進化論と創造論についての掲示板ログ372

2006年08月04日〜2006年08月11日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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終わったことにいつまでも食い下がるのは  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月11日 0時19分

往生際が悪いと日本語では表現します。

>仮説形成の後に演繹法で検証する、これが仮説演繹法。あくまで仮説形成(帰納法による立論)があって初めて演繹できる。この事を良く腑に落とし込む事だ。

ちゃんと人の説明を消化して下さいね。

>ややもすると横暴・傲慢・慢心に繋がりやすい、と言えるだろう。

自分の不確かな知識に拘泥して、なんら学び取ろうとしない態度のことですか。確かにそうですね。今日は酔っ払っているので、鶏さんの意見に賛同しておきます。

>谷庵さん

改行<
>をお忘れのようです。


芸風  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年08月10日21時56分

谷庵さん
>ガキの反応だけど

1つのフレーズの中で文字の大きさが変わっていくと、エコーっぽい感じがします。そのノリ、大いに笑わせていただきました。


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年08月10日20時54分

>私が言いたいのは、「進化論」は論理学的に無理があるし、そして普通の人間が普通に理解するような文章で「進化」とは何かを表現できていない、と言う事だ。


ようするに、進化論を読んでみたけど、理解できなかったって事?
それなら、今までの、あなたの頓珍漢な発言が一本の線に繋がってスッキリするのですが。


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年08月10日20時47分

>近代科学は、「正しい」ではなく「確からしい」で発展してきた。

「確からしい」ではなく、実験等で「確かである」と確認されて発展しているわけですが。
「確からしい」で発展してきたのは「確認のしようがない宗教の世界」です。


返信  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月10日18時55分

近代科学は、「正しい」ではなく「確からしい」で発展してきた。それは帰納法・演繹法を駆使してきたから。
自然科学の特定の分野では作業的な類似性を持って「仮説演繹」と称する、と。
しかし幾ら帰納と演繹が密接な関係であっても「仮説帰納」とは呼ばない。
帰納法は帰納法であり、演繹法はあくまで演繹法である。

仮説形成の後に演繹法で検証する、これが仮説演繹法。あくまで仮説形成(帰納法による立論)があって初めて演繹できる。この事を良く腑に落とし込む事だ。
帰納法が二つでも三つでも対した問題ではない。

>メビウスさん
私は「進化現象」を否定するものではないし、殊更に聖書学を信望するものでもない。
私が言いたいのは、「進化論」は論理学的に無理があるし、そして普通の人間が普通に理解するような文章で「進化」とは何かを表現できていない、と言う事だ。
今のところ、日本の生物学者の多くは進化論を支持している。自由な研究が妨げられているどころか、支配的なのである。それは言わば、ややもすると横暴・傲慢・慢心に繋がりやすい、と言えるだろう。

「ソ連」に関しては、進化論支持の理由が「学者の数、繰り返しの議論、努力、苦闘」であってはならない、と言う事を言いたいだけだ。


Nature でも見たら?  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月10日14時24分

投稿数は伸びても中身は進展しないなあ。

「それは進化論者だから」で逃げるか。
全部調べるなんてことは到底できないしやってもいないが、仮説検証は自然科学の基本と考えて間違いないだろう。
いつだったか「Nature は創造論もバランス良く載せている、さすがだ。」なんて主旨の投稿があったんだから、「これぞ科学」と言える例を見たければ、Nature の論文など読んで、どのような「リツロン」がされているか、見てみればいいわけだろうな。
進化論者は信じないというなら物理や化学でもいい。

ま、何を挙げても「そいつは進化論者だ」と決めつければいつまでも逃げ続けられるが。


嘘はいけないな  投稿者:うだうだ 投稿日: 2006年08月10日 9時32分

> 誰からも相手にされないだろう。

あなた相手してるじゃん。”まともに”って言いたいんでしょ。


失敗  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年08月10日 9時29分

おかしいなあ。
「彼」があまりにくだらないので遊んでみたけど、やっぱりやめとこ。
でも、くだらないの、続くんだろうなあ。
もう結論は出たんだから、止めて欲しいなあ。
馬鹿を見るのは嫌いじゃないけど、
いい加減ウザイよなあ。


不幸なんだね  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年08月10日 9時23分

適正な価格を支払い、欲しい商品を得る。
それを詐欺だと言い張れば、誰からも相手にされないだろう。
相手にされないことが好きなんだと思っていたけど、やっぱり不幸なんだろうな。
だから誰彼かまわず悪態をつく。
ガキの反応だけどガキの反応だけどガキの反応・・・

wadja さん、これでどう?


人類にとって学問とは何か。  投稿者:メビウス 投稿日: 2006年08月10日 5時41分

ようさん

私は7月28日に以下の書き込みをしました。
/////////////////////////////////////////
2人の仮説(ラマルクとダーウィン)はずいぶん修正されたり補足されました。しかしその後もさまざまな研究者がその業績を持ち寄って議論に議論を重ね、論争し、反証を受け入れるなどの過程を経て「生物は少しずつ変化することがある」「生物は1つまたは若干の共通祖先から分岐した」という進化論の基本はよりいっそう強固なものになっていきました。
//////////////////////////////////////////
ようさんは8月2日にソ連を興した人たちのことを持ち出して反論されました。私はその反論を次のように解釈しました。「帰納法による立論がきちんとすんでいない考えを説明原理として演繹による議論を積み重ねてもそれは無意味であり、その顕著な実例がソ連の建国と崩壊である」
////////////////////////////////////////////
これに対して私は次のように反論します。ソ連の体制が結局失敗に終わった理由は、形式論理学の手順に従わずに議論を積み重ねて空論をこねくり回したことが大いに影響していることは間違いありません。では、なぜ彼らはそうしたのでしょうか。科学と学問を、今、私は同義語とみなして議論を進めます。「共産党宣言」の最後の文章は「哲学者たちはあれこれと現実を語ってきたが、もう私たちが真実を見極めた。後はそれに基づいて行動あるのみである。万国の労働者団結せよ」です。ただし、この本を最後に読んでかなり経ちますので表現はことなっていると思いますが、その趣旨と檄文で閉めくくられている事は間違いありません。マルクスとエンゲルスが築き上げたのは、その学問的価値を前面否定するつもりはありませんが、本質的にはイデオロギーなのです。

もし革命運動でイデオロギー論争に敗れれば、その人物は社会的にも学問的にも存在することが困難になるでしょう。実際、ソ連の建国に関わった人々がどれほど政治的に失脚し、粛正されたか、想像を絶するほどの数に上るでしょう。

これは、形式論理学以前の問題です。自由な知的活動と議論など、つねに政治生命と文字通りの生命の危険の及ばない範囲でしかソ連の建国に関わった研究者には許されなかったのです。

ようさん、もう一度冒頭の私の文章をごらんください。
「議論に議論を重ね、論争し、反証を受け入れるなどの過程を経て」と私は書いています。この「反証を受け入れる」というのがつまり学問の自由です。科学的社会主義(マルクス主義)の理論にかかわった人々がいったいどれほどの学問の自由が許されていたのでしょうか。

そして、進化論の自由な研究に圧力を加えようとしてきたのは、どんな人たちなのでしょうか。


幸せそうだね。  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月10日 2時14分

詐欺だ、と指摘しても被害者が喜んでるなら、幾ら近代法と言えどもねぇ。

学者教祖様と「学界のマジョリティ」に同調していれば「幸せ」に暮らせるかも知れない。

でもこの手のサイトは罪深い。


感想  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月09日22時36分

>大山鳴動してネズミが二匹、ちゅうのがこの騒動の収穫にゃんな。

えらい簡単に要約してくれたねw

でも、収穫があっただけでもようさんには感謝しとこ。あんまり、この手のことは勉強する機会ないし。


収穫  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年08月09日10時50分

・仮説演繹法は帰納法の一種である
・数学的帰納法は演繹法の一種である

と、大山鳴動してネズミが二匹、ちゅうのがこの騒動の収穫にゃんな。
ネズミと呼ぶには不適当かもしれにゃーな。目から鱗ではある。


ハイ、時間切れ〜  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年08月09日 7時49分

あ〜あ、せっかくあげたチャンスを揶揄に使っちゃいましたねぇ。もったいない。
いや、まあミケにとってはむしろありがたいです。まだ玩具でいてくれるなんてね。
では遠慮なく、面白おかしくツッコミを入れましょう。

ミケがもう一度読むことを勧めたリンク先にはこう書かれています。
http://www.geocities.jp/enten_eller1120/post2/science.html
>そして,この帰納法にも二通りの方法がある. ひとつは「枚挙的帰納法」と呼ばれるもので,第3部第1章で説明したベーコン流の帰納法である. もうひとつの方法は「仮説演繹法(hypothetico-deductive method)」と呼ばれ,次のような手順を踏んで進行する.
(第一節の(2))

わかった?仮説演繹法そのものが、演繹と名がついているけれど帰納法の一種。
「帰納主義」の項で仮説演繹が紹介されている時点でフツーは気付くんですけどねぇ。

で、このようにも書いてあります。
>科学者は「問題」から出発して, それを解決するために「仮説」を提起する. この「仮説」の提起に際して,帰納法はなんの役にも立たず,そこには科学者の想像力のみがある.
>しかし,科学の本質にとって重要なのは,「発見の文脈」ではなく,「正当化の文脈」である.
(第二節の(1))

ま、こちらはコメント不要ですかねぇ。


>ほんとに恥ずかしくないか?品性下劣とはこの事だな。詐話師め!


「ミケに対して論理的に言い返すことができませんよ〜」という宣言ですかね(笑)。
昨夜のよう さんの投稿に中身なんてないし。
どうして詐話師なのかという根拠さえも書いてない(w。


ところで、“アドバイス(8月 8日(火)08時35分4秒)”についての返信もいただきたいのですが。

小室直樹以外で、
よう さん流の帰納法のやりかた(仮定→推論→結論)について書いてある本
『聖書に書いてあることが科学的に正しい』と書いてある本
があれば教えてください。

>アドバイスしようか(8月 8日(火)07時27分52秒)
ってのはウソだったんでしょうかね?
それとも、小室しか知らないんでしょうかねぇ?


詐話師ミケ  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月08日23時49分

>「演繹と仮説演繹はチガウンダヨ。」

演繹法は近代に限らないね。
でも「仮説演繹」となれば「近代科学」といえるね。

どちらも演繹法に変わりはないの。それに引用先では帰納法で「仮説立論」って書いてあるでしょ。

NATROMさんの信頼厚い「詐話師」ミケさんの面目躍如、と言ったところだな。

>今晩いっぱいはあなたにツッコミを入れるのを控え、

一体誰の為の時間猶予?(笑)
ほんとに恥ずかしくないか?品性下劣とはこの事だな。詐話師め!


一部マルチレスあり  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月08日23時47分

いつも出遅れてるなーorz

>ええ、考えています。検証可能に決まってるでしょう。演繹法ですから、当たり前です。
貴方は、未だに論理学、科学的手法について理解が十分ではないね。

ようさんは、科学を誤解しています。聖書は、特に旧約は全知全能の神の行った奇蹟を記述しているのですから。科学では検証できません。少なくともwadajは、聖書を科学で検証しようなんて思いません。

>「予測通り」だったら、それでOKなんだよ。

すこしは考えて答えればよいのに。ようさんは、論理学の基礎中の基礎「逆は必ずしも真では無い」すら分かってないようですね。しっかりしてよw

ミケさんが面倒臭がって残してくれたので、説明しておきます(ミケさんありがと)。

命題Aが真であれば、論理的に命題Bが真になるとします(A−>B)。Aは直接観察することが出来ない命題で、Bは観察可能な命題だとしましょう。仮に命題Bが真であることが観察されても、命題Aが真だとは(B−>A)論理的に証明できません。高校のレベルの論理学をちゃんと理解していれば、誰にでも分かる話です。

命題Bが真だった場合、唯一観測者に言えるのは「命題Aが真である可能性がある」ということのみ。だからこそ、「Cが真なので、命題Aが真である可能性がある」「Dが真なので命題Aが真である可能性がある」…「Zが真なので命題Aが真である可能性がある」という膨大なデータを、延々と「帰納的」に集めないと、命題Aが十分に蓋然性があるかどうか判断できません。

>引用のサイトは「進化論者」でしょう。

ただ感想を述べるよりは、ようさんが進化論者以外と信じる人のサイトでも書籍でも引用した方が、よっぽど説得力がありますよ。なぜやらないのですか?

>仮説は帰納法、とあるね。

何を鬼の首取った様にいってるんだか…と、反論しようと思ったけど、ミケサンがあげたチャンスを潰すのもヤボなので止めておきましょう。

DBRCTさん

>頭の中に 膜 という言葉が反響しています。

うーむ、安定感ではまだあの方の境地には達していないと思います。個人的な見解ですがw

谷庵さん

老婆心ながら、改行を入れ、最後をフェード・アウトさせた方が、エコーに見えるかとw


本当にキモイ  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年08月08日21時17分

無視すると言いながら、何なんだろうね。
よっぽど効いたのかな。
私の相手はあくまでギャラリー。
ようはお呼びじゃない! お呼びじゃない! お呼びじゃない!


念のため  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年08月08日21時07分

読解能力の低い よう さんのために、一応追記。
↓の投稿で出てくる「自分」とは、
ミケのことではなく、よう さん自身のことです。すべて。


突っ込む前にチャンスをあげよう。  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年08月08日20時59分

よう さんへ。

ミケの掲示したページをよ〜く読んでみてください。
http://www.geocities.jp/enten_eller1120/post2/science.html

今晩いっぱいはあなたにツッコミを入れるのを控え、
自分の言ったことを撤回する猶予を設けてあげましょう。
ま、あくまでサービスですから、リミットはこっちの都合で。

あ、ヒントをあげましょうか。
「演繹と仮説演繹はチガウンダヨ。」
上記HPでいうと第一節の(2)と第二節の(1)をあわせて読むといいね。

#よう さんがせっかく頑張って頑張ってレスを返してくれるのに、
即ツッコミが入ってしまうさまはさすがに可哀想になってきたので、
今回は突っ込む前にもう一回自分で読んで、自分で間違いに気付いてもらおうという意図です。
ま、せいぜい頑張ってください。明日恥をかかないようにね。
(「既に恥をかきまくってる」とか、「彼には恥という感覚がない」等のツッコミは禁止)

もし自分で間違いを認めることができたなら、
ミケはよう さんに対する(完全に馬鹿にしている)態度を少し改めるでしょう。


デジャヴュ  投稿者:DBRCT 投稿日: 2006年08月08日18時55分

頭の中に 膜 という言葉が反響しています。


ミケさん  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月08日18時38分

>仮説演繹法とは、可能性のある仮説をすべて枚挙した上で、個々の仮説ごとに、「その仮説が正しい」と仮定すればどのような帰結が導かれるかを論理的に推論し、その帰結と実験・観測データを比較することによって、仮説の正当性を検証するというものである。

この引用文の作者の「よしだ」さんも、判ってないね。進化論者は論理学に疎いのか?
「可能性のある仮説の枚挙」は必ずしも必要は無いの。直感によってでも「論理矛盾の無い」理論構築が出来れば良いの。
帰納と演繹の区別が出来ていない。「枚挙的帰納法」も演繹法の一種だとでも考えているのかもしれない。進化論者はみんなこの誤魔化しにやられているね。ちょっと意図的なものを感じるけど。

「仮説の正当性」が大事なんだ。膨大なデータはあくまでデータに過ぎないの。科学の目的は仮説、理論の正当性にある。つまりそれは「正しさ、真理」と言う事。膨大な観察データは勿論検証にも必要だけど、帰納法の証明(仮説の立論)にこそ必要だよ。何せ「科学の始まり」だからね。


谷庵クン  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月08日18時17分

【検証は、あくまで事実との照合でするものだ。
もちろん、この作業は帰納法であり、演繹ではあり得ない。
たぶん、演繹という言葉の意味も知らないのだろう。】

は、早く皆に気付かれないうちに訂正するんだーっ!。急げ!ヤバイ。


誰か  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年08月08日17時51分

「彼」に無視されて可哀想な人いるか?
私はレスを返されて可哀想な気分だ。
無視すると言いながらレスを返すのはなぜだろう。
キモイ奴だ。


返信  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月08日16時49分

>谷庵くん
>検証は、あくまで事実との照合でするものだ

「事実」と何を照合するのかな、判ってる?
嘘も大勢でしかも繰り返し言えば、本人にとっては「本物」なんだろうな。
可哀想だけど、今後も無視すると思う。

>ミケさん

引用のサイトは「進化論者」でしょう。
「演繹は帰納法の一部」なんて言い方で「進化論」の論理性を誤魔化そうとの意図が見え見えなんだよ。

>>もうひとつの方法は「仮説演繹法(hypothetico-deductive method)」と呼ばれ,次のような手順を踏んで進行する.
>1 観察や実験のデータから,帰納法( induction)に基づいて仮説を提起する.

演繹法に行く前に仮説は帰納法、とあるね。他の皆にも説明してやったら?「壁」の高いやつらにさ。

相変わらず引用が多いな。自分の言葉に置き換える作業の反復が必要だとおもう。咀嚼力と作文力が著しく弱い。専門的な知識は豊富なのにねぇ。知性が偏向している。
「知性」とは何か判るか?ヴィディオシーとリテラシーで構築される。ミケさんはリテラシーに問題がある。頑張れ。


よう さんへ  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年08月08日 8時35分

まずは参考サイト紹介。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/hypothetico-deductive.html
>データを説明する仮説(あるいは理論)を考えた
>この仮説(あるいは理論)と前提条件から演繹して考えるとある結論、予測、あるいは予言を導くことができた
>そのような結論、予測、予言は観察や実験で確かめることができる
>そこで、実際に確かめてみる
>このことで最初に導き出した仮説(あるいは理論)の確からしさを検証する

http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/kairo10.htm
>仮説演繹法とは、可能性のある仮説をすべて枚挙した上で、個々の仮説ごとに、「その仮説が正しい」と仮定すればどのような帰結が導かれるかを論理的に推論し、その帰結と実験・観測データを比較することによって、仮説の正当性を検証するというものである。

http://www.geocities.jp/enten_eller1120/post2/science.html
>もうひとつの方法は「仮説演繹法(hypothetico-deductive method)」と呼ばれ,次のような手順を踏んで進行する.
>1 観察や実験のデータから,帰納法( induction)に基づいて仮説を提起する.
>2 仮説から,感覚的経験によってテスト可能な仮説を提起する.
>3 テスト命題を観察や実験によって検証または反証する.
>4 検証や反証の結果に基づき,最初の仮説を受容,修正,または廃棄する.
(丸付き数字は引用者が全角数字に変更)

実験や観測が、仮説と矛盾しないかどうかを調べるのが仮説演繹法。
この実験や観測から得られるデータを“新しいデータ”と表現したわけです。
ニンゲンはこの世の全てを知っているわけではありませんからね。
例えばある実験の追試(同じ実験をもう一度やること)も“新しいデータ”なわけ。
ま、気に入らないなら『実験や観測事実の積み上げ』に読み替えてもらっても良いよ。
どうだって良いところだからね(笑)。

>「予測通り」だったら、それでOKなんだよ。(帰納法で)いじる必要はないの。予測通りではなかった場合に「仮説」そのものを見直すの。

上記の記述の前半部分が間違いであることは、
冒頭で紹介したHPをきちんと読めばすぐに分かるはずですが、
ま、今回の場合“予測どおりだった場合”についてこだわる必要はありませんので、
あえて反論はしないでおきましょう。めんどくさいし。

ここで重要なのは、以下の点です。

『聖書に書かれた内容が正しい』という仮説について、
仮説から導かれる予測通りにはいかなかったので
「仮説」そのものを見直す必要がありそうですね。
・世界規模の洪水の痕跡が見られるはずだ。
・地球の年齢は、数十億年なんて古くはないはずだ。

進化論というか
『生物が共通祖先を持ち、種レベル以上の大きな変化をしてきた』という仮説については、
その予測どおりになっているのでそれでOKですね。
・類似しているが異なる特徴を持つ種が隣接した地域に分布するはずだ。
・化石で知られる種が、現在の大きく異なる複数の種を結び付けるような中間的な特徴を持つはずだ。
・類似した環境でも非常に離れた地域では生物相は異なり、むしろ同じ地域の過去の絶滅動物に類縁が近いはずだ。


最後に。
>どんな本を読んで勉強しているの?アドバイスしようか?

そうですね。ではお言葉に甘えてアドバイスをお願いしましょうか。
小室直樹以外で、よう さん流の帰納法のやりかた(仮定→推論→結論)について書いてある本があれば教えてください。
あと、小室直樹以外で、『聖書に書いてあることが科学的に正しい』と書いてある(もしくはその本の論理からいけばそのように判断できる)本があれば教えてください。

きちんと勉強なさっているのでしたら、たかだか一人の著者しか挙げられないなんてことはありませんよねぇ?


バカの壁  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年08月08日 7時50分

>もう何度も言うけど【理論】(一般的説明原理)どおりかどうかを検証していくのが「演繹法」。理論を作るのは帰納法。しっかりしてよ!

人間は誰でも間違うものだ。
でも、何度も何度も同じ間違いを繰り返すのは、やはり本物だろう。
検証は、あくまで事実との照合でするものだ。
もちろん、この作業は帰納法であり、演繹ではあり得ない。
たぶん、演繹という言葉の意味も知らないのだろう。

自分の間違いにいつまでも気づかず、延々と馬鹿話を垂れ流す。本当にしっかりしてよ。
これがバカの壁というものか。 バカの壁というものか。 バカの壁というものか。
(エコーに見えるかな)


返信  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月08日 7時27分

>ようさんは、聖書そのものが科学的に検証可能だと考えているのですか?まさかね。wadjaでもそんな馬鹿なことは考えませんから。

ええ、考えています。検証可能に決まってるでしょう。演繹法ですから、当たり前です。
貴方は、未だに論理学、科学的手法について理解が十分ではないね。

>ミケさん
>1.仮説を正しいと仮定して予測を立てる(演繹)

「予測」?(笑)  あのネ、演繹法自体、「仮説が正しければ検証結果も正しい」と言う性質を持つ証明法なんだ。だから「予測できる」「予言が立つ」と言われているの。
わざわざ「予測を立てる」なんて言うのは、違うでしょ。

2.新たにデータを追加してその予測どおりになるかどうかをみる

「新しいデータ」?違うでしょ。「検証事例を次々とこなしていくと」でしょ。

3.予測がはずれればその仮説は間違い。棄却するか、少なくとも修正する必要がある。
  予測通りならば今のところ正しい仮説とされる。

仮説の説明原理外の事例に出くわせば、つまりここで初めて「新しいデータ」「新しい情報」と言って良い。

4.予測通りでもデータを集め続け、1〜3を繰り返す。(帰納)

「予測通り」だったら、それでOKなんだよ。(帰納法で)いじる必要はないの。予測通りではなかった場合に「仮説」そのものを見直すの。つまり「立論」からし直すの。それが帰納法なの。
ちゃんと勉強しよう。どんな本を読んで勉強しているの?アドバイスしようか?

もう何度も言うけど【理論】(一般的説明原理)どおりかどうかを検証していくのが「演繹法」。理論を作るのは帰納法。しっかりしてよ!


あ、しばらくチェックしてないあいだに  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年08月08日 0時35分

またオモシロイこと言ってくれたみたいですね。これはオイシイ(笑)。

>創造論つまり”聖書を一般的説明原理として認めるならば、仮説演繹する事は論理学上(科学的に)誤りとはいえない。

この文章およびその周辺の文章から判断するに、
よう さんは仮説演繹法の役割を勘違いしてるみたいですね。おそらくは以下のように。
『仮説演繹法は、何らかの“新しい結論”を導くものである。』

仮説演繹法というのは、仮説が科学的に正しいかどうかを判断する手法なので、
仮説演繹から導かれる結論は『この仮説は正しい/間違っている』のみ。
どんな仮説でも仮説演繹は行えます。もちろん聖書でも進化論でもね。

仮説演繹法をカンタンに説明すると、
1.仮説を正しいと仮定して予測を立てる(演繹)
2.新たにデータを追加してその予測どおりになるかどうかをみる
3.予測がはずれればその仮説は間違い。棄却するか、少なくとも修正する必要がある。
  予測通りならば今のところ正しい仮説とされる。
4.予測通りでもデータを集め続け、1〜3を繰り返す。(帰納)

進化論が正しいと仮定して仮説演繹法を行うのは当たり前。
創造論が正しいと仮定して仮説演繹法を行うのも当たり前。
したがって、聖書に書かれた内容を仮説演繹することは、
よう さんの言うとおり、何の問題もありません。

そして『聖書に書かれた内容が正しい』という仮説を仮説演繹してみると、
例えば世界規模の洪水の痕跡など見られなかったり、
地球の年齢は聖書が示唆するよりもはるかに古かったり、
と、このように、ことごとく仮説を正しいと仮定したときの予測が外れてしまいますので、
仮説は正しくないという結論に至ります。
あれ〜、残念でしたね。

ずっと以前によう さんに向けて言ったことがありましたね。

>聖書が科学的に正しく、進化論は科学的に間違いだという主張は
>科学的に検証された結果、間違いであることが既に明らかになっています。
(2006年02月09日 1時18分)

上記の“科学的に検証”というのが、まさに
『聖書が科学的に正しく、進化論は科学的に間違いだ』
と仮定した上で仮説演繹を行うことなワケです。
半年かけてようやく理解できるようになったかな?


一応横レスなんで失礼  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月07日22時58分

>貴方やNATROMさんたちは、学者の多数の支持、多くの文献、膨大なデータを進化論支持の論拠としているのだが、共通のルールの則っているとは到底言えない、今のままでは。

仮説演繹法という共通のルールを提示済みです。仮説演繹はちゃんと理解されたのですか?

横レスのついでに、ようさんが土曜日に表明された、一貫した意見主張に対してもレスしておきます。

>創造論つまり”聖書を一般的説明原理として認めるならば、仮説演繹する事は論理学上(科学的に)誤りとはいえない。

聖書を一般的説明原理として認め演繹したところで、保証されるのは演繹による論理学上の正しさだけ。演繹法による結論の真偽を決めるのは、一般的説明原理の真偽ですから、結論が科学的に真かどうかは、一般的説明原理そのものが科学的に真かどうかに依存します。従って、一般的説明原理を科学的に検証しない限り、結論が科学的に誤りとはいえないけれど、科学的に正しいともいえない。つまり、何も言えない。

ようさんは、聖書そのものが科学的に検証可能だと考えているのですか?まさかね。wadjaでもそんな馬鹿なことは考えませんから。


共通のルール  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年08月07日22時45分

前例のない共通のルールって何だろう。
さすが腐脳。


あまりに痛いので横からプギャーm9(^Д^)  投稿者:クハ72 投稿日: 2006年08月07日21時24分

膨大なデータを無視して「立論されていない」とは笑止千万。
学者の多数の支持も、多くの文献もすべて膨大なデータの上に成り立っているのだよ。


えめさん  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月07日19時41分

>真実にも様々ございますが、

生物学的な「真実」とはなんだろうね。こういう言い方は誤解を招くし、短絡的に「価値相対主義→虚無主義」となって、私は強く反対しますね。

>進化論は科学と言う考え方の共通ルールの中では(そのルールに則って考えると)かなり確からしいと言っているに過ぎないのですよ。

科学の共通ルールは「論理」だと私は訴えているのだが、貴方の言う「ルール」とは何かね。
貴方やNATROMさんたちは、学者の多数の支持、多くの文献、膨大なデータを進化論支持の論拠としているのだが、共通のルールの則っているとは到底言えない、今のままでは。


日本の夏、日本脳炎の夏  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年08月07日10時39分

日本脳炎はいまだ根絶されてにゃーということは
暑くなるとネットに湧く有象無象を見るたびに実感いたしますにゃー


熱力学第2法則が完全に崩壊する話  投稿者:tema 投稿日: 2006年08月07日 7時41分

投稿者さん、はじめまして。

>熱力学の第二法則により「形あるものは壊れる」のであって(後略)
熱力学第2法則を持ち出すなら、むしろこうなるのでは?

 熱力学第2法則により「形あるものは壊れる」はずだが、実際には生物は生まれ、成長していく。人やビーバーや蟻などは住居まで作る。
 ゆえに、熱力学第2法則は誤りである。


古色蒼然  投稿者:JA50 投稿日: 2006年08月07日 1時44分

未だにこんな説を、、、

創造論者でさえ恥ずかしくて持ち出さなくなっているのに、、、


(無題)  投稿者:えめ 投稿日: 2006年08月07日 1時43分

投稿者さん。
自分は科学を標榜する創造論の説明は犬の排泄物と同じだと思っています。

>現実の問題
>大型恐竜は現在の地球環境では走ることはおろか立ち上がることさえ出来ない。

恐竜を始め古生物について自分で書籍(科学の啓蒙書)などを調べましたか?
どこかの安いパンフレットの受け売りでは有りませんか?

>創造論の説明
>(上空の水蒸気層の重みで2.2気圧だった、地球は今よりも少し小さくその分重力が少なかった)
現実
そんな事実は全く観測されていないし、中生代の地球がそのような環境化にあった証拠はどこにもない。

旧約のエピソードが科学的事実として受け入れがたいのは科学と言う極狭い範囲の認識方法によるものであって、イエスの所為では有りませんよ。

>この人はクリスチャンではありません、偽兄弟です云々…
この辺は論旨がヒステリックで支離滅裂ですが、宗教の話ならもっとふさわしい場所でやられたらどうですか?

(地球の大きさが違っていたと言うのはさすがに笑った。奇妙な事だが科学的創造論者は進化を科学的な事実として認めないくせに物理的な概念の数々を説明として用いるのには疑問を抱かないらしい。進化を証明する観測事実だってその物理学から多くの力を借りているんだが)


盛夏だからなぁ…  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月07日 1時25分

夜になると、ものすごい妄想野郎が徘徊してるんだなぁ…


(無題)  投稿者:投稿者 投稿日: 2006年08月07日 1時05分

進化論が完全に崩壊してしまう話を一席

現実の問題
大型恐竜は現在の地球環境では走ることはおろか立ち上がることさえ出来ない。
創造論の説明
(上空の水蒸気層の重みで2.2気圧だった、地球は今よりも少し小さくその分重力が少なかった)

現実
熱力学の第二法則により「形あるものは壊れる」のであって崩壊は認められるが未だ進化は観測されてない。
創造論の説明
(科学の基本法則でありこれに逆らうもの(仮説)はもはや科学とは言えない。)

イエスは全て聖書(旧約聖書)に、基づいて説教をされたのであって、そのイエスを信じると言いながら
創造論を信ぜず、そのことについてまじめに考察しようともせず、日々犯してしまう人間的弱さを悔い改めない
この人はクリスチャンではありません、偽兄弟です、なるべく多くの人をキリストから引き離そうと努力し、
聖書の真実性を曲げて働いているのです。その目的は何か?日本の精神世界を支配することです、
一番安上がりな地方からの遠隔操作です、教会をクリスチャンを争わせ、漁父の利を得るのがこの人たちの計画です
若者の多くが信じるのだったらキリスト教だと思っている日本です、日本中がこの偽兄弟の難に遭っている訳です。


生きた化石  投稿者:クハ72 投稿日: 2006年08月06日20時06分

そんな風に言われる生物がいるから誤解されるのかな。

百万歩譲って数億年前から進化していなかったとしても、それは環境に適応して進化する必要がなかったからだと推測できます。


出遅れたw  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月06日11時40分

To:通りすがりさん

すでにいくつもレスついてますけど、一応wadjaの発言を引用されてるんで、レスしておきます。

>進化が真実であったかどうかなど、たかだか150年程度の観察で結論できるはずがありません。

これはJA50さんの言うような意味で書かれたのでしょうか?それだと既にJA50さんが指摘するように論外ですけど、仮に「高々150年の検証を経たからって信頼できない」っていう意味だったとしても、問題ある認識だと思います。人間の文明なんて、せいぜい4・5千年(諸説ありますが)くらいのものですから、150年と言うのは結構長い時間です。ましてや現代に至る150年は、それ以前に比べ自然科学の分野で飛躍的な発展が見られた時代だと考えます。

他の自然科学分野で相対性理論や量子論などの目覚しい発展があったことは言うに及ばず、ダーウィンの時代にはその存在すらはっきり分かっていなかった遺伝子を、分子レベルで観察・操作するまでに検証技術は発展を遂げました。その中で150年生き残った学説だからこそ、「地動説と同じくらい確か」だと考えられているのです。

>他の選択肢がないと思い込んでいるため、無理やりそれにしがみついているというが正直な印象ですね。

では、「思い込んでいない」通りすがりさんが、他の選択肢を示してくれてもいいですよ。仮にそれが多くの検証をくぐり抜け、進化論よりもうまく生物学上の現象その他を説明できるのなら、世界中の賞賛を受けることは間違いないでしょう。しかもその検証には、多分150年も必要ありません。

#以前にも「通りすがり」と名乗る人は複数おったけど、あんんなじ人かどうか良うあ分からん。


「真実はいつも一つ」なの?  投稿者:えめ 投稿日: 2006年08月06日11時03分

真実にも様々ございますが、進化論は科学と言う考え方の共通ルールの中では(そのルールに則って考えると)かなり確からしいと言っているに過ぎないのですよ。このHPで創造論自体を批判した事はありません。創造論者のある者が創造科学といって科学を装っているが故に「それは”科学として”間違っている」と主張しているに過ぎないのです。

例えば同じ球技であったとしても、得失点差を比較して現在セ・リーグ首位である中日ドラゴンズはJ1でも一番だと主張する人をどう考えますか?。「サッカーと野球は違うだろ」が普通の反応ですよね。そしてここのHPの常連の方々は科学的見地から新旧聖書を”宗教として”間違っているなどとは発言していませんよね?

>この掲示板を見ていても、明確ですが、他の選択肢がないと思い込んでいるため、無理やりそれにしがみついているというが正直な印象ですね
貴方の言葉はほんの少しだけ正しいのです。無理やりかどうかはともかく、科学としては進化論の他に妥当性を持った説がないんですから。
あるならその説と確からしさを巡って争いも出来るし、どちらも同程度の確からしさなら「本当のところは解らない」とも言えるのです。

>進化が真実であったかどうかなど、たかだか150年程度の観察で結論できるはずがありません。
実際に種が全く別の種(遺伝的にも子孫を残せない)に進化した、と言う観察例を自分は知りません。
だからと言って「進化なる現象は存在しない」とはいえません。何といってもそのような現象を観察するには生身の人間にはあまりにも時間がなさ過ぎるのです。しかし、丁度長い連続したフィルムのひとコマとして今を観察し、又かつての出来事の記録として化石や岩石を観察すると、生き物は単純な姿のものから多様性を得て現代に至ったのは「科学として確からしい」のです。

進化論は「あらゆる生き物はその姿形を変化させ続けなければならない」とは言っていません。
1.突然変異によって生き物の親と子は姿が形が多少違うものに成る時がある。
2.淘汰によって変化の部分が生き延びる為に有利に成る時もある。
3.1と2が繰り返されればやがて変わって行った物、変わらなかった物同士が交配出来ない程の違いが生じる。

生物の世界の多様性はその複雑さと共に語られるべきでしょうね。
生物やそれを取り巻く様々な要因を切り取って、丁度標本でも鑑賞するように生物を語るのはある種不毛だと思いませんか。


進化論を正しく理解してからにしようよ  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年08月06日 9時55分

イチョウの葉や蚊、ゴキブリなどの化石が見つかっていることは、進化論に疑問を持つ理由にはなりません。進化論が正しいのならば、過去にも現代と似たような生物がいたはずですから。むしろ、地層からまったく現在と同じような生物が見つからなかったときこそ、進化論に疑問をもつことになります。

進化論に疑問を持つ人は、どうやら進化論を正しく理解していない人に限られているようです。天文学をよく理解していない人が、「地球が太陽の周りを回っているなど、たかだか惑星の動き程度の観察で結論できるはずがありません。動いているスピードを感じられないことだけを見ても、地動説に疑問を持ちます」と言うようなものです。


150年程度  投稿者:JA50 投稿日: 2006年08月06日 9時50分

>つーか、どこでそういうデマを。

言えてる。

姿がよく似ているのもいるってのならまだ分かるけど、「全く」とまで言うか、、、

ただ、、、
>たかだか150年程度の観察で結論できるはずがありません。
てのは、その通りじゃないでしょうか。
150年程度観察して、今の生物は150年前の生物と「全く」進化していない、だから進化論は間違いだ、とか、、、
(150年程度でも進化は観察されているんだけど、、、と影の声)

そういやぁ、この手の頓珍漢な主張をしていた人がいたような記憶が、、、


(無題)  投稿者:通りがかり 投稿日: 2006年08月06日 9時42分

>で、それ以外の大多数の変わっている生物は、どう説明します?

大多数のどういう生物がどういう風に変わっているんですか?


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年08月06日 3時12分

>数億年前のものとされるイチョウの葉や蚊、ゴキブリなどの化石が見つかっていますが、現代確認されるそれらの姿と全く進化も変化もしていません

つーか、どこでそういうデマを。
少なくとも、昔の巨大なトンボと現代の手のひらサイズが、「全く進化も変化もしていません」になるのかな?


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年08月06日 2時44分

進化論は科学的に積み上げられた仮説です。
否定するなら、科学的根拠が必要です。
寓話や想像や思い込みや感情論では否定はできません。
宗教でも無理です。

ちなみに、聖書には「進化論を否定する」などとは、一行も書かれていません。


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年08月06日 2時36分

>数億年前のものとされるイチョウの葉や蚊、ゴキブリなどの化石が見つかっていますが、現代確認されるそれらの姿と全く進化も変化もしていません。これだけを見ても進化論には疑問を持ちます。トンボの姿も全く変わっていませんね。


で、それ以外の大多数の変わっている生物は、どう説明します?
稀少な例外を持ち出して、主旨を全否定できるとでも?


???  投稿者:通りすがり 投稿日: 2006年08月06日 2時03分

>ダーウィンの進化論のコアの部分は作り直す必要もなしに150年生き残っています。

この掲示板を見ていても、明確ですが、他の選択肢がないと思い込んでいるため、無理やりそれにしがみついているというが正直な印象ですね。進化が真実であったかどうかなど、たかだか150年程度の観察で結論できるはずがありません。数億年前のものとされるイチョウの葉や蚊、ゴキブリなどの化石が見つかっていますが、現代確認されるそれらの姿と全く進化も変化もしていません。これだけを見ても進化論には疑問を持ちます。トンボの姿も全く変わっていませんね。


(無題)  投稿者: 投稿日: 2006年08月06日 1時29分

聖書の内容が科学的に立証されているというなら、神の奇蹟を化学方程式や化学式などで説明してください。


連投  投稿者:うだうだ 投稿日: 2006年08月06日 0時09分

毎度毎度本物を探して、いつも裏切られるな。


は、今回も駄目だったか。いつまでたっても金が出来ない錬金術師だな。

何もしちゃいないが、探してていつも外れが当たる。

こんな事言いたくは無いが、駄目だこりゃ。

私は何が駄目か説明できるような力は無いが、駄目だこりゃって分かるんだ。


ようさんがながくここに居る事が出来ればそれはそれで面白いけど。


なんだその文章は  投稿者:うだうだ 投稿日: 2006年08月06日 0時07分

> 故に、進化論者が創造論を「非科学」と言う基準で否定、批難する事は、論理的ではないし、不要な争い・反目を生むだけである。
> よって私は、この本サイトの再考・訂正を求めるものである。

なんだ、この発言は、目的が見えないな。平和かい?

てんぽうさんの友達???


ある意味このサイトは喧嘩売ってるんだから、この発言イミフメイだ。

ようさんは目的がいまいちだよな。全然知的好奇心とか感じられないな。


ようさんへ  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年08月06日 0時04分

ようさんは「進化論」を、「思想」としての角度でしか捉えていない(それしか知ろうとしない)。だから「聖書=一般的説明原理」と対置できるんです。そのスタンスが、少なくともこの場では、致命的な欠陥なんですね。

生命の多様性についての考え方は(いや、物理化学的な、因果関係がもっと明白な世界であっても)、突き詰めれば思想に行き着くと「表現する」ことはできる。生物学(発生学)で言えば、今後、ホックス遺伝子の解明が進み、遺伝子レベルで進化の「仕組みとしてのなぜ」が万人に納得できる時代が来たとしても、人の存在の「意味」の解明にはつながらない。それは、そうした事実を受け止める人々の、価値観にかかわることです。

私は「聖書=一般的説明原理」という表現も、そうした価値を語るという意味で尊重すべきだと思いますし、また聖書に限らず、地球上には他の「存在の意味づけ」をしている人たちも大勢いて、それぞれを大切にすべきだと思っています。しかし、サイエンスとは地平が違う。

繰り返します。サイエンスは、人が認識できる限りの事実を追求し、その中で進化学は「ゆるぎない成果」です。しかしサイエンスは「意味」を問わない。そのあたり、混同しては議論にならないと思うのですが、いかがですか?


ようさんへ  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年08月05日22時33分

>>進化論は科学的に立論されているのです
>示してください。貴方とは論理的な対話が難しいですね。

ようさんと論理的な対話が難しいのは事実です。どのような人もようさんと論理的な対話を行なうことは困難でしょう。進化論の立論については、ミケさんを初めてとして何度も示されています。それで不足なら、本でも教科書にでも書いてあります。

学者の多くが否定された事は幾度もありますが、私の知る限り、既存の学説を否定した人はその学説について十分な理解をしています。将来、進化論が否定されるとしたら、進化論を十分に理解をしている人の手によってなされるでしょう。自然科学の門外漢によって、既存の学説が否定されたことは、これまで一度もありません。ようさんは進化論を理解していません。で、

・あらゆる生物学者、科学哲学者よりもようさんは正しい判断ができるのですか?自然科学の門外漢の人の判断と、プロの生物学者、科学哲学者の判断と、どちらが正しいと思いますか?

という質問の答えは?ようさんは、ご自分のほうが正しい判断ができるという妄想を抱いておられるのでしょうか。


どうでもよいけど、呼び捨ては失礼だとしつけられませんでした?  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月05日21時47分

まあ、自分が不利になると相手を呼び捨てにするのがようさんの癖なので、別に気にしてないけど。くやしけりゃ、ちゃんと反論すれば良いのに。

>北村雄一氏がお気に入りだな。彼は専門家なのか?

いいえ違いますよ、リンク先のHPを少し調べれば、彼がイラストレーターだと分かります。サイエンス系の出版に関わることが多いようですが、専門家だとは思っていません。北村さんのページを引用したのは、検索した上位に出てくるのと、内容的に引用目的に合致しているからに過ぎません。しかし、仮説演繹については、他のHPも同様の説明をしており、当然その中には専門家もいます。wadjaがお金を使わずに調べた限りでは、ようさん一人だけが、仮説演繹に関して違う説明をしています。

>でも決して「権威主義」とか「他人のふんどしで相撲を取る」というのではないのだね?

「他人のふんどし」がこの場合適した慣用句だとは思いませんけどね。

権威主義をどう定義するかにもよりますが、wadjaは「権威主義」ですよ。素人が言うことよりも、プロの専門家の意見をはるかに尊重します。でも専門家を自称する人が、論理的におかしい事を言ってる場合はその限りではありません。

俺はサモンの論理学を読破した、進化論の本を何冊を読んだ、という人がいても、その人が述べる内容が論理的におかしいと思ったり、wadjaの知っていることと反する場合は、まず鵜呑みにすることはありません。

>論理学が判っていない、と思うよ彼も。

まだ学習しないのですね。彼に間違っている点があるなら、具体的な根拠を示せば良いのです。それをせずに上記のような感想だけを述べても、「へんっ!ぼくの方が論理学詳しいもん!」って言ってるだけにすぎません。そういう態度を続けるから誰にも信用されなくなったということが、まだ理解できないのでしょうか。

>>"仮説演繹というのは帰納法の一種

>こういう言い方の意味だが、「サイクル」があるんだ。以前にも言ったがね。

ちがいます。ちゃんと、

この方法論は予言を導き出すところは演繹ですが、予言が正しいかどうか観察例を集める点で帰納的です。

と書いてあるのを、捻じ曲げて解釈してはいけません。引用元に失礼になる。それとも読んだけど理解できなかったのですか?

>検証によって新たな情報が得られたら、仮説そのものをもう一度作り直すんだ。そこの作業はやはり「帰納」なんだよ。

ようさんは、仮説そのものをもう一度作り直す必要が無い場合はどうするのか考えてみましたか?そこがちゃんと説明できないようだと、仮説演繹が分かってるなんて言えませんよ。ダーウィンの進化論のコアの部分は作り直す必要もなしに150年生き残っています。そのことが持つ意味は、仮説演繹の意味を理解していないと分からないでしょうね。

#これだけ一生懸命質問に答えてあげても、どうせ自分の都合のわるい部分にはスルーなんでしょうね。


wadja NATROMのご両人  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月05日20時10分

>wadja
北村雄一氏がお気に入りだな。彼は専門家なのか?
それにしても引用ばかりだな。でも決して「権威主義」とか「他人のふんどしで相撲を取る」というのではないのだね?

論理学が判っていない、と思うよ彼も。

>"仮説演繹というのは帰納法の一種

こういう言い方の意味だが、「サイクル」があるんだ。以前にも言ったがね。
仮説は法則以前だから、妥当性を高めようと努力する訳。
演繹するには「仮説が正しい」と言う前提に立つ。検証によって新たな情報が得られたら、仮説そのものをもう一度作り直すんだ。そこの作業はやはり「帰納」なんだよ。
だから、帰納法で「観察→前提(仮定)→推論→結論」して仮説形成を行い、その仮説を正しいものとして演繹法で検証するんだ。そしてまた最初の帰納に帰る。そうやって仮説の妥当性が高まる。お判りか?

>NATROMさん
>進化論は科学的に立論されているのです

示してください。貴方とは論理的な対話が難しいですね。
どこぞの信仰宗教団体も信者にたくさん本を読ませますね。それが間接的な「お布施」ですが。科学史をかじれば、学者の多くが否定された事は幾度もあるでしょうよ。ご存じない?


ご愁傷様です  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月05日17時41分

何度も指摘しますが、ようさんは仮説演繹が分かっていないようですね。

仮説演繹というのは帰納法の一種であるといわれます。これは、

データを説明する仮説(あるいは理論)を考えた
この仮説(あるいは理論)と前提条件から演繹して考えるとある結論、予測、あるいは予言を導くことができた
そのような結論、予測、予言は観察や実験で確かめることができる
そこで、実際に確かめてみる
このことで最初に導き出した仮説(あるいは理論)の確からしさを検証する

というものです。この方法論は予言を導き出すところは演繹ですが、予言が正しいかどうか観察例を集める点で帰納的です。そのため帰納法の一種であると言われるそうなのですが、仮説演繹という方法論は科学の世界では非常によく使われます。有名なものとしてはニュートンの万有引力とか、あるいはダーウィンの進化理論などがその実例となります。"(改行位置は引用者が変更。)
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/hypothetico-deductive.html

上記のように仮説演繹を理解するなら、

>俺の意見主張は一貫してこうだ。
「進化論は近代科学的手法で立論(帰納)されておらず、進化は当然在ったものと言う前提に立って”進化”を仮説演繹している。仮説演繹自体は科学的であるが、その前の”仮説形成”がされていない。

などという的外れな発言はできません。

普通の人であれば、いくら昔自ら勉強したことがある学問でも人から「変だ」「おかしい」と指摘されれば、もう一度調べようと思うものです。しかし残念ながら、ようさんにはその気配が感じられません。それどころか、唯一ちゃんと覚えている、「演繹」「帰納」といった言葉(1)の印象だけを頼りに、同じ主張を繰り返しているとしか思えません。

(1)しかし、数学的帰納法が演繹だと言うことはまだ理解できないようですから、既に正しく使用して思考することはできないと思われます。


全知全能なる存在と比べたら  投稿者:JA50 投稿日: 2006年08月05日16時45分

宇宙人だろうが、我々人類だろうが、はては大腸菌みたいな細菌にしろビールスにしろ、原始的な生物に過ぎないということ。

いわば無限大と有限なる数を比べるみたいなもん。
無限大と比べたら、1と1万、はては1無量大数だろうが違いはない。

全知全能なる存在を仮定することに比べたら、宇宙人の存在を仮定する方が、荒唐無稽さははるかに低い、、、ってのは明かじゃないの、、、違うかなぁ、、、


下の投稿、誤字を訂正します。  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月05日15時53分

2 その宇宙人が「変化適応」して原生の生物となった

誤 原生
正 現生

たびたびすんません。


宇宙人適応変化仮説  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月05日15時44分

>宇宙人が来て住み着いた、そして「変化適応」して来た、と誰かが言うのを比べて、明らかに論理的妥当性が高いのは進化論だ、と言う論拠の事を言っている。

JA50さんが既に述べられているが、まずこの仮説の主張は2つ。
1 宇宙人が地球に来た
2 その宇宙人が「変化適応」して原生の生物となった

1についてはその可能性は否定しない。
現に隕石に付着した有機物が地球上の生命の元となった可能性は仮説として挙げられている。従来考えられていたよりも複雑な炭素化合物が見つかっているからね。ただし、原始地球上で炭素化合物が生成された可能性も十分高いと認識してるけど。
さらに進んで、宇宙から生命体が飛来した可能性だってゼロではない。大気圏に突入しても生きていられたか、地球という全く異なるであろう環境で生き残れたか、という問題はあるにせよ、完全に否定する根拠はない。もっとも、地球上で発生した可能性も、同じく否定しない。地球起源説だと、そもそも地球産なのだから地球環境に耐えられない筈はないという強みはあるな。
ついでに言えば宇宙起源説を採った場合、生命は宇宙のどこでどうやって発生したのかという説明がまた必要になるけれども、それは宇宙起源説を採用する学者が考えればいい。もしくは宇宙起源である事を強く支持する証拠が出てから考えてもいいな。

2については、『「変化適応」して来た』の部分は化石証拠や遺伝子の振舞い等から考えて支持されると思う。
その場合、最初に飛来した宇宙人は単細胞で原核生物だったと言う事になりそうだが、そういう宇宙人がいたのなら、それでも良い。もしヒューマノイド型で高度な科学技術を持ち、宇宙船を操る宇宙人を想定しているのなら、彼等の遺体や遺跡・道具の痕跡が見つからないことがネックになる。ごく少数の宇宙人が自らを改造して細菌になったのなら、一応、現在までに知られている化石証拠と矛盾しない仮説にはなる。
・・とはいえ、オッカムの剃刀を考えれば随分とややこしい仮説だから、よほど積極的な傍証でもない限り支持されないだろう。
化石に現れる最初の生物は単細胞の原核生物で非常に単純な体制だから、恐らく最初の生命もそのような単純な物であったと考えられる。とすると最低でも惑星間、恐らくは恒星間飛行をこなせる知的生命体がそんなに単純な生物だろうか?という疑問はあるな。

なお、あなたは「論理的妥当性」という言葉を使っているが、私は以前(かなり以前)の投稿であなたに述べたように(そして確かあなたは「そういう意味で使っているのですね、勉強になります」と答えていたように記憶している)、科学における仮説の妥当性は「現実を説明し得るかどうか」だと考えている。ヒトがひねり出したどんな美しい仮説も、「現実との整合性」の前には無力だ。
したがってあなたの述べた「宇宙人適応変化仮説」については、「共通の祖先から適応変化して来た」の部分は蓋然性が高いけれども、「宇宙人が飛来した」の部分は今のところ強力な証拠はない、と言える。


>品種改良が出来るから、進化したのか?品種改良で「別の生き物」が出来るのか?

ああ・・結局ここなわけね。
前にどなたか述べていたけど、種って単位は随分と恣意的なもんだよ。犬にしたってチワワとボルゾイじゃ自然状態での交配は不可能だろう(チワワ雄*ボルゾイ雌じゃ交尾できそうにないし、ボルゾイ雄*チワワ雌だと母体のサイズが足りない)。だからあれは既に別種と呼んでも間違いじゃないくらい違う。
それからショウジョウバエや作物の例で言えば、遺伝子をいじることでワケのわからない雑種が出来たり、翅が4枚あるショウジョウバエだってできるよ(それは進化を演繹して・・と言わないように。進化を仮定しなくたって遺伝子工学は存在する)。ガラパゴスフィンチについて言えば、他の形質は極めて似ているが嘴サイズの違う別種が存在し、かつ嘴サイズの適応的な遺伝的変化は観察されている。
さらに言えば「種が分化する」事がヒトの目に見えるスケールで日常茶飯事なら、誰も立論なんかしやしないよ。

要するに、私が提示した仮説に対するあなたの具体的な批判は
「種分化は極めて特殊な事例であり、品種改良などから類推できるような事象ではない。だから帰納的とは言えない」
「帰納的に類推された仮説でなければ受け入れられない」
の2点ということでいいのかな?


荒唐無稽な仮説  投稿者:JA50 投稿日: 2006年08月05日 9時21分

全知全能とかいう存在を仮定して、そういう存在が生物を作ったとかいう仮説よりは、宇宙人がこの地球に生物を作ったという仮説の方が、まだ可能性としてはありそうに思うんだが。

宇宙人を仮定しなくてもいい。
彗星なり隕石なりに原始生物がくっついてきたんだってのは、可能性としてはありじゃないんかなぁ、、、

その宇宙人や原始生物はどうやってできたんだってな質問だって、全知全能の存在なるものはどうやってできたんだという質問と同程度、いや程度してはまだ可能性ありじゃないのかな。


立論されていない主張  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年08月05日 9時19分

>数学オペレーションと数学的思考についての指摘は、以前にも一度してるがね。

 ふむ、コメントの含む質問も正確に読み取れませんか。過去にはようさんによる具体的な指摘などひとつもありません。
 AUGEさんの「8月 2日(水)00時01分35秒 」から思いつきましたが、ようさんの言う数学的思考というのは、数学の歴史やら哲学やらについてあれこれ思考することを言うのかも知れませんね。確かにそういう意味での数学的思考にはオペレーションは不必要ですが、数学的内容について思考するためにはオペレーションは必要です。

>あまり私の意見には興味がなさそうなくせに、ちょっかいや陰口は叩く訳か。言い根性してるな(笑)。

 部分的なレスをすることでしょうか? 全体での論旨がないのだから部分的に誤りを指摘することしかできませんよ。確かに興味は失せました。4月頃はもしかしたら独特のおもしろい観点をお持ちなのかという興味もありましたが、結局その自分の観点をきちんと論理的に述べることもできず同じことを繰り返すだけでしたから。

 結局ようさんの主張は「進化論は仮説として立論されていない」に尽きますが、「立論て何?」というのが余人には理解できないものなので、この主張も意味不明なままなのです。そこで、これに答えれば「立論て何?」ということをみんなに理解してもらえるよ、と思って問題集を示しましたが「羅列して相対化して、まぜっかえして。論点がぼけて」と言うだけでしたね。
http://6609.teacup.com/natrom/bbs?OF=100&BD=3&CH=5

 言ってみれば、「進化論は仮説として立論されていない」という主張は論理構造が不明確であり立論されていない。


ようさんへ  投稿者:NATROM 投稿日: 2006年08月05日 8時20分

>俺とミケさんとのやり取りには一切眼を通していないようだな。徒労感でいっぱいだ。

適切な主語を入れれば、正しい文章になります。


>いいか、ここは進化論が正しいとして反・創造論と言う立場に立った人たちのサイトなんだよ。他の自然科学分野について何故この俺に「立証責任」が生じるんだ?

なぜならば、何人の人も言うように、すでに、進化論は科学的に立論されているからです。進化論ははきちんと科学的手順を踏んだ仮説理論ですし、そのおおおまかなアウトラインは何度もここで提示されています。その気になれば、本を読めばいい。本を読みたいのなら紹介します。こうしたことにも関わらず、ようさんは「進化論は立論されていない」と壊れたレコードのようにおっしゃるばかりです。だから、

「ようさんのいう、立論って、たとえば具体的にどういうこと?」

と聞いているのです。「きちんと科学的手順を踏んだ仮説理論」であれば、「立論はたやすい」のでしょう。何でもいいから、ようさんが、まずその「立論」とやらをやってみればいいのです。


・あらゆる生物学者、科学哲学者よりもようさんは正しい判断ができるのですか?

という質問に答えがありません。「学者がそう言っているから、正しいと考えている、と言う事かな」という返事がありましたが、もちろん、「学者がいうから正しい」と言っているわけではありません。「学者がなぜそう言っているから」ではなく、多くの進化論に関する本を読み、進化論以外の科学の本を読み、高校、大学、大学院過程で生物学、化学、物理学、生理学、医学等々を勉強し、本だけではなく論文も読んだ結果、私は進化論は科学的に正しいと判断しました。他の専門家も同じだと思います。

ようさんはどうですか?科学一般に関してどのくらいご存知ですか?進化生物学の教科書の一冊くらいは読みましたか?自然科学の門外漢の人の判断と、プロの生物学者、科学哲学者の判断と、どちらが正しいと思いますか?


複雑化と戦略性  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年08月05日 3時27分

To 通行人Aさん

少しまた、資料を読み漁りながら、思い浮かべたことを書きます。

『一般に染色体数が多いということは、遺伝子が多いということである。きびしい環境下で、遺伝子が多ければ、柔軟な対応ができるから個体の生存に有利に働くことがあるかも知れない。しかし、細胞が分裂するときには、各細胞に染色体を正確に分配するという作業は、細胞にとって大変な仕事であるから、染色体数が多いということは細胞にとって負担になるはずである。したがって生存のためには二倍の染色体を持ち、子孫を残すときには染色体数を半分にして、細胞数を倍にするほうが有利であろう。』
 ■「われわれはなぜ死ぬのか」柳澤桂子:草思社 p.133より

上記で述べられているのは「有性生殖と減数分裂」に関する著者の論考の一部です。なぜこの部分を私がピックアップしたのか、というと、それは「遺伝子の数が多いということは、柔軟な対応に繋がる」という趣旨の、生物学の専門家による主張を紹介したかったからです。

原始的な生物において、遺伝子に「無駄な領域」はほとんどないそうです。つまり、すべての遺伝情報がもれなく発現し、全力を上げて生存しようとしているのでしょう。これはつまり「生き残るための戦略」が、それだけ少ないことも明示しています。遺伝情報とは、生物の複雑さや高度さ、精緻さを決定する要因ですが、別の見方をすれば、それらはすべて「生き残るための手段」を表していることが分かるかと思います。

DNAが持つ遺伝情報、あるいはプログラムとは、ある生物が取り得る「可能性」ともいえるわけです。ひとつの方法論しか持たない生物は、ひとつの問題しか解決(生存)できないでしょう。ところが、二つ、もしくはそれ以上の選択肢を持つ生物であれば、より多くの問題に対処できます。このとき、それらの「選択肢」がまったくちぐはぐで、バラバラにしか作用しないのであれば、そういう無駄な情報は淘汰されてしまうでしょう。なにしろ原始的な生物において、無駄な情報を維持することは、それこそ「生存の危機」を招くだろう、と思われるからです。

さて具体的に、遺伝情報の持つ「方法論」とはなんでしょうか。たとえばそれは、ひとつの細胞でAという仕事を行い、別の細胞ではBという仕事を行うという「分担」にあるはずです。処理を分散できれば、能率が上がります。これはつまり、器官の形成の要因になったのではないでしょうか。またそれらは、当然「関係性を持つ」ことが義務付けられます。

再び引用すると、
『減数分裂の第一分裂で、相同染色体が対号する。それぞれの染色体は二本の染色分体になっている。そのときとなりあった染色分体の間でつなぎ換えがおこる。これが組み換えと呼ばれている現象で、その結果DNAの混合が起こり、あらたな遺伝形質の組み合わせを生む可能性が生じる。進化の過程で、突然変異などによって遺伝情報は多様化していくが、組み換えのように、染色体断片ごと入れ替えるという方法は、非常に効率の良い多様化の手段である。組み換えはまた、痛んだDNAを部分的に取り替える役割を担っているのかもしれないが、それに関してはさらに研究が必要である。』
 ■同書、p.139より

生物の遺伝子にはさまざまな「断片」があることが知られていますが、これら断片を一気に組み替える機構(のひとつ)が上記で説明されています。遺伝情報は非常に保守的であり、だからこそ生物の形質を多世代にわたって維持し、存続させているのですが、一方では繁殖〜発生という現象そのものの中に、多様化を生むための機構が組み込まれているようです。

このようなやり方で生まれる組み換えでは、無論ランダムで無作為な「変異」が発生するでしょう。ところが、生き残れるのはそれが有効に働き、後に見れば「仕組まれたようにうまく作用しあっている」場合にのみ、限られるのです。これが私の述べる「生物の器官が高度に関係しあい、調和している理由」のすべてです。


AHI  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月05日 3時15分

>「生物は最初から今ある姿で創造されたのではなく、共通祖先から変化して別の種になった。」

宇宙人が来て住み着いた、そして「変化適応」して来た、と誰かが言うのを比べて、明らかに論理的妥当性が高いのは進化論だ、と言う論拠の事を言っている。

>「人間が人為的な淘汰によって異なる形質の品種を作りだせるように、多数の子供の中からより生存しやすい形質を持ったものが自然に淘汰されれば、次第に親とは異なる形質の生物が生まれて来るだろう」

品種改良が出来るから、進化したのか?品種改良で「別の生き物」が出来るのか?
俺とミケさんとのやり取りには一切眼を通していないようだな。徒労感でいっぱいだ。

いいか、ここは進化論が正しいとして反・創造論と言う立場に立った人たちのサイトなんだよ。他の自然科学分野について何故この俺に「立証責任」が生じるんだ?

俺の意見主張は一貫してこうだ。
「進化論は近代科学的手法で立論(帰納)されておらず、進化は当然在ったものと言う前提に立って”進化”を仮説演繹している。仮説演繹自体は科学的であるが、その前の”仮説形成”がされていない。
一方、創造論つまり”聖書を一般的説明原理として認めるならば、仮説演繹する事は論理学上(科学的に)誤りとはいえない。
故に、進化論者が創造論を「非科学」と言う基準で否定、批難する事は、論理的ではないし、不要な争い・反目を生むだけである。
よって私は、この本サイトの再考・訂正を求めるものである。


おじん さんへ  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年08月05日 1時58分

8月 2日(水)08時25分27秒の、あなたの質問の答えは
長くなったので第三掲示板に書いておきました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1154233566/3

ついでに横レス。
>里山なり川原なり自然の中へ出かけて行って、実際にいる昆虫や植物を観察して見ましょう。
>同じ環境下に実にさまざまな形態の動植物が見付かります。

それは、本当に同じ環境かどうか、今度行ったときによ〜く見てください。
例えば一口に『草原』と言っても、草の上と地面では温度も日当たりも違います。
あるいは一口に『林』といっても、樹冠と林床では湿度も風雨の影響も異なります。
このようなマイクロハビタット(microhabitat)には異なる生き物が棲んでます。

さらに、利用する資源が異なるなら、その資源も一つの環境と見ることができます。


というわけて、『環境が多様だから多様な生き物がいる』という言明は間違いではありません。
もちろん、同じマイクロハビタットに複数の異なる生き物が適応していることも確かにあります。
これは、『それぞれの生き物が辿ってきた道が多様だから』と言えます。


そういえば  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月05日 1時46分

>帰納と演繹、良く勉強してからにしてくれ。

似たようなことを昔言ってましたね。

思い出した。

>大文字、diamonds8888xさんのご指摘どおり、私は間違えました。訂正してください。
今後は気をつけます。申しわけありません。

ようさんは「対偶」が分かんなかったんだw
http://6609.teacup.com/natrom/bbs?OF=1460&BD=3&CH=5


おいおい  投稿者:wadja 投稿日: 2006年08月05日 1時07分

>宜しいか、観察→仮説までは帰納法。仮説→検証からは演繹法。

引用先のサイトのどこをどう読めばそういう解釈になるんでしょうね。確かにマインドコントロールは恐ろしいですね。

>wadjaの進化論のアブダクションに関しては、すでに書いた。

え?何を具体的に書いたんですか?wadjaがみたようさんのレスらしきものは、

>仮説を立論するのは帰納法。すでに在る仮説(説明原理)で検証作業を行う事を演繹法と呼ぶ。説明原理でも理論でも、立論の前は帰納。立論の後は演繹。

だけですね。えーと。ようさんは「具体的」の意味はわかりますかぁ?それとも、ようさんの記憶の中では、既に具体的な指摘が終わっているのでしょうか?

ようさんの傾向として(まあ誰でもそうかもしれませんが)、都合が悪くなると煽りの世界に逃げるようです。ほんとうに「おまえのかーちゃん、で・べ・そ」の世界がお好きな)ようです。>all


PDCAサイクル  投稿者:tema 投稿日: 2006年08月05日 0時41分

 最近、色々頭を使うことがありすぎ、ご無沙汰しておりました。
 ようやく、真面目な投稿をする気力が湧きました。

ようさんへ

 temaには「前提(公理・仮定)→推論→結論」というプロセスの目的が判りません。というか納得できてません。

 『既成の法則と矛盾したり、全く新しい事象に対した時に、その事象を説明できる「仮説」を導くこと』が目的だろう、と考えています。
 ただしこの場合、既にその「仮説」があるならば、上記プロセスを行う必要はありません。目的は達成されているのですから。

 別の想像としては、『「仮説」の確からしさを増大させ「説明原理」に昇格させること』を目的としているのだろう、と想像しています。
 しかし、確からしさを増大させる方法としては、予測→検証という別の方法があり、この方法は「仮説」であろうが「説明原理」であろうが有効です。この方法を使えるのであれば、上記プロセスを行う必要はありません。目的は別の方法で達成されるのですから。

 仮に、現在の科学の方法論として上記のプロセスが必須だとしたら、その方法論は改善されるべきです。
 自然科学は世界を認識するための方法論です。そして、世界を認識するためのより効率的な方法があるなら、その方法を取り込む。それ自体が科学の方法論の一つである、とtemaは認識してます。


リンク先に沿うなら  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月04日19時01分

リンク先からアブダクションで仮説を立ててみろ、というのは、形式の好きなあなただから
類似発想とか類比発想とかに則って挙げろという意味か?
ならば
「人間が人為的な淘汰によって異なる形質の品種を作りだせるように、多数の子供の中からより生存しやすい形質を持ったものが自然に淘汰されれば、次第に親とは異なる形質の生物が生まれて来るだろう」
としても良い。類似発想か類比発想ということになるだろう。
しかし、最後に「??発想 ......」とあるのだから、別になんだっていいわけだ。


この仮説。  投稿者:AH1 投稿日: 2006年08月04日18時42分

7/29に投稿した進化論に関する仮説および検証の手順について、
具体的に「ここがこういけない」という意見はないか、と尋ねている。

なにせあなたの話は特殊な定義のなされたコトバが何度も細切れの小出しで出て来るので、
何か具体例を挙げた方がわかりやすい。
だから具体例を何か挙げてくれと言っていたのだが、それも答えてくれないので、
進化論の例を兼ねて投稿しておいたのだ。

以下、長くなるからダイジェストで再掲。

「生物は最初から今ある姿で創造されたのではなく、共通祖先から変化して別の種になった。」
(これを進化と呼ぶ、とつけたければつけてもいい。用語の定義の話だけだが)
これが進化論の根幹になる仮説。

で、あなたは立論立論と言うばかりで、具体的に自然科学について立論されたものを提示できていない。だから上の仮説であればどこがどういけないのか具体的に指摘してみせてくれ、と言っている。

なお、アブダクションについてのあなたの説明にも納得していない。


AHI  投稿者:よう 投稿日: 2006年08月04日18時28分

」具体的に「その仮説はここがこう間違っている」と指摘してみせてくれ。

手間のかかるヤツだな。「その仮説」って何だ?進化論に関しては「立論」されていないのだから、否定のしようもない。wadjaの進化論のアブダクションに関しては、すでに書いた。あと何だ?


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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