このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
暇じゃなくて、実は締め切りに追われているのだが…「知性」の足りなさゆえにドン詰まり、現実逃避がこの発言か…。字余り。韻も踏めてねぇし…。
さて、想像論のポイントってどこなんでしょうね。科学では扱わない分野…証明不能で反証可能性のない部分を「さらう」ことなのかなぁ。いや、私も面白いとは思うので前振りなしで参加してみましたが、やっぱりよく分からない(笑。
「○○は神の介在の証拠である」という主張は、どこかニンゲン原理臭さを感じないわけではありません。少なくとも「進化論はマチガイだ」ゆえに「想像論は正しい」みたいな論法に陥らないようにせにゃならんですね。
で、突き詰めると「アリに宗教や神は必要だろうか?」とか、ナン流フレーム問題にぶちあたっちゃって総崩れ(笑。いやぁ一向に迷いから覚めることができません。
>世間の一部には「障害者(特に知的障害者)のイノセンスを聖者のように扱う」風潮がありますよね。
あっ、そう読めなくもないですね、と反省。
いえ、確かに世間にはそういう風潮「も」ある、と思います。いや、あります。
数年間、障害を持つ方々に接する「場」にいましたが、彼らは、もちろん欲望もあれば悪意も示します。そういう意味で「まったく普通」だ、と思います。
ただ、その頻度が、健常(と自称する我々)者に比較して「少ない」と主観ではありますが感じました。また、そうしたネガティブな感情(時に激しい憎悪を示されることもある)に陥ったとしても、誤解のしようのないストレートなものでした。で、この差ってなんなんだろう?と思うのです。
#実体験にもとづくので、相当にバイアスが入っているだろうことは覚悟の上。
今の私の精神状態のせいなのかなぁ(苦笑)、ヒトの知性を「良いもの・優れたもの」とする論調には、なにか不審なものを感じているのです。仮に滅びるときには、知性があるがゆえに滅びるのではないか?とか思うのです。
#だからといって知性=核とか短絡はしてないじょ!
> これだけ広い地域、さまざまな環境に繁殖している生物はごまんといるでしょう。
実はちゃんと裏をとったわけではなくて、その意味では適当な発言でした(^_^;)けれど、
「1つの種」が、砂漠にも海岸にも熱帯雨林にも極地にも、いるという例をボクは、ヒト以外に知らないもので...。
> 毎月排卵があってばんばん子供を産めて育児に関わる家族〜群れの社会を確立しているからじゃないかな。
生むこと自体についてはその通りなのですけど、育児にかかる時間は他の動物に比べて相当長いですからね〜。春や夏に一度、その代わりに数千匹生んで、半年で成体になるようなのと、一概に比べるのは難しいんじゃないでしょうか?
大文字ナンさんがそうだと言いたいのではないですが、世間の一部には「障害者(特に知的障害者)のイノセンスを聖者のように扱う」風潮がありますよね。あれって、逆差別になるんじゃないかなあと思ったり。私が過去の付き合いで学んだのは、障害者っつーたかて、人並みの欲望も悪意も持った普通の人間だということ。当たり前ちゃ当たり前のことなんですけどね。
>やりたいことを実現するには十分な機能を持ち、なおかつ余分な物はついてないってのが理想ですな。
ええ、その通りですよね(苦笑。(アプリ云々について、特に深く)
で、まぁ…私の持論としては…ヒトにとって余分なモノは知能であり、必要なモノも知能であるという矛盾が、我らジンルイの悩ましいところ、と思っております。
知性ってのは、基本的に攻撃的だ、と思っているのです。半端な知識、考察、エゴを押し隠すための治世、などが今でも多数の暴力を生んでいる、と思うんですよ。反面、ものの本じゃないけれど、障害を持つ方(の多く)がとてもイノセンスであることも私は知っていたりして、私自らも行使しまくっている「知識欲」の貪欲さ、はしたなさに時々うんざりしていますね。
To ヘルメスさん、おずおずさん
>人類全体が一度に死滅することは考えにくいと思われます。
もちろん、その通りです。そもそも軽いネタ応酬のつもりなのであまり深く考えていませんが(と、言い訳しつつ)氷河期、と呼べるような長い低温期が再び地球に訪れたとしたら、単純に「ヒトは生き延びるはず」と云えるのかどうか?という投げかけです。
で、私の元発言は「文明全般」というより、私たちが身近に利用しているような文明および、そういう文明を当たり前に享受しつつたとえばこういう議論に興じている私たち自身に対する皮肉も込めています。
>これだけ広い地域、さまざまな環境に同一の種が分布しているのも、ヒト1種に限られたことじゃないのでしょうか(家畜やヒトへの寄生生物は別にして)?しかもイグアナやフィンチのように環境に適応するために種内の差が出来るといったこともなく。
>「文明」にはそれだけのすごさがあるのではないでしょうか?
で、これは「想像論者おずおず」としての主張かな。本来のおずおずさんにしては少々浅くないか、と思いますがいかが?
これだけ広い地域、さまざまな環境に繁殖している生物はごまんといるでしょう。昆虫類しかり、植物だってそう、いやもっと微細な微生物や菌類は?彼らを押しのけて「いや、ジンルイが一番はびこっている」とするなら、それはエゴに過ぎないと思うけど。
>ヒトの大変優位なところは…
そりゃぁもう、毎月排卵があってばんばん子供を産めて育児に関わる家族〜群れの社会を確立しているからじゃないかな。食うこともでかいとは思いますけどね。
>想像論者のみなさんは「チンプにとって、脳の肥大化は有益である」ということを根拠なく正しいとしているのでは?
根拠無くはひどいなー。一応彼らの生態を根拠にしてるつもりやけど。
何れにせよ、チンプの現在の姿に疑問を呈するのは主眼と違うのよね。自然選択説における限界効用と限界費用の均衡点としては、多少環境が変わってもあんなもんやろと。それと比較して現在の人間の脳が異常で、自然選択説から外れた存在やということをこじつけ主張したいだけなんです。
プログラミングの世界においても、一番優れているのは「必要最低限」の設計です。
やりたいことを実現するには十分な機能を持ち、なおかつ余分な物はついてないってのが理想ですな。
ごてごて肥大化したライブラリやらアプリは使いづらいんじゃ…(ぶつぶつ
>これはやや断言が過ぎるのと違うやろか?ある特定の環境に最適であるということは、進化にかかる時間を考えた場合、環境が全く変化しない時代が続いたか、あるいは環境変化の方向を予測することが可能であったことを意味しますやん。
確かに多少言い過ぎました。
「タイムラグ・局所的なピーク・発生学的要因その他もろもろの、最適化に対する拘束内での最適」と訂正します。
>だとすると、そこには進化の余地が存在することになりますやん。
進化の余地が存在しても、脳の肥大化がその余地だとは限りません。
想像論者のみなさんは「チンプにとって、脳の肥大化は有益である」ということを根拠なく正しいとしているのでは?
「自然選択説をとれば、下等な生物がずっと存在しつづけてきたことは別に問題にならない。なぜなら、自然選択にしろ最適者生存にしろ、必ずしもより高度なものに発達するという意味ではなく、変異が生じ、その変異が当の生物にとって有利であれば、その変異を利用する方向に作用するにすぎないからだ。それに、極微原生動物の浸滴虫類や腸の寄生虫にとってはもちろん、ミミズにとってさえ、高度な構造をもつようになることがはたしてどれほど有利であろうか。」
チャールズ・ダーウィン「新版 図説 種の起源」より引用。
なるほど...言われてみればフィンチのくちばしのようには目立たないけれど、ヒトの種内部での変異って結構あるのですね。
想像論者としてはヒトの全ての優位性を知性に求めたいのですが、実際のところボク自身、ヒトの大変優位なところは(調理、という文明にも支えられていますが)、「およそ何でも食べられる。」ところが大きいと考えています。広い範囲で生きられるためにはまず、たどり着いたところにあるものをとりあえず食べられなければいけないから。
そして、とりあえずメシさえあればヒトは生きていける(ボクの人生経験から(T_T) )。
> 文明に頼らないと生き延びることができない分、ニンゲンは素の環境には適応しづらいんぢゃなかろうか、と思う今日このごろ。ついこの間、新潟では大停電があったけれど、たった数時間の大停電でタイヘンなことになるのがニンゲン。
大文字ナンさん、お久しぶりです。
ですが、例えばアマゾンの奥地やユーラシア大陸の奥地などには、未だに電気、水道のない生活をしている民族もいます。また、アフリカ大陸などにも電気文明を持たない部族などが多数存在する事を考えれば、人類全体が一度に死滅することは考えにくいと思われます。
>マラリアへの適応としての鎌型赤血球は特殊すぎかもしれませんが、
下記PDFの36ページあたりを見るとそれほど特殊でもないようですよ。
マラリアへの抵抗性を示す遺伝的変異は他にもいくつかあるみたい。
http://phi.med.gunma-u.ac.jp/malaria.pdf
あと、ニンゲンの適応能力について。
生物としてのニンゲンは意外と頑丈で、かなり幅広い環境に対応できると思う(イモリに火と服があったってニンゲンほどには広がれんでしょ)。
まぁ温度対応はたぶん哺乳類だからかな?
他には何でも喰えていつでも生殖可能ってのが結構高ポイントかも。
繁殖に関して気候の制限を受けにくいから。
さらに、ナックルウォークと比較して直立二足歩行はエネルギー効率が良いそうで(Wikipediaより)、
そうした“旅する能力”もまた、エレクトスとか含めたニンゲン(Homo属)拡散の一因だったのではないか
とか個人的には思ってたり。
う〜ん、どんな証拠なら検証できるかな?
To おずおずさん
マラリアへの適応としての鎌型赤血球は特殊すぎかもしれませんが、寒冷地への適応としてコーカソイドはベルグマンの法則に、一方モンゴロイドはアレンの法則に準じた変化を遂げましたし、中南米の高山地帯のインディオは肺が大きいとかあったような。
まだヒトの人種間で混血児が不稔というほどの種分化はおこっていませんが、繁殖隔離されてもっともっと時間が経てば、いずれそうなってしまっていた(そうなってしまう)んじゃないでしょうかね?
そうなる前に科学技術が進んで大陸間を高速で移動できるようになり、人種間の偏見が以前よりは減って人種間の混血が進みやすくなったのは、長期的にはヒトという種の種分化を抑制する方向に働いているかもしれません。
> 文明に頼らないと生き延びることができない分、ニンゲンは素の環境には適応しづらいんぢゃなかろうか、と思う今日このごろ。ついこの間、新潟では大停電があったけれど、たった数時間の大停電でタイヘンなことになるのがニンゲン。
ごく初期の文明しか持たなかった時点ですでにヒトはアフリカの草原からマチュピチュの高地、各地の海岸や河川周辺、はては砂漠や北極圏にいたる、実に広範な地域で生きていました。
これだけ広い地域、さまざまな環境に同一の種が分布しているのも、ヒト1種に限られたことじゃないのでしょうか(家畜やヒトへの寄生生物は別にして)?しかもイグアナやフィンチのように環境に適応するために種内の差が出来るといったこともなく。
「文明」にはそれだけのすごさがあるのではないでしょうか?
>例えば氷河期が訪れたら、以前の時のように、地球上の生物の90%程度が絶滅するでしょう。
>でもヒトは多分生き残る。そしてもちろんそれだけじゃない。
ちょいと牧歌的過ぎやしないかのぉ…。
文明に頼らないと生き延びることができない分、ニンゲンは素の環境には適応しづらいんぢゃなかろうか、と思う今日このごろ。ついこの間、新潟では大停電があったけれど、たった数時間の大停電でタイヘンなことになるのがニンゲン。
ネタにマジレスみたいで悪いけれど、ふと今日思いました。風呂に入りながら(笑。
アリとかハチとか、ニンゲンと同じサイズだったらどぉなんだろうねぇ。相当に凶悪だろうねぇ。ものすごい社会に見えるんだろうねぇ…。ジンルイ、到底かなわないだろうな、とか思ったですよ。
テレビ番組で「宇宙人が地球人に文明を与えた」という話があったのですが・・・
それを、地球人が高度な文明を持つに至った理由として説明していました。
で、疑問。
その宇宙人も他所から文明を与えられたの?
もし、宇宙人が自力で高度な文明を築いたなら、地球人も自力でできたはずだよね?
> なんや教祖になるつもりはないんやw
リリスさんにはどちらかといえば教祖ではなく、巫女(神子)さんになってもらって、神のお告げを伝えてもらう役がふさわしいと思います。ヒミコのイメージ。
白装束に朱のはかま。うる星やつらのサクラさんのような♪
信者の数を増やすにはそれが最も効果的じゃないかと...(^_^;)
To:JA50
すでにおずおずさんがフォローしてくれてますけど、
「放っておいたら」=「人が保護を叫ばなければ」
と読み替えてください。
To某掲示板に書き込んだ厨房ども
あんな連中と一緒にされると思うと虫唾が走る。
例えば氷河期が訪れたら、以前の時のように、地球上の生物の90%程度が絶滅するでしょう。
でもヒトは多分生き残る。そしてもちろんそれだけじゃない。
ヒトは多分、現在の地球上の生き物のDNAサンプルや、種子、精子、卵を、可能な限り採取して保存し、数百世代後、氷河期が終わる頃に、それらをまた自然に放つでしょう。ひとつにはヒト自身の生存のために。
ヒトがいなければ大絶滅が確実に起こるシーンを、ヒトは回避することが出来る。ことによれば月にでも移住して。
ヒトは多分、神に託された使命を全うすることが出来るだろうと思います。そのころまでに神の心を理解できる程度に進化できていれば。
> ヒトが横からちょっかいを出しているから、今、絶滅に瀕しているんじゃないですか。ヒトが、チンプやゴリラの生活圏を破壊したり、子供を捕獲するために母親や父親を殺しているから、絶滅に瀕しているんでしょうが。
この視点はすでに、ヒトの活動を他の生物の活動と分けていますよね。
ビーバーのダム建設によりたまたま周辺にいた希少種が全滅するのと同じようなものじゃないのでしょうか?
もちろんボクは違うと思いますけど、ボクは想像論者だから...。
>チンプやゴリラが放っておいたら絶滅するであろうことは、火をみるより明らかやとおもうんですけど。
チンプやゴリラは、ほっておいてくれたら絶滅しないんじゃないですか。逆だと思うけどな。
ヒトが横からちょっかいを出しているから、今、絶滅に瀕しているんじゃないですか。ヒトが、チンプやゴリラの生活圏を破壊したり、子供を捕獲するために母親や父親を殺しているから、絶滅に瀕しているんでしょうが。
彼らは、ほっといてくれと叫んでいると思いますよ。
>大変じゃない♪
しもた、♪つきで突っ込まれてしもた。参照先の「べからず」の理由が今一はっきり分かって無かったんよ。勘弁して−な。
>なお想像論では各信徒の想像力と主体性を重んじますので、私とは見解を異にする信徒の方もおられるでしょう。
なんや教祖になるつもりはないんやw
リリスさんがJA50さんを教祖と呼ぶのは別にして、この掲示板で二人目の教祖が生まれるんかと思ってたのに。
To:カクレクマノミさん
>彼らにとってはこれが最適なのです。
これはやや断言が過ぎるのと違うやろか?ある特定の環境に最適であるということは、進化にかかる時間を考えた場合、環境が全く変化しない時代が続いたか、あるいは環境変化の方向を予測することが可能であったことを意味しますやん。せやけど環境が全く変化しなかったというのは現在の科学の知見に反してますし、自然選択説において突然変異が環境変化の方向を予測することはありえ無いのと違います?
言えることがあるとしたら、チンプが彼らの置かれている環境において、概ね最適なんやという程度でしょう。だとすると、そこには進化の余地が存在することになりますやん。従って教祖リリスさんの問いかけ「なぜチンプの脳はもうちょっと進化しなかったのか」は依然有効です。
いずれにせよ人間に対し自然選択説を取る限り、同じ祖先を持つチンプが、同じ時間軸の中で大して進化しなかったことは決定的な問題なんです。故に、人間の知能の発達は、漸進的かつ量的変化のみでは説明できない飛躍的なものやと考える必要があります。
To:Kitkatさん
>人は適応しているか?
チンプやゴリラが放っておいたら絶滅するであろうことは、火をみるより明らかやとおもうんですけど。
人の脳の発達、それに伴う、意識、意志の獲得は、適応として成功なのでしょうか。つまりサルよりも適応している証拠だと言い切れるのでしょうか。
わたしには、過剰適応ではないかと思えるのです。
人類の現状をみれば、滅亡寸前、崖っぷちでの繁栄ですよね。バニシングポイントに向かってまっしぐら・・・・・です。
とすれば、脳の発達は、ヘラジカの角やクジャクの羽と同様に、過剰に発達し本来の目的から逸脱して、種自体を絶滅に導いているのではないかと・・・・・いかがでしょう(これは喩えで、ヘラジカやクジャクが絶滅しかけていると言う意味ではありません)
後生の古生物学者(人類ではないかもしれませんが)は、人類を、一部の機能を異常に発達させた、奇妙な絶滅種の仲間に分類しているのかもしれません。
少なくとも、地球の現状をみれば、人類は管理人としては適性を欠いていると言わざるを得ないでしょう。
ところで、最近、妙な感覚を感じるんですが。なんだか想像論者の巣窟に迷い込んでしまったんじゃないかと。
たぶん気のせいですよね、ここは進化論の砦のはず・・・・・内側から何かに蝕まれつつあるとしても。
> ところで私の「想像論者」ぶり、板についてきましたでしょう? そのうちアイデンティティの混乱をきたしそうです(笑)
ボクもそうです。これって、クセになりますね (^_^;)
宗教はアヘンだ、という言葉の意味が分かりました...(殴)
>「ヒト」のネオテニーって、分岐後に獲得(喪失?)したものではありませんでしたっけ?
...調べてみます。実はよく知らないで言ってるのです...(T_T)
> なお想像論では各信徒の想像力と主体性を重んじますので、私とは見解を異にする信徒の方もおられるでしょう。
想像論が各信徒の想像力と主体性を重んじる事が出来、教条主義や独善主義に陥らず、科学の成果を易々と受け入れ、進化していける、という柔軟性は、創造論との最大の相違点です。
この違いは、想像論のベースが「多神教」であることから来ています。
この手の話はとても好きです。いわゆる「宇宙考古学」ってやつですね。
このニビルについても以前本で読みました。
高度に発展した異星人が地球に来て文明を創ったという考えの方もいらっしゃる様ようです。
このアヌンナキの真偽は別として、私も以前に宇宙考古学に関心を抱いた時期がありました。
それは「聖書の暗号」という書籍を読んだからです。
旧約聖書の原典をコンピュータを使ってスキップコードという特殊な読み方で捜すと預言のような文がでるというものでした。
以前、テレビ番組の「奇跡体験!アンビリーバボー」で特集されていました。
しかしながら、アラファト議長がハマスに暗殺されるという文があったのですが、周知の通り見事にハズレました。その時からもう聖書の暗号を信じていません。
何故、聖書の暗号の話をしたかというと、聖書の暗号の中に異星人の記述があったからです。
「DNAは乗り物で運ばれてきた」という記述です。昔から、UFOだとかネッシーだとかいう未確認なものが好きだったのでとても興奮したのを覚えています。
しかしながら、どうやら聖書の暗号が嘘だとわかりはじめると、意気消沈してしまいました。
しかし、フランシス・クリックも異星人がDNAを意図的に地球に運んだと言っていたので些かの希望が生まれ、現在に至ります。
今でも、宇宙考古学ないしは異星人が文明を創ったという説を完全には棄ててはいません。
以前に私が「創造論者なのに神は信じていない」と述べたのは、そこから来ています。
支離滅裂な文章は勘弁
分岐が先が獲得(喪失?)が先か?
何かを獲得した(神様が与えてくれた)から分岐できたのか、分岐できたから獲得できたのか?
お久しぶりです、教祖。真面目な医療現場のお話の横で騒いでて済みません。
「ヒト」のネオテニーって、分岐後に獲得(喪失?)したものではありませんでしたっけ?単なる思い込みですけど・・・
ところで私の「想像論者」ぶり、板についてきましたでしょう? そのうちアイデンティティの混乱をきたしそうです(笑)
>大変じゃない♪
はい、おずおずさんが仰るように、想像論では
《神は御自身が創造された世界の法則を重んじられます。人類の進化は自然法則には反していない(不可能ではない)ものの非常に実現確率の低かった現象でした。ゆえに神の御意思を仮定することは合理的であり、人類は神の御意思のもと、地球の管理人としての聖なる職務を担うと考えるのは理に適っています。》
というように解釈しています。
想像論が主張するのは人類のとった適応戦略、つまり意図的で柔軟性のある外部環境の利用という適応戦略の希少性です。「なぜサルは進化しないのか」は、その希少性の論拠として、他種には(近縁の類人猿にさえ)そのような戦略が見られないことを指摘したものです。かのHPの「なぜサルはサルのままなのか」は、サルからヒトへの1直線かつ1経路の進化という架空の概念を批判するために出されたものですので、表現は似てしまいましたが、言わんとすることは全く異なっています。
なお想像論では各信徒の想像力と主体性を重んじますので、私とは見解を異にする信徒の方もおられるでしょう。私自身、wadjaさんよりお叱りを頂いたところですw
人類の進化が確率的に不可能であるとまで主張するのは、本家の「有能な」創造論の方々にお任せしましょう・・・。
でも「自主規制べからず」集に従えば、本家創造論者はいったい何をどう主張すればいいんでしょうねぇ。
>チンプがチンプの祖先と大して変わっていないとしたら、それはチンプの環境がチンプの祖先の環境と大して変わっていないからです。チンプは現在の生活で適応しています。
>彼らにとってはこれが最適なのです。
つまりカクレクマノミさんは、
《共通祖先との分岐後、ヒトの脳は著しく拡大したのに、チンプの脳はさほど拡大しなかったのは何故か?》
という問いに対し、
《チンプの脳は既に環境に対して最適化されており、チンプの環境では、さらなる脳拡大は限界効用よりも限界費用が上回る。いっぽうヒトの進化の過程では、環境に対して最適化されているとは言えず、脳拡大に伴う限界効用が限界費用を上回る局面が何度かあった。》
と答えておられるわけですね。
これは仮説としては非常に有望な説明であろうと思います。
しかし頑迷な想像論者の立場からすると、その説明が真であるという論拠に疑問を感じます。ありていに言えば、両種の「脳の現状」の説明として「環境への適応」を挙げ、「環境への適応」の論拠として「脳の現状」を挙げるという循環に陥っているように見えるのですが・・・
なお現在、大型類人猿は種の数も個体数(ヒトを除く)も衰退傾向にあると言えます。このことは、「知性」という適応戦略の難しさを傍証しているように思えます。
>「チンパンジーはなぜヒトにならなかったか」「クワガタムシはなぜカブトムシにならなかったか」
ちょっと方向性が違いますね〜。
「チンパンジーの知能はなぜ進歩しなかったか」という問いであって、クワガタで言えば「オオクワガタの顎はなぜミヤマクワガタやノコギリクワガタのように派手にならなかったのか」という問いなのれす。
> 進化論が「環境に対して生物が変化し適応した」と述べたとき、反進化論者の方は「激変する環境に適応し進化しているのは科学であり、二千年前から変化していない聖書に基づく信仰は、進化の袋小路に入った絶滅を待つ種か、大昔から姿の変わらない生きた化石だ」と言う主張と受け取ったのではないでしょうか。
そうかもしれませんね。
ところが実際には「進化の袋小路に入った絶滅を待つ種か、大昔から姿の変わらない生きた化石」などというものは存在せず、数万年姿を改良しなくても(実は目に見えないところでの改良はされていますが)生きて来れた、現在の環境にちゃんと適応している生物、なのですよね。
想像論、も同じです。進化論を攻撃する必要はなく、ただ穏やかに話し合うだけ。それで十分なのです。
> 科学はそれが原理的には決して起こり得ないもので「ある」ことを証明はできますが、
の「ある」を「ない」に...。
ある進化は得てして対応するものの不完全さを伴うことはしばしば経験することです。
例えば我々やチンプの手には遠い先祖が持っていた水かきはなく、それどころかエラさえ未発達のまま胎児の段階で消えていき、結果、泳ぎや潜りがヘタです。
ネオテニーはそう考えると実に素晴らしい出来事で、まさに神のみ技を感じます。
ヒトは、ヒトサルの持っていた生物としての機能の相当部分を、一度作りかけの状態に戻され、多分ほぼ全身に亘る、相当広範な改良を施されたのだと思われます。
想像論の根幹には地下ネコさんの驚嘆すべき洞察があるのですが、ここでもういちどそれに触れておきます。
神の行いはすべて、科学の目には「偶然」と映ります。
「偶然」とは、それが起こった理由を科学で説明出来ないこと、なのです。
数学は、振ったサイコロの目が1から6までのいずれかであることは示せます。
でも、ある特定のサイコロがある時に例えば3の目を出すことは、理想的なサイコロであるならば、物理的に原因を究明していくと最後には量子力学の不確定性原理にまで行き着くでしょう。
さて、突然変異自体はまさに、偶然による出来事です。
そのサイコロにはいくつの目があるのか誰にも分かりませんが、「空を飛ぶ」という目や「毒牙を持つ」や「地下通路を築く」といった目はこのサイコロにはいくつもあるようです。それぞれの生物がそれぞれのやりかたで実現していますから。
ところが「知恵や意識を持ち、理想を追求する」という目は、ほんの少しか、或いはたった1つしかないはずなのです。なぜならヒト以外はどの生物も実現していませんから。
どんな奇跡といえども、この世で起こったからには、その裏には科学で解明されるべき機構があったはずです。超自然という言葉は「自然には起こりえないことが自然界に起こること」であり、そもそも論理的に矛盾した概念です。
奇跡とはそんな薄っぺらなものではありません。
奇跡とは、「確率的にきわめて起こりにくい事が実現すること」なのです。科学はそれが原理的には決して起こり得ないものであることを証明はできますが、それがなぜ、ある特定の機会に、ある特定の対象の上におこったのか、は、永遠に証明できないのです。
なぜならそれは神のみ心にゆだねられている事柄だから。
反進化論者(創造論者)の方の意見を見てみますと、個々の問題では歩み寄りもあるようですが、根本的に受け入れられない、譲ることの出来ない部分があるように思えます。
それが何なのか、推測してみました。
ここの常連さんも書かれていますが、科学は絶対などではありません。探索し実験し、新たな発見があるたびに仮説が提出され、場合によっては、新しい科学分野が発生します。仮説、理論も常に検証され修正されていきます。
周りの状況によって、ダイナミックに変化していくわけです。
それに対して、反進化論者(創造論者)の方の意見では、聖書に書かれていることが絶対であると主張されています。約二千年前に書かれた内容が絶対の真実とすれば、変更も修正もありません。変化しない、する必要がないのです。
ただ、私たちを取り巻く環境は二千年前と現在とでは劇的に変わっています。それは反進化論者の方も認めるところでしょう。
これは進化論のアナロジーです。いや進化論がアナロジーになっていると言うべきか。
進化論が「環境に対して生物が変化し適応した」と述べたとき、反進化論者の方は「激変する環境に適応し進化しているのは科学であり、二千年前から変化していない聖書に基づく信仰は、進化の袋小路に入った絶滅を待つ種か、大昔から姿の変わらない生きた化石だ」と言う主張と受け取ったのではないでしょうか。進化と進歩の区別がつかない人たちならば、なおさらです。
それゆえ執拗に進化論を攻撃するのではないか・・・・と。
前述のように、私たちを取り巻く環境は二千年前と現在とでは劇的に変わっています。にもかかわらず二千年前に書かれたことを一字一句間違いのないものとして信じていることに、信者の方も疑問と不安を持っていたのかもしれません。
進化論は意図せずに痛いところを突いた・・・・ということでしょうか。
谷庵さん
>高度の医療責任を求めるのなら、本物の専門医を育て、専門家としての待遇を与え、その上で高度な責任を求めるべきなんじゃなかろうか。
まさにその通りだと思うのですが、どの分野につけ、こうした「地位に関わる正論」がまるででたらめなのが日本の社会なのではないでしょうか。
結果的に、まっとうな学究の徒は経済的にも社会的にも相手にされない。優秀な研究者もつまらない政治ゲームに巻き込まれれば、あっという間に排除され、行き着く先が金。しかしそんなことは誰でもご存知でしょうが…どうすりゃいいのかさっぱり分かりませんね。
今日の朝日新聞にアルバート・アインシュタイン医科大学教授の大木隆生氏の投稿が載っています。
それによれば、米国での新卒医学生の数は3万人で、外科研修医の枠は千人だそうです。
外科研修医になるためには厳しい競争に勝たねばならず、さらに専門医になるためには、厳しいトレーニングを続け、多くの課題をクリアしなければならないようです。
けれども、ひとたび専門医となれば、高給に恵まれ、専任のスタッフ(秘書・看護師・保険事務員・臨床検査技師・実験補助員)が付き、手術記録もカルテも自分では書かないで済むようになるらしい。
ましてや、あれやこれやのつまらない書類など、絶対書かないんだろうな。
とにかく雑用に追われることは全くないので、診療・研究・論文執筆・講演などに専念できるのだと言う。
日本の専門医制度の大半は、知識を問われる試験に合格すれば、後は学会への参加や発表、論文などが点数化され、ある程度の点数がとれれば専門医になれる。
さすがに今では、全く手術の出来ない外科専門医は出来ない体制にはなっていると思うけど、専門医だから技術が高いと言うことはない。
専門医になったからと言って、待遇は何も変わらない。
専任のスタッフなんて夢のまた夢。
毎日たくさんの書類を書き、様々な雑用をこなす。
自分の専門領域に専念する暇もありゃしない。
高度の医療責任を求めるのなら、本物の専門医を育て、専門家としての待遇を与え、その上で高度な責任を求めるべきなんじゃなかろうか。
専門家にはハイリスク・ハイリターン、それなりの医者にはローリスク・ローリターンで行けばいい。
最近はハイリスク・ローリターンだもんなあ。
「それ」が、「サル」の方にだけ与えられた可能性は?
だって、「ヒト」の方がよりネオテニーなのは事実ですよ。
想像論ではサルと人が共通の先祖から分かれたことはとうの昔から認めています。
「サルヒト」と言うべき所を省略してるだけ。
ただ、その分かれ道に落ちていたものが、神から与えられたものだ、と主張しているのです。
理由は、「それ」が、「ヒト」1種のみに与えられているから。
地球上の人間はいかにして誕生したのか?
頭から疑わないでここの記事を最後まで読んでみよう。
http://www.threeweb.ad.jp/~asterope/genesis.html
NORTON3rdさん
〜ブックマークしてしまうサイトでした、ありがとうございます。
ん〜、動機はなんであれ、米国の創造科学論者は「比較的健全な」議論のうえに成り立っていて、議論の方向も「動機はともあれ」証拠を重んじるように方向づけられている、ということなのかな。だとすると、日本のはかなりダメダメだってことが分かるってことか。
NORTON3rdさん紹介のサイトによれば
「サルたちは何故今もサルのままなのか」
は創造論者も使わんようになるらしい。彼らも一応進化しているみたいw
リリスさん、どうしょう?
Yahooの話題で恐縮なんですが、くりぼうさんが面白いサイトを紹介してくれました
http://transact.seesaa.net/article/13166023.html
アメリカの「若い地球の創造論者」のサイトで作った「自主規制べからず」集ともいうべきものがあるそうです
つまり、今まで創造論者が今まで進化論攻撃に使ったネタで、何べんもけちょんけちょんにやられたものや、創造論者の仲間内から見ても「ヲイヲイ、さすがにそれは違うだろう」というものをあげたもので「絶対(進化論攻撃のネタに)使ってはいけない」と「使わないほうがいい」に分かれています
見ると、本掲示板で何度もお目にかかったのもありますが、お目にかかったことがないもの、日本ではなじみのないものなど色々です。
(そのうち、鞭毛モーターやミイデラゴミムシもなかまいりするんだろうか?)
できればここに参加される創造論者の方も、これらを避けて論を展開していただけるとありがたいのですが、うーん、むつかしそうだなあ。ほとんど何にもいえないじゃん
>ということは、あの会議室は創造論の科学的再検証を目的としていないということでよろしいでしょうか?
あの掲示板は、
創造論については 検証=肯定
進化論については 検証=否定
という変換をした上で読みましょう(笑)
>もしも創造論者と話したいなら
わざわざ話そうとしなくても、ここを見てれば色々飛び込んで来ます。
マルチハンドルで荒らす痛い創造論者とか。
>有能な人物が揃っています。
You know ?
>有能な人物が揃っています。
皮肉だよね。
>有能な人物が揃っています。
たとえば?
>ただし、中傷等は厳禁です。平和な掲示板なんですから。あくまでも話し合いで。
批判を中傷と勘違いする人が多いように見受けられます。
ちなみに、
|創造科学を否定するための主張を受容するのは当掲示板の目的ではないので、
|否定する見解は書き込めません。
http://158.teacup.com/kenko/bbs
ということは、あの会議室は創造論の科学的再検証を目的としていないということでよろしいでしょうか?
>単に、自分が「寝覚めの悪い思い」をしたくないのです。
>動機は、この掲示板らしく、やっぱり利己的なのです。
それは謙遜でしょう。私の拙い知識では麻酔科医といえば手術中の患者の容態を逐一把握しなければならない激務と認識しています。高い倫理感がなければつとまらないでしょう。
>裁判官について言えば、十分な医学知識を持てとは言わないけれど、
>医療制度については、ある程度正確な知識を持って欲しい。
裁判官がどのように、どのような専門知識を持つべきかについて、明日の裁判所を考える懇談会でいろいろ出てます。感想を聞かせてもらえたらうれしいです。
>ずいぶん前から言われていることですが、医療関係の裁判は、
>それ専門の裁判所で裁くってできないんですかね。
>重要度や専門性の高い分野については、裁判官も専門別になってもいいんじゃないんですか。
>今の裁判って、小児も産科も内科も外科も精神科どころかイヌネコまで診ているようなものでしょう。
医療関係に限らず専門性の高い分野は山ほどありますが、それらについてきちんと専門性を高めないといけないことはほんと昔から言われてますね。最高裁が「明日の裁判所を考える懇談会」ってのを設置してますが、いろいろな意見が出ています。
http://www.courts.go.jp/
>たとえば「グルカゴン1アンペア」って書いちゃうような人に裁いて欲しくない
これ、「乙14号証」ってなってんですけど、ちょっと中身がわかんないんですよね。仮に乙14号証の記述がそうなっていて、双方採用を否定していなかったら、裁判所としてはこう書くしかないから。
#調べてみたけど見つからない。
たまごどんさま。実状提示ありがとうございます参考に致します。
それから名無しさんへ。当時のわたくしの誇大的な自己紹介は恥ずかしい限りですね。
若気の至りですね(私が言うのもなんですが。)
>>私は某サイトで、進化論者とひとりで戦っている科学的創造論者の長坂と言います。
http://158.teacup.com/kenko/bbs
ずいぶんと恥知らずですな(笑)
若いってのはイイね(笑)
四畳半フォークピョン、はじめましてなのら。
紹介してくれた掲示板には、行きたくても行けないお方が、この掲示板参加者には結構いるんだぁ。過去ログにもあるから、覗いてみるのも面白いと思うピョン。
たまごどんも蹴飛ばされたんだピョン。たまごどんはかなり気を使って書き込みしたんだけど、創造科学を否定する=神を否定するちゅうことで、長谷川ピョンに嫌われてしまったのら。あそこの掲示板トップにある長いローカルルールも、この掲示板参加者を締め出すために出来たんだピョン。さてさて、話し合いを否定したのは誰だったかな?
もしも創造論者と話したいなら
http://158.teacup.com/kenko/bbs
がいいですよ。
有能な人物が揃っています。
ただし、中傷等は厳禁です。平和な掲示板なんですから。あくまでも話し合いで。
>しかしチンプの祖先が現在のチンプとさほど変わらないのなら、依然「なぜチンプの脳はもうちょっと進化しなかったのか」という問いが残ります。
脳が大きいことは、別に一般的によいことではありません。チンプがチンプの祖先と大して変わっていないとしたら、それはチンプの環境がチンプの祖先の環境と大して変わっていないからです。
チンプは現在の生活で適応しています。動物全体から見れば驚異的だが、ヒトよりは小さい脳。それを使った、非常に複雑だがヒトよりは単純な社会。ヒトには劣るが、彼らの生活には十分な知能。ヒトをはるかに上回る運動能力、などなど。彼らにとってはこれが最適なのです。
「チンパンジーはなぜヒトにならなかったか」という問いは、「クワガタムシはなぜカブトムシにならなかったか」という問いと同じぐらいナンセンスです。
ゾウが進化を知れば、こう思うでしょう。「なぜゾウアザラシは、もうちょっと長い鼻を進化させなかったのか?こんなに便利なのに。」
>ここはひとつ、似非創造論者として、人類進化のトリガーは突然変異であれ生態系であれ非常にレアなものであり、神の・・・え、もういいですか?
人類進化が環境への適応で説明できると認めた時点で、こっちが一歩リード(笑)
wadjaさんの言うとおり、量的変化で説明できると認めたのもこっちのポイントですね。
一歩一歩、じわじわと追い詰めて・・・
扇動する人物について要求される条件は、静観者であること、そして良心を持ち公に活動できる事。
何を言いたいか、文説において軽い表現に悦するといふ邁進する。
連綿になる物に解していける内装的恥心があるはず。
再度ないし回奏後は原因究明と対峙してゆけばよいですね。
diamonds8888xさま、想像論へようこそお越しやす〜〜♪
想像論と進化論についての掲示板
想像論を否定するための主張も別に書き込みを禁止していません♪
本論について行けてない...(T_T)
>すばらしい職業倫理感だと思います。
お褒めいただいて恐縮です。
でも、倫理感だと思っていたら、長続きはしないでしょう。
単に、自分が「寝覚めの悪い思い」をしたくないのです。
動機は、この掲示板らしく、やっぱり利己的なのです。
裁判官について言えば、十分な医学知識を持てとは言わないけれど、医療制度については、ある程度正確な知識を持って欲しい。
保険でがんじがらめになっている実態とか、他の業種だったらフェイルセーフが取り入れられているようなことでも、医療では疲れ切ったスタッフの注意力頼みだと言うこと等ね。
医療費も段違い、患者一人当たりのスタッフの数も段違い、でも裁かれる時は同じ基準では納得がいかん。
広い世界の蜘蛛の巣に
信仰無用の悪党に
黒いcourtのジャングルに
信じる力で切り抜けて
子羊集う学舎に
高く掲げたバイブルで
さあ来い、虎の穴の使徒どもめ!
Hawking=鷹王。なんと鷹の巣の出身だったのか。
鷹の巣と言えば、確かそのヘッドの名が王。黒幕は昔天界に暴れ込んだ石猿の子孫だとかいう噂を聞く。先祖に似て色々な所へ暴れ込んだらしいが。
風船のゴムというのは線状の高分子が絡み合った構造をしています。物理的に絡み合ったままでは滑ってしまうので、例えば硫黄を加えて化学反応させ共有結合で高分子のところどころを固定します。固定された部分を架橋点と呼びます。架橋点間の高分子はランダムコイル状にくねっていますが、風船を膨らませるとくねりが直線に近づくのでゴムは伸びやすいのです。しかし熱運動のある状態ではくねくねとしている方がエントロピーが多くて安定ですので、常に縮もうとします。これがゴム弾性の分子論的説明です。
ですから風船においても、架橋点間の高分子鎖は伸びますが架橋点は変形しません。このようにミクロに見ても風船というモデルは宇宙をよく表しているのです。なんてね。
http://www.yrc.co.jp/mb-techno/use/02.html
http://www.emix.jsr.co.jp/gomu.htm
まこさん、ありがとうございます。本の小見出しが「類人猿に石器はつくれない」だったもので。確認すると、「5万年前に人類に何が起きたか?」の記述は次のように続いていました。
《必要とする鋭い刃を持つ道具ができたときもあったが、数ヶ月練習しても、石核にせよ剥片にせよ、オルドワン(石器文明)の水準には達しなかった。石核は度重なる衝撃で変形したらしく、カンジが剥片を作ろうとして失敗を重ねたことが伺える。カンジが作った剥片はちっぽけなものばかりで、自然に割れたものと変わらない。最高レベルの教師が教えても、カンジは剥片を作るという技を習得できなかったのである。彼の作品が古代遺跡から見つかったとしても、考古学者には明らかな人工遺物と認められないだろう。・・・とりわけ知能が高く反応のいい類人猿でさえ、剥片作りの要領をつかむのは難しそうだ。》
石器作りの意図をもって、石器らしきものを作ることは出来たが、それが石器としてのボーダーをクリアしているかどうかは微妙? まして作成者はカンジ君、これを並みのチンプにやらせた日にゃあ・・・
こういう状況は、書き方によって、どのようにも印象づけられますね。
類人猿関係(人間関係を含む)って大事ですね。
ワラタ
>知性は大脳新皮質の量的変化かと思っています。
それでは駄目なんよ。本質的にはカクレクマノミさんの説と大差なくなって、漸進的進化による自己意識の獲得を肯定してしまうことになるし。強調されるべきなんは、メモリーを積み上げただけではコンピュータは動くようにはならんという事実。メモリーを統合するOSが不可欠で、それが人間の場合は神から与えられたロゴス。チンプも確かに簡単な記号を操作することは出来るようになる。せやけど、それが中核意識の域をこえるもんやという証拠は無い。あくまで言語は、エデンの園で人に与えられた知恵の実なんよねw
ずいぶん前から言われていることですが、医療関係の裁判は、それ専門の裁判所で裁くってできないんですかね。確かに、
>医療行為のような高度に専門的な分野においても自らの判断で正しい判断を下さねばならないとしたら、今度は裁判官のなり手がいなくなります。
ってのはもっともだけど、たとえば「グルカゴン1アンペア」って書いちゃうような人に裁いて欲しくない(注射薬においては1A=1アンプル)。まあこれは単なる誤植であろうと好意的に思いたいけどさ。いくら「予見可能性や回避可能性の判断は専門家の鑑定にまかされます」ってったって、やはりある程度の専門知識は必要だろうと思うのですが。重要度や専門性の高い分野については、裁判官も専門別になってもいいんじゃないんですか。今の裁判って、小児も産科も内科も外科も精神科どころかイヌネコまで診ているようなものでしょう。
NATROMさんがあげた2chで話題になっている例、控訴審だったわけですが、上告していたとして、仮に上告審で被告が負けたとしても私は不思議に思いません。
というのは、最高裁は法律審であり原審の事実認定については判断しないからです(職権で判断することを妨げませんが)。
で、もし上告審で原審の事実認定そのままに上告棄却を決定したとすると、2chの医師さんたちから「あんな杜撰な鑑定書を最高裁も認めた。司法は終わりだ。」という意見が出そうな気がします。
>>なりません。死亡と掛け持ち麻酔の間に因果関係がありません。
>これが一般的であれば本当に嬉しいです。
民事上の不法行為責任の成立要件には「行為と損害の間に因果関係があること」があります。刑事上の構成要件該当要件にも因果関係がありますので、因果関係がなければ責任はないのが法律上の帰結です。
実際、医療行為に関して医師の過失を認めたものの、「結果と行為(医師の過失)の間に因果関係がない」として医師の責任を否定した判決があります(すぐに出てこない。すみません)。
>>要は「人手が足りなくて手術できなかった」ということなので、誰にもありません。
>これも少しは嬉しい答えなのですが、実はあまり喜べません。
>要は患者が助かることが重要なのです。
すばらしい職業倫理感だと思います。
To diamonds8888xさん
>いえ、その通りではありません。たとえるなら、風船の材料のゴムに砂粒が混ぜ込んであって、ゴムの部分は伸びるけれど砂粒はそのままという状態ですね。砂粒は星どころか素粒子に相当していてこれは膨張していません。
仰るとおり、普通に間違いました。ご指摘ありがとうございます。
ローレンツ短縮のことを考えすぎて、ごっちゃにしてしまったな…まいりました。
リリスさん
>類人猿が石器を作れない、の元ネタは、「5万年前に人類に何が起きたか?」です。石核から剥片石器を作る方法をかの天才チンプのカンジ君に教えてみたが、《カンジは要点をすぐのみこんだものの、なかなか普通の人間がするように石槌で石核を叩いて剥片をつくれなかった。》とありました。
そうでもないみたいですよ。
http://www2.gsu.edu/~wwwlrc/biographies/kanzi.html
って想像論者の私が言っちゃマズイか(笑)
diamonds8888xさん流石です!
チンプの推論実験。問題がある状況(例:高い位置にぶら下げられたバナナ)の写真を見せ、続いて数枚の写真のなかから人間が問題を解決している写真(例:箱をバナナの下に持ってきて上に乗っている)を選ばせます。賢い大人のチンプならほとんどの問題に正解するのですが、写真のモデルが嫌いな人間だと、(おそらくわざと)問題解決に失敗している写真(例:箱を自分の上に乗せてしまっている)を選んじゃったりするのです。
類人猿関係(人間関係を含む)って大事ですね。
wadjaさま、想像論へようこそお越しやす〜〜♪
論理的な思考と言っても、精密な論理的思考とイメージレベルの推論とでは脳の活動領域が違うと読んだような気がします・・・。意識や意思決定は、脳機能の充実にともなう質量転化みたいなもんではないでしょうかねぇ。
マクロの構造で言えば、知性は大脳新皮質の量的変化かと思っています。ニューロンレベルでの構造はよく判りませんが、ネアンデルタール人と現生人類とでは、脳内の種々の記憶の連結がより緊密になっていたのではないか(その結果、より抽象的な思考が可能になったのではないか)という意見がありました。
カクレクマノミさんはじめまして。
集団内の相互作用が、知能(脳)の正の方向の淘汰圧となることは間違いないと思います。しかし群れの個体数と脳の新皮質率の相関関係からは、個体数の増大が先行したのか新皮質の増量が先行したのか判りません。これを考察するには、どのあたりの年代を考えればよいでしょうかね。
ヒトがチンプとの共通祖先から分岐したのは700〜800万年前だと言われていますが、この年代の化石記録は殆どありません。個体数の少なさを原因とする説明があり、分岐時には大きな群れは作っていなかったと思われます。500万年前以降になるとアウストラロピテクス類の化石が色々と見つかります。複数の種に分かれてますんで、それなりに繁栄してたんでしょう。脳容量は大型類人猿よりちょっと上。次に飛躍を遂げるのは、250万年前くらいのハビリス、エレクトゥスで、石器らしい石器を作り、脳容量は現代人の半分〜になりました。
では、人類の祖先であるアウストラロピテクスは、サバンナに降りたためチンプの祖先にくらべて大きな群れを作るようになり、それがハビリスの出現をエネルギー効率面で許容する下地となったのでしょうか。チンプの群れはだいたい30〜150頭と聞いています。チンプによく捕食されるアカコロブスは30頭くらいの群れで、われらがニホンザルは数十頭〜100頭以上の群れになります。サバンナヒヒは数十頭〜100頭近く。サバンナに生活の場を移すことは、群れの個体数の十分な増加につながるでしょうか。
ヒトの祖先が肉食に依存していたため脳の拡張に必要なエネルギーを確保できた、という説は魅力的ですね。アウストラロピテクスは植物食が主で、それもよく噛まないといけない根菜類が多かった模様です。(化石資料の化学分析から、肉食も行う雑食性であったとする情報もあります。)しかしそのうちの一種ガルヒは、石を使って動物の屍体から骨髄を取り出せたのではないか、と言われています。ちなみにチンパンジーはナッツは割りますが骨を割っているのは観察されていません。では、なぜガルヒは、他のアウストラロピテクスやチンプの祖先よりもほんのちょっと賢くなったのでしょうか。・・・よほど切羽詰っていた? ボノボは植物食なので、チンプに肉食が始まったのはわりと最近ではないか、という説があります。だとすると、サバンナで一部の猿人が肉食に走ったことが、チンプとヒトの能力を分けたのかもしれません。
http://nobukazu-web.hp.infoseek.co.jp/page/kuronikuru.html
しかしチンプの祖先が現在のチンプとさほど変わらないのなら、依然「なぜチンプの脳はもうちょっと進化しなかったのか」という問いが残ります。現在のチンプは個体でも集団でも狩りをしますし、肉はご馳走のようです。肉を摂取する機会があればそうするでしょう。脳が増量しエネルギー消費が増えたとしても、ナッツを手早く割れたり、狩りの成功確率が高まったり、獲物を分配して株を上げる機会が増えたり、仲間の顔色を伺いつつ味方を増やしたり・・・色々と使える能力だと思うんですが。脳の発達のエネルギー効率について、原人の母体となった猿人では効果が費用を上回り、チンプの祖先や他の猿人では効果よりも費用が上回ったとするなら、その差はどこに生じたのでしょうか。チンプの系統発生史には、効果が費用を上回る局面は無かったのでしょうか。
ここはひとつ、似非創造論者として、人類進化のトリガーは突然変異であれ生態系であれ非常にレアなものであり、神の・・・え、もういいですか?
読売オンラインより引用
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/feature/20051222ik07.htm
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川崎市で一昨年8月、3歳だった男児が、自宅でこんにゃくゼリーをのどに詰まらせ、意識を失った。
すぐに救急車が到着し、母親(35)は「助かった」と思った。しかし、「それからが地獄」だった。
6病院急患拒否
心肺停止状態の男児に、救急隊員たちは懸命に心臓マッサージをしながら、2分以内で行ける地域の基幹病院、市立川崎病院に受け入れを要請した。だが断られ、他の5病院にも次々に搬送を拒否された。
救急車は男児を乗せたまま、自宅前から動かない。「何で? 息子はどうなるんですか!」。母親は涙ながらに隊員に詰め寄った。
最初の連絡から12分後、再度の要請で川崎病院が受け入れを承諾、ようやく救急車は走り出した。だが、男児はその夜、亡くなった。
このトラブルが起きたのは平日の午前9時過ぎで、川崎病院には計5人の小児科医がいた。当初の受け入れ拒否の理由は「熱性けいれんの患者がおり、蘇生(そせい)に必要な酸素を送る設備が足りない」だった。
だが、小児科とは別に救急外来にも酸素の設備はあった。両親は昨年11月、病院側を提訴した。
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さて、産科とならぶ「崩壊」寸前というか、地方によっては崩壊している小児科のお話ですにゃ。
この事例では搬送拒否を理由に提訴されているにゃんね。
(親としては提訴したくなる気持ちもわかる)
谷庵が「無理をしながら」やってきたから、訴訟のリスクが軽減されているのかもしれにゃーわけだ。とはいえ、「無理」が原因でなんらかのミスがあれば、それは訴訟に直結するでしょうにゃ。つまり、無理をしてもしなくてもいけにゃーらしい。
医療に限らず、日本という社会システムちゅうのは「優秀な現場」によって無理なものを通すことで支えられている面が強いといわれておりますにゃ。小隊・中隊規模で戦闘をすると旧日本軍は最強であったという話もあるみたいにゃんしな。現場は優秀で中央はノウナシというのは民族の病いかもしれにゃーです。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。