このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
CABINさんに同意。
ひとつ思うのは、『感情論ですから対話は無理』は真の場合もあるかも。
対話とゆうか議論ですよね。でも、ようさんの言ってるのは明らかに偽。
この場合は『(CABINさんの言ってることは)もう感情論ですから』が明らかに偽です。
議論に負けてるやつのぱたーん
1 なんの証拠も示さず相手の理論を感情論にする。
2 ダブスタどころかトリプル、クウォータラブルスタンダードを多様。
3 自分の論拠が危うくなる質問には決して答えない。
ようさん、まずは質問に答えましょう。
あなたのした質問には皆、大概答えてますよ。
プライオリティがどうとか言って答えないのは
かなりかっこ悪いですよ。
逃げてるようにしか見えません。
さて、このようさんの発言。
>演算法ではなく、演繹法ですよ。もう感情論ですからこれ以上の対話は無理ですね。
「感情論」によって、対話は無理となるかについて考察したい。
ここでは「感情論」の事を「その命題の真偽が感情によって、真となったり、偽となるような命題」と定義する。
例えば、「自殺は悪か?」という命題は、その人の「善悪」という概念に左右され、主に
「感情」によって、「善」とされたり、「悪」とされるような「感情論」である。
しかし、感情的なブスが「ええ、私はどうせブスよ」といった時は「感情論」ではない。
何故なら、感情的なブスが「ええ、私はどうせブスよ」と言った時、その命題は真であるからだ。
以上から考察される結論としては、
(1)「両者が感情的であるかどうかは対話の無理性には関係していない。もし仮に、対話が無理だった場合、それは元々、対話が無理だっただけである」
(2)「感情によって真偽の判断されるような命題を扱っている場合のみ、命題「感情論ですからこれ以上の対話は無理」が成り立つ」
(3)「しかし、俺の扱った命題「創造論」と「「進化論」の対比が無意味って、誰も対比させてないし、ようさんのみが対比させている上に、「創造論」を優遇しているだけだし」は 真偽が感情によっては判断されず、故に「感情論」ではない」
以上の事から、ようさんの命題「感情論ですから対話は無理」は偽である。
しかし、このような表現は以下のような効果が期待できる。
1:相手を感情的だとする事で、自分が感情的で不当な批判を受けている被害者だとアピール
できる
2:相手を感情的だとする事で、それまで受けてきた感情的では無い批判を、「感情によって、命題の真偽が変わるような感情論」とする事で、無視できる
3:感情的である事を無条件に「議論のマナーに反する」とするような、低レベルな議論に於いて、相手の評価を下げる事ができる
以上。対話が無理だと言われたので、必ずしもそうでは無い事を証明してみました。
異論反論どうぞ。
>どなたかの例を拝借すれば、「私の見たカラスは黒い」と言う特称命題を「全て(だいたいの)のカラスは黒い(だろう)」と言う全称命題(のように)に置き換える事です。
特称命題:
ある生き物のグループ(種どうしだったり、品種どうしだったり)は共通祖先を持つ※
これを全称命題に置き換えると、
「全ての生き物は共通祖先を持つ」
実に簡単に立論できましたね。ハイ残念でした♪
いやー、よう オリジナルの「仮定→推論→結論」って順序でも考えといたんですが、
こんな簡単なので良かったとは。
『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』Yes or No?
に対してお答えを頂けなかった理由が分かりましたよ。
>特称命題一つ上げれば良いだけなのですがね、
というのが本心からなら、この「特称命題」を認めてしまったら
進化論が証明されてしまうわけですからね。
※具体例を挙げれば枚挙に暇がありませんが、一応挙げていきましょう。
イヌの品種、ハトの品種、コムギの(品)種、シクリッド種群、
いくつかの食植性昆虫種群、ヒトとチンパンジー、ハワイのショウジョウバエ種群、、、
これらについてはいつでも証拠をお届けすることができますのでよろしく。
>世界の人口の4分の3が「経典」として千年以上認めているものを科学する事に何の問題があるのだね。
中国とインドがキリスト教国じゃない以上、この数字は明らかに誇張なわけだが。
>・進化論以外の科学理論で、「帰納法」で立論されたものの具体例をあげてください
ですから、自然科学における、でしょ?経済学だって立派な科学ですよ。
帰納法をまだ理解されていないようですね。貴方は医者だそうですが、新しい病気なんかが発生して、その対策を立てる過程なんかは帰納法的でしょう?違いますか?
帰納法を別の言い方で表すと、特称命題の証明を全称命題の証明の如く扱う、ともいえますよ。
どなたかの例を拝借すれば、「私の見たカラスは黒い」と言う特称命題を「全て(だいたいの)のカラスは黒い(だろう)」と言う全称命題(のように)に置き換える事です。
ミケさんは帰納法を理解しているのなら、特称命題一つ上げれば良いだけなのですがね、出来ないんです。
私の言う帰納法などと、どなたかの言い逃れのに乗っかるのは見苦しい限りですね。
少し萎えてきましたから、効果はあったと言っておきますが(笑)。
>CABINさん
演算法ではなく、演繹法ですよ。もう感情論ですからこれ以上の対話は無理ですね。
一年以上前の発言に関してレスを求めるのであれば、ある方なんて書き方をしないで、きちんと名指しした方がいいんじゃないの。
私だったら絶対忘れているぞ。
キンシャチさん、覚えています?
それから、ラマルクやダーウィンの学説がどのような思想と結びつこうが、彼らの責任じゃないのは自明なのでは?
科学的には、正しい説なのかどうかが問題なだけです。
当時 レムナント†常連だった(今は時たまゲストで…
ゆみちゅんな
ミニヨンも
優生思想の議論があったのは知ってるよ・
確か シンさんやテツオさんやマリアさんがあたしと組んでレムナントから、進化掲示板に攻めていた頃よね(笑)
(^ω^;)
ちょっと過去ログ見てきましゅ。
去年の初め頃かよ、銅鐸さんやテンポさんもいたっけな、神は愛のオイちゃんも居なくなったわね。。寂しいな、皆さん 今どうしているのかな!?
私が貴サイトにお邪魔して間もない2005年1月24日にある方が次のようなことを書き込みました。
****ガードナーはこう書いています。
「ラマルク主義は、すべての生物がたえず向上しようと努めることによりより神の広大なプランを実現しつつあるのだという観念論に容易に結びつくが、同じようにそれは、よりよい世界の建設を強調する政治的教義とも容易に結びつく」
要するに、科学の皮をかぶったプロパガンダだといっているわけです。ラマルク主義は、耳に心地よいですよね。努力の結果が子孫に伝わるというのは魅力的です。
*************
この後でガードナーの「奇妙な論理」(T、U)を読んだのですが、ガードナーはラマルクと獲得形質の遺伝、そしてルイセンコ事件を論じています。ルイセンコ事件の本質は科学と政治のいびつな関係です。しかしダーウィニズムもまた社会ダーウィニズムとか優生思想などと結びついた陰惨な時期がありました。ところがどういうわけかガードナーはダーウィニズムに関しては批判を加えていません。ルイセンコ事件と同様、社会ダーウィニズムや優生思想もまた、科学と政治.社会の不幸な融合だったにもかかわらず。これまでいくどとなくダーウィンを私は批判し、時には誹謗中傷だとのお叱りも受けて参りました。ガードナーがラマルク批判をするのならそれと同じようにダーウィン批判もしなくてはならないはずです。なぜ、ガードナーが社会ダーウィニズム、優生思想をダーウィニズムに関して批判しなかったのか私には理解できません。
私のダーウィン批判を誹謗だとか言いがかりだとお叱りになった方々は、ダーウィニズムが社会ダーウィニズムや優生思想と結びつくことをガードナーが批判しなくても何も気に留めていないのでしょうか。
例えそうだとしても、私はダーウィンを人格攻撃しません。しかしガードナーの態度はきわめて偏向していると言わざるを得ません。
リンク先を見れば、一応引用のつもりなんだなって事は分かるけど、貼ってあるからと言って必ずリンク先を見るとは限らない。
コピペするなら引用符をつける位しないと、単なる盗用と思われても仕方がないんじゃないか。
そもそもただのコピペなら、リンクを貼るだけで良いじゃないか。
と言うより、自分自身の発言がないのなら、投稿する必要もないぞ。
これだけ無意味な投稿を続けるところを見ると、本当は創造科学側の回し者なんじゃないか?(笑
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/se-0-2b.htm
現在、地球の誕生は、約46億年前と考えられている。
岩石の年代測定は放射性元素の崩壊系列の研究を基に決定されている。
それぞれの放射性元素は、その半分が崩壊するまでにかかる決まった時間があり、半減期と呼ばれている。半減期は、元素により数十億年から1秒以下のものまでさまざまである。決まった半減期があれば、岩石に含まれる放射性元素の量と崩壊して生成される元素の量を調べることにより、岩石ができてからの期間を決定することができる。
ウランは崩壊してラジウムとなり、最終的には鉛まで崩壊する。これを、ウラン−鉛崩壊系列と呼ぶ。ウランとラジウムは長い半減期を持つため、現在でも存在しており、地球の年齢を推定する方法として用いられることとなった。ウランと鉛には同位体がある。同位体とは、化学的性質は同じであるが質量数の異なる元素である。ウラン238は崩壊して鉛206になる。ウラン235は崩壊して鉛207になる。ウランとともに発見されることの多いトリウム232は、鉛208へ崩壊する。また鉛には、もともと存在する鉛204という安定した同位体も存在する。鉛204を除いた崩壊により生じる鉛の量から年代測定を行うのである。
現在では、ウラン−鉛崩壊系列のほかにも、カリウム40からアルゴン40への崩壊を利用した「K−Ar法」、ルビジウム87からストロンチウム87への崩壊を利用した「Rb−Sr法」、サマリウム147からネオジミウム143への崩壊を利用した「Sr−Nd法」など、多くの年代決定法が知られている。
現在、地球上で発見されている最古の岩石は、グリーンランドのイスア地方のもので、約38億年前のものである。(鉱物としては42億年前のものが存在する。)
しかし、この岩石は、堆積岩の変成したものであった。つまり、もともとあった岩石が浸食され堆積してできたものであった。ということは、それ以前に大地(すなわち地球)は、すでに存在していたということである。
したがって、地球の岩石から地球の年齢を直接測定することができない状況である。
そこで、地球の年齢は、隕石の年齢から推定されている。
隕石は太陽系起源の物質であり、各種の隕石の年齢は45.5億年付近に収束する。アポロ計画により月面から持ち帰った最古の岩石も約46億年前のものであった。
隕石の年齢と地球の年齢が近いものであることは、次より説明されている。
ヨウ素129は放射壊変してキセノン129というガスになる。その半減期は1700万年である。太陽系はガス雲から固体となっていったと考えられているのが、この過程に長い時間がかかると、キセノン129はこの固体に取り込まれないだろう。しかし、隕石にも地球にもキセノン129は存在する。したがって、1億年くらいの幅(キセノン129の半減期の数倍)で、隕石も地球も誕生したと考えられる。
これらのことから、地球の誕生は約46億年前と考えられている。
地球史年表
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%8F%B2%E5%B9%B4%E8%A1%A8#.E5.9C.B0.E7.90.83.E8.AA.95.E7.94.9F.EF.BD.9E.E7.94.9F.E5.91.BD.E8.AA.95.E7.94.9F
論理学的に、創造論のみを特別扱いして「演算法のみでOK」って、駄目でしょ。
その上で、「創造論」と「進化論」の対比が無意味って、誰も対比させてないし・・・ようさ
んのみが対比させている上に、「創造論」を優遇しているだけだし・・・
>本来の帰納法と私の帰納法が違うと言う(笑)。
>証明して欲しいものだね。実社会で言ってたら笑われるよ、ほんとに。
ようさんの言う帰納法がどのようなものか明確にするためにも、
・進化論以外の科学理論で、「帰納法」で立論されたものの具体例をあげてください
>“よう さんオリジナルの帰納法”
こういう言い方がが狡猾なんだな。ギャラリーを馬鹿にしていると言うか。
本来の帰納法と私の帰納法が違うと言う(笑)。
証明して欲しいものだね。実社会で言ってたら笑われるよ、ほんとに。
>メビウスさん
私は、「創造論VS進化論」との対比はナンセンス、と何度もここで書いています。信仰告白もしていません。
論理学的に、創造論は演繹法でOKだが、進化論は帰納法での立論が為されていない、これが私の意見主張です。
>ミケさん
立論はここでやったら如何?進化論の論理的合理性、合理的抽象的モデル、楽しみですね。
ようさんの言いたいことは結局こういうことなんじゃないですか。
>現代科学では、一般に現象を最も合理的に説明すると見られる仮説を「科学的説明」として受け入れます。しかし、その説明も後でもっと事実を包括的に説明すると見られる新しい説が出されたならば、棄却されて新しい説に取って変わられるのが通例です。創造科学に於いても原則として同じ方針を取りますが、
>>説が旧約聖書(トーラー)の神の創造の記述に一致しない場合は、他の無神論的な科学解釈がよく説明しているように見えても、それを受け入れて満足するようなことはせず、もっと別なよりよい説明が他にある事を求めて研究を続けるという姿勢を取ります。従って、どんなに説明上不利であるように見えても、創世記の記述に一致した説明をあくまで求め、必ず解答があると信じて研究を続けるのが創造科学の趣旨です。>>
これがつまりようさんが言うところの「創造論はすでに演繹的に説明されている」ということなんですね。
>科学のテーマの探求に宗教の動機が入る事自体は、科学の精神の違反ではなく、科学性の自己否定でもありません。宗教が共存することは創造論のパラダイムの基本において認められています。>>
「探求」「動機」「精神」「パラダイム」などの言葉を宗教と科学に関する文章で一緒に使ってごちゃ混ぜにしても、やっぱり両者は真理に近づく方法論が違うんですよ。
>創造科学はトーラーの創世記の神による世界創造の字義通りの記述を世界観の根拠とします。>
これで創造論が演繹的に説明がなされていると言われても....。
>創造科学は既に地層の形成、化石の形成、ノアの洪水の研究において多くの研究と業績を重ねて来ました。これらの研究について非創造論者はむやみに否定するのではなく、きちんと敬意を払わなければならなくなってきており、それは良い傾向であると思います。>>
えっ、ホントなんですか?
>キリスト教を信じるという人々の中にも残念ながら神の創造を字義通り信じない人もありますが、それはその人の責任と言うよりは教会の不信仰の故に、聖書の信仰が正しく伝えられていない所にあると考えられます。ですから、神を信じない人々から、創造論を字義通り信じないことを誉められても、不信仰を賞賛されているだけで、恥ずかしいことであると思って下さるようになれば幸いです。>
私は聖書とバガバッドギーターをあくまで自己啓発書として読んでます。
ようさん
>創造科学は神がこの世界を創られた事を前提としています。その場合、なぜ神が創られたのかとか、どうして神はこういう風に創られたのかとかいう疑問は問題とはなりません。神の存在と創造を前提としていても、そういう精神的、神学的主張が物質的な論理の発展の土台となるわけではなく、あくまでも手近に得られる事象や現象の観察から始まって順序よく神が創られたのである事を確認して行くのがその手順です。また単に神が創られたという事を確認するというのがこの創造科学の考察のゴールではなく、神がどのようにして創られたのかを学ぶのが次のプロセスです。ある人は、創造科学は神が創ったという結論に合わせるために勝手に構築した疑似科学ではないかと批判していますが、それはポイントを得た批判では全くありません。なぜなら神が創ったというのは結論以前の前提であり、それに対して神の存在を否定すること自体が人為的だからです。もちろん、神の存在を論じることは創造科学の趣旨ではありません。>>
「神が創ったというのは結論以前の前提」である以上どんなに討論したって同じことをオオムガエシするしかないでしょう。
ミケさんのレスよく読んで無かった。申し訳ない。
そうか、確かに、進化が前提だと思うような下地のある人は居るかもしれないですね。
当たり前すぎて見落としてました。
う〜ん、どこから話を始めれば良いのかの線引きが非常に難しい・・・
>ミケさん
確かに、観察された事象を「進化」という概念と定義づけるという意味で「初めに進化あ
りき」と書きましたけど、ここからどのような誤解が生まれるのでしょうか?(う〜ん、
これはちょっと想像がつかない。まぁ、結構、トンでもない人いますけどw)
>個々の事象の観察から一般法則を導き出すのは、帰納法なんです。
あ、そこから始めるんですか。とりあえず反証可能性の説明からしたほうが良かったかな?
細かいとこになってしまいますが
>進化論は確かに「初めに進化ありき」ですが、
まあ進化論といっても意味が広いですが、
基本的には「進化したという前提ありき」ではありません
(CABIN さんは分かってるかもしれませんがギャラリーには誤解を与えかねないので)。
『観察の結果、どうやら「進化があったこと」が間違いなさそうだ』ということから
進化論は始まっています(進化の証拠の列挙から始まる)。
>まず観察(進化のような事象)ありきによって推し進められた、帰納法的ではない理論の一部です
個々の事象の観察から一般法則を導き出すのは、帰納法なんです。
(“よう さんオリジナルの帰納法”ではないというだけ。)
まあ、“よう さんオリジナルの帰納法”はハードルが低いので、
ミケはそれに合わせて遊んであげていますけど。
>進化論は間違っている、と言う事ではなく、論理的に「立論されていない」と主張しているのです。帰納法的証明による立論がね。まず仮定条件を置くんです、そして推論し結論する。この結論を検証するんです。それでまぁまぁ妥当性が高いとなれば、その理論(仮説)を演繹法で更に検証していき妥当性を高める、と言う事です。これが近代科学の手法。<
上記は、「進化論はダメだけど他の近代科学は合格」と言っているように見えますね。
でも、「近代科学」の具体的な科学理論の実例を挙げて見せろと言っても逃げちゃう。
結局は進化論にイチャモンを付けたいだけなんでしょう。
>自然科学のみならず、社会科学や人文科学の分野にもこの手法は取り入れられていますよ。今の経済学などは極めて数学的論理的です。生物学は可也遅れているといって良いでしょうね。近代科学、とは呼べないと思います。<
適応度などを数学なしにどうやって計算すると思っているんでしょうね。
まあ、結局は無知と無恥の人ですから。
進化論はきちんとした理論体系に則って、立論されてますよ。
少なくとも、俺には進化論の論理的誤りは指摘できません。
進化論は確かに「初めに進化ありき」ですが、しかし、「帰納法で無いからといって、その理論が間違いである」とは全く言えません。
少なくとも、古典物理に於ける数々の理論(ニュートンから電磁気学までかな?)を否定する事に繋がりかねません(これらは、まず観察(進化のような事象)ありきによって推し進められた、帰納法的ではない理論の一部です)。
それに、理論の正しさは、聖書と同じく、近代とか、古典とかで、決まるものでも無いですしね。
しかし、「創造論」の場合、その前提として「万能の神の存在」があります。
この「万能の神の存在」は、その理論に含まれる誤差を全て帳消しにし、全ての現象を説明しうるような前提です。
従って、理論としては使い物になりません。
何故なら、科学の理論、特に、自然科学のような、検証すべき対象が外界に存在する理論に
於いて、理論の役目とは、「如何にして無矛盾な体系内に於いて、その現象を誤差のでないように説明し、または予言できるか」だからです。(ところで、どんなに厳密な理論或いは実験に於いても、必ず誤差は出ます。当たり前ですが)
創造論は、その構造上、全ての現象を説明できますが、誤差が多く、また予言できません。
勿論、宗教はエトスであるのでしょうけど、しかし、その人のエトスと、その人の提出する
科学理論の正しさは、ほぼ関係がありません。(ひょっとしたら、関係しているかもしれないけど、微々たる影響だと思われます。非存在の証明は出来ないので、こう書きましたけど)
例えば、ご飯の前に神に祈る事が、どのように科学理論と関係しうるのでしょうか?
聖書を読むことは?ミサに出ることは?どのように科学理論と関係しうるのでしょうか?
まぁ、色々と書いてみましたけど、別に宗教が悪いと言っているのではないのです。(言っても良いし、ひょっとすると、神学論争の方が面白いかもしれないけど)
ただ、科学とは別物だよ、とそれだけです。
帰納的に立論されたカガクって何よ、という問いに結局こたえられにゃーうえに、ダーウィンを人格的非難をしておいて、人格的非難を騒ぐ負け犬はほっといて、と。
>ところで、一般的な科学って、まず仮定条件ありきなんだろうか?どちらかといえば、最初に観察事象があって、それを説明する為に仮説を立て、仮説を直接的に補強していく証拠や、仮説から得られる予測を確認していく作業じゃないのかな?>all
先にあるのは認識の枠組みだ、ちゅう話もあるにゃ。
クワインのいう「パラダイム」、フーコーのいう「エピステーメ」とかにゃ。
ある認識の枠組みの中で、始めて「事実」として浮かび上がってくるものもあるのではにゃーかと。
例えば、統計的手法がカガクに持ち込まれたのは革命的事件と考えるにゃんが、
統計的手法という枠組みによって始めて浮上した「事実」はたくさんあると思うのだにゃ。
とりあえず以下を読んでください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/484
2006/05/19(金) 22:57:43の、第三掲示板へのミケの書き込み
(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/107)
に対して、よう さんが5月20日(土)19時31分11秒に第一掲示板に反論を行いました。
上記(第三掲示板論点整理スレ484)はその反論が全くの的外れであることを示したものです。
これに対して再々反論がある?ない?
ないならば『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』
を証明された公理として扱ってよいということになり、
よう さん方式の証明も先に進めることができるわけですが。
案の定逃げ回られているのですが、これでリミットいっぱいです。リミットの内容は以下。
・よう さんが発言するたびに再反論した投稿(第三掲示板論点整理スレ484番)のアドレスを提示します。
・三回(今回でラスト)繰り返して具体的な反論がない場合は、よう さん反論不能ということで後半に続きます。
さて、どうせ具体的な反論などできないでしょうけど、一応もう一度聞いておきましょうか。
『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』を証明された公理として扱ってよい?
Yes or No?
反論できないわけだから、
『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』を証明された公理として扱ってよいってことですね?
反論がなければいよいよ(よう式)帰納的証明の舞台が整ったことになります。
YesまたはNoの一言がないばかりに、ずいぶんと舞台を整えるのに時間がかかってしまいました。
このあと反論がなく投稿を繰り返すなら、来週頭にでも投稿しておきましょう。
『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』を証明された公理として、
全ての生物が共通祖先を持つっていう証明をね。
>もし出来たとしても穴だらけのぼろぼろの文章だろうよ、間違いなく。
ええ、その穴だらけの文章に、きちんと具体的な反論ができるといいですね(プ。
>初登場は1月ですね。
失礼しました。全然記憶に無かった。だって、あんな書き込みだと、トンデモさんだと思わないじゃないですか。そうすると、ようさんは半年もこの問題を考えてるのか?それは、相当にお疲れ様なことだなw
ところで、一般的な科学って、まず仮定条件ありきなんだろうか?どちらかといえば、最初に観察事象があって、それを説明する為に仮説を立て、仮説を直接的に補強していく証拠や、仮説から得られる予測を確認していく作業じゃないのかな?>all
>あなたの先生がそう言ったのだろう?それを盲信したんですよ。
先生(小室)が言ってもないことを盲信しちゃった人はいなかったっけ?
立論どうこうと「俺様論理学」を振りかざしてるのはあなたであり、私は全然納得していない、ということを忘れないでくださいね。
仮説検証って言葉くらい聞いたことあるでしょう?
観測された事実を説明できそうな仮説を立て、その仮説が正しいかどうか判定するための観察事実なり実験事実なりを集めて判断するんだよ。
それ以外にあなたはどうやって自然現象を科学的に理解するの?自然はまず「観察された結果ありき」なんだよ?あなたがどう「立論」しようが、えられる結果が事実を説明していないんならダメ。だから検証がいるの。
聖書を科学したいんだったら、聖書を検証してみなさいって言ってるだけですよ。
(信仰する方にとっては非常に不愉快なことかもしれませんが、「仮に聖書を自然科学なんぞの土台に載せようとするなら」という仮定です。ご不快に感じられたらお詫びします)
だからあなたは冷蔵庫の作動原理すら説明できないんです。あなたが机上の空論を振りかざしても、冷蔵庫はちゃんと働いてる。エントロピーについて具体的な話が何一つできずに
「これくらいで勘弁しといたるわ!」と逃げ出したのはあなたでしょうに。
具体的な話はミケさんがずっと試みておられるから、私から勝手にはしません。
>聖書は経典でもありますが、歴史書の要素もありますし、文学的哲学的でもあります。>
個人的には聖書だけでなくバガバットギーターも私の愛読書です。もちろん科学と価値観の一線は引いてます。
>ようさんが「進化論を論理的に擁護するとするならば、どのような条件があれば、立論が可能ですか?」
例えば、小室直樹の進化論支持とか?
これは、逆にこう聞いてみたほうが早いかな。仮の話ですが、
ようさんが「進化論を論理的に擁護するとするならば、どのような条件があれば、立論が可能ですか?」
ロジックの話なんだから、できますよね?
論理フェチの御方の行動の非論理性は、ネットにばら撒いた足跡を辿れば明らか。
そもそもキリスト教徒でもないのに創造論を支持するってこと自体が論理的じゃない。
キリスト教徒からも胡散臭がられるだろうね。
>ミケさん
>自分を支える世界観が崩壊しちゃうからね。
そっくりそのままあなた方にお返しする(笑)。
帰納法的証明が私の要求する「立論」なんだ。yes or noなんてやってる場合じゃないんだよ。立論が論理的に為されるから「論争」出来るんだ。論争の「舞台」を作ってくださいよ。出来る訳がないんだ。学者もしていないんだから。
もし出来たとしても穴だらけのぼろぼろの文章だろうよ、間違いなく。
>AH1さん
>「生物は共通祖先を持つ」⇔「突然変異による変異の供給と自然淘汰」
だから、この結論はどう言う仮定条件の基に推論されたのか、と聞いているんですよ。
あなたの先生がそう言ったのだろう?それを盲信したんですよ。
>ギャラリー@勉強中さん
その通りです。極めて簡単明瞭。やっと帰納法がピンときましたか?
でもなぜ「まさか」なんだね(笑)。
>ようさんが最初に登場したのは今年の3月30日だったと思うので、
初登場は1月ですね。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060122.html
閉じた系 投稿者:よう 投稿日: 2006年01月16日20時33分
当初は謙虚でしたよ。うわべだけだったことは明白ですが。
別にwadjaはクリスチャンでは無いので、キリストが神でも人でもどちらでも良いです。しかし、グノーシス派の話って、結構歴史として見ると面白いですね。
しかしなんとなく、こぞって上映禁止にしようとする人たちの気持ちが、この掲示板見てると分かるような気がするw
ちょっと遡りますが、
>6.16 19.33.8
>「もう一つの帰納法の科学理論、との事ですが・・・。経済学では人間を「合理的で最大
>利益を追求する者」と仮定していますし、J・ロックやホッブズは人間社会の本来的姿を
>「自由」や「反目」などと言うように仮定しているわけです。(少々乱暴な言い方ですが)
>自然科学においてはそちらのみなさんの…(略)
もしかしてこれが、ようさんの「帰納法的立論」の正体なわけですか?
まさかとは思いますが。
初めまして、wadjaと申します。
今までの経緯を見ていないであろうCABINさんに同情申し上げます。もし過去の議論にご興味があれば、ようさんが最初に登場したのは今年の3月30日だったと思うので、
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060330.html
あたりから、適当に拾ってお読みになることをお薦めします。残念ながら、wadjaにはようさんが学んだと主張する論理学を理解できてませんけど。
To:ようさんへ
>ここの皆さんは、論理学を学んでいないし、論理的に理解もしていない。今までの膨大なお勉強による知識を誇る事が快感でしたから、根本的なところを突かれてうろたえて見苦しい態度です。
wadjaは別に学んだと言えるほど論理学は勉強してないから良いですけど、他の皆さんにこれは失礼じゃありません?大体、論理学を学んだって言いながら、対偶すら分からずに見苦しかったのはようさんじゃなかったけ?
憶えてないなら、貼っておいてあげましょう。
***************************************以下引用
大文字、科学は論理で出来ているんだよ。 投稿者:よう 投稿日: 2006年04月30日21時32分
>「エントロピーが減少している系が観察されたなら、それはほぼ間違いなく開放系であろう」
違うな。「開放系ではエントロピーは減少する」と言う”法則”は無いんだよ。判るか?
法則化してるのは「孤立系での増大」なんだ、今のところ。
孤立系では”ほぼ間違いなく”と検証されてる訳だよ。開放系とか結晶とかさ、近代科学の帰納法的理論で言えば、「例外」くらいあって言いのだろう。
しかし、根本は、つまり科学的に思考する上で「法則」と言うのは避けて通れないし、物質は「エントロピー増大」するという事が科学思考の前提であるべきだ、と言うのが私の意見だ。「開放系」についての「法則」、どこに在る?
***************************************
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board060503.html
>そのふざけた話しも「仮説⇔演繹」ときちんと論理的にやるのなら、「非科学的」と誹りを受ける理由などない。
ええ、科学でもいいですよ。ただし、演繹しても益がないだけで。
なぜならタイムマシンは見つからないし、トトプカテ大王は見つからないし、彼が手を加えた証拠もちっとも見つからないから。いいですか、人口のどんだけが信じてないとか、歴史がどうだとか、そんなことは関係ない。(むしろ適応と遺伝子変異に言及してるだけ聖書より科学っぽいかもね)
さて、これを聖書に置き換えたら、何が違うのかな?
今日だれかが思いついた仮説でも、検証する価値は十分にある。聖書を科学したいなら、検証の土台に載せてもらいましょう。それができないなら、科学にはなりえない。検証される前から正しいとわかっていることなんか、科学にはなりゃしないんですよ。
>もうこの話しは終わりだ。論理的思考が苦手なようだな。
はいはい、とりあえず逃げ出してまた何食わぬ顔でカビの生えた話をむしかえしてください。
>まず仮定条件を置くんです、そして推論し結論する。この結論を検証するんです。それでまぁまぁ妥当性が高いとなれば、その理論(仮説)を演繹法で更に検証していき妥当性を高める、と言う事です。これが近代科学の手法。
それを説明しようとするミケさんの質問から必死に逃げ回っている見苦しいヤツがいるけどね。
ダーウィニズムによれば「生物は共通祖先を持つ」⇔「突然変異による変異の供給と自然淘汰」って、延々研究が続けられているんだけど、それには目をつぶって立論立論とわめき続けてくださいな。
5月24日(水)00時03分10秒の投稿のコピペです。
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>種を超えて、異なる種が「共通の祖先を持つ」としなければ何の意味も無いのだ。時間の浪費は止めたまえ。
・『種を越える変化』というものを想定するのは本来はナンセンス。なぜなら、『これくらい違っていれば別種、これくらいまでなら同種』という線引きが厳密にはできないから。
・とはいえ、広く使われている種の定義(生物学的種概念)を適用する場合、『種を越える変化』は実際に観察されている。
上記二点、どちらの視点から考えても、
>異なる種が「共通の祖先を持つ」としなければ何の意味も無いのだ。
という批判は何の意味もありません。
なお、質問してくだされば
・『種を越える変化』なんて言葉が幻想だと言い切れるくらい、種の境界が曖昧である例
・異なる種になった例
どちらについても第三掲示板に提示いたします。
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↓まあ同じこと言ってるんだけどこちらもご覧ください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/484
上記は、2006/05/19(金) 22:57:43の、第三掲示板へのミケの書き込み
(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/107)
に対して、よう さんが5月20日(土)19時31分11秒に第一掲示板に行った反論が
無効であることを示したものです。
これに対して再々反論がある?ない?
ないならば『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』
を証明された公理として扱ってよいということになり、
よう さん方式の証明も先に進めることができるわけですが。
逃げ回られると困るから、リミットを設けておきます。
・よう さんが発言するたびに再反論した投稿(第三掲示板論点整理スレ484番)のアドレスを提示します。
・三回(あと一回)繰り返して具体的な反論がない場合は、よう さん反論不能ということで後半に続きます。
『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』
を証明された公理として扱ってよいでしょうか?Yes or No?
これにYesと答えるならば、見事によう 式帰納法で証明できます。
Noと答えるならば納得できない部分を見事に潰して差し上げましょう。
証明できる(っていうか、Yesと答えりゃ証明してあげるよ)って書いてるのに、
どうして
>進化論の帰納法的証明が出来無い事は貴方が一番判っているはず 。
となるんだろう?
もしかして聞きたくないんでしょうか、この先を。
今でさえ具体的に反論できてない(反論してもすぐ潰されちゃってる)っていうのに
この先(証明が完成する部分)まで進まれちゃってそこで反論できなかったら
自分を支える世界観が崩壊しちゃうからね。
>CABINさん
進化論は間違っている、と言う事ではなく、論理的に「立論されていない」と主張しているのです。帰納法的証明による立論がね。まず仮定条件を置くんです、そして推論し結論する。この結論を検証するんです。それでまぁまぁ妥当性が高いとなれば、その理論(仮説)を演繹法で更に検証していき妥当性を高める、と言う事です。これが近代科学の手法。
自然科学のみならず、社会科学や人文科学の分野にもこの手法は取り入れられていますよ。今の経済学などは極めて数学的論理的です。生物学は可也遅れているといって良いでしょうね。近代科学、とは呼べないと思います。
ここの皆さんは、論理学を学んでいないし、論理的に理解もしていない。今までの膨大なお勉強による知識を誇る事が快感でしたから、根本的なところを突かれてうろたえて見苦しい態度です。
なぜ進化論は「当たり前に信じられてきたか」、ここが最大で最重要な論題だと思われますが、そこまではいかないでしょうね。
>じゃあ、なんで、キリストとか、聖書とか、ポンポン出てくるんだろう?
創造論の論理性も判っていないようですから、ご説明したのです。創造論にとどまらず、学問体系そのものが聖書抜きには語れないのですよ、歴史的に。科学史をかじれば明白です。
数学の発展、存在証明が近代思想を生み、近代科学があるのですから。
一つ申し上げますが、聖書と信仰と宗教は分けて使うべきです。聖書は経典でもありますが、歴史書の要素もありますし、文学的哲学的でもあります。
信仰は個人の心の中の事ですが、宗教の定義をマクス・ヴェーバーを引用しますと「行動様式(エトス)」となります。伝統的な無意識の行動スタイルとでも言いましょうか。このエトスは歴史的に変る事がないのです。例外は宗教革命以後のキリスト教徒、明治維新の勤皇の志士である、と認識しています。
進化を深く知っておられて、分厚い書物を読破されて豊かな知識をお持ちの方、是非進化を帰納法的に証明してみてください。私の場合どう考えても「まず始めに進化ありき」としかか考えようがありません。どういう仮定条件を置いて推論されたのちに変化や適応を超えるような現象が起こったのでしょうか。
これが為されれば、生物学の裾野も広がるでしょうし学者の本ももっと売れるであろうと思われます。
>「進化」大全
>ダーウィン思想:史上最大の科学革命
>光文社 カール・ジンマー著 渡辺 政隆訳
>6090円
機会ありましたら、東京八重洲ブックセンターか丸の内の丸善で探してみます。約束は出来ないけどね!
ありがとうございました。
>JA50様へ
自分中心
ですか?手厳しいですけど、でも信仰って そういう独善的な所ありますね。他山の石のつもりで気を付けます。よろしくお願いします。
以上です。
えっと、それでは、ようさんが「聖書が正しいから、進化論が間違っている」という論理を
展開したとしても、その為にようさんがすべき事は「聖書の正しさ」を証明することであっ
て、進化論の間違いを証明する事じゃない、ではどうです?
戦うべき相手を間違っていると思うのですが?
勘違いなのか・・・。 じゃあ、なんで、キリストとか、聖書とか、ポンポン出てくるんだろう?
ひょっとして、本当に、自然科学の理論が、仮説のみで成り立つと思ってるのでしょうか?う〜ん・・・解らない・・・
次号の「ニュートン」(8月号、6月26日発売予定)は、
巨大恐竜の特集ですから、難しい話は抜きにしてまずは科学者が積み重ねてきた研究をじっくり堪能しましょう。
「知らない」ことはなにも恥ずべきことではないけれど…
あることがらについて「無知」であるとき、
・単にその知識がない
・その知識を得たくない
の二つが「あるのではないか」と考えられる、と私は思う。
そして、ある知識が欠如しているとき、時にひとはそれを、
「勝手な妄想と自分勝手な理解」
で間に合わせてしまうことが、あるんじゃないだろうか。
しかし遂に、その理解が「間違いである」ことが提示されたとき…なぜかワケの分からない猛反発に出てしまうことが…あるんじゃなかろうか。
うん
イエス様は
言ってたよ・神だって!我を見る者は父を見るなり
っていうか・ね!
ノンクリちゃまは、異端の方かな〜あ、ノンクリちゃん読んで次の如くか?
イエス様は神秘な方不思議なる霊妙なる助言者 大能の神 永遠なる父 とイザヤ書にもあるんだよ。100%神で 100%人の 天地創造者 正確には言葉ロゴスなる父なるヤーウェと子なるロゴス 聖なる霊 風プネウマ、この三方が合わさって一人なる唯一の神なんだょ。
判ってもらえたかな?多分無理ね!霊に由らなければ このミステリオンは 理解不能だわ。
なら、何故彼は、ユダヤ人に言ったと思う。
我は 在るなり
エゴーエイミ
って
エホバ ヤーウェこそ
我は在るなり
の唯一の方
判るかな?この神秘を
はじめに言葉あり
言葉は神と共にあり
言葉は神なりき
アディオス、ノンクリちゃん
進化論に対し「わざと」頓珍漢な言論を繰り返されているのはもう分かりました。
それが反進化論者がいかに進化論を理解できていないかを皆に知らしめる行為だと。
でももう充分なのです。「本当は進化論者のようさん」ご自身が反進化論者を演じられるのは。
ここの常連の方々は反進化論者の進化論に対する無知と誤解を嫌と言うほど認識させらています。
それでもわざと釣られてあげていたのです。ようさんの手法があまりに有効だったために。
自分中心でしか世界を見れないという典型かな、、、
>それから、何億年も
>しばらく全然進化の兆し無しの時期が ず>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ハアハア>ハア━━━━
>っとありましたよ・
単細胞生物である時期や硬い組織(化石に残りにくい部分のみだった)のない時期が長かったというだけで、その間、進化がなかったなどということは、、、ない!
>私を労力を使わせて貶めようとの意図
「を」並びの痴呆文章書いてる自称ヂヂイへ。
誰もキミを貶めてなどいない。
キミが発言者としてこれ以上ないほど卑しく、浅ましい汚物のごとき言動しかしていないのだから、屑扱いされるのは当然だ。ていうか、「よう=どうしようもない屑」というテーゼは、キミ自身の行動によって立脚され、今のところ磐石だ。揺ぎ無いよ。
そんなことよりインドネシアのフェンダーはどうなったんだ?
本当に知りたいのなら、以下の本をお薦めします。
「進化」大全
ダーウィン思想:史上最大の科学革命 光文社
カール・ジンマー 著 渡辺 政隆 訳 光文社 版
2004年11月 発行 ページ 493P サイズ AB 6,090円
でもさ、その前に、自分で貼り付けたサイト、読んでいます?
そこにざっと答えが書いてあるのですが。
とさん、ありがとう
面白いハンネですが、もしかして失礼かもしれませんが「と」とは将棋の成金の意味ですか?うわあ、とさんって金さんだったんだ!ついでに シンさんは上様の八代将軍の暴れんぼうでさ、徳田新之助って言うんだょ。イエス様は 正式には主キュリオス神セオスアドナイなるヤーウェの御子イエシュアと言って メシア、キリストなんだょ。つまり神様そのものなんだね!
ふぅん、でもさ、
地球誕生と
http://contest.thinkquest.jp/tqj1998/10098/noframe/1.html
地球生命誕生がずいぶん近いのに
http://contest.thinkquest.jp/tqj1998/10098/noframe/2.html
なして、進化しばらく停滞っていうか止まったままだったんだか?うわあ偶然かな〜
判らないけどね。
やっぱりシンさんじゃなかったイエスさん久遠の神さまのおぼしめし、御心 御意志かしらね何事も何事も
偶然
素朴な疑問ですが判る?
「どうして、生命は進化したのかな?」
地球が誕生して、すぐに、最初の生命発生が近い段階ですよね、年代は判らないけどね。テレビで言ってたから
それから、何億年も
しばらく全然進化の兆し無しの時期が ず━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ハアハアハア━━━━
っとありましたよ・
何故whyなの?
そして、なぜ進化は起こったの?
教えてくださいな!
もともと「ようさんの帰納法」で立論された科学理論などないわけですね。だから「ようさんの帰納法」が進化論にないとしても、進化論が科学かどうかとは無関係なのです。
>要点 投稿者:NATROM 投稿日: 2006年05月20日20時00分
>
>長々と書くとようさんが答えにくいと思いますので、要点を二点だけに絞ります。以下の二つの点について、ようさんの返事を期待しています。
>
>・「愚かで陰湿で偏狭だ」ってのは人格批判じゃないんですか?
>
>・進化論以外の科学理論で、「帰納法」で立論されたものの具体例をあげてください
あえて言うなら、科学理論はいつでも個々の実験・観察結果に立ち戻れるから科学理論なのね。立論されればあとは演繹でなどは表層的な理解だし、「一般的な説明原理」にいたってはナンじゃそれ?です。
>CABIN さん
勘違いも甚だしい。お説教はよそで頼む。
>ミケさん
進化論の帰納法的証明が出来無い事は貴方が一番判っているはず。勉強になったでしょう?
もう見苦しい。
順応でも適応でもどちらでも宜しいよ。学界内の話しだ。
進化論はこれから進化の先は考えないらしいね。以前に誰かが声高に叫んでいたと思うけど。その事自体もオカシイ話しだね。科学って人間の思い通りにして良いもんじゃないんだよ。謙虚にやらないとね、その辺は。
>AH1さん
そのふざけた話しも「仮説⇔演繹」ときちんと論理的にやるのなら、「非科学的」と誹りを受ける理由などない。もうこの話しは終わりだ。論理的思考が苦手なようだな。
>ようさん
科学は手法そのものだが、宗教は手法ではなく、人間のドグマであって、科学と宗教を同列に並べ、「一方が正しければ、一方が間違っている」というような論理は成り立たない。
もうちょっと解り易く言えば、「世界は神がお創りになられた」というようなドグマに対して、生物が必ずしも恒常的ではない理論や実験や証拠を突きつけられても、それは「世界は神がお創りになられた」というドグマの反証とはならない。
同様に、進化論の間違いを証明したとしても、創造論、まして、キリスト教が正しい事にはならない。
両者は、赤いりんごの反証として青いりんごを提出したとしても、それが青いオレンジの証明にならない事と同様の構造です。
そして、それらは科学理論の生い立ちや構造とは、一切、関係がありません。
岩波生物学辞典第4版より「適応」の項を一部引用。
*****以下引用******
(1)生物のもつ形態,生態,行動などの諸性質が,その環境のもとで生活していくのにつごうよくできていること,あるいは生物個体の生存と繁殖の成功に寄与する生物個体の性質.
(2)生存や繁殖の向上をもたらす進化的な変化の過程.
(3)自然淘汰によっておこる個体群内の遺伝的変化の過程で,それによって,個体の遺伝的な性質が向上すること.
(4)選択的な有利性のために個体群内にひろまった特性.
適応と自然淘汰との関係をどう定義するかは研究者によって異なる.(中略)
また生物が一生のうちに,遺伝的な変化を伴わないで,周囲の環境に対応していくことは順応(accommodation)とよぶことが多い.
******以上引用******
生物学では、
「(都合よく)変化する」という意味で適応を用いる場合、
常に『適応⊂進化』です。
よう さんの言ってるのは順応。
用語は正しく使いましょうね。
5月24日(水)00時03分10秒の投稿のコピペです。
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>種を超えて、異なる種が「共通の祖先を持つ」としなければ何の意味も無いのだ。時間の浪費は止めたまえ。
・『種を越える変化』というものを想定するのは本来はナンセンス。なぜなら、『これくらい違っていれば別種、これくらいまでなら同種』という線引きが厳密にはできないから。
・とはいえ、広く使われている種の定義(生物学的種概念)を適用する場合、『種を越える変化』は実際に観察されている。
上記二点、どちらの視点から考えても、
>異なる種が「共通の祖先を持つ」としなければ何の意味も無いのだ。
という批判は何の意味もありません。
なお、質問してくだされば
・『種を越える変化』なんて言葉が幻想だと言い切れるくらい、種の境界が曖昧である例
・異なる種になった例
どちらについても第三掲示板に提示いたします。
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↓まあ同じこと言ってるんだけどこちらもご覧ください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/484
上記は、2006/05/19(金) 22:57:43の、第三掲示板へのミケの書き込み
(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/107)
に対して、よう さんが5月20日(土)19時31分11秒に第一掲示板に行った反論が
無効であることを示したものです。
これに対して再々反論がある?ない?
ないならば『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』
を証明された公理として扱ってよいということになり、
よう さん方式の証明も先に進めることができるわけですが。
逃げ回られると困るから、リミットを設けておきます。
・よう さんが発言するたびに再反論した投稿(第三掲示板論点整理スレ484番)のアドレスを提示します。
・三回繰り返して具体的な反論がない場合は、よう さん反論不能ということで後半に続きます。
念のため、もう一度書いておきましょうか
『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』
を証明された公理として扱ってよいでしょうか?Yes or No?
>ご同情申し上げます。掲示板で性別を問うことは、ある種無意味ではありますけどね。
>でも、ようさんには「ネカマ」と言って分かってもらえるだろうか?
私は女性のフリしてたつもりもないので「ネカマ」とも違うように思います。
うーん。名前か? 名前がまぎらわしいのか?
今度から「ゆん(♂)」を名乗るようにするか……。
恋慕の情を抱かれてるんでしょうw
>何気色悪いこと言ってるんだ、この人……。
ご同情申し上げます。掲示板で性別を問うことは、ある種無意味ではありますけどね。でも、ようさんには「ネカマ」と言って分かってもらえるだろうか?
>AH1さん、お考えが少々硬直されている。聖書を説明原理とすることに、聖書の無謬性は必要ないんです。「仮説⇔演繹」で証明されうるかどうかなんですよ。
では、こんな例は如何ですか。
(って、想像論とか みゆき論とか、もっと面白くてセンスの良い例がこの掲示板にいろいろ出されてますがね)
「40億年前にトトプカテリ第5惑星から飛来したトトプカテ大王の一行は地球に到着し、持っていたアミノ酸その他を用いて生命を誕生させた。それは大王がアミノサプリ飲料として持って来た余りだったのだが、それはまた別の話である。
さて、トトプカテ大王はタイムマシンを用いて時代を先回りし、予測される天変地異に対応可能な変異体を常に作っておくことも忘れなかった。
だから地球にはかくも見事に環境に適応した生命があふれているのである。」
(トトプカテリの書 1巻 pp54-59を要約)
はい、これが説明原理。
これは観測される事実とよく適合します。よって立派な科学です。
え?タイムマシンって何だ?トトプカテリってどこだ?
そんなことは科学がまだ解明し得ていないだけです。仮に間違いだったとしても、無謬じゃなくていいんだから全然問題なし。
>世界の人口の4分の3が「経典」として千年以上認めているものを科学する事に何の問題があるのだね。
経典を科学するの意味が解かりません。
聖書を宗教学的にって意味じゃなく自然科学の書として扱うってことですか?
聖書は科学的に正しくない。なんて言ったらなにをいまさらって話ですけど、
それを説明してあげなくちゃいけないなんて皆さん大変ですね。
>変化と適応が進化を示している、と言うのはごまかしです。
誰もそんなことは言っていない。
変化と適応は、進化に大きく関わっている、と言ったのです。あなたは進化の本を読んだと仰るが、本の何を読んだの?
>まず「進化」を立論しなければなりません。
で、それをどう理論立て、どう説明してきたか、「種の起源」から最新の論文までありとあらゆる実例がありますが、それを読んでの上の言葉でしょうね?
>完全帰納法の実例も示し、社会科学系に於いての例証も示しているではありませんか。
それに関して誰も納得せず、質問が相次いでいるのは何故です?あなたの投稿を借りれば「説明技術が低いのはトンデモ」ですよ?
>聖書を説明原理とすることに、聖書の無謬性は必要ないんです。「仮説⇔演繹」で証明されうるかどうかなんですよ。
前に「演繹の結果、使えない結論が出てきちゃったらそれは説明原理が間違っている」と同意されませんでしたか?
で、聖書は科学として「使える結果」を生み出してるんですか? 大洪水の結果、逃げ遅れたものから化石になったんですか?新生代の地層からも山ほど貝だの昆虫だのの化石が出ていますが、あれは恐竜より鳥より逃げ足が速い訳ですか?
だから「実証されつつあるなら、何をどうやって誰が実証しているのか示してくれ」と言っているのです。実例がない限り、私はそのようなことを事実と認めません。逆に、どんなに荒唐無稽な説であれ、事実をもっとも良く説明できるなら、その説を採用しましょう。
「みんなが信じているから正しいに決まってる」しか言えないあなたに「硬直されている」などと言われるとは実に心外です。
科学とは何か、です。科学であるかどうかは手法なんですよ。近代科学は帰納法で立論し、その説明原理で検証するんです。帰納法の立論後は演繹法で良いんです。仮説⇔演繹。
これが科学理論の成り立ちです。
変化と適応が進化を示している、と言うのはごまかしです。まず「進化」を立論しなければなりません。
完全帰納法の実例も示し、社会科学系に於いての例証も示しているではありませんか。その上で更に自然科学の実例も示せ、とは何事です?あなた方は論理的に理解していないか、私を労力を使わせて貶めようとの意図以外に何が考えられましょう。
AH1さん、お考えが少々硬直されている。聖書を説明原理とすることに、聖書の無謬性は必要ないんです。「仮説⇔演繹」で証明されうるかどうかなんですよ。
同じように進化を帰納法で立論するのに仮定条件などはどんなに荒唐無稽でも構わないんです。それが論理的手法であり、科学なんです。
毎回のように訂正文を出して申し訳ないです。
>「生物は共通祖先を持つ」は進化から導かれる帰結であり、
これは書き方が悪かったかもしれない。
品種改良などの研究を通して、「ある形の生物から別の形の生物を分派させることはできる」というのが、ダーウィンの時代に一つの観察例としてあった筈ですね。だから「現在、2種の生物であっても、もとは同じ1種の生物であった可能性がある」というのは進化の重要なアイデアですね。
だから帰結と言っちゃいけないかもしれない。
で、「変化」「適応」てのは「じゃあ2種に分かれるにあたって、何があったのか。何がドライブしたのか」を説明する時に出て来るものですね。
従って、「全ての生物は共通祖先を持つ」に対して「じゃあ、どうやって今のような多様な生物になったの?」と聞けば、「それは変化と適応が大きく関わっているのだよ」と答える。
・・これでいい、かな?
>変化と適応は観察された経験的事実であって、「進化」はアイディアなんです。今の生物の在り様を説明する為の。
で、進化は変化と適応に深く関わっている学説だってのはオーケーですか?
それから、立論されていないと主張しているのは「あなたの方だ」ということをお忘れなく。wadjaさんやゆんさんは進化を「現在、それを用いて説明するに足る説」として扱っています。
ということで、「ニアリーイコール」であることに問題はないと思いますが?
あなたが何か突っ込むのであれば、例えば「進化とイコールで結べる説明をしてくれ」でしょうね。そして、それはミケさんが第三掲示板で再三書き込みしておられますね。
>ですから、矛盾なく同居するなどとは論外です。
と言いますかね・・そもそもゆんさんの「生物は共通祖先を持つ」は進化から導かれる帰結であり、「適応と変化」は進化をもたらすメカニズムの説明(の一つ)なんですよ。どちらも進化に関することを言ってはいるけど、同じ事を言ってるわけではない。ゴッチャにしてはいけません。
>そして貴方や複数の方が進化論は立論されていない、と認めた上で創造論も同じではないか、と仰っているのでしょうか。
何度も言いますが、あなたの言う「立論されている」がさっぱり理解できない。だから実例を示してくれ、そうすればあなたが「帰納的に立論されている」と認めるものがどんなものかわかる、とみなさん言っているんです。
>何れにしろ、私は創造論の演繹法については説明をすでにしている。
説明したおつもりでしょうが、納得できないのでみなさんが質問しているのです。
科学は説得の技術だと仰ったのはあなたですよ。
>聖書そのものを一般的説明原理として認めうるのかどうか、と言う事が問題です。
その通り、そこを前々からお尋ねしています。
>世界の人口の4分の3が「経典」として千年以上認めているものを科学する事に何の問題があるのだね。
で・・これがお答えですね。
大問題です。理由は以下の通り。
・教典は科学の教科書ではない。
・何人が何年認めようと、科学的に実証されない限り、科学的には無価値。
いいですか、前に私が「例えば」として地球が平らだという話を持ち出した時に、「今どきそんな・・」とおっしゃいましたね。では、昔は地球は平らだし、動いていないと考えられていたわけですね。当時のキリスト教徒が(そして恐らく、何教であれ相当数の人間が)そう信じていたでしょう。それが正しかったですか?
昔の話だから違う?では千年なら十分だという根拠は?
あるいは、3/4だから大丈夫という根拠は?5/6や9/10じゃなくていいんですか?
こちらから質問です。
・『世界の人口の4分の3が「経典」として千年以上』、科学的に検証して来たのですか?
されたのなら文献を示して下さい。関係者が身内で書いたものはダメです。ちゃんと「間違いである可能性がある」と考えた上で検証されたものをお願いします。
そういえば洪水も「検証されつつあると言っていいでしょう」になった上、結局、誰がどうやって何を検証しつつあるのかお教え頂けませんでしたね。御自分で仰っていることですから、出典を御紹介頂けるとありがたいです。
>あの方、「とても」私をお嫌いなようです。強い感情を私にお持ちだ、と言う事ですね。大人の問題に首を突っ込まないように。男と女、複雑怪奇なり。
何気色悪いこと言ってるんだ、この人……。
>AHIさん
変化と適応は観察された経験的事実であって、「進化」はアイディアなんです。今の生物の在り様を説明する為の。
ですから、矛盾なく同居するなどとは論外です。
そして貴方や複数の方が進化論は立論されていない、と認めた上で創造論も同じではないか、と仰っているのでしょうか。
何れにしろ、私は創造論の演繹法については説明をすでにしている。聖書そのものを一般的説明原理として認めうるのかどうか、と言う事が問題です。世界の人口の4分の3が「経典」として千年以上認めているものを科学する事に何の問題があるのだね。
>ギャラリー@勉強中 さん
> 進化は「一般原理化」されているわけではないし、ましてや、今、進化論が認められている理由が、西洋人の「エトス」だなんてとんでもありません。
反論の理由を伺いたいですね。信じたくない、と言う事ですか?
>人の理性に照らして、進化論が地球上の生命の有りようをより良く説明しているというだけです。
「理性」とか「感性」と言う言葉、気をつけてお使いになる事を老婆心ながら申し上げます。もし、その理性がヒューマニズムからのものであるのなら、私は思いっきり批難するでしょうし、ここの進化論者はそれを言ってくれるな、と苦々しく思っていると思いますよ。
>最初からボタン掛け間違ってません
私とゆんさんの事でしょうか?あの方、「とても」私をお嫌いなようです。強い感情を私にお持ちだ、と言う事ですね。大人の問題に首を突っ込まないように。男と女、複雑怪奇なり。
>Temporal さん
仰っている事、論理的には理解します。しかし、生産的であるのでしょうか。その発言だけですと単なる言葉遊びでしかないと思います。
>M
家族の批難を一身に浴びて守ろうとする姿勢には感動した。例え夫婦揃って私を貶めようともその姿勢はえらいな。褒めよう。君たち夫婦は愛し合っているのか?その「愛」とはどのようなものだ?英語で言うところのLOVEなのか?日本人にとって結婚を誓う事、夫婦のあり方などについて考えた事あるか? また、夫婦はどうあるべきかなどと考えたり話し合ったりした事はあるのか?
私は伝統的な考え方をする者だから、君たち夫婦の関係性が良く判らないのだ。私の感じるところによれば、伝統的な夫唱婦随からは遠い感じがする。私の考えから言えば、「女房一人御しきれないで何をやっとるか!」との感想を持つが、若い君たちは違う考えで夫婦をやっているのだろう、きっと。是非考えを聞かせてくれ。
>科学が未発達の時代に書かれた書物(聖書)の記述が、現代科学を否定するほどの科学的内容のわけが無い
古いから間違いってのも全く科学的内容がないですよー。
よう よりと鶏糞は同じ穴のムジナです。
僕には鶏糞と よう の区別がつかにゃーんだが。
どちらの、自分の都合のワリイことにはホッカムリをして恥じることのにゃー屑
科学が未発達の時代に書かれた書物(聖書)の記述が、現代科学を否定するほどの科学的内容のわけが無い。
「聖書と矛盾するから、進化論は間違い」と言うのは、本末転倒。
Temporalさんは第1掲示板には出入り禁止なので言いたいことがあるなら第3掲示板にでも書いてください。どうしても第1掲示板に書きたいのであれば、謝罪と反省の意を表明するように。
ダーウィンの進化論と今の進化論の内容の違いを知らないんですか?
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。