このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
>語尾に にゃー とか ぴょん とかつける連中が馬鹿にしかみえにゃーというのは正しい。馬鹿だもん。
こんな重大な国家機密をいとも簡単に漏洩する猫には、ロシア風ポロニウムの刑だピョンなw。
diamonds8888xピョンの
>私はまず平面ガエルを連想しましたが(^_^)。
だけんど、ど根性ガエルにはピョン吉とピョン子だけしかピョンが出てこないピョン。五郎の「〜でやんす」や町田先生の「教師生活25年」の方が、たまごどんにはお馴染みなんでやんす。
ひろしが父親を亡くした子供のために、父親と同じようにタバコの煙で動物を作るって話、今のご時世じゃ放送できないピョンよなあ。よし子先生にデレデレになるひろしに、京子ちゃんがハグキ剥き出してジェラシックパークってのも、なかなか可愛いかったのら。電気洗濯機に慣れるために船のスクリューで特訓した話も、時代がかっててナカナカの佳作ではないかと。
あと、たまごどんに「さん」は無用なのら。毎日更新・くだらないことを書くがモットーの「たまごどんが行く」もよろしくお願いするピョン。
http://tamagodon.livedoor.biz/
・明治大正時代には「小説を読むと馬鹿になる(不良になる)」という言説が特に女学生に流布されていたとのことですにゃ。新しいメディアに対する警戒心というのは、若者に対する嫌悪のように何時の時代も見られることにゃんね。
・マンガを読む時の頭の働かせ方は、漢字仮名交じり文の日本語を読むのと同じような頭の働かせ方だと養老が書いてたにゃ。まあ養老の言うことではあるんだけど、これは結構説得力があるかにゃ、と。脳の損傷部位によって、漢字の意味がわからなくなる症例と、仮名が読めなくなる症例があるのは本当らしいにゃ。で、マンガを読むのはまさしく絵(表意文字)とフキだし(表音文字)の並列処理にゃんからな。
・語尾に にゃー とか ぴょん とかつける連中が馬鹿にしかみえにゃーというのは正しい。馬鹿だもん。
ミケさんご紹介の恐竜サイトは勉強になりました。昔懐かしBCF仮説は既に引導を渡されていたみたいですね。というか正式な論文発表がなかったとは驚き。日本では金子隆一氏が紹介して有名になったのだと思いますが、あの人も恐竜情報の啓蒙に果たしている役割は大きいのですが、新しい説に飛びついては「○○説は時代遅れ」と断言しすぎる傾向は見られますね。いや時代遅れと断言していたのは恐竜絶滅の隕石説だけだったかな。
>"ピョン"は、ふざけすぎで、いくらなんでも失礼です。
>マナー違反ですし、あなたが馬鹿にしか見えません。
言葉使いへの感覚は人さまざまです。ここはそれだけ気楽でくだけた雰囲気の場なのだとお考え下さい。少し過去ログを読まれれば雰囲気がおわかりかと存じます。なお、馬鹿に見えるからといって内容まで馬鹿とは限りませんから、たかが語尾などに惑わされずに内容を読みとられることをお勧めします。されど語尾、かも知れませんけど。
ジョシュヤさんの元発言は「語尾にピョン付けするのはマンガ等の見すぎ」て意味でしょうから、その点だけなら当たっている気もしますが。いかがですか、たまごどんさん。て、もう告白してるな(^_^)。私はまず平面ガエルを連想しましたが(^_^)。
でもおもしろそうな話題に発展したんで、クハ72さんの若干のずれ質問も歓迎。
クハ72ピョンは漫画をあまり見なかったピョンか?たまごどんは本もアニメも漫画も大好きだったのら。中学生のときは図書委員をしていて、この図書館の本を全部読んだらどうなるんだろ、なんて当時夢想していたピョンよ。漫画もアニメもかなり見ていたと思うんだピョン。
それと成績だピョンな。たまごどんの高校時代は、現代国語は票田で、数学は得意、化学はまずまずだったけど物理が弱かったのら。英語はひでぶだったピョンな。今では物理がメシの種で、英語も真面目に勉強してます。人間ってのは変われるものなんだピョン。まあn=1のサンプルってことで。
なんか論点がずれちゃった?
すみません、ラジオで一度放送されたのを聴いただけなので、詳しいソース元を私は
失念しております…。日本の調査なのか、外国の調査なのかも思い出せない始末で…orz
一応、ぐぐってみたのですが↓こんなのしか出てこなかったです。
あまり参考になりませんねぇ…。
http://www.cenews-japan.org/news/education/070418_kanji.htm
>そこで、メディア開発センター研究開発部の小野教授は、大学生を対象とした「正しい言葉の意味を選びなさい」などの語彙力のテストと「本や漫画の作者を知っているか?」のテストを同時に実施した。その結果、日本の若者の語彙力、語学力が低下していることがわかり、日本語力の低下は本や漫画などを全く読んでいない若者には特に顕著に見られた。また、本と漫画を両方読む人、本を読む人の語彙力はどちらも高いが、漫画だけを読む人には、ばらつきが見られた。漫画の質にもよるのだろうと小野教授は推測している。
http://www.toshokan.org/libra/report/libra4/05.html
あとは「日本の子供の国語力が低下しないのは漫画を読んでするから」という外国の
調査結果があるとの記述を見つけることはできましたが、そのソース自体を探すことが
できませんでしたし、マンガのゲンバ NHK-BSという番組で漫画を読むのも普通の書籍を
読むのも、脳内では同じ効果だと紹介していたと言う記述も見ましたが、それも元が
ハッキリしませんねぇ…。
是非とも詳細なデータを見てみたいです。
僕の場合は漫画はほとんど読まなかったのですがアニメはよく見ていました。
どちらかと言うと算数や理科の方が得意でしたね。
因みに特撮はあまり見なかったのでそちらにはかなり疎いです。
# ところで僕の前回の投稿、たまごどんに問題があるような内容ですけど、
# 決してそのような意図ではありませんので。気を悪くされてたら失礼。
傾向があるってのが、どの程度の信頼度なのかというのもありますが、その研究自体がどの程度の信頼性を持っているのかというのもありますね。
> マンガか子供向け低俗テレビ番組の見すぎではありませんか?
因果関係の報告は存じませんが、漫画(アニメ)をよく読む(見る)子は国語や社会の
能力が高くなる傾向があり、漫画を読まない子は、算数や理科に強い傾向がある。
っという、統計結果があるそうですよ。
数年前ラジオで、漫画は勉強の妨げになって良くないと言う風潮は事実か?の検証をしていて、
興味深い統計結果として紹介してました。
> マンガか子供向け低俗テレビ番組の見すぎではありませんか?
こういう主張は昔からありますが、因果関係を証明した報告ってあるのでしょうか?
なんだか「ゲーム脳」と同じ印象を受けてしまうんですが。
あなたが何を仰りたいのかいまいち理解しかねますが。
「規則正しい塩の結晶が析出します。」≠「同じ大きさで同じ形の結晶」
という事だけはきちんと理解してかなければね。「規則正しい結晶構造」に超越者の意図が必要か?って話でしょ。
> 我々庶民は科学を暗記して信ずるしかないけれど。頭使いたくないし
私も一庶民ですが、頭を使うのがイヤダなんて、そんな人と一緒にして欲しくないなあ(笑)
>塩を水に飽和点まで溶かし込みその飽和食塩水を放置して水を乾燥させれば、規則正しい塩の結晶が析出します。
でも、その時の外部条件によりデンドリチック、アモロファス キュービック・・・形状やサイズ・・・同じ大きさで同じ形の結晶を作るのは大変だよ。
ただ言えることは外部のエネルギィーポテンシャル勾配の変化にしたがって作られていく。
何れの分野の科学現象も中学生レベルに合わせて説明すると何れも簡単そうに説明せざるおえないけれど、より真実を理解しようとするとそれなりの論理的思考のできる知識がいる。
我々庶民は科学を暗記して信ずるしかないけれど。頭使いたくないし
実は,「無性生殖」という語には2つの定義があります
一つは発生生物学上の定義で,
配偶子が関係しない生殖様式の総称としての「無性生殖」です
これには,単細胞生物の分裂,非配偶体・胞子による生殖,刺胞動物の出芽や分裂,
海綿動物の芽球,高等植物の地下茎やムカゴなどによる栄養生殖が含まれます
この定義では雌性配偶子だけで生殖する「単為生殖」も,
「配偶子が関係する」ので有性生殖に含みます
(今はどうだか知りませんが,私が高校生の頃はこちらの定義で習いました)
もう一つは進化生物学上の定義で,
作られた子の遺伝子が親とまったく同じになる生殖様式の総称としての「無性生殖」です
この定義ではの無性生殖の他に,
「単為生殖」の中でも子が親のクローンであるもの(アポミクシスやエンドミクシスによるもの)は「無性生殖」に含みます
有性生殖の進化的意義を議論する際には,これらの「単為生殖」を「無性生殖」の代表として扱いますが,
クローン生殖ではない「自家受精生殖」などは「無性生殖」には含まないのが普通です
(以前,ここで話題になったコモドオオトカゲやカブトエビの例を参照)
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board070112.html
以下に述べるタンポポの「無性生殖」は,
減数分裂の回避すること(無融合生殖アポミクシス)による「単為生殖」の一種で
これは進化生物学上の定義による「無性生殖」ですね
>タンポポは花蜜を作り昆虫に益を与えているが、タンポポ自身は無性生殖植物ですので
>その花蜜は自分には何の益もありません。しかし、これは反証にはなりません。
>なぜなら進化論者は何の証拠もなく「タンポポは昔、有性生殖植物だった」というからです。
http://www.carmical.net/Japanese/articles/sozoron_qanda.shtml
確かに「タンポポ」(キク科タンポポ属)には,奇数倍体の無性生殖の種もありますが,
無性生殖種が有性生殖種から生じたことを示す証拠はたくさんあり,
花蜜は遺残構造(vestigial structures)であると考えられます
>As aforementioned, the taxonomical situation of the genus is quite complex,
>mainly because many dandelions are genetically triploid. An odd number of
>chromosomes usually is associated with sterility, but dandelions with this
>karyotype can reproduce without fertilization, a process called apomixis[2].
>In these individuals flowers are useless vestigial structures, although they
>may still produce a small percentage of fertile pollen, keeping some genetic
>contact with sexual individuals. Diploid dandelions develop seeds after
>cross-pollination and are self-incompatible. In most zones of southern Europe
> and Asia, dandelion populations are sexual or mixed sexual-apomictic, while
>in northern countries only triploid and tetraploid apomicts are present, as is
>in the zones where it is not native. This seems to be linked to higher temperatures,
>survival of pre-glacial populations and human impact, but the subject is still
>being studied.
http://en.wikipedia.org/wiki/Dandelion
また,二倍体の有性生殖種と三倍体の無性生殖種とが遺伝的に連続する機構も提案されています
日本の在来種のうち,シロバナタンポポは五倍体で無性生殖しますが,その他の二倍体種は有性生殖します
それに対して,ヨーロッパからの帰化種は三倍体の無性生殖種です
http://park23.wakwak.com/~koda5/3g/ha3-30.html
これらの三倍体の無性生殖種は,単独で無融合生殖によって繁殖するだけでなく,
受精能力のある花粉(2xまたは3x)を作り,二倍体種との間に三倍体(または四倍体)の雑種を作ります
その他,三倍体無性生殖種の花粉の精核(2x)が二倍体有性生殖種の卵核と合体することなく単独で発生して生じたと考えれる
「雄核単為生殖」雑種(核DNAセットは三倍体無性生殖種と同じ,葉緑体DNAは二倍体有性生殖種と同じ)も報告されています
(また,三倍体種の中には,3xの卵の他にxの卵も作る条件的無融合生殖者もあり,
二倍体種の花粉(x)を受け入れて二倍体の雑種をつくることもあるようです)
>ニホンタンポポと帰化タンポポの遺伝的関係
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gen-yu/tampopo.html
>無融合生殖種と有性生殖種の出会い:日本に侵入したセイヨウタンポポの場合
http://www.bunrui.info/NL/NL2003/04.html
>雑種タンポポの識別と全国分布
http://www.niaes.affrc.go.jp/rplan/niaesnews/news05707.pdf
タンポポの無性生殖種と有性生殖種に見られる,このような遺伝的連続性は
両者が共通祖先を持つことを示す強い証拠だと考えますが,いかがでしょうか?
「進化論者は『何の証拠もなく』タンポポは昔、有性生殖植物だったという」というのは
私は無知による誤りだと考えます
> 偶然でなければ、必然、つまり何者かの意図があると考えるのはごく普通ではありませんか?
偶然に出来た物は一つもありません。存在する全ての物は神による創造物であり、そうでないものは一つもありません。
創造論を科学的な仮説として支持する科学者はいないと進化論者が主張しますがこれは正しいでしょうか。
これは「手前勝手な議論(special pleading)」の定義そのものですがこの主張は本当でしょうか。惑星運動の法則を発見したケプラーはいかがでしょうか。光と電磁波を律則する4つの基本方程式を発見したマクスウェルはいかがでしょうか。この二人は聖書を信じていました。皆さんはニュートンのことをご存知だと思いますが、ニュートンは科学より聖書について多く書いたということは聞いたことがありますでしょうか。
科学的創造論を信じていない科学者の中でも神の存在を信じている人は大勢いて、NATROMさんはもちろん多くの人がそのことを知っています。神の御業は科学を超越しているので科学的には記述できないと考えている科学者は「科学的理論」として創造論を主張しません。科学は人間が理解できる範囲の現象を扱うのであって、神の御業が人間の認識の及ばない世界の出来事であるなら科学では扱えないことを理解しているからです。
このように創造論を信仰することと科学的理論として主張することには違いがあるはずなのに、著者は手前勝手な議論を用いています。著者は何一つ科学理論としての創造論を述べていません。神の創造を信じる科学者の名前を挙げているだけです。このような欺瞞が「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」という十戒の教えに抵触しないのか疑問です。
創造論者は進化の証拠が化石だけだと出張していますか?
このことを言っている創造論者の意見を聞いたことがありません。この議論の仕方は「ストローマン」というものです。ストローマン (straw-man)とは、議論において対抗する者の意見を歪めて、それに基づいて反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の存在自体を指すものです。
元々のページを読むと分かるのですが、NATROMさんのQ&Aは創造論と進化論の議論について基本的に知っておいた方が良い知識についてQ&A方式にまとめたものです。
従って「創造論者は進化の証拠が化石だけだと出張(原文ママ)していますか?」とか「実験で再現できないから科学ではないと言っている創造論者の名前を是非教えていただきたいと思います。」という質問は創造者からなされたということではありません。
NATROMさんのQ&Aについて伝聞による誤解という可能性を排除してストローマンというのであれば、この反論を書いた人間もストローマンだと言っても言い過ぎではないでしょう。
http://www.carmical.net/Japanese/articles/existence.shtml
に、「神の存在」というタイトルのページがあります。
2.全宇宙は全宇宙そのものを創造した。
多くの科学者はこれを信じていますが、これは論理のテストから落第します。ビッグバン説によると、全宇宙は全宇宙そのものを創造したと語っています。ある時点何もなかったのですが次の時点に全宇宙が現れました。ほとんどの人はこれには問題があることが分かると思います。無があったときがあったなら、何もあることはなかったのです。
これに対して現代の物理学はどのように解説しているでしょう。佐藤勝彦教授は以下のように述べています。
おっしゃる通りで、常識的には無というと何もない状態ですが、物理学的には「ゆらぎ」のある状態のことをいいます。詳しくいうと、物理的に可能な限りエネルギーを抜いた状態のことをいいます。実はエネルギーを抜くだけ抜ききっても、振動、いわゆる「ゆらぎ」が残るのです。この「ゆらぎ」は、素粒子の生成と消滅が繰り返されることにより起きていて、物理的には消すことができません。いい換えれば、無と有の間をゆらいでいる状態ということです。
http://www2.athome.co.jp/academy/space/spc03.html
つまり、一般的な用語である「無」とビッグバン理論で扱っている「無」は違うものなのです。こういう用法の違いは専門用語にはよくあることなので、慎重な人は気をつけて正しい理解をするでしょう。入門書にはこうした用語について解説を行い誤解を招かないようにしていますが、読んでない人や読んでも理解しない人は誤った反論をしてしまいます。
件のHPのツッコミどころ
「ニセの証拠」として挙げられている中にアルカエオラプトルがありますが、、、
これは単に、学者でも間違い・勘違いするって話でしかありませんよ。
あたかも騙そうとしたかのような書き方は印象操作ですね。
ある進化論者、というより研究者が、
すでにキメラ状態となっていた化石を購入、新種として記載しました。
その後に偶然からそれが二種類の生き物の化石をつなぎあわせたものだと
本人が気付き、それを報告・訂正したわけです。
以下のHPに詳しいです。
http://homepage1.nifty.com/archaeo/dinobird/shiso_arpt.html
ついでに興味深い部分を引用しておきます(強調は引用者)
>アーカエオラプトルが『合成化石』であるということがわかったことで、どのような影響があるのかということですが、結論から言えば、この事件が学説に対しておよぼす影響はほとんどないと思います。
http://www.carmical.net/Japanese/articles/sozoron_qanda.shtml
の始祖鳥や中間型云々の記述について。
ノースカロライナ大学のFeduccia教授は、たしかに鳥類学者ではありますが、
彼の主張する学説は少数派です。
まあ数が多いほうが正しいってわけではないですが、
受け入れられないには受け入れられないだけの理由があるわけで。
証拠の脆弱な仮説は学会では常に少数派です。
以下のHPに詳しいです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/keitou/qa/kanngaeyo-.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/keitou/qa/kasetu02.html
これを読んだところ、単に時代に取り残された人、という感じが。
始祖鳥の位置づけについてですが、
始祖鳥が極めて現生の鳥に近い生き物であり、かつ地上性獣脚類と近縁であることは
さまざまな証拠から確実視されています。
以下のHPの始祖鳥の項を参照のこと
http://www.ricoh.co.jp/abs_club/Science_f/Science-2005-1202.html
ちなみに現在の分岐学では
【始祖鳥と現生鳥類の直近の共通祖先から生じた全ての子孫】を鳥類としています。
これをいうと、
「始祖鳥は鳥と爬虫類の中間じゃなくてやっぱり鳥なんじゃん」
とか言う人も出てくるんですが、
分類学とは生物を分類、すなわちはっきりとグループ分けする仕事なので、
多少中間的なものがあってもどれかの枠に入れてしまい、
分類上の「中間」などは存在しなくなるのは当たり前なわけで。
一応それでも中間的な存在というものはあり、以下の掲示板に列挙したことがあります。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1138967290/75
中間型のカモノハシがどうこうって話は、
「相同」「相似」を知らないだけですね。
ドーキンス「利己的な遺伝子」の最初の日本版には「生物=生存機械論」とかいうださださの副題がついていましたにゃ。本来は目的論とは相いれない「機械論」という言葉の解釈が、いろいろと齟齬をうんでいるのかもしれにゃーですね。
にゃんとなれば、「機械」には設計者がおり、その目的があるという感覚はごく自然なものですからにゃ。
目的志向性というのは意識の特徴のひとつですにゃ。「心霊写真」に見られるがごとくランダムなパターンの中に「顔」を見いだしてしまうように、ランダムなパターンの中にすらニンゲンは「目的」を見いだしてしまいがちなのでしょうにゃ。必然的な関係を目的論的なものとみなしてしまうのは、ある程度は仕方のにゃーことかもしれませんにゃ。
まあ、それにしても、この手の議論を他者としようというのなら、必然性と目的論は基本的に別の話だということは理解しなければならにゃーのだが。
ミクロにおける蓋然性がマクロにおいては必然性に転化すること、が理解できにゃーとなあ
進化心理学的にいっても、統計的な思考って困難なんだろうにゃー
私は専門化ではなく、通俗書なんかで知識を適当に仕入れてるだけの人間なのですが、と前置きした上で。
私見では、最近の知見を元に生物内の中の物理(化学)現象を捉えると、逆にこれは何者かの設計による代物には見えないなと思えてしまいます。生物の中の物理現象は、あまりに相互依存的過ぎるというか、AとBとCとDがそれぞれ相互に依存していて、AとBの間の作用の仕方がAとCの間の作用の仕方とまるで異なっていたりとか、そういう混沌とした印象を強く感じます。誰かが設計した物としてはあまりにまとまりが無さ過ぎるという感じですかね。
生物を設計した何者かが存在するとするなら、それは間違いなく人間よりはるかに高度な、そして人間とは全く異なった思考形態を取る生物です。それを普通創造説的には「神」と呼びたくなるんでしょうけど、「神」は普通人間に理解可能なメンタリティを持って現れますよね。ここまで人間が理解しづらい考えを持つような存在は「神」とは呼びづらいなというのが正直な感想。
それよりはやはり、生物のカオスな実装は、進化の混沌の中から立ち現れたという方が、私としてはしっくりくるのでした。
あえないのか?→ありえないのか?
>偶然でなければ、必然、つまり何者かの意図があると考えるのはごく普通ではありませんか?
塩を水に飽和点まで溶かし込みその飽和食塩水を放置して水を乾燥させれば、規則正しい塩の結晶が析出します。これはどこにも不思議のない既知の物理法則にのみ従った現象で、必然ですが、そこに何者の意図も存在しません。たとえどんな形であろうと食塩水が飽和すれば食塩の結晶が析出します。
現代の生物学は、最終的には「生物およびその進化」というものを、こうした結晶化と同じような物理現象の極端に高度な物として描き出します。もちろん、そんなに簡単にそうした記述が完了するわけではありませんが、観測技術や理論構築、コンピューターシミュレーションの進歩などの相乗効果で「生物の細胞の中での高分子の働き」や「DNAの役割」など、「物質としての生命」の働きは、過去には想像もつかなかったほど明らかになって来ています。
「偶然でなければ何者かの意図があるはず」という考えは「生命現象ほどの複雑な現象に何者の意図が絡んでないはずがない」という「直感的な考え」が根底にあると思うのですが、まさに現代科学は現在進行形でその考えに対して、「本当にそうなのか? 単純な物理現象から、生命が生まれ機能することはあえないのか?」という問いを問うている最中だと言えるでしょう。
現状のスナップショットは、とりあえずそんな感じだと思います。
ジョシュヤさん はじめまして
進化論には皆さんほど知識が深くないのですが、貴方が紹介してくださったHPの内容に違和感を感じました。
一般に進化とは
生物が常に完全なコピーを残しえぬ故の変異や環境の影響などにより、世代を重ねる事によってその形態や習性が次第に変化していく場合があると言う非常にゆっくりとした自然現象をさす言葉であって、生物である以上、全てが等しくその影響下にあると考えます。
ですから
「○○は”現在”何かに進化している訳ではない」
と言う表現を用いるならば、第一に進化と言う現象に対する理解が足りないのではないかとの疑念が浮かびます。
>進化論が事実であるとすれば中間型の生物が化石や現在の地球上にみつかるのでは?(始祖鳥とカモノハシは中間型の生物でしょうか。)
始祖鳥が原始的な鳥なのか、はたまた羽毛を持ち、飛行能力を獲得した恐竜の一種なのか(基本として爬虫類と恐竜は違う生き物です)についての記述ですが、読んだ限りではこの鳥類学者さんが古生物学者に対して意固地になっている印象を受けますね。
貴方が紹介してくださったHPでは始祖鳥については歯の有無だけを着目しているな印象を受けますが、現在恐竜から鳥類が進化したとする説では鳥の特徴である二足歩行、恒温性の獲得や羽毛、手指の部分的喪失や肩関節の自由度の増大、を代表とする骨格の変化、そして飛行能力等、複数の要因が互いに関連しあいながら徐々に鳥へと進化していった、が恐竜→鳥仮説です。ですから仮説の中で始祖鳥は多くの羽毛恐竜や真鳥類の祖先と共に恐竜と鳥とを結ぶ中間的な生物であると位置づけられています。その中で「果たして始祖鳥は”鳥”なのか」と言う疑問は「何を持って”鳥である”と認めるか」が決められなければ解決出来ないでしょう。
それらをふまえてもう一度下記の文章をお読み下さい。
>「古生物学者たちは始祖鳥について空を飛ばない羽を持った恐竜に変身させようとしていますが恐竜ではありません。始祖鳥は鳥です。木にとまる鳥です。古生物学用語をべらべら並べてもそれに変わりはありません。」と言う意見は、そのままなら暴論にも等しい事が解るでしょう。
私見ですが、この言葉は学術的にはまるで関係のない想いの吐露か、長い文章の一部を恣意的に抜粋したように思えます。
カモノハシについてはその存在で困るような進化論者を聞いた事がありません。
鴨のような嘴に見えても、鴨とはまるで違う代物である事ははっきりしていますし、哺乳類の進化を考察する上で彼等単孔類の存在は貴重です。
同じ単孔類であるハリモグラの授乳方法は、哺乳類がいかに発達してきたかを教唆してくれます。
これが…鴨と同じ構造の嘴を持ち、蜻蛉と同じ構造の羽と、タコと同じ前脚、サザエと同じ殻を背負いつつ、カニのような幼少期を送っている※1なら話は別でしょうが。
因みにカモノハシの化石は発見されています。
年代は約6300万年前、どうやら初期のカモノハシには大人にも歯があったそうですね。
↓
http://hana-rebun.hp.infoseek.co.jp/auanimal4.html
>進化論は反証可能でしょうか?
箱舟かどうかわからない山岳地の構造物よりも…
先カンブリア紀を代表する地層のバージェス頁岩で例えばカモノハシの化石が出たなら有力な反証になります。後※1のような生き物が見つかったとか
> 偶然でなければ、必然、つまり何者かの意図があると考えるのはごく普通ではありませんか?
なるほど、ある種の人の常識ってそういうものなんだ〜。
いや、バカにしているわけではなくて、新鮮なオドロキ。
>まずは虎を屏風から追い出してくださいな(笑)
いや、ほんま、その通りだ!!
あの、ときどき私の言動を「馬鹿にしやがって」と怒る方がいらっしゃいます。
いま読み直してみたら、やっぱりそういう『悪い癖』が出てますね。
内容については意義のあることを投稿しているつもりなので、
どうか広い心で見てやってください。
まあ小難しい話は置いておきましょう。
「進化が起こったとしたら、エントロピーが減少したことになってしまう」
と言うヒトは、まず以下の質問に答えられるようにならなければいけません。
1.どの系のエントロピーが減少したことになるの?
2.本当にエントロピーは減少したことになるの?数値と計算方法は?
そこをキッチリ証明してもらわんとね。
まずは虎を屏風から追い出してくださいな(笑)
>自然選択とは、"自然"という名の創造者の意図による選択、ということでよろしいでしょうか?
ダメですよ
「自然選択説」は「何ものかの意図による選択」という仮定はしませんから
「誰も意図しないのに結果的に自然に選択されてしまう」から,「自然選択説」なんですよ
>私は、宇佐神氏ではなく、"http://www.carmical.net/Japanese/articles/sozoron_qanda.shtml"の
>サイトに対する具体的な反論を聞きたいのです。
創造論者にはダーウィン進化論が学会で公式に否定されたと主張している人もしていない人もいるのでしょう
上記のサイトは
>現在の代表的な進化論はダーウィンの進化論をベースにしているので否定されたとは言えないと思います。
という立場なので,この部分に関しては特に反論する必要はありません
しかし,上記サイトに対する具体的な反論は,すでにしていますよ
上記サイトが主張する急速な進化(ノアの大洪水の後に起こった迅速適応)を示す観察結果がないことと
自然選択でも遺伝的浮動でもそのような急速な進化は説明できないことです
数千年単位で科レベル以上の進化が起こるというのなら,
属レベルの進化は有史以来何度も観察されているハズでは?
実際には種レベルの分化がせいぜいで,
イヌがキツネになったりするような急速な進化が観察されたことはないでしょう?
>偶然でなければ、必然、つまり何者かの意図があると考えるのはごく普通ではありませんか?
この季節、食べ物を一ヶ月ぐらいおきっぱなしにしていれば、ほぼ必然的に腐るでしょう。
ジョシュヤさんの説では、今度腐った食べ物を見たとき、「これは何者かが意図的に腐らせたに違いない!」と考えなければなりませんね。
はじめてまして、shinok30さん。
>少なくとも自然選択は偶然ではありません
>「偶然ではないこと」と「意図的であること」がイコールではないことは分かりますね?
なんだか、適当に誤魔化されている気がしますが…。
偶然でなければ、必然、つまり何者かの意図があると考えるのはごく普通ではありませんか?
自然選択とは、"自然"という名の創造者の意図による選択、ということでよろしいでしょうか?
あと、ダーウィンの進化論が公式に学会で否定された云々の反論の部分は、宇佐神氏に対する反論でした。
私は、宇佐神氏ではなく、"http://www.carmical.net/Japanese/articles/sozoron_qanda.shtml"のサイトに対する具体的な反論を聞きたいのです。
誤魔化さないで下さいね。
あと色々書きたいことがあるのですが、今時間がないので、いったん失礼します。
今夜か、明日の夜、続きや他の方へのお返事を書き込む予定です。
ジョシュヤさん、はじめまして。temaと申します。
ケン・ハム氏の『創造:弁明の備え』を読ませていただきました。
―引用ここから―
違う点は、それらに対する解釈の仕方が人によってまちまちだということです。では、なぜ解釈が違ってくるのでしょう?それは、私たちが違った前提から出発するからです。
―引用ここまで―
解釈の仕方が違う理由は、「前提が違う」では無く「解釈の方法論が違う」ため、とtemaは考えます。
科学とは解釈の方法論です。
「聖書に書かれている事が、事実に沿っている」という前提で、科学的に検討することもできます。ただし、聖書に事実に沿わない事が書かれていたり、もっと事実に沿う「解釈」を聞くと、「聖書に書かれている事が、事実に沿っている」という前提は捨てられます。
それが「科学」という名の解釈の方法論だからです。
キリスト教やイスラム教も、それぞれ「解釈の方法」を持っているでしょう。そして、キリスト教が持つ解釈の方法と、科学が持つ解釈の方法は違うのです。
どちらが「善い」解釈の方法かは、分かりません。temaは、キリスト教の方が善いと信じてます。
ただ、どちらが「事実に沿うか」ならば、科学の方が事実に沿う確率が高いのです。
ピョンは、ふざけすぎで、いくらなんでも失礼です。
マナー違反ですし、あなたが馬鹿にしか見えません。
マンガか子供向け低俗テレビ番組の見すぎではありませんか?
進化論者の逆宣伝にしかなりませんよ。
リンク先はSDAの長谷川氏のサイトではありません。
ちゃんと読んで下さいましたか?
長谷川氏のサイトは、ロン・ワイアット氏のノアの箱舟"遺跡"を最近までサイトで紹介されており、最新の創造科学の研究成果の情報が残念ながら遅いです。
あと、リンク先のサイト内で紹介されているケン・ハム氏は、私にとっては今一番説得力のある創造論科学者です。
大陸移動を否定する部分には異論もありますが、非常に優れた創造論科学者だと思います。
たまごどんのいう通り,
創造論に関するQ&A
http://www.carmical.net/Japanese/articles/sozoron_qanda.shtml
の主張はすでに反論済みで,再反論の必要はあまりないので,ごく簡単に済ませます
>偶然の積み重ねでは、進化は確率論的に説明がつきますか?
>「自然選択は偶然であるとは言っていません」とありますが、
>それでは進化は意図的に起こっているのでしょうか。
「進化が意図的に起こっている」と仮定する必要はありません
また,突然変異は偶然ですし,遺伝的浮動には偶然の割合が大きいのですが,
少なくとも自然選択は偶然ではありません
「偶然ではないこと」と「意図的であること」がイコールではないことは分かりますね?
>創世記によると、創造主はすべての生き物を種類にしたがって創造しました。
>よって創造論者は創造主がすべての「種」をそれぞれ作ったと信じているわけではありません。
>事実、創造論者は、今日見られる多様な生物がノアの大洪水の後に起こった迅速適応(種分化)によってできたと考えています。
>創世記にある「種類」という言葉は現在ある科学用語には一致しません。
創造論者にいう「種類」(本質的種)は,
生物学用語でいうところの「種」だったり「属」だったり「科」だったり「目」だったりします
これらの「本質的種」から現生種への『迅速適応(種分化)』がノアの洪水後の数千年で起きたとすると,
その進化速度はとてつもなく急速なものとなりますが,
現実にはそのような急速な進化は観察されていませんし,
そのような急速な進化を説明できる原理も今のところありません
また,ノアの洪水後の分散では,現在の生物種の地理的な分布もうまく説明できません
>創造論者はダーウィンの進化論が学会で公式に否定されたと主張していますか?
宇佐神正海氏をはじめ,ダーウィンの進化論が学会で公式に否定されたと主張する創造論者はいます
しかし,その主張は誤りです
http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/chicago.html
もちろん,ダーウィンの時代には遺伝のしくみもわかっておらず,
ダーウィンの主張のすべてが正しいわけではありませんが,
1.祖先種から新しい種が分かれ(分岐),それぞれが別々に進化していくという考え
2.適応的な進化を説明する原理としての自然選択説
は,基本的に今でも有効です
ジョシュヤピョンへの二段落目、
「たまごどんには矛盾点」で文が切れてしまっていたピョン、ゴメンなのら。カッコの続きに「も目に付くし、この反論に再反論する必要性を感じないのら」を付け加えてくだされ。
このサイトと掲示板から色々なことを学んできたたまごどんと申しますのら。紹介されていたHPも目を通したけれど、ジョシュヤピョンがどこに説得力を感じたのか、正直分からなかったんだピョン。
「創造論に関するQ&A」に対する長谷川ピョンの反論って、反論になってるんやろか?たまごどんには矛盾点(多様な生物がノアの大洪水の後に起こった迅速適応(種分化)によってできたとする主張と、偶然の積み重ねでは、進化は確率論的に説明がつきますか?という疑問は両立しないと思うんだピョン。彼らの主張は進化論が主張する進化速度よりも全然早いし、そのメカニズムは自然淘汰なんでしょ?どう理解すればいいピョンかな?)
熱力学第二法則から進化は起こらないって言い出したのは創造科学者のほうだピョン。そんで熱力学第二法則からは進化するともしないとも言えませんよってのが科学的に正しい回答なんだピョン。それなのに、「進化論者は論点をずらしているだけです」って言われてもねえ‥。たまごどん、困っちゃうピョン。
「死者に光を当てると蘇ることはないから、進化は起こらない」ってのは、長谷川ピョンのオリジナルなんやろか?面白い人だピョンなあ(^^;)
これに限らず、ジョシュヤピョンが引っかかっている所は、この掲示板でどんどん質問するのが吉だピョンピョン。それと、進化論を信じているクリスチャンのお方もいるのら(例えば大谷順彦さん)。
すみません。
2つ前の投稿は、文字化けしてしまいました。
誠に申し訳ないですが、管理人様、削除していただけないでしょうか。
御面倒をおかけします。
はじめまして、皆様。
ジョシュヤというキリスト者です。
さて、ここのサイトが名指しで批判されています。
創造論に関するQ&A
http://www.carmical.net/Japanese/articles/sozoron_qanda.shtml
長谷川氏のサイトの批判はよく、この掲示板でなされていますし、さらに管理人さんも、わざわざ長谷川氏のサイトを批判するページも作っておりますが、上記のサイトに関する記述は、貴サイトには現在見あたりません。
ここのサイトの批判をまだ知らないだけかもしれませんが、反論ができるのなら、きっちりして欲しいです。
管理人のNATROM氏の主張は、全てではないのですが、それなりに説得力があると思います。
しかし、あのサイトは、ここより説得力がある部分があり、特に、"起源"に関するエッセイは、非常に興味深いです。
http://www.carmical.net/Japanese/articles/origins.shtml
例えば、ケン・ハム氏の『創造:弁明の備え』は、どちらが科学か非科学(疑似科学)かと論じる以前に、議論する双方の前提が違えば、同じ証拠・事実を基にしても、その解釈が変わり、お互いの議論が噛み合わないことの根本的原因を鋭く指摘しているように私には思えます。
双方の信仰・思想の前提の違いが、この論争の原因なら、今後は互いの信じることを尊重しあって、教育や学会などの公式の場で相互に侵さないようにすることも、民主的な解決方法だと思えてきます。
また、私は創造論と進化論のどちらが真実を語っているのか悩んでいましたが、上記のサイトを読んで、考えが創造論側に傾きつつあります。
しかし、どちらを真実と決める前に、進化論者の意見も知りたいのです。
もし、あのサイトに意見・反論があるならぜひお聞かせ下さい。
いやーなるほどやはり私のニッチに対する理解が浅はかだったようです。
ニッチと言う言葉は多少ニュアンスが違う形で使用されている事があるのですね。
後者は私の言いたかったニッチと似ています。
すいませんね。私の個人的な疑問にわざわざお答えいただいて。ただどうしてもこの辺り(ニッチ)私にとっては金にならん話ですが、実に整理したくなるもので。
ニッチと言うのは進化論に限らず興味をそそる考えかたなもので。
>>ああ、未だに今までの考察は間違っていたとポンポン出てくるのですね。
>
> 出て来ます.「今まで言われていた事が全てではない」「成立しない場合
>もあることがわかる」というような例が多いです.
「バクテリアに感染するウィルスは,
栄養塩類をめぐって競争関係にあるバクテリア(栄養塩ギルド)のうち,
競争に強い種(winner)に選択的に感染する(kill)ことによって,
種間競争を緩和し,種多様性を増大させている」
という「Kill the winner 仮説」が提唱されています
ところが,この仮説に基づく共存種数の予測値(約100)よりも野外の観測値は低くなって(10-20)います
このことを説明するための仮説として新たに提唱されたのが,
バクテリアを捕食する繊毛虫の捕食による効果を考慮した「Kill the killer of the winner仮説」ですね
(この場合,ウィルスと繊毛虫は,バクテリアという同一の餌資源をめぐって競争するギルドと捉えることもできます)
>P3-129
>バクテリアの多様性はなぜ低いか?:Kill the killer of the winner仮説
>@三木 健、山村 則男 京都大学生態学研究センター
http://jes52.cool.ne.jp/abstracts/P3.pdf
>Takeshi Miki (CER, Kyoto University)
>"Intraguild predation reduces bacterial species richness and loosens the viral loop
>in aquatic systems: 'kill the killer of the winner' hypothesis"
>Abstract: Viruses perform an ecological function (diversity regulation) and a
>biogeochemical function (viral loop) in microbial food webs. We used an idealized
>food web model to evaluate the impact of viral loss by protozoan grazing on these
>two functions. Viral loss by protozoan grazing is an example of intraguild
>predation (IGP); protozoan predators kill viruses, which in turn kill the winner of
>the nutrient competition among bacteria. The model considers the interactions
>among uninfected and infected host cells, free-living viruses, protozoa, and
>nutrients. Calculations showed that this "kill the killer of the winner" (KKW)
>process has a negative effect on bacterial species richness (BSR). This is because
>the KKW process reduces the virus to bacteria ratio, which then causes the "kill
>the winner" (KW) process to deteriorate. In particular, the intensity of the KKW
>process is influenced by the latent period of viruses; a longer latent period leads
>to a reduction in BSR by causing the viruses in host cells to be more at risk of
>being killed by grazing. In addition, when the latent period is long, eutrophication
>leads to a decrease in the virus to protozoa ratio, resulting in a lower BSR and a
>smaller contribution of the virus loop to nutrient cycling, whereas the changes
>are small when the latent period is short.
http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/ecology/activities/2005.html
>ギルド
>私ニッチの争いと言う事で説明しようとも思ったのですけど。
>ギルドと言うのは、同一のニッチを争う集団と解釈して良いのでしょうか?
一般的には,ニッチというのは,ある種(ないし亜種)が占める環境範囲ですね
>ニッチ (niche;英、仏ではニーシュ)とは生物学では生態的地位を意味する。
>1つの種が利用する、あるまとまった範囲の環境要因。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%81
特に,ニッチという用語を一般的に広めたJ. Grinnellは,
一つの種が一つのニッチを占めること強調しています
この定義では「ギルド内では構成種がニッチをめぐって競争している」というように表現されますね
>このような湖の一つタンガニイカ湖には、様々な形態と生態をもつ170種以上に分化
>した固有のシクリッドが生息し、全魚種の半数以上を本グループが占めている。とり
>わけ、沿岸域は種の多様性が高く、藻類食・ベントス食・動物プランクトン食・魚食・
>鱗食といった様々な餌ギルドが発達している。さらに、ギルド内では近縁種がニッチ
>をめぐって争っている
http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~nokuda/research&education/member.files/Takeyama/21COE.htm
一方,C.S. Eltonの定義では,
一つの種が時間空間的に異なるニッチを占めたり,逆に複数の種が同一のニッチを占めるとも考えます
この定義のニッチでは「ギルドと言うのは、同一のニッチを争う集団」という表現も可能です
>このような状態では,別々のマメ科植物につくマメゾウムシは,寄主をめぐって相互
>作用することはほとんどなく,マメゾウムシ群集(一つの生息場所で似たようなニッチ
>を利用する一群の生物の集合に「ギルド」という術語を当てるが,ここでは群集と
>ギルドを同じ意味で用いる)と呼べるようなものなどはとても見られない。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsps/topic/Datesoudo84/mame.html
私ニッチの争いと言う事で説明しようとも思ったのですけど。
ギルドと言うのは、同一のニッチを争う集団と解釈して良いのでしょうか?
違和感があったのは、ニッチと言う言葉で十分説明できるのに、なんでギルドなんて出てきたんだろ?って不思議になりました。
もしかしてニッチはもう古い?それとも私のニッチに対する理解が間違っていますか?
>最近種間競走と言う話をHPなどで見ていたので、比較しにくい別種の競争を扱った
>学問ってそんなに例が豊富だったのか?と気になったもので。(同質の差による形質
>の違いならちょこちょこあるのですが、別種と言うのは捕食関係とか以外あまり見か
>けないもので)
生態学用語で「ギルド」という概念がありますね
「ある共通の資源を利用している複数の種個体群」ぐらいの意味です
資源とは餌だったり空間だったり様々なんで,
何を資源とみなすかによって,餌ギルド,棲息場所ギルドなどギルド自体は任意に設定できます
(「同一の餌生物を利用するすべての種群」を示すkindという用語もありますね)
ギルド内では資源をめぐる競争が存在する可能性があります
もちろん,ギルド生物の密度が別の要因によって十分に低く抑えられていれば,
ギルド内で資源をめぐる競争はない,または非常に弱いこともありえるので,
どのレベルで競争が生じているのかを確認することが研究テーマになり得るわけですよ
>ギルド構造 guild構造
>元々「ギルド」というのは中世ヨーロッパの同業者組合で
>同業の発達を目的として成立したものであるけれど、生態
>学で言うところの「ギルド」は同じ群落に生息している生
>物相を指し、群落の中で共通の資源(食べ物・空間など)
>を利用している複数種の個体群のことともいえるかな。つ
>まり、ギルド構造ってのは、同一の資源をどうやって複数
>種の生物が利用し合っているかの構造の話なんだな。
http://www.ne.jp/asahi/colorful/anima/wantyu/dict/main/dict-ki.html
>guild ギルド ギルド
>"A group of species having similar ecological resource requirements and
>foraging strategies, and therefore having similar
>roles in the community." Lincoln(1998) p.130
>沼田真ed, 1983, 生態学辞典 増補改訂版, 築地書館, 519pp には記述なし
>「Root(1967)は,群集において同一の資源を利用することにより結び付いている種の
>グループを,ギルド(guild)と定義した.」 木元・武田(1989) p.12
>用例
>「日野(1985)は,北海道石狩平野の防風林における鳥群集を,採餌場所に対応して葉
>群を利用するギルド,灌木や地面を利用するギルドなどに分けている.灌木林から天
>然性(ママ)の6つの防風林における葉群の多様性と種の多様性に,前の例と同様に相関
>関係を見つけているが,より高い相関性が葉群多様性とギルドの多様性に見つけられ
>ている.さらに,ギルド内における種の多様性は,葉群多様性よりむしろ樹種に関連
>した樹型などの構造と関連していることを示している.異なるギルド間において,鳥
>は森林の葉群を垂直に資源として分割しているが,ギルド内において,種は森林を
>形成している樹種が提供する微細生息場所()分割(ママ)して共存している.」
>木元・武田(1989) p.46
>木元・武田(1989) 日野(1985)を引用して,鳥のギルドの資源利用
>「類似した内容の餌を類似した手法で採捕する仲間を採食ギルド(guild)という.」
>由井正敏, 1992, 鳥獣の生態と管理. in 森林保護学 :176-244, p.186
http://www.forest.shimane-u.ac.jp/nagayama/glossary/body.html
>それともフィンチの嘴の様に、同じ様な機能の形質の差と言う意味での違いでしょうか?
こっちです.
まったくフィールドが違うもの同士でも比べることはできるでしょうが,
進化というよりも種間関係や生態系を探るような研究でしょうね.
実例があるかどうかは知りませんが,鳥とサルが果実を巡って競争する・・というような例が相当するかもしれません.
> 形質の異なる生物が競争したらどうなるか
これどういう意味かな?と例えば翼を持った生物と、速い足を持った生物と言うより、まったくフィールドの違う生物の形質を異なるって意味で使っているのでしょうか?
それともフィンチの嘴の様に、同じ様な機能の形質の差と言う意味での違いでしょうか?
最近種間競走と言う話をHPなどで見ていたので、比較しにくい別種の競争を扱った学問ってそんなに例が豊富だったのか?と気になったもので。(同質の差による形質の違いならちょこちょこあるのですが、別種と言うのは捕食関係とか以外あまり見かけないもので)
>ですよね、同じ科学だとしても違いはありますよね。そこにAH1さんが否定した怪しさって奴があるんじゃないかと思うのです。
ええ,そうなります.
問題は(これはさきほどの投稿の最後の文章につながりますが),怪しさのレベルです.
>しかし大砲とかの軌道ってニュートン力学で軌跡を考えていたとか聞いたのですけど。いい加減な話ですかね?
いえ,厳密なニュートン力学ですよ.ただ,(ちょっと趣味に走りますが)砲撃の照準てのはとんでもなく複雑で微妙な,ハイテクと職人芸を合わせた世界なんです.昔の戦艦でも,距離・自分の速度・相手の速度・進行方向・気温・湿度・風速・風向・コリオリの力・砲身の発射回数(1発ごとにすり減って初速に影響する)なんかを弾道計算機に放り込んで照準していました.ここまで計算しても初弾から命中することは滅多になかったそうです(半径10キロの円内になら間違いなく落ちるでしょうが.)単純計算の通りに飛ぶなら,正確な弾道を描く筈なんです.「様々なパラメータが関与し,しかも計測しにくいパラメータが混じることで精度が落ちる」という事です(風なんて途中で変わりますし).
>進化論に生物の進化を解明するとしてそこまでの精度は求められないでしょ。まああくまで厳密に言えば単純ではないと受け取っておきます。
定性的な予測は示せるだろうと思いますけどね.例えば,托卵鳥の卵が宿主の卵に似て来るとか,宿主が卵の識別能力を発達させるとか.しかし,「*年後には托卵鳥の卵の模様は**になり,一方,宿主の識別精度は*年後に*%にまで上がる」等という定量的な予測はなかなか難しいんではないかと.(予測したところで答えあわせが難しいですが)
>ああ、未だに今までの考察は間違っていたとポンポン出てくるのですね。
出て来ます.「今まで言われていた事が全てではない」「成立しない場合もあることがわかる」というような例が多いです.
>まあ自然選択の方ですよね。え天気予報ぐらいですか。まあそれは有効な予測ツールですね。
かなり使えると思いますけどね.形質の異なる生物が競争したらどうなるか,というような例なら,生態学でたくさん調べられていますから(それでも単純ではないのですが).直接の確認ができないのは,長い時間をかけたらどうなるかです.予測はある程度できます.しかし答えあわせが難しい.そして答えあわせができないので,予測精度も上げにくいのです.
一方で「長い時間をかけてこのように進化したと考えると確かに説明できる」という例もあって,両者を見比べると矛盾しない.よってとりあえず自然淘汰の理論は正しいだろう,と考えるわけです.これは科学の方法として正しいし,怪しい部分を残しているにせよ,数ある自然科学の中で進化理論だけが格別怪しいなんてことはない,と考えています.
まず昨日聞くだけは馬鹿馬鹿しいといいましたが、あれは嘘でした。良く考えてみると知識や考えを得る事は純粋に楽しいです。
じゃなんで馬鹿馬鹿しいなんていったかと考えていたら、AH1さんに科学に対する考えを聞いても、やはりそれは偏っていると思うんですよね。明確な数式とか事実を教えてもらっているわけじゃないでしょ。だから多くの意見を参考にした方が良いと思うのですよ。(それなりに科学的素養のある人ね)
まあーそんな感じで参加者が少ないことに途方にクレタと言うわけです。まあそれでもうだうだはもう止めるかとは思っているんですけど。結局誰か自分の過去から続くHNとして相手してほしいんだろうと思います。情けないです。
> 1の部分については,真空中で物体を落として位置を計測する,というような便利な再現実験ができない事が大きいですね.世代交代の早い生物を使えば実験はできるが,それでもせいぜい10年単位でしょう.100万年かかる話を「この目で確認する」研究は無理です.
なるほどまったく違うものですね。
2については言うまでもない.物理でも三体問題になると非常にやっかいだと聞いていますが,生物同士のインタラクションは滅茶苦茶に複雑です.
3で複雑なら、確かに多数の生物(自然)を扱うってのは話しならんですね。
> よって再現性や予測性はさらに低いと言えるんじゃないでしょうか.
ですよね、同じ科学だとしても違いはありますよね。そこにAH1さんが否定した怪しさって奴があるんじゃないかと思うのです。
> とは言え・・
しかし大砲とかの軌道ってニュートン力学で軌跡を考えていたとか聞いたのですけど。いい加減な話ですかね?進化論に生物の進化を解明するとしてそこまでの精度は求められないでしょ。まああくまで厳密に言えば単純ではないと受け取っておきます。
> しかし進化については(2と関連しますが)パラメータが多いために条件を統一しづらく,結果の観察と解釈も難しい(時間がかかったり,パラメータが多いために結果がマチマチだったり)ために函数そのものが見えにくい,という問題があります.だいたいパラメータが何か,という点からして探る必要があるわけですし.よっていまだに「このような違いが繁殖成功に影響することがわかった」「このような形質の違いはこの環境では効いていないことがわかった」というような研究がポンポン出るわけですね.
ああ、未だに今までの考察は間違っていたとポンポン出てくるのですね。
> 「進化そのもの」については,「生物は進化してきた」という解釈はほぼ間違いないと思います.宇宙空間の塵が集まって星になったとか,大陸が移動してぶつかりあうとか,その程度に確かな話ではないかと.(過程の1コマずつは理解できるし,全体の流れも現状をよく説明できる.ただ遠大な話なので気が遠くなる,という点でこの二つを選んだ)
これは同意しますし、やはり違和感を感じるのは宗教がらみで無い限り、自然選択の方でしょう。
> 進化のメカニズムについては「かなりわかったと思うが,だからって未来を予測できるというものではない」と思います.単純な運動方程式と比べたら,まるっきり勝負になりません.短期的には天気予報程度には当たるんじゃないかと思いますが(上で挙げたメカニズム解明の不完全さと複雑さと,両方の理由で).
まあ自然選択の方ですよね。え天気予報ぐらいですか。まあそれは有効な予測ツールですね。そういう感想が聞きたかったのですよ。もちろん前の説明文も面白かったですよ。
こういう程度に対する価値観と言うか、肌合いってのが個々で大きく異なるのが、進化論の意見の相違が出やすいまたは怪しいと思ってしまうまでも多いと言う事では無いかと思います。私もいろいろ見ても本当かな?って気持ちの部分多々ありますよ。
>後は感覚的で良いので、両者を比べて仮説に対する結果に紛れと言う物が有るなら、ようは進化論は予測性が低いと感じますか?感覚的なもので良いです。むしろその感覚的な確実性みたいな感覚こそが聞いてみたい。私は感想が聞きたいんですよ。
ということで以下は感想および感想の説明です.
(しかし感想の説明って我ながら不粋だな)
少なくとも「1Gの重力加速度のもとでボールを落とすと1秒後の位置はどこか,ただし空気抵抗は無視してよい」というような運動方程式と比べれば,進化理論は予測性が低い.なぜなら重力加速度gのもとでt秒間の落下距離が1/2tg^2である,というような厳密な数式がないからです.
その理由は
1進化のメカニズムに未解明の部分があるだろう
2進化をドライブする機構がわかったとしても,実際の自然環境は極めて複雑であり単純なパラメータに還元できない
ということ.
1の部分については,真空中で物体を落として位置を計測する,というような便利な再現実験ができない事が大きいですね.世代交代の早い生物を使えば実験はできるが,それでもせいぜい10年単位でしょう.100万年かかる話を「この目で確認する」研究は無理です.
2については言うまでもない.物理でも三体問題になると非常にやっかいだと聞いていますが,生物同士のインタラクションは滅茶苦茶に複雑です.
また1と2を合わせてですが,実際に起こった,あるいはこれから起こる事象というのは,何億回に一度,というような奇跡的な偶然でも良いわけです.確率論的に一番「無難」なコースを辿るという保証はないし,パラメータが多いぶん,起こりうる事象の幅が非常に大きい.よって再現性や予測性はさらに低いと言えるんじゃないでしょうか.
とは言え・・
実際の物体の振舞いてのは,高校の物理のテストほど単純じゃないでしょう.落下にしても空気抵抗は毎回違うだろうし(気圧や気流や物体表面の平滑さが違う).「ジュラシック・パーク」の中でカオス理論の研究者がビリヤードのボールの軌道を例にあげて「実際にはものの数秒も予測できない」と言ってますが(もちろん予測精度によるけど),こういう「複雑さにまつわる予測の不完全性」はいかなる科学にもつきものですね.飛行機の翼面の気流だっていまだにわかってないという話もあるし.
それから進化理論そのものの不完全さについて.
自然科学は「そこにあるブラックボックスに変数を突っ込んでみて,出て来た結果を見て,そのブラックボックスがどういう函数なのか予測する」のが一つの基本形だと思います.自由落下であれば,(空気抵抗等を無視すれば)その函数が非常に高い精度で特定されており,予測性が高い,ということでしょう.
しかし進化については(2と関連しますが)パラメータが多いために条件を統一しづらく,結果の観察と解釈も難しい(時間がかかったり,パラメータが多いために結果がマチマチだったり)ために函数そのものが見えにくい,という問題があります.だいたいパラメータが何か,という点からして探る必要があるわけですし.よっていまだに「このような違いが繁殖成功に影響することがわかった」「このような形質の違いはこの環境では効いていないことがわかった」というような研究がポンポン出るわけですね.
感想として一言で言えば,
「進化そのもの」については,「生物は進化してきた」という解釈はほぼ間違いないと思います.宇宙空間の塵が集まって星になったとか,大陸が移動してぶつかりあうとか,その程度に確かな話ではないかと.(過程の1コマずつは理解できるし,全体の流れも現状をよく説明できる.ただ遠大な話なので気が遠くなる,という点でこの二つを選んだ)
進化のメカニズムについては「かなりわかったと思うが,だからって未来を予測できるというものではない」と思います.単純な運動方程式と比べたら,まるっきり勝負になりません.短期的には天気予報程度には当たるんじゃないかと思いますが(上で挙げたメカニズム解明の不完全さと複雑さと,両方の理由で).
やり取りが不満だったわけじゃない。レスポンスが不満だったわけじゃない。
ただ聞いてるだけで、良い質問をしていると自画自賛しているのが馬鹿馬鹿しくなった。
ただまだ言っておきたいことがあったら時間があればのんびり書いて欲しい。
しばらく見てるから。
もううだうだやめようと思う。自分では変わったと思っていたけど、変わったんだけど。基本的にただ聞いてるだけって点は重要な点は変わって無い。自分では面白いとは思っているけど。やはり聞いているだけって点はどこか奇妙だ。
踏ん切りがついた。ありがとう。まだしばらく見てるからね。AH1さんのペースで別に最近は一切不満は無いよ。何か怒らしてしまったなら申し訳ない。
あのね,あなたがノッテるならそれはあなたの自由でいいんだけれど,
こちらも仕事しながらだったり飯食ってたりするんですよ.
今も恐らく後12時間くらいは返事をする時間がとれない.
そういう所を無視して自らのノリや苛立ちのままに独り言を書き付けられると,なんだコイツと思うんですよ.
別の人と話していても、内心ああ早く話し終わりテーとか、勢いで書いてしまったけど、つまらねーやり取りだなとか、ああそろそろ飽きてきたなこの馬鹿とか思われているんだろうなと疑心暗鬼になってきて、もう止まらなくなる。
分かった分かったでてきゃいいんだろ。てめらーだけで勝手にやってろ腹が立つわ。
ただしばらく見ますよ。特に何も感じないならどうぞさよならです。どうせヤフーもどうでも良くなってきたし。
様子は見るつもりですが、どうも私の発言ってつまらないのかと思います。AH1さんには本当に私の疑問に答えていただき感謝しています。
ただまったく食いつきが悪くて嫌になります。私と過去に関わった人は私の話しに酸化する事は皆無ですね。
人間的にどうだと言うより、詰まらないんでしょうね。私も楽しまれていないのに書き込む事に何かいらだちを感じます。
意見をくれた方々の話が面白くてついつい何度も着てしまいましたが、まあいい加減嫌になってきました。
何度も言いますが、AH1さんの返答がつまらなかったというわけじゃないすよ。ヤフーでもそうでしたが、楽しいやり取りでした。
ただそんなに面白く無いかと、書き方がまとまってないのは認めますが、何が一体そんなに不満なんだと苛立ちの原因はこれかと分かりました。
書いていて、ああ確かに面白くなかったと反省して何度書き直し、考え書いていても、結局何度言っても無駄なんじゃ無いかと思えてきました。
自分でも結果から見ればもう一つだったと認めるが、何を求めているんだ。怒りすら湧く。私が嫌いならまだ良いのだが、面白くないと言うのは我慢できない。
なんだか書いては見たものの、その話は確かにしたかったが、それだけで終わってしまったという点ががっかり。
私としては、せっかくAH1さんにいろいろ聞けたのだから、その妥協について聞きたかったんですよね。
まず前の発言を関係する事で、そもそも「科学とは科学者の妥協の産物か?」と言う事です。まあこれは言葉端折りすぎてまさに誤解を招く発言かもしれません。ただこれはAH1さんの言うところの妥協と言う意味であり、私の解釈を一切はさんでいません。そのまま意味も返して書いてます。
後は、まあ重力のガリレオのピサの斜塔などから落とした実験などありますよね。ああいった現行犯的なものに対して、進化論の様な方法は、まず科学的に間接的な間はやはり多いでしょうか?
後は感覚的で良いので、両者を比べて仮説に対する結果に紛れと言う物が有るなら、ようは進化論は予測性が低いと感じますか?感覚的なもので良いです。むしろその感覚的な確実性みたいな感覚こそが聞いてみたい。私は感想が聞きたいんですよ。
> 訓練された観察者なら・・・という話は,「見間違いや思い込みによる錯誤を最小化できるし,自分でも見間違いそうな部分に注意して見ているはずだ」という意味.素人だったら,どこに目をつけて観察すれば良いか,それすらわかりません.そうすると,見ていたのに得られていない情報がどっさり出て来て,せっかく「直接的」だった筈の情報がどんどん「・・・かもしれない」「・・・のように思える」と遠のいて行くわけですよ.さらに思い込みによる記憶の錯誤は常に起こります.意図的に捏造するのではないかもしれないが,つい「見たいもの」を見たことにしてしまうのはしばしばあります
なるほど、間接の間を少なくなるようにって頭脳や、訓練で少しは到達できるものなんですか。言われて見るとそうかもしれませんね。
> (いわば妥協の産物かもしれんけど)
まあそう言う事ですよね。結局進化論を特別視しているのは、まあ所謂反進化側なのかと思います。確かに誤解を避ける返答は大切なのかもしれませんが、つまらない人間相手にそこまで気を使わなくてはいけないのか?と良く思います。理解ある人間も回りくどいいまわしに言われた事を忘れてしまいます。
まずその妥協の産物と言う結果を聞いて、次にその妥協は深く深く考えられた妥協であると言う話が入りますよね。まったくもって、じゃあお前が考えてみろって反進化に対しては言いたくもなる。自ら様々なアイデアを持ってこの掲示板に話を提供して考えてきた私にとっては実に味噌糞一緒発言は腹立ちと苛立ちを感じる。
まあその手の愚痴は置いておいて、
> ただし,これを怪しいと言い出すと人間が空間的にも時間的にも人間スケールで観察(というか納得というか)できないものは全て「怪しい」話になるわけで,NATROMさんの地動説ってのもまさにその例です.地球が動いてるなんて感じはまったく受けない.直接実感したり見たりすることはできんわけです.
まあまた回りくどくなってますけど、怪しい事は怪しいですよね。出来ないからわからないでは芸が無いって事かと思います。まあ芸が無いってのはちと良くない表現ですけど。知恵が無いなら良い言い方なのか?とも思います。
まあ私はいろいろ実生活でも言葉遣いが悪いと良く言われるんですけど。誤解を招く表現が多いといわれます。誤解を承知で言えば、急がば回れが根底にあるのでは無いかと思うのです。直線がどうしても通れないなら、迂回路も考えてみようと言う事かと思います。
これを知恵と呼ばないでなんと呼ぶ?そしてこの選択肢がいまいちだと非難されるでしょ。結果が伴わないと駄目なのです。だからなんでもかんでも味噌糞一緒で迂回路だから、全て駄目じゃお話にならないっすね。
良い迂回路と悪い迂回路、必ず差は出る。その差で罰を受ければ学習できるわけじゃないです。出来ればカルトなんて騙されません。ただ痛い目に会えば別の人は理解するでしょ。
しかし前も話しになりましたけど、自然選択説を知っているからと言ってのメリットが大して無いとAH1さんには言われましたね。私としてはまあ知っていて考える思考法で農薬薬剤耐性などならあの発想は自然選択的だと言う点で同意は貰いましたけど。無理矢理な感はあります。
理解できるようになるには、知らないから損をすれば良いんですけどね。
>科学者以外目撃者がいないから、すべて現行犯なんですかね。要は、一般人が論文を出すわけじゃなく、一般人に観察してもらってその情報を科学者が使用する事が無いでしょうね。
いや,そうじゃないです.
現行犯ていうのは,うだうださんが書いている「間接性の度合いが少ない方がいい」という,まさにそのことです.
訓練された観察者なら・・・という話は,「見間違いや思い込みによる錯誤を最小化できるし,自分でも見間違いそうな部分に注意して見ているはずだ」という意味.素人だったら,どこに目をつけて観察すれば良いか,それすらわかりません.そうすると,見ていたのに得られていない情報がどっさり出て来て,せっかく「直接的」だった筈の情報がどんどん「・・・かもしれない」「・・・のように思える」と遠のいて行くわけですよ.さらに思い込みによる記憶の錯誤は常に起こります.意図的に捏造するのではないかもしれないが,つい「見たいもの」を見たことにしてしまうのはしばしばあります.
(イヌワシの調査でカラスとイヌワシを見誤った例も少なくないとか)
で,確実性とか時間の問題とかですが,反・進化の定番とも言える「何十億年も観察したわけじゃないだろ」という議論,その突っ込み自体はある意味,間違いじゃないです.
例えば「ある速度でゲノムの塩基配列が変化する」という事実をもとに「時間をかければ全塩基対の何%,何十%という変化だってあり得る」という可能性は論理的に出て来るわけですよね.言ってみれば,微少時間における変化がわかっていれば積分計算ができる・・というようなものでしょうか.ただし,想定した微分方程式が間違っていたら答えは全然違ってしまう.
ところが相手が時間であるだけに「直接の答えあわせ」はできないです.そこで,様々な例を突き合わせてみたり,他の研究と比較してみたり,そういう事をやっても間違いが見えて来ない・・ということで(いわば妥協の産物かもしれんけど)「科学的に正しいと考えられる仮説」と呼ぶわけなんですけどね.
ただし,これを怪しいと言い出すと人間が空間的にも時間的にも人間スケールで観察(というか納得というか)できないものは全て「怪しい」話になるわけで,NATROMさんの地動説ってのもまさにその例です.地球が動いてるなんて感じはまったく受けない.直接実感したり見たりすることはできんわけです.
そこで,天体の動きを観測して間接的に調べるわけでしょう.これは電圧計が「電圧をかけると針が振れる」というロジックを前提として配線を調べるのと同じだと考えます.背後にある理論は電圧計の設計より複雑かつ不完全だとは思うけれど,「電圧は電圧計で測れるはずだ」というロジックと,「地球の動きは**で測れるはずだ」「進化は**で測れるはずだ」というロジック,これは同じものじゃないですかね.
最近捏造論文の話題がありましたよね。
説明だけではなく、嘘を言ってるかもしれないって点も問題になりますね。
科学なら虚栄心、大発見なら金だってあるでしょ。
それが価値が分かるから科学者は胡散臭いとなるだけで、一般人の方がよっぽどその手の倫理観は守られないのでは無いかと思います。まあ目撃者の場合虚偽は罪になる可能性ありますけど。
科学に置いてはやはり現行犯と目撃情報を元にした事件の解明は、大差ないのかな?
科学者以外目撃者がいないから、すべて現行犯なんですかね。要は、一般人が論文を出すわけじゃなく、一般人に観察してもらってその情報を科学者が使用する事が無いでしょうね。だから常に科学は、目撃情報と現行犯を分ける意味が無い。問題は時間軸だけかな。事件(何かしらの事象)をその場で常に捉えていると言う事かと。
長い文章なんていうなら、私の返答もひどいですよ。問題はそれじゃ無いんですよ。誤解を避けるまわりくどい言い回しが長いと言ってるだけです。
さて、AH1さんの発言を読んでいたら、肩書きじゃなくても、目撃者がどれだけ情報を丁寧に説明できるかって事である程度使える目撃かどうか理解できますね。
別に肩書きは必要ないですね。あった方が話は早くなりますけど。
間接の間が少ないほうが良いと思いませんか?
科学的な話とは言えないのかもしれませんけど。
結局確実性とか、数多くの検証に生き残ってきたとかそういう程度って確かあまり科学の理論とは相性が良くないですよね。哲学者には解明できなくても、暗黙の了解で科学者は参考にしているとは思うのですけど。
間接の間が少ないってのは、まだ確実性とかよりは論理性が保たれると思うのです。
もちろん時間が短いほうが良いですよね。
考えていけばまだまだ明確に言える事はあると思うんですよ。
もちろんNATROMさんは勉強してから出直して来いって意味で、一旦遠ざけただけだとは思いますけど。それでももっと言いようがあるだろとは思うのですけどね。
化石がありますよね。間接の間だけではなく、情報の欠落も問題だと思いませんか?
化石は骨だけですよね。まれにDNAなど。本体の持っている情報と比べればどれだけ少ないでしょ?
結論として進化論は科学的ではない。宗教の経典と大差ない。こんなつまらない話は私はしませんよ。
あえて認めて、現行犯と、事後の調査の違いを洗い出して、進化論のいい加減さを出そうじゃないですか。誤解を承知で良いんですよ。
http://jbbs.livedoor.jp/study/5329/
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科学の持つ根拠とは、全面的に我々の知覚認識機能に依存しておりマンがな。
つまり、大した確実性はないと言うことでッしゃロ。
ならば、同じく思考から発しておる経典の類いの根拠と大差おまへん。
まあ、相対主義的に互いを尊重し合うのは当然でンな。
( =´∇`=)y─┛~~
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まあ欠席裁判みたいですが、てんぽうさんの文章を遣わしてもらいます。
デカンショさんへの返答にもなりますが、長い文章じゃなくて回りくどい誤解を避けるような言い回しの返答が面倒だと言う事です。
まあ私は、「つまり、大した確実性はないと言うことでッしゃロ。」と思っているのですが、だけど科学は有効だと思っています。この点で同じ様に考えていて相手から発言を引き出そうとしても、目的と言うか根本が違います。進化論も含めて教義の様な絶対的なものでもなく、完璧な論理体系の元にきづかれているものでもなく、いい加減なものだといわせたいのです。それをきちんと言わない相手に長くなると言ってるだけです。
もう一つてんぽうさんは味噌糞一緒ですよね。でも私はAH1さんに真っ先に違いを聞いてますよね。些細な違いの積み重ねでもやはり違うと言う事です。
まあJA50さんの返答は、錯覚などの話でもあったんですね。
さて、AH1さんは何故いつも私が欲しい回答をいただけるのか裏があるのか?なんても考えてもしまいます。私の言葉にならない意図を拾って解答してもらっているのか。それともあまりに毎回完璧なので、何か別の考えがあるのか?と勘ぐったりしてしまいます。
> 私のあげた例(タカの捕食)について言えば,「訓練された観察者が目視確認したのであれば,ほぼ間違いないだろう」という前提があります.また「タカがスズメを食べるのであれば別に不思議ではない」という先行研究との整合性もあります.
こりゃ誤解を承知で言えば、先入観と観察者への信用問題ですよね。肩書きで解決できるのかもしれませんけど。
> ましてみなさんの挙げておられるような「目の錯覚」なんかになると,「この目で見た」すらも役に立たない場合だってあります.
うーん、私はJA50さんがカルトっていった事でそう言う事もと思うのですけど。間接的証拠って言葉が引っかかっていますけど。まあそもそも栗エイトさんも見るって意味に現行犯って意味が入っていなかったのかな?と疑問に思っているんですけど。
「見たのか? 」ってタイトルは、どちらかといえば、見るという行為より、現行犯って意味合いの方が強いと思うのです。おそらくこの手の話しに慣れてないなら、自分でも上手くいえなかっただけだろうとは思っているのですけどね。恐らくですけど、見るという感覚器官の話より、時間軸の方が重要だと思うのですけどね。要するにこの問題に対して突き詰めて無いから、見るって言葉になってしまっただけだと思っています。おそらく本人も気が付いて無いかと思います。これだけ話せば、多分私の言いたい事と近いとは思うのですけどね。
光ってのは一応反射でしょ。だから絶対過去のことなんですよ。だから見るって光線の話に拘泥するのは意味が無いと思うのですけど。その後NATROMさんが天体の話しで返しているから、やはり見ると言う事ってそれほど意味が無いと思うのですけどね。この辺りデカンショさんはどう考えているか分かりませんけど。
ただ、確かに錯覚誤謬の話も無視は出来ませんね。JA50さんの言い回しにはそれも入ってそうですね。
まあ後は本人(栗エイトさん、JA50さん)しか分かりませんけどね。
>後、警察官が現行犯でも、警察官の証言だから絶対かと言えばそうではないですよね。
>でも現行犯逮捕と目撃ってのはちょいと違うと思うんですよね。ここまでいくと科学から離れるかな?
夕べ書こうと思って忘れてました.
私のあげた例(タカの捕食)について言えば,「訓練された観察者が目視確認したのであれば,ほぼ間違いないだろう」という前提があります.また「タカがスズメを食べるのであれば別に不思議ではない」という先行研究との整合性もあります.
もしこれが「スズメがタカを食べた」だったら,よほど慎重に確認して,写真も添えて(できれば動画でも),「信じられんが事実だ」ということを示すでしょう.
また,鳥を観察しなれていない人が研究者に「タカのような大きな鳥が,スズメみたいに見える小さな鳥の所に舞い降りたんだ!その後,小さな鳥はいなくなっていたんだ!あれは捕食だ!」と言ったとします.
恐らく研究者は「それはタカか?」「それはスズメか?」「小鳥の所に舞い降りたとは,具体的に何をしたのか?」「小鳥がいなくなったというのは,物陰に隠れて逃げただけではないのか?」といった点を確かめようとするはずです.観察や起こりうる可能性のリストアップが不十分な「目撃証言」であれば役に立ちません.いわば,目撃証言に対し,裁判で質問してる感じですね.
ましてみなさんの挙げておられるような「目の錯覚」なんかになると,「この目で見た」すらも役に立たない場合だってあります.
・・というような話なんじゃないかな,と.
水の中に箸を斜めに入れれば水面を境に折れ曲がって見えます。
これは錯覚(錯視)でもなければマジックでもなく、ましてや妄想でも有りません。それが正当な感覚であり、100人いれば100人そのように見るでしょう。
しかし箸に触って撫でてみればどこも折れていないと感じられます。
前段は視覚による感性的認識、後段は触覚による感性的認識(人間の認識は必ずことばが介在するから、純粋な感性的認識は無いと言われる)。
どちらも同じ感覚同士の認識であって、この場合どちらの感覚を頼りにして良いのか、これだけでは判断出来ません。
しかし箸の角度を変えれば折れ曲がる角度も変わってくるし、水に入れる深さを変えれば折れ曲がる位置も連続的に変わってきます。
箸を水から出すと、箸は真っ直ぐで折れた痕跡も見当たりません。
箸のような硬いものが、角度や位置を変えて連続的に折れたり、一旦折れたものが修復することは、通常有り得ない、と言うことを過去の膨大な経験を元に演繹し、視覚による認識が誤で、触覚による認識が真だと判断したとすれば、それは感覚を超えた理性的認識になる訳です。理屈を言えば。
タバコが硬貨のような硬いものを通過する筈が無い、と言う理性を、一般的な現代人は既に身に付けていて、だからこそ手品として楽しめるのでしょう。
しかしこれをかっての未開の部族や、遠い過去の時代にやって見せたら、いっぺんでシャーマンになれること請け合いです。
いわゆる超常現象や超能力を、それだけで何の疑問も無く信じる人と、他との連関の中で「そう言うことは有り得ない」と判断して「何か裏が有る筈だ」と問題意識を持てる人の差は、理性の差でも有るんでしょうね。
今そう言う「全体の連関の中で見る」と言うことが欠けているような気がします。
その典型を、古い話で恐縮ですが旧オウムの、例えば上祐史浩に見ることが出来ます。
上祐の略歴を見ると、早稲田大学大学院理工学研究科を経て、宇宙開発事業団に就職します。それこそニュートンの万有引力の法則について、誰よりも熟知している筈です。
それが麻原の「空中浮揚」にコロリと参っちゃったらしい訳で、だとすれば彼の中で、知識や経験や感覚が相互に連関せず、バラバラだったと言うことなんでしょう。
これだけ科学技術が溢れている現在、占いやカルトが大きな顔で同居している大きな要因はそう言うところにあるのだと思います。視聴率の為「霊媒師」等を出演させ、その提灯持ちをしているマスコミも責任が有ります。
>見たから事実だと信じることは、カルトに騙される一歩ですよ。
まことにその通りで、感性は大事ですが感性だけに頼った認識は、時に誤りに陥ることが多いと言えるでしょう。
うだうださん、
>いつもここで話が長くなるのは、はっきり分からない、私は無知ですとかそういった早い話が出来ないからいらいらするのです。
長文失礼。
私は網膜に光の像が写るって事(過ぎてしまった化石から情報を受け取るのも情報の脳の解釈と言う点では似た様なもの)を指して見るという行為について、本質的に間接的だとそういう意味で受け取ってしまったもので。
確かにカルトに騙されるって意味がそれでは通じませんね。なるほど理解しました。
まあ、目撃記憶の捏造とかもありましたよね。
後、警察官が現行犯でも、警察官の証言だから絶対かと言えばそうではないですよね。
でも現行犯逮捕と目撃ってのはちょいと違うと思うんですよね。ここまでいくと科学から離れるかな?
http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a93.htm#q578
今回このHPでもこんな様な話がありましたね。
> タバコが硬貨を通過・・・
JA50さんはそういう意味で遣ったと言う事なんですかね。
まあ確かにそれならきりが無い哲学的な話ってわけじゃなさそうですね。
>> 見るという行為さえも、間接的証明の一つだと自覚しないといけない。
見たから事実だと信じることは、カルトに騙される一歩ですよ。
>JA50さんが何が言いたかったのか分からないところもありますが、哲学的な話がしたいのか?
タバコが硬貨を通過するマジックをマジックだと知らずに見て、「この人は柔らかいタバコを金属に貫通させることのできる超能力者だ。」と思って超能力が存在する証拠だと言ったり、磨き上げた墓石に遠くにいる人の姿が写っただけなのに「霊魂を見た。」と、霊魂の実在を主張する人がいたりしますね。
一時期話題になった常温核融合も「現象を見た」という人はいたけど、実際には常温核融合は否定されていますよね。
「この目で見た」という行為は、それが検証されなければ単なる事例の一つとして扱われるだけです。たいした価値は持ちません。
実生活で言えば、裁判の目撃証言はそれなりの評価はされますが、その他の証拠と矛盾すれば却下されることがあります。日常生活では目撃談はそれなりに尊重されますが、厳密な事実認定が必要な場面では重視されないことを理解すべきでしょう。
まあ栗エイトさんとは一切関係なく話しますと、
原子とか宇宙って科学の中でもちと実用的な部分からは外れる基礎的な部分ですよね。
テクノロジーと密接関わる電気ってあれ見える見えないではまったく見えませんよ。
なんで進化論だけその点いろいろ言われるのかな?と不思議になります。顕微鏡つかったりするのも十分間接的ですし。もちろんJA50さんは肉眼での事をさして言っているのだと思いますけど。
ただ私は現行犯とそれ以外とは、やはり違和感があるのです。その違和感をAH1さんに答えていただいたというわけです。
本当に申し訳ない。以前からのいらいらでついそのまま感情を書きなぐってしまいましたが、読み直すと私の説明の方が足りないと思いました。
しかし、その不十分な説明で返答してもらった内容ですが、私の言いたい事を見事に返してもらって助かっています。有難うございます。
私は科学と関係の無い人でして(正確には関わり無いとは言えないが、あまり言いたくない)、実際科学者達の現場では何が行われているか分からないのでそういう部分を聞いています。科学哲学がどうのかではありません。私はアレは嫌いです。難渋な議論になるだけの議論好きの詰まらない話が多いと思っています。(まったく役立たずかといえばそれは違うが、長々話すほどの価値は無い)それより実際科学者がどう考えどう判断しているのか方が聞きたいのです。科学者でなくても良いです、理科系お仕事でも良いですね。
> 「タカがスズメを捕食する現場を見た」
これはそのまま論文に書いても何の文句もつきません.
了解了解。
> 「タカがスズメにいた辺りに舞い降りるのが見え,その後タカが何かを掴んで飛びさるのが見えた.現場に行ってみるとスズメの羽が散らばっていた」
これは「タカがスズメを捕食したと考えてよいだろう」と書かないといけない.
全くその通り、これは下記の書き方をしないと”正確”ではないですね。
> 「タカがスズメにいた辺りに舞い降りるのが見え,その後タカが何かを掴んで飛びさるのが見えた.現場に行ってみたが何も発見できなかった」
これだと「タカがスズメを捕食したかもしれない」レベル.
なるほど羽などの物証が残ってないのですね。
> モノが原子だの天体だのになると,そもそも「目撃」って何よ,という話になります.
いやおそらくここまで行かなくても、電気って十分見えないですよ。電圧電流を測定した数字とか針しか見えないでしょ。
> 見るという行為さえも、間接的証明の一つだと自覚しないといけない。
見たから事実だと信じることは、カルトに騙される一歩ですよ。
JA50さんが何が言いたかったのか分からないところもありますが、哲学的な話がしたいのか?それとも実務としての科学として意味のある話なのか?が分からなかったから、ちと挑発的に書きました。そりゃそうだけど、それは話が広がるだけで収束する先が見えてて言ってのかな?と思ったから、まあ私なりの収束を考えて書きました。ズレテイルかもしれませんけどね。
> 栗エイトさんは、「地球が太陽の周りを回っている」ことも「見たのか?」などと言って認めないのでしょうな。
これも含めて、
ただの嫌味じゃつまらないと思ったもので。
>現行犯とそれ以外の犯罪と分ける事は科学的には意味が無いのでしょうか?
私に関わりのある分野だったら意味ありますけど,分野によって違うと思いますよ.
例をあげましょう.
「タカがスズメを捕食する現場を見た」
これはそのまま論文に書いても何の文句もつきません.
「タカがスズメにいた辺りに舞い降りるのが見え,その後タカが何かを掴んで飛びさるのが見えた.現場に行ってみるとスズメの羽が散らばっていた」
これは「タカがスズメを捕食したと考えてよいだろう」と書かないといけない.
「タカがスズメにいた辺りに舞い降りるのが見え,その後タカが何かを掴んで飛びさるのが見えた.現場に行ってみたが何も発見できなかった」
これだと「タカがスズメを捕食したかもしれない」レベル.
「タカはスズメを襲うものである.タカの密度が高い場所ではスズメの密度が低い傾向があった.」
これはもう完全な考察で「タカが影響していると考えることができる」程度.他の条件に差がないとか,相当なデータを重ねないと「タカが食っているからスズメが少ないのだ!」とは言えず,あり得る仮説の一つという程度にすぎません.(全くわからないよりは余程良いので,「どうもそれっぽいデータは出てるぜ」という扱いはされますが)
こういう研究だったら現行犯の例となんら変わらないし,普通に「お前はちゃんと見たのか?それとも推定か?」という議論がなされます.だから現行犯とそれ以外にわける意味はある.
モノが原子だの天体だのになると,そもそも「目撃」って何よ,という話になります.
ってのがありますよね。現行犯とそれ以外の犯罪と分ける事は科学的には意味が無いのでしょうか?
私が聞きたいのは、はっきりとした明確な返答が欲しい。分からないなら分からないなどの返答も欲しい。知ったかぶりと思わせぶりな返答はいらない。
いつもここで話が長くなるのは、はっきり分からない、私は無知ですとかそういった早い話が出来ないからいらいらするのです。後は無言も非常に困る。知らないって言わないと、私の聞き方が悪かったのかと、使えない連中の情報をあてにして、ついついこのHPに何度も来てしまう。
>>36億年位前、原始の海で1個の生物(バクテリア状のものだったらしいのですが)が生まれ、そこから全ての生物が分岐・進化してきた訳ですから、
>どうやって生まれたんですか?
>それをどうやって証明するんですか?
そうですね先ず第一に、
人間を含む多様な生物が、今現に存在していると言う事実が有ります。
これは実際に見えますし、「証明」するまでもなくおそらく栗エイトさんにもそのことは承認できるでしょう。
当然その起源や由来が求められる訳ですが、誰も見たものはいないし、実験で再現できる性質のものでも有りません。だから色々な「論、説」が有り得ます。
こう言う場合、どれだけ矛盾無く自然に確からしく、根拠を持って説明できるか、と言うことだろうと思います。
自然(社会も)は網の目のように密接に絡み合っていて、或る一つの「論、説」が有ったとして、それが他の連関と矛盾を来たさないことは、その「論、説」が確からしいことの、最低限の前提でしょう。
化石や地層の観察結果、専門家の膨大な研究の蓄積が有って、私のような門外漢にも冒頭の考え方が一番自然に納得できます。
それ以外の説では逆に矛盾がいっぱい出てきて私には了解できない、まっ、そう言う意味でブッチャケ私の「確信」に過ぎません。
でも冒頭の件に関して、この板では大方の了解が得られると思い、それを前提に書き込みました。
勿論別の主張が有ることは十分承知しています。
栗エイトさんが冒頭の見解を了承できず、別の見解が有るとすればそれを主張されれば良いと思います。私も訊いてみたいですから。
「見たのか?」
「それをどうやって証明するんですか? 」って。
NATROM さんも「本気で生物進化や生命の起源について知りたいのであれば、適当な本を紹介しますよ。」と仰っていますので、疑問があれば相談されたら如何ですか。
見るという行為さえも、間接的証明の一つだと自覚しないといけない。
見たから事実だと信じることは、カルトに騙される一歩ですよ。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。