進化論と創造論についての掲示板ログ328

2006年01月24日〜2006年01月28日
このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
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仮説  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年01月28日20時46分

>最初に感じていた通り、どちらも未だに仮説でありましょう。

その通り、全ては仮説です。
ですが、進化論は「様々な証拠に合致し、間違っているということはきわめてありそうにない仮説」です。創造論はそうではありません。
仮説だから全て同じだというのは、あまりにも乱暴です。

ようさんが「当たり前だ」と思わされていることはほとんど全て仮説です。地動説、原子説、地球環境が破壊されつつあるということ、などなど。
進化論の問題とは関係なく、教育において科学論がほとんど教えられないのは確かに問題かもしれませんね。

>私は、近代を総て否定しようとは思わない。しかしもろ手を挙げて賛成する気にもならない。一体本当のところ、どうなんだ! と思うのです。

「近代」という大きくて漠然とした概念に対して、賛成も反対もしようがないでしょう。近代の中には評価すべきものもあれば、批判すべきものもあります。それだけです。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月28日20時29分

どんぴしゃな反論と言われてもなあ、全然まともな反論ないじゃん。ええ、もちろん自信はあります。鉄壁だと思ってますよ。http://b4.spline.tv/tensidoumei/で議論してます。反論がある人はこちらに。とりあえずこっちの書き込みは休みます。ヒット件数がなかなか上がらないので、一ヶ月くらいたったらホームページ宣伝にまた書き込むかも。普通の会話に戻ってください。http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/


ゆんさん、皆様へ  投稿者:よう 投稿日: 2006年01月28日19時32分

こんばんは。あれから少し勉強してみました。
進化論VS創造論、これは土台論点が違いますから論争はナンセンスではないか、と結論いたします。最初に感じていた通り、どちらも未だに仮説でありましょう。
正直申し上げれば、進化論は理解が困難ですね、説明書を読んでもイキナリ専門的な各論に入ってしまうと、私のような門外漢は呆然と致します。

創造論の総てを聖書に結びつけて疑似科学と断罪する事は、少々感情的な感じがします。ある仮定条件を基に、合理的で矛盾のない説明が出来るかどうかが、「科学的」と言う事ではないでしょうか、実験が出来ないのだとすれば。
創造論の一つに、かつて地球は水蒸気層に覆われて、ビニールハウス状態だった。そしてその水蒸気層が決壊して大洪水(ノアの?)に至ると言うくだり、どきどきして面白かったですね。そして水蒸気層があれば、気圧が今の2倍であの「始祖鳥」は飛行可能と言う説明には感心いたしました。

今後は、さまざまな意見に耳を傾け、一体本当のところどうなんだ、と真摯に偏見無く向かい合いたいと考えております。

ついでに一つ愚痴を申し上げたい。進化論が当たり前だ、と思わされていた事。仮説に過ぎないのだ、と言う事(今のところ)。その辺もちゃんと教えておいてくれよ、と(笑)。

科学史を辿ると、近代科学が起こる前の科学とは、聖書の記述証明であったという事。科学者が研究に没頭し、(在るのか無いのか保証のない)真理法則を追い求める行為は、「在ると信じる」事、つまり「絶対性」を希求すると言う事。つまり、「科学者」とは宗教的行動の人間、と言う事。

「近代」は何をもたらしたのか。「地球規模の破壊」と言う事は動かしがたい。その破壊行動は「機械工業化社会」であり、その近代社会を支えてきたのは資本主義、無神論哲学(人道主義、相対主義)であります。個人の自由を引き換えに。

ダーウィニストは感嘆するほど目まぐるしく変化する機械工業化製品と社会を見て、「進化」を思ったという意見に私は同意したい。しかし、この「進化」と言う発想は、同時に「差別」と「優劣」をも産んだのであります。

私は、近代を総て否定しようとは思わない。しかしもろ手を挙げて賛成する気にもならない。一体本当のところ、どうなんだ! と思うのです。


うっ...  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月28日16時19分

320×300ドットだったけどちょっと大きすぎたみたい...(-_-;)
ハナカマキリの仲間らしいです。


百論は一見に...>ミケさん  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月28日16時12分

面白〜い♪

それはそうと、いつからかこの掲示板は画像を貼り付けられるようになってる...。
で、実験と兼ねて、

タイのジャングルで観察してきた「擬態」の事例


とりあえず  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年01月28日15時03分

>直感的に、前髪で前見えなくなったらおかしいじゃん、動物で一種もいないってことは、やはり前髪伸びてくるのおかしいじゃん、デザインじゃないの、と直感的に分からないかな。

http://www.doblog.com/img/u9709/FI1404713_0E.jpg

今日は早く帰って富樫 さんをいじろうかなー。


ん?  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年01月28日14時29分

>掲示板を開設しました。

キミは議論をしたいんじゃないだろ?いかに「自分が正しくてあんたらが間違っている」かを威張りたいだけだろ。キミはいかにドンピシャな反論を食らっても「的外れだ」としか返してないじゃん。そんな無敵くんにつきあう時間などないな。
#バカはスルーに限るんだけどね…


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月28日14時11分

掲示板を開設しました。反論が長い人はそちらに書いてください。
 反証可能とか反証不可能とかの議論は哲学です。私はあまり意味があるとは思えません。真か偽かを難しく言い換えただけだと思いますが。倫理とかと違って科学では論理と証拠が正しく提出されているかいないか−つまり現実との対応関係が正しく設定されているかいないかです。個別命題とか全称命題とかの区別は意味ないと思います。直感的に、前髪で前見えなくなったらおかしいじゃん、動物で一種もいないってことは、やはり前髪伸びてくるのおかしいじゃん、デザインじゃないの、と直感的に分からないかな。『個別命題で証明されても全称命題は証明されない』意味わからん。ようするに証拠があっても何もかも証明されないって言ってるだけでしょ。個別に証拠を挙げたり論理を掲げたりするのが証明って意味だと思います。一から十まで100パーセント証明する−例えば実験が正しいかどうか無限回繰り返さない限り証明されたとはいえない、とか言い出したら何にも証明できません。それなら証明という語の定義から始めなくてはならないでしょう。
 ヘルメスさん、意味不明です。観測者が人間だと書いてません。

http://b4.spline.tv/tensidoumei/


富樫様  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月28日14時10分

掲示板が出来たら書き込みに行きます。
そこでなされる議論は(このサイトでの、やがて過去ログへ流れて消えていく情報と違って)、富樫さんの理論の理解を助けるものとして、あのページに蓄積され、あのページを豊かにしていくと思います。

...ただし、ボクなり他のみなさんの反論で理論が崩壊しなければ、の話ですけどね...(^_^;)


富樫さんの議論とは全然噛み合わせないで思ったことを垂れ流してみる  投稿者:ゆん 投稿日: 2006年01月28日11時48分

そういえば、自意識(自分は自分であるという確固とした認識)の実在性を疑わせる
傍証として、自分と世界の区別がつかなくなるという精神疾患がありましたね。脳
みそのスイッチが変に切り替わるだけで自己と他者の区別がつかなくなるのであれ
ば、自意識ってのが結局ただの錯覚であってもあんま不思議はないのかもなー。


歴史の検証  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年01月28日11時28分

 少し考えてみたのですが、もし我々が本当の意味でのタイムマシンを持っていれば、ゴスの仮説も反証可能です。その意味では進化史仮説も、そして創造論も直接的な反証も検証もできません。しかし後者の両理論がゴスの理論と異なるのは、現在の世界に何が見られるかということを予測できることです。そしてその予測が合っているかどうかを確かめることで、反証や検証ができるのです。


反証と検証  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年01月28日11時25分

>この本のポパーの説明は、8888xさんの説明とほぼ同じで、私はこれに基づいて書き込みをしたつもりでしたが、

 その本は読んでいませんが、同じ説明だったとすれば、まだそれを正確には理解していないのでしょう。さもなくばレス後半の疑問はでないでしょうから。まず言いたいのですが、反証可能性の話はポパーがどうのこうのとかいう権威に頼るような話でもなければ、科学哲学的にどうのこうのとかいう小難しい話でもなくて、論理的に考えればごく当たり前のことなのです。普通の科学者たちが日常ごく自然に行っている行為、それが反証なのです。

 全称かどうかにかかわらず仮説Aがあるとします。ここで可能性としてはAが正しい可能性と、notAが正しい可能性とがあります。狭い意味では、Aが正しいことを証明しようとする行為を検証と呼び、notAが正しいことを証明しようとする行為を反証と呼びます。しかし、前者が成功しなくとも、後者においてnotAが正しくはないことが証明されれば、Aが正しいことも証明されます。つまり、反証という行為も広い意味では検証に含まれると言えます。

 反証可能性そのものは全称命題か否かとは無関係です。例えば「diamonds8888xは男である」という命題は全称命題ではありませんが、本人の染色体を調べるという反証の手段があります。つまり反証可能性はあります。そして反証は失敗するでしょう(^_^)。
 この例でわかると思いますが、同じ本人の染色体を調べるという行為でも、「こいつは男ではない」という予断を持っていれば「反証する行為」と呼びますし、「こいつは男だ」という予断を持っていれば「検証する行為」と呼びますよね、世間一般の用語法では。

 このような個別命題の全称命題との違いは、有限の時間内でAとnotAとのどちらが正しいのか決着がつけられるということです。全称命題の場合は、個別事例で延々とAが正しいと証明され続けても、全称命題そのものの正しさは宙ぶらりんで残ります。まあ、これは御承知ですよね。

>進化論て全称命題なのかな?

 学問における全ての仮説は全称命題と言えますね。「この世界の全ての事象は、この仮説に矛盾しない」と主張していますから。


この世で一番バカ  投稿者:大文字ナン 投稿日: 2006年01月28日11時10分

〜なのはね、自分が「バカなのかも知れない」と考えることを「意識的に」やめているバカのことなんだよ>富樫クン


お久しぶりです  投稿者:ヘルメス☆ 投稿日: 2006年01月28日10時43分

また、何かトンでもない人が現れたような。。。

>富樫さん
>コペンハーゲン解釈もエヴェレット解釈も誤りです。コペンハーゲン解釈−観測者がいなければ波動が決定しないとするなら、観測者が一人もいない超過去ではどうなるでしょう。

その観測者が「人間」とは限らないんじゃ?
そもそも、観測者とは状況を認識しうる存在であって、別にそれが人間でなければならない、とは誰も言っていない記憶が???


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月28日10時38分

ごめん、また間違い。『検証が必要ないのもあればあるのもあるでしょ』 ここを占領するのもあれなので、掲示板つくります。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月28日10時35分

誤字訂正、検証が必要ないのもあればないのもあるでしょ。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月28日10時34分

なんか反論が全部ずれてるよ。無限時間後は有限、無限に等しい時間って意味、はなから数学的時間じゃないの。
 事実の検証が必要あるとかないとかは、その場その場で決めるにきまってるでしょ。検証が必要なにもあればないのもあるでしょ。
 だから複素関数論がなんなの?俺の話と関係ないじゃん。じゃあなんで特殊相対性理論で虚数になるから光の速度を超えられないって言ってるですか、どの本にもそう書いてあるでしょ。自然な数だったら虚数になっても問題なく光の速度を超えられるでしょ。
 『複数の人がそれをいったらどうなる?』意味不明、俺しかいねーじゃん。
 数学ができないといってるが、人工世界論で数学なんてほとんど使ってないでしょ、意味不明。
 多世界解釈なんて無理に決まってるでしょ、エネルギーどっから持ってくるの?エネルギー保存則はどうした?
 まだ神がどうのといってる人、証拠示せ。私は神、なんて誰でもいえる、でも証拠はだせない。
 雪が白いのは神がそうしたから。お前は雪が白以外の世界に住みたいか?火が赤くない世界に住みたいか、空が青くない世界に住みたいか。自然の背景色なんて普通に考えたらめちゃくちゃなはずなの。質感者にこびるように光の波長が的確な比で並ぶかよ。我々が未来で作る人工世界も同じ背景色にせざるをえなくなるよ、それ以外は全部変に感じるから。人間もそう、知的生命体として描ける自然な形は人間しかないでしょ。グレイの中に君の意識が投入されたら、鏡みて一発で変な印象を受けるでしょ。
 世界は進化論で発達しました、動物も人間もそう、進化論は否定しないよ。複雑な構造を持つ器官が自然にできるに決まっているでしょ、こんだけでかい世界を創る生命体が自然発生したんだから。
 人工世界論の周囲ばかり反論してくるけど、肝心の内容はどうしたの。意識質感だけ入れ替わらないとか。とりあえず掲示板つくると思います。


ああ!女神様が...  投稿者:tema 投稿日: 2006年01月28日10時19分

>これまでの議論(と呼べるかどうかは分かりませんが)を踏まえるために探してきました。
>
>http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_thread?base=6906&range=1

うかうかと読んでしまい、中に書かれていた知世様御結婚の報に、また涙が...


主観と客観  投稿者:流木 投稿日: 2006年01月28日 7時14分

>「文字は人工物だ。ここに世界について記述された本がある。この世界の記述はなんと驚くべきことに人が作った文字によって書かれている。

 この問いを突き詰めて考えたのは、カントですね。カントは大陸合理論とイギリス経験論とを総合しました。

>つまり世界は人工物なのだ。」

 カントの結論はこうではありませんでした。


それでも証拠を挙げる僕  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月28日 0時42分

チミが馬鹿であるように世界を創造したといったはずにゃんが。
つまり、チミの馬鹿さ加減が僕の世界創造の証拠だにゃ。
また
チミが神の創造を信じるような世界を創造したと僕はいっただろ?
つまり、チミの言動の全てが僕の世界創造の証拠だにゃ。

・・・・とな、口でいえることを「証拠」というチミの論法なら、
どんな証拠だっていえるぜ(げらげら

事実を示さない証拠なんて、証拠としての意味がにゃーの。


芳醇なる富樫クン  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月28日 0時36分

>合理的思考の相互の正しさの優劣をどうつけるか、そんなの合理的思考に決まっているでしょう。事実の検証など必要ありません、常識と理性さえあれば理解できます。例えば無限の数だけ目があるサイコロをふったらどうなるのか、実験するまでもなく1が出るのは難しいとわかります。そんなこといちいち実験、検証する必要があるのでしょうか。
(無題) ?投稿者:富樫 ?投稿日: 1月27日(金)12時46分21秒

>神っていうなら証拠を示せ。
(無題) ?投稿者:富樫 ?投稿日: 1月27日(金)14時16分2秒

事実の検証など必要にゃーのであったら、証拠なんていらにゃーわけよ・・・・・
ちゅうか、事実でない証拠って何よ?
証拠とは検証が必要なものにゃんが、それって事実の検証にほかならにゃーわけで・・・・


それに、他にもいろいろとおいしすぎ
コペンハーゲン解釈と多世界解釈(エヴェレット解釈)の2つとも切り捨てた手並みは一里四方に匂い立つ芳醇さだにゃ。
小心者の僕としてはボロがでるかもしれにゃー物理学にはつっこまにゃーけどね。


ちゅうか・・・  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月28日 0時19分

>無限といったのは数学的無限ではなく、無限時間後、つまり時間的無限です、これは有限です。
((無題) ?投稿者:富樫 ?投稿日: 1月27日(金)14時16分2秒)

考えてみればこの発言単体でもすげーよにゃ・・・・
無限時間後=時間的無限=有限


数学以前  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月28日 0時15分

いや、チミ、本当に香りたつ馬鹿にゃんな。

>合理的思考の相互の正しさの優劣をどうつけるか、そんなの合理的思考に決まっているでしょう。事実の検証など必要ありません、常識と理性さえあれば理解できます。例えば無限の数だけ目があるサイコロをふったらどうなるのか、実験するまでもなく1が出るのは難しいとわかります。そんなこといちいち実験、検証する必要があるのでしょうか。
(無題) ?投稿者:富樫 ?投稿日: 1月27日(金)12時46分21秒

>チミには常識も理性もにゃーね。本当に「無限の数だけ目があるサイコロをふったら」、1がでるのは不可能だろ? 「1がでるのが難しい」のは、サイコロの目が有限で、かつ充分にその目の数が大きい場合だよ。そんなこともわかんにゃー無知馬鹿が「そんなこといちいち実験、検証する必要があるのでしょうか。」とは大笑い。
(まるでダメ>富樫クン ?投稿者:地下に眠るM ?投稿日: 1月27日(金)13時11分46秒 )

>無限といったのは数学的無限ではなく、無限時間後、つまり時間的無限です、これは有限です。
((無題) ?投稿者:富樫 ?投稿日: 1月27日(金)14時16分2秒)

なあなあ、富樫クン。
「無限の数だけ目があるサイコロ」といっておいて、つっこまれると「無限といったのは数学的無限ではなく、無限時間後」になんでなっちゃうの? 「無限の数だけ目がある=無限時間後」になるの? 数が時間になるわけ? 時間はひとつ、ふたつ、とは数えられにゃーって知ってた?
数学という思考法においてはね、ゼロや無限にはすんごく気を使うのだにゃ。ある数をゼロで割ることはできにゃーし、無限で割ったらゼロになるというのは初歩中の初歩。数学という思考法に手慣れた人は、四則演算を間違えることはあっても無限やゼロについての注意事項はぜったいに間違えることはにゃーのだよ。

それににゃ、もし百歩譲ってチミのヘタな言い訳を真に受けるとして、だ・・・・
無限時間後というのは、無限回の試行をしたとするという意味なんだろうけど(でなければ言い訳の意味がない)、サイコロの目が有限で無限回の試行をしたとしたら、「1」の目が出るのは難しくもなんともにゃーどころか、確実におこることなんだにゃ。

高校程度の数学を理解できる者の目から見れば明らかなんだけど、チミは数学的な思考もできなければ、数学の知識もにゃーわけ。そんな馬鹿が数学っぽい何かを使ってでっちあげた穴だらけの馬鹿理屈がチミの人工世界論なんだにゃ。チミの数学のレベルは「分母には気をつけよう」という高一の学習参考書の注意事項以前なんだにゃ。
例えば、ミケのいっている虚数についての解説は、複素関数論といって大学の教養課程のお話だけどチミはまるでわかってにゃーだろ?

高校程度の数学を理解してから人前でものを言えよにゃ。


dでもない、あたしゃ神様だよ  投稿者:えめ 投稿日: 2006年01月27日23時46分

この世界は多次元宇宙が互いに干渉しあって成立している。様に見える。
あるいは
観察されて初めて決定するように見える。

つまりこーゆーことよ

この世界は無数の静止画のような世界が(丁度写真のように)存在し、時間が未来方向へ進む事によって、写真を連続してみるとフィルムとなって映像が動いて見えるように様々な現象が成立しているのだぁ。
物理的な法則とは現在の瞬間から無数に存在するもう一つ先のコマへの方向性(決定論ではないのだ。時間の進みやすさと言うか、行きやすさ。あくまでも因果律とゆー可能性なのだー)として存在するのだぁ。
存在する宇宙の数は無数、つまり今この瞬間と全く同じ世界も無数に存在する。まぁ数えるという行為そのものが無意味なのだぁ。

観測されない限り物事が可能性として存在すると言うのは、スムーズに時間が流れるように無数の世界中で確率的に未来(一瞬後の)が選択されていると言うことなのだぁ。
未来は常に可能性として(台風の進路を極端にしたような形で)漏斗状に広がっているのだぁ。

エネルギーに於けるプランク定数のように時間を最小単位で区切り、超絶的直感を用いれば自明なのだぁ。

>神だと主張するなら何でもいいから証拠だせって。こっちはちゃんと出してるでしょうが。

よーし、今からこの世界の時間を止めてやるから世界の外側からゆっくり観察してくれ。
二度はやらんからな。1・2・3ハイッ
どうだ?解ったろ?


流れが速い  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年01月27日23時44分

>進化論が反証なり検証される可能性があるということは、よくわからなかったのですよね。

進化論の反証となりうるものはいろいろありますが、ここではダーウィン自身が指摘したものを紹介しておきましょう。
----------------------------
いくつもの軽微な変化が続いて形成されたとは考えられないような複雑な器官が存在することを実証できれば、私の学説は絶対に成り立たなくなってしまうだろう。だが、そういう例にはお目にかかったことがない。
----------------------------
(チャールズ・ダーウィン著リチャード・リーキー編「新版図説種の起源」P111より引用)

断続平衡説については、もうちょっと待ってください。


人工世界論、これまでの議論(?)  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年01月27日21時26分

これまでの議論(と呼べるかどうかは分かりませんが)を踏まえるために探してきました。

http://otd9.jbbs.livedoor.jp/915865/bbs_thread?base=6906&range=1
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board050425.html
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/board050514.html

富樫 さんも読んでないなら読んだ上で書いてね。


ボクはまともではないので  投稿者:ミケ 投稿日: 2006年01月27日21時07分

センスのない富樫 さんにも分かりやすいように
ここでみんなの反論を解説してあげましょう。ケケケ。
あくまでもここに書かれたこと(過去ログ含む)の解説ですから言い訳は立ちます。

まず虚数について。たとえ話で分かりやすく。
富樫 さんも小学生時代はありましたよね?
さて、富樫 さんのご自宅から見て小学校は何m(km)北にありますか?
北方向をプラス、南方向をマイナスとして、正確に小学校の位置を答えてみてください。
無理でしょう?
『北と南』だけでは、位置を正確に記述することはできません。
だから『東と西』という別の方向を持つ基準が必要となったわけ。
プラスとマイナス、そして虚数もこれと同じです。
プラスマイナスだけでなく、その延長として虚数という基準が必要になったの。

あなたが言ってるのは、
「文字は人工物だ。ここに世界について記述された本がある。この世界の記述はなんと驚くべきことに人が作った文字によって書かれている。つまり世界は人工物なのだ。」
っていう主張と同じです。いやぁ、実に滑稽ですよね。


さて、「私は神だ」論についてまだ理解されてないようなのでお教えしましょう。
『私は神だから神の存在証明が例外的にできるのです、他の人には証明できないようにプロテクトをかけておきました。はい、悲しきかな、これが事実です。』
という主張を複数の人がした場合、どうなるのかな?
地下猫 さんや、えめ さんの主張はつまりそういうこと。
あえてか何か知らないがプロテクトとは言ってないけど、彼らの論にそれを付け加えたらどうなるか考えなかったんですか?

そう、これについては証拠など示せないのです。お互いに。
なのに「証拠を示せ」なんて言っちゃったらそりゃカンペキに敗けです。

お互い証拠を示すことができない。正しいかどうかを『検証』することができない。
あ、無知な富樫 さんにも分かりやすく教えてあげると、科学における検証とは
1.間違っていたとしたらこうなるはずで、正しいとしたらこうなるはず(予測)、
2.それはこういうデータを加えることで確かめることができるはずだ(実験・観察等データの追加による検証)

のことを指します。「私は神だ論」は、どうやったら科学的に検証できるのかな?
そして人工世界論は?


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月27日20時45分

物理学では、特殊相対性理論で式に光の速度を超えた値を代入すると虚数になってしまう、だから光の速度を超えられるものはない、という風になっています。これは整数などと違って虚数が自然なものではないということを示しています。
 おずおずさん、反論を聞かせてください。自分のホームページでやったら誰もみないと思います。ここならけっこう人がみてると思うので。でもいつか掲示板をつくるかも。
 反論はきびしいと思うな、虚数が一番攻めやすいかな。意識質感が何年たっても入れ替わらないのはおかしい、とかはかなり鉄壁だと思います。肉体も脳も元素レベルで入れ替わるのに意識質感粒子だけずっと同じだったら変だと思いません?入れ替わると考えるのが普通でしょ、入れ替わっても生物にとっては痛くもかゆくもないし。科学というより素朴な疑問に近い。


とりあえず  投稿者:ゆん 投稿日: 2006年01月27日20時19分

富樫さんが数学のセンスないようだということはわかった。
虚数が人工数と言うなら、整数かてそうやがな。
# て、EzoWolfさんも同趣旨の書き込みされてますな。


富樫様  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月27日20時12分

>まともな人を求む。

ボクは人工世界論の内容についての反論を持っています。完璧に否定できると思っています、
ただ、ボクはまともな人だから、富樫様のサイトでもない所で長々と反論するのは気が引けるのです。
また、ここで反論するより富樫様のサイトで議論したほうが富樫様のサイトのヒット率が上がって、その結果、電車男のように出版にこぎ着けることが出来るかも、と思うと勿体ないとも思うのです。
いかがでしょうか?


キリ番ゲット!  投稿者:Kosuke 投稿日: 2006年01月27日19時18分

ナンか下さい。

> できるわけないだろ、



> 俺にだってできん。
ワラタ


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月27日18時41分

神だと主張するなら何でもいいから証拠だせって。こっちはちゃんと出してるでしょうが。プロテクトがはずれてるから、こっちの方が相対的に神である可能性が高い。
 何が超絶的直感だ、馬鹿すぎて話にならん。自分の質問に自分で答えてる?全くの意味不明。まともな人を求む。
 人工世界論の内容についての反論が全く出てこない。単に合理的に反論できないからでしょう。できるわけないだろ、『反論について』で書いたことだが、俺にだってできん。

http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/


富樫さま  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月27日16時43分

反論あるいは意見を述べようとあなたのサイトを見て回ったのですが、反論を書き込むことのできる場所を見つけることが出来ませんでした。
これって不親切じゃないですか?


あら?これって一人ボケ突っ込み?  投稿者:えめ 投稿日: 2006年01月27日16時08分

(無題) 投稿者:富樫 投稿日: 1月27日(金)14時16分2秒

>あなたが神であると主張するなら証拠を示してよ。こっちは神の証明ができないようにす
>るプロテクトがはずれているからあなたより私の方が神である可能性が高い、つまりこっ
>ちは証拠を示している、そっちは証拠を示していない、反論も何もあなたがそう言ってる
>だけでしょ。神っていうなら証拠を示せ。

以下は同レス前半より、自分の質問に自分で答えとるぞ

>それ自体矛盾がない合理的思考はいくらでも想定可能、そりゃそうでしょ、だからなんな
>の?それらを比較してこれがより正しいのではないか、という思考は可能に決まってるで
>しょう。理性を用いようが天才的直感を用いようが関係ない、より正しければそれでいい。

わしも富樫君の理屈を借りて名乗っちゃおうっと

ワシがこの世界を創造したのは超絶的な直感により真実なのだぁ。
超絶的な直感つーのはこの宇宙を創造したワシにしか持ち得ない能力なのだぁ。
科学(数学も含む)手法などとゆー低次元のレベルでは証明も理解もできんのだぁ。
この世がちゃーんと存在しとるのが唯一の解りやすい証拠なのだぁ。

>理性を用いようが天才的直感を用いようが関係ない、より正しければそれでいい。
わしの言う事の方が超絶的な直感により”より正しい”のだぁ。

 …つまり
 ワシが世界を創ったのだぁ。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月27日14時16分

無限といったのは数学的無限ではなく、無限時間後、つまり時間的無限です、これは有限です。仮に今を基底現実人発生から6300兆年後にしましょう、無限ともいえる時間の中で1年後を出すの難しいでしょう、そうゆう意味。数学的無限をサイコロにできるわけないだろ。
 この世には真か偽かしかありません。それはつまりあるかないかということです。あると同時にない、というのは不可能です。真か偽か知識不足で判断できないというのならいくらでもありますが。
 それ自体矛盾がない合理的思考はいくらでも想定可能、そりゃそうでしょ、だからなんなの?それらを比較してこれがより正しいのではないか、という思考は可能に決まってるでしょう。理性を用いようが天才的直感を用いようが関係ない、より正しければそれでいい。
 あなたが神であると主張するなら証拠を示してよ。こっちは神の証明ができないようにするプロテクトがはずれているからあなたより私の方が神である可能性が高い、つまりこっちは証拠を示している、そっちは証拠を示していない、反論も何もあなたがそう言ってるだけでしょ。神っていうなら証拠を示せ。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月27日13時57分

コペンハーゲン解釈もエヴェレット解釈も誤りです。コペンハーゲン解釈−観測者がいなければ波動が決定しないとするなら、観測者が一人もいない超過去ではどうなるでしょう。一人もいないから波動が決まらない、世界は未決定のまま進行するでしょう。しかし世界は一つに決定している、従って観測者は必要ない。観測者以前に観測者を生じさせる一つの物的世界が必要です、観測者以前の物的世界が波動をすでに決定したからこそ観測者がその後に生じることができたのです。
 エヴェレットも誤りです、ありうる波動の数だけ世界があるというのなら、量子力学が発生する以前の宇宙は一つだけであり、宇宙一つが進化して量子力学的に振舞うようになるやいなや多数の世界が生じるとすれば、エネルギー保存則がやぶれてしまいます。一つの宇宙のエネルギーからどうやって多数の宇宙を発生させるエネルギーを生じさせるのでしょうか。それは不可能だからエヴェレットも誤り。
 量子力学が確率論や観測者論になっているのは、おそらく方程式がまだ不完全だからです。


コペンハーゲン解釈とエヴェレット解釈  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月27日13時24分

さて、無能の権現様である富樫クン。
本当に「合理的思考の相互の正しさの優劣をどうつけるか、そんなの合理的思考に決まっているでしょう。事実の検証など必要ありません」のならば、コペンハーゲン解釈とエヴェレット解釈のどちらが正しいのか教えてくれよにゃ。


以下のURL から引用ね

*************************
コペンハーゲン解釈は、哲学における観念論と似ている。観念論では、「世界が存在しているから人間が認識している」のではなくて、「人間が認識しているから世界が存在している」とされる。ところが、この観念論は、近代科学の実在論(人間の意識に関係なく物質は存在するという主義)と対立する。

コペンハーゲン解釈の難点は、論理的な無矛盾性を追求するあまり、近代科学の思想的基盤と矛盾してしまうことだ。近代科学は、「神が宇宙を創造した」という説を除外して、客観的な実在性を基盤とした。ところが、コペンハーゲン解釈は、客観的な実在性を否定して、「観測者が宇宙を存在させる」という説を取る。

その宇宙が、観測者にかかわらず一つだけならば、コペンハーゲン解釈。その宇宙が、観測者ごとに異なるのならばエヴェレット解釈。どちらにしても、観測者が(一つまたは複数の)宇宙を存在させる。観測者が観測していない限り、宇宙は(一つも)存在していない。

コペンハーゲン解釈とエヴェレット解釈は、シュレーディンガーの猫における論理的な矛盾を回避した。ただし、それが真実であるかどうかは、合意が得られていない。この二つの解釈について合意が得られているのは、「どちらも論理的に無矛盾である」ということだけだ。さらに言えば、「神が宇宙を創造した」という説も、論理的に無矛盾であるので、論理性の上では対等の資格がある。

なお、この三つの説はいずれも実験的に検証できない。
*********************************

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E8%A7%A3%E9%87%88


まるでダメ>富樫クン  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月27日13時11分

僕はチミの馬鹿理屈を完膚無きまでに論破したけど、それがわからにゃーかな?
いいかい、僕が世界を創造したのよ。「神が世界を創造した」とチミが考えるような世界を僕が創造したの。
ほれ、反論してみろ。

>合理的思考の相互の正しさの優劣をどうつけるか、そんなの合理的思考に決まっているでしょう。

馬鹿。
それ自体は矛盾がなく合理的な思考体系なんて、いくらでも想定可能であることすらわかんにゃーかね?
ニーチェの永劫回帰、(弱い、あるいは強い)人間原理、カルヴァンの予定説などに見られる決定論などなど・・・・
これらはチミのへっぽこで底の浅いでっちあげなんぞよりもはるかに完成度が高く論駁が困難な世界観だにゃ。

>常識と理性さえあれば理解できます。例えば無限の数だけ目があるサイコロをふったらどうなるのか、実験するまでもなく1が出るのは難しいとわかります。

チミには常識も理性もにゃーね。本当に「無限の数だけ目があるサイコロをふったら」、1がでるのは不可能だろ? 「1がでるのが難しい」のは、サイコロの目が有限で、かつ充分にその目の数が大きい場合だよ。そんなこともわかんにゃー無知馬鹿が「そんなこといちいち実験、検証する必要があるのでしょうか。」とは大笑い。

>思考法は真理でも事実でもない、意味不明です、真理でも事実でもないものといえば嘘や誤謬でしょう。真理でも事実でもなくて嘘や誤謬でないものって何ですか?その中間ですか?意味不明です。

わかんにゃーのはチミが馬鹿だから。
真理でも事実でも嘘でも誤謬でもないものなんて、いくらでもあることもわかんにゃーのかね?
真理でも事実でも嘘でも誤謬でもないものを僕が例示したら、
チミが自分の誤謬を認めると約束するなら、例示してあげよう。


意識の実在性は  投稿者:ゆん 投稿日: 2006年01月27日12時58分

科学的には、まだまだ決着がついてないよなあ。
「自意識は脳みその錯覚である」という結論も、有り得るといえば有り得るんではなかろーか。
私が生きてるうちに結論を見ることは叶わなさそうだけど。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月27日12時46分

もう少しまともな反論はないものでしょうか。世界を創造したのは神です。例えばこういえるでしょう、私は神だから神の存在証明が例外的にできるのです、他の人には証明できないようにプロテクトをかけておきました。はい、悲しきかな、これが事実です。反論してみてください、あなたが神であると考えるよりも私が神だと考えた方がより合理的でしょう。
 合理的思考の相互の正しさの優劣をどうつけるか、そんなの合理的思考に決まっているでしょう。事実の検証など必要ありません、常識と理性さえあれば理解できます。例えば無限の数だけ目があるサイコロをふったらどうなるのか、実験するまでもなく1が出るのは難しいとわかります。そんなこといちいち実験、検証する必要があるのでしょうか。
 思考法は真理でも事実でもない、意味不明です、真理でも事実でもないものといえば嘘や誤謬でしょう。真理でも事実でもなくて嘘や誤謬でないものって何ですか?その中間ですか?意味不明です。


頭のワリイ富樫クン  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月27日12時22分

>この思考法は真理ですか、事実ですか

思考法は真理でも事実でもにゃーだろ?>馬鹿

>用語に拘るなら、単に『より正しいこと』で十分です

事実の検証に基づかない「合理的な思考」が複数あったとして、相互の「正しさ」の優劣をつけることがどうやってできるんだ?>馬鹿

もうひとつ、真理を教えてやろう
僕が世界を作るにあたって、チミは徹底したウスラ馬鹿として創造したのだにゃ。
チミがウスラ馬鹿なのは、アプリオリにそうなっているんだよ(げらげら


無能な富樫クン、逃げる(嘲笑  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月27日12時17分

あー、無能な馬鹿が逃げやがったにゃー(げらげら
ほれほれ、世界は僕が作ったからチミの理論はマチガイだ、に反論してみろ。
あったまワリイでやんのー


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月27日12時14分

真理に到達はしない、事実には到達する、それが科学だ−この思考法は真理ですか、事実ですか。それを科学的に証明することは不可能でしょう、つまり真理に属します。真理か事実かなどという議論は科学ではなく哲学です。用語に拘るなら、単に『より正しいこと』で十分です。神がいるかいないか、より正しい答えは何か?という問いに対して、様々な方法をとったまでです。科学、哲学、思考実験、これらを総合的に用いなければ神の証明には到達しません。神の証明は不可能に近いので、きわめてアクロバットな思考実験をしなければ無理です。聖書を読んでも不合理だけが、科学書を読んでも合理だけが、哲学書を読んでも言葉遊びしかでてきません。
 最後に反論−世界はある、意識はある。この一文が正しいなら、それは反証不可能であり、科学ではない。滑稽です。世界や意識があることは真理というより事実です、反証不可能イコール科学ではない、という論法は事実でも真理でもありません。


ジェニファ・コネリーは美しい  投稿者:EzoWolf 投稿日: 2006年01月27日11時57分

 反論というより感想。

 0はインド人の発明だし、負数が認知されるのは大分時代が下がるし、
無理数の発見はピタゴラス学派と言われている。
 「天然」な数と人工的な数をどこで区分するのだろうか。
というより区分する意味があるのだろうか。


>因果律を整理して言うと、原初知的生命体の誕生→数学の発展、虚数iの発明→人工世界建設の際に使用→

原初知的生命体が虚数を使わない物理方程式で作られた世界に住んでいたとして、
その世界を建設した原原初知的生命体は....神を創造した神の証明その1


>だから朝を起きてこの意識は自分だと思っていても、実は他の質感であり、
主観的に昨日の自分とは全然別の物理的実体ということになり、自我の連続性は保持されない、

富樫さんはダークシティーの住人らしい。


真理と事実  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月27日11時47分

カガクという知識体系は、あくまで「事実」を探求するものであって
極端な話、「真理」とやらに到達することはにゃーともいえる。
そして
「真理」に到達することはないというその点にこそ
カガクという知識体系の優位性が存在するわけにゃんね。


これが真理だ>富樫クン  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月27日11時44分

世界は僕が作ったんだにゃ。
チミのいっていることは、なにからなにまで箸にも棒にもかからにゃーのだが
それも僕がそのように世界を創造したからだにゃ。

僕の言明はこれ以上ありえにゃーほどシンプルであり
チミの理論を完璧に粉砕し、かつ反証は不可能な真理だにゃ。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月27日 9時51分

反証不可能なら、科学ではない、というのは、真理ならば科学ではない、つまり単に反論や批判を許さないものは科学的姿勢からは遠く、真理と思っていても間違いかもしれないからいつまでも批判や反論の可能性を残しておくことこそ科学的姿勢の真の姿である、といっているだけです。簡単なことを難しく書いて悦に浸るというのは哲学者にありがちです。ショーペンハウアーのヘーゲル批判を学びましょう。科学という言葉がいやなら、合理的思考の帰結とでも言い換えましょう。ちゃんとした反論をお願いします。

http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/


Re3:反証可能性について  投稿者:ふと 投稿日: 2006年01月27日 8時21分

フラミンゴの微笑、注文しました。オンラインで古本を検索すると、上下揃と上巻のみしか出てこないのが切ない。みんな上巻読みかけて投げだしちゃうのかなぁ

8888xさん、私の科学哲学に関する知識は『絵でわかる現代思想』日本実業出版社という本で得たものがすべてで、まことに頼りないものです。蛇足ですが、この議論のために買ったのではなく、たまたま人からもらったのです。
この本のポパーの説明は、8888xさんの説明とほぼ同じで、私はこれに基づいて書き込みをしたつもりでしたが、自分の勝手な解釈に置き換わってしまったのかもしれません。全く逆の解釈とはどういうことなのか示していただければありがたいです。

それで、クマノミさんが言っている「進化論は原理的に反証可能」とか、ゴスの理論に対して進化論者が主張することは、進化論は全称命題なので反証可能性があるということなのですか?
それならすべての疑問は解決しますが、進化論て全称命題なのかな?
ゴスの理論を説明されても、進化論にはゴスの理論にあるような、命題の合理性を損なうような理不尽な条件はない、ということがわかっただけで、進化論が反証なり検証される可能性があるということは、よくわからなかったのですよね。
このへんはフラミンゴの微笑を読みたいと思いますが。

「反証」と「検証」のこともわからないです。従来の進化論に対してグールドの平衡断絶説が出てきたのは、進化論の枠組みのなかでの理論の改良と思います。そのことをもって、グールドは進化論を「検証」したということもできるでしょうが、これがポパーの言う「反証」にあたるわけですか?


Re2:反証可能性について  投稿者:diamonds8888x 投稿日: 2006年01月27日 5時44分

 ふとさんもまだ、反証可能性についてよくありがちな全く逆の解釈をしているような気がしますので、余計かも知れませんが解説します。
 ポパーの言うのは、「反証可能性のない仮説は科学的仮説ではない」ということです。そして現在正しいとされている科学的仮説というものは、「反証可能性があるにもかかわらず、そして世界中の科学者たちが反証しようと努力しているにもかかわらず、いまだに反証されていないから」、正しいとされているのだ、というものです。

 なお、カクレクマノミさんご紹介のゴスの理論はマーチン・ガードナー著「奇妙な論理」の「地質学対創世記」の章でも紹介されています。


>反証可能性というのは、全称命題における検証と反証の非対称性という議論から出てきた話だと思うのですが、

 その通りです。全称命題では検証は不可能だが反証ならできる。つまり科学的議論において神ならぬ身の人間に可能なことは反証のみである。従って科学的な仮説というのは、反証することのできる仮説でなくてはならない。というところですね。まあ、世間一般の言葉ではポパーの言うところの「反証」のことを「検証」と呼んでいるということです。


グッドタイミング  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年01月26日22時59分

見事に、タイミングのあったネタが飛び込んできたなあ。

富樫さんへ

>これらの人工世界論に対して反論は原理的に不可能である

という一文が正しいなら、人工世界論は反証不可能であり、科学ではないとわかります。
以上。


Re:反証可能性について  投稿者:カクレクマノミ 投稿日: 2006年01月26日22時54分

>「30秒前に神が世界を創造した。30秒以上前の痕跡や記憶は、神が捏造したものだ。完璧に捏造したので、30秒前に世界がなかったことの証拠は全く存在しない」という命題はそれとは少し違うような気がします。ポパーは、「この命題を反証する可能性はない」というような付帯条件を命題に着けるという議論もしていたんですか?

ポパーがしていたかどうかは知りません。
僕が挙げた例は適切でなかったかもしれませんね。正直なところ、どう見ても反証不可能な説を例にしようとして思いついただけなので(汗)

ただ、その仮想の説を考えたときに、僕が意識していたのはゴッスの説です。
ゴッスの理論をごく短く説明してみます。ゴッスは創造論者でしたが、地質学などから過去には非常に長い時間があったという証拠が得られていることは知っていました。
そこで、聖書の教えと目の前の証拠のつじつまを合わせるために、神が、創造の瞬間以前(前時的)の痕跡を、創造以後(通時的)のものの痕跡と区別できないような形で作ったと主張しました。
この要約はかなり適当かつ一面的なので、詳しくはスティーブン・ジェイ・グールド「フラミンゴの微笑」第6章を見てください。グールドは、ゴッスの理論が否定されるのは誤っているからではなく、反証不可能だからだということを述べています。

>過去ログにはニュートン力学と天体の運行をあげて回答したものもあったようですが、これはどうなのかな?ポパーを前提とするならば、進化論の客観性が不十分とされるのと同様に、ニュートン力学も非客観的なものであるわけですから。

創造論者に限らず、進化論の批判者の多くは、「進化論は再現実験で検証することができないんだから、科学じゃない」という論法を使います。そういうとき、彼らの頭の中にある「模範的な科学」はたいてい物理学です。(物理学が科学じゃないとしたらいったい何が科学なの?というのは誰もが感覚的に思うことでしょう。)
そのため、ニュートン力学などの例が有効な反論となります。

ニュートン力学も相対性理論も、そして進化論も、どれも原理的には間違いでありうるもの(反証可能)です。ですがこれらは、理論から導かれる予測をテストしつづけることによって、信憑性を増し続けること(もしくは、間違いだと判明すること)が可能です。
これは僕の解釈ですが、ポパーは科学が信憑性を100パーセントにできないということを強調したかったのではないと思います。反証可能性を持ちながらも、反証されずに多くのテストをクリアすることによって、信憑性を増すことができることこそが本質でしょう。


(無題)  投稿者:富樫 投稿日: 2006年01月26日22時34分

http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/にて創造論を展開しています。まともな反論をお願いします。ある人はめがねのつるがどうとかいってましたが、虚数や意識質感といったい何の関係があるのでしょうか、意味不明です。反論のホームページもありましたが、実に滑稽です。アニメ声質感が中間的な形態、表現型とは意味不明です。お願いですからまともな反論を。

http://homepage2.nifty.com/sinseigingateikoku/


反証可能性について  投稿者:ふと 投稿日: 2006年01月26日17時48分

だいぶスレが進んでしまいましたが、カクレクマノミさん、疑問に答えていただきありがとうございました。

ポパーについて私も多少調べてみました。
それによれば反証可能性というのは、全称命題における検証と反証の非対称性という議論から出てきた話だと思うのですが、クマノミさんが例にあげた「30秒前に神が世界を創造した。30秒以上前の痕跡や記憶は、神が捏造したものだ。完璧に捏造したので、30秒前に世界がなかったことの証拠は全く存在しない」という命題はそれとは少し違うような気がします。ポパーは、「この命題を反証する可能性はない」というような付帯条件を命題に着けるという議論もしていたんですか?

それはともかく、ポパーは科学一般について、完全な実証性を持ち得ず、間違いうるものだと言うことを主張したわけですよね。創造論者がポパーの議論を持ち出してくるのは、すべての科学に当てはまる批判を持ち出してきて、進化論を不当に誹謗中傷しようとするものと思われるので、「その批判は、科学としての要件を備えているかという点について進化論と創造論を比較する際の参考にはならない」という回答をするのがよいのではないでしょうか。
過去ログにはニュートン力学と天体の運行をあげて回答したものもあったようですが、これはどうなのかな?ポパーを前提とするならば、進化論の客観性が不十分とされるのと同様に、ニュートン力学も非客観的なものであるわけですから。
実際、ポパーの理論はニュートン力学が相対性理論によって反証されたことにインスパイアされたものらしいし。


名前不完全  投稿者:名前 投稿日: 2006年01月26日 5時54分

すみません。下の「擬態初級者たち」は私の投稿です。


擬態初級者たち  投稿者:d 投稿日: 2006年01月26日 5時52分

>ほとんどの昆虫は、他に目的がない限り、それなりに擬態を行っています。

>緑色のバッタが葉っぱの中でじっとしてるのは理屈にかなった行動です。たとえコノハムシほどは擬態が上手でなくても。

 確かに、じっとしてるだけでも擬態してるとも言えますよね。そもそも擬態が成功するかどうかは天敵の視覚次第でもありますが、動かない物は見えないという動物もいるし、色覚や立体視の弱い動物もいるし。


教科書  投稿者:流木 投稿日: 2006年01月26日 0時46分

>長坂さんの世代だとゆとり教育直撃だから、生物とかはかなり
「うすい」教科書(厚さではなく内容が)で勉強しとるはずでしたかね

 生物の教科書では、生物の進化について全く触れていません。生物の進化について触れているのは地学ですね。地学を選択しないと、生物の進化について高校までで学ぶ機会は全くありません。

 今回の見直しで生物でも進化について教えるようになったようですが、義務教育段階で地動説について全く教えないとか(中学で金星の満ち欠けについては学ぶのに、月の満ち欠けについてはやらないとか)、イオンも教えないとか、元素の周期表を教えないことになったからメンデレーエフの墓碑銘の写真(周期表が刻んであった)にまでNGを出したとか、いろいろ問題はあったと思います。


あはは  投稿者:wadja 投稿日: 2006年01月25日20時22分

人生の先輩は良いねー(他人事)

しかし、40歳じゃ足りねぇじゃん!


...。  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月25日19時46分

レイザーラモンのことを言ってると分かっていただき有り難うございました...(T_T)


(無題)  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2006年01月25日12時20分

おずおずさま
じゆーこーどー、フォーーッ!!
にしておいた方が、来年のお正月にはとても恥ずかしくてよろしいかと・・・・・・。

邪教猫
その曲、以前にスーパーの有線で流れていて、実に大胆な曲だと感心したことが。
ありきたりだが、愛があれば年の差も法律も関係ないでしょ♪
「君」を愛しているのか「17歳」を愛しているのかという疑問は残るが、私にとってはどちらも同じ事だし。


訂正  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月25日 7時40分

> 自由に行動しようよ。
を、
じゆーにこーどーしよーぜっ、ヒュー!
に。
(このお正月に覚えたのだ。16歳くらいに見えるでしょ♪)


コレだから若いモンは...  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月25日 7時26分

そのトシでいちいち一区切りつけようなんてしないでいいんじゃない?

この掲示板だって、忙しけりゃほうっとけば良いし、退屈なときは読みに来ればいいし、気にくわない発言があれば反論すればいいし、面白いネタがあれば投下すればいいし、飽きればまたROMに戻ればいい。
自由に行動しようよ。

(空飛ぶトカゲの話は実に気になってるけど...。)


注意事項  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月24日23時18分

リンク先で試聴をする場合、もちろん音が出るので注意してね
特に大文字ナンは娘に聞かれるとヘンタイ呼ばわりされるにゃ


邪教教祖17歳へ  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月24日23時16分

厄年発言の意趣返しでセクハラリンクだにゃ

http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/SMER/Tra/SECL-223/index.html


訂正  投稿者:長坂 投稿日: 2006年01月24日21時01分

下の文の
「若って」を「分かって」にしてください。
では。


こんちは  投稿者:長坂 投稿日: 2006年01月24日20時58分

私の話題、ありがとうございます。若気の至りで突拍子もない発言も多々ありました。(自分でいうのも)
速読、はたまたゆとり教育までに話題が飛び火していて、見ているとおもしろいです。巷で言われる通り、私達の世代は物事を一番若っていないのでしょうね。私もその一人です。しかし私はそうした中で、青春謳歌出来ています。暗中模索しながらはいつくばっています。そのなかで、このサイトでの皆様の温かい、温度のある発言は、私のまた次の段階への糧となりました。平成日本の抱える課題は軽薄であり、それを私達は間違った解釈をしているのかもしれません。有史以来、私達にかせられた課題は「学ぶ」事だと思うんですね。皆様、人生の先輩に教えられた事は、少なからず私に影響を与えました。
この度は他愛もない私の話を親身に聞いて下さり、ありがとうございました。
みなさま、日本のため、そして未来のために走り続けてくださいね。
私も頑張りますよー!

平成18年 一月
では、さようなら!


ふゎっく・みー  投稿者:地下に眠るM 投稿日: 2006年01月24日18時19分

丙午だにゃ。
なんどもいうけど、精神年齢は永遠に大人げの生えそうににゃー三歳だけど。
それと、厄とか祟りというのは、信じにゃーものにとっては存在しにゃーのだ。

それにしても、不惑ってどこの世界の誰の話なんだろ?
ふゎっくってる?>丙午のチミ


失われた話  投稿者:tema 投稿日: 2006年01月24日16時47分

 それにしても、次回予告された「空飛ぶトカゲの話」って、どんな話だったのでしょうか。
 こんなの↓かな?

>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4_%28%E5%AE%87%E5%AE%99%E4%BA%BA%29


残念だわ  投稿者:たまごちゃん (^-^)ノ 投稿日: 2006年01月24日14時46分

16歳の坊やいなくなっちゃったのかぁ。オネーサンが手取り足取り○取りいろいろ教えてあげようかと思ったのに〜。

ところで猫って丙午なの?>もうすぐ不惑
だとしたら、たまごちゃん (^-^)ノの丙午生まれの変な知り合いコレクションの仲間入りだ。おめでとう。
しかも、今年から3年間大厄だ。ますますもっておめでとう。


携帯からの初投稿!  投稿者:おずおず 投稿日: 2006年01月24日12時19分

ま、でも、
・・・若いってことは・・・うらやましいよー!(T_T)


そういや  投稿者:ゆん 投稿日: 2006年01月24日11時41分

長坂さんの世代だとゆとり教育直撃だから、生物とかはかなり
「うすい」教科書(厚さではなく内容が)で勉強しとるはずでしたかね。
# 最近の急激な見直しでどれだけ改善されとるのか知りませんが。


うはは  投稿者:ゆん 投稿日: 2006年01月24日11時38分

>まぁ、自分の経験からして14・5・6くらいつーのは
>恐らく世間に対して自分で答えを見つけ出す始まりの年頃かいな…

だからこそその年代に何を読んでいるかって大切なことなので
長坂さんには良書を呼んでもらいたいなあと思って働きかけてみたのですが
うまくいかなったようで、残念残念。

……と、こういう年寄りが若者を見守るような生暖かい視線こそが、
今の長坂さんには一番ムカつく代物なんだろうなあとも思いつつ。
でも、まあ、そういう空気をぶんぶんに振りまいてるんだから仕方ないよね(笑

年寄りが若者に説教するのは、昔の自分を投影してしまうからっつーのも
でかいんだろうなあ、と自分が年齢を重ねて思うようになった次第でありますよ。


ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。


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