このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
「方舟さくら丸」を読んだことがあるな。
超高性能水洗便所の話だった。
進化論に関心がなさそうなのにこだわっているのはなぜでしょうか?
いいじゃないですか。別に進化論くらいわからなくても。
ようさんが進化論がわからなくてもようさんの人生に影響があるとは思えませんし、また世の中に影響があるとも思えません。
それにわからなくたって進化研究から得られる成果を享受する権利はありますから、無理することはないと思いますけどね。
少し気になったのは「科学的仮説」に対する解釈です。
「科学的仮説」は観察的事実によって支えられています。この観察的事実が多ければ多いほど、その科学的仮説は確からしい物となります。
「進化が起こった」という科学的仮説は非常に多くの観察的事実によって支えられており、非常に確からしい物です。
進化仮説が誤りであるためには反証が必要であり、反証が見つかるまでは科学的事実とみなしてかまいません。
これは進化があったということを事実としてとらえ、この事実の上に新たに仮説を構築してもかまわないということと同じです。
もし反証が見つかればその時点で仮説を棄却すればいいだけのことです。
仮説と書くと、日本語の語感から仮の物とか不安定で確からしくないものと解釈する人がいますが、それは科学というものに不勉強であるため起こる誤解です。
ゆえに、
>この100年間これと言った物的証拠も上がらない仮説進化論は仮説のままです。
これは明確に間違っています。
また、そもそも物的証拠はたくさんあるのですが、生物学をある程度学ばないと理解はできないことになっています。
>科学とは「数学的」である、と言っても良いでしょう
どういう意味で数学的と言っているのがわかりませんが、定量性を確保することは現代の生物学の基本であると思います。
また、集団遺伝学や分子進化学という分野は生物学のなかでも非常に数学的な分野です。
>このまま地球温暖化が進めば人間はやがて、首筋に恵良が出来て、手や足の指に水掻きが
>出来て、水で熱が奪われないように皮下脂肪が発達して、水陸両用の体になると思われま
>す。このような姿は少なくともマリンスポーツの好きなボクにとっては、あきらかに「進
>歩」の方向に進んでるように思えます。もちろん水の中では煮炊きは出来ませんから、生
>のままで、捕らえたその場で丸のみにして、しかも骨が喉につかえるなんて事も無いよう
>になってるのです♪
一瞬石塚英彦で「Water World」リメイクするんかと思った。
ようさんの読んだ本はwadjaも興味あります。できたら題名教えて。
×われは初代合衆国大統領なるぞ!→
○われは初代合衆国皇帝なるぞ!
>科学とは「数学的」である、と言っても良いでしょう。物の本には現在の学問で最も科学的なのは「経済学と心理学」とありました。極めて数学的である、と。
科学、と言えば自然科学しかない、と思うのがシロートのあかさかさ!
数学、って、少なくともついこの間までは、「人文科学」に分類されてなかった?
http://cheese.2ch.net/math/kako/964/964905757.html
もちろん、経済学も、心理学も、同種の、科学...。
したがって、よう さんは、正しい! (^_^;)/
>いたいたマルクスおじさんにダーウィンさん、
ね、ミエミエでしょ。.
ただ、愛さんが引用された「タイムトラベラーの苦悩」の箇所は少し「進化=進歩という誤解」の裏返しとしての「退化への恐怖」のにおいがするんだよね。
ちょっと前にP.D.Xさんが書いていたように、おそらくこの誤解は当時のイギリス社会に「」かなり一般的なものであったろうし、それを恐れていたからダーウィン(チャールズ)はじいさんのエラズマスが使っていた「進化」という言葉を避けようとしたんだろうけど
まあ、この手のフィクションに「科学的に正しくない」というツッコミは野暮だとは思うけど
それにしても貴女はえらい!ショーモない突っ込みに自分で本を買って読んで確認するとは!
>創造論が科学的であるわけないでしょ。でも聖書の主の言葉を信じています、それが信仰ですよ!科学的に正確だろうがなんだろうが信仰はぐらつきません(‘o‘)ノ私はクリスチャンです!
重ねて言います。貴女はえらい
>なんとか3rdさん→NORTON3rdさん
でした。してそなたは高貴なる家柄なるかな?
ああ、HNのことね。いえいえ、全然高貴な家柄ではありません。前も書いたけど、もう一度
HNの元になった初代アメリカ合衆国皇帝ノートン1世からして高貴な家柄ではなく、事業に失敗して頭がおかしくなり、突然、サンフランシスコの新聞社で「われは初代合衆国大統領なるぞ!」と言い出した浮浪者のおっさんです
ただ、彼はサンフランシスコの人気者になり、人々は彼に税金を納め、彼の発行する国債を買いました。20年の治世の後、崩御したときは、3万人の市民が葬列に参加しました。新聞の死亡記事の締めくくりは
「ノートン皇帝は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰も追放しなかった。彼と同じ称号を持つ人物で、この点において彼の右に出る者は 1人もいなかった」
http://lipz.oops.jp/archives/2005/05/post_48.shtml
はれー、これもだめだにゃ。
えとね、やふ哲カテの進化論トピ(4001)の投稿を指していますにゃ。
なんか、最後の二ケタが途切れちゃうみたいにゃんな
つっこみ、申し訳にゃー
以下が正確なリンク(のはず)だにゃ
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835217&tid=bf7a1a6bfj2bdoc0a4r8a1beza47a4dea47a4ga4a6&sid=1835217&action=m&mid=40
愛のつっこみ
通行人ですから
ホンジヤ
クハ72さんの雑談とこか大坂てつおさん、いたんだ葦さんとこに居ますから(‘o‘)ノ
さようならバイバイ
>以下のリンクは やふ でこのネタが話題になったときに僕が書いたもの。
リンクを開くと、「30万円以下の罰金に処する」と書いてあるんですが...
しかも、地下に眠るMさんの投稿では無いのですが...
ようさん、はじめまして。temaと申します。
>科学とは「数学的」である、と言っても良いでしょう。物の本には現在の学問で最も科学的なのは「経済学と心理学」とありました。極めて数学的である、と。
最も数学的な学問が最も科学的ならば、現在の学問で最も科学的なのは「数学」です。数学は定義上、これ以上無いほど数学的です。
現在の「人文系」の学問で最も科学的なのは「経済学と心理学」、ということであれば、そうなのかも知れません。
なお、「進化」とは環境に適応する方向への変化です。このため、「進化を極める」ということは、「環境にこれ以上無く適応する」ということです。
ところが、環境は変わるのです。このため、仮に現在の環境に対して進化を極めたとしても、春になって環境が変われば、進化する余地が作られるのです。
──どうやら、僕の想像は間違っていたようだ。
──変化のいらない所には、知性は生まれない。さまざまな要求と、危険に出会う動物だけが、知性をもつと言っていい。
だから、地上世界のひ弱な美しさのほうへ流されていき、地底世界の人間はただの働く機械になった。しかし、そういう完全な世界にも欠点があった─そう、永久につづきはしないということだ。
時がたつにつれて、地底世界の食べものが不足してきた。
──そして、食用の肉がなくなったとき、習慣で禁じられてきたものに目をむけた。
──人類の進化の果てに生まれたこの二つの人種は
──こみあげてくる恐ろしさから目をそらそうと、僕はこれを、人間の我が儘に対する厳しい罰だと考えた。
──人間の知性の思い描いた夢が、こんなに儚く消えたのかと思うと、僕は悲しかった。まるで知性の自殺だ。
──どうやら、ひとつずつの家庭というものが、なくなったらしい。
──「共産主義か。」と、ぼくはつぶやいた。
ふと、べつの考えも頭に浮かんだ。僕についてくる5,6人の小さな未来人を見たときだ。みんなが同じ服を着て、おなじように髭のない優しい顔をして、手足は女の子のようにふっくらと丸みを帯ている。
──男と女を区別する服や、体つきや、態度といったものが、未来人にはまるでなかった。いわば、男と女のちがい─性の違い─が見えないのである。
──のんびりとして安全な未来人の暮らしぶりを見ると、男と女が似てくるのはあたりまえだと思われた。男の強さ、女のやさしさ、家族制度、職業による区別といったものは、肉体の力がものをいった時代に、戦う必要から生まれたものだ。
──これは、そのとき想像したことにすぎない。やがて僕は、とんでもなく的はずれな考えだったと思いしらされることになった。
むかし、むかし、そらから銀色の船が降りてきた。
その船には、何人かの人が乗っていたとさ。
船が壊れたので、暫くそこに住む事にしました。
やがて、この惑星が気に入り、この惑星に永住しようと決めました。
その人達が最初の地球人になったとさ。
高度な技術で、動物もつくり、寂しくなくなりました。
その後、彼らの子孫が色んな場所に散って行きました。
いつしか、彼らは自分の先祖が別の星から来たことを忘れ、現在に至っている次第です。
めでたしめでたし。
進化を極めたとか聞くと、長谷川祐一の「マップス」に登場した銀河伝承族を思い出したり。
アレはスペース・オペラであって、ハードSFではないけど。
> 上記引用部一行目はクハ72さんの書き込みで、その前後に私の書き込みは無いのですが
申し訳ありません、間違えました。
自分でもなぜこんなミスをしたのかよくわからないのですが(元の書き込
みの前後にPDX. さんの書き込みはなく、当の書き込みの付近にも存在
しない)、お名前を間違えるという、初歩的で失礼なミスを犯してしまっ
たこと、伏してお詫び申し上げます。
# ……次から気をつけないとな。
To ゆんさん
>PDX> 生物は今の環境において適応しているんだから今の姿が「極め」とも言えますな。
>ゆん> 生物の進化はな、極めても極めてもまだまだ先があるんじゃ!
上記引用部一行目はクハ72さんの書き込みで、その前後に私の書き込みは無いのですが。
アーヴにしてくれぇ〜
えへへ。まさにそのネタでした。
少しアレンジしたのは、あの物語の場合、未来人は水の外では生きられないこと。それではちょっと悲しいから。
本当の人類の進化した姿はエイリアンかもしれないと思っています。
あれだけ異星や宇宙空間の環境に適応出来るって、まさに進化の究極かもしれない。ようさんはいやがるかもしれないけど...。
ウロオボエで物を書くとロクなことが無い
そう、ポール=クルーグマンでした。>流木先生
グーグルマンって誰だよ(恥)
>天海は明智ですかね
本能寺で死ななかったらしいです
本能寺で死んだといわれとるのは信長じゃ!
>このまま地球温暖化が進めば人間はやがて、首筋に恵良が出来て、手や足の指に水掻きが出来て、
>水で熱が奪われないように皮下脂肪が発達して、水陸両用の体になると思われます。
>このような姿は少なくともマリンスポーツの好きなボクにとっては、
>あきらかに「進歩」の方向に進んでるように思えます。
そんなおずおずさんにお薦めなのが安部公房の「第四間氷期」
「予言機械」なんてガジェットも出てきます。
>科学とは「数学的」である、と言っても良いでしょう。物の本には現在の学問で最も科学的なのは「経済学と心理学」とありました。極めて数学的である、と。
経済学と心理学って、むしろ現在の学問で最も科学的であるかどうか疑われることの多い学問のような気がするんですが。
(僕が疑っているわけではありません、念のため。)
確かに、経済学は数理モデルを使いますし、経済学も心理学も統計を使います。でもそれだけで数学的だと言えるなら、進化生物学だって数理モデルと統計を駆使してますよ?
反論とかは期待しませんが、「物の本」ってどの本かだけ教えてください。気になるので。
字の読めにゃーことがわかっているようくんを相手にレスした僕が悪かったにゃ。
まあがんばってくれ
*ようさん
>科学とは「数学的」である、と言っても良いでしょう。物の本には現在の学問で最も科学的なのは「経済学と心理学」とありました。極めて数学的である、と。
普通に科学の代表みたいにいわれるのは物理学だと思うんですけどね。
さて、「経済学は極めて数学的だから科学的」だとようさんはおっしゃったわけですね。では、ここ
http://cruel.org/krugman/evolutej.html
を読んでみて下さい。クルーグマンの「経済学者は進化理論家から何を学べるだろうか」という講演の邦訳が載っています。長いので一部を引用します。
>わたしは経済学者ですが、一方でいわば進化論おたくでもあるんです。つまり、かなりの時間を割いて進化生物学者の著作を読んでます――一般向けの本ばかりでなく、教科書や、最近では専門論文も。生物学者たちと話をしてみようとさえしたんですよ。学問タコツボ化の今日では、それだけでかなりの努力だと思いませんか。わたしが進化論に興味あるのは、一部は娯楽です。でも、自分自身の専門分野を新しい目で見るのに、進化生物学がなかなか便利な足場だというのも事実なんです。ある意味で、経済学と進化生物学の似たところとちがうところはどっちも、自分が経済学をやるときに何をやっているのかを理解する助けにはなるんです――大仰に言うなら、両分野の認識論に対する新たな視点を得るのだ、とでも言いましょうか。
>経済学の知識がある人が本気で進化生物学の本を読み始めると――そしてたぶんその逆の場合も――この両者が姉妹分野だというのにすぐ気がつくでしょう。ほんとうにすごく共通点があるんです。どんな問題をたてるか、ということや手法面だけじゃなくて、外部世界との係わりや、外からどう見られているかという点でも。
>目下の論点は、基本的な手法が同じではなくても似ているので、経済学と進化理論は驚くほど似ている、ということです。経済理論はしばしば、物理学から霊感を引き出すとされており、もっと生物学みたいになれと言われています。もしそうお考えでしたら、二つのことをやってほしいと思います。まずは進化理論の本を読むこと。たとえばジョン・メイナード・スミスの『進化遺伝学』とか。ミクロ経済学の教科書そっくりなので驚きますよ。第2に、単純な経済学上の概念、たとえば需要と供給を物理学者に説明してみることです。経済学者の思考様式すべて、個人の意志決定から全体の物語を構築するというやり方は、かれらの発想とはまるでちがうのがわかります。
> だから、経済学と進化論との間には、手法的にも、そして知的スタイルの面でもかなりの類似性があるんです。でももう一つおもしろい類似があります。経済学と進化論はどっちもモデル指向で数学偏重の分野でありながら、数学に耐えられないような人たちが大いに関心を持つ分野なんです。そして結果として、どっちの場合にも外の人が思っている(そして通俗書に描かれた)その分野像と、その実像とを区別するのがとても重要になります。
>進化論の本当の成果を読むのは――たとえば、ジョン・メイナード・スミスの『進化論とゲーム理論』やウィリアム・ハミルトンの新刊論文集 Narrow Roads in Gene Land を読むのは、それまで進化論について雑誌記事や通俗書からしか知らなかった人にとっては、驚愕する体験です。この分野は、聞いていたお話とぜんぜんちがうんですから。実際にそれがどうかといえば、驚くほどいろんな点で――あえて言うべきでしょうか?――新古典派経済学そっくりなんです。
ちなみに、ポール・クルーグマンはその辺のどうでもいいようなケチな経済学者ではありません。
天海は明智ですかね
本能寺で死ななかったらしいです
*ようさん
>●流木さん
>腕とは別に背中から羽根が生えているなんて生き物は突然変異でも誕生はしないでしょう。
>何故そう言い切れます?生命細胞を発端として現在に至る訳でしょう。
「でしょう」というのは「言い切」ったことになるんですかね。先のように私が考えたのは、突然変異では、あらゆる変化が可能なわけではなく、胚発生の過程で可能なものに制限されているからですよ。粘土をこねるみたいに、何でもかんでも変われるわけではないのです。
>ご説明は理解しました。しかし、そんな「日焼け程度」のたとえ話は突然変異とは考えにくい。
突然変異で体色が変わったことのどこが「日焼け」なんでしょう?日焼けは子孫に遺伝しませんよ。あなたがいくら日焼けしたところで、あなたの子孫が日焼けしてうまれてくるわけではありません。体細胞の突然変異は遺伝しません。遺伝するのは生殖細胞の突然変異です。あなたが「突然変異とは考えにくい」とおっしゃろうとも、突然変異とはそういうものです。なお、色ではなく、形で周囲に溶け込んで捕食者から見えにくくなっても、先の説明は同様に成り立つことはおわかりになりますか。
あなたは、「周囲の環境に適応して突然変異が起きると進化論では説明している」と信じておられたわけですが、それでは進化論の基本的な枠組みもまるでわかっていないといわざるを得ません。
>ヒトゲノム解析が済んでも、この100年間これと言った物的証拠も上がらない仮説進化論は仮説のままです。
あらゆる学説は仮説です。仮説でない科学上の学説があれば示して下さい。進化論にこれといった物的証拠がなかったら、科学者はとっくの昔に進化論を捨てていますよ。もう少し真面目に調べられた方がよくはありませんか。
>科学とは「数学的」である、と言っても良いでしょう。物の本には現在の学問で最も科学的なのは「経済学と心理学」とありました。極めて数学的である、と。
進化論が数学を使っていないとでもお考えなんでしょうか。
>生命進化の数学上の確率、低すぎませんか余りにも。まあ、この辺は突っ込まれても反論は出来ませんが。
あのですね、確率が低過ぎる云々と数学を使っているというのは同じなんですか。どういうロジックなのか全然わかりません。数学を使って進化しているわけじゃありませんよ。進化を数学で扱えるかどうかです。
>そうであれば、「創造論批判」ではなく、キリスト教徒批判ですね。土台議論に成り得ないのですよ。
創造科学に対する批判です。キリスト者にとって聖書が正しいのは当然でしょう。しかし、「聖書の創造説は科学的に正しい」としているのは、キリスト者の一部に過ぎません。あなたは創造説と創造科学との区別がまだつかないわけですか。
「ようさんの読んだ進化論の参考書の書名を教えてください」
という、私の質問には何故答えていただけないのですか?
たった1行書くだけなのに。
PDX> 生物は今の環境において適応しているんだから今の姿が「極め」とも言えますな。
ゆん> 生物の進化はな、極めても極めてもまだまだ先があるんじゃ!
これはね、全然文学的な表現じゃないんですよ。
進化論をちゃんと把握していることなら、これがようさんの最初の発言に対応した
一種の冗談のやり取りだと、わかるんです。それがわからなにことからしても、
やっぱりようさんの進化論理解は怪しいと思わざるを得ない。
このまま地球温暖化が進めば人間はやがて、首筋に恵良が出来て、手や足の指に水掻きが出来て、
水で熱が奪われないように皮下脂肪が発達して、水陸両用の体になると思われます。
このような姿は少なくともマリンスポーツの好きなボクにとっては、
あきらかに「進歩」の方向に進んでるように思えます。
もちろん水の中では煮炊きは出来ませんから、
生のままで、捕らえたその場で丸のみにして、しかも骨が喉につかえるなんて事も無いようになってるのです♪
●ミケさん
>聖書が科学的に正しく、進化論は科学的に間違いだという主張は
科学的に検証された結果、間違いであることが既に明らかになっています。
「仮説」でしかないのに「明らか」ですか?(笑)乱暴ですね。貴方の進化論擁護は反対の作用を呈しているように思います。
>“データの追加による検証”の態度がダメダメなのです。
検証手続きがダメ?検証していない? ・・・「態度」って?やる気がなさそう、とかかな。
●M
>進化を極める、って言明は、「万物流転を極める」という言明と同じ構造の間違いだにゃ。
進化論のいう「進化」というのは「変化」という以上の意味はにゃーのだよ>よう
科学史を少しおさらいするが良い、とご忠言申し上げる。進化論が出る前にすでに「進化の概念」はあったのだ。単なる変化ではない。現在と未来が過去よりも「より良い」とするのが「進化論」と呼ぶ所以。進化の終着点の有無は人類には判らない事。故に、「進化」と「万物流転」を同位に用いるのは、「レトリックのすり替え」である。
しかし、貴方の書き込みは内容に乏しい。詭弁に過ぎない。いや、言葉遊びか。言葉遊びは嫌いではないが、貴方のはサムイ。しかも今どき「フロイト」とは時代錯誤も甚だしい。
●流木さん
>腕とは別に背中から羽根が生えているなんて生き物は突然変異でも誕生はしないでしょう。
何故そう言い切れます?生命細胞を発端として現在に至る訳でしょう。
ご説明は理解しました。しかし、そんな「日焼け程度」のたとえ話は突然変異とは考えにくい。
ヒトゲノム解析が済んでも、この100年間これと言った物的証拠も上がらない仮説進化論は仮説のままです。世の中に「当たり前」は無いでしょう。科学とは「数学的」である、と言っても良いでしょう。物の本には現在の学問で最も科学的なのは「経済学と心理学」とありました。極めて数学的である、と。生命進化の数学上の確率、低すぎませんか余りにも。まあ、この辺は突っ込まれても反論は出来ませんが。
>キリスト者は聖書に書いてあることは絶対に正しい、神様の永遠の真理だと主張しているわけですね。
そうであれば、「創造論批判」ではなく、キリスト教徒批判ですね。土台議論に成り得ないのですよ。
ようさん
あまり予想通りの返事をしないように。で、私も用意しておいた返事をしましょう。
丁寧語や敬語を用いた文体、それはなるほど「誠実さ」を表しているように見えます。しかし、そうした言葉づかいは「搾取」や「悪意」、「不誠実さ」を包み隠すオブラートになり得るものです。あなたはだいたいにおいて、敬語を使用し「丁寧なように見える」文体で主張してきた。それは認めましょう。しかし、その発言内容は、対話の意思や知識に対する真摯さを微塵も感じさせない「垂れ流し」に過ぎない、と見ています。
無論、私は怒っているわけでもないし、激昂しているわけでもない。単に、呆れた相手に対して口語体で書いているのですが、適当とは思わないけれど、あなたに対して「失礼にあたる」とは少しも思いません。理由は云うまでもないでしょう。(分からないのはあなただけでしょうが)
たとえば「2ちゃん語」でも「ギャル語(死語)」でも「江戸弁」でも「関西弁」でもなんでもいい。議論において重視されるのは、そうした「文体」ではなく、その内容です。なにか新しい概念や一般通念・通説と異なる主張を行う際には、そのソースを示すべきだし、自己の主張が「間違っているかも知れない」ことを常に念頭に置き、ある主張には必ず反論が存在するだろうし、それが科学的言明であるのならば、完膚なくまで反証される可能性があることを自覚しなければならないでしょう。
まだまだありますが、ようさん、あなたにはそうした知的誠実さが少しも感じられない。私は、そういうひとに対して文語や敬語で接しようと思わないだけのことです。
#丁寧語の奥に潜む怠惰というものが、私は大嫌いなんだ。
#そんなのに比べたら、ただの荒らしの方が「真摯だ」とさえ思うね。
*ようさん
>流木さん
> 進化論では生物がどのように進化するのかを予想しません。突然変異は原理的に予想できませんし、突然変異が起きたときの状況も予想できないからです。
学説としての予想をお聞きしているのではなく、一体人間が進化を「極め」たらどういう状態なのだろう、との想像です。
改めていいますが、進化=進歩ではありません。進化には決まった方向があるわけではありませんから、進化を「極めた」状態というのもありません。この世が終わるまで進化は続くでしょうが、そのとき、生物がどんな姿やどんな習性を身につけているのかは今の時点ではわかりません。
>突然変異の前に、自然の変化があって適応があるのではありませんか?
違います。突然変異が自然選択よりも先にあります。例えば、ある種類の昆虫が茶色かったとしましょうか。その中で、突然変異によって平均よりも黒っぽい個体(進化はあくまでも個体のレベルでの話です)が生まれたとします。また、同じく突然変異によって平均よりも白っぽい個体が生まれたとします。このとき、これらの昆虫が暮らす環境が以前より黒っぽくなれば、平均よりも黒っぽい個体は確率の問題として捕食者(鳥など)から見つかりにくいといえます。一方、白っぽい個体は見つかりやすいといえます。そうした状況では、黒っぽい個体の子孫はその種の中で広まっていけますが、白っぽい個体の子孫は広まっていけないでしょう。そういう状況が続けば、その昆虫は平均して以前より黒っぽくなっていくと考えられます。
しかし、逆に、周囲が白っぽくなれば、白っぽい個体の子孫が広まっていくわけですよ。ようさんのお考えだと、「周囲が黒っぽくなったから、黒っぽい個体が生まれる」とか「周囲が白っぽくなったから、白っぽい個体が生まれる」とかいうことになるんでしょうが、突然変異と自然選択で生物の進化を説明する場合は、私がいま述べたように、「黒っぽい個体がたまたま生まれ、周囲が黒っぽくなれば(「黒っぽければ」でも同じことですが)、その黒っぽい個体の子孫は集団の中で広まっていく」し、「白っぽい個体がたまたま生まれ、周囲が白っぽくなれば(「白っぽければ」でも同じことですが)、その白っぽい個体の子孫は集団の中で広まっていく」ということです。
>そうであれば、どのような変化と適応なのかは単純に連想致しますけれども。
ということなので、「どのような変化と適用なのか」を「単純に連想」することは誰にもできません。むろん、突然変異といっても、どんな風にでも変われるわけではなく、変われる可能性がある中で変わるわけです。例えば、絵画で描かれている天使のように、腕とは別に背中から羽根が生えているなんて生き物は突然変異でも誕生はしないでしょう。
>因みに私、自然科学には門外漢ですから、どちらの学説支持などとは申し上げられません。
門外漢だと自覚しておられるのなら、せめてまともな入門書や啓蒙書を読みましょう。上記のように、あなたは突然変異と自然選択との関係という進化論の基本的な枠組みについて理解しておられなかったわけです。これでは、いくら「本を読みました」といわれても、「ちゃんと読んだんですか」とか「ヘンな本を読んだんじゃありませんか」とか疑念を招くのは当然のように思えます。
>しかし、聖書に書いてあるから、と言う理由で「科学」からはずす事は、論理的ではない、と思います。問題は「合理的な説明」と言う事でしょう?
「聖書に書いてあるから」という理由で「科学的ではない」といっているのではないんですよ。キリスト者は聖書に書いてあることは絶対に正しい、神様の永遠の真理だと主張しているわけですね。しかし、「科学的」というのは、何かの証拠が出てきたら、間違いになるということなのです。
聖書の教えが神様の永遠の真理であって、絶対に間違いがないものなら、それは「何かの証拠が出てきたら、間違いになる」可能性があるんでしょうか。ありませんよね。聖書にかかれていることに絶対に間違いがないなら、間違う可能性はありません。そして、間違う可能性が全くないのなら、それは科学的とはいえないんですよ。「聖書の教えが科学的に正しい」としたら、聖書の教えは何かの証拠が出てきたら、間違いになるわけです。「いいや、聖書の教えは絶対に正しく、間違うことなどあり得ません」ということなら、聖書の教えは科学的じゃないんですよ。間違う可能性がないものを科学的とはいいません。
この点については、しばしば誤解があります。私のサイトのここ
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/kgh_sb1.html
で詳しく取り上げていますから、よかったらご参照下さい。
アルチューハイマーにゃんこですにゃー。
エレクトへのツッコミには、黒い優しさを感じて目頭が熱くなりましたにゃ。
つれづれと
無神論とか唯物主義ってのは実に倫理的な立場だにゃ。
ちゅうか、信仰に基盤をおかにゃー思想的立場はあり得ても、倫理と無関係な思想的立場はあり得にゃー。
フロイトのモデルを用い、神を「超自我」と読み替えれば、
神を信じないものは非倫理的という結論を導くのは当然のことにゃんね。
進化を極める、って言明は、「万物流転を極める」という言明と同じ構造の間違いだにゃ。
進化論のいう「進化」というのは「変化」という以上の意味はにゃーのだよ>よう
ええい、ついでに偽長坂クンへのレスも書いちゃえ。
3、4,5の質問は僕に言わせれば同一のことにゃんよ。
以下のリンクは やふ でこのネタが話題になったときに僕が書いたもの。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835217&tid=bf7a1a6bfj2bdoc0a4r8a1beza47a4dea47a4ga4a6&sid=1835217&action=m&mid=40
創造論が科学的であるわけないでしょ。でも聖書の主の言葉を信じています、それが信仰ですよ!科学的に正確だろうがなんだろうが信仰はぐらつきません(‘o‘)ノ私はクリスチャンです!そうそう、聖書では将来人間は超人になりイワユル栄光の体になりますと書いてあります、進化かどうかは知りませんが…死なない、老化しない、腐らない、霊と肉が一致するらしいのですがちなみに空も飛べるそうですからタケコプター要らないですね簡単にイメージすると将来の人間はオバQちゃんみたく、消えたり飛んだりできるしラーメン50杯は無理でも49杯は〜おやすみなさいムニャムニャZZzz。。..
論理的かつ合理的であることは“当たり前”なことです。
それは科学の条件ではなく会話の条件です。
科学ではさらに“データの追加による検証”が必要とされます。
『創造論が科学的に正しい』と主張する御仁にはこの“データの追加による検証”の態度がダメダメなのです。
故に彼らの主張は科学的ではありません。
仮説を検証しようとする態度がないならば科学ではありません。
聖書の記述を科学的に間違っているかどうか検証するのであれば科学です。
聖書が科学的に正しく、進化論は科学的に間違いだという主張は
科学的に検証された結果、間違いであることが既に明らかになっています。
いやはや、感情的ですねぇ。論理的に穏やかにと願っていましたが、残念です。
ゆんさん
>生物の進化はな、極めても極めてもまだまだ先があるんじゃ!
これは「科学的」なご発言とは受け取れません。極めて「文学的」表現ですね。
宇宙には終わりがあるかもしれないが、進化は終わらない(笑)。
人間が進化してきて、これからも進化するのであれば、どこへ向かうのかを考えるのは至極当たり前のこと。
何度も申し上げますが、私は進化論・創造論のどちらにもつきません、仮説である以上。私なりに「学説」を咀嚼したい、と申し上げている。故に「進化論が当たり前」で過ごしてきましたから、進化論にも疑いを持ってこれから当たる、と言う事に過ぎません。これが私にとっての「当たり前」の姿勢なのです。(ビッグバン、と言う言葉も当たり前ですから、学界では否定的?なのでは、と申し上げたまで。ご指摘には恐縮しますが、私の意見の本質ではありませんので)
ミケさん
申しわけありません、貴方の私宛の書き込みは意味不明と引用が多いので読みませんでした。
大文字ナン さん
誰が何を言おうが、「仮説の合理性」が問題である、と申し上げています。お判りですか?
仮説のために前提条件として聖書の記述を持ってきてはいけない理由は無いでしょう。それに対して「合理的説明」を成すか否か、です。
目指すべき頂上は「真理・絶対法則」なんですよ。どこから登っても良いではありませんか。貴方の誹謗中傷は今回ので最後にしてください。その激高ぶりはまさに宗教運動家のそれのようです。進化論支持者にとってもプラスには働きませんよ。老婆心ですが。
さるひとさん
>だったら聖書にも仏教にも近づくのは止めときます
それはいけません。文化・歴史に対して「思考停止」と言う事になってしまいます。宗教が厭、戦争が厭なら、よく知るべきです。
なんとか3rdさん→NORTON3rdさん
でした。してそなたは高貴なる家柄なるかな?
あき様、ツッコミありがとうございます。そうなんだ!大勘違いでした。検索して勘違いしちゃいました。時をかける少女筒井康隆氏原作なんですね。
失礼しました。(‘o‘)ノ
再び読み返して、感想文は後ほど〜なんちゃって
良かったですよ。いたいたマルクスおじさんにダーウィンさん、本当なんとか3rdさんの仰る通りですよ。納得おやすみなさい(‘o‘)ノZZzz。。..
>あれね…タイム・マシンネタって結構ありますね。戦国自衛隊、時をかける少女(原題タイム・トラベラーの)、タイム・トンネル、それにドラえもん
私がつっこむことを期待している人がいると思うので書き込みます。
筒井康隆著の「時をかける少女」の題名は、同じ「時をかける少女」です。「タイム・トラベラー」は「時をかける少女」を原作としたNHKドラマ、(少年ドラマシリーズ)の題名です。ちなみに脚本は石山透です。
とかいうとなおさらそれっぽいかも。
生物は今の環境において適応しているんだから今の姿が「極め」とも言えますな。
某掲示板でお世話になっております、アニメ好きのクリスチャン愛です!
アブラハムとセムの接点知らないんですか。内緒で教えちゃいます、此処だけの話しですが…ボソボソです!
・ぅん?
・だから…サレムの王メルキゼデクがセムだとペンテコステで聞いた事ありますよん、だ。確証はありませんが、確か
アダムとエバの骨をサレム(後のエルサレム)近郊の洞穴に埋め、エレミヤが契約の箱を同じ場所に隠し、その上でキリストが血を流し、つまりはゴルゴダの丘の下にアダムとエバの骨と契約の箱があって、メルキゼデクさんの仕業でキリストが血を流したんだとさ。凄い、マジならスゴ過ぎる、現在考古学者が調査中との情報です!本当かな?とにかく、セムがメルキゼデクです!これ本当。
びっくりヒャックリです!
あれね…タイム・マシンネタって結構ありますね。戦国自衛隊、時をかける少女(原題タイム・トラベラーの)、タイム・トンネル、それにドラえもん
デルデルデルモンテです!
http://homepage2.nifty.com/osiete/seito179.htm
映画はや回しで見たけれど、やっぱり小説をジックリ今晩読んでみます。
さあて、スタート!
マルクスさんとダーウィンさんネタを探してきます。
タケコプターが欲しいです!誰か作って飛んでください!あるいは重力切断装置付きベルトなんか洒落てますね。今の科学なら造る気さえあれば、出来るんでしょ?!
>進化論を考えると「優劣意識と差別」は避けて通れませんね。しかし、このお考えは「近代」そのものですから・・・、今の日本でも民主主義・資本主義国家として「勝ち負け」は致し方のない事でしょう。
進化論を共産主義だと言う人もいるんですけどね。
ところで寿命で思い出したけどこんなページもあるよん。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_adam.html
>>聖書であれ、仏教であれ、人間は愚かであり煩悩・欲望の沼におぼれる存在のようであります。私もそのように考えています。
>だったら聖書にも仏教にも近づくのは止めときます。
煩悩・欲望の沼におぼれる存在じゃからこそ、ニンゲンは素晴らしいんじゃないかとかっこいい事を言ってみる今日この頃・・・
ようさん
>進化論を考えると「優劣意識と差別」は避けて通れませんね。しかし、このお考えは「近代」そのものですから・・・、今の日本でも民主主義・資本主義国家として「勝ち負け」は致し方のない事でしょう。
どれかひとつでもまともな本を読んでいる、あるいは、真面目に物事に取り組んでいるなら、こんな「寝ぼけたじいさんでも云わないようなこと」を云い出すはずがないんだよね。ていうかね、ようさんみたいな「完全なる誤解」をしていて、しかも、その自覚を持っていないようなひとが差別だとか宗教的弾圧を平気でやるわけ。分かる?(いや、分かるはずないと思うけれどね)
でさ…
>専門的な事は判りませんが、何をもってそう仰るのでしょう?
私だって専門家じゃない。それでも、本当になにかひとつでも「まともな啓蒙書」を読んだのなら、ようさんみたいな理解は「あり得ない」と思う。専門家じゃないとか関係ないだろう?専門書を読もうって話じゃないのね、万人向けに書かれた「分かりやすい本」を読もうって話なわけ。
>しかし、聖書に書いてあるから、と言う理由で「科学」からはずす事は、論理的ではない、と思います。問題は「合理的な説明」と言う事でしょう?
いや、ホント呆れる。
逆だろ?創造科学論を支持する立場ってのはね、「聖書に書かれている」ってことを「絶対の根拠」にするところが科学じゃないんだよ。いいかい?聖書に書かれている言葉のすべてを「逐次的に、絶対的に」事実だ、とする立場のどこが合理的なのさ?
聖書に書かれている言葉は「事実かも知れない」だからそれを検証し、確かめてみる、というのは「科学」なの。結果、事実が聖書の記述と食い違っていることが分かったのであれば、「事実に従う」ことが科学の作法なの。いい加減それくらい分かったらどうさ?
>一体人間が進化を「極め」たらどういう状態なのだろう、との想像です。
ははは…。
進化は「極め」ようがないの。そしてね、「進化を極める」なんていう「完璧すぎる間違い」を想像しているようなひとが優劣主義や差別に陥るの。つまり、あなた。
ついで…
>今の日本でも民主主義・資本主義国家として「勝ち負け」は致し方のない事でしょう。
まさに「幻想」だな。いったいなにを見てるんだ?
>「寿命900歳」ってとんでもない数字ですが、「DNAの欠損」が無ければ寿命は長かったかもしれない、と言う説もあります。
縄文杉じゃあるまいし、
I.アシモフの科学エッセイの中の文章を引用しようかのう、
以下より引用
事実、創世記の第五章に伝わる族長たちの長寿は、年と朔望月とを混同したために生じたのではないかという推測もある。たとえばメトセラ(九六九歳まで生きたとされる)は九六九ヵ月生きたのだと仮定しよう。これならやっと七九年であり、ごく穏当な数字になる。
引用終わり
ハヤカワ文庫 アイザック・アシモフ 時間と宇宙について 17頁より
昔は一年を測るのはなかなか難しいからな、「DNAが欠損しない」と言う仮定よりは大分ありそうな仮定じゃと思うな。
それに当時じゃったら79年も生きられたら大したもんじゃな。
丸善で偕成社文庫版タイム・マシン完訳買ってきました。
DVDも借りてきたばかり、新作と旧作をこれからジックリと研究します。その前に、夕食とお風呂だい!
ホンジャまたね。
>社会道徳が信仰に基づくって言うのは、倫理というもの自体が究極的には根拠を持たない判断基準であり、
>何らかの道徳を信奉する事自体が信仰であるって意味で、
>別に信仰は宗教の専売特許じゃないと言いたいのよ。
一般的には「信仰」という言葉はかなり限定的な使い方をする。
「匿名希・望 」氏の使い方は粗いと思う。
「根拠を持たない判断基準」だからとりあえずあるものを選択するという考え方もある。
ある行動原理を「信奉する」ことと「選択する」ことは同じではない。
道徳的に振舞う人間が必ずしも体系的な倫理観を持っているとは限らないのではないか。
また「自分の道徳的基盤は何か」なんて突き詰めて考える人間は少数派ではないのか、
>いいえはじめましてですけど…
たぶん、何方かとゴッチャニのチンプンカンプンスットントンなのだと思います。
(‘o‘)ノ
失礼しました、最近アルチュウハイマー病の進行が早くて・・・
>あとで、普及版買ってきます。創元推理文庫かなあ。では、また後で…。
買わなくっても、今は新訳をwebで只で、読めますよ
http://www.bauddha.net/time_machine/index.html
訳は山形浩生さん、それにしてもグーグルマンからルイス=キャロルまで見境無く何でも訳す人だなあ
まったくもって、どうでもいい話ではあるのですが、
ホーキング博士の逸話は、結局何だったのでしょう?>ようさん
やっぱりガモフ?
それともルメートルの話だったのかしらん。
> ゆんさん、一応読みましたよ。専門的な事は判りませんが、何をもってそう仰るのでしょう?
ようさんの読んだ本の書名を教えてください。
何をもってそう判断したかということですが、
まともな進化論の参考書を
読んで進化論のアウトラインをつかんだなら、
>進化論支持の皆さん、
>人間は進化して究極、どのようになると想像されているのでしょう。
ふつう、こんなおかしな発言は出てこないからなのです。
可能性としては、ようさんが本を読んでいないか、
ようさんがおかしな本の読み方をしているか、
そもそもおかしな本を読んでいるかのどれかだと推測した次第です。
>引用先のHPの記述を引用します。
「馬から落馬」みたい。。。見苦しい文章ですみません。
>しかし、聖書に書いてあるから、と言う理由で「科学」からはずす事は、論理的ではない、と思います。問題は「合理的な説明」と言う事でしょう?
1月28日(土)23時44分45秒 の投稿を参照のこと。
>>ある仮定条件を基に、合理的で矛盾のない説明が出来るかどうかが、「科学的」と言う事ではないでしょうか、実験が出来ないのだとすれば。
>いいえ違います。以下のページが参考になるでしょう。
>http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/thinkforscitop.html
>“証拠に矛盾しない仮説”は、『神がそのように見えるように創った』をはじめとしていくらでも導けます。
>データの追加によって仮説を検証するという行為がなければ科学とは言えません。
創造科学にそのような態度は見られません。
ただHPのアドレスを引用しても読んでもらえないようなので、
引用先のHPの記述を引用します。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/what-sci.html
>では、次ぎのことは正しいでしょうか?。
>科学とは論理的で矛盾がないことである
>これは明らかに不十分な考えであるように思えます。なぜか?。今度はそれを考えてみましょう。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/what-sci02.html
>:矛盾がないだけでは基準としてはあまり訳に立たない
>でも・・・本当にそうなのかな?、そう思う人はいませんか?。では次ぎの仮説を考えてみましょう。
>”全知全能の神が世界を創造した”
>”全知全能の神が30分前に世界を創造した”
>”全知全能の神が5分前に世界を創造した”
>↑以上、これらの仮説に矛盾はありますか?。ないはずです。
(中略)
>矛盾のない仮説や結論が無限にあるのだから、論理的で矛盾がない、という基準はまるで(あるいはたいして)役に立ちません。
>論理的に矛盾がない、だけでは仮説は選べない。
>では科学ではどういう基準で仮説を選ぶのでしょう?。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/what-sci03.html
>科学でもこうした基準、つまりシンプル・イズ・ベストで仮説が選ばれることが圧倒的に多いように見えます。ではシンプル・イズ・ベストとはなんでしょうか?。それはつまり
>余計な仮定(あるいは仮説を成り立たせるための前提)が少ない
(中略)
>しかしながらこれはあくまで”証拠から導き出された幾つもの仮説からどれを選ぶか?”ということでしかありません。シンプル・イズ・ベストという基準で選びだされた仮説は、他よりもよさそうだという理由で選ばれたわけですが、それで正しいというわけではありません。
>それなら、科学では仮説を選んだ後、どうするのでしょう?。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~hilihili/science/what-sci04kenshou.html
>科学では検証という手続きが非常に重視されます。
(中略)
>でもここでとどまらないのが科学です。科学は選んだ仮説が妥当なのかどうか、それを果てしなく確かめる作業ですし、これが他の学問と大きく違うところです。
>ではこの仮説というかグラフが妥当なのかどうなのか?。それを確かめるにはどうすればいいのでしょう?。
(中略)
>このように、新しいデータが仮説を支持するのかしないのか?、それを見ることで最初の仮説の確からしさを確かめることができます。こういう作業を検証といいます。
>では検証が終わったらそれでいいのでしょうか?。いやそうではありません。仮説の検証は果てしなく続きます。例えば2000年あまり信じられてきた天動説は地動説にとって代わられました。2世紀以上のあいだ信じられてきたニュートン力学も最終的にはアインシュタインの相対性理論にとって代わられました。信じられてきた、あるいは支持されてきた年代に関わりなく、検証は続くのです。
ただの引用は楽チンでいいや。
いいえはじめましてですけど…
たぶん、何方かとゴッチャニのチンプンカンプンスットントンなのだと思います。
(‘o‘)ノ
具体的にタイム・マシーンの何処が、マルクスさんとダーウィンさんなのか教えて下さいませ。あとで、普及版買ってきます。創元推理文庫かなあ。では、また後で…。
ゆんさん、一応読みましたよ。専門的な事は判りませんが、何をもってそう仰るのでしょう?
>「無心論者=道徳の欠如した者」という見方もできるなあ。
少々、受け取り方が違うと思います。国や民族によって倫理・道徳観と言うのは違いがあると思いますが、文化文明から宗教的なものをはずして考える事などナンセンスな事です。
倫理道徳と言うのはまさに東洋的で、人間が作ってきたものだと思います。仏教と儒教で。しかし、西洋のそれは根本に「掟」があるのですね、契約が。この契約概念がまさに「近代国家を成立せしめる要因の一つでもありますね。
流木さん
> 進化論では生物がどのように進化するのかを予想しません。突然変異は原理的に予想できませんし、突然変異が起きたときの状況も予想できないからです。
学説としての予想をお聞きしているのではなく、一体人間が進化を「極め」たらどういう状態なのだろう、との想像です。突然変異の前に、自然の変化があって適応があるのではありませんか?そうであれば、どのような変化と適応なのかは単純に連想致しますけれども。
因みに私、自然科学には門外漢ですから、どちらの学説支持などとは申し上げられません。しかし、聖書に書いてあるから、と言う理由で「科学」からはずす事は、論理的ではない、と思います。問題は「合理的な説明」と言う事でしょう?
JA50さん
>それって人間として劣っていると自ら宣言しているようなもんだと思うぞ。
聖書であれ、仏教であれ、人間は愚かであり煩悩・欲望の沼におぼれる存在のようであります。私もそのように考えています。しかし「優劣」の問題ではありません。心の中のもんだですから、他人と比べようが無い事柄ですね。正直申し上げて貴方は「他人よりも優っている」とお考えのようにお見受けします。進化論を考えると「優劣意識と差別」は避けて通れませんね。しかし、このお考えは「近代」そのものですから・・・、今の日本でも民主主義・資本主義国家として「勝ち負け」は致し方のない事でしょう。
愛@通行人なのにまだいるわたし さん
西洋人の「未来」はいつも暗いですね。「猿の惑星」然り。
愛様、はじめまして、(かな?、クハ72さんの旅ノートで話したかも知れん)
>SF小説の祖H.G.ウェルズの「宇宙戦争」や「タイム・マシーン」等が最近リメイクされて再評価されておりますが…特に後者は進化的未来世界を予言した話は有名です。百年前に、人類の行く末を推論された、ウェルズ氏も多少の変更は現代的視点からすると否めないですけど、全体的には彼の未来世界への感覚は素晴らしいものがありますね
っていうか、あのお話、今になってみるとH.G.ウェルズ(1866-1946)がダーウィン(1809-1882)とマルクス(1818-1883)から大きな影響を受けている(正しく理解していたかはともかく)のがモロにわかるんだよね
無神論者は道徳欠如者だと思っているような人間ってのは、自らが神様に見張られていないと道徳欠如者になってしまうと認めていることじゃないか。
それって人間として劣っていると自ら宣言しているようなもんだと思うぞ。
倫理的でないと誰かに罰せられるから倫理的な人間にあろうとするとか、あるいは倫理的であると神様に誉められるから、あるいは天国に行けるからなどと思って倫理的にあろうとする人間って、なんだかなぁ、、、
それって倫理的なんか?
倫理の起源自体は、宗教のそれよりも古いんでないかと思います。
たぶん、まだ人間が言葉を持たなかった頃から、倫理と呼べる物
は存在したはずで、一種の社会生活を行う生物には、それは自然
発生的に見られるものなんでないかなあと思う。
今気づいたけど、キリスト教のがちがちの原理的創造論者(実際に
6000年前に神の創造があったと主張する人々)の立場からすると、
まず宗教が先にあって、道徳がその後を追いかけてくるという世
界観は、至極当然のように導き出されるんですね。まず神がおわ
して、道徳は神の示す道なのであるから、そりゃ「無心論者=道
徳の欠如した者」という見方もできるなあ。
ようさんはまず、ドーキンスでもグールドでも、河田先生の本↓
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/
でもいいから、進化論の解説書を一冊読んで、「進化論は何を主張
して何を主張してないのか」くらい把握して来てください。
皆様は竹内文書を知ってますか?
まぁ、疑書の可能性が高いですがね
社会道徳が信仰に基づくって言うのは、倫理というもの自体が究極的には根拠を持たない判断基準であり、
何らかの道徳を信奉する事自体が信仰であるって意味で、
別に信仰は宗教の専売特許じゃないと言いたいのよ。
*ようさん
>「道徳」とは読んで字の如く、宗教用語でありましょうから、
カントは宗教と道徳とを分離しましたが?
>無神論・無宗教者は何に依拠しているのでしょうね(笑)。
無神論と無宗教とは同じじゃないでしょう。あれこれおっしゃるのであれば、それこそ「切実さ、真摯さが必要」なのではありませんか。
ちなみに、動物の世界にもある種のルールがあるのはご存じでしょうか。
>進化論支持の皆さん、
人間は進化して究極、どのようになると想像されているのでしょう。
進化論では生物がどのように進化するのかを予想しません。突然変異は原理的に予想できませんし、突然変異が起きたときの状況も予想できないからです。
なお、「進化論では生物がどのように進化するかを予想できないから科学ではない」みたいな、予想の意味がわかっていないアホな批判は聞き飽きています。
SF小説の祖H.G.ウェルズの「宇宙戦争」や「タイム・マシーン」等が最近リメイクされて再評価されておりますが…特に後者は進化的未来世界を予言した話は有名です。百年前に、人類の行く末を推論された、ウェルズ氏も多少の変更は現代的視点からすると否めないですけど、全体的には彼の未来世界への感覚は素晴らしいものがありますね。
簡単にストーリーをダイジェストに書きますと、
タイム・トラベラーが人類初のタイム・マシーンを完成させ、未来の世界へ〜
そこは、想像を絶する…平和な楽園と化した地球であった、かに見えた。しかし、実は人類は恐るべき科学力を産みだし、核戦争を思わす全面戦争により、滅びた後で長い時間をかけて
家畜化したエローイと地下帝国を築き人肉を糧とする怪物モーロックに二分して進化してしまっていた。
神ならぬ青年は悩みながらも、過去に戻ろうと奪われたタイム・マシーン奪還の為に怪物たちと猛然と闘う。武器は鉄の棍棒と僅かなマッチと樟脳だけ、あとは手足と歯とあらん限りの知恵を駆使して立ち向かい、とうとう恋人になったエローイの女性も失うが
ついに、タイム・マシーンを取り戻し、波乱万丈の末に、更に未来へ〜そこに見た地球は既にエローイもモーロックも絶滅した太陽も終末期を迎えた世界だった。
疲れ果てた青年は
長い長い旅を終えて、百年前の自宅のあるロンドンに戻り
これまでの驚くべき経緯を友人たちに話すが誰にも信用されない。最後に恋人からもらった、未来の不思議な花の枯れたものを最後に…再び彼は旅立つ。愛の為に恋人を救うためだけに、残された花は何を物語るのか。
人類の未来の進化の参考になさって下さいませ。私は思います。やはり、どんな姿になっても
最後に残るのは「愛」だと…
勿論、言論弾圧はもってのほかです。しかし「言論の自由」を振り回して茶化す自由、何をしても良い自由などは、とどのつまり「虚無」に陥るしかないのです。
冒涜を承知で糾弾するのであれば、その切実さ、真摯さが必要でしょう。
>無神論者には道徳的基盤がないと言いたいのかと...
「道徳」とは読んで字の如く、宗教用語でありましょうから、無神論・無宗教者は何に依拠しているのでしょうね(笑)。
進化論支持の皆さん、
人間は進化して究極、どのようになると想像されているのでしょう。
西郷はんの顔ってどうなのよ。上野の銅像を西郷はんの奥さんがみたとき、「こんな顔ではなかった」みたいな事を言ったらしいですねぇ。
もとよりキヨソーネは生前の西郷に会っていないから信憑性薄いなぁ
んで、秋田に西郷はんの写真と思われるのがあったんだけど、どうやら幕末〜明治にいた尾崎忠治って人らしいね
西郷はんの本当の顔って・・・
歴史大好き★
最近、一向悩んでます
>ちゃんと突っ込んであげようよ〜
げひんげひーん。
>(異説は種々あるけど、十七歳のあるやつをここではエレクト)
エレクトなのかよ。
マルチなサイケくん。
キミみたいな二番煎じには飽き飽きしてるんだけど、せっかく毎日ここを見に来て発言までしてるんだからハンドルくらいひとつにしなよ。
>どのタイムマシン論の解説書にも書いてある定番のパラドックスですよ。
どの解説書?どらえもん?
前の発言で私は「SFだよ」と前置きした上で書いたけれど、たとえSFであってもハードSFの題材ってのはかなり科学的に考えてあって、現在は不可能でも将来的には可能と思える理論的予言をもとに作ってあったりします。当然、それを裏付ける「きちんとした科学者による考察や論文」も存在して、たとえばキップ・ソーンだとかリチャード・ファインマンだとかがタイムマシンについて真面目に物理学しているわけ。さらに著名なところではスティーヴン・ホーキングでもいいよね。
で、これらの書物を読んだにしても、それが本当なのか間違いなのか、確かめようがないって点では「その他の子供向けパラドックス紹介本」も一緒だけど、彼ら物理学者は「ただ考えた」わけじゃなくて、数理的に破綻していないだとか、現在確かめられている「物証=観測結果」をもとに、タイムマシン(というか時間の逆転や因果律の破れ)について書いている。私たちがそれらを「読書する」場合、彼らがどんな業績をもち、彼らの提唱した理論や予測がどれくらいの確度で確かめられたのか、あるいは実用的であるのかを知識として持っていて、ただの「空想ではない」ことを確かめながら読む。そのうえで、多世界解釈によるタイムマシン論ってのは、一定の評価を与えるに値する、と私は考えているわけ。
#無論、それは不確実なこと(科学である)けれど、十分に実用的でもある。
さて…親殺しのパラドックスというのは、実は「私は私の親から生まれた」という「ローカルな事実の積み重ね」によって成り立っています。ここで(あくまで多世界解釈という仮説に則ったSF世界では)、過去の親に会った自分というのは果たして誰だろうか?もはやそれは「単独な意味における自分」ではないのではないだろうか。
過去の両親は、まだ私を産んでいない。あるいは、結婚さえしていない。だから、その世界において、すでに「私は両親から生まれた」という事実は成立しない。その後、両親が「私に似た私」を産んだとしても、それは別人だろう。「私が両親から産まれた」という事実は、別の時間軸(世界)に基づく記憶であり、タイムスリップした世界とは関係がない。簡単にいうと、過去世界に来た私は「両親から産まれた」という記憶を持っているだけで、過去世界においてそれは事実ではない。
だからあとは、物理的に破綻がないならなんでもできてしまう。
もちろん、これは「SF的空想」だけどね。
今回の暴動の原因になった風刺画はたしかにひどいけど、
たとへ冒涜となろうと信者の反発を買おうと言論の自由は確保する必要があります。
信者には不快でも教祖や教義に対する批判は言論の自由の範囲として甘受してください。
反論するのは構いませんが発言をやめるように求めるのは間違いです。
あとスルーしようかと思ったけどついでだから
>おおよそ社会道徳の類で信仰に基づかないものはないと思いますけど。
無神論者には道徳的基盤がないと言いたいのかと...
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。