このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
今回の暴動の原因になった風刺画はたしかにひどいけど、
たとへ冒涜となろうと信者の反発を買おうと言論の自由は確保する必要があります。
信者には不快でも教祖や教義に対する批判は言論の自由の範囲として甘受してください。
反論するのは構いませんが発言をやめるように求めるのは間違いです。
あとスルーしようかと思ったけどついでだから
>おおよそ社会道徳の類で信仰に基づかないものはないと思いますけど。
無神論者には道徳的基盤がないと言いたいのかと...
>聖書の記述を全くの出鱈目である、と現代科学は証明出来ましょうか。
聖書(旧約も新約も)は科学書ではありませんから、イエスが水の上を歩いた奇蹟のような力学的にはあり得ない記述も含まれています。かめに入った水を上質のぶどう酒に変えるなんてことも化学的にはあり得ないでしょう。死んだ人が生き返ることも医学的にはありませんよね。
でも、聖書の価値は記述が科学的に正しいとかそういうところにあるわけではないでしょう。聖書の記述に、科学的に見れば、おかしな話が含まれていたとしても、それで聖書の価値が減ずるわけでもないでもないと思います。
京都五条の糸屋の娘
姉は十七妹は十五
諸国諸大名は刀で殺す
糸屋の娘は目で殺す
おじさんキラーって、糸屋の娘のことかにゃ?
(異説は種々あるけど、十七歳のあるやつをここではエレクト)
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?&kind=all&PT=webtu&from=webtu&MT=%A4%AA%A4%B8
辞書的な意味だと「おじ=祖父」という形で「おじさん殺しのパラドックス」が
成立する余地があるんですね。でもまあ、現代の口語だと「おじ=父母の兄弟」
ととるのが一般的じゃないかと思う。
http://www.google.com/search?hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=UTF-8&q=%E7%88%B6%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9&num=50
というわけで、普通はこの手のは「父殺しのパラドックス」などと言います。
助太刀サイケデリック=(中略)=長坂マルチハンドルさんは、
「おじさん」(父の兄弟)と母の間に生まれた不義の子であると
いうことなのでありますな。
「おじさん」(母の兄弟)というパターンもあるか。そっちの
方がもっと背徳的だな。
# ごめん、ついレス入れちゃった。
「おじさん殺しのパラドックス」について、おじさんを殺してもパラドックスが起きないと言っている方がいらっしゃいますが、本当にそう思いますか?
どのタイムマシン論の解説書にも書いてある定番のパラドックスですよ。
私が過去に行き、昔のおじさんを殺すとしますね。昔のおじさんが殺されれば、当然私は生まれてこなかった事になりますね。
私が生まれてこないという事は、おじさんが殺される事もなかったことになり、また私が生まれ・・・
と、無限に繰り返す事になります。
>昨年の「NEWTON」にホーキング博士の相方の学者が、「ビッグバン理論」の
>発表に反対だったとか、「詰めが甘い」と言う理由で。晩年のホーキング博
>士もそれを認めていた、と言う記事を読みました。
ホーキング博士はご存命ですがな。
つーかホーキング博士はビッグバン理論の提唱者じゃありません。
ガモフ博士の間違いかしらん?
昨年の「NEWTON」にホーキング博士の相方の学者が、「ビッグバン理論」の発表に反対だったとか、「詰めが甘い」と言う理由で。晩年のホーキング博士もそれを認めていた、と言う記事を読みました。
科学史「NATURE」でも、もはや「ビッグバン理論」は否定的、とありましたが。
しかし、私にはその理論自体の深いところは判りません。
以下、SFですよ。
ビッグバン前後の原始宇宙に旅行した場合、そこはまだ物質だとか4つの力などが形成されていなかったり、それどころか空間次元と時間次元がごっちゃだったり、まぁとにかくインフレーションだのなんだの、想像しろったって無理!な状況の宇宙ですから、観測者たる私たちが「存在できない」のではないか、というのが答えでしょうか。
それじゃもう少し現実的に、6000年前だとか、40年前くらいの「地球」に行くとしましょう。親殺しのパラドックスなど、想像しやすい難問が山積みです。
しかし…量子論的宇宙論によると、この宇宙は「あらゆる可能性の分だけ」(決して無限ではないけれど、無限みたいなもの)常に生成されてしまっているので、40年前の同じ場所に着いたつもりが、そこはまったく別の宇宙かも知れません。
するってぇと…私が私の親を殺したところで、「その宇宙での私」は生まれなくなりますが、別の宇宙で「既に経過した時間」を持っている「この私」の時間軸が書き換わるわけではないので、そのまま私はそこにいるんでしょう。こう考えると、パラドックスなんてものはない。
#時間軸がひとつしかない、というのはプリンピキア的世界観なんだろうなぁ。
ところで、この問題には別の考え方があって…ある宇宙に、別の宇宙の「存在」がそのまま移動することってできるんだろうか?というのは、エネルギー保存則に引っかかるのではないか?と思うのです。この宇宙から私が移動すれば、その分のエネルギーが「なくなる」わけなので、実はかなり大変な状況が生まれるでしょう。同様にして、移動先でも「凄いこと」になりそうな気配。
でもまぁ、こういうSFを考えるのは楽しいですね。
#リンク先は何度か紹介しているSF考証サイト
http://homepage3.nifty.com/iromono/hardsf/
ビッグバンの前じゃないとあかんかったりして、、、
わかってくれてありがとうございました。バイバイ(‘o‘)ノ
「神殺し」の件は、特にキリスト教ネタに限らず、「創造主がいる
世界でタイムマシンが存在した場合の、親殺しパラドックスのバリ
エーションに対する考察」というSFネタのフリのつもりでした。
ただ、それをもって気分を害する人がいることは理解できましたし、
私の全存在をかけて戦うようなネタでもありませんので、謝罪しろ
と言われれば、謝罪してネタを引っ込める分にやぶさかではありま
せん。
宗教をネタにすることと、表現の自由の相克については、また色々
考えるところがあるのですが、それ自体独立した長いトピックになっ
てしまいますので、とりあえずここまで。
マア、恐ろしい事を
良く書き込みなさいますね。
神を何と心得ておられるのでしょうか?それにしても、最近はムハンマドをめぐる冒とくで世界が騒いでいるんですよ。
タイムマシンで神を殺す、可能不可能を問わず
書いて良い事と悪い事があるんですよ。気をつけて下さいませ。昔の方々に「この罰バチ当たり」って言われます!
神は時間空間を超越した方です、久しく遠い永遠の生命の源です!それでも、愛と慈悲に満ち溢れ
皆様の為に人間として降臨されたのです。ヤハウェなるアッラーなる存在者
くれぐれも、冒とくなさいませんように。
通行人カキコでした。レス不要です。
(‘o‘)ノバアイ
とかいう単語をふと思いついた。
タイムマシンを使って、神が人間を創造する前の時点で
神を殺してしまえば、人類は存在しない事になるや否や?
ワームホームとかで(これがタイムマシンだろうがタイムスリップだろうがなんでもいい)過去に行けたとして、その過去に行ったあなたが見ている周囲のものは過去の事物かもしれないですが、そのあなた自身は過去の存在?
違うんじゃないの?
現在の存在であるあなたが過去の事物を見る、、、
でも、これってわざわざワームホームを通り抜けないとできないことなんだろうか?
過去を見るだけなら、空を見たらいい(太陽って何分前の過去の太陽?)。目の前のモニター画面だって過去の画面であることに違いはない。
思い通りの過去を見れないじゃないかって言われても、それじゃワームホームだって同じです。
ワームホームの先の穴ってどこに通じているか分かるものなん?
とにかく、タイムマシンというものは、ある時点というのが決められても、地点というのも一緒に決められないと、ほとんど無価値です。
ここの書き込みは勉強にもなりましたが、難しく難しくなりますね。
>ところが、近代科学が「神話的説明」と「信仰」が一体のものではないということを(不幸にも)明らかにしてしまったのではにゃーかと。
聖書の記述を全くの出鱈目である、と現代科学は証明出来ましょうか。まだしていませんね。「寿命900歳」ってとんでもない数字ですが、「DNAの欠損」が無ければ寿命は長かったかもしれない、と言う説もあります。
信仰と言うものは人間にとって「有る・無い」と言う物ではなく、「篤い・薄い」が在るのだと思います。
何故なら、「願う・念じる」と言う事を一切しない人間はいないと思います。願う対象とは何でしょうか。人知を超えた何者かが、願うものの心を感じ、その事を成す事が出来る、と言う事が前提として在る、と言う事ですね。
故に・・・
>ご来光に手を合わせるのは「自然崇拝」の類型であって、「信仰」と区別するちゅうのもアリなのではにゃーかと思うにゃー。
「アリ」とは思えません。「篤い・薄い」ですからどちらも「信仰」以外の何ものでもありません。
>有史以来、科学と宗教は対立していた。
そんな事実は聞いたことがありません。近代科学が起こる前の西洋では、聖書の記述証明こそが学問探求の動機であり喜びであったはず。良い例がマゼランの地球一周である事は有名ですね。
しかし・・・
>宗教と科学はおのずと同じ方向へ進むでしょう。
私もそう思います。
どもですにゃ>DQN
むかーしもここで書いたネタにゃんが、目の前にコップがあるとして、
「私は自分の目の前にコップがあると信じる」とはいわにゃーよね。「目の前にコップがあると知っている(現に知覚している)」というはずだにゃ。ニンゲンの認識能力において知覚している対象を、僕たちは「知っている」というはずだにゃ(論理演算もニンゲンの認識能力のひとつ)。カガクというものを理解していにゃーニンゲンにとってはそれは信じる対象になるのかもしれにゃーけど、実験や論理思考で理解した(知覚した)ニンゲンにとっては信じる対象ではにゃーですね。
カガクの対象たる知識→ニンゲンの認識能力に最終的に依存する→不確実かつ不完全
信仰の対象たる「何か」→ニンゲンの認識能力では把握できない→確実かつ完全
ちゅう感じだと思いますにゃ。
まあ、信仰という全人格的な「跳躍」にはこれくらいの厳しさがにゃーと。
このチビシイ定義をもって、創造カガク「信者」は信仰をもってにゃーと断じてからかって遊ぶこともできるのではにゃーかと・・・・
ご来光に手を合わせるのは「自然崇拝」の類型であって、「信仰」と区別するちゅうのもアリなのではにゃーかと思うにゃー。
なににしろここで重要なのは
「(信仰とは)経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むことではない。」
の部分なのではにゃーかと思いますにゃ。
「神話・宗教」というのは、もともと説明原理としての機能をもっていたことはいうまでもありませんよにゃ。で、この説明原理としての神話・宗教というのは「経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むこと」にほかならにゃーわけだ。
だからこの記述は「説明原理としての神話・宗教」と「信仰」がバッティングすると言明しているようなものだと僕は思いますにゃ。また、「説明原理としての神話・宗教」こそは、カガクによって駆逐されつつある部分でもあるといえますよにゃ。
もともと、説明原理としての神話・宗教の説明を聞いて納得すること(神は世界を七日間で創造された)と信仰とは一体のものであった、より正確にいえば、「神話による説明の納得」と「信仰」の間に深くて暗い裂け目があるなんてことは露呈されていなかったわけにゃんよ。ところが、近代科学が「神話的説明」と「信仰」が一体のものではないということを(不幸にも)明らかにしてしまったのではにゃーかと。
「信仰」というものの純粋なあり方を取りだしてしまったのは、信仰というものがいかに奇跡的ですさまじい営みであるかを示してしまったのは、実はカガクなのではにゃーかと思ったりするわけにゃんね。
知識と信仰が一体化した平和な宗教を欲しがる気持ちはわからなくもにゃーんだな。
ピュアな「信仰」なんざ、奇跡的な人格でにゃーとなかなかもちえにゃーともいえる。
だからこその創造カガクであり、信仰を純粋化したカガクを憎悪するわけだにゃ。
(面倒くさいのもあって)寛容に見守ってきましたが、この辺で警告しときます。飛烏さん=風さん=課税フライングBさん=助太刀サイケデリックさん=長坂さんへ。マルチハンドルは禁止です。どうして一つのハンドルに固定しないのですか。
もう一回だけ突っ込んどこう。
>いわゆる「おじさん殺しのパラドックス」等の問題が生じる。
おじさんを殺してもパラドックスは生じないと思う。
宗教と科学はおのずと同じ方向へ進むでしょう。
有史以来、科学と宗教は対立していた。
一昔前ならば、宗教、現代ならば科学といったように時代によってそれの位置や立場も変わってくる。
しかし、何故科学と宗教は対立せねばならないのか。私には解らぬ。
科学は宇宙創世をビッグバンとして扱っている。しかしビッグバンについての詳細は謎の部分が多い。
もしかしたら、聖なるものかもしれぬのに。
以上、全て適当な考えであるが故、反論ないしは感想等は書かなくてよし。
>神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう。
これって聖職者にしか行えないような気がするんじゃが・・・
初日の出の御来光に手を合わせるような気持ちは上記の定義には当てはまらないような気がするのう。
キップ・ソーンらによれば、ワームホールを利用すれば過去へのタイムトラベルが可能らしい。
これは因果を乱す事になるし、いわゆる「おじさん殺しのパラドックス」等の問題が生じる。
時間旅行は可能なのか。
皆様の意見を提示されたし。
進化論とは関係ないが
激しく同意します。
>科学に対しては、「不確実で不完全なものにすぎないことを前提とした認知的な心的態度としての信念」。
ただ、私が『信仰』という言葉に少し弱気になってしまったのは、Wikipediaで引くと、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E4%BB%B0
信仰の対象となる物として『科学』があったからなのです。
Wikipediaのことはあまりよく解りませんが、どうやら不特定多数の人が編集できて、成り立っているようです。もちろん審査はあるのでしょうが。
何年かに1回改訂版を出すような辞書に比べて、このような辞典は「生きた辞典」として、今後ますます普及することが予想されます。
言葉には時代によってその意味合いも変化していくものもありますから、そうなると、一般社会での認識として『科学信仰』もあり得るのかなぁ、と思った次第です。
もうすでになっていたりして。
「あなたは科学を信仰している」
と言われて、ムッとしてしまう私ですが・・・。
議論がちょい粗くにゃーか?
以下は日本大百科からの引用だにゃ
*******************************
信仰
faith 英語
foi フランス語
Glaube ドイツ語
神仏のように、自分にとって究極的な価値や意味をもっている対象と全人格的な関係をもち、その対象に無条件に依存し献身する心的態度をいう。経験できぬ不確実なものを主観的に確実であると思い込むことではない。宗教的体験や儀礼を繰り返すことによって、しだいに人格の内部に一定の心的態度が信仰として形成される。信仰は個人生活を統合する中心の役割を果たすと同時に、その信仰の表現である信条、組織、制度などにより、共同体の生活を統合する活動の中心にもなっている。
信頼との区別
幼児の母親に対する態度のように、人間と人間との間に形成され、相手の人格にすべてを一任する心的態度が信頼である。任せきるという点で信仰と共通するが、信頼の対象である人間は有限で究極的ではないから、相手の自由意志に任せる信頼は、つねに裏切られる危険と情緒的不安が付きまとう点では、信仰とはまったく異なる。
信念との区別
人間は、直接の体験や他人の経験の範囲内で思考するが、合理的な思考形式によって、一般に確実で検証されたものと承認されるとき知識が生まれる。知識は学問研究によって絶えず改変されるから、つねに知識は不確実で不完全なものにすぎないが、仮説として承認される知識もある。このような認知的な心的態度が信念であるが、信仰は知情意の経験の全体にわたり、さらに経験を超えたものにも関係するので、既成の思考形式を超えて新しいものを生み出す可能性をもつ。科学が進歩すれば信仰は不要になるというような考え方は、信仰と信念との混同から生じるといえる。
信仰の変化
信仰対象、心的態度、社会や文化の状況などによって、信仰の形態は異なる。人間形成の過程においても、幼児期から老年期に至るまでに信仰は変化するのが当然である。とくに青年期は宗教的関心が高まって信仰が動揺するから、入信や改宗という回心現象が強くみられる。また、信仰はしだいに深まっていくもので、成熟した宗教的人格の備えている価値は聖者性とよばれ、聖者となることが信者の理想であり、信仰の極致であると考えられている。
[藤田富雄]
***************************************
この藤田富雄というひとは宗教学・宗教哲学の畑のニンゲンみたいにゃんけど、ちゃんとした学者というのは分野を問わず、「知識は学問研究によって絶えず改変されるから、つねに知識は不確実で不完全なものにすぎないが、仮説として承認される知識もある。」と基本的なことはわかっているものにゃんね。
というわけで科学に対しては、「不確実で不完全なものにすぎないことを前提とした認知的な心的態度としての信念」であって、ちゃんと信仰とは区別しにゃーとね。
おおよそ社会道徳の類で信仰に基づかないものはないと思いますけど。
でもまぁ宗教と科学なんて、対立させなくてもいいように思えてしまうのは、やはり私が信仰心が薄いからなんでしょうねぇ。
科学は「便利な道具」であって、その適用範囲の中であればそりゃもう無敵ってくらいに使い勝手がよいのですが、そこから出てしまうと大して役にたつわけでもなくて。
宗教は、そういう「科学が役に立たない分野」にやはり適用範囲があって、その範囲内で使うかぎり「便利な道具」なのではないかと。
問題は、技術の進歩により科学にとっての観測可能な対象が増えてきた事で、かつては宗教の適用範囲だった部分に科学が入り込んでいったことで、既得権益を侵害されている宗教の側が反発しているという部分なのかなぁ。
まぁそれは教会の側の話であって、個々の信仰者の方々の問題ではないわけですが。
でも、キリスト教徒だけど進化論者という人もいるわけで、この両者の折り合いをそれぞれの人の心の中のどこかでつける事は可能なはず。
*ゆんさん
>宗教の人が「私は○○を信じている」と言うときと、
われわれが「私は科学を信頼している」と言うとき、
脳みそはどれだけ違う働きをしているものなんでしょう?
科学の場合、手順や考え方なんですよね。天動説とか地動説とか中身の話ではなく、入れ物というか、思考の枠組みとして科学というわけでしょう。何かの証拠が出てきて、これまでの中身が否定されても、科学に対する信頼感は揺らぎません。むしろ、従来の中身が否定されるのは、科学の作法なわけです。
信仰の場合、例えば、「イエス様の復活を信じます」というのは、イエスの復活という中身を信じているということです。イエスの復活という中身を否定してしまえば、恐らくキリスト教信仰は成り立たないでしょう。
創造説を支持する人たちはしばしば「あなたたちは進化論を信じている」みたいないい方をするわけですが、進化論が科学的に正しいというのは、あくまでも今のところそうだというだけで、将来何かの証拠が出てきて、進化論は実は間違いでしたとなっても、別に途方に暮れたりするわけではありません。進化論そのものには何の思い入れもないのです。恐らくこの辺りは、創造説を支持しておられる方々にはなかなか理解できないのではないかなと想像します。
大文字ナンさん
仰るとおり、受け手にも左右されますし、言葉の持つ意味って前後の文脈などで変わってきますから、使い方にも気を付けなければいけませんね。
信者との会話では、彼が恐竜の羽毛を知らなかったので指摘したら先の発言があり、この場合の語彙は、彼らの『神への信仰』と同じだったので、「あんた達のような盲目的な信仰とは違うわぃ」と、「不変じゃないぞ」とね。
でも、変わってはいっても科学信仰なのかなぁ・・・。
宗教の人が「私は○○を信じている」と言うときと、
われわれが「私は科学を信頼している」と言うとき、
脳みそはどれだけ違う働きをしているものなんでしょう?
私は理性で「科学」を「信頼に足る体系」として把握しているのと
同時に、感情面でも科学の手法を「信頼」しています。
では、私の感じているこの「信頼感」は、
「信仰」という感情とどれだけ違うものなのでしょうか?
私が信頼感を持っている「科学」という代物が「正しい」のは
単に偶然に過ぎないのかもなあと思ったりしたことであります。
(育ち方が違えば、私は別の物を「信じる」ようになっていても
おかしくなかったのかもなあ、の意)。
>皆様は異星人を信じていますか?
ゴキブリを一匹見つけたら、その家には百匹以上いるらしい。
地球人がいる以上、宇宙には百種類以上いると思われます。
>皆様は異星人を信じていますか?
ひろーい宇宙じゃからのう、
異星人ぐらいはおるじゃろう。
DQNさん
「あなたは科学を信仰していますね」といわれたとき、明確に「違う」と説明する方法ってあるのだろうか?同じことを、ここで議論しているとよくいわれますが、私の「主観表明」として違うことが明確であっても、相手にそれがどう伝わるのか、客観視したときにそれが明確に「彼は科学を信仰しているわけではない」ことが伝達できているのか、甚だ自信がありませんね(笑。
日常会話においても、
「○○さんが□□と云っていたんだけど、ホントかな?」
などといわれ、
「いや、それは簡単に納得できないなぁ」
と、いうようなとき、
「でも、○○さんは嘘を云うようなひとではないよ」
と、返された場合、
「○○さんは確かに嘘は云わないんだろうが、いくら嘘を云わないひとでも、間違ったことを云うことはあるだろう?」
なんて問答に陥ります。すると…
「間違ってるなら嘘と一緒じゃん!」
とか返されたりして、困る(笑。間違いは間違い、嘘は嘘なんだけれど、この違いさえ日常的には曖昧だったり、区別がついていなかったりする。結果的に、こういう説明というのは「受け手」の知識レベルとか理解レベルに依存するんではないだろうか。
私なんか、ある宗教信者から
「あなたは科学を信仰していますね」
などと言われたことがあります。
信仰って・・・!?
RYU_TI_SYUさんに同意。
明確な信仰を持たずとも「信仰めいたもの」だとか「信仰的ロジック」をもつひとは多いんじゃないだろうか。神を信じているなら、裏切られたりするとすっげ〜落胆するのかも知れないけれど、神以外のなにかを「ごくふつーに」信じちゃってる場合…裏切られてアタリマエの種類のものなので、却って大変かもね(笑。
#つぅか信じるのは個人の勝手だろうが、裏切るのは信じられた方の勝手でもあるしね。
「聖書の暗号」には、DNAが異星人によって乗り物で運ばれたと記されている。
まぁ、とにかく真偽の程は怪しいものですが
皆様は異星人を信じていますか?
>僕もそう思うんですが、そこをぐいっと乗り越えて信じてしまうのが「信仰」というやつなのだそうです。僕には理解できませんが。
気づかないだけで、ワシもカクレクマノミ殿も何かを「信仰」しちゃってるかも知れんぞ。
もしそうだとしたら、自覚が無い分「明確に信仰している人」より根が深いのかもしれんな。
>しかし、もしかしてその自称「神」が本当に間違いなく神であるのかはどうやって確認したんでしょうか?まんまと騙されてるかも知れない。
僕もそう思うんですが、そこをぐいっと乗り越えて信じてしまうのが「信仰」というやつなのだそうです。僕には理解できませんが。
>旧約聖書のの中に暗号が含まれているという説、いわゆる「聖書の暗号」を知っている方はいらっしゃいますか?
http://www.nazotoki.com/bible_code.html
>しかし、もしかしてその自称「神」が本当に間違いなく神であるのかはどうやって確認したんでしょうか?まんまと騙されてるかも知れない。
そういうところを乗り越えるところに、いい意味でも悪い意味でも信仰の価値っちゅうもんがあるんじゃなかろうか・・・
旧約聖書のの中に暗号が含まれているという説、いわゆる「聖書の暗号」を知っている方はいらっしゃいますか?
*さるひとさん
私はキリスト者ではありませんが…。
>創造論者は当然キリスト教信者ですよね。
キリスト者だけが創造説を信じているわけではありません。元々、旧約聖書はユダヤ教の正典だったわけですから、ユダヤ教徒もイスラム教徒も創造説は信じています。日本の新興宗教でも、幸福の科学なんかは種の創造説を教義としていますよ。
>で、なぜ聖書は神の言葉だと思われるんですか?
聖書にそう書いてあるからですよ。それ以上の理由は彼らには不要でしょう。第三者的に見れば、単なる循環論法のように思えますが、元々信仰というのは理屈じゃありませんから、それでよいのです。
進化論は最初の生命がどうやって誕生したのかは論じていません。創造説は最初の生命は神によって造られたという立場ですから、その点では両者は競合したり対立したりするものではありません。
対立するのは、進化論では「現在の多種多様な生物は進化によって現在の姿になった」と考えているのに対して、創造説では「現在の多種多様な生物は最初から今のままの姿だった」としている点です。神が最初の生命を造ったかどうかは、対立点ではありません。
ギャラリーの方にも見てもらいたかったのですが、とりあえず掲示板2のほうにボクなりに思うことを投稿しました。
> 長坂さんに対する対応には問題があったのではないか、というのが(ぱ)さんの問題提起です。
ツリーの方に返信できないのでこちらに書きます。
例えばドーキンスは「漸進的に説明できない進化は存在しない」と言いきっていたと思います。
だからといって、すべての生物のすべての機能の進化について、彼が即座に明確に具体的に答えられるというものでもないでしょう。
そもそも、専門家にも分かっていることと分からないことがあり、分かっていることの中にも、簡単に検索できることと出来ないことがあります。
簡単に検索できても、簡単に説明できることもあれば、難解な説明をしなければならないこともあります。
このような掲示板で、誰かの疑問に、簡単に明瞭に具体的に答えよと言うのは、無理な注文じゃないでしょうか。
ついでに言えば、ヘッピリムシの屁が、特別に、あり得ないほど奇妙なことのように思うのは錯覚です。
我々がただ単に立っているという行為だって、突き詰めて考えれば、十分に驚くべきメカニズムの上に成り立っているのです。
「最初からそのようなメカニズムが出来ていなければ二本足で立てるわけがない」と言う主張だってあり得ます。
>いったいぜんたいどうしてこれが、自然選択の否定と解釈されるのかが、素で不思議です。
不思議だと思いますか?それならばもう言うことはありません。
みなが否定していると感じるような言動をあなたが知らずにやっていたということです。
>この時点で、「英語の論文読めゴルア!」ってのは、一般向けに公開されているであろう掲示板での議論としては、ちょっと無理筋ではないかと。
私がどこで英語の論文を読めと言っているか引用してもらえますか?
ろくに調べもしない人に、私の場合はどうやって理解したかを教えただけです。
さらに言えば、誰が研究しているか教えていますよね。その研究者名で検索すればわかることを示唆しています。
別件ですが、ついでに言わせてもらいましょう。下記についてです。
>一見さんは袋叩きというのがこの掲示板の伝統ですか?
私は(ぱ) さんの発言について何も関心は抱いてなかった。というのはありふれた質問であったからです。疑問に答えるつもりなどまったくありません。
その状況で、あなた宛でない発言に突然割り込んで、「やっぱり疑問には答えてくれない」(以下略)では印象はよろしくないでしょうね。
*(ぱ) さん
>一見さんは袋叩きというのがこの掲示板の伝統ですか?
ここの常連さんは基本的に何からの形で進化論の立場をとっている人たちですから、そこに進化論を否定する書き込みをする以上、批判されるのは覚悟の上だと理解されても、それは当然ではないでしょうか。
「袋叩き」のようになるのは、複数の参加者が各自の考えで自由にレスをつけるからです。参加者が話し合った上で、統一見解を述べているわけではありませんから、そうなりますよね。
あとは、書き込んだ一見さんがどの程度タフな人かによります。大抵はほとんど何の理論武装もせずに、勢いだけでここで「進化論では『生物は偶然に進化したといっているが…』」みたいな陳腐な、どこかで聞きかじったような話を書き込むだけなので、早々に退散することになります。
大勢からわっとレスがつく上に、ロクな準備もしていなかったからまともな反論もできずに退散してしまう…というのが「袋叩き」の実態でしょう。最初から一撃離脱みたいな人(いいたいことだけいって、レスは全く読まずに逃げ出すような人)もいますけどね。
私が最近やっているのは、私のサイトにあるコンテンツを読めということです。あの内容が進化論批判への反論としてどの程度正鵠を射ているかはご判断に委ねますが、量だけはそれなりにありますから、勢いだけで批判しようとした人たちにはそれなりに効果があるように思います。あれを全部読めというのは、簡単にわかることも調べずちっとも勉強しようとしないその手の人には辛いでしょうからね。
あとは、先に述べたような意味で「袋叩き」になるよと、一見さんに最初に忠告してあげるぐらいしか手はなさそうに思えます。忠告されて、覚悟の上で「進化論では…」と批判するのなら、「袋叩き」にあっても文句はいえないでしょうから(まぁ、それでも文句はいうんでしょうけどね)。
>長坂さんに対する対応には問題があったのではないか、
ええと、正確に言うと「長坂さん『の質問』に対する対応には問題があったのではないか」です。長坂さんがどうなろうと知ったことではありません。
んで、それだけなら何も偽ハンドル使う必要はなかったんですが、もう一点、言いたかったのは、一見さんに対するこの掲示板の対応についてです。
続きはツリー式でですかね。
>「(今もなりすましかもしれない)(ぱ)さんの問題提起」、って何なのか、ボクには未だにさっぱり分からない...(-_-;)
(ぱ)さんの問題提起は、「ミイデラゴミムシの進化は自然淘汰で説明できるか」ではないんですよ。
長坂さんに対する対応には問題があったのではないか、というのが(ぱ)さんの問題提起です。
http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_thread?base=7580&range=1
タイトルについては、確かに微妙だと思ったんで
一旦消して再作成しました。
昨夜、あせってもいいことないと書きました。
そもそも早急に結論を出そうとする態度というか心構えというかが
今回の問題の大きな要因だとミケには思われます。
>(ぱ)さんの問題提起に真正面から対応せずに、こちらへなどと誘導するんはどうかと思うなぁ、、、
「(今もなりすましかもしれない)(ぱ)さんの問題提起」、って何なのか、ボクには未だにさっぱり分からない...(-_-;)
どなたか明確に定義していただけません?
2つの化合物の分泌器官が同時に発達すること、また最初から膨大な量を分泌できることは、よほどの偶然が重ならない限り、起こりません。通常はそれぞれ個別に少しずつ発達するものです。従って、最初のうちは発熱も、その昆虫自身に対する毒性も、ごくわずかです。
ほんの少し熱い屁を作れるようになったら、その熱に耐えられる容器に進化します。そうでない場合は生存に不利に働くから。
容器が進化した次点で初めて、もうあと少し熱い屁に進化する余地が出来ます。
そのようにして、全ての部品が、少しずつ、長い目で見れば歩調を合わしながら、進化していくのです。
「長坂さんおよび長坂(偽)さんへの対応について」なんてタイトルはおかしいんと違う?
(ぱ)さんの問題提起に真正面から対応せずに、こちらへなどと誘導するんはどうかと思うなぁ、、、
クリックの提唱した説で、DNAは宇宙から意図的に運ばれたとかいう説の正式名称ってなんでしたっけ?
http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_thread?base=7578&range=1
こちらへ。
以前の(ぱ)さんはもっと冷静で論理的だったと記憶してるんだけど...??
未だに以下の疑問から抜け出ていないのですか?
> また、(3), (4)は、100度の高温に耐える必要がありそうです。これは、屁がだんだん威力を上げていくのと同時に漸進的に進化するというわけにはいかないのではないでしょうか。100度になることは化学変化により規定されるんだから。
100度になることが規定されている化学変化なんてあります?
例えば水と硫酸を混ぜると発熱して、沸騰することもあります。
だから実験では、水に硫酸を「ごく少量ずつ、混ぜながらゆっくりと入れて」いきます。
例えば硫酸の純度が低い、或いは硫酸の量が少ない、ときも、発熱はわずかです。
「漸進的に進化するというわけには」いくのではないですか?
そして、そんなことは当たり前の事じゃないですか?
もうひとつ、
袋だたきになる前に、どうして、
「お勧めの、ドーキンスのその本のそこの所を読んでみました。」でも疑問があるのです..
と言わなかったのでしょう?
質問者がその本を読んだかどうか、なんて、本人以外に分かるわけがない。ましてその後の質問が相変わらずピントを外してる場合。
ついでですが、ボクは誰かに本を勧められて読んだ場合、感謝の意も込めて、読んだことを報告しますけどね。そうすれば彼はボクの持ってる知識を推定しながら、より適切なアドバイスを出すことが出来るし。それが「対話」でしょ?
読めない(経済的その他により)場合は「読むことが出来ません。」というべきです。そうすれば別の方法を考えてくれる。
こちらの状況を知らせる心遣いもせずに、「適切な対応をしろ!」なんて、あなた、そりゃヤケってもんですよ。
To (ぱ)さん
>一見さんは袋叩きというのがこの掲示板の伝統ですか?
大抵の場合質問者は一人で登場して、回答者はここの常連が何人かが応じる事になるので、袋だたきに近い状況になるのは正直いつものことです。
それを避けるために「あ〜、もう三人も返事しているし、今回はシカトするか」という選択をする事もしばしです。
質問に対して即座に答えを返さずに「○○を読んでください」という返事を私がする理由については先に書いた通りです。
本気で知りたがっている人かそうでないかをふるい分けるために敢えてこういう返事をすることもありますけどね。
>>私は偽長坂名義においても、ただの一度も自然選択説の否定なんぞしていません。
>
>いいえ、総合的に判断すれば否定しています。例えば下記のような発言がありますね。
>>こういう精密な過程が「偶然」にできるものだろうか、というのは正当な疑問だと思います。
いったいぜんたいどうしてこれが、自然選択の否定と解釈されるのかが、素で不思議です。
もう何度も何度も繰り返してますけど、私は、ここの皆さんが揃って示した盲目の時計職人、および過去ログだけでは、長坂さんの最初の疑問に対する答にはなっていない、ということを言い続けているのです。だから、「盲目の時計職人だけではここを疑問に思うのは当然だ」と主張しているのですが、これがなぜ、自然選択を否定していると解釈されますか?
>明確に否定はしていなくても、複数の人がした初歩的な説明を、
>それならば、いろいろな人が説明しているのだから、
長坂(偽)が提示した疑問点について、具体的に、誰が、どのように説明をしてくれましたか?
あきさんは探し方を示してくれましたし、PDX.さんとwajdaさんはヒントになりそうな視点を提供してくれました。しかし、それは
人の話を読まずに投稿するのが得意技ですか? 投稿者:長坂(偽) 投稿日: 2月 2日(木)22時58分10秒
より後の話です。
この時点で、「英語の論文読めゴルア!」ってのは、一般向けに公開されているであろう掲示板での議論としては、ちょっと無理筋ではないかと。
ゆんさん:
>長坂(偽)さん=(ぱ)さんに対しては「じゃあ最初からそう言えばよかったじゃん」
私は長坂(偽)名義において、最初から、「盲目の時計職人」だけでは本家長坂さんの疑問への回答にはなっていない、と言っていたつもりですが?
実際、進化ってのはパズルみたいなところがありますね。私も、目の進化ならわかる、というようなことを書いてしまっていますが、考えてみれば、光を感じる細胞ができた次に、「そこが少しでも凹んでいれば方向を知るのに有利だ」ということを思いつかなければ、やっぱり疑問に思えるところだと思います。私が、目の進化ならわかる、と思ったのは、考えてみれば「盲目の時計職人」で先に答を教えられていたからで、知ってしまえばパズルは簡単に見える、という話でもあります。
ゴミムシでも、「漸進的進化」というキーワードだけでは、疑問に思うのはむしろ当然、後で私が示したリンク先にあるような気の効いたストーリーは普通思いつかないんじゃないでしょうか。だから私は、ここまでは盲目の時計職人と漸進的進化でわかるけど、これとこれは納得できない、と明示的に書きました。長坂(偽)の時点で。
「盲目の時計職人」p.151〜p.152に書いてあることは、ハイドロキノンと過酸化水素水を混ぜても爆発しないことと、「過酸化水素とさまざまな種類のキノン類はともに体内化学系で他の目的に使われていた」ということだけです。これでは、疑問に対する回答にはなりません。というかむしろミスリードになりそうな。過酸化水素が副産物でなく、なにかの目的に使われるものなら他のものと混ぜてもいいことなさそうだし、貯めておくタンクができる経緯もわかりません)。
wadjaさん:
>少しでも自分で考える人やったら、「盲目の時計職人」P.150〜151云々のくだりで十分やけど。
本当にそう思いますか?
>人の知的誠実さを問う、(ぱ)さんの問いかけの手法そのものが、一種誠実さを欠い
>ているものだったっていうのは、やっぱまずいと思う。
仮想人格る長坂(偽)は、まあネットの掲示板品質としては、そこそこ誠実にやってたと思うんですが、どうでしょうか。「人の話を読まずに投稿するのが得意技ですか? 」というのは煽り入っているようにも見えますが、これは今に至るも私自身の本音であり、撤回するつもりは今のところありません。
私が、いつもの固定ハンドルを隠して偽名で書き込んだ、ということで非難されるのは当然でしょうけど(すみません)、一見さんは袋叩きというのがこの掲示板の伝統ですか?
タイトル「あえてここでは答えておく」⇒「あえてここで答えておく」
第三掲示板で立てた備忘録から引用しようと思ったが、まだそのページを追記してなかったので。
>なぜミイデラゴミムシはそういう物質を体内で作れるんでしょうか?
(ぱ) さんの示したページを参照。
http://www.talkorigins.org/faqs/bombardier.html
以下引用。
>1. Quinones are produced by epidermal cells for tanning the cuticle. This exists commonly in arthropods. [Dettner, 1987]
こちらも参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%83%B3
基本的に忌避物質を使う場合に必要なポイントは2つあって、
1.出来るだけ効率よく天敵に到達するようにする。
2.出来るだけ忌避物質の効果を高める。
このうち、2.については、忌避物質の種類を替える以外に反応性を高める方法として、熱すること、は初歩的な対処法だと思う。
0度のアンモニア水よりも、同じ濃度なら10度のほうが臭い。
熱したら膨張する。膨張すれば体外に放出する量が増える。
この二つの作用は共に、わずか1度だけ温度が高くなっても、それなりに効果は上がる。
100度になって沸騰しなければ意味がない訳じゃない。一歩ずつ改良していけば済むことだ。
...ちがうのかなあ?
ご存じの人も多いでしょうけど、ミイデラゴミムシに関してはYahoo!掲示板でも話題になりました。
その時に調べて疑問を持ったことがあります。
それは、過酸化水素からの酸素の遊離に、触媒としてカタラーゼとペルオキシダーゼの混合物が用いられていることです。
どちらか1種類あればいいと思うのですが、なぜ2種類必要なのかいまだにわかりません。
なにか生理的な意味があるのでしょうかね?どう思いますか?
>テレパスでないのなら、文章から判断するべきではないでしょうか。
私は偽長坂名義においても、ただの一度も自然選択説の否定なんぞしていません。
いいえ、総合的に判断すれば否定しています。例えば下記のような発言がありますね。
>こういう精密な過程が「偶然」にできるものだろうか、というのは正当な疑問だと思います。
明確に否定はしていなくても、複数の人がした初歩的な説明を、常に同じような発展性のない内容でただ疑問を繰り返すだけであれば、総合的にみて否定しているととらえられてしかたないと思います。だから、そう思ったからこそ下記の通り発言をつなげてあります。
「しかし、私の最初の発言(re:やってみた)に対するレスや下記発言などを読めばただ質問しているレベルではないと判断します。」
>私が書いているのは、文字通り「ここを疑問に思っても不思議ではない」ということです。
それならば、いろいろな人が説明しているのだから、理解を深めようとする努力を見せればいいのではないですか?そういったそぶりもみせないでいれば、総合的に判断し、否定しているととらえられてしまいます。
実際にみなさんがそうとらえたように。
>ここは疑問に思っても不思議じゃないよね、と言うと、英語の論文嫁、と食ってかかられなきゃいかのですか?
くってかかったつもりはありません。そう読めたのならばお詫びします。
私が言っているのは、初歩的な説明で満足できなければ、専門的な説明を受けるしかない。それだけのことです。
また、私が最も問題にしていることはちゃんと調べていないことです。疑問に思えば、この場合はさらに他人からの説明にも納得できないのですから、調べて当然ではありませんか?
知的誠実さが話題になっていますが、他人に疑問を押しつける行為が誠実だとはとても思えません。
私も基本的にカクレクマノミさんと似た感想を持ってるんだけど、
長坂(偽)さん=(ぱ)さんに対しては「じゃあ最初からそう言えばよかったじゃん」
という風にも思うのね。
人の知的誠実さを問う、(ぱ)さんの問いかけの手法そのものが、一種誠実さを欠い
ているものだったっていうのは、やっぱまずいと思う。「あなたのそういうやり口
は誠実じゃないんじゃないの?」っていう問いかけを、それ自体誠実に見えない手
口でやっちゃうってのは、自分自身で自分の主張の説得力を削いじゃう行為だよね。
とか、そんな事を思った。
長坂(偽)さん=(ぱ)さんの指摘は、ある程度正しいものだと思います(自戒をこめて)。
やり方の是非はともかく。
長坂(偽)さんによる指摘以前には、誰も(3)(4)の疑問に答えていなかったのは事実です。
「いや、周辺の文脈もちゃんと読んで理解すればわかるはずだ」というのは確かにその通りですが、そういう意見はどれも、長坂(偽)さんの指摘以降に書き込まれたものではないでしょうか?
長坂(本物)さんの丸写しのような投稿に対して、細かいところまで考えようとはしなかったのではないでしょうか?
「ああ、ゴミムシか、例のあれね。」と思って、酵素と爆発の関係以外に答えを求められている問題があるとは考えなかったのでは?
というのも、僕自身がそうだったように思うからです。(お前がアホなだけだ、と言われるかもしれませんが。)
僕は、(ぱ)さんの動機は知的誠実さにあるという地下猫さんの意見に同意します。
敢えて示すならミケさんと同じ方向を。
ポイントは…ゴミムシの屁発射器官うんぬん、というより、激しく既出しまくるドーキンスやグールドの説明を(仮に)読んだとしても、まだ「分からない」だとか「いまいち呑みこみづらい」話が(一般的に)あっても不思議はないでしょう?ということであるなら同意。
一方、ヒトの話を読まずに投稿するうんぬんというような、議論そのものというより議論姿勢に対する批判であるのなら、同意しかねる。理由は簡単、儀礼に反するやり方に対して誠実さを求めるってのは「ナシ」だろう、と思うから。たといどんなやり方であるにせよ、疑問に対して答えるときは誠実にやれ!なんて云われたってできるわきゃない。つぅかそれでもレスが返るだけ「めっけもん」ぢゃろ?ってことかな。
>・(1), (2)は過酸化水素水とハイドロキシンを混ぜても爆発しないのなら説明がつく
>・(5)は漸進的進化で説明がつく
>・で、(3)と(4)は?
取り急ぎ必要なところだけ。
ここで括弧つき数字で括るのは誤解を生じやすい書き方です。
きちんと第三とか第四と言うべきでしょう。
この件については、ミケはもう少し回答を先延ばしにします。
あせっても別にいいことないし。皆さんものんびりゆっくり考えましょう。
>私はテレパスではないので、長坂(偽)さんが単に疑問に思ったのか、自然選択説を否定しようとしているのか区別はつきません。
テレパスでないのなら、文章から判断するべきではないでしょうか。
私は偽長坂名義においても、ただの一度も自然選択説の否定なんぞしていません。
>しかし、私の最初の発言(re:やってみた)に対するレスや下記発言などを読めばただ質問しているレベルではないと判断します。
>>外敵に対する防御として屁が漸進的な進化を始めるためには、これだけの器官が一度に揃う必要があるわけです。
> ここを疑問に思うことが、そんなに変でしょうか?
「私の最初の発言(re:やってみた)に対するレス」というのはこれのことですね。
> こういう精密な過程が「偶然」にできるものだろうか、というのは正当な疑問だと思います。
> 目のように徐々に精巧にしていけるものと違い、発射直前に混ぜなければ爆発してしまう、ということなのであれば。
私が書いているのは、文字通り「ここを疑問に思っても不思議ではない」ということです。
そりゃ本家長坂さんのように既存の学者の説に食ってかかるなら、そもそもその学者の説を(英語の論文でも何でも読んで)ちゃんと知れよ、と言われるのはわかります。でも私はそんなこと言ってないし、思ってもいません。
ここは疑問に思っても不思議じゃないよね、と言うと、英語の論文嫁、と食ってかかられなきゃいかのですか?
>だけどさ、本家長坂君(彼が本当に平成生まれであることを祈る。それにしても香ばしいけど)は、
>目という器官の斬新的進化を認めているわけにゃんからねえ・・・・
そうでしたっけ? 偽長坂(私)は認めていますけど。
>過酸化水素水とハイドロキシンを混ぜても爆発しにゃーんだったら、あとは斬新的進化で
>説明がつくと推論するしかにゃーのではにゃーかな?
なにが「しかにゃー」なのかよくわかりませんが。
>つまりさ、おみゃーさんのいう「そういう論点」っていうのは、目という器官の斬新的進化を
>認めた時点で、「そういう論点」のロジックを受容したと解釈するしかにゃーと僕は思うわけ。
そうかなあ。目という器官は、最初から光を感じる(見る)という目的に沿って漸進的に進化した(と思われる)けど、ゴミムシの屁は、以下のページによればこんな順序で進化したそうですが(英語なので解釈間違えてたらご指摘ください)、こんな気の利いたストーリー、解剖学とかの知識がなければ、ちょっと思いつかないんじゃないでしょうか。
http://www.talkorigins.org/faqs/bombardier.html
(1)もともと皮膚表面でキノンを分泌していた。キノンは捕食者に対する忌避効果があった。
(2)キノンがちゃんと溜まるようにそこがだんだんへっこんだ。そのうち筋肉がつき、腺となった。また、キノン耐性を持った外敵のため、キノンはハイドロキノンに進化した。
(3)もともと細胞の副産物として生成される過酸化水素水がハイドロキノンと混ざる。
(4)カタラーゼはもともとたいがいの細胞中にあって、それが体表にできた腺で混ざるようになって完成。
だから私は、元の長坂さんの提示した疑問点5つについて、
・(1), (2)は過酸化水素水とハイドロキシンを混ぜても爆発しないのなら説明がつく
・(5)は漸進的進化で説明がつく
・で、(3)と(4)は?
と聞いたわけです。それに対する答として、
>ネタとしては面白いけど、疑問の呈し方としては三流だね。
>漸進的な変化で説明できることに気づいてないってところが。
>予言しよう。
>屁をこくのが下手なヘコキムシがいた(もしくは今もいる)ことを。
これってどうなの? 偽長坂(私)は、斬新的な進化というものがあることは最初から認めているというのに。
匿名希・望さん
>多分彼は検索できるかじゃなくて、英語の学術論文なんか素人が読みこなせるか!と言いたいんだと思われ。
言いたいことはそうかも知れませんが、その様な意見を許容するつもりはありません。
長坂(偽)さんはみなさんが行った初歩的な解説について納得はしていませんでした。
また、ドーキンスの著作など啓蒙書も読まれているようです。
啓蒙書による説明は、わかりやすさや興味を持たせることを優先するために、正確でないことはよくあることで納得できないことも多いでしょう。
啓蒙書や初歩的な解説で納得できないのならば、より専門的な文章を読む必要がでてきます。
単に興味があるとか、わからないから初歩的なことを教えてほしいだけならば、検索のしかたさえもわからないことがあるので、そういうことまでも教えることはあるでしょう。
しかし、今回の場合は違います。
少し違った方向からみてみましょう。
長坂(偽) さんは「人の話を読まずに投稿するのが得意技ですか? 投稿者:長坂(偽) 投稿日: 2月 2日(木)22時58分10秒」の発言で、下記のようにミイデラゴミムシの機構が漸進的進化で説明できるということに疑問を示しています。
>斬新的な進化が始まるためには、以下のものが必要です。
(中略)
>外敵に対する防御として屁が漸進的な進化を始めるためには、これだけの器官が一度に揃う必要があるわけです。
ここを疑問に思うことが、そんなに変でしょうか?
この文章を読むかぎり、長坂(偽) さんは、ミイデラゴミムシに関する専門家が提出している科学的仮説に対する否定的に疑問を持っていると思われます。
ただわからないから知りたい、のような疑問であるのならばともかく、否定的に検証を求めるのであれば疑問を持った科学的仮説に対してよく知っている必要があると私は思います。
少なくても、なぜ専門家達がそのような仮説を採択しているのか理解できる程度の知識は必要だと思います。
>少しでも自分で考える人やったら、「盲目の時計職人」P.150〜151云々のくだりで十分やけど。
それが、少しでも自分で考えることはなく、かといって人の言うことを聞く気もないのだから。
その証拠に、
> 斬新的な進化が始まるためには、以下のものが必要です。
(1)ヒドロキノンと過酸化水素をためるタンク
(2)カタラーゼとペルオキシダーゼをためるタンク
(3)それを混合させる器官
(4)それを発射(体外に排出)する器官
って論法を目の進化に当てはめれば、
水晶体や網膜、瞳、焦点距離の調節を行う筋肉群、等が全てそろった「あと」で、
「ミドリムシの眼点」が出現して、その後お椀状のくぼみの中に眼点が位置し、...と進化しなければならない。
つまり、単細胞であるミドリムシが、水晶体や網膜、瞳、焦点距離の調節を行う筋肉群、をすでに持っていたはずだ、と彼は主張しているのです。
こんなアホなことを自分が言ってることに、未だに気がつかない人なんですよ...。
>反論になっていないドーキンスの言明を持って反論とし、それに誰も異論を挟まない、というのはおかしいと思いました。
これだけ皆に説明されてんのに、まだわからへんの?少しでも自分で考える人やったら、「盲目の時計職人」P.150〜151云々のくだりで十分やけど。
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。