このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
To diamonds8888xさん
この議論(なの?)では、原文を常に提示しないと話題が拡散して思わぬところにいってしまう、と思いますよ。
『彼らの言う科学論で、私が進化論をどこからどう考えても論理的に立論は無理だ。』
上記は、読みやすく分かりやすい文章でしょうか。そうであるなら、私の指摘は間違いです。
読みづらいのは
「彼らの云う科学論は不完全なので、私がそれを用いて論理的な立論をするのは無理」
であるのか、
「私の知的能力では、彼らの云う科学論を用いての立論は無理」
であるのか、判読不能である点です。(読者の好意に委ねている)
diamonds8888xさんは、好意的翻訳作業に慣れているのだ、と思います。また、通常は、他者の文を読解するときに、好意的かつ一意的に文章を読み解くことが推奨されるでしょう。しかし現状のように、誤読や誤読にもとづく誤った推論や主張が入り乱れているとき、間違いなく一意的に読み取れる文章と、そうではない文章というものの「区別」は、あって然るべき、と私は考えます。
これは、diamonds8888xさんの挙げた例文、
『ニュートンの理論で、私がウラシマ効果をどこからどう考えても立論は無理だ。』
にも、当てはまります。
上記は
「ニュートンの理論は不完全なので、これを用いて私がウラシマ効果を立論するのは無理」
なのか
「私の知的能力では、ニュートンの理論を用いて、ウラシマ効果を立論するのは、どこからどう考えても無
理」
で、あるのか、解釈には「一意的」とは云えない「幅」が存在しています。
これらの悪意的あるいは好意的な解釈(バイアスに支配される)に揺れる原因は、文の後段、
『私がウラシマ効果をどこからどう考えても立論は無理だ』
の気持ち悪さ(語呂の悪さやてにをはの不適切さ)に由来します。これは単純に、第一主語「私が」を省略することで解消されます。
>故に近代科学、近代国家は西洋のプロテスタントの地域で勃興、隆盛したんだよ。
キリスト教が科学の誕生に重要な役割を果たしたという主張はよく聞くのですが、
プロテスタントに限定したのは初耳ですな。そのことの正否はとりあえず置いといて、
ようさんのいう「プロテスタントの地域」とは何処を指すのですか。
ガリレオのいたイタリアはカトリックのお膝元。フランスもカトリック。
イギリス国教会は教義的にはカトリックと大差なく、プロテスタント地域とは到底いえません。
ドイツはプロテスタントの地域に入れてもいいと思いますが、科学の創生期に
重要な事件が起きたという記憶が私にはありません。
ようさんのいうプロテスタントの地域が具体的に何処を指していて、
そこでどのような科学史上の重大事件が起きたか教えてください。
>あくまで「生物学内」に留まるのだね。生物学ではこれは「別種」と呼ぶのかね(笑)。
>「一般的説明原理」はお判りか?生物学内説明原理だね、貴方のは。
あれ〜??
だから最初に、「あなたの言う定義での種」で答えてあげるって言ったのにね。
忘れちゃったのかな?
出してごらんよ、
そしたらその定義における種A→種Bへの観察事例を挙げてあげるからさ。
>その前に
>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/484
>で、生物の「種」なんてものの絶対的な定義なんてないとミケは言っていて、
>よう さんはそれに全然まるっきり反論できなかったわけです。
>(6月18日(日)01時01分40秒の投稿参照)
>で、「種」の定義がイロイロあるのなら定義によってはいろんな種A→種Bの変化
>(カタチだけ変わる、交尾前生殖隔離が生じる、交尾後生殖隔離が生じる)
>を挙げることができてしまって、あまりにもこちらに都合が良すぎる。
>可哀相だからあえて『よう さんの定義する種』に合わせて話を進めてあげようというわけ。
(6月25日(日)02時28分19秒)
追記:
っていうか、生物学用語でない「種」って一体何なのか、ミケには検討もつかないです。
どうか生物学の外に通用するという、よう さんの種概念を教えてくださいな(笑)
参考までにYahoo辞書から引用
**********以下引用(強調部分は引用者)**********
2 生物分類学上の基本単位。属の下位。共通する形態的特徴をもち、他の個体群との形態の不連続性、交配および生殖質の合体の不能、地理的分布の相違などによって区別できる個体群。種を細分するときは亜種・変種・品種を用いる。
**********以上引用(強調部分は引用者)**********
初めまして。町田と申します。
よう氏の書き込みの問題点は、この種の論にはよくあることですが、
さすがに見かねたので少々指摘します。
>契約の概念、平等意識、利益の追求
契約の概念にしろ利益の追求にしろ、非キリスト教世界で先に進展しております。
キリスト教徒は教義と関係なくすでに存在していた概念を用いただけでしょう。
平等意識について言えば、プロテスタント社会においても奴隷や女性差別、
人種差別が根強く残っていた点を考慮すると、無理のある持ち上げようですね。
>余談U
中国では紀元前から植物を「草」と「木」に分けています。
草本植物と木本植物の区別なんてわざわざ特筆するほどの点でしょうか。
私は聖書の科学的記述の程度を蔑むジョークかと思いました。
>ミケさん
あくまで「生物学内」に留まるのだね。生物学ではこれは「別種」と呼ぶのかね(笑)。
「一般的説明原理」はお判りか?生物学内説明原理だね、貴方のは。もう付き合いきれないよ。ご苦労様でした。
>メビウスさん
こういう話に興味があるのならM・ヴェーバーを読むべきだ。解説本としては小室直樹がベスト。宗教学的分類ではカトリックとプロテスタントの教義は違うのだよ。カトリックは仏教・ユダヤ教・イスラム教と同じく「因果律」だ。戒律を守ればすなわち天国(救済)というわけ。プロテスタントのそれは「予定説」。戒律と救済は関係ない。
ザーッと流れだけ。宗教改革後〜教会によるサクラメントからの開放による不安感〜天職観念の芽生え〜(神の下の)平等概念の芽生え〜天職ゆえの「世俗内(行動的)禁欲」・・・頑張っちゃう〜結果として儲かる・・・利益は隣人愛の具現化となる〜近代資本主義を誕生させる。
政治体制としては、中世の「教会・諸侯領主・農奴」と言う関係が宗教改革で崩れる〜領主でも農奴でも儲けるやつが出て来る〜市民階級中産階級の芽生え〜諸侯領主が力を持って王政を布くようになる(国軍の誕生)〜絶対王政〜国民国家の形成〜帝国主義〜民主主義・・とこんな感じだ。
近代国家の条件は、近代法・民主主義・資本主義である。契約の概念、平等意識、利益の追求の正当化、どれもプロテスタント発なのだよ。その中になぜ日本が、との疑問。極めて重要な質問!キリスト教の代わりを天皇神道(儒教・仏教混合の)が果たしたのだ。このことを教えてくれる先生は殆どいない。平泉澄と山本七平、小室直樹を読むべし。明治維新を肯定し近代化を肯定するのならば、天皇、皇国史観が論理的必然なのだね。大概こう言うと拒否反応を示すね(笑)。しかし、好き嫌いではない。あくまで論理的必然。
>前方後円墳さん
少し以前は私も進化論に疑念を抱かずにおりました。
しかしながら、「正しいだろう」と言うのは帰納的証明による結論です。数学では完全帰納法で「正しい」と言えますが、その他の学問分野ではそうは行きません。よって不完全帰納法による証明です。それは「妥当性・蓋然性」が高いと言う事。
進化論はこの手続きを経ていない、と指摘してるのです。近代科学の手法である帰納法的証明が為されていない、と。ゆえに進化論を科学的学説とは呼べる代物ではないのです。
しかし、「進化」は正しいかもしれませんし正しくないかもしれません。進化を完璧に否定する事など出来ません。付け加えて言えば、「人は必ず死ぬ」を科学で証明など出来ないのです。なぜなら、全員の死を「検証」出来無いししていませんから。それが近代科学と言うものです。
>diamonds8888x さん
相変わらずうがった見方ですね。2冊の読書は単なる「確認」ですよ。ここの議論で使えるものを期待していたところもあったのですが、全く「確認作業」に終始しました。小室直樹を読んでいれば、科学哲学のエッセンスが見についていたという事でしょうね。
さて数学お得意の貴方もご自分の言葉で進化論の立論を試みて御覧なさい。どこをどうひねっても無理ですよ。
余談ですがね。(また下らないツッコミされそうですが)創世記の被造物の作り方には4種類あるんです。知ってましたか?
@男を土から造った
A女を男のあばら骨で造った
B水中動物と鳥は一声で造った
C地上の草木、動物は「地」に生ぜさせた。
勿論、全てが被造物ですから「神が造った」との記述もあります。ミケさんの例は全部Cに該当するのが面白いなぁ、と感じています(笑)。
余談U
創世記第一章29;「見よ、私は君たちに全地の面にある種を生ずる全ての草と、種を生ずる木の実を実らす全ての樹を与える。それを君たちの食料とするが良い。」(関根正雄訳、岩波文庫)
現代の植物学の分類でも草本植物(種を生ずる全ての草)木本植物(種を生ずる木の実を実らす全ての樹)とに分けていますね。こういうところも聖書を捨象、無視出来ないところではありますまいか。
ようさんの意図としては、たぶん『「彼ら が」無理』ということなのでしょうが、日本語の素直な解読としては、両方のみを使った場合に無理、となると思います。さらに言えば、日本語の素直な解読としては、「彼らの言う科学論(「新しい科学論」と「科学哲学の冒険」の中の理論)」では無理というだけであり、村上や戸田が総合進化論を使った場合に無理かどうかは言ってはいません。
『アインシュタインの理論で、私が考えればウラシマ効果の立論は可能だ。』
『ニュートンの理論で、私がウラシマ効果をどこからどう考えても立論は無理だ。』
ね、どちらも一意的に解釈できると思いますが? もちっと丁寧に書くなら、『アインシュタインの理論でなら』、『ニュートンの理論では』とすれば良いでしょうけど。
もちろん私がいかなる能力を持つかによっては、『アインシュタインの理論で(も)、私が考えたのではウラシマ効果の立論は無理だ。』も間違ってはいません。
私の解釈の方が、話者の意図に対してはイジワルかも知れませんが(^_^)
丁寧な返答有難うございます。
>知識とはなん為にあるのか。科学とは何のためにあるのか。それはやはり真理の
探究と言う事以外には無いはずです。
つまり、よう氏的には誤りは誤り、不備は不備として、盲目的に絶対視する事無く
最も正しい(合理的である)と思われる真理(事実)の探究をすべきであると言う主張なのですね?
その意味では、私個人の見解では大変正しい姿勢だと考えます。
更に質問させて頂きたいのですが、
>そこで帰納法を用いて、「正しい」と言う事から「まぁまぁ正しいんじゃない」
くらいの結論で事を運ぼうと言う訳です。
仮に西洋人の思想の産物であったとしても、進化論は「まぁまぁ正しいんじゃない」の域に
達していると個人的には思うのですが、よう氏は進化論は「まぁまぁ正しいんじゃない」の域には
達していない(まだ稚拙である)と認識されていらっしゃるという事でしょうか?
それとも、誤りなので訂正・撤廃されるべきとのお考えなのでしょうか?
>>ミスター?氏
非常に興味がありましたので質問させて下さい。
>ただ、生命誕生の裏には、知的存在の介在があったことだけは間違いないと思います。
ミスター?氏が、この考えに至った根拠・理由を是非お聞かせ頂きたいです。
何かしら、そのように思われた理由があると推測しますが、その理由が私には想像、予測
出来ないので、お手すきの時で結構ですので教えて頂きたいです。
あなたの油売りに対する偏見はさて置きましても、このような油の見せ合い、掛け合い、隠し合いの掲示板に於いて、売らない油を見せに来るとは、どのような了見でありましょうか?
こちらの油は水に合いませんが、如何様な料理にも使用できる、それはそれは優れた油です。
さて、そちら様の油は、どのような料理に適していらっしゃるのか、是非とも実地を兼ねて、見せて頂きたい所存で御座います。
いょ〜っ・・・・・・・ぽん・・・って所かな?w
ようさん
>近代科学、近代国家は西洋のプロテスタントの地域で勃興、隆盛したんだよ。>>
>「ポジティヴ・シンキング」と言うのは聖書に在るのだ。こういう連中が多くいたから、科学でも経済でも西洋が飛びぬけてぬきんでた、と言う事。>>
なぜ、カトリックの地域は出遅れたのですか。
なぜ、宗教改革でプロテスタントが形成されるまで聖書は近代国家、近代科学を興隆させる力にならなかったのですか。
近代国家と言えば、19C後半に、日本とドイツとイタリアでほぼ同時期に近代国家が形成されましたが、これらの地域の宗教はバラバラです。私は聖書を座右の書にしていますが、その歴史に与えた影響はそんなに単純ではありません。
各地域と外部社会との交流(戦争も含めて)や技術の発展、
経済、自然環境、政治体制などが絡み合って近代国家が形成されたのです。
世界史に先駆けて「西洋のプロテスタントの地域」がそれに成功したのは、聖書とは関係ありません。
>『Aという「種」がBという別の「種」になった観察事例』
>を挙げりゃあ、進化論は立論できましたってことでオッケーなんですね?
(6月25日(日)02時28分19秒 )
に答えがありませんが、オッケーなんですね?
>私の定義が必要な貴方の立論など聞く意味が無いだろう。
分かりました。
じゃ、一般的な定義(生殖的に隔離された集団:生物学的種概念)でいいですね?
さて、生物学的種概念における種A→種Bという観察事例を挙げますよ。
さしあたって、
NatureやScienceに載った有名なやつだけで十分ですかね。
例1
Wolbachia-induced incompatibility precedes other hybrid incompatibilities in Nasonia
Nature 409: 707-710
Nasonia属の種分化。
もともと一種だった(生殖隔離のなかった)あるハチ、Nasonia sp.は、
あるときWolobachiaと呼ばれる細胞内寄生細菌に感染しました。
こいつに感染したオスは、非感染のメスと交尾しても子供を作れなくなってしまいます。
(感染者同士なら子供が作れる)
さらに、Wolbahiaには何種類かあって、別系統のWolbachiaに感染したもの同士も子供が作れなくなってしまいます。
このような仕組みで
Nasonia sp.は、Nasonia giraultiとNasonia longicornisに分かれました。
(ちなみにこのWolbachiaを取り除くと雑種ができるようになります。)
というわけでまず、
Nasonia sp. → Nasonia giraulti
Nasonia sp. → Nasonia longicornis
例2
Single-gene speciation by leftright reversal
Nature 425, 679-679
カタツムリの右巻き左巻き。
カタツムリは、交尾器の向きの都合上、貝の巻きが同じ方向の個体としか交尾できない。
右巻きカタツムリと左巻きは、交配不能なんで生物学的種概念においては別種。
この論文で言ってるのは
・Euhadra quaesita → Euhadra quaesita+Euhadra aomoriensis
例3
Speciation by Distance in a Ring Species
Science 307: 414-416
ヤナギムシクイの輪状種。
輪状種とは、いくつかの集団を含んでいて、
隣り合った集団同士は交配できるけども、端っこのヤツ同士は生殖的に隔離されている、
という集団構造のこと。
すなわち、端っこのヤツ同士は生物学的種概念では別種。
ただし、間にある中間的な集団によって遺伝子流動が媒介されているので、
これは、いわゆる別種と同種の中間段階ってヤツの例です。
Aという「種」がBという別の「種」になった観察事例をとりあえず三つほど挙げてみました。
「直接観察されてない」みたいな文句がある場合、
ショウジョウバエで例1と同じものを挙げることができます。
ああ、別に言い負かすのが目的ってワケではないので、
あなたが前に言った事を撤回・修正しようと何ら責めはしませんよ。
とりあえず、言われたとおり種A→種Bの観察事例を示してあげましたが、
それでもまだ足りないというのなら、どうぞ条件をおっしゃってください。
丁寧に一つ一つ潰してさしあげますから♪
いやはや、未だに進化論の是非よりも「私の評価」が優先なのだね。私の不勉強を指摘したところで、進化論が科学的であるとの証明にはならないのだよ。
ギャラリー@勉強中さん
貴方の主観的表明を伺っても答えようが無い。ご自由にどうぞとしか。
ただ、科学は近代であれギリシア時代であれ、客観性が無くてはならないのは自明の理。
客観的で論理的であるから、言語や文化の違いがあっても世界中で同じ研究が可能なのだ。
「グローバル・スタンダード」とは、米国のご都合主義で使われているが、本来の意味で実現されているのは「科学の世界」なのだよ。
>晋さん
【世界を包括的に説明できる概念や法則の追求】と言う事も、真理の探究も同じ事だ。
つまり人間は「絶対性」を希求しているという事。オールマイティな存在への憧憬、同化願望。
>進化論が真理であるって主張してる人はここにいらっしゃらないですし、
真理という言葉は科学にはなじまないです。
信念を持った研究なら、進化の法則は絶対に「在る」と信じるものだ。信じて願うのだよ。マジで本気ならさ。貴方は、進化論者を不真面目と批判しているのと同じ事だな。
因数分解問題で「解」は必ず「在る」として解く行為と同じだ。
近代において理神論、無神論などが出現するまでは、科学とは「神の御業」を知る事、その喜びの事なんだ。科学史を読めば判る。故に近代科学、近代国家は西洋のプロテスタントの地域で勃興、隆盛したんだよ。
信じれば必ず成し遂げられる、「ポジティヴ・シンキング」と言うのは聖書に在るのだ。こういう連中が多くいたから、科学でも経済でも西洋が飛びぬけてぬきんでた、と言う事。
しかしながら、近代化のリーダー国アメリカでも信仰がおろそかだから、「人心の荒廃」が叫ばれているのだ。米国国民にとっては最優先なんだ。だからイラク問題より、中絶反対を唱えるキリスト教原理主義団体が推すところのブッシュ政権が誕生し、2期連続したのだ。お判りか?
私も自分の仕事が忙しくて、こういうところで油を売っているわけにはいかないのですが、あなたの質問に誠意があったのでお答えします。
宗教は、信じるかどうかの世界なので、真理の探究とは違うと思います。また、進化論と同じように創造論も証明されていません。
ただ、生命誕生の裏には、知的存在の介在があったことだけは間違いないと思います。それが、神なのかプレデターなのかはわかりませんが。
>他のいかなる理論も、正しいかもしれないあるいは、間違っているかもしれ
>ないという均衡の取れた考え方で、科学的真理の探究がなされます。
前段として、いかような「仮説」を立てても構わない、という意味ではその通りですが、いったん対立する仮説が生じた場合に、その「どちらがより正しそうか」ということを決定できる事こそが、自然科学というツールの持つ一番の価値です。
科学的に仮説を取り扱うというのは「あらゆる仮説を同等の価値を持つとみなす」ことではなく「この仮説は何点、こっちの仮説は何点」を点数をつけるということです。
>進化論だけは、間違っているかもしれないという見地からは、進化論支持者の間では絶対に話し合われないという特異性があります。これは、何故でしょうか。このことの示す意味は、理論というものからも離れて、その人の存在をもかけているからなのだと思います。今や進化論は、その人の存在そのものになっています。こんな状態では、議論しようが、科学的証拠がでようが、永遠にそれを認めることはないと思います。そのつよい信念からすると、進化論もじつは、宗教なのです。
こんな意見が平気で出てくる。
ミスターさん。ゆん(♂)さんとの議論はもう充分だと仰られるのであれば、創造論を支持する科学的証拠とやらについて拝見したいのですが?
少なくとも、その証拠を見せずして、このような意見を幾ら並べ立てられようとも、ここの掲示板の人々(ROM者も恐らく)は、「またか・・・」と思うだけでしょうなぁ。
>私の質問という形式をとって、進化論の間違っている点を指摘してみました。
私はそれに対して「その、間違っているというのは間違いですよ」と説明してみました。そちらのやりとりはもうおしまいなのでしょうか? ちょっと残念です。
# ミスター?さんが私の説明に納得できない、ということならそれはそれで構わないのですが。
僕は科学については素人の域を出ませんが、科学は真理を探究してるとは思いません。
むしろ真理を追究するのは宗教ではないでしょうか。
科学は僕の捉えるところ、世界を包括的に説明できる概念や法則の追求をしてるのだと
思いますが。
進化論が真理であるって主張してる人はここにいらっしゃらないですし、
真理という言葉は科学にはなじまないです。
進化論は生物の有り様をよく説明出来てるだけですよ。
創造論はその点で全然駄目ですけど。
kitkatさんの質問非常にいい質問です。
ようさんがこの質問にきちっと答えられたら
私のようさんに対する評価のが変わる可能性があります。
必ず答えてください。
ミスター?さん、後半の進化論支持者への批判はそのまま創造論支持者に
あてはまります。
グールドもラマルクについては以下のように述べとるぞ。
ハヤカワ文庫 『パンダの親指 ―進化論再考―』〔上〕
7章 ラマルクの微妙な色合い (p109〜110)より
獲得形質の遺伝は、ふつうはラマルキズムという短い名称(歴史的には正確ではないのだが)で知られている。フランスの大生物学者で初期の進化論者だったジャン・バチスト・ラマルク(一七四四〜一八二九年)は、獲得形質の遺伝を信じていた。しかし、それはラマルクの進化論の核心をなすものではないし、また彼が創始したものでもないことも確かである。この考えはラマルク以前の系譜をたどるために、これまで何冊もの本が書かれている。
【略】
私は現代の慣例にならって、ラマルキズムという言葉を、生物は適応的な諸形質を獲得することと、獲得した諸形質を変化した遺伝情報というかたちで子孫に伝えることによって進化するという考え方と定義しておこう。だが、私は一五〇年前に死んだ非常にすぐれた学者を称えるものとしてはあまりに貧寒だということを、あえてことわっておきたい。
※強調は引用者
メビウス殿はこれ以上の評価をお望みなんじゃな?
私も科学とは真理の探求だと思いますね。このサイトは、つよい進化論支持者が多いため、私の質問という形式をとって、進化論の間違っている点を指摘してみました。それに対して、つよい感情論があるのも事実です。他のいかなる理論も、正しいかもしれないあるいは、間違っているかもしれないという均衡の取れた考え方で、科学的真理の探究がなされます。
ですが、進化論だけは、間違っているかもしれないという見地からは、進化論支持者の間では絶対に話し合われないという特異性があります。これは、何故でしょうか。このことの示す意味は、理論というものからも離れて、その人の存在をもかけているからなのだと思います。今や進化論は、その人の存在そのものになっています。こんな状態では、議論しようが、科学的証拠がでようが、永遠にそれを認めることはないと思います。そのつよい信念からすると、進化論もじつは、宗教なのです。進化論は、他のものを絶対に認めない強い信念からすると、これは、その人間の先天的な仕様にも関係しています。(物理的現象での意味ではなく)。また、その謎を自分自身に質問してみる勇気のある人が少ないのも事実です。
未だに海外では進化論では無く、神が人を創造したという創造論を学校で教えている地域がたくさんあります。遺伝子が解読され、また、「個体発生は系統発生を繰り返す(ヘッケル)」という有名な言葉もあるように、発生学的にも進化論は認められています。これらを知った上で、神話など超常現象の世界も楽しんで欲しい。また、当サイト内のコンテンツ「地球形成と生物の進化」もお楽しみください。
http://www.crc-japan.com/research/c-histry/index.html
>進化論を論理的立論した文章はどこにも発見されないし、ここでそれを示す事の出来る者もいない。故に進化論は科学的、論理的に立論されていないのであろう・・・・・・これが私の主張。
つまり「進化論は科学的、論理的に立論されていない」という主張の根拠が「進化論を論理的立論した文章はどこにも発見されない」ことである、と言うことですね。
そこで質問ですが、「進化論を論理的立論した文章は発見されない」という結論を出すために、ようさんが読んだ「進化論について書かれた本」を教えてください。
また「どこにも発見されない」という結論を出すために何冊の本を調べたのかも教えてください。
ようさんが調べた資料の数によっては、私のようさんに対する評価が変わる可能性があります。
ようさんの言う「立論」とは一般的な意味での立論とは違う意味だとね。
ちなみに科学的手法についてWikipediaはこう解説しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E6%96%B9%E6%B3%95
観察・仮説・予測・確認・評価・公表・追証
進化論はこれらを経て立論されているんじゃないんでしょうかね。
もっとも、どれだけ「立論」されてもこの人は進化論を認めないに違いありませんが。
(少なくとも自然科学では)帰納推理って、ようさんが求めるような「確かな」ものではないと思います。一見無関係な出来事の結びつきを理解しようとするだけで。
同時に、演繹も、極論すれば仮説を検証するためだけのもので、だから仮説は否定され、また新たな仮説が生まれ…そういうテストを繰り返し、
進化論は、いま、全世界に認められているのだと思います。
>ようさん
ベーコンの帰納法って、一口で言えばユダヤ・キリスト教的世界観(つまり創造論ですが)に対し、「信仰ではなくデータから出発する」ための論理的方法でしょ? 歴史的に(16〜17世紀)。まずはイドラ(先入観)の排除から近代的世界観が生まれてくるわけですから。
産業革命? 時代の流れについていけないとか、お金もかかるとか、いったい何を言っているのですか?
ついでに一言付け加えておくと、ダーウィンも正面から対立していたのは、ユダヤ・キリスト教的世界観ですよ。
進化論は「科学ではない」と主張しています。なぜなら論理的に立論されていないからです。
近代科学の手法とはF・ベーコンなどが提唱したように、ガチガチの実証主義ではなかなか生産性が上がらない。時代の流れについて行けなくなった。産業革命以降の産業界からの要請に科学が遅れを取るようになった。つまり何でもかんでも実験、実験では時間もお金もかかり過ぎるという事です。
そこで帰納法を用いて、「正しい」と言う事から「まぁまぁ正しいんじゃない」くらいの結論で事を運ぼうと言う訳です。
今現在、進化論は進化論仮説を演繹法によって研究されています。進化論という原理で観察される現象を説明しよう、と言うものです。この方法論は科学の分野全般にみられ、まさに近代科学的手法と言えます。
しかしながら、進化論を演繹法の説明原理とするためにはまず帰納法によって説明原理を立論しなければなりませんが、されずに長い時間過ぎて来たという事です。つまり進化論は科学的手法によって生れたのではなく、ルネサンス以降の西洋人の思想の産物に他ならない事は、科学史によっても明らかです。
よって私の意見はここの掲示板の本サイトの主張である、科学と疑似科学と言う事の考え方、創造論と進化論を対比させる事、この二つへのアンチテーゼであります。
それで一体何を重視するのか、とのご質問ですが、極めて当たり前の事ですが、知識とはなん為にあるのか。科学とは何のためにあるのか。それはやはり真理の探究と言う事以外には無いはずです。
>獲得形質の遺伝については間違いを犯しましたが、「ダーウィン理論が受け入れられるまでの過程で」環境の影響を取り入れることについてラマルクの業績をないがしろにしてきたのは科学の作法としておかしいのではないか?と、思うんですけど。
作法も何も、現実の出来事として、「ダーウィンを読んで生物間相互作用の信奉者になっていた生物学者が、ラマルクを読んで環境の重要性に気付いた」ということがあったとは思えない、ということです。科学史の中で、ラマルクがダーウィンの補完として働いたとは思われません。
それともう1つは、一言で「環境の影響」といっても、「環境が進化のどのような側面にどのように影響するか」については、現代的な進化学とラマルクの間にはとてつもなく大きな隔たりがあります。
ただ、あとになってみれば、ラマルクは確かに、生物の形質と環境に関連があることを見抜いていたという点、それを進化という枠組みで説明した点で(その原因については間違っていたものの)、先見の明はあったと言ってよいでしょうし、科学史的にもその点についてはある程度評価されていると思います。
ただ、それによってダーウィンの功績が小さくなるとは思いません。
>獲得形質の遺伝が否定されたことで彼の理論は間違いとされましたが、そこへ至るまでに織り込まれた進化に関する考え方は、たとえ断片的にであってもちゃんと言及されてしかるべしですよ。
もちろんそうですし、その通り言及されています。例えばパターソン「現代進化学入門」、ダーウィン著リーキー編「新版 図説 種の起源」、フツイマ「Evolution」、田中「マンガ種の起源」、ジンマー「進化大全」など、ほとんどの進化学本にはラマルクについての言及があります。ドーキンス「盲目の時計職人」では、ラマルクの考えの正しい部分ではなく、間違った部分である獲得形質の遺伝がラマルキズムの象徴になってしまったことは「不幸」であるとしています。
>ラマルクをイデオロギー的に支持しようだなんて考えたこともありません。そもそも、そんなものがあるとも思っていません。
それでは、6月26日の投稿は撤回します。申し訳ありませんでした。
ただ、イデオロギー的にラマルクを支持したい人は不思議なことに実際いるようです。
>メビウスさんは、ラマルクの理論を復活するのは諦めて、ラマルク個人の再評価をしようとしている点で、それほど害はありませんが。むしろ、イデオロギー的にラマルクを支持したいのに、理論としては正しくないことをちゃんと認識しているのだとしたら、非常に真摯な姿勢であるとも思います。>
ラマルクをイデオロギー的に支持しようだなんて考えたこともありません。そもそも、そんなものがあるとも思っていません。
獲得形質の遺伝が否定されたことで彼の理論は間違いとされましたが、そこへ至るまでに織り込まれた進化に関する考え方は、たとえ断片的にであってもちゃんと言及されてしかるべしですよ。
カクレクマノミさん/6月5日
>「ダーウィンが何を言ったか」は、科学史的には意味がありますが、あまり本質的ではありません。むしろ大事なのは、ダーウィンのアイデアが科学の中でどのように受容されているか、でしょう。その意味では、正統派ダーウィン理論が環境を軽視しているとはとても言えないと思います(ここで、ダーウィン理論が受け入れられるまでの過程で、ラマルクや浅間の理論が影響して、環境の影響を重視するようになったというのであれば、これはラマルク・浅間の擁護に使えるかもしれませんが、それはないと思います)。>
「動物哲学」で、生物の進化に関してラマルクは環境の影響を強調しています。環境が生物の習性.本能に影響を及ぼすことを繰り返し主張しています。獲得形質の遺伝については間違いを犯しましたが、「ダーウィン理論が受け入れられるまでの過程で」環境の影響を取り入れることについてラマルクの業績をないがしろにしてきたのは科学の作法としておかしいのではないか?と、思うんですけど。
ちなみに、「ラマルキズム」の立場の中に獲得形質の遺伝をイデオロギー的に好ましいと考える人がいるとしたら、ぼくには理解できません。人の話ならば、親が一生懸命苦労して築きあげた財産を、道楽息子が食い潰すなんてことは良くあることですし。この書き込みの直前、アメリカの投資家、W.バフェットが何兆円もの寄付をした話が報道されていました。資産家に対してたくさんの相続税をかけるべきかどうかという話と生物の進化をごちゃ混ぜにしてはいけないです。
今まで、ずっとROM専門住人として拝読させて頂いてましたが、
どうしても理解できないので大変、空気を読めない質問で恐縮ですが…
よう氏は何を訴えたいのでしょうか?
例えば、他の方々は
進化論(ダーウィン)の批判→ラマクルの功績を重視
進化論は誤りである→創造論を重視
など、訴えたい趣旨が理解できるのですが、よう氏に関しては訴えたい趣旨が
私には理解できません。
仮に、よう氏の仰るとおり進化論が立論されておらず誤りであったと仮定≠オて
「だから」何を重視するべきと考えていらっしゃるのでしょうか?
科学哲学のページをざっと見てみると、帰納とか演繹は科学の方法としては駄目な部類に属するらしいが。
これで私を無視することを正当化出来そうですか?
良い友達に恵まれて幸せですね。
頑なな心がほぐれる事を願っています。
お元気で。
>色んな理由で合理化しようとしてましたね。
>まぁ、見てきた中で、もっとも多く好まれる戦術は、無視だと思うw
CABINさんのおっしゃる通りですね。
googleで普通に「相対論」とだけ検索すると、「相ま」系のページがぼこぼこ引っかかるのですが、「相対論 GPS」として検索すると、その手のページがほとんど出てきません。
極端な結果だな(^^;
私は経済学については
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/saikin2.html
でちょっと勉強しただけのど素人であり、経済学を論理的立論した文章をどこにも発見できておりません。いかにも「教えて君」ではなはだ恐縮ですが、かつて「子供にもわかるように説明せよ」と教わり、「あれを読め、これを読め、はやめましょう」とおっしゃったようさんを見込んでお願いします。経済学を論理的立論した文章の実例を、ようさん自身の言葉でお示しいただき、それが「論理的立論をしている」と見なせるポイントをご教示いただけないでしょうか。
色んな理由で合理化しようとしてましたね。
まぁ、見てきた中で、もっとも多く好まれる戦術は、無視だと思うw
>‘前見た、相対性理論は間違ってるさんは、相対性理論の弁護
>(っていうのもおかしいけどw)をしている人たちを押しなべ
>て信者にしてましたし。
相ま(相対論は間違ってる)系の人たちは、「そもそも相対論が間違ってるとしたらGPSは正常に動作しない」という事実をどう捉えているんでしょう? 「GPSの動作を見れば、なるほど一見相対論が正しいような観測結果が見られるが、それは単にそう見えるというだけで、バックボーンに相対論とは異なる理屈が働いているのだ」という感じで納得しているんでしょうか?
トンでもさんの特徴として、科学理論と宗教を混同する(或いは、してしまう)というのもあるのかな?
前見た、相対性理論は間違ってるさんは、相対性理論の弁護(っていうのもおかしいけどw)をしている人たちを押しなべて信者にしてましたし。
宗教と科学に対する偏見が、案外こういった考え方の下地になってたりして。
>>ダーウィンとその信望者は「進化」したかった。
>この一文にようさんの進化観、というか誤解がありありと映し出されていると思われ。
でもご本人は、この掲示板ではまだ信仰告白されておりません。
我慢できん。ROMし続けるつもりだったんだが・・・
>ダーウィンとその信望者は「進化」したかった。
この一文にようさんの進化観、というか誤解がありありと映し出されていると思われ。
ようさんにとっての論理的、科学的とは
・都合の悪い質問ははぐらかす
・説明責任を果たさない
ということか。道理で話が通じないわけだ。"中心小体"の方がまだまともだったかもしれない。
# 僕が進化論を立論しろといわれたらできますけどね。
# 突然変異の中には有害なものと有益なものがあり、
# 自然淘汰により有害なものは排除され有益なものは残って集団に固定される。
# 立証じゃなくて立論ならこれだけで十分だ。
>irahaiさん
貴方と話した記憶がないが、科学哲学の2冊は「確認」の為に読んだのだ。私は極力引用を用いず、権威的に振舞わないように気をつけているのだ。ここで共闘する事もない。
ましてや人の尻馬に乗ったり、取り巻きからの冷笑や野次も恥じ入る行為と認識している。判るかね(笑)ゆんさん自らあのように仰っている。貴方の書き込み、意味の無い中傷。
> クハ72さん
貴方の科学の定義、論理学の理解を私は知らない。私はすでに数度も書いている。
知らないのなら勉強してくれ。
>diamonds8888xさん
サモンの論理学をお読みだったが、私の主張に非科学的及び非論理的なところがあったら指摘して欲しい。うすうすお判りだろう?(笑)
>ゆん(♂) さん
サイモン・シンの新刊「ビッグバン宇宙論(上)/(下)」には「帰納」とか「演繹」は出てこないのですね。科学史、科学哲学の読書を強くお勧めします。
議論よりも何よりも、ましてや科学的真理よりも相手の人格を最優先する貴方のお考えは、どこをどうやっても「男の中の男らしい男」のそれとは思えませんね。
「きしょい」とは「気色悪い」と言う事らしいですが、これが議論をしない理由なのですね。人間には誰にでもある感情です。しかしそれを表に出さずに理性を奮い起こす意志こそが、希望や光明を見出す唯一の鍵なのであります。
ダーウィンとその信望者は「進化」したかった。その感情も理解し許容もしましょう。人間はそういう事をするものです、歴史を見れば。しかし、頑迷にそして固執するのであれば、ダーウィンとその信望者はまさに「万死に値する」と申し上げねばなりません。
大変遅れてしまいましたが、6月23日に「またミスッター?」名で投稿した件につき
陳謝するため出て参りました。
会社の知人から紹介されてしばらく前から読んでいたんですが、ちょうどあのときは
何か魔が差してしまい、初登場捨てハンという非礼をしでかしててしまいました。
気分を害された方々にお詫び申し上げます。
>進化論を論理的立論した文章はどこにも発見されないし、ここでそれを示す事の出来る者もいない。故に進化論は科学的、論理的に立論されていないのであろう。
「種の起源」で論理的に立論されてます。あなたの「論理」の定義だとどうかわかりませんが。
つまんない話題は置いておいて、お口直しを。
以前こちらで話題にした、サイモン・シンの新刊「ビッグバン宇宙論(上)/(下)」を読了しました。結論から言えば、「でらおもしろ」かったです。内容としては、インフレーション理論などの最近の展開には触れていないオーソドックスな宇宙論入門だったのですが、そこはさすがのサイモン・シン。理論の成立に関わる人々の人間ドラマを描き出すことで、凡百の宇宙論入門とは一線を画する読み物に仕上げています。
今回私が特に面白いと思ったのが、「主流の科学理論が、学者達の間でどのように生み出されて、受容されていくのか」をつづった本書の科学論的側面(…とでも言うのかな)です。私達はつい、科学理論というものは常に整然と「あるべき方向」へ向かって前進していくものであるかのように勘違いしがちですが、実際の科学のプロセスは数多の偶然や個人の功利心、対立する人々の葛藤に支配されたとても人間臭い代物です。本書は、科学のその部分にスポットライトを当てて、とても鮮やかに浮かび上がらせています。
科学者の心理的側面にばかり言及しましたが、この本はビッグバン宇宙論の入門書としてもよく出来ているかと思います。サイモン・シンは難しい理論を素人にも分かりやすく説明する才能を持っている人で、本書でもその手際がいかんなく発揮されています。
一言で言うと「買い」の本ですな。
同著者の著書「フェルマーの最終定理」が、最近文庫落ちして820円とお求めやすいお値段になったので、興味のある方はまずそちらを読んでみるのもよいと思います。
おすすめよ。
もう、ようさんの相手はしないと決めていたのですが、さすがにこれは立場上コメントしておく責任はあるかな、と思いました。
ようさんが引用している私の文章についての解釈ですが、もちろん、wadjaさんやirahaiさんの読解が正しいです。私は、以下のような意図であの文章を書きました。
事実の提示【ロジックを受け止める物理的なデバイスがある種の性質を持っていれば、「自然淘汰と突然変異」というサイクルは、驚くほどの効率性を生み出します(これは単にアルゴリズムの問題であり、理屈だけで説明できる現象です)。】
観察事実の確認【で、どうやら現実に物理世界に存在するとDNAおよびそれに支配される「生物というデバイス」は、そのロジックを受け止める「ある種の性質」を持っているようなのですね】
省略された結論【だから、変異の効率は相当に高く、必ずしも知的作業は必要ないのです。】(wadjaさんの書き込みから引用)
補足をしておけば、私の元の文章は多分にあいまいな表現を含んでいます。あの文章は、ミスター?さんとのすり合わせを行うことを目的として書き始めた一連の文章の最初の物です。私はあの時点で、ミスター?さんの意図や表現をじゅうぶん把握しておらず、どういう表現や説明を使えば対話がきちんと成立するか、きちんと把握していませんでした。対話の応酬の中で必要に応じて「そこはそういう意味です」「いや、そこは違います」というやり取りを繰り返して対話の精度を上げていくことを意図していました。
そういうわけで、あの文章は本質的に誤読を許す曖昧さを持っています。第三者的立場からの誤読は織り込み済みと言ってもいいです。まあ、さすがにここまで派手な誤読をされるのは予想外で、私は腰を抜かしてひっくり返しておりますが(^^;
とゆーわけで、読解しづらい元の文章のせいで申し訳ないのですが、ようさんの私の文章批判は前提となる読解が間違っているので失当です。悪しからず。
>「彼らの言う科学論で(を用いて)」かつ「私が考えて」ならば「論理的に(進化論の)立論は無理」、と一意的に解釈できるでしょう。
それがまさに翻訳作業ではありませんか?
「彼ら が」無理なのか「私 が」無理なのか、を一意的に解釈するのはとても好意に満ちた行動である、と私は思います。
>どうやらようさんと僕とでは「科学的」「論理的」の意味が違うらしい。
気づくのがおそーい! とか言ってみたりして(^_^)
『彼らの言う科学論で、私が進化論をどこからどう考えても論理的に立論は無理だ。』
↑「日本語として」はおかしくないと思いますよ。
「彼らの言う科学論で(を用いて)」かつ「私が考えて」ならば「論理的に(進化論の)立論は無理」、と一意的に解釈できるでしょう。
「私(=ようさん)が考えて」という条件がある限りほとんど無理であることは間違いありません。また、「彼ら(村上陽一郎と戸田山和久)の言う科学論で(を用いて)」という条件だけでも無理でしょう。
「ゆんさんの文章批判」がゆんさんの文章を間違って解釈した上に
その間違った解釈にさらに間違った指摘をするという頓珍漢なものだったわけですが。
進化論云々以前の「ロジック」の問題ですよ。これこそ。
なぜ自分の間違ったロジックで人の間違っていないロジックを「揶揄」できるなんて思い込むのでしょう。
尊大ですね。まあ、「進化論を僕にも分かるように教えて」を「一般説明原理を満たした帰納法的立論をせよ」と表現する人ですからね。
でもようさん、これは科学の本義なのだとばかりに権威を臭わせて虚勢を張らなくても、
普通に聞けば皆ようさんの個人的な疑問にも答えてくれたはずですよ。
今回はもう引っ込みがつかないのかもしれませんが、今回を機に、
自分に関わる問題を大きく見せることだけが人から何かを引き出す方法でないことを学べると良いと思います。
P.S
科学哲学の本を読まれているようですが、「生兵法」という言葉が頭に浮かびました。
不幸な脳コワレ人の語録に、
「科学とは説明である」という旨の主張がありました。まったくその通りです。
優れた科学理論であれば、多くのひとびとを納得させることができるだろうし、子供にさえアウトラインを理解させることができるだろう。科学理論とはそういうものであるべきである。(現実に量子論をこの文法で読み解くのは難しいが、説得の技法として数多くの優れた啓蒙書はある)
と、まったく正しい主張を行った脳コワレ人ですが…彼自身の主張に、誰ひとり同意したり支持を表明しないのはいったいどういうワケでしょうか?
・この掲示板の参加者および隠れた多数の読者は全員共謀している。
・この掲示板の参加者および読者とは、実は一人の多重ハンドルである。
・この掲示板には悪魔が住んでいる。
・「よう」と名乗る壊れた脳のひとが決定的に間違っている。
ん〜さっぱり分かりませんね(笑)。どれが可能性として高いポイントを持っているんでしょうねぇ…あ〜分からない。
でも、「チワワはネズミやリスの系統であって犬ではない」と、私が主張したなら…ものすごい批判が返ってくることくらい、知っています。
『彼らの言う科学論で、私が進化論をどこからどう考えても論理的に立論は無理だ。』
↑ステキな例文が出てきたので、寝しなの破壊脳講座です。
まづ、上記は「日本語として」おかしな文章ですね。
「彼らのいう科学論で」と「私が」で、双方が「どう考えても論理的に立論は無理だ」に繋がっている文章ですが、これでは「彼らのいう科学論で論理的に立論は無理」なのか「私が論理的に立論は無理」なのか、さっぱり分かりませんね。
この壊れた脳みそなひとの能力から云って「私にはどこからどう考えても論理的な思考や立論は無理だ」という文章であれば、まったくもってその通りでしょう。
また、「彼ら(村上&戸田)の云う科学論によって成り立つたいていの科学理論」は、壊れた脳なひとの論理思考能力を「遥かに超えている」ので、「どこからどう考えても理解できない」という主張であっても、なかなかよくできた告解だ、と云えます。
しかし「第三の、そしてもっともアリエナイ」解釈…「彼ら(きちんとした実績と自己批判能力を持つ専門家)の云っている科学論は、私(脳が壊れていて日本語の読み書きに苦労する不幸なニンゲン)が勝手に妄想した持論(科学とはこうあるべきだ)に反しているので、到底認めることはできない。ゆえに、彼らの文法(世間一般および学会や科学者の間で通じている共通の科学作法)で立論された(と主張している)進化論は、どこからどう考えてもダメダメ(論理的に立論されていない)である」という意味でこの文章が書かれたのだとした場合、それは、「論理的に立論されていない」ので、誰にも支持されない、もしくは、説得力がゼロなのです。
以上、寝しな解説終了。
どこをどう読んでいるのか知らないが、ゆんさんの文章引用はゆんさんの文章批判であって、進化論批判ではない。第一進化論は立論されていないんだから批判しようがないんだよ。
ゆんさんが「ロジック」などと使うから、ロジックを振り回すわりには進化論の立論が出来ない事を揶揄しているのだ。
私に絡むならちゃんと読んでくれ、流れを。そして論点をはずすな。
>とても不快な気分に、相手をさせたという意識が、ようさまには、ぜんぜんないようですね。)
お互い様なんだよ。
>ギャラリー@勉強中さん
>どうして「論理的に立論」しなければならないのか、わかりません。
科学とは何かですよ。論理が無いのに科学が成立しますか?いい加減に自分の頭で考えるんだ。学校で教えてるから進化論を支持しているのか?それじゃ単なる権威主義のお坊ちゃまだぞ。
私はこの議論中に、村上陽一郎著「新しい科学論」と戸田山和久著「科学哲学の冒険」の2冊を読む羽目になった。どちらも科学哲学の本だ。この二人も「進化論」に何の疑いも抱いていないが、彼らの言う科学論で、私が進化論をどこからどう考えても論理的に立論は無理だ。
貴方も科学史、科学哲学をかじるべきだ。ガリレオ、コペルニクス、ケプラー、ニュートンは信心深かった。と言うよりも「神の摂理」を知る喜びでいっぱいだった、とある。だからアイディアが浮かび、真理が「在る」と信じきれたんだ。理神論無神論など愚の骨頂なんだよ。
あ、もし社会科学系にいるのならマクスヴェーバーは読もう。解説本としては小室直樹。これに尽きる。
主張するに人間の心意を読め。「言動」を注視せよ。世の中8割が付和雷同者。1割が詐欺師だ。第3掲示板の下らなさ、肝に銘じよ。
ようさんの誤読に基づいた立論すら、循環論(法)ではない。
なぜなら【仮定条件】と【結論】で「ある種の性質」を持っている主体が違うから。
循環論(法)でなく、単に仮定条件と結論が結びついていないだけ。
勿論ゆん(♂)さんの論理がまずいんじゃなく、ようさんが誤解して書き下したものがおかしい。
「仮定条件」と「結論」はそんなに悪いものじゃないんですけどね。
「推論」が駄目です。「仮定条件」と「結論」に膠着してグダグダになりがちです。
ものを考える過程の説明としてはアリでしょうけど、そのフレームに従って論を書き下したり、
それを他者が検証するには向いてません。
縦に貫いてどうする...
循環するシステム一般についての論考のこと?
循環論法の間違いだったとしても、それは循環論法ではありませんよ。
というかようさんの論理の骨子であるはずの仮定条件、推論、結論の設定が根本的に間違っています。
ようさん絶望的に読めてません。
いいですか、知的デザイナー無しで複雑な機構を生み出すほどの効率性はありえない、という論への反論なんですよ?
正しくは
仮定条件【「ある種の性質」を持った「自然淘汰と突然変異」が、驚くほどの効率性を生み出すとすれば】
推論【「ある種の性質」を持った「生物というデバイス」は驚くほどの効率性を生み出すことができるだろう】
結論【「生物というデバイス」は「ある種の性質」を持っているようなので驚くほどの効率性を生み出せる】
です。
ようさんが恐ろしく文章が読めないのでなければ、仮定条件・推論・結論というフレームが物を考える上で足枷になっているのとしか思えません。
「仮定条件・推論・結論」なんて曖昧で文章表現自体でどうとでもできてしまうようなフレームは、厳密な論の検証には役立たずです。
良かったね。自分の間違いを晒すだけでは、イジメにはならないから安心していいよ。
トンデモさんの特徴として、議論している相手の主張を捻じ曲げて解釈してみせるというのがあります。しかしようさんの場合、それを意図してやっているのか、単に日本語の読解力が足りないのかwadjaには判断しかねます。
#よく見かける進化論への批判に、「進化論はトートロジーだ」と言うのがあるんで、その真似をしたつもりなのかな?
>結論【どうやら現実に物理世界に存在するとDNAおよびそれに支配される「生物というデバイス」は、そのロジックを受け止める「ある種の性質」を持っているようなのですね。】
結論が全然違うでしょうに。結論は、「だから、変異の効率は相当に高く、必ずしも知的作業は必要ないのです。」でしょ。普通の(平均的な国語力を持った)人なら、議論の流れから十分読み取れると思うけど。ようさんは行間は一切読めないのか(あ、駄洒落になってしまった)?
進化論を勉強する前に、もう一度国語を勉強しなおしましょう。
>進化論を論理的立論した文章はどこにも発見されないし、
>ここでそれを示す事の出来る者もいない。
たとえば、ようさまは、前にこう言われていましたよ。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060520.html#0605201957
|冷静にかつ、論理的に創造科学がなぜ疑似科学なのか、
|私のサイトで詳しく説明しています。
|私の説明に反論したいのであればどうぞ。そのための掲示板です。
[ようさんへ 投稿者:NATROM@管理人 投稿日: 2006年05月20日19時57分]
ところが、これにあなたは、なんにもお答えすることなく、
このあとしばらく、だまりこんでしまったのでしたね。
>それではもう一つ、気持ちの悪さも乗り越えて
>私の反論にお答えいただきたいものだが。
そんなこと言う前に、ていねいにおわびしてはいかがかな...?
(とても不快な気分に、相手をさせたという意識が、
ようさまには、ぜんぜんないようですね。)
どうして「論理的に立論」しなければならないのか、わかりません。
社会科学ならわかるんですが。(価値が絡むから、客観性を持たせるために一定の手続きがいりますよね)。
突然変異と自然淘汰のどこが立論されていないのかな?
ダーウィン以来様々な方法で検証されて多くの支持を得ているのだがな。
ここのホームページのNATROMさんの文章読んでも理解できない様だね。
どうやらようさんと僕とでは「科学的」「論理的」の意味が違うらしい。
ならば言い換えよう。
進化論を論理的立論した文章はどこにも発見されないし、ここでそれを示す事の出来る者もいない。故に進化論は科学的、論理的に立論されていないのであろう。
これが私の主張。いろいろ勉強になりました。有難う御座います。
>立論されていなければ進化論は始まらない。始まらない理由を私が述べるのか?始める人間の責任だ。それに答えないと「逃げる」と言う事になるらしいな。
そのとおり。説明責任はようさんにあります。
進化論が立論されていないと言い出したのはようさんなんですから。
>進化論は「進化があったとするならば」と仮定して、
あなたのアタマの中には仮説もなしで現実を説明できる科学があるらしい。ま、絶対正しいはずの説明原理とやらがアプリオリに存在し、もし現実と合わなくても「それは解釈の方が間違っているのだ!」と言い切る無敵俺様原理だから仕方ないが。
どっかで「現実を説明できるかどうか」って同意しなかったかな?それに私がちょっと驚いたら、そのままスルーしてたけど。
まあそれも何十番目かの「なかったこと」なんだろうね。
仮定条件【ロジックを受け止める物理的なデバイスがある種の性質を持っていれば、】
推論【「自然淘汰と突然変異」というサイクルは、驚くほどの効率性を生み出します(これは単にアルゴリズムの問題であり、理屈だけで説明できる現象です)。で、】
結論【どうやら現実に物理世界に存在するとDNAおよびそれに支配される「生物というデバイス」は、そのロジックを受け止める「ある種の性質」を持っているようなのですね。】
判りますか?
【ある種の性質を持っていればある種の性質を持っている】
循環論。進化論は「進化があったとするならば」と仮定して、推論結論をぶっ飛ばして進化仮説を演繹してきたのだよ。科学の手順を踏んでいない。故に学問でもない。アイディアに賛同する疑似科学サークルである。・・・・楽しんでくれ。
>立論されていない」だけでは答えとしては認めません。どこが立論されていないのか説明してもらえないと。(クハ72さん)
>具体的にどこがどうおかしいか書かないと、負け惜しみにしか見えないですよ。
そうでなくとも、あなたは出された質問に答えられず逃げ回ってるとしか見えないんだから。 (wadjaさん)
立論されていなければ進化論は始まらない。始まらない理由を私が述べるのか?始める人間の責任だ。それに答えないと「逃げる」と言う事になるらしいな。進化論は科学として始まっていない、と言う事だよ論理的には。
男か女か定かではない人物の書き込みは、もっともらしい事を専門的知識で述べ立てているが、極めて非論理的なのだ。下記の引用の文章も明らかに循環論だ。
循環論、説明になっていない、と言う事だ。単なる言葉の浪費。読むだけ無駄なのだ。
【ロジックを受け止める物理的なデバイスがある種の性質を持っていれば、「自然淘汰と突然変異」というサイクルは、驚くほどの効率性を生み出します(これは単にアルゴリズムの問題であり、理屈だけで説明できる現象です)。で、どうやら現実に物理世界に存在するとDNAおよびそれに支配される「生物というデバイス」は、そのロジックを受け止める「ある種の性質」を持っているようなのですね。】
>ミケさん
頑張っているように見えるが違うんだな。私の定義が必要な貴方の立論など聞く意味が無いだろう。私かミケさんのどちらが言い負かすのか、に終わるのだ。これも結局、日本に於いての「議論」と言うものが人格攻撃になる、と言う好例だ。
論理的に立論された「進化論」の是非をめぐり議論がなされることは永遠に無い、と断言してしまおう、この際。
遺伝情報は確かに文章にたとえることができますが、比喩はあくまでも比喩ですから、全ての性質が同じであるのではありません。それに遺伝情報は、ひとつの小説や論文の文章というよりも、プログラム文にたとえた方が近いのですが、ミスターさんはプログラミングについてはいくらか御存知でしょうか? 御存知ならばいくらか説明がしやすいのですが。
>また、生物体の全体の構成が把握されていないと、その内部の配置を決めることができないという問題もあります。
>文章を作るうえで、前の言葉、行、段落の内容を理解していないと、次の言葉、行、段落へは進めませんが、
生物一個体の全遺伝情報が、ほんの一部でも変えると全体の均衡がむちゃくちゃになる性質を持っている、とお考えのように見受けられますが、それは違います。プログラム文のモジュール構造ということでおわかりならば、一部のモジュールだけの変更も可能ということは御理解いただけるのではないでしょうか。また、ある条件ではエラーが起きるが大抵の場合には正常に動くプログラムが多いといったようなこともあります。
>デザイナーは、どうやって情報を書き換えてるんですか?
genetic algorithm を使って。
ごめんなさい。一度言ってみたかっただけですm(__)m。
今までにも、色々な卑怯者が訪れました。
その中で、いくつか共通の特徴を挙げてみると以下のようなものがあります。
1)主張だけを何度も繰り返す。
2)具体的な説明をしない。
3)根幹に関わる質問には答えない。
「彼」のばあい、さらに次のような特徴が見られます。
4)(他者からの)質問と(それに対する「彼」の)答えに関連が見られない。
5)意味不明の文章があまりに多い。
どうも「彼」は、概念を統合する能力に欠けている気がする。
大丈夫か、オイ!
>ゆん(♂)さんへ
解りました。出すぎたマネをしたようで申し訳ない。暫く、ゆん(♂)さんとミスターさんの議論をROMしましょう。頑張ってw
判官びいきというのは、強者・勝者にたいする反発とセットになっている場合が非常に多いように思います。
ルイセンコびいきがロシア以外でも一時期勢力があったのも、今西進化論への支持が日本以外でも人文系の人にたまに見られるのも、メンデルやダーウィンの背後に何か変なものを見ているせいじゃないかと思うのですが...
>「不当に非難されているラマルクを擁護したい」というメビウスさんの動機はわかる気がする。何より日本人の判官びいきの血が騒ぎますから(笑)。
うーん、僕には、メビウスさんの執拗なまでのダーウィン批判とラマルク擁護には、もっと深い根があるように思えます。
それこそ、ガードナーが批判しているような(僕自身は「奇妙な論理」は読んでいないので、谷庵さんの投稿を前提とします)、価値観に基づくラマルク支持があるのではないかと…
もっとも、メビウスさんは、ラマルクの理論を復活するのは諦めて、ラマルク個人の再評価をしようとしている点で、それほど害はありませんが。むしろ、イデオロギー的にラマルクを支持したいのに、理論としては正しくないことをちゃんと認識しているのだとしたら、非常に真摯な姿勢であるとも思います。
あ、この投稿はただの想像なので、メビウスさんが「そんなことない!」っておっしゃられたら撤回します。
クハ72さんとも一部被りますけどね。
>貴方が「ロジック」と使うのを読んでいると、「???」と思うのですね。
具体的にどこがどうおかしいか書かないと、負け惜しみにしか見えないですよ。
そうでなくとも、あなたは出された質問に答えられず逃げ回ってるとしか見えないんだから。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。