このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
あなたはエントロピーを理解していない。
にもかかわらずあなたは、エントロピーについて、自分の思いこみだけで間違ったことを言い放している。
あなたは我々に嘘をついているだけではないのですよ。
そもそも我々はだまされないから、別に被害はない。
本当の被害者は、あなたなのです。あなたは他者に嘘をつくとき、同時にあなた自身にも嘘をついて、あなた自身をだましているのです。
そのことが実は、もっとも大きな被害なのです。
あなたは、ここじゃなくて、あなただけしか読まない日記か何かにでも、「自分はエントロピーを理解している。」と書けますか?
読者はあなた自身、だけなのですよ。
「種の起源」は、ダーウィンという、専門家の書いた本です。
あなたはそれを読んでいない。
にもかかわらず、「(全ての)専門家でさえも、進化論を、帰納的に立論出来ていない。」
とあなたは宣言している。
「種の起源の中でダーウィンが進化論を、帰納的に立論できているかいないか」を確認できないあなたが、いったいどうして、そう宣言できるのですか?
この問題に誠実に答えることをしないで、あなたがどれだけ言葉を重ねても、誰からも相手にされるはずがない。
まず自分から、改めるべきでは?
あいかわらず「種の起源」を寝屋のお供に読書中です。
本書を読んでいて思うのが、当時は博物学の時代の頂点であり、ダーウィンもその申し子なのだな、ということ。進化論という理論が、世界中から収拾された生物のデータに対して、いかにそのパターンを説明できるかと生み出されたこと。とはいえ、当時の世界観からすれば異端であるその理論を紹介することに、いかにダーウィンが気をつかったかということ。
「種の起源」は「進化論の本」であると同時に「進化論についての本」でもあるのですね。
面白い。
長々と書くとようさんが答えにくいと思いますので、要点を二点だけに絞ります。以下の二つの点について、ようさんの返事を期待しています。
・「愚かで陰湿で偏狭だ」ってのは人格批判じゃないんですか?
・進化論以外の科学理論で、「帰納法」で立論されたものの具体例をあげてください
>誹謗中傷と言うのは特定の団体組織、個人へ為されるものであって、「進化生物学者」に対しての非難攻撃は「一般論」である。
ようさんは、ダーウィンという特定の個人に対して誹謗中傷しましたよ。また、議論相手に、
>あなたの表現と心根を想像するに、実に愚かで陰湿で偏狭であるか
>お前はほんとに「熱意」だけだな。ギョーカイ人特有の。マリファナとかに手を出すなよ。多いからなそっちのギョーカイは。
>Mはただ単に浅はか、「浅薄無才」というべきだな
等々と言いました。お互い様じゃないんですか?私は、ようさんの上記発言を問題にしていません。人間、感情的になることだってあるものですから。きちんとした議論をしたいのであれば、ようさんは多くの答えていない質問があるはずです。そちらに答えることを優先されてはいかがですか。
>創造科学そのもの、聖書が正しいとして演繹法に則り研究する事のどこが「非科学」であるのかは論理的に為されるべきだ。
まったくその通りですね。冷静にかつ、論理的に創造科学がなぜ疑似科学なのか、私のサイトで詳しく説明しています。私の説明に反論したいのであればどうぞ。そのための掲示板です。しかしながら、ようさんを含めて、反論できた人はいませんが。
>大文字は私の人格を貶める自由など保持してはいないし、もちろん私にも無い。
ようさんには、「実に愚かで陰湿で偏狭である」「単に浅はか「浅薄無才」」などと他人を評価する自由を保持しているのでしょうか?
>しかし、私には自分の人格を守る権利はある。
ならば、どうぞ人格をお守りになってください。ようさんご自身によって論理的に反論することによって、ようさんの人格は守られます。
>貴方の主催するこのサイトにおいて、貴方が主唱しており問題定義もしているのである。それにそって議論がなされれば、私は民主主義的に、と考えるがあなた方は、反進化論者には人格攻撃もやむなしとの戦略を立てているように見受ける。少なくとも無言の容認。まるで昔の共産主義過激派の戦略と酷似している。
私のサイトでは、参加者の発言の自由を最大限に尊重しておりますので、上記引用したような誹謗中傷でも許容します。よかったですね。
>”創造論は演繹法に則っており論理的かつ科学的である。
>しかし、進化論は論理的に立論されておらず、論理的、科学的とは言い難い”
進化論は論理的に立論されています。ようさんは、以下の質問から逃げ回っていますが、答えていただけるのでしょうか。
「進化論以外の科学理論で、「帰納法」で立論されたものの具体例をあげてください。」
しからばお聞きしたい。「ダブハン」がいけない理由は何か?一人の意見をさも複数の意見であるように見せかける卑劣さを戒める、と言う意味ではないのか。
誹謗中傷と言うのは特定の団体組織、個人へ為されるものであって、「進化生物学者」に対しての非難攻撃は「一般論」である。
私は、人格攻撃は止めようと提議している。議論の妨げになるからだ。感情のもつれはエスカレートするのが人間の常である。私は怒っているのである。やられたらそれ以上の報復を望むのが人間である。私と「山オヤジ」と特定しての非人間的批判は醜悪の極みである。例えば私も貴方がたを「特定」して、それ以上の非人間的攻撃を加えることも貴方は許容すると仰るか?そして貴方がたが更にそれを上回る攻撃を私に加える。そういう事を貴方は、「それも致し方の無い事」とお思いか。
私は少々の理性を持って関係性を修復したり、或いは無視したりとしてきたがそちら側には「自浄作用」が働かないようである。
創造科学そのもの、聖書が正しいとして演繹法に則り研究する事のどこが「非科学」であるのかは論理的に為されるべきだ。感情を排した理性と論理こそ科学者、医学者としての姿勢ではないのか。
貴方も援助交際をする少女たちと同様に「他人に迷惑をかけなければ何をやっても良い自由」を保持している、と考えているようだ。
大文字は私の人格を貶める自由など保持してはいないし、もちろん私にも無い。しかし、私には自分の人格を守る権利はある。
よくお聞きください。近代法を頂く近代国家日本の国民である日本人に与えられている自由とは「契約の自由」と「所有の自由」なのである。民主主義国家における自由とはそういうものだ。民主主義とは自由討議による意思決定のシステムである。自由討議は何事かを決める為のものである。良いのか悪いのか、やるのかやらないのかを決める事だ。「自由な発言」は決定の方向へ集約されなければならない。
貴方の主催するこのサイトにおいて、貴方が主唱しており問題定義もしているのである。それにそって議論がなされれば、私は民主主義的に、と考えるがあなた方は、反進化論者には人格攻撃もやむなしとの戦略を立てているように見受ける。少なくとも無言の容認。まるで昔の共産主義過激派の戦略と酷似している。
そのような状況の容認は、主唱者である貴方の責任と言わざるを得ない。
>”「創造論は科学的にも正しい」「進化論は科学的にも正しくない」という主張が間違っていると言っているのです”
私は真っ向から反対意見を表明し、こう申し上げる。
”創造論は演繹法に則っており論理的かつ科学的である。
しかし、進化論は論理的に立論されておらず、論理的、科学的とは言い難い”
>ミケさん
私はやはり貴方を議論の相手として信頼できない。何をしたいのか、何を言いたいのか。下らない言葉遊びとしか思えない。
人間、人類は様々である。民族部族的にも特徴がある。これを累積的変化と呼ぶのは結構である。大元を辿れば人類は一組の夫婦に行き着くかも知れない。その夫婦から地域隔離(部族)が起こり、生殖隔離が起こるのも理解する。そして当たり前のように人類はみな「共通祖先から分かれて」いるのである。
これがなんの意味を為すのだ?単なる観察事実に過ぎない。種を超えて、異なる種が「共通の祖先を持つ」としなければ何の意味も無いのだ。時間の浪費は止めたまえ。
>久保有政ファンの皆さまへ
私は氏のファンではありませんが、洪水の創造論的説明には高い評価をしています。こういう場所で著名人の名前・著書を出す事を極力控えて参りましたが、つい気が緩んだようです。嫌な思いをさせた事にお詫びします。申しわけありません。
なんか熱意は分かりますが、基本的な入門書くらいは読みましょう。
「ひも(ストリング、弦)理論」と呼ばれるものには、
・宇宙ひも(弦)
・超ひも(弦)
・膜宇宙論(ひもの2次元を3次元に拡張したもの)
などが知られています。
しかし、これらが主張されていることと、脳の活動が電気パルスであることを、直接結びつけるというのは無謀に過ぎます。
それは、
「Aということを知った」(ひも理論のこと)
「Bということを知った」(脳の活動が電気パルスで検証できること)
「AとBは関係あるに違いない」
という、まったく説得力のない推論ですよ。
想像力をかきたてられた、というのは分かりますが、それだけで誰かを納得させることはできません。
神の全能さ、聖書の正しさ、を証明するために、「嘘」を前提とする必要はあると思いますか?
読んでもいない「全ての専門書」が「帰納法で立論されていない」と主張することによってしか、聖書が正しいと立論出来ないような、薄っぺらなものですか?聖書は。
草野球はろくに道具もそろわないので、キャッチャーや一塁手も普通のグラブを使っている。
ミットもない、と言うしゃれと思われ。
ミニヨンさんが、まともな議論をしようという意志がないことは、間違いなさそうですけどね。
前回書いたストリング理論に、関係があるのではないかと思ってます。
イージースキャナー
1,000分の1秒単位で、脳の活動の変化を見ることが出来るのです。
一つ一つ思考や反応はじつは脳の中の小さな電気パルスです。
弱い微弱な信号ですが、頭がい骨の外からスキャナーで読み取ることができます。
http://www2.ocn.ne.jp/~chikyuu/newpage39.htm
久保説マンセーな木屑は
「どこが、どのように、どうやって」検証されたんだ?
には、少しも答えない。
ぱぱに云いつけてやる〜、みたいに「情けない屑行為」をしなくても、こっちできちんと証明すればいいだけなんだが…「できるわけない」から仕方ないね。
>醜い人格攻撃は聖教新聞の 正宗批判みたいで草野球ですよ!ミットもないって
そぉいうのこそ「醜い」「誹謗中傷」なんだって気づかないのかな?
なにが醜いって、聖教新聞うんぬんなんてね、どうでもいいの。
・草野球と、草野球が大好きなひとに対して
猛烈に失礼なんだ、と分からない?
きみはさぁ、「草野球をしているひとはみっともない」と述べているんだよね。分かる?
モラルもへったくれもない言動を繰り返している割に、同一宗教内部について言及が及ぶと、思い出したみたいに「お行儀」を口にする、そのご都合主義はどこからくるんだろうねぇ。
んじゃ、ダーウィンの種の起源さえ読んだことも無い人(ようさん)が、
「進化論の専門家たちはだれも、進化論を帰納的に立論していない。」と宣言するのはどう思います?
専門家の本を読まないで、読んだかのように言い触らすことは誹謗中傷以前の話、嘘八百だと思うのですが。
どういう現象が確認されたら「生命活動はエントロピー増大の法則を超越している」と述べることができるかなあ、と考えてみた。
「完全に密閉した部屋に人間を閉じ込めて1年たってもまだ生きていた」ら、そう言えるかなあ。もちろん熱収支とか厳密に計測して計算せんとあかんですが。
ヨガの行者とかで、上のような逸話をたまに聞く事があるんですが、残念ながら「個別のお話」にとどまっていて科学的な分析が無いのが残念なところではありますな。本当だったら面白いのにー。
ハ〜
σ(`ヘ´)
☆
(*_*)
コツン
なんだか禅問答みたいだなあ、と思った(^^;
(と言うほど禅問答について知っているわけでもないのだが)
>レムナントのホームページ行ってご覧なさい、良い事沢山書いてあるから
科学的にも進化論は間違いで、「良い事」の方が正しいと言うのならば、
進化論を否定するような「良い事」が、科学的批判に耐えられるかどうか、試してみます?
もちろん、科学の分野に口を出さず、信仰の範囲で「良い事」を楽しむことに異論はありません。
それから、「醜い」のも「ミットもない」のも、批判から逃げ回っている割には偉そうにしている人の方だと思いませんか。
大文字ナンさんはきちんと理由を書いて批判をしています。
もちろん、誠実な対応をする人を罵倒したりはしません。
延々と不誠実な対応を続けていれば、ひどい言葉を投げつけられても仕方がないと、信仰心のない私は思いますけどね。
只不思議なのは、信仰心があると自称する人の方が、本質的にはひどい対応をしているように見えるのは、なぜなのでしょう。(全員ではない、念のため)
進化論の根拠も知らず、只単に結論が気に入らないからと言って、デタラメな理由で否定することは、多くの専門家に対する誹謗中傷だと言うことを、ミニヨン さんが理解してくれると良いのですが。
レムナントのホームページ行ってご覧なさい、良い事沢山書いてあるから
あと太文字ナンちゃんの誹謗は単なる批判批評ならば、醜い人格攻撃は聖教新聞の 正宗批判みたいで草野球ですよ!ミットもないって
http://remnant-p.com
えへへ、こちらが実はネタだったのです (^_^;)
だって、著作の内容を批判してるときに、誰と親交があろうとハンサムだろうと関係ないじゃん?
そういう主張が出来るならみゆき様だって!...という軽いノリだったのでした。
なお別に、輪廻転生を信じてもいません。
みゆきさんの歌詞は、「幸せな時期があればかならずつらい時期もやってくる」といった程度の、つまり、あざなえる縄、の意味だと、ボクは解釈しています。
歌詞は自分の心に響くように解釈すればそれで正解なのだ!
それにしてもお二人とも、ようさんの発言はいつもスルーしておられるのですね?
中島みゆきよりは、はるかにつっこみどころがあるのに...??
彼のキリスト教観や聖書観、世界観は、クリスチャンとお見受け消されるされるお二人にとって、
あれで問題ないと...??? (@_@;)
いえ、(ネタで返していただかなくても)素で返していただいて結構です♪(解説:イエ、スで...(^_^;) )
なるほど、そんなものなんですか。
ま、ビッグ・バンみたいなふうに捉えればいいのでしょうね...。(違ってたらごめんなさい。)
もちろん全てを超越したお方に物理学や、それどころか哲学の枠さえ、はめられないだろうとは、何となく分かります。
光と影の問題は、しょせん両方とも神が創ったものだから、元の数に入れないんだ...。
そういう意味なら、了解です♪
お返事しまーす(笑)
うん
中島みゆき教信者なおずおずさんへ
>時代はまわる
を否定ですか?
すなわち、万物は流転するの否定を私に求めているのでしたら!おあいにく様
♪まわるまわるよ時代はまわる 喜び悲しみ繰り返し 今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ。
検証すると、おずおずさんは、ヒンズー、仏教に脈打つ輪廻転生生まれ変わりを信奉されていて暗に示されておられるならば
いいえ 生まれ変わり
なんかリアルに信じませんって答えます。カトリックの遠藤周作氏は最晩年に聖書のパウロ書簡から輪廻を読み取れると 確か書いていた記憶がありますが、少なくても、一般論としてキリスト信仰な私は生まれ変わりカルマの法則は否定します、科学的に否定も証明も出来ませんが、ご承知下さいませ。
後 万物は流転するを否定出来るか否か?ですが
中島みゆき教では、
別の詩に このようなフレーズがありましたよね。
─時の流れにも変わらないものを信じて
ちょっと違っていたらごめんなさいね。
聖書に「イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わらない。」とありますので
以上の考察から〜はなはだ簡単ではありますが、万物は流転する
を一般論としては常識的?に否定はしないつもりですが、
万物 創造物ととるならば、イエス・オフコース オロナミンCなんです
が しかし 神様ヤハと御子イエス様と聖霊様のトリニティ三位一体の方は流転しない!と私達キリスト者は信じておりますよ。
文責 吉田
粋にネタで返すことを求められてるような気もしますが
不器用ですけぇ普通のお返事で。不調法で申し訳ないです。
>この場面を想像する場合、少なくとも「光がある前のなにか」と、「光そのもの」と、「真空中でどなってるおっさん」の、3元がいると思うのですけど、どこか間違ってるでしょうか? (-_-;)
「光そのもの」「おっさん」はいますが、光はおっさんの作ったものですから
おっさんと同格の元にはなりえません。「光がある前」の想定は無理です。
でなければこのおっさんに先立って時間が存在していることになってしまい、
「全能の創造者」ではなくなります。「真空中」等おっさんのいる場所も別に必要ないです。
このおっさんは常識や理屈が通じる相手じゃないので^_^;
つまり、おっさんだけがあればいい=一元論で桶です。
余計わかりにくい比喩かもですが…
この世は劇場の舞台上で繰り広げられるお芝居と想定して下さい。
私たちは劇の登場人物ですから、劇中の時間や空間が世界の全てです。
(役者ではなく劇中人物であることにご留意下さい)
で、冒頭のシーンが「光あれ」です。
劇がはじまり、舞台に光が灯って存在しはじめ、劇の時間が流れはじめます。
劇中人物にとって冒頭のシーン以前には何もないと思うのですが、どうでしょう?
しばらくぶりに、議論らしい議論!
深呼吸しよう!すーはー!!
さて、「無からはなにも生まれない」ということは私の脳内聖書から演繹的に立論されてるかね?
...あわわ、いつのまにか癖に...。
光、あれ!
というと光があった。
この場面を想像する場合、少なくとも「光がある前のなにか」と、「光そのもの」と、「真空中でどなってるおっさん」の、3元がいると思うのですけど、どこか間違ってるでしょうか? (-_-;)
原子論のデモクリトスが「無からは何も生まれない」って言葉を残してて
これはギリシア自然科学思想の公理です。
神話のはじめが無を想定してたことと関係があるのかもしれにゃーですね。
気づかせていただいて、ありがとうございます。
どこかで書こうと思ってたことを、尻馬に乗ってここで。板違いですが。
>さて、一元論を究極まで推し進めると、光の欠如、という状況はありえないと思うのです。
>光、と、光の「欠如」、を認めるた時点ですでに、2元論が始まるのでしょう?
それは「無」とか「空」を元になりうる実体のあるものとして想定していませんか?
世界の始原神話で想定される原初状態には2つの系統があります。
よくあるのは何もかもが混じりあった、泥のようなポタージュのような状態です。
こっちのパターンだと、ドロドロから何かが分離されると残った片割れも「何か」になりますから、はじめに2つ以上のものが同時に生まれます。
はじめに生まれるものは「天と地」「光と闇」等が多いですが「塩水と淡水」なんてのもあります。
もう一つの系統で想定される原初状態は「無」です。ギリシア神話のカオスが代表的です。
(いまパラ見したマヌ法典もこっちっぽい臭いがしますが自信なし)
ギリシア神話には3つほど始原神話があります。最初にカオスがあったという説を唱えているのはヘシオドスっておっさんなんですが、彼はカオスを「漠々と口を開いた空隙」と表現しています。(「カオス」という語の原義は「大口を開く」です)
時間も空間もこの後に生まれるので、なんと表現したらいいのかな……完全な空集合が「ある」というのをイメージしていただければ近いかなあ。
ですから「原初ドロドロ混沌状態」をカオスと呼ぶのは地水火風の四元素説が一般化して以降の、伝統ある誤用です。
聖書の創世神話は後者のバージョンだと思います。
ただし「無」じゃなくて「神」だけがあった。
これならAが生まれても「じゃあ非Aは何なんだよ?」にならないので。
To ミニヨンさん
もうひとつ補足します。
ここに再三出てくる「よう」というHNを使う「どこの初学者さんでも分かる初歩的な間違いを決して認めない創造科学以前のばか」みたいなのが、あなたの好きな久保の著書を持ち上げたりし続けることのほうが、問題なのでは、と気づきませんか?
#さすがの久保でも、ここまでの馬鹿に持ち上げられるのは「愚弄」と思うんじゃないかな。
馬鹿が久保を引き合いに出せば出すほど、馬鹿そのものだけではなく、久保に対する批判もより詳細に深くなってくるでしょうねぇ。
#まぁ私は、そのほうがいいんじゃん、と思ってますけど。
>そうした個人の関係と創造科学論を自己批判なしに掲げることは批判されてしかるべきです。
そうした個人の関係に関わらず、創造科学論を自己批判なしに掲げることは批判されてしかるべきです。
↑に訂正します。
ここには私のリアルとリアルな性格およびスタンスを知っているひともいるので、とっくに承知かも知れないけれど、まだ知らないひともいますので、あらためて書きます。
言論について。
私はそれが、フィクション(創作や二次創作)であったり、思想信条に関わるもの、信仰そのものからくるお説教の類いであるなら、好悪を表明することはあっても、「そういうことを云うヤツは屑」とは思わない。いや、思ったにしても、それを表現することをためらうでしょう。
しかし、こと事実に関して不誠実な態度に対しては、云いたいことを云う。たとえ相手が私の肉親であっても云う。だからもしも、久保有政が「創造科学は間違いだ」とすでに述べていて、それを私が知らないのであれば、これは私に落ち度があると思う。しかし、創造科学を流布し、商業出版物として流通させているような輩を「ダメ人間」と評することに、私は躊躇しない。
と、前提を踏まえて(屑相手にダメ人間擁護をする気はない)、
ミニヨンさん。
>私なんかリアルにイイコイイコされたんだから!ニャロ。
リアルでイイコイイコされたことと、主張が完璧に間違った出版物を「事実だ」と流布している行為は関係ありません。あなたが彼をいかに「好き」であろうと、私はそれを批判しませんが、そうした個人の関係と創造科学論を自己批判なしに掲げることは批判されてしかるべきです。
>イスラエル大使コーヘン氏やオリエント学会の三笠宮様とも親交のある長身でハンサムな久保有政氏を屑よばわりは酷いからね、人格者だよ。
上記と同じく。
これは、
http://homepage3.nifty.com/hirorin/bookkiben.htm
にある
>「あの人を極悪人のようにいうのはどうかと思います。何かよいところもあるはずで、たとえば、毎朝歯を磨くかもしれない」
と、まったく同じですね。
無論、本件について、私の「始祖鳥に関する批判」だとか「創造科学全般に対する批判」が、完全に間違っていた場合(そしてそれが多くのジャッジによって検証された場合)、当然のことながら私はあらゆる方法で謝罪するでしょう。
>大文字ナンは少し度が過ぎている。
そうかもしれませんが、お互い様でしょう。それとも、ようさんは行儀正しい発言をしているとでも?
>私個人へのそれもそうだが、ここにいない他者への誹謗中傷は我慢がならない。
これは、大文字ナンさんによる、久保有政氏に対する評価のことだろうと推測します。確かに、ここにいない他者への誹謗中傷はあまり行儀のよいものではありませんねえ。しかし、それを言うなら、ようさんだって、進化生物学者へ「誹謗中傷」してはいませんか?たとえば、5月17日5時4分の発言にある
>進化論は「立論」されていない。ダーウィンの「思いつきアイディア」
などね。ダーウィンに対する誹謗中傷に他なりませんが、私は心が広いので、別にとがめだてしませんでした。(ようさんが本当に誹謗中傷しているのは、ダーウィンではなく、竹内均なのですが、それはようさんに言ってもご理解いただけないでしょう)。まあ、ようさんにとって、ダーウィンによる進化論は「思いつきアイディア」なのでしょう。同様に、大文字ナンさんにとっては、久保有政氏の説はキチガイ理論なのです。何か問題でも?それとも、ようさんは自分だけが他者を批判する権利を擁しているとでもお思いでしょうか。
一般論として申しますが、賢者を相手に馬鹿呼ばわりすれば、馬鹿呼ばわりしたほうが馬鹿とみなされるものです。自業自得です。大文字ナンさんによる久保有政氏への評価が我慢ならないのなら、以下にその評価が誤っているのか、ようさんが説明なさってはいかがでしょう。その結果、皆を納得させられれば、馬鹿にされるのは大文字ナンさんのほうです。そうしたオープンな議論を保障するのが管理人の仕事です。進化論に対する批判、創造論に対する批判、両方ともこの掲示板では許されています。
仮に、ようさんの発言をとがめておきながら、大文字ナンさんの発言をとがめなかったのであれば、不公平な管理と批判することもできましょう。進化論に反対する意見をかたっぱしから削除したりしたとしたら、それは議論の場ではなく、プロパガンダを垂れ流す場所に過ぎなくなります。だから、この掲示板においては発言に対する制限はほとんどしておりません。ようさんの自由に発言を私は保障します。その代わり、ようさんは、他の人が自由に発言するのを許容してください。
>「共通祖先から分かれたもの」はどうやって分かれたのかが「進化論」のはずでしょう(笑)
「どうやって分かれたのか」を彼は聞いてるのでしょ?
>>【「前提」;生物が自然選択により累積的に変化するならば
> 前提はOKです。
どうやって分かれたか?自然選択により累積的に。
んで、OKはNoてこと?
...あ、どうせNoの意味も知らないんだった...。
ボクは論点変更には引っかからない。
最後の一行は消し忘れです...。
お祭り騒ぎなのでスルーされてしまうかもしれませんが。
まあそのときは答えてくれるまで投稿するとして。
>前提はOKです。
>推論;>生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく< これもOKです。
> >共通祖先から分かれたもの同士< イキナリこれですか!(笑)
>「共通祖先から分かれたもの」はどうやって分かれたのかが「進化論」のはずでしょう(笑)
ふむ。推論に飛躍があって気に入らないと。
ならば順番にいきましょう。
今回のよう さんのリクエストは、前回と同じく、
一回で済むところを二回に分けるだけで解決してしまいます。
というわけでどうぞ。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1143897717/107
『生物の中には共通祖先から分かれたものがある。』
を証明された公理として扱ってよいでしょうか?Yes or No?
> 光がなければ影はできにゃーだろ?
さて、一元論を究極まで推し進めると、光の欠如、という状況はありえないと思うのです。
光、と、光の「欠如」、を認めるた時点ですでに、2元論が始まるのでしょう?
つまり、本来の2元論とは、空即是色色即是空であるべきだと思うのです。
つまり、一元の存在がもう一元の存在を成り立たせる。2元引く1元は1元ではなく0元になる。
例えば光即是影、影即是光...。
その意味では、ゾロアスターは、3元論にならないのでしょうか?
巡るーめぐるーよ、世界ぃは巡るぅ...。
まともなクリスチャンは、まともな論理をもってるとは限らない。
ゴメン
携帯からだったんで、よう様の書き込み見てなかったf^_^;
おっしゃられていることには全面的に賛成します。
が、タイトルには賛同しかねます。
NATROMさんはきちんと管理者責任をはたしていらっしゃると思いますが?
ここがまともなクリスチャンに馬鹿にされるのもなんなので、ちょっとつっこませてもらうにゃ>おずおず
>「闇」は、神が作ったわけではないことになる♪
>なにせ、一番最初に創ったのが「光」だったはずだから。(「出版されてる聖書」より)
>神が万物の創造者、なんて、うそだぁ!
いや、キリスト教は基本的に一元論なのでそうはならにゃーんだわ。
で、一元論を説明するために、二元論というものを見てみるね。
二元論の宗教というと、その典型はゾロアスター教にゃんな。
アフラマズダとアーリマンに表象される光と闇・善と悪・聖と邪が拮抗する対等の実体なのね。
ところがなあ、ユダヤ・キリスト教においては、光にして善なる神聖な唯一者が全ての根源なのだにゃ。
ではなぜ闇(悪・邪)があるかというと、これは光(善・聖)が欠如した状態であると考えられるわけ。
闇というのは、光に拮抗する実体ではなく、単なる欠如であり、せいぜい影にすぎにゃーものなわけだにゃ。
光がなければ影はできにゃーだろ?
これまで、ようさまは、ほかの参加者のみなさまに対して、
攻撃的態度を取り続け、ハンドルの呼び捨てや、
「お前」呼ばわりや、根拠のない同一人物の決めつけをはじめ、
数かずの誹謗中傷をしてきました。
また、科学にうといと言いながら、進化論は科学的でないと、
自分にはわかる、のような主張を、いつまでもくり返すなど、
傲慢もはなはだしいですし、都合が悪いことは、
デマだ、言いがかりだと決めつけ、「なかったこと」にするという、
卑劣きわまりない態度も、枚挙にいとまがなくなっています。
現在の「我慢がならない」状況は、ようさま自身の、
自己中心的で、頑迷きわまりなく、聞く耳持たない態度が、
根源的な原因にほかならないと、わたしは考えます。
したがって、ほかの参加者のみなさまが、態度を改めたところで、
ようさまが、そのままでは、ほどなくして、
もとの木阿弥になることが、強く予想されます。
よって、もとの状況に戻らない、確実な状況改善のために、
これまでのことについて、ようさまに、全面的な謝罪と、
完全な改心が、必要不可欠であると、わたしは考えます。
そういうしだいなので、まことに僭越だと思いますが、
その旨を、管理者さまに、提言するしだいです。
>でもルールは変えるし、向こうは大勢の「タッグ」で交代OKだから。
(5月13日(土)21時40分)
それから以前、ようさまは、この掲示板の、
ルールを変えたと、おっしゃっていました。
そんなことないという異義が、わたしを含めて、
ふたりからあったのですが、ようさまからは、なんの説明もありません。
これは、NATROMさまの運営方針に対する、
根拠のない言いがかりの、おそれがあると思います。
ようさまに、どういうことなのか、ぜひ釈明していただくことを、
合わせてお勧めしたいと思います。
神が「光あれ!」という前は、永遠の闇が支配していたらしい。
んじゃ、「闇」は、神が作ったわけではないことになる♪
なにせ、一番最初に創ったのが「光」だったはずだから。(「出版されてる聖書」より)
神が万物の創造者、なんて、うそだぁ!
「光あれ!」と神は第一声を放ったか?
否。
光ある前には闇があり、闇が覆う前には光があった。
従って、神は光をもたらすために、「闇よあれ!」といったはずだ。
否定できるか?闇無くして光は存在できるか?
時代は回る...。
> 個人への誹謗中傷は止めさせるべきだ。
ま、どちらかといえば個人ではなく故人(わーい、親父ギャグぅ〜!)だけれど、
ようさんがダーウィンにやってることこそ、誹謗中傷なんだよ。
...ごめん、読みもしないで否定するのは、誹謗中傷というよりは「妄想」なんだ。
大文字ナンさんは、ちゃんと調べて批判してる。誹謗中傷じゃなくて、批判、或いは批評という。
ミニヨンさん
気持ち(だけ)は分かります!
実は中島みゆきの歌詞は、聖書よりもはるかに深遠な真実を表しているのです。
これは理屈ではありません!「極超絶対真理!!」なのです。
人生の全ては中島みゆきの歌詞から演繹するべきなのです。
あなたは「時代はまわる」を否定できますか?
個人への誹謗中傷は止めさせるべきだ。
私個人へのそれもそうだが、ここにいない他者への誹謗中傷は我慢がならない。
大文字ナンは少し度が過ぎている。
科学者としての倫理観と言うものがあると思うが、如何か。
>大文字ナンちゃん
久保先生を馬鹿にしたらミニヨンが承知しないからね!!!
何も知らない癖に
私なんかリアルにイイコイイコされたんだから!ニャロ。
イスラエル大使コーヘン氏やオリエント学会の三笠宮様とも親交のある長身でハンサムな久保有政氏を屑よばわりは酷いからね、人格者だよ。
判った?
http://6202.teacup.com/remnant/bbs
ミニヨン。
> お前、ミケの日本語で理解するのか?
おまえ、ミケさんの日本語を理解もしないで、
二つの文章に対して『OK』と書いた、のか?
OK、とは、「了解♪」、「分かった!」という意味なんだよ。
...なるほど、...考えてみればボクが悪かった。
日本語さえ理解できないあんたが英語をちゃんと使えるわけはなかったんだ...。
>聖書内に於いては記述されたものは「絶対真理」として在るわけです。
>聖書内において絶対真理であっても構いません
「聖書の記述が自然科学の説明原理として正しいか」と言う以前に、聖書内に於いてさえ「絶対真理」ではないようです。
こちらを引用しておきます。久保有政氏が論破されています。
http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/harmonization.html
これにより「聖書がもし正しいとするならば」と言う前提を置くためには、「聖書が正しい」こと自体の検証が不可欠になりました。ぜひ始祖鳥以外の検証結果をお願いします。
ただこの場合、聖書が「絶対真理」であるとすると、聖書内の記述の全てが正しいことを示さなければならなくなります。
それに対して、聖書が「絶対真理」でないとする側は、聖書に一カ所でも、誤り、矛盾を見つければよい訳ですから、ようさんは大変ですね。
参考URL→http://homepage1.nifty.com/archaeo/dinobird/shisochou.html
に、かなりの情報が網羅されています。
また、このページの中ほどでは、
----------------------------------------------------------------
始祖鳥が飛べたか飛べなかったかという問題については、かなり説得力のある仮説があります。
風切羽のかたちを見ることによって、その鳥が飛べるかどうかが判断できるというものです。ダチョウなどの飛ばない鳥の風切羽は羽軸に対して左右対称であるのに対して、飛ぶ鳥は航空力学上の要請から左右非対称の風切羽を持つことが知られています。ならば始祖鳥はどうかというと、かれらの風切羽ははっきりと羽軸に対して非対称のかたちをしていますから、始祖鳥が飛べた可能性はかなり高いと考えることができます。
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と記述されており、(聖書の記述を担保するための)気圧だとか水蒸気だとか持ち出す必要なく、始祖鳥は飛べたであろうことが、ただの推論ではなく、物証を伴う根拠を伴い提示されています。
さらに、
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そして2002年10月、Cork大学のO'FARRELL, DAVENPORT, KELLYにより、英国鳥類学協会の論文雑誌『IBIS』10月号に、非常に説得力のある論文が発表されました。
始祖鳥が地面効果(※5)を利用した飛行者であったという仮説です。
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とあるように(記事の翻訳もURLにあります)、始祖鳥は地面効果によって飛翔していたらしいことが、数限りない物証と、現世生物はおろか、航空機や航空力学上の見地まで添えて解説されています。つまり、久保説にあるような「つけたし」の必要はまったくなく、それどころか、おかしな付け足しを加えることで飛行高度が変化したりしたら、プテロサウルスなどのように、より機動性の高い飛行能力を持つ恐竜に容易く捕食されてしまい、始祖鳥の適応度を著しく引き下げてしまったであろうことまで示唆されています。
>「もし正しいとするならば」と言う前提を置く事に何の問題がありますか?
仮定を置くこと自体には全く問題ありません。
しかしながら、「・・しかし現実と合わないのであれば、前提となる仮定が間違っている」と結論できないならば、
科学的・論理的に致命的だと思いますが。
つまり、「もし〜なら」とセットになって「しかしながら、もし〜でなかったら」を考えていなければ、
それは単なる御都合主義か卑怯でしょう。
「もし**なら、この仮説を支持する。しかしながら、もし**でなく‥‥なら、この仮説は棄却される」
これが科学でしょう。
結局、
「聖書内に於いては記述されたものは「絶対真理」として在るわけです。」
ここですよ。
聖書内において絶対真理であっても構いません。
例えは悪いがSF小説と同じですね。エドモンド・ハミルトンが「木星には大火炎海があり、木星人は6本足の馬に乗って大地を駈けている」と設定したなら、その書物の中ではそうなのです。
で、私が聞いているのは「で、聖書が本当にこの世界で科学的にも絶対であるという保証は??」という点です。
今のところ「洪水以前は今の気圧の2倍で「始祖鳥」は難なく飛べる」のが現実と整合性がありそうだ、という以外の例を伺っていません。
そして、この例に対してすら
・洪水以前って、洪水はあったの?
・気圧が2倍で始祖鳥の説明はできるかもしれないが他の事実も説明できるの?
・気圧が2倍なければ始祖鳥は飛べなかったの?
・始祖鳥って飛べたの?
という疑問が瞬時に湧いて来ます。
一方で、聖書を用いないで説明する方法もあり(要するに古生物学ですな)、私はそちらがより無理のない説明だと思いますが?
つまり、聖書を科学すると言いながら、検証によって前提が崩れ去るかもしれない危険に身をさらさないならば、そのどこが科学なんだと思うんですが。
>この場合全ての生物の共通祖先としなければならないはずだ。
うーん、何故?
異なっていなかった生物の集団が少しずつ異なる集団に分かれてゆくとき、
元の異なっていなかった生物の集団を、そこから分かれた異なった集団のなんと呼びますか?
大文字、大文字、とキミのような死人に呼びかけられるのはうざいのですが。私には「あっちの世界」の住人とチャネリングする「趣味」はありません。
#で、山オヤジという糞尿のことはどう思うんだ?
#久保有政→自分の出版社で自分の著書だけを出版する不思議な牧師。ダメ人間の代表。
同じ創造カガク論でも、ダメ理論の筆頭で「創造科学論者からも馬鹿にされている」久保の本に感銘しているような屑脳では、この先、屑が冥福することもないだろう、と論理的に予測。
参考URL→http://transact.seesaa.net/article/13166023.html
>洪水以前は今の気圧の2倍で「始祖鳥」は難なく飛べる、これ検証結果と言って良いでしょう。
わはは。ついに出たね。キチガイ理論登場というわけね。
屑の正体は、この程度のインチキ空想を見抜けないほど「モノを知らず、考える力の備わらない」脳腐れ、ということ。
なにより致命的なのは、「これ検証結果と言って良いでしょう」の部分だけど、どこがどのように検証されたんだ???
もう一度、 どこが、どのように、どうやって、検証されたんだ???
さぁお答えください>屑
共通祖先という言葉に面食らってしまったのかな。
少しずつ異なる集団に分かれてゆくってことは、
分かれる前に異ならない集団がいるだろうってことがわからなかったとか?
エントロピーの対偶の話題のときも感じたけれど、一つの命題からそれが必然的に意味する所を読み取るのが苦手なのかも。
共通祖先。人間の祖先は人間だから共通祖先に間違いない。昔の部族、民族の分布を考えれば生殖隔離も想像にた易い。異なる集団に分かれた事へ何の反論も無い。
ミケの立論は言葉が曖昧だ。この場合全ての生物の共通祖先としなければならないはずだ。
少なくとも私は、そう理解したのだ。
推論に於いてすでに「共通祖先」が登場である。結論が推論に登場するのは「循環論」であり、論理法としては間違いだ。
お前、ミケの日本語で理解するのか?
>大文字
>つまり「進化のメカニズム(機構)」について、ダーウィンをはじめとする博物学者などによってこれまで膨大な検証、観測、そして推論が行われてきていることは「まったく無視」している。
そこまでいろいろ理解する力が在ってもなお、「結論」されていない事に気がつかないのか?お前のような者がいるから「科学信仰」などと揶揄されるのだ。おまえ自身科学を擁護しながら、科学を貶めている事に気がつけよ。
>AHIさん
正しいだろう、と思われる事を「信用」と表現すると誤解が生れましょう。説明有難う御座います。
創造論の本をお読みになれば宜しいと思います。私は久保有政氏の本を読みました。
世界同時大洪水の説明は実に見事です。洪水以前は今の気圧の2倍で「始祖鳥」は難なく飛べる、これ検証結果と言って良いでしょう。
聖書の論理と言うものが在ります。単なる布教活動のガイドブックではありません。神は存在するのかしないのか、と言う証明問題から始まって、「絶対唯一の神は存在する」と言う前提で書かれているのであり、そう読まなければ意味の無い書物です。聖書内に於いては記述されたものは「絶対真理」として在るわけです。私や貴方がキリスト教徒かどうかなどに関係なく、聖書とはそういう存在です。
これと比較して「科学」と言うものは人間の人類の文明です。「正しいかもしれないが、正しくないかも知れない」と言う科学学説、法則は絶対ではありません。しかし科学の手法、論理、立論手順は絶対であるべきでしょう。そうでなければ科学は存在できない。
>信仰していないものにとって、聖書は「昔書かれた文章」です。よってその正しさ、なかんずく科学的な正しさは未知数です。よって「正しいはずだ」という前提を置く事はできません。
「もし正しいとするならば」と言う前提を置く事に何の問題がありますか?どこに非論理性が在りますか?
まず
>洪水が全世界同時に起こった、と言う命題に関しては,推論・結論されています。検証中なのでしょう。故に「検証されつつある、と言って良いでしょう。」
えと、私がお尋ねしたのは、具体的に、どのような事例を、どのように検証されたのか、という点なのですが。
推論・結論されている、というのは「こうではないか・・・こうだ!」ということですか?誰が、何について、どのように推論し、どのような事実を踏まえてどう結論したか、が私の疑問なのですが。
それから「検証中なのでしょう」ということですが、どの程度検証されているのでしょうか?検証といっても「それらしい証拠が一つは出て来た」レベルから「ほぼ間違いない」レベルまでありますが。
具体的な研究例を挙げて頂けると、こちらでも検索できるかもしれません。
>信仰にある者にとっては。しかし、信仰に無い者が聖書を原理として演繹する事は何が間違っていますか?
すいません、「信仰にある」「信仰に無い」という用語がよくわかりません。信仰している、していない、の意味と解釈して述べます。
信仰していないものにとって、聖書は「昔書かれた文章」です。よってその正しさ、なかんずく科学的な正しさは未知数です。よって「正しいはずだ」という前提を置く事はできません。
>「自然科学を信用する」
あなたが前に述べられた通りですよ。得られた結果なり事実なりを十分に説明できる理論ならば正しいだろう、と判断しているということです。また正しいと思われる理論から予測されたことは、とりあえず正しいだろう(が検証の必要はあるかもね)ということです。私にとっては、ですが。
>「聖書は自然科学と無関係」
無関係、って書いたかな。
聖書が自然科学的に正しい必要があるとは考えられないので(理科の教科書じゃないので)、
「聖書の記述であるという事実と、自然科学として正しいという事の間に関連が無くても良い」
という事なら書きました。
聖書が「地球は平らだ」「太陽は地球の回りを回っている」と述べていたとしても、それが問題だとは思いませんよ。
しかし、「聖書に書いてあるから地球は平らだし、太陽は地球の回りを回っているんだ」と言い出せば、それは引用する文献を間違ってます。
そもそも、よう さんの理論は「聖書は絶対」という大前提から始まっています。
その大前提が成立するかどうか私は知らない、だから「聖書が絶対ではない」可能性を踏まえて話をしているということを、御理解下さい。
よう さんの理屈でいくと、自然科学は聖書の無謬性を実証し、誉めたたえるために存在することになります。もし自然科学が聖書の記述と合わない場合、それは科学が間違っているか、もしくは聖書の翻訳・解釈の間違いであって、聖書の絶対性は小ゆるぎもしないのでしょう。
・聖書に書いてあるは正しいので、事実と適合しなければ科学の説明の仕方が悪い
・どうしても科学が間違っていないならば、聖書に書いてあることが違う。
・しかし書いてあることの間違いは翻訳や解釈が間違っているのであって、真実の聖書は間違いではない
さて、科学は何をどう説明しようとも、聖書の無謬性は揺るぎません。常に現実に合わせて解釈を修正された「これが真実の聖書」が立ちあらわれるからです。
(突っ込まれると「違う!お前の間違いだ!」と叫び、逃げ切れなくなると「俺は最初からそう言っていた!」と叫ぶようなものですな)
すると、いくつか疑問が湧きます。
・その聖書の絶対性・無謬性って、誰が保証してくれるのですか?
・絶対に仮定を覆せない検証って、検証になってるのですか?
・科学って聖書の下僕にしてサクラなのですか?
成立過程において歴史的に関係していることと、現在の具体的な議論において考慮に入れる必要があるという意味で関係しているということは、別の話です。
おそらく現在の法律などをどんどんさかのぼっていけば、ハンムラビ法典なんかと無関係ではないでしょう。しかし、現在の裁判において、ハンムラビ法典によれば正しいなどと主張したりすれば言われる訳です、それは無関係だ、と。
共同罪は共謀罪の誤り
進化論少しだけ
この時代の終わりの後
進化の時期が、地球に訪れる時です。
これから人間の世界に訪れる時代は進化の時です。
人類にとっても、数多くの種類の動物にとっても、大きな進化の時です。
現在、地球に存在する動物の中には、来るべき異変を生き残れないものもあります。そうした動物は恐竜やマンモスと同じ運命をたどります。
人間も激変し、新しい種へと進化します。
この進化の過程が生じるのは、順応する必要があるからです。
それでは、これから書くことは「手遅れになってから考えよう」という事ですね。
手遅れといえば
「同じような事二度」日月神事を実現するため、戦前と同じような時代に誘導する共同罪・憲法改正
聖書預言の6・6・6の獣を管理するための世界IDカードの基礎が2011年には出来上がる。
ハルマゲドンを誘導するためのイスラム教との対立に日本は巻き込まれ「全ての宮は壊されーーー」日月神事⇒そのための靖国神社参拝。
「海が陸になり、陸が海になる」日月神事
なるほど、検証してから考えようーーーか。
でも、そのような暇はないと思いますがーーーー。
■聖書:必ずしも「出版物としての聖書」を表すものではない。むしろ、出版物としての聖書を議論対象にした場合、誤訳、解釈、版の前後などによる誤謬や矛盾を避けられないことは自覚しているので、「聖書にもともと書かれていたであろう、想像上の神の言葉」を対照にする。(これにより、反証は不可能になる)
■数学:云うまでもなく、学問の王。
■論理学:事実よりも(科学の)応用結果であるテクノロジーよりも優先する、森羅万象を記述するために欠かせない言語構造。無論、聖書は「論理的に無矛盾」であることが「コンピューターによって確認されている」らしい。
■科学(近代科学):科学とは帰納法で立論し、検証を経て一般原理となる。すでに一般原理となった公理をもとに、演繹法でこれを証明することもできる。無論、聖書は論理的に無矛盾なので、演繹の結果、創造科学論を導き出すことになんの問題もない。
■進化理論(ダーウィニズム):進化論は「思想・信条・信仰」の一種である。なぜならそれは論理的に立論されていないと「思う」からであり、俺がそう思っている以上、とにかく論理的ではない。(もちろん、俺を納得させられるような説明がないからだ)
【解説】
→死人木屑脳腐れの最近の発言、
『「共通祖先から分かれたもの」はどうやって分かれたのかが「進化論」のはずでしょう』
に現れているように、屑は、
『どうやって分かれたのか』
で表すところ、つまり「進化のメカニズム(機構)」について、ダーウィンをはじめとする博物学者などによってこれまで膨大な検証、観測、そして推論が行われてきていることは「まったく無視」している。また、この点に「聞く耳」を持ってしまうと、自説が崩れてしまうことを自覚しているので、この点についての言及には決して耳を貸しません。
このことは、直後にある
『進化論は進化そのものを前提として、つまり進化論が在ったものとして演繹してるに過ぎないんですって』
にも、如実に現れている。
「進化論が在ったもの」というのはつまり、我々が理解するところの、
・同種内における様々な適応的変化
・遺伝子および遺伝を司る情報のやり取り
・変異の仕組み、変異→形質→表現型の流れ
・セントラルドグマ(情報→たんぱく質)
・分子中立進化の観測
・化石の発見。生物が絶滅するという事実。
などによって、強固に固められた「既に検証された部分」なのですが、これらを全部「見なかったふり」にしてしまえば、なるほど「進化はただのアイディアである」となるでしょう。この結果、同じアイディアとしては「読者数の圧倒的に多い(マジョリティである)」聖書の方が信憑性も高い、という「誤った結論」を導くのです。
さらに、
『進化論はいつから在ったのですか?それとも聖書に載っている、とでも言いますか?』
と、続けるあたりは屑の真骨頂で、
・より過去からあった主張は、それだけ帰納法による検証も行われている(だろう)。
・論理性に破綻ない主張は、検証する必要がない(トートロジー?)。
などという、完全に誤りなのだけれど、屑脳内辞書(死亡しているので書き換え不可能)という手順を踏めば、なるほど「主観として完璧」な主張へと変貌します。
>信仰にある者にとっては。しかし、信仰に無い者が聖書を原理として演繹する事は何が間違っていますか?
お前の脳内聖書に同意する為に観察や実験から得られた事実をないがしろにする必然が何処にあるのか、アホかお前は。
脳内聖書から導き出された世界観が実際の現象を自然科学として説明できず、更にはそれでも脳内聖書は真理であると言い張るなら、脳内聖書は「事実に対する解釈としての自然科学」とまるきり無関係だろう。
もう一回書くと
「貴方の脳内聖書は自然科学と『まるきり無関係』です。そこの所を間違えないように」
まあ誰にでも信仰の自由はあるから
以下****内は フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より自然科学について
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自然科学(しぜんかがく、natural science)とは、科学的方法により一般的な法則を導き出すことで自然の成り立ちやあり方を理解し、説明・記述しようとする学問の総称。ここでいう「自然」とは大きくは宇宙から小さくは素粒子の世界まで森羅万象を含み、われわれヒトを含めた生物やその生息環境も自然科学の対象となる。
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極当たり前のことが書いてあるな。さて、脳内聖書では自然科学をどう創作するのか・・・
進化論が帰納的に立論されていないのは、ようさんの頭の中だけということがこれではっきりした。
推論;>生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく< これもOKです。
>共通祖先から分かれたもの同士< イキナリこれですか!(笑)
「共通祖先から分かれたもの」はどうやって分かれたのかが「進化論」のはずでしょう(笑)
ひとつ上の行はOKなんだろ?
なぜ分かれるかは「前提」に書いてるだろ?それもOKなんだろ?
頼むから、人の書いた文書を、眺めるだけじゃなくて、読んでくれよ...。
【「前提」;生物が自然選択により累積的に変化するならば
「推論」;生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく(生殖隔離の成立と適応放散によって)。共通祖先から分かれたもの同士には共通の性質が残っている可能性が高く、類似度で括っていくと階層型(入れ子状)になる。さらに、共通祖先の化石も発見されるだろう。
「結論」;全ての生物は入れ子状の分類体系に納まり、ある生物と別の生物の共通祖先と見られる化石も多数発見されているので全ての生物は共通の祖先を持つ】
前提はOKです。
推論;>生物は少しずつ異なる集団に分かれてゆく< これもOKです。
>共通祖先から分かれたもの同士< イキナリこれですか!(笑)
「共通祖先から分かれたもの」はどうやって分かれたのかが「進化論」のはずでしょう(笑)
進化論の帰納法的結論は、ゆんさんご提示の「・・・共通祖先・・・」とコンセンサスを図ったはず。大きい順に並べてみたら上手く並んだ、だから一番大きいのが「お兄ちゃん」ですかね?
この結論をどうして推論でイキナリ使えますか?日本語おかしいでしょ?
ですから再三再四申し上げているように、進化論は進化そのものを前提として、つまり進化論が在ったものとして演繹してるに過ぎないんですって。進化論はいつから在ったのですか?それとも聖書に載っている、とでも言いますか?
ミケさん、お判りでしょう?人類は1世紀半「まやかし」をやってきたんです。何故か。
そこを考えなきゃ。
希望に燃えた「社会主義国」。終焉が来るなんて殆どの人が想像だにしていなかった。
そういう事は在るんです。人間はそういう事をするんですよ。
本当に議論できませんでしたね。罵詈雑言をこらえて「議論」に持ち込もうと懸命でしたよ。でも「立論」されていなければ議論にはならない。
今後、このホームサイトに変化が起こるはずですよね。当然。しばらく猶予はあります。
皆さんでご相談されますように。
洪水が全世界同時に起こった、と言う命題に関しては,推論・結論されています。検証中なのでしょう。故に
「検証されつつある、と言って良いでしょう。」
>聖書は絶対真理なのですか?
信仰にある者にとっては。しかし、信仰に無い者が聖書を原理として演繹する事は何が間違っていますか?
「自然科学を信用する」
「聖書は自然科学と無関係」
これら二つについてもお答えください。
紙屑なのは
学会機関誌です!
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/skbk1/sg1/daredemo/contents01.htm
っていうか。
聖なる教えを大切に
>例えば、物理学的に完全な密室の中に動物を閉じ込めた結果、餓死なり窒息なりで死ぬ=生化学反応が崩壊し、その死体が腐敗たとします。
>これは、動物(の死体)にとっては孤立系におけるエントロピー増大、その死体を栄養とする微生物にとっては、餌が増えて生存=外からのエネルギーの追加=エントロピーは増大しない、と見ていいのでしょうか?
うーんと、ちょい不正確な記述だと思うにゃ。
まず、系として孤立させた場合、その孤立系全体としてはエントロピーは増大の一途をたどることになるにゃ。
で、その孤立系内で大型生物がくたばった後に微生物が繁殖するというのは、あくまで1時的なものだろにゃ?
つまり、その微生物の生活圏においては一時的かつ局所的にエントロピーが減少しているけど、隔離された孤立系全体ではエントロピーは増大しているということでしょうにゃ。
(へんなとこあったらつっこんでね>おおる)
くたばった大型生物が太陽で、微生物がわれわれジンルイと喩えてもいいかもしれにゃーですね。
むかしむかし、fjという掲示板(みたいなもの)があってな。
そこで「Windowsは世界一優れたOSである。何故なら、世界で一番売れているOSであるからだ。出来の悪い物が売れるわけがない!」という主張を垂れ流して、周囲から総ツッコミを喰らっている御仁がおったよ。
何、ちょっと昔話を思い出したというだけじゃ。
なお、上記で言う「Windows」とは「Windows9x」のことであって、現在主流のNT系列のWindowsはOSとしてはずいぶんまともになっているというのは、MicroSoftの名誉のために言い添えておきましょう。
>>事「聖書」となれば、その記述は「絶対真理」ですから、絶対真理に人間が挑むと言う構図になって、聖書の間違いを指摘は出来ないでしょう。
>>聖書の記述を人類が「説明する事が出来るか」と言う挑戦な訳です。論理矛盾無く「科学内」に於いて妥当性を表現できるのかどうか、と言う作業です。故に聖書がぶれる事は無いのです。
>あのう、確認なのですが、これは聖書が人類以外の何者かによって記述された。と言う意味なのでしょうか。
>その者は人類を超えた存在なので、その者によって書かれた聖書を検証することなど人類には出来ない。
>人類に出来ることは無条件に信じることである・・・・と。
いいえ、それは違いますね。
だったら人間の作り上げた最強の論理学なんぞで補強したり修正したりする必要はないはずですから。
きっと旧約聖書なんて凡人の作り上げた陳腐なものなんですよ、ようさんのこれまでの解説からすると。
色々と疑問もございましょうけれども、
ようさんは人類を超えた逸脱した存在なので、そのお言葉を検証することなど誰にも出来ないということで、ここはひとつ・・・。
はじめまして
これまで読んできた進化論関係の本ではあまり見かけなかったのですが、本サイトや過去ログを見て、理解したつもりです。
そこで、エントロピーについて聞いてみたいことがあります。
例えば、物理学的に完全な密室の中に動物を閉じ込めた結果、餓死なり窒息なりで死ぬ=生化学反応が崩壊し、その死体が腐敗たとします。
これは、動物(の死体)にとっては孤立系におけるエントロピー増大、その死体を栄養とする微生物にとっては、餌が増えて生存=外からのエネルギーの追加=エントロピーは増大しない、と見ていいのでしょうか?
地球上なら、太陽から日光や熱を受け取って、一方で熱を宇宙空間に放出する開放系だから、秩序立っていく=生命もでき得る、と理解しています。
数式ではなく言葉による説明のみで理解しましたが、こういう理解で大丈夫でしょうか? ウィキも見てみましたが、数式は今ひとつ理解できませんでした。
イスラム教徒を入れても3/4になります?
デンパ凶徒を入れても多分...。
3/4は兎も角として、ようさんはキリスト教徒だけやのうて、イスラム教徒も入れてるんと違う?旧約はどっちも聖典やから。
#まあ少なくとも旧約の「アリストテレスの形式論理」は、ないけど。
> 聖書はへブル語で書かれ、ギリシア語に翻訳されたのですね。
いいえ。聖書はどの言葉にも翻訳されていません。解釈すらされていません。
あなたが書店やホテルで手にする聖書は、全て紙くずなのです。
つまり、全世界の人口の4/3の人が信仰の糧にしてる聖書は、「翻訳も解釈もむちゃくちゃな、紙くず」なのです。
つまり、真正のキリスト教信者は、全世界で数人(0.000001%)ですぅ。
あ、ボクは、真正の信者の一人ですぅ!
ところで、ようさまは、わたしには、レスをくださらないのかな...?
わたしのこと、「容赦せんよ」なんて、
覇気のいいことを言っていたのに、どうしたんでしょうねえ?
>これからは容赦せんよ。判った?子供の喧嘩はしませんからね、お嬢ちゃん。
「相反します」発言と、「論理矛盾」発言のこと、
なかったことにしようとしたことを、なかったことにしようとしたけれど、
ごまかしきれないと悟って、逃げるのかな...?
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。