容認」発言についてはここに答えがあった。
まさしくローマ教皇は「進化論は仮説の1つである」と認めほとんどのローマ・カトリックの学校で、進化が教えられています。ということで、カトリックは進化論を容認しているという書き込みが正しいことを証明したわけですね。
ありがとうございます。
(といってもこの記事は創造科学に興味がある人なら知っている人も多いのですが)
自分で自分の首を絞めるのもいかがなものか...。(苦笑)
「最近発表されたローマ法皇の進化論支持は、何を意味するのか?」
↓ローマ教皇の「進化論容認」発言についてはここに答えがあった。
http://www.answersingenesis.org/Japanese/qa/roma.asp
お母さんがお仕事で家を空けています。学校から帰った子供は家の鍵をあけて中に入りました。
”おやつを食べてね”とお母さんからのメモがありお皿におせんべいが3枚ありました。
子供はおかあさんが3枚おせんべいを用意してくれたと思いました。
つぎにお母さんが留守の時にはお皿にケーキが2個ありました。
子供はもともとお母さんが何個ケーキを用意していてくれたと思うでしょうか?
合理的に考えると家には鍵がかかっていて誰も入れなかったはずです。そして2個ケーキがあるのだからお母さんは2個用意してくれたと考えます。
しかし、実はお母さんは3個用意してくれていたのに妖精さんがやってきて1個食べてしまったと思うから本当は3個だったと子供は考えました。”だってお母さんが出かけて私が帰ってくるまでのことは誰も見ていなかったもの”。それではおせんべいはどうして3枚のままでいいの?と誰かが聞いたとします。”妖精さんは甘いものだけが好きなの。私は妖精さんがいると信じているの。みんなはお母さんが出かけて私が帰ってくるまで家には誰もいないと信じているだけでしょう?本当にみたわけじゃないもの。だからみんなの言ってることと私が言っていることはともに主観で言ってるという意味では同じよ”
というお話の意味を考えてください。
犬と猫を交配させるなんて進化論にもありませんよ。
その中間種なんてものも。
それから、放射線による突然変異は有用なものもあります。というか、わざわざ放射線を照射して突然変異を起こさせて、その中から有用なものを選択しています。そうして得られた微生物や植物は、なんじゃもんじゃさんが知らないだけで普通に使われています。
少しずつ、無い頭と手元に有る資料を元に対応させて頂きたいと思います。
まず、耐性菌の話などがでましたが、残念ながら詳しくはお答え出来ません。
ただ、どうも勘違いされているようですので申し上げますが、創造論では種内での新種については
矛盾しておりません。祖先種があり、(種の定義は、交配可能なジーン・プールとのことです)
様々な種類の犬、猫等があるように、新種はどんどん増えるわけです。
創世記1章11節〜30節をお読みになっていらっしゃるかと思いますが、「それぞれその種類にしたがってお造りになった。」という聖書箇所です。
ここで進化論と食い違う点は、犬と猫を交配させられない、もし仮に出来ても子孫を増やせないと
いうことです。
突然変異が起こる原因に放射線がありますが、より良質な新種への改善とはならないということで、神が境を定められたと創造論では解釈しています。
ご挨拶が遅れました。おずおずさま、はじめまして。
初めの質問への解答はお待ち下さい。
2番目の質問(?)の中に「神様が7日間ですべての種を造られた。」と有りましたが、
正しくは、6日間です。ただし、3,4,5日目です。それに、6日間が私達が現在認識して
いる時間を指すのか1日が進化論のいうような長い時間であるのかは、決着が付いていません。
すみません。夫がPCを使いたいようなので今日はここ迄となってしまいました。
> 三葉虫は示準化石に定められ、今から6億年前に堆積が始まったとされているカンブリア期の地層で発見されますが(滅多に発見されないとも聞いておりますが)、単純な生命どころか、とても複雑な構造をしているそうですね。
私の家に三葉虫の化石とアンモナイトの化石があります。東急ハンズとか、北海道のデパートで買ったものです。お土産に売ってるくらいなので、希少なものとは言えないのでしょう。ちなみに三葉虫は「なんとなく好き」なので、3つ化石を持っていて、ひとつは「資料の重石」に使っています(笑。
To 安賀須若人さん
アクア説ロマン〜♪
「大文字=アクア=ナン」を覚えていただきありがとうございます。水分の補給については、まぁ淡水湖を出さずとも、半水棲くらいで十分に説明はつきますし、森にいようが海辺にいようが雨は降ったでしょうし、うだうださんが「欠陥」と捉えるほどの大問題とは少しも思っていませんでした。それと、食料確保の面から勝手に私が想像していた仮説は、汽水域(河口部)に住んだ人類祖先の小集団が隔離を経て進化したのでは?という感じでした。もちろん、ご紹介いただいた湖岸はさらに証拠まであるようですから、アクア説をさらに後押ししてくれるのかも知れませんね。
>両者が客観的な観察データを主観的な「主義」の立場から解釈していることを
>皆さんはどうしても認めたくないようですので、仕方が有りません。
要するに、進化論者も創造論者も「共にバイアスがかかっている」と言いたいのかな。
確かに、私は進化論を(ある程度)知っているので、なにかデータを見たときにそれを「進化を証明するもの」として捉える傾向を持つかも知れない。だけど、それが進化を反証する結果になることだってあるかも知れないことは分かっているし、もしもそれがはっきりしたのなら、通説に矛盾が生じたことを隠したりしないでしょうね。
もっと端的に言うと、私は進化論が間違っているのならそれで構いません。ただ、進化論が間違っていたとしても、創造科学は科学でさえないし、間違っているというより「嘘」であることを冷静に理解しています。つまり進化論が大修正を迫られたり、誤認として捨てられることになったからといって、創造論が主流になることはあり得ないと知っています。
Aという説が間違いだからと言って、Bという説が正しいことの証明にはなりません。創造科学論が正しいのだとしたら、進化論の間違いを指摘する以前に、自ずと創造を科学的に証明する証拠を持っているはずなのです。
ハッターさんがすでに書いてた...。
神様が7日間で全ての種を作られた、つまり、それ以降は新しい種は作られていない。
...ということですが、MRSA(抗生物質耐性黄色ブドウ球菌)やエイズウィルス
の変異等は、現在進行しつつある進化の実例だと考えてはいけないのでしょうか?
品種改良とかも...。
化石については、いかに紹介するサイトがいいのではにゃーだろうか
http://web.infoweb.ne.jp/minecity/park/index.html
ここの、「化石ってなに?」「中学生の化石学習」を見てほしいものだにゃ
特に、示準化石と示相化石という概念は重要だし、初歩的な地学にも触れてあるにゃん
>なんじゃもんじゃ
なにより、僕は岡藤先生のファンになっちゃったにゃー。萌え萌え。
こういう先生は本当にえらいし、影響力がでかいんだよね。
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/kakukaHP_system_kanrika/combinate/
岡藤先生について知って、僕に思い出されたのは上記のサイトで紹介されている西岡先生だにゃ
僕はこの先生に物理を教わってるんだよにゃー。でかい影響をうけましたにゃー。
と、ちょい自慢したくなったのだにゃん
私信にお返事♪(非常に個人的な内容で、皆さんごめんなさいです)
>わはは。ビデオ夜会vol4「金環食」買っちゃいました。
うらやましくて、 やっぱり うらやましくて うらやましくて うらやましくて 今夜は 泣くと・・・思います。(って、なんでやねん。)
御存知かもしれませんが、ファンの中では一番人気なんですよ、金環食は。にも拘らず、私はなぜか持っていない・・・。次のツアーのチケットが取れたら会場で買う予定です♪
それにしても、カマンベールさんって以前から姫のファンなんですか?もし私の影響だったとしたら、管理人さん、マジでごめんなさい。姫にお仕えするのにはお金がかかります。
♯ vol7「2/2」もイィですよ♪できれば、筋を知らない状態で観てください。
http://studyup.jp/~digger/note/geotime.html
こことかがあてになりますでしょうかねぇ?
カンブリア紀に先立つものとしてヴェンディアン(ヴェンド紀)が設けられ、その中ですら細分化されています。
ページの冒頭に
>多細胞の大型生物が登場するヴェンド紀以降の年代です。
とありますが、結局のところ地質年代に名前がつけられたときの基準というのがその当時見つかっていた化石であり、研究が進んで古い化石が見つかれば、先カンブリア紀とカンブリア紀の間の境界線がどんどん過去に遡っていく気もします。
バージェス動物群はカンブリア紀のごくごく初期に分類されるかもしれません。
それでもおそらく、エディアカラ動物群は先カンブリア紀の末期に分類されるのではないかと思います。
それ以外に先カンブリア紀の化石としては、原核生物の化石や、ストロマトライト、あとクラゲ、サンゴなどが見つかっています。
藍藻類による光合成の結果放出された酸素が、鉄を酸化させた酸化鉄の地層は、間接的に光合成生物がいたことの化石とみなせるかもしれません。
また、ストラマトライトの中には、虫食いの跡のようなものが残っているものがあり、その正体は不明ですがストロマトライトを食べる生物がいたことをうかがわせます。
Q2について
まず、三葉虫は「滅多に発見されない」ようなものではなく、彼らが生息していたと推定される時期(カンブリア紀から二畳紀にかけて)大いに栄えた一族で、化石はあちこちで見つかります。(だからこそ示準化石たりえます。滅多にみつからない化石では基準になりません)
そして、先カンブリア紀の化石は、バクテリアのようなものに始まり、バージェス生物群やそれに先立つエディアカラ生物群などの化石が見つかっています。
「1つも発見されない」なんてどこの誰が言っているのでしょう?
ただし、重要なこととして、古い堆積岩は、それが古ければ古いほど、岩そのものがほとんど残っていないことを気にとめておいてください。
カンブリア紀という「比較的新しい」時期ならともかく、38億年前の岩石はわずかしか残っていません。
地球はプレートテクトニクスにより、古い地殻が海溝の底に沈みマグマに溶けてしまうことで、古い岩石は長い間に失われてしまっています。
それでもなお、バクテリアの化石が発見されるということは、失われてしまった古い岩石にはそれだけ多くの化石が残っていたかと思うと残念でなりません。
>無脊椎動物→脊椎動物
これの候補と呼ばれているのがピカイアです。脊索動物の祖と呼ばれています。
>魚類→両生類→爬虫類→哺乳類の移行形
何をもって「魚類」「両生類」「爬虫類」「哺乳類」の線を引いていますか?
これらの境界線は人間が恣意的に決めたものであり、しかもたいていはただ1つの基準でばっさり定義されるのではなく複数の条件を満たしたら「○○類」と呼んでいるはずです。
「エラで呼吸して足がないの魚類」「幼生時はエラで呼吸して足がなく、成長すると肺で呼吸して足があるのが両生類」としてしまうと、ハイギョはどうなるのか、という問題に直面します。
同じようにカモノハシも、爬虫類か哺乳類かで議論になりました。
これらの生物は、それぞれの間を結ぶミッシングリンクか、もしくはそれに近い形質を残した子孫といえるでしょう。
ウマの進化が、単に大きさだけを問題にしているとお思いでしょうか?
化石でしか見つからない小さなウマには足の指が5本あり、それが3本に、1本に、と変遷していったことは進化の過程ではないのでしょうか?
そして、現生のウマでも、稀に3本指の個体が生まれることは実際にあり、これはウマの遺伝子に、まだ3本の指を形成するだけの情報が残っていることを示しています。
>始祖鳥に関しても、現代も爬虫類のような歯や鍵爪が有る爬虫類は存在します。
これは「現代も爬虫類のような歯や鍵爪が有る鳥類は存在します」ですかね?
羽に鍵爪がある鳥は、ある種の猛禽類だかのヒナの段階で一時的にあるというのは知っています。
歯のある現存の鳥というのは知らないのですがどんな種なのでしょう? 教えてください。
To なんじゃもんじゃさん
私の記事を無視せずにちゃんとお返事をいただけたことを嬉しく思います。
用語が難しくないことについては、私自身が生物学の専門家ではないことに由来します。
私にもわかるていどの言葉しか遣いませんのでご安心を。
Q1について
>Q1.に対しての解答は、創造論も全く同じです。
というのは、どういうことでしょうか?
ノアの洪水による一度の堆積で化石ができた件についてでしょうか?
あなたの最初の質問の内容は、硬くない組織が化石として残るのはなぜかという問いであり、進化論と創造論との化石についての解釈の差異についてではないと思っていたのですが。
しかし、ノアの洪水の規模を想像すると、柔らかな組織の化石がもっとじゃかすか発見されてもよさそうな気がしますけどね。全世界規模で一気に埋まったのだとしたら。
ゆっくり堆積して、肉や皮膚が腐っている余裕なんて無い気がします。
>両者が客観的な観察データを主観的な「主義」の立場から解釈していることを
>皆さんはどうしても認めたくないようですので、仕方が有りません。
こういう言い方をされるとなんかもう残念なのですが、
この時期子供のインフルエンザが心配ですが、よく”今年こそ新型が出現か?”と騒がれますね。また、溶連菌や中耳炎にかかったとき抗生物質を血中濃度が一定になるように1日3度にわけて子供に飲ませますが過去にはなかった耐性菌の問題はどうでしょう。これらは進化という考え方が大きくかかわっている問題です。
http://www.nifty.ne.jp/forum/fkonchu/sinka/
http://www.nifty.ne.jp/forum/fkonchu/sinka/d5.htm
ここなども理解の助けになるかもしれません。
なんじゃもんじゃさんがなさった質問はなんじゃもんじゃさん自身で一度はきちんと調べて見ましたか?
まず、私は信仰をもって心明るく生きるあなたは素敵なお母さんだろうと思います。また、科学的な思考というものがどういうものなのかをきちんと理解して適切な問題解決能力を示せる親は素晴らしいと思います。過去になんどもここの管理人さんが挙げている例で”聖書では蛇は塵を食べて生きているとしていますが本当はねずみなどの小動物を食べているのが観察されている”というのがあります。なんじゃもんじゃさんは神が直接書かれたわけでなく、後世の多くの伝聞からなる聖書の一字一句が何より大切とお考えなのですか?懐の広い神の許しと愛こそがその本質であると考えていると私はあなたの以前の書き込みから感じたのですが。
>20億年分程現れても良いはずなのですが、この科学技術が発達した現代の調査方法を駆使しても1つも発見されないのは何故なのか疑問です。
祖先が発見されないのはおかしいと思われませんか。
先カンブリア期の化石も発見されています。おかしいのはあなたの理解だけです。
始祖鳥に関しても、現代も爬虫類のような歯や鍵爪のある鳥類(爬虫類は誤)は存在します。
たまごちゃんへ
お久しぶりです。
>天照かぁ。嫌がっている奴を無理やり岩戸から引きずり出してまであがめる趣味は私にはないので遠慮しておきます。第一、天皇制には興味がないので、天つ神を信仰するいわれはないのだわ。
ただし、某歌姫扮するアマテラスなら心より崇拝させていただいております。(一瞬でも私のMEGAMI以外の者をあがめようとしたことを猛省)
わはは。ビデオ夜会vol4「金環食」買っちゃいました。貸してあげましょうか?
私の頭の中はいまやDIAMOND CAGEがぐるぐるまわりっぱなしです。
科学的専門用語などを、なるべく使わずに忍耐してお答え下さいまして、感謝しております。
さて、
Q1.に対しての解答は、創造論も全く同じです。
Q2.に関しては、やはり説得力に欠けるように思われます。何故なら、例えば、
三葉虫は示準化石に定められ、今から6億年前に堆積が始まったとされているカンブリア
期の地層で発見されますが(滅多に発見されないとも聞いておりますが)、単純な生命
どころか、とても複雑な構造をしているそうですね。
すると、それ以前の進化の過程を示す化石が、先カンブリア時代の地層に少なくとも
20億年分程現れても良いはずなのですが、この科学技術が発達した現代の調査方法を駆使
しても1つも発見されないのは何故なのか疑問です。
祖先が発見されないのはおかしいと思われませんか。
無脊椎動物→脊椎動物、魚類→両生類→爬虫類→哺乳類の移行形(ミッシング・リンク)
が無いのは、どうしても変です。
馬の進化図が利用されることが有りますが、大きさは進化とは言えないですし、現在でも
38cmの馬を産むことが出来るそうです。
始祖鳥に関しても、現代も爬虫類のような歯や鍵爪が有る爬虫類は存在します。
すみません、Q3.以降に関してはまた後ほど検討します。
>両者が客観的な観察データを主観的な「主義」の立場から解釈していることを
まずあなたが論証してください。
またはこれまでになされた反論や説明に対して、きちんと反論してください。
これは議論のマナーです。
To なんじゃもんじゃさん
>両者が客観的な観察データを主観的な「主義」の立場から解釈していることを
>皆さんはどうしても認めたくないようですので、仕方が有りません。
「科学」(自然科学)の手法として、科学の世界で一般的に認められている手法を用いていると主張しているだけです。
そのような手法を用いること自体は「主義」かもしれませんが、そう呼ぶことはその手法の有効性を否定できるものではないでしょう。
私が先にあげたDNAを比較する方法については、私と両親を共有するきょうだいについて、DNAを比較すれば共通する部分があるという推論を時間的に拡張しただけのものでしかありません。
(きょうだいではなく、親類縁者程度に拡張してもこの手法は有効でしょう。白人、黒人、黄色人種ではどうでしょうね? 哺乳類全体では?)
>1.植物の葉などの形を鮮明に残した化石、動物の糞の化石、動物の骨だけでは
>なく肉を伴った化 石等は、どうして腐敗せずに残っているのですか。
バージェス頁岩に残された化石などは、泥流などで急速に押し流されて土砂に埋もれて、腐敗する間もなく埋葬されたと推定されています。
短時間で土砂に埋もれて水分の出入りがなくなることで無酸素状態になれば好気性細菌による腐敗は進みませんし、さらに多くの土砂が上から積もることで押し固められると圧力で水分が出てしまうので腐敗しにくくなります。
また、永久凍土やタールトラップに落ちた生物がそのまま化石になることもありえるでしょう。
>2.種から種への進化途上の化石が大量に発見されるはずなのに、見つからないのは
>何故ですか?
これはもちろん、祖先種と子孫種の間の移行ということですよね?
ヒトとクジラが遠い昔に共通の祖先を持っていたからと言って、現在のヒトとクジラの間の中間種なんてものは仮定する必要はありませんよね?
(馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、前もってこれは確認させてください)
ヒトであれウマであれ、クジラであれ様々な中間段階の化石が発見されていると思いますがどうでしょう?
また、進化の進行の過程は、大きな集団の偏狭に位置する少数の集団の中で急速に進む(と言っても数千年というオーダーですが)こともありえ、この場合世代数・個体数が少なく中間段階の化石が残り難いことが考えられます。
>3.それぞれの年代ごとに分かれて堆積した地層に横断して、木などの植物の化石が
>残されているのは何故ですか。
立ち木化石や化石林の多く(殆ど)は、泥流や火砕流で短時間の内に土砂に埋まったもののはずです。地層は確かに厚いのですが、年代ごとに分かれて堆積した地層を貫いて発見されるものは、下記のようなプロセスを経たものではないでしょうか。
1)立ち木が土砂に埋まり立ち木化石となる
2)立ち木化石を含む地層が露出し、侵食をうける
この時、珪化木が周囲の地層より硬いと、珪化木のみを残して地層が失われる。
3)この状態で再び海底や湖底に沈み新たな地層ができると、複数の地層にまたがる
立ち木化石ができる。
2)について、「そんな好都合なことがあるか!」とおっしゃるかもしれませんが、
下記の実例を。
http://www2.plala.or.jp/tagucchan/ichinohe/
「直立する珪化木としては日本最大のもの」ということは、「直立する珪化木」は日本だけでもいくつかあるということでしょう。珍しいことではないのです。
>4.場所により、地層の年代が入れ替わっているのは何故ですか。
褶曲や断層では説明できませんか?
褶曲により地層がS字状になって裏返しの順序になった場合、地層に含まれる粒子の重心などを調べることで、地層が堆積したときの上下位置を地質学者は推定できます。
(地層に含まれる小石の重心位置の平均をとることで、どちらが「下」であったかを推測できる。それが逆さまになっている場合、褶曲の曲がった層が欠落していても、褶曲があったことの状況証拠として有力なものとなる)
>5.高山の頂から塩の結晶が発見されるのは何故ですか。
造山運動で、海底の堆積岩が高山となることは別に珍しいことでもなんでもありません。
実際ヒマラヤ山脈はインド亜大陸がアジア大陸に押し付けられたことでできた山脈であり、斜めに走る地層が目で見える山も少なくありません。
たとえエベレストの山頂で化石が見つかっても、おかしなことではないでしょう。
両者が客観的な観察データを主観的な「主義」の立場から解釈していることを
皆さんはどうしても認めたくないようですので、仕方が有りません。
お互いにこのことを承知した上で、先へ進むしかないのでしょう。
ごく初歩的な非科学者の質問にお付き合い下されば、嬉しいです。過去ログのこの辺に出ている
等示して頂ければ、幸いです。なにしろ、10(以上?):1なので・・・
馬鹿らしくて付き合ってられないと思われるようでしたら、無視して頂いても結構ですよ。
1.植物の葉などの形を鮮明に残した化石、動物の糞の化石、動物の骨だけではなく肉を伴った化 石等は、どうして腐敗せずに残っているのですか。
2.種から種への進化途上の化石が大量に発見されるはずなのに、見つからないのは何故ですか?
3.それぞれの年代ごとに分かれて堆積した地層に横断して、木などの植物の化石が残されている
のは何故ですか。
4.場所により、地層の年代が入れ替わっているのは何故ですか。
5.高山の頂から塩の結晶が発見されるのは何故ですか。
取り合えず、進化論を習いたての子供が疑問に思うようなことばかりですが、宜しくお願い致します。
なんじゃもんじゃさん
>純粋な科学とは、自然界を観察してそのデータを説明しようとする理論を立てて、他の研究者
が繰り返して確認できる科学実験を通してその理論を試し、修正していく科学方法のこと。
進化論はまさしくそのような手法を取っているではありませんか?
現在の進化論が正しければ、現在も進化が進行中だと推定され、そしてそれが現実に観測されています。
なんじゃもんじゃさんの科学の定義によれば進化論にはまったく問題がないことになります。
科学が過去のことに言及するのが哲学なら「先史時代の人間は性行為によって子供を作った」ってのも哲学になるぞ!
To安賀須若人さんへ
> 古人類化石の見つかるグレート・リフト・バレーって
あうあう僕が暖めてきた考えを壊してしまいましたね。
一般的なアファール三角地帯でなく、トゥーマイが発掘された地域に淡水湖が
あるそうです。もちろんトゥーマイ自体が胡散臭い事は承知の上です。
http://www.nagaitosiya.com/lecture/0147.htm
責めるような発言になったこと、申し訳ありません。地下に眠るM さんの発
言の趣旨は理解しているつもりですし、基本的に賛同してもいます。
正直言って、創造論者の発言の多くは読むだけで気が滅入ってしまい、反論
する元気が出ません。せめて、創造論者がおかしな突込みで揚げ足をとりだ
す前に援護射撃を、と思っての発言でした。失礼いたしました。
ありゃ、亀レスになっちゃったにゃー
>ごんば
>神を信じるかどうかと、進化論を科学だと考えるかどうかは基本的に別の問題ですので、
>両者に相関関係があるかのようにとられる書き方は避けたほうがいいと思います。
>また、この書き方だと「進化論は科学的に間違っている」派の人は隣人を愛していない
ようにも受け取れます。これもまた独立した問題ですよね。
>また、創造論者の多くにはおそらく、ウソをついているつもりはありません。単に、理
解(しようと)していないだけです。嘘吐きよわばりすると、苦情が出るかも。
うん
おみゃーさんのいうことに反論するつもりもにゃーけどね
話をごっちゃにしているのは、創造科学のお歴々だろ?
馬鹿以外を馬鹿といったことはにゃーし、嘘つき以外を嘘つきといったことはにゃーぞ
僕は信仰を否定したことは一度もにゃーけどね
信仰に対して常に好意的な感覚をもっているちゅう自負はあるにゃんが。
(だからこそ、信仰を盾にとって自己正当化をはかる屑が腹立たしい)
いぜん、僕はテレオロジーとテレオノミーちゅう話をだいぶしているにゃ
カントちゅう哲学者は、ニンゲンの精神の世界においては、テレオロジー(目的論)を認めるべきだ、ちゅうようなことをいっている。そこにはなかなか反対できんぞ、少なくとも進化論からはそこに反対する論理を僕は導けにゃーな。
神の存在も、ニンゲンの意志の自由も、進化論で否定することはできにゃーのよ。
カガクちゅうのはね、いつでも自分(=特定の理論)を否定する用意のあるものなのだにゃ。
充分な証拠に対しては、常にそれにしたがうものなのよ。
しかし
宗教は自己を否定してはならにゃーのさ。
「変わらないこと」をベースにする宗教は、「変わりえること」を前提とする科学に、首を突っ込むべきでにゃーのよ。それは、宗教の自殺になりえるのだにゃ。
スレッドからはずれてる質問かもしれませんので無視していただいてもかまいませんが、
創造論者の方にちょっとお聞きしたいことがあります。
仏教においても神あるいは仏陀があり教典がありますよね。
他のどの宗教においても、その宗教の神があり教典がありますよね。
じゃ、どうして、一見等価に思える各宗教の中から、キリスト教が唯一正しいと選別して
おられるのでしょうか?
「信じるから」というのは、答えではないですよね。他の宗教を信じている方も同様に、
その宗教を「信じて」いるはずですから。
To なんじゃもんじゃさん
>科学の定義
>進化論は、直接に観察できない過去の出来事を研究することですから、哲学的な要素
>がとても強く、客観性の薄い分野です。つまり、自然界に超自然的な介入はなく、全
>て行き当たりバッタリの偶然な目的なしのプロセスによって進化してきたという大前
>提のもとに研究がはじまります。
この部分の認識がかなり違うんでしょうね。
物理学や化学においても、物理現象や化学変化に、超自然的な介入など前提としません。
進化論を含む生物学において、超自然の介入を前提としないのは当然のことなのです。
>過去の出来事なので、その前提を立証も論破もできない。故に、その主義或いは理論を
>裏付ける証拠があるかどうかを調べるだけだす。ということは、「進化論主義」も「創
>造論主義」も全く同じレベルです。だから、「進化論は科学で、創造論は宗教だ」とは
>言えないのです。
進化論であれ、天文学の分野の地球の起源や宇宙の起源の研究は、いずれも反証可能な仮説を立て、それについての観測や観察を自然の中に求めます。
反証可能な仮説というのは、立証も論破も可能なものです。
(もちろん、その仮説がまちがっていなければ論破はされませんが)
どんな結果が出ても「全能の神はどんなことでも実現できるのです」という一言で片づけてしまうことの可能な信仰とはそこが違います。
ある前提を想定したら、そこから導かれる結果を考え、その結果が実際の観測と一致するかというのがこの場合の研究の手段です。
例えば、『進化論が正しければ、異なる生物間で共通するDNAのわずかな変異は、解剖学的見地に基づく系統樹とほぼ一致するパターンで系統だった変化を示すはずだ』という仮説が立てられます。
解剖学に基づく系統分類は、遺伝子工学が進歩するよりもはるかに昔から存在します。『解剖学も遺伝子工学も進化論を前提としているのだから上記のような結果が出るのは当然』という反論はこの場合無意味です。
さらに、たとえ進化論が間違っていたとしても、解剖学や遺伝子工学の個々の研究にはそう影響はないでしょう。ただ、現実に遺伝子工学の研究結果は進化論を支持しているだけです。
もし、ヒトのとあるDNAが、サルよりもコイに、コイよりもチューリップに近いという結果がでてしまったら、それは進化論の土台をくずすほどの観察結果となります。
しかし、全能の神のわざであれば、どんな結果が出ても肯定されてしまいます。
このように、進化論の研究は、あくまで自然科学のルールの中で行われています。
>進化論は、直接に観察できない過去の出来事を研究することですから、哲学的な要素がとても
>強く、客観性の薄い分野です。つまり、自然界に超自然的な介入はなく、全て行き当たりバッタリ
>の偶然な目的なしのプロセスによって進化してきたという大前提のもとに研究がはじまります。
>過去の出来事なので、その前提を立証も論破もできない。故に、その主義或いは理論を裏付ける
>証拠があるかどうかを調べるだけだす。ということは、「進化論主義」も「創造論主義」も全く
>同じレベルです。だから、「進化論は科学で、創造論は宗教だ」とは言えないのです。
皆様がこれだけ説明してもなーんも分からんかったようじゃな。
じゃあ、天文学はどうよ?ってとりあえず突っ込んどこうかのう・・・
進化論の歴史を少し勉強してみて下さい。
ダーウィン以前にも進化論はありました。その多くは、生命は最高の存在(当時の西欧人)へ進歩するというものでした。その機構も、神がそのように作られたからだとか、他にも色々ありますが、そういうものでした。
それらはダーウィンの時には、当時の科学界で科学的に否定されていました。観察事実と合わない上に、肝心の進化機構を説明していなかったからです。
ダーウィンの理論(自然選択による進化)が成功し、大筋で現在も有効なのは、それが進化の機構を説明しており、観察事実に合致しているからです。
進化論にまつわるその他の事柄(宇宙論、地球物理学、地質学、分子生物学など)は進化論とは独立に研究され、結果として進化論と整合しています。
進化論もそれに関係する諸分野も、「行き当たりバッタリの偶然な目的なしのプロセス」を前提とはしていません(「目的なし」だけは前提としていますが)。
そもそも、「進化論」なるものが研究され始めた当初に前提とされていたのは、「必然」と「目的」でした。創造論との違いは六日間かどうかだけと言って良いようなものです。
ダーウィン以後、進化論はそのような宗教・思想から離れた科学として研究されて来ているのです。
子供のおけいこの送迎の待ち時間に、PDXさんと同じことを考えていました。
これ迄「神の定義の違い」については意見を出し合ってきました。
言う迄もなく、千差万別であることは皆承知していることです。
しかし、「科学の定義」付けについて、皆同じではないかも知れません。
私も含め創造論者と、進化論主義者とではズレがあるのかも知れません。
前者・後者内でも食い違いがあるのかも知れません。
そこで、私の「科学の定義付け」を書き出してみます。
純粋な科学とは、自然界を観察してそのデータを説明しようとする理論を立てて、他の研究者
が繰り返して確認できる科学実験を通してその理論を試し、修正していく科学方法のこと。
進化論は、直接に観察できない過去の出来事を研究することですから、哲学的な要素がとても
強く、客観性の薄い分野です。つまり、自然界に超自然的な介入はなく、全て行き当たりバッタリ
の偶然な目的なしのプロセスによって進化してきたという大前提のもとに研究がはじまります。
過去の出来事なので、その前提を立証も論破もできない。故に、その主義或いは理論を裏付ける
証拠があるかどうかを調べるだけだす。ということは、「進化論主義」も「創造論主義」も全く
同じレベルです。だから、「進化論は科学で、創造論は宗教だ」とは言えないのです。
で、ハッターさん、私は現代科学の恩恵に預かっていることに関しては科学者の方々をはじめ、
関わりのある職種に従事している全ての方々の労苦には感謝しております。
それらの技術革新について科学的ではないと思ったことは有りませんよ。
(育児ご苦労さまです!!)
青野さんにはむかつきすらしない。
> 「これがあなたの生涯でした。」
恫喝と恐怖による信仰の強要ですか?
すごい「キリスト教ネガティブキャンペーン」ですね。
> 狙ってやってあの程度だった私の立場はどうなるの?!
どうしても追いつけない「天賦の才」というものがあるのです。
しかし芸人とは人を笑わせる人であって、笑われるのは芸人とは呼べません。
たまごちゃんがどっちを目指すかは自由ですよ。
> 「最小の単位があって、1粒、2粒って数えられる。1/2粒とか、5/8粒なんて中途半端なのはない」なんてのはいかが?
> でも、粒子の性質を挙げていっても、量子の粒子性の理解にはあんまりつながらない気がするけどなぁ。
いいところを突いているような気もしますが…。
>宇佐神先生も福音派の教会で知られているし、たいていの人はそれで納得してくれる。
そのたいていの人って、どんな人たちですか?青野さんと同じ教会の人々?
この掲示板では、青野さんは教会の外の人々に語りかけてるのではないのですか?
地下に眠るMさんの以前のレスは読まれましたか?このHPでも宇佐神氏はとっても有名ですよ。
管理人さんに失礼なので、
http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/flood.html
くらいは、読みましょうよ。
#「これがあなたの生涯でした。」は最低。営利目的かどうかは別にして、霊感商法と似ている。人の恐怖心を煽って、自分の売り込みたいものを無理やり買わせようとする。結構効果はありそうだ。
To:青野和明さん、
初めまして、
カトリックも中絶については強く反対していますが、
進化論に対しては強い反対はしていないようです。
(教皇ヨハネ・パウロ2世は進化論を容認しているようです)
進化論許容と中絶賛成は必ずしも関係ないのではないですか?
仏教も概ね中絶反対というか、
殺生全般(家畜の屠殺を含む)を否定し
一般在家信者の守るべき五戒の中にも不殺生戒を含んでいます。
山川草木悉皆成仏を唱える宗派もあるくらい
仏教は生命の連続性を受け入れているところが多いので
生命の起源が一つであるとする現在の進化論と親和性が高いかもしれませんが
中絶には賛成していません。
進化論を受け入れている人にも中絶に賛成しない人はたくさんいます。
To:なんじゃもんじゃさん、
初めまして、
現在の科学(物理学や化学)を受け入れて、
それに基づいて宇宙や地球で
過去に何が起きたか探ろうとする学問は、
科学の範疇に含まれるというのが大方の人の意見でしょうね。
進化生物学はそういう人たちの多くによって
科学として受け入れられている学問です。
だから多くの人は進化論は科学の土俵に乗っていると考えているのです。
To:大文字ナンさん
話が飛んでアクア説の話なんですが
古人類化石の見つかるグレート・リフト・バレーって
ヴィクトリア湖とかタンガニーカ湖とか大きな淡水湖があるじゃありませんか、
湖版アクア説なら水の補給も問題ないので有望なんじゃないでしょうか?
>辻岡先生は福音派の牧師として尊敬されている。
福音派事典編纂や中絶問題について取り上げるときには
必ずと言っていいほど辻岡牧師がよばれる。
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は現代最高の宗教人の一人として尊敬され、さまざまな場所で宗教の枠を超えてさえそのメッセージを伝えることのできる数少ない宗教家である。
もし尊敬され、いろいろな場所に呼ばれることがその人物の発言の確かさを物語っているのであれば、辻岡牧師以上に多くの人から尊敬され、重要な場面に招待されているローマ法王が、「進化論と聖書の信仰は矛盾しない」と述べているからには進化論は反聖書的ではないと証明されたも同然である。
とまあ、こんなツッコミが多数くると思うのですが、いったいどのように考えていますか?
(以前から何回となく指摘されているはずなのに都合よく見てない振りをしていますね。)
それはさておき...
「聖書とキリスト教に関するQ&A」(下のリンク)というHP上のコーナーに
アメリカの南部においては、ダーウィンの進化論を取り上げている教科書は採用されないという事実があります。科学の発達に伴って、教義が揺れ動いてきたのがキリスト教の実態ではないでしょうか?
という質問に対して、
最近では、進化論の矛盾が明らかになってきていますよ。
と答えた上でここのURLを掲載していますが、これってものすごく逆効果だと思うのですがいかがなものでしょう?
その前のQ&Aでは聖書の記述と進化論とは必ずしも矛盾する関係にはなくと言っているのに「進化論の矛盾が明らかになってきている」なんて言ったら、聖書の記述は矛盾していると言っているようなものじゃないかと思うのですが...?
http://biblebach0.infoseek.livedoor.com/QA1a.htm
>仮に進化論者が創造論者になるとしたら、
>聖書信仰の教会で信仰を持つことだろう。
>他に方法があるなら是非教えて下さい。
>他の方法で創造論者になることはあるのでしょうか。
創造論が科学的に検証され,進化を合理的に説明できるよ
うになればよいのでは.
信仰は特に必要ないと思います.
>少なくとも創造論は信仰であり、科学です。
>もし理性に反するものを信じるなら迷信、妄信であります。
>しかし、理性を超えたものを信じるなら信仰でしょう。
私にとって現状の進化論は「理性に反していない」し「理
性を超えていない」もので,「納得できる」ものです.
一方,私にとって創造論は「理性に反するもの」であり,
「理性を超えたもの」です.信じてないので,信仰の対象
にはなりません.
私が引用した数字は辻岡牧師本人から聞いたものだが、
前に会った時に一次資料について聞きそびれたので今度聞いておく。
辻岡先生は福音派の牧師として尊敬されている。
福音派事典編纂や中絶問題について取り上げるときには
必ずと言っていいほど辻岡牧師がよばれる。
宇佐神先生も福音派の教会で知られているし、たいていの人はそれで納得してくれる。
それが全く受け入れられないのなら別の資料を探さなければならない。
仮に進化論者が創造論者になるとしたら、
聖書信仰の教会で信仰を持つことだろう。
他に方法があるなら是非教えて下さい。
他の方法で創造論者になることはあるのでしょうか。
少なくとも創造論は信仰であり、科学です。
もし理性に反するものを信じるなら迷信、妄信であります。
しかし、理性を超えたものを信じるなら信仰でしょう。
とにかく数字について資料を集めます。
またトラクトは誰かを攻撃、中傷したのではなく、
聖書によればすべての人は罪を犯したとあります。
クリスチャンも罪びとであるけれどもイエス様によって罪が赦され救われました。
教会は救われた人の群れであります。
信じなければ見えないものもあるのです。
以前、一度出てきましたが「マグガバン・レポート」って信憑性あるのでしょうか?
ググっても健康食品関連のサイトばかりで、学術的にこれを論じているサイトが見当たりません。しかしヒットはけっこうするって感じで…
まぁ知人が「マグガバン〜って知ってる?」と質問してきたので、答えたいだけなのですが。
あらら、私ってば彼と同時に戻ってきちゃったんだ。ついてないなぁ(w
青野さん面白すぎ。素でそんなに面白いなんて反則ですよぉー。狙ってやってあの程度だった私の立場はどうなるの?!
ハッターさん、どうもです。
ひと悶着起こしたままろくに後始末もせずに消えていただけに、戻ってきたことを喜んでくださる方がいるということは本当にうれしいです。
かくりさん、たまごがいなくて寂しかった?!
>日本に住んでるなら,信仰するのは天照大神になると思うぞ.
天照かぁ。嫌がっている奴を無理やり岩戸から引きずり出してまであがめる趣味は私にはないので遠慮しておきます。第一、天皇制には興味がないので、天つ神を信仰するいわれはないのだわ。
ただし、某歌姫扮するアマテラスなら心より崇拝させていただいております。(一瞬でも私のMEGAMI以外の者をあがめようとしたことを猛省)
ゆうひろさん、はじめまして。
>粒子の性質とは何か?
「最小の単位があって、1粒、2粒って数えられる。1/2粒とか、5/8粒なんて中途半端なのはない」なんてのはいかが?
でも、粒子の性質を挙げていっても、量子の粒子性の理解にはあんまりつながらない気がするけどなぁ。
すでに何度か発言していることなので「ナンか繰り返し〜」と思われた方は飛ばしてください。「過去ログを読んでね」と言うより、その時その時で繰り返して書いた方が、自分の考えもよりまとまったものになるんじゃ?と私は思うもので。
特定の宗教、信仰を私は持ちませんが、ある種の超越的存在が「あった」とする主張に、私は異論を持ちません。偶然の積み重ねだけで、これほど秩序だった世界が形成され、私たち人間が地球で暮らすことなどあり得ない、という意見が良くありますが、なるほどその通りだ、と私も思います。しかし、たとえば進化論は、偶然の積み重ねだけで生物が進化したと主張するものではありません。そう捉えたのだとしたら、それは単に進化論をちゃんと知らないだけのことです。
さらに宇宙も、生物進化と同じようにビッグバンから始まり、およそ100億年かけて今の状態に進化してきました。最初から今の状態であった必要などないのです。原子宇宙の濃密なスープの中に生まれた、ほんの僅かな密度の揺らぎが、今の宇宙や銀河のもとになったと考えられていますが、そうした揺らぎを持たせたことこそ「神の裁量」である、とは考えられないものでしょうか。
#もしもそういう揺らぎがなければ、宇宙は均一になり、生命は生まれません。
進化の考え方は、一番最初に偶然の重なりを認めはするものの、それは奇跡と言うほどのレベルではありません。人間の時間スケールで考えればあり得ないような時間をかけたとしても、地球や宇宙のレベルでは一瞬の間に、しかもサイコロがちょっと続けて同じ目を出した程度のことです。しかも一度生命が出来ると、自然選択というシステムによって驚くほど複雑な変化をもたらす可能性を持っています。神を信仰する方々は、こうした世界の成り立ちの背後にこそ、人智を越えた「何か」を感じないのだろうか?と私は思うのです。
科学を知る喜びとは、こうした驚くべき世界の成り立ちをひとつずつ解き明かす感動です。もしも聖書にすべてが記されていて、この世のすべてが分かると言うなら、宇宙も世界もすいぶんと小さくて驚くに値しないものだな、と私は思います。神というものがいるとするなら、そんなにつまらないものだと私には思えないのです。人間が持ち得た最良のツールである科学をもってしてなお、分からないこと、未知のことがたくさんあって、そのすべては解き明かされることなどないかも知れない。そう思えるほどに、神の裁量は大きくて、しかも微妙なのだと私は思います。
「宗教・思想の土俵」で検討すべきと考えること自体はかまわないんだけどね、そういう切り口もあるでしょうしね。過去にはそういう話題もあったし。
でも、進化論は科学だよって散々言われたことには「科学の土俵には乗らない」と言って他人の話を無視して答えず、あるいは宗教・思想の土俵で検討すべきだという理由や根拠をも示さないのでは、荒し行為と変わらなくなります。青野氏と同じ。
これは進化論が科学かどうかと言うことではなくて、マナー、礼儀の問題です。
To なんじゃもんじゃさん
>元々初めに申し上げました通り、私は「創造論」も「進化論」も「科学の土俵」ではなく、
>「宗教・思想の土俵」で検討すべきと考えておりますので、悪しからず。
あなたはそうお考えなんでしょうけど、皆がそれに合わせる義務はないのでは?
実際進化論はこれまでも自然科学の考え方で発展してきましたし、これからも
そうでしょう。
そうでなければ、なぜアメリカの聖書原理主義者たちが「創造科学」なんてもの
を立ち上げて、創造論を科学としてみせかけねばなからなかったか、ということに
なるかと思いますが。
進化論を科学の土俵(自然科学の土俵)で語るべきではないという具体的な説明
で皆を納得させることができれば、議論になるかもしれませんが……。
そもそも、あなたにとっての「科学の土俵」とは何なのでしょう?
あなたにとっての「科学」(自然科学)の定義とは?
なんじゃもんじゃさんへ
えーと、私も小さな子供がいるお母さんです。そして青野さんに対するあなたの信仰に関する書き込みに心が清らかな方なのだなぁとちょっと感銘を受けました。
ただ、なんどもいろいろな方が言っていることにもう少し耳を傾けて欲しいと思います。進化論は科学的な手続きで語られるものであって、思想や信仰ではないのです。たとえばいまこうして私とあなたが掲示板でやり取りしているのは神のみわざではなく科学技術の発展の賜物ですよね。こどもがはしかにかかることを防ぐために真っ先にすることは神に祈ることですか?私ならば1歳になったらすぐホームドクターのところで予防接種を受けることだと思います。それは直接には神のみわざではなく科学技術の発展の賜物ですよね。そうやってわれわれはいろいろなレベルで多くの人の科学的思考の元に立った努力の上で幸せな生活をしているのです。進化論も科学的思考の元に考えられたもののひとつでありまたそのひとつに過ぎないのです。いろいろな宗教でこの世界がどの様に創られたかが語られていますね。それであたかも同じカテゴリーの話のように感じられるかもしれませんがそれとは違うのです。あなたが10代の頃に感じた渇望を科学は癒すことはまずできないでしょう。それは科学の範囲外のことだからです。科学はその程度のものだといえばその程度のものです。しかし一方で、小さな子供の命を現実に守ってくれるのも科学なのです。 こういえばわかっていただけますか?
おっしゃりたいことは分かるんですけど…進化論は宗教でも思想でもないのですよ。だから、そっちの土俵に上げようにも、上げようがない。まぁ、それさえ分かっていただければいいんですけど。一方、創造論は確かに宗教と思想に属するもので、科学ではありません。
科学的な知識がない(足りない)ことは仕方がないかも知れませんが、進化論の信憑性を評価する議論を行なうならば、科学で論じるしかないのです。ただ少なくとも、この掲示板だけでなくサイト全体を読んでいただければ、創造科学の問題点くらいは見えてくると思うんですけどねぇ。
#進化論という科学のことは良く分からない、でも、創造はあったに違いない。という程度のことでしたら個人の主観ですし、別に構わないと思います。
##聖書が正しいとしたら、進化論は間違っている。という立場の場合は深刻ですねぇ。それはもうキリスト教じゃなくて「聖書教」ですもんねぇ…
>「進化論を否定するための主張も別に書き込みを禁止していない」はずです。
を根拠に中絶問題を語るなら「進化論によって中絶問題が(容認あるいは否定)される。」ことを証明してからにしてください。
>余裕の無い方ですね。
荒らしを荒らしと言って何が悪いっ!
無視したいのでしたら、私の書き込みを無視しても構いません。
「進化論を否定するための主張も別に書き込みを禁止していない」はずです。
余裕の無い方ですね。
元々初めに申し上げました通り、私は「創造論」も「進化論」も「科学の土俵」ではなく、
「宗教・思想の土俵」で検討すべきと考えておりますので、悪しからず。
まぁ、なんじゃもんじゃのカキコは以後どうぞ無視して下さいまし。
量子スケールでは、波も粒子も区別できなくなり、それを「量子」と表現することはすでにご理解いただけたでしょうか。
私たちが日常目にするスケールでは、粒子と波は厳然と区別出来ます。具体的な粒子の性質は、ゆうひろさんが挙げられた通りさまざまに言い表すことが出来ますが、これを少し抽象的にまとめると「実体である」ことかと思います。反対に、波(波動)は「現象」であり、粒子から出来た実体を媒介して「現れるもの」と表現してはどうでしょうか。
水を例に出すなら、気体、液体、個体と「相」は変化しますが、どの状態にあっても水分子に分解することが出来、それは水素原子ふたつと、酸素原子ひとつからなります。ところが波は、あくまで水の振動という現象であって、水などの媒質なしに波だけが存在するということはあり得ないと考えるのが、通常私たちが暮らしているスケールでの「世界の見え方」ではないでしょうか。
#だから実体とは「分子〜原子に分解できる物質」と考えておくのが一番妥当かと。
なんじゃもんじゃさん
まずこの掲示板が科学的な議論を行う場所であることを十分理解すべきでしょう。
中絶問題について語りたければ青野さんのメールアドレスが以前の書き込みに残っていますので、そちらにメールを送ってはいかがでしょう?
正直言って世の中にはさまざまな信仰や信念、価値観が存在しています。
そうした中で相手の信仰を否定しないように「『科学的にも正しい』と言っていることについて科学の手法で検討する」という制約を各自が守っています。
このような心配りを踏みにじって自分たちの思い込みを垂れ流すのはいいかげんにして欲しいものです。
青野さんへの反応が冷淡なのはそうした理由からです。気づきませんでしたか?
青野さんにしてもなんじゃもんじゃさんにしても“他人に迷惑をかけない”程度の思いやりは持てないものですか?
みんなが個人の信仰のあり方について寛容であるうちに態度を改めるべきだと思います。
To EzoWolf さん
「リチャード・リーキー 2億1千2百万年」という言葉で検索したら、下記のページが
ひっかかりました。
ttp://unkokuse.hp.infoseek.co.jp/kodaibunmei/choukodai2.html
元ネタはこれ(もしくはこの文が参考にした文)でしょうね。
残念ながら、この文の中には出典が示されていないので私にはこれ以上裏は取れないです。
(この文自体がでっちあげでないことも否定できない)
青野氏の目的は議論なんかじゃないことがはっきりしているんで、放置するのが一番良いんでしょうが、悪い癖が出て、つい相手をするから次の手、次の手と繰り出して来るようですが、出てくる手口ってのが低級極まりないものなので、どれほど自分が空回りしているのか、いまだに客観視出来ていないようなので呆れているだけです。
#ちょっかい出した点では、私も悪いので反省(笑
後藤寿庵さんから既にフォローいただいた通り、私は進化論を信仰しているわけじゃありません。創造科学論とか、非進化論に比べると「遥かに信憑性がある」ということを「自分の判断で勉強して、論理的に考えて」認めているだけなんですけどね。
布教をしたいならしたいで、誠実さとかイノセントなところをもっと見せるべきなのに、青野氏の態度は「ただ頑ななだけ」で、人を怒らせることはしても、感心させたり、感銘を与えるような言葉をつむぎ出す力には甚だ欠けるようです。創造論の信憑性はともかく、それを信奉する人々の心証さえ青野氏が代表して汚していることに、気付かないものでしょうかね。
To うだうださん
ワクワクするなよなぁ(笑
顔を出してしまって、すみません。
どうしても、同じ聖書の神を信仰する者として一言「青野和明」さんへお話したくてこの場を
お借りします。
中絶に関してです。
私は家庭環境が影響して、自暴自棄していた10代の頃に中絶をした事がありました。
ただ人の温もりが恋しくて恋愛など関係無しの関係からでしたけど。
洗礼を受けたのは、そのずっと後結婚してからです。現在、元気な3人の小学生の子供がいます。
もちろん中絶は出来ればしたくは無い事でしょう。でも私はあの時の事は後悔していません。
神はそんな私をも許して下さり、愛して下さっているからです。
確かに、聖書には「殺してはいけない」とはありますが、
正しい翻訳は、「あなたが私を愛するのなら、殺さないはずだ。」です。
神を知らないのなら殺すかも知れない。
進化論でなく、創造論を信じていてもはたして守れるでしょうか。
神を愛することは、神を知ること程容易くはないと思います。
かくりさん。
「神を定義して下さい」と言う時、私が意味しているのは<3>です。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。