このファイルは、掲示板巡回ソフトのログファイルを元に再構成したものであり、投稿時の状態(フォントサイズ、文字の色、リンク等)をすべて反映しているわけではありません。いくつかの書名にアマゾンのアソシエイトのリンクを張らせてもらいました。
議論の元となる資料の吟味もしないとダメですからね。素人が、「誰それの本にこう書いてあった」と論じあっても、その本の記述の元となった資料がどの程度信頼できるものなのかはなかなか判断できなかったりします。
例えば、以前(10年以上前)、朝日新聞だったかの書評欄に、米国の写真週刊誌『ライフ』の表紙に載ったとされる一枚の写真が紹介されていました。その写真は、机に向かって何やら手紙を書いている少女を左側から撮ったものなのですが、少女の目の前には頭蓋骨が1つ置いてありました。解説によると、その頭蓋骨は日本兵のもので、少女は頭蓋骨を送ってくれた米兵にお礼の手紙を書いているところだとされていました。書評では「この写真が載った頃から日本国内では『鬼畜米英』という言葉が広まった」とか「当時、日本兵と戦うのはハンティングと見なされていて、米軍兵士が出征する際には、『よい狩りを』といった」なんて話もありました。残念ながら、何という題名の本で著者が誰なのかは忘れてしまったのですが、ネットで検索してみると、小林よしのり氏の『戦争論』の中でもどうやら同じ写真に言及しているようです。
それで、米国のYahoo!から"LIFE COVER"とか適当にキーワードを打ち込んで検索してやったところ、『ライフ』の歴代の表紙が載っている商業サイトがありました。ここです。
http://www.2neatmagazines.com/
しかし、私が以前見た頭蓋骨を前に手紙を書いている少女という表紙はありません。1941年から1945年までの表紙を見ましたが、見当たらないのです。ひょっとして、マズイ内容なので欠番扱いなのかなとも思ったのですが、どうもそうでもないようです。ということは、あの写真は戦意高揚を狙って造られた「ニセもの」だった可能性があります(たまたま私が探せなかっただけで本当にあの表紙の『ライフ』があるのかも知れませんが)。
当時、米国で日本人が蔑視されていたことは、日系アメリカ市民が1942年の「行政命令第9066号」に基づいて財産を取り上げられて収容所(有名なところでは、マンザナー収容所がありますね)に押し込められたことでもわかります。ドイツ系やイタリア系のアメリカ市民に対してはそういう広範な措置はとられなかったことを考えると、アジア人蔑視とか黄色人種蔑視とかいわれても止むを得ませんし、実際、後に商務長官に就任する日系二世のノーマン・ミネタ下院議員が提案した「1988年市民的自由法」の成立を受けて米国政府は公式に謝罪して何がしかの補償(一人当り2万ドル:1ドル=100円で換算すれば、200万円)もしています(中南米から連行した日系人に対してはその4分の1の5000ドル)。
ですから、米国において日本人に対する蔑視感情がなかったといえばウソになりますが、頭蓋骨を前に礼状を書く少女というのはどうなんでしょうかね…。まぁ、白人優位主義の極右テロ集団KKK(クー・クラックス・クラン)なんかは無差別に黒人を捕まえてはリンチを加えその辺のポプラの木に縛り首にしたりしたわけですし(奇妙な果実)、「サン・クリークの虐殺」や「ウンデッド・ニーの虐殺」でも知られているようにネイティヴ・アメリカンに対する迫害も相当にひどいものだったわけです。その辺りも考えると、あの写真に近い心情を米国の少なからぬ人たちが抱いていた可能性は確かに否定し切れませんが。
このハンネでは・はじめましてです。
進化論掲示板という事なので、最近の「進化」という言葉の使用について苦言というか愚痴零させて下さい。
─車が進化した。ファッションが進化して。携帯がさらに進化したので。
これって進化ではなく進歩あるいは新たなデザインされた、と表現すべきなのではないでしょうか!
あまりにも進化という言葉が本来の意味から逸脱して使われている事に無茶苦茶やんなっちゃいます。
生物的進化と機械的進歩をごちゃまぜにするのは生命をデザインされた誰かさんに失礼ではありませんか?
愚痴です。
歴史というのは、個別の事情を無理やり大局からまとめて眺めた世界観です。
その「まとめ」の過程でどうしても失われる情報が出てきます。
たとえば、次のような事態がどちらも起こるという事は普通に有り得ます。
(実例を引いてるわけじゃないので、適当なでっちあげ)
「日本軍のとある部隊が地元の住民を虐殺した」
「日本軍のとある部隊が地元の住民を山賊の襲撃から守った」
上記のような事実が「同時に別の場所で起こりえる」というのは
普通に考えられることなんですよね。で、「日本人」としての立場
からこうした事実をどう捉えるかと考えると、私はなんとも居心地
の悪いもにょもにょした気分になります。
私は第二次ベビーブームの生まれです。
祖父母が戦時世代で、両親が戦後世代。
自分が物心ついた時には、すでに日本は戦後の匂いの薄れた豊かな国でした。
私にとって戦争の頃の話は、どうにも実感のわかない遠い世界の話です。
どちらかと言えば、物語の中の世界に近い感覚。でもまた同時に、切っ
ても切れない近さを持った時代の話でもあるのですね(祖父母が実体験を
持っている世代なんだから当然ですが)。
こういう「近くて遠い」歴史の部分は、正直とても距離感がつかみづらい
です。「日本人として何をどう感じるべきなのだろう」とか思うのですが、
「感じる」の部分を理性で処理しようとしてうまくいくわけもなく(笑)。
最近の嫌韓論や、韓中の日本への反発を見るたびに、私はそういうもにょ
もにょした落ち着かない気分を感じます。仕方なく、「自分では積極的に
判断をくださない、知らぬ存ぜぬを通す」という方針を決めたのですが、
それってどう控えめに見てもかっこ悪いよなー。
>僕は自分の父祖を現在の基準で断罪するつもりはにゃーが、正当なことをし
>ましたと胸を張っていえるわけでもにゃーけどな。
>日本のしたことは正当だとわめいている奴等は、恥知らずもいいとこだにゃ。
>日本人の美徳をまったくもっていにゃー。
歴史もまた、(自然科学のように)グレーゾーンが多く単純に白か黒かと断言の
できない領域なんだよなーとかいうことをちょっと思いました。そこで社会的
に、歴史に対する判断を下すことを要請された(隣国との関係性とかで)時に、
つい0と1のデジタルな判断に陥りやすいのは、やっぱり人間のそもそもの
習性なんでしょうか。
「とりあえず判断保留」という判断は、たぶん人間の精神に強い負荷をかけ
るんだろうなと想像。少ない情報からもぱっぱと推測を行って判断を下し行
動するっていうのが、進化的に有利な生存戦略だったんだろうなあ。
「断罪もしないが正当化もしない」は、そういう負荷の高い認識の仕方なん
じゃないかな、と思いましたというお話
>麻薬を作っている、と非難するのは簡単ですが、コロンビアの農民にも生きる権利がある。どうしますか?
麻薬を作らなくても生きていける方策を提案するしかないでしょう。生きるという目的のために、麻薬を作るという手段があるのなら、合法的な別の手段を用意すればよいのです。そうした代替的な手段を用意せずにコロンビアの農民を非難するのは安易でしょうが、現に麻薬を作って生計を立てているからといってその現状を追認するのもおかしな話ではありませんかね。
さて、南京大虐殺や従軍慰安婦の問題で中国や韓国からの批判に追従してきた日本社会党(社会民主党と改称)その他の人たちは北朝鮮による日本人拉致疑惑を「悪質なデマ」「そんなことはあり得ない」と長年に渡って繰り返し否定してきました。その後、ご存じのように日本人拉致が事実であることが判明して、社会党は選挙で惨敗したわけです。しかし、彼らから拉致被害者やその家族に対して真摯な反省や謝罪がなされたとは思えません。さんざん反省や謝罪を声高に叫んできたにもかかわらず、あれでは全くの言行不一致でお話にもなりません。
ああいう出来事があると、彼らの他の主張も眉にツバをつけて聞かなければならないという気持ちになる人がいても不思議ではありません。ただ、だからといって、彼らと逆の立場が正しいといえるわけでもないのです。これは、進化論をいくら批判したところで、それによって創造科学が正しいと証明できるわけではないのと同じです。
あのね
生きるため・家族を守るために他者を害することだってあるかもしれにゃー。
それは仕方のにゃーことかもしれにゃー。
でもな、それはあくまで「仕方のないことかもしれない」であって「正当」では決してにゃーのだよ。
帝国主義に囲まれた当時の日本には、自らも帝国主義になって近隣諸国を搾取するしか道はなかったかもしれにゃーね。でもそれは胸を張って「正当」といえることなのかい?
僕は自分の父祖を現在の基準で断罪するつもりはにゃーが、正当なことをしましたと胸を張っていえるわけでもにゃーけどな。
日本のしたことは正当だとわめいている奴等は、恥知らずもいいとこだにゃ。日本人の美徳をまったくもっていにゃー。
ヘルメス☆さんこんにちは。一度主張を簡潔にまとめていただけますか。
一点だけ反論を。
>まあ、当時の為政者の責任がどうのこうのという話があるが、なら、自分ならどうした、どう出来た、という話をついぞ聞かないのは何故?
>当時の国際情勢やさまざまな要素を考えて、提案を出せますか?
他人の行為を批判することと、自分ならどうする、ということは無関係だと考えます。対案がないと批判も出来ないのですか。
始めまして。
>もし、生活に困窮する状況で女子供が搾取されたり、奴隷のような扱いを受けている。それは人道に反するけれど、それを具体的にどう解決するの?
様々な方法が有ると同時に、世界中にこうした事例はあるでしょうから、当然一朝一夕に全て解決という訳にはいかないでしょう。
元も基本的なもは、働き口が有り、自立して生活が出来るようになること。
もちろん法の整備や政権の安定、そして人としての道徳の在り方など要素は沢山あります。
>麻薬を作っている、と非難するのは簡単ですが、コロンビアの農民にも生きる権利がある。どうしますか?
「権利」という概念に、私はどうも納得がいかないの所があるのですが、他人を不幸にする「権利」は無いでしょう。というより「権利」とは結局捨て去るべきものなんじゃないですか?
*ゆんさん
>マイナスイオン製品がこれだけ世を席巻しているのは
「消費者がそれを求めている」という構図が多いそうで。
欲しがられているから、それを供給するという論理ですな。
「発掘!あるある大事典」辺りがマイナスイオン・ブームの火付け役のようですが、現代の日本に住む人々がいい加減疲れていて「癒されたい」という潜在的な願望を抱いていたのは事実かも知れません。加えて、長引く不況で製品がなかなか売れなかった家電業界がマイナスイオンに飛びついたという構図もありますね。
ところで、「マイナスイオン」なるものは勝手な造語であって、学術用語でも何でもありませんし、きちんとした定義もありません。家電大手のパンフレットをいくつか読んだ範囲では、「レナード効果」とかをもっともらしく挙げているものもありましたが、健康なりとの関係は不明です。「滝の近くには多くのマイナスイオンが発生しており、滝の近くで清々しい気分になるのはマイナスイオンの作用です」という話も、滝の近くで爽快感を覚えるということが事実としても、それがマイナスイオンによるものかそうじゃないのかは不明なわけで、議論としては粗雑でしょう。
胡散臭さを嫌って、一部の企業はマイナスイオンといわずに「除菌イオン」とかいっていますが、あれは要するにオゾンを発生させているということのようです。オゾン層は有害な波長の紫外線が地上に降り注ぐのを防ぐ役目を果たしていますが、オゾンそのものはご存じのように光化学スモッグの前駆物質ですから、人間の健康にとっては有害なんですよね。他にも、トルマリンだとか木炭だとか意味不明なものもありますが、先の投稿で触れた塗料というのは一体どんな物質を含んでいるのか気になるところです。ヘタしたら乗客は被爆なんてことにもなりかねませんからね。
> 遺伝子と環境で考える見方を示したかっただけですから
いまさらなにを仰るやら(呆)
ひょっとして今までのはすべてジョーク?
最初からカクレクマノミさんがどう考えるかはご自由ですよ。遺伝子と環境で考える見方を示したかっただけですからね。昔の論文は「有意差は"たぶん"あるのは間違いない思う」といった手前で"たぶん"ありそうなのまで出したまでですよ。たぶんですから確かめたい人は自分で確かめて下さい。「ソースがABOFANかよ!」ああそういう見方の人も多いそうですねー、よく分かります。個人的にはWeb検索で血液型関連情報を調べてみても結局同じ情報がABOFANにあるんで面白みを奪われてる気分ですね。
>だからこれまで関係あるという研究も本質的な答えとしては(環境を考慮してないのだから例え有意差があっても再現しない等)間違っている可能性が高いと思います。
そうかもしれませんね。じゃあ、昔の論文引っ張り出してもしゃあないでしょう。
今後、ちゃんと遺伝と環境の相互作用を考慮した研究が適切に行われて、かつ肯定的な結果が出て、おまけに追試でも再現されたなら、受け入れるとしましょう。でも少なくとも今の時点ではそうでないので、受け入れません。
これでどうですか?>ココさん
ここの常連なら、「ソースがABOFANかよ!」って思ったはず…
マイナスイオン製品がこれだけ世を席巻しているのは
「消費者がそれを求めている」という構図が多いそうで。
欲しがられているから、それを供給するという論理ですな。
つまり、そういうモノを嫌う人間(私とか)は、
しっかり苦情を申し立てるべきってことになるんだなあ。
面倒だけど、目についた範囲から苦情は言っておくか……。
(面倒なだけならいいんだけど、そうした行為をするとただの
口うるさい人に見えがちなのも困り者なのだ)。
>キャッテルの論文は見たことはあありますよ。内容はABOFANてところに載ってるからね。
そら、見ただけで読んだとは言いません。
>今の時代はもう遺伝子だけでも環境だけでもないんですよね。
まあ50年くらい前からそうですね。ココさんは、宇宙人が地球にやってきているという説の真偽を議論しようかってのに、「月ってほとんど真空なんですよね」と言ったのですよ。
>これまでの血液型と性格の関係の調査の前提はすべてA型なら○、B型なら×、O型なら△というような1対1の関係を想定して調査していたのではないですか?ABO血液型と性格の関係が仮にあったとしても環境が加わるとどうなるか分からないのに遺伝的決定論を前提としていたように思われるのですが違いますか?だからこれまで関係あるという研究も本質的な答えとしては(環境を考慮してないのだから例え有意差があっても再現しない等)間違っている可能性が高いと思います。
それは「弱い主張」なんだけど、ココさんはわかっています?もしかしたら、なんらかの特別な環境下では、性格とABO式血液型との相関が発見されるかもしれません。だとしても「強い主張」が否定されたままということには変わりありません。特別な環境下でしか有意差が検出できないということ自体が、「強い主張」を否定していることになります。
それはそうと、トンデモ話に対する寛容さがどれくらいかという質問には答えていただけないので?
>現状で疑似科学判定されている物を教育の場に持ち込むべきでないってのは、
一般論として言ってよいと思いますよ。
そういえば、先日、マイナスイオンを発生させる塗料を塗った車両の話が出てましたね。阪急電鉄でしたか?家電業界でもさすがに下火になったマイナスイオンですが、鉄道会社に売り込んでいたとは…。
キャッテルの論文は見たことはあありますよ。内容はABOFANてところに載ってるからね。
Cattell, R. B., Brackenridge, C. J., Case, J., Propert, D. N., & Sheehy, A. J. (1980). The relation of blood types to primary and secondary personality traits. The Mankind Quarterly, 21, 35-51.
ところで、「MAO活性と行動の関係」は読んでくれました?もっと詳しい解説があったのでよかったどうぞ。
http://www-06.ibm.com/jp/software/internet/king/gekkan/doc/v5_6gou.html
このケースには重要な示唆が含まれています。つまり、MAOA活性の低いタイプの遺伝子を持っていたとしても行動は一律に決まらないということです。虐待という環境要因が加わるか加わらないかで同じ遺伝子を持っていても行動傾向が異なることを示しています。少なくともこのケースでは遺伝子決定論は間違いということです。(同時に、環境決定論も間違いです。)今の時代はもう遺伝子だけでも環境だけでもないんですよね。
これまでの血液型と性格の関係の調査の前提はすべてA型なら○、B型なら×、O型なら△というような1対1の関係を想定して調査していたのではないですか?ABO血液型と性格の関係が仮にあったとしても環境が加わるとどうなるか分からないのに遺伝的決定論を前提としていたように思われるのですが違いますか?だからこれまで関係あるという研究も本質的な答えとしては(環境を考慮してないのだから例え有意差があっても再現しない等)間違っている可能性が高いと思います。
アイゼンクの論文は簡単な解説しか見たことないです。他の人の論文も一応見つけましたけどこれも中身は見たことない、ごく簡単な解説しかわからない。もし知りたい方はどうぞ。
Eysenck, H. J. (1977). National differences in personality as related to ABO blood group polymorphism. Psychological Reports, 41, 1257-1258.
Eysenck, H. J. (1982). The biological basis of cross-cultural differences in personality: blood group antigens. Psychological Reports, 51, 531-540.
Rinieris, P. M., Stefanis, C. N., Rabavilis, A. D. (1980). Obsessional personality traits and ABO blood types. Neuropsychobiology, 6(3), 128-131.
Marutham, P.; Prakash, Indira J. (1990). A study of the possible relationship of blood types to certain personality variables. Indian Journal of Clinical Psychology, 17(2), 79-81.
Neumann, J. K., Shoaf, F. B., Harvill, L. M., & Jones, E. (1992). Personality traits and blood type in duodenal ulcer patients and healthy controls: Some preliminary results. Medical Psychotherapy: An International Journal, 5, 83-88.
麻薬を作っている、と非難するのは簡単ですが、コロンビアの農民にも生きる権利がある。どうしますか?
戦争を始めたのは指導者が愚かだったから、というのは簡単ですが、ではこのような場合はどうしますか?
「8月15日が近づいてきて、何人かの閣僚、そして数十人の政治家やかなりの数の一般市民が靖国神社に参拝しようと考えています。
そして、アメリカ合衆国大統領も「この間は断念したが、ぜひとも今年は参拝したい」と申し出があり、日本政府として了解を出しました。
しかし、一部の近隣諸国が批判し始めました。ですが、世論調査の結果『外国からの圧力で参拝を取りやめることは無い』との意見が過半数であったため、閣僚達も議員達も参拝を行うつもりでいます。
ですが、その近隣諸国の政府は「政治家も一般市民も靖国神社に参拝することに対して、断固として抗議する」との声明を発表しました。
そして、ある国は日本との間で懸案になっている海域に戦艦を派遣し、別の国はミサイルの発射準備を始めた、との情報が入ってきました。
それらの国は「通常の航行で問題とは思わない」「ミサイルではなく、ロケットの発射試験だ」と表明していますが、その海域は日本が日本の領海である、と主張している海域であり、そのミサイルの情報は米国から衛星写真なども含めて、提供された情報です。
もし、ミサイルが発射されたなら、日本の本土に着弾する可能性は50%、MDはまだ配備されていません。イージス艦に選考配備されたパトリオットによる迎撃可能性は80%、つまり、4%の可能性で本土のどこかに着弾する可能性があります。
加えて、米軍司令官より『合衆国大統領が日本に滞在している期間中に、ある国が軍事的行動をとろうとする場合、米軍は大統領の安全を確保するためにあらゆる手段を行使する許可を大統領より与えられている』と日本政府に連絡がありました。
ミサイルを発射しようとしている国は、『わが国のロケット試験を妨害する場合、あらゆる手段で報復を行うであろう』と言い出し始めています。」
どうしますか?
> http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/nagai.html
> 慰安所の設置を命令したり、法律を潜り抜けさせたり、といった関与ですね。
というのはあくまでも吉見氏の見解。
引用すると
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吉見氏の解釈では、これは「陸軍省は、派遣軍が選定した業者が、誘拐まがいの方法で、日本内地で軍慰安婦の徴集をおこなっていることを知っていた」ことを示す史料であり、そのようなことがつづけば、軍に対する信頼が崩れるおそれがあるので、「このような不祥事を防ぐために、各派遣軍が徴集業務を統制し、業者の選定をもっとしっかりするようにと指示したのである」とされる(吉見『従軍慰安婦』p.35)。別の論文では陸軍省が「強制徴集(物理的な強制のみならず、だましたり、精神的な強制を加える場合も含む)の事実をつかんで」いたことを示す史料とされ、それゆえ軍には「それを防止する義務があったことになる」と言われている(吉見編『共同研究日本軍慰安婦』p.21)。
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つまり、彼の個人的な見解であり、それとは違う見解もある。
さらに読み進むと(長い引用になりますが)
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どちらも、前提として日本国内では悪質な募集業者による「強制連行」「強制徴集」が現実に発生していて、それをふまえてこの通牒が出されたのだとする点では共通している。小林よしのり氏を批判する上杉聡氏も「強制連行」の事実を示す資料としてとらえたうえで、そのような悪質な「業者の背後に軍部があることを「ことさら言うな」と公文書が記しているのだ。強制連行だけでなく、その責任者もここにハッキリ書かれている」(上杉『脱ゴーマニズム宣言』東方出版、1997年、p.77)としている。
しかしながら、新発見の警察資料を見る限り、ここに出てくる「募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」に該当するのは、以上の考察から明らかなように、和歌山田辺の婦女誘拐容疑事件のみである。この陸支密第746号の「募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」が田辺事件をさしているのだとすると、この史料の上のような解釈は見直しをせざるをえなくなる。
というのは、この事件で事情聴取された業者の勧誘行為は、たしかに軍慰安所なるものがなければ、まったくの詐欺・誘拐にほかならないが、軍慰安所の存在がまぎれもない事実であるとすると、そう簡単に誘拐とは断定できない性格の行為だからである。
たとえ、本人の同意があろうとも、売春させるのを目的に前借金契約をかわして国外に女性を連れ出すことそれ自体が違法であるなら話はまったく別であるが、そうでないとすれば、この業者のやったことは、軍の要請に応じて、その提示条件をもとに、酌婦経験のある成人の女性に、むこうについて何をするのかをきちんと説明した上で、上海行きを誘っただけであって、決してウソ偽りをいってだましたのではない。まして、拉致・略取などを企てたりはしていない。考えてみれば、慰安婦の勧誘法としてはこれ以外にどんな方法がありえるだろうか。
警察資料に登場する慰安婦募集活動は、いずれもこの和歌山田辺で行われたのと大同小異のものばかりであって、軍の定めた条件を提示して女性を勧誘ないし募集するだけで、詐欺や拉致・拐取の事件は一例もみあたらない。違法性が否定できないのは、大内の示した契約条件の年齢条項だけである。しかし、未成年の女性を勧誘した事実は警察報告にはあげられていない。
現存する警察資料が明らかにしている事実関係からすれば、この有名な通牒が出されたときに現実に問題となった「誘拐」行為は、じつは慰安所そのものが合法ならば、当然合法とみなされるべきたぐいの行為にすぎなかった。現実には拉致・監禁や詐欺行為が起こっていたのではないとすると、この通牒それ自体も、直接的にはその種の行為を禁止することを目的に出されたのではないと解さざるをえない。いったい何が取り締まらなければならないとされたのか、それを理解するには、このような活動に地方の警察がいったいどうのように反応したのかを検討する必要がある。
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とある。
要するに、軍が通達を出して悪質な業者に対して、慰安婦を募集する際のガイドラインを提示したに過ぎない。
しかも、警察資料によれば、「詐欺や拉致・拐取の事件は一例もみあたらない。」とある。
それに「違法性が否定できないのは、大内の示した契約条件の年齢条項だけである。しかし、未成年の女性を勧誘した事実は警察報告にはあげられていない。」ともある。
それと、軍が慰安所を設置する要求を出すのは問題がありますか?
第二次世界大戦時のソ連軍が満州やベルリンで行った事をしても良い代わりに、慰安所の設置を禁止する、とか?
韓国軍がベトナム戦争で行ったことは、慰安所の設置の代わりとして許される?
罪を裁く尺度になるのは法であって感情ではないでしょう?
まあ、当時の為政者の責任がどうのこうのという話があるが、なら、自分ならどうした、どう出来た、という話をついぞ聞かないのは何故?
当時の国際情勢やさまざまな要素を考えて、提案を出せますか?
もし件の幼稚園が「弱い主張」に基づいて血液型保育を導入しているのなら、
「そんな与太話的な実験に子供を付き合わせるな!」って結論になるし、
「強い主張」に基づいて血液型保育を導入しているのなら「そんな根拠のな
い代物を子供に押し付けるな!」って結論になるし、どのみち子供の重要な
人格形成の場である幼稚園に持ち込むなって話になるんですよね。
現状で疑似科学判定されている物を教育の場に持ち込むべきでないってのは、
一般論として言ってよいと思いますよ。
>わたしは今はまだ「可能性は自由に広く考えておく」段階なのではないかと言っているだけです。血液型性格診断はもちろん、血液型と性格に何らかの関係があるのかということも(自分には分からないし、証明できっこないのですし)誰かに認めろというつもりはありません。
はいはい、そうですね。可能性は広く考えておきましょう。今僕がいる場所の真下にダイヤが埋まってるかもしれないし、ジェットハナアルキはいるかもしれないし、血液型と性格には関連があるかもしれません。
でも今のところ証拠はないし、不在は証明できないし(統計的手法では帰無仮説は証明不可能)、いつの日かどこかの誰かが今までの否定的データを覆すデータを示してくれたら受け入れる心の準備は一応したうえで(科学に関わるものなら当然の心構えだ)、とりあえずはなさそうだと思っておきましょう。
っていう結論で、誰か異議ありますか?
ココさんの混乱の原因は、強い主張と弱い主張の区別がつかないことに起因しているのかもしれません。たとえば、「宇宙人が地球に来ているかもしれない」という弱い主張を否定することはできないけれども、「何種類もの宇宙人が地球にやってきて、年間数千人もの人々を秘密裏に誘拐し、牛から血を抜き、畑に変な幾何学的な模様を描いているのだ」などという主張は否定できます。まあ、ココさんは「可能性は自由に広く考えておく段階だ」とか言うかもしれませんが。ESPでもいいです。数千回もの試行を繰り返してやっと有意差があるかどうかという弱いESPが存在する可能性はまだ否定できませんが、いわゆるマクロPKの類は、もはや「可能性は自由に広く考えておく段階」とは言えず、否定してもよいと思います。マクロPKが否定できない人でも、「超人ロックが使っているような超能力」なら否定できるでしょう。
こちらは「強い主張」を否定しているのに、「弱い主張」を否定できない根拠を持ち出してきても、議論がかみ合いません。ココさんが持ちだす「根拠」が根拠になっていない理由の一つがこれです。他にも、ココさんは、これまで「強い主張」が否定されてきた経緯をまったく考慮していないというものです。血液型と性格に関連があると誤って思い込んでしまうようなバイアスについて、そもそも私のもともとのエントリーに記載しているのに、ぜーんぜんココさんは考慮している節もありません。だから、学生の喫煙と血液型の調査なんかを、安易に引っ張ってくるのです。学生が数百人くらい調査したくらいで差が出るような相関があったなら、とっくに証明されているはずだっていうくらいの知恵は働かなかったんでしょうか。ココさんを論理は、たとえて言うなら、「超能力は否定できないと思います。その根拠は、こないだテレビでMr.マリックがスプーンを曲げていたからです」っていうようなものです。セーガンがどうとか言っていましたが、科学の方法論についてココさんはどのようにお考えなのでしょうか。
ココさんのトンデモ話に対する寛容さがどれくらいかを聞いてみたいです。「悪しき相対主義とレッテルを貼るな」っていうくらいだから答えられますよね?以下の仮説は否定できますか?まだ間違っていると確定したものではなく、「可能性は自由に広く考えておく」段階ですか?
A) 血液型と性格には保育に利用できるほどの、強い相関がある。
B) 注射針で指先を刺激するなどの治療法で、末期がんの6割が治る。
C) 数千年前に金星は木星から飛び出し、海を割ったり地球の自転を止めたり炭水水素を降らたりした。そのときの話が聖書にある。
どれも否定してよいと思いますけどねえ。腸のホルモンの話とか、血小板MAOの話とは、だいぶ違うことです。「社会心理学の統計では有意差は認められている」ってのは疑問符をつけとくとして、「数万人調べたら、血液型と性格に有意な関連が認められた」って話は誰も否定していないことも確認しておきます。否定されているのは、強い主張なのです。
>ソースぐらい出してくれないと、民明書房以下の価値しか無い独り言なんだけど(匿名希・望さん 投稿日:11月11日(金)18時52分13秒)。
私が代わって出しておきましょう(w。
http://members.jcom.home.ne.jp/natrom/BloodMAO.html
さらに補足。
私が殊更に問題視するのは、
「性格というファクターに対しては、個人差よりも血液型の影響が
大きい」と意識的にせよ無意識にせよ主張する人々の存在です。
直感的なことを言えば、
「今、あなたの目の前に百人のエキストラを見せます。
あなたはこの百人と自由に会話をすることができます。
ただし、血液型を聞いてはいけません。
この状態で、百人を四種類の類型に分類して下さい。
その類型は血液型とぴったり一致しているはずです」
という問いを連想して、それを実行することがどれだけ
困難かを想像するだけでじゅうぶんです。一般に「信じ
られている」血液型性格判断は、それだけの強い主張を
しています。で、社会的に見て害を及ぼし得るのも、こ
うした強い主張のパターンなんですね。
「血液型と性格の間には、なんとなく関係があるような
気がする」くらいの弱い主張なら、別に放置しておいて
も大した害はありません。強い主張は、普通に人間が社
会生活を営む上で身に付けた常識(人間色々)とあからさ
まに乖離することを真実だと主張するので問題だという
のが私の認識です。
念のため。今回はケンカ売ってるわけでも議論吹っかけてるわけでもありません。や、これまでも議論は吹っかけてもケンカ売ったことはないんだけど。
>この方はどうしてこう曲がった見方しかできないのでしょうか。
>主張の根拠といわれましても、確かなことは言える調査ではないだろうと断っているのに。
曲がった見方ではなくてまっすぐなんだけどココ さんがワープしてしまったんです。
先の投稿「ソース見つけてきたよ〜」(11月11日02時47分19秒)
で言いたかったのは、
確かなことは言える調査ではないということではなく、
ココ さんの主張の根拠として不適確であるということです。
以下解説。
ココ さんの主張は『血液型と性格・行動の関連はそれほど確定的に否定はされていないのではないか』です。
で、それは『血液型と性格・行動との強い関連は否定されている(弱い関連は科学では否定不能)。強い関連を示唆する研究も、バイアスの排除を怠ったりサンプリングに問題があったり、解析手法に間違いがあったりするものばかりだ。』という主張を受けてのものです。
特に後半部分が重要で、単に血液型と性格との関連を結論付けている研究がいくつかあることは周知のことなので、これを受けて『血液型と性格・行動の関連はそれほど確定的に否定はされていないのではないか』と言うためには、その研究はきちんとバイアスが排除されていて適切な方法で解析されたものであることを知っていなければなりません。
で、『強い関連を示唆する研究も、バイアスの排除を怠ったりサンプリングに問題があったり、解析手法に間違いがあったりするものばかりだ。』と思っている人たちにこれを示す必要があるわけ。少なくともここについて質問されたら答えなきゃ議論じゃない(せめて示さないまでも「これは適切な方法で行った結果だ」と言うくらいはしないと。)。
中身についてじゃなくて、おそらく中身(特にサンプリング法や解析法が適切かどうか等について)を知らなかったであろうことについての批判だったわけ。
PS.
先の問題の投稿についていくつか訂正。
>N=143
243です。
>いきなり男女比に偏りが・・・学部の男女比のせいかもだけどまずいんじゃないの?
男女で血液型の比率に差がない限りは大丈夫のような気がしてきました(自信なし)。女性が少ない気はするけど。
MAO活性については、へぇ、そうなの?という感じ。
わたしは、血液型での性格判断を批判的にみています。
なんか実験かアンケート調査とかしてうまく証明できないかなーとおもっています。
なんかないですかね?
11月11日(金)19時50分7秒の投稿で「信念だけを根拠にするより」とココさんが言ったのは、誰のことなんですか?確かに、遺伝子が性格に関係あるのは確かなことですね。最近のココさんの投稿は、何が言いたいのかよくわかりません。多くの遺伝子が性格に関与していることがわかってきているからこそ、ある単一の遺伝子が性格に強い影響を及ぼしているなんて話の信憑性がなくなってきているのですが。
私が、「いやあ、まったくですね」と言ったのは、「社会心理学の統計では有意差は認められている。これについてはたぶん間違いないと思います」と書いておいて、「根拠を説明してもらえませんか」と尋ねてもろくなソース答えられなかったココさんのことを指しています。まだ、学生のほうがマシ。「外国の心理学者の論文もあるようです」って、読んだんですか?私はキャッテルの論文は読みましたよ。
それは信念というより本当だしな。
別に血液型と関係はあるとは言ってないしな、誰のことだ?
>練習用のレポードでもいいんじゃないか、信念だけを根拠にするより
いやあ、まったくですね。
まあだれかのソースも新聞記事だけだったりするけど、つまらぬ因縁をつけても仕方ないか。
練習用のレポードでもいいんじゃないか、信念だけを根拠にするより。
旧聞ですが、虐待という環境因子が加わるとMAOA(モノアミンオキシダーゼA)活性と反社会的行動に高い相関が見られたという研究があります。心は環境と遺伝子が作るということなんでしょうか。MAOA活性の低い子はあまり厳しく叱ったりせず、褒めて育てたほうがいいということでしょうかね。
反社会的行動は遺伝子によるものなのか
http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/agc/ishiura/ishiura01.html
ソースは、あるある大辞典とか、ABO FANとか、どっかの学生がプレゼンテーションの練習用のレポートとかだったりするんだもの。
ソースぐらい出してくれないと、民明書房以下の価値しか無い独り言なんだけど。
#議論する気は無くてもいいけど、会話する意思ぐらい持って欲しい。
血液中にある血小板MAO(モノアミン酸化酵素)活性が、脳の神経伝達物質の活動に影響を与え、それによって行動や性格に影響してくることが知られるようになってきてるのだそうです。詳細は存じませんが…、血小板MAO活性と性格の関係は明らかになっているということですかね。血小板の性質と性格とは相関があるとなると、血液型ではなくおおざっぱに血液と性格には関係があるとはいえるのかな。まあ一般人は普通こんなの調べないでしょうから性格診断に使おうという人は出てこないでしょう。
セロトニンやノルアドレナリンのような生体内にある活性アミンをモノアミンというそうです。モノアミン酸化酵素とはこれらを分解する酵素のことらしいです。血小板がそれを持っていると。
セロトニンやノルアドレナリンは脳内では神経伝達物質として働き中枢神経を興奮させるそうです。また消化管ではその運動に大きく関係しているそうです。要するに脳腸ホルモンですが、セロトニンは消化管粘膜に体内全量の約90%が存在しているそうです。
セロトニンが血中に出てきても血小板モノアミン酸化酵素によりいずれ分解されるということになるでしょうかね。ということは血小板MAO(モノアミン酸化酵素)活性とは神経を沈める働きがにつながるということでしょうかね。
始めまして(ば)さん。
>むしろ私が変だと思うのは、戦闘員と非戦闘員を何故分けるのか、ということです。
戦争を指導している人達、積極的に関わっている人達、積極的には関わっていない人達、戦争に反対しているかもしれない人達などを可能な限り区別しようとする一つの方法です。
diamonds8888xさん、性格は必ずしも分類することもないと性格診断に興味の無いわたしは思います。
ところで、diamonds8888xさんは腸の話を投稿されていたと思います。腸の働きは面白いですね。最近、否かなり前から脳のホルモンが胃腸膵臓などからも分泌されていることが分かっているようですね。トーパミン・セレトニンなど共通のホルモンが何十とあるそうで脳腸ホルモンと呼ばれているようです。例えばCCK(コレシストキニン)は視床下部(様々な欲求を作る)を介して、記憶や学習にはかかせない海馬と呼ばれる部分に影響を与えるそうです。またCCKは腸の血液循環をよくする働きのあるホルモンとして働くらしいです。
この方はどうしてこう曲がった見方しかできないのでしょうか。
主張の根拠といわれましても、確かなことは言える調査ではないだろうと断っているのに。
非戦闘員を攻撃するのはルール違反という感覚は歴史的なものではないかと思います。ナポレオンより前のヨーロッパでは戦争は領主達のもので民衆にとっては関係ないこと、つまり無関係の者を巻き添えにするのはルール違反という感覚ではないかと。これは日本の戦国時代でも同じですが。
現代の戦争では民衆も多いに利害関係は持つのですが、非戦闘員を攻撃するのは格闘技で金的を攻撃するという感覚に似ているように思えます。効果的だけど、いや効果的だからこそ卑怯だねと。
義経は船戦で漕ぎ手を射て勝利しました。それまでは非戦闘員の漕ぎ手を射るなんて武士道に反するという感覚があったのでしょうね。今では盲点を突いたとたたえられることが多いようですが、始めて戦略爆撃をやってのけたヒトラーのゲルニカ爆撃も共通点がありますね。
そもそも人にはどんな性格があるのか、つまり性格というものをどう分類するのか、ということ自体が難しくて私などはよくわかっていません。内向性と外向性に分けたのはユングに始まるそうですが、クレッチマーの気質理論から最近有力という5因子説まで様々です。現在の正統派心理学に続く流れ以外でも、人の性格を記述しようする試みはどこの文化圏でもあります。特に占いの分野では必要なことですからね。細かく見れば一人一人異なるものをなんとかまとめて分類していこうというのが性格付けの努力ですから、筋道だってまとめるのも大変ですよ。
このあたりが、どうとでも解釈できる記述で当たっているように見せかける手法の跋扈をもたらすのでしょうが。
そして安易な分類はいわゆるレッテル張りに通じますしね。
訂正
誤 http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd090000.html)
正 http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd090000.html
「可能性は自由に広く考えておく」って言ったって、科学的に立証されてないなら、“使えるかどうか分からない”ことには変わりありません。
“役に立つかどうか分からない”方法、それは可能性から切り捨てられるべきではないかもね。
でも使うか使わないかってことになれば話は別。だって“役に立つかどうか分からない”のだから。
比較で考えると分かりやすいかな。
かたや“ある程度役に立っている方法”、かたや“役に立つかもしれないけど、全く役に立たないかもしれない方法”。
使うならまず役に立つかどうか確かめてからでしょ?
ちょっと苦労したけど一つ見つけてきました。
http://www.chem.ous.ac.jp/~takahara/presen/2004/rep22.html
↑これの9班(血液型)。いいのかな?ま、WEBに出てるって事は引用してもいんだよね?(不安)
N=143、男175、女68
(いきなり男女比に偏りが・・・学部の男女比のせいかもだけどまずいんじゃないの?http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd090000.html)
男A66、B38、O51、AB20
女A25、B14、O22、AB7
うち喫煙者
男A22、B9、O30、AB5
女A3、B2、O4、AB1
確かに血液型ごとに喫煙率に差が出ているね(※ただ、レポートの解析方法は間違ってると思う。喫煙者の血液型の比率を見るんじゃなくて、血液型別の喫煙率を比較しなきゃと思うけどどうでしょう?>ALL。ま、その場合でも男でp=0.002くらいにはなるけど。女ではp=0.95。男女比が偏ってるから全体ではp=0.008。4×2のfisher's exact test、両側。)。
その年の20代の喫煙率とのずれとかサンプリング方法の問題とか気になることがいくつかあるんだけど、それは置いといて。。。
ココ さんは具体的な内容を確かめずにこれを自分の主張の根拠としましたね(これ予備調査ではないよ)?そういう怠惰な態度が発言の信頼性を低下させるのですよ。
今回はたまたま有意差出てるけど、これ、授業課題での学生の調査&解析ですよ?学生の調査なんて解析法やサンプリング法間違えることも多々ある(ちゅうか間違えてる匂いがする)。誰の調査か分からない、どんな方法かも分からない調査(2ちゃんかどっかで学生による云々って記述は見つけた。学生ってコトは知ってたのかな。)では、『「可能性は自由に広く考えておく」段階である』という主張の根拠としてさえ薄弱です。
>従軍慰安婦問題に関しても、「関与した」という言い方でも様々な意味合いがあるのでは?
>軍が積極的に娼婦にする為に女性を買い集めていたという意味合いでの「関与」なのか、逆に悪質な業者や不公正な取引を禁止するために監督するという意味合いでの「関与」は全く実態が異なるのでは?
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/2semi/nagai.html
慰安所の設置を命令したり、法律を潜り抜けさせたり、といった関与ですね。
>また、当時の社会情勢や法律で売春は非合法でしたか?
条件付で、合法でした。
http://www.he.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/nichiro/Nichiro2.htm#sec1
・左ノ事項ニ該当スル者ハ娼妓タルコトヲ得ス/一 十七歳未満ノ者[以下省略
・娼妓廃業セムトスルトキハ自ラ本署又ハ支署ニ出頭シ書面又ハ口頭ヲ以テ届出ツヘシ但シ自ラ
出頭スル能ハサル事由アリト認ムルトキハ代人ニ依ル届出ヲ受理スルコトアルヘシ
に関しては、この条件から外れるので、非合法です。
ただし、従軍慰安婦の問題は、売春でなはくて強制連行や騙したりしたことなんですけどね。
戦闘員と非戦闘員を分ける必要はない、勝つためにはどっちもたんと殺せ、それが戦争だ、、、としていいんなら、それはそれでよく分かります。
B級やC級戦犯として殺された人たちは、負け戦だったからとあきらめるしかない。
1万メートルの上空から爆弾を落とされて殺された女、子供もまた同じでしょう。
でも、それなら、そういう負け戦をやらかした連中を、なんで神様に祭り上げるんだ?
よけいおかしいじゃないですか。
>この本で高橋哲哉は、「戦争で殺されたかわいそうな人々」を、
>「お国のために立派に戦って死んだ人々」に変換するための装置として
>靖国神社を描いている。こういう変換を高橋は「感情の錬金術」と呼ぶ。
>前者は反戦につながる感情だが、後者は戦争を美化し国民を動員する感情だ。
そんな単純化していいのかと思うけどなぁ、、、
左巻きの人って皆、こうなんか?
「戦争で殺されたかわいそうな人々」だろうと、「お国のために立派に戦って死んだ人々」だろうと、そういう人々を神様として祭るってのは、分かる。国家や権力者がそうしたいのは当然だろうし、また遺族の方も、後の国民がこぞって神様としてあがめてくれるってのはありがたいことだとする人たちが多いだろうというんも理解できる。
でも、負け戦の指導者もいっしょってのがわからんのですよ。
その負け戦の指導者につながる人たちがそうするってのは、まぁ分かる。
恥知らずというか面の皮の厚いやつというか、そういう者たちが多いのも、まぁ、そんなもんでしょう。
でも、紙切れ一枚で引っ張っていかれ、まともな戦闘もできずに、なぶり殺しされたり、餓死したりした兵士の遺族が、そんな戦争を始め、指導した連中といっしょに祭られるのを許すってのが、私には理解できない。
いったい、どういう心性なんか、、、
こういう心性ってのは、日本だけなんだろうか、、、
いや、こういう疑問を持つ私ってのが、特異な存在なんかなぁ、、、
JA50さん:
>1万メートルの上からなら、人間を何人殺そうが、非難されないってこと。何万、何十万人殺そうと、
>それは戦争の勝つためと正当化される。それが女や子供などの非戦闘員だろうと関係ない。
>一方、目の前の人間になると、非難される。兵士、スパイ、馬賊であろうと同じで、
>殺し方が野蛮だと非難されもする。
これも確かに変ですが、実際にはアメリカの空襲や原爆投下も非難する人は多いですよね。
むしろ私が変だと思うのは、戦闘員と非戦闘員を何故分けるのか、ということです。
徴兵制のある国なら、兵隊さんは単に徴兵されたというだけじゃないですか。また、志願兵だとしても、その人は別に「殺しが好きで好きでたまらない」わけじゃなく、同胞を守ろうと勇気を持って立ち上がった人であるわけでしょう。そういう人は殺してよくて、民間人だからダメ、という理屈はどうもよくわかりません。民間人だってその国の国力を支えているのは間違いないわけですし。
>そして、戦争に負けると、戦犯だと言って、処刑もされる。
>戦争ってのは、勝つ戦争をしろってことなんですかねぇ、、、
もし戦争を「政策」と捉えるなら、こっちはむしろ納得できます。勝てば官軍。
http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/ningen/node81.html
ヴェリコフスキーの「衝突する宇宙」の信者も、「否定された推測や仮説を疑似科学だと決めつけるのを慎重にすべき」「可能性は自由に広く考えておく」段階なのではないか、などと言うでしょうね。
> http://sociologbook.net/log/200510.html#eid170
なるほどねえ...
そこに出てくる「F尺度」というのは、これのことかな?
http://pweb.sophia.ac.jp/~n-anraku/fscale/fscale.html
わたしは今はまだ「可能性は自由に広く考えておく」段階なのではないかと言っているだけです。血液型性格診断はもちろん、血液型と性格に何らかの関係があるのかということも(自分には分からないし、証明できっこないのですし)誰かに認めろというつもりはありません。
流れが速すぎて追いきれてないので、誰かの意見とかぶってたらごめんなさい。
>このように、可能性は自由に広く考えておくべきだと思う。
という斉藤さんの言葉はもっともです。
しかし、関連があるという証拠が十分でないうちは、あると主張すべきではありません。明日どこかのジャングルでジェットハナアルキが見つかるかもしれませんし、その「可能性は自由に広く考えておくべき」ですが、今の時点でジェットハナアルキが生存している科学的証拠があると主張すれば、嘘吐きです。
また、ココさんが紹介されているデータを見て気になるのは、多重検定の問題です。
O型と喫煙率の関係が調べられていますが、おそらく実際にはA型やB型やAB型と喫煙率の関係も調べられたでしょうし、喫煙率以外にもいろんな要素との関連が調べられたでしょう。
たくさん調べれば調べるほど、「偶然、どれか1つ以上に関連があるように見えてしまう」確率が上昇します。そのため、45%という数字だけ見せられても納得するわけにはいきません。
さらに、肯定的な事例を列挙するだけではダメです。前に述べた理由から、肯定的な研究結果が否定的な研究結果より十分に多いことを示してもらえないと、納得はできません。
本当に十分な数の肯定的結果が出てるなら、まとめた総説論文ぐらいあるんじゃないかなあ。
>>靖国問題『靖国問題』 高橋哲哉
>一旦戦争を美化してしまえば、指導者の免罪は容易な事と思います。
靖国神社は、為政者が兵隊さんに「死んできてね」って言うための宗教的軍事施設なんだピョン。靖国神社という仕掛けがなければ、国民の戦意高揚はありえないピョン。靖国神社は出征兵士の出陣儀式の場であり、祝勝の場であり、戦友と共に魂が帰る場なのら。
先の戦争の美化に靖国神社は大きく関係しているんだあ。高橋哲哉という人は知らなかったんで、本を探してみるピョン。
喫煙率などはダブルブラインドテストとかあまり関係ない話じゃないですか。わたしの見た資料はまだ予備調査の予備調査程度の代物だと思いますけどO型が45%というのはかなり大きい比率です。誤解を招かないように言っておきますが、こうした特定行動との関連の研究と、血液型性格診断を実用にすることとは別の話です。血液型性格診断には興味有りません。わたしは人の血液型は家族のほかは1名しか知らないのです。
ところで、定説ってどうやって定めるのでしょうか。
日本には40以上も心理学に関わる学会があるらしいです。どこの心理学会で定説を定めるのでしょうか。
戦前の古川学説なるものも詳しく知らないけども賛成した人もいたらしく賛同者は自説は曲げなかったようです。
また外国の心理学研究は考慮しないのでしょうか。キャッテルやアイゼクの説が追試で否定されたのかどうかも分かりません。
福田稔という免疫学者の著書にはO型の人が白血球の数が一番多く、リンパ球(白血球の中で免疫能を担当する細胞)の比率も高いと書いてあります。福田稔さんは白血球が自律神経の支配下にあるというメカニズムを世界で初めて解明した人らしいですが、それならば、自律神経(交感神経・副交感神経)による白血球の支配は血液型によって差があるということでしょうか?
また、まったく別の文献によると腸管は副交感神経支配下あるそうです。免疫の約50%以上が腸管組織に存在するそうです。病気は交感神経緊張の持続によってもたらされるともあります。腸管免疫を活性化することは副交感神経を刺激することだともいいます。そうするとO型の人は副交感神経が他の血液型の人より刺激されているということでしょうか?
>今時大戦で負けたイタリアじゃ、たしか民衆によってなぶり殺しされた上に
>縛り首になったんじゃなかったですか。これが普通じゃないですか、人間の感情として。
イタリアの場合敗色が濃くなってクーデターでムッソリーニは失脚。
新しい政府は連合国との講和を模索する。
ヒットラーは軟禁されていたムッソリーニを救出して再び権力の座につける。
この時点で彼はドイツの傀儡になってしまう。
最後はドイツの占領に抵抗したパルチザンによって処刑という経過を辿っています。
クーデターが起きなかったり、ヒットラーが再び権力につけなかったら、
また別な結果になった可能性があります。
>戦争による死亡者と焼け野原の国土を残したリーダー達。
>それを、神様にする、、、
こういうことではないかと
http://sociologbook.net/log/200510.html#eid170
>靖国問題『靖国問題』 高橋哲哉
>この本で高橋哲哉は、「戦争で殺されたかわいそうな人々」を、
>「お国のために立派に戦って死んだ人々」に変換するための装置として
>靖国神社を描いている。こういう変換を高橋は「感情の錬金術」と呼ぶ。
>前者は反戦につながる感情だが、後者は戦争を美化し国民を動員する感情だ。
一旦戦争を美化してしまえば、指導者の免罪は容易な事と思います。
かつて、ABO式血液型性格診断なるものが存在することを聞いたとき、私がとった態度は「眉唾だけど保留」でした。もしかしたらきちんとした科学的根拠や実証データがあるのかも知れない、それを知るまでは保留にしておこう、と考えたのです。
一方、「眉唾だけど」と考えた理由は、血液型がABO式以外にもRh型、E型、S型など様々に存在し、おおよそそれらはひとつの「遺伝子型」に相当し、なおかつ分類しきれるものとは云いづらいほど多岐にわたることを、個人的な医療経験によって知っていたからです。逆を返せば、Rh−型やボンベイ・ブラッドなど、(血液型が重視される輸血可能性という尺度において)非常に珍しい血液型を持つひとであるならば、それだけエキセントリックな(かなり風変わりな)性格を示すのだろうか?とも思えるのですが、実際に知る「珍しい血液型を持つ知人」は、どこから見てもノーマルな社会人でした。
十分な医学知識〜科学知識を持たない私ですら、ニンゲンの性格というものが「単純」とはとてもいえないことを知っています。表現型としてみるそれは、身長だとか体重よりも複雑ですし、そもそも「傾向」という指標ですら、どうやって当てはめてみたら適当なのか、判別に苦労するだろうことは容易に想像がつきます。
ところが、血液型は非常に単純です。たったひとつ遺伝子が書き換われば、血液型は変化します。ではそのたったひとつの変化が、これほど大きな「性格」を支配するのでしょうか。にわかには信じがたい話です。
とはいえ、それを実証するデータがあるのでは仕方がありません。私は信憑性の高いデータが添えてある仮説であれば、「無闇に棄却」することはしません。そこで、血液型性格診断に関するデータをいくつか調べていくと、これが「学術」とはとてもいえないお粗末な調査にもとづく主張であること、もしくは「占い」の一種で、飲み屋のネタ的なものに過ぎないことを知りました。
#ダブルブラインドテストや(最低限度の)バイアスを排除した調査といえそうな実証データが存在しない。逆に、診断を否定するデータなら「山ほど」ある。
まだ十分に成熟していない科学分野において、定説を「修正」するような発見、新仮説は今後も数多く提出されることでしょう。また、もっと複雑な遺伝子類別区分と詳細な行動・性格傾向の相関というテーマで確たる理論が提出される可能性は高いだろう、と私は思います。しかし、ほとんど「ドグマ」といって差し支えないほど成熟している科学分野において、定説を根底から覆すほどエポックメイキングな発見は「かなり低い確率で」しか提唱されないであろうことは、科学者ではない私でも容易に想像がつく話です。血液型による行動・性格診断は、まさに「そういうレベル」の話である、と私は考えているのです。平たくいえば、この仮説を主張するならば、当然の「前提」として揺るぎのないデータを添えて提示しなければならない、と思います。それができない状態で、可能性だけを訴えるのは無責任な言動である、とさえ思うのです。
ある仮説が疑似科学であるかどうかは、その仮説の真偽によるものよりも、それを主張するひとの「姿勢」に委ねられる、と私は考えています。ABO式血液型と性格傾向には相関を持つ可能性がある、という主張そのものは十分に科学的です。しかし、この仮説の検証の結果、「99%以上偽である」という結論が出ているのに関わらず、ほとんどないに等しい可能性を持ち上げることは、疑似科学的である、と考えるのです。
もっとも、それでも血液型性格診断を採用するのは「個人の裁量において」自由です。私も「酒の席のネタ」でなら、いくらでも使います。ただ近年は、そういう場においてさえ、(この説については)批判的姿勢を崩さなくなってきているのも事実ですね。
従軍慰安婦という制度については、もともとの成立趣旨(タテマエ)からして、当地における婦女子の保護をはかるためとかいうものもあったんだよにゃ。まあ、軍においてセックスも管理するという発想には違いにゃーよな。
たとえばアウシュビッツの管理体制というのは、いかに効率よくユダヤ人を殺し管理するかという意味において近代の合理的志向の極限に位置するとアドルノあたりがいっているにゃ。それと同様の意味合いにおいて、従軍売春婦制度というのは、軍隊という戦闘デバイスの合理的管理法の発想として極限に近いところにあるのではにゃーかという気がする。本気で戦争に勝つつもりで作った制度だよ、あれは。
で、問題はその合理性の方向だ。
日本政府が従軍慰安婦狩をしたなんてのはまずタワゴトだろうけど、「三国人」を差別して生活を困窮させておいて、おいしいことをペラペラいって慰安婦を募集したのであれば、「狩」と道義的にはたいしてかわんにゃーよ。結局軍票は紙切れと同じことで、国家的詐欺で♀に体を売らせたことはマチガイにゃーだろうに。法的にどうこうという問題ではなく、恥ずかしいか恥ずかしくにゃーかだ。恥を知らにゃーのは日本人だと思いたくにゃーね。
大日本帝国は、やらずぶったくりのド糞詐欺売春宿の胴元だよ。
近代社会の基本原理は公私二元論にあるにゃ。公的領域と私的領域の峻別ね。
そして、私的領域においては私的自治が原則となるわけにゃんし、公的権力が私的自治に介入するのは望ましくにゃー。たとえば警察は民事不介入でなければ、かえって不公正といえるわけだにゃ。
でね、カガクというのはもともと私人の研究というかヒマツブシみたいなものだったにゃんが、現代社会においては公的なものと考えていいわけ。影響力の大きさもカネのかかりかたも、公的なコントロールをする必要があるにゃんな。原子力はバイオテクノロジーを私的領域にとどめるわけにはいかにゃーもんな。
たとえばある私人が難病にかかったとして、彼が現代医学に頼ろうが祈祷で治そうとしようが、それは個々の同意に基づいてすることであって勝手にやればいいわけだにゃ。
しかし、その治療に公的保険を適用するか否かということになったら、より合理的な効果を証明した治療法にしか保険を適用すべきでにゃーことは当然だよにゃ。ここで「確からしさ」の指標が必要となり、その指標を見出すために種々の方法論がつくられたわけ。カガク理論なんてものは、畢竟すべて仮説にすぎにゃーといえなくもにゃーが、その中でも「確からしさ」にはいろいろな段階があるということだにゃ。
ニンゲンの生死に直接関与する医療、まかり間違うと大規模な災害を引き起こす原子力、人の一生に大きな影響を及ぼす教育などにおいては、「確からしさ」においてその当時の水準で達しえる最高度のものが求められるのはアタリマエ。
現代医学の最先端も、メディスンマンの祈祷も、マイバースデイの占いも、「確からしさが100%ではない」ということにおいては同じことだにゃ。私人としてなら趣味で好きなものを選んでくれ。
私も、自分が直接答えを出せない問題については判断を行ないません。
特に複雑な政治的トピックに対してはそういう態度をよく取ります(早
急に結論を出すのが危険な場合が多いから)。
血液型診断に関しては、私は自分に判断をする能力があると考えて、
それに基づいて「血液型診断は有効性が無い」という判断を下しています。
具体的に言えば「弱い主張はあり得ても、強い主張はあり得ない」と判断
しています。血液型診断の社会的影響を考えるには、この「強い主張は
あり得ない」という判断だけ出来ていれば十分なので、それに基づいて
血液型性格診断の濫用には批判を行ないます。
ココさんのスタンスは基本的に誠実な物だと思う(自分も同じような態
度を取ることがある)のですが、そういう立場を取るのなら、そもそも
「自分が血液型診断に関して判断を出来ると考えて、判断を下し、批判
を行なっている」NATROMさんの主張に対して、主張する行為その
ものの是非を問うココさんの問いかけは、よくて「大きなお世話」であ
ると私は考えます。
自分が直接答えを出せない問題については、同判断をするのでしょうか?
人それぞれの主義だということを前提にしてとりあえず自分の場合は血液型性格診断について実用としての興味はありません。関連がある、関連が無いの結論については分からないという立場です。
ゆんさんもわたしへの質問をご自分に向けてお答え下さい。
>わたしには答えを出すことは無理な相談なので、わたしが科学の答えを保留しているわけではありません。
それは、「自分が直接答えを出せない問題については、そもそも判断
そのものを拒否する」というスタンスということでよろしいのでしょうか?
従軍慰安婦問題に関しても、「関与した」という言い方でも様々な意味合いがあるのでは?
軍が積極的に娼婦にする為に女性を買い集めていたという意味合いでの「関与」なのか、逆に悪質な業者や不公正な取引を禁止するために監督するという意味合いでの「関与」は全く実態が異なるのでは?
また、当時の社会情勢や法律で売春は非合法でしたか?
法律で犯罪を裁く場合、事後制定の法律で過去に遡って行為を罰する事は近代法の常識に反しませんか?
今の価値観や倫理観で過去の出来事を裁くことは非常に危険であり、ある意味では恣意的な法律の制定などで現在の行為を罰する事はそれ以上に恐ろしいことだと考えられませんか?
南京大虐殺や従軍慰安婦問題はこういった点でも非常に恣意的な解釈や判断が入り混じり、なおかつ、中国共産党政府や大韓民国政府の立場から見れば民族的な感情、賠償という金銭問題が絡むために非常に政治的や利益的な要素までごった煮になった問題では無いでしょうか?
わたしには答えを出すことは無理な相談なので、わたしが科学の答えを保留しているわけではありません。
私が主張出来るのは「血液型性格診断については諸説あるようですが、まだ間違っていると確定したものでもない、という評価があるようです。」というところまでです。
「血液型性格診断については諸説あるようですが、まだ間違っていると
確定したものでもない、という評価があるようです。白とも黒とも判断
がついてない以上、私はどちらを肯定、否定することも無く意見保留の
ままでいたいと思います」
というのがココさんの主張なのでしょうか?
それには何とも答えられません。わたしには分からないからです。
疑似科学というのは科学を詐称しているわけでしょ。保育については科学的に実証した理論だとは主張してないと思うんだけどね。わたしの認識が間違ってますかね。彼には血液型気質教育法なる著書もありますが(ある血液型が必ずある気質であると主張していない)、教育法で科学的実証されたと主張するものがあったら教えて欲しいくらいのものでしょう。我が子の躾だとか教育だとか科学的な実証されたからしたわけではないでしょう。
幾らでも出来ると思いますよ。血液型の話でも出ていることですが、人は信じたいものを信じる。そして、相手の話を理解して、納得するまで話し合うか、相手を否定するだけの反論かも意味が違う。
確かに、この「写真」に関しても賛否両論はあると思います。が、それが本当に正しいものかどうか、証拠能力があるのか検証して、確定されたものでない以上、幾らでも議論になるのでは?
この写真が間違いだと信じたくない人(=南京大虐殺を追及したい人)にとっては何を言っても「そんなのは言い掛かりだ!」となる。
(ちなみにヘルメス☆は日教組系の教師に人格まで否定されるような目に合わされたので、相当にサヨク系の人間には逆に偏見と胡散臭さを感じています)
重要な質問なので、出来れば答えて欲しいです。
血液型性格判断といえば、巷では「A/B/O/ABの4種の血液型に
よって、人間の性格は異なる4つの類型にはっきりと分けられる」と言
う、かなり「強い主張」として扱われています。
一方、「A/B/O/ABの4種の血液型には、有意差のあるレベルで
性格との相関が見られる」という主張を、「弱い主張」と呼ぶことにし
ましょう。
Q1.ココさんは、「弱い主張」はありえると思っていますか?
Q2.ココさんは、「強い主張」はありえると思っていますか?
>大文字ナンさんの考えは、どう読んでも同じ意見なのですが(最後の3行の勘
>違いを除いて)、まるでわたしへの異論として書かれているような不思議な現
>象が起きてます。それをここに書くことの限界があると先に書いた理由です。
>驚くべき現象のように思います
考えが似ているように見えるのに、血液型の件に関しては意見が一致しない
わけですから、異論になるのはむしろ当然では(表面的にはっきり意見が対
立しているよりそっちの方がむしろ問題という認識の仕方)。
大文字ナンさんは少なくとも件の血液型保育を見過ごしていい問題ではない、
むしろ積極的に害悪だと捉えているはずです。そうした立場に立つ以上、血
液型保育をよしとするココさんと基本的に「意を異にする」スタンスを取る
のはむしろ当然でしょう。
>それではなぜ、ココさんは再度ABO式血液型判別にもとづく、性格および行動傾向との相関について議論を提出しようとしているのでしょう。
血液型が完全に否定されているという前提で議論されているようだからです。それで、それほど確定的に否定はされていないのではないかと言ったまでです。血液型診断は信じてはいないですが、わたしがそう信じるていると信じるのはあなたの自由です。だが驚くべき現象であることに違い有りません。
>大文字ナンさんの考えは、どう読んでも同じ意見なのですが(最後の3行の勘違いを除いて)、まるでわたしへの異論として書かれているような不思議な現象が起きてます。
果たしてそうでしょうか。
それではなぜ、ココさんは再度ABO式血液型判別にもとづく、性格および行動傾向との相関について議論を提出しようとしているのでしょう。少なくともココさんはこの仮説に対して肯定的あるいは再評価の必要ありと判断されているように見えます。また、この仮説を棄却する姿勢に対しては「まずいものには目をつぶりたいという強い誘惑がある」ものだ、と批判されているように見えます。
>わたしは否定も肯定もどちらも疑うつもりでいるのです。
ということでしたら、ご自身で提示したいくつかの「血液型と行動の傾向には相関があるらしい」とされたデータに対しても、徹底的に疑いの目を向けられたのですね。そのうえで、これらのデータには高い信憑性があり、エラーバーは非常に短い、それなのに定説を信じる者は「信じるがゆえに」これを見ようとしない、といわれるのですね。
しかし私は、ココさんの提示した血液型と行動傾向の相関を示すデータ(というよりあまり科学的とは見えない主張)のエラーバーは非常に長く、極めて信憑性に欠けるものだ、と考えます。セーガンの著書に対して同じ意見を持つ者同士でこれほど立場が変わるのでしたら、なるほど驚くべき現象ですね。
議論は人を説得するためにあるとはかぎりません。
それに情報について調べたければ調べればよいし、知りたくない人は知らなければよい。それぞれの自由です。
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