このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
>まぁ、自分の経験からして14・5・6くらいつーのは
>恐らく世間に対して自分で答えを見つけ出す始まりの年頃かいな…
だからこそその年代に何を読んでいるかって大切なことなので
長坂さんには良書を呼んでもらいたいなあと思って働きかけてみたのですが
うまくいかなったようで、残念残念。
……と、こういう年寄りが若者を見守るような生暖かい視線こそが、
今の長坂さんには一番ムカつく代物なんだろうなあとも思いつつ。
でも、まあ、そういう空気をぶんぶんに振りまいてるんだから仕方ないよね(笑
年寄りが若者に説教するのは、昔の自分を投影してしまうからっつーのも
でかいんだろうなあ、と自分が年齢を重ねて思うようになった次第でありますよ。
なんに付け『我慢が利かない』モンでございます。
いや、ヤラシイ意味じゃなくて。
性急に答えを見つけようとする。
まぁ、自分の経験からして14・5・6くらいつーのは
恐らく世間に対して自分で答えを見つけ出す始まりの年頃かいな…
経験が少ないから自分なりの原理に頼ろうとするし
その原理も数少ない経験から導き出された代物だから結構『歪んでいる』のが当たり前
(歪みの波長見たいなモノが様々な”ト”と共鳴しやすいのかしらん)
>特に16歳、17歳とかいう年齢なら、残された時間はたくさんあるんだから。
16・7の時ってそう思っていました?俺は実感なかったなぁ…未成年であることはある程度自覚していたけれど大人から言われる程若いとも思わなかったし。
ちなみに自分の読書法は、読んでは忘れ読んでは忘れを繰り返しながら少しづつ概略を憶えるという
まるでプラモにカラースプレーで塗装するような W)
餓鬼のときは乾くまで我慢できないで失敗していたよなぁ… orz
>悪ぃが速読なんていう手抜きばっか覚えてねぇで、腰を据えてじっくり読んでみろ
これにつきる。
特に16歳、17歳とかいう年齢なら、残された時間はたくさんあるんだから。
読みながら考えろ、考えながら読めと。
永遠の17歳にも「16歳んとき」はあったのだろうか。
私も、過去を振り返ると、恥ずかしいことでいっぱいだなあ。
でも、未来を覗けたら、やっぱり恥ずかしいことでいっぱいな気もする。
>しかし、僕が16だったころは、ぶっちぎりで彼よりはるかに馬鹿だったことはマチガイにゃーとこだにゃ。
>ティーンエイジャーが馬鹿盛りとは言え、あのころのことは思い出したくもにゃーほど馬鹿だったもんにゃ。
バカさ加減で云ったら、いまだにバカ真っ盛りな私ですが、なるほど16のころのバカさときたら、救いようがないを絵に描いても描ききれないくらいのバカのドツボ。バカにしやがって、とバカな自分を省みることさえ知らずにやたらと吠えたものだったけれど、いまだに吠え癖そのものが治ったワケぢゃぁないんだよな、と少し冷や汗をかいたりもする。
16歳ってのも忙しいんだろうが、そのダブルスコアを超えても忙しいものは忙しい。やっとのことで時間が空いたら、あらもうお仕舞い?と少し悔しかったりする(笑。アレだなしかし、まだホンモノに出会ったことがないうちってのは、いろんな意味で無鉄砲さも大事あだろう。初めてネットにつなげたときなんざ、この私、どっかですごいテクを持った誰かに監視されちまった気がしてビビったもんだ(苦笑。
進化論に納得がいかない?そりゃぁ道理ってもんでしょ。だいたい生物の変化なんて、見せろったって見れない領域ってヤツなんで、推論するしかない世界。虫の化石なんてもんは、そもそもそう簡単にお目にかかれるもんぢゃない。だから仕方ねぇってんで、遺伝子やら分子やらセンシキタイやらをジロジロ眺めるってワケだよね。そんでもまぁ、やってみりゃぁそれなりに成果とやらも出てくる具合で、こいつとこいつは近縁に違いねぇだの、カタチは似てるがこいつらどうやらまるで別世界だのって、証拠らしきものも揃っちまった。
このへんのカラクリってのは、悪ぃが速読なんていう手抜きばっか覚えてねぇで、腰を据えてじっくり読んでみろ学生!ってなもんでね、手抜きが大好きな私が云うのもナンだが、実際「知るヨロコビ」ってのがゴロゴロしてるんだよね。
とどのつまり、知りたきゃ読め。それくらいしか云うこたぁ、ない。そんで足んなきゃまたくりゃいい。少なくともここに来てる誰でも16歳んときはあったわけで、そんときどれくらいバカだったかみんな知ってるから、それなりの返事も返ってくるかも知れないわな。
様々な分野を好きになってはすぐ飽きてしまうという長坂 さん、
たかだかこれしきで進化論について飽きてしまわないでくださいね。
まだ浅いと言える段階ですらないです。
長坂 さんの段階では下手すりゃ「全く知らない」で済まされてしまう。
進化に関連する学問分野というだけでも、おっそろしく広大です。
「系統学(phylogeny)」「遺伝学(genetics)」「生態学(ecology)」「分子生物学(molecular biology)」「分類学(taxonomy)」「地質学(geology)」etc...
それぞれ関連しあっているものの、やってることは全然違います。
遺伝学や生態学に関しては数学的素養も要求されるわけで。
「進化生物学(evolutionary biology)」について基本的な(浅いと言える程度の)知識を身につけようと思ったら、
系統学・遺伝学・分子生物学の基本中の基本くらいは分かってなければ。
おっと、その他の皆さん、ぎくりとするほどのことじゃありませんよ。
入れ子状の類似性の示すもの、自然選択と突然変異と中立説、系統的制約、セントラルドグマとか組み換えとか有性生殖とかです。
長坂 さんの場合、まだ遺伝学のさわり部分さえ終わっていないんです。
この機会に進化に関する色々な分野を(それって生物学全般ってことになるけど)調べてみてはいかがでしょ?
考えることが好きな人なら飽きないと思いますよ。諦めることはあるかもだけど。
進化の入門書ってのも悪くはないと思うけど、生物学関連の下地も大事ではないかなぁ。
擬態に感動できるなら、面白いものがきっと見つかるよ。
まずは進化論の否定・肯定とか抜きにそういうイキモノのフシギ系をいっぱい仕入れてきてください。
擬態と始祖鳥しかネタがないんじゃあまだまだです。
続くって書いたのにおさらばされてしまった。。。
長坂 さんは携帯からの書き込みだったみたいですが、それってミケの掲示したHP見れなかったんじゃ。。。
「ね?ひとくちに葉っぱに似てるっつっても色んな色形があって、あんまり似てないやつもいるでしょ?
でもって、葉っぱに似てないヤツと葉っぱににそっくりなヤツの形は似てるでしょ?」
と説明した上で(あえて「現在のものじゃないか」みたいな反論の余地を残しつつ)
ダーウィンの説明した「目」の一説でも引用しながら。。。と計画していたんですが。
世の中計画通りにはいかないものですねぇ。
この数日の間、彼は進化論関係の本を一冊も読んでいないんでしょうねぇ。
速読ができるというなら、何冊だって読める時間があったでしょうに。
携帯で参加するほど忙しいのはわかりましたので、進化について本当に知りたいのであれば、あきさんの言っていたように、啓蒙書や入門書を読むことをお勧めします。速読が得意なのであれば、なおのこと結構でしょう。ここで長坂さんが挙げられたような疑問は、たいていの場合は解決済みです。みんなが色々言っていたのは、長坂さんが挙げたような疑問はFAQであり、こう答えたらこのような反論が戻ってくるなんてことまで分かっているからです。
たくさん本を読むことはよいことです。ぜひ、多くの進化生物学の本を読んでください。ドーキンスやグールドぐらいだったら読めると思います。日本人の著作なら、木村資生、長谷川眞理子あたりが信頼できます。中原英臣、竹内久美子は読むなとは言いませんが、ゲラゲラ笑いながらツッコミ入れるぐらいになれればいいですね。本を読んでわからないことがあればまたどうぞ。
精神年齢はともかく、実年齢ではもうすぐ不惑とされる年齢とは思えにゃーティーンへの対応にゃんね、我ながら。
ま、彼の申請年齢が正しいとしても、実年齢だの社会的地位だのが無関係なのがネットのいいところだし、対等にお相手させていただきましたにゃ。
対等に相手をする「いい大人」がいるということは、ティーンにとっては幸福なのか不幸なのか・・・・
しかし、僕が16だったころは、ぶっちぎりで彼よりはるかに馬鹿だったことはマチガイにゃーとこだにゃ。
ティーンエイジャーが馬鹿盛りとは言え、あのころのことは思い出したくもにゃーほど馬鹿だったもんにゃ。
>私は地下さんの話し相手になろーっていってるんだニャー
いっぺんなってみたいもんだにゃあ(名古屋弁)
(もう古典になっていますが、ファインマンという人の書いた「ファインマン物理学」第1巻が元ネタです。)
「中間化石を見ない限り進化を納得できない」、と言う人なら、たとえば銀河系の直径や水素原子の直径についても「メートル原器をあてて測った訳じゃないから納得できない!」と叫んで、自分は実に科学的で実証的な心の持ち主だ、と思いこむことが出来るのかもしれない...。
長さを測る最も直接的な方法は、メートル原器をあてて大きさを比べることです。この方法にはもちろん、メートル原器を千等分した目盛を刻んだり、千個のメートル原器を並べたりして測ることも含みます。身長も、カーテンの長さも、この方法で測れます。
では、山の高さを測るにはどうしたらいいでしょうか。数十mの小山でもメートル原器を直接当てて測るのは非現実的になります。なぜなら山肌は一般的にいって垂直じゃない。
では山の高さは「直接測れないから分からない」のでしょうか。
もちろん「三角法」という測量法を使います。つまり長さの分かっている2点から山の頂上を見通す角度を測って、計算で求めます。
この場合、メートル原器は「山に直接当てる」のではなく、山とは何の関わりもない、適当に決めた基準点の間の距離を測るのに使われるだけです。
(コノハムシそのものではなく、「いとこのはとこ」を調べるのと似てると思いませんか?)
三角法を使った測り方は山の高さどころか、地球の直径や、地球から近い恒星(数十光年程度!)までの距離を測るのにも使うことが出来ます。
この場合通常、基準線は地球の公転軌道の直径、を使います。
地球の公転軌道は楕円形です。従って基準線の距離を測るにはまず、「時間」を測る必要があります。この方法においてメートル原器の役割はもはや、間接の間接の間接の...程度でしかありません。(いろんな昆虫のDNAとコノハムシのDNAを比較して進化の証拠を探すようなもの)
三角法では測れないような遠方の星までの距離を測るには、さらに間接的な方法を使います。
三角法で距離の分かっているたくさんの星を観測することにより、星の発している光の色と、その星の絶対的な明るさ及び大きさとの関係を導き出します。
三角法では測れない遠くの星の色を観測すればその星の本来の明るさが分かります。
星は遠くにあるほど暗く見えますから、その星の本来の明るさがどの程度暗く見えるかを観測すれば、距離が分かるのです。
この方法においてメートル原器の役割は、銀河系の中の星くずのようなもの...。
同様にしてこの本では、銀河系の直径の測り方を、また一方では原子核の直径に至る、短い距離の測り方を説明しています。
メートル原器を「直接」あてる方法で測定できるのは、そのなかのごくわずかな部分です。
化石によって進化の証拠を「直接」得るのも、さまざまな方法の中のごくわずかな部分です。
確かに昆虫の化石はそんなに豊富に見つかるものでも無いようです。
(と言いながら、実は「琥珀の中に閉じこめられた昆虫の化石から擬態の進化の証拠が得られた」という記事を見つけて調べかけてるところですけどね。)
「だから、昆虫の擬態について進化があったかどうか議論するのは無駄だ」、と結論するのなら、あなたはメートル原器で「直接」測れる大きさの世界から抜けられません。山の高さを論じるなんて夢みたいなことは考えない方が良い。
物理学の例を挙げるような回りくどい言い方をせずに進化論の事例をあげろ、と思うかもしれませんが、物理学のこの事例が、「直接的測定」と「間接的測定」との関係を示す最も単純な例だと思うから示したのです。
数冊の本を読まない限り論理の道筋を追えないような「間接的な」理論も進化論にはたくさんあります。
あなたが理解するのはとうてい無理でしょう。
・・・もしかしたらあなたのような人は「直接的測定」の世界で生きる方が幸せかもしれない。
宇宙の星がどこにいようとあなたの生活にはさして関係がないし、16年より過去にはそもそもあなたは存在していなかったのだから。
そして何よりも良いことは、その程度の時間的スパンで見る限り、コノハムシはあなたが生まれる前からコノハムシだったし、あなたが死んで墓石の文字が消える頃でもやっぱりコノハムシのまま。つまり進化論は簡単に否定できる♪
んじゃ。
「AとBとの中間の化石はあるのか」という問いに対して、「Cという化石がある」というと、「じゃあ、AとCとの中間の化石はあるのか」「CとBとの中間の化石はあるのか」となって、結局、この手の論法だと、いつまで経っても「中間の化石」というのはないということになります。
生物の遺骸の中で化石として残るのは本当にごくごくわずかであることを度外視しても、「中間の化石がない」「ミッシング・リンクだ」という文句は、つけようと思えばいくらでもつけられるわけです。
読解力がないのは確からしい...それと、どうにも怒ってるのも...。
社交辞令?どこをどう読めば...。
何を言いたいんです?私は馬鹿なので。とにかく通常の文面で話してください。ネット上の社交辞令とかはいいんですよ。私は忙しいので、当分このサイトに来れないと思います。皆様、またいつか会う日まで!
頑張って論述を続けて下さいね。逃げてるように思うかもしれません。まぁ、解釈はあなた方に任せます・
...俺はな、「数千年前の」「コノハムシの直系の祖先」を見たい、と言ってるんだよ。
において、「数千年前」は「数千万年前」の間違いでした...m(_ _)m
地下猫さんの言葉の「論理的な意味」だけに集中して読んでみてはいかがでしょうね。
それはともかく、もしかして長坂さんはこんなこと考えてなかったですか?
...俺はな、「数千年前の」、「コノハムシの直系の祖先」、を見たい、と言ってるんだよ。
それなのにこのおっさんは、「現在の」、「コノハムシのいとこのはとこ」、を見ろ、と言ってやがる。俺の文章をどう読めばそんな答えを返せるんだ?
こんな相手と意志疎通を図るには、文章でやりとりするよりも実際に会って、アタマを一回はたいてやった方がいいんじゃないか...?
もしそうなら、あなたはせっかちすぎるんじゃよ...。
港で暇そうにしている漁師のじいさんに「明日は晴れそうですか?」と聞いてみるがええ。
雲の形や風の向き、この1週間ほどの潮の具合、遠くの山の色、等について小一時間ほどはなしたあげく、「...じゃから多分晴れじゃろうと思うけんど、明日の天気は神様でもなけりゃわからんわのお、あはは♪」で終わったりする。
あんたは自分の言いたいことを「明確に表現する」癖をつけた方が良いんじゃないかのお。憎まれ言葉をどれだけ吐いたところで、「おお、何でかわからんけど、このお兄さん、どうにも怒ってるようじゃ。雲の話をもっと詳しくしたほうがよかったのかのお?」と思われんともかぎらんから。
さて、それではなぜ、このじいさんが、見当はずれにも、「現在の」「コノハムシのいとこのはとこ」を調べろと言ったか、説明しよう...。
あ、そのまえにお茶を飲んで...。
(そうじゃなくてこんな理由だよ、と言いたい場合は、「明確に」言いたいことを表現してくださいね♪)
私は地下さんの話し相手になろーっていってるんだニャー
なんちって(井等)
てゆうか進化論の話しましょーよ。
個人攻撃は結局自分に返って来るんだよ。せめてもう少しオリジナリティーのある言葉で難癖付けましょう。
私、携帯で参加しているんです。忙しいですから。
だから地下がどうとかっていう人は気にしていません。まぁ、でも彼の相手しないとかわいそうですよね。友達いなそうですから。昼まっからパソコンに噛りついてるんですからねぇ。
地下さん、頑張ってください(笑)!
地下猫さんに噛み付くのは10年早い、とだけ言っておこう。特に人文系に関しては。
↑これはあくまで私の場合。
まあ、猫はこういうキャラですから(笑)。
> できていにゃーと、速読なんてほとんど意味がにゃーですよ。
「ですます調」は非常に珍しいのです、彼の場合。珍しくずいぶん優しいんじゃないですかw。
速読法、身に着けたいなあ〜。「絵柄」の理解は、満員の通勤電車や退屈な会議の時間を利用してじっくり反芻すると・・・。あ、コミックなら今でもできるな。
チミチミ、文脈力、などという用法は一般的ではにゃーね。
文脈を汲み取る力は読解力ならびに論理力だにゃ。
また、権威主義という批判が有効な相手というのは、権威を振りかざして論理や根拠を述べない相手だにゃ。
とにかくチミね、
「僕は文章では納得しません」なんてものいいは
「僕はケダモノです、言葉は通じません」といっているようなものにゃんよ。
地下に眠るMさん、言いたい事はそれだけですか。
指摘ありがとうございます
あなたのように権威主義でものを言う方は久しぶりです。自らの文脈力を露呈しているんですか。
では、また私にツッコミをお願いしますね。悪しからず。
>私は擬態については納得していません。文章では納得しません。
チミチミ、「読解」という言葉を辞書でひいてご覧?
[名](スル)文章を読んで、その内容を理解すること。「古典を―する」「―力」
とあるだろ?
文章で納得できにゃーニンゲンに読解力があるとはいわにゃーんだ。
速読というのは、文章を線的にではなく「絵柄」として記憶し内容を理解する方法といえるにゃ。
表意文字・表音文字の混合表記である日本語とは相性がよさそうだし
古代ギリシアなどのいわゆる「賢者の方法」といわれるものとも関連性がある由緒正しい訓練法のひとつだけどさ・・・・
チミの場合は絵柄が絵柄にとどまっとりゃしにゃーかね?
論理のラインをしっかりとたぐる訓練(つまり、文章で納得できること)ができていにゃーと、速読なんてほとんど意味がにゃーですよ。
コノハチョウのページでホントに貼りたかったのはこちら。
コノハチョウの仲間はキノハタテハ族(Anaeini)。
色とか形とか模様とか、いろいろ見比べてみよう。
http://www.pteron-world.com/topics/classfication/nymphalidae/charaxinae/charaxinae.html
>でも私が探しているのは木葉に似ていないコノハムシと、現在の擬態を施しているコノハムシの中間的なコノハムシの痕跡ですね。
木の葉に似てないコノハチョウ(の親戚)でもいいかしら?
http://www.pteron-world.com/topics/classfication/nymphalidae/charaxinae/charaxini2.html#polyura
系統樹もみつけたよ
http://www.zoologi.su.se/research/wahlberg/Nymphalidae/Nymphalidae.htm
さて、擬態の進化の根拠について。
まずは自然選択の根拠から教えてやらにゃいけませんねぇ。
1.数学的根拠
ある一つの遺伝子によって、
今までのものより何倍生き残りやすくなるかというのが分かれば、
何世代くらいでどれくらい広がるのかについて計算できます。
集団遺伝学って分野です。
複数の遺伝子が関わる場合についても考えることが可能。
数学が嫌いなんて言ってられませんよ。
2.実験的根拠
環境が変わった場合に適応的形質が増えていくという観察事例
上記のような状況が、遺伝的な背景を持つという実験結果
上記のような自然選択に関するこれまでの知見と、さらに分子生物学分野の知見(有性生殖による組み換えなど)を総合すると、
擬態は自然選択で起こった可能性が高いと導けるわけです。
ただ、ミケの言ったような順番では多分起こってないよ。擬態は色と形が同時進行だろうね。
ああいう説明をしたのは、“葉脈”と“質感”のそれぞれに自然選択が働くことを意識させるため。
浅い知識の人に最初から説明するのは大変なんですよ?
たぶん続く。。。次からはツリー式掲示板にしたほうがいいかな?
やべ、そろそろガッコ行かないと(←駄目人間)。
>進化史の各論に細かい解説を与えるほどじゅうぶんな解像度を持っ
>てはいない情報なのです。
「進化論の各論の全てに細かい解説を与えるほど」に訂正します。
化石記録が各論を論じるのに必要な情報をきっちり提供しているケースも
多数存在しますから。
勘違いしちゃ困るけど、各人が納得するかどうかは掲示板じゃ問題じゃない。納得するしないにかかわらず、議論をすれば知識に基づいた各論が集まる。ポイントはそれを吸収できるかどうかであって、言い負かすとか負かさないではない。単純に正しかろうものは正しいだろう。それは各人に備わる知識の信憑性にまつわる問題であって、各人に備わる優劣の問題ではない。ましてや、(個人が)納得いこうがいくまいが、世界がそうなっているものは仕方がない。
それ、岩波生物学辞典にも載ってました。>ゆん さん
また2ちゃんにも同様のネタがあり、そこでは
「別に被子植物以前にも、イチョウをはじめ、裸子植物やシダ植物にも幅の広い葉を持つものが昔からありましたが何か」
的なカキコがありました。
上記には納得できなくもないですがやはり実際何年前の化石が出ているのか気になりますね。
コノハムシが属するナナフシ目はどうやら古生代には出現していたらしいことは分かりました。
が、コノハムシの出現年代についての情報は見つかりませんね。
ちなみに被子植物の出現は中生代ジュラ紀であるという見方が一般的なのかな。
「進化論って本当に正しいの?」と思わせるような細かい疑問なんてのは
探せば色々見つかるんです。ただ、それを圧倒的に上回る量の「進化論っ
てどうやら正しいらしいね」と思わせる証拠が見つかっているために、進
化論の大筋は「正しい議論」として認められているんです。
進化論の大筋が正しいとすると、残りの「一見進化論にあてはまらない
ように見えるケース」も、進化論に沿ってなんらかの説明がつくはずだ
という推測が生まれます。こうして生まれるのが長坂さんが疑問を投げ
かけている「後付のストーリー」です。
こうした後付のストーリーが本当に正しいのかどうかは、現時点では判断
の下しようがありません。今後の研究の深まりによって、そのストーリー
が正しかったと判明することもあれば、新たなもっと意外なストーリーが
判明することもあるでしょう。あるいは、真相がずっと闇の中に閉ざされ
たままということもあるかも知れませんしね。
「進化論では説明しきれないと思われる各論」について長坂さんが追っている限り、
長坂さんがその件で納得することはありません。なぜなら、進化論はそれらのケー
スについて必ずしも完璧な説明を与えてくれるわけではありませんから。
言ってしまえば、各論についてはまだ進化論がはっきりした答えを持っていない
ケースはたくさんあるからです。
現在の形のダーウィン進化論がおそらく正しいと信じられるようになったのは、
それが化石記録や、現在の生物の生息パターン、生物の遺伝の仕組みといった
「各論」と非常によくかみ合うからでした。
そうして、「おそらく進化論の概略は正しい」という「総論」でのコンセンサスが
出来てくると、一見進化論では説明がつかなさそうな複雑な構成の生物はどう
やって生まれたのだろうという推測が生まれて来ます。コノハムシの起源のよ
うなお話には、そうした「後付のストーリー」としての性格が強いので、長坂
さんが持つような疑問が湧いて出るのはむしろ当然なのです。
こうした細かい各論に明確な答えが与えられない一番の理由は、化石記録の不
完全さにあります。元来、生物が化石になることは珍しく、またそうした化石
が実際に掘り出しやすい露頭に顔を出すことはさらに珍しいことなのです。残
念ながら、現在人類が手に入れている化石記録は、地球の長い生物史の限定的
なスナップショットでしかありません。それは、「どうやら進化という大原則
に沿って生物が変化していったらしい」という推測を立てるにはじゅうぶんで
ありながら、進化史の各論に細かい解説を与えるほどじゅうぶんな解像度を持っ
てはいない情報なのです。
なので、長坂さんにはまず総論としての進化論がなぜ正しいと思われるに至った
のかという道筋をまともな啓蒙書を見て把握してもらうのが、納得への早道では
ないかなあと思いました。
コノハムシについてぐぐって調べていたら「コノハムシは、コノハムシが
擬態している広葉樹よりも古い時代から生息していたことが化石記録より
明らか」という話があちこちで引っかかった。そのどれもが伝聞情報でソー
スが明らかでないので真偽のほどは不明なんだけど。
これをして、「コノハムシにあわせて木の葉が姿を変えたという摩訶不思議」
のように首を傾げる向きが多いんだけど、個人的にはむしろこれは無軌道な
進化の典型的なパターンに見えると思った。これはもう、賭けてもいいけど、
(実在するなら)その先祖コノハムシの化石は、今ほど広葉樹には似ていない
はずだ。「平たくて筋の入っている特長的な形態を持つ昆虫」がもともと生息
していたところへ、その特徴に似た形態を持つ「広葉樹」というカテゴリの
植物が発生したため、その昆虫の適応度が一気に高まった、というシナリオ
ですな。
目的論的なシナリオよりも、こういう「なんかたまたまうまくはまっちゃった
解でがーっと突き進む」というシナリオの方が、より進化論的な世界観には
フィットするよなあと個人的には思う次第。
私は擬態については納得していません。文章では納得しません。やはり実際に会って話しあいたいものです。しかしそれは不可能なので、この問題は箱にしまいましょう。さて次回予告です。空飛ぶトカゲの話しです。詳しくは今夜あたり。私が問題提議致します。是非ともまたご足労かとは思いますが、お付き合い下さい。
平成生まれの長坂より
>ほとんどの昆虫は、他に目的がない限り、それなりに擬態を行っています。
「昆虫の目」で見れば、よくできた擬態を行っているケースは、けっこう
多いのかも知れません。擬態というのは、要はその昆虫の捕食者や被捕食者
に対してだけ出来がよければいいわけで、何も人間の目からも擬態に見えて
いる必要はないわけですから。
コノハムシの生態はよー知らんのですが、人間の目から見て精巧に見える
擬態をしているところからして、おそらくその捕食者は哺乳類か鳥類あたり
なんでしょう、と予想。
>自然界ではむしろ、じっとしているとやり過ごせる天敵の方が多いようですよ。その証拠に、じっとしている戦略は多いです。
動く方が良い、というのはあくまでも理論上のことです。
ほとんどの昆虫は、他に目的がない限り、それなりに擬態を行っています。
ピンクの地に黄色の水玉模様の昆虫を見つけたら、毒を持ってるか思い切り不味いと考えればほとんど外れることはないはずです。
(たまには毒を持つ昆虫に擬態してるだけのこともありますけどね...(^_^;) )
緑色のバッタが葉っぱの中でじっとしてるのは理屈にかなった行動です。たとえコノハムシほどは擬態が上手でなくても。
ついでだから長坂さんへ、このように、中間的なコノハムシを探すには、コノハムシの親戚の種を探して遺伝子解析をすればある程度の情報は得られると思いますよ。
聞くばかりじゃ駄目ですから、その方向で解を探してレポートをこの掲示板にしてくださいね。宿題です。
「検索の秘訣」について書いてあるサイトをじっくりと読み込むことをまず、してから。
もちろんボクも事例を探しますから。
>長坂さんへの教育はお任せ。
実の娘の教育さえ失敗したボクに任せるなんて、無謀すぎます!
クスダエリコかキュリー夫人になるはずだったのに、社会学部だもんな...(-_-;)
まぁ、だいたいそんなとこです。でも私が探しているのは木葉に似ていないコノハムシと、現在の擬態を施しているコノハムシの中間的なコノハムシの痕跡ですね。
>ちなみに擬態がうまく出来ていない昆虫は、空に動くものがあったら、「すばやく葉の裏に隠れる」といった、擬態名人とは逆の習性を得る必要がありますよね。じっとしてたら食べられる...。
自然界ではむしろ、じっとしているとやり過ごせる天敵の方が多いようですよ。その証拠に、じっとしている戦略は多いです。
すみません、部分的な揚げ足取りで。おずおずさんは長坂さんの意図をよく読んで流れを良くしているみたいですから、長坂さんへの教育はお任せ。
貴方の言いたいことは要するに、
例えばコノハムシが、最初からコノハムシであったのではなくて、木の葉に似ていない虫から度重なる突然変異によって今のコノハムシになったというのなら、その証拠はどこにあるのですか?
最初からコノハムシがコノハムシでなかったのなら、木の葉にあんまり似ていないコノハムシの先祖がいたはずで、そんな先祖がいたという証拠を提示できなければこのストーリーは説得力を持たないのじゃないですか?
ということ、ですよね?
...ちがうのかなあ...?
To 長坂さん
良書かトンデモ本かの基準はどこにあるんでしょう?
単に「読み物」として楽しむのであれば両者の区別はいらないでしょうね。
たとえ科学的に間違っていたとしても、文章が読みやすくて楽しい内容のもの、「自分が望む内容」のものを読むほうが心地よいでしょう。
でも「正しい知識を身に付けたい」とか「実用的な知識を身に付けたい」という目的で読むのであれば、トンデモ本は避けて通るか、もしくは正しい(とされている)本を読んで基準となるモノサシを自分の中に作って、それと照らし合わせながら読むべきでしょうね。
トンデモ本の楽しみ方として、それがトンデモであることを知った上でツッコミを入れながら読むというのもありますから。
先程の記述に語弊がありました。私が知りたい事柄をまとめます。
例えば、擬態を施していない木で生活する虫が森にいるとします。進化論の考えでは、この虫は敵に発見されやすく不利です。この虫に突然変異が起こり、茶色い色に変わりました。偶然にも生活の場である木と同じような色となり、ほかの同種の虫より目立たなくなりました。そしてこの茶色くなった虫は敵に襲われる可能性が低くなり、この茶色い擬態を手にいれた種は擬態を手に入れていない種より多くなりました。そしてまた突然変異が起こり、木の樹皮に似た種が生まれました。この種はただ単に茶色い種より目立たないので、この樹皮のような体を持つ虫は増えていきました
ここまで何か気になる点がありましたら指摘して下さい
>虫の化石は通常、琥珀に入って見つかる事が多いですよね。
通常なの?
本当に読書をしてますか?それとも速読だと読解力が身に付かないのか?
>仮に、虫に突然変異が起こり、その環境と相違ない風貌の虫が生まれたとします。
そのような必要はありません。多少でも生存に有利であれば、その形質は確率的に残りやすいからです。みなさんそういっているでしょう?
長坂さんの議論は仮定そのものが誤っています。
>要約すれば、普通の虫からその環境と同じ風貌の虫になるまでの中間の虫は見つかっているんでしょうか?
まず、総論ではなく各論で議論したいということですか?
それならば、「普通の虫」とはどういう虫を具体的に指しているのですか?
「その環境と同じ風貌の虫」の定義も曖昧すぎる。葉の模様であれば全くそれと同じ模様になることを意味しているのですか?
さらにいえばなぜ化石種にこだわるのですか?例えば近縁現存種で居住環境がちがう種間において、模様が異なっていたりすればそれでもいいと思いますが、あなたはどう思いますか?
また、しばしば引用される、ガの黒色化も一種の擬態と考えてもいいでしょう。
仮に、虫に突然変異が起こり、その環境と相違ない風貌の虫が生まれたとします。その化石は残っていますか?虫の化石は通常、琥珀に入って見つかる事が多いですよね。そのため残っていない気がするのですが。とすると、何を根拠に突然変異による自然淘汰で進化が起きたという結論に達したのですか。要約すれば、普通の虫からその環境と同じ風貌の虫になるまでの中間の虫は見つかっているんでしょうか?いわゆるミッシングリンクですね
>自然淘汰によりその環境に適した風貌のものが襲われずに残り、そして子孫を増やすことは認めます。しかしながら質感や鮮明な葉脈模様までもその虫が獲得するでしょうか。擬態は色がその環境に似ているというのではなく例えば、葉の上の虫なら葉の模様までも克明に体にあるということです。
という質問に対して、
質感や葉の模様どころじゃなく、擬態の効果を高める「行動様式」や「体の大きさ」といった、擬態そのものではない実に様々な変化が、突然変異と自然選択により相前後して起こっている、
と言いたかったのです...。
ちなみに擬態がうまく出来ていない昆虫は、空に動くものがあったら、「すばやく葉の裏に隠れる」といった、擬態名人とは逆の習性を得る必要がありますよね。じっとしてたら食べられる...。
長坂さんは速読について話したいのじゃなくて、要は、
1.本を読まないでここで質問ばかりして楽に知識を得たい、というようなお気楽な人じゃないんだ。
2.初学者の常として、そもそもどんな本を読めばいいか分からないだけで、本を紹介してくれれば精一杯読むつもりも、その能力もあるんだ。
といった辺りのことを言いたいのですよね。
そういう意味であるのなら、とりあえずボクは了解しました。
んで、
>繰り返していく内にその環境と相違ない外見に変化したという事ですか?
という質問に関しては、そうです、でもあり、そうじゃないです、でもあると思います。
繰り返しているのは単に、突然変異と、その突然変異がその生物を生き延びさせる方向に働くかどうかによる、絶え間ない選択、だけです。
つまり、「環境と相違ない外見に変化」するのは、進化の有りとあらゆる方向への動きの中の一つにすぎません。
ある突然変異はある昆虫の羽の色を環境に少し似たように変え、ある突然変異は例えば空に動く物を見つければ反射的に足を縮めて動きを止める、といった習性をもたらす、
ある突然変異は食事の時間を夕方から夜にシフトさせて動いている時期を捕食者の見張っている時間帯からはずす、
ある突然変異は体長を擬態する葉っぱの一般的な大きさに近づける、と、
いわばなんでもあり、の突然変異がランダムな順番に起こり、それらが起こる都度、「生き残る確率が高くなる方向に」自然選択が起こり、いつしかそれが積み重なっていく、
といった風にイメージしていただいたら、
...ま、思い切り単純化してはいますが、おおむね正確なイメージにはなるでしょうね。
...といった説明でよろしいでしょうか?自分の説明にちょっと不安が...(^_^;)>先輩の皆さん
宮沢賢治の本を読む時も速読です。言い方を変えれば速読になってしまいます。やはりきちんと入念に読んでも他の方よりは速く読み終わりますね。ところでまた擬態についての質問に戻りますが、突然変異によってその環境に似たものがうまれ、敵から襲われる可能性が低いので生き残りますよね。それらに更なる突然変異が起こり・・・と、繰り返していく内にその環境と相違ない外見に変化したという事ですか?
それで、多くの人が説明していますが、擬態の進化については理解できたのですか?
進化論に関するどのような書籍を読んだのか書かれていないのでわかりませんが、広く浅い知識の一環として得るのが目的であれば、書店で入門書や啓蒙書を読めば十分です。岩波、講談社、中公などの新書をお読みください。
ただし、入門書や啓蒙書は初心者に関心を持ってもらうことと簡単な知識を持ってもらうことを目的としています。入門書や啓蒙書を読んで浮かんだ疑問点は、たいていの場合すでに解決済みのものです。それらの疑問は専門書を読めば解決することでしょう。
ところで、宮沢賢治の作品を評論するときも速読ですか?
私は、良書ばかり読むのは避けています。私が読む本の中には巷でトンデモ本の烙印を押されているものも少なくありません。良書とそのトンデモ本を読み比べる事により、その本質を理解しようとしているんです。はたして良書は本当に良書か、トンデモ本の中身は本当に荒唐無稽なのかという具合です。
私は別に速読検定などを受けていないのでそれほど訓練はしていません。教室に通いましたが、短い期間です。その後は独学で、読む速さが十倍になるという本を学びました。私は速読能力をひけらかしたいのではなく、速読によって多くの本を読んだ事を言いたかったんです。読書が好きということが伝われば幸いですよ。私がインチキくさいと思われても否定はしません。それよりここは進化論・創造論について議論するサイトです。創造論についての疑問や進化論の疑問を書きこんでいきましょう。
長坂さん、まずは「盲目の時計職人」を速読してみてください。
そしてここで内容についての質問に的確に答えてみせれば
その速読力を皆さん認めてくれますよ。
速読であろうがじっくり読んだのであろうが、読んだ本が不適切なものばかりであれば、身に着く知識は無意味。GIGOってやつですね。
進化論関係に関してどのような本をお読みになったのか列挙していただけませんかね?
最近ではじっくり読んでも普通の方のそれの何分の一くらいしか時間がかからないんです。便利ですよ
> 速読といっても、「読む」ことです。私は数学が好きでは
>ないので数学の教科書を速読する体力はありません。速読
>はその人の興奮も大切なんです。そのため自分の好きでは
>ない文面の本を速読するのは容易ではありませんね。
速読にはそのジャンルへの強い興味が重要っていうことは、
やっぱりそのジャンルに対しての「前提知識」が速読に及
ぼしている影響は強いんじゃないかなあと思います(前提
知識が充実しているほど、「理解」にかける時間が減ります
からね)。
それであれば結局私の結論は変わらず、科学書に関しては
その「理解」のプロセスが一番大切なので、教科書を読む
ようにじっくり読み込む読み方をお勧めしておきます。
あと、人生の先達よりアドバイスですが、数学、最低限論
理学は、習得しておくと、のちのち色々便利ですよ。数学
の面白さに長坂さんが気づくといいなあと思いつつ。
速読といっても、「読む」ことです。私は数学が好きではないので数学の教科書を速読する体力はありません。速読はその人の興奮も大切なんです。そのため自分の好きではない文面の本を速読するのは容易ではありませんね。
数学の教科書を五分で最初から最後まで記憶して、
その内容をちゃんと理解することはできるのですか?
私の直感からいくと、さすがにそれは無理だと思うのですが。
速読の初心者の方は、その文面の重要な部分を的確に読み取ります。しかし私は一年以上速読をしています。そのため重要な箇所だけでなく、全ての文章を頭に入れる事ができます。速度の最終的な境地は飛ばし読みではなく、文字通り、全てを頭にいれながら速く読む事なんです。文学作品のためだけの速読は速読と言いません。上級者は横文字も速読できます。内容を頭に入れながら。
私が自分自身で速読を身につけているわけではないので、聞きかじりと
なるのですが、速読というのは主に人間の「行間を解釈する能力」に
頼った飛ばし読みの技術であると言う話を聞いたことがあります。
文章中のポイントになる単語だけを高速に拾い読みすることで、行間は
自分の知識に照らし合わせて補完するという、そういう読み方ですね。
文学作品などを読む場合には、おそらくこれでも大概問題がないのですが
(文学つーのは人間の普遍的感情をネタとして扱うものだから、あんま支
離滅裂な内容では成り立たない)、科学書を読む時にはあんまりそういう
読み方はしない方がいいかも知れません。科学書で一番大事なのは、文章
の上っ面ではなく、その根底に流れているロジックを拾い上げて理解する
ことです。ざっとそれっぽい単語を拾い上げるだけの読み方では、肝心の
ロジックを勘違いしたまま何かを理解した気分になってしまう危険性があ
ります。実際、創造科学論者(進化論否定派ね)の方が、進化論の解説書を
読んでいるはずなのに、ちゃんとその内容を理解していれば有り得ないは
ずの頓珍漢な解釈を開陳する様子を、私は何度か目にしたことがあります。
もし、長坂さんに思い当たる節があるようなら、科学書に関しては「考え
ながらじっくり読み込む」という読み方をすることをお勧めします。
このサイトにおいて、私が読書などせず、生物学知識ない教養のない人物だという印象を与えているようです。是でもあり否でもあります。私は高校一年生で、読書好きです。一昨年、市内の速読教室に通い、文庫本ならば5分程度で読み取れます。これまでの私の関心分野は文学作品でした。文芸評論が得に好きで、宮沢賢治が好きで多数の作品を投稿しました。さて、私は様々な分野を好きになっては飽きてしまうという性格です。しかし逆にそのお陰で多分野における「広く 浅い」知識を手に入れました。歴史、文学、宇宙(相対性理論から量子力学)、民俗学、音楽知識等です。その一つが進化論なんです。しかしまだまだ知識が浅いまま、このサイトにカキコミしてしまいました。どうもすみません。これまで進化論の本というよりは進化論の否定書を見てきました。そのため独断と偏見の部分が多数です。しかしきちんとした進化論解説書も読みました。それを読んだ上で、書いていなかった私のわからない箇所を質問した次第です。以前に書いた始祖鳥のことは自分が読んでも支離滅裂とわかります。訂正します。これからもこのサイトを拝見させて頂きます。どうぞ、ご理解の程よろしくお願いします。まだまだ質問したい項目がたくさんあるんです。
*長坂さん
>ちなみに私は無神論者ですよ。神は信じていません。そのため私は創造論者というよりは進化論否定者なんですよ
進化論否定者は結構ですが、長坂さんは進化論について書かれた本を入門書でも概説書でもいいから何か1冊でもお読みになられたことがありますか。
というのは、自分では全然調べようともせず、何でもかんでも、少し調べればわかるようなことでも質問しまくる、いわゆる「教えてクン」が結構いるからです。世の中には教えてクンに付き合ってくれる親切というか物好きな人もいますけど、大抵の場合、教えてクンは早晩愛想をつかされて無視されることになります。
本を読むのが面倒だという人もいらっしゃいますが、そういう人はせめてここのサイトのトップページに載っているFAQぐらいは読んでほしいものです。もっとも、本を読むことを面倒だと思うような人はそもそも議論なんかしちゃダメですけどね。ご参考まで。
──えぇ!神というか超越者を否定して、進化も否定したら、
・他にどうしたら生物は存在したのよ!
・まさか、神様じゃなくて仏様だよ、なんて言わないで下さいねー
?ワッかりましぇ〜ん…あ!不可知論ですか?失礼しますた。
長坂さんは無神論者だとのことですが、神様を信じる人によれば、神様は目に見えず、音も立てず、臭い...もないそうです(他意はありませんっ!)。
つまり、存在しているけれど存在しているということは人間には分からないのです。
そんな神様を、長坂さんは「存在しない」と決めつけてるわけですよね。
どういう理由でそんな確固とした確信を持てるのでしょうか?ちなみにボクは「(存在するかどうか)分からない」という立場です。
もちろん突然変異は「色」にだけ起こるのではないことはご存じですよね。
人の顔だって、色だけでなく、鼻の形や皮膚の質感、血管が浮き出ている人、ほくろの多い人、等、外観に関してだけでもいろいろな形質の差があります。血管が浮き出て見える人もいればほくろの多い人もいる。
例えば体の形が葉っぱに似ている2個体があるなら、血管が浮き出ている個体のほうがそれを葉脈と間違えられる率は高いでしょうし、茶色いほくろ(色素の沈着している部位)が葉の縁のあたりにまとまっていれば葉の腐れと間違えられる率は高いでしょう。
羽の「色」が「克明に擬態出来る」ということがすんなり受け取られるなら他の要素もそうだと受け入れられませんか?
私は問題のすり替えだと認識してるんだけど、まあいいや。
おそらく長坂さん(今後はこれで統一されるんですよね?)に「ブラインドウォッチメイカー」(ちなみにその後改題されて、今は「盲目の時計職人」として再出版されてます。)を読めと言っても、どこから読んでも良いやら途方にくれるかもしれないので、先回りして説明しておこう。(なんて優しいんだ > 自分)
NATROMさんとミケさんの説明で、「ほんのちょっとだけ木に似ている」とありますが、非常に優秀な目を持った捕食者(鳥)がその程度(どの程度だ?)の誤魔化しで騙されるとは思えない、という疑問が生じると思います。ちょっとだけの変異は敵の能力がカバーできる範囲で、結局は自然選択にかからないのではないかと。
これに対してドーキンスは、捕食者の視力は常に最良の状態に保たれているわけではない、夕暮れ時など鳥の眼がその能力を発揮できないような(「鳥目」と言うくらいで、暗いと彼らの高性能な眼も著しく性能を落とす)、ほんのわずかな色の差が見つけられにくさを左右する状況は十分考えられる、と説明しています。
結局、競争というものは敵対する両者の能力のバランスで勝敗が決まるので、微妙な差が結果を左右する場合が(競争のレベルが高いほど)少なからずあるということです。
長坂さんは「どの遺伝子が突然変異を起こしてこのようになったから葉脈とそっくりな形態が誕生したんだ」ということを説明して欲しいのではないでしょうか?
おお、なんか久々に面白いことになってますね。
さて、NATROM さんの説明“ほんのちょっぴり似る”の意味を長坂 さんがうまく理解できず納得できなかった場合に備えてちょっと補足させていただきます。
そんなので質感とか表皮や葉脈が全部揃うだろうか。。。思ってしまわれるかもしれませんからね。
結論から言ってしまえば、いわゆる鳥と一緒なわけです。
最初に質問された、始祖鳥と一緒。
たとえば派手な虫より、葉っぱに似た色の虫の方が見つかりにくい。
そうすると派手な虫はどんどん喰われて、葉っぱに似た色の虫ばっかりになってくる。
その中に葉っぱの形に似たやつがいればそいつは他の葉っぱの形に似てないヤツより喰われにくい。
そうすると色も形も葉っぱに似た虫ばかりになってくる。
さらに葉脈もそっくりな虫が現れれば・・・(以下繰り返し)
つまり、一度に質感も葉脈も色もぜ〜んぶ揃う必要はないわけ。
鳥は羽毛も嘴も翼も一度にぜ〜んぶ揃ったのではないのと一緒(羽毛恐竜に翼はない。始祖鳥には嘴がない)。
さらに、擬態に関わるのはたかだか色や形であって機能ではないわけです(せいぜい現状の機能がそこそこ維持できればよい)。
鳥の飛翔能力みたいに新たな機能を獲得することに比べれば、突然変異で色や形だけが変わるのなんて全然簡単なことなんです。
擬態の進化は、ダーウィン進化論の反証として持ち出されることがしばしばありますが、他の複雑な形質と比較すれば、説明は容易です。昔は、木にくっついている虫Aは、それほど木に似ていなかったとしましょう。それでも虫Aの中には、他の個体と比較して、ほんのちょっぴりだけ木に似た外見の個体がいました。これを「変異」と言います。ヒトも、一卵性双生児でもなければ、顔も身長もそのほかいろんな形質がちょびっとだけ違いますよね。
そもそもそれほど木に似ていない虫ですから、たいがいの場合は外敵に容易に発見されてしまいます。とは言っても、ほんのちょっぴりだけ木に似た個体は、他の個体よりも外敵に見つかりにくくなります。ほんのちょっぴりだけですが。ただ、長い目で見てみると、ほんのちょっぴりだけ木に似た個体は、そうでない個体と比較して繁殖に成功しやすくなります。ほんのちょっぴりだけ木に似た個体が、虫Aの集団内で数を増してきます。虫Aは、全体として、ほんのちょっぴりだけ木に似てきます。これを「自然選択」と言います。
そのうち、ほんのちょっぴりだけ木に似てきた中にでも、さらにほんのちょっぴりだけ木に似た個体が生じます。これを「突然変異」と言います。そんな都合のいい突然変異がそんなに起こるのでしょうか?まあ、生じた突然変異のほとんどが生存に不利か中立なものですが、稀に生存に有利な突然変異が生じます。そもそも、そうした突然変異が生じないのであれば、集団の中に変異はないはずですし、品種改良なんてできません。
こうしたプロセスを繰り返すことで、虫Aは少しずつ木に似てきます。最終結果だけみたら、きわめて精巧でとても「突然変異だけでそのような克明な擬態ができるでしょうか」と思わせるような擬態になりますが、自然選択を考慮に入れれば説明できます。以上は、非常に単純化した説明ですので、詳しく知りたければ本を紹介します。とりあえず、ドーキンス著の「ブラインド・ウォッチメイカー」をお勧めします。
まだわかりません。例えば木にくっついている虫Aがいるとしますね?これが長い期間でどのようなプロセス(過程)を経て木と同じ質感・風貌になるのか具体的に説明願います。先程も述べましたが、1番気になるのが「質感」で、自然選択、自然淘汰、突然変異でどのようにして葉脈や表皮までも手に入れたのでしょうか?面倒かとは思いますがお答え(詳しく)お願いします。ちなみに私は無神論者ですよ。神は信じていません。そのため私は創造論者というよりは進化論否定者なんですよ
>突然変異だけでそのような克明な擬態ができるでしょうか。
突然変異「だけ」では出来ません。「自然選択」が、突然変異を起こした個体に働きかけて、その結果、進化が起こります。
というのは理解いただけるとして、「ちなみに...」で書いたように、「無限に克明な擬態」は不可能で、あくまでもその生物の機能を損なわない範囲でしか擬態は出来ないでしょうね。例えば木の枝や葉っぱは得てして左右非対称ですけど、木の葉虫でもナナフシでも、そこまで真似ることは出来ていないようです。でもその程度で実用上は十分なのでしょうけどね...。
>擬態ってすごいですよね。木の皮と模様どころか質感まで同じ虫とか、葉っぱとまったく同じ模様の虫とか。
全然すごいこと無いですよ。その気になって探せばどんな擬態だって見破れる。
擬態が不完全なのは、「完璧に真似る」必要はなくて、単に、「捕食者の目を誤魔化すことが出来る程度に真似ている」からなのです。
この不完全さこそが「自然選択の結果」であることを示準してると思いませんか?
(それ以上精巧に擬態しても、生き残るのに有利には働かず、自然選択が働かない...。)
もしかしたら単に神さまが老眼だからかもしれないけれど...。
失礼な態度、深く陳謝致します。どうぞお許し下さい説明を丹念に拝見させて頂きました。そこでまた質問があります。
自然淘汰によりその環境に適した風貌のものが襲われずに残り、そして子孫を増やすことは認めます。しかしながら質感や鮮明な葉脈模様までもその虫が獲得するでしょうか。擬態は色がその環境に似ているというのではなく例えば、葉の上の虫なら葉の模様までも克明に体にあるということです。突然変異だけでそのような克明な擬態ができるでしょうか。お教え下さい。
おそらくこのひとはIPアドレスについてもよく知らないかと(w
私は恥をかくことほど教育効果があるものはないと思っています。このひともこれを機会にIPアドレスくらい覚えて欲しいなぁ(w
ところで、携帯からだとホストは見えないんじゃないの?
ご意見、ご要望がございましたら、掲示板か、 e-mail:natrom@yahoo.co.jpへどうぞ。