このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
>なぜムハンマドはこれらの事実を書けたのか?
事実じゃないから。
なぜムハンマドはこれらの事実を書けたのか?
21-30「天と地は、一緒に合わさっていたが、われはそれを分けた。そして水から一切の生きものを創ったのである」
25-61.天に諸星座を配置し、その間に太陽と照らす月を置かれた御方に、祝福あれ。
25-53.かれこそは、二つの海を分け隔てられた御方である。一つは甘くして旨い、外は塩辛くして苦い。両者の間に障壁を設け、完全に分離なされた。
55-19.かれは2つの海を一緒に合流させられる。(だが)両者の間には障壁があり一方が他方を制圧することはない。
13-3.かれはそこで、凡ての果実を2つ(雌雄)の対になされた。
20-53われはそれぞれの異なった雌雄の植物を生長させる。
51-47.われは偉力をもって天を打ち建て、果しない広がりにした。
30-41.人間の手が稼いだことのために、陸に海に荒廃がもう現われている。
75-4.いや、われはかれの指先(の骨)まで揃えることが出来るのである。
24-40.また(不信者の状態は)、深海の暗黒のようなもので、波がかれらを覆い、その上に(また)波があり、その上を(更に)雲が覆っている。
>取りあえず、波長=周波数ではなくない?
>距離=速さって言っているようなものでしょ?
ご指摘のとおり。訂正します。
>観測者にまっすぐ向かってくる時には音でもドップラー効果が起こりますよね。観測者に対して真横に進んでいたら起こらないですよね。
これもおっしゃる通り。
平行して運動している(視線に対して垂直)光を観測するには視線方向の光もなければできないんじゃないか?とか、混乱しました。ところが、相手が全方向光源であれば無問題なんだね…。
なんとなく理解したような気分になりました。
普通のドップラー効果は波の発生源が観測者に対して近づいたり遠ざかったりしている時にのみ起こる。(と思う。)
でも、観測者に対して近づいたり遠ざかったりしていなくても、観測者に対して動いていたら、特殊相対性理論によりその座標系は観測者から見て時間が遅れて見える。でも、光速は一定だから、観測者からみて波長が引き伸ばされて見えることになる。ってことだな。たぶん。
でも、それって通常のドップラー効果と仕組みがぜんぜん違うって言うか、名前付けた偉い人(誰か知らないけど)のネーミングセンス疑いますね。別によいけど。
ちょこっと検索して調べただけだから間違っていたらスマソ。
>横のドップラー効果とは、音と違って光の場合は観測者にまっすぐ向かってくる光線であっても周波数が変化するってことでちた
横のドップラー効果って言う名前ははじめて聞いたけど、
方向逆じゃないですか??観測者にまっすぐ向かってくる時には音でもドップラー効果が起こりますよね。観測者に対して真横に進んでいたら起こらないですよね。(日常生活では状況を連想できないけど、十分に距離が遠くて真横と見なせるとか、観測者から等距離でくるくる回っているとかかな?)
でも、光だったら真横でも起こるのかなぁ、たぶん。よく分からん。相対性理論とか関係してきそうな感じだね。なんとなく。
ナローバンド生活をしているため、普段はほとんどここは見なくなっちゃったんだけど、訳あってすっごく暇なので遊びに来ましたよ。
何の話しているか分からないし、あんま興味もないんだけど。
取りあえず、波長=周波数ではなくない?
距離=速さって言っているようなものでしょ?
まづ、周波数=波長なので先の投稿は完全にマチガイ!
つづいて、光の電磁波としての云々とドップラー効果の「縦と横」についても
私の完璧な勘違い!すみません>ALL
で、言い訳ついで→横のドップラー効果とは、音と違って光の場合は観測者にまっすぐ向かってくる光線であっても周波数が変化するってことでちた(苦笑…
>>蛇足ながら相対性理論では「横方向のドップラー効果」も現れます。理由はすぐわかりますね。
>ぜんぜんすぐわかりません(笑)
>よろしかったらちょこっとおせ〜てくださいませ。
「波」をグラフにすると…
波長が縦なら周波数が横ですね。
あ〜、なるほどね(苦笑。
読み直して気付きましたが、diamonds8888xさんは「共動座標系における見かけの光速度」と「静止座標系における光速度」を混同しているようだ、という批判をしているのかな?いや、私もきちんと文献にあたればいいのにネットに頼ったのが手抜きだったかな?と思い、少し古めですが佐藤文隆氏による「量子宇宙をのぞく(ブルーバックス)」を参照しました。
P.267
『どうも問題は「離れた場所にあるもの同士の速度」にあるらしい。Kを「広がった座標系」というのは、こういう場合に速度を定義する手段として導入されたものである。そして、重力があるような一般相対論で考える時間空間では、特殊相対論でいつもその存在が前提にされている「広がった座標系」がもはや存在しなくなるのである。特殊相対論の「広がった座標系」があれば、離れた場所にある物体の速度も、両方の場所にまたがって存在するこの座標系を基準にして、定義することができる。
一般相対論の時間空間では、もはやそういうものが存在しない。したがって、いちばん正確な結論は、「離れたもの同士の速度には意味がない」と言ってしまってもよい。しかし、いろいろな”はかない”速度は便利なので用いられている。超光速というのも、そういう速度が光速を超えるという意味である。たとえば離れているAからBに光を送って、ドップラー効果の大きさから相対速度を決めるといった方法もある。ただしこの速度は、違った時刻の速度を比べているから、普通の速度とは違う。
しかし、この速度の定義をさらに推し進めることはできる。たとえば、いくら待ってもBに光が到達しなければ、「Aは光速以上で遠ざかっているのだ」という表現には意味がある。しかし、この場合は光が到達しないのだから、どれだけ超えているかといった量は定義できない。 (引用終わり)
次に、今度は佐藤勝彦氏による「宇宙96%の謎」にあたりましょう。
P.180
『宇宙は生まれた途端に、インフレーション(膨張)を起こして、一秒にも満たない非常にわずかな時間(10-36乗秒)のうちに、大きさが2倍になります。さらに同じだけの小さな時間が経つと宇宙はその2倍になり、この倍々ゲームを100回も繰り返せば、”プランク長さ”といわれているような10-34(乗)センチメートルという小さなものでも、実にマクロな、何億光年という大きさになるのです。そして、ビッグバン宇宙を作っていきます。』
上記は、間接的に「宇宙開闢時には光速を遥かに超える速度で時空の膨張があった」ことを述べています。観測地平面を越えた(3K輻射のもっと遠方で、まさにインフレーションそのもの)時空の膨張が光の速度を超えていたであろうことは常識(仮説ではありますが)と思っていましたので、前述紹介サイトの記述にも特に疑問は感じませんでした。
なお、
>特殊相対論でのドップラー効果には時間の遅れの効果も入りますから、赤方偏移が1以上のものも観測されます。
と、されていますが、膨張宇宙だとか重力を考慮した宇宙を考える場合には、一般相対論で考えるべきではないのでしょうか?
diamonds8888xさん
>時空の膨張の場合、距離の膨張率が光速を越えてしまうような遠方の場所からはどのような方法によっても信号が届くことがなく、全く観測不可能な場所になることが示されます。
紹介サイトによる説明は「観測不可能なほど遠方な宇宙において」ということわりがあり、「光速度を超えた銀河の後退が観測できる」とは書いていません。つまり「宇宙の地平線を越えた領域」についての推論であって、diamonds8888xさんのご批判は的をはずしたもの、と捉えられますがいかがですか?(共動座標系についての記述も特に見られませんが)
>人間からは人間だけが生まれているという歴史的事実から、人間が聖書の創世記の記述どおりに、全能者である神に、人間としてあるとき創造されたと考えることが合理的で、ほかには考えられないと私は判断しています。ほかの動物も同様です。
もし、よっちゃんさんがキリスト教信者だったらこの意見は矛盾しています。
イエスは神だけど人間から生まれたじゃないか!
(冗談です。)
ナナシーさん
ありがとうございます。
なんとなく内容がつかめてきました。
「人間という存在ができた時」ということですね。
ついでに、「ある時」がひらがなだったんですね。
だから分かりにくかっただけなんですね。(間違ってなければ良いけど・・)
diamonds8888x様。
かなり無謀なのは承知なのですが、質問させていただきたくm(_ _)m
結局、赤方偏移は「(相対論的)ドップラー効果」による、で、よろしいのですか。(って、書いてて多分1%も理解してないんでしょうけど。)
ちょうどyoutubeにこの話題に関連したビデオがアップされていました。よろしければご覧になってみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=8bRvt0InhYk(youtubeでは科学ビデオでは有名なユーザーであるcdk007氏によるもの)
そして、
http://www.youtube.com/watch?v=TtN7lJVjDSU&watch_response(上記のcdk007氏の赤方偏移の解説にエラーを発見し、cdk007氏もエラーを認めて訂正版として紹介してるもの)
上記ビデオによると赤方偏移は、1.ドップラー効果 2.宇宙論的赤方偏移 3.重力赤方偏移の三つのタイプがあると称しておりますが(Wikiもそうみたいですね。)この三つまとめて「(相対論的)ドップラー効果」と言ってさしつかえないということですか?
それから、
>蛇足ながら相対性理論では「横方向のドップラー効果」も現れます。理由はすぐわかりますね。
ぜんぜんすぐわかりません(笑)
よろしかったらちょこっとおせ〜てくださいませ。
temaさんと、猫さんってそんな人だったのか・・・
>>ああ、なるほど。真綿で首を締めていき、のたうち回る姿を楽しんだ後に落とす・・・ということですね。
>そんな書き方をされると、temaの人格を誤解する人が居そうです。
>落とすのはいけませんね。寸前で緩めるべきです。
完全に落としちゃったらお楽しみがオシマイになっちゃうもんね
のたうつ姿をもっともっと楽しみたいというtemaの意思が伝わってまいりますにゃ
宇宙の膨張における「光速以上」という表現もわかりにくいものがありますね。読みやすいものの中で一番信頼がおけるのはたぶん、第一人者の佐藤文隆氏による「いまさら宇宙論?」(パリティブックス)ではないかと思いますが、それでも読みやすいとは言いにくいですね。
谷庵さん御紹介のサイトでは、
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~ishizaka/cosmology4.html
「赤方偏移がドップラー効果による場合、赤方偏移が1以上のものは観測されないはず」
[ダウト] 特殊相対論でのドップラー効果には時間の遅れの効果も入りますから、赤方偏移が1以上のものも観測されます。ドップラー効果を「波の媒体に対する運動による効果」に限定するならともかくとして、相対性理論においては「波源と観測者の相対運動による効果」を単にドップラー効果と呼ぶのが普通であり、「赤方偏移が(相対論的)ドップラー効果による」と言ってもなんら差し支えはありません。蛇足ながら相対性理論では「横方向のドップラー効果」も現れます。理由は、すぐわかりますね。
なお、佐藤文隆氏の著書でも普通にドップラー効果という用語を使っています。
大文字ナンさん御紹介のサイトでは、
http://tmcosmos.org/cosfaq/faq/faq003.html
「膨張宇宙では遠くの天体はそこまでの距離に比例した速度で遠ざかっています。すると十分遠くの宇宙の速度はどうしてもいずれ光速以上になる必要があります。」
[ダウト] ここでの距離は「共動座標系」という座標での距離と推測されます。「共動座標」とは、言ってみれば各星雲での静止座標系をつぎはぎしたものであり、ひとつの星雲における静止座標系とは別の座標系です。ひとつの星雲における静止座標系で見れば、遠くの星雲間の距離は後退速度による相対論的効果で縮んで表されます。ゆえに、「宇宙の地平線近傍に無限の星雲が全部縮んで張り付いている」というモデルは十分に考えられます。この場合、ひとつの星雲における静止座標系からみれば、宇宙中のすべての星雲は光速度を越えていません。宇宙の地平線に近いほど、後退速度が光速度に近くなるだけです。
まあ、ひとつの星雲における静止座標系からみてしまうと「宇宙は一様ではない」ということになりますから、一様性仮説を成立させるには共動座標系で見ないといけない、とは言えますが。
なお、上記のイメージの最も簡単なモデルはミルンの宇宙と呼ばれるモデルで、星雲間隔の開く速度がビッグバン以来ずっと一定というものです。
Kitkatさん、こんにちは。
>ああ、なるほど。真綿で首を締めていき、のたうち回る姿を楽しんだ後に落とす・・・ということですね。
そんな書き方をされると、temaの人格を誤解する人が居そうです。
それはともかく、落とすのはいけませんね。寸前で緩めるべきです。
>「全能者である神に、人間としてあるとき創造されたと考えることが合理的で」
「全能者である神に、ある時、人間として創造されたと考えることが合理的で」と置き換えると分かりやすいでしょうか?
(よっちゃんさんの一文)
>人間からは人間だけが生まれているという歴史的事実から、人間が聖書の創世記の記述どおりに、全能者である神に、人間としてあるとき創造されたと考えることが合理的で、ほかには考えられないと私は判断しています。ほかの動物も同様です
「全能者である神に、人間としてあるとき創造されたと考えることが合理的で」
という一文(じゃないけど)がよくわからないです。
文法がおかしいのか、複雑怪奇な言い回しなのか。
合理的ならもうすこし分かりやすいと思ったりするのですがどうなんでしょう?
だれか解説してくださるとうれしいです。。
全能者を持ち出した時点で反証可能性に反してしまいます。
何かを主張するのならば、主張する側がそれを立証するのがルールです。また、「ない」ことを証明するよりも「ある」ことを証明する方が容易であることはお分かりいただけますよね。
神を主張なさるのなら、科学のルールの中で、立証してみてください。
http://web.mac.com/jetmac/iWeb/Site/Home.html
>論理による応酬を試みるも次第に劣勢となり、最終的には信仰を吐露する、という展開はドラマチックです。
ああ、なるほど。真綿で首を締めていき、のたうち回る姿を楽しんだ後に落とす・・・ということですね。
木花咲耶姫を奉じながら、耶蘇教のできそこないのような脅し文句を連ねて平気という所が、AH1としては許しがたい。
こういうのを虎の威を狩る狐という。
>2月3日節分に桜島が小規模ながら噴火をしました
桜島の噴火は平成18年6月21日にもあったけどこの日は何か特別なのでしょうか?
節分じゃなくても二十四節気のどれかに該当したらそれをことさらに取り上げるでしょう。
二十四節気+節分で28日、「この日は旧暦では○○に当たります。」ってのも言いそうだから50日以上がこじつけの対象になるかもしれません。
もしかしたらバレンタインデーまで含まれたりして...。
女神さま。
国常立尊さまやら、木花咲耶姫さまなどから神示 がいっぱいやって来てお忙しそうですね。私は日本人でありながら神道はさっぱりわからないという情けない不信心モノでありますので、まず間違いなく「魂に印が入っていない」ものと思われます。
宇宙に淘汰されるのは、イヤどす。具体的にどう心を改めたらよろしいのでしょ〜か。お稲荷さんにあぶらあげでも差し上げた方がよろしいのでしょうか。(つっても近所に無いんだよな)
お教えください。m(_ _)m
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)様からの神示
『立て分けについて』 2008年02月05日神示
神様はこれまで、様々な手段で地球の危機を人に伝えようとされてきました。人の魂、心が穢れ、地球を汚し宇宙全体の運行にまで影響を与えるような深刻な事態になっているからです。立て替え立て直しは、本質的には宇宙の自浄作用です。地球を健康な状態に戻すため、不必要な物は全て淘汰されていきます。目を背けていても生きていられる時代はもう終わりを迎えようとしています。
神様のことや、このような情報が信じられないとしても、地球の状態が限界に近いことは皆様も感じていらっしゃるのではないでしょうか。人間の体が毒素を排出しようとするのと同じで、宇宙の自浄作用である立て替え立て直しは避けることができません。この世界に残される魂には既に印が入っていて決まっているそうです。しかし、まだ神様は待ってくださっています。気付き、心を改めようとする魂には必ず救いがあります。
神界では既に準備は整っているそうです。後は時が来るまで一つでも多くの魂の気付きを待ち続けていると言う状態ですが、その時も近いようです。2月3日節分に桜島が小規模ながら噴火をしました。 変革の年である2008年の幕開けです。どうか、日々魂を磨き、心を磨きお過ごし下さい。
>よっちゃんさんに限らず、たまにそういう行動を取る方がいます。必ずしも意図しての行動とは言いません。無意識にやっている事もあるのでしょう。でも、だからこそ敢えて言います。その卑怯な行動をやめてください。最初から聖書への信仰を語っている人の方が100倍は誠実です。
誠実さについては同意します。
しかしtemaとしては、よっちゃんのような行動を取る方が来た方が面白いのです。
論理による応酬を試みるも次第に劣勢となり、最終的には信仰を吐露する、という展開はドラマチックです。これが最初から信仰を根本に据えられると、「なるほど」で終わってしまいます。
temaとしては、「信仰を語るのはまだ早いです。最後まで論理による応酬を楽しみましょう」と言いたいのです。
NATROMさん、谷庵さん、アドバイスありがとうございました。
エホバの証人の中には、うちの焼き物を買ってくれる律儀な人もいて、お客様に来ないでとも言えず、ずるずると話を聞いていましたが、きっぱり断ることにしました。
先日、工房に来たエホバの証人(若い男性二人)に、どうしてエホバの証人になったのかを聞いてみたのです。そうしたら、二人とも親がエホバの証人で、幼い頃から教え込まれたようです。とても素直で誠実そうな彼らの後姿を見送っている時、ふと思いました。もし親がエホバの証人でなかったら、おそらく疑似科学という色眼鏡を掛けられることも無く、現実を客観的に見られる普通の人になっていただろうと・・・。
ちょっと悲しい気持ちになりました。
神による創造を信じるだけなら何にも問題ないんだけどね。でもそれは
科学とは無関係の話。
科学がなんと言おうと、宗教が何を信じようとお互いの領域を侵さなければ良いだけの話。
>よっちゃんさんに限らず、たまにそういう行動を取る方がいます。必ずしも意図しての行動とは言いません。無意識にやっている事もあるのでしょう。でも、だからこそ敢えて言います。その卑怯な行動をやめてください。最初から聖書への信仰を語っている人の方が100倍は誠実です。
強く同意。
あからさまに卑劣な行為をする、その心証にどんな信仰があるっていうんだ?
>話変わって、科学って「神の存在はひとまずおいといて」という原則が働いてる気がします。
「おいといて」というか、有るとも無いとも言えないものを勝手に仮定するわけにはいかない・・ということでしょう。
>だって、神の存在を直接入れたら、「すべては神の摂理」で話が片付いちゃいますから。
仰るとおりかと思います。
>そう考えると、創造論はイレギュラーな科学ですよね。
>正しいか間違ってるかはともかくとして。
イレギュラーというより、「まずは神の存在を仮定してくれ、あると信じてくれ」というのは、自然科学としてはまずいと思いますね。
(数学なんかだと世界を作ってしまえますけどね)
AH3さん。すいませんでした。
よく考えれば話の流れとしてはジョークですよね。
話変わって、科学って「神の存在はひとまずおいといて」という原則が働いてる気がします。
だって、神の存在を直接入れたら、「すべては神の摂理」で話が片付いちゃいますから。
くわしく知るには神の存在(あるいは「神の摂理」という理屈)は最初は無視しなくてはいけないと思います。
そう考えると、創造論はイレギュラーな科学ですよね。
正しいか間違ってるかはともかくとして。
彼らは私の家の前に駐車して布教に出かけます。もちろん子供連れです。ある時責任者と話をしたいと言いました。たまたまその時は、結構高い立場の人が来ていましたのでお願いをしました。私は宗教に興味がないこと、布教に来られるのは迷惑であることなどをお話しして、今後一切我が家には来ないことになりました。temarigama さんも、布教は迷惑だとはっきり言った方がよいと思います。それで来なくなるなら、初めから製品には興味のない人でしょう。
必ずしも、「キリスト教徒ならば、その創造論をそのままの形で信じている」わけでもないというお話。
キリスト教徒の中でも、聖書に書かれている通りの創造がそのまま行われたと考えている人が主流なわけではありません。聖書の逐語解釈(聖書に書いてあることは一言一句間違いないとしてその内容を解釈しようとする事)にこだわる一派はキリスト教の中でも原理主義(ファンダメンダリスト)と呼ばれる人々です。たとえば穏健派のカトリックは、公式には進化論を科学だと認めています。こうした○○派の存在もありますし、個々人の信仰も様々です。進化論を否定する人もいれば、肯定する人もいます。その一部だけを信じて一部を否定する人もおり、進化論への態度はキリスト教徒の中でもなだらかなグラデーションを描いていると見るのが妥当でしょう。
そもそも、聖書を逐語解釈することその物の問題という物もあります。「聖書学」という学問の分野が存在します。文体などの分析を通じて聖書を古文書として調べる学問です。その聖書学の研究の結果、いわゆる新約聖書は少なくとも5人の異なる著者によって書かれた文書の寄せ集めであることが判明しています。つまり、聖書は「人が収集し、編纂した」書物であり、神の言葉その物ではないという事です。
人の手が加わった書物であれば、間違いもあるだろうし、著者の意図が挿入されることもあるでしょう。そうした書物を「逐語的に解釈」する事がどれだけ妥当なのか、という問題です。実際、創生神話の部分に限っても、聖書内の複数の箇所で記述に矛盾がある事が知られています。
そうした特性を持った書物である「聖書」を根拠に実際の地球の創造を考えることは、どこまでが正しくてどこからが間違っているのでしょうか?
キリスト教創造論へ強く傾倒している人は、それを本人が隠していても(もしくは言い忘れていても)、話している内にそれとわかります。今回のよっちゃんさんの例で言えば「本質的種への強い拘り」などが顕著な特徴です。
どうせ隠したって話してる内にばれるんだから、最初から明らかにしとけっつーのが私の主張ですな。
「進化論が間違ってるとすれば、創造論が正しいと考えるのは当然なんじゃないの?」と思う人がいるかも知れないので、補足説明。
進化論とキリスト教の創造論は、「どちらかが間違っていればどちらかが必ず正しい」という1対1の関係を持っているわけではありません。世の中には数多の宗教があり、そのほとんどが独自の天地創世神話を持っています。その内のひとつだけを特別扱いすることに、妥当な理由はありません。「キリスト教の創造論」への傾倒は「キリスト教への信仰」(…と言うより聖書への信仰、かな)とセットになっている場合が多いです。
特定の宗教に依らず造物主の存在のみを争点にしたID論という物が存在しますが、これも母体がキリスト教原理主義派の創造科学であるため(というか、裁判で創造科学の教育現場への持込みを禁止されたので、宗教色を消すために科学の皮をかぶろうとしたのがID論、という方が実情に近い)、その影響からはまるで脱し切れていません。これもキリスト教系の創造科学の亜種として扱うのが適切です。
>>人間からは人間だけが生まれているという歴史的事実から、人間が聖書の創世記の記述どおりに、全能者である神に、人間としてあるとき創造されたと考えることが合理的で、ほかには考えられないと私は判断しています。ほかの動物も同様です
>ああ、やっぱり。
>やっぱりとしか言い様がにゃー。
私も地下に眠るMさんとまったく同様の感想を抱いた由。
確か、よっちゃんさんが聖書の創造論を信じているのを吐露したのはこれが始めてでしたよね。よっちゃんさんは「自分が聖書の創造論を信奉していることを隠して、進化論に素朴な疑問がある一般人であると装って書き込みをした」と見える行動を取ってしまっているわけです。
よっちゃんさんに限らず、たまにそういう行動を取る方がいます。必ずしも意図しての行動とは言いません。無意識にやっている事もあるのでしょう。でも、だからこそ敢えて言います。その卑怯な行動をやめてください。最初から聖書への信仰を語っている人の方が100倍は誠実です。
>世界中の人がアダムとイブの顔をしている場面を想像してしまいました(^_^)。
まあ,そうすると「親と子の顔は似ている事が多いにせよ,同じではない」というこれまた厳然たる事実を説明できないので,「多少の変更は認めるが種をこえることはない」という「本質的種」の概念になるのでしょうけれど.
それはそうと「霊性を似せて」という解釈であれば,(心体二元論ということになると思いますが)入れ物たる体の方がどのように作られたとしても問題ないような気もします.この体が親からもらったものであるように,ヒトの形態はサルから引き継いだものでは困るんだろうか.理神論の変奏曲ですけれどね.
まあ,いかなる進化であれ地球の歴史が6000年しかないという意見とは衝突するだろうけれど.
temarigamaさん、書き込みありがとうございました。私が学生の頃、エホバの証人の方がいらっしゃってしばらく「聖書研究」をしたことがあります。その経験が、このサイトをつくったきっかけの一つとなりました。エホバの証人の個々の方々は人間的にはたいへんに良い人たちでした。ただ、理を説いても彼らが進化論を受け入れることはないでしょう。でも、temarigamaさんが、エホバの証人の教義を受け入れることがないことが彼らに伝われば、訪問の頻度も減るかもしれませんね。
最近は、エホバの証人の方には、「間に合っています」と言って話も聞きません。ぶっきらぼうで失礼な態度かもしれませんが、彼らの立場から考えても、布教の可能性のない人に無駄に時間を潰すよりかはそのほうがいいのだと考えるようにしています。
>人間からは人間だけが生まれているという歴史的事実から、人間が聖書の創世記の記述どおりに、全能者である神に、人間としてあるとき創造されたと考えることが合理的で、ほかには考えられないと私は判断しています。ほかの動物も同様です
ああ、やっぱり。
やっぱりとしか言い様がにゃー。
>色々な民族がいて見かけが違うということは,もし人間が神によって創造されたのであれば,最初の人間はどういう姿をしていたんでしょうね?
世界中の人がアダムとイブの顔をしている場面を想像してしまいました(^_^)。
NATROMさん、はじめまして。temarigamaと申します。
「科学と擬似科学の違い」というNATROMさんのサイト、大変参考になりましたし、溜飲が下がった思いです。ありがとうございました。
工房に時々訪ねてくるエホバの証人を無碍に断ることが出来ず、上の空で話を聞いています。聖書を神の言葉と信じて疑わない彼らには、仏教や進化論の話をしても馬の耳に念仏で、空恐ろしくさえ感じる一方、一体この人たちを突き動かしているものは何なのか、そちらの方にも興味を持ってしまいます。
この人たちに科学と疑似科学の違いを分からせるのは、不可能だとしても、あと一度だけ、このサイトに書いてあることを話してみたいと思います。
自分の信じていることの為に、頑強に現実から目を背ける人々と、どう付き合っていったらいいのか困惑しています。
http://www.ne.jp/asahi/temari/gama/
見た目であれ、霊性であれ、「『神は御自分に似せ』て、人間を創った」と言う聖書の記述は、いわばキリスト教のコアの部分で、これがキリスト教をして、どうにも進化論を認め難い一番の所以なんでしょうね。
若し人間がサルから進化したものであるなら、その原型となった神は一体どう言う存在になるのか?、と言う深刻な問題を孕むからです。
地動説も神の禦座が世界の中心では無いとする、いわば悪魔の主張だった訳で、ガリレイの宗教裁判や、ジョルダーノ・ブルーノの火刑に繋がる訳ですが、それでも「居場所」の問題です。
それと比べてさえ進化論は、直接神の素性に関わる問題ですからね。
junsaanさん
まず,私の投稿(「なあんだ」)はほぼ完全にジョークですので,その事をお断りしておきます.真面目な投稿としてレスを頂いたのであれば,失礼いたしました.
白人と見まがうような日本人は時々いらっしゃいます(私の先輩や同級生にもいました).白人の血が混じっているのかもしれませんし,沿海州方面の女真族の人々などは白人的な顔だちをしていると聞いた事もあります.仰る通り,日本人といっても様々な顔だちがあるのは,長い間に色々な民族が混血した結果でしょう.
私が述べたのは.よっちゃんの主張されるように「親と同じものしか生まれない」なら,なぜ見た目の違う人間がいるのか,という疑問を茶化して表明したものです.色々な民族がいて見かけが違うということは,もし人間が神によって創造されたのであれば,最初の人間はどういう姿をしていたんでしょうね?
日本人はいろんな民族の混血の民族らしいです。
たまに、外国人そっくりの日本人がいる原因はそれらしいです。
聖書の「神は御自分に似せた」という表現は多少誤解を招きやすいのですが、「見た目を似せたわけではなくて、霊性(よくわからんが)を似せた。」というのがキリスト教では一般的の意見です(異説もあるでしょうが)。
だから考えようによっては、ヒトという種類を神が選んだというのもアリですね(←勝手な推論)。
>人間からは人間だけが生まれているという歴史的事実から、
アダムとイブは日本人だったのかあ.
神は御自分に似せたとのことだから,神も日本人だったのだね.
日本人が白人を生むところは見た事がないからねえ.<棒読み
連投ごめんなさい。
下の私の投稿なんですけど、誤解を与えかねない表現でした。
「クハ72さんのように、本当に誠実な方が見ていらっしゃるこの場所で、こういう物言いは申し訳ないのですが」と読んでください。
すみませんです。
だからぁ、なんで「聖書の神」なんだ?
クハ72さんのように本当に誠実な方には申し訳ないもの言いなんですけど、私は、よっちゃんさんが万物を創造したのは「地を這うたぬきウドンモンスター」じゃなくて「聖書の神」であることを「合理的」に説明してくださったら、全てを投げ打ってキリスト教に入信いたしますです。ハイ。
よっちゃんは自分が矛盾していることに気づいていませんか?
>人間からは人間だけが生まれているという歴史的事実から、人間が聖書の創世記の記述どおりに、全能者である神に、人間としてあるとき創造されたと考えることが合理的で、ほかには考えられないと私は判断しています。
全能な神は人間から人間を創造したのですか?でなければ「人間以外から人間は誕生しうる」ということを肯定することになりますよ。
それと今までさんざん事実の提示を求めていたのに、また「○○のほうが合理的」に逃げますか?
自分で事実の提示がなければ認めないと言う態度を取るのであれば、神による創造の事実を提示してください。
さらに全能者である神が実在するというならその事実を提示してください。
異論を唱えるのはけっこうですが、他人に要求することを自分が守れないなら発言の資格はないですよ。
> 人間から人間以外の生物が誕生したという事実が確認されたことがあるのでしょうか?
その基準に従えば
「モンゴロイドからモンゴロイド以外の人種が誕生したという事実が確認されたことがあるでしょうか?」
という疑問が湧いてきます。にもかかわらずよっちゃんは祖先が一緒だと主張しています。
そもそも何を基準に人間であるかないかを定義しているのでしょうか?
>他人には事実の提示を求めていながら、自分のことについては「合理的だと思います。」 で事実を示さない。
人間の祖先は人間であるということの論拠は、人間からは(民族、人種を超えて婚姻関係があっても)人間しか生まれていないという事実です。多分誰もが知っている事実かと思います。人間から人間以外の生物が誕生したという事実が確認されたことがあるのでしょうか?
>ところで、「ヒトがヒトしか産まない」のであれば、最初のヒトは誰が産んだのでしょう?(1月12日(土)23時32分13秒)
人間からは人間だけが生まれているという歴史的事実から、人間が聖書の創世記の記述どおりに、全能者である神に、人間としてあるとき創造されたと考えることが合理的で、ほかには考えられないと私は判断しています。ほかの動物も同様です。
(地球外生物というSFも話としては面白いかもしれませんね。)
ごきげんよう、さようなら。
仮に網膜が裏表逆になる必要があったとしたら(僕はその可能性を否定しませんが)、
それが今まで改善されずに残っていることが進化の傍証となります。
裏表逆になっているから、どうしても神経の通り道、血管の通り道として、網膜に穴をあけないといけない。
そこが盲点になってしまう。
裏表逆じゃなかったら、こんなもの最初から存在する必要のないものです。
盲点があって、何か有利なことがあるんでしょうか?
たぶん、最初の段階でたまたま光が来る方向が逆に神経がなってしまったか、そんな理由じゃないですか。そして、その頃(カンブリア紀の爆発の頃かその前あたり)は裏表逆でもどっちでも良かったんで修正されなかった。
ところが、複雑化して、視力ってのが生きていく上でかなりな比重を占めるようになったら、裏表逆なのを修正するには一旦視力ってのをおじゃんにする危険性はおかせない。一挙に修正するだけの力が、我々の造物主にはないってことで、しかたなく微調整を繰り返して今の目があると。
つまり、我々の造物主が盲目だという典型なんです、目は。
目の網膜が裏表逆になっている必要性って、何かありますか?
有利な点ってあります?
不利な点はたくさん思いつくけど、、、
光を感じる部分に、光を遮る組織、神経とか細胞とかがあったら、視力に不利だろうし、血管もあって、破綻して出血したら、すぐ失明につながる。
そして、すぐ網膜剥離を起こす。
なぁ〜んもいいことがない。
>考え方によっては、裏表逆になる必要があったという可能性もありだと思います。
それだと何でも言えちゃうし何が正しいかなんて言えなくなっちゃいますね。
「考え方によっちゃコナハムシやハナカマキリなんて植物にそっくりじゃない、ばれていないんじゃなくて、別の理由で捕食者に見つからないんだという可能性もありだと思います。」
とも言えます。
何かを主張するときには根拠を示すことが大事ですが、網膜が逆なのはどのような必要があったのですか?
JA50さん
>脊椎動物の目の光を感じる部分である網膜は、裏表が逆になっている。
これなんて、手探り、行き当たりばったり作ったものだというのがよく分かる典型例。
考え方によっては、裏表逆になる必要があったという可能性もありだと思います。
だから、典型かどうかはなんとも言えない気もするのですが…
アインシュタインの相対性理論は、1864年にマックスウェルにより提唱された電磁波理論が正しいことを前提とし、
1:慣性系の間における相対性原理
2:光速度不変の原理
3:速度v/光速度cが十分に小さい場合にガリレー変換を再現
1と2を公理とし、3を仮定することで「時間の遅れ」「長さの収縮」「同時性のほころび」を証明したものです。
つまり、「質量を持った物質を光の速度まで加速するには無限のエネルギーが必要である」は、3によって導かれる力学的な解のひとつであり、相対性理論が前提としている要求ではありません。
クハ72さんの貼ったリンク先を見ると、この掲示板の過去ログがびっしりと。
まるでグーグルがこう言っているように思える。
過去ログ嫁!
ちょっと試しに「擬態・進化」「擬態の進化・過去ログ」「擬態・NATROM」でググってみたけど、いろいろなサイトがヒットする。
どんなキーワードで検索したのか興味津々。
大文字ナンさんのリンク先では、「光速を超えて情報が伝わってはならない」が物質の速度が光速を超えることはありえないことの”縛り”なっていますが、私は「質量を持った物質を光の速度まで加速するには無限のエネルギーが必要である」が”縛り”なんだと思ってました。リンク先の解説が正解なんですか?
擬態は完璧に似ていなくとも少し似ている程度でも効果はあるということです。
ほんのわずか似ているだけでもパッと見で騙されることもあり、
外敵から身を守ったり捕食したりするのに有利になります。
それを自然淘汰によって積み重ねていけば本物そっくりになると予想できます。
参照
ttp://www.google.co.jp/custom?domains=members.jcom.home.ne.jp%2Fnatrom%2Fnatrom&q=%8B%5B%91%D4&sa=%8C%9F%8D%F5&sitesearch=members.jcom.home.ne.jp%2Fnatrom&client=pub-3514959548144412&forid=1&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&cof=GALT%3A%23008000%3BGL%3A1%3BDIV%3A%23336699%3BVLC%3A663399%3BAH%3Acenter%3BBGC%3AFFFFFF%3BLBGC%3A336699%3BALC%3A0000FF%3BLC%3A0000FF%3BT%3A000000%3BGFNT%3A0000FF%3BGIMP%3A0000FF%3BFORID%3A1&hl=ja
脊椎動物の目の光を感じる部分である網膜は、裏表が逆になっている。
これなんて、手探り、行き当たりばったり作ったものだというのがよく分かる典型例。
自然淘汰という自然界の力が働いて、さも誰かが設計したかのような保護色ができたのです。
ただし、自然淘汰というのは、神様とか宇宙人みたいに全知全能ではなく、いわば盲目ですので、よく探すと必ず不完全なところが見つかる。保護色も、きわめてよく似ているといっても、よく探すと必ずちょっと違うという部分が見つかる。
>偶然というにはとても似ているのですが
偶然じゃないからですよ。
小さな質問です。
虫の中にはコナハムシやハナカマキリなど、植物などにそっくりな生物がいますね。
偶然というにはとても似ているのですが、この保護色は科学的にはどういう説明がなされているのでしょうか?
それともまだ解明されてないのでしょうか?
>空間の膨張は物質の移動ではないので光速より早くても問題ないのです。
>空間が膨張するというのは通常知覚できないので、遠ざかっていると言うと、天体が移動しているように思いがちですが、そうではないのです。
むむ?微妙な表現ですね。
http://tmcosmos.org/cosfaq/faq/faq003.html
↑のリンクなんか分かりやすくてお勧めです。
ハッブルの法則が示すように、天体が互いに遠ざかっているというのも観測事実ですので念のため。
「光速の3倍以上の速度」というから、移動速度と勘違いしていました。^^;)
>「光速の3倍以上の速度」で移動できる物質が存在するんでしょうか?
空間の膨張は物質の移動ではないので光速より早くても問題ないのです。
空間が膨張するというのは通常知覚できないので、遠ざかっていると言うと、天体が移動しているように思いがちですが、そうではないのです。
>どこで見たのか覚えがありませんが、宇宙は現在光速の3倍以上の速度で広がっているので、宇宙の大きさの半径は宇宙年齢の3倍以上だとか。
「光速の3倍以上の速度」で移動できる物質が存在するんでしょうか?
どこで見たのか覚えがありませんが、宇宙は現在光速の3倍以上の速度で広がっているので、宇宙の大きさの半径は宇宙年齢の3倍以上だとか。
観測限界の137億光年先に見える星は137億年前にそこにあった姿なので現在はもっと遠くに離れていると推測できますね。
>ゲルマン民族で多種の人種がおりますが、進化論をマトモに唱えたのは、どのお方がいますか?小生無知のため、教えていただければ幸いです。
ゲルマン民族の正確な定義も必要だし、いちいちDNA鑑定してその人の血統を調査することはないからゲルマン民族って言われてもすぐには名前が挙がらないでしょうね。
比較的純血が保たれていると言われる日本人だって単一民族じゃないし、ここ数十年のうちに日本にやってきて日本人と変わらない外見や名前の人だって多いです。
ゲルマン民族の進化論の研究家なんて言われても、探すのは面倒だし無意味です。
ドイツ人で進化論の発展に貢献した有名な生物学者ならエルンスト・マイヤーですね。
地平線までの距離と大きさとは同じじゃないか、、、
開いた宇宙の大きさってのが、そもそも意味をなしてないかも。
よっちゃんの場合、言葉にとらわれすぎている気がします。
「種」という言葉も「犬」という言葉も人が作ったものです。
仮に神が生物を創ったとしても、人が作った言葉に縛られる必要は無いのです。
たかが人が作った「種」という区分など、いずれ生物は超えていくでしょう。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。