何を否定し、何を否定していないか
「化学物質過敏症に関する覚え書き」を公開するにあたって、「患者の苦しみは気のせいではない」「化学物質にはこんなに害があるではないか」「私は臨床環境医学によって治った」という類の反論が来ることが予測できますが、これらの反論はみな的外れです。無駄な議論を避けるためにも、私が何を否定し、何を否定していないのか、はっきりさせておくのは無駄ではないでしょう。
- 微量の化学物質の有害性は否定していません。
ある特定の化学物質に関して、これまで安全であると思われていた程度の微量の暴露によって、健康被害が生じうることは否定していません。また、個人個人によって、健康被害が生じうる閾値が異なることは否定していません。例えば、これまで安全であるとされてきた量のホルムアルデヒドに暴露することによって、健康被害が生じる人が存在する可能性は、十分あります。その疑いがある場合には、ホルムアルデヒドの基準値を見直す等の対策が必要になります。ただし、このことは臨床環境医学の主張を正当化するのに不十分です。
- 臨床環境医が言う意味での「(多種類)化学物質過敏症」の存在は十分に科学的に証明されていないと考えています。
「化学物質に大量に暴露することによって『感作』され、それ以降は微量の化学物質に対してさまざまな症状が生じる」ことは、ありえないことではありませんが、通常の生理学的見地からは予想できないことであり、証拠がない限り懐疑的に受け止めるべきです。「他の化学物質や電磁波などの刺激に対しても反応が起きるようになる」ことに対しては、さらに懐疑的にならざるをえません。今のところ、(多種類)化学物質過敏症の存在を証明する証拠はありません。
- シックビルディング症候群(シックハウス症候群)は否定していません。
シックビルディング症候群(シックハウス症候群)は多種類化学物質過敏症と混同されるべきではありません(1)。 換気の悪い環境下において、おそらくは複数の空気汚染物質によって健康被害が起きうることは、既存の医学的知見と矛盾せず、実際に健康被害は生じていることが医学的に認められています。シックビルディング症候群は、臨床環境医学の驚くべき主張を用いなくても、説明可能な概念です。
- 「多種類化学物質過敏症」とされている患者さんの苦痛は疑っていません。
「多種類化学物質過敏症」の概念を疑っているからといって、患者さんの訴えが嘘であるとか、気のせいであるとか、言っているわけではありません。その苦痛の原因が、化学物質の暴露ではないかもしれないと言っているのです。身体的な症状が心理的な要因によって起こりうることはよく知られています。あるいはホルモンバランスの異常など、化学物質の暴露とは無関係に起こった身体的な要因が原因かもしれません。他の要因を無視し、根拠がないのにも関わらず化学物質の暴露が原因であると断定することは、患者さんの不利益になります。
- 現状を肯定しているわけではありません。
「多種類化学物質過敏症」とされている患者さんが存在すること、室内の空気汚染によって健康被害が生じていることに対しては対策が必要です。しかし、十分な根拠のない概念を振り回しても問題は解決しません。
- 臨床環境医学とリンクしているさまざまな主張については、きわめて懐疑的です。
例えば、「総身体負荷量」「離脱症状」という概念、「誘発中和法」の治療効果などは、単に十分な科学的証拠がないというにとどまらず、病的科学の特徴を備えていると考えます。さらに、精神病の多くは化学物質暴露が原因による脳アレルギーである、化学物質過敏症にホメオパシーが効果がある、アナフィラキシーショックに重曹が効果がある、などなど、きわめて怪しげな主張を行なう臨床環境医もいます。
- 臨床環境医学によって治った人がいることは否定していません。しかし、体験談のみでは、ある特定の治療法に効果があるという証明にはなりません。
「教祖様の手かざしによって病気が治った」という体験をしている人もいますが、それだけでは手かざしに効果があるという証明にはなりません。原理は不明であっても、きちんとした手続きで効果が証明されれば、その治療法を行なうことに妥当性はあるでしょう。しかし、概して、臨床環境医は証明に消極的であるように見えます。
- 科学がすべてだとは言っていません。
科学的手法によれば臨床環境医学の主張は十分な根拠はない、とは言っています。科学がすべてではないのですから、科学的な証明が不十分な治療法を選択する患者さんがいてもいいとは思います。問題は、証明が不十分なものを「完全に証明された」などと嘘をつくことです。患者さんの選択は、正しい情報を与えられた上で行われるべきです。
- 受動喫煙の害は否定していません。
肺がんのリスクを上げることをはじめとして受動喫煙の害は明らかです。化学物質過敏症の疾患概念が怪しいとしても受動喫煙への対策が不要であることにはなりません。
(1) AMA Council on Scientific Affairs. Clinical ecology. JAMA 268:3465-3467, 1992
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作成者:NATROM/電子メール:(化学物質過敏症についてのメールは、件名に「化学物質過敏症」を含めると早く返事がもらえます)
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2002/06/07
2014/05/13最終改定