このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
」具体的に「その仮説はここがこう間違っている」と指摘してみせてくれ。
手間のかかるヤツだな。「その仮説」って何だ?進化論に関しては「立論」されていないのだから、否定のしようもない。wadjaの進化論のアブダクションに関しては、すでに書いた。あと何だ?
>>AHI
>過去ログを遡れ。
過去のあなたの投稿を読んで来て、疑問点が残る、あるいは何を言ってるか理解できない、そしてその点について質問しても明確な答えが無いから改めて尋ねている。
人にあれこれ要求するなら、自分の論点くらい説明できるようにしておいたら如何か。
ということで、具体的に「その仮説はここがこう間違っている」と指摘してみせてくれ。
「ここがこうですか?」「違う、わかってない」「じゃあここですか?」「違う、過去ログを読め」等と延々繰り返すのは馬鹿らしい。
「どこがどうとは言わないけど間違いだったら間違いなんだい!」
通行人Aさんへ。
遺伝子による生物の発生の仕組みは、コンピューターの「プログラム」とは根本的にアーキテクチャが異なります。似ているのは、両方基盤がデジタルであるということぐらいで。直接の比喩で語るのはちょっと難しいかと思います。
実際のところ、それは「機械の設計図」とも、似ても似つかない代物なんですけどね。
遺伝子による生命発生の仕組みを人間の機械屋さんに教えたら、「こんなシステムを設計したのは、とんでもない馬鹿か天才に違いないよ!」とでも言いそうです。後者の立場(史上類を見ない天才が設計した)が、創造論のとっている立場なわけですが。
ぶっちゃけ、人間の技術レベルは、いまだ「遺伝子というシステムを作って思い通りの生物を設計する」ための方法論を獲得できていません。そこのところは、下手に人間の技術水準での比喩を重ねるよりは、いっそ「神様だからこそ創造できたんだよ」と断言してしまった方がすっきりすると、個人的には思います。
>この答えは簡単。自然がそれだけ多様だから。
里山なり川原なり自然の中へ出かけて行って、実際にいる昆虫や植物を観察して見ましょう。
同じ環境下に実にさまざまな形態の動植物が見付かります。
特に今の季節は豊富な量の生き物が皆生き生きとしていて楽しいですよ。
AH1さん
>「間違いだったら間違いなんだい!」と叫んでるガキと同じだよな?
ちょっと違う。
ガキそのもの。 ガキそのもの。
wadja さん
>まさか、演繹により仮説の真偽を検証するのが仮説演繹だなんてことは考えてないですよね?
考えてるみたい。
「宜しいか、観察→仮説までは帰納法。仮説→検証からは演繹法。」なんて言っちゃってるから。
正解は
観察→仮説までは帰納法でも思いつきでも良い。
仮説から検証可能な予測を演繹法で導く。
予測の検証は帰納法。
でも、腐った脳みそには理解不能。
ここからはレスではなく一般論。
>帰納と演繹、良く勉強してからにしてくれ。
「彼」は時々正しいことを言う。
確かにその通りだ。
問題は、言う相手を間違えていることだ。
>谷庵あたりとつるんでると、一生判らんぞ。
谷庵嘘つかない。
よう嘘つき。
と言いたいところだが、実際はようは嘘つきなんかじゃない。
バカなんだ。
To 通行人Aさん
>体内のさまざまな組織がさらに全体的に組織化され、それらがよどみなく自動化されていることは、プログラム化されていることの証だと思います。
私は「生物の持つ遺伝情報が、プログラムではない」と述べていません。ただ、ここで云う「プログラム」というのは、私たちが使っているようなコンピュータープログラムとは、かなり趣の異なるものだ、と述べているのです。ただ、この辺は「盲目の時計職人」(リチャード・ドーキンス著 早川書房刊:おそらく最も普遍性の高い進化を解説した書籍のひとつ)などを読んでいただくのが妥当な方法でしょう。
>トラブル的なものは、プログラムが不完全ということではなく、遺伝情報の発現後の何らかのトラブルだと考えるのが、妥当なのではないでしょうか。
遺伝情報の発現後に生じるトラブルも当然あることでしょう。しかしまったく同じように、遺伝情報の発現に伴って起きるトラブルもあれば、遺伝情報そのものにミスコピーやミスリーディングが生じる可能性もあるでしょう。これらを「発現後に起きると考えるのが妥当」というのは、単に人間の恣意的なものの見方に過ぎません。
>自然選択は、最適化を導くものでなければ、選択として進化のうえで意味のないものになると思いますが、自然選択が必ずしも、確立できる要因を持ちえているかを考えてみると、環境が適応性に不利であれば、場所を移動することで改善されてしまいますし、生死につながるような選択に迫られる要件や地球規模のカタストロフィーもそんなにあるわけでもありません。
文章を書くときには、無闇に長文にしないで、主張ひとつについてひとつの文節というようにまとめていただくと、レスを返しやすくなります。
では、「自然選択は最適化を導くのではない」と、私は述べているでしょうか。そんなことは述べていません。私は、通行人Aさんの主張「偶然によってこれら複雑で高度な関係性が得られるとは考えにくい」という意見に対し、「進化は偶然によって起こるのではない」と述べています。これはつまり、ある環境(条件)に対して「最適な個体(血統)」が生き残っていく」と云う主張です。
さて、文節を分けさせていただくと…
>環境が適応性に不利であれば、場所を移動することで改善されてしまいますし
適応していくのは生物であって、環境ではありません。また、ある環境を持つ場所(地理)から別の場所に移動すれば、環境が変化するのは当然のことですが、自分たち(ある種)の生存に適した場所へ移動した個体群もあれば、移動しない、もしくはできない個体群もあることが抜け落ちていませんでしょうか。
>生死につながるような選択に迫られる要件や地球規模のカタストロフィーもそんなにあるわけでもありません。
一体どうして「生死につながる要件」がそんなに「ない」、と断言できるのでしょう?地球規模のカタストロフィーですら、過去に幾度か生じていることが地質学的にも確かめられていますが、これは無視して良いのでしょうか。
>つまり、生物体内の個々のシステムの優位性を取っていく形での、複雑な組織体を作っていく進化の過程で必要な選択数を満たすには、かなりの数が必要になってくるのではないのかという疑問が生まれてきます。
大変申し訳ありませんが、主張されている趣旨が理解できません。
なにが「かなりの数」必要になるのでしょう。もしも「淘汰圧」のことを指しているのでしたら、それこそ無数にあります。
「個々のシステムの優位性をとっていく形」で「複雑な組織体を作っていく」という文脈は、どのような観測事実から生じたのでしょう。これはもしや、通行人Aさんの想像に過ぎないのではありませんか?
最初から「これではきっと無理だ」という前提を置いておけば、推論が不能になるのは当然です。
生物進化の「ほぼ確定的な観測事実による推論」とは、非常に単純で原始的な生命から、多彩多様で複雑な生物たちが生まれていく、というストーリーです。
引用のサイトのアブダクションで「進化論」立論してみたら良い。
観察→仮説→検証
宜しいか、観察→仮説までは帰納法。仮説→検証からは演繹法。
>まさか、演繹により仮説の真偽を検証するのが仮説演繹だなんてことは考えてないですよね?
あのねぇ、演繹でやれば検証結果は仮説を追認する、って言ってるだろう。しかし、現場ではちょっと違ってたり、新しい情報に触れれば、論理的には一度「捨象」されて、また最初から立論し直して、その仮説の妥当性を高めるわけよ。
場合によっては、その仮説が根底から否定と言う事もあるの。
帰納と演繹、良く勉強してからにしてくれ。
谷庵あたりとつるんでると、一生判らんぞ。
大文字ナンさん
体内のさまざまな組織がさらに全体的に組織化され、それらがよどみなく自動化されていることは、プログラム化されていることの証だと思います。また、プログラム言語とデコーディングシステムが採用されていることからも、明らかだと思います。トラブル的なものは、プログラムが不完全ということではなく、遺伝情報の発現後の何らかのトラブルだと考えるのが、妥当なのではないでしょうか。
また、自然選択は、最適化を導くものでなければ、選択として進化のうえで意味のないものになると思いますが、自然選択が必ずしも、確立できる要因を持ちえているかを考えてみると、環境が適応性に不利であれば、場所を移動することで改善されてしまいますし、生死につながるような選択に迫られる要件や地球規模のカタストロフィーもそんなにあるわけでもありません。また、環境の適応度は必ずしも生存率と密接な関係にあるとは言えないようです。仮に完全に閉鎖的な環境でも、ある程度の期間を経ると、優劣がある一定の割合に落ち着いてしまい、変化しなくなってしまうこともあるようです。また、それを変える環境の激変が常に起こっていないと、複雑な組織体をつくっていく進化の過程で選択が有効に働くには、不十分になると思われます。つまり、生物体内の個々のシステムの優位性を取っていく形での、複雑な組織体を作っていく進化の過程で必要な選択数を満たすには、かなりの数が
必要になってくるのではないのかという疑問が生まれてきます。この点もお尋ねしてみたいです。
ミケさん
tRNAとアミノ酸の関係のご説明、ありがとうございます。
あなたの恫喝は、もはや、おまえのかあちゃんでべそ、レベルですね。とても悲しい。
せめて思想とサイエンスを分別し、それぞれのあり方を理解した上で意図を解説して
くれれば対応の方法もあるんですが、だめですね。
ようさんが、生命の事実や歴史にほとんど無知であるにもかかわらず、執拗にそれを否定するのは、なぜなんだろうか。
宗教的な理由? 単純に、わからないから? それとも成り行き上の、おまえのかあちゃんでべそ原理?…まさかね。
7月22日のtemaさんに対するようさんのレス、
>「検証」と言うのは理論(説明原理)の後にくるものです。
観察→仮説→検証、と言う風に。
眼に見えて、手に取るように「観察」の数々の事実があり、分類され整理され、さてどうなってるのかと考えた時、もしこういう仮定条件を置けばこの様な推論が為され、必然的にある結論が得られた。
>その後です、「検証」は。正しい結果が得られれば、結論は正しい、となりますよ。正しくなければもう一度最初からやり直しです。
を読んで、ようさんの方法論が自然科学でよく用いられる仮説演繹とは異なっているのは明白です。そのことを自分で理解できていますか?普通の人なら、皆がリンクしてる先を読んで、自分の言ってることと、世間的に言われていることの差を調べようとするのですけどね。まさか、演繹により仮説の真偽を検証するのが仮説演繹だなんてことは考えてないですよね?
>仮説演繹の「仮説」はどこから持って来るんだよ。「仮説の立論」は帰納法でやるのが近代科学だって言っているんだ。
言うのは自由ですが、相変わらず、アリストテレス、ベーコンから前には進まないのですね。
http://homepage2.nifty.com/yarudea/abnitsuite.html
にも有るように「仮説」はアブダクションで導出します。アブダクション自体は殆どなんでもありですから、思いつきでもなんでも良いのです(Kitkatさんの紹介した北村雄一さんのHPはそうですね)。仮説演繹とは、そこから演繹的に推論を行い、予測される結果が観察されることで元の仮説の蓋然性を検証するプロセスです。
これは論理学的にいえば、「AならばB」という命題が演繹的に真だと分かっている場合に、逆の「BならばA」と言ってるにすぎません。高校の数学レベルの論理学でも習うように「逆は必ずしも真ならず」ですから、Aが真だとは証明できません。だから科学者は「Bだから、Aの可能性があるね」とだけ言う訳です。それに加えて「CだからAの可能性がある」「DだからAの可能性がある」…、と枚挙していくことにより、Aの蓋然性を帰納的に高めていきます。
「からすは黒い」のような、単純で直接的に観察可能なものは、枚挙的帰納法で立論することが可能ですが、惑星の楕円軌道や万有引力の法則のように、直接的に観測することが困難だったものはこのような仮説演繹により立論されています。
>お前、進化論どころか「近代科学」全部を敵に回したのを自覚しているか?
主語を間違えてますねw
谷庵さんの指摘どおり、ケプラーもニュートンもダーウィンも、敵に回したのはようさんですよ。本当に自省しない人だ。
>えめ
>貴方の意見を見ていると全てが貴方独自の価値の中で因果を取り外されて勝手に秩序立てられて存在しているように思える。
「詩」なのか?
>AHI
過去ログを遡れ。
>「聖書は世界の75%の人間が何千年だか信じて来たから検証しなくて良い」
聖書が信じられていたとしても、それは「宗教」として。
もし、聖書の内容が科学的だと信じられているような科学水準なら、未だにロケットすら飛ばせなかったでしょう。
進化論支持の学者は、淡々と生物の進化を研究しているだけ。
聖書叩きもキリスト教叩きにも興味はない。
しかし、創造論者は、科学の知識も未熟なのに、あえて、生物の進化を否定しようと詭弁を弄する。
理由は唯一つ「聖書(宗教本の一つ)の内容と矛盾するから」
実に馬鹿げている。聖書は科学文献でも何でもない。精神分野、心理分野の宗教本だ
例えるなら、パン屋が自転車屋に、「仕事のやり方が違う」と文句を言って、聞きかじりの知識で自転車のウンチクを語るようなものだ。
>それにしても何でこんなに沢山の種類がいるんでしょうかねぇ・・・
この答えは簡単。
自然がそれだけ多様だから。
連投で申し訳ないが、補足しておく。
確かよう君は前に「聖書は無謬でなくても良い、現在出版されている聖書の表現が間違っていても聖書そのものは正しい」とか言ってたので、その点について。
書かれた事と真の内容が一致しないものを、どのようにして正しいと判断するのか、全く理解不能だ。
従って「聖書による説明が事実と違うように見えても、それは聖書の解釈が間違っているせいなのだ」という言い訳は受け付けない。だったら聖書でなく古事記であろうと死者の書であろうと、なんならそこらの三文小説だって、「解釈が間違っていただけで実際は正しいのだ」と強弁することが可能だ。
>聖書を「一般的説明原理」として演繹的に検証作業をする事は、科学の手法として間違ってはいない、と言っている。
で、その演繹された結果は事実とあってるのか?と何度尋ねても答えずにはぐらかしているのはあなただよ、よう君。
私が聞いているのは「で、聖書による説明ってのは事実に即してんのか」という一点。で、どうなの?
>「聖書学」ってのも認めないか?「神学」はどうだ?
誰が認めないなんて言いました?
「何学であろうが、この世の出来事の説明として、事実に反することがあれば、それはおかしい」と言っているだけ。そして「聖書に書かれたことは逐語的に正しい」とするなら、それは事実に反するのではないかと言っている。
さて、あなたの得意な「話題そらし」につきあったが、
具体的に「その仮説はここがこう間違っている」と指摘したらどうかな?
できないなら、「間違いだったら間違いなんだい!」と叫んでるガキと同じだよな?
>聖書を「一般的説明原理」として演繹的に検証作業をする事は、科学の手法として間違っ>てはいない、と言っている。「聖書学」ってのも認めないか?「神学」はどうだ?
「学」って奴をその響きだけで一直線上に並べて比較出来ると思っているから貴方の認識は貴方のみにしか価値を持たない。つまり科学としては屑でしかないのだと気づかない?。
貴方の意見を見ていると全てが貴方独自の価値の中で因果を取り外されて勝手に秩序立てられて存在しているように思える。しかもそれぞれの正確な理解が出来ていないままに。そして自分が主張する理論を良く理解していない言う事すら自覚していない。
認識の乖離に対する苛立ちはそこから来るんだよ。
解ろうとしていないのは貴方の方なの
相手の主張する認識に自分の認識を当て嵌め、それぞれの言語の持つ意味をを仮にでも置き換えてみる。つまり相手に合わせて目線を下げる事すら出来ないのは字面として知識を認識していてもその意味を理解出来ていないない証拠だよん。
もし知識が真に貴方の血肉となっているのなら、貴方の主張どおり、進化と言う現象は「ホントは存在していない事」を小学生にでもわかるように理化(生物学)として説明してみ。
私は子供の頃昆虫の大ファンで、飼育、採集、標本作り等をしていました。
今の目で見るとこれらの昆虫が意外と小さいのには驚きます。
子供の時は随分と大きく見えたものですが・・・
その他魚介類や鳥類、両生類、爬虫類など生き物は総じて魅力的ですね。
それにしても何でこんなに沢山の種類がいるんでしょうかねぇ・・・
>「聖書は世界の75%の人間が何千年だか信じて来たから検証しなくて良い」
読解力ゼロ軍団の攻撃(笑)。
検証してないのなら、それで良いではないか(笑)。科学的に検証してる、と創造論者が言うから、お前ら進化論者がこんなサイトやってるんだろ(笑)。
聖書を「一般的説明原理」として演繹的に検証作業をする事は、科学の手法として間違ってはいない、と言っている。「聖書学」ってのも認めないか?「神学」はどうだ?
欧州では、神学部があるのをuniversity、それ以外をcollegeと言うんだ。
西洋が素晴らしい、って言っているのではない。学問体系そのものも西洋的なんだよ。論理的思考と言うのもそうだ。そういうのが判らないと、イスラエルとヒズボラに対しても何事が行われているのか理解しないだろう。引いては世界を理解しない、と言う事だ。
お前のような「流れ」も読めない、論理も知らない「付和雷同者」が戦争に負けてその責任を他人に押し付ける。
お前を無視したのは、文章がひどすぎるからだ。
基本的に「論理的思考」の素養が無いね。ほんとにサモンを読んだのか?写経みたいに書き写すだけじゃダメだ。使って訓練しないと。
数学オペレーションと数学的思考についての指摘は、以前にも一度してるがね。
あまり私の意見には興味がなさそうなくせに、ちょっかいや陰口は叩く訳か。言い根性してるな(笑)。
直感やひらめきや夢のお告げで始まったとしても、「結論」付ける為には「論理構造」が明確でないとダメなんだよ。進化論は「正解」かもしれないんだ。でもな、立論されていなければ、理論でもないし仮説にもなり得ない。つまり科学的ではない、と言う事。
だから、このサイトで言えば、自分達の立場も判らずに「疑似科学批判」なんてのはおこがましいどころか、そんな資格すらない訳。
あなた方は、たかだか150年程度の「因襲」を踏んでいるに過ぎないの。「先生たち」の受け売りをたれ流しているに過ぎない。猛省すべきだな。少しは「批判的精神」を発揮したらどうだ。
>こう思いこんでいる人には何を言っても無駄ですね。今まで多くの人が紹介してきた場所は「どこでも」には入ってないのでしょうね。
読解力ゼロだな。俺はほぼ目を通しているぞ。
帰納・・・・観察事実を説明できる原理を導く
演繹・・・・一般的説明原理で観察事実を説明する
だいたいこの様に書いてあり、ここで見解の違う意見は見当たらないがな。
サモンの「論理学」、無駄だったな。
リンク先を示しておけばすむことでしたね。「引用」の扱いについては以後注意します。
北村さんにもこの場を借りてお詫び致します。
>お前、進化論どころか「近代科学」全部を敵に回したのを自覚しているか?
進化生物学が仮説検証じゃないって言うなら、大概の近代科学は仮説検証じゃないよ。近代科学を敵に回してるのは、あなた。
そもそも「聖書は世界の75%の人間が何千年だか信じて来たから検証しなくて良い」という時点で既に科学を敵に回してる。あなたの好きな言い回しを借りれば、「それが世間で通用するとでも思ってるのか?」
まあ、あなたの言う「近代科学」の定義自体が特殊かつ理解不能なものである可能性は、否定しない。
さて、7/29に投稿した進化の仮説に関して異論はありませんか、と聞いたが、具体的にどこがどう正しくないという指摘は無いのですか?
今までやってきたことは「それは立論されてない」「だから立論ってなに」「立論は立論だ、論理学を勉強しろ」「あなたの立論ってこういうのですか?」「違う、お前はわかってない」「じゃあ具体例を出して下さい」「・・・・(無視)」の繰り返しですからね。
ちゃんと指摘する気がない(あるいは、できない)のであれば、私の言うべき事も「あんたは科学を何もわかってない。勉強しろ」の一言で十分だと考えます。
まだ暑さはそれほどではないけれど、程良い湿気の元、腐りかけた脳みそが腐敗臭をまき散らしている今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。
「彼」は言う。
>「仮説の立論」は帰納法でやるのが近代科学だって言っているんだ。
その通り、進化論は帰納法で立論されているのだ。
その実例は何度も提示されている。
「彼」は言っていることがころころ変わるので、時々正しいことを言う。
だから判ったのかというと決してそんなことはない。
脳みそから腐敗臭が臭ってくるだけだ。
>お前、進化論どころか「近代科学」全部を敵に回したのを自覚しているか?
「彼」には自分のしていることの自覚はないらしい。
>和の公式、等差数列の和の公式は一体何を「証明」したのかね(笑)。
何をだと思うのですか? 等差数列の和の公式自体を証明したかったのでしょう?
>数学的帰納法の証明したい命題は・・・「全ての自然数について成り立つ」だよ。
そりゃそうですよ。
>そのために「前提を置き、推論し」結果、「公式」が得られた。お判りか?
ここでの、前提、結果は具体的には何だと思ったのですか? 面倒じゃなければ推論も御願いしますね。
以下は蛇足ですが。
>また一人ダイアのオッサン、Mに次いで、数学オペレーションが得意だが数学的思考の苦手な者が現れた(笑)。「論語読みの論語知らず」とはよく言ったものだ。
私が数学オペレーションと言えるものを書いたのは昨日のレスが初めてなのに、どこから私が数学オペレーションが得意などと推測したのか不思議に思ってましたが、なるほどたんほぽさんのレスで数式を書いたというだけでそう判断するのですね。もしかして数式アレルギーでもあって「=」を見ただけで「数学オペレーションが得意なんだ」と早とちりするのでしょうか?
私が数式の扱いが多くの人よりは上手だというのは事実ですけど、昨日のレス程度ではとてもその証拠にはなっていませんよ。
>「帰納と演繹」についてはどこで調べても同じ事が書いてあるだろう。その違いは「説明原理」の前なのか後なのか、と言う事だ。
こう思いこんでいる人には何を言っても無駄ですね。今まで多くの人が紹介してきた場所は「どこでも」には入ってないのでしょうね。
近代科学はまさに「蓋然性」で先に進めちゃう、って事だ。判ってないね。
「厳密な意味での検証」って何だ?近代以前に戻る、って事か?
仮説演繹の「仮説」はどこから持って来るんだよ。「仮説の立論」は帰納法でやるのが近代科学だって言っているんだ。お前、判ってないで俺に食ってかかってたのか(笑)。
お前、進化論どころか「近代科学」全部を敵に回したのを自覚しているか?
>仮説演繹では検証は出来ないってことは理解した方が良いのではありませんか?
「蓋然性を高めることは出来ても、厳密な意味での検証は」に訂正しておきます。
ようさん、
>近代科学の手法と言うのは帰納法であって、まず立論しその立論された「説明原理」で検証していく。「仮説演繹」と呼ばれている。
仮説演繹は、帰納法から立論するという意味ですか?仮にそうだとしたら、仮説演繹の意味が分かってないでしょ。仮説演繹を知らないのなら、みんなが折角リンク張ってるんだから勉強してからレスつけるか、分からないなら分からないって言った方が良いと思いますよ。
それにさんざん説明してるんだから、仮説演繹では検証は出来ないってことは理解した方が良いのではありませんか?
>【進化が立論されていないにもかかわらずいろいろな事実を生物の進化の証拠としているのは、間違った説明原理(帰納法によって立論されていない生物の進化)から演繹していることになり、形式論理学の手順を無視したもので、どんな事実を示しても進化論を立証したことにならない。】
【創造論が立論されていないにもかかわらずいろいろな伝承をを生物の進化の否定の証拠としているのは、間違った説明原理(帰納法によって立論されていない生物の進化の否定)から演繹していることになり、形式論理学の手順を無視したもので、どんな伝承を示しても創造論を立証したことにならない。】
Kitkatさん、そこまでいくと「引用」ではありませんよ。
引用の要件には引用部分が本文の「従」である(具体的には、本文の方が引用より分量が多いとかで判断されるようですが)ことが求められます。Kitkatさんの書き込みは明らかに北村さんの文章が「主」部を為していますから、これでは「無断転載」というべきかと。
「仮説演繹」については北村雄一さんが、自身のHPでわかりやすく解説されていますので、長くなりますが引用します。
詳しくは知りたい方は、北村雄一さんのHPへどうぞ。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/hypothetico-deductive.html
仮説演繹法 : Hypothetico deductive (暫定的)
仮説演繹というのは帰納法の一種であるといわれます。これは、
データを説明する仮説(あるいは理論)を考えた
この仮説(あるいは理論)と前提条件から演繹して考えるとある結論、予測、あるいは予言を導くことができた
そのような結論、予測、予言は観察や実験で確かめることができる
そこで、実際に確かめてみる
このことで最初に導き出した仮説(あるいは理論)の確からしさを検証する
というものです。この方法論は予言を導き出すところは演繹ですが、予言が正しいかどうか観察例を集める点で帰納的です。そのため帰納法の一種であると言われるそうなのですが、仮説演繹という方法論は科学の世界では非常によく使われます。有名なものとしてはニュートンの万有引力とか、あるいはダーウィンの進化理論などがその実例となります。例えばダーウィンの進化理論の場合、
すべての生物には変異がある
産まれたすべての生物が生き残り、子孫を残すことはできない
それぞれの変異によって子孫を残す割合には違いがある
地域などによって環境には違いがあるために、子孫を残しやすい変異は地域などによって違う
ゆえに生物は共通の祖先から異なる特徴と性質を持った複数の子孫へと分岐する
以上のこのような事柄からダーウィンは彼の進化理論を提案し、そしてその理論をサポートすると思われる事実を大量に集めてみせました。ようするに仮説あるいは理論から演繹される結果をサポートする事柄を(執拗なまでにうんざりするくらい大量に)帰納的に集めてみせたわけです。こうした作業はまさしく仮説演繹なわけですが、例えば彼が提示した事例には次ぎのようなものがあります。
属の大きさとそこに含まれる種の数と、種相互の類似の度合いの違い、そしてそれらの相関的な関係
品種、種の個体にしばしば類縁の種や品種に見られる特徴が散発的にあらわれること
類似しているが異なる特徴を持つ種が隣接した地域に分布する
化石で知られる種が、現在の大きく異なる複数の種を結び付けるような中間的な特徴を持つこと
類似した環境であるにも関わらず、例えば南米とアフリカの生物相は異なり、むしろ同じ地域の過去の絶滅動物に類縁が近い
さらにこのような事柄に加えて、ダーウィンは家畜品種の作出の過程やその様子、一見すると種の出現が突発的に見えることが記録の不完全性と人間の認識のあり方で説明できること、交配実験やいわゆる生存競争の観察など、といった事例も集めているのですが、これらは実験にかなり近い作業であるか、あるいは実験そのものであったと言えます(ともかく参考文献として「種の起原」岩波文庫を読むことをお勧めします)。
進化論は、まさに「仮説演繹」の実例ですね。
数学的帰納法が演繹法だと、まだ言い張るか(笑)。証明される前には「公理」を演繹的に使用し、証明後は「公式」を「演繹出来る」。(もう皆の物知りぶりは判ったから、これからは論理的に「思考」してね)
「帰納と演繹」についてはどこで調べても同じ事が書いてあるだろう。その違いは「説明原理」の前なのか後なのか、と言う事だ。
>メビウスさん
>「演繹にあっては論理的必然性が最も重要な特徴であるが、それは前提そのものに依存するのではなく、前提と帰結の関係が必然的であることに注意すべきである。」
この文章の読み方はこうですね。
「演繹法と言うのは証明された一般的説明原理に観察(経験的)事実を照合、検証するもので、前提(一般的説明原理)が正しければ、検証結果は必ず前提を追認する。それが演繹法の特徴である。
しかし、証明された一般的説明原理に依存して検証作業を怠るのではなく、あくまで「前提(一般的説明原理)と帰結(検証結果)」の関係性において「必然的」なのだ。」
「ソ連」を持ち出したのは、貴方の主張であった「生物学者が長い間研究し、議論も盛んに行われた進化論は否定されるべきものでは無い」に対しての婉曲な反論である。
「学者の長年の議論」がその理論の妥当性を高めるものではない、と言う事を言っている。
あくまで「論理」である、とね。
それに、私の主張の要約として上げている文章は私の主張を理解していない。
【進化が立論されていないにもかかわらずいろいろな事実を生物の進化の証拠としているのは、間違った説明原理(帰納法によって立論されていない生物の進化)から演繹していることになり、形式論理学の手順を無視したもので、どんな事実を示しても進化論を立証したことにならない。】
ひどいな。立論していなければ科学の世界では「何も無い」に等しいの、ほんとはさ。
近代科学の手法と言うのは帰納法であって、まず立論しその立論された「説明原理」で検証していく。「仮説演繹」と呼ばれている。
進化論は「立論」を飛ばしているの。言葉通り「論理の飛躍」。だから「近代科学の手順」を踏んでいない、と言っている。(形式論理学の手順?ではないね)
>たんぽぽ
>ひとつひとつ、数値を入れていっても、数学的に証明されたことには、ならないですよ。
また一人ダイアのオッサン、Mに次いで、数学オペレーションが得意だが数学的思考の苦手な者が現れた(笑)。「論語読みの論語知らず」とはよく言ったものだ。
和の公式、等差数列の和の公式は一体何を「証明」したのかね(笑)。
数学的帰納法の証明したい命題は・・・「全ての自然数について成り立つ」だよ。
そのために「前提を置き、推論し」結果、「公式」が得られた。お判りか?
それで、進化論の立論はどうだ?
>生き物が成長するメカニズムを訊いてるんですか?
>それとも生き物が成長する意義というか、理由を訊いているんですか?
すみませんでした。「なぜ」という言葉は実に曖昧ですね。
私としては「メカニズム」についての質問のつもりでした。
>メカニズムとしては、基本的には細胞の増殖と分化です。
>外から取り入れた物質を分解・再構築して細胞増殖のための材料にします。
「この様にして細胞分裂は行われる」という言わば仕組みの観察結果ではなくて、その事が出来得る能力を細胞はいったいどのようにして獲得したのか?という疑問です。
例えば古代の海中で一番初めに誕生した生き物は、自分が死ぬ前に自分の子を残したんでしょう?一代の間にそのような能力をいかにして得たのだろうか?という事です。
>分化のメカニズムは「発生生物学」というキーワードでググってください。
さっそくググりました。百貨事典のサイトを一通り読んで、それでも分らない点があったらまた後でお訊きします。その折は宜しくお願いします。
>>形は殆ど先に上げた「枚挙的帰納法」と同じ形になっているでしょ?
>>1+1=2、1+2+3=6、1+2+3+4=10
>>と言うように一つ一つは「特称命題」。
>>これが大きな数字になってもこの公式で解ける(全称命題)。
>
>なにが言いたいのか、ちっともわかんないんだけど、
>ひとつひとつ、数値を入れていっても、
>数学的に証明されたことには、ならないですよ。
「和の公式」だということですが「等差数列の和の公式」の意味なら最初の式は該当しませんし、後の2つも下のように書かなくては公式を示していません。
1+2+3=(1+3)×3/2
1+2+3+4=(1+4)×4/2
まあ上記のように書かれてあれば、nに個別の数値を当てはめた例で全て成り立ったという観測から下記の全称命題を「枚挙帰納法により推測する(立論する?)」ことはできます。
∀n{1+2+・・+n=(1+n)×n/2}
むろんこの推測(立論?)そのものは数学的帰納法ではありません。
1+1=2、は2の定義ですね。ようさん風に「立論されたので公理として採用したもの」と言ってもいいですけど。
それともずばり、1+2=3、の書き間違いかな?
>「生き物はなぜ成長するんですか?」(どのような仕組みでと言うか・・)
これは、どっちの意味か良く分からないんですけど。
『(どのような仕組みでというか・・)』
というのは、
『どのような仕組みで、という意味ではなく』として使ったのか、
『どのような仕組みで、を訊きたいんだ』として使ったのか、よく分かりません。
まあ、要するに、
生き物が成長するメカニズムを訊いてるんですか?
それとも生き物が成長する意義というか、理由を訊いているんですか?
一応両方答えておきましょう。
でもあとでどっちの意味だったか教えてくださいね。
メカニズムとしては、基本的には細胞の増殖と分化です。
外から取り入れた物質を分解・再構築して細胞増殖のための材料にします。(異化と同化)
分化のメカニズムは「発生生物学」というキーワードでググってください。
成長する理由としては、そのほうが“安上がり”だからです。
というよりも、完全な複製品を作る、ということが非現実的だから。
「子供を産む」ということを考えた場合、一個体だったものがニ個体になるわけですが、
完全なものとして子を作るとなると、親に必要なコストと時間は相当なもの。
例えば、二十年妊娠し60kgの赤ん坊を産むことを想像してください。
これで「成長しないこと」の非現実性が伝わったでしょうか。
ちなみに、別に生き物でなくても、石(結晶)でも星でも成長します。
ところで、なんで唐突にこんな話題?
ようさまだって、ずっと第3掲示板を見ているのだし、
陰口でもなんでもないんじゃない?
(第3掲示板で言われたことに、ものもうしたいなら、
そういうあなたこそ、こんなところに書くより、
直接第3掲示板のスレッドに、書いてはいかがかな...?)
http://6609.teacup.com/natrom/bbs?OF=280&BD=3&CH=5
[7月 8日(土)06時21分](現在15ページ。)
>形は殆ど先に上げた「枚挙的帰納法」と同じ形になっているでしょ?
>1+1=2、1+2+3=6、1+2+3+4=10
>と言うように一つ一つは「特称命題」。
>これが大きな数字になってもこの公式で解ける(全称命題)。
なにが言いたいのか、ちっともわかんないんだけど、
ひとつひとつ、数値を入れていっても、
数学的に証明されたことには、ならないですよ。
代入した数値に対してだけ、成り立つことが言えるだけで、
それ以外のすべてのnに対して、S(n) = n(n+1)/2 が、
成り立つことは言えないからだけど。
(すべてのnについて、公式が成り立つことを言うには、
演繹的に証明するより、方法はないです。)
>>(外観が帰納法に似ているから、そういう名前なだけであり、
>本当の帰納法ではないので、「数学的」とつけたのだと思いますよ。)
>思いますよ? いい加減な事で人を笑いものにするな。
わたしが、「思いますよ」と推測したのは、ネーミングのことだけです。
数学的帰納法は、演繹法であって、帰納法でないのは、
どこもまちがってないですので、あしからず...
横からすみません。
まさかとはおもうけど...。
ようさんは、「進化(論)の研究」をすることはすなわち
「「種の起源」という文献をいかに「解釈」するか」
だと思っているのかな?
ようさん
>だから、新しく「立論」する場合は帰納法なの。もう「マインドコントロール」って呼んで良いんじゃないかな、あなた方。>>
///////////////////////////////////////
進化が立論されていないにもかかわらずいろいろな事実を生物の進化の証拠としているのは、間違った説明原理(帰納法によって立論されていない生物の進化)から演繹していることになり、形式論理学の手順を無視したもので、どんな事実を示しても進化論を立証したことにならない。
////////////////////////////////////////////
このようさんの主張に対して、私は、百科事典から帰納と演繹の項目を引用して反論しました。
「演繹にあっては論理的必然性が最も重要な特徴であるが、それは前提そのものに依存するのではなく、前提と帰結の関係が必然的であることに注意すべきである。」
この定義によれば、たとえ前提があやふやであっても、観察、実験、そのほかさまざまな事実を集めて研究者たちが議論を積み重ねて、当初の前提(作業仮説)を修正しつつさらに研究を積みかさねていくことによって、進化論の仮説の確証性は格段に向上してきた、と私は申し上げました。
それに対してようさんは、
{ソ連を興した人々(学者、政治家を含め)の事を考えれば、貴方の言い分は「この際」意味が無い。}
と反論しました。
進化論が帰納法によって立論されていないという主張に対する反論で、どうしてソ連を興した人々の話が出てくるのか、どういう関係があるのか質問しましたが、それに対する返答がありません。ご回答願います。
>もう「マインドコントロール」って呼んで良いんじゃないかな、>>
私はようさんの意見に対応して反論しています。演繹と帰納について、前提(作業仮説)は当初はあやふやで立論されていなくても、事実を集める過程で修正していけばいいと主張しました。これに対する反論がなければ、ようさんは帰納法がなされていないという理由で、進化論を否定したりあまり確かではない仮説だと主張することはできません。
AH1さんの指摘する、ようさんの「新しい事象に・・検証される」については、wadjaは仮説演繹法と考え、ようさんに質問を投げてあります。それに対し答えが無いということは、暗黙の肯定と解釈しますが、それでよろしいでしょうか?
ところであなたが7/29に「まず、はじめにロゴスありでしょう」にて述べた「新しい事象に・・検証される」というプロセスは自然科学における仮説検証の手法として納得の行くものであり、
その方法に則って7/29に進化論の仮説、および検証について述べましたが、異論ありませんか。
あのな、数学的帰納法というのはベアノの公理から直接(といっていい)導かれるものにゃんね。
で、問題となるのは「公理」というコトバの意味だにゃ。
以下は日本大百科「公理」の項から引用
*************************
ある理論の出発点となる仮定を公理という。数学における各理論は、いくつかの命題を前提とし、それらのみを仮定として展開される。すなわち、最初に仮定された命題や、それらからすでに導かれている命題を前提として、次々に新しい命題が導かれるのである。この仮定される最初の前提が、その理論の公理(あるいは公理系)とよばれるものである。
そのような例としては、たとえば、自然数論の公理系として有名なペアノの公理がある。次の(1)〜(5)がそれである。
(1)1は自然数である。
(2)nが自然数ならばn+1も自然数である。
(3)nが自然数ならばn+1≠1である。
(4)n+1=m+1ならばn=mである。
(5)自然数xについての述語P(x)について、P(1)および「任意の自然数kについてP(k)ならばP(k+1)」が成立すれば、すべての自然数nについてP(n)である。
*************************
公理というものは証明されたものではなく「ある理論の出発点となる仮定」であり、数学的帰納法とはベアノの公理から直接に導かれるものであることは百科事典の記述から明白だにゃ。
何度も書いているとおり、数学的帰納法はバリバリの演繹だにゃ。事例をひとつずつ挙げていく(ように見える)から「帰納」という名前をつけているだけのこと。
このことについては、小室のマチガイだよ。
本人を呼んできな。マチガイを認めさせてやるから。
で、生物の進化を否定する証拠でも出たの?
陰口叩くのはみっともないな。それに、小室氏の間違いと断じるのは貴方の理解不足に取るのではないか?
第一、fukkenさんの引用サイトの主も懐疑的論調ではないか。
もう一度「帰納法・演繹法」の由来、意味を考え直したらどうか。
数学的帰納法は、証明された後は「演繹」出来る、のですよ。お判りか?
「新しい」公式や定理を求める場合は、(既存に無い)演繹できないでしょ(笑)。
だから、新しく「立論」する場合は帰納法なの。
もう「マインドコントロール」って呼んで良いんじゃないかな、あなた方。
数学的帰納法が「演繹法」である、と言う言い方は数学的帰納法の公式は演繹的に使用できる。と言う事でしょう。なにもわざわざ「数学的帰納法」「完全帰納法」などと書く必要がないではないか。
お願いします。教えてください。m(__)m
進化論ではなく、それ以前の問題だと思われますが・・・
「生き物はなぜ成長するんですか?」(どのような仕組みでと言うか・・)
私はそのことも解らないんです。(T_T)
お手数ですが宜しくお願いします。
美は価値観であるので、人それぞれで違うもの。これを普遍的に扱うことはできません。
DBRCT さんのおっしゃるとおり、
「花はなぜ美しいか」という問に、カガクは答えてくれません。
しかし「どうしてその色と形になったのか?」
についてならば、カガクは答えてくれるでしょう。
(共進化)
また「なぜ存在するようになったのか?」
これについてもまあカガクが答えてはくれるでしょう。
(生殖)
どちらもあなたの望む答えとは違うかもしれませんけど。
わたしゃ、↓の花たちは美しいと思いませんが・・・むしろぐじゃぐじゃ集まってて気持ち悪い。
所詮、美なんて主観の問題ですから。
なぜ美しいかと言う疑問には科学は答えてくれないでしょう。
なぜ、美しいと感ずるかについて答えてくれたとしても。
>人の体があまりにも、どう見ても都合のよすぎる、複雑ながら正確な関連付けがなされていることからの推論です。
前回と同じく「われわれはなぜ死ぬのか(柳澤桂子)」より、引用します。
『ある細胞が死の運命をたどるかどうかは、個々の細胞ごとにきまる。もちろん、生物が単細胞であったときにはそれは当然のことであろう。細胞の死は個体の死だからである。
ところが、生物が多細胞になっても、個々の細胞ごとにその運命を決定する機構は保たれている。ヒトのように、からだ全体で60兆個もの細胞から成り立つようになっても、ひとつひとつの細胞のとるべき運命は各細胞ごとに監視されているのである。
このようにいうと、非常に高度な監視機構があるように思われるかもしれないが、実際には分裂しては困るような細胞が除去されているに過ぎない。このような機構は、生命の進化の初期から存在したであろう。さもなければ、生存しては困るような細胞が増えて、現在のような健全な生命の世界は存在しなかったのではなかろうか。』(p.103より)
遺伝子が最も不思議な働きをおこなうのは、ある細胞は自殺(アポトーシス)し、ある細胞は分裂を続けることによって、私たちのからだを形成する現象だろう、と私は思います。これぞ、通行人Aさんのいう「複雑ながら正確な関連付け」でしょう。しかし、上記にあるように、この現象の本質は「分裂しては困るような細胞が除去されているに過ぎない」という点です。
最初に人間を見ては「あまりにも都合の良すぎるシステム」に見えて、仕方がないことに私も同意します。しかし人間を含めたすべての多細胞生物が、もとはといえば単細胞生物から「進化してきたのではないか」と考えることで、個々の「モジュール(細胞または器官のメタファ)」で起きている現象が理解できる、と私は思います。
いかに高度で複雑なプログラムであっても、ひとつひとつの「処理」に還元していけば、とても単純な加算や置換であることに気づきます。何度も述べていることですが、「進化は偶然ではない」のです。自然淘汰(選択)という「ふるい」によって、進化は必然的に進行します。たとえ何百億回の試行回数を経ても、バラした部品を適当にかきまわしただけで、時計や自動車にはならないでしょう。しかし、少しでも「時計らしさ」を備えた組み合わせだけを選択していったらどうでしょう。人間のからだにも同じことが云えます。
私たちは、ヒトという「結果」を見ています。そこで、まったく偶然に起きる突然変異の中から、最も重要なルールとして「少しでも生存に有利な変異」を選び出します。この結果として、生き残った遺伝子にはすべて「少しでも生存に有利な情報」が書き込まれることでしょう。やがて多細胞生物が生まれ、形態が複雑化していきます。ここで、ヒトやその他の哺乳類に至る「系統」が生まれます。これらのグループには「各組織を複雑化、システム化させることで生存率を高める傾向」が刻み込まれているはずです。しかしそれも、個々の働きを見る限り「分裂しては困る細胞を除去している」に過ぎません。
ヒトの免疫機構は非常に複雑で、驚くほど高度な防衛システムです。こんなものをいちからプログラムしたら、膨大なコードを書かなければならないでしょう。また、いきなりそれを見せられれば、誰かが「目的と意志」をもって、それを書いたに違いない、と考えることでしょう。
ところが、ここまで書いたように「増えては困る細胞を除去する」という基本ルールは、免疫機構においても徹底されています。それではなぜ、「増えては困る細胞」を選別できるのでしょう。無論、それは遺伝子になんらかの情報が記載されているからに違いありません。ではなぜそんな情報が「自然発生」したのでしょう。答えは簡単です。そのような情報を持つ遺伝子以外、生き残ることができなかった(自然選択されてきた)からです。
ところで、「複雑ながら正確な関連づけがなされている」と通行人Aさんは思われているようですが、本当にそうでしょうか。先に挙げた免疫機構は、頻繁に「暴走」することが知られています。私たちが持つ遺伝情報は、決して「完璧」ではありません。免疫機構に限らず、先天的な「ミス」は、無数の遺伝病として知られています。これらが今も残っている理由は、進化の歴史の中で、どれだけの試行錯誤が繰り返されてきたのか、の証明である、と私は思います。
通行人A さんへ。
第三掲示板に移られる場合は、
「ちょっと専門的なQ&Aスレ」へお願いします。
あなたの質問の答えは、大学レベルの生物学の教科書、
分子生物学や発生学、あるいは遺伝学関連の教科書を漁れば出てくるんじゃないかと思います。
さすがに一般書ではここまで書いてあるものはないでしょうね。
ただ、最近ではネットを検索してもそれなりの知識を得ることはできます。(ちょっと探し方にコツが要りますが。)
質問に対する答えは用意しましたが、
理解していただくにはそれなりに基礎知識が必要とされます。
それも含めて勉強しようという気があるのでしたら
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1154233566/2
をごらんください。(当然、長いです。)
これ以降も専門的な質問をするならば、第三掲示板へ移動しませんか。
http://jbbs.livedoor.jp/study/5329/
専門的な話、こみいった話題をするのに向いた仕様の掲示板になっています。
逆に言えば、この第一掲示板はカンタンな質問や感想を残すのには適していますが、
難しい話題や議論を進めるにはあまり適していないのです。
>塩基配列は、ただ、タンパク質という材料だけの情報というのは、考えにくいと思います。
ああ、それはもちろん、そうです。
塩基配列には、タンパク質のアミノ酸配列を指定する遺伝子(構造遺伝子)以外に、プロモーター領域など、発現調節に関わる配列もあります。
たとえば、大腸菌のラクトース分解酵素を見てみましょう。ラクトース分解酵素(ラクターゼ)の遺伝子は、ラクトースがあるときのみ転写されます。ラクトースがないときは、プロモーター領域(※)にリプレッサーと呼ばれるタンパク質(これも、他の遺伝子で合成されたもの)がくっついているので、それが邪魔になってRNAポリメラーゼ(転写を行う酵素)がくっつくことができません。ラクトースがあると、ラクトースがリプレッサーと結合します。すると、リプレッサーはプロモーター配列にくっつくことができなくなり、その代わりにRNAポリメラーゼがプロモーター配列にくっついて、転写が始まります。
これはかなり単純な例で、たとえばラクトースに当たる場所に別のタンパク質があって、そのタンパク質の合成もまた別のタンパク質に調節されていて…のような、非常に複雑なネットワークがありえます。また、プロモーター以外にもさまざまな転写調節の仕組みがあります。
そして、それらも自然淘汰によって進化してきたものです。よりちょうどいいタイミングに、よりちょうどいい種類と量のタンパク質を合成した個体はたくさん子孫を残したのです。
(※)厳密には、プロモーター領域にオーバーラップしているオペレーター領域。
参考文献
柳田他編「分子生物学」東京化学同人
余談にはレスしないでおきましょう。wadjaなりに馬鹿のマナー違反をたしなめただけですから。
>仮説を立論するのは帰納法。すでに在る仮説(説明原理)で検証作業を行う事を演繹法と呼ぶ。
説明原理でも理論でも、立論の前は帰納。立論の後は演繹。
何度も聞いた話ですね。本当に具体的なご説明ありがとうございます。でもアブダクションに関するwadjaの質問には答えてくれないんですか。もうこれ以上何も出てこないのなら、ようさんとの議論は終わります。
>過剰な謙虚は、卑屈で攻撃的と感じられる事が多い。ご留意されよ。
極力感情的ものを排して議論しようと努力していたつもりですが、気を悪くしたのであれば謝ります。しかし、wadjaはろくに論理学を勉強もせずに議論していますので、謙虚にならざるを得ない事情はご理解下さい。しかし相手によっては、逆効果の場合もありうると心に刻んでおきます。
ようさん
>かつて、ソ連を興した人々(学者、政治家を含め)の事を考えれば、貴方の言い分は「この際」意味が無い。>>
なぜ突然ソ連の話が出てくるのでしょうか。進化論の研究とソ連を興した人々とどういう関係があるのですか。
********************************************
(百科事典マイペディア 電子辞書版)より
えんえき【演繹】
英語deductionなどの訳で演繹的推理(推論)の略。帰納に対する。前提になる命題から、経験にたよらず論理法則のみによって必然的に新しい命題(帰結)を導きだす操作。前提が一つのときは直接推理、二つ以上のときは間接推理(三段論法はその一種)という。演繹にあっては論理的必然性が最も重要な特徴であるが、それは前提そのものに依存するのではなく、前提と帰結の関係が必然的であることに注意すべきである。
/////////////////////////////////
きのう【帰納】
ギリシア語エパゴーゲー、ラテン語インドゥクティオに由来する英語inductionなどの訳。(帰納的推理)(帰納法)とも。演繹の対。幾つかの特殊な事例(前提)から一般的結論を導きだす蓋然的推理。アリストテレス以来、とりわけ法則発見の手段としてF.ベーコン、J.S.ミル、W.ヒューエルらによって重視、研究されてきた。
*****************************************
演繹の説明で「演繹にあっては論理的必然性が最も重要な特徴であるが、それは前提そのものに依存するのではなく、前提と帰結の関係が必然的」となっていることはとても大事です。前提と帰結の関係はあくまで論理的必然性によるものであって、前提そのものに依頼しない、つまり前提は正しくても間違っていても根拠の弱い仮説であっても別にかまわないのです。帰納法による立論から打ち出されたものかどうかは関係ないのです。したがって進化論をラマルクが200年前に立ち上げた時に、帰納法的立論が不十分であってもこれを説明原理としても問題はないのです。
もちろんその後の研究者たちは、着々と研究を進め、時には論争があり、しかしながら反証可能性は開かれていて、困難な道のりだったかもしれませんが、また、特に誰ががあるときに進化論を帰納法で立論したのではありませんが、膨大な研究の蓄積から
「生物は少しずつ変化することがある」「生物は一つまたはわずかの系統の祖先から分岐してきた」
ということがほぼ間違いなく言えるようになったのです。
ようさんが指摘するように、帰納法による立論がされていないのに進化論を説明原理としていた時期があったことは何の問題もないのです。結局ちゃんと経験的事実によって諸命題が検証されたり訂正されて、確証度が、ラマルクの時代から格段に向上してきたのです。
そういう観点から振り返ると、当掲示板で進化論の証拠は大量に示されてきました。
大文字ナンさん
意図と目的を導き出そうとしているのではなく、人の体があまりにも、どう見ても都合のよすぎる、複雑ながら正確な関連付けがなされていることからの推論です。
塩基配列は、ただ、タンパク質という材料だけの情報というのは、考えにくいと思います。細胞を作るにしても、タンパク質の集団を、正確にその機能ごとにまとめ上げていかなければならないわけですから、遺伝情報には、タンパク質が作られる場所、時期、量を決める指図書的な情報が含まれていると考えるのが自然なのではないでしょうか。また、タンパク質に翻訳されていない情報は、遺伝子の発現調節、つまり、転写調整している働きがあるようですので、実行機能付の指図書として機能している遺伝情報の一部がかいつままれているということではないでしょうか。
ミケさん
腕が、突起物から五指まで進化する過程は、コピーミスというよりは、新しい塩基配列が作られていくことではと思うのですが、生体機能を腕にもたせる塩基配列を作っていくというのは、偶然の連鎖で簡単にはつくれないと思うのですが、そのあたりを具体的に教えてください。
それから、ミケさんは生物学に詳しいようですので、教えていただきたいのですが、トランスファーRNAとアミノ酸が正確な関係を築けているのはどうしてなのか、教えていただけないでしょうか。
yebisu500さん
この場合のパラメータの最適化とは、具体的に何を言っているのか、また、どこまで進むと考えておられるのか、教えていただけないでしょうか。
谷庵さん
進化論も創造論もどちらも縁のない世界の人間ですが、どちらも同じくらい疑問を持っていると言ったほうが正直な答え方かもしれません。
TTさんへ
信仰告白ならともかく、人間と動物の違いというのは生物学的には無意味です。
霊体とか客観的に判断できない事を述べてもここでは水掛論にしかなりません。
肉食を否定して菜食主義を主張する人にお伺いしたいのですが、
生物のなかには肉食動物もいますし、菜食でも植物を殺す事にならないでしょうか。
>現在家畜用のエサになっている穀物を人類に回せば、地球上の飢えの問題は直ちに解決する。
これはある程度同意しますが、本当にやったら経済が崩壊して戦争が勃発しもっと悲惨な世界にならないでしょうか。
ようさんへ(ほとんど余談ですが)
>昭和天皇はマッカーサーに自分の命と引き換えに「日本及び日本国民」を守ったのだ。
マッカーサーの回想録によれば会見の場で自らの戦争責任を認める発言をしていたそうですが、
それによって逆に訴追を免れその後40年以上生きて最後は病死だったんですけど。
>故に、日本国民はもとより、総理以下閣僚は万難を排して靖国参拝すべきが道理となる。
戦死者や遺族にはキリスト教徒もいるのですから次の総理には教会で礼拝もして欲しいですね。
>天皇と天皇の赤子の関係によって成立した明示移行の国家神道なかりせば、
>日本の近代化はこれほどの成果は見ていない事は、社会学的論理的帰結である。
仏教やキリスト教の影響も大きかったんじゃないでしょうかね。
しかもそれらを含めた他の宗教を弾圧してたのはスルーですか?
廃仏毀釈があそこまで浸透したことを思うと、そして戦後の日本人の行動もあわせて、
アニミズム・シャーマニズム・神道・仏教・儒教混交の日本人の心性からして、国家神道ではなくても、他の思想でも求心力を持ち得たと思いますけどね…まぁ完全なスレ違いなので、もう書きません。
>当団体はただ「真の日本史」を追求している。
「私及び当団体」はと書き直せば、wadjaさんは完璧だと指摘してるのだろう。
しかし、wadjaさんの「思想の前に、国語を勉強しましょう。」と言う忠告も単なる冷やかしであって何の意味も無い。
「高校生」の意見に同意する。たとえあのメモが真実だったとしても、昭和天皇はマッカーサーに自分の命と引き換えに「日本及び日本国民」を守ったのだ。その事を嘆願された昭和天皇とマッカーサーの間にはある種の信頼関係が生れている。同時に昭和天皇はマッカーサーに恩義をお感じになっている。至極当然の事。
英霊への思いと「恩義」の板ばさみと言う事だな。だから参拝出来ない、と。しかしそれは、昭和天皇ご自身の唯一のお立場である。一般国民はその立場にあらず。
故に、日本国民はもとより、総理以下閣僚は万難を排して靖国参拝すべきが道理となる。
なぜなら、「日本」とは「天皇」であるから。天皇と天皇の赤子の関係によって成立した明示移行の国家神道なかりせば、日本の近代化はこれほどの成果は見ていない事は、社会学的論理的帰結である。
余談はここまで。
仮説を立論するのは帰納法。すでに在る仮説(説明原理)で検証作業を行う事を演繹法と呼ぶ。
説明原理でも理論でも、立論の前は帰納。立論の後は演繹。
過剰な謙虚は、卑屈で攻撃的と感じられる事が多い。ご留意されよ。
下の投稿の
>時代順に並べると、だんだん原生種に似て来ているように見えます。
×原生種
○現生種
>新しい事象に出くわせば、「これって何?これってもしこうだったらこういう事なんじゃない?」ってやるでしょう。その次に「もしそれが正しければこうなるよね」と予測され検証される。OKなら次からもそれでやる(演繹)。(まず、始めにロゴスありでしょう 投稿者:よう 投稿日: 7月29日(土)08時47分14秒
あー、やっとある程度は具体的な仮説検証の例を聞かせて頂けた。
半分再掲(7/25のAH1の投稿)になるけれども。
>現生生物と良く似た化石が見つかっています。しかし、少し形質が違います。
>時代順に並べると、だんだん原生種に似て来ているように見えます。
>例えばウマや鳥。
>これは「全ての生物は今ある形で創造された。化石は洪水で逃げ遅れて死んだものだ」という教えと一致しません。(註1)よって新たな説明が必要となります。
>(註1) ウマの先祖は走るのが下手そうな奴から、鳥の先祖は飛ぶのが下手そうな奴から溺れたという説明は不可能ではない。しかしながら、層序学の研究結果は、それらの地層は極めて長い時間をかけて堆積したものであることを示しており、一度の洪水で形成されたとする考えを否定する。また、同時代に見つかる化石の中には逃げるのが上手そう/下手そうなものが含まれ、逃げ遅れた順序であると考えると理屈にあわなくなってくる。よって「逃げ遅れて溺れた」仮説は認めがたい。
これが「これって何?」の部分。よう 氏は「地球が平らだなんて今どきだれも言わない」と言っていたのだから、過去の説明が新たな発見やアイデアによって覆ることを否定していない筈。
>また、地理的に隔離された(しかし近傍の)場所で、わずかづつ異なる生物が見つかる事があります。
>カミサマが良く似た種をせっせとお造りになったと考えてもいいですが、既に良く知られた事実である品種>改良の例を援用して「共通の祖先を持っていたものが個別の形質を持った別の種に分かれた」と考えることもできます。
これは新たなアイデアを考えるにあたって参考となる「観察された事実」を挙げている。品種改良は「進化という概念がなくてもそれ自体が観察事実として存在する」ものだから、以前よう 氏が何度も言っていた「進化という概念を演繹した結果」ではあり得ない。
>そこで新たに仮定を置いて考えましょう。
>「生物は世代を重ねるごとに、違う形質に変わってゆく場合がある。その結果、やがては別の種になってしまう。これを生物の進化と呼ぶ。」
はい、「これってもしこうだったらこういう事なんじゃない?」をやりました。「進化は変化でしかない!」と何度も叫んでおられたが、それは進化という用語の定義の問題です。「単に落ちただけのことを自由落下と呼ぶな!」と叫んでも、内容自体は何も変わらないですから別にオッケーですね。
正確に言えば「自由落下」はきちんと定義されていますが、進化にしても「生物における変化の一部」ですから、やはり「進化」と呼んで区別することに意味はあるでしょう。これは昨日のミケさんの質問の根幹でもあるとAH1は考えてますし、2月半ばにもそういう議論があった。
>その次に「もしそれが正しければこうなるよね」と予測され検証される。
はい、まさにその通りなので、数々の観測結果をもって検証されています。例えば(何度もあがっているが)ガラパゴスフィンチの研究。もちろんダーウィンの調査ではなく(そもそも彼はガラパゴスフィンチの標本を随分と適当に採集・整理をしていたとも言われる)、グラント夫妻らの研究によるもの。
グッピーの捕食圧と体色の関係を調べた研究、島に移入されたトカゲの指の長さが枝の太さに対して最適化する方向に進化している事例、ガの工業暗化など枚挙に暇がありません。
勿論、「もし進化論のアイデアが間違っていたら」という検証もなされてますので、進化論者がデータのエエトコ取りしてるわけじゃありません。
で、ここ200年ほど検証されてますが、進化論を補強するデータが増える一方、根本的に否定するデータは一つも出てません。
よって、現在の所、進化論は「科学的に確からしい仮説」として採用されてます。
なお、現在の知見を援用して今新たに仮説を立てても良いならば(というか現代生物学では「進化」に対して最新の知見を含めて仮説にするが)、
・遺伝子の突然変異やその複製や発現過程といった遺伝学、発生学の知見(いずれも観察された事実であり、進化論がなくてもそれ自体は成立する)
・生物の生存と増殖に関する数々の個体群生態学の知見(ロトカ・ヴォルテラの式を始め数理モデル多数を含む・いずれも進化論がなくてもそれ自体は成立する)
・生物の形質とその生存価や繁殖成功についての行動生態学や動物行動学の知見(いずれも進化論がなくてもそれ自体は成立する)
などが利用できます。また、上記のいずれも進化論をサポートする研究結果を産んでいますが、進化論を覆す結果は得られていません。
>この文を読めば単なる右翼団体ではないことは明白ではないかと。
掲示板のテーマや話の流れと全然関係ない話をされる不快感は、街宣カーで無理やり軍歌を聞かされる不快感に等しいので、他の右翼団体と一緒なのは明白ですけど?
思想の前に、国語を勉強しましょう。途中で主語が変だよ。
私は「臨皇塾」代表の者である。
日経新聞に始まり、朝日・毎日・読売などのいわゆる「昭和天皇のA級戦犯合祀に対する不快感」なる
報道は実に愚劣極まりない。これは左翼マスコミによる明らかな靖国潰しである。
どこをどう読めばあの文章が「靖国のA級戦犯に対する不快感」なのであろうか。「不快感」という文は捏造である。
そもそも大東亜戦争において、天皇に最も忠を尽くし、そして最期まで天皇陛下を守り抜き処刑された東条に対して陛下が嫌悪感を抱いていたはずがないし、そんな文書も存在しない。
その上、あの文書の信憑性についても疑問がある。あの文章のなかの「私」が昭和天皇を指しているという根拠はない。
あの記事の後の世論調査によって、首相の終戦日の靖国参拝を支持する人々が減ってしまった。
あの記事の残した禍根はあまりに大きい。
誤解のないように言っておくが、私は高校生である。それゆえ他の政治結社のように過激な事はしない。
また、天皇陛下を熱烈に崇拝もしていない。ただ、他の高校生達よりは愛国心が強い。
思想が右寄りであり、左翼を嫌うという点で右翼と称しているだけのこと。
過激な国粋主義にも浸っていない。
当団体はただ「真の日本史」を追求している。
最期に、「臨皇塾」創始者の伊藤牟礼(1922-1982)の申言をひとつ。
「永草、天と地を解す者、真の國士となり臨皇にもなりうる」
この文を読めば単なる右翼団体ではないことは明白ではないかと。
>形式論理学に多様性なんか無い。ばかげた事だ。
>@同一律A矛盾律B排中律の3つだ。
ちょっと私の疑問をば、、、
排中律ってのは、AまたはAでないは常に真、あるいはトートロジーだってことでしょう?
記号で表すと、A∨notA=真。
(ここで「=」は同値ということにします)
で、矛盾律ってのは、A∧notA=偽。
この排中律から矛盾律を導けたら「3つだ」って大きな声で言えなくなる。2つでいいんだから。
排中律の否定をとると、、、
not(A∨notA)=not真。
真の否定は偽、左辺の括弧を開くと(有名なド・モルガンの法則を使う)、、、
notA∧not(notA)=偽
二重否定は肯定と同じことだから、、、
notA∧A=偽
∧の左右を入れ替えても同じだから、、、
A∧notA=偽
これは矛盾律です。
つまり排中律から矛盾律が導けたことになる。
矛盾律から排中律を導くのも同じようなもんだ。
ということは、矛盾律と排中律って同値ってことにならないんですかね?
それと、同一律ってのは、、、
A→A=真
ってことですよね?
「→」という推論規則は他の推論規則を使うことで表すことができる。
A→BというのはnotA∨Bと同値です(真理値を使って簡単に確かめられる)。
つまり、同一律は次のように表せる。
A→A=notA∨A
これって、排中律じゃないですか。
ということは、、、
>@同一律A矛盾律B排中律の3つだ。
って言っているけど、「1つだ」って言ってもいいことになるわけですか?
ほんまか?
>メビウスさん
さすがに科学哲学者の数だけ…は極端な例えかもしれませんが、アブダクションについては、日本語に訳す段階で定義があいまいになってるような印象はありますね。
>立論するには「帰納法」しかないの。
強弁されてもね。今のところwadjaにとっては、これは、ようさんの「意見」です。一意見w
wadjaは論理学は素人ですから、権威主義と取られても平気なので、有名なバースの方に一票を投じておきます(バースの本読んだ訳じゃないですけどね)。
>新しい事象に出くわせば、「これって何?これってもしこうだったらこういう事なんじゃない?」
これって帰納法なんですか?wadjaには仮説演繹そのものに見えるんですが。できたら違いを説明してくださいな。あ、できれば具体的な説明がいいな。wadjaは頭悪いんで、あんまり抽象化された議論だとついていけない。
>wadjaさんの進化論アブダクションは「進化現象」の何も説明していない。
微妙な言い回しですね。(1)「wadjaのアブダクションが間違いだ」とも、(2)「アブダクションによる立論は認められない」とも受取れます。はっきりして頂けるとありがたいんですけど。(1)なら間違いを具体的に指摘していただけると、更にありがたいな。
ところで(2)の場合、「何も説明していない」とのことですが、果たしてそうでしょうか?ギャラリー@勉強中さんの書き込みとも重なりますが、仮説演繹により検証を重ねることで、その仮説の蓋然性は高くなります。もちろん形式論理学的な「必要十分条件」が満たされている訳ではないので、いつまでたっても仮説は仮説のままです。「進化論以上に、より良く事象を説明する原理・法則があれば、いつでも進化論を捨てて構わない」などと言えるのは、そのことをよく分かっているからです。
自然科学の法則の大半は、蓋然性が高いという理由だけで採用されていることを、まだようさんは理解していないのでしょうか。ニュートンが万有引力の法則を発見した時、引力の仕組みを全て解明したとでも思っているのでしょうか?ケプラーの法則が、仮説演繹の方法によって立論されていることを、ようさんは否定するのでしょうか?
#トンデモなことを言い出す人々は、蓋然性の違いを理解できない、理解の努力をしない、あるいは意図的に無視します。彼らは時に蓋然性の高い仮説に対し、「それでも絶対とは言い切れない」と反論を試みます。考えてみれば当たり前の話で、自然科学はその殆どが斉一性(物理や化学の法則は一定である、時間の流れは一定である等)を暗黙の前提としているので、100%確実ってのは有り得ないのです。
>形式論理学に多様性なんか無い。ばかげた事だ。
>@同一律A矛盾律B排中律の3つだ。
論理学論理学というわりには、論理学にいろんな体系があることすら知らんのですね。
自然科学史上、重要な発見は数多くありますが、たとえば
1.18世紀、ラボアジエたちの酸素の発見(対フロギストン説)
2.19世紀、パスツールらによる細菌説の提唱(対自然発生説)
3.同、メンデルによる粒子遺伝の提唱(対混合遺伝説)
これらは、いずれも「おかしいぞ。〜の方がよりよく現象を説明できるのでは?」という新しい発想をもとに実験を繰り返し、得られた結論です。そしてそれが「生き残った」のは、のちの多くの検証に耐えて間違いないと認められ、さらに多数の人たちが発展させることで、より幅の広い現象が説明できるようになったからであり、新しい発想の時点で「帰納法的に立論」されていたからではありません。
(ちなみに自然科学上の新発見は、多数の科学者の観察や実験、思いつきを総合してなされることが多く、複数の科学者がほぼ同時に同様の説を提唱する、ということがよくあります。「機が熟した」わけですね。)
ダーウィンの生物の由来の説も、同じことです。
ようさんの形式論理学は、人の頭の中だけで完結できる世界であればいいのですが、自然科学では、そうはいかない。形式論理学をつくったアリストテレスが、自然の仕組みや現象について多くの誤解をし、間違いを犯していたのは何故だと思いますか? 考え方の筋道は正しかったにしても(ここは重要な点ですが)、観察や実験の方法に限界があったからです。たとえば顕微鏡もない時代に、細胞の詳細など知りようもない。冒頭の例にしても、アリストテレスは何も知らなかった。ニュートンが「先人の肩に乗る」と表現したように(実は別人が言ったようですが)、科学は、段階を踏み、時間をかけて確かなものになっていきます。その方法は、形式論理学とは異なる世界に属するのではないでしょうか。
> それが出来なければ次は「帰納」(観察事実の分類分析によって、当りをつけ、「仮定→推論→結論」)で説明原理を求める。それが出来なければ次は「アブダクション」(とりあえず一番よさそうな、矛盾の無い説明を推論する)
やっぱり帰納=>アブダクションって感じだと思うけど。
まあ自分への整理を込めて、
ようさんは、帰納(広義)=アブダクションとする考え。まあ仮定を置くところが同じ、違いは所謂驚くべき事実に対して矛盾の少ない仮定のちと知恵があるところかな。
それに大して、皆さんはアブダクション=仮説演繹法なのかな?
わじゃさんの言ったとおりの一部の人の、アブダクションの発想の部分だけ抜き出せば、ようさんとなんら争点はなくなる。
なんで対立した議論になっているのかさっぱり分からない。
仮説演繹法すべてをセットで考えなければ、アブダクション=仮説演繹法と言う側の人達は納得しないと言う事かな。
進化論をまず無視して考えてみるとそんなにようさんの言ってる事いかれているとは思えない。
後帰納法が、(観察事実の分類分析によって、当りをつけ、「仮定→推論→結論」)こういうものなのかがいまいち分からない。
本当に良く分からない。ROMだけだとこれがつらい。
> 正直にレスしておきましょう(本当に自己レスならごめんなさい)。
あれれ、自己レスと言うのは自己完結と言う意味なのかな。単に自分の前発言にレスをつけただけで、教えてもらえるのは大歓迎です。
> 人によっては、アブダクションを仮説演繹そのものとして使っていますし、アブダクションを仮説演繹の第一段階にすぎないとする人も居るのです。「アブダクション」でググッてみると、すぐに分かります。
発想法って奴ですね。私としては分離したほうがアブダクションの自由度が増して良いとは思います。ただ別に拘るほどの事は無いですね。後は結局ようさんが何が言いたいか分かり難いので、混乱しているところがあります。その前段階の部分を教えていただき有難うございました。一つだけ前に進んだ気がします。
> ようさんの発言のことであれば、分からないのはみんな一緒かもしれないw
それなら安心しました。ただ対話になっていたので皆理解してるのかと思い込んでいました。なにやら哲学的な対話の不思議ですね。理解せずとも前に進む奇妙といえば奇妙です。
「人と動物の違い」については、ここを読んでみて下さい。
http://www5a.biglobe.ne.jp/%7Espk/essece-doubtu.htm
>科学哲学者の数だけ形式論理学の手順がある
>アブダクションを仮説演繹の第一段階にすぎないとする人も居るのです。
随分たわけた事を仰る。帰納法も演繹法も数学的論理的なんですよ!決め事がちゃんとあるの、全く価値相対主義にどっぷり浸かってると、何がどうなってるのか判らなくなるようだね。
言葉にもきちんと文法が在って、それを守っていなければ「意味」が判らない。冷静に考え直す事を進める。破綻している。あなた方の思考もしくは文章の論理性が。
wadjaさんの引用先の文章をお借りします。
>哲学者パース(Peirce, C.S.)は, 人間の推論は演繹(deduction), 帰納(induction), アブダクション(abduction)の三種類に分類できると主張した.
これは、パースの「意見」です。一意見。
新しい説明を求めたい出来事に対した時に、まず「演繹」(既存の一般的な説明原理が使用可能であれば)出来るのかどうかを考える。それが出来なければ次は「帰納」(観察事実の分類分析によって、当りをつけ、「仮定→推論→結論」)で説明原理を求める。それが出来なければ次は「アブダクション」(とりあえず一番よさそうな、矛盾の無い説明を推論する)
こういう風に人間は考えるであろう、との意見。お判りか。
wadjaさんの進化論アブダクションは「進化現象」の何も説明していない。論理的に存在しない「進化原理」を在るものとして「演繹」しているに過ぎないの。
立論するには「帰納法」しかないの。新しい事象に出くわせば、「これって何?これってもしこうだったらこういう事なんじゃない?」ってやるでしょう。その次に「もしそれが正しければこうなるよね」と予測され検証される。OKなら次からもそれでやる(演繹)。
形式論理学に多様性なんか無い。ばかげた事だ。
@同一律A矛盾律B排中律の3つだ。数式と同じで厳格なんだ。A=Bと表せば、Aは紛れも無くBなんだよ。AはBである・AはBではない、両方「真」である事もないし、両方「偽」である事もない。さらに両方のどちらか以外には無く、その中間もない。
必要十分条件、対偶、集合論などはこのアリストテレスの形式論理学に集約されているのだ。
さて、メビウスさん、「知的満足感が得られますか?」・・・余計なお世話だ。科学的論理的な議論である。他人の心の内面の自由を尊重せよ。
wadjaさん& All
>人によっては、アブダクションを仮説演繹そのものとして使っていますし、アブダクションを仮説演繹の第一段階にすぎないとする人も居るのです。「アブダクション」でググッてみると、すぐに分かります。>>
科学哲学者の数だけ形式論理学の手順があるということですね。これからどんなに進化論の証拠を示してもようさんは、
説明の時の用語の順番の後先に難癖をつけて、
「その順番だと帰納法になっていないと何度言わせるのか」
「進化論は帰納法による立論はなされていないのだね」
と一言だけで反論を済ませることができます。
内容そのものが進化論の証拠としてふさわしいかどうかについて、ようさんは何も発言しなくてもいいのです。
ただ単に「それはまだ帰納法による立論がすんでいないではないか」など、論理構成の順番に一言文句を言えば反論したことになります。
仮にこれでみんなを沈黙させることができたとして、果たしてようさんは何を得ることができるのだろう。
>アブダクションは仮説演繹法ではない?
正直にレスしておきましょう(本当に自己レスならごめんなさい)。所詮ネットで集めた知識なんで、wadjaも明確には区別してません。
人によっては、アブダクションを仮説演繹そのものとして使っていますし、アブダクションを仮説演繹の第一段階にすぎないとする人も居るのです。「アブダクション」でググッてみると、すぐに分かります。
>うーんやっぱり最初の方が分からないから今でも分からん。
ようさんの発言のことであれば、分からないのはみんな一緒かもしれないw
何か分からなくなってきた。
一応読んでいたのだが、さっぱり分からなくなってきた。
ただ進化論は帰納法ではない。進化論は仮説演繹法だ。で、アブダクションは仮説演繹法ではない?
うーんやっぱり最初の方が分からないから今でも分からん。
こんな感じかと思います。
何がなんだかさっぱり分からん。
う〜ん、せめてニホンゴの用法を間違えたことくらいは認められないんですかねぇ。
収束 → 発散
議論がボワァっとなっていく(曖昧になっていく)のは
収束じゃなくて発散だよ。
ま、↑はどーでもいいんで答えてくれなくて結構。
以降気をつければいいんじゃない?
で、今回もとりあえず質問に答えておきましょう。
答えることのできないよう さんのみじめさを際立たせちゃってごめんね。
だけど簡単すぎて答えられるんだもん。
>「変化」は生物学内と外ではどう違うんだ。
違いませんよ。どっちも「変わる」って意味。
ただ生物の「変化」は二種類に分けられるってこと。
受精卵から胎児ができあがるのも「変化」だし、
トレーニングによってムキムキになるのも「変化」
(生物の反応としての変化)
マラリアの深刻な地域で、鎌型赤血球遺伝子をもつヒトが増えるのも「変化」
ハトの品種改良によって仙骨の数まで変わってしまったりするのも「変化」
(世代を減る変化)
上記の違い、分かりますか?分かりませんか?
それとも分かりたくない?(笑)
>進化論の立論よりも俺への冷笑が大事か? 誠に嘆かわしい。
2006年04月01日 2時22分 にも同じことを言いましたが、
嘲笑されるのがくやしかったら勉強してくればぁ?
きちんと勉強してきて、正しい知識に基づいて「ここはおかしい」って言うんなら
皆きちんとあなたの声に耳を傾け、真摯に対応すると思いますよ。
っていうか、今でも十分真摯だけどね。
質問には答えてるし、よう さんの土俵に立って立論してあげているしね。
>専門家の間では通用しても、一般社会では無理だ。
うわぁ、、、、、
それじゃあ大学とか学会とか研究機関なんていらないですね。
ギャグで言ってるにしても少々シュールすぎて笑えませんですよ(w。
>生物学の発展を阻んでいるのは他ならぬお前さんたちだと思うよ、俺は。
よう さんは、
遺伝子発現のしくみも突然変異のメカニズムも知りませんでしたよね(2006年04月27日 1時22分、2006年04月29日19時09分 )
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060430.html
そのうえ「植物学の分類では植物を木本と草本に分けている」なんて言っちゃいましたね(2006年06月30日 7時09分)
ああ、↑と同じ投稿で、
『種』が生物学用語であることすら知らなかったってことも露呈していますね。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060630.html
そんなヒトが『生物学の発展』とはねぇ。
生物学の発展とか言うヒトは、たいてい生物学を勉強してるはずなんですけど。
#笑うなって言われても、これだけ可笑しなこと言われたら笑う以外にないんですよねぇ。
まあ、ほら、笑われて悔しい思いをするのも、いい機会と捉えればいいじゃないですか。
学校出てから生物学を学ぶ機会なんてフツーそうそうないですから。
生物学は楽しい学問ですよ。勉強してみれば?(←純粋に親切心から言ってます)
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。