このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
前方後円墳さんの疑問はどちらも基本的には、『化石標本はとっても珍しい』ことの反映と考えられています。
まずひとつに、生物の死骸が化石になるのはごくごくまれな現象です。また、地面に埋まっている化石が、掘り出しやすい形で露頭に見つかるのもごくごくまれな現象です。以上の二重の理由によって、化石というのは本来とても見つかりにくいものなのです。よって、中間形態の化石はそもそも見つかりにくいものだと考えられています。
上記の仮説の強力な傍証として、「新たな化石が発見されて化石記録が豊富になるに
連れ、中間形態の化石が次々見つかって、ミッシングリンクは埋まって言っている」という観察事実が挙げられます。鳥とその祖先種、クジラとその祖先種など、近年になるほど化石記録が増えてミッシングリンクが現在進行形で埋まって言っている実例が多数存在しています。
>>カクレクマノミ氏
始めましてm(__)m
返答ありがとうございます。種の起源は遠い昔に一回読んだきりで、かなり
曖昧に記憶しているので、再度読んでみましょう。お勧め本と共に。
化石については了解。
>>CABIN氏
>環境に有利な種のみが生き残るのではなく、環境に不利な形質を持っていない種が生き残る
これを誤解してましたil||li orz il||l
>>カクレカマノミ氏
Aについては、誤解してました。環境に有利な種のみが生き延びると誤解してました。
その町に八百屋は一軒しかなくなるという風に誤解してましたね。
駄目だ、読み直そう。話はそれからだ>>自分。
ご両名、有難うございました。
遺伝子を肯定して、生物進化を否定する創造論は矛盾だらけ。
http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/s0020.htm
遺伝子は、設計図の一つの文であり、たくさんの遺伝子が集まって生物はできあがります。
現在の進化論とは、この遺伝子についての議論だといってもよいほど、進化論の中心です。
返信書いてる間にもっと詳しい説明が。
実はドーキンス読んでない事がばれたw
まっ、良いやwカクレクマノミさんに感謝をw
俺の呼び方は煙草でも良いですよw
まぁ、置いといて。
アブダクションについて。
アブダクション自体がかなり広義に解釈される概念なので、厳密に分けられないようですね(種の概念のように)。
まぁ、普通、帰納法と言って、アブダクションを指す事は無いでしょう。
犬と言って、必ずしもセントバーナードを指さないのと同様に。
進化論の疑問@について
中間種自体の化石が発見されにくいらしいです。このHPのトップにも書いてありますw
Aについて
俺が下手な説明をするより、中立説で検索してみるのが良いかと。疑問の答えがゴロゴロ出てきます(まぁ、放っておいても常連さんが解説してくれそうですがw
これだけでは何なので、この説を簡単に説明すると、環境に有利な種のみが生き残るのではなく、環境に不利な形質を持っていない種が生き残る、という説らしいです。
クラス進化論について
二番手と三番手の優秀な遺伝子を交配させて、一番手より優秀になる時、二番手と三番手の遺伝子を交配させ、一番手よりも優秀になる確率が、果たして、従来の自然淘汰とどれほどの違いがあるのか、良く解りません。
そもそも、これってメチャメチャ長いスパンが必要じゃなかったか?とか思いました。
まぁ、常連さんなら、もうちょい多面的且つ具体的に批判できるか。と丸投げしようw
>緩やかに進化が進んでいるのであれば、中間の化石がダカダカ出てきてもよさそうな物なのに何故に始祖鳥くらいしか発見されないの?
始祖鳥のような高次分類群レベルの中間型なら、いくらでもあります。例えば、クジラでは陸上哺乳類がだんだんと後肢を失っていき、水中環境へ進出していく様を化石で見ることができます。爬虫類と鳥類の中間型なら、始祖鳥だけでなく非常に多数の化石が最近見つかっています。少し前にここで話題になっていたように、哺乳類と爬虫類の中間化石も見つかっています。魚類と両生類の中間化石もあります。列挙すればキリがないくらい、高次分類群の移行形態は山ほど見つかっています。
>緩やかに進化が進んでいるのであれば、中間の化石がダカダカ出てきてもよさそうな物なのに何故に始祖鳥くらいしか発見されないの?
「緩やか」という言葉は、あくまで僕らの直感的時間感覚でのお話だから。地質学的な時間スケール、つまり化石で検出できる時間スケールでいうと、進化はごく一瞬のうちに起こり、ほとんどの期間は安定しているんです。
>環境に有利な固体が生き延びるなら、今ほど多様性がなくなるのでは?似た環境で、その環境に優位な固体が生き延びるならその地域に存在する郡は極端に言えば一種類になっててしまいしませんか?
ある小さな町に、2軒の八百屋があったとしたら、どうなるでしょう?多分、どちらかがつぶれて、優位なほうが生き残るでしょう。では、ある小さな町に、1軒の八百屋と1軒の魚屋があったとしたら、どうでしょう?おそらく、2軒とも存続するでしょう。
それと同じです。
で、はっきり言いますが、進化論をそこそこわかった人にとっては、こんなのは基本のきのkぐらいのものです。何か入門書を1冊(例えばドーキンス「盲目の時計職人」、ジンマー「『進化』大全」、ダーウィン著リーキー編「新版図説種の起源」など)読まれることをお勧めします。
>>CABIN氏
有難うございます。
微妙ですねぇ。私の認識で正しかったような、別なリンクでは広義では帰納法に
入ると書かれていたりと…。
いづれにしても狭義の意味では帰納法に入らないようですが、広義って範囲的に
どこまで何だろう?とかw
あっ、面倒だと思うので、私の事は古墳とか何とか適当略して呼んで下さいw
話は変わりますが>>皆さんへ
私は進化論を支持してますが、ダーウィンの進化論には疑問があります。
多分、正しくダーウィンの進化論を私が理解出来てないせいだと思いますが、
疑問が2つありまして、
@緩やかに進化が進んでいるのであれば、中間の化石がダカダカ出てきても
よさそうな物なのに何故に始祖鳥くらいしか発見されないの?
キリンの首のような、ミッシングリングが今だに疑問です。
A環境に有利な固体が生き延びるなら、今ほど多様性がなくなるのでは?
似た環境で、その環境に優位な固体が生き延びるならその地域に存在する
郡は極端に言えば一種類になっててしまいしませんか?
以上の2点でして、だから小さな進化はダーウィンの進化論で正しいと思われ
ますが、何かもっと劇的な大きな進化が一足飛びであったんではないの?と。
そんな事を漠然と思ってましたら、クラス進化論と言う説を見かけたので、
読んでみた所、今のところ上記の疑問が解消されダーウィンの進化論とも矛盾が
ないように思えましたので、個人的には良しと判断してますが、他の方々はどう
判断しているのか興味があります。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/
(貼っときますので興味のある方はご覧下さい)
又、否と判断した場合、上記の疑問はダーウィンの進化論で解消できるのでしょうか?
どなたか返答が頂ければ有りがたいなと思いますm(__)m
>>ご本人によると「数学的帰納法は帰納法に含まれるが、
>>私の言う帰納法ではない」とのことでした。
俺の言うように、
>数学的帰納法に基づいていないので、立論されていない
とは言って無いですね。この発言は撤回し、お詫びします。m(_ _)m
>前方後円墳さん
その理解で正しいかと。
リンクはっときます。
http://homepage2.nifty.com/yarudea/abduction.html
このリンクの一部を引用↓。
>1. Abductionとは「仮設導出」である。
>2. 仮説演繹法(仮説・演繹・証明)の第一過程である。
>3. 帰納・演繹の特殊形態(手抜き)である。
>4. 非論理的発想であり、創造的思考でもある。
>5. Abductionには様々の発達段階がある。
ようさんは帰納法と数学的帰納法をごっちゃにしちゃうほど、概念を広義にしちゃう方ですから、あんまり鵜呑みにしない方が良いかとw
>>CABIN氏
こんばんわm(__)m
唐突ですが質問です。アブダクションは帰納法には入らないのですか?
私は今まで、>abduction(仮想発想)−
↑と
↓は一緒に使われる比率が多いが実質別物だと思ってまして(汗)
>deduction(仮想からの演繹)− induction(帰納、実験による正当化)
恥ずかしながら、今まで帰納法で得た仮説が演繹法のスタートに、演繹法で
導いた真が帰納法のスタートになるような、二つで一つのような関係ではあっても、
実質演繹法・帰納法と別であるように、アブダクションも別なんだろうと思い込んで
まして…il||li orz il||l
要は、アブダクションだけでは不十分で、役に立たないので仮説演繹法として
下2つが漏れなくついてくるって考えてたんですが、
>の三段階に区別した。
↑とあるので、三つの流れで一つの法と言う意味なのだなと(今日)学びまして
っで、広義では帰納法とされるのではないのですか?帰納法ではないのですか?
>科学哲学を知ってもなお、そのご意見ですか?なんともはや・・・。
wadjaは科学哲学知りませんけど?素人向けの入門書なら読んだことありますが、とても怖くて「知った」なんていうつもりはありません。そんなこと言った日にゃ、ここの常連さんにぼこぼこにされる((;゚Д゚)ガクガクブルブル
とりあえず感想をありがとう。でももう少し具体的になにがどう「なんともはや」なのか教えていくれると助かります。今後の参考にさせてもらいますので。
>進化論の活用とは一体なんです?
医学の分野でも、食品の分野でも普通に使われていると思いますが?あ、他の人も既に言ってますね。でもそれ以上に大事なのは、沢山の科学者達が進化論から得られる知見や予測に基づいて研究していても、解決できない矛盾にぶつからないってことですけどね。
>ゴミ箱へ捨ててしまいなさい。
それはミケさんに対して失礼でしょ。ようさんの為に作ったのに。ちゃんと駄目なところを指摘してあげないと。まさか「できない」なんてことはないんでしょ?
>あなた方、余裕こいてる場合じゃないんだよ。
あらそう?別に進化論がひっくりかえっても、wadjaは別に困りませんが?むしろ、そんな新理論が出てくるならわくわくしますね。新しいもの勉強する機会が増えるし。なんだったら、ようさんが進化学会に殴りこみでもかけてくれませんか?「進化論は最初から存在していない!」って。うまく行けば、歴史に名前が残りますよ。
>膨大なデータ、数多の推論、気が遠くなるほどの検証作業・・・
これが「科学」か?
感想はわかりました。できたらでいいですから、「これが「科学」か?」に続けて何が科学なのか教えてよ。量子論でもどれだけの検証作業をやってることか…。もちろんそれを踏まえての話なんですよね?
>ようさんの言う仮定条件とか立論って、「数学的帰納法」の話なんですか?…
(ギャラリー@勉強中さま)[7月 2日(日)19時07分]
>ご本人によると「数学的帰納法は帰納法に含まれるが、
>私の言う帰納法ではない」とのことでした。
(wadjaさま)[7月 2日(日)23時11分]
ご本人が、つぎのように、はっきり述べているので、
これが、「ようさんの言う帰納法」なんだと思います。
(わたしは、これを見て、失笑しちゃったけどね...)
[NATROMさん 投稿者:よう 投稿日: 6月19日(月)12時54分17秒]
http://6609.teacup.com/natrom/bbs?OF=400&BD=3&CH=5
(現在21ページ)
>帰納法を別の言い方で表すと、特称命題の証明を
>全称命題の証明の如く扱う、ともいえますよ。
>どなたかの例を拝借すれば、「私の見たカラスは黒い」と言う特称命題を
>「全て(だいたいの)のカラスは黒い(だろう)」と言う
>全称命題(のように)に置き換える事です。
そうそう、ようさまは、「数学的帰納法」を帰納法の一種だと思い込んで、
自分は帰納法と演繹法がわかっていると言わんばかりに、
いばり散らしている姿は、爆笑ものですね...
ようさま
>>とても不快な気分に、相手をさせたという意識が、
>ようさまには、ぜんぜんないようですね。)
>お互い様なんだよ。[6月28日(水)02時38分]
「お互い様」って、なんのことかな...?
おぞけを感じさせる、セクハラ発言をやらかしたのは、
ようさま、おひとりですよ。
>新聞情報とは言わば「伝聞」です、「ウラ」を取る必要があります。
>何度も言いますが。生物学会こぞって「進化」は当たり前の原理だとして
>その仮説を演繹してるんですよ。[7月 1日(土)16時11分]
それなら、新聞情報や生物学会は、
どこがどうおかしいのか、はっきり示しなさいよ。
(「ウラ」があるのなら、それを指摘できるはずですよね...?)
「生物学会はこぞって当たり前の原理だとしている」とか、
「マスメディアを妄信できない」とか、言うだけなら簡単です。
たいせつなのは、それを証明することです。
そういえば、エントロピーはどうなったのかな...?
(これもちっとも、言わなくなっちゃったけれど。)
論点がずれていってますなw
最初、ようさんは、進化論は帰納法的に立論されていない、と主張し、次に、数学的帰納法に基づいていないので、立論されていない、と言い、今はアブダクションですか?
アブダクションは、帰納法ではありませんし、聖書は、アブダクションによって立論されいるのですか?
まぁ、答えなくても良いですけどw(俺のみ故意に無視しているしwやはり、トンでも黄金パターンをなぞっているw
専用のスレッドを立ち上げました。今後はこちらでお願いいたします。
ここならいくら連投しても大丈夫です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1152189412/
>科学をなめるな! 投稿者:よう 投稿日: 7月 6日(木)19時11分8秒
>膨大なデータ、数多の推論、気が遠くなるほどの検証作業・・・
>これが「科学」か?
そう、科学だよ。
前からアブダクションの話で気になっていたのですが、検索してもでてこない言葉でレトロダクションと言うのがあります。知っている人解説教えてください。
アブダクションでこのHPが面白かったです。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0508.html
今になってみると思い込みだったのかな?と思うのですが、私は帰納法について、
太郎君が死んだ。次郎君も死んだ。三郎君も死んだ。よって人間は死ぬ。
こういうものかと思っていました。
対してアブダクションは、
部屋の中で太郎君が死んだ。次郎君もその部屋で健康状態で入ってきたのに死んだ。三郎君はチューブを部屋の中から引き込んで息をしていたら死んだ。よって”その部屋の空気によって死んだ”のではないだろうか?と仮説を立てた。
これは何か違うと思うのですが、その根本はやはり経験則から来る辺りが帰納法と言う発想の発展形なのかも?と思いなおしました。根本的な所ではアブダクションも帰納法の派生では無いかと思うのです。
> 帰納と演繹を理解されたのなら喜ばしい事です。
洗脳されて無い、ちと考える事がありまして今日結論が出て、不勉強だとしようと思いました。言いたい事は山ほどあるのですがまとまりきらない。いっそ不勉強だと割り切れば納得できました。
それでですが、ようさんは広義として帰納法について考える立場だとすると急に狭義から立場で論を立て欲しくないなと思って、一言忠告を入れました。まあ結構この話楽しみにしてるんですよ。アブダクション、帰納法、演繹法って分類が自分の中で当たり前だった為、今はもっと帰納法について考えなくてはいけないなと思いました。
またこの流れに加わるかもしれません。ただ科学を舐めているは自分に向けられているのだと思ったのは、この掲示板でそう思われていると思っているためです。自分の様な不勉強なものがちと絡んでしまって不味かったかと思います。謙虚でもないんでも無いですよ。
私は狭義の立場の帰納法で考えたいのですが、それさえ良く知らないじゃ無いかと思いました。皆さんの話を見る中で理解が深まると幸いです。
>>よう氏へ
証明したいこと A (←状況証拠でAが犯人)
仮定 非A (←Aが犯人ではないとしたら(仮説形成した部分))
仮定からの結論 非Aを軸とした立言
結論 非Aは偽。ゆえに、Aが真。
っと、A(ある仮説)の妥当性を導く方法が背理法ですよね?
>いずれにせよ、「仮説形成」の為には帰納法を用います
用いてないかと…。証明したい事に対し、非となる仮定を示すだけですから、
帰納法を用いた仮説は、証明したい事Aになるかと思います。
いづれにしても、証明法の一つであり例題としては些か不明瞭だと考えますね。
>>ギャラリー@勉強中氏
始めましてm(__)m
そして、すみません。大変解りやすいので事後承諾で申し訳ないですが引用させて
下さいm(__)m
>これをabduction(仮想発想)
↑この部分だけを私は帰納法的仮説だろうと解釈してましたね(汗)
ですので、この部分だけですと、とても一般原理(立論)とは言えないので
帰納法と言うには不適切ではないのか?と言う見解でした。
>− deduction(仮想からの演繹)− induction(帰納、実験による正当化)の三段階に区別した。
↑っで、よう氏はこの部分を含めて考えていらっしゃったと言う事で宜しいですか?
そして、これは一般的に帰納法と表現した時に含まれる部分なんでしょうか?
だとしたら、私は帰納法を随分と理解出来てなかったので、トンチンカンな質問を
していましたね…(汗汗)
私は大雑把に書くと帰納法とは特殊な事実や命題(観察事実)から一般原理(妥当な仮説)
を導く方法。
演繹法は逆にある法則(一般原理)に乗っ取って、特殊な事柄や命題を導きだす方法。
と理解してた物ですから。仮説からスタートして真を導くのなら演繹法ではないのか?
と考えておりました。
※ギャラリー@勉強中氏へ
有難うございました。目から鱗状態でした。とても勉強になりましたm(__)m
※よう氏へ
一々、私の事を前方後円墳と書くのはとても面倒だと思いますので、古墳とか何とか
適当に省略して呼んで下さいw
ダーウィンが自分の仮説を立論するにあたっては、実はその材料(データ)はすでに揃っていました。自然神学の論文集にもいっぱい。ヨーロッパの博物学の伝統ですね。…ただ、そのアイデアを思いつくだけで良かった。そしてそれがパラダイム・シフトをもたらしました。
さて、もう一度問います。ようさんが信じる「聖書=一般的説明原理」は、ナチュラルヒストリーを、その膨大な事実を、どう説明するのでしょうか。それが「科学」なんですか?
【abduction(仮想発想)− deduction(仮想からの演繹)− induction(帰納、実験による正当化)の三段階に区別した。(中略)それは一般に、<ある事象Bは不可解である。しかしもしAならばBなりとすれば、Bは不可解ではない。したがってAは真であろう>という形式をとるものである】
我田引水と言うのだ。「A」が私の言うところの「立論」の事である。権威に頼るのは情けないが、パースは進化論を支持しない。
>うだうださん
貴方の事ではありません。貴方はデータ、検証などと言っていない。
帰納と演繹を理解されたのなら喜ばしい事です。
私はド素人ですよ。私なら科学を舐めるな!はい舐めていますです。
膨大なデータ、数多の推論、気が遠くなるほどの検証作業・・・
これが「科学」か?
しかも、「私は思う」?いい加減にしてくれ。文学でもやるが良い。
トンデモは言葉の狭義の意味と広義の意味を明示せずに使い分けて煙に巻く議論を展開する。
これ私の自身の経験上、トンデモと言うより議論馬鹿を見てきた私の経験。私の場合無自覚の天才ですけどね。
アブダクションについて調べている時にこんなHPがありました。
http://homepage2.nifty.com/yarudea/abnitsuite.html
専門家のHPで無い為、ちと信用でき内面がありますが、やはりアブダクションはジャンプ的論理があるのではと思います。どうしてそうつながるの??って感じのものです。
まあようさんと同じ立場に立つ説明もあります。
http://ship.nime.ac.jp/~ohnishi/pub/TL02/node1.html
○帰納は演繹と並ぶ基本的な推論様式であり、日常的な思考の場面においても、科学的な場面においても使用される。帰納の定義は研究領域によりかなり異なる。狭義には、AとBから A→Bを導出する推論であるが、広義には非演繹的な推論のすべてであり、類推やアブダクションも含められる。
要するに広義で捉える立場と狭義捉える立場があるのかと思います。
ようさんこれで良いですか?
どうもギャラリーさん、私はようさんとミケさん、いらはいさんのどこに違いがあるのかと考えていたのですが、
> ダーウィンは事実の観測にもとづいて「生存闘争−自然淘汰」という仮想発想を思いつき、
どうやらここだと気が付きました。
ようさんはこの部分が帰納法によって導かれると言う主張のようです。だったらアブダクションって言葉は第3の方法と大袈裟に言う方が馬鹿だと思うのですけど。バースは馬鹿なのかどうかこれから見て行きます。それともバース以後帰納法が拡張されたかもしれません。
> 極めて真っ当な感想である、と申し上げます。洗脳されていないから「理解できない」のでしょう、きっと。
いや、私が理解力が低くて勉強不足だからでしょう。これですっきりします。朝いった事は無かった事にします。
「(前略)パースは科学的認識の過程を経験的な事実の観測にもとづく理性的な探求の過程と解し、これをabduction(仮想発想)− deduction(仮想からの演繹)− induction(帰納、実験による正当化)の三段階に区別した。(中略)それは一般に、<ある事象Bは不可解である。しかしもしAならばBなりとすれば、Bは不可解ではない。したがってAは真であろう>という形式をとるものである」(平凡社 哲学辞典より)
私はこれを読んだとき、進化論そのものじゃないか、と思ったんです。
ダーウィンは事実の観測にもとづいて「生存闘争−自然淘汰」という仮想発想を思いつき、
「もし私の仮説が事実なら、過去に生存した種と現在の種は異なっているはずだ」など数多くの推論をおこない、一つ一つ検討を加え(データが多いから、結構みんな飽きる)、「だから進化論は正しいのでは」という結論を導きました。(もちろんダーウィン後もinductionは続く)―というぐあいに。
>犯人探しで、状況証拠的にはAが容疑者である、と言う証明を「もしAが犯人で無いとするならば」(背理法)とやるのが仮定条件です。
?
携帯で流し読み状態なので、改めて夜に書きますが背理法は、
ある仮定条件の妥当性をを証明する方法の一つでしかなく、新たな仮定条件を
導く為に用いる手法(帰納法)では無いですよ。
例題で言えば、Aさんが犯人だ。とする仮定条件が妥当であるか無いかは
証明出来ますが、妥当性に関わらず「Aさんが犯人では無い」と言う仮定条件の証明にはなりませんから。
ですので、状況証拠から「Aさんは犯人だ。」と言う一般原理(仮説)を導いたのは帰納法ですが、
「Aさんが犯人では無いとするならば」は帰納法的仮定条件とは言えないと考えます。
「類縁の種類がある料理法で食べられるんだからこれも同じ料理法でおいしく食べられる筈だ」というのを大学時代の恩師が実演してたなぁ。
と、質問に答えない人の質問に答えてみる。
>あなた方、余裕こいてる場合じゃないんだよ。ここまで来てなおその態度、段々嫌悪すら感じてきましたね。
ミジンコくんにも「危機感」があるらしい。これは大きな進展だ。
だが例のごとく決定的に間違っている。ミジンコくんは進化論のあらゆる点に対してほんの少しも有効な反論を述べていない。だから余裕こいてミジンコくんを無視して構わない。
ここまで来て、嫌悪されて然るべきなのが自分自身だということさえ分からない脳の持ち主に、これだけの善意が寄せられていることこそ「奇跡」だよね。
>進化論の活用とは一体なんです?宗教的な意味以外で
バイオテクノロジー(遺伝子工学)
代表的なのは医療・農業・工業
種は自然状態で変化しうると言う学説と変化のメカニズムの”応用”は
殆どの産業、そして私達の暮らしそのものに密接に結び付いています。
進化論の応用技術であるバイオテクノロジーのお世話になっている人間は人類全体の3/4より多いでしょう。
従って論理的に考えるなら…めんどくさいので以下略
>wadjaさん
科学哲学を知ってもなお、そのご意見ですか?なんともはや・・・。量子論はすでに半導体で活用済みでしょう、進化論の活用とは一体なんです?宗教的な意味以外で。
厳密な論理性とは何です?実証主義の事?
帰納法なんて厳密性からは程遠いんですよ、むかしMが言っていたように。それすら通らない進化論は、もう完全にアウト。お判りですか?
あなた方、余裕こいてる場合じゃないんだよ。ここまで来てなおその態度、段々嫌悪すら感じてきましたね。
>ミケさん
力作だけどね、何度も引用する貴方の文章。ゴミ箱へ捨ててしまいなさい。嘘でも美しい文章なら保存する意味もあるが。
>前方後円墳さん
>アブダクションって、仮説演繹法の事ですよね?
違います。帰納は帰納、演繹は演繹。
アナロジー、(枚挙的)帰納法はそのような理解で宜しいと思います。
アブダクションと言うのは、やはり「仮定条件」が肝要です。例えば、よく犯人探しで、状況証拠的にはAが容疑者である、と言う証明を「もしAが犯人で無いとするならば」(背理法)とやるのが仮定条件です。
いずれにせよ、「仮説形成」の為には帰納法を用います。一端帰納法によって、矛盾無く証明されれば、説明原理となりますから、他の現象に当てはめてみます。(検証)
説明原理が成立した仮説を検証するのが演繹法です。(仮説演繹)
A容疑者が自白でもすれば、新しい証拠は「Aがやったとするならば・・」となってAの容疑は益々固まります。しかし、論理矛盾が生れるようであれば、もう一度帰納法的にやり直しになります。それで上記のように背理法的に帰納推理すると、Aは犯人ではないとなるか、或いは「調書」に新しい情報が記され、Aの犯行の妥当性が高まる、と言う訳です。
私は目的も無いのに人を騙す事に抵抗があるから、つい漏らしてしまう。
だが、私が嫌われるのはそれによってだらだらと長文を書き込むからかと思っている。
ただようさんが利用できると思ったのは事実。だが読めないって思ったから作戦変更したのも事実。後ちょっと何か後ろめたさがあったから本音吐露しています。私は読まれている作戦は面白くないのだ。
ちなみに私はわざとこの話をしています。きっと盛り上がるだろ思ってる愉快犯です。私は何もしませんよ。そういう状態が理想なのです。見てるだけー。
おそらく本音読まれているから無視されていると思ってる。
私は自分の手を使わずに人を利用するのが大好きだ。と見抜かれているだろうと思ってる。んだが私は同時にまず隗より始めよも好きなわけだが。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/profile.html
私が再三謝罪を要求されている事としてこれがあります。
○まず一番念頭に置いたのは、進化論を学びつつある子どもたちです。もし日本人の子どもが進化論と創造論について疑問に思ったとき、インターネットを利用するかもしれません。日本語では「創造論は科学的だ。進化論は間違いだ。」というページしかないということになれば、進化について学ぶ機会を奪われたことになります。ささやかなページではありますが、子供たちが何が正しいのか学ぶ助けになれば幸いです。
これが洗脳だと思っています。ただ洗脳ではなく教育だとなるでしょう。ただ私はNATROMさんの裏に早い時期に刷り込まなくては、馬鹿になると言う考えがあるだろうと見ています。
私はこれ肯定派です。ただ、こっそりなら本音教えてよって思ってるんですよ。
------------------------------------------
「前提」:トンデモはトンデモな発想をする専門知識が無い
「推論」:知識がすくないから、まともに返答できない。それでも反論だけしたいから、反論できる箇所を探す。その為どんな些細な事でも良いから相手の文章の問題点を探す。それは些細な日本語のミスが多い。またミスとは言えないこともある。文法上ですべて言語が解決できると思っている馬鹿がトンデモには多い。
「結論」:トンデモは日本語がおかしいと揚げ足取りする傾向がある。
------------------------------------------
これ最後に結論を実証する結果が無いのです。傾向ってのは実はちょっと曖昧で逃げかな?って思っていたのですが、ようさんの言い方だとやはり不味いかもしれませんね。後推論の部分に実証データが必要になる部分が多々あります。必然ではないです。
前提は書いたとおり経験則からもたらされるひらめきで書きました。この前提は専門知識に対して有識者が質問すればすぐ分かりますね。この時点で演繹的な流れになるかもしれません。
後は結論を実証する人物の存在。
残りはここですね。「それでも反論だけしたいから、反論できる箇所を探す。」まずこの欲求の有無について、次にそういう欲求は反論したいって欲求が根本じゃない可能性があるから、反論箇所を探す行動に移るとは限らない。
「またミスとは言えないこともある。」後はこの箇所は例外について、本人だけはミスだと思っている誤読も良くあるのです。
「文法上ですべて言語が解決できると思っている馬鹿がトンデモには多い。」この推論の最大の問題ですが、べつの仮定条件も入れている点です。ただこれは誤読の原因について考えてみた結果です。これは論理に置き換えてもいけるかもしれません。ただし、文章がおかしいというのは論理より文法の方が解決として望ましいです。論理は話が広がるだけです。ただ文法では面白みは無いですけど。
ようはこうだとは言ってませんよ。単にアブダクションだと最初勘違いして立てた話です。
> 多分ようさんの求める立論の形式はダーウィンなり誰なりの考え方の順序ではなく、
あくまでようさんが認める形式ということなのだと思います。
なるほどそう言う事ですか。
> 「観察事実」「仮定条件」「推論」「結論」といった各項目の順序にあまり意味は無く、項目に分けることに意味があるのかな、と。
これは整理できて面白いですよ。ただ「仮定条件」ってのが確かにアブダクションですよね。アブダクションが帰納法だと言う立場に立てばこれは必須でしょう。私はアブダクションとして最初捉えていたのですが、どうやら違うらしいと気が付きました。
> 仮定条件に関係なく、推論で初めて使う観察事実についても、とりあえずは最初に観察事実として書いておいて、「推論」の項でそれに言及すれば良いのではないかと。
ここなんですよね。ただ理解は出来ました。確かに必然として演繹的に導かれる自明の様な流れは理想でしょうね。実は私はようさんにはっとさせられました。そうする方向性ってのは望ましいでしょうね。何もスタート(立論出来ない)できないって弊害が出ない限り。ただ現実は皆さんのおっしゃるとおりかと。
> それと、ようさんの形式では「観察事実」が「仮定条件」に含まれるような気がします。
なるほど、えらく長く続いている話で終わりかと思うのですが、ちと今からまた流れを見ますか。
アブダクション
http://www.qm.mach.mie-u.ac.jp/kenkyuu/abuda1.htm
> パスツールは,外部から,物が腐る原因がやってくると推論し,実験をし,この推論を確かめました.帰納法派は,この実験を,Kill Experimentと呼び,帰納的成果のように称えますが,近年,発見の理論負荷性も明らかにされており,この例は,アブダクション的であると考えるのが妥当でしょう.
ここで重要なのが、最初に物腐る事に対する観察をしますよね。物が腐る事は事実です。それに大して仮定条件を立てます。最後に実験してるでしょ。だから観察事実はむしろ後に繰るのでは?と思うのです。結局ようさんがアブダクションを出してきた事で、それなら私にも理解できるとして、私最初に指摘したミケさんの話は問題ない推論ですよって事で、しかもようさんにも問題が無いと分かりました。
これは反論されるかもしれませんけど。私的には反論されると問題が無いとしか言えないから困るものですけど。
>>よう氏へ
すこません、横文字に弱いので日本語で対応させて頂きます。
アブダクションって、仮説演繹法の事ですよね?帰納法・演繹法の特殊形態(?)
ぶっちゃけて書けば手抜きジージョンとも言えるような。
演繹法や帰納法の前段階と言うか、下準備と言うか…
例えば、三毛猫とトラ猫は似てるからきっと魚が好きでネズミを追っかけるだろう。
と言ったような大雑把な仮説(?)であり、私の感覚で申し訳ないですが、
仮説演繹法とは発見・思い付きのような物で、証明の為の仮定条件と言うには
あまりに粗末であり、帰納法としては不明瞭だと考えます。
アナロジーは類推の事ですよね?類推ならば、たとえ話の範疇であり、仮説演繹法
同様に現在はあまり正しい推論方法として採用されてないと記憶してます。
例えば、三毛猫は縞模様の猫で犬が苦手だから、同じ縞模様で猫であるトラ猫も
きっと犬が苦手だろう。みたいな仮説の立て方ですよね?
(すみません、類推と違う場合はアナロジーを説明願います)
帰納法とは、先の猫で言えば「Aの猫はネズミを追っかけて魚が好きで犬が苦手」
「Bの猫はネズミを追っかけて魚が好きで犬が苦手」「Cの猫は・・・・」と沢山の観察事実
から、全ての猫は魚が好きでネズミを追いかけて犬が苦手である。という法則が立論され、
さらにその法則に乗っ取った観察事実が増える事によって正当性が増すと定義されて
いると記憶してます。つまり、観察事実ありきですね。
ただし、この先「Dの猫は魚が嫌いでネズミに興味がなく、犬が好き」と言う観察
事実が確認される可能性がある事から、必ずしも正しい法則であると言い切れません。
そこで、演繹法で証明していくという手順に繋がる。と言う流れがありますので、
仮定条件からスタートするのであれば、一般的にそれは演繹法と呼ばれる物ではない
のかな?と考えます。
↓の投稿はよう さん宛です。
できないからって怒るのはよくないですねぇ。
えらそうにヒトに「やってみろ」というからには、自分はできるはずでしょ?
ミケはあなたの要求どおりに立論してて、それでも納得しないようだから、
「とりあえず見本を見せて」ということのどこがすり替えなんんだろう?
まさか、自分にできないことを要求してたのかな?それなら逆切れにも説明がつくね。
とまあ、冗談はさておいて、
『立論』のお話。
7月 5日(水)03時30分2秒の投稿が誤読だってのは既にいらはい さんから指摘されていますね。
さらに付け加えるなら、これは単に多段階になってるだけ。
(よう さんも、論理論理と言うのならこの程度で混乱しないでもらいたいものです)
立論1.
生物は変化しうる。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/5
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/39
立論2.
立論1を前提条件として、
生物には共通祖先を持つものがいる。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/107
観察事実1.
共通祖先を持つ生物同士は、入れ子状の類似構造に納まる。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/81の後半部分。
えめ さんの投稿(7月 5日(水)14時16分56秒)も参照。
観察事実2.
全ての生物は、入れ子状の分類体系に納まる。
立論3.
立論2と観察事実1・観察事実2から論理的に導かれる結論として、
全ての生物は共通祖先を持つ。
Q.E.D.
アブダクションは、サイエンスの手続きそのものですよね。
ようさんが、自分の都合と気分でしかものを言ってない人だと、よくわかりました。
駄目だよ、もう少し人生を楽しむ余裕を持たなきゃ。
>謝罪の件は何のことか覚えていない。
あ、そうですか。5/20のようさんの発言に、既にwadjaの質問に対する回答があったというだけのことです。気にせんで下さい。
>貴方はミケさんの文章で納得なのか?
もともとダーウィンが共通祖先というアイディアに至った道筋としては十分です。ようさんが要求する論理学的な厳密さとは違うみたいですけどね。
>一度仮定条件を置いたならば、その後の導かれる推論は必然であり、結論は断定的に表現されるべきものです。
この辺り、必ずしも現代の科学の作法とは一致しないと思います。ミケさんの挙げた量子論は言うに及ばず、ようさんの好きな社会科学でも、因果関係の厳密な証明を要求されたら、なにも立論できないんじゃないの?
論理学的な厳密性を求めると、確かにダーウィンの提唱した進化論に含まれる「共通祖先」は証明できないと思います。事実、科学哲学の観点からは、「共通原因の原理」の課題として、進化論の「共通祖先」が議論のテーマとなることもあるようです。
しかしそこまで論理的な整合性を厳密に求めると、科学全般で仮説検定なんて統計的手法も使えなくなってしまう。この辺りが、全知全能では無い人間の限界ですな。
りつ‐ろん【立論】
[名](スル)論の趣旨や筋道を組み立てること。また、その論。「資料に基づいて―する」(大辞泉)
りつろん0 【立論】
(名)
スル
議論の要旨・筋道などを組み立てること。また、その議論。(大辞林)
進化論はようさんの生まれるず〜っと前から立論されています。
そればかりか多くの証拠が提示されていて疑う余地は今のところありません。
進化論が存在しないのではなく、ようさんが知らないだけです。
いや、知ろうともしないだけと言うべきでしょう。何冊も文献があるのですから。
ようさんに対し進化論を認めろとは決して言いません。
しかし進化論の正確な知識だけは身につけて欲しいのです。
その上で進化論を否定するなら科学という土俵で相撲を取ろうと言っているのです。
# この掲示板じゃなかったらとっくの昔にアク禁になっているだろうな。
「アブダクション」の説明をお願いします。
改めて、ようさんが認めている「聖書の演繹(一般的説明原理)」による、「観察された事象(生物の多様性・適応等)」の説明を、お願いします。
>えめさん
>進化と言う現象そのものを否定する程の特徴が発見された例
(例えばヒト−サルよりヒト−サルノコシカケのほうが分岐的に近しいとか)
を知りません。
立論されなければ、本来進化論は存在しないんです。存在しないものの否定材料が存在しますか?
>ミケさん
問題をすり返るなよ。少々怒りがこみ上げてきましたね。もう対話は無理じゃないか?
>いらはいさん
貴方も「よう式帰納法」とかが存在していると?真剣にそう思うのなら論外だし、私を論理学をそして科学を貶めている不届きな者として扱いますよ。
カラスのくだりに関しては、枚挙的帰納法と言って、幾つかの特称命題(カラスが黒い)と言う事を全称命題として捉える、と言うやり方です。進化論はこのやり方はできないんですよ、「決定的な証拠」は何一つ無いのだから。
>前方後円墳さん
仰る意味は判ります。帰納法には、3つありますよ。仮定条件をつける「アブダクション」「枚挙的帰納法」「アナロジー」と。検索してください、詳しく知りたいのなら。
>量子論は「現象」からスタートしてる訳だ。
と書いてあるのに
>量子論は、「量子の存在」を"仮定条件”に帰納法的に証明できるし、
仮定条件になるのが解らない。現象からスタートしていると書いてるのに…。
だから、帰納法で証明できるし、帰納法で証明できたから演繹法でも証明できる
と言う事でしょう。
仮定条件とは「もし〜(とする)ならば」と言う事ですから、どうやって帰納法で
証明できるのか?
よう氏独自の帰納法があるのではなく、よう氏が仰っているのは演繹法の事では
無いかと推測。
量子論は難しいかもしれないので、ズバリ帰納法ど真ん中、百匹のカラスが黒いことから全てのカラスが黒いことを導く帰納法を観察事実・仮定条件・推論・結論の形式に従って立論してほしい。
このときの「仮定条件」っていったいなんだろう。
何度かこの形式に従ってものを書いたけど、これが帰納法だとはどうしても思えない。
>進化論は「観察された事象」からスタートしてる訳だ。キリスト教会の説明はまず始めに
>「聖書ありき」であったために、「論争」が起こったのだね、ご存知のように。(AH1さん)
「聖書の演繹(一般的説明原理)」による「観察された事象」の説明は、当然ペイリーの自然神学とおんなじなんだろうな。生物の多様性や適応は神の御業…
多分ようさんの求める立論の形式はダーウィンなり誰なりの考え方の順序ではなく、
あくまでようさんが認める形式ということなのだと思います。
「観察事実」「仮定条件」「推論」「結論」といった各項目の順序にあまり意味は無く、項目に分けることに意味があるのかな、と。
仮定条件に関係なく、推論で初めて使う観察事実についても、とりあえずは最初に観察事実として書いておいて、「推論」の項でそれに言及すれば良いのではないかと。
それと、ようさんの形式では「観察事実」が「仮定条件」に含まれるような気がします。
皆さん、これは『よう 式帰納法』の具体例を見せていただけるチャンスかと。
さて、よう さん、
>量子論は、「量子の存在」を"仮定条件”に帰納法的に証明できる
とのことですので、ここでやってみせてもらえませんか?
それと同じように進化論でもやってみせますから。
> ミケさんの書いたことを表現を変えて書いたつもりなのですが、私の誤読もあるかもしれません。
推論の部分は
共通祖先から分かれたもの同士=共通の性質が残っている=類似度で括っていくと階層型(入れ子状)になる
というのを別の書き方で書いたつもりです。
私も可能性が引っかかったんですけど、それ以外は観察事実をどこに据えるかって事で順序が違うでしょ。私実はようさんが、何故観察事実を仮定条件の前に置きたがるのか良く分からないのです。帰納推論へのこだわりがそれなのかと思っています。
> 「現存する生き物や他の化石と共通する性質を持つ化石が多数見つかっている。」というのは文字通り、ある化石に現存する生き物と共通する骨格や形態が見られたり、他の化石と共通する骨格や形態が見られたりする、ということです。
もう一つ引っかかったのはこれですね。意味が分からなかったのですが理解できました。大体こうじゃ無いかと思っていたのですが、ごちゃごちゃしていて勘違いしそうだったのでいちいち聞きました。わざわざ手間を取らせてしまい申し訳ありません。確認を取りたかったのは、みけさんの’ある生物と別の生物の共通祖先と見られる化石も多数発見されているので’この部分と似ていると思ったからです。ただやはり聞いてみて微妙に違うのかと思います。共通の祖先と見られる化石=共通する性質を持つ化石と見て良いのか考えてしまってお聞きしました。いらはいさんの言い回しの方がマイルドになっていると感じました。後分からなかった部分は、「現存の生物と化石」と「化石と化石」を比較していたのですね。
進化論は「観察された事象」からスタートしてる訳だ。キリスト教会の説明はまず始めに「聖書ありき」であったために、「論争」が起こったのだね、ご存知のように。
>貴方が言うように「新しい事実」によって「種類分別」が変る、と言う事は最初のステップからまた新しくやり直せ、と言う事です。お判りですか?
種分岐と言われる特徴(ノード)についての評価が変わると言うだけです。
共通の特徴が多い種同士は近しいと言う原則は変わりません。
前にも書きましたがノードは化石や骨格などの解剖学的特長、習性だけでなく、同一遺伝子上の差異など様々なデータから比較検討されて推定される訳ですが、新たな化石の発見などで今まで原始的な特性と思われていた形質が実は二次的に顕れた差に過ぎなかった事が解ったり、遺伝的に近しいと言う事実から分岐が見直される訳です。
しかし自分の知っている限り、進化と言う現象そのものを否定する程の特徴が発見された例
(例えばヒト−サルよりヒト−サルノコシカケのほうが分岐的に近しいとか)
を知りません。この「観察された事実」をご理解いただけますか?
まぁレスの本来の目的である入れ子構造云々について理解していただけたとは思われるので良かったかなと独り言を。
> 極めて真っ当な感想である、と申し上げます。洗脳されていないから「理解できない」のでしょう、きっと。
以前別の人に進化論に毒されているみたいな言い方をされた覚えがありますね。私は学修と言うのは、洗脳の様な部分があるだろうと思います。子供の頃をターゲットにこのサイトでは進化論を教えるべしみたいでしょ。それは洗脳の効果があると思うんですよ。教育ってのはそういうもんでしょ。私もNATROMさんと同じ立場ですけどね。
それは置いておいて、私自身は理解したいんですけどね。
では別の書き方をしてみます。
えめさんの説明されたベン図と系統図の関係を使ってみました。これはかなり論理的でしょう。
また推論・結論で使っていた「可能性」を仮定条件の妥当性に置き換えてみました。
「観察事実」;化石で発見されたものも含めた全ての生物は性質の類似度で括っていくと入れ子状のベン図に納まる。
「仮定条件」;生物は自然選択により累積的に変化する。それ以外の変化は無い。ベン図に分類するとき参照される性質の違いは遺伝子の違いを正確に反映している。
「推論」;生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく。即ち入れ子状のベン図から作った系統図は生物の分化を反映したものになる。
「結論」;全ての生物は入れ子状のベン図に納まるので分化を反映した系統図は全ての生物が共通祖先を持つようなものになる。
この結論にケチをつけるなら、
分類法が遺伝子の変化をちゃんと反映していないと言うか、あるいは自然選択と無関係な生物の変化を見つけるか、累積的でない生物の変化を挙げるかして仮定にケチをつけるれば良いのではないでしょうか。
観察事実にケチをつける方法もあります。
ついでに、検索していたらこんな物を見つけました。
http://www.tmd.ac.jp/artsci/biol/textbiodiv/Chapt9.doc
今はマトリックスから分岐図を作るのが一般的なのでしょうか。
>量子論は「現象」からスタートしてる訳だ。量子論以前の物理学はまず始めに「理論ありき」であったために、「論争」が起こったのだね、ご存知のように
逆でしょう。アインシュタイン以前の古典物理学は、先に現象ありきで、その現象を説明する為に、理論を構築している。
っていうか、なんで先に理論ありきだった為に、論争が起こる事になるのか?
先に現象ありきでも、論争は起こるでしょう。
>量子論がそうだから、進化論もOK、と言うのは少々無理がある。無理があるが、「現象」を過剰に重きを置き過ぎて理論が疎かになったという事だろうね、進化生物学者は。
どこがどういった点で無理があるかを説明せずに、「少々無理がある」と言われても・・・
現象より先に理論が構築されたからといって、それが理論の正しさを示す何らかの指標にはならないでしょう。
何か、割り振りがあるんですかね? 現象50 理論50 みたいなw
>量子論は、「量子の存在」を"仮定条件”に帰納法的に証明できるし、事実その理論でコンピュータなどに応用されて「枚挙的帰納法」的にも証明されているのだね。
量子の存在が仮定条件?帰納法的に証明できる??
量子は観察事実であって、仮定条件では無いし、仮定条件であるならば、帰納法的に証明できませんよ?
帰納法って何か知ってますか?
>それと対応するような出来事は進化論の側には無い。
そんなのは、どんな理論のどんな側面にもありませんよ。論理的に間違ってるんだから・・・
ミケさんの書いたことを表現を変えて書いたつもりなのですが、私の誤読もあるかもしれません。
推論の部分は
共通祖先から分かれたもの同士=共通の性質が残っている=類似度で括っていくと階層型(入れ子状)になる
というのを別の書き方で書いたつもりです。
「現存する生き物や他の化石と共通する性質を持つ化石が多数見つかっている。」というのは文字通り、ある化石に現存する生き物と共通する骨格や形態が見られたり、他の化石と共通する骨格や形態が見られたりする、ということです。
量子論は「現象」からスタートしてる訳だ。量子論以前の物理学はまず始めに「理論ありき」であったために、「論争」が起こったのだね、ご存知のように。
量子論がそうだから、進化論もOK、と言うのは少々無理がある。無理があるが、「現象」を過剰に重きを置き過ぎて理論が疎かになったという事だろうね、進化生物学者は。
量子論は、「量子の存在」を"仮定条件”に帰納法的に証明できるし、事実その理論でコンピュータなどに応用されて「枚挙的帰納法」的にも証明されているのだね。
それと対応するような出来事は進化論の側には無い。
>命題文章中に「可能性の高さ」などと挟み込む余地など無いのです。
かつてご自分で紹介した「量子論」の中身を知らないんですかね?
「量子論」は『電子の位置は確率的にしか知ることができない』と言ってるんですが。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060408.html
2006年04月04日23時52分 を参照のこと
>いらはいさん
誤読であるなら、「誤読」と指摘するが宜しい。しかも「また誤読」とは何事か。
いたずらに他人の感情を逆撫でするものではない。陰湿な中傷としか思えないがね。今後は論理的な対話を要求する。
論理と言うのは文章や命題を数学のように書き表す行為であります。数学以外の学問分野では、数学のように数値で表す事が困難である為に、近代では帰納法を持ちいれられてきたのです。
ゆえに、帰納法の立論も命題は数学的に、つまり論理的に書き表さ無くてはならない。
あくまでも帰納法の立論(証明)は「正しいかもしれない」と言う事であります。
帰納法的証明が妥当性と言う範囲を超えないのは、「もしこうだとするならば」という仮定条件が事実に裏打ちされたものではなくてもOKだからです。
しかしながら、一度仮定条件を置いたならば、その後の導かれる推論は必然であり、結論は断定的に表現されるべきものです。命題文章中に「可能性の高さ」などと挟み込む余地など無いのです。これが論理のルールであり、厳しさでありますゆえに、科学的学問は「客観性」で成り立ちます。好き嫌いは別にしてです。
>えめさん
【新しい発見があったり、何を重要視するかによって基準が変わる為に通りすがりさんの>いまだに分類体系はころころ変わったりしてます。と言う現象が出てくるわけです。】
今現在、進化生物学は進化論を仮説として演繹しているのだ、と言う主張です。しかし、演繹法と言うのは、説明原理が「真」であるのなら、検証結果も「真」になります。つまり、全ての検証は進化論を裏付ける訳です、論理的に。
進化論は元々「観察事実(経験的事実)」から出発しているはずです、なぜなら近代科学の手法のいろはですから。観察事実と言うのは、それぞれの事象に何らかの関連性を見出している事に他なりません。ゆえに種類分別されている訳です。ここまでの作業が「観察事実」と言うステップです。
貴方が言うように「新しい事実」によって「種類分別」が変る、と言う事は最初のステップからまた新しくやり直せ、と言う事です。お判りですか?
演繹法証明に於いても、新しい発見があった場合に説明原理と不具合を生ずるならば、もう一度帰納法によって「新しい仮定条件」を立てなければなりません。
大変面倒な作業ですが、これが科学的手法というものです。ぜひご理解を頂きたいと存じます。
>うだうださん
>さっぱり分からん
極めて真っ当な感想である、と申し上げます。洗脳されていないから「理解できない」のでしょう、きっと。
> 現存する生き物や他の化石と共通する性質を持つ化石が多数見つかっている。
この文章の意味が分かりません。どう分からないのか説明出来ない為、答えようが無いならスルーしてくれると助かります。化石と現存の生き物がごちゃごちゃになってて整理できません。
ミケさんの
【「前提」;生物が自然選択により累積的に変化するならば
「推論」;生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく(生殖隔離の成立と適応放散によって)。共通祖先から分かれたもの同士には共通の性質が残っている可能性が高く、類似度で括っていくと階層型(入れ子状)になる。さらに、共通祖先の化石も発見されるだろう。
「結論」;全ての生物は入れ子状の分類体系に納まり、ある生物と別の生物の共通祖先と見られる化石も多数発見されているので全ての生物は共通の祖先を持つ。】
いらはいさんの
「観察事実」;全ての生物は性質の類似度で括っていくと入れ子状の分類体系に納まる。現存する生き物や他の化石と共通する性質を持つ化石が多数見つかっている。
「仮定条件」;生物は自然選択により累積的に変化する。
「推論」;生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく。即ち共通する性質をもって入れ子でくくれる現存する生物は共通先祖を持つ可能性が高く、
もし化石が入れ子にくくれた場合は共通祖先である可能性が高い。
「結論」;全ての生物は入れ子状の分類体系に納まるので全ての生物は共通の祖先を持つ可能性が高い。発見された多数の化石も入れ子にくくれるので共通祖先の化石である可能性が高い。
全然違う文章だよね。どうすれば両者の推論が近づくのかさっぱり分からない。ようさんは分かりますか?
ただいらはいさんの文章なら何も悩まないな。
おそらく、ようさんは進化というと分岐図(系統図、昔の一般向けの図鑑にある樹のようなイメージ)が強く頭に刷り込まれてしまっている為にベン図による表現である”入れ子状”が理解出来ないんじゃあないかと思われます。
系統図(樹形)とベン図(円の重なり)が同じであると言う事を簡単なモデル図で示したので参考にして下さい。
どうでしょう。普通に理解できますよね。
ところで枝分かれの分岐点(ノードと言いますが)の論拠(どの特徴がより原始的と言えるのか)は様々な観察事実=骨や器官など解剖学的な特徴や、遺伝子(同一遺伝子上にある塩基の相違) などから推定される訳ですが、新しい発見があったり、何を重要視するかによって基準が変わる為に
通りすがりさんの
>いまだに分類体系はころころ変わったりしてます。
と言う現象が出てくるわけです。
通りすがりさんが言っているのは、何がどう分岐して行ったと推定されるか、言わば”進化の道筋”についての探求は今も精力的に続けられていると言う事実であり、ころころ変わるから進化なんていい加減な話だと言う意味では決してありませんよ。
良い子のみんな、わかりましたか?
また誤読してませんか?
ミケさんの書いたものから化石に関する部分を抜いたとしても
【生物が自然選択により累積的に変化するならば、(中略)全ての生物は入れ子状の分類体系に納まる。】
は間違いで
【生物が自然選択により累積的に変化するならば、(中略)全ての生物は入れ子状の分類体系に納まるので共通の祖先を持つ。】
が正解でしょう。循環論についてもまた間違っていると思いますが。
あと、
「生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく」から「入れ子状」は必然的に出てくるんですよ。
デンドログラムやクラドグラムと階層構造は対応してますから。
ところで、ようさんの要求を全て飲んだ上で、この書き方だと、誤解のしようがないかな?
「観察事実」;全ての生物は性質の類似度で括っていくと入れ子状の分類体系に納まる。現存する生き物や他の化石と共通する性質を持つ化石が多数見つかっている。
「仮定条件」;生物は自然選択により累積的に変化する。
「推論」;生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく。即ち共通する性質をもって入れ子でくくれる現存する生物は共通先祖を持つ可能性が高く、
もし化石が入れ子にくくれた場合は共通祖先である可能性が高い。
「結論」;全ての生物は入れ子状の分類体系に納まるので全ての生物は共通の祖先を持つ可能性が高い。発見された多数の化石も入れ子にくくれるので共通祖先の化石である可能性が高い。
>貴方も判らない人だね。「共通の祖先」も「進化」も「種」も言っているのは進化論支持者だろう?
「種」や「属」の定義をしたのはリンネだと言われてます。リンネは進化論支持者だったのですか。
>因みに論理学では「類」に対しての下位概念が「種」である。人類→人種と言うように。
初耳です。そのように書いてある論理学の本を紹介して下さい。
>故に近代科学、近代国家は西洋のプロテスタントの地域で勃興、隆盛したんだよ。
>ようさんのいう「プロテスタントの地域」とは何処を指すのですか。
>>あの当時の地図を持ってこないと。今の近代国家形成後の地図ではなんとも・・・。
今の地名でも当時の地名でもどちらでもかまいせんので教えてください。
ついでにプロテスタントの地域で勃興した初期の近代国家の例を上げてください。
>【生物が自然選択により累積的に変化するならば、少しずつ異なる集団に分かれてゆく。共通祖先から分かれたもの同士には共通の性質が残っている可能性が高く、類似度で括っていくと階層型(入れ子状)になる。全ての生物は入れ子状の分類体系に納まる。】
>と言う訳の判らない文章になる。
普通に理解できますが。
最近の分類体系は入れ子で表記したりしますよ。
>更に「分類体系」と言うのは観察事実である。
観測事実じゃないです。個々の生物種の特徴が観測事実なのであって、分類体系はそこから導かれる結論です。
いまだに分類体系はころころ変わったりしてます。
有髯動物は多毛類に吸収されそうだし。
「仮定条件」→「推論」→「結論」
この間に「観察事実」による確認は行わないと言う事なのかと思います。後推論を組み立てる為、事実を基にして組み立てると思います。その時すでに推論に使用した観察事実は事実と明記すれば問題ない推論になると思います。
私としてミケさんははっしょっただけで大きな問題があったとは思えないのですけど。ただ帰納推理に限ってと言う事なら私は良く分からないのでその点はようさんの言う通りなのかもしれません。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。