進化論と創造論についての掲示板ログ347

2006年04月16日〜2006年04月21日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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M  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月21日 1時40分

エントロピーの法則 上下」ジェレミー・リフキン著 竹内均訳
を読んでみたらどうだ?人文学系の人間にとっては教科書みたいなものだが。

あと、「学際」と言う事。メタ科学、メタ宗教などについても知識を入れておく必要があると思う。
勉強、頑張れよ。そして社会へ出ろ。人間関係に揉まれるんだ。そうしないと本質がわからんのだ。

従来の宗教学では、多神教から一神教が生まれた、と言うのが定説としてあったが、最近の神話の研究によると一神教から多神教に向かうと言う説が面白い。勿論エントロピー的には後者だな(笑)。
哲学でもそう言えるのではないか?相対主義が蔓延して混沌なんだから。思考にもスクラップ&ビルドは必要だよな。
若いうちから硬直するな。知識人としての自覚を持て。何だかんだいって世の中を動かしているのは「思想」なんだ。


帰納法に関して、そして重要な訂正  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年04月21日 1時36分

僕のいっている帰納法というコトバの用法はいたって正当なものにゃんけどねえ。

まずはウィキペディアの「帰納」の項目から冒頭部分を引用
*****************************
帰納(きのう)法とは、個別的・特殊的な事例から一般的・普遍的な規則を見出そうとする推論の方法である。対義語は演繹法。演繹においては前提が真であれば結論も必然的に真であるが、帰納では前提が真であるからといって結論が必ずしも真であることは保証されず、あくまでも確率・確度といった蓋然性の導出に留まる。
*****************************

帰納法とは前提の正しさが結論の正しさを担保しにゃー推論だと僕は何度もいってるにゃ。不思議なことに、ウィキと僕は同意見みたいにゃんな。そして、帰納法は「蓋然性の導出に留まる」のであって、つまりこれはいわゆる「証明」には至らにゃーということだにゃ。

で、数学的帰納法について、数学者(といっていいかな)のページをリンクするにゃ。
http://www.nn.iij4u.or.jp/~hsat/misc/math/deducinduc.html
ここから引用。
*******************************
間違えてはいけないのは「数学的帰納法 mathematical induction」と呼ばれる証明法は名前に反して演繹法の一種である。何しろ Peano の公理という, 自然数の性質を定めた公理の中に書いてあるのだから。
*******************************
ペアノの公理については、ウィキをリンクしておくにゃ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%81%AE%E5%85%AC%E7%90%86


さて、さきほどリンクしたページにこんな記述もありましてにゃ
*******************************
そしてもう一つ勘違いしないでいただきたいのは, 数学の本に書いてあるのが演繹的方法だからといって, 数学そのものが演繹によって構築されているのではないということである。有名な高木貞治の言葉を引用してこの page を終わる。

Gauァ (ガウス) が進んだ道は即ち数学の進む道である。その道は帰納的である。特殊から一般へ ! それが標語である。それは凡(すべ)ての実質的なる学問に於いて必要なる条件であらねばならない。数学が演繹的であるというが, それは既成数学の修行にのみ通用するのである。自然科学に於いても一つの学説が出来てしまえば, その学説に基づいて演繹をする。しかし論理は当たり前なのだから, 演繹のみから新しいものは何も出てこないのが当たり前であろう。もしも学問が演繹のみに頼るならば, その学問は小さな環の上を周期的に廻転する外はないであろう。我々は空虚なる一般論にとらわれないで, 帰納の一途に邁進すべきではあるまいか。
近世数学史談, p. 57, 共立出版
******************************

うにゃー
以前に僕は「数学と神学は代表的な演繹的体系」だとか抜かしたけれど、ここで完全粉砕されているみたいにゃんな(ぽりぽり
数学に関する僕の見方なぞ、しょせんは学習者(それも初学者)の視点を一歩も抜けてにゃーようだ、反省汁。ここは訂正しておかにゃーと。

あと、数学は演繹体系だからカガクではにゃーと考えていたけど、そこも保留させていただきますにゃ。


重要な訂正もあったので、言を左右して論理学タームにつっこんでしまいましたにゃ。スマソ>だいあもんど


ようさん、教えてください。  投稿者:ギャラリー@勉強中 投稿日: 2006年04月21日 0時03分

私は物理学とか数学、論理学については無知ですが、地球上の、物理学的な諸法則を数学的に記述するっていうのは、わかるような気がします。重力とか慣性力とかは、先カンブリア紀でも一千万年後でも、まぁほとんど同じでしょうから。
だけど、私はこれまでの数十億年の生物の歴史というのは(「有史以来」の人の歴史と同じように)、偶然に左右されてきた一回きりのことだと思ってます。
生命のあり方は物理的な法則に拘束されてますし、また遺伝の仕組みのようにきちんとした決まりごとはありますが、小惑星の衝突なんて事件を出すまでもなく、どうしたって偶然に左右され、また複雑な環境との相互作用は「曖昧」です。
そういう「歴史の世界」を、どうやって「論理によって」「数学的に」表現できるのか、どうしてもわかりません。もしかしたらピント外れかもしれませんが、教えてもらえたらありがたいと思います。


To wadjaさん  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年04月20日23時46分

>他意はござんせん。

いえいえ、こちらこそ少しも気を悪くしていませんのでお気になさらず。
HNの説明をいれたのは、定期的な自己紹介と思ってください。


晩御飯は天丼  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年04月20日23時44分

イカと筍と野菜かき揚げ、それに海老。中身のない議論とか云われながら中身のある天ぷらを食べたので満足です、はい。

ようくん?私は「ばかくん」にあてて発言したんだけど、ようくんとばかくんは同一人物だったの?ていうかきみって、自分が「ばかといわれてもしかたのないこと」を発言している自覚、ホントはあるんじゃないの?ど〜でもいいんだけど、論理的に。

ところで
「M,谷庵、大文字、その他が同一人物です。管理人さん、注意して下さい」
ってのだけど、私は大笑いしてたから気を悪くしたりしてないからOK。
でもさ、これって帰納的推論だよね(笑。きみ自身が書いたこの命題、検証してもいいけど、どう?
日時とかきちんと合わせてさ、私と地下猫さんと谷庵さん、都合があうようなら他のみなさんも顔を揃えたらどうするきみ?もちろん、私はリアルだろうとバーチャルだろうと、議論なら容赦しないよ。掲示板で議論してたってラチあかなくない?いいぜこっちは朝までガチンコで相手してあげてもね。

辞書を引用すると「権威にすがる」と批評する割りに、根拠も証拠もなく自分は他人を「同一人物だ」とかキチガイ推理を管理人さんに提言するんだろ?ダブスタようくんは、論理的だね、実に。


確かにもうどうでも良くなってきた  投稿者:wadja 投稿日: 2006年04月20日23時20分

>何れにしろ、私は論理的に「結論」に至っている。反証はあなた方の方だね。反証が無ければ終わる。

ようさんの脳の中でね。でもだれもその論理的道筋を理解できてない。
その理由は簡単で、あなたが具体的に説明する努力を払わないから。

>Mの言葉を鵜呑みにして、私の帰納法は特別だなんて皆さん仰いますが、笑われますよ

鵜呑みにしている人がどこに居ます?でも、wadjaは地下猫さんの極めて説得力のある「数学的帰納法は、帰納法の形式をとってはいるが演繹的な証明」っていう言説に、ようさんがなんら反論できてないと感じているだけ。

大文字ナンさん。ごめんなさい。ついようさんに分かりやすくようさんの言葉に従っただけです。他意はござんせん。


だから嫌だったんだ...  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年04月20日22時55分

「取る」って、採用するって意味?捨てる、って意味?(T_T)


それでいいの?  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年04月20日22時51分

>科学から論理を取って何が残るのかな、真剣に考え直せよ。

モーゼが水の上を歩いた(事実...??)。
人は(たとえ神の子であっても)水の上を歩けない(論理)。

科学から論理を取らなければ、モーゼは浮かばれない(わーい、おやじギャグだ〜!)。


ピクミン@ノリリンリンリン@プ さん  投稿者: 投稿日: 2006年04月20日22時39分

どうどう巡りというか, 表現を変えただけとも言いいますね(^^)


まとめの中に入れてくれていない...(T_T)  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年04月20日22時36分

>>進化論は科学ですから、論理よりもなによりも、事実に照らし合わせた検証こそがすべてなのです。

>科学から論理を取って何が残るのかな、真剣に考え直せよ。

ニュートン力学から「1+1=2」を捨てて残ったのが相対性理論かもしれない。
科学から論理を取るか事実を取るか、と聞かれたら、当然「事実」を取らなければいけない。
なぜなら、「論理」なんて、所詮、人間の思いこみにすぎないのだから。

一方で、「事実」とは、神の、直接のお告げ、なんだ...。
(この場合の神とは、ケツァルコアトルかもしれないけれど...。)


論理エントロピー  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年04月20日22時33分

論理エントロピーというコトバを思いつきで書いたにゃんけど、自分ですんげえ気に入ったにゃ。
「思考とは分散と統合の間を揺れながら論理エントロピーを排出することである」とかいってみたり。
にゃんとなれば、エントロピーはウンコにゃんからねえ。


ウンコ脳の「なかったことリスト」  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年04月20日22時23分

論理エントロピーのアイドル、黄金に輝くウンコ脳の よう クンの基本的なやり方というのは、字が読めれば誰でもわかるとおり
「都合のワリイことはなかったことにする」
ですにゃ。

その最も代表が
「家を建てるのも畑を耕すのもエントロピー」
だったにゃんが、それに匹敵する「なかったこと」がハケーンされましたにゃー。

にゃんと
「M,谷庵、大文字、その他が同一人物です。管理人さん、注意して下さい」
これもなかったことなのだああああああああ!!!!

すっげええええええええええええええ!!!!!!
他人の態度にはブーブーと文句をたれるけど、自分のマナー違反はなかったことなんだにゃー。


というわけで、「よう くんの”なかったこと”リスト」編纂という大事業がここに立ち上がったのだにゃ。
いまのところ、「レッドゾーンなかったこと」としては
「家を建てるのも畑を耕すのもエントロピー」
「M,谷庵、大文字、その他が同一人物です。管理人さん、注意して下さい」
あたりかにゃ?
(イエローゾーンなかったこと、はすでに十数個はあるのではにゃーだろうか)


そして、この「よう くんの”なかったこと”リスト」編纂という大事業の目的もここで明らかにしておきますにゃ。
まず、僕自身の存在が「なかったこと」にされること。
さらに、ここの掲示板の存在が「なかったこと」にされること。
なのだにゃー。

そして、それこそが よう クンの完全なる勝利なのだにゃ。
すべてを「なかったこと」にする無敵の戦士!!!!!
神のイカヅチ「なかったこと」が、ところかまわず炸裂するぜ、論理的に!!!
恥を知っていれば決してできない、最終兵器「なかったこと」。
これこそ、メギドの炎だぜ。

むってきー、むってきー、むってきの戦士、
「なかったこと」バリヤーこそイージスの盾だにゃ。

もう僕は白旗あげまくり。
きゃー、もう勘弁してー。許して許してー。


>右手とミミズの区別も付かない奴ら  投稿者:ピクミン@ノリリンリンリン@プ 投稿日: 2006年04月20日22時08分

実在します。
が、それはさておき。

かくりさんはもういませんか。
野球理論の疑似科学性の話を喜ぶかと思ったんだが・・・

とさん
それは三段論法じゃなくてどうどう巡りでは?


(無題)  投稿者:鶏糞 投稿日: 2006年04月20日22時07分

生物進化自体を否定する証拠は無い。


まとめて返信。  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月20日22時00分

>ゆんさん

私はもう結論していますので。進化論は帰納的に立論されていない、と。これ以上書く事は無いのです。
科学はより数学的になろうとしている訳です。数学的な法則が発見できれば、科学分野の中で大きな顔できるんですよ。(笑)
Mの言葉を鵜呑みにして、私の帰納法は特別だなんて皆さん仰いますが、笑われますよ。お伝えください、皆さんに。

大文字
>進化論は科学ですから、論理よりもなによりも、事実に照らし合わせた検証こそがすべてなのです。

科学から論理を取って何が残るのかな、真剣に考え直せよ。検証の価値基準は何だ?進化の「理論」だろ?・・・もう言葉が無いね。完璧な科学教の教徒といって良いな。

diamonds8888xさん
数学は殆ど形式論理学と考えてよいでしょう。他の学問も数学のようにやりたいけどそうは行かない。それでベーコン辺りが不完全帰納法をやって「近代科学の大発展」を遂げたのです。
帰納法の結論の「確度」は兎も角、”生産性が高い”のですよ。論理ですから、世界中でああだこうだをやれる訳です。皆でよってたかって、と言う事が凄い事で、それで近代科学の今がある。

>不変性

誤植ではありません。
普遍性と言うのは、あまねくそこかしこに在る、と言う様な意味ですね。
「仮定→公準→公理」矢印の方向に向かって抽象性、不変性が高まる、と言う事です。
具体性(ここの事象)が高い事は変動性が高い、と言う意味です。

ミケさん
>「進化論は帰納法で証明された科学的に正しい理論である」と言えますか?

当然です。手順を踏んで論理矛盾が無ければ。

>罵倒がどうのなんてのは実際どーでもいいことでしょう、議論の上では。

あんたが言うな。盗人猛々しい、と言うのだ。何れにしろ、私は論理的に「結論」に至っている。反証はあなた方の方だね。反証が無ければ終わる。


三段論法  投稿者: 投稿日: 2006年04月20日19時12分

「観測事実を最も良く説明する仮説が、正しい科学理論である」(科学の前提)

「観測事実を最も良く説明する仮説であるなら、他に観測事実をより良く説明する仮説がない」

「他に観測事実をより良く説明する仮説がなければ、正しい科学理論である」

というわけで、論理的に普通の結論が出てきます。
より良い仮説を探すというなら有意義ですが、わざわざ正しいことを証明(それも完璧は望むべくも無い)ってのは筋が悪いとおもいます。それを怠っているだの何だのというのはなんとも…


ありゃりゃ  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年04月20日14時16分

To メビウスさん

 申し訳ないです。


Re:同一人物  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年04月20日13時52分

私とte○aさんは同一人物ではありませんが、どうやら似たような「カルマ」を持つことが数日前に発覚しました。もちろん、私と○emaさんは同一人物ではないのですが、いくつか共通の生活様式を持つことから、収斂があったのではないか、と思うのです。論理的に。

それと・・・この際「大文字」でもナンでもいいのですが(笑)、一応、あるコミュニティにおいて「ナン(NAN)」を名乗る人物が私のほかにもう一人いまして、それだと区別がつかないからこっちは大文字、こっちは小文字を名乗りなさい、と命じられたのが私のHNのはじまりでした。小文字さんはフェードアウトしてしまい消息不明ですが・・・。ちなみに最近はリアルワークでもこのHNを筆名として使うケースがあります。(もちろん、元来の筆名もほかにあるのですが、それは内緒で)

そんなワケでして、もともとは「ナン」だけで私のHNだったのでどっちかというと略称はそうしていただきたいのですが、tem○さんと同一人物ではありません。危うく同じ屋根の下で寝るところではありましたが・・・。


管理人さん、PDXさんへ  投稿者:メビウス(パラドックス改め) 投稿日: 2006年04月20日13時36分

>これまで、ホストが同一であることを理由に同一人物の別ハンドルであることを指摘された人物はここの掲示板でも何名かおいででしたが、>>

混同を避けるためHNを「メビウス」と改めます。


あ!閣下だ  投稿者:Kosuke 投稿日: 2006年04月20日 8時30分

> 右手とミミズの区別も付かない奴ら
どんな奴らじゃ?


やっちまっただな、wadjaさん  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年04月20日 6時00分

大文字ナン さんのHNを略すときはナンを使うようお達しがあったと思われ。
実際に会ったときには、きつい仕置きがあるものと覚悟せよ。(^_^)v

しかし、ようさんは徹夜で書いていたんだね。
眠れない事情があったんだろうな。

きちんとした議論に負けるのは恥ずかしい事じゃないし、負けることで得るものはとても大きい。
勝ち負けにこだわったりせず、意見をすりあわせて、よりよい方向に共に歩む作業だと思えば、負けることも楽しいのになあ。
もちろん、行儀が悪ければ、それなりの対応をされるので、まともな議論にはなり得ないけど。


確認事項ふたつ  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月20日 5時57分

確認事項1
 ようさんが公理等を次の意味で使っているというのは、その通りですか?

 公理;正しい仮定条件(「前提」)
 仮定;正しいとは限らない仮定条件(「前提」)
 公準;公理ほど正しさが確実ではないが、単なる仮定よりは正しさが確からしい仮定条件

確認事項2
>「公理へ近づく」、と言うのは「より抽象化する」と言う事で、同時に不変性が高まる、と言う事と私は理解しています。

 「不変性」は「普遍性」の誤植ですよね?
 質問:この文章での公理の意味は確認事項1での意味とは違うようですが、どう使い分けたのですか?


蛇足:私のやらミケさんのやら、色々とレスすべきコメントが相次ぎましたがごゆっくりどうぞ。拙速は迷い道へ踏み込みますから、充分に推敲してからアップすることをお勧めします。


「特称」という用語  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月20日 5時48分

 伝統的には特称よりは存在(existential)の方が通りが良い、と書きましたが、ちょっと撤回しておきます。どうやら文系学科で教えられる論理学、哲学の流れをくむ論理学、哲学科で教えられる論理学、といった方面では「特称」がよく使われてる雰囲気ですね。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~shimizu/medieval/logic/intro.html

 私は数学方面からの論理学しか知らないので「存在」の方がなじみがあります。さらになじみがあるのは「∃」と「∀」ですけど。(文字化けしなかったかな?)

 アリストテレスに始まる諸々の○○論の中から、厳密な数学的論理に使えるものが数学者達に取捨選択され発展させられて私になじみの深い数理論理学にまとめられた、という流れでしょうか。

 まあ基本的な論理を使えるようになるには「論理学」とかムツカイ本を読むより、まともなパズルをたくさん解いて練習するのが一番ですがね。クイズではなくパズルを解くことが肝要。と、これは話がそれました。


サモン  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月20日 5時46分

 ところで、ようさんの論理学に関する知識はほとんどサモンに準拠していると考えてよろしいか? もしそうなら、私もサモンの「論理学」を購入しますから、随時該当個所を示して議論すると意志疎通がしやすいかと思いますが、いかがですか?


よう さんへ  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年04月20日 5時43分

さしあたって
4月18日(火)20時42分45秒 のdiamonds8888x さんの発言に対するお答えが聞きたいのですが。

つまりですね、
4月16日(日)11時24分33秒 にdiamonds8888x さんがおっしゃったステップを踏むことができれば
「進化論は帰納法で証明された科学的に正しい理論である」と言えますか?

4月16日(日)11時24分33秒 のdiamonds8888x さんの投稿そのままの形ではダメだと言う場合、
どのあたりがダメなのか教えてくれれば、話を前に進めることができるでしょう。


罵倒がどうのなんてのは実際どーでもいいことでしょう、議論の上では。
バカにされるのがイヤならば論理でねじ伏せればいいのです。
そのためには、とことん分かりやすく説明するのが遠回りなようで一番の近道です。
誰にでも分かるように説明することでギャラリーを味方につけることができるわけですから。

ということで、論理でねじ伏せてみせてくださいな(笑)。


谷地下その他ナンMです!  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年04月20日 4時25分

ばかくんへ

>ここまで来て書けないのなら、「書けない」と潔く仰れば宜しいのに。
>専門の学者も書いていないのですから。

ばかくんは、誰かがあなたに返事をするのが当然の義務だと思っていますか。
もちろん、私にはばかくんが満足するような説明は書けません。そもそも、日本語が通じないし論理構造がとんちんかんなことになっているばかくんに合うような言葉が見つかりません。おそらく、世界中のどこに行っても、ばかくんが望むような答えは見つからないでしょう。
なぜならばかくんは、自分だけの世界にいるからです。

>「ニュートン力学」?
>それに習って「進化論」の(不完全)帰納的証明を展開されれば宜しいと思います。
>その書き方はすでに提示済みです。

ばかくんは、ばかくんの使う言葉がみんなにも伝わり、その意味するところが正確に意味づけされていると思っていますか。ばかくんの使う「帰納」だとか「演繹」という言葉は、かなり特殊です。ここは、ばかくんだけの世界ではありません。だから言葉には普遍的な意味を持たせないと、意思の疎通ができないのです。

ばかくんは、ここで何かを教わろうとしているのですか。あなたが進化論を理解できないのは、あなただけの問題です。あなたが、進化論は理解できなくて、創造科学論は理解できるというのなら、それでよいでしょう。世界中の誰も、ばかくんに進化論を理解させなければならないという義務を負っていないのですから。

とはいえ、今日はちょっと暇があったので、ばかくん向けではなく、自分のためにこんな文章を書いてみました。

ある生物と別の生物が似ている。
そのまた別の生物と、さらに別の生物も似ている。こういう個別の観測を集めると、すべての生物は共通の祖先を持つのではないか、という推論が生まれます。もちろん、この推論は正しいかも知れないし、正しくないかも知れません。また、後述しますが、この推論はいつでも反証され得ますが、絶対的な正しさを獲得することは永遠にできません。
さて、もっとよく調べると、姿かたちはまったく似ていない生物同士ですら、その骨格や臓器の構造、循環器や消化器の構造が似ている。感覚器官や自律神経による恒常作用などのシステムが似ている。さらにさらによく調べると、細胞だとか、遺伝子だとかが、今まで調べてみた限り、全生物が同じ構造をベースにしていた。こうした細かな個別事象を積み重ねて、現在の進化論は確度を増してきました。

進化論の総論とは「すべての生物は共通の祖先を持つ」ことだ、と以前に説明しました。
この全称命題を検証するためには、およそ手に入る限りすべての生物のデータをサンプリングしなければなりません。あるいは、これを反証するためには、たったひとつでも「共通の祖先から派生したとは思えない生物」を見つけてくれば良いのです。これを反証の非対称性と云います。
これまで、生物学者たちは地球上の生物を観察し続けてきて、確かにすべての生物が共通の祖先を持つらしいことを確かめてきました。一方、少なくともこれまでに観測された生物には、共通の単一祖先から変化したと見られないような違いは見つかっていません。

それでは、それぞれの生物はなぜ様々に変化したのでしょう。それが、進化ですね。
個別の観測を並べていくと、どうやら生物はみんな同じ構造を持っているので、共通の祖先を持つであろうことは割合と容易に推測がつきます。しかし、なぜこれほど多様に変化し、一見すると、とても同じ祖先を持つようには見えないくらい複雑に枝分かれをしたのか、ただ祖先が共通であることを確かめても、その部分は説明できません。

そこで、ダーウィンが豊富な観測データをもとに考案したのが、突然変異と自然淘汰という「進化のアイディア」です。また、もうひとつ重要な仮定があるとしたら「すべての生物は変化する可能性を持つ」ということでしょうか。
ガラパゴスで、実際にダーウィンがフィンチという鳥を観察したのかどうか、そこには諸説があるようですが、とにもかくも、フィンチという同一の鳥ですら、生活様式や主食とする餌の違いによって、個体差では済まされない「表現型の違い」を持っていました。つまり、ある程度長い時間があるのなら、生物はより「暮らしやすいカタチ」に変化することができるのではないか?ということです。しかも、その変化は、漸進的なものだろう、とダーウィンは予測しました。ある日突然、猛烈に適応した個体が(跳躍的に)生まれるのではなく、ちょっとずつちょっとずつ、より適応したカタチへと変化するのだろう、とダーウィンは考えたのです。

この推論を検証するのは、並大抵ではありません。ダーウィンの時代には、まだ遺伝子が見つかっていなかったので、なにが作用して、親の形質を子が受け継ぐのだとか、受け継ぐにしてもどのような割合で両親の形質が表現型になるのだとか、そういうことは分かっていませんでした。
化石によって、骨格や、僅かながらも残されたその他の構造を調べることで、進化は少しずつ検証されてきました。これは大きな時間の流れとともに、生物がどのように変化してきたのかを知るのに役立ちました。
やがて、遺伝子が発見され、遺伝情報がATGCという4つの塩基によって伝達されていることが分かると、微細で還元的な部分における進化の実際が確かめられるようになりました。ついに、親から子へ、祖父から孫へ、蓄積された遺伝情報が伝達される仕組みが解明されはじめたのです。

ダーウィンが、彼の生きた時代に「予測した」進化論は、その段階ではまだ、ひとつの仮定に過ぎません。あくまでも、ダーウィンという個人による観測をベースとした、特殊事象から発せられた推論に過ぎなかったのです。
科学においては、ある理論が絶対的に正しいことを前提に研究を進める、ということはありません。むしろ「こういうことを云っている説があるのだが、本当にそうだろうか?」という「懐疑の精神」によって今日の科学は発展してきました。進化論も然りです。

すべてのカラスは黒い、という仮定は、たった一羽、白いカラスを見つければ反証されます。それは進化論においても同じことです。適応とは無関係に変化し繁殖してしまう生物だとか、まったく遺伝子に頼らない繁殖をしてしまう生物が見つかってしまえば、今の進化論は崩れます。

進化論やその他の科学諸説を指して「信仰だ」というひとは後を絶ちませんが、それは違います。
信仰とは、物質的になにかを保証する必要のないものです。実際に自然がどうなっていようと、目に見える現象がどんなに教義と異なっていようと、信じたいから信じるというのが信仰です。

しかし科学というのは、万人に理解できるできないに関わらず、自然現象の背後に隠れた普遍的な法則を見出し、それを利用していくものです。どこかの誰かが論理的に理解できないことであろうとなんであろうと、観測事実こそが科学のスタート地点であり、ゴールです。

宗教による信仰は、証明を必要としません。しかし進化論は科学ですから、論理よりもなによりも、事実に照らし合わせた検証こそがすべてなのです。もしも進化論に反証する十分な事実が観測から得られたのなら、進化論はただちに修正されるか、放棄されるでしょう。しかしそれは、言葉(論理)や好悪ではありません。あくまでも事実によって、科学学説はテストされ続け、幾多のテストを経て十分に普遍的で一般性を獲得しているからこそ、我々はそれをツールとして利用できるのです。


(無題)  投稿者:鶏糞 投稿日: 2006年04月20日 0時57分

宗教の都合で自然科学の法則が左右される事はありません。
ましてや、一宗教だけの教えが自然科学に影響する事はありません。


お懐かしい>ピクミン@ノリリンリンリン さん  投稿者:wadja 投稿日: 2006年04月19日23時47分

残念ながら、最近かくりさんはここには居ません。

To:ようさん

ゆんさんの書かれたNATROMさんからの伝言は本物です。掲示板を使わせてもらっている以上、真摯に対応されるのが常識だと思います。それから、地下猫と谷庵さんはwadjaの知る限り別人です。実際にお会いしたことはありませんが、明らかに大文字さんも別人。

論理学を知っていたとしても、非論理的かつ根拠の希薄な発言をすると軽蔑されるのでご注意下さい。一般的には、こういった行為は誹謗・中傷と呼ばれ、掲示板どころか実社会でも嫌われる行為です。

あと一点。掲示板には専門家の方からwadjaのような阿保素人もおります。そういった人みんなに分かりやすいように、極力発言に具体性を持たせるようにして下さい。

他の発言者から不都合なところに突っ込まれたからと言って、自分自身から逃げてはだめです。


お久しぶり  投稿者:ピクミン@ノリリンリンリン 投稿日: 2006年04月19日22時44分

最近書いた掲示板は右手とミミズの区別も付かない奴らばかりで・・・大変苦労しました。
ここはその点よかった。
と、懐かしく思い出しました。

ところで、最近かくりさんはいますか?


(無題)  投稿者:鶏糞 投稿日: 2006年04月19日22時06分

「自然科学と宗教の関係」を論争テーマにした方がよさそう。


サモンの「論理学」  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月19日21時04分

 これですね。
http://www.bk1.co.jp/product/462260

 なかなか定評のある本のようですね。アマゾンでは絶版になってましたが。


えっ、やめですか?  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月19日20時35分

>もうちょっとまともな議論の気配が窺がえたらお邪魔します。

 もうやめた、ということ? もちろん掲示板の参加者には誰にも常にやめる自由はありますけど、一応コメントしときます。

 「ニュートン力学」の「帰納的説明」はようさんにはできないと考えてよろしいか? もしくは「ニュートン力学」についてはよく知らないと考えてよろしいか? 自然科学は不得意だそうですから、知らなくても不思議ではありませんし、恥ずかしいことでもありませんが。

 ようさんは、聖書、もしくは創造論については「帰納的説明」を展開できると考えてよろしいか?
でしたら、それについての「帰納的説明」を展開していただきたい。

>「理論と事実との突き合わせ」って進化論とそれを支える観察事実の事でしょう?

 ようさんの考えていることとは、たぶん違います。それにもっと一般的な話です。ニュートン力学の例で言えば、「落下する質点の距離は時間の自乗に比例する」が理論で、現実に測定をしてみて色々な物体でこの理論通りに落下することを確認するのが「理論と事実との突き合わせ」です。


インターネット総人口はもしも地球が100人の村だったら?  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年04月19日15時26分

地下に眠る大文字谷庵その他、とでも名乗ろうかにゃー?

論理学ターム関連は、「とりあえず」 だいあもんど に投げさせていただきますにゃ。
ま、数学がカガクだと思い込んでいるお方は珍しくもなんともにゃーけどね。

それにしてもさ
「論理学を深く知ると、聖書は不可欠なんですよ。」
って日本語(?)の意味、誰かわかる?

こんな破滅的なウンコ脳が、よりによってヴェーバーとはにゃー

でさ、都合のワリイことに答えられにゃーウンコ脳くん。
「家を建てるのも畑を耕すのもエントロピー」ってのはどうなったの?


NATROMさんからようさんへの伝言  投稿者:ゆん 投稿日: 2006年04月19日12時41分

NATROMさんが、現在第一掲示板へ書き込みが出来ないとのことなので、第三掲示板経由の伝言です。今ようさんと直に話をしている人は逆に書き込みづらいかと思うので(禁を破る形ですが)私が転載します。

---------------
地下に眠るMさんがいなければ居心地がいいのであれば、改めて論点整理スレに来る気はありますか。なんだったら、論点整理スレへの書き込みは、ようさんの指定した人のみ許可という形にしてもいいです。
---------------

以上。


模範解答  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年04月19日 8時48分

>「理論と事実との突き合わせ」って進化論とそれを支える観察事実の事でしょう?他の皆さん

理論:おれは論理学を深く知っている(思いこみ)
事実:冷蔵庫がものを冷やす仕組みさえ理解できていない(観察事実)

さて、これらからどんな結論が出てくるのでしょうね?>他の皆さん


へぇー...  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年04月19日 8時14分

> 論理学を深く知ると、聖書は不可欠なんですよ。聖書をイキナリとは言いませんが、サモンの「論理学」や社会学のM・ヴェーバーなんかはお読みになると宜しいですよ。

論理学を深く知って、聖書の内容を理解できても、ヴェーバーとか言う人の本が読めても、冷蔵庫の仕組みは分からないんだ?

...そんな人の「論理」って、どれくらい深いんだろう?


やれやれ  投稿者:PDX. 投稿日: 2006年04月19日 8時12分

>この方々、同一人物ですよ。注意してください。

 これまで、ホストが同一であることを理由に同一人物の別ハンドルであることを指摘された人物はここの掲示板でも何名かおいででしたが、そのような具体的な理由もなしにそう主張されるのですか?
 もし別人であった場合あなたは謝罪するのですか?


よう さんへ  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年04月19日 8時05分

例えば各種動物の骨格が大変似ていること、遠い類縁関係にある種と種をつなぐ化石を並べていくと、一見違って見える体の特徴が実は連続的に移行していること、違った環境に住む類縁種の動物たちの相違は彼らが住む環境の違いに対応しているものであること、...等々等々、
から、進化が起こっているらしいと結論されているのです。ダーウィンの時代の観察結果からだけでも。現在の生物学の成果(DNAの研究とか)は、もう数え切れないほどの証拠(帰納法の出発点)を集めています。

でも、簡単な帰納法さえも理解できないようさんに、いきなり進化論を語るのは無理すぎます。

一匹のネコでさえも、分類の仕方によれば数千、或いは数万点の部品から出来ていて、しかもその部品の一つ一つが同じくらい複雑な「細胞」から出来ているのです。
一方で冷蔵庫の部品なんてせいぜい千点くらいでしょう。

冷蔵庫がものを冷やす仕組みさえ理解できないようさんに生物学を教えるなんて不可能です。
基礎を勉強してからだったら、話に乗りましょう。

あ、それと、基礎編の宿題をまず終えてから。
エントロピー、って言葉をこのごろ全く発言していませんけど、どうしたのですか?拒絶反応?
この調子だともう少ししたら、進化論、って言葉も一切しゃべれなくなるのでしょうね。
エントロピーの件については、...実は、...恥ずかしくなってるんでしょう?


M,谷庵、大文字、その他の・・・  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月19日 7時49分

管理人さん、

この方々、同一人物ですよ。注意してください。
内容無しで「誹謗中傷」のみですから。それもまさに「唾棄すべき言葉の羅列」
これが「あなた方の」やり方か?理系と名乗るのなら、「論理的」ではない言動こそ避難されるべきではないのか。
甚だ残念に思う。


diamonds8888x さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月19日 7時41分

>どうも進化論が対象だと複雑になりそうなので

2ヶ月前に戻りましたよ。フリダシに(笑)。貴方が出来なければ、そのうち出来る方がでてくるでしょう。ミケさんにも無理、ゆんさんは「さじを投げ」ました。(進化論説明のなのか、私との議論なのか判然としませんが)ここまで来て書けないのなら、「書けない」と潔く仰れば宜しいのに。
専門の学者も書いていないのですから。

「ニュートン力学」?
それに習って「進化論」の(不完全)帰納的証明を展開されれば宜しいと思います。
その書き方はすでに提示済みです。

>どうもようさんの論理には「理論と事実との突き合わせ」という過程や概念が欠落している可能性があります。どんなテキストでどんな勉強をしてきたらこうなったのか、非常に興味があります。


論理学を深く知ると、聖書は不可欠なんですよ。聖書をイキナリとは言いませんが、サモンの「論理学」や社会学のM・ヴェーバーなんかはお読みになると宜しいですよ。
「理論と事実との突き合わせ」って進化論とそれを支える観察事実の事でしょう?他の皆さん
何度も言っているではありませんか。ちょっと徒労感でいっぱいです。管理人さんが一任したミケさんが無理でしたから、進化論の「帰納的説明」は不可能、という結論です。

もうちょっとまともな議論の気配が窺がえたらお邪魔します。


オハよう  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年04月19日 7時00分

>Mの言葉使い、度が過ぎてると思わないのか?
>しかも変質的だ、頭を冷やして、と言う様な態度も見受けられない。

正しくはこう。
 「ようの言動、度が過ぎていると思わないのか?
  しかも痴呆的だ、頭を冷やして、というような態度も見受けられない。」

>ところであんた誰だ?

じゃぁお前は誰だよ?バカにバカといっても仕方ないが・・・(ry

■以下、diamonds8888x さんへ

趣旨を尊重し、(すでに興味を失っている)ばかくんとのインタプリタ構築を見守ります。とはいえ・・・ばかくんは論理用語の用法に限らず、およそ知性に対して不誠実な態度しか取れないようなので、最後まで見守れるかどうかはわかりません。
私は、誠実なバカなら大好きですが、不誠実なバカというのは、唾棄する以外使い道が分かりません。


ようさんへ  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月19日 6時14分

 まず認識してほしいのですが、ようさんが使う論理学用語の意味は、この掲示板の他の発言者が使う意味とは少しずつ異なっています。ですので意志の疎通には、ようさんの方も他の人が使う意味を理解する努力を御願いしたいと思います。それは外国人と意志の疎通をしようとすれば当然の努力ですよね。

 「ようさんが間違ってる」と言われてると思えば不愉快でしょうから、「間違ってる連中に正しい論理学を懇切丁寧に説明してあげよう」くらいの気持ちで説明してもらえると助かります。

 で、本論に戻って「演繹法」と「帰納法」の話です。どうも進化論が対象だと複雑になりそうなので、ニュートン力学の「科学的証明」の過程がどんなものだったか、おわかりでしたら書いて下さいますか?

 なお、ニュートン力学の最終結論としては「F=mαが成立する」ということでよろしいか? 作用反作用則や慣性の法則も含めても良いですが。

 ああ、ニュートン力学以外に何かようさんが御存知の適切な具体例があれば、その方が良いかも知れません。


地下に眠るMさん他のみなさん  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月19日 6時11分

 私の読解はほぼ当たっていたようです。つまり私のコメントをごらんの通り、ようさんは論理学用語を全くといってよいほど通常とは異なる使い方をしています。そこへ通常の用語の意味を当然の前提としたコメントをつけてもすれ違うだけです。そこを配慮していただいて、解読困難なすれ違いレスを産むだけのコメントはしばし控えていただけませんか? 掲示板で他人の発言を制限するかのごとき発言は心苦しいのですが、私としてはようやく誤解の正体が見えてきて非常に興味がわいてきたところなので、おいしそうなケーキをぐちゃぐちゃにはしてほしくないのです(^_^)

 用語の違いもさることながら、どうもようさんの論理には「理論と事実との突き合わせ」という過程や概念が欠落している可能性があります。どんなテキストでどんな勉強をしてきたらこうなったのか、非常に興味があります。


妄想に具体例無し  投稿者:谷庵 投稿日: 2006年04月19日 5時54分

ようはここで何を表現したいのだ。切実さがまるで感じられない。
よう、自分自身から逃げるな。言葉を正して反論せよ。
天に唾するという言葉、知ってるか?

「字が読める人には誰からも馬鹿にされている」わけだけど、自分では、正しいのは自分で、みんなが理解できていないと思っているわけだな。
本当に自分が正しいと思うのなら、きちんと具体例を示せばいいのに。

「万有引力の法則なら、これこれこうなっているし、慣性の法則ならこうだ。
だからそれらは科学的に正しいと言われているのに、進化論はそうじゃない」

本当に彼が正しければ、上記のことが具体的に説得力を持って言えるはずだ。
(ニュートン力学も科学的に誤りだというなら別だが)
でも、悲しいかな、妄想に具体例は当てはまらない。
実際に具体例を語った瞬間、妄想であることが(自分にとっても)見え見えになるので、逃げ回る事しかできないのだ。

「聖書が正しければ」だって、仮定だけで後が続かない。
続けていれば、さすがにみっともない論法になることが分かったんだろう。

せっかくだから、彼のすばらしい論理の具体例を一つ。(敬称略)

よう:水と果実で人間は生きて行けます。充分に。むしろ病気知らずと言って良いでしょう。
猫:水と果実だけでニンゲンが病気知らずに生きていけるというデータを出せよ。
よう:でも現代科学どっぷりのお医者さんはまともに研究しないんですよ。
猫:データさえあれば、医者はきっちり研究するはずにゃんがね。
よう:やってる医者もいるよ、勿論。知らないのか?

こういうやりとりをするからバカにされるのだが、本人には分からないんだろうなあ。


Kosuke  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月19日 5時51分

Mの言葉使い、度が過ぎてると思わないのか?
しかも変質的だ、頭を冷やして、と言う様な態度も見受けられない。

最初からずーっとだ。こんなの許してていいのか?

ところであんた誰だ?


やれやれ  投稿者:Kosuke 投稿日: 2006年04月19日 5時29分

> Mがいなきゃここももう少し居心地が良いのですがね、管理人さん。
それは貴方だけのこと。勝手に一般化しないように。


M  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月19日 4時43分

数学は諸科学の「王」なんだよ。数学的論理を取り入れて、諸科学の理論体系が構築されてきてるのだ。論理的にネ。

しかし、数学のようにきっちりは行かないから色々な論理法を駆使してる訳だ。数学のように抽象化できない場合が多々あるからだ。故に数学論理的と言う言葉に対して「科学的論理」と言う。つまり科学的である、と言う証明に於いて「論理的」と言うのは必要にして十分なのだよ。

M、多角的に捉えると言うのは相対的に捉える、と言う事ではないぞ。何が基準で何が「絶対的」な意味を持つのか・・・。会話や議論に於いても行く先はどこなのか何のための表現なのか、忘れない事だ。自分を見失うな。Mの知識は人を貶める為の物なのか?あげあし取りと詭弁ばかりだと、成れの果ては詐欺師のみ。

Mはここで何を表現したいのだ。切実さがまるで感じられない。
M、自分自身から逃げるな。言葉を正して反論せよ。


M  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月19日 3時12分

>字が読める人には誰からも馬鹿にされていることを知ってか知らずか厚顔無恥にもまた登場だにゃ(げらげら

diamonds8888x さん 、Mに馬鹿にされてますよ。ひどいもんです。Mがいなきゃここももう少し居心地が良いのですがね、管理人さん。

>マチガイがありすぎてメンドイけど、ひとつだけ指摘しておくにゃ。
「帰納法の証明」なんてものはありえにゃーのだが。
(数学的帰納法というのは、演繹的な体系の存在を前提として、一見すると帰納法っぽい証明のしかたをしているものなの。帰納法には「証明」はありえにゃーのよ。帰納法とは、前提の正しさが結果の正しさを担保しにゃー推論なの)

間違いをカウントできないのか(笑)数学的帰納法で証明できるものはあるのだよ(笑)
完全帰納法と不完全帰納法と書いているでしょうが。いい加減にしなさい。

近代科学は帰納法で発展、進歩してきたのだ。き・ん・だ・い科学だ。近代科学ではない昔からある科学は近代科学ではないだろ?言葉が乱暴なのだ、Mさんは。
「地下に眠る猫」と言うのは「井の中の蛙大海を知らず」のもじりなのか?

今までに見たことの無い現象が新たに出現したとするね、そうして今までの法則やら原理やらを当てはめてみて矛盾の無い説明が施せたら、それは「演繹法の証明」なんだよ。近代科学でもさ。

おずおずさんへの書き込みは、体験談なのよ。Mの食生活は著しく乱れており、正しい栄養摂取からは遠い、と憶測だが断言できる、これも経験則だ(笑)。
言葉を直せ。そうしたらきちんと付き合ってやる。ちゃんと書け!

ま、でも「論理学」を勉強してるのは偉いな。「形式論理学」、三段論法、必要十分条件、大事なことだ。基本だな。

近代科学の、特に自然科学においての帰納法と言うのはつまり「説得の技術」なんだよ。
今更、帰納法がダメ、って言ったって始まらないだろ、今ここで進化論の帰納法的証明をやってるわけさ。みんな苦労してるんだからMがやったらどうだ?お世話になってるんだろ、皆さんに。

>データさえあれば、医者はきっちり研究するはずにゃんがね。

やってる医者もいるよ、勿論。知らないのか?だいぶ保険が利くようになったんだよ。


ウンコ脳より毒デムパぶぶぶーん  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年04月19日 2時42分

>水と果実で人間は生きて行けます。充分に。むしろ病気知らずと言って良いでしょう。

ほほう?
水と果実だけでニンゲンが病気知らずに生きていけるというデータを出せよ。
それが「帰納的」手法ってもんだにゃ。


>でも現代科学どっぷりのお医者さんはまともに研究しないんですよ。はなっから東洋医学否定ですから、>「迷信」の一言でばっさり、です。

チミのウンコ脳は徹底的に「演繹的」にゃんねえ。
データさえあれば、医者はきっちり研究するはずにゃんがね。

カガクは手法が肝腎だよね。
まずはデータ。

とにかくさ、水と果実だけで健康に生きられるという見解がチミの思い込みでにゃーという、なんらかの証拠を出してみな。

予言しておくけど、チミは逃げる。


デムパぶんぶんぶん  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年04月19日 2時35分

ありゃりゃ、都合のワリイことには答えられない最低の屑だと自らを証明し続けるウンコ脳くん、字が読める人には誰からも馬鹿にされていることを知ってか知らずか厚顔無恥にもまた登場だにゃ(げらげら

でさ、ウンコ脳くん。
「家を建てるのも畑を耕すのもエントロピー」ってのはどうなってんの?
都合のワリイことはないことにするのがチミのやり方だと何度指摘されても答えられにゃーってどうよ?
いくら匿名の掲示板とはいえ、自らの卑劣と無恥を宣伝してタノシイ?

あと、帰納法に証明はありえにゃーのだけど、チミ、字が読めにゃーか?
論理的に説明した文をチミはまったく読めにゃーわけだけど。

>故に古くから広く「聖書」は読まれ、信じられていたと言う事が「西洋」ではありますから、「聖書が正しいと仮定するなら」と言う前提で演繹法的に証明しようと言う試みは、論理学上間違いではなく、「科学」と言うのはその手法が肝心ですから、聖書学的に導き出される「創造論学説」は「聖書を前提」と言う事だけで「非科学的」と批難するのは間違いであるのです。

チミの発言ってさ
1)聖書を演繹的に証明する試み(創造科学)は論理的
2)科学は手法が肝腎
3)故に、創造科学を非科学的と批難するのはマチガイ

気が狂いそうだにゃ。論理の「ろ」の字もにゃー。
小学生の知能があれば、3段論法くらいは使えるはずにゃんが、チミってマジに幼稚園児並みにゃんな。

カガクというのは確かに手法が大事であり、その手法とは帰納的なものだにゃ。したがって、演繹的に聖書の正しさを証明しようというのは非カガク的。はい、証明オワリ。
演繹的な方法は論理的であるというのは正しいけど、論理的とカガク的はイコールで結べにゃーのがわかんにゃーのか? もっといえば、カガク的方法論は事物に対する論理的アプローチのうちのひとつであるということだにゃ。十分条件と必要条件という論理学の初歩の初歩がわかれば、チミのような発言はありえにゃーのだが。
ま、三段論法も使えにゃーで論理論理とわめけるのだから、日本の法律が尊大な馬鹿を禁止してなくてよかったね。


なあなあ、チミさ、どの口で「ここで論理的に説明する方もいらっしゃらない」といっているわけ?


おずおずさん  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月19日 1時32分

>ステーキを諦めてベジタリアンになるほうが、ボクだったら、つらい...(^_^;)

ベジタリアンを経験しなければ、どちらが良いとは結論は出せないのではないでしょうか。
しかし、野菜だけでは「糖分」が決定的に欠如ですから生きて行けません。

因みに聖書には「果実と野菜」が人間の食べ物だ、とあります。創世記です。そのほかの動物は野菜を食べろ、と。
経験されると「何事か」を感じられるでしょう、きっと。
肉食動物も食料にする動物は「草食動物」で、まず最初に「胃袋」から頂きます。胃の中には消化途中の野菜がいっぱい入っていますね。

仏教の修行僧でも山篭りの断食中は「水と木の実」なんですよ。面白い符号でしょう?
水と果実で人間は生きて行けます。充分に。むしろ病気知らずと言って良いでしょう。
でも現代科学どっぷりのお医者さんはまともに研究しないんですよ。はなっから東洋医学否定ですから、「迷信」の一言でばっさり、です。
実際、重度の糖尿病とか、その他の生活習慣病などは、はっきり言って「全快」しますよ。


diamonds8888x さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月19日 1時01分

「フィードバック」は忘れていただいて結構です。

「進化」を前提として個々の事象を説明する、と言うのは演繹法ですから、どなたかの説明は帰納法と仰りながら、個々の事象を「進化と言う原理」に直接戻している、そのことを「フィードバック」と私は使ったのだと思います。

「進化」と言う概念は古くから広く知られていた訳ではありませんから、「演繹法」を使う前にまず、「帰納法証明」が必要であろう、と言う事です。帰納法証明の後には、その結論は「説明原理」と成り得て、その説明原理を前提に「演繹法証明」が可能だ、と言う事です。

故に古くから広く「聖書」は読まれ、信じられていたと言う事が「西洋」ではありますから、「聖書が正しいと仮定するなら」と言う前提で演繹法的に証明しようと言う試みは、論理学上間違いではなく、「科学」と言うのはその手法が肝心ですから、聖書学的に導き出される「創造論学説」は「聖書を前提」と言う事だけで「非科学的」と批難するのは間違いであるのです。

しかしながら、その証明の過程において「論理矛盾」があれば、それはどんな学説であれ否定されます。


diamonds8888x さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月19日 0時41分

>で、推論により得られた結論が正しければ仮定は正しかった。つまり公理に近かったことになる、ということでしょうか?

仮定は「具体的」なもので、言わばちょっとした「アイディア」でも良い、と言う事です。
「公理へ近づく」、と言うのは「より抽象化する」と言う事で、同時に不変性が高まる、と言う事と私は理解しています。

帰納法の証明こそ、近代科学の証明と言われています。


「書き方の一例」ですよ  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月18日20時42分

>進化論の帰納法的証明を書かれていますが、あくまでも「書き方の一例」なんですね?内容は兎も角。そのように受け取っています。

 そうです。で、こんな形式だったら「科学的に正しい方法」だと認められるのですね?


公理と仮定と公準と  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月18日20時39分

>おおむね仰り通りなんですが・・・・、

 おお、良かった。これで少しは意志疎通が可能になったというものです。
 でも、おおむねということは違っていた点もありましたか? どこが違っていたのか指摘してもらえるとありがたいです。特に、「サイクルを通す」というステップでの『もしもステップ2による個々の事象の説明に矛盾などが生じたら・・』という所は、ようさんが明言してはいなくて全くの私の推定に過ぎませんからね。ちと読解に自信がありませんでした。

>>”「公理」へ近づく”の「公理」は「真理」と書くのが一番わかってもらいやすいでしょう。
>
>この場合の「公理」は数学的論理に於ける「前提」の意味です。数学以外の学門分野では、
>公理と言えないような「仮定条件」もあります。公理と仮定の間には「公準」と言うのもあります。

 はて、それでは『「公理」へ近づく』という意味が不明です。既に「前提」である命題は近づくものではなくて、そこを出発点としていわゆる「定理」を導くものなのですが。

 『”仮定→推論→結論”の「サイクル」を通して、仮定条件が「公理」へ近づく訳。』と書いてますよね。あっと、もしかして以下のような定義で使ってますか?

 公理;正しい仮定条件(「前提」)
 仮定;正しいとは限らない仮定条件(「前提」)
 公準;公理ほど正しさが確実ではないが、単なる仮定よりは正しさが確からしい仮定条件

 で、推論により得られた結論が正しければ仮定は正しかった。つまり公理に近かったことになる、ということでしょうか?


あきさん  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月18日19時49分

私は、私が知るところに於いて、私の論を展開したに過ぎません。

私にとって進化論は論理的に理解不能、と言う事です。更にここで論理的に説明する方もいらっしゃらない、と言う事です。今のところ。


diamonds8888x さん  投稿者:よう 投稿日: 2006年04月18日19時45分

おおむね仰り通りなんですが・・・・、

>「論理学ようバージョン」

私のやり方、と言うのではなく、基本的な「帰納法・演繹法」と言う事です。

>”「公理」へ近づく”の「公理」は「真理」と書くのが一番わかってもらいやすいでしょう。

この場合の「公理」は数学的論理に於ける「前提」の意味です。数学以外の学門分野では、公理と言えないような「仮定条件」もあります。公理と仮定の間には「公準」と言うのもあります。

進化論の帰納法的証明を書かれていますが、あくまでも「書き方の一例」なんですね?内容は兎も角。そのように受け取っています。


何が言いたいのか?  投稿者:Kosuke 投稿日: 2006年04月18日13時52分

ホント、この方の文章は主題がヨクワカラン。
まっとうな進化論の知識が不足しているようさんに薦めるには「種の起源」は適切な本ではない、と言いたいのかな?

そのための説明には全くなっとらんようにみえるのだが。
問題は本の内容でしょう。


「種の起原」は抄本です。  投稿者:パラドックス 投稿日: 2006年04月18日 8時36分

>帰納法には膨大な量の知識が必要です。とても掲示板ごときで列挙することは出来ません。お願いですから、まともな本(例えば種の起源とか)を、眠らないで読んでみてください。>

「種の起原」は、ダーウィン自身が、冒頭で、この本はウォレスとの先取権の問題が生じたために急いで抄本として発表したと言っています。そして、将来、もっと詳しく説明した本を発表すると読者に約束しました。岩波文庫版の訳者の八杉龍一は、上巻の「解題」で、ダーウィンは1856年から進化についての大著の執筆に着手したと書いています。ウォレスからダーウィンに進化についての論文が届いたのは1858年の6月で、その翌月のリンネ学会で2人が同じ学説を発表しました。これで先取権の問題は決着がついたはずです。両者がそれぞれ独自に同じ時期に同じ学説に到達したのです。

したがって、「種の起原」はそもそも書く必要がなかったのです。ダーウィンは最初から抄本ではなく、自分が集めてきた証拠を詳しく紹介した大著の執筆に専念することができました。彼には時間がありました。仮に1冊の本として発表しておいた方が良いと考えて「種の起原」を書いたのだとしましょう。

もしそうだとしても、初版だけで、生物の進化についてのダーウィの考えは広く世間に知られたのですから、同じ本を書き直す必要はありません。1859年に初版を、最後の第6版を1872年に発表しました。

もしダーウィンが豊富な観察記録や証拠が手元にあったのなら、抄本は最初の1冊だけでじゅうぶんです。しかし、ダーウィンは抄本であるはずの「種の起原」を13年間にわたって書き直しました。

結局、包括的な進化論の大著は発表しませんでした。自伝でも、ダーウィンは、「種の起原」が自分の主著だと言っています。そこに書ききれなかった詳細な考察は、どの本とあわせて読んだら彼が進化論について1856年から書きはじめていた学説がわかるのか、それについての説明を彼はしていません。


良く読もう  投稿者:ノンクリ 投稿日: 2006年04月17日21時50分

>浮気の余地は、全くないのです。

んなコトはないよ。7つがいいるから・・・(創世記、第7章、第2節)


異議あり  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年04月17日21時23分

> 一つがい生き延びたって殺された動物には何の慰めにもならないし。

生き延びた方だって。
箱船から降りた直後の夫には、浮気の余地は、全くないのです。
このときのトラウマが今になってよみがえるのが、獣○ん...?

> きっとライオンも神様を恨んでいることでしょう。

そうかなあ?
ステーキを諦めてベジタリアンになるほうが、ボクだったら、つらい...(^_^;)


割が合わない  投稿者:とんからりん 投稿日: 2006年04月17日17時58分

不条理といえばノアの洪水で巻き添えになったほとんどの動物もそうですよね。
一つがい生き延びたって殺された動物には何の慰めにもならないし。

イブと蛇の話に絞ってもアダムの罪によってそれまで草食だったのが肉食に変わってしまったライオンなどの現在の肉食動物もとばっちりを受けたことになります。
きっとライオンも神様を恨んでいることでしょう。


川田晴久さんだあ!  投稿者:ミニヨン 投稿日: 2006年04月17日10時01分

へぇーそうなんだあ。
川田晴久さんだあ!

ありがとう 粋な藝人
http://homepage3.nifty.com/okason/kawadamedia.htm


草原列車でラララララ行くよ♪


ま、無理ないか  投稿者:NORTON3rd 投稿日: 2006年04月17日 9時23分

>>美空ひばりさんの恩人の変な帽子をかぶった オカハルオさん?地球の上に朝が来る、その裏側は夜だろう

そりは川田晴久。
東京コミックショーはショパン猪狩(松永兄弟より遥か前に女子プロレスを始めた人でもある、昨年物故)
『レッドスネーク、カモン』をしらんのかね?
(しっとるわけないか)


ほんとだよ  投稿者:ノンクリ 投稿日: 2006年04月17日 8時37分

>でもそれでは蛇が罰を受けるのは割りが合わないですね

だから今でもヘビは主なる神を恨んでいるんです。「塵なんか食えるか!」って・・・

人間だって割に合わない・・・「あの木の実を食べると死ぬぞ」って・・・
そんな危険な木なら始めから造るなよ。純情なエバが騙されるのは当たり前だよ。


っていうか  投稿者:ミニヨン 投稿日: 2006年04月17日 2時24分

過去ログから

良かったね

>てつおさん

ロバくんは喋ったように見えたけど、じつは天使の職人芸だったんだっていう事で正解です!

それって、もしかして、天使の自作自演〜?簡易式です!もしかして、例外に声帯つけて本当に喋ったように見えた?またまた話をぶり返してどうするア〇フル

やっぱ ヘビさんもロバくんも 職人芸的天使と堕天使の悪戯だったんだっていう事で正解ですか?

長いナガアい論争に本日漸く決着がついて>流木さんも良かったですね♪

ハレルヤ!スッキリさわやか さあ寝ます。
マペットバペット

>東京コミックショー?美空ひばりさんの恩人の変な帽子をかぶった オカハルオさん?地球の上に朝が来る、その裏側は夜だろう、益田キートンさんと坊や三郎さんと共演したあきれたボーイズって東京コミックショー?あれあれれ!脱線中ですね(笑)

ワカラナイです!

寝よっと


きすおぶふぁいあー!!  投稿者:RYU_TI_SYU 投稿日: 2006年04月16日22時19分

>あのヘビは腹話術の人形のようなものです。

サタンの正体は、

東京コミックショウだったのだ。

実に「論理的」だ。


(無題)  投稿者:ひろうす 投稿日: 2006年04月16日21時43分

>RYU_TI_SYU さん
人間と会話するほどの知性的な蛇と今の蛇を同種とするのは
疑問もありますが、チワワとセントバーナードみたいなものと思えば
論理的ですね(^ ^)
>ノンクリさん
それではまるでパペットみたいにパクパクと「イブさん、イブさん」てな感じで…
竸_^;)でもそれでは蛇が罰を受けるのは割りが合わないですね
>ミニヨンさん
そういえば罰をうける前の蛇は直立していたんでしたっけ。
ハチュウ人類だったのかな?
ロバ君の敵はガマ親分でしたっけね。


ようさんへ  投稿者:あき 投稿日: 2006年04月16日14時55分

はじめまして。ようさんがどう考えているのか教えてほしいことがあります。

世の中には進化学を専門分野として研究している、いわゆる専門家に当たる人たちがいますが、下記発言にみられる、「「進化の証拠」として「一般的な原理」に置き換えて「演繹的説明」したり、「長い間に「帰納法的証明の手続き」を怠ってきた」のはそういった専門家たちがそうしてきたということですか?

>進化論は膨大な事象をそのまま「進化の証拠」として「一般的な原理」に置き換えて「演繹的説明をしているのだよ。そのためにはまず「帰納法の証明」が必要なのだ、論理に手順があるのだよ。(M 投稿者:よう 投稿日: 4月15日(土)21時47分44秒)

>どうやら、進化論は長い間に「帰納法的証明の手続き」を怠ってきた、と言う事らしいです。創造論排斥運動よりもそちらがより重要と思います。(ギャラリー@勉強中さん 投稿者:よう 投稿日: 4月15日(土)05時31分40秒 )


ようバージョンと進化論  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月16日11時24分

 さて先の「論理学ようバージョン」における私の読解が正しかったとして、以下の発言の読解をしましょう。

>進化論は膨大な事象をそのまま「進化の証拠」として「一般的な原理」に置き換えて
>「演繹的説明をしているのだよ。そのためにはまず「帰納法の証明」が必要なのだ、論理に手順があるのだよ。

ようさんが考える現状の進化論の証明ステップ
 「進化の証拠と称する膨大な事象」==>「個々の事象を説明」
 これでは途中が抜けていてだめだ。「前提」もないからだめだ。

ようさんが望ましいと考える証明ステップの一例(生物集団は種と言い換えても良い)
 「前提」;生物集団には個体間に変異が存在し、環境に最も適応した変異を持つ個体が次世代に生き残る。また、突然変異などにより、各世代に変異が生じる。
 「推論」;世代を経るごとに生物集団は少しずつ変化する。また、少しずつ異なる集団に分かれてゆく。
 「結論」;現在の生物集団は昔の生物集団とは大きく変化している。また異なるが似ている複数の生物集団が存在する。
 「フィードバック」;現実の「膨大な事象」に「フィードバック」すれば、この「結論」は正しい

 以上でよろしいか?


論理学ようバージョン−参照  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年04月16日11時22分

 さきの「論理学ようバージョン」について、参考にしたようさんの発言を以下に列挙しておきます。


>演繹法には「一般的な原理」があって、それで個々の事象を説明する、と言うやり方だ。

>帰納法の「仮定条件」に当たる「前提」と言う意味で書き間違えたのだ。

>帰納法で「説明原理」立てて、その説明原理を基に「演繹法」で、というのであれば論理的にOKでしょうけれど、帰納法による説明原理を省いて、イキナリ演繹法は違います。

>再度申し上げますが、「フィードバック」ではなく、”仮定→推論→結論”の「サイクル」を通して、仮定条件が「公理」へ近づく訳。
>帰納法で立論された後に、演繹法的に「フィードバック」がOKとなるのです。

>進化論は膨大な事象をそのまま「進化の証拠」として「一般的な原理」に置き換えて
>「演繹的説明をしているのだよ。そのためにはまず「帰納法の証明」が必要なのだ、論理に手順があるのだよ。


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