このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。
信憑性に疑問がある場合は、悶々としていないで、疑問点を徹底的に質問すればいいと思います。
そうすれば少なくともあなたが確信できる程度には「なるほど!」と思える答えが得られるかも。
答え、とは、本来、個々の質問に応じて、オーダーメイドするべきものですから。
想像論のどこが信憑性に疑問があると感じているのか、ぜひ教えてください。
そうすればあなたのもやもやが吹き飛ばされるような回答を提示できる、...かもしれませんから♪
例えば、「悪霊退散!」とか...(^_^;)
ここの掲示板は、確かにタメになる諸説も
タマ〜に見かけるが
信憑性に疑問がある書キコも実に多い。
創造論でなく想像論で語るのも、言論の自由ではあり
楽しい・・ことも事実だが
「なるほど!」と思わせる、記事を期待しています。
脳の機能や進化史上の言語の精緻化を考えるのなら、「単語」と「文法」に分けて考えることもあるようですね。先に発生したのは「単語」であり、「単語」に先立って「抽象概念」が発生したと見るのが妥当でしょうか。
情報伝達と言語の関係を考える場合は、発信者の頭の中にある概念と、発信された言語と、受信者の頭の中に展開された概念と・・・これらの間にある断絶を考えざるを得ません。発信者はさまざまなイメージや思考を集約して言語で表現し、受信者はそれを自分が持っているイメージや思考に従って展開しますが、発信者が意図した内容と受信者が解釈した内容が一致するかどうか・・・物を書くことを職業にされている方なら、日々悩んでおられるでしょうね。
言語が運ぶ情報は、どのように定義されるのでしょうか。ユーゴーが小説「レ・ミゼラブル」の売れゆきを問い合わせた手紙が「?」、出版社の返事が「!」だったという話があります。言語のみを取り出して情報量を定義するのは無意味かもしれません。でもまあ、このケースは言語のもっとも高度な情報伝達でしょう。
単純な使用法は、ある特定の音節で特定のモノを指し示すこと、でしょうか。ベルベットモンキーは天敵の種類によって蛇コール・豹コール・鷲コールを使い分けています。しかし犬が近くにいると蛇コール、犬が走ってくると鷲コール、犬が木の下に来ると豹コールを発しますから、ベルベットモンキーのコールは、特定の対象を表わすのではなく、恐怖情動の表現と見做したほうが良さそうです。でも、そもそも言語の伝達機能は、発信者の脳内の情報を受信者の脳内に再構築することですから、コールを聞いたモンキーが発信者と同じような恐怖を感じるのならば、それも言語のうちでしょうか・・・。
「言語」の定義に、発話者がその音声の意味を認識していることは必要でしょうか。ある音声にあるモノを結びつける最初の契機は、もしかすると「騙し」だったのかもしれません。それにしても「あるモノ」についての概念が先立って必要になります。そして、考えてみれば、単語というラベルがなくて概念やイメージの連合だけであるなら、我々は思考を持続させることが困難になるでしょう。単語は、概念やイメージを圧縮したものとして、脳内の情報処理の負荷軽減になくてはならないもののように思えます。
なお、単語と脳内のイメージ連合の結びつきについては、単語と対象物の各種イメージがネットワーク状に連結されているという説と、単語と形状イメージの結びつきプラス形状イメージとその他様々な情報のネットワークの2段階に分かれるという説があるそうです。情報処理の負荷軽減の観点からは、後者の方が便利そう。
ところで、意識化されうるものは全て言語化されうるか、というのも面白い問題ですね。意識化と言語化のレベル設定にかなり依存するでしょうけど。プリンの味は食べてみなければ判らない、と言われる一方で、言語の形式が人間の認識形式を規定する、という説もあったような無かったような。
でも、プリンの味を意識しないなんてことは、絶対に、ないです。
>なのに明治天皇以前の天皇が男系継承に固守し、尚且つ皇后以外に側室を9人(妃2人・婦人3人・品4人)も置いたのは、天照大神由来のミトコンドリアが女性にしか伝えられていないからであり、
天照大神由来のミトコンドリアが女性にしか伝えられrないことと側室が何人もいたということになんの関連があるの?
そりゃぁ、側室をたくさんおいたら、その中に天照大神直系の女性がいる可能性がそれだけ高くなるが、天皇になるのは一人だけだぞ。
皇太子が天照大神直系の女性から生まれたかどうかは(天照大神直系のミトコンドリアを受け継いでいるかどうかは)、側室を置こうが置くまいが、子というのがある一人の女性からしか生まれない、その女性からしかミトコンドリアを受け継がない以上、同じことじゃないか。
天照大神直系というのを貴いとするんだったら、女系の万世一系とするしかない!
そもそも、一度でも男に次がせたらそこで天照大神直系というのが断ち切られる可能性が高くなる。皇太子の母になる女性(后でも側室でも)が、天照大神直系でなかったらそれで終わり。
ん?
120何台も男系にしたということは、意地でも天照大神との関係を断ち切ろうとしたってことなんかな、、、
天照大神直系のミトコンドリアがどういうDNA配列かというのさえ分かれば、こういう手もあるかな。
日本中の女性のミトコンドリアを調べるんです。そして、天照大神直系の女性に天皇になっていただくってのはどうでしょうか?
そして、その女性天皇からは女系一本でいくと。
もちろん、中にはその女性天皇を妊娠させられない婿殿もいると思いますので、側室、ただし女性じゃなく男の側室を何人もおくと。
神武天皇のY染色体をもってる人は、確かに日本人にはゴマンといる。
なのに明治天皇以前の天皇が男系継承に固守し、尚且つ皇后以外に
側室を9人(妃2人・婦人3人・品4人)も置いたのは、
天照大神由来のミトコンドリアが女性にしか伝えられていないからであり、
特に品の4人が産む子を後継者として推すのは、品だけが公民から選択でき
近親の血筋の濃さを恐れたためである。
「誰々は品格がある」という言葉は、天皇の側室制度から出た言葉で
天皇の側室としても「品格」がある・・が語源なのです。
意識と意志と言語についてレスしようと思ったのだけれど・・・余りに広範な話題なので、何も書けなくなってしまった・・・。
意識について考える際に「意識」しておかなければいけないのが、脳への入力情報>>意識可能な情報>>実際に意識される情報、の極端な大小関係。身体内部のモニタリング情報や識域下の外界情報など、脳に入力される情報は膨大な量になります。そのうち意識に上げることが可能なタイプの情報はごく僅かであり、その意識化可能な情報のうち、実際に意識される情報はほんの少しです。単位時間あたりの脳への入力情報に対して意識化される情報の割合は、百万対1だという試算もあります。
意識の役割の1つは「重要な情報の絞り込み」にあると言えるでしょう。
ところで「意識」にも色々な状態がありますよね。ボ〜〜ッとしている時もあれば何かに集中している時もある。習熟した、それでいて柔軟な判断が必要な作業に集中している場合、例えばプレイ中のサッカー選手は、何をどのように「意識」しているのでしょうか。意識の単位時間当たりの情報処理能力は低いです。何かを思考しているとき、その思考プロセスの大半は無意識下のイメージ操作であり、意識はその出力結果を受け取って咀嚼するだけかもしれません。
さて、精神分析学の始祖の一人であるユングは、自分自身を表わすのに、《意識された自分=自我》と《全体としての自分=自己》という2つの概念を用意しました。手持ちの「ユーザーイリュージョン」という本も、同じような区分けを行っています。
「自由意志」の問題は、通常「自我による意志」の問題と見做せるでしょう。しかし「自我」という概念は、簡単なようで奥が深い問題です。分割脳の患者では、左右それぞれの「自我」があるようです。ある患者に尋ねたところ、右脳は「神はいない」と答え、左脳は「神はいる」と答えました。(注:逆だったかもしれない。)しかし我々の自我や意志だって、一枚岩と言えるでしょうか。先の例なら、一人の人間の中にも「神はいる」という意見と「神はいない」という意見とがあり、総合的に優勢な方が「自分の意見」として認識されるのでしょう。「自由意志」もまた、脳内のニューロンの多数決の結果と見做したほうが良いかもしれません。あるいは多数決をとること自体が「意思決定」なのでしょうか。
自由意志をこのように考えると、《無意識からの自由》はナンセンスな考えであるように思えます。おずおずさんの言われるような、情報が欠如した状況での意思決定はどうでしょうか。これは乱数的にランダムな意思決定とは違うのですよね?環境に左右されない、純粋に自己の内部での情報処理に依存した意思決定、と読んでいます。しかしその情報処理は・・・例えば何らかのジンクスに基づくなら、そのジンクスは過去の環境の学習から生成されたものでしょう。まったくの気まぐれであるなら、それは《ランダムな意思決定を自由意志と呼べるか?》という問いに突き当たります。
意志決定の瞬間のみを見るなら、人間でも蛾でも、内外の状況を入力として演算を行い結果を出力するコンピュータのようなもの、ではないでしょうかね。人間と蛾の意志(?)決定の違いは、「演算」の可塑性にあるのではないでしょうか。蛾の演算は遺伝子によってほぼ固定されているのに比べ、人間の演算は生涯を通じて変化し調整され続けます。ある種の演算、意識によって注目されるべき種類の演算を司るニューロン群は、遺伝子によって誕生時点で特徴づけられ、各個人の経験に依存しつつ発達していきます。私自身は、自分の意思決定が、この多様な可能性を有したなかの一つであることをもって「自由意志」と言いたいですね。
ああ〜やっぱり長くなってしまいました。失礼。
・・・って言語は?
きっと当時もアオザイを着たシアノバクテリアが、ダイワハウスの家にお友達を招待したりしていたのだ
>Kitkat さん
>>私がヒトの環境破壊、他の生物を絶滅させていることのみを問題視したことは、ヒトを特別視していた証拠になってしまうのかも>>
理系の発想からすればヒトを特別視することは好ましくないことなのかもしれません。
しかし
>ヒトの環境破壊、他の生物を絶滅させていることは、過去に例のない事などではなく、何度も繰り返されてきたことにすぎない。ヒトが特別なことをしているわけではない>>
と、ヒトと他の生物を同等にみなすのは、ある社会が生態環境に適応できずに崩壊する一方で、別の社会では生態環境と人口を長期間均衡させることができたのはなぜか、人口と生態の均衡のために嬰児殺しや老人殺しをすることは、一人のヒトの自由意志とか意識が、その社会の環境の制約を受けているのではないか、という社会科学的な視点からも検討した方がいいと思います。
やっぱりヒトは集団で生活しているのですから。
>おっしゃるとおりで、具体的な数字を語れないのが辛いところです。
なかなか素直で好感が持てます。
>おそらくその当時にはゴキブリもいなかったであろうから、wadjaさんにとっては天国だったかもしれません。
これはあきません。進化論を信じてると、人の心が分からなくなる好例やと思います。ゴキブリはともかく、巫女の装束、メイド服、チャイナドレスそれにアオザイの無い天国は神がお許しになりません。
#隣近所に顕微鏡でしかお目にかかれへん世界なんて…嫌や。
>>ゴキブリは北海道にも住めないような軟弱者ですが何か?
>えと、時間の広がりを考慮しましょか…って、ゴキブリの肩持ってどうする!
>#北海道で隠居しよかな。
長野でもうゴキブリはいないのら。もっとも南信(飯田市辺り)とかにはいるかもしんないけんど。
昔、上司が「ウチの女房はゴキブリ見たことなくってさ。旅行先でゴキブリをマジマジと見て、『これがゴキブリなんだぁ』だってさ。こっちは腰引けまくりなのによぅ」と、愚痴だかなんだかよく分かんない会話をしたことあるピョン。どうだ、”ヤツ”がいないんだぞ〜 羨ましいかぁ〜
To wadjaさん
おっしゃるとおりで、具体的な数字を語れないのが辛いところです。
シアノバクテリアが地球の大気の酸素濃度を大きく変化させた時期の化石記録からでは、当時の生物種を推定するのは難しいでしょうし。
そもそもあの時期に多細胞生物なんていたんでしょうかね? ストロマトライトはあくまで単細胞のシアノバクテリアのコロニーであって群体ですらありませんし。
おそらくその当時にはゴキブリもいなかったであろうから、wadjaさんにとっては天国だったかもしれません。
ボクの仕事である土木業界はこの頃、「環境破壊の代表格」の評価を受けていまして、新しい事業をおこす際には「環境情報協議会」という外部団体のヒアリングを受けて、その事業が環境に対して些細な影響しか及ぼさないことを認めてもらえなければ(あるいは環境を積極的によくすることを認めてもらえなければ)事業実施の許可をもらいにくくなっています。
んで、昨年、都市化によりどぶ川状態になってる或る水路をきれいにするための事業について説明したとき、
「...等の改良により、メダカの住める小川にしたいと思います。」といって事業化の許可をいただいたのですが、
ここで数年間お世話になったボクとしては、「現在この川は多分、日本全国で減少しつつある嫌気性生物たちの生態系が数十年にわたり保たれて来ている、貴重な地域となっています。私たちはこの環境を完膚無きまでに破壊する、死刑執行人でもあるわけです。」と言いたかった、のですが、さすがに言えませんでした。
現在この小川からはもう、メタンガスのあぶくひとつさえ出てこない、死の川になっています...。
>シアノバクテリアには勝てないのではという気もw
気がするだけでは根拠になりません。それでは科学的態度とはいえませんがな。絶滅した種の数を推定してください。
それに引き換え、人の場合には、少なくとも絶滅あるいは絶滅寸前に追い込んだ種の記録があります。
まあ、言いたいのは、「あんまり古い話は気にせんとってとって」ということにすぎませんけど。なんなら「絶滅させた多細胞生物の種の数」でも結構ですが。いや単にゴキブリの話をしたくないだけなんで。
>ゴキブリは北海道にも住めないような軟弱者ですが何か?
えと、時間の広がりを考慮しましょか…って、ゴキブリの肩持ってどうする!
#北海道で隠居しよかな。
話は変わって…女系反対論者でY染色体を根拠にするアフォどもは、確か「Y染色体は交差せず変化しない」とか、言ってたような…。せやから神武天皇のY染色体って話ができるんよねぇ?でもウィキペディア読むとY染色体も交差するみたい。どっちが正しいのか気になるんで?だれか教えてください。いづれにせよ、性別決める他は大した遺伝子持ってへんのに。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93
>ところで、神武天皇自体、天照大神のミトコンドリアを引き継いでいなかったんじゃないですか?
今から、天照大神のミトコンドリアを引き継いでいる女性を捜し出すなんてこと可能なんじゃろか、、、
立花隆のネタにマジレスしてどないしますねんなw
それから、グレートサムシングですか(なぜにこうも速く話題が流れる?)。この掲示板にも何度も登場した懐かしい人ですねー。
せっかく実績残した人やのに、名誉教授になると誰も諌めるなんてことはせーへんのかね?IDは去年の暮れにもアメリカで違憲判決出てますがな。それくらいはフォローしたらええのに。
最初の光合成生物は、それ自身は嫌気性生物だったというのは皮肉ですよね。
>シアノバクテリアによる環境大破壊
たしかにシアノバクテリアは、地球上に猛毒の酸素を撒き散らしました。嫌気性バクテリア達には、言いたいことが山のようにあるでしょうね。ただ現在でも地球上にいるバクテリアの90%以上は、酸素のない海底や土壌地下、生物体内に生息しているのですから、大虐殺を生きのびたバクテリアも相当数いたのかも(シアノバクテリアがいなければ、もっと繁栄していたというのは確かでしょうね)
シアノバクテリアの例から見ると、ヒトの環境破壊、他の生物を絶滅させていることは、過去に例のない事などではなく、何度も繰り返されてきたことにすぎない。ヒトが特別なことをしているわけではない・・・・・と言うことですね。
とすると、私がヒトの環境破壊、他の生物を絶滅させていることのみを問題視したことは、ヒトを特別視していた証拠になってしまうのかも・・・・・「ヒトは地球の環境や他の生物を管理するために、神より特別な能力を与えられたのだ」・・・・・どひゃ〜
私は実は「想像論者」だったのか!? そんな〜
たしかに環境問題は、科学というよりも、価値観を押し付けあっているという面が多分にありますが(特にクジラやイルカについての議論をみると)うーむ。
畑違いの人がトンデモ言っているのかと思ったけど、「遺伝子暗号解読の第一人者」なんて書かれている記事もありますね。
でもこの記事だと、四の三十億乗分の一なんて数字が出てくるけど、これって現在のヒトのゲノムの話であって、しかもそれは毎回無から生成されているわけじゃなくて既にでき上がっているゲノムのセットからシャッフルされて作られた卵子と精子から作られているわけだから、毎回毎回奇跡的なことが起こっているわけじゃないことを無視しているとしか思えないし。
それに、「最初に生まれた細胞」から一足飛びに「ヒトの誕生」が起こったわけじゃないこととか、「最初に生まれた細胞」について「現在の進化論」が語る必要が無いことを無視しているのも変な話。
解っていて敢えて書いていないような印象をうけますけどねぇ。
マジで書いていたら「おいおい」って気になるけど。
>他のセーラー戦士にもそれぞれ決
「水でも被って反省なさい」とか?(笑)
http://www.sankei.co.jp/news/060301/morning/seiron.htm
ところで話変わりますが、セーラーマーズの決め台詞は「火星に代わって折檻よ」です。
他のセーラー戦士にもそれぞれ決め台詞がありますので興味のある方は調べてみるのもご一興。
>シアノバクテリアは確かに、それまで地球(の、多分、海だけ)を支配していた、単細胞生物(原核生物)を多数そして他種、死に追いこんだと思います。
その通り。そして、それは当時の地球の生物界の「ほとんどすべて」だった。
>>歴史上どれだけの生物を絶滅に追いやったか
> シアノバクテリアには勝てないのではという気もw
シアノバクテリアは確かに、それまで地球(の、多分、海だけ)を支配していた、単細胞生物(原核生物)を多数そして他種、死に追いこんだと思います。
でも一方で、我々を含む多細胞生物を始めとして、カンブリア大爆発以来のありとあらゆるタイプ(地上に進出する生物群を含む)の生物を作り出した。
そして、彼らが地球にもたらした変化は十分緩やかなものだったはずだから、彼らはもしかしたら「絶滅させた」のではなく、「変化させた」のかもしれない。
少なくとも、絶滅させたものたちよりも、生み出したもののほうが大きかったかもしれない。
その点、ヒトたちは...。
(ヒトが核戦争で死滅した後、DNAをずたずたに破壊されながらもかろうじて生き延びた生物たちがカンブリア大爆発の再来といわれる思い切り多様な生命形態を作り出し...たりして。)
皇統が125代2666年って捏造だろ?
神武天皇なんて本当にいたのか?
# 神武天皇のY染色体持ってるなら特定アジア出身者にも皇位継承権があるのだな。
> おずおずさん、どうしよう。
> 美少女が最強のコスチュームに身を包んで参戦だ!
大丈夫。その程度のことは想定の範囲内です。
コスチュームといえばやっぱり、セーラームーンでしょう。
いざとなればリリスさんは巫女さんから、セーラーマーズ、に変身すればいいのです!
(セーラーマーズ:十番町にある「火川神社」で巫女を務める、強力な霊能力を持った霊感少女。セーラーマーズに変身する。)
炎と情熱の戦士、セーラーマーズ!火星にかわっておしおきよ!
生物は環境からのさまざまな働きかけに対してその生物の性質に応じて様々な反応を返して生きています。
その、反応(フィードバック)をどう行うか、を決定する働きを、意思、と捉えて、その枠組みで考えてみます。
そうしてみると、自由意思、の「自由」とは、環境や自己の本性からの自由、と言えると思います。
例えば、(議論の余地はたっぷりあるのですが、)本能や反射というのは、「自由意思」の対極の例だと思うのです。
環境及び体内の状態から「意思決定(?)」が(ほぼ)一意に決まるという意味において。
例えば、蛾は、光源との角度を一定に保って飛びます。その結果、目的地につけるか、焼け死ぬか、という結果自体は確率の問題ですが、「意思(といえるかどうか?)」に関する限り、「もうちょっと角度を小さくしようか?」とか、「どうにも焚き火のようだから真っすぐ飛んで逃げてしまおう。」といった判断の自由は無いようです。
本能、という言葉は一般的に「ある条件においてある一定の反応を行う。」という行動様式だと言えます。
腹が減ってきたら狩りを行う、とか、繁殖の時期には雌を見つけたら求愛行動を行う、とか、です。
つまり、外界及び体内の状況(過去の経験等も含む)によって一意に決まっている意思決定は「自由でない意思」なのです。
広く考える場合、ヒトにおいても、育った環境のせいで彼は犯罪を犯したんだ、とかいう場合、彼の行動は自由意思によるものではない、ということを意味しています。
では、人にはそもそも自由意思はあるのでしょうか?
もしも脳がコンピューターのようなものであって、内外の状況を入力として演算を行い結果を出力するようなものであるならば、人には原則的に自由意思は存在しないことになります。極めて複雑な、でも固定された意思。
一方で、脳の演算過程に乱数処理のようなものが入っていても、それを「自由」とはなんとなく言い難い。
では、脳がコンピューターのようなものであっても、「意思決定に必要な情報が十分与えられていない場合」はどうでしょう?
例えば壷の中のさいの目を見ずに丁か半に賭けるとき、演算による意思決定は不可能です。
焚き火に飛び込む虫は、無限の情報を持つ環境の中から、光源の方向だけに反応して行動を決めます。彼の目には光源の方向以外にも情報が含まれているはずですけれど、彼の脳は方向という情報だけから意思を決定します。
一方でさいの目に賭ける人は、意思決定に必要な情報がないのです。自由意思とはこのようなものじゃないでしょうか。
このような場合には、では、人はどういう仕組みで意思決定を行っているのでしょうか。
...というのが言いたかったことなのです。
...とりあえず説明しただけです。スルーしてください。
>人類の滅亡を受け入れる前にやるべきことは、
受け入れてません受け入れてません。
ただ「人類存続」が絶対の価値なのか、疑問を提起しているだけです。
人事を尽くして天命を待つ、ってトコでしょうかねぇ。
「人事を尽くす」ってのがハードル高いんよ。
>リリスさんへ
>価値観について言わせてもらえれば(「環境と種」ではなく「全体と個人」の関係について)、個人をあまりにも犠牲にしなければ人類が存続できないのならば、いっそ個人を大切にして滅亡するのもアリではないか>>
そうならないように昔の人たちがそれぞれの生態系に適応して、例えばレビ記の食料規定ができたのだと思います。レビ記では反すうしない陸上脊椎動物を食べてはいけないと定められています。昔は豚も食べられていたようですが、だんだん生態系が変化してきて、牛とかヤギ、羊は好ましいけどそれ以外の動物は、レビ記が書かれる少し前から、代価.便益比で割に合わなくなってしまったんです。
環境と種、全体と個人、という対比ではなくそれぞれの環境で生活している社会の一員としての個人として人を考えると、少数民族や宗教における食べ物その他の一見理解しがたい習俗から、ぼくたちはまだまだ賢明に教訓を引き出すことができると思います。宗教は単なる価値観だけではなく、生活上の実用的な知恵が含まれています。少なくとも当初はそうでした。
人類の滅亡を受け入れる前にやるべきことは、文化人類学とか経済人類史から、個々の環境に適応しようとしてきた社会の知恵を学ぶことです。
参考文献
M.ハリス「食と文化の謎」岩波書店、岩波現代文庫
ラーメンは日本の伝統食である。と主張する連中のことをラーメン右翼というのだにゃ。
(やふテツガク板に昔いた、Dr.2000というおっちゃんの造語)
>つまり男子の氏と姓を重んじる概念は、
>古来シナ王朝(中国)から伝来したlegitimacy正統制なのです
「そんなもん日本の伝統じゃねえよ、日本はシナの属国じゃねえぞ」
と本居宣長ならいうだろうにゃ。
中国や西欧から輸入した文化をして「日本の伝統」だとか抜かすラーメン右翼やスパゲッティ右翼は
自分では保守派のつもりだけど、実は日本の伝統の破壊者なのだにゃ。
世界で男系継承を固守しているのは、ヨルダンと日本だけ・・
だから間違いであるとの説があるが、それが日本が日本であるが故の
伝統でありlegitimacy「正統制」なのです。
国民が男系継承擁護と女系主張が二分された状態で典範の改正となると、
そのこと自体が、「象徴」天皇とはかけ離れたものに変貌してしまい
象徴天皇のlegitimacyを失うこととなり極めて危険である。
先人が築いた伝統と正統制は過去・現在・未来へと脈々と続くものであり
現代人の思惑や勝手な判断で断ち切っては決してならないと思う。
皇室典範の論議で、男系継承説を
>その男尊女卑のけがわらしい考え
と無知な発言をしている人がいますが・・・
倭国から日本国になった当時の初代天皇の
推古天皇は女性であり、
その後125代の中で10人の女帝が誕生しています。
決して女卑している訳ではありません。
10人の女帝の中、8人は自らも子供を産まず
そして全ての女帝が他の宮家より男系継承を行っています。
つまり男子の氏と姓を重んじる概念は、
古来シナ王朝(中国)から伝来したlegitimacy正統制なのです。
そんなにY染色体が大事なら、天皇のY染色体の塩基配列調べて、それと同じY染色体を持つ男性を世界中からいっぱい探してきてその中から抽選で天皇を決定するっていうのはどうでしょうね?
案外、フランス人の天皇とかロシア人の天皇とかが誕生したりして(w
どうせなら天照大神のX染色体を貴いとしたらどうだろうか?
でも、Y染色体なら男系、ミトコンドリアなら女系ってわかりやすいけど、X染色体の場合はどうなんだろう、、、
その通りだ!
立花隆の言うとおり!
Y染色体信奉者を笑い飛ばそう、、、(^^)
ところで、天照大神由来のミトコンドリアこそ貴いんだとすると、男系の万世一系なんて大間違いのコンコロリンじゃないですか。
万世一系でも女系にせんといかんのだから。
ところで、神武天皇自体、天照大神のミトコンドリアを引き継いでいなかったんじゃないですか?
今から、天照大神のミトコンドリアを引き継いでいる女性を捜し出すなんてこと可能なんじゃろか、、、
う〜ん、これじゃ、イブの末裔になってしまいそう、、、
Y染色体もミトコンドリアも、どっちもどっちだね。
本体の価値ではなく「継続していること」の価値。
しかも伝統芸能のように無形の精神性を伝えるわけでもない。「慣習は、慣習であるが故に尊い」っていう言葉の裏には、その慣習により伝承される精神的価値が存在していたりする場合も多いのだけれど・・・
Y染色体やミトコンドリアの場合は「感傷」だね。
皇室典範は「継続しているものへの感傷」をどう評価するんだろう・・・
立花隆は
「天皇のY染色体をもってる奴なんか、日本人にはゴマンといる」ことを
論理的に証明してY染色体信奉者を笑い飛ばしたあとに、
「神武天皇Y染色体より、はるかに貴いのは、天照大神由来のミトコンドリアであり、
これは女性にしか伝えられていない」として、
「天皇家の祖先そのものである天照大神のミトコンドリアを受け継ぐ天皇家の女性たちこそ、天皇の台座に登るいちばんの資格者だという議論が行われてもおかしくない」と
万世一系・男系男子論者たちを茶化している。
この説は、どうかな?・・と思うのは、私だけでしょうか?
Y染色体が連綿と続いているから価値があるんだってな主張をどなたがしていたけど、それって遺伝子信仰に近いものがあるんとちゃうんかなぁ、、、
Y染色体なんてX染色体から見たら、切れ端みたいなもんだぞ。
あ、これで思い出した。
小松左京のアダムの末裔。
現在の近上天皇は江戸後期のコウカク天皇の末裔で、
コウカク天皇とは当時先代天皇の直系の祖々父の弟の孫であり
七親等も離れている・・一般なら他人も同然である。
つまり直系とは、ほど遠い天皇である。
そして125代続いた天皇家の中で59代
つまり半数近くが側室の子であった。
昭和天皇以後、皇室の側室制度を廃止したが
世襲男系が途絶えそうな今日では
側室を復活しない限り、男子直系は困難である。
愛子様が成人して女子天皇に就くのは、過去にも例があり賛成だが
あくまでピンチヒッターであり
愛子様の産む子を殿下として認めてはならない。
仮に認めてしまうと女系天皇制へと変貌する恐れがあり、
2千年の皇室の男系継承の伝統を犯すこととなる。
伝統とは、過去・現在・未来に渡る正統制を意味し理屈ではない。
先人が残した正統制は「慣習は、慣習であるが故に尊い」という
言葉があるように、現代人の勝ってな判断で断ち切ってはならないのである。
現在の象徴天皇制を維持する上でも
皇室典範の改正は慎重に議論すべきである。
ちょうど今CG制作に追われているんですが…ふと思い出したのが「ウゴウゴルーガ」
私の中で「永遠のヒット」となっているあのやりとり…。
ウゴウゴ「ねぇルーガちゃん」
ルーガ「ん?」
ウゴウゴ「ルーガちゃんにとって、ボクってなに?」
ルーガ(少し間をおく)
やがて、おもむろに
ルーガ「ぶた」
あぁもう、それだけであの番組に出会えて良かった!
と、過去のオモイデはこれくらいにして…
PDX.さんの挙げられたシアノバクテリアの話に、かなり感銘していたんだけど、レスする暇がないうちに時間が過ぎていたところにネタ復活!いやぁホントですね。
で、ミケさん。
>現在では同種かどうかの基準として遺伝的な違いも使えるので、
「違う地域だけど似てるヤツだから同種だろ」と思っていると思わぬ落とし穴があったり。
そうでしょうね。ここんところ、読書に割ける時間がまったくない状態なのですが、以前読みふけっていたアリ学みたいな本に書いてあったことの「脳内再構築」ですので、はなはだ根拠に乏しい主張かと思います、我ながら。ただ、先に紹介したレポートにあるように、別種でありながら(人為はかなりあるでしょうが、それも自然と私は考えるし)、交雑する外来アリのケースも各地で知られており、そもそもニンゲンを基準にアリを見てもナンセンスなの「かも知れない」という見方もしています。
#じゃぁなにを基準にすればいいんだろう、というと私にもわかんない(笑。
#でもなにか人間中心なモノの見方にグロテスクなモノを感じてしまうのは、私がひねくれているだけかな。
次は、リリスさんですね。
>鷲の飛翔やチーターの疾走は攻撃的で、亀の甲羅や針鼠の棘は攻撃的でない?それとも同種に向けられるから攻撃的に映るんでしょうか。それならゾウアザラシの体躯や孔雀の尾羽は攻撃的?同種に対しては、鷲より鳩の方が攻撃的だと言われますが。
なるほど、私は防御も攻撃のひとつ、と考えています。それが巧妙であればあるほど、他者の利益を奪えるのではないでしょうか。それと、性淘汰に関わりそうな形質は、繁殖という「闘争」の結果肥大したものでしょうから、十分攻撃的なものなのではないかな。単に襲うとか、殺す、ということを指して攻撃的というのではなく、知性がそうであるように、騙すとか挑発する、あるいは焦らすだとか呆れさせる、というのも相当にダメージを与え得る手段ではないか、と思っています。
北海道にも住めないような軟弱者ですが何か?
>ペンギンやダチョウやキウイはなんで飛べなくなったの
飛ぶ必要がないからでは。
鳥類が飛ぶ最大の目的は天敵から逃れることでしょうから。
天敵がいなくて空を飛ぶために多大のエネルギーを投資する必要がなくなれば、飛ぶ必要はなくなります。
そして一度飛行能力を失った種類は、その後飛行能力を再度獲得できなかったということなのでしょう。
ペンギンの場合は寒冷地への適応もあって脂肪が厚く、平均的な鳥類と比べてずっしり重いので、翼をデカくして肩や胸の筋肉を強くした程度では飛べないでしょうし。
>歴史上どれだけの生物を絶滅に追いやったか
シアノバクテリアには勝てないのではという気もw
>じゃあ、進化論は・・・メイド服?!
うーむ。進化論と創造論、どっちも捨て難い。
本当はうんこのついたぱんつのねたも使いたかったけど、他の人のレスがついてしもた。
進化論で言う適応は(今までにもその定義に関する議論が、何度もこの掲示板でもありましたが)、確かに生き残った子孫の数で計測されるのが一般的です。でもそれに加えて、分布の広さや適応している環境の広さとかを議論しだすとwadjaの大嫌いなゴキブリ(寄生虫じゃねーよな)まで入ってきそうなんで、想像論においては歴史上どれだけの生物を絶滅に追いやったかで、適応の度合いを測ることを提唱します。
故にヒトは、選ばれしものなんやってば!
>ミケ的には、これを攻撃って言うにはちょっと。。。
>甘いと思ったら甘いって言ってもいいと思います。そのあとにきちんと根拠を示してるでしょ?
>これは根拠を示した“主張”なのですね。
>そしたら、同じく根拠に基づいて“反論”するのが筋かと思われます。
そうですね。
そこでボクは最初の彼の一撃に対して反論しました。
自分ではまともな反論だという自信がありました。
その反論は黙殺されました。
次に彼は別の話題で一撃を繰り出しました。
前の話題が片付いていたら、単なる一撃です。リセットされてる。ところがそうじゃないのです。
だからボクは「最初の話題はどうなってるんだ?」と聞いたわけなのです。
誠実に議論をする気になってる人ならそんなこと、しますか?
ボクは、彼が、彼にとり再反論出来そうにない議論は黙殺して、次の、今度こそ勝てそうな話題に飛びついた、と、解釈しました。
もしそうだったら、誠実に次の話題に反論してもまた無視されるだけになる。
しかも、1度目の議論にちゃんと反論したにもかかわらず、また罵倒を繰り返してる。その意味でも1番目の議論は無視されてる。
だから、センセイ、ボクは悪くありません!
...それにしてもボクの自由意志論、そんなに分かりにくいですか?
もっと詳しく説明します。あした。
脳分化指数とは、平均的な哺乳類の脳のあるべき大きさ、すなわちある体重の哺乳類がとるべき平均的な脳重量を計算し、個々の哺乳類の平均値からの乖離を表したもの、だそうです。ジェリソン(H.J.Jerison)提唱。
「水辺で起きた大進化」にロリ・マリノ(L.A.Marino)によるランキングが記載されていましたので載せておきます。
ホモ・サピエンス 7.06
ホモ・エレクトゥス 5.50
コビトイルカ 4.56
カマイルカ 4.55
マイルカ 4.26
ハンドウイルカ 4.14
ホモ・ハビリス 4.00
イシイルカ 3.54
アウストラロピテクス・アファレンシス 3.00
シャチ 2.57
チンパンジー 2.34
なおヒゲクジラ類は不明
同じく「水辺で起きた大進化」より
《今からおよそ2500万年前、どうやら一群のハクジラ類が浅海へと戻り、そのなかから現在のイルカ類が出現することになった。現在のイルカ類の祖先は、瞬く間に脳を増大させ、脳分化指数を現在と同じレベルまで一気に押し上げた。おそらく500万年から1000万年のあいだに五倍ものレベルになったのだ。》
>たしかに、価値観が表に出ていますね〜。
生物学の範囲で客観化するなら、個体数の増加で行くしかないかと。
環境と人類の有り方を考察するには、もっと広いステージが必要でしょう。
ただ価値観について言わせてもらえれば(「環境と種」ではなく「全体と個人」の関係について)、個人をあまりにも犠牲にしなければ人類が存続できないのならば、いっそ個人を大切にして滅亡するのもアリではないか、と思ったりもします。
ところでKitkatさんは、20数億年前に光合成による酸素生成を行いだしたシアノバクテリアによる環境大破壊については、どう思われます?
>ヒトになぜ二本腕しかないかとか、ペンギンやダチョウやキウイはなんで飛べなくなったのとか。。。
そこまで言ってませんよぉ・・・
「どうせならちょっとでもカシコイ方が有利じゃん?」って程度。
>ダンゴムシやらショウジョウバエやら
え・・・虫も対象に含めるんですか?
単細胞生物は止めておきましょうよ。さすがに。
>進化論にご奉仕させていただきますっ!!
おずおずさん、どうしよう。
美少女が最強のコスチュームに身を包んで参戦だ!
そこに反応されるとは思っていなかった・・・・・たしかに、価値観が表に出ていますね〜。
× 適応の目的は個体数の増加ではなく、種が生き残ることのはずです。
○ 適応とは個体数が増加することではなく、種が生き残ることではないでしょいうか。
× 環境の許容を超えた個体数を増加させた種は、淘汰されるべき種だと思うのですが。
○ 環境の許容を超えた個体数を増加させた種は、結果的に淘汰される種だと思うのですが。
に訂正します。
>じゃあ、進化論は・・・メイド服?!
そういうことでしたら、進化論にご奉仕させていただきますっ!!
おいおい、ほとんど全員へのレスになっちゃったよ。&長文ごめんなさい。
To 大文字ナン さん
>しかし、本当に知らないのですが、たとえばクロオオアリとグンタイアリは本当に「別種」なんでしょうかね。
(中略)
>それにしてはここではかつて「種は恣意的なものに過ぎん」という議論が活発だったよね。
ふむ、ミケ自身かつてここで山と平地の境目を種の境界にたとえた覚えがあります。
山と平地の喩えよりは山と山の境目にしたほうがよかったかなとあとで思いつつ、
最近では利根川と江戸川に喩えるのがマイブームです。
山と山の境目で喩えるなら、明らかに一つの山っていうのとか明らかに山脈っていうのとかありますよね。
川と川も、分かれて1mで海に注ぐのは違う川にすべきか同じ川にすべきか。。。
でも利根川と江戸川は河口付近では別の川なわけで。
つまり種もそれと似たような感じで、だからこそ違う地域にいる似たヤツが同種かどうかってのが
この場合大切になってくると思います。
現在では同種かどうかの基準として遺伝的な違いも使えるので、
「違う地域だけど似てるヤツだから同種だろ」と思っていると思わぬ落とし穴があったり。
二枚舌っぽいですが、
「種の壁は絶対で越えられない。よって種分化はしない。」という主張に対しては
「種の定義はキミが思ってるよりあいまいなんだよ。」のみで済むというだけのことであり、
「種の定義は曖昧だから同種か別種かは些細な問題だ。」まで進められてしまったら
「ちょい待ち、元は同じでも“今”違うモンは違うから。」と言わねばならないと思います。
イキモノってのは同じでありながら同じでない(種内の個体同士、高次分類群の種同士)から難しく、
そのややこしい性質が多くのトンデモさんを生み出すのではないか、、、とこないだ知り合いが言ってました。
蛇足ですが、ふと思い出しました。
実家で母の所有してる漫画(作者は神坂智子って人かな)の台詞に、
「お前はその左手を自由にできる。で、お前の左手はお前ではないと言えるのか?(だから私もあなたも神だ)」みたいな台詞がありました。
ちなみにヒトの場合チンプと比較してホントに遺伝的多様性は低いみたいですよ。
To リリス さん
>エネルギー効率や身体の構造上の制約を無視して「機能のみ」に着目すると、有益とする理由はあっても有益でないとする理由は無いように思えるんですけど・・・
いやいや、そりゃどんな器官にだっていえちゃいますますぜ、旦那姉御。
ヒトになぜ二本腕しかないかとか、ペンギンやダチョウやキウイはなんで飛べなくなったのとか。。。
パラパラと検索していたら、ヒトとチンプで異なる遺伝子に顎の筋肉に関するものがあって、
顎の筋肉の減少によって頭蓋の巨大化が可能になったとかって話を発見。
どうやら「Nature」の2004年3月25日号に掲載されたらしいっす。これ英語の要約。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=pubmed&dopt=Abstract&list_uids=15042088&query_hl=7&itool=pubmed_docsum
To AH1 さん
大型哺乳動物ではオオカミの他に、ヒョウやらイノシシやらアカギツネも有力候補です。
どれも地域によって亜種がいるようです。ユキヒョウやら北極オオカミやら。
さて、これ(亜種)を別物とするか同じものとするか。
ニンゲンのと比べると遺伝的には結構離れてる同士みたい(ソースはあとで探す。。。)。
で、ダンゴムシはきっとこの場合“アリ”ですよ(注:蟻ではない。有り)。
理由はおずおず さんのレス。
To おずおず さん
>適応能力の話なんだから、広い範囲に住んでることよりも、多様な環境に住んでる事を重視すべきだと思うのです。
>で、そういう意味ではやっぱり、シャチよりもヒト♪
そういうことでしたら、今度はAH1 さんご指摘のダンゴムシやらショウジョウバエやらいくつかの帰化植物やら が候補に挙がりますよん。
>> 本来のおずおずさんにしては少々浅くないか、と思いますがいかが?
>> ちょっと甘いなぁ。
ミケ的には、これを攻撃って言うにはちょっと。。。
甘いと思ったら甘いって言ってもいいと思います。そのあとにきちんと根拠を示してるでしょ?
これは根拠を示した“主張”なのですね。
そしたら、同じく根拠に基づいて“反論”するのが筋かと思われます。
その際こちらも根拠を明確に示す必要があると思われ。
まず、
>少々浅くないか、と思いますがいかが?
に関してはおずおず さんは根拠を示されて反論していると思います。
しかし、
>ちょっと甘いなぁ。
に対してはどうでしょう?
>ボクが焚き火に飛び込んでしまう虫のことを意識していなかったとでも思うのですか?
だけですね。
これ、意識していただけでは根拠として不十分で、「だから××なんだ」と続けなければいけないと思いますがいかがか。
その「だから××なんだ」の部分はおずおず さんの文章からは少なくともミケは読み取れません。
さて、大文字ナン さんを「読解力がない」と“主張する”ためには根拠が必要。
その根拠はどう示すべきか。
「だから××なんだ」の部分が読み取れなかったミケや大文字ナン さん以外の一般的な人間であれば、
《その部分は読み取れていた》ってことを示す必要があるわけで、
そのためには前のレスで書いた再説明の過程が不可欠であったと思います。
二人が幼稚園児で、ミケが先生だとしたらミケは大文字ナン さんの肩を持つでしょう。
ま、とりあえず両者にデコピンくらいかました後の話ですが。
ちなみにミケ的には能力のないことを批判するのもされるのもフツーにオッケーです。根拠さえ示されれば。
To Kitkat さん
「ヒュームのギロチン」
という言葉を調べてみてください。
念のため、
> 本来のおずおずさんにしては少々浅くないか、と思いますがいかが?
> ちょっと甘いなぁ。
と、2回、ボクは一方的に攻撃されてるのです。先に殴ってきたのは向こうなのです。
それでほんの少し強く殴り返したら、「ボクはそんなに強く殴らなかったのに!ひどい!!」と言ってるのです。
話は単純です。先に手を出した方が悪いのです。
職業人であるという、ヒトのごく一部を否定することと、「思考力全般」を否定することと、どちらがひどいことでしょうか?
まして、「クライアント、オーディエンス、アシスタントやコラボ先に至るすべてにおいて否定してくれた」と彼が言えるのなら、
ボクだって「ボクを生んでくれたお父ちゃん、お母ちゃん、妻、子供、親戚、遊び仲間、ボクを信頼してくれてる農家の人たちすべてにおいて否定してくれた」と言う資格があるはずなのです。
ぱんつ、の話は地下ネコさんの罵倒を真似ての発言だろうと思うのですけれど、まったく真似になっていません。
地下ネコさん(ごめんなさい。勝手に色々書いて>地下に眠るMさん)の「罵倒」は、相手の性格(うぬぼれ、や、他者に対する軽蔑心、それらとうらはらな知識と理解力の貧困さ、等)をきちんと分析して、「相手が最も激怒する」表現をオーダーメイドしてのこと、なのです。
その点、以下の文章はボクの性格には全くマッチしていません。ボクを分かってくれていないのです。
しかも、文章の品格も美しさも、ない。
> で、ぱんつのごむが ---中略--- 黄ばんじゃいすぎて分からないんだろうなぁ…。
この文章は表現に工夫もなく、メリハリのない、したがってインパクトのない文章です。
眉をひそめるような汚い表現でありながら、何度も繰り返すことにより、せっかくの印象を薄めてしまっているのです。
ボクがこの文章を推敲するとしたら、わずか一言に圧縮します。感情のありったけを、その一言に濃縮するのです。
簡潔で、それゆえに世代を超えて誰の心にも瞬時に響く言葉、それは、
「うんこたれ!」
たしかに、ヒトは他の種よりも優位に立ち、個体数を増加させています。しかし私は人の優位性と呼ばれるものは、実は優位とは言い切れないのではないか、と思ったりしています。
生物が周りの環境との相互作用だとすると、その相互作用はあるレベルで均衡します。生物と環境の互いの影響がバランスするところで適応するわけです。しかしヒトは環境との均衡を超えています。食物、エネルギーその他、必要量を超えて消費し続けています。
適応の目的は個体数の増加ではなく、種が生き残ることのはずです。
たとえば、宿主を殺してしまうウィスルや、エサとなる植物を食べ尽くして絶滅する草食動物を、私たちは環境に適応した種と呼ぶでしょうか。自らの生存を危うくするような能力を持つに至った種は、不適応と言わざるを得ないと思います。
人は、知性を持ち、文明(科学技術)の力で、どのような環境でも繁栄出来ます。エネルギーを消費し続けることと引き替えに。
しかし、65億のヒト全てが繁栄することは出来ません。地球はそれだけのヒトを養えないのですから。
環境の許容を超えた個体数を増加させた種は、淘汰されるべき種だと思うのですが。
> 海の真ん中や深海や南極にゃ“住んで”はいませんよ。
そ、それはその通りなのです...というか、海の生き物のことは始めから気にしてはいたのです...(-_-;)
でもね、海、って、極地から赤道直下に至るまでほとんど均質の環境だと言って良いと思いません?
水温なんて最低でも0度(塩水だからもうほんの少し低いだろうけど)から、多分最高でも(海底火山とか熱水鉱床とかは別ですよ。)30度程度。
塩分濃度も多分、氷山近くの塩分の低さよりもスコールのあとの熱帯の海の表面付近の方が低いと思う。
適応能力の話なんだから、広い範囲に住んでることよりも、多様な環境に住んでる事を重視すべきだと思うのです。
で、そういう意味ではやっぱり、シャチよりもヒト♪
>白装束に朱のはかま。うる星やつらのサクラさんのような♪
>信者の数を増やすにはそれが最も効果的じゃないかと...(^_^;)
それ、いいですね〜。で、本家創造論は敬虔なシスターで宣伝する。創造論に対抗して出されたフライング・スパゲティ・モンスター教の信徒は海賊の扮装だそうです。じゃあ、進化論は・・・メイド服?!
>想像論者のみなさんは「チンプにとって、脳の肥大化は有益である」ということを根拠なく正しいとしているのでは?
エネルギー効率や身体の構造上の制約を無視して「機能のみ」に着目すると、有益とする理由はあっても有益でないとする理由は無いように思えるんですけど・・・
>知性ってのは、基本的に攻撃的だ、と思っているのです。
牙や爪は見るからに攻撃的ですねぇ。鷲の飛翔やチーターの疾走は攻撃的で、亀の甲羅や針鼠の棘は攻撃的でない?それとも同種に向けられるから攻撃的に映るんでしょうか。それならゾウアザラシの体躯や孔雀の尾羽は攻撃的?同種に対しては、鷲より鳩の方が攻撃的だと言われますが。
動物の特徴的な形質の殆どは自己保存に向けて発達してきたものですし、それが他者とパイを奪い合う競争に向けられたものなら、本来的に攻撃的なのかもしれませんね。
ただ、知性の発達には、他者の行動を自分の行動に置き換えてシミュレートする能力や、他者の心の動きを自分の心の動きと対比させて理解する能力が欠かせませんでした。この能力には、どちらかと言うと攻撃性にブレーキをかける傾向があるように思えます。実際、他者の心身状態をリアルに想起する知性の不足が、有形無形の攻撃の背景である場合も多いのではないでしょうか。
人間の知性が攻撃的かどうかは一概に言えませんが、私としては自意識を持てたことを素直に喜んでいます。
>カンジと石器
人類の歴史の中では、石器(普通の石でもいいと思う)を使って屍肉の骨髄を取り出せたことが大きいようですね。大きい獲物が狩れるようになる前。
チンプの「教育」の話で、子供は「ナッツ割り」を見て覚えるだけで、母親の子供への教育は観察できなかったという記述を読んだ事があります。そこでサラリと「覚えられなかったのが××頭で・・・」と書いてありました。
重要性が判っていても、できない場合だってあるんですよ。人間も然り。
>脳の巨大化の謎
ある形質の「進化」のインパクトを考える目安の1つに、その形質を獲得した後の種数の増加(拡散)があるそうです。
アウストラロピテクスは頑丈型とか華奢型とか複数の種が混在していたようなので、人類史においては知性の獲得よりも二足歩行の方が新機軸だったんでしょうか。あるいは知性も進化上は十二分にインパクトのある形質なのだけれど、PDXさんやミケさんが指摘されたように、移動能力の向上の影にまぎれてしまったとか・・・
>シャチ
体重と脳重量の比で見た脳分化指数では、ヒトが最高だけれど、ヒトとチンプとの間には数種類のイルカがくるようですね。
陸生の動物と水生の動物を一概に比べることはできないでしょうが、それを言うならイルカやクジラには神経が余り必要でない脂肪組織が多いので、実質の脳分化指数はもっと上かもしれない、とか。しかもイルカの脳容量は、人類に比肩するくらい短期間で増加したと聞いています。クジラの知能については・・・とにかく調べ難いそうです。大きいから飼えないし。
イルカの知能あるいは脳容量って、どのように適応的だったんでしょうね。少なくとも道具使用のためではなさそうです。
よほど複雑怪奇な社会生活を営んでいるのでしょうか。
ところでハンドウイルカがネズミイルカを殺したという記述を見ました。も〜ショック。
http://luna.pos.to/whale/jpn_killer_dolphin.html
>オオカミ
最近はイエイヌもタイリクオオカミの亜種になったのだとか。
イヌ、含めます?
ところでイヌの知能って、意外に研究されていないようですね。
>もっと巧妙に相手の記憶に残るやり方
・・・うんちのついたぱんつ とか?
いやそれは確かに記憶に残りそうな気はしますけど・・・
寒帯、高緯度地域に住む昆虫というのはかなり多くて、チョウやハエはよく知られています。そして、もちろんアリも住んでいます。特に、ツンドラ地帯には「ジンルイの代表」エスキモーをはじめ、さまざまな動物が住んでいます。
http://home.att.ne.jp/orange/FifteenHours/MHoshiino.html
↑は、写真家、星野道夫さんの写真展の様子をレポートしたwebページです。(私が書いたものではありませんよ)ネタを明かすと、この星野さんの写真のいくつかに昆虫を写したものがあり、これらは日本で見るような形と非常に似通っていたので、ほとんど同種と「みなしていいんじゃないの?」と思える虫たちが、極地にも住んでいるんだな、と過去に思ったことがあるのです。
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~coral/BiologyI/Test05.htm
↑は、極地ということではありませんが、カミアリの一種が北米大陸に上陸し、交雑を経て低温耐性を得て、寒冷地にも進出している、というレポートです。アリは地面に穴を掘り生活するので、比較的外気の変動に耐えられる生物であることも、アリとヒトの似通ったところといえないわけではないでしょう。
ミケさんが指摘されたように、アリは一種どころか一万種以上も数えられているバラエティに富んだ「科」でしょうね。この点、私の主張は誤っています。しかし一方で、「哺乳類はどこにでもいる」に対義するとしたら「昆虫はどこにでもいる」くらいに落ち着くのもまた、一般的なものの見方ではないかと思うのですがどうでしょうね。
なお、シャチについてはまったく思いつきませんでした。なるほど、シャチなら一種で世界中にいるんですか、ありがとうございます。それに、地球は陸地より海の方が「広い」という点も重要かと思います。
で、ぱんつのごむがゆるくて尻がむずがゆくて仕方ないおじさんは、やっぱり意味の分からないことを云い続けているようです。そこで、少し書きます。
私はなるほどマチガイを云うし、時に罵倒もします。また、指摘されてもそうとはなかなか気づかないこともあります。しかし、だからといってまったくマチガイを認めないわけでも謝罪を是としないわけでもないことは、過去に示してきたつもりです。
また、それが「足りない」のだとして、つまり私の認識がまだまだ浅いのだとして、ケンカを売ったつもりもないのにNGワードで返されれば「このぼんくらはぱんつをはいてないんだろうか?」と思わずにいられないのです。うんちがよくふけてなくて尻がむずがゆくてわけも分からず不機嫌になることは私にもよくありますが、このぼんくらがのたまったのは「プロ意識をサカナデる」という次元ではありません。「プロではない=職業人ではない」と、批判とかではなく全否定したわけです。つまりそれは、私という個人に留まらず、クライアント、オーディエンス、アシスタントやコラボ先に至るすべてにおいて否定してくれたわけなので、ぱんつのはき方を知らないんだなきっと、と思っているのです。
なにがしらの「感情バイアス」がうんちのついたぱんつのようにおじさんにこびりついているのでしょうが、自分自身がうんちだということに早く気づくことを祈るばかりです。
それと、私は「あほ!おめえの発言はまちがっとんじゃ!」みたいな言葉は、つかいません。もっと巧妙に相手の記憶に残るやり方をとります。だからこそ、彼はゆるゆるごむのぱんつを履いた状態になったんでしょうが、その時点でもう終わっていることにも、ぱんつが黄ばんじゃいすぎて分からないんだろうなぁ…。
ヒトを除く陸棲哺乳類で潜在的な分布が最大と言われるのはオオカミだそうで。
北半球に広く分布します。最近は急激に縮小しましたが。
鳥類だとミサゴとかツバメ(渡るけど)、反則技でクロトウゾクカモメとか(極地を除く全ての海洋)。
いずれも現状のヒトほど広範囲な分布じゃありませんが。
オカダンゴムシは世界的に分布するけど人為的分布も多いでしょうし。
海の真ん中や深海や南極にゃ“住んで”はいませんよ。
砂漠に住んでましたっけ? (^o^;
> ケンカ上等モードだったもので穴のある発言しとけばさらに挑発してくれるかな、とか考えてまして…。
ほら、ね。みっともない発言でしょ?言い訳にもなっていない。
でも、この辺でもう、やめます。これ以上続けても効果は同じだから。
北極の氷原に巣を作ってるアリをボクは知らない。
「あなたの発言はまちがっています。」
「あほ!おめえの発言はまちがっとんじゃ!」
の二つの発言の意味は、「ボクの発言が間違ってる」という事を主張するという意味では「等しい」と思います。
もしも彼が最初の例のような表現をしていたら、ボクはあなたのお薦めのような返答をしたでしょう。
ところが彼は今まで何度も何度も、「あとの例のような表現」を、たくさんの人に対して行ってきているのです。しかも、彼自身の受取り方が間違っている事の方が多かったのです。
彼が間違えるのは彼の勝手でしょう。ただ、ののしられ、真っ当な謝罪もないままに放置される方はたまったものじゃない。
表現の方法のひとつとして「罵倒」は確かに、あり、です。
例えば地下ネコさんはこの表現法の、「プロ」だと思います。
なぜなら、彼の「罵倒」は、「表現」だからです。実に効果的に単語を使っています。「罵倒」の部分だけでもそうとう推敲を重ねてるんじゃないか、と思わせるだけのものを持っています。
彼が、例えばボクのような、農業土木の技術屋だったらボクは彼のプロ意識をわざわざ逆なでするようなことはいいません。(というか、この議論では言えません。)
ところがここで行われていることは、「議論」であり、「文章による表現」なのです。
「文章」でメシを食ってる人が商売道具をいい加減に扱えば批判されても仕方がないでしょう。
ボクがこの場で、例えば構造物の安定計算についてあさっての方角を向いた発言をしたときには、みなさん誰でも、ボクを「良くそれでメシ食えてるなぁ、ハローワークを紹介しようか?」とでもののしってください。甘んじて受け入れ、反省材料にします。
イノセンスの反対は我欲でがつがつしてることですかね。何が自己の利益かを判断できず、結果として自己主張が少ないと、その利益が明らかにわかる人からはイノセンスに見えるのではないでしょうか。むしろ、イノセンスに心惹かれて保護したくなるといった情動の起源が意味深長なような。個体の結びつきの強い集団を作る動物に特有だと思いますが。
700万年以上前に分岐して以来、ヒトは完全二足歩行してましたし、それだけでもチンプやボノボとは違う環境で生きてきたと言えるでしょう。そしてアウストラロピテクスの段階では脳容積はさほどチンプやボノボと違わなかったのです。ですからむしろ、「アウストラロピテクスの脳は数百万年もの間なぜ変化しなかったのか?」という問いの方が難しいでしょうね。
日経サイエンス4月号P14に「頭のよさと脳の大きさの相関は、意外と少ないのではないか?」という記事が出ています。この話が正しければ、ホモ・ハビリス以来の脳の巨大化は知能の高度化とは別という可能性も出てきます。
実は脳の大半は単なる寄生体だとか<<「地球の長い午後」のアミガサタケは共生体だったけど
イントロンもつい先ほどまで、大半は寄生体かも知れないと言われていたなあ。
確かに世界中の海にいるし、獲物の取り方に文化の違いがあるとか言うし、適応状況はヒトに似てるかも。
To ミケさん
あ、当事者以外には迷惑としか云いようのない不快な発言、申し訳ありません&適切なフォローをありがとうございます。
で…
>何にしても、アリやイルカ・クジラとかカモメってのは種名ではなくて
>より高次な分類群についてる名前なんで、ここで挙げるには不適切です。
すみません、ケンカ上等モードだったもので穴のある発言しとけばさらに挑発してくれるかな、とか考えてまして…。でも、つまらないのでボケの相手をするのはやめます。あ〜、これも挑発か(笑。
しかし、本当に知らないのですが、たとえばクロオオアリとグンタイアリは本当に「別種」なんでしょうかね。交配とかは、地域隔離されてますから、通常あり得ないとして、種という分類が相当に恣意的であることを含め、ちょっと疑問に思っています。(無論、だからといって発言が不適切であることに変わりはないと思っています)
極論しちゃうと、イルカ(と云われている個体)とクジラ(とやはり云われている個体)が、単に隔離されているから別種と「扱われている」だけのことであり、実は交雑できたりしたりすることもあってよいのではないか、などとも考えております。
またもう一点は「ヒトは一種」というのも、果たして本当にそうなのか?これも恣意的な(それもヒューマニズムにもとづく)分類なのではないか?とか思うんですがどうなんでしょうね。
#分類学上「一種」なんだからそれに従え、というルールだけに従うのが是なのかなぁ。それにしてはここではかつて「種は恣意的なものに過ぎん」という議論が活発だったよね。
最後に、意味の分からないおっさんへ。
謝罪も訂正も、もちろん返事もいらないのでよろしく。
To おずおず さん
挑発的言動もほどほどに。
っていうかほとんど個人攻撃になっとりますよ。あ、ほらナン さん怒ってる。
個人的見解を言わせてもらえば、
少なくとも読解力が足りない云々を言うにはちぃと我慢が足りなかったんではないかと。
議論では基本的に、相手に誤読された(と判断した)場合、
まず最初に自分の説明が足りなかった可能性を考えるべきだと思います。
で、少なくとも一回は丁寧〜〜〜に再説明すべき(特に省略していた文があったのなら)。あ、でも流れの速さにもよるかな?
で、その再説明の後にさえ同じネタについて同じ誤読が見受けられたなら「よく読め」と言っても誰も文句は言いますまい。
読み間違いは誰だってするし、自分の書き方に不備がある可能性もある。
それを一回の誤読や見落としで読解力がないと責めるのはギャラリー視点で考えると不利になります。
また、《「1つの種」が、砂漠にも海岸にも熱帯雨林にも極地にもいるかどうか》と
《大文字ナン さんの直前の発言に対するレス》が入り混じった文章でレスすると
流れが混乱しますのでご注意。
あと、大文字ナン さんの直前の発言は、
おずおず さんが焚き火に飛び込んでしまう虫のことを意識していたとしても
的確な批判だったと思いますよ。
焚き火に飛び込む虫ってのは大文字ナン さん本人でさえ想定していなかったんじゃないでしょうか。
川を渡ろうとして溺れるサルもいるしうまく渡れるサルもいる。
一方、川を渡らないことを選択するサルもいる。
こういう例えにした方がよかったかもね。>大文字ナン さん
To 大文字ナン さん
アリには何種もいるんで極地にいるヤツが熱帯にいるヤツと同じ種とは限りません。
イルカ・クジラ・カモメも然り。
特にアリみたいにちっこい連中は、地域間の遺伝的交流が起こりにくい(移動力に起因)ので
世界的にいるように見えるヤツがホントに同じ種に属しているかどうか注意が必要です。
何にしても、アリやイルカ・クジラとかカモメってのは種名ではなくて
より高次な分類群についてる名前なんで、ここで挙げるには不適切です。
極端な話「哺乳類(ヒト含む)は世界中にいる」っていう発言とおんなじになってしまいます。
言うなら、「アリの一種は〜」もしくは「アリの中には〜ものがいる」みたいにすべき。
ちなみにシャチならたぶんオッケー。
>相変わらずだなあ。
>自分の読解力の貧困さを反省してみることもせず、他者の発言を軽率に批評する。
なんでそういう反応?
>「1つの種」が、砂漠にも海岸にも熱帯雨林にも極地にも、いるという例をもう見つけましたか?
まだそれ続いているんですかい。
じゃぁ、アリは?アリは極地にも熱帯にもどこにでも住みます。あるいは、カモメは?イルカでもいいですし、クジラでもいいですよ。
>あなたは確かにプロの物書きじゃない。その証拠に読解力も思考力も貧困すぎる。しかもそのことに、これだけ機会を与えられていながら、気づいていない。
ケンカ売られて買った気でいるんですか?
まぁそれならそれでいいや。で、私が物書きとしてプロでないなら、私のクライアントはそのプロではないニンゲンに金を払っているんですね?それね、本気で云ってるならやばいよ?私がいつあなたの職業について非難しました?いい加減にしろよボケ。
> ちょっと甘いなぁ。
相変わらずだなあ。
自分の読解力の貧困さを反省してみることもせず、他者の発言を軽率に批評する。
「1つの種」が、砂漠にも海岸にも熱帯雨林にも極地にも、いるという例をもう見つけましたか?
ニュートン力学についての議論であれだけ赤っ恥をかいたのに、まだ成長できないでいるのですか?
> 行動ってのは本質的にすべてギャンブルで確率論的でしょう。
>>例えば昆虫は、光のくる方向に対して一定の角度を保って飛び,
と書いたとき、ボクが焚き火に飛び込んでしまう虫のことを意識していなかったとでも思うのですか?
あなたは確かにプロの物書きじゃない。その証拠に読解力も思考力も貧困すぎる。しかもそのことに、これだけ機会を与えられていながら、気づいていない。
>自由意志はヒトのみに与えられた特権である。その証拠に賭で身を滅ぼしたサルなんて見たことがない。
ちょっと甘いなぁ。
確かに、ルーレットやパチンコや丁半博打にふけるサルはいないでしょう。しかし、行動ってのは本質的にすべてギャンブルで確率論的でしょう。商行為ってのはすべてにおいてギャンブル性がつきまとうけれど、その確率論的な部分だけに的をしぼって「遊び」にしたのがギャンブルだと思うけど、川を渡ろうとして溺れるサルもいれば、向こう岸にたどり着くサルもいるのとなにが違うんだろう。
と、それは置いておいて(タイトルなのに)、やはりニンゲンの意識を肥大させているものの本質は「情報量」という物理量でしょうね。単純に表すと、メガバイトとかギガバイトとかテラバイトとかになるかな。で、これら情報は、それまでに得た「経験そのもの」だとか「モノそのもの」ではなくて、あくまでもそれらから得た断片的な「情報」ななんですよね。つまり「記号」かな。象徴でもいいけど。
仮定以前の話だけど…だとすると、意識や意思というものも、何かもっと本質的な「なにか」を象徴する「モデル」」なんだろうな、と思います。言葉で表せるものだけど、言葉がそのまま意思や意識なのではない、という感じ。神や霊性は「そのあたり」に宿るんじゃないでしょうかね。
>にもかかわらず二千年前に書かれたことを一字一句間違いのないものとして信じていることに、信者の方も疑問と不安を持っていたのかもしれません。
絶対的な価値観、或いはある価値観の絶対性を信じることが、宗教の特徴のひとつでしょう。宗教のあり方は多種多様ですが、経典宗教において聖典が特殊な位置を占めていることが、事態をややこしくしていると感じます。
今では多くの宗教は、創始者や聖人の言葉であっても、事実と合致しない記述については「寓話」と見做し、寓話によって抽象化された教えの精神的な価値を受容することに注力しています。仏教では「方便」という言葉もありますし、イエスも趣味かと思うほど喩え話を多用されていますので、キリスト教にもその下地はあるのでしょう。進化論と信仰との溝を埋められない方の多くは、聖書の無誤謬性の信仰にもとづいてそれを字義的に解釈する方であろうと思います。
では何故、聖書を字義的に解釈することに拘らなければならないのか・・・それを「スピリチュアルな喩え話」と見做すことが何故できないのか、と考えると、やはり聖書が「人によって書かれたものではなく、神の霊感によって書かれたもの」であることが大きいでしょう。聖書の言葉は一言一句が神の霊感によって書かれたものであるとする逐語霊感説は、キリスト教では伝統的な見方だったそうです。
聖書の言葉をそのまま「神の言葉」としてしまえば、それを人間が「解釈」すること自体が不敬ではないか、という議論が当然でてくるでしょう。そして聖書の言葉を解釈可能なものとして認めてしまうと、神の言葉を、人間の恣意的な解釈を介してしか受け取れないもの、人間の解釈に左右される曖昧なもの、と認めることになるでしょう。聖書は神と人との契約について述べたものであり、神と人との重要なパイプの一つです。その内容の解釈の恣意性を認めることは、「自分が信仰している解釈は本当に正しいのか」という深甚な不安を喚起することに繋がるのではないでしょうか。おまけにキリスト教では「ひたすら信じること」を奨励していますから、「解釈」自体が「不信」に直結する可能性もあります。(大概の宗教はそうでしょうが、中には「ひたすら否定すること」を奨励する宗教もあることを挙げておきます。それはニヒリズムではなく、否定によって本質を炙り出そうとする思想なのですが。)
ただ・・・日本人は、比較的この手の「ホンネとタテマエの使い分け」が上手いのではないかと感じます。例えば天皇が神格化されていた時代でも、進化論が問題になることは余りありませんでした。そんな余裕がない時代ではあったのでしょうが、あえて尋ねたなら「それはそれ、これはこれ」といった感覚の答えが返ってきたのではないかと想像します。キリスト教との付き合いの深いヨーロッパよりもアメリカの方で裁判沙汰になったのは、西欧諸国のほうが伝統的に「いなし方」を知っていたためではないか、と思ってみたりします。
聖典に特殊な位置を与えたことが、キリスト教が世界宗教として発展しつつも宗教としての同一性を保てた要因でしょう。一方仏教では、八万四千の法門があるなどと言っています。
想像論も、がんばって八千四百くらいの系統をつくりましょう!
>人は適応しているか?
とりあえず「個体数の増加」のみで適応と見做しています。
>たぶん気のせいですよね、ここは進化論の砦のはず・・・・・
気のせいです(きっぱり)。
意識等々、興味深いですが、また今度・・・
現実逃避するのは、自由意志のなせる業だと言ってみるテスト。
>キャッチボールをするのに公式はひとつもいらない。
ボールの軌道を言葉で思い描く人はいないですよね。考えるよりも速く体が反応する。でも、これは決して神経レベルでの反射ではなく、学習に基づく脳の判断によるものです。言葉には出来ないけれど、過去の全ての経験に基づいて判断を下している潜在意識が、我々の脳には同居してる。その潜在意識が、情報処理した結果を、我々が知覚できる顕在意識に伝える手段が情動であると、wadjaは思っています。
したがって、明日出勤したくないと思う気持ちには、過去のデータの蓄積から来る合理的な判断に基づいているのです。決して、なまけ心では無いのですorz
>意識と言葉との関連性を疑うヒトはあまりいないと思う。
>では言葉とはいったい何なのだろう?他者との意思疎通の手段。
きちんとした言語学や情報科学をやっているひとには当たり前すぎる議論だろう、とは思うんだけど…それでも拙い考えを書いてみましょう。
たとえばハチのダンスは、蜜を蓄えた花のありかをかなり詳細に伝達できるのだという。私たちの言葉でいうなら、北とか南とかという方位、距離や、餌がどれくらいあるという量、それに質的なものも伝達できるのかな。詳細は分かりませんが、とにかくこれらは「情報」ですよね。言語=情報ってのは当たり前すぎる話だけれど、意識が言語と深く相関し、あるいは裏表のようなものであるなら…意識は情報であり、それは「量」や「質」などで定量化できるのではないか?とさえ思えてきます。
では、より高度な、または複雑な言葉にはなにが含まれるのか、というと、好悪に大別される情動なんじゃないだろうか。好悪についても、プリミティブな意識は定量化できそう。たとえば、より糖度の高い食べ物には好ましさの度合いが高まる。一度味わった「おいしさ」は、それを追い求める欲望を喚起し、入手できれば満足感を得るだろうし、手に入らなければ欲求不満に陥りストレスを味わう。こういうプロセスはかなり機械的に記述できるので、ニンゲンじゃなくてもかなりの生物が持っているんじゃないだろうか。
では、そういう原始的な「意識」ではなく、「意思」とか呼んでいるものはどこから峻別されるんだろう。どっちにしたところで、ある行動を喚起したり計画させるものとは同じ「場所」から発せられるシグナルなんじゃないだろうか。
もう一度、言葉について話をもどすと…これもかなり以前から私の持論となっているんだけれど、言葉は群れの中での情報伝達をするために発達したのではなく、群れの中で「自分だけ」がより良い獲物を獲る、あるいは、他者を出し抜く、あるいは「騙す」ために急速に発達したのではないか、と思っています。それも、狩りに出かけたオスの目を盗み、メスがその欲望を充足させるためにえらい勢いで発達したのではないか、と思う。かなり近年の日本では、たとえば仮名文字がそうなんじゃないかな。
しかし…いろいろと修飾されてさも複雑で高度なことをしているように感じているけれど、実はこの意思とかいうもの、根っこはとても単純なのではないか、と思えてならない。力学の喩えをつかうと、キャッチボールをするのに公式はひとつもいらない。単にボールがどのように運動しどこに飛ぶのか、見れば明らかだから。しかしこれを「きちんと」記述しようとするとタイヘンなことになる。まさに意識とか意思ってのはそういうものなんじゃないだろうか。
(ずっと以前に書いたことがあるような...??)
自由意志の対極にあるものが環境支配論や生まれ支配論だろう。
彼の生い立ちと彼のおかれた環境から考えると彼が犯罪に走ったのはやむを得ないことだった、とか、カニは横にしか歩けない、とか...。
例えば昆虫は、光のくる方向に対して一定の角度を保って飛び、フェロモンの濃度の増加する方向に飛ぶ。
食うものに事欠く状況に追い込まれたとき、ボクは畑の大根を盗んでゆでて醤油をつけてしのいだことがある。
これらはいずれも自由意志とは言えない。
ではなぜこれらが自由意志と呼べないのか?それは、「環境とその生物の性質から、取り得る行動が一意に推定され、また実際にそう行動することを観察出来る」から。
では、
もしも或る個体が、彼の意志決定に必要な情報を十分与えられないままに行動を強いられたならどうだろう?
彼は、情報の不足分を自己の心の中に湧いてくる何かで補って行動するしかない。
つまり、ヒトが自由意志を遺憾なく発揮できる瞬間とは、かけ(賭博)を行っているときなのだ。
壺の中のさいころの目を推定する手段が全くないときに丁に張るか半に張るか、これほど宇宙の法則や自己の性質から自由な意志決定はない。(パンツ一丁になってから賭をやめて帰るのはもちろん、自由意志ではない。)
自由意志はヒトのみに与えられた特権である。その証拠に賭で身を滅ぼしたサルなんて見たことがない。
...と、博打を礼賛したかったのではなく、
人の脳の情報処理能力が彼の感覚器官から出力される情報量をはるかに上回っている、という、当たり前のことを前提とする限り、
「ヒトは自由意志を持っている」ことは疑う余地がない、と言いたかったのです。
意識と言葉との関連性を疑うヒトはあまりいないと思う。
では言葉とはいったい何なのだろう?他者との意思疎通の手段。
群れ動物が共同行動を取るとき不可欠なことは、「各自の、共同行動に必要な情報を交換する」こと。自分がどこにいるか、追い立てられてくる獲物を迎え撃つ用意は出来ているか、側方の構えはぬかりないか。
「自分の状況をヒトと共有するためには、自分の状況を意識しなければいけない。」
「他者と共有する、自己の状態」が、意識であり、「他者と共有する、自己の行動方針」が、意志である。
そう考えると、群れ行動をして、なおかつ「分業」をして、互いの状況の情報交換する動物たちは、自己意識を持っているはずだ、という仮説が出来る。
傍証:腹痛の状態や胸焼けの度合いを克明に伝える言葉も、感覚もあまり発達していないこと、胃や腸が今どんな蠕動をしているか、ほとんど意識できないこと。
それらは個体にとってはそれなりに重要な情報だけれど、共同行動には必要がない。
共同行動に支障を来しかねない場合には、痛みを意識する。
(こんどこそ最後に...)
カンジの石器作りが下手だった理由は、
彼は石器で自分の生存に必要な何かを切ってたわけじゃないから、何が重要かを見抜くことが出来なかったこと。
鋭い石器が必要な状況といえば、分厚い毛皮の奥からおいしい肉を取り出すこと。
獲物が大きくなるのに比例して皮は厚く丈夫になって...。
チンプの群れの前で、石器で皮を切って、中の肉を見せて食べさせたら...。
イボイノシシとか、通常彼らが食べる習慣のない、でも食べてみればおいしい動物の肉だったら...。
「たまたま」、サルヒトの或る群れが死後間もないイボイノシシを見つけて、そしてその近くに「たまたま」鋭利な石のかけらが落ちていて、そして彼らが死体を突っついているうちにその鋭利な石の上にしたいが乗って皮がさけて、おいしい肉を食べることが出来たら...。
最初はイボイノシシの死体を食べていたサルヒトたちが、「たまたま」死にかけているイボイノシシを見つけて、死ぬのを待つ間鋭利な石で突っついたりしてたら...。
そして、そうしている彼らからほど遠くないところに、辺長が1:4:9の、真っ黒い石が立っていたら...。
彼らはそのチャンスを生かすことが出来なかっただろうか?
× サルヒトをヒトにした過程はあくまでも突然変異と自然選択だったのです。:ここには問題はない。
○ サルヒトをヒトにした過程はあくまでも、突然変異や自然選択といった、自然的過程だったのです。:ここには問題はない。
実は明日の夜に行う、事業説明会の準備をしなければならないのだけど、それから逃避しているのだ!締め切りは約24時間後、切迫しているのだ!!で、こんな時に進化論掲示板に投稿するのは無上の快感なのだ!!!
この投稿が終われば何が何でも資料に目を通すぞおぉっ!!!!
...多分。
想像論のポイントは、一見すると反証不可能に見えます。でも実はそうじゃないはずなのです。
サルヒトをヒトにした過程はあくまでも突然変異と自然選択だったのです。:ここには問題はない。
ただ、この過程はヒトにしか起こらなかった。:ここが臭いところ
このような極度に低い確率の出来事が起こることは神の介入を強く示している:ここも臭いところ
ただし、この点についてはリリス様は「私が問題と思うのは、突然変異と自然選択と遺伝的浮動という機構が知られているからといって、安易にそれ「のみ」であると判断することです。」と、実に用心深く言葉を選んでおられます。
進化論の方こそ、「突然変異と自然選択と遺伝的浮動」のみで全てを説明できる、というドグマにとらわれていないか?と、やわらかく問いかけているのです。
やわらかく、ではありますが、この問いにYesと答えると、そこで想像論側の質問は終わるのです。後には意味ありげな沈黙のみ...。
いくつかの突破口はあるように思います。でも、もしボクが思いついてても、教えてあげない♪
もう時間がないのです。次の逃避、もとい、投稿をしたくなるような誘いは、お願いですから明日の夜以降にしてください...(T_T)
暇じゃなくて、実は締め切りに追われているのだが…「知性」の足りなさゆえにドン詰まり、現実逃避がこの発言か…。字余り。韻も踏めてねぇし…。
さて、想像論のポイントってどこなんでしょうね。科学では扱わない分野…証明不能で反証可能性のない部分を「さらう」ことなのかなぁ。いや、私も面白いとは思うので前振りなしで参加してみましたが、やっぱりよく分からない(笑。
「○○は神の介在の証拠である」という主張は、どこかニンゲン原理臭さを感じないわけではありません。少なくとも「進化論はマチガイだ」ゆえに「想像論は正しい」みたいな論法に陥らないようにせにゃならんですね。
で、突き詰めると「アリに宗教や神は必要だろうか?」とか、ナン流フレーム問題にぶちあたっちゃって総崩れ(笑。いやぁ一向に迷いから覚めることができません。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。